台所のすみっちょ...風子

 

 

見栄っ張り - 2003年09月30日(火)

バイト先全体の飲み会が10月に催されることになった。

”最重要”という見出しで、業務日誌に

日時などのお知らせが書かれていてたのである。


私が指導員をするインターネットスポットのスタッフは4人だが、

同じホールには、チケットを売るところがあり、

ホール全体を管理する事務所などもありで、

総勢だったらスタッフの人数は20人ぐらいいる。

大体の人が毎日の常勤ではなく、シフトで動いているので、

しょっちゅう話をする人もいれば、まったく口を聞いたことの

ない人もいる、といったような具合で、今回のような試みは、

そこでこれからも勤めてゆくのであれば、コミュニケーションといった

観点からも、非常に意義深いものだ。


参加者の方に早速名前を書いてみた。

が、一週間たっても参加者の欄に名前が増えない。

日誌はインターネットスポットのスタッフ専用のもの。

すると、私の他3人には参加の意思がないということだ。

”重要なお知らせ!”と書かれ、枠で囲まれた参加者の欄に

私の名前が堂々と一人ぼっち。

それをマジマジと眺めていると、

自分の名前が

「暇」とか

「のんべえ」とか

または

「ノリノリ〜!」といったような

飲み会に浮かれる軽いヤツの代名詞に思え、、

なんだかなぁ〜〜〜。


で、この前、ボールペンで書いてしまった自分の名前の後ろに、

括弧をつけて”たぶん・・大丈夫”という言葉を足してみた。

そう、

「本当はいろいろ予定はあるんだけど、、」

みたいなニュアンスを出してみたのである。


ふっ・・

もちろん、悔しいまでに大丈夫なのは言うまでもない。


おしまい。


...

今。 - 2003年09月28日(日)


今私はとっても暇な気分である。

時刻は19時50分。

どれくらい暇かというと、こうして日記を書くくらい。

バイト中なのに。

だって、このインターネットスポット、

誰も人がいないのである。

最後の客は20分ほど前に帰ってしまった。

まさか、「私が暇になりますんで、帰らないでください」

とは言えないので、泣く泣くその人の後ろ姿を見送った

次第。

ここには、せめて8時15分まではいなければならない。

く、苦しい、、、。

もうやることがない。

使用料などのお金の清算も終った。

パソコンもこの一台を除いて、残り9台は消した。

書類もしまったし、余った時間をどうやって過ごせばいいのか?

と、書いてるうちに、55分になった。

あと、5分。

お腹空いたな。

では!


おしまい。









...

組閣 - 2003年09月26日(金)


小泉第二次内閣がスタートした。

で、タッタと大臣などが決まったわけだが、

今回の内閣人事、マスコミによると”サプライズ”がなかったそうである。

「サプライズがなかった」ということは

「あっと驚くことがなかった」ということ。

が、驚く人事ならいくらでもできるはず、と私は考える。

それはズバリ「ノーベル賞的人事方式」。

つまり、

昨年いちサラリーマンであった田中さんを、

ノーベル財団がノミネートし、周りをサプライズさせたように、

有名でなくても、実力がある人をどんどん登用するやり方だ。



例えば、長年何百件もの家々を建て、数々のファミリーに

幸せを運んだ、大工の棟梁を国土交通大臣に任命する。

また、事業に失敗したり、何度も転職したりで、バブル崩壊後の

世の中で、大変苦労したオヤジが厚生労働大臣とか、

町の安全に地道に取り組んできた駐在所のお巡りさんが、

法務大臣でもいいだろう。


そう、こういう人たちの方が、机上でいろいろ議論している先生方より、

ずっと国民の気持ちが分かるに違いない。

それに、大臣になってからの細かいことはどうせ官僚がやってくれるんだし。

国民のためにもなるし、内閣も「サプライズ」を提供できるってんで、

まさに一石二鳥。


と、そんなことになったら、

旦那の持ってくる給料で、8年間も家計を切り盛りしてきたこの私にも、

もしかして財務大臣の椅子がまわってくるかもしれない。


困ったなぁ〜


家庭との両立ができるだろうか・・


今からその時が心配である。


おしまい。


...

