パラダイムチェンジ

2006年02月28日(火) 青春18きっぷ

ALL ABOUTの、
「青春18きっぷ1日分でどこまで行ける?」
「100万ドルの夜景は片道5,000円で見る!?」
を読んで、ちょっと懐かしい気持ちになった。
私も高校〜大学時代は、青春18きっぷをよく使っていたからである。

高校時代は、山岳部で山登りをする時に、青春18きっぷをよく利用して
いた。
今でも一番印象に残っているのは、高2の時に先輩たちがフリークライ
ミングをしていた足尾銅山まで、普通列車を乗り継いで行った時の事
である。

とりあえず、行き当たりばったりに埼京線に乗り、大宮から宇都宮線で
小山まで行ったのは覚えている。
その時はまだまだ食べ盛りの時期だったので、とりあえず終点についた
ら、そこで次の電車の待ち合わせの時間に駅弁を買って食べる、という
ルールを自分に課していたんじゃなかったっけ。

その後どこをどう通って、桐生駅についたのかは忘れたけれど、高崎駅
のだるま弁当を食べたような気もするし。

結局、行き当たりばったりの旅だったので、足尾駅に着いた時にはもう
すでに夜になっており、しかも雨が降っていて先輩たちがキャンプして
いる所がわからず、結局無人駅の足尾駅まで戻ってきて、そこで寝袋を
拡げてビパークしたりとか。
翌朝、無事に先輩たちには会えたんだけど。

浪人〜大学時代には、友人たちと3〜4回くらいは青春18きっぷを使って
関西地方に旅したような気がするし。
いつも利用していたのは、23時過ぎに出発する大垣行きの普通列車で、
確か東戸塚駅まではきっぷを買って、0時を過ぎた時点から青春18きっ
ぷを使ったんじゃなかったっけ。

でも今思うとあの頃の普通列車って、席がボックスで垂直に立っている
奴だったから、寝ようと思っても(旅の興奮もあって)なかなか寝付け
なかった気がする。それでも浜松を過ぎたあたりで、うつらうつらと
して、明け方大垣駅に、腰が痛いなあ、なんて思いながらたどり着いて
関西方面を目指した気がする。

私が青春18きっぷを一番最後に使ったのは、今から7、8年前位である。
その頃は病院で働いていて、夏期休暇をもらったんだけど何の予定も
立ててなかったので、いきあたりばったりというか半ば衝動的に、
懐かしさも手伝って、青春18きっぷを買って大垣行きの普通列車に
飛び乗ったんだった。
でもこの時はもうすでに品川発の列車で、シートも昔の垂直の奴よりは
少しは柔らかい奴になっていたような気がする。

この時は休暇期間をフルに使って、とりあえず行きたい所に行って、
出来るだけ遠くまで行ける所まで行ってみよう、と思ったような。
まだ当時は、インターネットカフェを探すのも結構苦労だったんだけど
大阪のインターネットカフェで、情報を調べ、宿の予約をしたような
気がするし。

この時は結局、方々に寄り道をしながら行ったので、最終的には尾道
まで行き、そこが私の青春18きっぷを使った自己ベストの距離になった
のである。

尾道で予約した駅前のホテルには、なぜかスナックが併設してあって、
そこでそのホテルの美人姉妹が、接客してくれて。
いやあ、懐かしいなあ。

さすがにこの時は帰りは、社会人だったので新幹線を使って帰って
きて、そのスピードと快適さの恩恵を受けて帰ってきたのだった。
でも、広島にも友人がいるし、また尾道にも行きたいなあ。
あのホテルはまだあるんだろうか。

ALL ABOUTの関連記事、「これさえ読めば今すぐ旅立てる! 
「青春18きっぷ」超基本ルール10」
によると、私が頻繁に使っていた
頃の青春18きっぷって、5枚つづりだったんだけど、今は日付を記入
する形になっているようで、そういう変化を知ることが出来たのも
驚きだった。

もしも、今後青春18きっぷを使ってみたいと思う人は、ご参考に
どうぞ。



2006年02月26日(日) 単騎、千里を走る

今回は映画ネタ。見てきたのは「単騎、千里を走る」
この映画を見てきた感想を一言でいうなら、「ああ、この映画って
『贈与論』なんだなあ」ということ。
って、私には「贈与」について、かいつまんでわかりやすく書ける
能力はないんだけど。

この映画のタイトル、「単騎千里を走る」とは、三国志の英雄、関羽を
取り上げた、中国の仮面を使った踊りの事。
この映画の主人公、高倉健の息子である大学教授?(声:中井貴一)は
ビデオテープの中で、この演目を「来年また見に来ます」と約束をする
のだが、病気に倒れてしまう。

その息子と長年関係が断絶していて、病院に見舞いにいっても拒否され
てしまった高倉健は、このビデオを見て、中国に行き、息子のために
「単騎千里を走る」の舞踊のビデオを撮ってこようと決心して・・・という
話。

この映画に「今すぐ泣きたい感動の名作」を期待している人には、拍子
抜けに見えるかもしれない。
物語は割と淡々と進む、ロードムービーである。

でもね、この映画噛めば噛むほど味のある、スルメみたいな作品だと
思うのだ。

冒頭の「贈与」の話に戻るならば、この映画で、高倉健演じる主人公は、
旅の途中で様々な人たちに、様々なものを「贈与」している。

例えば、この物語のもう一人の中心人物、「単騎千里を走る」を舞う
役者、李加民には、彼の息子の写真を、そしてその息子、リンリンには
彼がまだ知らぬ、父親のぬくもりを。

また、彼が関わる中国の人たち、例えば通訳や、役人や、村の住人たち
には、彼のまごころを。
そして、それらの人たちは、高倉健の姿に心を打たれて、彼のやることに
協力を惜しまなくなっていく。

また、その高倉健が中国に渡った、という思いは遠く海を越えて、日本の
病室にいる、彼の息子の心を溶かしていく。

李加民の息子、リンリンのいる村の村長は、通訳を通して高倉健に確か
こう告げる。
「私たちは、自分達の思いを彼にわかってほしかっただけだ。彼がその
気持ちを理解してくれたのなら、私たちは彼の面子を尊重しよう」

この映画、もう一方では、映画「ロストイントランスレーション」の
中国版という見方も出来るかもしれない。
高倉健と、現地の中国の人たちとは、カタコトしか日本語を話せない現地
のガイドか、もしくは電話を通してしか話せない通訳を通してしか、コミュ
ニケーションを取る事ができないのだ。

でもね、「ロストイントランスレーション」とこの映画の一番の違いは
何かといえば、たとえ言葉が満足に通じなくても、人の本気の思いは、
相手に伝わり、そして動かす、ということだと思うのだ。

逆に言えば、完全なコミュニケーションができないからこそ、その人の
気持ちが相手を動かすという部分もあるのかもしれない。

この映画の中で、高倉健は中国語を話すことは出来ないし、またセリフも
そんなに多くあるわけではない。
でも、彼の行動そのものは言葉の量に比べても、多弁なものに映る。

そしてオーラルコミュニケーション(口を使った会話)という形ではない
からこそ、人はその人が本当は何を言いたいのか、より注意深く聞き取ろう
としているのかもしれない、なんて思ったのである。

で、それはこの映画に限らず、「不器用ですから」の健さんの映画を観る
視聴者は、そのようにして高倉健の仕草に引き込まれてしまうんじゃない
のかな。

この映画の監督、チャン・イーモウは高倉健の映画の大ファンらしいし、
また、高倉健の作品は、反日の風の吹く中国でもファンが多くらしい。
だから極端な話、この映画は中国人 meet 高倉健本人、という見方も
出来るような気がしたり。

で、話を更に広げてしまうと、先ほどの村長の意見っていうのは、今現在
日中関係が悪化している中での、日本人へのチャン・イーモウ監督の
メッセージ、という見方もできるんじゃないのかな、と思うのである。

今現在、日本と中国は会話のできない、ディスコミュニケーション、ロスト
イントランスレーションの状態と言ってもいいのかもしれない。

でももしもあなたたち(日本人)が、私たちの話に耳を傾け、面子を立て
理解してくれるのなら、私たち(中国人)もあなたたちの面子を立てて、
尊重しましょう、と。
そしてその思いをきちんと通訳して届いてほしい、その気持ちが通訳され
ていない、と。

個人的には、そんな風に、日本と中国の間で意見の対立ばかりに注目する
のではなく、お互いの思いが贈与できるような関係になれれば、日中関係
ももっといい関係になるんじゃないのかな、とこの映画を見ていて思った
のだ。
まあ、深読みしすぎなのかもしれないけれど。

でも少なくとも、チャン・イーモウ監督の、高倉健と日本に対する愛情と
いうか、親近感がなければ、この映画は出来なかったのかも。
その意味では、私はチャン・イーモウ監督から、いい贈り物をもらったと
いえるのかもしれない。



2006年02月25日(土) それぞれのオリンピック

という訳でフィギュアのエキジビジョン(さすがに録画した)の
フィナーレを見終わると、ああ、本当にオリンピックも終わってしまう
んだなあ、なんて感慨にふけりたくなる。

フィギュアスケートに関しては、「はなまるマーケット」でもお馴染みの
フリーアナウンサー、今泉清保さんのBlogの内容が面白い。
他にも面白いBlogはいっぱいあるんだろうなあ、と思う。

私自身は、女子フィギュアのフリー演技は、安藤美姫選手が試技を
する組の直前にちゃんと起きることができて、最後まで生で見ることが
出来た。
で、ずぶの素人としての感想を言えば、サーシャコーエンも、スルツカ
ヤも、人間だったんだなあ、という感じかもしれない。

コーエン選手の滑走順が1番最初、そしてスルツカヤ選手の滑走順が
一番最後。もしもこの順番が違っていたら、もしくは男子シングルの
様にトップバッターのコーエン選手が完璧な演技をしていたら、結果は
違ったものになったのかもしれない。

男子シングルの場合には、フリー演技開始の段階でトップのプルシェン
コ選手と2位以下の選手の点差が開いていたせいもあるのかもしれない
けれど。
結局はコーエン選手、スルツカヤ選手とも転倒し、本来の実力は発揮
できなかったのかもしれない、なんて思ったのだ。

でもね、逆に言えばだからこそ荒川静香選手の演技が光る訳で。
おそらくはあの決勝のスケートリンクの中で、最も心が縮んでいなかっ
たのが、荒川選手だったんじゃないのかな。

私がそう思ったのは、荒川選手がイナバウアーから、3連続のジャンプ
を決めた後、笑顔がこぼれ出たときだった。
後から見直すと、その前から会場の拍手は誰よりも大きかったんだけ
ど、個人的にはこの笑顔が出たあとの荒川選手の演技が伸び伸びと、
大きくなった気がしたんだよね。

