たそがれまで
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2003年02月28日(金) 信じるということ




ご承知の方も多いと思うが、先日、夫と喧嘩になった。
喧嘩というより、私が一方的に怒っていたというのが正しい。

私から見れば、夫の行動は不可解で不必要な物だった。
けれど夫にしてみれば、夫なりの責任を全うする為の術であり・・
同じことで8ヶ月前にも喧嘩をした。
結婚生活1年間で、喧嘩はこの2回だけ。
いつまで経っても二人の意見は平行線のままだった。


話し合おうという夫に、私は耳を貸さなかった。
話し合ったところで、どうせ答えは同じ。
私が私の中でどう決着を付けるかでしかないと思っていたから。

ただ、私がこれだけ不愉快になることについての
謝罪だけは欲しかった。
一言「ごめん」と言って欲しかった。

どこまで夫の行動を妥協できるかを考えた。
私が妥協できるギリギリの線。
私が考えた妥協点は、夫の意志を尊重してはいない。
それは充分解っているのだけど、そこが私のギリギリだった。


それを夫に提案した。
おそらく却下されるであろう妥協点。
そう思いつつの提案だった。


子供が寝静まってから、少しだけ話し合った。
子供というのはとても敏感だ。
勿論子供の前では普通にしているつりだけど、
両親の微妙な雰囲気の違いをすぐに察してしまう。
特に我が家の子供たちは、実父母の離婚を経験しているだけに、
敏感になってしまうようだ。
子供たちの為にも早く解決しなくちゃいけない。
それが夫との話し合いに応じた理由でもある。


夫の返事は以外にも「イエス」であった。
私の提案を全て了承してくれた。
夫にしたら不本意であろう提案を
全て了承し、約束してくれた。

私は、夫のその約束の言葉を信じようと思った。
いや、夫の約束の言葉だからこそ、信じられると思ったのだろう。

できぬ約束は絶対にしない人だ。
夫が約束したことは、何があっても全うされる。
今までの夫がそうであったから、
私は夫を信じていられる。

仮に、もしも、
もしも夫が私の知らないところで、その約束を破ったとしても
それはそれでいい。
そうするだけの必要があってのことだろう。

信じるというのはきっとそういうことだろう。


昔、友人の誕生日に送ったカードに書いてあった・・・

『信じるということは 
 
 相手への期待ではない

 自分への決意なのさ』

ふとそんな言葉を思い出した。






2003年02月25日(火) 魔法の言葉





昔、バイトの子に仕事を教えていた頃
魔法の言葉を教えていた。

「何か、私にお手伝いできることはありますか?」

新人はヒマになった時の時間の使い方がよく解らないから
先輩にこの言葉を言ってごらんと教えていた。

「お手伝いしましょうか?」ではなく、
「お手伝いできることはありますか?」というのがポイントだ。
新人はあくまでも謙虚に、である。

今はこの魔法の言葉を
私自身がフル活用させてもらっている。

責任者で、いつも店舗にいるオーナー婦人が何かしていると
横に行ってこう言葉をかける。
今までに習ったことはそのまま復習でできるし、
初めてのことは教えて貰えるチャンスだからだ。

オープンしたばかりの店だから
バイト、パートは一並びで、仕事は自ら積極的に覚えていくしかない。
説明を聞いただけでは自分の物にならないから
実践あるのみで体当たりである。


若いバイトの子と一緒になると、
よく仕事を訊かれたりもするのだけれど、
自分の中で自信のあることしか教えられない。
いい加減に教えることは、後での修正が大変だから。
その反対に、わからないことは同僚にはなるだけ訊かないことにしている。
面倒でも大変でも、正しいやり方が知りたいのだから。
仕事を覚えるのに近道はない。
急がば回れ、で丁度良い。



2003年02月24日(月) 自分のこだわり




仕事を初めて、約1ヶ月が経った。
なんとか身体も慣れてはきたし、帰宅して倒れ込むこともなくなった。

職場でのことを夫にあれこれと話してきかせるのだが、
「要領が悪いねぇ」と失笑されることもしばしば。

でも、要領が悪いんじゃないんだ。
見て見ぬ振りができないだけなんだ。

私が現在勤めているのは、コンビニである。
なんでも売ってる店だけに、裏方は想像以上に相当な仕事量だ。
物を売って、はい終わりではない。
発注、商品陳列、鮮度管理、数えあげたらキリが無い。
そして、店を構えているわけだから、掃除も立派な仕事なんだが・・・。

