パラダイムチェンジ

2004年11月30日(火) ハウルの動く城

仕事帰りに、「ハウルの動く城」を見てきた。

この映画、一言でいうなら、「シンプルな力強さにあふれた面白い」
作品だと思う。
実はこの「シンプルな力強さ」という言葉、以前宮崎駿がロッキング
オン編集長の渋谷陽一に対して、新作に触れて3年くらい前に触れた
話なんだけど。

その部分だけ引用すると

僕は人間の持ってる根源的なものをシンプルに強く訴えるっていうのは
非常に意味のあることだと思っていて、僕らが衰弱してるせいで、そこ
までなんかこう突き抜けることができなかっただけなんだと思うんです。
だから、『もののけ姫』っていうのが複雑にならざるを得なかったのは、
やっぱり自分たちがそこまで到達できてなかったってことだと思います。
(略)

「おそらく次は2004年の夏です。たぶん2004年の夏っていうのは、
今の混迷した世の中がもっと混迷してるはずですから、そのときに
『これが私たちの答えです』っていうふうにね、もっとすっきりした
シンプルな形で作品を作ることができるかどうか問われているんだと
思います。」

宮崎駿  『風の帰る場所』

それではこの一見複雑怪奇な話にどこが「シンプルで力強い」と私は
思ったんだろうか。

この映画、今までの宮崎アニメの文法を踏襲しながらも、その上で
宮崎駿自身のメッセージが力強く響いてきているんじゃないのかな、
と思うのである。

以下、ネタバレ風味につき、まだ見ていない人は要注意してもらうと
して。


私が思ったのは、90歳になったソフィーは、宮崎駿自身なんじゃない
のかな、と思ったのである。
もう年をとり、作画をするたびに腱鞘炎と、長年の腰痛に悩まされて
いる宮崎駿と、すっかり腰が曲がり、杖がなければ歩くことのできない
荒地でのソフィーの姿が重なっているような気がするのである。

以前、「紅の豚」のとき、渋谷陽一がインタビューした本「風の帰る場
所」の中で、「この映画のポルコは、宮崎さん自身ですね」と指摘さ
れ、「自分のために映画なんてつくっちゃいけないんです」と語って
いた宮崎駿だったが、あれから10年、「飛べない豚はただの豚だ」と
いきがっていたかつての不良中年から、おそらく今現在は「手は動か
ないし、腰はガタガタだし」とぶつくさと言っている宮崎駿の姿が目に
浮かんでくるのである。

でも、であるからこそ、ハウルの城に入ってからのソフィーのパワフル
さには目を見張る。
「年をとるとずうずうしくなれるもんだね」とうそぶきながらも、曲がっ
ていた腰は伸び、しわだらけだった顔が段々と張りを取り戻していく
様は、そのまんま、開き直って今後老いて益々さかんになっていくの
かもしれない宮崎駿のパワーと重なっていくように見えるのである。


前作、「千と千尋の神隠し」の時、宮崎駿は10歳の女の子のためにつくり
ました、というメッセージを発信していたと思う。
そして今回の「ハウルの動く城」では、自分自身のための映画である一
方で、現代の若者に対するメッセージにもなっていると思うのである。

魔法使いのハウルは、宮崎アニメの登場人物としては珍しく長身の
美形で、すらっと足が長い。
魔法の腕は抜群だけれども、その一方で髪の毛の色が変わったり、
女の子にふられたくらいで途端にひどく落ち込んでしまう。

その沈んでいる姿は、まるで「もうダメぼ」とつぶやいている現代の
若者のようである。
その一方で、現代の若者たちには、ハウルだけでなく、ソフィーやカブ
など、みんなややこしい呪いがかかっていて、それは一筋縄では解けそ
うもない。

ソフィーの場合、荒地の魔女の呪いによって90歳の老婆へと姿を変えら
れてしまった訳であるが、これは精神科医でSF者の風野春樹さんが書い
ていた事
と重なるんだけど、あの呪いは一方では、ソフィー自身がかけ
た呪いだといえるのかもしれない。

ソフィーはハウルについて語るとき、また寝ている時は元の10代の姿に
戻る。
でもたとえばお花畑でハウルと一緒にいるという心弾む瞬間でも、少し
ネガティブな感情、消極的な気持ちになった刹那、90歳のしわだらけの
お婆さんの姿に戻ってしまう。

それは、傷つきやすい(私を含めた)若者たちの姿と重なるのではない
だろうか。

途中、おそらくは夢の中でソフィーはハウルの闇の中の魔物の姿に触れ
る。そこであなたを助けたい、というソフィーに対して、ハウルは
「自分の呪いも解けないお前に俺が助けられるのか?」とうそぶく。

でもソフィーはラスト、銀髪のままだとはいえ、自分で自分の呪いを
解いたようにも見える。そして、自分の呪いを解いたからこそ、ハウル
とカルシファーの悪魔の契約を解くことにも成功したように見える。

