デコラのひとりごと。
TOP


2006年04月24日(月) 入院生活のこと。

4月24日(月)に退院しました。
この時の心境としては、退院後の生活が不安で不安で・・・(泣)
だってこれからは、看護師さんも助産師さんも助けてくれない。
もちろん家族が手伝ってくれるだろうけど、
本当の意味での「母親」としての仕事はこれからなのであって
重い責任とプレッシャーでいっぱいいっぱいな私なのでした。


1週間の入院生活。は、あっというまで
楽しくもあり辛くもあった日々でした。

出産の翌日はダンナが朝から夕方まで居てくれたのですが、
母子別室という環境のため、母親以外の人の赤ちゃんとの
面会時間は決まっていてダンナは面会時間がくるたびに、
ガラス越しにいる我が子をデレデレと見つめていました(笑)
ダンナの携帯は今時珍しくカメラがついてないやつで、
それでもどうしても写真が欲しかったらしく
私の携帯で写真を撮りまくり、SDカードを持って
いそいそとカメラ屋さんに現像に走ったり。
その日のうちに鹿児島帰る予定だったんだけど、
よっぽど名残惜しかったのかフェリーに乗り遅れて、
結局は陸路で高速使って帰ることになったり(笑)
すっかり子煩悩な親バカパパと化したダンナです。
そして、私はというと・・・。
母子別室だったせいか、一夜明けてもまだ母親になったという実感がなく
ぽわん、と夢見心地にガラス越しの我が子を見つめたりしていました。
・・・と、いうのはその日の午前までのことで。
午後からはさっそく授乳が始まって、イヤでも母親の大変さを
実感することになったのですが。

入院生活。それは、
「授乳で始まり、授乳に終わる」といった日々でした。
3時間おきに授乳室へ行き、1時間かけて授乳。
ということは、合間の2時間にご飯食べたりシャワーあびたり
お見舞い客の相手したり仮眠とったりしなくてはならなくて。
他にも、いろんな子育て・産後の生活の指導があったり診察があったり
けっこうハードスケジュールなのです。

妊娠中、出産を甘くみていた私ですが
「母乳で育てる」ということもまた、甘く考えてました。
ところがどっこい。母乳が出ない(涙)
まだ乳腺が通ってないらしく、吸っても吸っても母乳が出なくて。
疲れた我が子は途中で眠ってしまう始末。
毎回一番に授乳室へ行くのに、毎回最後まで授乳室に残ってる
落ちこぼれとなってしまった私たち親子。
授乳の前後に赤ちゃんの体重を量って母乳の量を調べるのだけど
毎回、「0」。へたすれば「マイナス」になってることもあり、
一番良い時で「10」だったなぁ。
助産師さんが、毎日おっぱいマッサージをしてくれたりもしたんだけど。
今度こそ今度こそ、と思えば思うほど出なくて。
夜中にひとりでベッドで泣いたこともありました。
そして、不足分のミルクを哺乳瓶で飲ませないといけないんですが、
それもまた眠っちゃってなかなか飲んでくれなくて本当に大変でした。
他の子は大人しくおっぱい吸ってるのに、うちの子はなかなか起きてくれなくて、
口を一文字にギュウッと閉じて、それはまるで地蔵のよう。
無理に起こして飲ませようとすると、手でおっぱい押しのけたり。
う、生まれて間もないくせに!!!生意気な!
でも、それもこれも全部、私のおっぱいが出ないせいなのであって。
ごめんね、と落ち込んでしまったり。
そんなこんなで、体力的にも精神的にもかなり辛い入院生活だったわけです。

でも、もちろん辛いことばかりだったわけじゃなく。
私が出産した日とその翌日は出産ラッシュだったみたいで
全部で7〜8人のママ&赤ちゃんがいました。
(生まれない日は全然生まれないのにね。やはり潮の関係?)
同級生の友達もいたし、他にもたくさん友達ができて
みんなでワイワイおしゃべりしたり相談したり励ましあったり。
それは本当に楽しかったです。
なんだか、短大時代の寮生活を思い出しちゃいました。
幼なじみや高校の同級生がお祝い持ってお見舞いにも来てくれたりもして。
母乳が出なくて悩んでた私に
「みんな最初はそうだよー。でも絶対に出るようになるから」と
経験談を話してくれたり、すごく励まされました。

