パラダイムチェンジ

2005年06月26日(日) ぶらり横須賀の旅

6/26の日曜日、大学時代の友人のAさんに会いに横須賀まで行ってきた。
元々は、横浜に住んでいる私の患者さんが、運悪く骨折して入院して
しまったため、そのお見舞いのついでだったのだが。

彼女は大学時代、私が競技ダンス部にいた時の「戦友」で。
うちの代は2年のときから彼女を含めた4人だけで部を取り仕切っていた
ので、皆仲がいいのである。

そんな彼女とも彼女が結婚して子供を産んで以来、ほとんど会っていな
かったのだが、最近ちょっとしたきっかけで連絡をとり、じゃあ久々に
子供ともども、顔でも見に行くよ、ってことになったわけですね。

あ、彼女って書いているけど、彼女と私の間には全くもって何もなかっ
たし、未来永劫これからも何もないであろう。ただ、名前をここで書く
のが、面倒くさいのである。
そんなわけで4〜5年ぶりに彼女にも会い、3人の彼女の子供とも遊んで、
昼間っから酒を飲んできたわけである。

でもこの仕事をするようになって以来、子供の相手をすることに、
すっかり抵抗のなくなった自分がいたりする。
それは、やっぱり子供って可愛いよね〜、とかそういう感じでもなく、
一つの生き物として、興味深いというか。

やっぱり小学校に上がるまでの子供は特に、こっちの思い通りになら
ないことも含めて、「生きている」って感じがするんだよね。
だから彼らが一体何を考えているんだろう、と目線を下げてみるだけで
新しい発見があったりするのだ。

もちろん、これは他人様の子供だからで、自分に子供がいた場合には、
そんなに悠長なことも言ってられないのかもしれないけれど。
いや、でも楽しい時間を過ごさせていただきました。

また、大学時代の友人に話を移せば、今から思うと自分の大学時代って
割とどこか不安定で、またいろんな不安に負けていたりしたんだけど、
そんな時、彼女や彼女と仲が良かった後輩の女の子にどこか見守られて
いたっていうか、視界の片隅にでも見ていてくれている人がいたおかげ
で、多少道を外しつつも、引きこもりにも底のない孤独感も味わうこと
なく、何とかやってこれたのかもしれないなあ、なんて思うのである。

それはあの当時、恋愛とは全く別の次元で、自分にとって必要だった
もので。
だから彼女の育てた子供たちは、きちんと育つんじゃないのかなあ、
なんて事を感じながら(半分酔っ払って)帰ってきたのである。
やっぱり彼女には、学生時代と変わらない、強い意志があると思うし。



2005年06月24日(金) 初めてのTOEIC結果発表

そんなわけで、初めて受けたTOEICのテストの成績が返ってきた。
結果は625点。内ヒアリングが345点、リーディングが280点。
うーん、果たしてこの成績がいいんだか悪いんだかもわかって
いないわけだが、とりあえず、TOEIC的私の現在の英語の実力は
こんなもんってことなんだろう。

個人的にはリーディングで約半分しか当たってなかったってのも
ちょっとショックだったりするのだが、手元に自分の受けた問題用紙
がない(テスト後回収されてしまう)ので、はたして何が当たっていて
何が間違っていたのかさえ、わかっていない(笑)事の方が問題なの
かも。

って事はもしも次に受けても似たような成績(もしくはそれ以下)って
こともあるわけで。
だからこそ、TOEICで高得点を狙っている人たちは問題集を買って
ちゃんと練習するんだろうなあ、とちょっと納得。

うーん、次はどうしようかなあ。私としては是非ともTOEICで好成績
をおさめないと就職や出世に響くわけでもないし。
もう一回、次回くらいはこのまま地道に英語の勉強を続けてみて、
それで成績が上がるのか、(それとも今回がたまたまラッキーで
次回はガクンと下がるのか)みてみるっていうのも面白いかも
しれない。