職場には作業表なるものがあり、それをチェックしながら仕事を進めることになっている。
8:00〜○○
8:30〜●●
9:00〜△△ というふうに。
でもあくまでも目安であり、その通りには進まないのだけど。

8時に出勤して、まず掃除に取りかかる。
他の人は商品出しなんてやってるが、私はみっちり1時間掃除をする。
(そういえば、私はほとんど商品出しなんてやったことが無いなぁ。
 皆がよくする作業には、ほとんど手を出さないからね。)
掃除といっても、トイレに外周り。ゴミを拾うのも勿論だが、サッシの溝の埃を拭いたり
看板、公衆電話、ありとあらゆる物を拭きまくる。

すると、店の前のゴミ箱に目がいく。
ゴミの袋換えは11時過ぎの予定なのだが、いつも溢れんばかりの状態で
いつの間にか、私の朝一の作業になりつつある。
私もドライブで立ち寄った時などは、ときどき利用させて貰っていた。
でもそのゴミの量が半端じゃないと、仕事を始めて思い知らされた。

私が住んでいる地域はゴミの分別に厳しくて、事業所だからと容赦はない。
ペットボトルは中を濯ぐが鉄則になっていて、なされてないと収集しては貰えない。

ぺットボトルの袋を換えると、ペットボトルを濯ぐのもやらなくちゃならない。
どうしようかと一瞬脳裏を過ぎる。
溢れそうなゴミを押し込めば、もうしばらくはもつだろう。
そうすれば私じゃない誰かが、気付いてやってくれるかもしれない。

でも、私にはそれが出来ない。
今日は鼻水がタラタラしていたのだが、結局外の水道で1本1本水で濯いだ。
毎日、コレをやってるなぁ〜。と思う。
この話しをした時に、夫から要領が悪いと笑われたのだ。


昔、仕事を教えていた頃、「嫌な作業を人に回すな」なんて偉そうな事を言っていた。
そう、「嫌な作業を人に回すな」である。
「リーダーこそ、人の嫌がる作業を率先しろ」とも言ってたっけ。
今はリーダーでもなんでもないのだが、まあ仕方ない。

余談だが、人望の厚いリーダーというのは、何か面倒な作業をやっていると
助けに来てくれる部下がいる。
そうして仕事を教え、教えられ、新しいリーダーが育っていくのだ。


そんなふうに、あまり人がしない作業ばかりやってるから
じっとカウンターの中に居ることがない。
オーナーからの指示も聞き損ねてしまう事さえ、しばしばある。
それはそれで困るのだけど、誰かが教えてくれるからいいや。

これが私の拘りなのだ。
店の顔は、品揃えじゃない。
いかに綺麗にしておくかだと思っている。
借りたトイレが綺麗だと、良い店だと思う。
店頭に置かれた灰皿が綺麗だと、きっと中も清潔な店だと思う。

どんなに笑顔で接客しても、トイレが汚れていたらアウト。
どんなに親切に話していても、店頭にゴミが散乱していたらアウト。

自分の中の拘りだから、
他人に押しつけちゃいけない。

自己満足だと言われようが、
要領が悪いと言われようが、
自分の中で納得のいく仕事がしたい。
それだけだ。







余談中の余談だが・・・
「東風さんの家はいつもビカビカなんでしょーね。」と言われるのだが
そうは問屋がおろさない。
仕事だからできること。
仕事であるがゆえのこだわりだったりする。
そんなに掃除に拘るのなら、
「もちっと家も掃除しろよ」といつも夫に言われてる。




2003年02月22日(土) 吸い殻の風景



ある日、夫に言われたことがある。
車の灰皿を眺めながらのことだった。

「へぇ〜、不思議と吸い殻の長さって同じなんだね。」

私は喫煙者だが、夫は昔から煙草を吸わない人である。
言われて気付くのも変だが、確かにほとんど同じ長さで吸い終わっている。

それがここ数日、吸い殻がいつもより長い。
風邪というか、扁桃腺の腫れで喉が痛くて仕方がない。
そのくせ煙草なんて吸っているのだから、どうしようもないのだが・・
美味しいと思わない煙草なら、吸わなきゃいいのに。
自分でもそう思う。なのに無意識で、煙草に手がでる。喫煙者の性である。


