パラダイムチェンジ

2006年04月30日(日) 「表現することは、『今』をつかまえること」

今回は読書ネタ。今回紹介するのは「おとなの小論文教室」
ほぼ日刊イトイ新聞で連載されている内容を、再編集した本。
だけど、連載自体もう5〜6年?になるので、昔の内容を含めて、
読み直してみると、新たな発見があったりするのである。

今回この本を読んでみて、思わずメモを取ってしまった、個人的に
白眉の箇所はこちら。
以下、ちょっと長いけど引用させていただくと



いま、多くの人が、受験を克服し、大学まで行って、高い授業料を
払い、コツコツ真面目に4年間勉強して大学を出ても、自分の思いを
日本語でしゃべれるようにならない。
そのことに、言いようのない憤りがつきあげてくる。

一方で、自分の思いを実感のこもった言葉にし、人の心に響く域まで
表現できる学生もいる。
その差はなんなのか。
センスではない。文才でもない。理系・文系でもない。
単にアウトプットの場数の違いだ。

表現力のある人は、生活か、仕事か、研究か、人生のどこか、何か
で、自分の内面を表現したり、人に伝えたり、アウトプットの場数を
踏んで、表現力を鍛えている。

表現する機会がなく、継続的な営みもなく、いきなりできる人がいる
なら、教えてほしい。
そんな人はいはしない。だから、自分の想いを言葉で表現できるよう
にするには、とにも、かくにも、アウトプットだ。

自分の想いを言葉にする。人に話す。文章に書く。
発信する。汗をかく。恥をかく。
「お勉強」はもういい。
いつまで、スケートのビデオを眺めて、いつか滑れる、みたいなこと
をやり続けるのか?(略)


表現をする人は、「いま」をつかまえることのプロだと。
作家にしても、写真家にしても、音楽家も、「いま」をつかまえなけれ
ば、二度とできない表現、というのがあって、プロは「いま」しかない
という、その「いま」をパッとつかまえると。決して逃さないのだ、と。

生きて、生活して、働いて、人と関わって、わずらわしいことや、
ちょっとした事件がおきて、去って。あるいは、何もおこらなくて、
倦怠感があって、それでも季節が流れて、人が動いて、また、人と
会って。

そうした日々を生きていてこそ、訪れる、「いま」という二度とない
瞬間がある。(略)


「表現」を、生活と切り離されたユートピアのように仰ぐ人は、「セン
ス」に望み、「どうしたらなれるか」と勉強法にも熱心だ。
「いつかその気になれば」と「いつか」を仰ぎ、結局、「いま」を逃し続けて
いる。
結局、何も自分を表現できずにいる。



でも、その通りだと思うんだよね。
結局、表現するっていうのは、その質はひとまずおいておくとしても、
何かを表現できるようになるためには、とりあえず、アウトプットを
やり続けなければ、自分の思う事を表現なんてできないと思うし、
それは、「お勉強」の形で自分の中にインプットをし続けるだけでは
やはりダメで。
そして、表現するっていうのは「いま」をつかまえることなんだ、と
私も思うのである。

逆にいえば、もしも、何か表現することの、そのレベルを上げたいと
思うのであれば、「いま」を切り取る自分の感受性を豊かにすることな
んじゃないのかな、と思うのである。

「いま」自分が何を見て、何に気付いているのか、その「いま」感じた事の
質感がより豊かなものになるならば、自然とアウトプットして出てきた
物の質も上がっているんじゃないのかな。

そして、私の場合に限っていうならば、そのためにこうやってネットで
文章をつづっているのかもしれない。

別段私は文章表現のプロになりたいわけではないけれど、こうやって
文章を書くために、日々のいろんな「いま」の瞬間に気付くこと、その
中で何に対して感受性を上げるのか、ということが結構、自分の生活
の質感みたいなものを豊かにしてくれるような気が、最近特にするの
である。