ま、いずれにせよ今の私にとっては、あの2時間200問っていうのは、
それだけでもうアップアップなのは間違いないんだと思うのだが。
ということで今後に続く。



2005年06月19日(日) 59番目のプロポーズ

今回は読書?ネタ。取り上げるのは「59番目のプロポーズ」
この話、実はソーシャルネットワークサービス(SNS)のmixi(ミクシイ)
のある日記を元にして出版された本で、実は私もmixiにはご厚意で参加
しているものの、ちっとも活動してない(失礼)ので、この日記の存在は
つい最近まで知らずにいたのである。

それをお友達のブログで知り、本が出版されたのを手に取り、パラパラ
と立ち読みをしてみて、あ、これ面白いかも、と思って飛びついた訳で
ある。

多分、近い内にAERAあたりで、この物語を題材にして「やっぱりキャリ
ア系女子はオタク男性を狙うべし」なんて特集記事が組まれたり、
それと対照的にSPAや週刊プレイボーイなどの男性雑誌では、巨乳の
セックス中毒のキャリア系女子を狙うにはオタクでいけ」とか、
「そうはいっても難しいオタク男子とキャリア系女子の恋愛の真実」
なんて特集まで組まれたら面白いんだけど。

物語は、モテ系キャリアウーマンの彼女が、とあるバーで、非モテ系
オタクの男性「59番」と出会い、そして恋に落ちていく話、と書くと、
まるでネット発な所といい「電車男」の二番煎じのように聞こえるかも
しれないが、はっきりいって「電車男」よりこっちの方がはるかに
面白い。

「電車男」の場合、そもそもその物語が実話ではなくフィクションで
あるという「一杯のかけそば」みたいな説がまことしやかに流布され、
もうすでに定着しているきらいはあるが、個人的に電車男に私が惹か
れたのは、ご本人たちの恋物語ではなく、それをとりまく周囲の人たち
の反応である。
皆で一生懸命、電車男の恋の行方を応援している姿に、俺だったらどう
レスするんだろうなあ、と感情移入できたので、楽しめたというか。

それに対して、私がこの話に惹かれたのは、多分彼らに自分自身の姿が
投影できてしまうから、なのかもしれない。

そう、今からほんの十年前まで、私は59番のような非モテ系オタク青年
(早すぎた雑学系)だったからである(自爆)。
だから、59番が、モテるという事に対して拒否反応を示す気持ちもよく
わかるし、また彼の恋愛に対する不器用さに対しては、まるで過去の
自分(今もか?)を見ているようで微笑ましいと思うのである。

ただし、その一方で私の場合、彼のように一途に非モテ系男子の道を
ひた走ったわけではなく、その後やっぱりモテたい、という方向に
転向して今に至る。

だからモテるということについてマーケティング的観点で語るこの物語
の主人公、アルテイシアさんの気持ちもよくわかる気がする。

でもね、この物語、いわゆるオタク青年とキャリア系女子の組み合わせ
の恋だから面白いわけではない、と思うのである。
それは、アルテイシアさんと、59番さんの組み合わせだからこそ、この
物語は面白いのであって。

だって、確かに見た目はモテモテ系キャリア女性(しかも巨乳←オイ)
と、非モテ系オタク青年(しかも服装はごつい身体なのに肩パット)
と、大きな違いはあるけれど、多分二人の底流に流れるものは、とても
近いものがあるんじゃないかな、と思うわけで。

たとえば、アルテイシアさんは自分がモテる理由について、自分が
巨乳であること、そして自分の職業病として、相手に合わせるのが得意
であることを挙げ、そして逆に59番がモテない理由について、服装が
ダサいこと、そして恋愛経験が乏しいが故に、相手との空気が読めず、
気の利いた行動がとれないことを挙げている。

でも、それってその人の本質を表わしているというよりは、単なる記号
であると思うのだ。
それはたとえば孔雀が求愛行動の時に拡げる羽根と同じく、確かにその
記号に華やかさがなければ、その人はなかなかモテないと思う。
だから今はモテる、ということが雑誌でも注目されているけれど、
その話のほとんどは、記号論に終始しているような気がする。

