パラダイムチェンジ

2003年11月30日(日) マトリックスという物語

と、いう事で今回は個人的なマトリックスの解釈編。
ネタバレ多数につき、読みたい人だけ要ドラッグで反転。

この物語、オラクル(預言者)を縦糸に考えると物語は見えやすく
なるかもしれない。

ネオ出現以前のマトリックス世界では、救世主が現れても彼がソース
に戻ることで、ザイオン(人類)は全滅し、それによりマトリックス
世界は平衡を取り戻してきていた。

今回オラクルがネオに託した思い、二人の共通の願いとは、ザイオン
が全滅せず、人類、機械が共存できる世界という事だろう。
そのためにはマトリックス世界の能力を超える二つの存在が必要に
なる。それがネオとスミス。

第1作で死ぬはずだったネオが生き返り、その事が単なるプログラムで
あったスミスにも影響を及ぼし、プログラムの暴走が始まる。

そして、ネオが生き返るようにそそのかしたのはオラクルである。
彼女がトリニティと、モーフィアスに対してそのように予言をしな
ければ、ネオの復活はありえなかったのかもしれない。


「始まりがあるからこそ終わりがある」
第1作のネオの復活、第2作〜のスミスの暴走で始まったマトリックス
世界の変調は、二人が最後、闘うことで終わりをつげる。
今回の場合は、ネオがスミスと決着をつけることで、マトリックス
世界は、平衡を取り戻す。

そのため、アーキテクト(設計者)はザイオンを滅ぼさずに、目的に
達することができる。
すなわち、ザイオンにいる人類は助かり、人類と機械は共存を果たし
た訳だ。

「全てご存知だったので?」
「まさか」
マトリックス世界が安定を取り戻すことができたのは、オラクルの力
によるものではない。彼女はただ、そそのかしただけである。
ネオやトリニティ、そして彼らに船を与えたジャダやモーフィアスの
意思があればこそ、平穏を取り戻せたのだ。
だから、メシアとはネオ一人ではなく、彼ら全員と言えるのかも。


と、いう形でウォシャウスキー兄弟としては、この一連の作品につい
て、決着をつけたんじゃないだろうか。
ただし、じゃあ観客がこの話の流れでカタルシスを得たかどうかは
微妙な所で、だからこそ賛否が別れるのかもしれないが。



2003年11月29日(土) 「マトリックスレボリューションズ」

今回のネタは「マトリックスレボリューションズ」。
やっぱり前2作を観た者としては、3作目も映画館で観たかったし。
という事で、遅ればせながら見に行ってみる。

この映画、一言でいうと「ウォシャウスキー兄弟はやりたかった事を
全部やった映画なんじゃじゃないのかな」である。

とりあえず、物語に関してはネタバレ満載につき、次回においといて。
あ、でも今回もネタバレ満載かもしれないので、まだ観てない人は
要注意。

どういうことかといえば、今回ラストのVFXに33億円もの大金が
投じていられるらしい。
で、じゃあそれだけ巨額のアクションシーンとは一体どれくらい
すごいものか、と思ってみると微妙だったりするんだよね。

その微妙さは一体どこから来たのか、といえば、おそらく我々日本人
は、どこかで観た事があるような気がしてしまうからかもしれない。
そう、ぶっちゃけて言ってしまえば、まるでドラゴンボールの、
スーパーサイヤ人同士の闘いに見えてしまうのだ。

それを、実写で、しかもCGの雨の中で行っているという労力たるや
すごいもんだと思うんだけど、1観客として観た印象は、どう見ても
スーパーサイヤ人の闘い。

で、実はこの3作目には、同様にどこかで見たようなシーンが数ヶ所
存在する。
セントラルドグマ?での攻防戦での、ヤマトっぽいミフネとキッド、
そしてジーたちの闘いとか。

昔からの日本アニメおたくであるらしい、ウォシャウスキー兄弟と
しては、かつての日本のアニメに触発されたシーンを、たとえどんな
に巨額を投じたとしても、実写で実現させたかったんだろうなあ、と
思うのだ。

だから、ストーリーがどうのこうの、というよりは、自分たちが作り
たかったシーンから逆算されて、この3作目は出来上がっているような
気がするのである。

でも、これは第1作が大ヒットをして、その制作費が回収できるあての
ある、このシリーズだったからこそ、できた気もするわけで。

第1作、マトリックスが公開された時、私たちがビックリしたのは、
それが今だかつて見たことのないシーンの連続だったからだろう。
あの弾除けシーンや、白バックの背景からいきなり武器庫が現れる
シーンや、そして重力を感じさせないワイヤーアクションなど、一つ
一つのシーンが新鮮だったからこそ、手放しの評価を受けたのだと
思う。

で、今回の作品に関して言えば、これでもうやりたい事をやりつく
してしまった感のあるウォシャウスキー兄弟の次回作が果たして
どんなものになるのか、「マトリックスの亜流」と言われてしまう
のか、の方が気になったりする。
まあ、もうこの先映画を作んなくても充分な位の富は得たのかも
しれないけど。
できればまた、あっと驚く新鮮なシーンの連続した映画を見せて
くれないかなあ。



2003年11月23日(日) 「天使は瞳を閉じて」

今回のネタはミュージカル 「天使は瞳を閉じて」
鴻上尚史初のミュージカル演出である。

やっぱりファンとしては見に行かないとなーっていうのもあったし。
そして何より、長年、好きな芸能人は?と聞かれた時に答えていた
辺見えみりが今回舞台に初出演するとあっては、見に行かなくては、
という事で、期待と若干の不安を胸にして、見に行ってみる。

で、印象は「いやー、舞台に集中しすぎてグッタリした」であった。

今回の舞台、ミュージカルとしては初めてでも、作品としては再演の
舞台である。
元々この作品は、第三舞台作品の中でも、わかりやすく、また泣ける
舞台として、ファンの間でもリクエストの多かった作品である。

で、今回のミュージカル版は、以前の作品の魅力を損ねることなく、
ミュージカル化した作品になっていると思う。
すなわち、戯曲の肝となる所は、下手にミュージカル化せず、ちゃん
とストレートプレイとして流し、それ以外の芸能?部分をミュージカ
ル化する事によって、物語に厚みが増しているというか。

