パラダイムチェンジ

2003年04月30日(水) 対決より対話

さて、今回は前回の続き。
ここしばらく、やたらと固い話が続いているけど、まあ、そんな気分だ
ということでご容赦を。

前回のおさらいを簡単にしておくと、雑誌に載ったインリンのインタ
ビュー記事に始まり、ブルーハーツの『青空』の中の歌詞に半ば強引?
に結びつけたところで終わったんだった。

でね、なんでそんなことをしたかというと、頭の片隅には、北朝鮮と、
そして今現在、ワイドショーとニュースを賑わせている「白装束」の
集団のことが頭に浮かんだからである。
白装束の集団に関しては、今現在、どうにもコメントのしようがないか
ら、触れるにしてもまたそのうちに。

前回のインリンの発言を端的に言えば、「対決より対話」という事だと
思う。

でもね、例えば北朝鮮の問題やら、そしてまた白装束の集団の、とりつ
くしまのないさま、を見るにつけ、そんな事いっても、ああいう集団と
対話なんてできないだろうし、したって何も結論なんか出ないんじゃな
いの?と思う人もいると思う。
というより、同様の思いは、実は自分の中にも存在していたりする。

でも、それでもやはり、個人的には「対決より対話」だと思うのだ。
それは例えば、学級委員長のように「みんな仲良くしなきゃだめだよ」
なんて杓子定規な意見を言いたいわけではなく。

なぜ、そんなことを思うのか、理由は二つある。

一つは、人が何を考えているのか、見た目ではわからないということ。
そして、人は対話をすることで変わっていく、ということである。

まず、人は何を考えているのか、見た目ではわからない、という事。
その例として、河合隼雄と、吉本ばななの対談本「なるほどの対話」
らこんなエピソードを引いてみる。


河合 聞いた話にこういうのがあります。いま、スクールカウンセラー
   という人がいますね。あるカウンセラーが地方の学校へ行ったら
   ば、そこに茶髪でピアスの「おたずね者」がいた。

吉本 おたずね者とまで言う(笑)。

河合 中学校なんですけどね。その「おたずね者」は無理やりカウンセ
   ラーのところに連れてこられたわけです。で、話をしているうち
   にその子はわかったんでしょうね、パッと正面を向いて、「先生
   はなんのために生きているんですか」と訊くわけです。カウンセ
   ラーはたじたじとしてね。すぐには答えられないでしょ。「うー
   ん、それはすごく大事なことだと思う。自分も一生懸命考えてる
   んだけど、あなたにいますぐ言葉で伝えられるほど、まだわかっ
   てはいない」と、こう言った。

   そしたらその子は「私はそのことが話したいんだ」と。ところが
   自分の同級生は、誰もそのことについて話をしないと言うんです。
   彼らはアイドルの話とかしてるわけでしょ。「それができるんだ
   ったら、ここに来る」ということになって、そのカウンセラーの
   ところにしゃべりに来るようになった。そのときに、「みんなは
   アイドルの話とかしてるけど、自分は違う。違うことを明らかに
   するために髪の毛の色を変えているんだ」と言うたそうです。

   すごいですね。そんなもん、わかってくれればいいけれど、親も
   先生も、ぜんぜんわからないわけですから。親は「うちの子は変
   な子だ」と思っているわけでしょ。ところがその子は、人生に真っ
   直ぐに向き合っている。そういう年齢の子たちからもファンレター
   が来るわけですよね。

吉本 でも、そういう子たちは、「親とは口をききません」とか、「誰
   もわかってくれません」とか、「いま病院に入院していて、そこ
   で書いています」と書いてくる。みんなたいへんなんだな、と肌
   身で感じています。(略)



この「おたずね者」さんの場合、おそらくそばにいて、普通にアイドル
の話をしている限り、その子が本当はどんな風に思っているのかは、
わからない。もちろん、他人の気持ちなんてわかるわけない、という
一見クールに見える考え方もあると思う。

だけど、この子を自分たちとは違う、と遠巻きにしていたり、校則違反
だと頭ごなしに決め付けている限り、おそらく本人も、そして周囲も
何も変わらないまま、終わっちゃうんじゃないかな、と思うのだ。


そしてもう一つの理由、人は対話をしていくことで変わっていく、
ということ。

それは今例としてあげた、「おたずね者」さんの場合もそうだけど、
もう一つの例として、適切かどうかはわからないけれど、あえて取り上
げてみたいことがある。
それはあの「オウム真理教」の問題。

オウム真理教、現在はアーレフだっけ、はついこの間元教祖が死刑を求
刑されたことで、再びニュースに登場してきたが、この2、3年、各地で
地元住民による、信者移住拒否運動が起こされてきたことを覚えている
だろうか。

まあ、もちろんいきなり隣にオウム信者を名乗る人が引っ越してきたら、
自分だって嫌かもしれない。さすがにサリンを造る事はないだろうけど、
社会ルールを守らなかったり、なんか変な匂いがしてきたら、地元住民
としては嫌だろうと思うのだ。

そんな感じで、ほんの2、3年前まではオウム真理教と地元の反対運動
のような話が、ニュースに取り上げられていたように思うけど、そう言
えば、最近はそういう話題、なくなってきたなあ、そういえばその後は
どうなったんだろう、とか思いません?


実は、これはもちろん一部の地域の話かもしれないけど、オウム信者た
ちと、地元住民たちの中には、対決姿勢から対話の姿勢へと、その関係
性を変化させていった地域が、何箇所か存在するのだ。

私がたまたま以前、ニュースで見たのは千葉県の松戸市の話だったけど、
最初はお互いに対決姿勢だったのが、話し合いを進めるうちに、段々と
場が和やかになっていき、最終的にオウム信者たちは拠点を引き上げる
ことになったんだけど、その時はオウム監視小屋を、信者と地元住民の
協力によって、取り壊したらしい。
そして、同様の話は例えば吹田市などでもあるらしい。

今現在、オウム信者たちがどこに住んでいるのか、別に個人的には知り
たくはないけれど、彼らがそんな風に地元住民たちとの話し合いを数多
く持つことで、彼らは地元と対立しないで和解をしていく道を探り出そ
うとしているような気もするのだ。

もちろんオウム真理教にしろ、そして北朝鮮にしろ、過去に彼らが犯し
た罪は許されるものではないと思う。もしも私の知り合いに、被害者が
いたら、私は彼らを一生許さないかもしれない。

でも、だからといって彼らと一切の接点を持たず、遠巻きにしている限
り、やはり何も変わらないと思うのだ。


私たちは対話とか、議論をするというと、結論を早く出したいと思う
からか、どうしても対決する姿勢というのを想像してしまう。
だから、変な話、議論が終わるとお互いの土俵の違いだけが浮き彫りに
なって、その後もわだかまりを残してしまう事って多いような気がする。

でもね、対話をする本当の目的って、急いで結論を出すことではなく、
むしろすぐに結論が出なくてもいいんじゃないかな、と思うのだ。

お互いに譲れないところがあるにせよ、そんな風に対話をし続ける内に
お互いの理解が深まり、単なる妥協ではない、今までよりよい解決策が
思いつく可能性だってあるわけだし。

またお互いに対話をするということは、自分の意見を相手に理解しやす
い形に加工したほうが、より伝わりやすいということだから、相手の立
場に立って物を考えたり、自分が本当はどんなことが言いたかったのか、
見直すチャンスに恵まれるということでもある。


そして最後にもう一つ、対話を続ける事の効用は、相手や自分について
いる思い込みという名の色を変えられるということだろう。

普段私たちは意識的にせよ、無意識的にせよ、相手を宙ぶらりんのまま
にはせず、ある一定の枠に当てはめたくなる傾向がある。それは、オウ
ム真理教みたいな集団に限らず、シンプルに自分の敵か味方か、はっき
りとさせた方が、気持ち的に楽になるからかもしれない。

特にマスメディアの取り上げ方にはこの傾向が強いと思う。
すなわち、彼らはその場で結論を出したがるし、一度貼ったレッテルは
容易な事でははがそうとはしない。だって、その方が面倒くさくなくて
便利だし。

だから、一度不倫をした女優は、スキャンダル女優のレッテルをはがす
事はできないし、どんなに恋愛がうまくいっていても、一度何か些細な
事が起これば、あ、やっぱりと思われてしまうのかもしれない。

でもね、その一方でこんな経験はないだろうか。
初めはそんなに好きじゃなくて、この人とは付き合わないだろうなあ、
と思っていた相手と気がついたらつき合っていたとか、結婚していた
とか。
これは最初に自分がつけた色、すなわち思い込みが、つき合って対話を
しているうちに変わっていったって事なんじゃないかな、と思うのだ。

でね、私たちは普段、どうしても同じ色あいを持つ人たちで固まりやす
い傾向があるのかもしれない。
でも、実は小さな差異なんて大した問題ではなく、むしろ様々な多様性
を楽しめるような人生のほうが楽しい人生なんじゃないだろうか。

そして対話をすることは、相手や自分に勝手についた思い込みという名
のレッテルを、少なくとも対話している瞬間はお互いに棚上げすること
になるんじゃないかな、と思うのである。

逆にいえば、自分と同じ土俵の上に立つ人間だけで固まることが、不幸
を呼んでいる場合もあるわけで。
この続きは、また近いうちにでも。



2003年04月28日(月) 生まれたところや皮膚や目の色で

今回目を引いたのは週刊SPAの中の「エッジな人々」というインタビュ
ー記事の中の一言。


―北朝鮮問題については。

「拉致問題は国家的犯罪だと思うけど、今まで積極的に話をしなかった
じゃないですか。『いつミサイルを撃ってくるかわからない』とか言う
だけじゃなくて、コミュニケーションすれば、絶対に変わっていくと
思う。テレビを見てると『北朝鮮は気持ち悪い国なんだ』って、
ある意味、日本人を洗脳しようとしているでしょ。