それはもののけ姫の時にはシシ神の力を借りなければ(あれも自分の
意思で解いたようにも見えるのだが)自分のタタリを消せなかった、
アシタカに比べても、より力強く私たちの心に響いてくると思うので
ある。

そして「千と千尋」の千尋と同様に、ソフィーは自分にかけられた呪いを
経由することにより、だんだんとまるでナウシカのような、宮崎アニメ
のヒロイン像に近づいていく。
だから変な話、この映画を見ていて、90歳のおばあちゃんの恋愛物語に
はあまり見えない。むしろ外見はどうであれ、大事なのはその人の中身
であり、いくつであれ、若いと思ってればなんでもできるんだ、という
メッセージになっていると思うのである。


また戦争や、サリマン先生など、作品中で説明されていないことは沢山
あるんだけれど、でもそれは割とどうでもいい部類の事なんじゃないの
かな。

戦争の原因が何であるか、というよりはいかにそれが理不尽なもので
あり、自分の住んでいた街、ちょっと前まではとても活気にあふれて
にぎやかだった街が焦土に変わってしまう、という事のむなしさの方
が、そこに住み暮らしている人にとっては重要なことであり。

そしてたぶん、あの荒地から見ている空襲の風景は、幼かった頃の
宮崎駿少年が、太平洋戦争で見た東京大空襲の光景、原体験に重なっ
ているような気がするのである。


最後に作品自体にふれるならば、相変わらず飛行シーンは素晴らしいと
思う。ハウルが怪鳥になって飛び回る姿も幻想的で素晴らしいが、何よ
り冒頭のハウルとソフィーの空中散歩のシーンが素晴らしいと思うので
ある。

おそらくはあそこでソフィーはハウルに心をつかまれ、恋をする。
そしてもしかするとそれが彼女の呪いの正体なのかもしれない。
そして同様に、映画を見ている私たちの心も、あそこでガシッとハウル
にわしづかみにされているのかもしれない。

その他にもマルクル役の神木龍之介君は今回もとても上手だし、美輪
明宏も、この役(特に後半の因業ババアなあたりとか)は彼女にしか
できないんだろうし、カルシファーの役はとてもおいしいし。
なんか宮崎アニメの総合力をドンと見せつけられましたって感じなの
かもしれない。

そしてそこに美男子のハウルというイメージ付けを上手く行なった木村
拓哉(というよりは、事前から木村拓哉がハウルという事だけをリーク
してイメージをふくらませた、鈴木プロデューサーの宣伝力の勝利かも
しれないけれど)も役に合っていたと思うし、何より、クルクルと見た
目の年齢が変わるソフィーに合った声の演技をした倍賞千恵子も上手か
ったと思うのである。

子供が見て、子供の目線で作ったというよりは、ファンタジーの世界を
必要とする大人たちに向けてつくった作品だといえるのかもしれない。



2004年11月27日(土) エンピツとBlog

さて、私は2年半に渡り、この日記サイト、エンピツを愛用している。
実はその一方で、同じ記事でBlogを開設している。
それが、こちらである。

それは、何もエンピツに不満があってそうしてきたのではない。
ただ、やはりミーハーな私としては、一度Blogサービスを使ってみた
かったんですね。

それでJUGEMを使い出したのが、今年の7月。
その後、程なくしてJUGEMサーバーが停止し、しかもエントリーが
消えてしまうという事態が起きてしまった。
他のJUGEMユーザーの方々はさぞかし青ざめ、立腹しただろうが、
その間もこのエンピツは順調だったので、私は何の問題もなく、
エンピツに日記をアップし続けてきた。

で、このままエンピツオンリーにしてもいいかな、と思っていたんだ
けれども。
その後、JUGEMの不具合はおさまり、しかも今まではファイルサイズが
30MBだったのが、迷惑料として、ファイルサイズ無制限、というおまけ
がついてきた。
そうなると、今度はそのファイルサイズ無制限の特典がもったいなく
なり、解約せずにその後もJUGEMの方も続けるという形で今にいたる。

基本的に、エンピツとJUGEMでアップしている内容に変わりはない。
ただ今後、ちょっとJUGEMの方では、もう少しブログっぽい展開に
してみたいと思ったのである。
ただし、何が一体ブログっぽいのかはよくわかってはいないのだが。

とりあえずはあっちで毎日ドラクエ日記をつけてみることにした。
こっちではやれないことを向こうでやってみようかな、と思うので
ある。

でもエンピツもMyエンピツなどの機能は便利だし、この軽快感と
今までのアーカイブと愛着は捨てがたいので、こちらでも更新を
続けて行こうと思っているのである。

なのでもしも、ブログの方も見てやってもいい、という人は、Blog
の方もごひいきにしていただけると幸いです。



2004年11月25日(木) 三人オセロ

川上弘美のエッセイ「あるようなないような」を読んでいたら、
ちょっと川上弘美の不思議な世界に感化されたらしく、ふと、
三人オセロ、というのはどうだろう、なんて考えたら止まらなく
なってしまった。