パンフレットで鴻上尚史が言っていた事を要約すれば、「演じていれ
ばどんなに痛く、やりきれないセリフでも、音楽に乗せて歌にすれば
それだけでポジティブな印象として、緩和して観客に伝わる」という
事らしい。

もう一つ、今日の作品の中での歌の役割としては、ストーリーを説明
する歌ではなく、各自のキャラクターを表現する歌になっている、
らしい。

だからかもしれないが、各キャラクターの感情が、ストレートに入っ
てきた気がするのだ。

で、その肝心の歌は、杏里、木根尚登、中西圭三、岸谷香など、80年
代J-POPのそうそうたる顔ぶれ。
個人的な印象でいうと、このミュージカルを引っ張る力のある名曲中
の名曲!!という曲には残念ながらお目にかかる事はなかったが、今回
主役?の天野っちをはじめとして、歌う楽しさは充分伝わってくる
感じだった。


今回のミュージカル版では、多少のひいき目を省いたとしても、元光
GENJIの佐藤アツヒロ演じるユタカと、辺見えみり演じるマリ、そして
京晋佑演じるトシオとの、三角関係というか、恋の一方通行に、より
テーマが集中していると思う。

恋を忘れるためにマリとの結婚を選んだけれど、歌うことを忘れられ
ないユタカと、人気女優になりながらも、そんなユタカの事を一途に
愛するマリ、そして富?と権力を手中にしながらも、いやそれだから
こそ、マリの心がユタカから自分に向かないことに傷つくトシオ。

個人的に一番印象に残ったのは、そんなユタカとマリとの、そして
マリとトシオのシーンだった。


シーンが違うけれど、この作品の中で、マスターが夢がなかなか叶
わず、空回りを続けるアーティスト、ケイに対してこう言うセリフが
ある。

「うんと傷つきなさい。傷つけば傷つくほど、人は優しくなれるもの
だから」

そしてまた、再び傷ついたケイは、マスターにこう聞く。
「傷つけば傷つくほど、人は優しくなるって本当なの?」

それにたいしてマスターはこう言う。
「いや、あれは嘘だ。傷つけば傷つくほど、底意地の悪くなる人間だ
っているよ」と。

うん、でも個人的には、傷つけば傷ついた分、人に優しくできる人間
でいたいと思うのだ。
傷つきたくがない故に、心に鎧をまとう事ほどつまらない事はないと
思うし。


昔、学生時代にこの戯曲を読んだとき、私の視点は、この作品の中で
は橋本さとし演じるメディアプロデューサー、電通太郎の視点だった
かもしれない。
すなわち、世の中には仕掛けさえあれば、いくらでも面白くなって
いくんだ、と思っていた気がする。

そして、今回、ミュージカル版を観ていて感じたのは、そんな電通
太郎の、「あいつの旬は終わった」と簡単に切り捨てる姿勢に対する
違和感だった。

それは、20世紀にありとあらゆるものを消費しつくしてしまった気の
する21世紀の現代に生きているからなんだろうか。

もしも、電通太郎が旬だけを追いかけ、消費し続けなければ、そして
才能あふれるケイは、自分の作品がヒットするかどうかより、自分の
書きたいと思うものを書き続ける道を選んだとしたら。

あの世界で天使1は今もまだ、「書く事がなくて困っている」のかも
しれない。

うん、久々にしみじみと心に染み入り、元気をもらった鴻上作品で
ございました。




2003年11月20日(木) ほやじ日記三連発

そんな訳で今回も倉田真由美の「ほやじ日記」ネタ。
今回取り上げるのは週刊朝日10月24日号掲載の緒方拳。

と、いう訳で早速引用。


20代のある時期、今考えると、「どうしてあんな男とつきあっていた
んだろう」という男とつき合っていた。

その男と別れる時、当然というか揉めた。つくづく思うのだが、別れ
際って人間の地金がもろに出る(略)

そんな時期だけにトラブルを自分だけにトラブルを自分だけで抱えて
置く事ができず、親しい友人より少し距離のある知人、それも男の方
が話しやすかったので何人かに聞いてもらったのだが……。(略)

「そういう奴は切羽詰るとナイフでブスッとくるから気をつけた方が
いいよ」
など、うっすら想像しないでもない最悪な風景を突きつけられさらに
へこまされたり、
「僕の先輩紹介しようか」
と会ったこともない人にバトンタッチしようとされたり。

とほほ。あの時、錯覚でも頼りがいを感じる男に出会えていたら
その場で「抱いてください」と三つ指ついてお願いしていたかも
しれない。そう、イメージとしては緒方拳みたいなおやじに。

「この人とならどんなトラブルもなんとかしてくれそう」という頼も
しさは若い男よりおやじの方が上だ。しかし、ただおやじであれば
いいわけは勿論なく、「俺に任せておけ」ってセリフがしっくり
似合わなければならない。

緒方拳になら、すべてを委ねたいと感じるのはきっとあの声のせいだ。



うん、そうなんだろうなあ。
いざという時の頼りがいのあるなしってのが女性が男に求める条件と
しては大きいのかもしれない。

これを、個人的に言い換えると、「説得力」とか「存在感」という
言葉になる。

よく、言葉には「たましい」、すなわち言霊の力がある、なんてよく
言われる。
例えば数人の男性が、一人の女性に対して「結婚してください」って
言ったとしても、その願いが全員かなうわけではなく、かなうのは
一人の男性になる(少なくとも法律上は)

すなわち、言われた側の女性は一斉にプロポーズしてきた男性の
中から、最も自分の条件に近い人を選んだわけですね。
で、その条件は、例えばルックスだったり、収入だったり、優しさ
だったり、様々だと思うんだけど、一つだけはっきりしているのは、
選ばれた男性は他の男性に比べて、その女性にとっては説得力や
存在感があったといえるわけだ。

で、男の側としては、その相手を説得できる条件というのは、ルック
スとか収入とかにいきがちなのかもしれないけれど、「肝腎な時に逃
げない」「頼りがいがある」ように見えるっていうのも重要なんじゃ
ないのかな。

ここで重要なのは、その人がどれだけの覚悟をもっているかという事
よりも、「ありそうに見えるかどうか」って事かもしれない。
で、そういう時の存在感としては、「声」とか「その人らしさ」って
いうのも重要なんじゃないかなと思うんだよね。