荒川選手が選んだ曲が、イタリアンオペラで開会式でパバロッティも
歌った「トゥーランドット」で、しかも荒川選手自身が好きな曲で、
世界選手権で優勝した曲だったことも大きいのかもしれないけれど、
終盤に近づくにつれて、本当に見る人をひきつけて、会場が一体に
なっていたんだろうなあ、と思うのである。
だからこそのスタンディングオベーションだったのかもしれない。

荒川選手の演技を見ていて、ちょっと前に紹介した本「文体とパスの
精度」
で、村上龍がこんな事を書いていたのを思い出した。


「(アメリカのアクターズスタジオインタビューでも有名な)リー・スト
ラスバーグの説では、人間というのはリラックスしないと集中できない
んだって。逆に集中するとリラックスできる。よくみんなリラックス
しろというけど、簡単じゃないもんね」



だから今回の女子フィギュアの結果は、よりリラックスし、集中が
出来た荒川選手の勝利だったのかも、しれない。
でも、それで彼女の金メダルの価値が下がる訳ではないし。
あの場であれだけの演技が出来た荒川選手には、本当に心からの拍手を
送りたいと思う。


そしてもう一つ、女子フィギュアで印象的だったのは、スルツカヤ選手
の、演技が終わった後の表情だった。

彼女は金メダルのかかった、最も重要で失敗の許されない試技の中で、
残念ながら転倒してしまうんだけど、その試技の終わった後の表情が
落ち込んでいる、というよりはなんかものすごく晴れやかな表情に
見えたのだ。
それがコーエン選手の表情とは対照的な感じがして。

なんかそれは、全てのプレッシャーから解放された人の清々しい笑顔に
見えたのである。本当は心の中では煮えくりかえっていたのかもしれ
ないけれど。

でも、スルツカヤ選手に限らず、ほとんどの冬季オリンピックの競技
って、ミスと紙一重だと思うんだよね。
だって考えてみたら、雪の積もった勾配を駆け下りたり、氷の上で
競争したり、演技したりをする訳で。

夏季オリンピックに比べても自然の影響を受けやすい訳だし、また
メンタルのちょっとした違いが大きく結果に現れたりもするんじゃない
のかな、と思うのだ。

だから他の競技でも、本命と目される人が結果を残せなかったり、
女子スピードスケートの岡崎朋美選手にしたって、本当に僅差でメダル
を逃してしまったりする。
そしてそのミスを取り戻そうと思う選手たちにとっては、4年間という
時間は、結構長いことだと思うのだ。

でも、だからなのかもしれないけれど、ミスをした事や、結果がでなか
ったことにどこか優しい気もするんだよね。
それよりも、よくぞ皆頑張った、という気にさせてくれるというか。
もちろん、その上でメダルを取った人の事は素晴らしい、と思うの
だけれども。

でもオリンピックという晴れ舞台に立てるだけでも、すごいことなん
だと思うし、そこに至るまで、例えばボブスレーにしてもカーリング
にしても、はたまたアルペン競技やスケート競技にしたって、強化費
もままならない状況や練習場所が制限されている状況でも、それぞれ
の選手が海外遠征費などをやりくりして、練習に練習を重ねた結果と
して、あのオリンピックの舞台に立てている訳で。

すべての人がメダルをもらえないのは当然にしても、でもそこに至る
までの選手の人、スタッフの人たちの努力の全てが泡になった訳でも
ないだろう。

この先、もしも日本が本気でメダルを取りに行くのなら、そういう
環境の整備が必要だと思うし、それはただ単に根性だけで済むことでも
ない訳で。

だからただ観戦し、応援する立場の人間としては、それぞれの選手たち
のパフォーマンスが見られてよかったなあと思い、拍手をしたいなあ、
と思うのである。
うまくまとまらなかったのでこの辺で。



2006年02月23日(木) 女子フィギュア・ショートプログラム

女子フィギュアのショートプログラムは、うまく安藤美姫選手の直前に
目が覚めることが出来たので、LIVEで安藤選手から最後のサーシャコー
エン選手まで主要な選手を見ることができた。
でも、最後の選手が終わったときって、現地時間で言えば深夜23時30分
なんだよね。おかげでこちらは朝に見られる訳だけど。

この日記を書いているのは、フリープログラムの前なので、今は
まだ、最終結果がどうなるのかはわからないけれど、SPを見た感じで
いうと、素人目ながら、ロシアのスルツカヤ選手と、アメリカのサー
シャコーエン選手は、やっぱりさすがに上手いなあ、というか迫力が
あったなあ、と思う。

思えばこの二人とも、前回のソルトレーク大会では、有力候補と言われ
ながらも金メダルを逃しているんだよね。
東京新聞で読んだんだけど、スルツカヤ選手は、2年前には循環器系の
病気でシーズンを棒に振ったこともあったらしい。
だから「4年間でわたしの人生は変わった。フィギュアだけが人生じゃ
ないって事が分かった」と言い、また「わたしはベストを尽くしたいだ
け。勝とうとか考えないわ。自分に集中するだけ」とも言っているらし
い。

でもね、この二人の演技を見ていて思ったのは、目の輝きというか、
絶対に転びそうにない位に見えた、気迫が画面を通じて伝わってくる
ような気がしたのである。

順位、成績うんぬんより、まず自分のやれること、ベストを尽くすことに集中していたように見える、その集中力がすごかったなあというか。
もちろん、スルツカヤのジャンプの高さや、サーシャコーエンの身体の
柔らかさと表現力も素晴らしいなあ、と思うけど、一番目を魅かれたの
は、彼女たちの集中力と、目力だった。

でも、集中力と目力で言えば、日本の荒川静香、村主章枝も決して
負けていなかった、と思うのだ。

技術的な事は正直言ってわからないけれど、彼女たちの一挙手一投足、
指先に至るまで神経が行き届いているというか、やっぱり気力が充実
していたんじゃないのかな。
それは決して日本の身内びいきというわけでもなく。

で、スルツカヤ、コーエンに限らず、荒川静香、村主章枝にしても、
周囲が騒いでいるほどには、おそらくメダルの色にはこだわっていない
んじゃないだろうか。(サーシャコーエンはこだわっているのかもしれ
ないけれど)
それよりも、自分のベストを尽くした演技を審査員が、そして会場や
TV画面を通じて見ている観客がどう評価してくれるのか、という事に
対して、意識が集中しているというか。

だから少なくとも荒川静香、村主章枝に対しては、周囲の人間が金メダ
ルを期待しています、とかもう金メダルが手に届く位置にいますね、
とかそういうことを言わないで、競技に集中させてあげてほしい、なん
て、今は思ってしまうのだ。
結果はベストを尽くせば、自ずと後からついてくるのだから。

でも、おそらくはスルツカヤ、コーエンを含めて彼女たちに共通するの
は、それまでのオリンピックで惜しくも結果を残せなかった、という
点なのかもしれない。

で、その結果を残せなかった時っていうのは、国を挙げての応援の
プレッシャーとか、もしかしたら金メダルが取れるかも、という様な
下手な色気が出てしまったからなのかもしれないな、なんて思うのだ。
例えば、今回スピード感はあったのに惜しくも転倒してしまった、
イタリアのカロリナ・コストナー選手の様に。

逆に言えば、現在上位にいる4人の選手っていうのは、そういうプレッ
シャーに負けて失敗してしまって、ある意味で地獄を経験してきたの
かもしれないし、その地獄から這い上がって、4年間なり8年間を過ごし
てきたともいえるわけで。
それが冒頭に書いた安定感というか、気力の充実ぶりにつながっていた
んじゃないのかな。

そしてそれはイタリアのコストナー選手や、ミキティこと安藤美姫選手
のように今回初めてオリンピックを経験するものにはない物なのかも
しれない。
逆に言えばだからこそ、4年後のミキティの活躍が楽しみな気もするん
だけど。

女子フィギュア上位4人の選手について言えば、出来れば本当に勝ちと
か意識しないで、自分の演技に集中したパフォーマンスをフリー演技で
見せてほしいな、と思う。
そして出来れば誰が優勝したにせよ、エキジビジョンでは晴れやかな、
プレッシャーから解放された笑顔で演技を見せてほしいなあ、と思う
のである。
(この日記がUPする頃には、全てが終わっているのだが)

個人的には、決して寝過ごすことなく、生で見られますように(祈)。



2006年02月19日(日) ダンスパーティ

土曜日は大学時代の友人の誘いで、鎌倉プリンスホテルまで、ダンス
パーティに行ってきた。
社交ダンスを踊るのなんて、何年ぶりだろう。

パーティでは、現在のラテンダンスチャンピオンのブライアン・ワト
ソン組のデモがあるということで、(それが実は一番の目的で)行って
来たのである。
いやもちろん、友人と久々に会うのも楽しみだったんだけど。

久々にダンスを踊ってみて、思ったほど身体が動かない、という事は
なかったけれど(あきらめも半分はあるけれど)、やっぱり現役の世界
チャンピオンの踊りを見た後では、全然違うなあ、なんて思ってみた
り(当たり前の話なのだが)。

いや、やっぱりね、全身の筋肉の使い方とか、指先に至るまで隅々に
まで気がこもっているかのような、振りだとか、リズムに忠実に動く
身体の割れ方だとか。
いいものを見せてもらったなあ、という感じでございました。

んで、デモを見終わった後のほうが、身体を動かしたくてウズウズ
したりして。
ダンスパーティが終わって東京に帰ってきてから、その足でフィット
ネスクラブで自分の腹筋周りを鍛えてしまっている自分がいたり。

そのおかげで翌日は見事に筋肉痛でしたとさ。


でも、今自分がダンスを踊っていた学生時代の事を考えてみると、
あの頃の自分って、自分で勝手に限界を決め込んで、そしてその壁を
乗り越えることが出来ないことを言い訳にして、あきらめている様な
奴だったなあ、と思うのだ。
だから当然、あまりいい成績も残せなかったし、残せないからこそどこ
か中途半端な感じがする、という悪循環に陥っていたのかもしれない。

でも自分があのクラブにいて、同期とか周りは割と本気になって最終的
にはちゃんと実績を残すんだけど、その差って、今考えると実はほんの
些細な差だったんじゃないのかな、なんて思ってみたり。

多分、それって自分を信じぬく力の差、みたいなものだったんじゃない
のかな、と思うのだ。

自分自身の潜在能力、ポテンシャルというか、やり切った先を大体こん
な感じだろう、なんて想像するのではなく、とりあえず、とにかく身体
を動かしてみる、その結果、自分の思い通りの結果ではなかったとして
も、一歩でも二歩でも、それに近づいている自分が(近い将来に)いると
信じきれる力があるかどうかの差だったんじゃないのかな。