だからなのかどうなのか、最近、時間が経つのが結構ゆっくりに感じ
られる時もあったりして。
なんていうのか、一瞬、一瞬が充実している感じというか。

もちろん、その全てを言葉にしようなんて思ってもいないけど、
例えば、料理にしても、フィットネスで身体を動かすことにしても、
仕事をしたり、はたまた、街をぶらついてウィンドウショッピングを
したり、店員さんと会話をしたりすることの全てが、「いま」なんだ
よなあ、と思うのだ。

まあ、その結果、自分の表現力が磨かれたかどうかはわからないし、
正直、この日記の内容に関しては、退化しているのかもしれない
けれど、でも「いま」を生きることの豊かさに気付かせてくれる大切な
きっかけになっているよなあ、と思うのである。



あ、ちなみに蛇足ながら、この本の中には、昔自分が投稿した記事が
載ってました。
昔の自分の書いた文章に再会するのは、なんというか気恥ずかしい
感じでございました。
おお、昔の俺ってば、こんな事を書いたんだっけか、みたいな。
うーん、やっぱりちっとも表現力は進歩はしてないのかも。



2006年04月24日(月) V・フォー・ヴィンデッタ ネタバレなし

今回は久々の映画ネタ。見てきたのは「V・フォー・ヴィンデッタ」
主演はナタリー・ポートマン、製作が「マトリックス」のジョエル・
シルバー、脚本が同じく「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟。

いやあ、いい意味で完全に欺かれました。予告編に。

予告編や、CMを見ている感じだと、ナタリー・ポートマンが官憲の
手に捕まり、死刑を免除される代わりに、爆弾テロリストである、
「V」の居場所を探すアクションムービーなのかと思ったら、さに
あらず。

実際の物語がどんな感じなのか、というのは、是非劇場orDVDででも
見ていただくとして。
ただし、私が絶賛していると言うことは、なかなか一筋縄ではいか
ない展開(つまりちょっとややこしい)かもしれない。

でも、この映画のテーマというか、根幹にあるもの自体が、欺く、
という事なのかもしれない。
そしてその欺いているものの仮面を剥ぐ=仮面のテロリスト、Vなの
かもなあ、と。

あと、仮面の男「V」と、ナタリー・ポートマン演じるヒロインとの
関係は、「オペラ座の怪人」のファントムとの関係を彷彿とさせる
部分もあって。
だから、「オペラ座の怪人・アナザーバージョン(ファントムが
ヒーロー編)」というおもむきもあるかもしれない。

ちなみに「V」を演じているヒューゴ・ウィーヴィングは、顔が一切
出ないのに、身振り手振りで感情を表すのはすごいなあ、と。

また、今回のヒロイン、ナタリー・ポートマンの演技力も相変わらず
すごいなあ、と思う。
だって、この映画、彼女の役がしっかりと観客に伝えなければ、
もっとわかりにくくて、つまらない映画になってしまったと思うし。
しかし、LEON以来、どうしてナタリー・ポートマンの演じる役回りは
こうも波瀾万丈なんでしょうか。

英語の聞き取りとしては、偶然=coincidenceという言葉が何度も
出てきて、聞き取りやすかったです。

今年見た中の、TOP3か5位には入りそうな位、面白い内容でした。





2006年04月23日(日) ミニチュアな?写真展

日曜日、代官山まで写真展を見に行ってきた。
行ってきたのは、本城直季さんの「small planet」展

これは、言葉で説明するよりは、実際に写真を見てもらった方が
わかりやすいと思う。
と言うことで、見てみたい方はこちらのサイトへとどうぞ。

写真の技法について、詳しいことは全くわからないんだけど、
どうやら大判のカメラで、レンズを少し傾けて被写界深度を変える
ことで、こういう画が撮れるらしい。

これらの写真は、実際の東京駅だったり、プールだったりするし、
人も生身の人間のはずなのに、どうみてもミニチュアの様にしか、
見えなくて。

おそらくは見ているこっちの脳の方で、これはミニチュアなんじゃ?
と映像のトリックで思うのかもしれないけれど、その錯覚具合が
楽しくて。
元々、ミニチュアとか、情景模型みたいなものが好きだったりする
し。

