台所のすみっちょ...風子

 

 

にいがた日和。〜赤いベンツでコソコソと - 2002年08月31日(土)

新潟滞在も一週間を超えると、

友人たちの盆休みもすっかり終わってしまい、

暇なヤツなんて誰もいやしない。

どーせ私は万年日曜日女。

なので、一人で出掛けるしかない。

しかし、東京みたいに地下鉄が蜘蛛の巣のように

張り巡らされているワケでも、バスが都心の電車なみに

来るわけでもないので、車がない私には

ひじょーに不便な土地。

もっとも、道で誰かに車あげる!なんて突然言われても

ペーパーなので困るけどね。

そんな時、私を助けてくれるもの。

それが、母親がいつも行動を供にしている赤いベンツ。

色が赤いことから、わが実家では”赤いベンツ”

と呼ばれてる自転車だ。

おちゃめと思わせといて実は悲しいネーミング。

な〜んだチャリンコかよ!なんて言っちゃイヤ。

そんじょそこらの自転車と一緒にしてはいけない。

だってサドルが信じられないぐらい低い。

身長150弱の母親には持ってこいだが、

約(笑)160センチの私にはいくらなんでも低すぎる。

去年の夏には、高いかかとのミュールでうっかり

こいでいたら、ガガガガ、、、と、かかとが地面に

つっかえて、コケそうになったではないか。

おまけに、ひとたびまたげば、もう私は猿状態。

サドルが低いので、自転車のハンドルを持つ手が通常

よりやや上に挙がってしまい、その恰好はまるで手を挙げて

モンキーうっき〜〜〜と叫ぶオラウータン。

じゃあ、上げて調節すればいいんじゃない?とも思われる

が、父親が工具でしっかり固定してしまって、私が何度

挑戦してものれんに腕押し、ぬかに釘。

意地でも直そうとして爪を折ってしまったこともある。

クソ〜〜。

なので、そのまま乗っている。

歩きよりマシと乗っている。

化粧でそこそこ顔を整え、洋服もお出かけ服に身を

つつみ、仕草はまるでオラウータン。

コソコソ、チャリチャリ、コソコソ、チャリチャリと

こげばこぐほど恥ずかしい。

炎天下の中、暑さとコッパズカシさで、顔から体から

すっかり赤く火照り、どこまで自転車?どっから人間?

と堺のない一つの赤い物体となって、

新潟の道をゆくのだった。




          にいがた日和 おしまい。


...

ありがたや!橋○寿○子 - 2002年08月30日(金)

T○Sで信じられないぐらい超ロングランを続ける

ホームドラマ、「渡る○間に○はなし」

脚本は橋○寿○子。

私が彼女と聞いて思うことと言えば、

笑って○○ともで若い子に混じって浮きまくっている

「オコゼに眼鏡をかけさせたような顔を持つただのオバサン」

ということだけだった。

なので、彼女の偉大さなんて全然分からなかった。

いや、分かろうともしなかった。

しかし、昨日の夜9時、パソコンを打っていた私は

彼女の偉大さに遅ればせながら気がついたのだった。

我が家のパソコンはテレビと背中合わせにリビングにある。

その日は土曜日にとある団体に提出しなければならない

ものを作ってしまわなければならなかった。

(何もしてない。提出は土曜日なのに・・・。

これは、集中しなければ!)

どれ、テレビを消してやるか〜〜と、思ったものの、

さびしんぼうの私のこと。音がないのはちょっと寂しい。

で、適当な番組をつけて結局は”ながら作業”。

その時、たまたま選んだのが「渡る○間に○はなし」

そして、あの橋○寿○子の偉大さに気がついたのだ。

だって、ぜんぜんテレビの音が気にならないのである。

私は大抵そうしてテレビをつけっぱなしでパソコンを

打つことが多い。メールやら日記やらetc・・・。

例えばそんな時サスペンスをやっていたりすると、

エッ!誰が殺されたの?犯人はどなた?等と見ても

いないのに聞こえて来る音やセリフに反応してしまう。

ニュースも同様で、抵抗勢力がどーしたい?と

つい手を止めて見入ってしまったりする。

ところが、あのドラマにはそういうことがない。

あまりに長寿番組なので普段見てない私には、

それぞれの家族の関係や歴史がまったく掴めない。

今までの経緯を把握するだけで、一年ぐらいかかりそう。

それに、出演者が高齢者の視聴のみを狙ったとしか

言いようのない人選てのも、私の興味を削ぐ原因かもね。

はなっから理解することを諦めると、いくら怒るセリフが

聞こえてこようが、泣く声が聞こえてこようが、

平気の平左衛門だ。

まったくのBGM感覚。

これはいい!

とりあえず音が鳴っているので寂しくもないし、作業も

邪魔されないではないか。


「渡る○○は〜」はとんでもない高視聴率だと聞いたことがある。

だから、ご長寿。

だから、私にとってBGM。

なんてナイス発見!今度なにかを真剣にやる時は

木曜の夜にしよ〜〜と!