辛かったけど、楽しかった。
退院する時は、やっぱり少し寂しかったです。
そんな入院生活。




2006年04月22日(土) 出産を終えて。

産後は分娩台にしばらく寝かされてて
赤ちゃんを胸に抱いたり、ダンナや母や姉に囲まれ
夢みたいな時間をふわふわと過ごしていたのだけど。
私の場合、微弱陣痛だったこともあって産後の子宮の戻りが遅くて
出血が多かったらしく貧血気味。
いざ病室へ戻ろうとしたら、立てなくて自分でもびっくりした。
キャスター付のベッドで病室までガラガラと移動させられ、
「うわぁ初体験ですぅ」とかアホな発言したり。
もっとびっくりしたのが、お腹すいてるのにご飯が食べられなかったこと。
箸を持つのもしんどくて、食べ物を口に入れて噛む、
ということすらしんどくてできない。
仕方なく点滴で栄養補給。
普段、当たり前にできてることができないのって結構ショック。
・・・健康って大切ですね。

さて。
出産というものを甘くみていた私。
痛みには強いほうだと自負していたし
耐えられない痛みなんてあるもんか、とか思っていた。
しかも、出産の体験談とか聞いたり読んだりしてても
「2日かかって産んだ」という話よりも
「2時間で産まれた」という話に、
勝手に「私はこっちのタイプだ」とか思っていたのだ。
(言うまでもなく、フタを開けたら前者のタイプだったわけですが)
いやはや。ごめんなさい。
出産は大変でした。想像以上のものでした。痛かったです(涙)
そして、意外に思ったこと。
出産って、いきみに入ってからが一番きついのかなぁって思ってたんだけど
(大きいものを出すわけだから)
私がきつかったのは、そこに至るまでの陣痛の時間であって
いきんで赤ちゃんを出すまでっていうのは、「え?もう出たの?」
と、あっけないくらいのもんでした。
もちろん、出産というのは人それぞれ違うものだし
痛みの感じ方も多少は違うもんなんだろうから、
これを読んだ人が必要以上に出産を恐がることはないと思います。

私自身、あんなに痛かったくせに産後の今もうすでにその痛みを忘れようとしています。
陣痛の最中には「もう二度と子供なんか産むもんか!」と本気で思ったけれど
きっと、そんなことすっかり忘れて2人目を作っちゃうんだと思います。
そして、陣痛がきたときに激しく後悔して、終わったらまた忘れちゃうんだと思います。
みんな、そういうもんなんだろな。
女ってすごい。女って素敵!

以上、デコラの出産の記録。でした!




2006年04月21日(金) 陣痛→出産=4月18日のこと。2

お昼過ぎ頃。
分娩室に移動。
そこからの記憶は曖昧だ。
時間がどれだけ過ぎたのかもよくわかってなかったと思う。
ただひたすら痛みとの戦い。終わりが見えなくて絶望的な気分にもなる。
陣痛の合間には、ものすごい睡魔に襲われて意識朦朧。
痛みがくると、のたうちまわって「痛い、痛い」と叫ぶ。
途中、何度も「帝王切開にしてください!」とか「もう生むのやめます!」とか叫びたくなった。
(もちろん、叫ばなかったけど。叫ばなくてよかった)
看護学生さんがついてたのだけど、おっかなびっくりで腰をさするので全然効果がなく
理性とかそういったものがぶっとんでた私は思わず
「慣れてる方に代わってくださいっ!!」と言ってしまう。(ごめんなさい)
でもその学生さん、私が痛みに耐えてる間ずっと手を握っていてくれたり
本当にすごくいい子でした。ありがとう。
ところで陣痛の時って、尾骶骨のあたりとかお尻の穴を
力いっぱいおさえてもらうとすごく楽になるんです。
ベテランの助産師さんなどはツボをわかってらっしゃるので、すごく助かりました。
ずっとずっと長い時間、痛みがくるたびにさすったり押さえたり大変だっただろうな。
なんだかもう、今回の出産、たくさんの人にお世話になった気がして
本当に本当に感謝なのです。
そんなこんなで時間はどんどん過ぎるのに、
お産はなかなか進まなくて陣痛だけが強くなってく状態。
陣痛促進剤を強めたり、途中なにかよくわからない錠剤の薬を2度ほど飲まされたり。
本気でくじけそうだったけど、助産師さんの言葉。
「子宮は疲れてきてるのに、赤ちゃんはものすごく元気だよ!」
そっかぁ。私は今、赤ちゃんを産もうとしてるんだよね。
当たり前のことすら忘れかけてた過酷な状況。
でも痛くて辛いだけじゃない。もうすぐ赤ちゃんに会えるんだ。