でも多分そういうのって、根拠のない自信というか、思い込み(失礼)
のようなものなのかもしれないと思うのだ。
ま、当人である私の当時の仲間に言わせれば「そんなんじゃないやい」
と言われてしまうのかもしれないけれど。

でもあの当時、自分はそんな風に自分を信じ切ることは出来なかった
けれど、そんな風に見えて自分の夢を実現していったように見える
友人たちがいたことって、今の自分にとっては大きな事なんだなあ、
と思うのである。

そして今の自分はそんな風に、勝手に自分の限界を決め込まないで、
自分自身を信じ切っていけるところまで行ってみよう、なんて思う
のである。

多分、今そう思うのは、オリンピックをやっているからなのかもしれ
ないけれど。



2006年02月18日(土) 舞台「ラブハンドル」

金曜日、舞台を見に行ってきた。見たのは「ラブハンドル」
私にとっては、「ビューティフル・サンデイ」「お父さんの恋」に次ぐ、
脚本中谷まゆみ、演出板垣恭一のコンビによる作品。

出演は富田靖子、原田泰造、石黒賢、長野里美、小須田康人、瀬川亮

以前、中谷まゆみの脚本を「地上5cmのハッピーエンド」と評した演出、
板垣恭一が今回パンフに書いていた言葉はこうだった。
「ラブストーリーなんてやはり他愛ないだけのものなのかもしれませ
ん。しかし今回は特に他愛ないものの持つ隠れたパワーを本気で信
じて作ってみました。お口に合えば幸いです」


物語は、離婚を専門とする原田泰造演じる弁護士と、その彼と10年間
同棲していてる富田靖子演じる秘書。彼女は本当は結婚してもらいたい
んだけど、すでに倦怠期を迎えてしまっていて。

そこにいきなり旦那が仕事を辞めてしまったことに腹を立てている
長野里美演じる、弁護士の姉と、その仕事をいきなり辞めてしまった
ちょっと変人の小須田康人演じる夫。

そしてその弁護士事務所に、ちょっと変わった依頼を持ち込んだ、
石黒賢演じるちょっと弱気な男と、そしていきなりやってきた、
瀬川亮演じる、謎のいわくありげな若者。

その登場人物それぞれの、恋愛模様をコメディタッチにして見せて
くれた劇だった。
いやあ時々ほろりとしながらも、思いっきり笑わせていただきました。

男である自分としては、自分がそれぞれ異なるこの舞台の登場人物の
どのタイプに似ているかなあ、なんて考えてみるのも面白くて。

この作品は、DVDになることが決定していて、もしかするとWOWOWでも
やってくれるかもしれない。
なので、もしも見る機会があったとしたら、見てほしいなあ、と思う。
オススメである。

出演していた役者さんたちについて書けば、今回何よりもよく頑張った
のは、原田泰造だろう。
何回か噛んでしまったのはご愛嬌というか、よくぞこれだけ長いセリフ
を覚えて、しかも主役として場を持たせたな、と思う。

キャラクター的には、おそらくは中谷まゆみが得意とするところの、
ちょっとだらしない男キャラなんだけど、彼が演じることで、ちょっと
その役に純真さ、(いい意味での)子供っぽさといったものが加わって。
彼の役は、実はバツ一で娘がいて、そのため結婚という制度に嫌気が
さしている、という役なんだけど、すれきっていない感じという味を
加えるのに一役買っていると思うし。ちょっと見直しました。

富田靖子は、相変わらずというか、本当に上手いなあ、と思うし、
何よりこのキャラクターを活き活きとやっているのが、楽しそうで。
セーラー服着ているあたりは、なんか「うる星やつら」のしのぶっぽい
感じだったし。って、たとえが古いか。

石黒賢は、気の弱い性格の役、という普段とは違ったキャラクターで、
ま、正直彼でなくてもよかったのかもしれないけれど、でもやっぱり
彼ならではの新たな一面が見られたような気がしたし。

長野里美と小須田康人に関しては、ちょっとしか出ない役だったけど
でもそれでも、山椒は小粒でぴりりと辛い、ではないけれどちゃんと
場をさらっていったのはさすがというか。

というより第三舞台以来のファンとしては、小須田さんの変人キャラ
とおかしなダンスと、長野さんのキレのあるダンスが見られただけで
も幸せーという感じで。
ダンスは富田靖子も上手かったかも。

で、この舞台で一番の掘り出し物?は、瀬川亮だろう。イケメンで
ガタイがよくて、尚かつ声のトーンもよければ、舞台では無敵?で
しょう。
朝の連続テレビ小説「ファイト」のヒロインの恋人役をやってた事
もあるし、今後の活躍ぶりを期待したい、って感じで。
サードステージもいい役者を育てているよね。
という感じなので、多分DVD買っちゃうかもしれない。


さて、余談ながらこの舞台のテーマに絡めるならば、私は今、独身
ではあるんだけど、強烈な結婚願望もないけれど、かといって結婚
なんて面倒くさくて嫌だなあ、という気持ちもない。

周りを見回していても、結婚って、バラ色の生活だとは思わないけれど
でも、逆に言えばだからこそ、他人とお互いに快適に過ごすための
努力はしていたいと思うし、その結果として一人でいるよりは、退屈
しない人生になればいいなあ、位の気持ちであり。

私自身は、運命の相手がどこかにいるはずだ、とか赤い糸の伝説という
物はあまり信じてはいないけれど、でもこの人とは一緒にいたいなあ、
努力したいなあ、と思えるような、そんな相手とだったらいつでも結婚
したいと思ってみたり。

完全に相手に寄りかかっちゃうのでもなく、(もしも相手が寄りかかっ
てきてもそれに耐えうる位の度量は持っているのは前提として)、相手
を完全に依存させちゃうのでもなく、お互いに寄り添うような、そんな
関係が出来ればいいのにな、なんて思うのだけれど。

なんて事を言っているから縁遠いのか、もしかして。

という様な、私の勝手な思い込みは別にして、この舞台は素直に楽しめ
る作品だったと思います。



2006年02月17日(金) KYOTOタワー

さて旅の最終日、若干の予定の変更があり、新幹線が出発するまで
京都で1時間程度の空き時間が出来て。

どうしようかなー、さすがに河原町とか祇園まで行っちゃうと時間が
なくなりそうだし、京都駅付近でマンガ喫茶でも探そうかなあ、と
思ってふと見上げると、そこには京都タワーが。

何回か京都に来たことはあっても、一回も入ったことさえない
京都タワー。

白洲正子が、京都タワーが出来たばっかりの時に、京都タワーの社長
に展望台を案内されて、「どうですか?いい景色でしょう?」と社長
に言われて、
「ええ、この建物が視界に入らないのが一番いい」
と言ったらしい京都タワー。
(もしかしたら記憶違いかもしれない)

今回は初物尽くしだったこともあり、どうせだったら上がってみよう
かな、と思ったのだ。
という事で上がってみた。

その風景がこちら。




ふと見上げるとそこには満月が。できすぎ。

でも、建物自体はなんというか、昭和の香りがプンプンしてて。
展望台に上がるエレベーターのお姉さんの非常に丁寧な案内とか。
乗っているの俺だけだし、なんか気恥ずかしい感じ。

で、気恥ずかしくて、ふとエレベーターのチラシに目をやると、
京都タワーの地下3階にはお風呂があり、展望台に上がった人は
割り引きしてくれるらしい。

じゃあ、ということで旅の疲れを洗い流すつもりで(ついでにネタ
になればいいな、とよこしまな気持ちもありつつ)行ってみる事に。
ちなみに割り引き後の値段は600円。これに確かバスタオル代が
30円くらいだったような。

えーと、さすがにお風呂の中の映像は公序良俗に反すると思います
ので、撮りませんでしたが、中には大きなお風呂が一つと、洗い場が
あり。
って、昭和の銭湯じゃん。
銭湯に600円は高くない?とも思うのだが、そこはネタ作り。

久々に見た、冷水とお湯のレバーを別々に押してちょうどいいお湯を
作って(この加減が難しいんだよね)身体を洗い流した後で、湯船に
つかると、これがまた、無茶苦茶熱いお湯で。
その辺も昭和の香りがするというか。

これ、水でうめたら多分オヤジに怒られそうな位に熱くて。
こういう湯船にも本当に久々に浸かったなあ、という感じ。
どうせだったら、富士山の絵でも書いてあればいいのに。
ついでに出たところにコーヒー牛乳があれば最高なのに。

銭湯の受付?の前には、ゲームコーナーがあるんだけど、ここにある
アーケードゲームも微妙に古くて。
バーチャレーシングとか、リッジレーサーとか、10年以上前の大型筐体
が並んでおり。
ちょっと懐かしかったので、100円入れて、風呂上りにやってみること
に。

で、あえなくクリアーできなくて、1回やって席を離れた途端、ゲーム
コーナーの電源がオフになり。って閉店なのかよ。まだ終了時間までに
1時間くらいあるのに。

という感じで、どこか懐かしい感じのする京都タワーですが、その
不思議な癒しパワーのおかげで、旅の疲れも取れた初体験でした。



2006年02月16日(木) 法隆寺・薬師寺めぐり



ということで2日目の午後は、法隆寺に行ってきた。
実は、法隆寺に行くのは、これが初めてで。

じゃ、なんで今回法隆寺に行ってみたいと思ったかといえば、
これまた、やっぱり「ほぼ日刊イトイ新聞」と1冊の本の影響である。
我ながら、すごく感化されやすいというか。

その本の名前が、「木のいのち 木のこころ」
斑鳩の地に住み、法隆寺をはじめとする寺社の修復を手がけてきた
宮大工の三代にわたる聞き書きの本である。

いつもなら、ここで色々と引用したいところなのだが、この本、内容が
濃いのでどこを切り取ればいいのかわからないくらいで。
ここでその内容の一部をかいつまんで書かせていただくとすれば、

法隆寺の建築物は、1300年前の世界最古の木造建築であるけれど、
これらの建物が今も現存しているのにはちゃんと理由があるという。

その理由の一つは、当時の宮大工が、きちんとお寺の伽藍を造る場所の
地相を見たこと(その結果、堅固な地盤の上に立っているので、多少の
地震では崩れなかった)

もう一つは、その建物の素材に、当時で樹齢2千年ものヒノキの木を
使用したこと。ヒノキは加工もしやすく、また1300年以上経った今で
も、法隆寺の木材にかんなをかければヒノキの匂いが漂ってくると
いう。すなわちまだ生きているのだ。

仏教建築は、中国から技術を移入したといわれているが、当時でも中国
の建築は石やレンガを併用しており、また日本のヒノキのような木材も
大陸にはなかったため、ヒノキを加工して、日本の気候に合わせてあの
形に塔をつくるというのは、当時の日本の宮大工たちの知恵と経験に
よるものであるらしい。