まさに、橋○寿○子さまさまなのであった。


                    おしまい。


...

洗濯屋のおばちゃんに教わる正しい答 - 2002年08月29日(木)

ドトールもないこの町に来て早2年と半年。

月日の経つのは早い。

私には子供がいないので、このマンションの

他の住人と知り合いになることもなく、

だから、当然友達もいない。

まさか、友達欲しさに無理矢理朝起きて、

隣りの公園で子供を遊ばせるママさん達の輪の中に

ど〜〜もど〜〜〜もど〜〜〜〜〜〜も!!なんて

真打ちの落語家じゃぁあるまいし、いきなり入って

ゆくわけにもいかない。

だが敢えて一人知り合いを挙げてみろ!と言われたら、

思い当たるのはただ一人、洗濯屋のおばちゃんである。

そして私は、そのおばさんから先日、旦那の容姿に

関する正しい答を有り難くも頂戴した。


それは私が新潟に帰ってる間に彼が出していた

背広をイヤイヤ引き取りに行った時のことであった。

キキーっといつものようにキレのあるブレーキさばきで

自転車を洗濯屋の前に止め、中に入ろうとすると、

私を見つけたおばちゃんが、蟹のように両手で

Vサインをしながら、しかも左右に振りながら

私をお出迎え。

私が不在の間に一段とテンションが上がった人に変身してる。

帰りたくなるところをグッとこらえて、ガラガラと

ガラスの扉を開け、一歩足を踏み入れた途端・・・・

「まぁ〜〜!あなたの旦那さんってスッゴク格好いいのね〜〜」

とどっから声出してんだい!?というほど、噴火寸前。

この暑さで幻覚でもみたんじゃぁなかろうかと思ったが、

そこは、ホレ!この人しか知り合いもいないわけだし、

とりあえず「そうですかぁ〜〜。」なんて交わしてみる。

「そうよ〜〜、ハンサムで、色が黒くって、

がっしりしてて〜。ナニ?スポーツマン?何やってんの?」

誉め殺しの上に質問攻め。

「あ〜〜、サ〜フィンやってんですよ〜。」

と言うと、

「あらまぁ〜〜〜〜、そ〜〜なの!ど〜〜りでね〜〜

で、何?あなたも??」

私のこの白ブタのような外見を見て、どーしてその質問

なのだ?それに、男の趣味にいちいち付き合わない

「可愛げのまったくない女」というのが私のウリ。

その後もおばちゃんはキレイに仕上がった

背広を袋に入れながら、格好いいを連発。

あんまり言われるので

「いやぁ〜〜、私の実家ではゴリラ呼ばわりなんですよ〜!」

といってみた。

旦那は目がパッチリしていて目立つ顔ではあるが、ゴツイ

作りと迫力で実家での彼のあだ名は「ゴリラのゴリちゃん」

これで、おばちゃんも少しトーンダウンするに違いない・・・

等と思ったのもつかの間、おばちゃんは

「まぁ〜〜〜、ゴジラ〜!私ゴジラだ〜〜いすき!」

と完全に聞き間違い。

(いやだネ〜、なに言ってんの、ゴジラじゃなくてゴ・リ・ラ!)

しかし「私ね〜〜、ゴジラのぬいぐるみも持ってんの!」

なんて、おばちゃんとても楽しそう。そんなに喜ばれては

この際「間違えてます!ゴリラです!」と言うのも野暮。

それに、”ごつい”というカテゴリーでは妙に一致してる。

ともすれば、そっちの方が正解なような気さえするではないか。

(じゃあ、正解〜〜〜!)


そう結論づけた私はイヤイヤしたお使いで

「実は旦那がゴジラ似だった」という正しい答を胸に

店を後にしたのだった。

さっそく実家に電話してあげよう。

               おしまい


...

日本一短い母への親孝行・・ - 2002年08月28日(水)

「おいしいキムチラーメンがあるんだて〜。」

実家に帰ってから耳にタコができるほど、

私はそう何度となく母から聞かされてれていた。

そんなにおいしいなら東京に戻る前に食っとくか!

