パラダイムチェンジ

2002年07月27日(土) おくやみ

昨日の夜、友達から電話がかかってきてビックリした。
自分の住んでいるマンションで、よく挨拶をしている方が急に
お亡くなりになったという電話だったからだ。

何故、その事を友達から聞いたのか。
訳を打ちあければ、その方がダンス時代の友達の、先生の旦那さん
だったから。
つまり、自分は友達のダンスの先生と同じマンションに住んでいた
という訳。

ちなみにその夫妻は、友達の仲人でもある。

自分がこのマンションに住むようになって、もう十年以上経つん
だけれど、ここに入居するようになって直後から、
その先生夫妻には、何かと目をかけていただいていた。

旦那さんがお亡くなりになったのは、本当に急なことだったようで
奥さんと話している間に急に苦しみだし、そのまま還らぬ人と、
なってしまったようだ。

死因は解離性大動脈瘤破裂。
人の身体の中には、心臓から身体中に血液を運ぶために大動脈という
太い血管が、心臓から出ている。大動脈瘤とは、その血管の内部の
層と層の間に血液が漏れてしまい、こぶのようなものが出来ることを
いう。

そしてそのこぶが破裂してしまうのが、大動脈瘤破裂。
破裂した場合の痛みは、想像を絶する痛みらしい。
石原裕次郎がかつて慶応病院で向井千晶に手術をしてもらったり、
司馬遼太郎の死因にもなった病気である。

自分がダンスを辞めたあとは、マンションの入り口でバッタリ会って
ご挨拶をするくらいだったんだけど、いつもにこやかに挨拶をされて
散歩や奥さんのお迎えに行かれていた姿が、今でも目に浮かぶ。

お亡くなりになるほんの前にも入り口で挨拶をした時だったから、
そのニュースは自分にとっても大ショックな出来事だった。

自分はお通夜だけ参加?したんだけれど、葬祭場までの道のり、
とても暑かったことを、今でもよく覚えている。
夏場のお葬式は、喪服を通して感じる夏の暑さが、その人が
亡くなったことの大きさを感じさせてくれるような気がした。

田代清先生のご冥福を謹んでお祈りいたします。



2002年07月23日(火) まわらない首

朝、起きようと思ったのに、首が痛くて動かせないとき、
あなたならどうしますか?

そんなわけで、先週、久しぶりにカゼをひきました。
しかも地味に。
最初は、なんか寝違えたのかなあ、と思っていたら、これが見事に
首が動かない。1mmでも横に動かそうものなら、たちまちに激痛。

自分は経験したことはないけれど、まるでムチウチにでもなって
しまったような感じ。

で、首を横なり、前後なりに動かせないと、人間って、起きあがることも、
そして横向きになることも出来やしない。
ちょっとでも首を動かしたら大激痛。
もしかすると、このまま仰向け以外になれなかったら、
どうしようかと一瞬悩みましたね。

とりあえず、本業で、はりきゅう・マッサージの看板を掲げている
以上、いろんな事をやっても思ったほど効果が出ない。
そんなこんなを繰り返しているうちに、今度は喉が痛くなって
来たので、はじめてカゼを引いたんだ、と納得。

普段は、熱にうなされたりするんだけど、今回は首の痛みのみ。
どうやら、寝違えたのと、カゼを引いて扁桃腺を腫らしたのが
同時にやってきた為に、激痛になったんじゃないかな、と推測。

あんまり薬を飲むのも好きではないので、普段は、お医者さんには
行かないで、自分で治すんですけど、今回は流石の激痛に耐えられずに、
とっととお医者さんに直行。

抗生剤と鎮痛解熱剤をもらって、しばらくはおとなしくしてました。



2002年07月20日(土) 土用の丑をめぐる与太話

そんなわけで、20日は土用の丑(うし)の日だった。
鰻の消費量が1年で一番多い日。
小さい頃は、てっきり、土曜の牛の日だと思いこんで、
なんで牛の日に鰻を食べるのか、疑問に思ったもんである。
今年はまさしく、土曜の丑の日になった。

おそらくは、日本人のほとんどがこの日に鰻を食べたと思うが、
残念ながら鰻を食べることが出来ず、くやしい?思いをした人も
多いかもしれない。
かくいう自分もそうだったりする。

だが、土用の丑の日、実は今年は2回あるのを知っていた
だろうか?