機転 - 2003年09月25日(木)


私の妹はとっても料理が上手。

彼女の家には今まで何回もご飯を

食べに行っている私だが、その度に

「これは試してみたい!」というような料理が、

必ず一品はあって、本当に私の血縁か?と

疑ってしまうほどである。


で、先日お邪魔したときにも、やはりとっておきの一品をごちそう

になった。

そのメニューの名は「韓国風味噌スープ」

椀に鼻を近づけるとほんのりゴマの香ばしい臭いがし、

味噌ベースの汁がピリッといい感じで辛く、

中に入ってるもやしや韮にもしっかり味が染みて、

奥さん、これがとっても旨いのなんのって。


早速レシピを聞いた。

鶏がらスープをベースに、もやしや韮などのお好みの

具を入れ、味噌とすりゴマ、練りゴマ、煎りゴマ、コチジャン

などで味をつけ、仕上げにゴマ油を垂らすそうである。

入ってる調味料の数は決して多くはない。


だが、私は気が遠くなりそうであった。

ゴマ関係だけで4種類、「もうこれ以上何のしようもありません!」

というぐらい、あらゆる方法で加工されたゴマが入ってる上に、

コチジャンときた。

味噌、醤油、酒、砂糖、塩、こしょうといった基本調味料でしか

料理をしない私にとって、その存在はあまりにも遠い。

例えて言うなら、日本とブエノスアイレスぐらいの距離感である。


しかし、結婚して早丸8年。

マンネリ気味の料理に一石を投じたいところ。


作ってみた。

帰ってきた旦那に味を見てもらうと、

彼は「なんか違う」と言うのだった。

さすが。

実はこの料理を作るにあたって、忠実に揃えたのは

もやしと韮、煎りごま、それに味噌だけ。

鶏がらスープのもとを買うのを忘れ、出汁は本だしかつお風味。

ごま油も、切らしていたので、ごま風味の油であればいいだろう・・と

オリーブオイルでいりごまを炒めて、ごま油もどきを作って代用。

コチジャンにいたっては、”距離の近い”キムチを使用し、

練りごまもなかったので、黒い煎りゴマを大量に入れてみた。

おかげで、汁の色は食欲をそそらないダークグレー。

出来上がりの時点でもうそれは、妹のものとは遥かに違っていたのである。




この世に生を受けて三十うん年。

今まで、機転を効かせ数々の問題をクリアーしてきた私。

だが、この時、私は思ったのだった。



料理だけはダメなのね〜〜ん・・と。


おしまい。


...

もうちょっと頑張りましょ〜。 - 2003年09月23日(火)

「子供から教えてもらうことっていっぱいあるよ〜
 そうだなぁ〜、子供から学ぶっていうか〜」

子供を持つ友人は、皆、口々にそんなことを言う。

私は子供がいないから、もちろんそういった経験はない。

だが、自分と違う誰かと一緒に暮らすという時、

「それは十分あり得る話だ」とは想像できる。

例えば、私が時々旦那の脳天気さ加減に勇気付けられたり、

考えさせられたりするように。

だから、もし一緒にいる者が、穢れのない、純真な、目をキラキラさせている

ような子供であったなら、もっともっと、心に感じるものがあるだろうと。


昨日、廊下で隣のHさん親子に会った。

奥さんと5歳ぐらいの男の子と3歳ぐらいの女の子。

向こうから挨拶が来ることはまずない。

「こんにちは〜」
「こんばんは〜」

一声はいつも私のからで、彼女の方はというと、

蚊の泣くような声でポソポソと、やっと、といった様子で返すのみ。

いや、それどころか私に対して、なぜか怯えたようにソワソワし、

そそくさと家の中に入ってしまうのだ。

明らかに私を恐れている、といった感じ。

妖怪扱いか・・?

それとも私がいったい何をした?


と、いうわけで、昨日も口火を切ったのはこっちであった。

「こんにちは〜」といつものように挨拶をする私に、

奥さんは「めんどくさいな〜」といった面持ちで、

やはり「こ・・ん・・に・・ち・・は・・」

と消え入りそうな声で答えたのだった。

だが、昨日は少し様子が違った。

横にいた男の子が私の側に寄って来たかと思うと、

クッと顔を上げ、私を見つめながら満面の笑みを浮かべ、

「こんにちは!!」と元気良く言ったのだ。

それは、そんなふうに挨拶されたら正月でなくとも、

お年玉の一つでもあげてしまおうか・・という気にさせるぐらい、

可愛く感じの良いものだった。


う〜ん、、Hさんちは、お母さんより子供の方がなんだか偉い。


そう考えると、彼女は子供からその姿をもっと学んだ方がいい。

いや、ぜひ学ぶべきだ。


お母さん、もううちょっと頑張りましょ〜!