倉田真由美が斉藤孝にはエロスを感じずに緒方拳に参ってしまうのも
斉藤孝の声がかん高く、緒方拳の声が低く渋いって事もあるだろうし
また緒方拳には、実際はどうかはわからないけれど、「修羅場をく
ぐってきた男」らしさが備わっているんだと思うし。

実際に修羅場が起こった時にどうするかは別として、それでもより、
「頼りがいのある男」を求める女性のマーケットっていうのはあるん
じゃないのかな、と思うのだ。

ただまあ、実際問題として、そういう事態になった時、本当にたくま
しくて強いのは、実は女性なのかもしれないけれど。

でも、できれば女性には、「いざという時には頼りにするわ」という
甘える態度を男性には持っていて欲しいとも思う。

少なくとも自分は「おだてられると伸びる」タイプだったりするし。



2003年11月19日(水) 男女の会話と意外性

という事で、「気持ちいいけどエロスのない」会話の続き。

私が何を思い出したかといえば、今年ジュンク堂で行なわれた、
古武術家、甲野善紀のトークイベントでの話。

なんで武術の話と男女の会話が関連するかは置いといて。
甲野善紀が言ったことを要約すると、「一定のリズムに乗った攻撃は
かわしやすい。だから、相手に勝つためには、相手の裏をかく必要が
ある」という話をしていたのだった。

これと同じ事を書いているのが、内田樹著「私の身体は頭がいい」
中の一節。


自分と相手が同じ身体運用文法に則って動くことを武道では「拍子が
合う」「拍子に乗る」あるいは「合気される」と言う。自分と相手の
動きやリズムが合ってしまうことである。

これは武道的にはネガティブな状況である。なぜなら、「拍子が合う」
ということは、自分の動きの方向や、速さや、強さが、相手に「予測
されている」ということだからである。予測された動きは、どれほど
物理的に強く、速くても、武道的には有効ではない。



で、これを無理矢理?今回の話にあてはめてみる。

そうすると、言葉のキャッチボールとしての会話というのは、相手と
「拍子のあった」会話だといえる。
で、拍子のあった会話の場合、相手がどんな話をしてくるか、とか
相手との会話との間というか、タイミングも予測しやすいという事に
なる。

この事は、会話においては悪いことではない。

むしろ、お互いに会話の間が合わなかったり、また文脈の読み取り
づらい相手との会話というのは、あまり気分のよいものではないし、
またひどく疲れることもある。
男女関係だってなかなか進展しないだろう。

でも、その一方で話し上手な男性より、口下手で寡黙な男性の方が
モテたりもする。例えば、柳沢慎吾と高倉健だったら、自分でも
高倉健に行くかもしれないし。

だから女性にモテるかどうか、という一点においては、相手と「拍
子が合うかどうか」っていうのは、実は最重要課題にはならないの
かも、と思った訳だ。

つまり、「拍子を合わせる」だけではなく、いかに「拍子から外れ」
て、相手の意表をついたところから攻撃?するか、という所にエロス
が出てくるんじゃないのかな、と思うのである。

相手の意表をつく、という事は、相手や自分に隙をつくる、という事
だと思うし、エロスは隙のある所から生まれるような気がするし。

じゃあ、意外性をかく、というか相手の意表をつけば何でもいいのか
といえばそういう訳でもないだろう。

以前書いたツッコミの話 同様、場合によっては相手を傷つけたり、
怒らせたり、マイナスの感情を植え付けてしまう場合もあるわけで。
その辺の加減の上手い人、というのが「モテる会話の達人」と言える
のかもしれない。

でも男女の間に隙というか、色恋を生むためには、やっぱりいい意味
での意外性というか、サプライズがないとね、と思うわけだ。



2003年11月18日(火) 「気持ちいいけどエロスはない」

今回のネタも週刊朝日連載、倉田真由美の「ほやじ日記」から。
今回取り上げるのは、10月31日号掲載の斉藤孝の回。

ベストセラー「声に出して読みたい日本語」の著者である。
倉田真由美曰く「いかにも勉強のできそうな、でも野性味ゼロの
とっちゃんぼうや」TVで見た斉藤孝のイメージそのままなので思わず
笑ってしまった。

倉田真由美は続けてこう書く。
普通、人と人が話す時ってどうしても言葉の行き違いがあったり、
お互いの言葉の意味を誤解し合ったりしてしまうものだ。そしてリア
クションでも想定外の暴投が返ってきたりして、キャッチボールのは
ずがボールの行方を捜す作業に終始してしまったりすることもある。

しかし斉藤孝にはそういう齟齬がない。私が投げるボールを全部うま
くキャッチしてくれる。(略)

私のように、男女のかかわり合いでは会話が最も大事なツールだと思
っているタイプには、斉藤孝は理想的な相手といえる。気持ちのいい
会話はSEXの前戯と同じと思っているタイプには。でもなんでだろう、
彼との会話には男女がないのだ。
会話自体は非常に気持ちいい。(略)

だけどそこにエロスはないんだなあ。気持ちいいけどそれはスポーツ
の気持ちよさと同じで、握手をして笑顔で別れたい清々しさが残るだ
けである



うん、そうなんだよなあ。「気持ちいいけどエロスはない」というの
は、斉藤孝ほどの会話能力のない自分でも(ま、だからこそなのかも
しれないが)感じる事であるわけで。

なんというのか、いわゆる言葉のキャッチボールとしての会話が楽し
いと、それでもう自分の要求が満たされて、満足してしまう自分が
いるんだよね。

だから会話の弾む異性とは、結局色恋というよりは友達関係になって
しまうわけだ。

ただ、ここで誤解のないように?書いておくと何も女友達との間に
エロスを介在させたい訳ではなく、むしろ「モテる訳でもなく苦にも
されない」ポジションの方が居心地がよかったりはするんだけど。

でも、じゃあ女友達ではなく、自分が好きな相手にはどうしよう?
という話になってくるわけだ。
その、個人的な答えとしては、以前日記 に書いたような、山田詠美が
言うところの不健全さ、という問題なんじゃないかなと思うんだが。

倉田真由美は、このコラムの中でこう書く。
「やっぱり男女の会話には時々捕りづらい悪球が交じるからこそ淫靡
が介入する余地があるのかもしれない」

うーん、悪球かあ。
と、思ったところで一つの話を思い出した。
という事で次回に続く。



2003年11月17日(月) 女性は会話に弱い?