そして、法隆寺や薬師寺が建てられた頃には日本にも、樹齢2千年の
ヒノキの林が存在していたが、現代の日本には樹齢500年位のヒノキの
林しか存在してはいないらしい。だから後ほど触れるが、約25年前に
修復された薬師寺の木材は、台湾に現存していた、樹齢2000年のヒノキ
の林から伐採して加工を施したということである。

で、その樹齢2000年のヒノキも、きちんと乾燥させて、木の性質に合わ
せた場所に用いる、という適材適所に用いることによって活きるのだ、
とこの本は語ってくれるのだ。

その他、詳しい内容については「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトに詳しい
ので、興味のある方はどうぞ>>こちらから


でもそうまで言われたら、やっぱり1300年前のヒノキの感触と、当時の
宮大工たちの知恵の結集した建物を見に行きたいと思ったのである。
ということで、一路法隆寺へ。

ということで写真がこちら。


いやでもね、百聞は一見にしかず、というか、山門を抜けて中門と
金堂と五重塔が並んで立っているのを見たら、ただその美しさに感動
するだけで。

この法隆寺が出来た頃っていうのは、仏教が当時の最先端をゆく学問
だった訳だけど、多分当時の人も山門をくぐって、この伽藍を見ただけ
で、なんか仏教って素晴らしいものかも、と思ったんじゃないのかな。
なんて事を思わせるくらい、こじんまりとはしているけれど、清々しさ
を感じさせるつくりになっていて。

五重塔、金堂にしても余計な情報は全くなくても、まっすぐに立って
いる姿を見るだけでも美しい、と思えるのだ。

また、五重塔の立っている西院から、夢殿のある東院まで移動して
いる時にも気がついたことだけど、この法隆寺の中も、伊勢神宮の
内宮と同様に、周りに一切近代以降の建築物が見えないようになって
いて。

だから回廊?の築地塀の感じと相まって、まるで自分が1300年前に
タイムスリップしたような気にさせてくれるのである。
おそらくは当時の都大路もこんな感じだったのかもしれないし、また
もしかすると聖徳太子もこの道を通ったのかもしれないわけだし。

という感じで法隆寺を後にして、今度は薬師寺へ。

薬師寺は、先ほどの「木のいのち 木のこころ」の著者である宮大工、
西岡常一さんと小川三夫さんによって、当時は東塔しか現存していな
かったのを、薬師寺の管主の努力もあり、建立当時の技法によって
金堂、西塔などを再建することに成功したお寺なのだ。

だから薬師寺の白鳳伽藍と呼ばれる場所(現在も一部は修復中)は、
1300年前に建てられた東の三重塔と、現代に蘇った西の三重塔を見比
べることが出来るのである。

ということで写真がこちら


東塔


西塔
西塔は光線の関係に見づらいかもしれないけれど、朱塗りの柱によって
彩られており。
他の伽藍もそうなんだけど、当時の人たちにとって、仏教建築って
こういうやっぱり大陸的というか、こういう朱塗りで「きらきらし」と
言われた感じだったんだろうなあ、と思ったのである。

また薬師寺では、小学校の教科書にも載っているらしい、薬師寺の釘の
が面白かった。
曰く、昔の釘の方が、鉄の成分も多く、また太くて表面も滑らかでは
なかったので、木に打ち込んだ時にしっかりと食い込み、また長年
保つのだそうだ。
現代の洋釘では、やはり木造建築はそんなに長くは持たないらしい。

さて、薬師寺では、実は一つのサプライズがあり。
境内の中で、フランス人と思われるTVクルーが、薬師寺の撮影をして
いたんだけど、その中で解説していたのが、おそらくは先ほどの本の
執筆者である、小川三夫さんで。

こんなところで会えるとは、と思い、せめてご挨拶くらい、とも思った
んだけど、向こうは仕事中だし、ちょっと他のところを見ておこう、と
思った時にはTVクルー共々跡形もなく消えていて。

後の後悔先に立たず、とはこのことである。
せっかく会えるとは思えない人に会えたんだから、声ぐらいかければ
良かったなあ、なんて思ったのだった。

薬師寺のそばには、現在金堂を修復中の唐招提寺もあるので、そちらの
修復が終わった後にでもまた来てみたいと思います。
そんな感じで想定外のことも起こりながら、とても充実した奈良路で
した。

次回は番外編?ということで続く。



2006年02月15日(水) 京都サイクリングの旅

という訳で2日目の午前中、京都の町をサイクリングしてきた。
京都市内を観光しようと思う場合、一つのボトルネックになるのは、
バスの場合、路線から外れた場所に行きづらい、ということかも
しれない。

でも自転車を使えば、バスもしくは徒歩なら結構時間のかかる場所に
あっという間に到達できる。
というのを、三谷幸喜のエッセイ本「大河な日日」で読んで、京都市内
観光をするならレンタサイクルだ、と思っていたのである。
ただ一つ、誤算があるとすれば、それが底冷えのする京都の冬だった、
ということである。

ちなみに今回利用させてもらったレンタサイクル屋さんは>>ここ
ホテルまで自転車を運んでもらえて、しかも乗り捨てOKなのが便利
でした。

で、寒い京都の冬対策ということで、イマイチ似あわないニット帽を
かぶり、手袋マフラー(タイツ)で完璧、だったんだけど、当日は
日当たりが結構よかったので思いのほか暖かくて。
結局、手袋はしたものの、似合わないニット帽はせずに風を切って
走り回ることができました。

ということで、行った先を書いておくと、
京都市役所前(三条河原町)を出発して四条の錦市場→そこから鴨川の
川ッぺりを上っていって(これが気持ちよかった)、下賀茂神社→
京都御所前→安部晴明神社→二条城→壬生寺→八木邸(新選組屯所跡)
→島原(角屋)→西本願寺→東寺→京都駅
という感じ。

これがどんな感じかといえば、京都の東から西へ、北の一条通りから
南の九条通りまで斜めに移動した、という感じ。
最初は東寺までは行く気はなかったんだけど、こうなったら九条通り
まで行ってまえ、という感じで。

今までの京都市内観光って、東山の方とか、金閣寺とか、嵐山に行った
事はあっても、京都市内の名所ってあまり行ったことがなかったので、
この機会に大体回れてそれだけでも満足、みたいな。

でも京都って、自転車の移動に適していると思うんだよね。
京都に住んでいる友人も言っていたけれど、町自体がそんなに大きく
ないし、また道も平坦だし、碁盤の目になっているから、場所に慣れ
ない人にとってもわかりやすいし。

途中道に迷いそうになった場合でも、とりあえずどっちかの方向に
行けば、必ず大通りに出るし。
人に聞けば皆親切に教えてくれたし。

また、その大通りはきちんと歩道に自転車が通れる位の十分な幅が
あるし。
自分が自転車で走ってみてはじめて、京都ってこんなに自転車で走って
いる人が多いんだって気がついたし。

途中、細い道では、車に追いかけられたりもしたけれど(壬生寺の前
とか)、でも自転車で適当に走っていると、普通の観光スポットでは
ない、町の人の暮らしているあたりにまぎれこめたりもするし。

何よりチャリで走っている事に飽きないのである。
おかげで3時間以上の大半を、自転車とともに過ごさせていただき
ました。
東京でもこれだけの長い時間、自転車には乗らないし。
そのため最後の方はちょっとサドルの上のお尻が痛かったけど。

島原のあたりとかは、昔の京都の町家の雰囲気(格子戸)のある家が
沢山あったり、また三条と四条の間の細い道には、いわゆるレトロ
ビルといわれる、趣きのある建物があったりと、場所によって雰囲気
が随分違っていたりするのも面白かったし。

ということで、その時に撮った携帯写真を何枚か



京都御所前(自転車が通っているのが、砂利に出来た「自転車道」。
確かにこの上を走ると楽でした)


二条城


西本願寺


東寺

なんかこれらの写真を並べてみて、何かに似ているなあ、と思ったら
サザエさんのオープニングみたいかも。

でも京都って、一人旅するのにはちょうどいい場所なのかもしれない、
と今回行ってみて改めて思いました。
また今度来るときにも、出来れば自転車で走ってみたいと思います。
今度はもう少し遠出してみたりとか。

ということで自転車を無事乗り捨てた後、やっぱりさすがに冷えた
身体を温めるためにお昼はラーメンにすることに。

最初の予定では、京都駅付近にあるという「第一旭」にしようと思った
んだけど、結局場所がわからず、友人に教えてもらった、京都駅ビルの
10階にある、ラーメン街に行くことに。

そこで食べたのが、札幌のみそラーメンで有名な「すみれ」の、
みそらーめん(小)。


身体も温まったし、とてもおいしかったっす。


ということで午後は法隆寺に向かうのであった。続く。



2006年02月14日(火) ひとり旅伊勢・京都・奈良編その1

という訳で、1泊2日の旅行から帰ってきました。
今回行ってきたのは、伊勢神宮、京都、奈良。

うちは元々、毎年伊勢神宮にお参りして、昨年のお守りをお返して
またお守りを購入するという習慣があり、ここ2、3年は自分が伊勢
神宮にお参りをしていて。

昨年、伊勢にお参りに行った時に近鉄線を利用していて、あ〜でも
近鉄に乗れば、京都、奈良にも行けるんだよなあ、と思ったのが
今回の旅のきっかけである。
伊勢まで来るついでに足を伸ばして、奈良、京都にも行けるんじゃ
ない?と思ったわけですね。

奈良の法隆寺には一回も行った事がないので、一度行ってみたいと
思っていたし、また京都には最近京都に引っ越して以来、会ってない
友人がおり。

京都にもまだ行ったことのない場所が数多くあるし、せっかく京都に
行ったら食べたいものもあるし。
ということで、着々と旅の計画を練っていたのである。

当初の予定では、朝東京を出て、伊勢神宮にお参りした後、近鉄に
乗って法隆寺に立ち寄って、京都に行って友人に会えればいいかな、
と思っていたら、さすがにそれは無理だと言うことがわかり。
(法隆寺の最寄り駅の法隆寺駅はJR線で、連絡が悪いみたいなので)

ならば、ということで1泊旅行に変更した訳ですね。


ということで朝早く、まだ日も明けきらぬ頃に家を出て、(といっても
6時くらいだけど)新幹線に乗り、名古屋から近鉄線で伊勢市駅へ。

そこから外宮、内宮とお参りしてきたんだけど、今回は今まで以上に
混雑していて、お宮に続く階段なんて人が混雑してて全く動かなかった
り。連休がらみだったからなのかな。