私が煙草を吸い出したのは、
法律で定められている二十歳を過ぎてからのことで、
きっかけはただ「寂しかったから」それだけのことだった気がする。

当時の私は新婚で、誰が考えても幸せの絶頂と思われていただろう。
でも趣味の合わない(当時の)夫とは、休日はいつも別々だった。
夫は山へキャンプしに、私は母とドライブに。
夫が一度譲ってくれたら、私も一つ譲ってあげる。
あくまでも先に譲るのは夫からで、私の方からではない。

夫が転勤で、隣の県に移り住んだ。
最初はついて行ったのだけど、すぐに逃げ帰ることになった。
夫の出勤時は一人。夫の休日も一人。
休日の前夜からキャンプに行く夫を横目に、私も里帰りをする。
2時間のドライブ中に、私の喫煙が始まった。

気にかけて欲しかったんだと思う。
かまって欲しかったんだと思う。
もっともっと私を見て欲しかったんだと思う。

だけど、自分からは何も言わずに求めているだけ。
それじゃあ何も伝わらない。
今ならそれが解るから、あの日に戻れるなら自分の耳元で囁いてあげたい。

もっと素直に
もっと自然に
自分の気持ちを表にだしなよ。

嬉しい時には嬉しいって
悲しい時には悲しいって
寂しい時には寂しいって
楽しい時には楽しいって

そしたらもっと人生が
楽しくなる筈だから・・・
そんなに棘の道を選ばなくても
生きていける筈だから・・・




だけどあの日に気付いたら
今日の私はいないなわけで・・・・
隣の(現)夫に、「どっちが良かった?」と聞いてみても
子供とじゃれ合っていて、相手にもされないや。
今は寂しいから煙草を吸ってるわけじゃない。
もうこれは悪しき習慣。

3人のドタバタを見ながら灰皿に火を押しつけると、
いつもの長さで消していた。
もう大丈夫。元気になったよ。
でももうちょっとだけ、病気の振りをしていたい気がする。
いつも以上に優しい夫が、ちょっと名残惜しかったりするから・・・



2003年02月17日(月) 凹んだ理由 2



私は、つくづく上司運に恵まれてない。
ふとそう思った。

前に仕事をしていた店の、店長もすこぶるお天気屋で
機嫌が顔に、態度に出る人だった。
その前に仕事をしていた職場の社長も、同様だった。
従業員全員が、社長の顔色ばかりを窺って仕事をしている有様だった。
最後は食事も喉を通らないほど追いつめられて、
身体がボロボロになって辞めざるを得なかった。
最後の半年で体重が6圓盡困蝓骨と皮だけのガリガリになった。

なぜこんなにも似たタイプの上司にばかり出逢うのか。
そんなに上司運に恵まれていないのか。

多分、それは違う。

部下のことなど考えられない人間が
いかに多いかということだろう。
心からついて行きたいと思わせる上司に出逢う確率が
いかに低いかということだろう。

皆、理想と現実の中でアップアップしながら
仕事をしている筈なのだ。
私だけではない。そう私だけじゃない。

それに、これだけ同じタイプの人間に出逢うのは
私にとって何かがある筈だ。
克服しなければならない何かが、この人達の中にある。


私の愛読書に
「生きがいの創造」という本がある。
何度も何度も読み返した。
その中で、私はいろいろ気付かされたことがある。

この世の中での出逢いや出来事は、
自分にとっての必要事項。
それが嬉しい出逢いであろうが、後で後悔する出逢いであろうが
笑みがこぼれる出来事だろうが、悔し涙が流れる出来事であろうが。

全ては自分が成長するため。
何かを克服するため。

もしも克服出来ずに逃げ出したとしても、次にまた同じ試練にぶつかる。
克服するまでは何度何度も、同じ壁に撃ち当たる。

きっとソレなんだろう。
私が克服すべきもの、それがこのタイプの人間の中にある。
それは、もしかしたら自分も同タイプということか。

どうしたら克服できるのか。
私に何ができるのか。
私はどうするべきなのか。

逃げ出しても同じことなら、ぶつかっていくしかない。
今までは、自分の思いを溜めて溜めて、
もう限界がきた時に爆発させてしまっていたから
溜めずに表にだせばいいのか。