それは私にとっても、あてはまることであり。まあ、そんなに無茶苦茶
モテた経験はないものの、10年前、ほとんど非モテ系だったオタク青年
は、その後、モテるための記号をそこそこ身につけることに成功した
おかげで自分がモテないなんてことに悩むことはなくなったのである。

でもね、逆にいうとモテるという記号を身につけてモテる様になったと
しても、それはどこか薄っぺらい気がどうしてもしてしまうんだよね。

自分という人間の中身は、モテなかった頃とモテる様になった時とそん
なに大差はないのに、この反応の違いは結局取りつくろっている自分の
外見(外面のよさ)にみんな吸い寄せられているだけなんじゃねえの?
なんて思ってしまうわけですね。

だからしばしのモテ期を過ぎた今、そんなにモテたわけでもないのに、
今はもう「別にモテモテになんかならなくてもいいや」なんて気に
なっているのであり。それよりは自分の好きな相手に対してモテれば
いいや、なんて思うわけである。
え?お前の場合、そんな事いっているから益々縁が遠いんだって?

でも、この物語のアルテイシアさんの場合も、結局は59番さんが自分の
外面の記号にだけ引き寄せられたんじゃない、ただセックスだけが目当
てじゃない、と思えたからこそ、彼に惹かれたんだろうし。
それと今まで自分の外面に無頓着だった(過ぎた)59番さんは、皮を
一枚めくった無意識の世界では、とても近いところを流れているんじゃ
ないのかな、と思うのである。

それはアルテイシアさんが相手の行動を面白がれる、という所にも
現れていると思う。
もしも、これがお互いに全くの接点を持たないカップルだったら、
多分何も起こらずにすれ違って終わっていると思う。

でも、恋愛関係が盛り上がっていく時って、この人と一緒にいると
飽きないというか、どこか楽しいというか、何かが起こるんじゃない
か、なんて予感というか気配が段々と高まっていったりするんだよね。

そしてそれは何も、表面上の記号であるとか、相手の条件のよさ、
という意識上の問題で決まるわけではなく、むしろ無意識的に、自分で
は気づかない条件によって決まるような気がするのだ。

でももしもそういう感性に乏しかったり、またあくまで条件面を優先
する限り、その人にそういう瞬間は起こらない。
でも、お互いその感性に従った場合、ふいに恋愛感情が巻き起こる、
というケミストリー(化学反応)が起こるんじゃないのかな、なんて
思うのである。

そしてこの物語の場合、実際にそういう、化学反応が起きた瞬間を、
フィクションでなく目の当たりにできることが、読む人たちに感動を
与えるんじゃないのかな、なんて思うんである。

でも、個人的に容姿はどうあれ(っていうか知らないので)この59番
さんは、人間として男として、かなり格好いいと思うんだけど。
アルテイシアさんと59番さん、どうぞ末永くお幸せに。



2005年06月16日(木) ザ・インタープリター

今回は映画ネタ。見てきたのはザ・インタープリター
この映画を一言でいうと、「ショーンペンがマジで格好いい」である。
今まで、自分の印象でいうと、ショーンペンってキレた演技や、感情を
表に出す役が多かったと思うんだけど、この映画では静かで抑えた演技
をしていて、それがもう、無茶苦茶格好よかったのである。

なんていうのか、最初はどうしても事件に巻き込まれるきっかけに
なったニコールキッドマン演じる通訳のことを信用できないって雰囲気
をプンプン漂わせていたショーンペンが、次第に彼女に対して心を開い
ていくんだけど、その感情の移り変わりに、見ているこっちが自然と
引き込まれていくのである。

だからちょっと複雑にも見える物語にも、すんなりと引き込まれて
いったというか。いやあ、ショーンペン恐るべし。

物語自体に関しては、サスペンス?ミステリー?でもあるので、
多くを語るつもりはないが、この映画のベースにあるのは、「憎しみの
連鎖」だろう。

映画の冒頭、アフリカの小国で響いた、少年の放つマシンガンの銃声が
何万kmと離れたニューヨークの国連本部で、果たしてどのような物語を
繰り広げることになるのか。

そして肉親や大切な人を失った人の憎しみの連鎖を、果たして人は
断ち切ることができるのか否か。その結末はできれば作品を見てほしい
と思う。

でもこの映画、国際関係が渦巻く国連本部を舞台にするだけあって、
全体のトーンもちょっぴりビターな大人の味、といった感じかも
しれない。
個人的にはとても楽しめたサスペンス映画でした。