会場の入場料は無料なんだけど、結局買っちゃいました。写真集
この写真展・写真集の中で、自分が一番面白いと思ったのは、
格闘技のPRIDEの会場と、もう一つは夜景の写真だった。
これらって、ミニチュアで再現しようとしたら、ものすごく大変
だと思う分、なんか得した気分がするのが不思議です。

ちなみに同様の写真をブログで公開している方のサイトがこちら
目黒〜恵比寿間の日の丸自動車学校の写真が、個人的にツボに
はまりました。

もう一つ、本城直季さんの写真の撮り方について教えてくれるブログ
こちら



2006年04月16日(日) 原宿・表参道散歩

日曜日、図書館に行ったついでに、原宿〜表参道を久々にぶらりと歩い
てみた。
まだまださすがに、休日の表参道ヒルズ(と、表参道の表通り)は、混ん
でいたので、行く先を決めずに一本裏の道を歩いて。

Bambooとか、ファーマーズテーブルのあたりですね。
この辺を歩くのって多分数年ぶりなので、結構知らないお店があったり
して、面白かったです。
カバンのTUMIの直営店がここにあるなんて知らなかったし。
TUMIの旅行カバンが思わずほしくなっちゃったし。

やっぱりね、時にはわき道に入って道草を食ったほうが、人生面白い
ことって転がっているのかもしれない、なんて思った日曜日の午後で
ございました。



2006年04月14日(金) ナスカ展

金曜日の夜、国立科学博物館に「ナスカ展」を見に行ってきた。
金曜日の夜だけ、上野の博物館は、夜8時まで開いているのである。
日曜・休日では並ばないと見られない、こうした特別展も、この時間
帯はさすがにお子様の数も少なく割と静かに見ることができるのだ。

ナスカとは、あの「ナスカの地上絵」のナスカである。
はたしてあの、ナスカの地上絵を描いた人々はどのような暮らしを
していたのか、という展示会。

これがねえ、予想していた以上に面白かったのである。
ナスカというのは、南米ペルーのアンデス文明の一時期に栄えた文化
であるらしい。
それがおよそ、紀元前1世紀から8世紀頃まで。
日本で言うなら、弥生文化から、大和朝廷〜奈良時代くらいまで。

彼らの文化の特徴を一言でいうなら、文字を持たず、また絶対的な
王や統治者はおらず、シャーマンが精霊や超自然的な存在である、
動物の神々と交信するような、神話的な世界を生きていた人々であるらしい。

日本で言えば、縄文時代、いわば中沢新一が書くところの 「アースダ
イバー」
や、神話的思考の世界な訳ですね。

日本の縄文時代もそうだけれど、その時代、文字による記録がなかった
からといって、当時の人々が貧しく、また知能が発達していなかった
訳ではなく。
むしろ、出土する土器やら、織物の鮮やかな色あいと、その絵柄の
語る物語性の豊かさに驚かされるのだ。

ということで写真を一枚。



これは、会場で売っていた絵葉書をスキャンしてアップしたもの
(ってやばいんだろうか、どきどき)なんだけど、これを1500年前の
人が描いたって、すごくないですか?
本当は、会場に行けばもっと面白い柄の土器や人形が一杯あるのだ。

なんかね、こういう絵を描くイラストレーター、いるよねーという
感じで。肝心の名前が出てこないあたりが老化の証なんだけど、
バスキアとか、日本だと誰だろう、時々広告アートなんかで見かけて
もおかしくないような絵柄で(例えば、ホットヌードルのイラストと
か)。