これは、googleなどの検索エンジンで「土用」「丑」を
入力してみると意外なことがわかったりして面白い。

さて、そもそも、「土用」とはなんなのか。
これを紐解くには、はるか古代中国にまで、さかのぼる
必要がある。
古代の中国では、木・火・土・金・水の5種類の物質によって
世界が支配されていると考えていた。

そして、この世の様々な事柄を5種類の物質、すなわちフィフス・
エレメントに当てはめて物事を考えていたのである。
この思想を「五行」という。

などと書くと、まるで神話の時代の、「剣と魔法の時代」の話
のように聞こえるかもしれない。
が、実はこの思想は、現代でも生きている。

例えば、東西南北でいえば、東が木、南が火、西が金、北が水。
そして、中央が土。
この思想と、十干十二支の方角を組み合わせたものが風水であり、

医療に取り入れたものが、漢方や鍼灸などの東洋医学である。
つまり、土用の丑の日と、私の本職、はりきゅうとは実は浅からぬ
縁があったりする。
五行と、東洋医学との関係も実はとても面白いのであるが、
これはまた、別の機会にでも。

そして、この五行の思想を四季に当てはめると、木が春、火が夏
金が秋、水が冬となるが、何かが足りなくなってしまう。
そう、土が抜け落ちてしまうのだ。

そこで、各季節の終わりの18日間を、土の季節に振り分けた。
すなわち、これが「土用」。
だから、土用は夏だけにかぎらず、各季節に存在している。
夏の土用が終わると、立秋となり、暦の上では秋となる。

今年の立秋は8月8日。普通の感覚であれば、まだまだ暑い盛りで
あるから、これもまた、七夕と同じ「旧暦マジック」が働いている
ような気もするが、現在では、日の入りが東経何度を越えた時期、
という形で決められているらしい。

ただし、東洋医学の五行論では、土に相当する季節は、長夏といい、
夏の真ん中の暑い盛りを指している、とされている。

そして「土用」の「丑」の日が2つある謎。
それは、あの「商売繁盛笹もってこい」の11月の酉の市のお祭りが
年によって、2回だったり、3回だったりするのと同じ事である。

つまり、11月に十二支の「酉」のつく日が2回あれば
「二の酉」、3回あれば、「三の酉」がひらかれるように、
「土用」と呼ばれる時期に、丑の日が、2回あれば、土用の
丑の日は、2回来る。

今年は7月20日と、12日後の8月2日が「土用の丑の日」。
丑の日には、鰻にかぎらず、黒いものを食べる習慣があり、
鰻が栄養豊富な為、江戸時代から鰻が食べられるようになった。
一説には、平賀源内が流行らせたらしい。

これは余談だが、江戸時代の鰻は決して高級料理では
なかったという。
池波正太郎の小説、剣客商売シリーズ(新潮文庫)によれば、

【鰻というものは、この当時の、すこし前まで、これを丸焼きに
して豆油やら、山椒味噌やらをつけ、はげしい労働をする人びとの
口をよろこばせはしても、これが一つの料理として、上流・中流の
口へと入るものではなかったという。
 
 それが、上方からつたわった調理法で、鰻を腹から開いて、
食べよいように切り、これを焼くという…そうなってから、
「おもったよりも、うまいし、それに精がつくようだ」
 と、江戸でも、これを食べる人びとが増えたそうな。

 この後、約二十年ほどを経て、江戸ふうの鰻料理が開発され、
背びらきにしたのを蒸しあげて強い脂をぬき、やわらかく焼き上げ
たれにも工夫が凝らされるようになり、ここに鰻料理の大流行となる】
「悪い虫」(辻斬り)より

この文章にかぎらず、食ということにこだわった、池波正太郎氏
には、ほんとうに頭が下がる思いである。
おそらく、平賀源内の時代はまだ、鰻の丸焼きの時代だったろう。

最後の付け足し。
土用の丑の日に、お灸をする習慣も昔にはあったらしい。
これは、ほうろく灸といって、素焼きのお皿を頭のてっぺんに
載せてその上でお灸を燃やす習慣で、お寺などで今でも
見られる習慣である。