2005年06月09日(木) Road to Germany 2005

というわけで、W杯ドイツ行きが決まるかどうかの日にミュージカルを
見に行くという非国民?なふるまいをした後、家に帰って北朝鮮戦を
改めて見た。
いやだって、ダイジェストシーンで見たって、全然感動とか、わいて
こないし。
いやー、よかったっす。おめでとうジーコジャパン。

ただ、どこかめでたさも中くらいなりって感じがしてしまうのは、
このチームが圧倒的な強さを見せたというよりは、今回第三国開催、
無観客試合になったことも含めて、とにかく運が味方をした事が沢山
あったからなのかもしれない。

もちろん、運も実力の内だと思うし、これがもし第1戦の北朝鮮戦で
ドローだったり、第3戦のバーレーン戦のオウンゴールがなかったら
と思うとこんなに落ち着いてはいられなかったはずな訳だし。
やっぱりドイツに行けてナンボだと思うし。

ただ、ここでドイツ行きが決まったことよりも、この先このチームが
どれだけ化けるのかの方を楽しみにしていきたいな、と思うのである。

2002年までの日本代表と、ジーコジャパンの一番の大きな違いは、
国内組と海外組の融合の問題だろう。
特に海外組はクラブチームでの試合をこなして帰国、時差調整もまま
ならない中でチーム合流を繰り返してきたわけだし。
それで代表チームとして満足のいくコミュニケーションがとれなかった
ことが、今までの成績を物語っているんだろうし。

本番のW杯の前には、合宿をはり、コンディショニングの調整具合も
前々回のフランス大会よりは確実に向上してるんだろうし、また選手間
のコミュニケーションがばっちり図れれば、このチームはしっくり
まとまる、というのは今回のバーレーン戦、北朝鮮戦を見れば証明
されたんだと思うんだけど、更にその上を目指せるかどうかが、この
チームに対しての期待であり、また課題でもあると思うのだ。

そしてその試金石になるのが、来週にも始まるコンフェデ杯なのかも
しれないと思うのである。
さすがに時間が足りないなあ、とは思うけど、海外組が完全合流した
時に、今ある戦力でも彼らのコミュニケーション力でどれだけの戦力
アップが図れるのか、また格上の相手に対しても気持ちで負けずに
戦っていけるのか、それとも予選通過でホッとしてしまい、意外と
あっさりと負けてしまうのか。

できれば前者であってほしいと思うのであるが。
できれば来年につながる可能性を見せてほしいな、などと思いながら
来週あたりは夜更かしして睡眠不足になっているのかも。
今週も実はユースの世界選手権があるしね〜。
今後の彼らの戦いに期待っていうことで。



2005年06月08日(水) We Will Rock You

今回はミュージカルネタ。新宿コマ劇場でやっているミュージカル、
「We Will Rock You」を見に行ってきた。
今週はちょっと疲れ気味というか、気合に欠けるきらいがあったので、
ライブのパワーをもらってこようと思い、当日券で入場。

ちなみに見たのはS席ではなく、A席だったんだけど、コマ劇場の特徴
なのか、前後の奥行きよりも扇型の座席構成なので、そんなに舞台から
遠すぎるということもなく、見やすかった。

さて、肝心のミュージカル「ウィーウィルロックユー」
てっきり、クイーンの半生を描いた作品で、口ひげを生やし、ピチピチ
のレオタードに胸毛もっさーで脂ギッシュな、フレディみたいな人が
出てくるのかと思ったらさにあらず。

物語は近未来、ロックはおろか楽器の演奏すら禁止された「管理社会」
からはみ出した若者たちが、自分たちの手にロックミュージックを
取り戻す、という割と「ありがち」な話である。