この発言を見て、うん、そうかも、と思わずうなずいてしまった。
それは身近な例で言えば、韓国のことを考えてみればよくわかると思う。
もしも昨年、日韓ワールドカップが共催ではなく、どちらか一方の国だ
けで開催されていたとしたら、どうだったろう。

おそらくワールドカップ開催以前と同じく、お互いに「近くて遠い国」の
ままだったんじゃないだろうか。
ワールドカップが共催になって、お互いに盛り上げましょうという気分が
高まったからこそ、少なくとも私は韓国に対してより近しい感情を持つ
ようになったし、それは今も変わらない。

そしてその気分を盛りあげてくれたのは、たとえばBOAだったり、ユン
ソナだったり、チョナンカンだったりしたような気がする。
すなわち彼らの姿をTVでよく見かけ、それがあたり前のように感じてい
る現在の状況は、おそらく5年前では考えられなかったことだと思う。

日本が韓国に興味を持つきっかけになったのは、'88年のソウル五輪
あたりからだと思うけど、その時はまだ、名古屋五輪を持ってかれたと
いう悔しさもあってか、韓国で挨拶は「アンニョンハシムニカ」ってい
うんだってよ、位の興味しかわいてなかったと思うのだ。


別の見方をすれば、あのイラク戦争で、アメリカ市民たちがあれだけ
フセイン政権に嫌悪感を示し、戦争に賛成した背景には、アメリカの
マスメディアが連日、イラク情報に関するネガティブキャンペーンを
連日繰り広げていたからだ、という話もある。
そう、まるで今日、私たちが北朝鮮の報道を目にしない日はなくなって
しまっているように。

ごく一般のアメリカ人って、国内情報には詳しいけど、海外の国がどん
な振る舞いをしているかなんてことには興味が薄い気がする。
それは、たとえば同盟国であるはずの、日本についても同じ。
おそらくアメリカで日本のニュースなんて、ほんのごくわずかしか目に
しないはずだ。

だからアメリカ人があれだけイラク情勢に関心を寄せた背景に、マスコミ
報道の影響があったことは否めないと思う。

でもね、ここで個人的に思うのは、その報道の姿勢だろう。
違う民族、違う国家なんだから、習慣やら考え方が違うのはあたり前。
でも、その小さな差異を大きくクローズアップして、そこにこだわり
続ける限り、お互いに共通点は生まれにくく、すなわち仲良くなること
は難しくなってしまうという事だろう。

ところで、先ほどの発言、一体誰の発言だと思います?
答えはインリン・オブ・ジョイトイ。エロテロリストの異名を持つ、グ
ラビアアイドルである。
バラエティ番組とか見てても、ただのグラビアアイドルじゃないと思っ
ていたけど、その一本筋の通った考え方には感心させていただきました。
ついでながら公式サイト もスゴイ。ご馳走様でした?


さて、話をちょっと戻すと、先ほどの例とは逆に、肌の色を越えて
見事に栄光を勝ち得た集団が存在したのを覚えているだろうか。
それはサッカーのフランス代表チーム。

FWのティエリー・アンリをはじめとして、白人ではない多国籍系出身者
が数多く代表選手として選ばれ、フランスW杯、2000年欧州選手権
で見事チャンピオンとなったチームである。

昨年のW杯では惜しくも予選敗退となってしまったけど、そのフランス
代表選手である、ティエリーアンリが昨年のW杯前、こんなことを言っ
ていた。


スポーツは多くの人々の心を開くことができる。'98年のチームは
様々な人種や背景を持つ選手で構成されていたし、フランスという国の
多様性をよく表していたと思う。僕たちができる唯一のことは、一番重
要なのはユニフォームの色であって、肌の色ではないということを世間
に示すことなんだ。優勝を決めたあの日、シャンゼリゼでは、ありとあ
らゆるバックグラウンドを持つ人たちが、お互いに抱き合ったりキスし
たりしていた。それまではそんな光景を見たことがなかったね。皆がす
ごく幸せそうだったし、フランス人であることに誇りを感じていた。
最高の気分だったよ。誰もがフランスが優勝したことを喜んでいた。チ
ームはフランス人を代表していたし、あれはフランスという国全体にと
っての勝利だったんだ。(雑誌Number World Cup special issue #1より)



フランス代表チームが予想外の活躍をして、W杯を母国にもたらした事。
その偉業の前には、肌の色や小さな差異なんて関係なく、一つになれた
んだと思う。そしてスポーツの世界では同様のことは沢山ある。

アメリカ国籍の選手で、バスケットやアメフトや陸上競技で、黒人のい
ないチームなんてありえないし、この前青森で行われたアジア大会だけで
なく、韓国と北朝鮮はスポーツ大会の期間中は戦争状態にあることを
忘れて、統一朝鮮の国旗を振ってお互いに応援しあっている。

スポーツの世界では簡単に一つになれるし、肌や習慣の違いなんて乗り
越えられるのだ。

この話を読み返したとき、ある歌詞を思い出した。
今日のタイトルにした、ブルーハーツ『青空』の中の一節。


生まれたところや皮膚や目の色で
一体この僕の何がわかるというのだろう



冒頭に紹介した、インリンの発言は、何も北朝鮮や他の国の人たちだけ
を指しているのではない。同じ事は、同じ肌の色、同じ民族である日本
人同士にも言えると思うのだ。
ということで、次回に続く、かも?



2003年04月26日(土) 本当に患者の事を考えるのなら

と、ちょっと刺激的なタイトルになってしまった今回。
金曜日にOAされたTVドラマ、 「ブラックジャックによろしく」を見た
事が原因である。

んー、基本的に青すぎだよ。斎藤先生。

私は大学病院で働いた事はなくて、しかもそもそも医師ではなくて
ついでに言ってしまえば、たかがドラマにわざわざ突っ込み入れる
のもどうかと思うんだけど、一応医療関係者として、あんまりだと
思うことがあったので、あえてつっこみを入れてみる。

一応、ドラマのアウトラインを書いておけば、「ブラックジャック
によろしく」は現在も週刊モーニング誌で好評連載中の漫画
を原作としたTVドラマ。

原作は現在の医療問題に関して提起する、リアルさが受けている
漫画。実は自分も、さすがに単行本までは買ってはいないけど、
例えば中華料理屋さんなんかに行った時にモーニング誌があれば
ついつい読んでしまう程度のファンである。

研修医さんに関しては実際に一緒に仕事した事はなくても、
実際、どんな感じか、っていうのは聞いたりしているし、そうで
なくても、新人でぺーぺーの研修医さんが、患者さんの死に接して
しまう時の感情とか、あー、そんな感じかもなんて思いながら読ん
でいたりする。
でも、このエピソードはまだ読んでなかった。

詳しいストーリー は、公式サイトを見て頂くとして、
個人的にどこに違和感を感じたのか。

もちろんこの作品は、実際の医療現場を基にしたフィクションだか
ら、当然実際とは違った話の展開になるのは当たり前だと思うし
主人公である斎藤先生は、医療現場の人間と言うよりは、より一般
人に近い立場で、医療現場のおかしい所を見せていく作品だと思う
けど、今回のエピソードでは、斎藤先生自身が医療人としては、
やってはいけないことをやってしまっていると思う。

それは、ガッツ石松扮する患者さんに、「ここではあなたは助かりませんよ」と感情的に言ってしまったこと。
なぜなら、その瞬間、彼は医療のプロとしての立場から、ただの一般
人の立場に降りてしまったと思うから。

それは、斎藤先生自身が、というよりこのエピソードで問題にしてい
る、患者さんに本当の事を言わなくていいんですか、という「正しい
嘘」の問題よりも罪は重いと思う。

なぜなら、彼はそういう事を患者さんに告げる事で、ただ単に自分が
背負いきれなくなった重荷を一方的に下ろしただけで、それを告げら
れた患者さんの方は、それを告げられた段階では、何をどうする事も
できず、ただ単に不安感を増すだけだと思うからである。

このエピソードを見た人の中には、斎藤先生のオーベン(指導教官)
である、甲本雅裕扮する先生よりも、斎藤先生の方が正しいと思う
かもしれない。

でも、個人的には甲本雅裕扮する先生の方が正しいと思う。
そりゃ、いくら心臓外科と仲が悪いからって、まだ研修医なりたての
人間に、人工心肺の手術に耐えられるのかな、なんてうかつにしゃべ
っちゃうのは考えもんだし、そもそもそういう研修医にいきなりそういう患者さんあてがっちゃうのはオーベンとしてはどうよ?とは思う
けど、彼は医療スタッフとして、自分の考えられる中でのベストと
思われる選択をしていると思う。

だって、いつ心臓の冠動脈がつまるかわからない、手術がすぐにも
必要だと思われる患者さんだからだと言って、「あなたの容態は、一
刻を争いますが、ここは心臓外科との力関係があるので、しばらくは
手術待ちです」なんて事を言って、患者さんの血圧を上げてしまう
よりは、いま自分ができうる最善の方法を患者さんに提供していく事
の方が重要だろうと思うのだ。

ここで一つはっきりさせておかなきゃいけないのは、医療に絶対は
ないって事だ。
最先端の医療を迅速に行なえば、誰でも助かるわけではない。
もちろん、誰もが最先端の医療をすぐに受けられれば文句はないと
思うけど、患者さんは一人じゃないし、最先端医療と言うのは技術が
確立しているわけではないので、中には失敗してしまうリスクも持つ。

