パラダイムチェンジ

2004年01月20日(火) ターミナル

今回は映画ネタ。今回見てみたのは
「ターミナル」
この映画、一言でいうなら、「How to Survive at the Airport」で
ある。
たしか、アメリカ陸軍かどこかの軍事マニュアルには、サバイバルの
条件として、次の言葉がのっている。
「生きる希望をなくさないこと」

トムハンクス演じる主人公は、クラコージアという、まるで病名みたい
な名前の架空の小国からNYにやってくるが、入国審査ではねられて
しまう。
彼が飛行機に乗っている間に政変が起こり、そして内戦となったために
パスポート、ビザは無効ついでに自国通貨もドルに換金できなくなって
しまう。
しかも彼は満足に英語を話すことができず、今自分がどんな状況に
おかれているのかも最初はわからない。

そんななかで、空港のカートを元に戻して25セントを稼ぐところから
食べる手段を見つけ、そして改装中の空港ロビーを自分好みに改装し、
中にいる職員たちと仲良くなって自分が晴れてNYに降り立てる日を
待ち望んでいる。ある一つの目的を果たすために。

この映画、さすがはトムハンクス、今までにも無人島に漂着したり、
月に向かうロケットが故障したりとサバイバルの状況にあっても、
希望を捨てずに面白おかしくすごしてきただけのことはあって、
あまり悲壮感はただよってはこない。
つうかできすぎである。

この映画の元ネタになった人がたしかフランスのシャルルドゴール空港
にいて、その人は難民証明書とパスポートが盗まれたためにその空港で
生活をする境遇に陥ってしまったというのを、何年か前のCNNで見たこ
とがあるんだけど、さすがにこんなに優雅な生活は送っていないだろう
なあ、と思うのである。

でも映画自体は思った以上によくできていて。
自分もアメリカの空港でトランジット待ちを一人でしたことがあるん
だけど、荷物は持ってなきゃ不安だし、英語も決して流暢ではないの
で、出発便を間違えたらどうしようとか、異国で一人でいる時の孤独
感ていうのはよくわかる気がするのである。

でもその時も、さすがに10年前だから、向こうにしたら子供に見えた
んだろうなあ、空港の職員が親切だったことは今でも覚えている。
この映画でも、そういうアメリカの懐の深さというか、ある種のいい
加減さが救いになっているような気がするのである。

はっ、もしかするとこれって、トップ(ブッシュ)はおバカな単独主義で
嫌われても、下々の者たちは皆さんに対して寛容なんですよ、という
アメリカ(というよりハリウッド)の宣伝キャンペーン映画なのか?
(考えすぎである)



2004年01月08日(木) 大掃除

今回は、大掃除ネタ。
どうでもいいことであるが、今年の正月休みの大掃除で、一つ会得?
したことがある。

それは、どんなにダラダラとやっていても、いつか部屋はきれいに
なる、という事である。

いや、毎年大掃除はダラダラとやるもんだと思っていたんだが、
今までは、途中で飽きてきて放り出してしまっていた部分も多々
あった訳なのだ。

今年の大掃除、何が一番違っていたかといえば、途中で諦めなかった
事、それだけに尽きると思う。

いつもだったら、例えば、除夜の鐘が鳴り終わるまでに、とか、
初詣に行くまでの間に、とか、元旦の間にはなんとか、という形で
とりあえずの目標を定めて、大掃除をしていた訳だが、それが達成で
きたにせよ、失敗だったにせよ、そこで掃除に向かう意識は途切れて
しまった訳ですね。

だから、元旦を過ぎても一向に片付かない我が家を見回しては、
ああ、今年も駄目だったか、とそこで諦めて後はそのまんまにして
しまった部分とかもあった訳だ。例えばレンジフードとか。


今回の場合は、一つの事に気がついた訳だ。
それは、掃除に区切りはあっても、終わりはない、という事に。

そうなんだよね、結局一人暮らしの場合、誰かが片付けてくれる訳
ではないので、自分が片付けなければ、部屋は散らかっていく訳だし
たまの休みに掃除をするにしても、片付けるスピードよりも、散らか
っていくスピードの方が早ければ、やっぱり部屋は散らかっていく。

