パラダイムチェンジ

2003年02月12日(水) ツッコミは愛

できれば、毎週欠かさずに見たいと思うTV番組の一つに
日テレの「行列のできる法律相談所」がある。

身近な問題を、法律としてはどう判断を下すのか、毎回
ドラマ仕立てになっていて、その判断を4人の弁護士が下す。
4人の判断が、微妙に食い違っていたり中には司法的な判断という
よりは、浪曲じみた判断になることも含めて、面白い番組だと思う。

でも私が一番楽しみにしているのは、島田紳助のツッコミである。
島田紳助のツッコミは元々好きなんだけど、この番組ではそれが
存分に見られるのがうれしかったりするのだ。

島田紳助のツッコミは、この番組の中でも時々、侮辱罪に相当するか
なんて特集をやっていて、立派に侮辱罪として成立する、なんて
法律判断が下されるくらい、結構キツイ事を言ってたりする。

まあ出演している芸能人も、自分がつっこまれることは期待?して
いる訳だけど、見た目には、どんなにキツイように見えるツッコミで
も、島田紳助が話しているとギリギリのところでシャレですんでいる
ように見える。
その力量ってすごいなあ、といつも感心しながら見ているのだ。


日常の私も、実はツッコミ型人間である。
そこにやや、天然ボケ気質も混じっているあたりで、話が難しくなる
というか、複雑な魅力を醸し出していると、本人は信じているので
あるが。

でも、ツッコミって思っているより、実は結構難しいものなのだ。

元々、私たちがツッコミとして広く認知?しているのは、ボケ役に
対してのツッコミ、すなわち受ける役回りだろう。
爆笑問題の田中しかり、さま〜ずの三村しかり、ナイナイの矢部や
そして、ダウンタウンの浜田など、基本的にボケ役がボケたことに
対して、そのズレを一種説明することで、お客さんから笑いをとる。

逆に言えば、ボケがボケた内容を上手く観客の立場で、しかも瞬時に
ツッコミを入れられなければ、上手いツッコミとはなかなか言えない。

そのボケをお客さんに共感してもらえるように上手く加工するのが
ツッコミの役割なわけだ。
その場合いち早くボケに対してツッコミを入れられるスピードこそ
が要求されているような気がする。

しかしながら、島田紳助の場合、今はピン芸であるから、わざわざ
わかりやすいボケを演じてくれる出演者がいるわけではない。
逆に普段どおりにしている出演者の中から、実はこの人こんなに
おかしいんでっせ、という観客でも共有できる構図のズレ、を見つけ
出して、それを観客に提供して笑いをとる。

多くの場合、そのズレは本人も気づいていないものだから、言われた
本人も苦笑いというか、思わず笑ってしまう状況になってしまう。
すなわち、島田紳助は笑いの創造と加工を行っているのだ。
なんて書くと、大げさすぎるかな。

この前見た「キスイヤ!」では、そんなに綺麗じゃねえだろ、と
おそらくは観客も思っている女の子(素人)に対して、
「そんなに綺麗じゃない私がなんで?とか思ってるでしょ?」と
堂々とツッコミをいれて笑いを取り、すかさず「失礼だろ!」と
その罪を共演者の熊谷真美になすりつけてフォローを入れる。

端から見るとずいぶんとひどいことをしているように見えるけど
ちゃんとその場は笑いとして成立しているのだ。


それでは、なぜそのツッコミが笑いとして成立しているんだろうか。
島田紳助の場合特に感じるのは、ツッコミの対象に対しての愛、
である。

彼は愛のないツッコミは、少なくとも番組上では見せないような
気がする。
彼がその対象に愛を感じない場合、おそらくはその存在を無視して
しまうような気がするのだ。

逆に言えば、対象に対して愛のないツッコミは、単なる誹謗中傷で
しかないわけだ。たとえ、そこで笑いが起こったとしても、ツッコミ
を入れられた方が、不快に思った場合はツッコミとしては失格なのかも
しれない。


私たちは、相手から発せられた言葉を額面どおり、そのまま受け取って
いる訳では、決してない。
例えば私が誰かに「馬鹿だなあ」と言ったとして、そこに含まれる
情報は、実は様々である。

本当に相手のことを馬鹿だと思って言ったのかもしれないし、
そうではなく、相手に対してある種の親愛の情を持って言ったのかも
しれない。

人が発した言葉は、その場の雰囲気や、言った人の表情やしぐさに
よって、実は正反対の意味にもなるわけだ。

逆に言えば、見ず知らずのしかも日本語が少しだけわかる外国人に
「馬鹿だなあ」と言ったとしても、その正確なニュアンスは通じずに
ただ単に相手の機嫌を損ねるだけ、かもしれない。

ツッコミにおける愛というのは、そのツッコミを入れる側の心情が
理解できるくらいの近しい関係であって初めて成立するもののような
気がするのだ。


ひるがえって、インターネット上の発言について考えてみる。
ネット上では、しばしば刺激的な表現を目にすることがある。
もしかすると本人は荒らすつもりはなかったとしても、その意図が
伝わるのは難しいような気もするのだ。

なぜならその発言を読んでいる私は、発言している人間が実はどんな
人間であるのか、知らなければその意図を正確に知ることは困難だと
思うからだ。

本人は、いつも身近な人に対してしているのと同様の、近しい人
モードで発言をしているだけのつもりでも、ネット上のマナーとして
は、それはただ単にその人自身の幼さというか、甘えているように
しか見えないことってあるのかもしれない。

そしてネット上のコミュニケーションの難しさって、こんな風に文字
だけでは伝わらないものもあるってことにあるのかもしれない。

だから、個人的にはインターネット上に書き込みをする時は、
その発言が成立するのかどうか、結構気をつかっていたりもするのだ。
ただし、気を使って洗練しすぎて、自分の言いたいことがボケてしま
ったりすることもあるんだけど。
でもよほど関係が親しくない限り、逆に言えば相手との距離を感じれば
感じるほど、最低限の礼儀は、やはり必要なのかもしれない。

まあ、でもだからといってやたらと四角四面の礼儀だけで中身の
ない発言なんてのは、見るだけで疲れてしまうわけだけど。


島田紳助の場合、その対象となる人にとって、どこまでが洒落として
許され、そしてどこまでが許されないのか、その見極めが抜群に
上手いんだと思う。

一見、ひどいことを勝手に言っているだけのように見えるけどそこには
精密な計算があるのかもしれない。
だから彼のツッコミの技は、目上の人間に向かうとき、抜群の冴えを
見せる。

彼がツッコミを与えることで、そのツッコミを入れられた相手は
その瞬間、その場でスポットライトを浴びることになる。
番組を見ていると、誰か特定の人だけをいじり倒しているのではなく
出来る限り、多くの出演者にそのスポットライトの当たる瞬間を
演出しているようにも思える。

そしてもしかするとそれは、このネット時代のいいコミュニケーション
の方法論なんじゃないかなあ。
なんて事をいつも考えて見ているわけでは決してないが。

ただ、ツッコミ型人間を自負?する自分としては、あまり相手を
不快にさせずに相手をも活かす、ツッコミの手法を日々磨きたいと
思っているわけだ。

といいつつも、普段私の暴言に悩まされている人たちはごめんなさい。
頼むから、訴えないでね。


P.S. 1月30日の日記 で、ズーニー山田さんのコラムの内容を
参考にしたんだけど、その後ズーニーさんに送ったメールの
内容が、 最新のコラム に取り上げられていて、ビックリした。

こういうのって、なんかちょっとうれしかったりもする。
ズーニー先生、ありがとうございました。


 < 過去  INDEX  未来 >


harry [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加