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Crescent Moon
もくじかこみらい


2001年09月28日(金) その後

ひさしぶりの更新。
富士急も防府も無事に終了しました。
季節はもう秋。フラパワも終了。今日が最終回だったのかな? 
飲み会で聴けなかったわ(最低)
でも、これからのツアーを考えるとラジオどころではないね。

今回のツアー、私は12月に参加予定。
今のところ4ケ所。都合つけばもう1ケ所増えるかな。
本屋さんに行くと『スタイル』という雑誌を3ヶ月分買うと
山崎くんのシークレットライヴにご招待してくれるらしい・・・
でも抽選。狙うは大阪(狙うのか????)
雑誌を買うこと自体、めんどくさいこのごろ。

CDショップで『心守歌』を試聴。
隣には元ちとせの試聴をしている高校生の姿が。
あのジャケットは高校生には受けるのかしら?
レジでスガさんのアルバムの予約をしているとショップの
お兄さんが元ちとせのCDの追加注文をどこかにしていた。
かなり売れているらしい。嬉しいことだ。


2001年09月20日(木) ラサ市内(ポタラ宮・大昭寺・八角街)

ガイドHさんに頼んでいた酸素ボンベにはポタラ宮の姿が。
ホテルのは高いし、小さいし、でどこかで買ってきてくれたらしい。
今日はいよいよ本物のポタラ宮に行けるので、ワクワク。

まず車で一気に8階部分まで登る。
紅宮とよばれる建物の赤い壁にコインがいっぱいくっついている。
願掛けらしい。日本円でもOKとのことだったが、バターがなく
できませんでした。残念。

紅宮の門をくぐったところにトイレが。もちろん入ってみる。
そこはかなり広めのお部屋で、縦長の穴が二つならんでいるだけ。
穴の下は、何もない。まるで谷底のような風景・・・
レイコさんと2人、足をガクガクさせながら体験(笑)

中は仏塔やらタンカ(曼荼羅)やら仏像やらいっぱいで、もう少し
ゆっくり見たかったのだけど、そこは団体旅行の悲しさで。
ガイドさんの説明を聴くよりもゆっくり見たかったので最後尾を歩く。
前のほうで説明が続く中、インド亡命中のダライ・ラマ14世の
即位の式が行われた王座の前に来る。熱心なチベット人が五体投地を
しながらやってくるのを見て、少しうらやましく思う。

しばらく歩いて屋上のような場所に出る。
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の中で、若き日の14世が
望遠鏡を覗いていたところから、ラサ市内を一望する。街は中国様式の
建物が多くなっているが、連なる山々はきっとそのままでしょう。
素晴しい眺めに、しばらく皆で見とれていました。

つづく


2001年09月19日(水) 2001年ラサの旅 2日目:西安→(西寧)→ラサ

西安は晴れ。ホテルでは寝ただけ。
空港までの時間を利用して現地ガイドHさんより、
西安が手短に説明される(ホントに手短)。
「日本では唐の都、長安の名が有名ですね」
そうなんだ、ここは長安なんだ。

とにかく車が多い。人も多い。そして信号がない。
中国の人は信号を守らないそうだ。なのに事故は少ないらしい。
「赤信号、ひとりで渡っても恐くない」これが常識。コワ。
トイレ事情と並んで私が最後まで納得できなかったことだ。

空港到着。配られた「ラサ行き」の航空券に感動で胸がいっぱい・・・。
まず経由地の西寧まで行き一旦飛行機を降り、チベット自治区へ入る
ための手続きをして、再度同じ飛行機へ乗り込む、という行程を進む。

「食べる酸素」(顆粒:スティック状)を、いつ食べようかと見つめて
いると「ダイナモックス、持ってないの???」と横にいたレイコさんが
4日分もくださった。日焼け予防にと、ビタミンCもいただいた。
レイコさんの気前のよさには脱帽(この後もいろいろともらう)。

西寧空港のトイレで初めて「ドアなし」の個室を見つける。
「ドアのある」個室もある。壊れているのか、最初からないのか???
現地の人?は平気で入っている。ドアのないまま、こっちを向いている・・・

前日の西安空港のトイレは鍵が壊れていた。私は必死にドアを
押さえていた。が、次に入ってきた若い女の子二人連れは、並んだ
個室に入りドアを開けたまま、壁ごしにおしゃべりをしていた・・・
こ、これが文化の違いなのか?! 以来、トイレチェックは日課となる。

西寧からは窓際に座り、次々と表情をかえる山なみを眺める。
途中、青海湖の上を通る。絵に描いたような青い湖に言葉もなくなる。
私は予備知識なく見てしまったが、この湖を楽しみにしていたミチコさんは
反対側の窓にうっかり座ってしまい、見られなかったそうだ。残念。

西安を出発すること4時間で、ようやくラサに到着。
空気が重く、足取りも重たい。これが気圧の違いらしい。
でも空はぬけるように青く、山の稜線がくっきりはっきり見える。
天国に一番近い街にやって来たんだなぁ。

