蛇腹食堂
書人*なび太

   

  




下げ(sage)
2004年01月28日(水)
1 名前:名無しペパーダイン 03/01/25 07:35
  例の議員は学歴を詐称しているらしい。

2 名前:名無しペパーダイン 03/01/25 07:37
  軽やかに2ゲトー!

3 名前:名無しペパーダイン 03/01/25 09:31
  >1
  詳細キボンヌ

4 名前:名無しペパーダイン 03/01/26 01:32
  >1は自民党員。

5 名前:名無しペパーダイン 03/01/26 09:10
  ペパーダイン大
  例の議員が卒業していないことを明言( ´,_ゝ`)

6 名前:名無しペパーダイン 03/01/26 09:13
  久しぶりの燃料投下キタ━(゚∀゚)━!!

7 名前:名無しペパーダイン 03/01/26 12:58
  香具師はわざわざアメリカまで、
  自分の足で調査しに行く気らしいぞ。

8 名前:名も無き井筒監督 03/01/26 14:42
  自分で自分の揚げ足取る気かよ。
  オメデテーナ(プゲラ

9 名前:名無しペパーダイン 03/01/27 03:05
  行ったと思ったらもう帰ってキタ━(゚∀゚)━!!

10 名前:名無しペパーダイン 03/01/27 09:18
   嘘泣き 晒しage




視聴者の大半は呆れ返って興味も失っているのに、
執拗なまでの揚げ足取り。
ワイドショー関連の番組制作者は、
その大半が、
2chネラーで構成されている。

間違いなぁい(極めて長井秀和風に

*
上記のカキコミ風記述は、あくまで筆者の創作です。
実際の時系列には沿っていないことは勿論、
実在の事件人物とは一切関係もありません。
悪しからずご了承下さい。
混雑した美術館はどうも苦手で
2004年01月22日(木)
横浜そごう内そごう美術館で開催中の
田中一村展にて。

平日の昼過ぎだというのに、
場内には人が溢れていた。
そのほとんどが中高年齢層の女性である。
外はあんなに寒かったのに、
美術館の中はなんだか妙な熱気に包まれていた。

僕は絵を見にいくと、
一つ一つの絵をじっくりと見てしまう。
だから進みが遅い。
そんな具合でなかなか進もうとしない僕の横で、
あからさまにイライラし始めるオバちゃん壱号。
手にしたマフラーを露骨にパタパタさせている。
その向うでは早くも飽き始めたオバちゃん弐号が、
オバちゃん壱号に辺りも憚らずに大声で語りかける。
どうやら二人はお友達らしい。
ついに痺れを切らしたオバちゃん壱号。
オバちゃん弐号と語らいつつ、
遠目に絵を眺める僕の前へ、敢えて侵入。

目の前に広がるオバちゃんパーマ2つ。
そこへ実に折り良く、
オバちゃん弐号のケータイに着信。
「タリラーリラリラー♪」
場内に響き渡るオバちゃんケータイの着メロ。
周囲の視線など全て跳ね除け、
オバちゃん弐号、受信。
「ああぁ、さっき買い物が終わったところぉー、うん」
会話開始。
絵の前から動かなくなったオバちゃん壱号&弐号。



ババァ
俺はアンタの
ツムジを見にきたんじゃないんだよ。
絵を見にきてんだ。
絵を見る気がないなら、

帰れ。




絵や音楽を愛でることは、
誰にとっても平等であるのだと思う。
誰がどこで何を見ようが勝手かもしれない。
しかし、絵や音楽という作品は、
作者が様々な苦心惨憺の中から、
丹精込めて紡ぎ出した可愛い子供達なのだ。
だから、僕はそれらを見る時も、
作者に敬意を表し、
誠意を持って対峙したいと思う。

買い物帰りに見るのも結構だ。
しかし、最低限のマナーという物があると思う。
どこのお父さんお母さんだって、
自分の子供が出演する発表会がある時は、
自分なりのお洒落をしていくではないか。
全身ジャージ装備に一升瓶を抱え、
濁声で「ブラボー!」を連呼してしまう、
そんなアウトローな父親はそうそう居ないと思う。
そんな可愛い我が子の発表中に、
ペラペラ喋って見てない人がいたらどうだろう。
誰だって良い気はしないんじゃなかろうか。
あまつさえ、ケータイの着メロが鳴り響いたりしたら。