と思い、一人でズ〜ルズルと食べるのもわびしいので

母も誘うことにした。

「ねえ〜キムチラーメン食べにいかない〜。」

「いいよ〜。いつ〜?」

「明日の昼。おごるよ!」

「エ〜!いいの〜、悪いよ〜。」と母。

「悪いよ〜」とは言いながら、大福餅のような顔

がさらにデレ〜っと伸びたりしてうれしそうだ。

なんか良い提案したネ〜私。


で、母が言うには、そのキムチラーメンには味が2種類

あるらしい。醤油ベースと味噌ベース。

「おとうさんとさ〜、この前2人で行った時、私は味噌で

お父さん醤油の方食ったんだて〜。そしたらそれが

まぁ〜ずかったんだて〜〜。やっぱ、味噌だて〜〜。

グワハハハ〜!」

私にレクチャーしながら、得意げな母である。

どうやら、1/2の確率で父が”ババ”を引いたのが

愉快痛快でしょうがないらしい。

・・・大人げない。


ところで私は今まで生きてきて、母には一回しか

おごった経験がないという親不孝もいいとこの娘である。

記念すべき第一回は、思い起こせば十数年前、

ファーストフード店のアイスコーヒーだった。

たまたま一緒に買い物をしていて、喉が乾いたというので

コーヒーをごちそうしてあげることにしたのだ。

それ以来私は「コーヒー通の母親にどーしようもない

マズイ出がらしアイスコーヒーをおごった女」として

実家の歴史に名を残すこととなってしまったのであった。

あの時はジャンクな店を選びすぎた。で、あれほど母が

マズがるとは思わなんだ。

だが、今度は違う!明らかに「おいしい!」と本人が言う

ものをおごるのだ。

これは、感謝されるハズだ。汚名挽回のチャ〜ンス!


次の日、家から歩いて7分ぐらいの所にある

そのキムチラーメンの店へと向かう。

母はチャリで私は歩きである。

母に案内されて店につくと、そこはナント、去年の夏、

同時に帰省していた妹と一緒にラーメン食った店ではないか!

父親に「うまい!」と勧められて行ったのだが、

特別「イケル!」てなワケでもなかったという評判倒れの店。

オイオイ、大丈夫か!?

・・・不安である。

さて、席につき、メニューも見ないでお目当てのモノを

オーダーしようとすると、

「あたし、中華丼と普通のラ〜メンのセットがいいな〜。」

と突然な母。

(エッエ〜〜〜!今日はキムチラーメンじゃあ・・お母様・・。)

結局、母の所に運ばれてきた物は、思いつきで頼んだ

中華丼と普通のラーメンのセット。

まあ、いいか!親孝行に押しつけは禁物である。食いたい物を

食ってもらうのが一番ではないか。

だが、そう思い直したのもつかの間、私の耳に聞こえてきたのは

「ゲッ、、このラーメン煮干しで出汁取ってるて〜〜、

あたし嫌いだて〜〜。」という信じられない声。

(ウソでしょ〜〜お母様・・)

その後も母は私のおごりだということを忘れたかのように、

「おいしくなぁ〜い。油っぽ〜い。煮干しが生ぐさぁ〜い。」

を目の前で連発。

さんざん騒いで半分残し、とっととレジを通り過ぎてゆく母。

さんざん騒がれて半分残され、レジでお金を払う私。


店を出るとすでに母はお気に入りのチャリにまたがって

「ハァ〜イ!」と私をお出迎え。

自転車なのに歩きの私に合わせてもらうのも悪いと思い、

「お母さん、先帰っていいよ。」と言うと

「そ〜お!じゃっあね〜〜〜〜!」

母は躊躇いもせず、ビュ〜ンとチャリをこいで行ってしまった。

・・・あ〜あ・・・・・・・・・・。

こうして私の短い親孝行は終わったのだった。


                 おしまい。


...

つぶやき三郎。 - 2002年08月27日(火)

実家の冷蔵庫から魚を初めとして

タンマリと生鮮食品を貰ってきたので、

帰ってきた夜は大変だった。

ほとんど冷凍したものを持ってきたので、

安心だとは思うが、油断してはいけない。

帰ってくるまでの道中で溶けかかってしまって

いたからだ。

悪くなる前に一刻も早く冷凍室&冷蔵室に

納めてしまわねば!

中身がパンパンと詰まり、軽く5キロはあると思われる

手提げ袋をうんしょ、う〜んしょと台所に運ぶ。

扉を開け、中に入ってる物をはじっこに除けたり

しながら、

「ハハハいやぁ〜〜、まいったな〜全部はいるかなぁ〜」

とうれしいつぶやき一回目〜。

急に家計が豊かになった気がして、笑いが

止まらないではないか。


ホクホク顔で全部しまい込んだ後、

「あっそういえば、野菜室には何もないハズ。明日の買い物の

為にあるものチェックしておくか〜。」

私ったら何だかいつになく気のきく奥さん!

「さ〜てと!」

ガラガラガラ・・・・・と開けてみる。

すると、そこにはすごい光景が・・やっぱり(笑)待っていた。
          
まずにんじんは、にん爺(なんちゃってぇ)と改名できる

ほど老け込んでいて、しわしわのガビガビでミイラのようである。

空いた牛乳パックの中に入れといたクレソンは

まるでドライフラワー。

野菜室の底で横たわっていた白菜はすっかりセピア色に。

あ〜あ、永遠の眠りについちゃった。てな感じである。

でも一番変わってしまったのはシメジ。

個体だったハズがまっ茶色の液体に・・。

それでもシメジと判別できたのは、頭のてっぺんの

かさの部分がポツン、ポツンと残っていたから。

2週間前までは見慣れていた野菜室が、今ではすっかり

考古学博物館と化している。

ゲェ〜、、、古くて見たこともないような物だらけだ。

「いやぁ〜、参ったな〜・・」なんて今度は愕然と

した2度目のつぶやきが口からポロリ。


やっぱりダメね、私って。主婦には向いてないんだわ。

と自分自身の再認識も終わったところで、風呂にでも

入るかと思い立ちパンツを持ってうろついている私に

旦那がニッコニッコしながら話かける。

「疲れただろ〜。お風呂掃除しといたよ〜。

きれいなお風呂に入ってもらおうと思ってさ〜。」

泣ける。泣ける話である。

「ありがとう。」とお礼を言って、浴室に行ってみると

新潟に行く前は決してキレイとは言えなかった浴室が

天井から、壁、床、浴槽までホント〜にピッカピカ。


「いやぁ〜、まいったなぁ〜。」

シャーシャーとシャワーを浴びながら3度目のひと言は小声で

つぶやく私であった。

                      おしまい。


...