繰り返し言えば、医療に絶対はない。
だから、この永大の医療スタッフが絶対にあの患者さんの命を助けら
れないと決まっているわけでは決してない。

現状で生き残る確率より、手術を行なうことで生き残る確率があると
思えばこそ、医師は手術の選択をすると思うような気がするのだ。


個人的に病院で働いている時に思ったことが一つある。
それはプロとして患者さんの命を預かる上で、
言いわけはしちゃいけない、
って事である。

そしてそれは今、仕事をしている時でも変わらない。
言い訳をするということ、それは自分のいたらなさの原因を何かに
押し付けると言うことだと思う。

誰か他人のせいにしたり、自分に言い訳をして甘やかしている限り、
ミスが起こる可能性は高くなるし、なかなか成長することはない。

じゃあ、言い訳しないためにはどうするのか。
その時点で可能な、自分のできうるベストを尽くすしかないのである。

自分の技術が足りないと思うんであれば、ひたすら勉強し続けなきゃ
いけないし、ミスをおかしそうなリスクファクターは極力なくす努力
をしていかなきゃならない。
そして相手がどんなに気に食わない相手であったとしても、それが患者
さんの利益になるんなら、つまらないプライドは捨てて、自分の頭を
下げなきゃいけない時もある。

そんな風にしていたって、小さなミスやエラーは必ず起こる。
その場合は素直に謝罪するしかないと思う。

そうはいっても、自分の実力が足りなくて悔しい思いをした事は
何度もあるし、その度に俺って向いてないのかな、と思った事も
何度もある。

でもだからこそ、謝罪する機会がなるべく起こらないように、
その時点での自分のベストを尽くすしかない。
大げさな話、それが患者さんの命を預かると言うことだと思うし、
プロとしてその技術にお金を払ってもらっているって事だと思うのだ。


だから、もし私がドラマの中の斎藤先生の先輩だったり、同僚だったら
やっぱり斎藤先生の行動は叱ると思う。

そしてその上でこう言うと思う。

もしも出る杭になりたいんだったら、周りにしょうがないと納得させる
だけの行動をとれるようになりなさいと。

今回の場合で言えば、斎藤先生が本当に、自分の大学の心臓外科
が信用できないんだったら、何も看護婦の話を鵜呑みにするだけ
じゃなくて、セカンドオピニオンの可能性をもっと調べるべきだと
思う。

そして本当にそれしかない、と思うんだったら、患者さんに告知する
前に、その先生をたずね、話を聞き、勉強すべきだと思う。

そしてもしも、その手術の方が助かる可能性が高く、リスクも少ないと
判断され、その先生も受け入れを了承してはじめて、患者さんやその
家族に告知するのがベストだと思う。

というより、そこまでやってはじめて「本当に患者さんの事を考えた」
といえるんじゃないだろうか。

ただし、そんな事を勝手にやった研修医は、自分の大学ではろくに
学ばせてもらえず、結果自分が本当の意味で「患者さんの役に立つ
技術のある医師」になるチャンスをふいにする事を意味するのかも
しれないけど。

「踊る大捜査線」のいかりや長介扮する和久さんじゃないけれど、
「正しい事をやりたいんだったら、偉くなれ」っていうのが、やっぱり
一番の近道なんじゃないかな、って気がするのである。



2003年04月25日(金) 感動だけが伝わる

これは放送時間が水曜深夜から土曜深夜に変更になったバラエティ番組、
「松紳」の中での一言。

松ちゃんからのプレゼントである、HIPHOPCDデビューをしきり
に嫌がる島田紳助に対して、松ちゃんが「でも、昔は紳助バンドをやっ
てたじゃないすか」
という言葉に対しての、起死回生の一打。

「あの頃は若かったからや。若いときにはな、本気で思っている時に
思っている事をするのは、恥ずかしくないよな。でもな、26くらいに
なって、「愛してるよー」と本気に思ってたら歌えるけど、思っても
いないことをしゃべっている自分に気付くとすっごく恥ずかしくなる」


でた、クリティカルヒット!久々の紳助節。
この後、

「今自分が本気で思ってないことを歌うのは、自分の生き方に反すると
思うねん。今伝えなあかん、と思っていることに関しては、どんなに下
手でもなんのためらいもないし、ちっとも恥ずかしくないよ」

と続く。


思い出しながらの書き写しなので、相変わらずの関西弁の下手さ加減に
は目をつぶってもらうとして、この番組録画を見ていたとき、思わず
うんうん、とうなってしまった。

そうなんだよね、若い時にできて、今は出来なくなってしまうというか
恥ずかしくなってしまうのって、当時の熱気というか、意気込みには
かなわないな、俺はそこまでの思いで伝えているんか?っていう気持ち
がどうしてもしてしまうからかもしれない。

番組の話はこの後、松ちゃんの「そうですよね、漫才なんかでも若い時
と同じ事やっても、ちっとも面白くないですよね。なんでなんでしょ?」

というネタふりから、二人の本業であるはず?の漫才の話に移っていく。


「今、昔の漫才やっても面白くないのは、昔と同じネタ、同じ間、でで
きるよ、やろうと思えば。でも絶対に面白くないねん。なんでかってい
うたら、自分が面白くないと思っているからや。

自分の中で自分をだまして、おもろないと思っているものをおもろいと
は、絶対に見せられへんねん。

漫才のうまい奴は違うねん。何十本もネタを持っていて、営業でアレや
ってくれ、って言われたらその場でちゃんと、己の技術力でスパーンと
やんねん。

でもな、俺(紳助竜助)やダウンタウンは違うねん。いっつも一本しか
ないねん。急にアレやってって言われてもできへんねん。なんでかって
いえば、技術がないからや。技術がなくて、自分の中の胸いっぱいの
思いというか、魂でしゃべるから、面白いやろお前ーって伝えんねん」

松本「そうですよね、チャーリー浜さんは、毎回『ごめんくさい』と思
っているから、毎回『ごめんくさい』って言えるんですよね」

「そういうことや。あれ、自分で俺はいつまでやってんねん、と思った
瞬間に、『ごめんくさい』は絶対にいえないし、客には受けへんねん。

昔な、矢沢永吉のドキュメンタリー映画があった時、梅田花月の出番と
出番の間に見に行って、ごっつうカッコイイと思って、永ちゃんの気分
のまま、出番になって、アドリブで今見てきた映画の話を、まだ映画を
見ていない客の前でしたことがあんねん。
観客は爆笑や。見たこともない客に伝えてもちゃんと伝わる。ラッキー
これは簡単にネタ一つ出来たわー、と思ってたら、翌日からはすべりま
くりや。何でかいうたら、今おもろいーという思いが伝わっていただけ
やねん」



ここでいきなり自分に話をふれば、実は似たようなことを自分も思って
いたりする。

つまり、
自分が面白くないと思うものは、たとえこんな小さな日記ページでも
やはりアップは出来ないと思うし、ここから何かが伝わるとすれば、
自分が感動したことだけ、なんじゃないかな、と思うのだ。

なぜなら自分が思ってもいないことを書いて、他人を感動させるだけ
の力量が自分にあるとも思えないからでもある。
それは、紳助の言葉を借りれば、「自分が本気で思っていないことを
するのは、自分の生き方に反する」と思うから。

そしてそれは、たとえば他の日記サイトや、個人ページにも言えるん
じゃないかな、って気がするのだ。

私が他の人のページを読む時、文章表現の上手下手にひかれるのでは
なく、その人が伝えたいと思うこと、その思いがあるかどうか、そして
その思いを個人的に面白いとおもうかどうかにかかっているような気が
する。

私のこのページに載せた思いが、このページを読んでいる他の人の心に
どれだけ響くのかはわからない。
でもたとえば、文章表現ではアマチュアの域を出なかったとしても、
自分の感動を伝えることのプロでありたいと思ったりするのだ。
そしてそれは、なにも文章表現に限った事ではなく。



2003年04月24日(木) 2chで選挙

さて、この前の日曜日から、統一地方選挙の第2ラウンドが始まった。
東京23区では、区議会議員、及び区長選挙が今度の日曜日に行われる。

正直な話をすれば、実はそんなに興味があるわけではない。
自分に子供がいて、区立の小学校に通っているわけではないし、
最近は区の施設を利用することもほとんどない。

せいぜい寝に帰るか、休日を過ごす場所で、区政に関心があるとしたら
区民税を納めるときぐらい。
つまり地元との関わり合いって、すっごく薄い。
この状態で区政にすごく関心があります、って方が難しいだろう。

だから、今度の選挙もどうしようかなあ、パスしようかなあ、正直思っ
ていたりもする。

ただ、ここでふと疑問が起きた。
たった一週間の選挙期間で、候補者たちはこういう関心の薄い有権者に
対して、一体どんな選挙活動をしているんだろう?

一番分かりやすいのは、今もスピーカーでがなり立てている、選挙カー
だろう。
この前の日曜日は、選挙期間唯一の休日、すなわち普段は遠くの職場に
出ているお父さんお母さんも家にいるはずだ、と思ったからなのか、
それとも初日だからなのか、おそらく日本中のいたるところで、自分の
名前を、有権者のサブリミナルに植え付けようと、各候補とも頑張って
いたことだろう。

なんて事を仕事の合間に書いている、この瞬間も遠くで誰かの声がする。
あのー、でも私は豊島区民じゃないんですけど。
昼間と夜間人口の極端に違う、中央区、千代田区あたりの候補者は、
どうしているんだろう。

でも、ここでふと疑問。
果たして有権者っていうのは、そんな風に熱心にスピーカーでがなり立
てた候補者だって理由だけで投票したりするんだろうか?

おそらくの推測で言えば、要は他の候補もやっているから、自分らも
やらなきゃいけない、みたいな昔の米ソの核軍備拡大競争みたいな事に
なっているんじゃないのかな?