一応プロとして解説をすると、頭のてっぺんには、百会
(ひゃくえ)という、全てのツボの大元締めのようなツボがあり、
万病に効く、とされている。
なぜか痔の名穴、と言われるが、循環系の疾患、耳、鼻、目の疾患
にもよく効くと言われている。

とは言っても、夏の盛りにお灸をするっていうのは、一種の修行と
いうか、当時のガマン比べ大会の要素も含まれていたのかもしれない。



2002年07月17日(水) 沖縄の珊瑚礁の95%が死滅?

今回はニュースネタ。
たまたま見てたニュース番組で、ショッキングなニュースを
やっていたんで、悪いと思いつつ、引用してみる。
JNNのサイトより引用

【沖縄本島周辺のサンゴ、95%死滅 】
【沖縄のサンゴ礁には、世界的に貴重な生物が最も多く住むといわれています。しかし、沖縄本島周辺のサンゴの およそ95%が死滅しているというショッキングな事実が、研究者の調査でわかりました。

 白骨のようになってしまったサンゴ。緑や青の鮮やかな色は、そこにはありません。白は、サンゴにとって死の色です。
 
 九州大学の野島哲助教授。九州、沖縄を初め、海外の海にも頻繁に もぐっています。野島助教授によりますと、沖縄本島のサンゴのおよそ95%が既に死滅、特に、水納島ではほぼ全滅しているのが確認されています。石垣島と西表島の間にある国内最大のサンゴ礁、石西礁湖でも4割が死滅していました。
 
 30年間に渡って沖縄の海に潜り続けている水中写真家の中村征夫さんはこう言います。「生きてるサンゴが本当に少なくなっている。今までこれほどひどい状況みたことないですね」
 
 サンゴの中に住む褐虫藻という藻。光合成をするため、緑色をしています。サンゴは、褐虫藻から多くの栄養分を吸収していますが、海水温が30度を超える状態が続くと、サンゴは褐虫藻を吐き出して白化、やがて死んでしまいます。この現象は沖縄に限らず、グレートバリアリーフなど、世界中の海で広がっています。沖縄のサンゴは1970年代にも危機的な状況にありました。原因はサンゴの天敵、オニヒトデ。しばしば大量発生し、多くのサンゴを食い荒らします。今年も大量発生していて、地元では大がかりな 駆除活動が行われています。
 
 「今年は真夏の太陽が照りつけ、白化現象が起きる前に、オニヒトデが異常発生していて、サンゴを食い荒らしている状況です」(水中写真家の中村征夫さん)
 「サンゴが死ぬことによってサンゴ礁の生態系を形成していた色々な生き物が消滅してしまう。魚の数が非常に激減した」(九州大学の野島哲助教授)
 
 沖縄のサンゴ礁は、地球の貴重な財産です。ハーバード大学などの研究グループは、沖縄周辺のサンゴ礁は貴重な生物が最も多く住んでいると発表。その一方で、サンゴ礁の環境破壊を指摘し、緊急な保護が 必要だとしています。野島助教授も実状を国に訴えていますが、動きがにぶいため、仲間とサンゴを移植するなど、自ら再生計画に乗り出しました。
 
 「アマゾンなど世界の大きな森に匹敵するくらいの酸素を、サンゴ礁は放出している。サンゴ礁がなくなると、酸素がなくなり二酸化炭素だけが増えてしまう。今のままいくと、30年後にサンゴ礁が消えると言われている。これは大変なことですよ」(水中写真家の中村征夫さん)
 
 幻想的なサンゴの産卵。生命の神秘を感じさせる光景です。しかし、産卵するサンゴ自体の数も少なくなっています。今、早急な対策が求められています。(17日17:50)】


今年になって、オニヒトデが大量発生して、沖縄の珊瑚が
危ないっていう話は聞いていたけれど、95%っていう数字に
愕然としてしまう。
って事は、沖縄の珊瑚礁は、事実上絶滅の危機にあるって事なのだろうか?