もしもこれで楽曲さえもへぼかったら、金返せー、って感じだと思う
んだけど、やっぱりクイーンの楽曲はいいなー、って感じで聞きほれて
しまうのだ。

クイーンといえば最近だと、TVドラマ「プライド」の主題歌とか、
このミュージカルの題名曲が超有名だったりするんだけど、他の曲も
やっぱりいいなあ、という感じで。

物語に併せて一部歌詞を変えている部分もあるにせよ、ミュージカルの
一部としてきちんと納まってしまうあたりは、やはりクイーンの楽曲の
バラエティの豊富さに負うところが多くて。

私はクイーンをきちんと追っかけていた人ではなく、後追いの方なので
改めてこうやって聞き直すと、その魅力に惹かれてしまうのだ。
同様にこのミュージカルを通じて、改めてクイーンのファンになる人
って結構多いんじゃないのかな。

それはちょうど昨年、同じくミュージカルの「リンダリンダ」を見て
改めてブルーハーツの曲が好きになった感じと似ているかもしれない。
だから初心者?にも結構オススメの内容である。

特に物語の終盤、「We Will Rock You」「伝説のチャンピオン」そして
カーテンコールのあの曲やあの有名曲とたたみ掛けてくる所(しかも
最後の舞台設定はあのウェンブリースタジアム!)は、乗せられている
とわかっていても、やっぱり一緒に手拍子をして、足を踏み鳴らして、
歌いたくなっちゃうし、歌っちゃってるし。

なんかロックコンサートというよりは、テーマパークのアトラクション
を堪能している感じに近いかもしれない。でもだからこそ、ラストの
盛り上がりを繰り返し味わうリピーターとかも多そうなのかも。

また、クイーンに限らず、セリフのはしばしにロックの名曲のタイトル
やフレーズをちりばめている、というロックファンは思わずニヤリと
する構成になっていて。といっても、私でもわかる位の超メジャー曲
ばかりなんだけど。ただし、その辺一切ロックを聴いたこともない人
にとっては?マークしか浮かばないのかもしれない。

また日本人向けにご当地ギャグをちりばめたり、HIDEや尾崎豊の写真を
ちりばめてみたりと、なかなかのサービスぶりなのだ。

これでB席5000円とかあったら、リピーターになってもいいかな、と
思える舞台でした。もしかしたらもう1回くらい元気がもらいたく
なったら行っちゃうかも。




で、以下は蛇足的に思ったことを書くと、
これって、何かに似ているなー、と思ったら、何となく第三舞台っぽい
のである。
ダンスシーンのちりばめ方とか、ギャグの組みこみ方とか、脚本家は
イギリス人らしいんだけど、なんとなーく、第三舞台のデッドコピー
っぽいのである。

例えば、「ブリトニースピアーズ」の役は筧利夫っぽいなとか、
「ポップ」役は大高洋夫かな、と勝手に脳内変換するとしっくりくる
というか。
ここでなんで「ブリトニー」が男の役者なの?と不思議に思った方は、
劇場へどうぞ。

で、たしかに全体の雰囲気は第三舞台っぽいんだけど、どこかちょっと
ぬるいんである。
ぬるいんだけど、おそらく海外の第三舞台や新感線などの日本の演劇を
見たことも聞いたこともない、鬱屈したエネルギーを溜め込んだ若者
たちにとっては、新しいし、面白く見えるんだろうな、と思うのだ。

それはちょうど10代〜20代の頃に初めて見た第三舞台に私が飛びついて
ハマったように。だからこの作品が海外でロングランを続けるのも
わかる気がする。

おそらく鴻上尚史は、くそー、俺たちがもっと本格的に海外進出して
いればなーと歯噛みをしているか、もしくは俺に演出させろー、とか
思っているのかも。
やっぱり、その間はそれじゃいかーん、とかツッコミ入れてくれそう
だし。

宮本亜門が「太平洋序曲」の演出でブロードウェーにデビューしたよう
に、鴻上尚史版の「We Will Rock You」があったら見てみたいと思う。
できれば海外キャスト版で。