午後3時半頃には、たぶん「いきみ」に入ってたと思う。
分娩台に横向きに寝たまま、助産師さんの声掛けに合わせていきむ。
「もう赤ちゃんの頭がそこまできてるよ。自分でさわってみない?」
助産師さんにそう言われたけど、そんな元気はなくて。
体を起こしたり手を伸ばしたりする体力も気力も残ってなかった。

4時前頃に、鹿児島よりダンナが到着。
と同時に分娩台に足を乗せる体勢に入る。
本当は立会い出産を希望してたんだけど、
もうあんまり見られたくない気分になっててダンナには外に出てもらった。
出る間際に「がんばれよ」と頭をなでてもらう。
そこからは、あっというまに感じた。
息を深く吸って、思いっきりいきむ。
そんなにたくさんの回数はいきまなかったと思う。
いきむと同時に助産師さんが私のお腹をおさえて、
赤ちゃんが出るのを手伝ってくれた。
分娩室には先生と助産師さんたちと看護師さんたちと
・・・すごくたくさんの人がいるのに気づいた。
うわぁ。こんなにたくさんの人が私の出産を手伝ってくれてるんだぁ。
ぼんやりした頭で思う。
そして。
ツルン。と赤ちゃんが出てきて、頭真っ白。
「オギャア!」という元気な産声。
看護学生さんが涙ぐんで「おめでとうございます!」と言ってくれた。
先生や看護師さん助産師さんが笑顔で「頑張ったね!」と褒めてくれた。
私は、というと感動とかナミダとかそういったことよりなによりも
ただただ、長かった「痛み」から解放されたことにホッとして
体中の力が抜けてゆくのを感じていたのだった。






2006年04月20日(木) 陣痛=4月18日のこと。1

4月18日(火)
痛みで眠れなかったので、ダラダラとテレビを観ながら起きていた。
姉も一緒に起きていてくれて、痛みのたびに腰をさすってくれた。
実は数日前に大喧嘩して口もきいてなかったのだけど、陣痛を機にいつのまにか仲直り。
姉ちゃん、あん時はごめんよ。姉妹ってありがたい。血の繋がりってすごい。愛です。

深夜1時。
痛みの間隔が3分おきになる。これはもういい加減、入院でしょう!
母は心配しすぎて疲れきっていたため先に眠ってもらっていたので
起こさないように置手紙を残して、姉とふたりで病院に向かう。
内診の結果、ようやく入院が決まった。
陣痛室で、赤ちゃんの心音と陣痛の強さをはかる機械をつける。
隣の分娩室では他の誰かがお産をしていて、ものすごい呻き声が聞こえていた。
「あ〜、あ〜、痛いよ〜、痛いよ〜」
・・そ、そんなに痛いんですか?思わず訊ねてしまいたくなるような。
うう。今でも結構痛いのに、もっともっと痛くなるんですね(涙)
不安と恐怖と痛みを抱えて硬いベッドにうずくまる私。
しばらくすると看護師さんが来て、病室へ移動することに。
待合のソファには、いつのまにかお母さんが来て座っていた。
私たちが出かけたすぐ後に気がついてタクシーを飛ばしてきたらしい。
朝まで姉が付き添うと言ってくれたけど、病室は狭い二人部屋だと聞いて
なんとなく気が引けて帰ってもらった。姉ちゃん明日も仕事だしね。
3分おきにやってくる痛みの波とひとり戦いつつ、朝を迎える。

朝になると、なんと3分おきの痛みが5分おきに戻っていた。
しかも子宮は開いていない。
うっそー!あんなに痛かったのに!頑張ったのに!耐えたのに!
微弱陣痛と診断されて、陣痛促進剤を投与することになり再び陣痛室へ移動。
隣りの分娩室には、また新しい妊婦さんが入っていて、
なんとそれは私の小中学校一緒の友達だった。
予定日が1日違いで検診でもよく会ってたけど、
まさかお互い予定日遅れて同じ日に出産とは。
昨夜の妊婦さんと同じく友達の痛そうな声を聞きながら、自分もまた痛みに耐える。
その時、友達が痛みのあまり叫んだ言葉。
「まだですかぁ〜っ!!??」は後々笑い話となったけど(笑)
ホントにそう。わかるぅ〜。そう叫びたくもなるよねってことで。
彼女の出産も無事に終わり、縁あって赤ちゃんの産声も聞くことができたのですが
その時、私が思ったことは他のなにでもなく、「いいなぁ〜。終わって・・・」
それが正直な感想でした。