しかも絵柄は、土器を焼く前に描いて焼き付けたらしく、もしもこう
いう柄のマグカップがあったら、買っちゃうかもしれない、という位
ツボに入ったのである。
さすがに、首級の入った柄は遠慮するけど、シャチとか、農夫とか、
ハチドリの絵柄がかわいくて。

また織物も、これが1500年前の遺跡から発掘されたものなの?(一部
は復元されていると思うが)と思うくらい、きちんと織られて、また
色も豊かで。赤とかは、木についている虫からとったらしいけど、
一体何匹の虫がいるんだか、という感じで。

日本で、法隆寺とか、古事記なんかを書いている地球の裏では、彼ら
がこういう土器や織物を作ったり、また地上絵を描いていたりしたん
だなあ、と思うとちょっと不思議な気分になったのである。

また、地上絵に関しては、巨大なスクリーンで、セスナからの空撮を
CG加工したバーチャルシアターで見ることができて。
あれって、紫外線で黒く焼けた石の広がるパンパという砂漠地帯を、
数センチ〜数10センチ掘る事で白い地面を見せて出来上がっている
らしく。

実際にその地面を再現した上を歩いたりすることもできて、ちょっと
だけ、地上絵を見に行った気分が味わえました。

でも、実際に空撮で見た場合、地上絵よりも、その周りに縦横無尽に
刻まれている車のわだちや、道路の後のほうが目立ってしまって、
巨大といわれる地上絵が意外に小さく隠れてしまっていて。
それがちょっとショックだったかも。

会場で市販されていたDVDでは、地上絵の空撮映像をよりじっくり
見ることができたので、結構オススメです。
あと会場では、音声ガイドの出るPDAを500円で貸してくれるんだけ
ど、これの解説がより詳しかったので、これもオススメ。

会期は6月までなんだけど、終わってしまう前にもう一度は見にきた
いなあ、と思うくらい充実した展示でした。

あと、ナスカの人々ってすごいなあ、と思った人には、こちらの本も
オススメ。

人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈1〉

世界各地の、神話的思考をしていた人々の、豊かな物語を味わうこと
ができます。
あの、シンデレラの話が、そのオリジナルの話が実は世界各地(中に
は中国にまで!)にあったって知ってました?



2006年04月13日(木) 郵政民営化で困るもの

なんでも、時間外窓口サービスが廃止される見込みだそうで。
ソースは>>こちら

だとすると、自分みたいな日中家にいない、一人暮らしの人間は
書留とか来たらどうすればよかとですか。ぷんすか。

国営事業?の民営化というと、国鉄がJRになって、サービスが充実
したし、財政?も健全化した、という成功体験みたいなものがある
から、昨年の夏に郵政民営化を問う総選挙があった時に、反対する
人が少なかったのかもしれないけれど、JRの場合って、私鉄という
競合他社があるからこそ、民営化したことのメリットが生きた気が
するのである。

NTTにしたって、サービスや料金が安く見直されたのって、KDDIや
ソフトバンクが参入し、なおかつマイラインみたいな乗り換え自由
なサービスが整備されたからだろうし。

郵政公社の場合、郵便事業に関しては、民営化しても他に競合する
事業者がいないし、また今後新規参入してくる他社が、全国に何千
もの事業所やポストを持つための負担額を考えれば、巨大な独占企業
もしくは寡占企業が生まれることになるわけで。

そこがこんな風に自分のところの採算性という勝手な都合でサービス
の低下を招くっていうのは、これはれっきとした独占禁止法にあたる
んじゃないのかな。
その辺、どうなんでしょう。

少なくとも、郵政公社が民営化して、こんな形で利益を上げたとして
それで得するのって誰?株式公開したときの株主?
結局、誰のため、何のための郵政民営化なのか、未だによくわからな
いのは、私だけなんでしょうか。