三人オセロというのは、三人で行なうオセロゲームの事である。

オセロゲームというのは、皆さんご存知のごとく、二人のプレイヤー
が、黒と白の駒を盤面に置きながら、相手の駒をひっくり返し、最終的
に、駒の数の多いほうが勝ち、というゲームである。

それをもしも3人で行なうには、どうすればいいのか。
なんてことを考えている私も結構ヒマな休日を過ごしているわけだが。

たとえば、A、B、Cの3人のプレイヤーがいるとして、その3人が順番に
駒を置いていく。
そうすると当然ながら、Aさんは、黒の手番の次は、白になる。

その状態で、どうやって勝ち負けを決めるんだ、という話になるわけ
だが、たとえば、事前にくじ引きなり、もしくはそれぞれが黒白どちら
かの立場になることを決め、相手には内緒にしながら駒を置いていく、
というのはどうだろう。

その場合、たとえば黒を勝たせようと思った場合には、白の手番の時
には、あえて白に有利にならないように駒を置く。
たとえば角が取れそうな時でも、あえて角は取らずに他のところに駒を
置いてもかまわない。

ただし、オセロというゲームの性格上、一個も駒を取らないわけには
いかないし、また全く関係のない、離れた場所に駒を置いてはならな
い。

ただし、次の手番のBさんが、必ずしも自分と同じ側に立っているのか
はわからないので、自分が黒に有利にしたことを、必ずしも実行して
もらえるかどうかは、わからない。

また、3人でプレイするので、通常考えられるのは、2対1の関係である
が、もしかすると3人とも黒の可能性もあるわけだ。
その場合、3人で共同して敵を追い詰める、という一体感を感じるよう
な展開になる可能性もあるかもしれない。

ついでに盤上の勝ち負けだけではなく、この人はどちらの側について
いたのか、とお互いに当ててみる、というのはどうだろう。
この場合、一方的に黒を勝たそうという意図がみえみえだと、すぐに
自分の立場を悟られてしまうので、スパイ活動というか、オトリに
なった時の利敵行為にも細心の心配りをしなくてはいけないかも、
しれない。

そしてそうはいっても、目の前に角を取る誘惑や、一列全部ひっくり
返せるチャンスが来たら、その誘惑に勝てずに、思わずひっくりかえ
してしまったりするかもしれない。

という風に、もしもオセロゲームを3人で行なうとしたら、それは
それでゲームの幅も、もしかしたら広がるかもしれない。
もしも、興味を抱かれた方は、一度やってみてはいかがでしょうか。

うちの場合、手元にオセロ盤すらないので、これ以上話を広げられない
訳だが、もしも、今3人でいて、目の前にオセロ盤があり、他にとりあ
えずやりたい事のない場合には、そんな変なゲームを発明してみるのも
いいかもしれない。



2004年11月21日(日) ラストクリスマス中盤戦

さて、月9ドラマ「ラストクリスマス」にツッコミを入れてみる。
以前、第1話を見た段階では、デザイナーの玉木宏が片瀬奈々をどう
口説き落とすのか、に期待をしていたんだけど、その後のあまりの
ヘタレさ加減にちょっと幻滅。

もちろん、そういうキャラ設定なんだろうけど。
なんかさあ、全てのお膳立てを他の(しかも自分のことが好きな)女の子
にされてしまうのってどうよ?という感じ。
おそらくはこのままでは終わらず、最後は自分の意思で何とかするん
だろうけど。

その一方で思わぬ逆転の目が出てきたのは、森山未来という感じだろう
か。
できれば伊原剛志をふってきたMEGUMIを、ふってほしいけど、おそらく
は、春木&青井コンビの愛の力で、MEGUMIとくっつくんだろうなあ。

そして主人公、織田裕二は相変わらず、言い訳可能な恋愛生活を送って
いる。
自分の誕生日に、予想外に東京から遠路はるばる車で飛んできて、
しかも「好きになってくれてありがとう」とまで言ってくれる自分が
好きな女の子に対して、「え、オレは言ってないけど」と返すか?
フツー。

しかも今回は、つきあいだした途端に、前の彼女からはやり直したい
といわれて、しかも同じ時間帯に今カノの方は前カレに迫られて揺れて
いるだなんて。
「オレは全くもって悪くない」と言いたげじゃないか。ぷんすか。

この物語、おそらくは「ラブアクチュアリー」を少し意識していて、
(そういえば、あの中のヒューグラントも俺は悪くないキャラだった)
物語が進むごとに一つ一つ、主人公の周りに愛を咲かせようという趣旨
であり、そのため、主人公・ヒロインは愛のキューピッドとして立ち回
っていく、という物語なんだろう。

そしてそこまでいい人キャラのヒロインは、難病という爆弾を抱えて
いるから、最終回に向けては、そのヒロインの発病→別れかけた主人公
帰ってくる→ヒロイン生死不明→感動のラスト
という道程を経るものだと思われる。

で、ここまで織田裕二主演作「東京ラブストーリー」に似せた設定に
していて、おそらくは織田裕二にとっては、これがリベンジである
ことを考えれば、前作ではふってしまった赤名リカを今回は自分の意思
で選ぶ、という所が一番の見所になるんだろうけど。