人によっては、今日、この時間までに自分の部屋を徹底的に綺麗にする、
なんて切り替えの早い人も多いとは思うんだけど、残念ながら?
私の場合、そういうタイプではないようで。

じゃあ、そういうタイプの人間はどんな風に片付ければいいのか、と
言えば、うさぎに対する亀さんのように、のろのろと、部屋を片付け
ていけばいいのだ、という事に気がついたわけだ。

どんなにのろのろと片付けていても、片付けようという意識さえ
途切れさせなければ、いつか自分の部屋はきれいになっていくもん
なのだ。


そしてもう一つ、どこまで部屋をきれいにするのか、どこまで完璧に
部屋を片付けるのか、という問題に関しては、自分の肉体的要求に
合わせればいい、という事なんだという事に気がついた。

つまり、自分の部屋を見回したときに、気分いいなあ、と思う所まで
掃除をすれば、一応の区切り。
そのラインを最低とすれば、その状態よりも散らかってしまった場合
は、自分の肉体にとって、快適ではない訳だから、当然片付けたい、
という欲求が生まれてくる事になる。

で、その肉体から生まれてくる欲求に背き続けるのは、自分の中で
ストレスがたまる事になる訳だから、当然、掃除は行なわれ、結果
として部屋は、ある程度のラインで維持される。

まあ、問題になるのは、その肉体的要求が、どれほどの散らかり具合
で不快に思うか、という所だろう。

すなわちどんなに散らかっている状態でも、その方が居心地いい、と
思う場合は、他人から見ると問題でも、本人にとっては何ら問題の
ない部屋、という事になってしまう。

でも、自分の肉体モードに降りて、掃除をしてみると、意外と生半可
な水準では満足できなかったりするんだよね。
なんかすごーく人間として当たり前というか、情けないこと書いている
ような気もするが。

だから、私がそんな風に、自分の肉体とうまい具合に対話をし続けて
いられたら、この部屋もある程度の水準で維持できるんじゃないかな
とも思うんだが。できたらいいな。できるともさ。うん。



2004年01月05日(月) 今年の抱負

今日は年頭らしく、新年の抱負などを。
今年の私の新年の抱負、それは「頑張らない」という事である。

「頑張らない」といっても、怠けまくるとか、何もしないという訳
ではない。
やるべきことはやるのであるが、常に全力で、ベストパフォーマンス
を目指すという生き方をしない、という事なのだ。

つまり、いつも自分の100%の力を出そうというのではなく、7割とか、
8割くらいの力を出せば、物事がつつがなく進行していくようにして
いきたいと思うのである。
それは、別の言い方で言えば、「りきまない」という言い方もできる
かもしれない。


今年の正月番組で、とんねるずの石橋貴明が今度メッツ入りの決まっ
た松井相手に、西武ドームを使ってリアル野球盤をする、という毎年
恒例の番組があった。

で、そのゲームに勝つため、筋力強化をする為に石橋貴明が、ケビン
山崎のトレーニングジムに行き、そこで番長清原から直々にアドバイ
スをもらうのであるが、その時に清原がこんなことを言っていた。

「最初、自分が筋力強化をして、失敗した、と思ったのは、パワーを
つけた分、力を見せたろと思って力んでしまった事ですね」と。
つまり力んでしまった分、余計な力が入りすぎて、パフォーマンスが
下がってしまった、という事であるらしい。

清原選手の場合はそこに故障も加わってしまったから、筋力強化は
失敗である、なんてメディアや評論家にけなされた事もあった訳だ。

でも、最近の清原選手、確かにあまり力んでいるようには見えなく
なっていると思う。
自然に構えていても、その存在感にピッチャーが気圧されるように
なって、得意のコースにボールが来るようになった感じというか。
力まなくなった分、怖い存在になったと言えるのかもしれない。

この分だったら番長清原、今年は500本本塁打と2000本安打は、楽々と
到達するのかもしれない。あくまで堀内監督がレギュラーで使って
くれれば、という条件はつくのであるが。