2005年06月07日(火) ナカタノナカミ

今回は読書ネタ。読んだのはナカタノナカミ
先ごろのワールドカップ最終予選のバーレーン戦でも活躍をした
サッカー日本代表、中田英寿が様々な質問に答えている本。

女性誌ananの編集ということで、サッカーについてよりも私生活、
内面に触れている本なんだけど、その中には語学学習に対する中田の
情熱が感じられる部分もあって。

以下、ちょっとだけ引用すると


尊敬するのはどんなタイプ?
「周りの状況をすぐに察し、気が利く人。語学堪能な人。欧州では5ヶ
国語を話す人もざら。生まれ育った環境が違うとはいえ、尊敬する」


30歳まであと2年。30歳までにしておきたいことは?
「特に区切りはないけど、30歳までには英語とか言葉を不自由なく
使えるようになりたい。昔の目標では30歳までに5〜6ヶ国語と思って
いたけど。英語、フランス語をもっと勉強したい。語学は裏切らない
から。喋れればいろいろな可能性が出てくると思う。最低でも大学に
入れるレベルになりたい。授業がわかるようになりたい」


最近買った一番高いものは?
「ニューヨークのマンハッタン、SOHOにあるビル。オフにNYに行った
時に一目ぼれして買ってしまった。築100年以上のすごく趣のあるビル。
リノベートするのが楽しみ」


サッカー選手を目指す前になりたかった職業は?
「職業というよりも、とにかく海外の大学に行って勉強してみた
かった」


旅先では何をして過ごす?
「行き先による。ただ、共通しているのは新しい友達をつくること」

語学の効果的な上達方法は?
「ひたすら相手の言ったことを心の中で繰り返す」

イタリアに初めて渡るとき「もう日本には帰らない」と言ってました
が、いまでも変わらない?
「基本的には家はNYに持って、でも世界中を飛び回りながら暮らし
たい」



などなど。
いや、一人のサッカー選手というより、大人として一本の筋が通って
いて、カッコイイよなあ、と思うのだ。

かと思うと、
野菜は形が残っていれば一切食べられなかったり、日本のコンビニや
お菓子やコーラが大好きで、日本に帰ってきたと思う瞬間が、コンビニ
だったり、日本にはあるけどイタリアになくて困るものがコンビニだっ
たり、一体どれだけコンビニが好きなんだ、と思うようなお子様(失礼)
な部分も持ち合わせている、そのギャップというか複雑さが、やっぱり
彼の魅力を引き立てているのかもしれない。

他にも、彼をとりまく人たちの証言では、
彼の専属トレーナーによれば、
「フィオレンティーナに移籍して初めての、試合前のロッカールーム
での出来事。チームドクターや他の選手が私のところへ来て、『HIDEは
何してんだ?』と皆に聞かれ・・・見てみると、鉛筆を片手に英語の問題
集を解いているのです。私は以前から知っていたので驚きませんでした
が、チームのメンバーからするとかなり驚きだったようです」
なんて
話があったり、

また、彼のマネージャーによると、英語の学習のため、マネージャー
との会話をすべて英語にしたこともあったらしく。
曰く「たとえ仕事の報告の3分で終わる話であっても、10分以上かかった
ことさえありました。会話しようにも5分ともたなかったその頃に比べる
と、英会話もWritingも信じられないくらい上達しました。イタリア語、
英語はもちろんですが、学ぶということに対しての、陰の努力は普通の
人とは比べ物にならないんですよね。今では彼に通訳をしてもらうほど
です」
らしい。

いやー、マジでカッコイイ。
彼だったら、たとえサッカーを引退しても、普通の引退選手のように
タレントになったり解説者、指導者に納まるのではなく、時間さえ許す
のであれば、マジでアメリカあたりの大学に行ってMaster位とって実業
家としても成功をおさめそうである。
多分彼にとって一番足りないものは全ての可能性を叶えるための時間
なんじゃないのかな。

はっきりいって及ぶべくもないんだけど、せめて爪の垢くらい煎じて
飲ませていただくつもりでも、罰はあたらないかもしれない。
TOEIC以来、ちょっと気を抜いていた所もあるのでまた気をひきしめて
頑張ってみようかな、と思うのである。