お参りした後で、内宮のすぐそばにある赤福の本店でお土産と、
お汁粉と、アサリの貝焼を注文。
寒い中、身体があったまるって感じ。

その後、近鉄に乗り、一路京都へ。
途中では、雪がちらついたり、木々が雪化粧をしている景色を眺め
ながら、奈良盆地から京都に到着。

京都では友人に連絡をした後、祇園の鍵善良房へ。
京都に来たらやっぱりここのくずきりが食べたくなるのだ。
普通のくずきりと違い、きしめん状のくずきりを黒みつにつけて
食べるのがここのスタイルで。



やっぱりおいしかったっす。

その後、友人夫婦と久々に再会し、町家を改造した?居酒屋と、あぶり
醤油ラーメンに連れて行ってもらう。
両方とも、とても美味しかったっす。
旅行者じゃ、なかなかそういう場所にはめぐり合えないし。

友人夫婦は、以前中国に行っていた人たちなんだけど、久々に会えて
変わらず仲も良さそうで、元気でよかったという感じで。
いや、本当に久々に会えて良かったっす。

という感じで1日目の夜は更けるのであった。
ちなみにこの日、朝4時に起きていた私が、ホテルに帰って風呂に
入った後、すぐに寝てしまったのは言うまでもなく。

ということで2日目に続く。



2006年02月12日(日) トリノオリンピック

トリノオリンピックが始まった。
今日はこれから1泊2日の旅行に行く関係で、
モーグルの予選を見た後に寝て、ちょうど判を押したようにモーグル
の決勝の里谷多英選手に合わせて起きて決勝を見た。

里谷選手、上村選手は残念ながらメダルは取れなかった、という事で。
うん、でも個人的には、たとえメダルを取れなくてもよく頑張った、
って感じでいいんじゃないかな、と思うのである。
メダルが取れなくて悔しいのは本人が一番悔しいんだろうし。

少なくとも、8年前の長野オリンピックの時以来、モーグルという
種目があって、それがどういう種目で、何が得点の基準になるのか、
ということを教えてもらえたのは、里谷選手、上村選手の活躍が
あったからだと思うし。

今回、モーグル競技を見るときにも、その昔覚えたそういう基準の
ようなものを段々と思い出してきて、あ〜、そうだったそうだった
エアーの高さだけや、スピードだけじゃ足りなくて、コブを滑る時の
姿勢のよさとか、総合点で判断するんだっけ、とか思いながら、
親近感?を持って見ることができたし。

上村、里谷選手にはモーグル競技の面白さを教えてくれてありがとう、
とできれば伝えたいと思うのだ。

また、ちょっといいなあ、と思ったのは、競技選手同士が、競技が
終わった後、後続の選手の試技をみながら、少し緊張しながら、
それでも少しリラックスして談笑しているシーンだった。

長い競技生活の中で、お互いがどれだけの力を持っているのかは
わかっているんだろうし、その中で昨日の強敵は今日の友、では
ないけれど、そういうのが垣間見えるとちょっといいな、と思うので
ある。

今はアイスダンスのショートプログラムを見ているんだけど、
でもやっぱり、この大会にピークを合わせて華麗なパフォーマンスを
繰り広げている選手達の姿は、国境を越えてどの国の選手の姿も
美しい、と思ったりするのだ。
やっぱり、なんか晴れ舞台なんだなあ、という感じで。

メダルが取れたかどうかは、私のような素人にはわからない、ほんの
ちょっとの差なんだろうし、日本がメダルを取れたかどうかに躍起に
なるのではなく、素直に普段なかなか見られない競技の世界に、
ちょっとだけ触れられるのも、オリンピックの面白さのような気が
するんだよね。

そんな感じで(可能な限り)ライブで見られたらそれだけで幸せ、と
いう感じかもしれない。

という事で旅行に行ってきます。



2006年02月11日(土) 藤田元司監督死去/今週のR25

元巨人軍監督の、藤田元司氏がお亡くなりになった。
私は、個々の選手で好きな人はいても、どちらかといえばアンチ巨人
だし、藤田監督時代の巨人に特別の思い入れもないんだけど、
「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里の口から語られる、藤田監督の
エピソード
が結構好きで。

3年前の「智慧の実を食べよう」というほぼ日主催のイベントで藤田監督
を拝見したりもしていたので、やっぱりちょっと知っている人が亡く
なった、という感じがして。

昨年の手帳に確か藤田監督がその「智慧の実を食べよう」で喋っていた
ことを書き写していたなあ、と思って見返してみたら、次のような
言葉を引用していた。


やっぱり一つのことを一生懸命集中してできたっていうとき、人って
変われるんじゃないかと思うんですね。だから子供たちにも「何でも
いいから一つ見つけろよ。それを徹底的にやってみろよ。そうすれば
そこに何かあるよ。たとえ何も見つからなくても、やっただけいいじゃ
ないか」というようなことをよく話すんです。自分にとっては野球と
いうものがあったもんですから



なんでこの言葉を手帳に書きとめようと思ったのかは、今はもう定か
ではないんだけど、多分去年この本を読んだ時には、この言葉がグッと
響いて書き留めたんだろうなあ、と思う。

このエピソードは藤田監督が、野球で出会う前までは、手のつけられ
ない不良で、ケンカに明け暮れていたのが、野球をやって人に誉めら
れた事でガラッと変わった、という話である。

ついでながら藤田監督はこう語る。


しかし、やることをやり抜かないと強さというのは出てこないし、
優しさも出てこないんじゃないかと思うんです。

物事を徹底的にやり抜いた人というのは、ものすごく優しいですね。
王貞治君にしても、長嶋茂雄君にしても。裏側はあんまり見えません
けど、遠征先の合宿で一緒に寝起きしたりなんかしてじっと見てます
と、すごい優しいんです。そのかわり、グラウンドへ入ると鬼みたい
な顔になるんですね。



その王貞治監督は、新聞上でこうコメントを寄せている。
「一生を野球にささげた人生でご本人に悔いはなかったでしょう」と。

個人的には、人口透析を受けている人の苦労も知っているので、今は
安らかにお眠り下さい、という気持ちである。
藤田監督のお冥福をお祈りいたします。


話は変わって、今週配布されているR25誌のロングインタビューに
古田プレイングマネージャーが登場している。>>リンクはこちら

この中で興味深かったのは、パッと見は順風満帆に見える彼のプロ
野球人生、そうでもなかったようで。
ヤクルト入団当時、野村監督の著書を片っ端から読んで、監督の需要を
取り入れた、だとか。

でも、確かに古田選手といえば、眼鏡をかけているからという理由だけ
で、最初のドラフトは候補になったのに指名されなかったりとか、もし
くはキャッチャーミットの構え方が従来とは違うから、と難癖をつけら
れたりしながら、適応してきたらしいし。(今では古田スタイルのミッ
トの構え方をする少年野球の選手も多いらしい)

だからなのかもしれないけれど、監督としての選手の指導方針は、
基本的に放任主義であるらしい。
以下、引用させていただくと、

「指示待ちの姿勢になると、表現やパフォーマンスはできないと思う。
自分の意志がないと、正しいと思うことを自信を持ってやれない。
結果は同じかもしれないけれど、自分で選択したという過程には大きな
意味がある。その意志を育てたいんです。
管理の中からは生まれません。

こちらの要求は、ひとつ。"何月何日にゲームがあるので、それまでに
仕上げてきてください"。そのためには調整が必要ですよね。これ、
プロの世界に残っている人はきちんとできてるんです。その辺は早め
にわかってほしいと思ってる。間違った方向に進んでいる人には注意
しますけど、自分で考える時間は与えてあげたいなと」


この前紹介した、中田英寿、平尾誠二の考え方とも共通すると思う
けど、古田監督の一番の強みは何か、といえば今まで生え抜きの選手
で、一緒にチームメイトと戦ってきた、ということなのかもしれない。
だからこそ、チームに対する信頼力みたいなものは強いだろうし。


R25誌からは、もう一つだけ、引用させていただくと、
最終ページ、作家石田衣良のエッセイ「空は、今日も、青いか?」から
気になった箇所を。
石田衣良が出会った、本好きなハイヤーの運転手との会話。


「それでね、わたし、つくづく思ったんですけど、本は安いですね。
今、映画1本って1800円でしょう。文庫本なんて、せいぜい500円です
からね。それで、あれだけたのしませてくれる。それに、わたしらは、
客商売じゃありませんか」

 はいはいといい気分で、上得意にうなずくぼく。

「やはりお話ができるというのが、大切なんです。クレームがくるのが
一番困るんで。それを防ぐためには、あらかじめ会話で気もちを通して
おくのが大切なんです。これは本を読んでる運転手と読まない運転手
では、はっきり差がつきます」

 なるほど、それはよくわかる。作中の人物の気もちになって、はら
はらどきどき、泣いたり笑ったりの物語の世界をともに生きるのだ。
感情移入の力と肝心の言葉の力が磨かれないはずがないのだった。


これまた、手前味噌ながら自分がちょっと前に書いた話とも共通する
かなあ、と。
でも、確かに本を読んでいる人間の方が、感情移入と言葉の力は磨かれ
ると私も思うのだが(客商売だし)、でも、感情移入の力、という意味で
は、マンガの影響力も大きいかなあ、と思うのだ。

マンガの場合、それこそいろんな物語に入り込む力といったものが
磨かれると思うし、読むのも簡単だし。
ということでマンガを読む人の事をちょっとフォローしてみたり。

今の私は、実はあまりマンガは読んでいない。昔は、週刊で発売されて
いる主要マンガ誌全部をフォローしているくらいだったので、私が活字
中毒になるきっかけは、マンガにあると思うし。

ただ最近は、マンガの単行本をまとめてドンと大人買いする資金力が
あれば一体何冊のハードカバーが買えてスペースが助かるだろう、など
というケチな奴に成り下がってしまったので、マンガを読む機会が
減っているのである。

でもたまにマンガ喫茶に行って、ちょっと話題になっているマンガが
あれば手にとって読んでみるし、「ハチミツとクローバー」とか「鋼の
錬金術師」とかは結局買っちゃっているし。

ついでながらオススメのマンガなどがあった場合には、貸していただく
分には何でも読みますので、もしも読ませたいマンガなどがあった場合
には、貸して頂けると幸いでございます。



2006年02月10日(金) ネット上のプライバシーと編集能力

今回も前回に引き続き、内田樹先生のブログ「プライバシーって何で
しょう?」
からネタを借用させていただく。
これを読んで、確かに長年ネット上で文章を書いていると、「書ける事
と書けない事」ってできてくると思うし、私の場合も「書けないこと」
って、自分では責任がとれないこと、書いたら周囲に差しさわりが
起きそうだな、と思われることが多い。