2006年04月11日(火) ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ



日曜日、映画を見に行ってきた。見てきたのは「ウォレスとグルミット
野菜畑で大ピンチ」

いやあ、予想外の展開で面白かったっす。

ネタバレしちゃうよりは、なんというかほのぼのしたい人はどうぞ劇場
に足を運ぶか、DVDで見て下さい、という感じで。
ウォレスとグルミットは、10年前くらいにグリコの清涼飲料だっけ?
のCMで見た事はあっても、本編を劇場で見るのはこれが初めてで。

今回見に行こうと思った理由の一つには、この映画が「ハウルの動く城」
を押しのけて今年のアカデミー賞の長編アニメーション部門を獲った事
もあるけれど、昨年、Narinari.comでこのアニメーション製作スタジオ
が、火事になってしまい、セットが全部焼けて灰になってしまった、と
知った事も影響していて。

クレイアニメって、一コマ一コマの撮影にもの凄い時間がかかるらしい
し。
ちょうど、日曜日まで池袋でウォレスとグルミット展をやっていて、
実際に使用されたミニチュアが展示されていたんだけど、そのセットの
細かさとかも、すごいなあ、という感じで。

物語の展開も、クレイアニメということを上手く使いつつ、そこにCG
技術なども上手く取り込むあたり、この製作スタジオ、アードマンや
監督のニックパークのセンスにうならされたという感じかも。

やっぱりね、グルミットが喋れない代わりに全身での表現力、演技力?
が上手いなー、という感じで。
いやあ、見に行ってよかったです。

ついでに先ほどのウォレスとグルミット展では、グルミット製作用の
粘土キット(グルミットの作り方付き)も売っていて、ちょっと買って
みたかったんだけど、置くところないし、と思い断念。


でも買っといた方がよかったかなあ。

ということでほのぼのとしたい人に是非オススメの映画でした。



2006年04月10日(月) 本当に大事な事が言葉にできない理由

朝カルでの茂木健一郎先生と河合隼雄先生の対談で飛び出した、
「僕は本当に大事な事は話しませんから」という意見を聞いたときに
私は、少し前の「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里と作家・川上弘美
の対談の内容を思い浮かんだのである。
いや、本当に関連しているのかは、何ともいえないんだけど。

ということで、イトイ新聞の元記事は>> こちらから

私が気になった箇所だけ引用させていただくと、


川上 書いてる時も、何をしようとしているか、自分ではよく
   わかっていないという部分があるから。

糸井 「言いにくいんだけれども、こんなようなことがいつも
   書きたいんですよね」みたいなことというのは、おありに
   なるんですか?

川上 そこが、よくわからないんです。でも、あるんでしょうね。
   あるんですけど、そこは言葉にしちゃうと書かないでよく
   なっちゃうから。(略)

   言葉にしちゃうということは、何か区切りをつけちゃうこと
   で、定義をつくっちゃうことだから、それはきっと、したく
   ないんですね。
   でも、何かあるんだろうな。ぼんやりしたイメージは。



昔、この箇所を読んだときに、やはりそうそう、とうなずいたんだ
けど、どこがどうなのか、のどの奥に小骨が刺さったような感じで
引っかかっていたのが、今回の対談の中でそうなんだ!と何となく
わかったような気がするというか。

たぶんね、本当に大事なことっていうのを、人に話したり、こういう
ネット上で書こうと思うとき、それをはっきりとした形にしようと
思って、核心まで切り込んだ場合、それはその本当に大事なことを
分析するモードになると思うのだ。

その事について、川上弘美は「言葉にしちゃうということは、何か
区切りをつけちゃうことで、定義をつくっちゃうこと」だと表現した
訳だけれど、それは同時に、その本当に大事なこととの関係性を一度
切ったり、関係性が変わってしまう事を意味するんじゃないのかな。

私はこうしてブログ上で、日々の日記のようなものをずーっと書いて
いるんだけど、いわゆる自分の恋愛感情とか、周りの人に対する思い
みたいなものを書くことに非常に抵抗がある。