おしまい。


...

歯を磨いてて気がついたこと。 - 2003年09月22日(月)


夜、しゃかしゃかと歯を磨く。

すると、

ヘソを曲げているわけでも、

泣きべそをかいているわけでも、

ましてや、松本精張の真似をしているわけでも

ないのに、

鏡にうつる私の口が緩やかなへの字に

なっていた。


頬がたるんで・・・


口角が・・・


ナント・・・


下がってる・・・


顔が・・


老けまくり・・


これが歯を磨いてて、気がついたこと。



フッ・・なにを今さら。



おしまい。


...

違う理由 - 2003年09月20日(土)


秋だというのに、この東京地方、

まだまだ暑い。

マンションの一室であるうちは、夜、窓を開けていても、

風が通るなんてことはあり得ず、

「でも湿度が低いですからぁ〜、気温が高いわりには爽やかです!」

と天気予報のコメントが嘘のように蒸し暑い。


そんな我が家に昨日の夜、置き薬屋のオヤジがやって来た。

玄関で使った分の薬をチェックしながら彼が言う。

「いや〜、暑いですよね〜、ム〜ンとしますよね〜」


私はそのセリフを聞いて、思うのだった。


今、ム〜ンとしてるのは、気温のせいではなく、


たぶん・・そうきっと・・


それは・・あなたの”ワキガ”のせい・・よ・・と。


おしまい。


...

再会。 - 2003年09月19日(金)

先週、男友達と合った。

彼とは14年ぶり。

最近、医療関係の事で疑問に思っていることがあったので

あれやこれや質問をしてみたくて、連絡を取ったのである。

彼は十数年間その方面の仕事に携わっていた人だ。


待ち合わせは池袋。

地下にある創作料理屋ふう居酒屋に腰を落ち着け、

まずは向かい合いながらの簡単な近況報告と、

長い時を経たお互いのジジババ加減を確認し、


で、次に・・彼の二人の子供の話。


そしてそのあと・・彼の二人の子供の話。


最後に・・彼の二人の子供の話。


五歳と三歳になるという女の子が、男親は可愛くて

仕方ないといった様子。


結局、その子供の話の間を縫って、

私の聞きたいことなどをちょちょっと挟み、

夜の11時、宴はお開きになった。


清算するためにレジに行く。

二人で一万円ちょっと。

彼がおごると言う。

焦った。

呼び出したのは私の方。ここでぜ〜んぶ出してもらうのは

なんとも心もとないではないか。

半分の5000円を握りながら、何度も

Yシャツのポケットに札を突っ込もうとするのだが、彼は

はらりはらりと身を交わし、受け取ろうとはしない。

そこで私は、彼にお金を受け取ってもらうために

こんなことを言ってみた。


「ねえ〜、悪いよ。ここでおごってもらっちゃうと、
 次から気楽に誘えなくなっちゃうでしょ。」

「・・・・・・・・・」

彼は何も答えようとはせず、二人の間には長い沈黙が流れた。

お金を払う口実としては、とってもナイスな殺し文句だと思っていた

私にとって、それは意外としか言いようが無かった。

いや、沈黙ではない。

どちらかというと彼は

「言葉に詰まった」

といった感じであった。



・・・・・・・・・・。

もう私とは会いたくないってか!


おしまい。


...

さよならレンジ君。 - 2003年09月18日(木)


月曜日の朝は旦那と共に妹夫婦の家から朝帰り。

朝もやの街を車で走りながら、今にも眠りそうな私を尻目に、

旦那などは楽しそうに

「道行く人たちは俺たちを見て、な〜んて朝早くから行動
 しているカップルなんでしょ!って思うかもなぁ〜。
 でも違うんだなぁ〜、朝帰りだもんね〜。ハァ〜ハハハ!」と笑うのだった。