最近、図書館をよく利用する。
行くのは区立の中央図書館。
場所は原宿の、竹下通りからちょっと裏道に入ったあたりにある。

ここは、浪人時代に自習室代わりに利用して以来、自分が近所?に
引っ越してきた事もあって、時々利用している図書館なのだ。

この図書館、今では便利な事が二つある。
一つは洋書の貸し出しをしていること。
そしてもう一つは、インターネットで区内の図書館の蔵書検索が
出来て、しかも予約まで出来るようになっていることである。
いやはや、便利な世の中になったもんだ。

また、図書館に通う楽しみの一つは、私が普段は買わない雑誌を、
バックナンバーも含めて読める事。
例えば、ananの星占い特集は、私の密かな楽しみである。

で、今回のネタはそんな風に図書館に行ったついでに手に取った
雑誌から拾ったネタ。

現在、週刊朝日では「だめんずウォーカー」の作者、倉田真由美が
TVで見かける有名人の人物評伝の連載を持っている。
題して「ほやじ日記」。その9月26日号、松本人志の回に、こんな事
を書いている。


私は、初対面の人と表面的などうでもいい会話をするのが大嫌いだ。
以前取材でよく行ったホストクラブでも、「出身はどこですか」
「血液型は何型ですか」「犬と猫どっちが好きですか」……そんなの
初対面のお前に話してどうするってことを毎回聞かれ、しらける思い
をしたものだ。

相手だってべつに本当に聞きたいわけではないのである。話のきっか
けのつもりなのだろうが、会話というのは展開があって初めて楽しく
なるので、ただのQ&Aなんか面白くも何ともない。どうもそこを勘違い
している男が多くてまいってしまう。(略)

女はよく「面白い男が好き」と言うが、それは愉快なジョークをたく
さん知っている男ではなく、会話して面白い男という意味である。

会話とは相手があってこそ成り立つもので、お笑いのショーのような
一方通行ではない相互の絡み合いだ。楽しくて面白い男女の会話は、
SEXの前戯のようなものなのである。



うんうん。これはでも、女だけでなく男にも共通するんじゃないかな
とも思うんだが。

よくね、男の側で陥りやすいのは今で言えば「トリビア君」だろう。
いわゆる雑学王。どうでもいいことまで含めてよく知っている人で
ある。
こういう人は、グループでの飲み会では割と重宝される。様々な話題
を提供できるし、そして何より今だと「トリビアの泉」効果もあるん
だろうし。

でも、例えば二人っきりの会話でトリビア的な会話しかなかったら、
どうだろう。「○○は○○なんだって」「へー」って感じで、何か
うすら寒い会話に終始し、場が持たない気がするのだ。
これって、ちょっと前までの自分だったりもするんだが。ぐさっ。

何でこれが会話としてはつらいというか、寒くなるのかといえば、
トリビアな話が二人の関係性を、変化させる事がないからだろう。
つまり会話がというより二人の関係があったまってはいかないという
事だと思うのだ。

倉田真由美の言うとおり、どうせだったら「会話をSEXの前戯として
楽しめる」人間でいたいと思ったりするのである。




2003年11月16日(日) INFOBAR

そんなわけでINFOBAR。
自分が予約をした段階で、かなりの人気だったらしく、品薄で2週間
以上待たされます、というアナウンスだったんだけど、出会っちゃっ
たものは仕方がない。

他の携帯に関心もいかなくなってしまったので、気長に待つ事にした
訳だ。
で、なんでこの話を今回書いているかと言えば、そう、ついに携帯が
我が家にやってきたわけですね。

さてINFOBAR。実際に手にとってみると、これがまたいいのである。
最初は斬新な?デザインとスクエアなフォルム、そして薄さに関心が
いくんだけど、それより何より、個人的には手に持ったときの金属の
手触りと軽すぎず、適度にずっしりと感じる重量感がいいのだ。

なんつうのかな、ずっと手で持っていても飽きないのである。

ま、以前の携帯が携帯だけに、本体の厚さと重さは比べようがない
んだけど。
でも、逆に言えば軽すぎたらイヤだなあ、と思っていたのが、適度な
重さがちゃんと自己主張しているというか。

薄さに関して言えば、私は普段、携帯をズボンのポケットに入れて
持ち歩いている。今回のINFOBARでは、ズボンに入っていても全く
かさばらず、気にならなくなった。下手すると忘れそうで怖かったり
もするんだけど。

でも、例えばスーツ派の人の場合は、スーツの内ポケットに入れても
ふくらむことがなく、スッと取り出せそうなので、便利なんじゃない
だろうか。

機能に関しても、この冬発売の携帯に比べると、若干見劣りがする
みたいだけど、自分が使っていた2年半前の携帯に比べたら格段の
進歩をしているといえるわけで。

液晶は充分明るくて見やすいし、それに何よりアドレス帳の呼び出し
を数字キーの長押しで簡単にできたり、そこからEメールを送るのも
簡単にできたりと、通信に対する操作のストレスが少なくなった事の
方がうれしかったりするのだ。

うん、これだと今まで以上にストレスなく、気軽に連絡をとりたく
なってしまうかもしれない。
その意味では、「コミュニケーションを誘発するツール」として、
今回の買い替えは正解だったといえるのかも。

P.S.以前の"Gショック携帯"発売時に、同じ携帯を買った友人(ま、
その時は友達の持っている携帯に魅かれて買い換えた訳だが)に、
今回機種変更をしたことを伝えたら、彼もやっぱり同じ携帯(しかも
同じ色)を同じ日に受け取ったらしい。

うーん、やっぱり類は友をよぶんだろうか?