帰ってきたフーテン - 2002年08月26日(月)

ただいま〜!皆さん元気ですかぁ〜!?

やっと戻ってまいりました。

しかし、東京は暑いね〜、イヤだね〜!

新潟は涼しかったゾ〜。

朝晩、あっ、昼もそこそこに。

寝るときなんてトレーナー着て毛布かけて寝たぐらい。

さすが雪国だ。


それにしても、今年の私は例年になくアクティブ。

友達との飲み会は恒例だとしても、泊まりがけで遊ぶやら

実家から高速で一時間の友人の所までトコトコ出掛けるわ

海にも行っちゃったりして、実家のソファにど〜んと座って

テレビ見ながら耳掻きばかりしていたいつもの夏とは大違い。

古町、万代シティー、柏崎〜と出没する華麗な姿は

もう、すっかり地元っ子!

で、調子こいて喋ってた新潟弁がこっちに帰って

も抜けなかったらどーしようなんて・・・

・・・そんなことしか心配事が無い有様。


でも、なんたって極楽だったのは家事をしなくて

も良かったこと。

こっちにいる時のように「今日の夕飯どーしましょ」

と思い悩んだり(実は全然悩んだことないけど・・)

風呂洗ったり、トイレを掃除することもナイナイ。

家に居るときは、ひたすら母親の作った私好みの料理を

平らげるのみ。

例えば「ねえ、今晩お肉にしようと思うんだけど」

という申し出には

「う〜ん、サッパリしたのがいいな〜」

と返せば、ちゃーんと食卓にはそうめんが乗っかるのだ。

う〜ん、余は満足、満足。

一応は「何か手伝ってもらいたいことあるぅ〜?」

と聞くのだが「別に〜〜〜」と必ず断られてしまう。

そうなりゃあ主婦としてまだひよっこの私は

ツツツ〜〜と引き下がるしかあるまい。

それに、私の母は異常に元気者。

足の裏にバネがついているかと思わせるほど

そのフットワークは軽い。

あっちにびよ〜〜〜〜ん

こっちにびよ〜〜〜〜ん

あさっての方向にびよよよよ〜〜〜〜ん


まるでドクター中松ばり。


なので、私が何かしようと思い立っても、

その強力なバネを持つ母”おんな中松”によって

先手を打たれてしまうのである。

だから

母は びよ〜〜〜ん びよ〜〜〜〜ん

私は 楽ちん 楽ちん 

びよ〜〜〜ん びよ〜〜〜〜ん

楽ちん 楽ちん

が繰り返されることとなる。

そして、いよいよ帰る日が近づくと家中の缶詰や調味料、

台所用品やら乾物類やらを宅配便でこっちに送り、

東京に戻る当日には冷蔵庫中の生鮮食料品まで

タンマリとちょうだいする始末。

娘が去った後の実家は山賊にあった旅人のように

身ぐるみ剥がれてスッカラカン。


しかし母ももう65歳。

いい歳した私がフラ〜っとやって来ては

こんなやりたい放題でいいのか。


おかあさん こんな娘でごめんなさい。         

                おしまい。


...

お盆休みのすみっちょ!! - 2002年08月11日(日)

明日から、新潟の実家に帰りまぁ〜す。

20日ぐらいまでの予定。

主婦なのにのびのびし過ぎ。

外国のバカンスかい!?


いつも読んでくださってる皆様、

ありがとうございます。

てなワケで21日まで日記お休みです。

止めちゃうのではないので、またよろしく

お願いいたします!


いやぁ〜、帰るところがあるってーのは

ホントに良いもんだ〜〜〜〜〜。

父親も母親も楽しみにしてくれてるみたいだし。

実家に住んでる時は結構仲が悪かったのに。

離れて暮らすようになったら至れりつくせりじゃん!

・・・上京して良かった。

でも、娘2人とも東京にいるので、新潟には

両親だけ。

さすがに歳を取るに連れ、娘としては何かと心配だ。

例えば、先日「帰るコール」をしようと

母親に電話をかけた時のこと。

「もひもひ〜、○○ですけど〜。」

「あっ、お母さん私!お盆はさ〜11日に帰るから〜。」

「ふえ〜い。ひゅういちにちね〜。」

「・・・・・うん・・。」

「で、はえったら、なひが、はべふぁい?」

「・・・・・・・・・・。」

全然ろれつが回ってないではないか。

ついにボケたか・・・

不安になった。

だが、親子の会話はなにげに成り立っている。

不思議だ。なんかあったのか?