でもさ、その前にさ、本当に相手のことが好きなら、周囲のゴタゴタに
巻き込まれる前に、俺はお前が好きで離さないよ、というキャラにして
ほしかったなあ、などと思うのだ。
いやもちろん、まだその可能性もあると思うんだけど。

やっぱり恋愛で一番大切なのは、自分が今、どうしたいのかという
意思をはっきりと持っている事なんだと思うし。
はてさて、今後の展開はどうなることやら。



2004年11月18日(木) 舞台「リンダリンダ」

今回のネタは舞台「リンダリンダ」
ブルーハーツの名曲をベースにした、いわば和製「マンマミーア」な
この作品。
出演は、山本耕史、SOPHIAの松岡、SILVA、馬渕英理何、北村有起哉、
大高洋夫、他。
脚本、演出は、鴻上尚史。

実は、この公演のチケット、前売りで思いっきり買い逃してしまい、
当日券を買っての入場。しかも公演3日目。

雨降ってたし、幕が開いて間もない時だったら、まだ当日券も手に入れ
やすいかなあ、と思ったわけですね。
で、仕事終わりにダッシュで劇場に向かい、開演30分前に当日券を見事
ゲット。
いや、前売り券買い逃しておいて言うセリフではないが、ブルーハーツ
は大好きなバンドだったので、是非見たかったのである。
ちなみに見たのは前から2列目の一番右より。

さて、鴻上さんの舞台は、思い入れを語りだすと、空回りしてしまう
ので、見た感想だけを書くが、
一言でいうなら、
第三舞台時代の名作、「天使は瞳を閉じて」以来の名作の予感かもしれ
ない、である。



物語は、メインボーカルをレコード会社に引っこ抜かれてしまったバン
ドのメンバーが、劇中では入明海のあざはや湾にある干拓事業の堤防を
爆破さえすれば、去っていったメンバーがまた戻ってくる、と信じて
走りだしていく物語。

この話、キーワードは「青春」であり、「失われたもの」なんじゃない
のかな、と思う。

山本耕史演じるバンドのリーダー、ヒロシをはじめとしてこの中の
登場人物は、みんな大切な何かを失っているように見える。
ヒロシはバンドのメインボーカルだった弟と、プロになるという夢を、
そして彼をとりまく人たちは、それぞれ片思い、という形で振り向いて
もらえる相手を。
大高洋夫演じる元過激派は、30年という時間と自らの青春を。

そして彼らは、堤防を破壊しさえすれば、失われた何かが戻ってくると
心底信じて走っていく。

これを見ていて、青春って、失われた何かはいつかかえってくる、と
信じ続ける力のことであり、そして青春を失うってことは、失われた
何かっていうのは、もうかえってはこないと思ってしまうことなのかも
しれないな、なんて思ったのである。

だからこの舞台は、ど真ん中で青春を生きる、もしくは青春を取り戻そ
うとする物語なんだと思うのである。
彼らは最後、何かを失った代わりに何かを得る。
そして、ブルーハーツの名曲「終わらない歌」を歌って幕が降りる。



今回一つだけ、失敗したなあ、と思ったのは、どうせだったらブルー
ハーツの曲を前に聴いてから見に行っとけばよかったあ、という事で
ある。その方がより盛り上がるのは間違いがない。

そしてもう一つ残念だったのは、他の観客も若い人も多かったせいか、
ブルーハーツの曲を知らない人も多かったみたいで、もう少し曲を
知っている人率が高ければ、もっと盛り上がったんじゃないかなあ、
と思ったこと。
というより、どんな名曲でも15年くらい経ってしまうと、消費されて
しまう日本の音楽シーンを嘆くべきことなのかもしれないけど。


舞台は二幕にわかれており、
一幕目は、北村有起哉のコミカルな演技でどうにか場を持たせて、
あとはストーリーよりは歌を聴きにくる感じなのかなあ、という感じ
だったけど、
二幕目に入ると、グンとシリアスな雰囲気を感じさせながら、大団円
に向かってひたすら走っていく感じになり、それをブルーハーツの
誰でも知っている名曲が支えてものすごくノリのいい舞台になって
いった感じだった。
ラスト付近とか、もう本当に格好イイ、って感じ。


SOPHIAの松岡は、本当に歌もきかせて舞台映えをしていたし、
山本耕史は、今までに見た鴻上舞台の中では、一番伸び伸びとして
いたし。
馬渕英理何は、ヒロシを見つめる何気ない表情が本当によかったし、
SILVAも、初舞台3日目とは思えないくらいにいい感じだったし(今回
は、山下裕子のポジション?)。

そして大高さんは、今までにもまして若い人たちを見つめる目が優し
かったし、
北村さんはもう鴻上さんの舞台に欠かせないような存在として定着して
いたし。
そして生方さんもアンサンブルメンバーとして、とても頑張っていた
と思う。