その方法はまだわからない。
自分でどうすればいいかはまだわからない。

ただ、いつも見ていよう。
お客様の顔を正面から。
取り敢えず今の私にはそれしかない。
今できることはそれしかない。








凹んだ日に、書こうと思ったけれど
あの日は愚痴しか書けないと思った。
何日か時間を置いて、二日分を一気に書いた。
そうして良かったと思っている。
ネガティブにしてたって何も変わらない。
転んだら藁だって掴んで起きる。
そんな気になってきた。

明日も仕事だ。
笑顔で朝の挨拶をしよう。



2003年02月16日(日) 凹んだ理由




その人は、ドアを開けると熱いコーヒー缶を取り
無言で私の前に立つ。
私の動作にイラつく様子が手に取るようにわかる。

それが毎朝の出来事で、
「おはよう」なんて言葉は聞いたことがない。
それが私の上司。
私が勤める店のオーナーだ。

私だけかと思っていたが、皆、同じ思いをしているらしい。
その人が店に来るだけで、皆にピリピリした緊張が走る。
良い意味での緊張ならいいのだが、恐怖という名の緊張である。


店がオープンして2週間。
なんとか仕事にも慣れてきた。
だけど覚えることは山ほどあって、
まだまだ先が見えないほど遠い道がありそうだ。


オープン当日、私はオーナーに呼ばれて怒られた。
商品の並べ方が間違っている。と。
初めて聞く専門用語のオンパレードに
正直、何を怒られているのか分からなかった。
どうも管理温度の違う商品を同じ棚に並べていたということが
後になってようやく分かった。

すみません。
とは言ったものの、教えてもらっていない事はできないさ。
それに、あの棚は私が並べたのじゃないのだけれど、
管理温度に違いがあるということを教わったんだから良しとするか。

何分後かに、もう一度呼び止められた。
今度は別の人も一緒だった。
先入れ先出しが出来てない。
(先に製造した商品を、手前に並べて先に売るということ)

う〜ん。私は並べたつもりだけれど、並べ方が違っていたのか。
記号を見て並べろと言われたけれど、記号の意味も習ってなかった。
ただ自分の経験の中から、先入れ先出しを実行してただけで
やった事ない人には、チンプンカンプンだよなぁ。

あの〜、記号の意味を教えて貰えますか?

オーナーの顔が一瞬で変わった。
無言で、俺に聞くなと言っていた。


それからも度々、そんな事があった。
別の人に指示されても分からないことがあって
オーナーに聞きにいっても
「そんな事はしなくていい」と言われる。
じゃ〜どうすればいいのさ。

「わからないことは、なんでも聞いて下さい。
 わからないままで適当に仕事をすると、後で大変な事になります。」
って言ったのは、あんただよ。
そう言った以上、聞いたことには答えが欲しいし、
何より聞きやすい雰囲気を作って頂きたいものだ。



先日、事件は起きた。
商品の並べ方が、また間違っていたようだ。
誰が並べたのかは分からないが、これは連帯責任ものだろうと思った。

「もう2週間も経ってます。
 こんな事ができないようじゃ、商品に対する愛情が無いとしか思えない。
 いい加減な仕事をされては迷惑です。」

その時にいた従業員を集められ、オーナーはそう捲し立てた。
とてもとても冷たい言い方で、とても冷たい表情だった。


ちょっと待ってよ。商品に愛情がないってそんな言い方はおかしい。
みんな一生懸命やっている。私語もせず、せっせと仕事をしている。
いい加減にしか教えていないのは、そっちであって
みんな戸惑いながら仕事している。
間違いは間違いとして、きちんと受け止めたいけれど、
もう少しだけ言葉を選んでほしい。
そういうあんたからは従業員に対しての愛情がまったく感じられない。

心の中でそう思った。
事実、しっかりと仕事を教えてはもらってない。
それでもなんとか動けていたのは、自分の中の経験を呼び起こしていたから。
でもその経験が、どちらの気持ちもわかるだけに邪魔になる。

一緒に居た10代の女の子は、うっすらと涙を浮かべてた。
横に居た40代の主婦の人は、うつむいて肩が震えていた。
私は下を向きたくなかった。
意地でも下など向くものかと思った。
それでもオーナーの顔は見なかった。
自分で一番わかっている。
そんな時の私の顔は、親近者でさえ引くくらいに怖い顔をしている筈だ。