2003年11月15日(土) キレる携帯

もしも、あなたがふと携帯に目をやった時に、自分の携帯の電源が
落ちていたら、どう思うだろうか。
もしくは、メールを打っていたり、画面を布で拭いている瞬間に何の
前触れもなくぷつんと電源が切れてしまったら。

何の話かといえば、ここ一ヶ月位の間、私の携帯に起こる症状なので
ある。

私の使っている携帯は、買ったのが2001年の4、5月だから、もう使って
2年半位になる。
Gショックみたいな外観の携帯で、防水、対衝撃機能のあるゴツイ奴
である。

別にアウトドアで使う目的に買った訳ではないけれど、外装がはげに
くかったり、また今となっては珍しいストレートタイプの携帯だった
こともあって、このままずーっと時代遅れのまま使い続けてもいいか
なーと思う携帯だった。

でもさすがに2年半も経つと寿命に近づくらしく、冒頭に書いたような
症状が出てくるようになってしまった訳だ。
auの社員の友達に相談しても、もう寿命だよ、とあっさり言われて
しまったし。

私はそんなに重度の携帯依存症と言うわけではない。
でもやっぱり、携帯の電源が落ちているのは、ちょっと気分が悪かっ
たりする。

携帯っていうのは、やっぱりつながっている事が前提というか、つな
がっているという信用?を商売にしているのかもしれない。
だから、電車に乗っている間でも、なかなか電源は落とせなかったり
するんだろうなあ。

で、まあそんな状態だったので、機種変更を考え出したんだけど、
おりしもちょうど新製品発表の時期。
じゃあ、従来機種もお買い得になるからそっちにしようかなあ、と
思いながらauショップに立ち寄った時に見つけちゃった訳ですね、
風変わりな携帯を。

それがINFOBAR 。今現在、auのCMで見かけるようになったアレである。

最初はでも、極物っぽいなあ、と思っていたんだけど、実際に手を
とってみて、たちまち惚れちゃった訳ですね。

と、いうことで次回に続く。



2003年11月14日(金) 女性は言葉に弱い?

先日、「行列のできる法律相談所」の中で、格闘家、角田信明がこんな
エピソードを紹介していた。

角田信明が昔、サラリーマンをしていた当時の話。
クリスマス?に彼女のためにホテルのスイートルームを予約し、
彼女をそこに連れて行く時の事。

本当はフレンチのディナーの予約もしていた角田信明が、冗談めいて
彼女に「ホテルの予約で大金使ってしまったから、お金なくてごめん
なあ、夕食は牛丼でもいいか?」と聞いた所、
彼女はその場で「え?」と引いてしまったらしい。
曰く「牛丼を食べる人なんて信じられない」

その言葉に切れてしまった角田信明はその場で彼女を下ろし、一人で
ホテルのスイートルームに行き、二人分のディナーを食べたそうな。


さて、この話を聞いたあなたは一体どんな風に思っただろうか。
やっぱり、女には男のロマンはわかんないんだよ、と思うのか、それ
とも、そもそもそんな冗談を言う角田信明が悪いんだよと思うのか。

この話を聞いて思い出した話がある。
それは田口ランディと整体師、寺門琢己の対談本「からだのひみつ」
の中の一節。


寺門 だけど最近、女の弱点がちょっと見えてきて。

田口 なんですか?

寺門 言葉ですね。

田口 ああ……。女が言葉に弱いっていうのの一番の例はね、パソ
コン通信のEメール恋愛にはまる女の人。相手の男のEメールの
言葉だけでどっぷり大恋愛にはまっていくんですよ、みんな。
完璧に言葉だけで実体がなくっても恋ができちゃうんですよ。
女って。

寺門 例えば仕事で妻に愛を表現しようと思ってる男はいっぱいいる
と思うんですけど。

田口 だめなの、言葉で表現しないとー(笑)。

寺門 どれだけがんばって業績をあげても捨てられるんだ、これが。

田口 そうですそうですー、スルドーイ、そのとおりー(笑)。

寺門 飲んだくれてて、全然稼ぎがなくても口さえうまかったらなん
とかなるのね。この重要性がやっと見えましたよ。

田口 いや、それは素晴らしいですね、真理ですよ。とにかく口なん
ですよ。もう、口約束だけでいいんですよ、女は。

寺門 しかも、結果はなくていいんですよね。

田口 結果はなくていい、全然。えんえんと約束さえしつづけてくれ
れば(笑)。



まあ、この話が全ての女性に当てはまるかどうかはおいといて。

でも、個人的な体験に照らしてみても、もしかしたらそうかも、と
思い当たる節がある。
女性って言葉が全てになる場合ってあるような気がするのだ。

だから例えば、相手にプロポーズする時、「お前を幸せにするよ」と
言うのと、「できれば幸せにしたい」と言う場合では、後者の方が
言う側の男性としては、誠意あふれる本心だったとしても、前者の
様に言い切った人の勝ち。
「言うんだったら、条件つけずにスパッと言えよ」と思っている女性
ってもしかしたら多いのかもしれない。


また、先程の角田信明の例で言えば、いかに後に高級なスイートルー
ムが待っていたとしても、「牛丼でもいいか?」と言われた瞬間、
彼女の頭の中では高価なスイートルームで寂しく牛丼を食べている
風景がこびりつき、離れなくなってしまったのかもしれない。

仮にそんな状態で高級フレンチを食べたとしても、あんな事言われな
かったら、もっとこの料理を楽しめたのに、なんて思ってたりするの
かも、しれない。


また、例えばつきあっている彼女に、本心はそう思っていなくても
「ブス」だの「ブサイク」だの言っている人と、「可愛いよ」と言っ
ている彼氏では、例え実際の見た目は可愛くなかったとしても、普段
から「可愛いよ」といわれている女の子の方が、精神衛生的には、
可愛く振舞えているような気がする。

女の子って、特に好きな相手には、否定の言葉よりは誉める言葉を
言われたいんじゃないのかな。
だって好きな相手だったら、赤の他人に言われるより、余計傷ついた
りもする訳だから。


と、言うことにもう少し早く気付いていたら、私の人生も、もう少し
違った展開だったかも。
でも、そうは思っていても、なかなか実行に移すのが難しかったりも
するあたりに、私の人生の難しさがあるわけだけど。



2003年11月13日(木) イラク派遣は何がいびつなのか

今回のネタは自衛隊のイラク派遣問題。
この問題、国会議員や、様々な人たちの話を聞いていても、今ひとつ
構図がよく見えない気がするのは何故なんだろうか。

イラク派遣をしたい政府側が何を意図しているのかは、見えてくる
気がする。
すなわち、国際貢献という名の下に、ここで自衛隊を派遣すれば、
日本も諸外国と同様の「普通の国」になることが出来るし、また
イラク統治に苦労しているアメリカに恩を売るまではいかなくても
いい顔をする事はできる。