家に着いた途端、布団を敷き、そのまま夕方まで寝た。

で、起きてシャワーを浴びると、私達は早速また出掛けた。

その日、私達には「レンジを買う」という、大きな目標があったのだ。

そう、電子レンジのレンジ機能が壊れて1年ちょっと。

オーブントースター機能が壊れて二ヶ月。

不自由な生活に耐え忍んで来た私達だが、もう限界。

トーストが食べたければ、料理だって温めたいではないか。


家から20分ほど行ったところの、国道沿いの電気店で、

散々迷い、電子レンジを購入した後、持ってきていた

古いレンジをお店に引き取って貰った。


台車に乗せられた古いレンジが、店員さんの

「じゃ〜、お預かりしますね〜!」の声と共に台車に乗せられ

ゴロゴロと遠ざかってゆく。

それは、たった今、我が家に来た新しいものと比べると、随分と小さい。

「惣菜を温めてくれたレンジ君」

「冷凍食品を温めてくれたレンジ君」

「コンビニの弁当を温めてくれたレンジ君」

思えば、結婚して8年。いつも私達と一緒だった。

連れて行かれるレンジ君を車の中から見つめていると、

横の旦那がポツリと言った。

「名古屋にも着いてきてくれたよなぁ〜、あのレンジ」

そう・・そうなのだ。

旦那の転勤で名古屋へ行った時、慣れない生活に気落ちする

私の横で、レンジ君は東京にいた時と変わらずに、

元気にぐるぐると回ってくれていたっけ・・。

ウル・・っと涙が出そうになった。

「ありがとう・・」

家までの道程、心の中で私はそう何度も呟いた。


そして、数十分後。

台所で新しいレンジを囲み浮かれる私達がいた。

「へぇ〜!これってケーキも作れるじゃん!俺、挑戦しっちゃおうかなぁ〜。
 オッ、クッキーもだぁ〜!おいクッキー作ってくれよ〜!」

「いいよ〜!!クッキーぐらいなら高校の時作ったことあるし〜〜!」

その時、旦那と私は思っていた。

「初めまして、新しいレンジ君!我が家へようこそ!」


悲しい別れがあるところ、また新しい喜びもある。


おしまい。


...

はっぴ〜ば〜すでい。。 - 2003年09月17日(水)

珍しく旦那が早く帰って来た。

コージーコーナーのケーキを持って。

そう、今日は私の誕生日であった。

いつもより、ちょっとばかり多い品数、

ちょっとばかりきれいに盛り付けた夕飯をいただき、

思いがけない、友人からの「オメデト〜!これでまた一つ老けたのね電話」

を切ったあと、彼と二人、HAPPY BIRTHDAYの儀式をした。


旦那が買ってきた長細く四角いケーキにローソクを立ててゆくと、

あっという間に、クリームで覆われた表面が見えなくなり、

年の数だけ立てるのが、慣わしとはいえ、

林立する西新宿の高層ビルのようなさまを見て、

「ローソク・・立てすぎ・・」と私も

密かに思わざる終えないのであった。


本数が多いから火をつけるのも大変だ。

最後の一本をつけ終わる頃には、初めの一本が溶け切ってしまう

のではないか?と心配したほど。


ようやく全てに点火されたところで、

部屋の明かりを消した。

「ハッピバ〜スデー トゥ〜 ユ〜〜ハッピバースデー トゥ〜 ユ〜」と

声も高らかに旦那が歌い上げる、ハピバースデイソングに耳を傾けながら、

「誕生日とは幸せな日なのか?」
「だとしたら、幸せとはいったい何なのか?」

などと、ゆらゆら揺れるロウソクの火を見つめては、

深く考えてしまう私なのだった。


「さぁ〜消して〜」

歌が終わり、旦那が私を促した。

「全部いっぺんに消してやるぅ〜!」

と、変なところに闘志を湧かせ、

大きく息を吸いこみ、そして、フ〜〜〜〜〜〜〜〜と吐いてみた。

その瞬間、

全ての火が消え部屋は真っ暗になった。


で、私の心までなんだか暗〜くなった。



「わ〜、おめでと〜!おめでと〜〜〜〜!」

漆黒の闇の中・・

旦那の明るい声だけが・・響いていた・・・。


・・おしまい・・・・。


...

口。 - 2003年09月16日(火)


「お前はホントに口から生まれてきたのね〜」と、

産みの親にまで呆れられてしまう私。

ポンポン口をついて出る言葉に

「しまった・・・」とか

「どうしよう・・・」とかという

”後悔先に立たず”の経験は一度や2度ではない。

だが、東京都知事の外務省官僚への

「そういうことされて当たり前」発言の顛末を見て、

「まっ、世の中騒がせなきゃいいっか・・」と

自分のマシさに、ホッと胸を撫で下ろすのであった。


おしまい。


...