疑問その2。
選挙公示ポスター。
とりあえず、区議選の場合、その候補者の数の多さもあって、公示場所
に張られているポスターの数の多さに圧倒される。

でも、細かく見ていくと、ちょっと疑問が起きたりもする。
この候補者は、このポスターで一体何を訴えたいんだろうってポスター、
意外と多くないか?

今回、自分の地元で言えば、意外と目立つのは、自分が無所属、無党派、
そして若い、という事だけをアピールしている候補者が意外に多いこと
である。

みんな結構若くてイケメンだったり。
いいやねー、世代交代しているんだねー。
っておいおい。

ホストクラブじゃないんだから、写真から来る印象だけで、自分の投票
する人決めちゃっていいんだろうか。
え?誰がなっても同じなら、どうせだったらいい顔の人のほうがいい?
じゃ、しょうがないかな。

でも、ここで言いたいのは、私自身の一票を投じる根拠としては、
選挙カーもポスターも、薄くて根拠になりえない、って事である。
だって、その候補者がどういう人物で、今までどんな実績があるのか、
ちっとも有権者である私には伝わってはこない。

ついでに言えば、無党派、無所属ってのは、それだけで説得力あるのか?
問題はその人が自分の政策を実行しようと思う時に、たとえばどんな
ネットワークを持っているとか、無所属ならなおさら、そういうことが
重要になるんじゃないのかな。
でなきゃ下手すりゃ、4年間の歳費(税金)の無駄使いって事にはなら
ないんだろうか?

実は、そういう人?の為に、区では選挙公報を出して有権者に、新聞の
折込や、区役所などで配布をしていたりする。
でもなー、うち新聞は仕事場でとっているから、豊島区の選挙公報は
手に入っても、地元の選挙公報は手に入らないんだよなー。
仕事もそこそこ忙しいから、わざわざ区役所まで取りにはいけないし。
さて、どうしよう?

大体、本当に私がほしい情報は、現職の区議会議員に関しては、その人が
今までどんなことを区政で行ってきたのか、という事に関して、出来れば
第三者からの比較的公正中立な立場、理想で言えば善意の第三者で構成
された市民オンブズマンあたりが下した評価である。

でもなー、そんな便利なものは見当たらないし、と思っていたら、
あるある、ありました。似たようなもの?が。

それがあの有名な2ちゃんねる 、の選挙、議員板。

なんだよー、2ちゃんかよー、なんて言わずに見てみてほしい。
案外面白く、参考になるんである。
議員・選挙板を見ると、細かくスレッドに分かれているので、これを
読んでいる人の地区のスレッドも、もしかしたらあるかもしれない。

2ちゃんの情報というと、巨大匿名掲示板ということもあってか、
悪意に満ちていて、嘘だらけで、全然参考になんかならない、と考える
人が多いと思う。

確かに、「厨房」(中学生レベルの書き込みしかできない人の略?)が
多い、サブカルチャー系なんかの掲示板では、読んでて不快になったり、
全然真実が感じられなかったりするんだけど、学術系など、専門分野の
板になると、本当にそのことに興味のない人しかその板に出入りしない
ので、結構参考になることが多かったりするのだ。

自分の例で言うと、昨年医療機関の診療報酬が改定になった時は、
2ちゃんの中の、病院・医師板の書き込みが一番情報が早く、参考に
なった。

で、今回の選挙、議員板。
それぞれが各選挙区のネタに限定されるから、やはりあからさまな部外
者は入ってきにくいから、意外とそのネタは参考になるような気もする。

いや、ちょっと待って、部外者が入ってくるかどうかよりは、それらの
候補の支援者なりが、たとえば相手陣営について嘘の記載をしたり、ま
たは自作自演をしてたりする事の方が問題だし、参考にならないんじゃ
ないの?

って意見も当然あると思うんだけど、そこはそこそこの2ちゃんねらー
(2ちゃんによく出入りする人)だったら、その情報の真偽のほどは
判断つくだろうし、また、匿名掲示板であることも手伝ってか、
たとえば、ある候補者が、出身の職場ではどんな風に思われていたか、
という内部告発めいた書き込みもあったりする。

もちろん、そのすべてを鵜呑みには出来ないにしても、たとえば
選挙カーと選挙公報とポスターだけで、縁もゆかりもなく、よく知りも
しない候補者の名前を適当に書くよりは、全然マシなんじゃないかな。

選挙権っていうのは、選挙があった時に、自分の好きな名前を書いても
いいって事だと思うし。
もちろん好き勝手な名前を書いたら、それは無効票だし、選挙管理人で
ある公務員の人たちにとっては、やれやれ、余計な手間かけやがって、
って事では違いないけど、それも国民の立派な権利なんである。

え、選挙は遊びじゃない、馬鹿にしすぎている?
んーでも、ただ四角四面に選挙は国民の権利だから行かなければいけま
せん、みたいに説教はじめちゃうよりは、せっかくのイベントなんだか
ら、たまには自分の権利行使してみれば?なんて位の気分から始めれば
いいんじゃないかなと思うんである。

それでたとえば、あなたの選挙区にこれぞ、と思う人がいなくて、
そしてあなたが2ちゃんねらーだったら、たとえば投票用紙に
「モナー」とか「ひろゆき」と書くのもアリかもしれない。

それはそれであなたの立派な意思表示だと思うし、日本全国で「モナー」
と書いた人が続出したら、それはそれで一つのムーブメントと言えるよう
な気もする。

ていうか、そういう「祭り」はさすがに2ちゃんでもないのかな?



2003年04月20日(日) スポーツ観戦三昧

今日はスポーツネタで。

まずは残念な話から。

先週、鈴鹿サーキットで行なわれたMoto GP(オートバイの世界選
手権)で転倒し、頚椎を痛め、その後ずっと意識不明だった加藤大
治郎選手が、残念ながら帰らぬ人となってしまった。

加藤選手は2年前、250ccの世界チャンピオンとなり、昨年か
らMoto GPクラス(旧500ccクラス)に参戦。今年は、現チャ
ンピオンと同じマシーンを与えられ、Moto GPでは初の日本人チャ
ンピオンに一番近い場所にいた選手だった。

F1グランプリで言えば、くしくも今日行なわれたサンマリノGPで
帰らぬ人となったアイルトンセナと同じように、日本のみならず
世界中のファンに愛された存在だったと言っても過言ではないと
思う。

個人的に、本当に早すぎる、惜しい命だったと思う。
謹んでご冥福をお祈りしたい。

しかし、事故ったのが本人が世界選手権でも何度も優勝して、得意
にしているホームグランプリの、しかも改修したばかりのシケイン
コーナーだったというのがなんともやりきれない。
元々は安全性を高めるためのコース改修だったはずなのに。


さて、気分を変えて今日の日記。
今日は日曜だけど、午前中に1件だけ仕事があったので仕事場へ。
仕事が終わった後、これからどうしようかなー、なんて思ってたら
今日が競馬の皐月賞だったのを思い出した。

と、いうことでスポーツ新聞を買い、後楽園の場外馬券場、WINSへ。
後楽園は、個人的に馴染みの深い場所である。
子供の頃、後楽園球場に行った時は、なんか大人たちの集まる、
胡散臭げな場所だったが、その後大学時代になると、キャンパスが
すぐそばにあったせいもあって、時々お邪魔していた場所でもある。

大学時代の競技会も、隣の後楽園ホールで時々開かれていたことも
あり、懐かしい場所なのだ。

そんな後楽園WINSの、エスカレーターにのってA館4Fの昔よく通った
売り場へ。
あれ?でもこの階って昔は500円単位だった気もするけど、
気のせいか?

個人的に馬券を買う時は、夢を買うと思っているので、様々な人の
予想も参考にしつつも、適当な馬券(でも3連複の総ながし)を
買い、WINSを後にする。

せっかく後楽園まで来たんだし、久々にハンバーガーも食べたく
なったので、そのまま久々にベースボールカフェに行ってみる。

ここは、まあいわゆるスポーツバーで、主にMLBの試合を見ながら
食べたり飲んだりできる場所である。
で、ここには昼メニューだけ、ハンバーガーがある。
ハンバーガーと、山盛りのフレンチフライがのっかって1000円
前後。

味はまあ、正直こんなもんだっけ?って気もしたけど、久々に
ハンバーガーを食べたんで、ちょっと満足。
以前触れた事もあるけど、最近あんまりないんだよね、美味しい
ハンバーガーを食べる所。

満腹になった所でふとTV画面を眺めると、マリナーズ対エンゼルス
戦の中継をやっていて、試合の終盤、イチローが出てきた所だった。
試合はその後、かつてのハマの守護神、佐々木がセーブを失敗し、
エンゼルスのサヨナラ勝ちになってしまった。

今年の佐々木は手術後ということもあってか、まだいまいち本調子
ではないみたいだった。

でもそれよりも、試合を見ていてうらやましいなあ、と思うのは、
やはりMLBの球場の雰囲気だろう。
鳴り物の全くない、球場の雰囲気って、向こうの試合を見るたびに
いいなあ、なんて思ってしまう。

今回の試合でもそうだったけど、鳴り物が全くないと、例えばホー
ムチームにチャンスがやってきた場合、本当に球場全体が盛り上が
ってくるのが、中継を見ているこっちにも伝わってくるのだ。

今回も、9回ノーアウトで、ビジターチームである佐々木が、立て
続けにヒットを許してしまった後の、球場の盛り上がり方は凄かっ
た。佐々木はある意味あの雰囲気にやられてしまったといえるかも
しれない。

そういえば、その前日の試合では、セーブのつかない状況で、長谷
川が9回を投げたんだけど、その長谷川が、「0点で抑えたけど、
ノーアウトでランナーを出していたらどうなったかわからなかった。
かつてのチームメイトは以前は雑なスイングをしていたが、手ごわ
くなってきている」って話をしていたのを思い出した。