なんか、アクションの人も含めて、みんないい役をやっていたなあ、
と思うのである。
あ、でもあのアンサンブルのベタなダンス(幽霊はここにいるあたり
からやっている奴)だけは、何とかなんないかな。


本当だったら、このメンバーで3ヶ月以上のロングラン公演をして、
その最後あたり、カンパニーが成熟しきった頃の舞台が見られたら
幸せなんだけど。

各出演者のスケジュールの問題もあるにせよ、東京が3週間弱で
終わってしまうのは、ちょっともったいない様な気がするのである。
おそらくラストの福岡あたりでは、もっとまとまってるんだろうなあ。

昔、鴻上さんが自分の舞台について、「ライバルはライブコンサート
です」と言っていたけど、なんか久しぶりに舞台を見ながら汗をかき
涙を流したいような、そんな舞台だった。
うん、できればもう一回見たい舞台である。

P.S.DVDを買ったときに10数年ぶりに鴻上さんと握手してもらったん
だけど、普段手のあたたかさでは負けない自分が、鴻上さんに負けて
ちょっとショックだった。



2004年11月15日(月) 紀宮内親王御婚約

月曜日、朝起きると、途端に腹痛に襲われて悶絶した。
原因がなんだったのかは、いまだにわからないんだけど、その前の
夜は、ご飯を食べた後、急激な眠気に襲われて、12時間近く寝たから
なのか、それとも朝、気温が低く、しかも雨が降っていたからなのか。

私の場合、元々、気温の低下と、冷たい雨(とおそらくは低気圧の
通過)というのは、体調を壊しやすい体質なんだけど、ここまで激し
い腹痛に襲われたのは、初めてだったので、結構ビックリだったの
である。
なんか日頃の行いが悪いせいなんだろうか、どきどき。

で、結局その日は仕事にならず、申し訳なくキャンセルの連絡を
入れようと思ったところ、先方でも同様に体調を崩されたり、都合が
悪くなったりして、その日は仕事をせずに済んでしまった。

ほっとはしたが、相変わらずお腹は張ったままなので、なんとか
しようと七転八倒しながらも治療を施してもらい、結果的には午後には
なんとか落ち着いたのである。いや、マジで一時はどうなることかと
思った。

で、具合が悪いときは、結局寝ているしかなく、ただ寝ているのも
つらいので、TVをつけっぱなしにして、見るともなく、寝てるとも
ない生活を送ったのであるが、TVではちょうどその頃、紀宮様の
御婚約おめでとう報道を各局とも繰り広げていて。

実は紀宮様、浅からぬ縁があるというか、ただ単に同い年で、通って
いた高校の校舎が隣同士だった、というそれだけの縁なんだけど、
彼女の婚約が決まった事は、同い年としてはよかったねえ、という
気になったのである。

ま、うちの高校は、隣のハイソな方々には見向きもされない高校だった
ので、せいぜい昼休みや放課後に、天文台のある屋上で、あ、今紀宮が
通った、などとはしゃいでいただけなんだけど。

でも、紀宮様の成長の記録映像を見ていると、やっぱり同い年なんだ
なあ、というか、小さい頃のファッションとか、そうそうあの頃は
みんなこんな感じだったよなあ、という感じでなんか懐かしい感じが
したり。
おそらくはフィルムの退光した感じとか、また大学ご卒業の時の服装
などを見るたびに、昔の気分を思い出したのである。

紀宮様のご婚約をお祝いすると共に、今後は平民になられる清子さん
が、今後は世間のマスコミにあまりさらされずに平穏な日常を送れる
ことをお祈りしたいと思います。
つうか、どう考えたって騒ぎすぎだろう、マスコミ。
どうぞ末永く、お幸せに。



2004年11月12日(金) 隠し剣 鬼の爪

今回は映画ネタ。見に行ったのは「隠し剣 鬼の爪」
山田洋次監督、主演永瀬正敏、松たか子のこの映画。
一言でいうなら、「ラストサムライの100倍面白い」である。

ラストサムライも、昔の日本の情景を忠実に再現しようとしていた
と思うんだけど、やはりどこか借りてきた印象があったのに対して、
この「隠し剣〜」では、さらにその時代考証がしっかりとして、板に
ついている感じとでもいえばいいんだろうか。

たとえば、宮崎アニメを見たときに、ストーリーテラーの宮崎駿が
この登場人物は何を食べ、どんな生活をしているのかという所から
物語を組み立てていくのと同様に、細部にまできちんと目のゆきと
どいた映画になっていると思うのである。

これは予算の問題もあるだろうけど、TV時代劇ではこうはいかない
だろう。
今まで見てきた時代劇が、時代劇(のようなもの)なんだなあ、と思い
知らされるのである。

物語のクライマックスにあたる永瀬正敏と小沢征悦の殺陣は、さすが
にザ・時代劇の真田広之にはかなうべくもないが、前作にも登場した
田中泯と永瀬の師弟稽古のくだりは、それだけでご飯をお代わりした
くなるようないいシーンだったと思う。