実は、まだ、沖縄の、というか珊瑚を自分の目で実際に見たことは
ないんだけど、それでも、この先、沖縄の海から珊瑚が消えて
しまうっていうのは、凄いショックだ。

しかもこの傾向は日本に限らず、全世界規模の話なんだとか。
もしも、本当に30年後、全ての珊瑚が消滅してしまった場合、
自分の子供や孫は、珊瑚の海ってのを見ることはなくなってしまう
って事を意味してる。

地球の危機が、なんかすぐそこに近づいているのかもしれない。
これが本当なら、本当に何とかしなきゃいけない問題だと思うが、
問題を解決するのはおそらく困難だろう。

それでも、なんらかの対策を早急にするべきだと思うが。

あと、今日気になったニュースはもう一つ。
ニュースの森の森田さんが言っていたが、校庭が芝生の小学校が
実は増えているらしい。首都圏でも、印旛沼の小学校とか、
杉並区の小学校で、校庭を芝生に変えているらしい。

校庭を芝生に変えることで、子供たちが怪我をしにくくなった
だけでなく、土ぼこりを防ぎ、緑化することでヒートアイランド
現象の解消にも一役買えるんだとか!
文部科学省も、積極的にすすめる予定らしい。

映像にうつっている子供たちは、はだしで本当に楽しそうに
遊んでいた。
これが今日聞いたニュースの中では、一番のニュースだった。



2002年07月14日(日) 医者に謝礼を払うべきなのか?

故あって、今月から毎日新聞を取っている。久しぶりに新聞を
定期購読して、その内容の意外な薄さにびっくりしてる。

といっても、昔はせいぜい、社会面とTV欄くらいしか読んで
なかったんだけど。
なんか、もっと様々な事柄が詰まった知識の箱のように昔は
感じていたんだなあ、としみじみ。

その毎日新聞の朝刊社会面にこんな特集記事が載っていた。

「医療を問う 患者は人質」

かなり、刺激的な言葉が並んでいる。
少しだけ、抜き書きすれば、

>「5万円だと受け取ってもらえない」、

>ベテラン看護師は、主任教授が「最近、金額が減った」とぼやくのを耳にした。難しい手術の前、家族から20万円を差し出された医師は「僕の技術はこんな金額じゃ買えない」と、怒って断ったという。

>「うちだけ払わないで手術に影響があったら、取り返しがつかない」

>先天性の心臓病で息子が10年来、女子医大病院に通う母親は、外科の主治医に手術前の説明を受ける時、看護師から必ず念を押された。「先生に質問してはだめよ」



うーん、と考えてしまった。はっきり言って、この取材内容が、
常識であると、どうしても思えないからだ。

果たして、お医者さんに謝礼を払わなければ、ちゃんと診て
もらえないんだろうか?

これは、自分の経験であるが、つい先日まで、病院で働いて
いた事もあり、患者さんや、その家族から、謝礼をもらうことも
結構あった。

原則的に、自分の働いていた病院で患者さんから個人的に何かを
もらうことは禁止されている。
「だから、その気持ちだけで結構ですよ」とは言っても、日本的な
風習のせいか、患者さんも、その謝礼を下げることはないので、
慣例的に受け取る事も多かった。

もちろん、患者さんとしては、ここで謝礼を払うことで、特別
扱いをしてほしい、って気持ちもあったんじゃないかな、って
思う。

ただ、個人的には、謝礼をもらったからといって、その患者さんを
特別扱いをすることは決してなかった。
何かをいただこうが、いただくまいが、分け隔てなく、
その患者さんに対して自分が出来ることをしてきたつもりだ。

何故なら、患者さんには、誰でもよりよい医療を受ける
権利があると思うから。

また、もらったお菓子なり、お金なりは、そのままスタッフで
分けたり、プールして、たまの飲み会なんかに、ありがたく
活用させてもらった。

だから、あくまで個人的な経験でいえば、お医者さんに謝礼を
したかどうかで、治療法なり、診察が、変わることはないんじゃ
ないかな、と思っている。

逆に、例えば生活保護を受けているような患者さんから、決して
少なくない謝礼を受け取って、こっちの心が痛む事もあったし。

今回の女子医大の医療過誤事件にかぎらず、最近では多くの
医療過誤事件が報道されている。

病院で働いていた経験で言っても、医療現場でミスが全く
起きないなんて事はなく、大なり小なり、ミスは必ず起きる。
些細なミスのせいで、患者さんが残念ながら、死んでしまう例は
これからも起きるだろう。

自分なり、自分の家族なりがもしも、病院に入院したとして、
医療過誤に巻き込まれないようにするには、果たしてどのように
すればいいのか?