ズバリ聞くわけにもいかないので、

しばらくそのままにしていると、

さんざんその調子で話した挙げ句、最後にポツリと

「ひょうね〜、ひた噛んだんだぁ〜」

「ひた?ひたって何?」

よ〜く聞き返してみると、どうやらそれは

「ひた」ではなく「した」。舌のことだった。

彼女が言うには午前中、友人とおしゃべりしていて

うっかり噛んでしまったらしい。

それで痛くて、しゃべり難そうだったのである。

いったい、舌を噛むほどのおしゃべりとはどんな

”べしゃり”なのか?

推測するに、舌をターボのように回転させながら、

まくし立てたに違いない。

おそるべし!我が母。

それより何より、心配させんなよ!我が母親。

あ〜、良かった、何でもなくて。

ふぁ〜ふぁっふぁっと笑う彼女の声を聞きながら、

私はホッと胸をなで下ろしたのであった。



早く帰ろ〜っと。

                  おしまい。


...

あ〜だ、こ〜だと桃を食い。内田有紀結婚の巻 - 2002年08月10日(土)

昨日、深夜3時に桃を食う。旦那と一緒に。

その時間にそんなことしてるのは、

ここら辺でうちぐらいのもんだ。

どうだ!参ったか!

私は桃が大好きだ。世界中の果物の中で一番

好きだ。だから、こうなるのも致し方ない。

だって、どーしても食べたかったんだもん。

パクパクパクパクパク。

いよぉ〜、ポン!桃に舌鼓を打つ私達。

フォークを進めながら旦那がポツリと言う。

「そういえばさぁ〜、参ったよ〜。内田有紀の結婚。

あ〜あ、有紀ちゃん結婚しちゃうよ〜。」

どうやら、ニュースソースは電車の中吊りらしい。

すごい小市民。

私にはどうでもいい話。だが相手は誰かちょっと

気になるので「へ〜、誰と?」と質問。

すると、突然旦那がひばりのように歌いだしたではないか。

「あ〜あ〜ああああ〜ああ、ああ〜あああああ〜〜あ〜あ〜〜〜〜」

すごく有名なそのメロディーは、ズバリ北の国からね。

(でも、それがどうした、どうしたんだ!)

「だからさぁ、誰なのよ!」

このままいつまでも、いついつまでもさえずりそうなので

改めて聞くと、今度は口を尖らせて・・・・・

「ほたるぅ〜〜〜ほたるぅ〜〜〜〜〜〜〜」と絶叫。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・!」

ホッホ〜、相手はあの「じゅん君」役の男か。


しかし、内田有紀も将来性のない男を選んだもんだ。

山田洋次監督と倉本聡の作品にしか出てないヤツではないか。

まあ、内田有紀の方はこれからも稼げそうだからいいのか。

こうして、私の目の前に彼女の結婚を嘆いている

根強いファンもいることだし。

女も収入があると愛だけで結婚できるのね。

純粋ではないか。

エライ!見直したぞ!内田有紀!


桃が少なくなってきた。

旦那はまだ残念そうである。

元気さえ、ちょっと無くしているようだ。

う〜ん、内田有紀とは会ったこともないくせに。

フォークも止まったまま。ただテレビをボ〜っと見ている。

ふふ・・この隙に桃をいただいてしまえ。

パク。

・・・・いただきました。

                おしまい。



...

四谷のブチ - 2002年08月09日(金)

つい先日、四谷駅構内でのこと。

テケテケと改札を通って、階段を降りようとした時、

不思議な文言が目に入った。

それは「ブチ」

よく見てみると、B全ぐらいの大きさの

ポスターにでデッカク

「お前が帰ってきてくれて、ブチうれしい!」

とある。

そのコピーの後ろには、父親だったらちょっとイヤだが、

叔父さんだったらまあ許せる・・といった感じの

人の素晴らしく良さそげなハゲたオヤジが

ニンマリと笑っている写真。

下の方には「山口県」の文字。

どうやら「山口県出身のみなさぁ〜ん!帰省してね〜夏!」

という主旨のポスターらしい。


「ブチ」といえば「まだら模様」のことではないのか。

ブチな犬ブチな猫などと、犬や猫に使うと相場が決まってる。

「ブチ?ブチ?ブチ?ブチ?ブチ?ブチ?ブチ?・・」

もうその瞬間から頭の中が「ブチ」だらけだ。

なので、そのコピーの「ブチ」を「まだら」という

言葉に置き換えてみたりする。

「お前が帰ってきてくれて、まだら うれしい!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」


        違う。


ハテ?でもこの言葉には聞き覚えがある。

考えること数分。

そうそう!この言葉はたまに旦那が口にするやつだ。

旦那はフグでお馴染みの山口県は下関出身。

「ブチ」というのは、山口弁で「スッゴク!」とか「とっても」

という意味だと聞いたことがあったではないか!