高齢者問題。 - 2003年09月13日(土)


例えば、駐輪場をよく利用する旦那が、

区で雇用されている、そこの係員のお年よりたちの仕事ぶりを

「じいさんたちは頭が固くてさ〜、、マニュアル一辺倒で、
 融通が利かないよな!」と怒っても、

「まあまあ、いいじゃない」となだめる私は、

「健康であれば、今まで積み重ねてきた知識と経験を生かし、
 
高齢者であっても社会と関わるべきであり、また社会もそういった人々に働く場を

提供するべきだ」と、日頃から社会と高齢者の関わりについて

深く心を砕いている女。

だが、総裁選挙をめぐって、自民党の大物代議士N氏が

突然辞意を表明した時、

今の政治と日本とのことを思ってとか、

政治家としての気骨がどうのこうのだとかいう

理由より、その人が77歳である、という事実に


「そりゃぁ〜もう家にいてください。充分です」


と思わずにはいられない私なのであった。


おしまい。


...

日曜日。 - 2003年09月12日(金)


日曜日、妹夫婦と会うことになった。


私達夫婦と妹夫婦、四人は仲良しである。

もっとも、私達姉妹はもともと仲が良いのだから、

こんなふうな今の四人の関係は、当たり前なのだが

もし、妹の選んだ配偶者が性格などに少々難アリの

人であったならば、彼女と疎遠になる可能性も充分あったわけである。

だが、妹は良い人と結婚してくれた。

優しく、

気さく。

おまけに、関係ないけどハンサムで、

とにかく私達四人はこの東京砂漠で

助け合って生きてきたのである。



日曜日、私達は妹夫婦と会う。

どこで会うか、また何をして過ごすのかも決まっていないのだが、

もし場所が妹の家で、もしそこで食事会をするのであれば・・、

その時のために言っておく。



我が家の電子レンジ。

オーブントースター機能が壊れて、早2ヶ月。



お姉ちゃん達はトーストが食べたいぞ。


おしまい。


...

TPO。 - 2003年09月11日(木)

今日、新規の登録をしたHさんは60歳の男性。

「初心者なんですが・・・」

と気弱そうにやって来た。

最近、うちのインターネットスポットを訪れる人は減少気味。

もともと利益度外視の施設とはいえ、このまま客が減リ続ければ、

私達指導員が居る意味もなくなってしまうわけで、

となると、バイトの身分では、もしかして解雇され、

収入を無くしてしまうことにも繋がりかねないのである。

「一人でも多く!一人でも!」とノルマに苦しめられている

セールスマンのように、ここのとこ新規会員の確保ばかりが

頭をよぎってた私にしてみれば、またとないチャンス!なのだった。

当然、思い切りの愛想笑いで出迎え、

「もう60歳だし・・・」という不安には

「い〜や、まだ60歳じゃないですか〜、若いからすぐ覚えられますよ〜」

と答え、

「パソコンも触ったことないんです・・教えてもらえるんですよね・・」と

気弱そうな打診には

「ええ、何でも聞いてください!私達指導員がついてますから!
 まあ〜指導員ってほどでもないんですがね〜ホホホ〜」と

謙遜などしながら太鼓判を押してあげた。


だが、私がHさんを教えることはなかった。

今日の私は早番。

そう、話をしているうちに遅番の交代要員

が来てしまったのだ。

ここまで調子良いこと尽くしに喋ってきて、途中で

「じゃあ、あとは代わりの人と!ではサラバ!」とは

言いにくい。

時間を延長してでも・・とも思ったが、今日は終ってから

用事があったので、帰らなければならない。

泣く泣く私はスタッフジャンパーを脱いだのであった。


帰り支度を済ませ、パソコンに向かうHさんの脇を通る。

基本的なことは交代の人が教えてくれたらしいが、

その表情は不安そうだ。

思わず近寄った。

「じゃ〜またぁ〜ん。私はこれで帰るんですけどォ〜、まった来てくださいね〜」

良心の呵責からか声がどことなく甘くなる。

するとホッとしたように顔を上げ、

「君はいつ入っているの?」とHさん。

「水曜日の早番はぜ〜んぶ私。お待ちしてまぁすぅ〜・・」と私。


一瞬、サッと周りの客の目が、、

いやいや、、交代の指導員の目までもが私に向いた。


で、その目たちは言っていた。


ここはキャバレーか?と・・。


おしまい。


...