自分が嫌なことは他人にもしない。
それが最低限のマナーなんではないだろうか。
言えない。
2004年01月21日(水)
本日の面接 第一声

「恐れ入ります。
 本日の5時から、
 面接を受けさせて頂くことになっておった
 なび太と申す者どす。
 担当の方はいらっしゃいますでしょうか?」

ザ・ラストサムライ効果。
漢と京舞妓の豪華競演。
むしろ何人なのかさっぱりわからない。
穴が有ったら即行飛び込んでしまいたかったが、
生憎周囲には壷しかなかった。
振り返れど見えず
2004年01月18日(日)
ふと思い立って、
散歩がてら卒業した中学校に行ってみた。
地元に住み続けていると、
こういうことを気軽にできるのが利点だ。
車で前を通過することはしばしばあるのだが、
通学路を歩くのは十数年振りになるのか。

しかし、久し振りに歩いたその道は、
3年間、通り続けた通学路のはずなのに、
何故か夢の中で行ったことのある町のような、
不確かな印象しか浮かんでこなかった。

あやふやな記憶の中でも、
そう派手に町並みが変ったという感じはしない。
しかし、ここを通って学校に行っていたという、
はっきりとした記憶もまた、浮かんではこなかった。
そんな中でも、
比較的記憶に残っていた3軒の店。
写真屋さん。
文房具屋さん。
小料理屋さん。
いずれも店は閉じていた。
1軒はクリーニング屋に鞍替えし、
残りの2軒は廃業したらしい。
記憶のインデックスが消えていく。

唯一、少しだけ心が明るくなったのは、
家の建て替え時に一年だけ仮住まいしていた、
古い家がまだそのままに残っていたことだ。
だが、それにしたって、
周りの風景というのは、
意外と記憶に残っていないものだった。

ふと立ち止まり、元来た道を振り返る。
やっぱりそこに、
僕が過ごした3年間を、
はっきりと思い描くことは出来なかった。

僕は中学校の3年間を、
そんなにぼんやりと過ごしていたのか。
10年の月日というのはこんな物なんだろうか。
今のこの生活を、
10年後の僕は思い出すことが出来るんだろうか。
少し不安になった。

今度はいつか、
4年間一人暮らしをしていた、
相模大野の町を訪ねてみようと思う。
クリティカルヒット
2004年01月17日(土)
外から家に帰ってきて、
ジーンズを脱ぎハンガーに掛けようとした時の事だった。

不意に尻ポケットからスルリと抜け落ちる何か。
嫌な予感。
滑り降りる視線の先に、
僅かに映った細長く青い物体。
ハッ!もしや、アレは…、「ケータイ」?
こういう時こそ、
男子たる物冷静沈着でなければならない。
忽ち脳髄内を計算式(デタラメ)が駆け巡る。
ウム、勝てる。
素早く足を後退させる。
これで危険は回避されるはず。
この間、僅か0.3秒である(推測値)

しかし、母なる大地の力「重力」は、
やはり偉大であった。

微細な人類の反射能力など嘲笑うかのように、
ケータイは偉大なる重力に導かれるまま、
右足の小指に見事着弾。
しかもアンテナ部。


「声にならない叫び」というのは本当にある。


何よりも真っ先に悪寒が全身を駆け巡ったのは意外だった。
そして、その直後に襲う、例の痛み。

「…ッ!!アッ!アィッ…!!オアアッ…!!」

字面だけ浚うとなんだか卑猥な感じのする呻き声を上げつつ、
部屋の中を気が触れた犬の如くグルグルと回ってしまった。
ようやく痛みの第一波が引くと、
今度は床にしゃがみこんで、
着弾点"グラウンド0"に息をフーフーと吹きかける。
実に刹那的な対処療法である。
こんなことで痛みが引くくらいなら、
株式会社ヒサミツは倒産し、
フジテレビが「白い巨塔」でウハウハ言うこともなかったろう。
しかし、そうせざるを得ない切実さが、
あの痛みにはある。