でも、実際に力む、力まないは別としても、常に高いパフォーマンス
を出そうと頑張ってしまう事が、自分の選択肢を狭めてしまう、
なんて事はよくあるわけで。

仕事上の成果として、スピードと効率性が要求される事はあるかも
しれないけれど、自分の日常生活全てに、効率性とスピードが要求さ
れる訳でもないと思う。

日常生活でも常にトップスピードに入れるのではなく、日常生活では
むしろ、ギアを落としてみるっていうのもいいんじゃないかな、と
思うのだ。


また、例えば常に頑張り続けて、ベストエフォートを目指し続ける、
というのは、自分の理想だけ高くて、それを表現したり、実行すべき
肉体が追いついていかず、いわゆる理想と現実が大きくかけ離れた
状態を引き起こす事だってよくあることな訳で。

もしも、そういう状態にある場合に、ただひたすらに頑張り続けて
しまったって、結果はついてこないので、結果としてつぶれてしまう
事だってあるんじゃないかな、と思うのだ。

で、じゃあそうならないためには、一体どうすればいいんだろうか。
今、私が考える答えは次の二つである。

それは、「自分の身体を通して物事を考える」って事と、
「アウトプットし、実行する自分の肉体の感覚を磨き続ける」って事
になる。

この辺をちゃんと誰にでもわかりやすく、説明できるほどの能力が
あれば、自分の理想どおり物事は運ぶと思うんであるが。
まだまだ残念ながら、私の肉体はそこまでの能力を発揮するほどには
磨かれていないようである。

でも、おそらく「肉体」や「身体性」というのは、私にとっての
今後のテーマになっていくんだろうと思う。


さて、今年はなるべく頑張らない、と宣言した私の肉体は、果たして
今年の終わりには、様々な事が説明できることが出来るように、
変わっていく事ができるんだろうか。

年末が楽しみである。



2004年01月04日(日) お正月


そんな訳で正月である。
去年の大晦日〜正月にかけては、結局いつもの通り、TVを見ながら
だらだらと掃除をし続けたのであった。

でも逆説的に言えば、これこそが一人暮らしの醍醐味、かもしれない。
なぜなら、だらだらとTVやDVDを見ながら掃除をしていても、誰かが
ほらほら、休んでんじゃないの、とか、いつまで掃除にかかっているの、
なんて事を言われずに、こころゆくまでだらだらと掃除にかまける事が
できるという事なのだ。

なんて、別に威張れるほどの事でもないのだが。
でも、一人暮らしにとってのお正月、というのは、世間に公認された
だらだらと過ごしても誰も文句を言わない貴重な時間である、と言える
ような気もする。

普段は気ぜわしい毎日を過ごしているんだから、せめて正月くらいは
のんびりとした時間を過ごしたっていいんじゃないか、とも思うのだ。

だから、個人的には、正月休みの短い期間に海外に行ったりはしたくは
ないのである。
どうせ行くなら、1週間以上の期間で、結局なんにもしない毎日を
過ごしてみたいもんである。

そんな訳で私にとっての最近の?正月は、だらだらと過ごす事にしている
訳であるが、じゃあ、正月休みの5、6日間、なーんにもしないで過ごせる
かというと、そんな時間には飽き飽きしてくるというはなはだ贅沢な悩み
を抱えてしまったりするのだ。
身体はやっぱり、動きたくてウズウズしてくるんですね。

と、言うわけで正月休みの間中、私はなまりそうな身体を動かす意味も
含めて、だらだらと掃除をし続けるのである。

でも途中途中で休んだり、TVを見たり、雑煮を作ったり、初詣に行ったり
初売りに行ってみたりしながら、掃除をし続けていれば、どんなに
だらだらとやっていても、部屋はもう片付けようもないほど、片付いて
しまうのだ。
詳しくはまた書くかもしれないが、ダラダラ掃除は意外と侮れないので
ある。

ついに今日はレンジフードの中を、重曹を使って掃除までしてしまった。
おかげさまで明日からはじまる仕事始めに対して、すっごく晴れやかな
気分で臨めたりするのだ。

そんな感じで、私の2004年は始まったのだった。



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