注意事項にしたがい、ゆっくりゆっくり歩く。
なぜか私のスーツケースだけが、コンベアにのっかったままだったので、
降ろそうと近づく・・・と、添乗員Rさんが飛んできて降ろしてくれた。
Rさん、そんなに動いて大丈夫? 結構重いよ、それ。

空港の外に出て、スルーガイドのSさん(女)と合流。
マイクロバス(なぜか日野自動車製)に乗り込み、中心街へ向け出発。
ホテルまで1時間はかかるとのことで、途中有料トイレに寄る。
これがまた・・・みぞの上につい立てをしただけ・・・のトイレ。
男性のは見てないけど、たぶん似たようなもんでしょう。

午後4時ごろ、宿泊先のホテル(通称:ラサホテル)に着。
今のところラサでは一番いいホテルで、新館なのでかなり快適。 
お部屋は2階だけど「エレベーターを使うように」とお達しが出る。
普通に階段を上がるだけで、かなりの体力を消耗するらしい。
ひたすら、ゆっくりゆっくり動く。修行僧のようだ。

標高が高いと、人はうっかりぼんやり状態になるようです。
スーツケースをあけるも、何から出してよいやら頭が働かず。
リツコさんと雑談していると、夕食までの自由時間はあっというまに
過ぎる。しかし、午後6時になっても、昼間のように明るい。
ようやく日が沈んだのは、午後8時になってのことでした。
だいたい2時間ほどズレがあるようです。日の出は午前8時でした。

空気まくら、というものを借りてみた。
透明のビニール製で酸素がパンパンにつまったまくらを想像していたら
やってきたのは黄色と紺色のゴム製のモノだった。うきぶくろみたい。
うえ。ゴムのにおいが・・・

先に点滴のチューブのようなものがついていて、苦しくなったら
少しづつ空気を吸う仕組みになっている。最初の夜ということで、
「夜中に苦しくなったらどうしよう?!」という不安もあったけど、
幸い私は適応していたようで、苦しくて起きることはなかったです。

本日は高度に順応するため、ひたすらホテルで休憩。
観光はナシ。明日はポタラ宮の見学です。


2001年09月18日(火) 2001年ラサの旅 1日目:広島→(上海)→西安

2●年の人生で2度目の海外旅行。
その機会は突然にやって来た。

余裕を持って家を出たせいで、待ち合わせ場所に1番に到着。
2番目に来たおじさんは、手荷物1個。大きなスーツケース持参の
私はビビる(もしかして、これが普通???)。その後も
みんな旅慣れているのか、現れるヒトは身軽でかなり不安になる。
途中合流したご婦人が同じようなスーツケースで、一安心。
集合した7人がマイクロバスに乗り込み、一路広島へ。

広島国際空港にて、広島・岡山組のみなさんと合流。
やはり同世代はおらず、なんだか居場所に困る。
だってみなさん、うちの両親くらいの年代なんですもの。
自己紹介でも「海外旅行は2回目で・・・」という私を
みな、不思議そうに見つめている・・・ような気がする。

チベット自治区にあるラサは富士山よりも標高の高い場所なので
まず高山病の説明が行われる。「ラサに着いたらあわてないように。
なるべくゆっくり歩く。走ってはいけない。水分摂取を頻繁に」と
説明会から呪文のようにくり返された言葉を再度確認。
保険証が見つからず、ダイナモックス(利尿剤:高山病予防)が
買えなかった私は「食べる酸素」(登山者が利用)を代用で持参。
前日から服用。効くのかなぁ? 不安である。

添乗員Rさんは中国の人でラサに行くのは初めて。彼も不安らしい。
しかし昔、高地に住んでいたので大丈夫だと思うとも言っていた。
おみやげのパンフレットが配られ、まだ申し込み書に記入している
人がいるのに、みんなを搭乗手続きに行かせようとする添乗員Rさん。
ちょっと、あわてんぼ? まだまだ余裕あるはずなのに。 
おみやげの業者さんの方が「まだ大丈夫ですから」と説明している。
Rさん、一番先に高山病になるんじゃないかしら?

つい先日テロ事件があったこの時期。噂に聞いていた成田の緊迫した
雰囲気に比べて、広島ではあっさり出国手続きが終わり気が抜ける。
飛行機は中国○○航空。やはり日本の航空会社のほうがサービスは
良いなぁと、香港(JAL利用)の時を思い出す。高いけどね。
広島を出て上海を経由し、西安空港へ到着。

西安にて現地ガイドHさん(男)と合流。同じ歳くらいかな?と思ってると
25歳。と、年下である。なのに、めちゃめちゃ物知り(当たり前)。
日本語も流暢で、なんだか悔しくなる(でも、いい人でした)。

本日は西安のホテルにて宿泊。お金がなくて1人部屋にできなかった
私は広島のご婦人リツコさんと同じ部屋に。しかし、彼女のあまりの
テンションの高さに少し後悔する。寝る間際までしゃべりっぱなし。
この先、6泊も同じ部屋で過ごせるのかしら・・・

明日はいよいよラサへ出発です。


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