エンゼルスは、ディズニーが経営から手を引くらしいので、ここが
頑張りどころなのかもしれない。
昨年のワールドシリーズを戦ったチームでもあるし。

でもそういう雰囲気を感じられるのも、中継をたまたま見られた
からだろう。ニュースダイジェストだったら、なんだ佐々木、また
失敗かよ、くらいにしか思わなかったかも。


ホーム&アウェイつながりと言うことでは、いささか強引だが、
先週の水曜日に行なわれたれたサッカーの日韓戦も面白かった。

結果的には最後の最後、中山の代わりに途中出場した永井選手が
見事ゴールを決め、ジーコジャパン念願の初勝利をしかもアウェイ
で飾る事ができたわけだが、そのゴールの決まった瞬間の、シーン
とスタジアムが静まり返った瞬間に、ああ、これがアウェイって事
なんだ、とゾクゾクした。

今回の勝利を呼び込んだのは、ジーコのうまい選手交代と、そして
カウンター攻撃に徹したおかげだったのかもしれない。
でも、個人的にそれ以上に凄いな、と思ったのは、韓国代表の波状
攻撃の方だった。

サイドからボールをあげた時に、ペナルティエリアにちゃんと複数
の選手がちゃんと入っているし、その後ろからもどんどん攻撃参加
する攻撃の厚さは、敵?ながら見ていて気持ちのいいものだった。

ああいうイケイケどんどんな攻撃はやはり韓国の国民性によるもん
なんだろうか。
試合を支配していたのは、間違いなく韓国だったと思うけど、
それでも勝てないというところが、サッカーの面白い所である。

さて、話をMLBに戻すと、マリナーズの試合の後、TV画面では松井
のダイジェストを流していた。今日も松井はヒットを打ったらしい。

松井に関しては、満塁男とか、チャンスに強い所が大々的に報道
されているけれど、それ以前に、松井の打席に満塁の場面が何度も
まわってくる事自体が凄くないか?

だって、っていうことは松井の前を打つ、1〜4番のクリーンナッ
プの出塁率が無茶苦茶高いって事なわけで。
もちろん、そうした場面できちんと結果を出す松井のチャンスの強
さはすごいと思うけど、それよりもNYヤンキースの攻撃陣の破壊力
も今年はすさまじいものがあると思う。
下位常連チームとの対戦が多かったこともあるけど、二桁得点した
試合が結構多かったような気がするんだけど。

デレックジーターを開幕戦で欠いてしまったからなのか、それとも
去年、ワールドシリーズに出場できなかったのがよほど悔しかった
のか。
果たしてこの勢いのまま、今後もいってしまうのかな。

で最後、馬券の結果。
見事当てた!と言いたい所だけど、本線ではなく100円しか買っ
てなかったので、差し引きマイナスになってしまいました。
でも、おかげでちょっとだけ充実したスポーツホリデー?でござい
ました。

で、現在はサンマリノGP観戦中。





2003年04月19日(土) 気になる新聞記事

今日は新聞ネタから。
うちは去年から、仕事場で毎日新聞をとっている。
インターネットや、TVのニュースがこれだけ花盛りの今日、
新聞に載っている情報なんて、大したものがないとつい思いがち
だけど、たまにふと目がとまる記事があったりする。

私が考える新聞の効用とは、そんな風に紙面をザッピングしていく
中で、普段の関心から外れた分野でも、時々目にとまる、という事
だろう。

これが例えば、ニュース系のポータルサイトの、見出しだけでは
なかなか目に留まらなかったりする。
なぜなら、インターネットの場合、画面の大きさの問題もあって、
分類が細かくなりすぎるからかもしれない。

新聞を全部広げた大きさが、A全版だかB全版だか、詳しい大きさは
忘れてしまったけど、その紙面の大きさだからこそ、ふとした時に
目に留まる記事もあるんじゃないかな、なんて思うのだ。

などと御託を並べるのはこれぐらいにして、
まずは こんなコラムから。これは昨日の紙面に載っていた文章。
前回、あの家族と両腕を空爆によってなくした、アリ・アッバス君に
ついて触れたけど、彼に対する英米メディアの反応についての小さな
コラムである。

この記事によると、アメリカメディアではこの事は取り上げていない
らしい。
まあ、取り上げ方にも問題はあるわけで、ただ単に同情を誘うかの
ような取り上げ方だと、アッバス君のように「僕は見世物じゃない」
って事になるわけだけど。

「同情する」っていうのは、高いところから人を見下ろしている時に
現れる感情であると思うし。
余談ながら自分の経験を話せば、例えばリハビリに来ている患者さん
たちは、基本的に「同情される」ことを嫌うし、技師である私たちも
彼らに共感することはあっても同情はしない。
おそらく「同情」は相手のプライドを傷つけるんじゃないかな。

ただ、彼のような存在があるからこそ、空爆の悲惨さをお茶の間に
伝えることもできるわけで、難しい問題である。

でも、本来報道として「知らせる」べきなのは例えばこういう事が
戦争によっておきますよ、という事実の報道であり、そこに変な同情の
押し売りを結び付けるべきではないと言えるのかもしれないし、
また、その事実を報道機関が勝手に「自主規制」して伝えないというの
は、普段知る権利がどうのこうの、と言っている報道機関としては
いかがなものか、という気がするのだ。
全く中立で、何もバイアスのかかっていない情報なんて、ありえない
とも思うけど。

イラク戦争については、毎日新聞のニュースサイトに載っていた、
曽野綾子のインタビューも面白かった。
「民主主義とは、電気の通じる国だからこそ可能なシステムです。」
っていうのは物事の本質を捉えている言葉かもしれない。

すなわち、便利さと共にあるからこそ、私たちは民主主義というシステ
ムに価値を見出している部分ってあるのかもしれないと思うのだ。
最近中国が、経済の発展と共に、とみに民主化されてきたかのような気に
なるのはそのせいなのかも。
ついでに言えば、北朝鮮も、そんな便利さの恩恵を一般民衆が享受する
ようになれば、簡単に「民主化」してしまいそうな気もする。

ただし、中東の場合は事はそんなに簡単には進まないようであるが。


そして最後はちょっと趣向を変えて、4月14日の教育関係のコラムに
のっていた、カルロス・ゴーン のインタビュー記事。

カルロス・ゴーン日産社長に関しては、自分の日記でも時々取り上げ
ている、私の好きな人物の一人である。
それは、日産の傾いていた業績を立て直したから好きなのでない。

彼の発言がとても説得力に富んでおり、そして個人的に興味深い発言が
多いからである。

今回の記事で言えば、
「プロは物事をシンプルにし、アマチュアは複雑にする」
とか、
あえて一つ挙げるとしたら「問題から逃げるな」と言いたい。
など。

彼自身の言葉がシンプルで、そして人の心に響く言葉である気がする。
それは、彼自身の経験に裏打ちされた言葉であるからこそ、その言葉に
説得力があるのかもしれない。

本当の意味で知恵がある人って言うのは、そんな言葉がポンポンと出て
くる人であるような気がするのだ。



2003年04月15日(火) 報道戦争

さて、今回も前回に引き続き、この寸劇―さすがに茶番劇とはいえない。
だって、実際に人が死んでいるのだから―を見たことに対する違和感を、
マイケルムーアの著書「アホでマヌケなアメリカ白人」 から引用しつつ
考えてみたい。

とりあえず、この本、引用部分に限らず、というか引用していない部分
で結構面白い本である。
じゃあ、なんでその面白い部分を引用しないのかって?
面白いけど、引用するには長くなりがちなんである。

最初の印象では、著者はブッシュさんのこと相当嫌っているんだなあ、
民主党の人なのかなあ、なんて思ってたけど、話は段々とブッシュ大統
領に限らず、アメリカ白人が、おそらくは当たり前だと思っていること
に関して、そこが変だよアメリカ白人、みたいな感じで突っ込みまくっ
ている。

かといって読んでていや〜な気分になることもなく(白人じゃないから
当たり前か)、この人ユーモアがあって頭いいなあ、なんて気になる
本である。
あまりに面白いんで、原書も買ってしまった。
最後まで読み通すかどうかは別として、原書を読んでみたいという気に
させてくれる本だった。


さて、今回のイラク戦争。報道という意味では結構画期的な戦争だった
と記憶されるかもしれない。
12年前の「湾岸戦争」時、多国籍軍が報道管制を敷いたこともあり、
限られた情報しか流れてこなくて、「見えない戦争」と批判されたのに
対して、今回は何と、エンベッド方式という形で、兵士たちに従軍取材
することが可能になったのだ。

もちろん、それは英米軍サイドに限った話ではない。
アフガン戦争の時にも活躍した、アラブ系TV局、アルジャジーラを
始めとして、世界各国のフリージャーナリストたちが、バグダッドを
中心として、イラク側からの取材をしていた。

その結果、開戦の始まりから、この戦争の模様は私たちのお茶の間に
流れたし、その量たるや膨大なものとなった。


でも、その一方で、誤報や逆に報道をうまく使った情報戦の様相を
両陣営とも示すようになったのも事実である。

開戦当初、イラク側で大量の捕虜が生まれ、最初の街は解放されたとい
う報道の直後に、その街で武力衝突が起こったし、アメリカがCIAや
特殊部隊によって、フセイン大統領の居場所を特定し、空爆したという
情報のすぐ後には、フセイン大統領が国民に対して演説をする姿が報道
されたりした。

すなわち、あふれ出る情報の中の、何が真実で何が嘘なのか、お茶の間
にいる私たちには、判断のつきようがない状態になってしまった。

その場合、私たちはとりあえず、目の前の映像から情報を得ようとする。
すなわち、イラク側から、空爆に巻き込まれたイラクの民間人被害者の
報道を見れば、悲惨だなあと思うし、アメリカ軍に従軍している記者か
ら戦闘の映像が出れば、そのリアルさにドキドキする。しかもそこには
軍事評論家のオタクな解説付き。