個人的には、金額の大小よりも、そこの病院スタッフと、なるべく
コミュニケーションを取ることの方が、そうした過誤を防げるよう
に思うのだ。

つまり、ワンオブ患者の1人、として機械的に処理されないように
少なくとも執刀医とは、コミュニケーションをとるのに
越したことはない、と思う。

医師サイドでも、ああ、この患者さんは、と少し意識をするだけで
注意力が増し、ミスを犯す可能性は減るような気がするのだ。

また、大きい病院でも、小さい病院でも、医療スタッフ間で
コミュニケーションがちゃんととれている病院の方が、
おそらくは、医療過誤のケース自体少ないか、深刻なものは
起きないような気がするし、そういう病棟は、大抵
活気があるように思う。

もっとも、医者、看護師や、パラメと呼ばれる、検査技師や
PTなどの医療従事者の間で、業種をこえてコミュニケーションを
とるのは結構困難な事だったりするんだけど。

今回の、毎日新聞の報道が、もしも本当であったとしたら、
謝礼の大小で怒る医師や、事前に質問をしたら怒る医師が本当に
いるんだとしたら、その医師が、どんなに有能な医師だったと
しても、手術には同意しない。

と、きっぱりと言えればいいんだけど、問題が人の生命に
関わるだけに心境は複雑である。
実際に、この人でなければ、このオペは成功しない、なんて
場合になったときはどうするのか?

それでも、謝礼がなかったからといって、医師として、まさか
手抜きをすることはないと思うんだが。

自分自身で言えば、どんなに多額の謝礼よりも、患者さんが
よくなって、ありがとうございました、という感謝の言葉の
方が、なによりも励みになると思う。
そして、おそらく大多数の医療関係者が、同じような態度で
働いていることを切に願う。



2002年07月12日(金) エピソード1が面白かった理由。

エピソード2公開直前と言うこともあって、TVで
スターウォーズエピソード1を放映していた。

スターウォーズは、昔のシリーズは大好きだったのだが、
エピソード1を見るのはこれが初めてだったりする。
で、これが意外な?事に面白かったのだ。

公開当時に見た友達から、あんまり面白くないよ、と聞かされて
いたせいで、全然期待していなかったせいかもしれない。

スターウォーズの魅力、それはSFXというギミック性と、
壮大なストーリーの融合、という言い方も出来るかもしれない。

おそらく、エピソード1があまり面白くなかった人っていうのは、
物語の部分について、物足りなさを感じたか、あるいは期待の方が
上回ってしまっていたような気がするのだ。

ある意味、最初に公開された、エピソード4と同じストーリーの
ような気がするのが、それを追い打ちしているというか。

だが、個人的には、スターウォーズシリーズの魅力って、むしろ、
ギミックの方にあるような気がする。
これは、この春にロード・オブ・ザ・リングを見たから、尚更
そう思うのかもしれない。

ストーリーの魅力、という意味では、スターウォーズは、ジョージ
ルーカスが、どんなに逆立ちしたって、そのオリジナル性っていう
事も含めて、トールキンの「指輪物語」には、かなわない。

でも、映画作品、そしてその画をつくることができた、監督の
才能という意味では、エピソード1は、ロード・オブ・ザ・リング
に勝っているような気がする。

現在の映画産業では、SFXや、CGの発達で、監督が再現しよう
と思って、不可能な事はほぼなくなったように思える。
その事が、最近のファンタジー映画ブームを支えているのも事実
だろう。