その上で私なりに「ネット上のプライバシー」の問題について考えてみた
いと思う。
「ネット上のプライバシー」の問題として真っ先に思い浮かぶのは、
「ネットストーカー」だろう。
本当かどうかは知らないけれど、ネット上のブログやコメントなどに
書かれた、わずかな情報を頼りにして、この人はここに住んでいるに
違いない、などと場所を探り当てられてしまうトラブルがあるらしい。

具体的にどこに住んでいる、なんて書かなくても近くのお店の話とか、
○○のコンビニに行った、などの情報でさえ、突き止められる人が
いるそうである、なんて事を聞くと、つくづく私がナイスバディの
ぷりぷりぷりてぃな女の子でなくてよかった、なんて思うのだが。

そんな可能性のあるなしに関わらず、私はこの日記/ブログを、Harry
という匿名で書いている。
ただし、このアドレスを私は知り合いに教えているので、ウチダ先生の
分類で言えば「半匿名」に近いのかもしれない。
元々リアルな知り合いではなくても、オフ会などで知り合った友達も
いるし。

ただ、私はこの日記/ブログを知り合いが読んでいるかどうかに関係
なく、あまり私のプライバシーに関する情報は載せていないし、また
知り合いだけに通用する「内輪ネタ」というものもあまり書かない。
というか、書けない。

私の知り合いの誰がこのブログを読んでいるのかは知らないが、だから
私のリアルな知り合いにとってこのブログは、ちっとも面白い内容では
ないかもしれないし、また私を良く知る人にしてみたら、格好つけやが
って、なんて思われているかもしれない。

私が実名ではなく、HNを使っているのは、私がただの一般人で、実名
だろうが、偽名だろうが、名前なんていうのは第三者にとってはただの
記号だろうと思うからだし、また私が私のプライバシーを書かないの
は、それが人にとって面白くもなんともないだろうと思うからである。
ま、じゃあ今の内容がはたして「面白おかしい」かどうかは別として。

でも、もしも私が「身内にしかわからないネタ」をネット上で知り合い
に伝えようと思うのであれば、おそらくはMixiなどのソーシャルネット
ワークサービスで、完全クローズドで行なうだろうと思う。

私がMixiには参加していてもそれを行なわず、こうしてネット上で
くだらない事をつらつらと書いているのは、それが第三者に読まれる
可能性というものを残しておきたいと思うからなのかもしれない。
ウチダ先生が書くところの「沈黙交易」ではないけれども、完全クローズ
ドでは、やっぱりつまらない訳で。


そうは言っても、もしもこの日記を読んでいる全く見ず知らずの人が
いれば、私が男か女か、また年齢は大体いくつくらいで、既婚か独身
か、東京のどの辺に住んでいるか、位は(知りたくなくても)知っている
かもしれない。

逆にいえば、私にしてみればそのあたりの話は別に知られてもいい話
な訳ですね。
で、じゃあそれ位しか個人情報を明かしていないからって、匿名の強み
で何でも書けるか、というとそうでもなく。

それは自分が誰か特定されてしまう恐怖のため、というよりは、将来
自分の知り合いが、アーカイブに入っている内容を含めて読んでしまう
可能性というものを考えた時に、書く事が制限されるかなあ、と思う
のである。

で、そういう「王様の耳はロバの耳」みたいな話は、それこそクローズド
な環境で書き込むか、もしくは日記や手帳か、それこそチラシの裏にで
も書くべきもののような気がするのである。

もう数年前になるけれど、長崎で女子小学生による殺人事件が起きて
しまったのだって、ネット上に書き込まれた、身近な人に対する悪感情
が原因だったと思うし。

また、いくら匿名だからといって、私が例えば年収何千万だとか、そう
いう嘘を書き続けるのは、しんどいことな訳で。
短期間人をだますことはできたとしても、長期間にわたって人をだまし
続けるのって、結構大変なことだと思うし。


で、それらのネット上のプライバシーの問題を踏まえた上で、ネット上
で文章を書き続けるための秘訣というか、コツみたいなものがあると
すれば、どこまで書いていいのか、というその書き手の「編集能力」が
問われるんじゃないのかな、と思うのだ。

多分、長年書き続けられる人って言うのは、その人なりの「編集能力」
があると思うし、また書き続けることで編集能力が磨かれるような気が
するのである。

それは私の編集能力が高い、といいたいのではなく、人気のあるサイ
トほど、そのプライバシーとアウトプットのバランス能力が高い気が
するのだ。

それが元々備わっているのか、それとも鍛え上げられたのかはわからな
いけれど、この電脳世界で(どんなものであれ)人に読まれるものを書き
続けるということは、情報の取捨選択を含めて、そういう編集能力が
なければ続かないのかも、しれない。

なんて事を思ったきっかけは、おそらくはこの対談を読んだからなのかもしれないが。(長いので興味のある方はどうぞ)



2006年02月09日(木) 日本語を「学ぶ」必要性

内田樹センセイのブログで、「まず日本語を」というエントリーが
あった。
そこでウチダ先生は、かいつまんで書けば次のように言っていると
思う。


「小学校、中学校の初等・中等教育では、英語のリスニングに時間を
割くよりも、もっと日本語教育に時間を割いてほしい」と。


私は、現在こうしてWeb上で文章を(勝手に)書き、また英語の勉強を
(勝手に)している立場でウチダ先生の意見に賛成である。

それは、私が中高大学と10年以上英語を勉強をしたのにちっとも話せ
ないから「その頃もっと英語学習の時間が多かったらなあ」なんて思う
からではない。
むしろその逆である。

今改めて英語を勉強していて痛感するのは、「多少学校の授業で英語の
時間が増えたからって、多分英語が話せるようには決してならないだろ
うな」と思うからである。

そして、そんな時間があるのなら、少なくとも初等教育では「読み書き
(そろばん)」に力を注いだ方がいいような気がする。
なぜなら「読み書き(そろばん)」は、学校教育でやらされなければ、日常
生活でやることはないだろうな、と思うからである。


まず、英語教育について。
今現在、私が英語の勉強で悪戦苦闘していて思うのは、英語がベラベラ
と話せるようになるためには、学校で週数時間しかない授業時間の間だ
け、英語漬けの日々を過ごしたからって、結局話せるようにはならない
と思う。
なぜなら、その約10年間の授業時間で、英語を読んだり聞いたりする
機会が圧倒的に少ないと思うから。

私たちは、中学教育の間だけで日常会話に必要な分の英単語は覚えさせ
られる、と言われる。
それなのにちっとも私たちが話せないのは、その単語が使われる文章の
バリエーションが圧倒的に少ないからだし、それだけの文章を読む機会
に乏しいからだと思う。

もちろん、私はそういう学校教育で英語の授業が全く必要ない、なんて
いう気はさらさらない。
ただ、私たちが学んできた英語の授業と、この先リスニング重視の英語
教育を受けてきたものの間で、英語獲得能力に(時間を割いた分だけ)
有意な差が現れるとは考えにくい気がするのだ。

私がそう考えるもう一つの理由は、必要性である。
すなわち、小学校、中学校、高校と英語を勉強する目的って、日常で何
不自由なく英語が使えるようになるためというよりは、受験に通るため
という目的の方が強い気がする。
だって、少なくとも今の時代は、日本に住んでいる限りにおいては、
英語を話す必要なんて全くないわけだし。

でもおそらくは中学、高校でどんなに英語が苦手だった人だって、たと
えばそれが仕事上どうしても必要な能力であるとか、留学しなければ
ならない、という事態になった時には、勉強に対するモチベーションは
自ずと高まるだろうと思う。
そういう人の過ごした1年間は、ただのんべんだらりと英語を勉強して
きた人の10年間を簡単に凌駕すると思う。
それは自分をみればよくわかる。

じゃあ、そういうモチベーションを学校の英語教育で与えればいいので
はないかという意見も、もしかするとあるかもしれないが、おそらくは
多くの人がそうであったように、いくら周りからたきつけられても、
およそ勉強というものは、本人がやる気にならなければ身につかない
ものなのだ。ロバを泉に連れていっても、無理に水を飲ませることは
できないように。


また、日本語教育についていうならば、「日本人でいる限り日本語を
勉強する必要なんてない」という意見もあるかもしれないけれど、
個人的にはそんな事はないだろう、と思う。

確かに私たちは日本に暮らし、日常的に日本語を話している以上、
特別に日本語を勉強なんかしなくたって、日本語に不自由することは
あまりない。

でも、それは日本にいて、日本語ペラペラな外国人と比べてみると、
私たちが日本語教育の恩恵を受けていることがよくわかるのである。
それでは、日本語ペラペラな外国人と、私たち日本人の一番の違いは
どこに現れるのだろうか。

それは「漢字」の読み書き能力である。
もちろん外国から来た方でも、漢字の読み書き能力が一般的な日本人
よりも高い人間は沢山いると思う。
でも、一般的に日常的に日本語会話に苦労していない人でも、漢字の
読み書きは苦手とする人が(少なくとも私が接してきた中では)多い様
な気がする。
外国人が漢字の読み書きが出来るようになるための苦労は、おそらく
私たちがアルファベットの羅列による英単語を覚える何倍もの苦労を
要すると思うし。

私には、昭和20年に日本で生まれた、れっきとした日本人のおじさんが
いるのだが、この人は当時としては珍しく、インターナショナルスクー
ルに通い、日本の学校教育を一切経験しなかったために、今でも漢字は
苦手らしい。英語のほうは完璧なクイーンズイングリッシュを話し、
日常の日本語の会話には何の苦労もないのに、である。

逆にいえば私たちが今現在、何不自由なく漢字の読み書きが出来るのは
学校教育の漢字ドリルなどで、繰り返し繰り返し、イヤというほど漢字
の書き取りをさせられたからであるといえるのだ。
で、じゃあ学校教育なしにそんなしち面倒くさいするかといえば多分
しないだろうと思うのである。

じゃ、まあそこまでは百歩譲るとしても、だからといって学校で「声に
出して読みたい日本語」のような、名文を勉強する必要はないんじゃな
いか、という意見もあるかもしれない。
まあ、その辺に関しては、私にも確たる自信があるわけではない。

でもね、例えば今こうやってWeb上で私が何とか文章を打てているのっ
て、日本語教育というか、自分が今まで読んできた本によるものが大き
いよなあ、と思うのである。

例えば、あなたが10代や20代の頃を思い返してみてほしい。
日常会話には何の不自由がなかったとしても、例えば他人に自分の気持
ちを伝えようと文章を書いたとき、自分の本当に言いたいことが、なか
なか文章にならないもどかしさを感じたことはないだろうか。

私がこうやって(メール・チャットも含めて)Web上で文章を書くように
なって7年近く経っている。
そしてその初期の頃、私が思ったのは「自分の語彙が少ない」である。
で、今現在はあまりそのように感じないのは、もちろんWeb上で文章を
書くことになれたというのもあるけれど、その頃と今とでは、読書に
よって蓄積した量が圧倒的に違うこともあると思う。