物語の登場人物としては、嫌味な親戚の大叔父、ちょっとボケたおばあ
ちゃん、ちょっと頭の足りない小者(従者)、ききわけのない上司あたり
は、前作の「たそがれ清兵衛」とかぶるが、そこは山田洋次の様式美の
世界だともいえるわけで。

それに加え吉岡秀隆、田畑智子の夫婦などの多彩な脇役、更に魅力を
増した悪役などにより、物語の深みが増していると思う。
それになにより、松たか子の働き者っぷりがかわいくていいんである。

こういう水準の時代劇が、今後もたくさん見られたら幸せなのになー
という作品でした。
もう一回映画館に見に行ってもいいかもしれない。



2004年11月10日(水) キャッチボールICHIRO meets you

という事で今回紹介するのは、イチロー選手の対談集
本当は、前にイチローに触れたときに紹介しようとも思ったんだけど
今回紹介。

この本、糸井重里がイチローに公開インタビューをしている模様を収め
た本で、インタビューの一部は、「ほぼ日刊イトイ新聞」でも読めるので
参考までに。

この本、一言でいうなら、「一冊で三度おいしい」である。

一度目は、この本のメインコンテンツである、糸井重里とイチローの
対談であり、
二度目は、その下にある脚注である。
これが、今までのイチロー関連の著作物からの引用が主で、すなわち
この一冊で他のイチロー本の内容も(少し)わかるようになっているの
である。
もしも、気になった場合には、その本を手にとればいいわけだし。

そして三度目は、この本の巻末についているイチロー語録。
この本でのイチローの発言のみを抜き出した(だけ)のものであるが、
こうやって一連の発言を連続して眺めてみると、それらにつながりを
探している自分がいたり、またいちいち読み返さなくても、その一言
で、前後がどんな話だったのか思い出したりして、結構面白い。
こういう趣向、他の本でもやらないかな。

ちなみに、この本の中で私が特に興味を引かれた場所のみ、引用すると


糸井 急に話は飛ぶんですけど、イチローさんってすごいなと思うの
は、奥さんのことを気持ちよく褒めているんですよね。

イチロー いやらしくなく、ってことですね。

糸井 ええ。いい感じで褒めてるときに「すごい才能だな」と思うんで
す。(略)

イチロー でもね、彼女(弓子夫人)に関しては、もうぼくの遥か上を
いってるんですよ、いろんなことが。

糸井 女の人って、みんなそうなのかもしれないな、って気もする。

イチロー 彼女の場合は、ある意味、宇宙人なんですよね。ぼくの考え
つかないような次元で、話をするんですよ。やっぱり、とても、かなわ
ないと思いますね。

糸井 そういう人が近くにいるっていうのは、貴重ですね。

イチロー いい勉強になりますよ。

糸井 イチローさんみたいに、今起こっていることをぜんぶわかって
いたいっていうタイプの人にとっては、「わからないものが毎日そばに
いる」っていうのは、最高ですよね。

イチロー うん。発見がないと、刺激にならないですし。
 野球でも、今回のように苦しいシーズン(注:2003年シーズン)で、経
験できなかったことをくぐり抜けると、もっと、野球を好きになりますよね。

野球の魅力っていうのは、終わりがない。常に新しいことが出てきます。
 
たとえば陸上をやってしまうと、百メートル走では、もう限界が見えて
きてしまうかもしれない。限界が見えるとつらくなってしまうんですよ
ね、人間っていうのは。

でも、野球には追いかける要素が、もう、たくさんありますから。
(以下略)


でも、この本を通じてわかってくるのは、イチロー選手の人間っぽさ
である。なんだ、イチローだって普通の人間なんだ、という普通の
人間としてのイチロー選手の魅力もわかる本だといえるかもしれない。



2004年11月04日(木) 日本プロ野球に足りないもの

11月4日は、ジュンク堂書店のトークショーに行ってきた。
今回は「イチロー革命」を上梓したロバートホワイティングス氏
かねてからの日本野球通のアメリカ人で、日本野球をアメリカに紹介
した「菊とバット」「和をもって日本となす」などの著作がある。
ちなみに、「菊とバット」は今でも来日する外国人野球選手のバイブル
なんだとか。

はじめは、通訳つきの講演だときいていたんだけど、実際には、
ホワイティング氏自らが日本語で話したトークショーだった。
ちなみに、昔はナベツネの英語の教師もつとめていたらしい。へー。
もっとも、その後彼が東京ドームの観客動員数の嘘(実際には4万席強
しか座席がないのに、毎回発表は5万5千人)を記事にして以来、交流は
途絶えているらしいけど。

で、内容は本の内容の紹介と、昨今の日本プロ野球再編についての
氏の見解がメインであった。
その中で、個人的に興味をひかれたのは、

1)楽天が新規参入をしたけれども、ドラフト制度も含めてプロ野球の
構造自体は何も変わっていない

2)メジャーリーグでは野球がビジネスとして成立して、日本のプロ野球
では成功しない一番の大きな違いは、ファンの方向を向いているかどう
かの違いが大きい

という2点だった。


これに、絡めて話をするならば、ライブドアフェニックスが落選し、
楽天ゴールデンイーグルスの新規参入が決定したとき、その参入条件が
数年間、赤字経営でも球団を支えられる体力だという話になった時、
東京新聞紙上で、スポーツ評論家の青島健太がこう言っていた。