すべての痛みが鈍痛に変わり始めた頃、
今度は痛みが怒りに変ってきた。
こんな所にうまいこと落ちてくるケータイにも腹が立ったが、
何より、
なんでこんなに足の小指は痛いのだ!
そして、
なんでこんなに足の小指は実直なまでに痛い目に合うのだ!
と、やり場の無い怒りが沸々と湧いてくる。
もし、日本人の中に、
「足の小指を柱にぶつけた事がない」
という人がいるなら是非お会いしてみたい。
そして是非ともその幸運にあやかりたい。
あわよくば、その期に乗じて内定を獲得し、
ついでに、この禁欲生活に終止符を…

いや、別に好きで禁欲してるわけではなく、
気が付いたら自然にそういう流れになってたんだが…


と、とにかく、
足の小指がこれほどまでに痛い目に合う必然性が、
一体どこにあるのか!?
と僕は問いかけたいのだ。
以前にも同じような内容の日記を書いた気がするが、
そもそも、痛みが大きい部位というのは、
生命活動上、何らかの重要な役割を担っている物ではないのか。
果たして、足の小指に何の役目があるというのか。
物を掴める程の長さもなく、
かといって何らかの生産活動に従事している様子もない。
いたってのほほーんとした面構えで、
足の端っこに鎮座しおあすその姿からは、
ここをぶつけるとすごーく痛いよー、
という切実さは微塵も感じられない。
卑怯ではないか。
それとも何か?
まさか、この足の小指に、
実は生命誕生の重大な秘密が隠されているとでも言うのか?

着弾点を中心に微かに腫れあがった、
その可愛らしいお姿を眺めるにつけ、
この痛みの核心が気になって仕方がない。
たかが足の小指でここまで引っ張る自分もどうかと思うが、
しかし、このままでは、
気になるし、痛いしで眠れないではないか。

どうか教えて、
エライ人。
この際、エロイ人でもいいや。
さきがけ
2004年01月16日(金)
陸上自衛隊幕僚長。
階級は陸将。

自衛隊の中でも一番エライ人。
「一般的な」軍隊でいったら、
元帥とか参謀総長とかに当たるんだろうか。

ニュースなどでも、
最近ちょくちょく顔を見せているので、
ご存知の方も多いかと思う。

その人の名は、「真崎一」さん。
これで、
まっさき はじめ
と読むのだそうだ。
「まさき」ではない。

なんつーか、こう、
不吉な感じがしないだろうか。
いや、他人のお名前にケチをつけたい訳じゃない。
こういうお名前の人が最高責任者に就いている時に、
自衛隊はその歴史に新たな一歩を踏み出そうとしている。
彼らは武装状態で他国の地に足を踏み入れる。

「まっさき はじめ」

失礼ながら、
何かの掛け声に聞こえなくもない。

どうでもいいことだが、
最近、石破防衛長官が腹話術の人形に見えて仕方がない。




**訂正とお詫び(04.1.17)**
現陸上自衛隊幕僚長のお名前を、
「真崎一さん」と記載しましたが、
正しくは「先崎一さん」でした。
ゴメンナサイ…。
サクラ ハラキリ ドゲーザー OH!3点セットネー!
2004年01月11日(日)
先週の金曜日に、今年一発目の面接を受けに行ってきた。
初っ端からちょっとした失敗をやらかす。
あとはミスがミスを呼び、もうグズグズな展開へ。
面接中から早くも鬱になってしまい、
退室の際には、
「ありがとうございまた…」
と空気が抜けたようなお礼を言って帰ってきた。

出だしから鈍いスタートである。

不安が無いと言えば嘘になるが、
もうなんだか慣れたような気もする。
これでいいのか…。



と、言うことで、
例によって凹んだ時の映画頼みである。

映画館に着くなり目に飛び込んできたのは、
オレンジ色したクマノミの、愛らしい笑顔であった。
ふと、昨年の暮れに書店で立ち聞きしてしまった、
ある親子の会話が頭をよぎった。

「パパァ、
 『ファイティング・ニモ』、面白かったねぇ!!」
「んー、そうだなぁ。
 でもタカシ君、ちょっと声が大きいぞぉ(汗」

そうかそうか、
『ファイティング・ニモ』は面白かったか。
きっとランボーも真っ青な、
血湧き肉踊る大脱出作戦が展開されるに違いない。
血まみれになりながら歯を食いしばった、
ボロボロの小汚いクマノミなど見たくもないので、
『闘うニモ』はパス。