すなわち、この文章の始めのほうで英語について書いたことと同様に
日本語に関しても、表現できるかどうかは、その人の「読書した量と
内容」によると私も思うのだ。

現代の日本の若者は、「活字離れ」だと、私が小さい頃からずっと言われ
ていたけれど、ウチダ先生も、そして養老孟司も指摘している様に、
日本人ほど活字に接している人間も珍しいのかもしれない。
それは「マンガ」である。

また、今ではメール文化も、「活字文化」と言えるかもしれない。
そんな風に今も私たちは意識せずとも沢山の活字には接してはいるが、
例えばマンガしか読まない人は、語彙のバリエーションがマンガ由来
だけだったりする訳で。

ただし、それはマンガしか読まない事を非難したい訳ではない。
むしろ、例えば宮台真司ばっかりを読んでいる人の文体は、自ずと
宮台真司のような物の言い方になると思う。

そしてそれは私も例外ではない。
高校の頃の私の文体は、当時新井素子にハマっていたので、男のクセに
「えっと、」とか平気で書いていたし。今考える気持ち悪いけど。
大学時代には鴻上尚史に傾倒していたので、「そんな訳で」を多用して
いた。この癖は多分今でもある。

そして今現在の私の文体は、内田樹をはじめとして、糸井重里、橋本治
養老孟司他多数の人の影響下にあるだろうと思うのだ。

そんな風に私たちが何かを日本語で表現しようと思ったとき、普段の
友達との話し言葉にせよ、偉大なる?先人たちにせよ、その影響から
全く離れて自分独自の表現を行う事は難しいわけで。

それにどんなに日常会話のメールで例えば、
私ゎ
とか、
行くぉ

とか書いている人だって、就職してレポートを書かなければならない
場合には、それに即したモードの使い分けをしなければならない訳で。
そのためには普段からビジネス風の文章を数多く読んでいなければ、
それが自然と自分の内側から出てきたようには、表現はできないと
思うのである。

であるならば、学校教育で日本語の名文に接する事だってあながち無駄
とはいえない気がするのだ。
だってそうでもしなきゃ、日本語の名文なんて、なかなか読む機会は
ないだろうし。


ウチダ先生はこう書いている。

この文章の中で私がいちばん重要だと思うのは、「創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される」というところである。


こういう境地って言うのは、それが日本語であるせよ、英会話である
にせよ、膨大な数の語彙やフレーズが脳の記憶領域にストックされて
いて、それが思いもかけない時に思いがけないタイミングでつながっ
て現れるからこそ、起きるのだろう。

ウチダ先生の境地には程遠いけど、私も人に話しているうちに、
自分がなんていい事を言っているんだろう、もしくは書いているんだ
ろう、と自分で感動してしまうことって、ごくたまにあるし。

また英会話にしても、外国に行った当日とか、海外からお客さんが来た
当日にはまだ私の英語脳が温まっていないので、口から思ったフレーズ
がついて出る事は少ないけれど、しばらくすると自分の言いたかった事
が、(つたないながらも)英語に変換されて口から出ていることに感動
したりもするし。

うさんくさく聞こえるかもしれないが、これは本当の事なのだ。
それをしてウチダ先生は「私の身体は頭がいい」と言ったんだと思うの
だが。

そのためには英語にせよ日本語にせよ、やっぱり沢山のバリエーション
あふれる語彙やフレーズに触れないとね、と思うのである。

もっとも私個人としては、国語教育では堅苦しい文語体の文章だけで
なく、たまには落語なんてのも音読させれば日本語のバリエーション
も増えるんじゃないかと思うんだけど。
それだとそのまんま、「声に出して読みたい日本語」の世界になっちゃう
か。




2006年02月08日(水) 豚汁の秘密





寒い冬はなぜか、自分でつくるご飯がおいしくって仕方がない今日
このごろ。

ちなみに今晩の献立は、
・豚汁
・牛肉と玉ネギの蒸しいため(フライパンに玉ネギを敷き、その上に
牛肉の薄切りを並べて、大さじ1杯の酒をふりかけ蓋をして火にかけ、
軽く火が通ったところで醤油少々をふりかけていためる、至極簡単な
割においしい)
・ご飯の上にかかっているのはちりめん山椒。最後のシメにアツアツの
お茶をかけてお茶漬けにすると死ぬほどうまい。

なんて書くと、さも私が料理上手のように見えるが、料理の腕は凡庸で
おそらくは平均点以下である。
大根とかにんじんを切った厚さだってまちまちだし。

ただ、そんなに料理が上手ではない私でも、とりあえず料理の約束事
から大きく逸脱さえしなければ、(多少の逸脱はご愛嬌で)自分のお腹を
満たすには十分な料理が出来るのが、ちょっとうれしいのである。

ちなみに今回の豚汁は、
「ためしてガッテン」でやっていた、出汁を一切とらないでつくるやり方
でやってみました。>>こちらから

え、出汁をとらないなんて、と思ったけど、このやり方だと野菜の
甘みが素直に感じられるのと、あと豚肉を湯通しした後で最後の方で
加えるので、豚肉の旨味が味わえるような。
よく言えば素材の味が感じられる、もしくはちょっと淡白な感じかも。
淡白なのは、自分の腕のせいかもしれないけれども。

一人暮らしでご飯を作ると、やっぱり結構コストはかかるのでそんなに
経済的とはいえないし、また残ってしまった野菜をどうするか、という
面倒くささもあるんだけど、でも残り物とかはじゃあ、この残った大根
をどう活用しようか、と妄想をふくらませている時がまた楽しかったり
するのである。
ま、言うほど料理のレパートリーが多いわけでもないので、いつも
四苦八苦しております。

これで明日の朝は、豚汁の残りと、今日炊いたご飯の残りを塩むすび
にして、レンジで温めて海苔をまくという感じで、ちょっと幸せな感じ
だったり。



2006年02月06日(月) サッカー日本代表の意外な?長所

サッカー日本代表のアメリカ戦が近いという事もあって、サッカーネタ
をもう一つ。
現在発売中のナンバー誌の一つ前の号、ナンバー645号に、こんなコラ
ムが載っていた。>>こちらから

興味がひかれた所を引用させていただくと、


「日本の長所は、絶対に諦めないことだ。日本人は90分間だろうが120分間だろうが走り続ける。気持ちが切れないことは、ウチらにとって恐怖だ」

 どこまでもつきまとう──そんな気味の悪さを、クロアチア人は日本に対して感じているのである。

 日本人からすれば、そういう「粘っこさ」が評価されるよりは、中村俊輔や小野伸二のテクニックに注目して欲しいところだ。だが、残念ながらそれは世界で認知されるには至っていない。コンフェデ杯で、ブラジル代表のボランチを務めるゼ・ロベルトが「日本のテクニックは、まだまだブラジルより下。やっかいなのは、ちょこまかした足の速さ」と言ったように、日本の本当の武器は「走力」や「諦めの悪さ」にあるのかもしれない。



という部分。
でもそうかもなあ、と思うのだ。
この記事を読んで思い出したのは、2004年アテネ五輪での山本ジャパン
の戦いっぷりだった。
相手がイタリアだったりしたこともあるとは思うけど、意外に淡白に、
というかあっさり負けてしまった印象があったのである。

アテネ五輪世代は、元々、谷間の世代と言われていたけれど、でも個々
の才能で言ったら、現ルマンの松井大輔をはじめとして、平山相太、
今はケガしてしまったけど、田中達也など、様々な才能を持った選手が
集まっていると思う。

それにしては、あっさり負けてしまったなあ、というか、日本フル代表
の今までの戦い方が一言でいうとすれば、終盤でのしぶとさとか、あき
らめの悪さ、という感じなんだろうな、と思うのである。
でも松井にしろ平山にしろ、その時のくやしさがあるからこそ、今の
活躍があるのかもしれないけれど。

それはコンフェデ杯とか、昨年のW杯アジア最終予選でもいえる事の
ような気がする。
それはおそらく、にわかサッカーファンの私にしてみると、あのドーハ
の悲劇、94年のオフトジャパン以来の伝統なのかなあと思うのである。
ドーハ世代のラモスに言わせると、もしかすると「今の日本代表は根性
が足りないヨ」と言うのかもしれないけれど。

でも、日本代表って身体能力的に他の国に比べて特に優れているわけ
でもないし、シェフチェンコやロナウドのような飛びぬけた才能を持つ
FWに恵まれているわけでもない。

全体的なレベルは、ドーハ世代やフランスW杯の頃からすれば、飛躍的
に上昇しているのかもしれないと思うけれど、日本代表の特徴は何か、
といわれたら、やっぱり「あきらめの悪さ」にあるのかもしれない。

で、それは悪いことではないと思うんだよね。

前回W杯のトルシエジャパンと、今回のジーコジャパンの一番の違いは
何か、といえばおそらくは、組織・システムに頼ったサッカーか、個人
の能力、判断力に頼ったサッカーか、ということなんだと思う。

そしてそれは、現日本代表がそれだけシステム一辺倒ではなく、個人で
判断し全体として動けるくらいにまで進化した、という事のような気が
する。
またその層の厚さも、今までにない位なのだろう。

人によっては異論があるかもしれないけれど、いわゆるボトルネックが
見当たらないような気がするし。
そしてその個人を支えているのは、選手一人一人のあきらめの悪さや、
チームを信じるという信頼感なんじゃないのかな、と思うのである。

今回のワールドカップの予選ラウンドは、ブラジル、クロアチア、そし
てオーストラリアと、身体能力や、個人能力で決して優位に立っている
とはいえないのかもしれないけれど、しぶとくやってれば必ずチャンス
はやってくるんじゃないのかな、と思うのだ。



2006年02月05日(日) 文体とパスの精度

今回は読書ネタ。取り上げるのは「文体とパスの精度」
2002年の日韓ワールドカップにあわせて出版された、中田英寿と村上龍
の対談と、交換されたメールが載っている本である。
今まで読んでなかったんだけど、ワールドカップイヤーということで、
図書館で借りてきたのだ。

この本を読んだ感想を一言で言えば、「ふーん、村上龍と中田英寿って
本当に仲がいいんだねえ」ということになるのだが、別にそんなやっか
みが書きたい訳ではなく。

中田英寿にインタビューしたノンフィクション?としては、小松成美に
よる1998年のフランスワールドカップとその後のペルージャ移籍の過程
を丹念に追った「鼓動」という本がある。
その本については、文庫版「鼓動」の解説の中で、確か作家の重松清が
次のように評していたはずである。
「この本には、著者である小松成美の姿が見事なほどに隠されている」