'91年の湾岸戦争当時、自衛隊を出さずに金だけ出した日本が、出した
金額の割に、諸外国からちっとも尊敬されなかった事がよほど骨身に
染みているらしい。


その一方、イラク派遣に反対する人たちの立場は実はバラバラだった
りする。
自ら戦争体験をしている野中広務や、後藤田正晴の場合は、「日本人
が外国人に銃を向け、再び血を流させるなんてとんでもない」という
言い方をする。

それに対して民主党や、マスメディアが反対する理由は、自衛隊を
戦闘地域に派遣して、もしも死んだらどうするつもりか」という意見
である。
この二つの意見、似ているようで、実は大きく異なると思うのだ。


で、事態を更にややこしくしていると思うのは、反対意見に対する
政府の見解である。
すなわち、イラクの中でも、比較的危なくない非戦闘地域に自衛隊を
派遣をするんだから、彼らは安全である、という言い方。

おいおい、国連でさえ危険だから、という理由でイラク人以外の職員
を撤退させ、しかもアメリカ人のみならずイタリア兵まで攻撃されて
いる時期なのに、そんな言葉が成立すると思っているのかな。


とりあえず、何が何でも自衛隊はイラクに派遣しなくちゃいけない。
この言葉がドグマになってしまい、そのためには実際にはありも
しない、非戦闘の安全地域という願念をつくり、それで押し通そうと
いうこの態度。

「進め1億火の玉だ」と竹やりでB29を落とそうとしていた、60年前と
一体何が違うと言うんだろうか。

今回の議論の一番の危うさは、現実の分析をせずに、観念上の言葉で
押し通そうとする政府の見解だろう。
そんな状態で派遣される自衛隊こそ、一番の被害者かもしれない。
だって派遣したって、誰かに尊敬される訳ではなく、もしかしたら
命をかけているのに非難されるかもしれない訳だから。


この先、日本が取りうる選択肢は二つしかない。
イラク派遣をゴリ押しし、自衛隊かもしくは現地の人間の血が流さ
れるリスクと責任を負う事か、もしくはここで自衛隊の派遣をとり
やめて、少なくともアメリカの顰蹙を買う事である。

どっちを取るにしても勝ちはなく、損をするのは間違いない。
そして自衛隊の人間の命と、アメリカの顰蹙と、日本政府がどっちに
重きを置いているかは明らかだろう。

私たちは、日本は戦争を放棄してもう血は流しません、という立場で
いる事は難しくなってしまったんだと思うのだ。


でもね、本当はもっと違った解決法があったと思うんだよね。

つまり、安易に自衛隊の派遣なんて方法をとらずに、アメリカと
イラクの間に入って、仲介の立場をとる方法だってあったんじゃない
かな、と思うのだ。

だって、一応日本は戦争を放棄した国だと世界各国には認知されては
いる訳だから。
もしも、日本に素晴らしい外交能力なんてものがあったら、例えアメ
リカの不評を買う事はあっても、国際社会的には、評価される方法
だってあったはずだと思うのに。


オウム真理教の内側からのドキュメンタリー映画、「A」及び「A2」の
監督、森達也の著書 「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」
中にこんなくだりがある。

これは映画「A2」を上映するために中東のベイルートに行った森達也
に、日本に映画を学ぶために行った経験を持つ留学生が言った言葉。


「日本には本当に期待していました。なぜなら現代の先進諸国の中で
は、唯一の非キリスト教国家です。しかも太平洋戦争では原爆まで
落とされて悲劇的な敗戦をしたのに、その後の経済成長も突出して
います。平和憲法という理念にも感動しました。とにかくあらゆる
意味で、私たちアラブ諸国の手本になる国だと思っていました。その
日本に学び、日本の文化を吸収することが、自分の夢と絶対重なると
思っていました」

「……過去形だね?」

「過去形です。テロに対して報復を宣言したアメリカに対して、日本
は違うオプション呈示できる国だったはずです。私はそれを期待して
いました。でも結局日本は何も示せませんでした。アメリカが怒るの
はわかります。自国の国民が何千人も死んだし感情的になるのも無理
はないです。イギリスや他のヨーロッパ諸国の心情も、共感はできな
いけどある程度は理解できます。

でも、少なくとも日本は、もっと独自のスタンスを示せる国だと私は
思っていました。大袈裟ではなく、今の混迷する世界の舵を取れる
資質と体験がある国のはずと思っていました。でももう全てに失望し
ました。友人のシリア人も同じことを口にしていました。今回のテロ
とアメリカの空爆への流れの中で、皆が一番期待していた国は実は
日本です。そしていちばん失望させられた国も日本です」



一体、私たちはイラクに自衛隊を派遣することで、誰に尊敬された
かったのか。
日本の国民?中東に住み、戦火におびえる人たち?
それとも、ジョージ・ブッシュにいい顔をして見せる事?
そしてその結果、フランスやドイツや中国とはギクシャクして、
しかも中東の人たちを失望させる事?

そんな大儀も何もないままに、ただ自衛隊の人たちの血や、現地人の
血が流されてしまう事。そんな大儀なき派遣で日本が失っていくもの
は一体どれ位の大きさになるんだろうか。



2003年11月12日(水) 選挙戦総括

前回偉そうなことは言わない、と書いていたんだけど、
ここで選挙戦を思いつきで総括してみる。

と、いうのは火曜日に発売された新聞系の週刊誌の見出しが、
ちょっと個人的な感覚とはかけ離れていたからだ。

曰く、「自民メルトダウン」「小泉神話の終わり」
「民主党政権へ」などなど。

そうなのかなー。
結局今回って、民主党が、小選挙区では保守新党、社民党、共産党の
議席を食いまくった分躍進しただけなんじゃないかと思うのだ。

社民党、共産党が大きく議席を減らした理由の一つは、アンチ自民党
票が、民主党に集中したこともあると思う。
すなわち、前回の総選挙では、自民には入れたくないけれど、民主党
にも入れたくはないなーって人が社民、共産党に流れていたんだと
思うんだが、今回はそういう人たちが民主に入れてもいいかなと
思った結果が反映されたんじゃないのかな。