先のコピーは「お前が帰ってきてくれてスッゴクうれしい!」

てなことになるのだ。

な〜るほど!これで意味が通じた。

ちなみに私の実家のある新潟では「スッゴク!」

を意味する方言は「なまら」

う〜ん、なんかナマコみたいで怪しい。

こんなちっちゃい日本でも、

ところ変われば「スッゴク!」違う・・・等とダジャレめいた

結論を胸に次ぎの目的地へ急ぐ私であった。

                  おしまい。



...

ジ〜っとオヤジ - 2002年08月07日(水)

とある下町の昼下がり。

この暑さで溶けてしまいそうなので、

大好きなドトールで茶を一杯。

ついでにべーグルサンド・ベジタブルも注文する。

席に座り、そのベーグルサンド・ベジタブルを食おう

とあ〜んと口を開けた瞬間、斜め前の

席のオヤジと目が合ってしまった。


すると「ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」


自分で言うのも何だが、思いっきり口を

空けていたので、かなりのマヌケ面だったのにも

関わらず、オヤジは微笑むでも眉をピクンと動かす

でも、ましてや目を反らすでもない。

ただ、じーっと私を見るのみ。


そう「ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」


オヤジは少し社会に疲れているように見えた。

汚れたヨレたシャツに、これまた汚れた半ズボン。

鼻緒の当たりが切れそうなブルーのビーチサンダル

という出で立ち。

テーブルの上には、空のグラス。

すっかり飲みきった後、かなり時間がたったと

見えて、中には氷も残っちゃ〜いない。

周りには本やら、タバコやらの持ち物らしきもの

もない。

鼻をかんだり、鼻毛を抜いたり、尻をかいたりもしない。


あくまで「ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」


きっと、ずーっと何もせずここにいるのだろう。

私も暇だが、オヤジはもっと暇な様なのだった。


こういうオヤジは私にとって要注意である。

何故なら、普通の男には評判が良くない私だが、

この手の”いっちゃった風”の男性にはウケがいい。

フラ〜っとやって来られては、意味不明の

言葉を囁かれたことも一度や二度ではない。

で、もっとひどいと股間の間から、

”ブツ”を見せられちゃったりする。

きっと私達の間には何かあるに違いない。

たぶん赤い糸とか。


相変わらずオヤジはピクリともせず、

私を見つめている。

う〜ん、困った。

話し掛けたり、”ブツ”を見せるのは、

この大好きなべーグルサンド・ベジタブルを食べて

からにして欲しい。

私はオヤジがいつ席を立ってこっちに来るのかと、

ドキドキしながら、猛ダッシュで

べーグルサンドベジタブルを食べ進めるのだった。


そんな私をオヤジは「ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」

飽きもせず「ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」

どこまでも「ジ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」


                    おしまい。



...

なんちゃって午後4時半。 - 2002年08月06日(火)

化粧水が一滴もなくなったので、

久しぶりに化粧品を百貨店に買いに行く。

昼に起きてうだうだした後、

目的地に着いたらもう4時半。

会社帰りのOLの皆さんで混雑するまでに、

とっとと買ってしまわなければ!

と思って商品を物色してると、

口が裂けんばかりの営業スマイルな店員が

ひょこひょこやって来た。

「お客様〜、何かお探しですか〜?」

「いえ、ちょっと化粧水を・・・」

と適当にかわすと

「今日はお仕事お休みですか〜?お時間あるなら

お肌診断させて頂きますぅ〜」などと言う。

「いや〜、毎日が休みの万年日曜日女なんで時間

なら、余りまくりです。なのでお願い。」

と自分の現在の立場を詳しく説明するのも

面倒臭いので、

つい「ええ、そうです。休みなんです。」

なんてウソ八百に答えてしまった。

月曜日が休みなんて、私は床屋さんか!?


そうなのだ。私は何故かこうやって日中に買い物に

行くとたいてい「働いてはいるが今日は休みの女」

又は「ただいま休憩中なのでフラ〜っとやって来た女」

と見られてしまう。

「専業主婦です。」と答えるのが、正解なんだろう

けど、それはあまりにおこがましい。

なんたって、昼に起き、旦那が朝の何時に出勤している

かもわからないような女である。

実はただのグータラ。

リストラも近いな。


そんなこんなでぺちゃくちゃ30分。

とりあえず化粧水の種類を決めてみる。

「他に特に気になる事ございませんか〜?」

と聞かれたので、

「いや〜、最近どんどんシミができてきて

このままだと日食みたいに顔中まっ黒になっちゃったり

して〜。ハハハ。」とおどけたら、

「お客様、それはございません!」とピシャリ。

(はぁ〜・・・・・・。)


買うもの買って、外に出たらすでに駅は

家路に向かうサラリーマンやらOLでいっぱい。

その波をどっこいしょと掻き分けて、

電車に乗る前に茶をすべく、駅構内のコーヒー

ショップへ。

最近、ますます私の体は、ちょっと繁華街に出ただけで

疲れるようである。おまけに今日の暑さったら。

ホォ〜。

朝から終電まで働いていた時がウソのようだ。

「あ〜、暑い。早く秋になんないかなぁ〜・・。」

そう思いながら、私の午後が終わってゆくのであった。

おしまい。


...