曰く、
既存のプロ野球チームの意見は、まずは赤字ありきの議論であり、
それではプロ野球の将来について、夢が感じられない、
というものである。

そうなんだよね、でも考えてみると不思議だとは思わないだろうか。
アメリカの場合、人口2億人に対して30球団あり、その中でも全ての
球団が順調とはいえないまでも、ビジネスとしても成功をおさめて
いるのに対し、日本では12球団しかないプロ野球の、特にパリーグ
球団の経営は困難だといわれている。

でもね、アメリカでメジャーリーグは、国民的スポーツの一つでは
あるけれど、だからといって一番人気のあるスポーツではない。
むしろ、アメフト、バスケ、ホッケーに押された4位で、野球には
全く興味のない人は割合で言ったらおそらくは日本人以上だろう。

だからこれだけ国民一人一人が裕福になり、なおかつサッカー人気に
押されているとはいっても、堂々たる国民的プロスポーツの一つで
あるプロ野球が、日本でビジネスとして成立しない方がおかしいとも
いえるわけで。

その理由としては、TV放映権の問題であるとか、またはグッズの売り
上げであるとか、日本人有力選手の相次ぐメジャー移籍であるとか
言われているけど、でもそれだけが理由でもないんじゃないのかな、
とも思えるのである。

今回新規参入に名乗りを上げた、楽天、ライブドアともにプロ野球に
名乗りを上げた理由の一つには、堂々と企業名を名乗れるという事が
上げられるんだろう。
それは、それまでは全く認知度のなかったオリックスの企業知名度が
ブレーブス買収で大幅にアップした事を知っているからであり。

特に楽天は、みすみすライブドアの知名度をアップさせるんだったら、
自分たちがそのうまみを得たいという気持ちは確実にあったはずであ
る。

そのその一方でいうならば、たとえ球団自体が赤字経営を続けたとして
も、球団を持つことによっての知名度アップ、そして本業との連携を
はかる事のメリットの方が大きいと判断したんだろうとも思われる。

ただ、ホワイティングが指摘しているのは、そういうものの考えである
限り、プロ野球のファンは増えていかず、いずれまたプロ野球の経営は
行き詰まるだろう、という事である。

アメリカの場合、メジャーリーグ球団にとってのライバルは、同じ
プロ野球チームではない。
同じ地域に存在する、他のプロスポーツチームである。

彼らは親会社から多額の広告宣伝費をもらっているわけではない。
その分、観客のリピーターを増やすことに必死になって頑張っている
わけである。

そしてアメリカの場合、その入場料金の安さ、ファンと選手が気軽に
触れあい、サインを求める事ができる雰囲気、または地元の小学校を
選手たちが訪問するボランティア活動や、試合前の野球教室などの
地元ファンを大事にしたサービスを繰り広げることで、なんとか生き
残りをはかろうと必死になっている。

そして、なぜそこまで彼らがプロ野球のビジネスというものに必死に
なれるかというならば、親会社の出向ではなく、生え抜きのプロ野球
ビジネスしかしらない人間たちで構成されているからである。

今回、楽天について一つ評価できるかも、と思うのは、GMにマーティ・
キーナートを迎えた事だろう。
そして、彼が唱える東北楽天球団の地元密着型、メジャー流のファン
サービスは、もしもうまくいったときの事を考えると、ワクワクさせ
られる。
それはたとえば、外野の芝生席の料金を、無料にして解放するなどで
あるが。

それは、審査前、ほりえもんやアドバイザーであるテリー伊藤の口から
語られた内容よりも、私にとっては魅力的な球団経営に見える。
だからその意味で言うならば、フェニックスよりはイーグルスになって
よかったんじゃないかな、とも思うのである。

ただ以前、仙台がロッテオリオンズのセミフランチャイズだった頃、
その時のはあのカネやんが監督でリーグ優勝をしたにも関わらず、
驚くほど不人気で、観客動員数は伸び悩んでいたらしい。

その事をふまえてロバートホワイティングは、100敗する寄せ集めの
チームを地元の人たちが応援する事自体が難しいのではなかろうか、
と言っていたが、果たして実際にはどうなるんだろうか。

少なくとも、神戸と大阪の合併球団よりは、ファンをつかむことが
できるんじゃないのかな、とも思うのだが。



2004年11月03日(水) ブッシュ再選

11月2日のアメリカ大統領選挙は、僅差の末、ブッシュに決まった。
ま、個人的にはえー、またブッシュなのぉ、という気持ちもないでは
ないが、かといってケリーになったからといってバラ色の世界が訪れる
とも思えず。