そんな映像の洪水が問題になるのは、いつしか私たちはその映像を見る
事で思考を停止してしまうことだろう。
でもね、その裏には特に英米軍の、巧妙な情報操作が紛れ込んでいるよ
うな気がしてならないのだ。


もしも今回、英米軍への従軍取材がなかったとしたら。
おそらく報道される映像は、イラクというかアルジャジーラTVから
報道される、イラクの戦争被害の悲惨さを訴える映像にお茶の間は占拠
されたことだろう。
そこから導き出される我々の感情は、おそらくは更なる反戦感情への高
まり、であると思う。

だからこそアメリカ軍としては、お茶の間の感情が一方的なものに占拠
されないように、それに対抗する映像情報を提供する必要があったのだ。
そして、もうひとつ、最前線で戦う兵士たちの姿をお茶の間に見せる
ことは、更なる戦意高揚に役立つことになる。


そして私たちはものの見事に戦争報道に振り回された。
開戦当初、アメリカ軍が、一日に考えられないほどの距離を行軍したら
その素早さに驚いたし、その一方であまりに進みすぎて、補給が間に合
わない、なんて報道があった時は、それ見たことか、と思いつつも、そ
の部隊の行く末を心配した。

ひとつはっきりしている事は、アメリカ軍はそんな風に戦争報道を巧み
に利用することで、お茶の間を見事に自分達の側につけることに成功し
たといえる。

その一方で、彼らの報道の中に、イラク軍、という抽象的な存在は出て
きても、実際のイラク軍の戦死者や、そしてそれに巻き込まれたイラクの
民衆の実際の風景なんていうのは極力表に出そうとしなかった。

もちろん、お茶の間に死体の映像が流れるなんて事は想像できないけど、
そんな悲惨さが裏に隠れていることすら、圧倒的な報道の影に隠そうと
したような気がするのだ。

例えば、あの空爆に(イラク側から言えば空襲だ)巻き込まれて、家族
と共に自分の手足を失ってしまったイラク人の少年の映像は、果たして
アメリカの家庭では流れたんだろうか。

おそらく、流れたとしてもその情報はおそらく、例えばあの美人の女性
兵士の救出劇、という美談の影に隠れて目立たなくなってしまったんじゃ
ないかな。今では、あの女性兵士は国民的ヒーローに祭り上げられてい
るらしいし。

そしてその女性兵士の救出劇といい、あのフセイン像が民衆たちと共に
アメリカ軍に倒されるシーンといい、そのあまりのタイミングの良さに
個人的にはどうしても疑惑の目を向けたくなってしまう。

だって、記者たちに対して、誤爆だかあえて撃ったかは別としてアメリ
カ軍が、前日に銃弾を打ち込んだ、まさしくそのホテルの目の前のフセ
イン像が、翌日には記者たちの目の前で象徴的に倒されるなんて偶然が
果たして起こりえるんだろうか。

そのおかげで少なくともこの国のニュースは、記者たちに銃弾が打ち込
まれた事は吹っ飛び、あの象徴的なシーンのオンパレードに変わって
しまったのだ。

さて、「アホでマヌケなアメリカ白人」の中にこんな文章がある。


 俺たちは、黒人は凶悪な敵だというイメージを刷り込まれ、すっかり
洗脳されちまっているんだ。俺の最初の映画『ロジャー&ミー』では、
生活保護を受けている白人の女が、棒でウサギを殴り殺す。ペットとし
てではなく、「肉」として売るためだ。この10年の間、俺はしょっちゅ
う、「かわいそうな子ウサギちゃん」が頭を殴られるシーンが「恐ろし
く」「ショックだった」と言われ続けてきた。本当に吐き気がしたと言
われた。その場面で映画館を出ちまった奴もいる。なぜ、あんなシーン
を入れたのかとしょっちゅう聞かれた。アメリカ映画協会(MPAA)は、
このシーンがあったために、『ロジャー&ミー』をR指定にした。手紙を
くれた教師たちは、この映画を生徒に見せる際に問題にならないように、
このシーンを削除したという。

 だけど俺は、このウサギ殺しのわずか2分前に、フリントの警官がスー
パーマンのマントを着ておもちゃの銃を持った黒人を射殺するシーンを
入れておいた。だがこれまで一度も―本当に、ただの一度だって―「映
画の中に黒人が射殺されるシーンを入れるだなんて信じられない!何て
恐ろしい!吐き気がする!何週間も寝られなかったじゃないか」などと
言われたことはない。なぜなら、彼はただの黒人であり、抱きしめたく
なるようなかわいいウサギちゃんじゃないからだ。黒人が射殺されるの
は、ひどいことでも何でもない(少なくともMPAAの倫理委員とやらの中
に、このシーンに文句を付けた奴はひとりもいなかった)。

 なぜか?黒人が射殺されるシーンなんてのは、ショッキングでも何で
もなくなっちまってるからだ。それどころか、それは当然で、当たり前
のことなんだ。俺たちはみんな、黒人が殺されるのを見慣れている―映
画でも、ニュースでもだ。だからそれを当然のように受け入れるんだ。
どってことないけど、また黒人が死んでるよ!ホントに黒人ってやつは、
殺したり殺されたり、そればっかだね。ヤレヤレ。ちょっとそこのバタ
ー取って。



さて、これを読んでいるあなたなら、果たしてかわいいウサギちゃんの
残酷シーンと、黒人の命が奪われるシーンのどちらに気持ちが揺れるだ
ろうか。

そう、これは差別感情のあるなしにかかわらず、アメリカ白人のみなら
ず、映像を見ている人すべてに起こりうる感情かもしれない。
ウサギ一匹と、人間ひとり。もちろん命の重さで言ったら、等しく平等
であるって考え方ももちろんあるけど、時としてその重さは、人間様が
負けてしまう。

そして同じことは戦場でも起こりうる。
絶えずカメラの側にいる兵士の命と、その兵士が撃った弾で爆発炎上し
たはずの向こうの戦車に乗っていた人の命と。それを見ている私たち、
すなわち赤の他人にとっては、等しく同じ命であるはずなのに、時とし
てその命の重さには差ができてしまう。


でもね、忘れちゃいけないのは、あの9.11に巻き込まれて大切な家族を
失った人たちの嘆きと、運悪く空爆に巻き込まれて大切な家族を失った
人たちの嘆きに差は決してないって事だろう。

そして、映像時代の戦争が、決して全てを映し出している訳ではない
という事を覚えておいた方がいいと思うのだ。



2003年04月14日(月) イラク戦争終戦に関するエトセトラ

先週、米英軍がバグダッドに侵入して以来、イラク軍の組織的な抵抗と、
フセイン大統領をはじめとしたイラク政権首脳部の姿は忽然と消え去り、
どうやらイラク戦争の武力衝突は、終焉を迎えたようだ。

イラク政府幹部が急に消え去ったわけは、やはり7日のレストラン空爆
でフセイン大統領の暗殺に英米軍が成功したからだろうか。
いずれにせよ、先週でイラク政府そのものは瓦解し、アメリカは当初の
目的を果たしたことになる。

当初の目的?
それって、イラクの民衆を独裁政権から解放すること?それともイラク
が大量破壊を保有していたことを証明して、この武力紛争の正当性を国
際的に証明すること?
いえいえ。アメリカの真の目的は多分、そんなことじゃないと思う。

イラクが大量破壊兵器を持っていようがなかろうが、アメリカに対して
弓を引く反米政権を叩き潰し、大量破壊兵器が使用されるか、テロ組織
に渡ってアメリカが攻撃されるかもしれない、という目の前の脅威を
とりあえず取り去ること、なんだと思う。

実際にイラク政府が大量破壊兵器を持っていたかどうかは、アメリカに
とっては実はそんなに問題ではない。問題なのは、アメリカに対して反
感を持つ政府が、この世に存在していた事だったような気がするのだ。

なんでそんなことを思ってしまうのか。
それは、あのアカデミー賞で”ブッシュ恥を知れ”とスピーチし、賛否
両論を巻き起こした、マイケルムーアの 「アホでマヌケなアメリカ白人」
の中で、こんな文章を読んだから。


1992年のLA騒動の翌日、争乱がビヴァリーヒルズやハリウッドの白人
居住区にまで迫ったとき、白人は緊急サヴァイヴァルモードに突入した。
ロスアンジェルスの丘の上に住んでいた数千人が逃亡した。数千人は立
てこもり、銃を持ち出した。事態は、多くの人が恐れていた、人種間の
最終戦争勃発の様相を呈していた。

 俺はニューヨーク市のロックフェラー・センターにあるワーナー・ブ
ラザーズのオフィスで仕事をしていた。ビルの中を噂が飛び交い、誰も
が午後1時までに帰宅しようとしていた。ニューヨークの黒人たちにも
「暴動熱」が飛び火し、凶暴化するのではないかと恐れられたのだ。
午後1時、俺は通りに出た。そこで目にした光景を、俺はもう2度と見た
くない。何万人という白人が、次の列車に乗ろうと走っていた。映画の
一場面のように、集団恐慌に駆られた人間たちが、ひとつの生き物のよ
うに動いていた。

 半時間ほどの間に、通りは空っぽになった。恐ろしい情景だった。週
日の、昼日中のニューヨーク市が、日曜の朝5時みたいになっちまったん
だ。
 俺は歩いて家まで帰った。ペンのインクが切れていたので、近くの文
房具屋に立ち寄った。営業しているわずかな店のひとつだった(ほとん
どの店はシャッターを下ろしていた)。ペンと紙を持ってレジへ行くと、
年配の店主が手元にバットを置いていた。それは何のバットだいと俺は
訊ねた。
「用心のためですよ」と彼は答えた。目は油断なく外を見張っている。
「何の用心?」と俺は訊ねた。
「だから、奴らが襲撃にきたときのためですよ」
 