これでいいのか日曜日? - 2002年08月04日(日)

昨日は松戸の花火大会。

地元の友人の元にフランス帰りの日本人、

フランスから来たフランス人、

品川区から来た日本人、荒川区からの

日本人など総勢9人集まって、飲めや歌えや

花火見ろやの大騒ぎ!花火を堪能

した後は串カツ屋にまで行っちゃって、

揚げては食い、揚げては食いして、

いやぁ〜、ホントに楽しかった。

で、今日の日曜日。

昨日の反動か、すっかり”燃え尽きちゃった症候群”

にかかる。

昼は一時に起きたものの、シャワーを浴びて

それからパン食べたら眠くなり、

また4時から7時まで眠り、

夕飯を作るのもすっかり面倒臭くなり

ラーメン屋に電話。

今、タン麺を食べ終わったところ。

なんか眠い・・・。

なので、もう寝るかもしれません。

みなさん、おやすみなさい。

             おしまい。



...

間借りなりにも! 抵抗勢力の巻 - 2002年08月03日(土)

数日後、またぬか漬けキュウちゃんはやって来た。

びよ〜んびよびよ〜んとS婆さんの手に揺られて。

しかし、何故かその日を最後に、S婆さんは

もう私にぬか漬けをくれる事はなかった。


漬けているのが、キュウちゃんだけであるハズがない。

カブやにんじん、果ては大根まで漬けているハズである。

貰っとかないと。

そう企んでいた私は、宝塚歌劇団のように、

腹から声を出し思いっきり派手に、そして大きな声で

喜びを表現してみたのだが、ダメだった。

バレたのか!?だとしたら、さすが年の功。


それ以来、S婆さんの顔がぬかに見えて仕方ない。

外で会う度に「カブ!」「にんじん!」などと、

心の中で叫んでしまう始末であった。

そんなこんなで暮らしているうち、あっという間に月日は経ち、

4ヶ月が経とうとしていた。

ちょっと、間借りのつもりが、はや4ヶ月とは・・。

これでは”パラサイト夫婦”である。

いいのか?いやいや、それは大人としてマズイ!

急いでアパート探しである。

やる気を出せば、結構あっさりと住まいは決まり、

私達にその団地を出る時が迫った。

あと、一週間ほどで引っ越しというある日、

私は団地から旅立つ事をS婆さんに告げた。

S婆さんはちょっとビックリしてから、顔がみるみる

しぼんでゆき、とっても残念そうにしてくれるのであった。

「これは、お婆さんとその孫娘のように心が通いあった

証に違いない!」そう思った私。

しかし、S婆さんが気落ちする理由は意外なところにあった。

彼女は言う。

「え〜、婦人会の役員になって欲しかったのに〜。」

自分が退任した後釜に私を推すつもりだったらしい。

「いえ〜、私には無理ですよ〜。」と返してみるが

「あらぁ〜、残念だわ〜。次の役員はあなたしかいない!

と思っていたのよ〜。」

S婆さんは諦めきれない、といった風である。

う〜ん、良かった。推薦される前にここを出る事になって。

私は自慢じゃないが、結婚式の友人代表スピーチも立候補

してしまうような出たがりの女である。

そんな要職に着いたひにゃぁ〜、必要以上にビシ!バシ!と

やってしまうに違いない。

団地の構造改革へとまっしぐらだ。

そうなると、問題は昔からここに住む爺さん婆さんである。

古いものは新しいものがキライなのが、一般論。

当然私が指揮を執る政策が気に食わないに違いない。

私はそんな抵抗勢力には、屈しない。

なので、より反感買いまくりだろう。

そうなると、「どうせ間借りさ!」と決め込んでいる

私と旦那はいいが、永住するかもしれない

弟に非難の目が集中するやもしれぬ。

それは大変なコト。

可愛い弟のバイクがイタズラされたり、玄関の扉に

「バ〜カ!」などと書かれては、申し訳ない。

なので「役員に!」と言われても困るのである。

早く皆さんの幸せの為にもここを出なければ!

S婆さんの顔を見ながら改めて思う私なのだった。

                 おしまい。


...

間借りなりにも!ぬか漬け食いねぇ!の巻 - 2002年08月02日(金)

今から3年ほど前の事。

私は旦那共々、義理の弟の家に住まわせてもらっていた。

ちょうど今頃の季節だった。

それまで旦那の転勤で名古屋に住んでいたのだが、

あまりにも急に東京に戻って来る事になったので、

アパート捜しが間に合わなかったのである。

弟は心良く承諾してくれた。

なんて、ナイスガイ!