それはたとえば、自分の恋愛について、こう思う、と言葉にした瞬間
に、それはすでに過去の事になってしまうというか、言葉によって
その関係性が定義され、固定化してしまうような気がするのだ。
少なくとも現在進行形の出来事に関しては特に。

それよりも、そういう自分にとって本当に大事なことについては、
それを無理矢理形にしようとするのではなく、そのほわほわっとした
ものの周囲をぐるぐると回りながら、その中心から偶然、何かが
浮かび上がってくるのを待って、それを捕まえた方がいいような気が
して。

で、多分その方が、その自分の想念というか根本思想の源泉を枯らす
事なく、アプローチできるような気がするんだよね。
本当にそうなのかはわからないし、個人的な思いつきでしかないの
だけれど。

ということで、
少なくともこのブログでは今後しばらくは、私の
中の本当に大事だと思うことについては触れませんのであしからず。
かといって、ここで書いていることがどうでもいいこと、という訳
でもなく、中心から浮かび上がってきた言語化することに成功した
言葉たち、という感じなのかもしれない。
って、話がわかりにくくてすみません。



2006年04月07日(金) 茂木健一郎×河合隼雄対談@朝カル

金曜日、西新宿の朝日カルチャーセンターで、脳科学者、茂木健一郎
と臨床心理学者、河合隼雄の公開対談を拝聴してきた。
タイトルは「こころと脳」

このお二人は、現在雑誌の「潮」誌で対談を続けており、その内容も
結構面白いのでご参考まで。
今回の対談でも、そのときの話題、たとえば茂木健一郎が箱庭体験を
したことなどが、触れられていて。

私にとっては、今まで著書は読んだことはあっても、初めての河合
隼雄を見る機会であり。
エピソードのいくつかは、今までに本で読んだことはあったんだけどそれより何より、やっぱり本人の口から語られると迫力が違うなあ、
なんてことを思ったのである。
いやあ、本当に実際にお会いできて、うれしかったです。

今回ホスト役の茂木先生にしても、河合先生にしても、広い空間で
彼らの声が響き渡るのが、とっても心地いい感じでした。
やっぱり声のいい人の話というのは、身に染み渡るのかもしれない。

対談のテーマでは、河合隼雄先生の「中心をそらさない」という事が
大きなテーマとして立ち上がってくる瞬間があり、その時は思わず
手帳を取り出して、メモしてしまった。

アメリカの臨床心理学者、ジョンペリー(ペリー提督の孫らしい)という人は、ふつうは治療が難しいとされる、統合失調症の治療に
おいて、ある条件を満たした患者に限るが、治療者がクライアント
と同じ空間にいて、「中心を外さない」事ができれば、そのクライ
アントを治療することが可能だという。

それと茂木健一郎先生の「クオリア」がどのように関係するのか、
など、より掘り下げた話に関しては、できれば今後のお二人の対談
や、それが本になって出版される事を期待したいと思います。

もう一つ、個人的に興味を持ったのは、聴衆の人との質疑応答の時に
河合先生が答えていた「僕は本当に大事なことは、人にはよう話し
ませんから」という事だった。

うん、そうなんだよな、と私も思ったのだが、それについては機会を
改めて次回、ということで。



2006年04月05日(水) 民主党党首選挙

ナガタ議員の偽メール追求問題に始まり、前原前代表の辞任にまで
いたった民主党のドミノ倒し現象。
その後の民主党の党首選挙にいたっては、何の興味もわかない、
というのが、多くの国民の本音なんじゃないだろうか。

もう誰がやったっていいからさ、メディアも彼らの右往左往ぶりを
面白おかしく報道する以外にもっと報道することがあるんじゃない
の?なんて感想を思ってみたり。

私個人としては、民主党には期待している部分もあるのだけれど、このていたらくでは、もはや何も言う気にはならない、というのが、
私の素直な気持ちであり。

ただ、今回は小沢一郎が党首をやってみるのでいいんじゃないかな。
管元代表は、どうせ小沢一郎がこけた時には、時期党首候補として
のこのことまた出てくるんだろうし。
小沢一郎も、今回が最後のチャンスなんだろうし。