結局、『THE LAST SAMURAI』を観ることにした。
昨年の日記で、
「絶対に観ない」とあれだけ雄々しく宣言しただけに、
若干気は引けたが、「昨日の敵は今日の友」である。
何か履き違えている気がするのは気のせいだ。

では、いきなりではあるが、
感想をば。

1)噂どおり、
  見紛うことなきパームトゥリーが戦場に生えてました。
  日本というより、「インドシナ」という言葉が…
2)噂どおり、
  トムが渡辺謙に食われてました。
  彼が受賞したのは「助演男優賞」です。
3)噂どおり、
  戦国武将と帝国陸軍が戦ってました。
  時代錯誤も甚だしいです。

ひょっとしたら、
海外では「時代考証」という物は、
わりと適当に考えられているのかもしれない。
しかし、しかしだ。
せめてタイトルに「サムライ」の文字を入れるのだから、
「侍」の成り立ちぐらいは勉強して欲しかった。
どう見ても「勝元」の暮らし振りは、
戦国時代の地方領主である「大名」だ。
江戸時代の大名ではない。
しかし、そんな彼は何故か天皇に仕えていることになっている。
ということは、武家であり公家なのか?
それとも明治維新に大いに貢献した、
「おいどん」なのであろうか。
一体どんな生い立ちなのかが非常に気になる。

彼らにとって、
やはり「侍」はまだまだ、
ファンタジー世界の生き物なのかもしれない。
トムと監督はこの映画を作るに当り、
新渡戸稲造の「武士道」を熟読したそうだ。
しかし、それはあくまで「理論」であって、
「実践」でも「実際」でもない。
いくら「侍」とはいえ、
装備品に近代化を求める合理性は持ち合わせていた筈だ。
鉄砲に弓矢で挑むことが「武士道」だったら、
日本は明治を待たずに、
欧米諸国の植民地になっていたかもしれない。



と、ひとしきりイチャモンを付けたが、
これは「映画」だ。
しかも、日本人じゃない人が作った、
「日本の映画」だ。
この際細かい事は目を瞑るべきであろう。
今までの「日本」の描き方に比べれば、
数段マシになったと思う。
特に一生懸命日本の風土を再現しようとした「画」は、
見たこともないはずの光景なのに、
何故か郷愁を感じさせてくる綺麗な画であった。
「言いたいこと」がハッキリしていて、
それがすんなり受け入れられる映画というのは、
安心して見ることができる。
久しぶりに観て良かったと思える映画だった。


********************************************

余談。

となり座った中年サラリーメン。
泣きすぎ。
何もそこまで泣くこともなかろうに。
男じゃろ。
映画館で声出して泣くなや。



あと、アンタが当然のように両方使ってた肘掛。
片方は俺のデス。
この飲みかけのコーラは何処に置けば良いのですか…。
詠みます詠みます。
2004年01月06日(火)
母親が何を思ったのか、突然俳句を詠みだした。

元旦に海岸で見た初日の出と、
その色に染められた波頭の色が、
あまりに鮮烈に印象に残ったらしい。

突然召集された、
お雑煮を食べながらの家族会議。
あーでもないこーでもないと、
苦心惨憺してようやく五七五調に収めた。

そんな訳で、母の一句(協力:なび太&パパン)

 波頭
 日の出に染まりて
 桜色

元旦当日はこれで一応納得したらしい。
しかし、昨日になって不意に僕の部屋にやってくるや、
いやに厳粛な面持ちで一句詠み始めた。

 初日の出
 波頭染め
 桜色

母としては、元旦に詠んだ句として、
どうしても「初日の出」を入れたかったらしい。

いずれにしても、
素人らしいざっくばらんな俳句であることには変わりない。
これはこれで良いのではないかと思う。
ただ、どうだろう。
僕個人の感想としては、
後者はどうも言葉のリズムが良くない気がしてならない。

どちらも題材は同じ。
いちおう五七五の中に収めてもいる。
どうしてこうも印象が違うのだろうか。
浅学な僕には結論が見えない。
しかし、言葉とはかくも面白い。
ジャズをテーマに論文を書いた時に、
何かの本で読んだことがある。
「黒人には、アフリカから持ち込んだ、
 独特のリズム感が生き続けている。
 それがジャズを生み出した。
 しかし、日本人にも独自の素晴しいリズム感がある。
 それが五七調だ」
と。
日本人には日本人なりの、
独特な音楽が作れるのではないか、
という意見だったと思う。
突飛ではあるが、面白いと思った。