それから終業時刻まで、皆押し黙って仕事をした。
私を除いた二人は、お客様に笑顔になれる筈もなく
うつむきがちな接客になる。当然と云えば当然か。



帰りに三人で少し話した。
そして、バックルームでの出来事をきいた。
怒られた後10代の子が、オーナー婦人からレジ締めの仕事を教わっていた時
それを見て、オーナーがこう言ったそうだ。

「初歩的な仕事もできないうちに、そんな仕事なんて教えるんじゃない。
 そんなことをしているヒマがあったら、さっきの棚をやり直させろ」

本人の目の前で言うべき言葉だろうか。
その話しをしながら、彼女は大粒の涙をこぼした。
凹んだ。凹んだ。彼女も私も、そして、もう一人の主婦の人も。


その日の夜、彼女が掛け持ちでバイトしているスーパーに
顔を見に行ってみた。
昼間よりも、幾分明るい顔でレジに立っていた彼女に、少しだけほっとした。
遠くから手を振ると、気付いてニッコリ笑ってくれた。

「いろいろあるけどさ、頑張ろうね。」

それだけ言って帰って来た。
彼女にではなく、自分に言いたかった言葉だ。
辞めるのは簡単だけど、負けたくはない。
だけどそのうち、キレてくってかかりそうな自分がいることも否定はしない。

こんな従業員も嫌だろうな。とは思うけど。
私はオーナーの顔色を見ながらの仕事なんかしたくない。
お客様の顔を見て、お客様の為の仕事がしたい。
ただそれだけのことなのだ。




2003年02月12日(水) 連れ添う




早朝に我が家を発った姑から、夕方電話があった。
5日間の滞在の謝辞と、息子である我が夫の好物を送ったとの知らせ。
謝辞を言われるほどの親孝行はできずじまいで、恐縮すること然り。

ゆっくりして貰うつもりが、孫達にまとわりつかれ余計に疲れさせた気がする。
そう、孫。私の子供を孫と呼んで下さる。
子供は正直だから自分を可愛がってくれる人には、体中の力を抜いて甘える。
そして、そうさせて下さるお二人には感謝で頭が上がらない。




ふと、初めてお義母さんに逢った時のことを思い出した。
結婚の報告をしに、夫の実家へ行った時だ。
お伺いではなく、報告だった。

子連れの結婚を不安に思っていた私は、何度も夫に頼んだ。
反対されたら結婚はしない。だからまず、ご両親と相談してほしいと。
だけど夫は、「絶対に反対などされない」と強気で臨んだ。

そして、その理由が逢ってみて分かった。
一言でいえば「信頼」だった。
夫は絶対的な信頼を両親から得ていた。
息子が決めたことは、何があっても信じる。
そんな強い信頼関係が成り立つ親子だったのだ。

高校時代から下宿をし、親元を離れた夫は
自分のことはなんでもできたし、自分の事は自分で決めた。
その決定を黙って受け入れ、見守る父と母。



だから義母の内心までは計り知れないが、
私との再婚も、快く承諾して下さった。

二人っきりになった時、私は自分で確かめた。
子連れでも構わないですか。と・・・

義母は笑いながら
「安心したんだよ。
 あの子が一度だけ親に心配させたのは、離婚した時なんだから。
 早く誰かと再婚して欲しくて、いつもせかしてたくらい。
 いっぺんに子供までできて、良かったと思ってるよ。

 だからね、どうぞ死ぬまで連れ添ってやって下さい。
 私達への孝行なんて考えなくていいから、
 あの子のことを考えてやっていて下さい。
 だからずっと一緒に居てやって・・・」

義母の言葉の最後は小さくて聞き取れないほどの声になった。
『連れ添う』という言葉がズシンと響いた。

ただの一度の親不孝
それは夫が離婚をして、一人ぼっちになったこと。
寂しい思いはさせたくないという親心。
それが『連れ添う』という言葉になったのだろう。




それから3ヶ月後、夫に転勤の辞令が下った。
ついて行くと言った私は、義母から何度もお礼を言われた。
でも、それが私なりの「連れ添う」という証だから
お礼なんていらない。

連れ添うというのは、いつも一緒にいて
お互いの顔が見える位置にいるということだと思っている。
話さなくてもその表情で、相手の意をくみ取れる距離。
それはお義母さん、あなたが教えてくれたこと。