新色 - 2003年09月09日(火)


今日、お馴染みの友人M子と合う。

昼をカフェ風ランチで済ませ、伊○丹へと向かった。


一階の化粧品売り場を”冷やかし通行人A”となって

歩いていると、ふとアイシャドーが目に止まった。

この秋の新色らしい。

「おつけになりますかぁ〜?」の明るい店員の声に

促され早速つけていただく。

アイシャドーは4色でワンセット。

ブラウン系のグラデーションだ。

「まずぅ〜全体に〜」と言いながら、

店員が私のまぶたに薄いクリーム茶をのばし、アイホールに一段濃い茶を

「こうして〜こうして〜」と、少し円を描くような指使いで乗せてゆく。

そして、ググッと綿棒に取ったもの凄く濃いカーキーを、

目頭から目尻に向かって一気に線を引くようにつけた。


で、「ホ〜ラ!こんな感じ!」

と見せられた鏡には、今まで見たことの無いほどの目力を持った私。

その瞳で誰かを見つめれば、二、三人は倒せそう・・といった感じである。

そして、下まぶたに濃い赤茶をアイライン代わりに引いて、アイメーク完成。


目が決まったところで、口紅もつけていただく。

これも新色だという濃いベージュ形の口紅で、

店員が私の唇を塗ってゆく。


「さあ、どうでしょう!」

自信満々の店員に見せられた鏡の中。

そこに秋の新色で彩られた私の顔があった。


ダークな色で縁取られすぎたゾンビ調の目元。

口角を何故かキュンと上げて描かれた唇。

そこに、真ん中分けのストレートがあいまって・・



それはまるで・・・


アダムスファミリーの・・お母さん・・・



デデデデン・・・。



おしまい。



...

一つの時代 - 2003年09月07日(日)

深夜、一人テレビを見ていたら

思い出の青春ソング集「君の詩」という

4枚組みのCDセットの通販をやっていて、

若い時が本当にあったのか?と聞きたくなるような

オヤジが、懐かし顔で

「いいですね〜、これ〜」などと若かりし頃の

自分に思いを馳せている様子を目にしながら、

「ふ〜ん・・そんなもんか・・・」とサラリと流してみた私だったが、

続けて見ているうち、

そのCD集の中に、自分が一番華やかだった頃、

そう、二十歳ぐらいの時の曲までもが

収録されているのを発見し・・・

「もう・・私の時代も終ったのね・・」

と、本当にガックリきた。


おしまい。


...

無力感 - 2003年09月05日(金)

5才下のうちの旦那は、まだまだ自分が若いと思っているのか、

体調が悪くても、なかなかそのことを認めようとしない。

で、ここんとこ連夜の残業続きの彼。

日に日に弱ってゆくようだ。

で、昨日は特に顔色が悪かった。

見かねた私、

「ね〜顔が青白いよ」と指摘すると、

案の定彼の口から出た言葉は

「日焼けが落ちた。今年は冷夏だったから」

などという、すっとぼけたもの。


体が悲鳴を上げていることを、

なんとか分かってもらいたいと思い、

「違う!それは疲れだよ!」とか

「あなたに今必要なのは休養だ!」とか、

機関銃のように言ってみたのだが、

彼の顔は聞いてか聞かずか・・の表情。

仕方ないので、語気を強めてさらに

「顔にツヤもないもん!」と叱咤したら、

それが彼の心のヒダに触れたようで、

私のお小言をぼんやり聞いていた彼の顔が急に変わり、

突然何か思いついたたように、

「そっかぁ〜〜!化粧水だ!俺に足りないのは潤いだ!」

と、急に洗面所のあったビオレの「うるおい弱酸水」を

持ってきて、数滴を手の平に垂らし、パタパタやり始めるさま。


それを見た時、私のもっともな忠告など、

彼にはまったく意味のない、、

そう、まるでなにげなくほじった鼻くそとか、

うっかりしてしまったオナラのようなものなんだ・・と悟り、

自分の力の無さにうな垂れる私であった。



誰かなんとか言ってやってください。



おしまい。


...