これからは英語のお勉強が大切なんだそうで。
まぁ、そういう時代なんだろう。
だが、僕は日本語が持つ良い面ももっと大切にして欲しい。
語感や語呂、間、字画。
こういった物を「美しい、面白い」と感じられる感性を磨く、
そんな教育だってあって良いと思う。

俳句。なかなか面白いかもしれない。
ちょっとやってみればわかるけど、
結構良い頭の運動になります。
終りなき闘争
2004年01月04日(日)
ついこの間の大晦日に、
ちょぉーーー気合を入れて洗車したってのに、
早速、ボンネットに点々と記された、
ネコちゃんの可愛らしい足跡。

犯人の目星は付いている。
斜向かいに住むMさん家のネコちゃんだ。

このネコちゃん、
こう言っては失礼だが、
全くもってカワイクナイ。
フォントを大きくして、太字にしちゃうくらいカワイクナイ。
この際だから斜体にしてみようかと思うくらい、
カワイクナイ。

昨年の年末、
一度だけ、そのネコちゃんが、
我が家の車のボンネット上を、
テクテクと歩いているのを目撃してしまった。
ふと振り返るネコちゃん。
目が合った。

「ぬにゃぁーうぅぅ…」

何よ?と言わんばかりに一声鳴きやがった。
ここでブチ切れては、
人間の証として持ち得る理性の存在を疑われてしまう。
グッと殺気を押さえつつ接近を試みる。
逃げない。
普通のネコちゃんだったら、
怖い顔した人間がジリジリと近づいてきたら、
逃げないまでもせめて警戒はするだろう。
だが、彼女は全く警戒する様子がない。
あまつさえ、
肛門をコチラに向けて寝そべってさえいやがる。
もう完全に人間を舐めくさっている。

このネコちゃん、
どこへ行ってもそんな調子らしい。
以前、母が庭で花の植え替え作業をしていた時、
このネコちゃんは堂々と我が家の庭に侵入、
睨みつける母の目の前を、
平然と通過せしめたという。
なんと言うふてぶてしさ。
その貫禄たるや「野村沙知代ばりだった」とは母の言だ。

そんな噂を頭に浮かべつつ、
僕は見事にこのネコちゃんをキャッチすることに成功した。
こうも簡単に捕まるとは、
一体どういう神経の持ち主なんだろうか。
コイツの野生は一体どこへ…?
そんな疑問を胸に、
キャッチしたネコちゃんの巨体を、
そっと地面に下ろす。
逃げない。
むしろ不服げにじっと僕の顔を見上げている。
それどころか、まるで最後っ屁でもひるかのように、
「スンッ」と鼻を鳴らすと、
堂々と道の真ん中を歩きながら、家へと帰っていった。

カワイクナイ。
カワイクナサスギル。
普通、ちょっと斜に構えたネコちゃんでも、
遠慮がちに道の端っこを歩いているだろ。
なんなんだ、あの恐ろしいまでの「俺様ぶり」は…?

もうとにかくいくら追い返し、
拭いても拭いても拭いても拭いても、
我が愛車のボンネットから、
あの足跡が消えることは滅多にない。
今度捕まえたら、
あのみょーんと伸びる体にジャイアントスイングを掛け、
腰の関節をガクガク言わしてやりたいのだが、
僕にはそれはできない。

なぜなら、
Mさん家の奥さん、
ネコちゃんを上回る
ふてぶてしさをお持ちだからだ。


あのブルドッギーフェイスに、
面と向って何かイチャモンでも付けられよう物なら、
僕、泣いちゃうかもしれない。
そのくらい恐ろしい飼い主&ネコちゃん。
はっきりいって公害です。
烏賊丸毛
2004年01月03日(土)
正月早々、両親は東京にお出かけ。
昼飯を地元のピザ屋で済ます。