でもさ、小沢一郎に対する、アレルギーがどうたらとメディアは
盛んに論じているんだけど、一番小沢一郎に対してアレルギーが
あって、豪腕だとか壊し屋だとか、小沢一郎こそ自由主義、市場
主義者だ、とレッテルを貼っているのは、メディアなんじゃないの
かな、という気もするのである。

小沢一郎自身、自分の現在の主義主張をあまり声高に主張はして
こなかった、というきらいはあるし、また元来口下手なんだろうけど
実は私たちは彼のことを大きな誤解をしているんじゃないのかな、
という気もちょっとだけしたりして。

いずれにせよ、民主党の信用もがた落ちになったんだから、ここは
同じくあまりメディア上ではいい印象を持たれてない小沢一郎が
党首になることによって、そのマイナスイメージがどのように回復
していくのか、ということを、ほんのちょっとだけ、楽しみにしたい
と思うのだ。

やっぱり自民党だけが圧倒的に一人勝ちしているだけの状況っていう
のは、まずいような気もするし。



2006年04月02日(日) お花見・2006



日曜日、お墓参りのついでに毎年恒例の花見見物に行ってきた。
ここ数年、お墓参りの後に桜の名所を巡るのが、習慣になっている
のである。
ちなみに以前の花見関連の話はこちら。>>2005年2003年


今年は、当日雨という天気予報だったのでどうだろうなあ、と思った
けど、案外天気が保つかもしれない、と思ったので出かけることに。
午前中に雑司ヶ谷霊園でのお墓参りを済ませ、そこから徒歩で都電
荒川線の鬼子母神入り口駅へ。

今まで歩いていったことはないんだけど、都電荒川線の駅と駅の間の
距離は結構短いので、一駅くらい歩けるだろうと思い、とりあえず
方角の見当をつけながら途中途中で人に道を訊きながら目指してみる。

鬼子母神にお参りした後で境内でお団子を食べ、ここからまた徒歩で
都電荒川線の学習院下駅へ。
ここから荒川線終点の早稲田駅にいたる、神田川沿いの桜並木が個人的
にはベスト桜見物スポットなのである。

ついでにいうとこの辺は、高校時代の部活のマラソンコースで、ひいひ
い言いながら走っていた懐かしさも手伝って。

ということで、写真がこちら。


やっぱりね、水辺に咲く桜って、一際きれいに咲くと思うんだよね。
千鳥が淵しかり、桜坂しかり。
その中でここは、日曜日に来ても、そんなに人が多くないので、ゆっく
り桜見物ができるのも、個人的には大好きなポイントなのだ。
あ、ちなみにこのまままっすぐ行くと椿山荘まで行くことができます。

今回は、この神田川沿い、リーガロイヤルホテルの真向かいで見つけた
ラーメン屋さんでお昼を食べることにして。
なんでも徳島ラーメンだそうで。

その後、お腹いっぱいになった後で、やっぱりここまで来たら、という
事で箱根山まで足を伸ばすことに。
ここの桜の木は、自分が高校生で毎週来ていた時に比べると、幾分
老齢化して、残念ながら勢いが少し減ったかなあ、という気もする
けれど、やっぱり頂上の展望台に立って、桜の花の雲海を眺めるのが
気持ちがよくて。

お花見客の人もマナーをきちんと守っているし、はたまた風が吹いて
桜吹雪になると筆舌尽くしがたいくらいに綺麗なのである。

ちなみに頂上から下界?を見下ろすとこんな感じに見えます。



ということで花見見物中は雨にも遭わず、今年も無事桜の花を愛でる
事ができて個人的には満足でした。


 < 過去  INDEX  未来 >


harry [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加