お義母さんと、お義父さんを見ていればわかる。
長年連れ添った夫婦だからこその、あ・うんの呼吸

そして、あなた方が育てたように、我が子を育てられればと思う。
信頼で結ばれた親子関係が、とっても素敵に感じた5日間。

来て下さってありがとうございます。
本当に本当に楽しかったです。








2003年02月06日(木) 悲しい知らせ



早朝ケイタイを見ると、昨夜のうちに届いたメールが一通。
子供たちの実祖母(私にとっては元姑)からのメールだった。
最近はメールの数が少なくなっていたのだが、なんだろうと開けてみると・・・

2日に、子供たちの曾祖母が亡くなったという内容だった。
もう随分前から入院していた事は知っていたし、夏にもお見舞いに行ったのだけど
とうとうだったのか・・・
この季節はお年寄りには厳しいんだろう。奇しくも伯母と命日が同じだ。

すぐに電話をして、元姑と話した。
苦しまず、安らかに眠ったとのこと。少しだけ安心した。
享年84才。息子は初の曾孫だったから、とても可愛がって貰っていた。
離婚後もつき合いはあったから、二人の中にもしっかりした記憶がある。
すぐに連絡を貰えば、飛んで帰ったのに。と思う。

元姑はなかなか電話できなかったらしく、昨夜のメールも遠慮がちだった。
まあ変な関係になってしまったから、仕方が無いのかもしれないけれど、
何度も何度も言ったのだけど、私は子供たちと祖父母の関係を
断ち切るつもりはない。
逢いたい時は逢ってもらって構わないし、話したい時は話してもらって構わない。
それは、夫も気持ちよく同意してくれている。
本当に有り難いと思っている。

紙切れ一枚で他人にはなれるけど、血の繋がりってやつはやっぱり切れない。
親の都合で無理に引き裂くことなどできない。
それは私が一番良く知っている。
そして、血の繋がりが全てではないということも・・・

再婚して新しいお父さんができた今、つき合いを続けるということに
異論を唱える人もいるけれど、私達には自信がある。
しっかりと確かに愛している。二人の子供を愛している。
夫も私以上に愛情を注いでくれている。
何があっても崩れるような柔な家族ではないつもりだ。
そう、例え子供たちが実父に逢うような事があってもだ。

たくさんの困難を越えて結ばれた家族だから。
そう思っている。
そう信じている。



大きいお祖母ちゃん、二人を可愛がって頂いてありがとうございました。
二人の記憶の中には、あなたはいつまでも残るっていると思います。
どうぞ安らかに眠って下さい。

合掌


2003年02月02日(日) 母のこと  愛のかたち





良く晴れた日曜日の今日、片付けをしていたら
ふと思い立つ事があって、お人形を飾ることにした。

それは昨春に引っ越した際、本当は処分する筈だったお雛様。
私が父母の元に引き取られた最初の春に、
母があちこちを回って選んでくれた物らしい。

8段飾りのそれは、ことの他大荷物で
これからの生活にとって必要だとは思わなかった。
娘には実母から貰った、陶器のお雛様もあることだし・・・。
それでもお内裏様とお雛様だけは持って行け、という姉の助言に従って
引っ越し荷物の中に忍ばせておいたのだ。
「これは親心の象徴だから」という姉の言葉が突き刺さった。

もう15年くらいは陽の光りをあてていないお雛様。
顔にシミがついているだろうと諦めていたのだが
箱から取り出したお雛様は、とてもとても綺麗なお顔で・・

子供の頃の記憶よりも、うんと大きくて、立派なものだった。
そう云えば3才の頃、雛壇飾りの前で写った写真は
私の身長よりはるかに大きくて、そこで笑っている私は
まるでお飾りのお菊人形のようだったっけ。



大人になって伯母から聞いた事がある。
お雛様を買いに行くのにつき合わされて、
10軒以上も店を回ったと。
お雛様の優しい顔で、この人形に決めたのだと。

初めてお雛様を飾る母は、喜々として鼻歌交じりだったとか。
「お雛様を飾らせてやったあんたは、それだけで親孝行したんだよ」
伯母は笑いながら、そう話してくれたのだ。

血は繋がっていなかったけれど、私は確かに愛されていた。
父に、母に、そして伯母に。

立派なお雛様だけが、その証拠ではないけれど
一つの証であることに間違いはない。

姉の言った「親心の象徴」だと云う意味が
今日、新たに身に染みた。
私は愛されていたんだよね。


来年も2月2日にお雛様を飾ろう。
大好きだった伯母の命日である日に・・・




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