 彼は何も、LAで暴れている連中が飛行機に飛び乗り、ニューヨーク
に火炎瓶を投げに来ると言っているんじゃない。彼の心にあったのは―
最後の電車に乗るために歩道を走っていた連中と同様―人種問題は全く
解決などしていないという事実だった。黒人の心の中には、今もってこ
の国における黒人と白人の生活の信じがたい格差に対して、言いしれぬ
怒りが潜んでいるという事実だった。レジにあったバットは、すべての
白人が共有する、根源的な恐怖を雄弁に物語っている―遅かれ早かれ、
黒人たちが立ち上がり、復讐を開始すると。俺たちは誰もが、人種差別
の火薬箱の上に座っている。そしていつか来る、その爆発に備えるべき
だと思っている。

 でも、ちょっと待ってくれ。何だって、「いつか来る」その日を待っ
てるんだ?本当にそんな日が来ればいいなんて思ってるのか?燃えてい
る家を放ったらかして逃げるより、問題を解決する方がいいとは思わな
いのか?俺はその方がいいと思うぞ!(略)
 人種問題の解決のために、俺たちが真剣な行動をとる気がないなら、
最終的には誰もが門を閉ざし、半自動小銃で武装し、私設軍隊を持つし
かなくなる。それって楽しいかい?



さて、11日にラムズフェルド国防長官様は、こんなことをおっしゃった。


「これも自由の代償だ」−。ラムズフェルド米国防長官は十一日の会見で、
イラクの首都バグダッドなどで略奪が横行し無秩序状態に陥っていること
に、開き直りとも取れる反論を展開した。

 会見ではイラクの治安悪化に米軍が有効な手だてを打っていないことに
質問が集中。長官は最初は冷静に対応したが、途中からは「自由とは安定
してないものだ。自由な人々は自由に過ちを犯し犯罪に走る」「これで解
放が相殺されたと気にすべきなのか。抑圧されていた方がよかったのか」
と手を振りかざし、まくしたてた。


ほう。ってことは再びアメリカでLA暴動みたいなことが起きても、
ラムズフェルドさんは甘んじて享受なさるわけですな。
それとも自分の敷地の周りには自動小銃を持った私設軍隊を配備して、
何人たりとも侵入させないおつもりなんでしょうか。


さて今回、とりあえずイラク戦争は終わったようだけど、この寸劇を
見させられた私たちが忘れちゃいけないことが2、3ある。

ひとつは、アメリカは今後イラクに武力行使をしたことに対して、
絶対に自分の否を認めないだろうということだ。
そして、イラクから大量破壊兵器が出てこようがこなかろうが、イラク
の民衆を圧制から解放した、という美名の下に、自らが行ったことの正
当性を主張し続けるだろう。

でも、それではこれでテロの脅威は取り除かれ、中東が平和で安定した
世の中になるわけでは決してない。

なぜなら、アメリカがパレスチナ問題に関して和平を模索せず、イスラ
エルに対してのみ、何十億ドルもの財政援助を続ける限り、アメリカは
アラブ世界にとって、平和と秩序を乱す存在でしかないからだ。

少なくともパレスチナでイスラム教徒の血が一方的に流される限り、
中東に真の平和は訪れないと思うし、ライブ会場で発炎筒が炊かれたら
アメリカ人は出口に殺到し、意味のない死傷者の数を増やし続ける事に
なるのかもしれない。

そんなわけで次回に続く。



2003年04月09日(水) 『魔界転生』

今日は仕事帰り、 「魔界転生」の試写会 を見に行く。
何のことはない、これも友達が引き当てた試写会の当選券のおこぼれに
預かったからである。
とりあえずちょっと見たかったってのもあって、いざ有楽町の国際フォ
ーラムへ。

主演の窪塚洋介、佐藤浩市を始めとする、映画出演者の舞台挨拶が終わ
った後、上映開始。

さてこの映画、いつも通り一言で言うと、なんとなくまとまりに欠けた、
中途半端な感じが惜しい映画である。
なんていうのかな、日本映画の悪いところが見えてしまった感じの映画。

「魔界転生」 は、故山田風太郎原作の時代劇で、22年前、やはり最近
惜しくも鬼籍に入ってしまった、故深作欣二監督がメガホンをとり、
沢田研二、千葉真一主演で話題となった作品のリメイク作品。

美少年、天草四郎役に窪塚洋介、そして監督が、最近「愛を乞う人」
「OUT」など話題作を撮っている平山秀幸。
「たそがれ清兵衛」など時代劇映画ブームの昨今、今回時代劇初挑戦と
なるこの二人の新鮮さと、最新のCG、SFXを駆使して、前作を超え
て時代劇の枠にとらわれないような作品を、目指したであろうこの映画。

うーん、個人的な感想では、前作の迫力を超えることはできなかった
ようだ。
時代劇好き?の自分に言わせると、とにかく立ち回りが、格好よく
見えないんである。

多分ね、出演者も監督も、CG、ワイヤーアクションなど、今までの
時代劇にはなかった特殊効果が使えるとあって、今までの時代劇にあり
がちな殺陣に囚われない画づくりを目指したんだろうなあ、って気は
するんだけど、残念ながらその取り組みは、空振りに終わってしまった
感が否めない。

主役?の柳生十兵衛と、彼と戦うために、魔界から復活を遂げる伝説の
剣士、宮本武蔵、宝蔵院胤舜など、名だたる剣豪同士の闘いのようには
どうやっても見えないんだよね。

例えばTV時代劇にありがちな、型にはまっただけの殺陣を大画面で見
るのもつらい気はするんだけど、そういう日本伝統の型を捨てるんだっ
たら、せめて役者さんの肉体を感じさせてほしかった。

作品終盤の立ち回りがとっても格好よかった「たそがれ清兵衛」の後
だけに、なおさらそう思ったりするのかもしれない。

そして今回の目玉のCG多用の特殊効果。
うーん、でもそんなに凄いって気がしないんだよなあ。
もちろん、最近のCGなんかに見慣れてしまったからかもしれないけど。
逆に言えば、22年前の深作版の方が、色々工夫があって凄かった気が
どうしてもしてしまうんである。

もちろん、それはかつての美化されてしまった思い出だからかもしれな
いけれど、安易にCGなどに頼れなかった分、何とかしようと知恵を絞
って作っていた感じが凄かったなあ、なんて気になってしまうのだ。

んで、キャスト。
個人的に惜しいなあと思うのは、演じている役者から、狂気があまり感
じられなかったことだろう。

魔界から復活したり、そんな魔に魅入られた登場人物に、人が魔に引き
込まれたことに対する怖さが全然感じられない。
そんな魔性を感じさせてくれたのは、麻生久美子くらいかな。

主演の窪塚洋介の場合、もちろん直接ジュリーと比較されちゃうのは、
ちょっとつらいと思うけど、今回彼から何かを感じることは、残念ながら
できなかった。
本人は自由に演じたらしいけど、魔界の者としての自由さ、それは時と
して人を魔界に引き込んでしまうかもしれない危うさ、なんてものは
感じられない。
すなわち、見ていて自由さを感じるよりは窮屈感を感じてしまうのだ。
その前に見たIWGPスープの回でのびのびと演じてたからなおさらそう
思ってしまうのかもしれないけれど。

この「魔界転生」に限らず、山田風太郎の魅力って、一言で言えば「痛
快時代劇」にあると思うんだけど、そんな痛快さを感じることができな
かったのが、せっかくのいい素材なのにもったいないなあ、ってどうし
ても感じてしまう。

そんな風に感じたからなのか、それともこの前、スタッフキャストとも
よくまとまっていると感じられた「シカゴ」を見た後だからか、舞台挨
拶を見ていても、なんとなく一体感に欠けていたなあ、なんて思い返し
てみたり。

東映としては、この作品に賭けている部分もあるんだろうけど、どうし
ても、うーん、と唸ってしまうんである。

逆に言えば、やっぱり前作を撮った深作欣二が偉大だったんだなあ、
って事だと思うんだけど。
どうせだったら、この作品公開に引っ掛けて、前作やらないかな。
もう一回前作を見てみたい気分である。
ジュリーの首が飛んで、にやりと笑うシーンとかね。

と思っていたら、3月30日にもうすでにやっていたらしい。
そ、そんな〜。



2003年04月06日(日) 桜めぐり

今現在、「和茶」のCM で流れている、題名は忘れちゃったんだけど、
♪は〜るは、な〜のみ〜の〜♪って歌の歌詞を、♪春花見〜の♪だと思
い込んでいた今日この頃。

すっかり花見の季節である。

土曜は、まさに花冷えの雨で、これで桜が散っちゃったら嫌だなあ、
なんて思ったてたら、桜もまだ持ちこたえていたらしく、格好の花見
日和になったみたいだ。

なんて気になったら、善は急げ。
デジカメ持って、桜見物の旅である。

上野の山、千鳥淵をはじめとして、都内に有名なお花見スポットは数々
あるが、個人的に毎年つい見に行ってしまう定番スポットがあるのだ。

それは、高田馬場〜都電荒川線にかけての数箇所。
今回は、ぶらり何とかの旅を決め込んだルポ風にまとめてみる。
これは、そのうち、写真つけてUPしてみたいと思う。

さて、まず訪れたのは、明治神宮 。明治神宮は、そんなに桜の名所って
訳ではなく、むしろ隣の代々木公園のほうが、桜並木としては綺麗なん
だけど、種々の木々に挟まれて、ひっそりと咲く桜が綺麗な場所である。