僕が頼んだのは単なる「マルゲリータ」だが、
隣の席のおじさんが頼んだと思しき、
新メニュー「イカスミマルゲリータ」が、
何故か僕のテーブルに運ばれてきた。

黒い。
凄まじく黒い。

羽子板敗北の屈辱の証である、
「お顔に墨塗り」の儀式を彷彿とさせる点では、
大変正月らしと言えば正月らしい。
しかし、正月早々他人の注文した物を食べて、
地雷を踏む気はない。

「あの、すいません。
 これ、僕が頼んだ奴じゃないんですけど…」

店員は慌てて、
隣の席へと「イカスミマルゲリータ」を運んでいった。
何故か恨みがましい目で僕を睨みつける隣の席のおじさん。
理不尽すぎる。
非常に鬱屈とした気持ちのまま、
ようやく運ばれてきたマルゲリータをさっさと胃袋に押し込む。
完食後、水を飲みつつ再びチラリと隣の席を覗き見ると、
おじさんは真っ黒になった歯を剥き出しにして、
同席している奥さんにつまらんジョークを浴びせかけていた。
死んでしまえ。
お前なんかイカに金的を吸われて死んでしまえ。

おじさんに毒電波を発射しつつ会計へ。

「1300円になります」

おかしい。
マルゲリータにしては高い。
思わずバイトと思しき店員のお姉さんとじっと見つめあう。
二人同時に伝票を覗き込む。

そこにははっきりとしたボールペン字で、
「イカマルゲ 1」
と書かれていた。

マルゲ…。
丸毛…。

頭の中に強烈な天然パーマのかかった、
思い切り顔の濃ゆいイタリア人が出来て、
「ヴォーノゥ!ヴォーノゥ!!」
としつこく騒ぎ立てた。

もう二度とあんな店行かねぇよぅ!!ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
初参り
2004年01月02日(金)
初詣。
例によって朝もはよから地元の鎌倉八幡宮へ。
日中は恐ろしい混雑状況を呈するこの八幡様も、
朝8時とあればまだ並ばずに参拝できる。

早速急な階段を登り本殿へ。
財布から百円玉を取り出しかけて、
ふと五百円玉に切り替えた。
今まで神頼みは一切通用しないと切に実感してきたが、
この際藁でも何でも縋っておいて損はない。

乾坤一擲の賽銭を投擲。

真新しい五百円玉は、
鮮やかに賽銭箱をスルーすると、
本殿の階段を転がり床下へ消えていった。

不吉極まりない。



なんとなく忸怩たる思いを抱えつつ、
本年のおみくじを購入。

「吉」と出た。

悪くない。
が、

願事:遅いが叶う。
総評:千里万丈の道を往くにも、
   その歩幅と速度により得る物は異なる。
   焦らずじっと待つこと。
   待てばかならず願いは叶う。

なっ…。
ま、まだ待てと…!?
くっ…。

どうもすっきりしないが、
おみくじ用紙を折り畳んでしめ縄に結わい付ける。
隣でおみくじを結んでいたおじさんが、
変に力みすぎておみくじ用紙を破った。

不吉極まりない。

おじさんもブルーだろうが、
嫌な物を見せられたこっちまでブルーになってくる。



この際、せめてもの「神頼み」と、
今年は絵馬に願をかけてみた。
絵馬に願い事を書いている間、
隣で記入している参拝客が連れている巨大ピレネー犬が、
ずっと僕の膝裏の臭いを嗅いでいる。
犬は好きだが、今は勘弁してほしい。
貴様、何が嬉しくてそんなに尻尾を振っているのだ?
ひたすらピレネー犬に気を取られながらも、
切なる願いを込めて丁寧に記入。

「内定が出ますように」

全ての文字が異様に滲む。
不吉極まりない…。



「お賽銭、今年は奮発したんだから頼みますよ」

ふと振り返った社が、
何故か霞んで見えた27歳の新春。
年頭に当たって
2004年01月01日(木)
謹賀新年。

「あけおめ」とか略すな。
日本人なら正々堂々と雄々しくしゃべらっしゃい。

それでは本年の抱負を。
えー。

「今年こそ」

以上。



すごく重いのだよ。
すごく色々含まれてるのだよ、
この「今年こそ」は。
フッフッフ。

あ、今白い目でコチラを見ましたね。

とりあえず、ことよろー。




My追加



設計*しゑ(繊細恋愛詩)
感謝→HP WAZA !
素材著作権且感謝→M3