2005年06月02日(木) クローサー

今回は映画ネタ。見てきたのはクローサー
この映画にもしも私が邦題をつけるとしたら、こうつけるだろう。
「二人の恋が冷めるとき」

ジュードロウ、クライヴオーウェン、ナタリーポートマン、ジュリア
ロバーツ演じる4人の男女が、どのように出会い、恋に落ち、そして
別れていくのか、という物語。

物語の出来としては申し分なく、映像もきれいで、そして冒頭とラスト
に流れる主題歌もいい感じで。
面白い作品でした。まる。

で、終わりたいのは山々なんだけど、個人的にはどうしても書きたい
ことがあって。
ということで以下、ネタバレ風味につき、この作品に興味があって、
これから見るつもり、という方はできれば見た後でご覧になった方が
いいかもしれない。

この映画を一言でいうのなら「イギリス版だめんずウォーカー」で
ある。
個人的には男性役の二人に、あまり魅力を感じなかったんだよね。
なんかダメダメじゃん、って感じで。

ジュードロウ演じる作家のダンは、線の細い、ナイーブで優男な
「ロマンティックバカ」で、ふとした時に見せる表情がセクシーだった
り、女性の母性本能をくすぐるタイプ。ジュードロウの役作りがまた、
うまいんだ、これが。

片やもう一方のクライヴオーウェン演じる医師のラリーは、年がら年中
頭の中がセックスだらけの「性交バカ」
ダンがネカマになって相手をしたHなチャットで、仕事中に妄想を膨らま
せて勝手に興奮していたりする。なんかどっちもどっちである。

でもね、個人的に許せないなあ、と思うのはダンの方かな。
っていうか、自業自得だし、同情の余地ないし。
彼がしっかりしてさえいれば、二人の女性を傷つけることなんて
なかったわけだし。
やっぱり男は女の子を泣かしちゃいかんよね。

例えば、自分に彼女がいて幸せの絶頂なのにも関わらず、そして彼女は
何も悪くはないのにどこか物足りなさを感じている時、魅力的な女性に
出会ってしまったとしたら。

その時に彼女との生活はキープしたままで、浮気したい、もしくはもう
一人の女性とも付き合いたい、という気持ちはわからなくもない(爆)。
ロマンティックな人間ほど、そういう悪魔のささやきに弱かったりする
のかもしれない。

しかしそこには、その彼本人のキャパシティの問題があると思うのだ。
すなわち、その二股交際をまったく相手に悟られないできちんとオペ
レーションできる能力があるのならいざ知らず、そういう能力もなしに
無闇矢鱈と手を出しちゃいかんでしょ。
それを分不相応とか、身の程知らずというんだと思うのだ。

ちなみに私の場合、
そういう能力に欠ける事はとっくに経験済み(爆)なので、それに懲りて
以来、そういう身の程しらずな願望は持たないことにしている。
だって絶対無理だし。

そしてもう一つ許せないことがあり。
もしもあなたの彼女が他人と情事したとして、それを他人から告げられ
たとしたら、そしてその他人はあなたのことを心底憎んでいたとして、
その一方で彼女は今でもあなたの事を愛しているとしたら。
果たしてあなたは、彼女にそのことを確かめるだろうか。

私だったら絶対に確かめないと思う。
人には知らぬが仏、言わぬが花、という言葉もあると思うし。

たとえそれがどんなに胸張り裂けるような事実だったとしても、彼女と
この先も一緒にいたいと思うのであれば、そのことは括弧に入れて、
心の奥底にしまいこみ、おくびにも出さずに墓場まで持っていくだろう
と思う。
そんな事くらいさえ乗り越えられなかったら、その先だって続いては
いかないだろうし。

私はもともと、あまりヤキモチを焼くタイプではない。
たとえ相手にどんな秘密があったとしても、自分と一緒にいる時に
楽しんでいてくれさえすれば、それでいいや、と思うタイプである。