つまり、自民VSアンチ自民と言う構図で言えば、投票行動は前回に
比べても大きくは異なってはいなかったって事なんじゃないかな、
とも思うのだ。


もう一つは、例えば山崎拓、太田誠一、毒饅頭を食ったとされた村岡
元幹事長、そして今回は出馬を断念した結果、議席のなくなった鈴木
宗男など、いわゆる問題議員?が落選した結果、自民党は単独での
過半数割れを起こしたといえるような気がするのだ。

彼らが何も問題を起こさずに、当たり前のように当選していたら、
自民圧勝という見出しでもおかしくはなかったのかもしれない。

でも、逆に言えば中選挙区制とは違って、どんなにベテランの議員
でも、何らかの問題行動があれば、落ちる事もあるって事が証明
された訳で。

社民党が大きく議席を下げた理由も、別に護憲勢力が敗退した訳では
なく、秘書給与問題でちゃんと説明の出来なかったからこそ、国民の
支持を得られることができなかった、という見方も出来るんじゃない
かな、とも思うわけだし。

そういう意味では、その選挙区の有権者の良識?が選挙で反映される
様になったって事で歓迎すべき事のような気もするのだ。
って事は奈良一区の高市早苗は、日本テレビ前で六甲おろしさえ
歌わなければ、落ちることはなかったって事なのかも。

今度からは、国会開催中に居眠りをしている議員ランキングとか、
どっかで出してくんないかな。
そうしたら、もっとマシな議員が増えると思うんだけど。



2003年11月11日(火) 聞くとやるとの大違い

池袋東口にジュンク堂書店という大型書店がある。
駅からはちょっと離れているんだけど、隣にあるスターバックス2階
のソファ席と共に、私にとっては隠れた憩いのスペースなのだ。

でこの書店で月に何回か、トークセッションというイベントがある。
本の販促のイベントで、著者自身に直接会って、話を聞けるという
催しものな訳だ。

このイベント、日記には書いてないんだけど、実は今年も何回か参加
をしている。
今年になって行ったのは、古武術家で 現在NHK教育で講座番組もやって
いる甲野善紀、 「快読100万語!ペーパーバックへの道」の著者、酒井邦秀
そして、精神科医の香山リカなどなど。

やっぱり著者本人に話を聞けるチャンスなんてそんなにある訳では
ないので、個人的には有意義なイベントだったりするのだ。
ただし、その後まんまと宣伝に乗っかって、本を買ってしまうのが
玉にきず?なんだけど。

で、今回のイベントは、演出家 竹内敏晴
演出家というよりは、「ことばが劈かれるとき」「からだとことばの
レッスン」など、身体論やその実践としてのワークショップの主宰者
というイメージの強い人である。

元々、私自身が職業柄、身体論に興味を持っていることと、竹内敏晴
に関しては以前、私の友達がレッスンを受けていて、面白かったよ、
と言われていたこともあって、機会があったら会ってみたいと思って
いた人だったのだ。

で、実際に会った(見た)印象で言えば、とても78歳とは思えない位
生命力にあふれた人だった。

話もとても面白く、個人的には為になる事が多かったんだけど、
それより何より、今回一番の白眉だった事は、最後に「からだと
ことばのレッスン」を受けられた事だろう。

これがなんというか、目からうろこがぽろぽろと落ちるような体験
だったんですね。
やっぱり見ているのと実際にやってみるのとは大違いというか。

一応、身体論に対して理解があると自負していた自分でも、
外側から想像しているのと実際に身体を動かしてみるのとは大違い、
という当たり前の事に改めて気がつかされた訳だ。

この感動を言葉にできればいいんだけど、それを言葉にしても、
ちゃんと伝える自信がないというか、やっぱり難しいだよね。

でも、言葉と身体の結びつきに関して、ちょっと考え方が変わった
かもしれない。
言葉には魂があるっていうのはよく言われる事だけど、その言葉の
力がどこにあるのかがちょっと解りかけたというか。

もう少し経った時、もしかしたら私の表現力は変わってくるのかも。



2003年11月09日(日) 総選挙

11月9日は、総選挙の日だった。
結果的には、民主党は大躍進したという評価は受けたものの、
政権奪取には至らず、当初は前回獲得議席の233議席にもたどり
つかないと思われた自民党は結果的に単独過半数の241議席には
たどりつかなかったが、237議席を獲得し、与党3党では、275
議席を獲得した。

その一方で、投票率は60%に到達せず、全国の有権者の内、4000万
人が、自らの権利を放棄した形になった。

で、その事に関して何かを偉そうに語ろうという気はさらさらない。
でも個人的な密かな?楽しみは、各局の選挙特番を見ることだったり
するのだ。

いや、まあ誰が受かろうが落ちようが、個人的に関係ないっちゃない
んだけど、各局がどんな切り口でこの総選挙を眺めるのかっていうの
は、結構面白かったり。

今回、意外と?面白かった選挙特番は、フジTVだろう。
選挙のトリビアとか、面白かったし。

例えば、投票所に一番乗りした人は、投票箱にタネも仕掛けもない事
を確認するために、投票箱の中を見ることができるとか、
田中真紀子の目白の家から、地元の家に着くまでの間、車は3回しか
交差点を曲がらない、とか。
へーへーへーへー。

今回の特番は、例えば扇千景とか、田中康夫とかは各局掛け持ちで
出てたんで、あまり出演者によっての各局の特徴とかはなかったのが
ちょっと残念だったかも。

逆に自民党の幹部関係は、TV朝日ではインタビューを受けなかった
のが、新鮮といえば新鮮だったかも。
なんでも、選挙直前のニュースステーションで、民主党の閣僚名簿を
長い時間取り上げたのが、自民党の気に障ったらしい。

普段は民主党の合併大会に藤井道路総裁の更迭をぶつけるなど、
自分達の放送時間を多くするように仕向けているのにね。

その中で、ちょっと個人的におっ、と思った発言を書いておくと、
扇千景が、今回の民主党の躍進に対してコメントを求められた時、
この結果はやはりマニフェストの影響でしょうか?と聞かれて、
「マニフェストなんて政権が取れなかったらただの紙切れですから」
と言い放った事。

おー、なんかさすがは元党首。普段はおっとりしていても、ここぞと
言う時は迫力あるなあ、なんて思ったり。
ただし、自らの所属政党である保守新党は、党首も落選する(自民党
との候補者調整がうまくいかなったおまけつき)という憂き目に
あってしまった訳ですが。