だが、監督の頭の中にある画が、ほぼ実現可能になったという事は
その監督自身の画づくりの力量をも浮き彫りにしてしまう気が
するのだ。

いくら、最新のCGで、モンスターや、フィールドを描いたと
しても、ただ単にそれらを配置しただけでは、陳腐な画にしか
ならない。

それは例えば、今まで一アニメーターとして画づくりにこだわって
きた、宮崎駿の飛行シーンが独特であるように、今まで
ずーっとSFXにこだわってきた、ジョージルーカスの才能が
あって初めて納得する画づくりになっていると思うのだ。

これは、前回のシリーズ、エピソード4〜6と比べてみると
よくわかる。ストーリーとしての面白さは、もしかすると、
ルーク・スカイウォーカーが主役だった前作の方が面白かった
かもしれない。

でも、CG等、再編集された特別編をあらためて見てみると、
悲しいかな、SFXの、稚拙さの方が目立ってしまう。
昔に見たときの感動は、自分の中でイメージの補完をしていたのが
わかってしまうのだ。

その意味では、監督、ジョージルーカスはエピソード1で初めて
自分の意図する画をつくり出すことに成功したのかもしれない。

だがしかし、もしも世界観という意味で、ジョージルーカスの
意図しているものが本当に完成してしまったとしたら?
この先、画づくりという意味で、更なるギミックの進化は
果たして可能なのだろうか?

だから今日から公開されるエピソード2が果たしてどうなって
いるのか、自分のなかでは、期待と不安が入り交じってしまう。
レビューサイトなどの感想では、概ね好評のようだが、
果たして、ジョージルーカスの光の魔法は、自分の期待を
いい意味で裏切ってくれるのだろうか。



2002年07月07日(日) 何故、牽牛と織姫は、なかなか会えないのか。

今日は七夕。
年に一回、アルタイルとベガがミルキーウェイをはさんで
巡り会う日。

ただし、こと東京に関しては、実は織姫と彦星は、天候が
災いして、なかなか会えなかったりする。
ここ10年くらい、雨が降らなかった年は数えるほどでしかない。

なんでそんなことを覚えているかっていうと、今日が誕生日の
友達がいるからだ。
吉倉、とりあえず誕生日おめでとう。

せっかく、年に一回のロマンチックな日であるのに、二人は
なかなか会えないのは、一体何故なのか?
って、考えてみたことはありませんか?

答えは簡単。日本では今が梅雨の真っ最中であるから。
でも、たかだか100年前の日本では、彼らは年に一回、
逢瀬できていたのだ。

その答えのヒントは、130年前にさかのぼる。
すなわち、130年前に、日本が旧暦から太陽暦に改めたが
ために、7月7日の七夕という、彼らにとっての大イベントは
1ヶ月以上早まる結果となり、梅雨の真っ最中という
逢瀬には似つかわしくない日になってしまった。

旧暦の七夕は8月中旬。そのころだったら、梅雨も明けている
ので、彼らも心置きなく逢瀬を楽しめるだろう。

ちなみに、旧暦での七夕は、季語としては秋になる。
昔の日本では、4.5.6が夏で、7月は秋。
一日のうち、日が一番長くなる夏至は5月の半ばである。
旧暦で、6月は水無月、だったんだから。

旧暦と新暦の絡みで、もう一つ思い出すのは、冬の出来事。

あの忠臣蔵、吉良邸討ち入りの場面には、やっぱり雪がよく似合う
と思うのだが、新暦の12月14日に、吉良邸のあった、
今の東京の本所に、雪はなかなか降らない。

もちろん、年々温暖化してるから、昔はもっと寒かっただろうが
本当の?討ち入りの日は、今の1月20日あたり。
そのころだったら、今でも東京に雪が降ってもおかしくはない。

なんてことを考えてみたが、そもそも七夕の習慣は、中国から
伝わってきたものだってことに気がついた。

それに、いくら晴れていても、東京では天の川すら拝むことは
難しいんだよね。
つくづく、ロマンスには遠い現代である。

余談。
今日、新宿のパークタワービルに行ったら、七夕にちなんで
仙台の七夕飾りのイベントをやっていた。
そこで、萩の月を思わず購入。
冷蔵庫で冷やした萩の月を風呂上りに食べるとやっぱりおいしい。