だからなのかもしれないけれど、私にはこの映画に登場する男性の
独占欲?の強さが滑稽に見えるのだ。
それだけ独占欲を持つのなら、もっとキャパシティを持てよと思うし、
大体その前に、真実を聞いた所で、到底受け止められそうもなさそう
だし。

そもそも赤の他人より、彼女のいうことを(それがたとえ嘘であっても)
信じてやれよ、と思うのだ。
だって彼女が嘘をついているのは、自分との関係を長続きさせたいと
思っているからなのだし。

だからなんか、ケツの青いお子ちゃまなんじゃねえの?とダンを見てい
ると思ってしまうのである。

それに引き換え、ナタリーポートマン演じるアリスの健気なことと
いったら。
この映画で一番の救いは彼女の存在なのかもしれない。

自分の彼氏の目線が他人へと向き、自分は傷ついてもひたむきに自分の
気持ちに素直に生きようとする姿を見ると、思わずギュッと抱きしめた
くなったり。
どうか、次にはいい男にめぐり合ってほしいものである。

でもこの映画、内容の身もフタもなさから、カップルでは見に行かない
方がいい映画とも言われているらしいんだけど、その一方では、
いわゆる負け犬層(30代、独身の方々)にも「結局男ってダメよねー」
という口実を与えている気もするのである。

そんなことないっすよ、世の中にはもっといい男もいっぱいいるよ、
と思いつつ、個人的にはこれを反面教師にして、もっと自分を磨きたい
な、と思う所存である。



2005年06月01日(水) 伏見憲明×斉藤綾子@ジュンク堂トークショー

5/28の土曜日、伏見憲明と斉藤綾子のトークショーに行ってきた。
お題は「セックスリアリティ」
ここで知らない人に説明すると、伏見憲明はゲイの人であり、見た目は
熊さん系、斉藤綾子は「愛より速く」の著者であり、四半世紀に渡り
奔放なる性体験をもとに数々の著作活動を繰り広げていたらしい方で
ある。
これにレズビアン雑誌編集長のメイミーさんを加えての座談会。
っていうか、これを池袋のジュンク堂本店の喫茶店で行なうってどう
なのかと。ちょっとどきどき。

私がこのトークショーに興味を持ったわけは、10年近く前に読んだ
「快楽の技術」
という1冊の本がきっかけである。
まー、とにかくあけすけに性について語られていることが、当時は
物珍しかったんだけど、今読み返してみても全然古びた感じがしないん
である。

で、今回のトークショーの中で最も興味をひかれたのは、「パートナー
との関係性」ということだった。
ゲイにせよレズにせよ、本命との関係はキープしつつ、お互いに浮気は
しょうがない、という考え方が主流らしい。

伏見憲明曰く「今、うちらの業界(ゲイ業界)で一番の変態行為って、
一人の相手以外には性的に興奮しない(=つまり浮気しない)こと」なん
だそうで。「そういうのって、一種の病気というか、フェティッシュよ
ねえ」とのこと。

うーん、そうかー(とちょっと納得)
と納得しつつも、最近の自分はというと、あまり派手に浮気したいと
いう願望があるわけではない。
というよりその前にちゃんとつきあっている彼女自体がいないじゃない
か、というツッコミはおいとくとしても、でもあまり浮気願望って、
そんなに強くないんだよねー。
それよりは1人の相手とまったりと過ごしている方が幸せーって感じで。

まあ、ただ個人的に思うのは、そもそも恋愛状態というのは、一種の
病気にかかっているようなものなので、浮気したくてたまらない人は
浮気症という病気なのかもしれないし、また一途に一人の相手を愛する
っていうのも、それもまた一つの症状だといえるのかもしれないし。
もともとサカリがついてしまったような状態なわけだし、我慢するより
は自分の気持ちに正直になった方がいいかもよ?って感じなのかも。

それにしても、今回聞きに来ていた人たちって、ゲイ&レズビアン率
高かったんだろうなあ(そういうところにノコノコと出かけていく私も
私なのであるが)。
一応ノーマルでノン気な私としましては、そういう中で話が聞けたのも
一つの貴重な体験でございました、ということで。


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