もう一つは、小沢一郎が、今回の選挙を総括していった言葉。
「民主党の候補者は、風に頼った選挙戦略をしていて、まだまだ
頼りない。本当に政権を取ろうと思うのなら、もっと地元で積極的
な選挙活動を繰り広げないと、自民党にはかなわない」

この言葉もさすがは百戦錬磨をたたかってきた、選挙名人の言葉だと
言えるかも。
そうだよなー、もしも民主党が本当に政権を取る気になるんだったら
民主党政権になったらよくなるかも?と思わせるだけの迫力を持たな
きゃ駄目なんじゃないだろうか。

ま、その前に次回の総選挙までの間に、民主党がまた再分裂をしない
という前提条件があるんだけど。
その意味では今回の結果は、妥当な結果だったといえるのかも
しれない。



2003年11月05日(水) 恋する腎臓

1年を通じて、私には波がある。
体調の波もあれば、活動の波もある。

大体、秋頃になるとインターネットに対する興味が薄れるのだ。
その間、別に落ち込んだり引きこもっているわけでもなく、また仕事
は普段と変わらずにちゃんとこなしているんだけど、ネットサーフィ
ンをしたり、メールを送ったり、掲示板にレスを打ったりするのは
気が引けてしまう。

不思議なもんでネットで書き込みをするようになって数年経った今で
も同じで、まあ、だからこそこの日記も2ヶ月近くさぼったりした訳
だ。

これはこの時期だけでなく、時には年2、3回あることもあるし
個人的には結構不思議だったりする訳ですね。

で、このことに直接関係するかどうかはともかくとして、こんな文章
があったのを思い出した。

田口ランディと整体師寺門琢己の対談本「からだのひみつ」 の一節。


寺門  いいセックスを体験するには、元気な腎臓が大切です。だか
    ら相性が完璧の相手でも、疲労で腎臓のボルテージが落ちて
    いくと、同じ快感は得られないんです

田口  ほんとですか……すごい。

寺門  ひと夏の恋は冷めやすい。たくさん水を飲むし、汗もかく。
    エッチもたくさんして、かなり腎臓を酷使する。だけど秋口
    に入って一風吹くと、腎臓の疲労が明確化するんですよ。
    その時に『あ、この男もういらない』って。(略)

寺門  でも、ほんとにそうですよ。そうかな、と思って見てみると、
    「別れました」って。それで秋はちょっと本を読んだり勉強
    したりしようかな、っていう気分になるんです。

田口  腎臓も疲れてるし、うちでおとなしくしようかなーみたいな。

寺門  で、二、三ヶ月もするとまた腎臓が元気になってきて、真冬、
    木枯らしが吹いて寒い季節になると、人肌恋しくなって。

田口  クリスマスあたりに盛り上がってくるんですね。わかりやすい
    なー人間って。



田口ランディはともかくとして、もう一人の寺門琢己について、
ちょっと説明しておくと、主に女の子向けに「かわいいからだ」等の
本を書いている整体師である。

身体について、自分達の仕事をわかりやすい言葉に置き換えて書いて
いる人で、その説明がうまいなあ、と思う人なのである。


で、今回引用した話に戻ると思い当たる人も結構いるかもしれない。

まあ、本当に腎臓の力が関係するのか、厳然としたデータがある訳で
はないけれど、でもそんな感じで、秋口になると、何故か恋が冷めて
しまう人っているんじゃないかなあ、と思うのだ。

そんな風に、人ってやっぱり身体の様々な状態で好不調の波があって
も不思議ではないのかもしれない。

だからまあ、私の恋が果たして毎回秋で終わるかどうかは別として、
秋口はインターネットに対する興味が薄れる季節にも何らかの理由は
あるのかもしれない。

要はある種の言い訳ですが。






2003年11月03日(月) テスト・ザ・ネイション

今日、IQテスト番組の「テスト・ザ・ネイション」が放送された。
元々はオランダのTV番組だったらしいこの番組。

以前、英国のBBC放送が行なった内容というのを、読冊日記という日記
サイト
で知っていたので、前からちょっと興味を持っていたのだった。
IQテスト自体の内容にも興味はあったんだけど、それよりその結果の
分析がちょっと面白そうだったんですね。

ただ、まあ自分がやるのは面倒くさいなあ、と思っていたんだけど、
たまたまその時間に家にいて、TVをつけたらやっていたので、思わず
紙とペンを用意して参加することに。

ええ、きっちりとやりましたよ、3時間。

で、結果はというと、IQは118でした。
番組参加者の平均値で言うと、東大生にはわずかに?負けたけれど、
医者の平均値よりは上でした。
ってことはそこそこIQは高いって事?

ちなみに言語能力だとか、論理、知覚、記憶、数字なんていう風に
分野が分けられているんだけど、その中では数字と記憶が悪く、ほぼ
本人の予想通りでございました。


で、肝心の?楽しみにしていた分析は、思ったほど時間がなくて
ちょっとつまんなかった印象でした。

BBCの結果では、酒を飲む人と飲まない人とか(ちなみに飲む人が
高い)、収入の高い・低い(低い人のほうが高い)など、面白い
分析があったらしいんだけど。

面白かったのは、どのプロ野球ファンのIQが高いか、という項目で、
巨人をはじめ、セリーグファンのIQが相対的に低く、パリーグファン
のIQが高かった事。

ことに巨人ファンは最もIQが低く、逆に最もIQが高く出たのはロッテ
ファンと、日ハムファンだった事。

やっぱりBチームでいることの多いパリーグファンの場合は、観戦
するにしても、一筋縄ではいかなくて、楽しみ方を創出する必要が
あるんだろうか。
さすがは巨人ファンに、応援の仕方をパクられただけの事はあるの
かな。

もしくは、そもそものファンの絶対数が違うから、一人でもIQ偏差値
の高い人がいれば、その値が伸びたんだろうか。

とまあ、結果の全てを鵜呑みにする訳にはいかないけれど、話のネタ
としては結構面白い試みだったといえるんじゃないかなあ。

ただ、再び来年やったとしても、ちゃんとテストに参加するかは
大変そうなんで、ちょっと微妙。


 < 過去  INDEX  未来 >


harry [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加