2006年04月19日(水) 陣痛=4月16日から17日のこと。

4月16日(日)
夕方、テレビを見ていたら、微かなお腹の張りを感じてひそかに時間をはかってみる。
すると10分おき!「???これって陣痛なの?」たいして痛くはないけど、10分おき。
迷いながら母に言って、ひとまず病院に電話。とりあえず行ってみることに。
けれど内診の結果、まだ子宮口は全然開いてないらしく、家に帰されてしまった。

4月17日(月)
朝6時頃。
下腹部の痛みで目が覚める。夢の中でもずっと痛かったような気がする。
トイレに行くと、出血があり「おしるしだー!」しかも痛みは5分おき。
今度こそ、いよいよ出産か?と病院に行くことに。
けれどやっぱり、子宮口が開いてなくて自宅待機を言い渡される。
オロオロした母が「もう入院させてください」と看護婦さんに頼むけど、
病院にいるとお産のことばかり考えてしまって、逆に進みが悪くなることもあるから
自宅でリラックスして過ごしたほうが良いとのこと。仕方なく、家に帰る。

夕方6時頃。
朝、5分おきの痛みでおしるしがあったにも関わらず、家に帰されたため
どのタイミングで病院に行ってよいのか、すっかりわからなくなってしまって
泣きそうになりながらも痛みと不安に耐えて1日を過ごした。
痛みが増した夕方も、病院に行ってよいものか迷う。また帰されたらイヤだし・・・。
仕事から帰った姉に事情を話すと、やっぱり病院に行ったほうがいいよー、
ということになり、3度目の病院。
子宮口は微かに開いていた。けれど、まだまだかかりそうな雰囲気。
入院してもいいけれど、時間との戦いになるしやっぱり自宅で待つほうがよいのでは?と
言われて、「うーん。あいのり観たいし」(←こんな時なのにノンキ)と思って家に帰る。
自宅にて。5分おきの痛みの波はどんどん強くなる。けっこう辛い。
痛みのたびに姉から腰をさすってもらいつつ、念願の(?)あいのりを観る。






2006年04月18日(火) 生まれました。

平成18年4月18日午後4時10分
無事に女の子を出産しました(^▽^)

初めての出産。
は、想像以上に痛くて辛くて大変でした(泣)
でも、我が子が生まれ出た瞬間には不思議と全部忘れちゃいました。
これホント。
・・・うーん。でも本当に痛くて辛くて大変だったのです(涙)
いや、たぶん痛いのはみんな同じ。
でも何が辛いって長いのが辛かったです。

辛かったけど、最愛の娘との出会い。
これは一生忘れたくないなぁと思い、
日記に残しておくことにしました。
そんなデコラの出産の記録。
ちょっと長いけど、お時間あったら読んでみてください(^−^)





2006年04月14日(金) 今日は満月。

だけど、生まれないんだろうなぁ。シクシク。
初産は遅れるとはよく聞くし
焦ることでもないとは思うんだけど。
いや、焦ってはないかな。
むしろ、かなり呑気に過ごしてます(笑)

ただ、10日程前から
体のあちこちが痒みだして
しかも湿疹とか出ちゃって、
かなりしんどい思いをしてるのです(泣)
最初は軽いものだったのが日が経つにつれて
どんどんひどくなってくのが憂鬱で。
夜も痒みで眠れないありさま。
とりあえず病院でお薬を処方してもらったんだけど
これはもう妊娠性のもので、産んでしまわないと
どうにもならないことが多いらしいです。
産後には自然に治るらしいけど。。。
今日なんて顔にまでブツブツができてきてるのを
見つけて、かなりブルー。
肌が強いのだけが取り柄だったのにぃ!
クスンクスン。

ママになるのって大変なのね。
いろんな意味で。





2006年04月13日(木) 予定日ですが。

今日の定期検診では、
まだ生まれる兆候はないとのこと。ガクン。
いつ出てくるんだか、全く見当がつかないなぁ。
もうすっかり待ちくたびれちゃいました(笑)
早く会いたいよ、マイ・ベビー!

今日は午後から晴れて、
水でザバンと洗い流したみたくスッキリした色の空が広がってます。
とてもみずみずしくてキレイ。
随分あったかくなったし、薄着が気持ち良いですね。
桜も散って葉桜に。
あっというまに夏がきそう。





decora