とりあえず、この事によって、今後の世界がどのように変化していく
のかを眺めていくしかないんだろうなあ、とも思うのである。

ただ、今回ブッシュ再選が決まった事で確実に得をする人たちはいる
だろう。
それは、たとえばチェイニー副大統領が元CEOのハリバートンである
とか、石油メジャーの各社であるとか、イラク戦争によって様々な
利権を手に入れた人たちにとっては、今後もこの状況が続く事は
好ましいことに違いない。よかったですね。

逆に、この事によって確実に損をする人たちも存在する。
イラクやパレスチナの人々は、今後もテロリストのレッテルをつけら
れて、ただそこに住んでいるというだけで、生命の危機に脅かされる
可能性があるということである。

また、今後も原油高は続くのだろうし、その原油高に悩まされる企業は
世界中にあるだろうし、一般消費者もその影響は受け続けなければなら
ないのかもしれない。

また、アメリカで中絶をしたいと思う人は、今後いつ自分が犯罪者に
なってしまうかドキドキしてるのかもしれないし、ゲイの方々は、
これでしばらくは同性間の結婚は見送らなきゃいけないのかも、
しれない。ご愁傷様である。


そして、日本。
日本政府は果たして、ブッシュ再選で得したのだろうか、それとも損を
したのだろうか。

短期的にみれば得をしているんだろう。
ブッシュ率いる共和党政権にとって、イラク問題も含めて国際的に
これだけ無条件に支持をしてくれるのは日本政府なのであるし、また
アメリカの財政赤字と経常収支の悪化という双子の赤字をこれ以上
悪化させないためには、日本がアメリカ国債せっせと買って、下支え
してもらわなくちゃならない。

ついでにアメリカ軍の再編成に伴って、日本に軍司令部まで置かせて
もらえそうな勢いである。
おそらくはこれほどまで、アメリカが日本を必要としてくれる時期も
珍しいのかもしれない。

でもね、長期的にみた場合、果たしてこれが日本にとっての得になって
いるんだろうか。
その答えは、風の中にしかないのかもしれないが。

せめて日本政府のお偉方が、ブッシュさんと同じ夢を見続けて、ついで
にその終焉と共に心中しないでほしいと願うのみである。



2004年11月01日(月) 笑の大学

毎月1日は映画ファンサービスデー。
映画が1本1000円で観られる日。

そう思って仕事が終わった後、渋谷のパルコパート3にあるシネクイン
トにいったらなんと、ここは3月、6月、9月、12月のみ、1000円だった
のである。
ということで、1日でありながら、通常料金を支払っての鑑賞。

今回見に行ったのは「笑の大学」

この映画、今月封切りになる映画の中では一番見たかった映画である。
なので、公開初日にも仕事が終わってすぐに飛び出して、新宿文化シネ
マまで行ったところ、あえなく満席で断念。
もっとも、新宿文化シネマの最上階は、試写会場並みに小さいスクリー
ンだったはずなので、すぐに満席になったのかもしれない。
ちなみに私のすぐ後に、小林カツ代がやって来てやはり同じように
断られていた。

という事で他にうちから近い映画館が渋谷と日比谷だったので、渋谷
に来たわけである。

さて、本編に関していうならば、「そこそこ笑えて面白かった」である。
でもこれは、以前舞台版の「笑の大学」をTVで見た奴が目茶苦茶面白く、
腹かかえて笑ったのを、私が録画して繰り返し見ていた、というのが
大きいかもしれない。
どうしても、今回の映画と、舞台版を比べちゃうのである。

で舞台版の出演者、西村雅彦と近藤正芳は、三谷幸喜の劇団サンシャイ
ンボーイズ出身という事もあり、やっぱり間とか上手かったなあ、と
思うのである。
でも他の観客はどっかんどっかん受けていたし、よく頑張ったというか
映画としては成功なんじゃないのかな。

今回の映画版での検閲官の向坂役の役所広司は本当にうまいなあ、と
思うし、途中警官のくだりとか、ラストシーンはちょっとくどいかな、
とは思うがそれは演出家の意図なんだろうし。

もう一人、劇作家の椿一役は稲垣吾郎なんだけど、個人的には舞台と
比べちゃうと、吾郎ちゃん声出てないよ、とか体張ってないよ、とか
演出家みたいなダメ出しをしたくなっちゃう自分もいるんだけど。
でも終盤に向かうに従って、三谷幸喜がインタビューでも述べていた
ようにレベルアップもしていたようだし。

ただ一つ、惜しむらくはいたいけな感じがしないのがなんとも。
検閲官の無理難題と、劇団員の間に挟まって四苦八苦、どうしよう
おろおろみたいなところがこの作品の醍醐味だったと思うんだけど、
いまいち感情移入しにくかったのが難点かも(ラストも)。

他のお客さんの笑い自体も、ゴローちゃんよりは向坂の方で起きていた
と思うし。
でも、稲垣吾郎のおかげでこの映画が完成したと思えば、御の字だと
いえるのかもしれない。

結構厳しい事も書いてはいるけど、素直に見に行けば楽しめる作品だと
思います。オススメ。


 < 過去  INDEX  未来 >


harry [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加