2002年07月01日(月) 祭りのあと

そんなわけで、W杯が終わってしまった。
さぞかしふぬけた状態になるかと思えばさにあらず、意外と
飄々としている自分に気がつく。

まあ、そこら辺がにわかサッカーファン、ってところなのかも
しれないが。
準決勝からあとは、そんなに集中して見てなかった気もするし。
おそらくは、夜な夜な録画していた試合なんぞを時々振り返って
余韻をかみしめているような気もする。

やっぱりするめのように、1回咬んで飲み下してしまうのは、
なんかもったいないような気がするので。

決勝戦のドイツ対ブラジルは、そういうわけでそんなに集中しては
見ていなかった。
ぼーっと見てしまうと、そんなに感動はせまってこないなあ、と
思いつつも、ブラジルもドイツも、さすがに疲れているのか、
動きが重いような気がしながら見ていた。

ただ、試合展開自体は、ブラジル、ドイツとも攻守の切り替えが
早かったので、まるで両サイドに打ちよせる波のような感じで、
目はなかなか離せなかった。

ドイツのGK、カーンは再三に渡って好セーブを連発していた。
結局はリバウドのシュートをはじいた所をロナウドに詰められ、
得点を許してしまい、その後もリバウドの絶妙のスルーの後の
ロナウドの速いシュートに対応出来なかった。
が、それはブラジルの多彩な攻撃を賞賛すべきなんだと思う。

逆に言えば、ドイツの固い最終ラインが、ここまで突破された
のは、今大会でははじめてで、結果として文字通り、
カーン対3Rの闘いに引きずり込まれてしまったのが、本当の
意味での敗因なのかもしれない。

逆にブラジルの最終ラインはよく機能して、ドイツの選手に
決定的チャンスをなかなか許さなかったし、GKもよくセーブ
していた。
ドイツにとっては、これまでいいところでチャンスを活かして
きた、バラックの欠場がやはり大きかったのかもしれない。

ドイツの組織対ブラジルの個人技、という言い方が多かったが、
もしかすると、カーンの個人技対ブラジルの組織的なDFという
言い方も出来たのかも。

試合終了後、カーンはしばらくゴールポストから離れなかったが
もしかすると自分の得点されたシーンを記憶に刻みつけていた
ような印象を受けた。
それはまるで、もしも同じシチュエーションに持ち込まれても
今度は得点させないと決意しているようでもあった。

今度カーンを見ることが出来るのは果たしていつの事だろうか。


さて、W杯が終わったとたん、様々なメディアでW杯の総括が
行なわれていた。
ただ、終わった直後に見ていても、あんまり感動がわいて
こないのは何故なんだろう?

あらたな感動を生むにしては、繰り返し同じ映像を見続けて
いたからなのか、それともほとんどの番組の切り口が似たような
ものであったからなのか。

もしも今年が終わったとして、一体どれくらいの人が、このW杯
の盛り上がりを実感できるのだろうか?
年末の特番あたりで流れる映像に、臨場感を得られるんだろう?
ふと、そんな気持ちが心をよぎった。

もしかすると、私たちにとってのW杯とは、試合だけではなく、
例えば道頓堀に飛び込んだ思い出とか、キャンプ地の人たちに
とっては遠くからバスを眺めた記憶とか、そういう所に残って
いくものなのかもしれない。

ただ一つ、最後にメディアの報道で気になる部分があった。

「W杯が終わった後、果たして国民はJリーグに対して興味を
持っていくんでしょうかね?」

様々な番組で司会者が、サッカー解説者に聞いていたこの言葉。
だから、Jリーグはダメなんだ、という結論が先にある、
予定調和な意見なんじゃないだろうか?

もしも、本気でそう思って日本のサッカーの将来を心配する
のだったら、もう少しTVでサッカーの中継をしてほしいと
思うのだが。
生中継でなくても、深夜の録画でもいいから、せめて週一くらい
どこかで試合を流さないのかなあ。

もしも、本気でW杯で日本が強くなろうとするならば、
もう少しサッカーが日本に根付くことが必要なんだと思うから。


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