それに対してこの本は、作家村上龍との対談本という性格ももちろん
あるけれど、村上龍の個性というものが色濃く反映されている。
村上龍という人は、日本という国(特に世間といったもの)に対して違和
感を強く感じている人だから、中田英寿との会話の内容も、おのずと
そういう内容になっていく。

例えばメールでは、貴乃花が武蔵丸との対戦で怪我をおして優勝を
飾り、それを小泉首相をはじめとして「痛みに耐えてよく頑張った」と
激賞したことについて触れていたり、また二人の対談では、「『苦労』
と『きっかけ』と『秘訣』。これが日本のメディアのキーワードです」
なんて話で盛り上がっていたりする。

でも、この本の中で一番私が面白い、と思ったのは、この本の後半に
なるにつれて、中田英寿的な生き方というか、考え方について触れて
いるくだりである。
以下、引用させていただくと、


村上 最初は補欠だったり、ボールをもらえなかったり、うまくいかな
   いことがヒデにとっては当たり前で、大事なときがくると、代表
   になっていたり、レギュラーを取っていたりする。そのときにき
   ちんと考えて練習することが大切なんだという話なんだけど、
   それは根性を入れて練習するとか、耐えて練習するとか、そう
   いうことではないんだよね。でもそこは往々にして勘違いされや
   すいでしょう。

中田 そういうのとはまったく違いますね。たとえばランニングを1000
   メートル何本というような練習も、言われたようにただやるの
   と、自分で必要だと思ってやるのとでは、同じことをやるにして
   もまったく違うし、シュート練習にしても、言われてやるのと、
   こういうふうにあそこを狙って打とうと思ってやるのとではまっ
   たく違う。
   (略)

村上 ほかの人もみんなそうなのかな。あまり聞かないよね、そういう
   話。

中田 考えない人が多いんじゃないでしょうか。

村上 自分の頭で考えない?

中田 言われたことをやっている。走るのなんて僕も嫌いですけど、
   みんな言われるからしょうがなくやっているのかもしれない。
   (略)

中田 これはサッカーだけじゃなくて、ほかのスポーツでも仕事でも
   そうだと思いますが、何が大事って、やはり自分で考えることが
   いちばん大事だと思うし、それができる人というのは、何におい
   てもある程度の成功はするんじゃないかと思いますね。(略)



この話を読んで思い出したのは、平尾誠二がラグビー日本代表監督を
していた時の話だった。
その時、平尾はラグビーとか、サッカーなどの個々のプレイヤーの状況
判断が重要になるゴール型のスポーツにとっては、選手それぞれが自分
で判断することが一番大事で、にもかかわらず指示を待つことが多い、
日本人選手にとっては一番苦手な事だと指摘し、それを改善するため
に、たとえば合宿中の食事のときも全員に同じ食事を与えるのでなく、
自分で考えて自分が必要だと思う食事を取るように選手に指示をした、
という話を思い出したのである。

でも、確かに右向け右、ではないけれど自分で判断しなくても生きてい
ける、というのがいい部分も悪い部分も含めて、日本の特徴だったんだ
と思うのだ。
それは別の言い方をすれば、自分で判断しなくても、正解がどこか他に
ある(という思い込み)が成り立っている社会というか。

今回のライブドアショックの直前まで、これからの日本は格差社会にな
るといい、勝ち組だとほりえもんを賞賛していたマスメディアが、手の
ひらを返したように、ほりえもんバッシングをしているのみならず、
あたかも格差社会すら幻のようになくなって、旧来の日本の価値観こそ
が正しい、のような態度になっていることの方に違和感を感じてしまう
のである。
だってもしもまた、新たな勝ち組の偶像が出てきたら、手のひらを返し
て賞賛するのは、目に浮かぶような気がするし。

そうではなくて、必要なのはそういう雰囲気に踊らされたり盲従する
ことではなく、本当に大切な事、必要なことはなんなのかを、それぞれ
の人が考えることなんじゃないのかな、なんて思ったりするのだ。


この本では他にも、村上龍が2002年のワールドカップの予選について、
なんでセルジオ越後以外に日本では「日本は3戦全勝できなきゃダメ
だ」と言わないんだろう、その可能性はあるのに、と言っているのに
対して中田英寿が、


「やっぱり最初から負けることを考えて試合をやるというのはおかしな
話ですよね」とか「必ず勝つことを想定して、ただその結果は勝つこと
もあれば、負けることもあるというのは事実であるけれども、目標は
あくまでも三戦全勝というのが、やり方としてはいいと思うんですけ
どね」



なんていうくだりがあったりして。
今回のドイツワールドカップでは、優勝候補筆頭のブラジルと予選で
当たることもあって、さすがに3戦全勝できる、という楽観的な見方は
村上龍もできないのかもしれないが。

でも選手であれ、コーチ、スタッフなどの現場であたる人間は、そこで
もしも少しでも勝つチャンスがあるのなら、それを見出すということが
大切なのだろうし、またそれに向けて(最初から負けることを前提にし
ないで)準備をしていく、という事も必要なのかもしれない。

そういうバックグラウンドがあれば、選手も自信を持って強敵にあたっ
ていけるような気もするし、気持ちで負けていれば、やっぱりその勝利
の壁は果てしなく遠いものになってしまうのかもしれない、なんて事を
思ったのである。
それにもしも残念ながら結果が伴わなかったからといって、本人たちが
やるべき事をやったのであれば、何も恥じ入る必要はないわけだし。
次に何が必要なのかを考えればいいわけで。

ワールドカップに関しては、私はただのにわかサッカーファンでしか
ないので、ただ素直に楽しませていただこうと思っているのだが。
今年のワールドカップでの中田選手の活躍はもちろんのこと、その経験
を彼がどのような言葉にするのかを楽しみにして、ワールドカップの
開幕を待ちたいと思っているのだ。



2006年02月01日(水) THE 有頂天ホテル

2月1日の映画サービスデーに、「THE 有頂天ホテル」を見てきた。
本当は他の映画にしようと思ったんだけど、やっぱり気楽に笑いたい
なあ、という気分になったので。

この映画を一言でいうなら「2時間きっちりと笑わせてくれて、最後は
ちゃんとスカッとした気分にさせてくれる映画」である。

物語の冒頭からくすぐりの連続で、腹を抱えて笑えること間違いなし。
ついでに言えば、やっぱり大きな劇場で観た方が、周囲の人たちの
笑い声に包まれる温まった空気の中で思う存分楽しめるんじゃないかな
と思います。

この映画に関しては四の五の言わずに、できれば事前の情報を極力入れ
ないで、劇場で楽しむのが一番だと思います。
だから以下に書く事は蛇足というか、既に見てきた人推奨という事で。
まだの方は見てから読むことをお勧めいたします。






といって、大したネタがあるわけでもないんだけど。以下箇条書きで

・映画自体は三谷オールスターズというか、監督、脚本の三谷幸喜の
過去の作品にゆかりのある方たちが、カメオ出演も含めて多数出てい
るのが、三谷ファンにとってはたまらない内容となっている。

チラッと出てきたあたりでは、冒頭の「みんなのいえ」の主役カップル
(ココリコ田中・八木亜希子)に始まり、「新撰組!」の坂本竜馬のそばに
いた望月亀弥太役の人とか、はたまた池田成志(三谷脚本の舞台、「ヴァ
ンプショウ」の演出もしたことのある俳優)なんて、セリフ一言もないの
に、変な踊りを見せて最後にもちゃっかり出ているし。

また、東京サンシャインボーイズ出身の役者、近藤芳正や梶原善も、
おいしい役で出ている。ラスト近くにチラッと出ている相島一之は、
badddreamfancydresserのれいこさんも触れている様に、「新撰組!」
の新見錦と芹沢鴨の絡みなのだろうし。そういえば香取慎吾と佐藤
浩市の組み合わせもそうか。


・映画の内容に関しては、男はだらしなく、女は芯が強くて、という
感じで。
特に印象に残ったのは、やっぱり松たか子かな。
「ミスサイゴン」、昨年の「贋作・罪と罰」を見ていてもやっぱり実力
あるなあ、というかコメディエンヌとして得がたい存在だと思う。

他の女優さんたちも含めて、この作品の中の女優さんは皆輝いていた
と思います。
戸田恵子に関しては、この映画の中の戸田恵子と、プロモーションで
三谷幸喜監督と一緒に出演していた時の戸田恵子本人が重なっている
感じで。
とすると役所広司演じるキャラクターと、三谷監督が重なっているの
かも。


・で、その役所広司のパートに関しては、三谷作品の中でも、最も
苦手というか、生理的に勘弁してほしいシチュエーションなのが、
個人的にはちょっとつらくて。

多くは語らないけれど、火が出るほど恥ずかしいというか、格好悪い
というか、身につまされるというか、トラウマに近いのである。
三谷幸喜はこのシチュエーションを時々使うんだけど、同じくこの
構造を使ったドラマ「HR」は、だからちょっと苦手なのだ。

さっきの仮説とあわせると、この構図は三谷幸喜の実体験なのか、
だとするとそれを演出している時の三谷幸喜は、サディスティック
なのか、マゾヒスティックなのか。

なんてことはおいとくとしても、個人的にはどんなホラーよりも、
はたまたサスペンスよりも、イヤな汗をかくというか、恐怖の瞬間
でした(滝汗)。


・あと、個人的に一番ツボにはまったシーンは、追い出された直後、
ホテルに潜入を試みる篠原涼子と、なんか変な打楽器を持っただけで
笑わせてくれた西田敏行。なんてことはないシーンが笑いにつながる
ので、気が抜けないというか。


・以下はツッコミ。
寺島進のマジシャンは、何で白いドーランがなくなったことにあんな
に怒ったのか、と思ったらトランプマンだったのかよ!

ホテルのアスレチッククラブに、フライトアテンダントの格好のまま
来るのかよ!みたいな。


・でも、おそらく麻生久美子の役回りは、香取慎吾がこのホテルで
ベルボーイをやっている姿を時々見ていて、話しかけるきっかけが
ほしかったんだろうなあ、というのは勝手な思い込みですが。

思い込みついでに書くと、唐沢寿明と、オダギリジョーの「かつら
ネタ」は、役自体が地味な分、格好でおいしい役に三谷監督がして
あげたのかなあ、なんて思ってみたり。

なんか一人一人の役者さんに(チラッと出る人に対してまで!)見せ場
というか、売りを作ってあげているあたりが、三谷幸喜が役者さん
たちに愛されている理由なんだろうなあ、と思うし。

そういえば近藤芳正の「福耳」は、父親役の津川雅彦もおそろいだった
ような。最後に松たか子が近藤芳正の耳をひっぱるのがちょっと
かわいかったという感じでした。

いやあ本当に思う存分、楽しませていただきました。


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