そして代々木から山手線に乗り、目指すは高田馬場。もしくは新大久保。
ここは、自分が通っていた高校のある場所である。
高田馬場と、大久保のちょうど中間地点あたりに、早稲田大学の理工学
部、大久保キャンパスがある。わが母校は、そこから明治通りを挟んだ
ちょうど反対側。あの紀宮さまも通われた、学習院付属女子高校、の隣の
高校。ちなみに紀宮様は自分と同い年なので、塀をはさんだ同級生、
なんていうとちょっと違うか。

で、学習院女子の、重要文化財にもなっている、門と桜並木を写真に
おさめて、わが母校もちょっとだけのぞいてみようかと思ったら、なんと
校門と一部の校舎がない。
わが母校はいつの間にか、改築工事をしていたのである。

十何年後かの後輩をつかまえて?話を聞いてみると、新校舎は今年度中
の完成予定なんだとか。
で、その新校舎が建つまでの間の仮校舎を元校庭に建てて、今は授業を
しているみたい。
そのため、名物?だったラジアン池も、戸山砂漠も、今はもうなくなっ
ちゃったらしいよ<同窓生諸君。

なんてひとしきり感傷にひたった後、とりあえず高校時代よく通った
ラーメン屋 えぞ菊 で空腹を満たし、目指すは母校裏の公園、戸山公園へ。

戸山公園 は、実は知る人ぞ知る、花見の絶好スポットである。
戸山公園って言っても、実はそんなに大きな公園ではないんだけど、
公園内に、箱根山、という23区内で一番標高が高いと言われている?山
がある。

で、この山というか丘。
元々は松平かどっかのお殿様が、自分ちの庭に、箱根山を模して作った
築山なんだけど、その頂上をぐるりと囲うように、桜並木が麓?をとり
囲んでいる。

だから麓を歩けば、桜のトンネルだし、頂上?に上れば、桜の木の上に
出ることになり、目の前に360度の桜の雲海が拡がるのだ。

高校時代は、ここが部活の練習場所で、死ぬほどこの山は登らされて、
しかも花見なんざするどころの騒ぎではなかったんだけど、今にして
思えばいい?思い出の詰まった場所なわけだ。

ちなみにここは戦時中、陸軍の駐屯地で、あの悪名高き731部隊もこ
こにあったらしく、箱根山の桜がとりわけ綺麗なのは、下に死体が埋ま
っているからだ、なんて学生時代は噂もあったけど、そんな事実はない
らしい。

でもそのくらい、ここの桜は勢いがあって、綺麗なんである。

さて、そんな箱根山を下り?目指すは早稲田へ。
都の西北、早稲田の杜はそのまま通り過ぎて、都電荒川線の終点、早稲
田駅へ。
ちなみにかの有名な?早稲田のとなり〜のバカ田大學はここにはないん
で念のため。

早稲田駅から都電荒川線の学習院下という駅まで、神田川沿いを電車は
走っているんだけど、その神田川沿いの桜が、また綺麗なんである。

桜の枝が、まるで花が重いかのように、川面に向かって垂れ下がって、
それが並木をつくっている様は、本当に心が打たれるほど。

ここは、できれば王子駅や大塚駅から、都電荒川線に乗って来てほしい
場所である。
それまでの、普通の風景から、いきなり桜並木が目の前に開けるときの
感動と言ったら!筆舌にしがたいほど。

個人的な事情で、私はいつもこの時期にうちのお墓参りをすることにし
ている。うちのお墓は池袋の元祖行列のできるラーメン屋、大勝軒にほ
ど近い雑司が谷にあり、帰り道、よく都電荒川線を利用するんだけど、
初めてこの時期、都電荒川線で早稲田まで来たときのことは今でも目に
焼きついている。
思わず近くの駅で途中下車してしまったほど、その風景は綺麗な風景だ
ったのだ。

さてそんな思い出を胸に抱えつつ、学習院下駅から、都電荒川線に乗る。
都電荒川線は、今はもう都内に2本しかないチンチン電車、いわゆる路面
電車で、早稲田から大塚、王子を経由して三ノ輪橋駅までを結んでいる、
情緒あふれる電車である。

この時期は沿線に、神田川、王子のそばの飛鳥山、そしてあらかわ遊園地
と、都内有数の花見スポットと歓楽場所を抱えているため、混雑すること
甚だしいんだけど、それもまた風情って奴かもしれない。
つうか、みんな考えることは一緒なんだよね。

さて、そんなわけでこの旅も目指すは飛鳥山へ。
飛鳥山は、王子駅のそばにある公園で、やはり花見の名所である。
飛鳥山、とは言っても先ほどの箱根山ほどの高さはなく、感じとしては
ただの公園である<ちょっと身びいき。

ただ、今は残念なことに飛鳥山の地下に首都高速を通すための工事を
しているので、昔に比べると、幾分寂しくなってしまったような気がす
るのは、気のせいだろうか。

ついでながら、都電荒川線の飛鳥山駅のホームから直接行ける場所に
昔は甘味処があり、そこのあんみつが大好きだったんだけど、今はもう
無くなってしまったのも、ちょっと寂しかったりもするんだけれど。

そんな感じで、今年の桜見物の旅は終わり。
さらっと流して書いたけど、歩いた距離にして、5〜6Kmはあるかも
しれない。

いつもの履きなれた靴をはいていたのに、桜に夢中で気がついたら足の
裏にマメができてしまってた。
でも風も心地よく、絶好の花見日和だったような気がする。
写真も思いのほか、よく撮れていたんで、いつの日か必ずUPして、
お見せすると約束しておこう。



2003年04月03日(木) 「IWGPスープの回」

と、いうことで予告までした以上、とりあえずは触れておこう。
感想を一言で言えば、うーんそう来たか、クドカンって感じかな。

まあ、確かにあれだけ売れている面子たちの話だから、売れている方たち
出ずっぱりの話ってのは難しいんだろうなあ。

だからとりあえず、主演の長瀬智也を始めとして、妻夫木聡、坂口健二、
加藤あい、窪塚洋介、森下愛子、きたろう、阿部サダヲ、あと金髪で
天パーの人(笑)、京介とか、主要メンバーは出てくるけど、全員が絡む
シーンは、ほとんどなし。

スケジュール的にやりくりは、相当大変だったんだろうなあ。
逆に言えば、そんな中でよくぞ2時間ドラマをとりましたって感じかも。

その分、クレイジーケンバンドとか、岡本健一とか、あと汁男とか、ロ
リータ姉ちゃんとか、キャッツアイの人たちとか、そういう遊び?の部
分を多くして、ブクロスタイル?(byキング)って感じでまとめてみた
って感じなのかも。

うん、でもこういうの個人的には嫌いじゃないっすよ。
逆に言えば、ここまで色々と遊んでくれれば全然OK。
気楽に見れました、って感じで。

って、見てない人には全然訳わかんないっすよね、すみません。
まあ、こういう日記の回もたまにはありって事で。

でも、まさかキングたったの2シーンとはなー。
原作本 「骨音」では、キング結構活躍してたんで、もうちょっと出てく
るのかと思ってたよ。

いや、別に個人的にそんなに窪塚ファンな訳ではないんだけど、友達に
窪塚ファンがいるんで、ちょっと影響されて期待していた自分もいたり。
ちなみに、原作ではこんな感じで活躍してます、キング。


 タカシは冷たく笑ったが、目の奥におかしな光がはいるのがわかった。
あぶない。スライとSINは自分たちがおかれた状況がぜんぜんわかっ
ていない。タカシはカツシンにいった。

「なあ、さっきの話だがあんたたちのやり方じゃ、こいつらに効果はな
いよ。肉体を痛みつけるだけじゃ、ひと月もすれば痛みなど忘れてしま
う。おれはこいつらから、ほかに代用できないものを奪うのがいいと思
う」
 かけがえのないものを奪う?おれは意味がわからなかったが、カツシ
ンはうなずいていった。
「そうかもしれんな。おれたちの手に負えるガキじゃないようだ。殺し
てしまうわけにもいかんしな。あんたなら、こういうガキのあしらいを
よく知っていそうだ」(略)

「これでおまえたちの処分は決定だ。スライ、おまえは耳を失う。SI
N、おまえからは声を奪う」
 突入後初めて、ふたりは縛られた椅子のうえで震えあがった。死なな
い程度に痛みつけられるだけだとたかをくくっていたのだろう。だが、
タカシが決めた罰はそんなものよりずっと過酷だった。スライとSIN
の顔は今度は正真正銘の恐怖に歪んでいる。キングは穏やかに笑ってい
った。

「スライ、おまえは自慢の耳に五つずつ穴を開けろ。なんならマイクを
つけて、音を拾ってやってもいい。SIN、おまえはその洗浄液をのみ
ほせ。一度のどを通せばすぐに吐きだしてもいい。別に死にはしない。
だが、一滴も残すなよ。そいつでおまえの声を焼いてやる」



つうか、TVとはもう完全に別キャラですな。
TV版の決着のつけ方も、窪塚キングらしくて好きなんだけどね。
三つカウントを数えるところとか。

ついでにいうと、原作「骨音」では、「西一番街テイクアウト」の話だ
と、マコト、キング、サル、そしてリツコ揃い踏みの大活躍しているん
で、個人的には結構好きなエピソードかも。








2003年04月01日(火) このたび

いきなりですがめでたく、結婚する事になりました♪


パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ


相手ですかー?
えーと、実はX1の子持ちなので、いきなり父親になっちゃうんですが、
頑張りたい?と思います。


ありがとー。ありがとー。


あ、ちなみに、
これを書いた日はエイプリルフールなんで、もちろんフィクションです。
ついでに、俺はX1だろうが、子持ちだろうが全然OKです。

念のため(笑)。




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