無敵。 - 2003年09月04日(木)

ヨーカドーで旦那が豆乳を買ってきた。

「無調整の豆乳」というもので、品質における

メーカーの自信の表れなのか、値段が少々お高め。

ボトルに書かれている書体といい、

いかにも純度が高そうで、しかもオマケとして「にがり」なんかが

付いている。

そう、付属のそれをこの豆乳にいれると、豆腐が出来ちゃうらしい。


風呂上り、早速いただいてみた。

まさに「豆腐以上豆腐以下の何者でもない・・」っといった感じの味。

思わず、これを買わずとも豆腐を丸呑みしたら

いい話ではないのか?と思ってしまうほどであった。


で、その豆乳を飲みながら、タバコを吸っていると、

そこへ旦那登場。

「これってホント豆腐じゃん!」と笑う私に旦那は

「体に良さそうだろ〜。だってこのにがりを入れれば豆腐が
 出来ちゃうぐらい濃い豆乳なんだぜ〜。」などと言い

おまけに

「そうだよ!これで豆腐作ってよ!
 豆腐まで作れたら、おまえも、もう主婦として怖いもん無しだぜ〜!」

と訳がわからない。




ここで言っておく。


そんなもん作らなくたって


私に怖いものなんかない。



おしまい。


...

触発のゆくえ - 2003年09月03日(水)

今回の帰省ではうれしいことがあった。

それは新しい出会い・・友人のお兄さんと出会ったことである。

彼は画家。

一度個展を観に行き、アトリエにお邪魔したくなって、

友人に無理を言い、連れて行ってもらった。


アトリエは新潟の寺泊という海沿いの町にある。

地下の倉庫だった部分を手直しして使っているという

そこは、打ちっぱなしのコンクリートがお洒落で、

大きなイーゼルが3つもあり、筆なんて数え切れないほどで、

関係ないけど、足の短い可愛い犬までいて

さすが、絵を描くことを職業としているだけのことはある!という

感じであった。


海の見える静かな場所で大好きな絵を描く。

なんと素晴らしいのだろう。

過去の作品を見せてもらううち、そんな気持ちでいっぱいになった。

と、同時にもし、欲に駆られることなく就職などしなかったら、

私も絵を描き続け、アトリエなど持ち、犬も飼い、こんなふうに

アーティストとして生きていたのではないか?などと思ったのであった。

とにかく、私にとっては本当に有意義な時間であった。


帰り道、私は自分の中で絵を描いてみたい・・という

衝動を抑えきれずにいた。

家に着き、ご飯を食べ、風呂に入った後、

母親にスケッチブックを借り、取りあえず自分の自画像

に挑戦してみた。

18年ぶりの手は初め思うようには動かなかったが、30分ほど

すると感を取り戻したのか、するするとブランクがなかったかのように

鉛筆HBが進む。

そして2時間後。

ようやく完成したそれは・・・ナンとソックリで、

その予想外のいい出来に、満足して眠った私であった。


そして、朝方、トイレに行くため、まだ薄暗い部屋で私は目を覚ました。

ソファーに立てかけたスケッチブックにふと目をやる。


すると、


ビックリしちゃった。

こわくて。


描いた顔がスッピンだったゆえに・・

描かれたものがソックリ過ぎたゆえに・・・


スケッチブックの中で微笑む私は・・


ちょっとした化け物。


おしまい。


...

世間。 - 2003年09月02日(火)

9月になった。

私の誕生月である。

で、年などもう取りたくない私は、

「誕生日?誰の?」というふうに、年が増える

ことには一切触れることなく、できるだけ普通に

この月をやり過ごそうとしているというのに、

9月1日になった途端の昨日深夜のテレビショッピングでは、

「誕生石!9月の誕生石サファイヤがこのお値段で!」とか
「このお値段ですから〜9月がお誕生日の方はぜひぜひ!」とか
「これをごらんになっている旦那様!奥様のお誕生日の贈り物に!」などと

盛んに言っていて、

さらに、今日の午前中、化粧品屋からうやうやしく来たFAXに書かれて

いたメッセージは

「お誕生日おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」の

"これでもか〜これでもか〜攻撃"。


そんなに世間は私に年を取らせたいのか。


おしまい。


...




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