でも、助かった。あの時、間借りさせてもらえなければ、

今頃私達も川沿いの青いビニールシートの小屋で

東京アーバンライフを満喫しているとこだった。


弟は年輩者の多い団地に住んでいた。

そういう所は新参者には厳しい。

弟からも「何かとうるさい人が多いから気をつけて」

とのアドバイス有り。

特にマークすべきは、隣りに住む団地の婦人会役員、

Sさんという70歳ぐらいのおばあさんだという。

なーるほど、確かに面構えはツンとしている。

裏表の有りそうないかにも気難しそうなタイプ。

しか〜し、難しいと言われれば、

攻略してみたくなるのが私。

「できるだけ仲良くなって丸め込むか〜!」

と決めたその日から、営業トークで果敢に

レシーブ!トス!アタ〜ック!である。

それが、功を奏したのか私とS婆さんは次第に

仲の良いお隣さんになっていったのであった。

そんなある日、たまたまS婆さんと外で話していた時、

S婆さんがぬか漬けを家で漬けている事を知る。

さすが、古き良き日本の女性、年期が入ってる。

私のように漬け物といえば、”エバラ食品の浅漬けの素”

なんて言わない。

「いいですね〜、ぬか漬け。私大好きです。」

と言ったら、「今度持っていってあげるわ!」との

有り難いお言葉。

「いいんですか〜。」と恐縮しつつ

心の中では、思いっきり「しめしめ〜!」とニヤリ。


裏表のあるのは私かい!?


そしてその日の夕方、早速Sさんはやって来た。

「隣りのSで〜す。漬け物もってきたわよ。」と

玄関のドア腰に言うので、ワクワクしながらドアを

あけた途端、私のビックリしたのなんのって。

Sさんが立っていたのである。

キュウリをそのまま一本持って。

まるで、糠だらけのオリンピックの聖火を持つように。

直立不動でキュウリと突っ立ってたのである。

袋とか、タッパにも入れずに。


Sさんは「ホ〜ラ、キュウリのぬか漬け!」と言いながら、

プルンと前後にそれを軽く振る。

プルンと振られたキュウリは、まるで

「僕、キュウちゃんでしゅ。よろちく・・。」

と私にコックリと挨拶したかのようであった。

思わず「いいえ、こちらこそ・・。」

と言うところであった。

こうして、弟、私、旦那が見守る中、

きゅうちゃんはその日の食卓に上った。

Sさんがキュウリをムンズとわし掴みにして

立っていたのには驚いたが、そのあまりのおいしさに

「またくれないかな〜。」とか「今度はカブもいいな〜。」

と思う私であった。
           
                 次回へつづく・・・


...

漬け物ババア - 2002年08月01日(木)

漬け物ババア。

エバラ食品の浅漬けの素に新たに

「キムチ味」が加わったという情報を

CMで入手した。

これは、買わねば。

早速スーパーに行てみる。

スーパーの入り口手前からもうウキウキし、

中に入って、これまたウキウキしながら棚を捜す。

しかし、ない。店中捜してもどこにもない。

浅漬けの素キムチ味が。

いくら発売されて間がないとはいえ、

ドトールもない上に、エバラ浅漬けの素キムチ味も

このご近所にないとは・・。

もう、引っ越したい。

仕方ないので、同じエバラ食品のキムチ漬けの素を購入。

家へ帰って、キュウリとキムチ漬けの素を一緒に

ビニール袋に入れモミモミする。

オレンジ色に染まったキュウリを見て、何となく一安心。


私は漬け物が大好きである。

どの程度好きかというと、年取ったバアサンぐらいである。

物心ついた時から、お菓子より漬け物!である。

冷蔵庫の中から、たくわんやら、柴漬けやらを引っ張り出し、

番茶と一緒に頂く。

パク。ズズズ〜っ。楽しい。

漬け物食べながら、テレビ。

漬け物食べながら、マンガ。

漬け物食べながら、お絵かき。

漬け物食べながら、ゴロンゴロン。

挙げ句の果ては、漬け物食べながらオナラをプ〜。

その様は子供の体型をしたご隠居そのもの。

時に漬け物がなかったりもするが、大丈夫、心配ご無用。

そんな時には桃やの「ご飯ですよ」で代用。

「ご飯ですよ」をたっぷりせんべいの上に乗っけた

”「ご飯ですよ」O N せんべい”

「ご飯ですよ」を海苔でクルクル巻いた

”「ご飯ですよ」I N 海苔”

またはそのまんまペロリ、ペロペロ「ご飯ですよ」

行燈の油をなめてはニターっと笑う妖怪猫女みたいだ。

道場六三郎も参りましたと唸らせる

そのメニュー”創作ご飯ですよ”。

子供は想像力いっぱいだ。

小さい時からこんな食生活を続けていると、

大人になってから高血圧になりそうなもんだが、

平気の平左衛門である。(なんだそりゃ。)


しかし、こんな食生活の趣向も、子供だったから

「ババ臭い」という言葉だけで済んだものの、

今この歳でやったら本当にババアである。

特にすっぴんで髪を無造作に後ろで束ねている時は要注意。

どっから見ても、私は”ウメバア”なのだから。

オットット・・。





       
              おしまい。



...




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