パラダイムチェンジ

2002年06月30日(日) 本の効用

前回の日記で、北村薫の「六の宮の姫君」を取り上げたんだ
けれど、
続編が読みたくなってしまったので、つい本棚から引っ張り出して
読んでしまった。

北村薫著、「朝霧」(東京創元社刊)。残念ながらまだ文庫本化は
されていない。
これはある意味、部屋のそうじをはじめたつもりが、いつの間にか
昔はまったマンガ本を全冊読んでしまった状態に、似ているかも
しれない。

個人的には、昔読んだ本をもういちど読み返すのって結構、
好きだったりする。
昔、気になった文章に再び出会うと、なんか懐かしい気持ちが
よみがえって来たりするし。

「朝霧」を最初に読んだとき、自分の心にひっかかった言葉は
以下の文章である。
「いやだなあ、僕は。―いいかい、君、好きになるなら、
 一流の人物を好きになりなさい。―それから、これは、
 いかにも爺さんらしいいい方かもしれんが、本当に
 いいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ。」

この文章に最初に出会った時の自分は、もうすでに学生では
なかったけれど、まだ世間に出たばかりの柔らかな心を
持っていたのかもなあ、と感慨にふけってしまった。

たかだか数年前のことなのに、人が年月を経ていくうちに、
忘れてしまうものって、色々と存在している。

本に限らず、昔書いた文章なんてのを読み直すと、その当時の
気持ちなんていうのもよみがえってくる。
なんとなく、まぶしいような、くすぐったいような気持ちを
思い出させてくれること。
本にはそんな効用もあるような気もするのだ。



2002年06月27日(木) 真珠夫人

フジテレビの昼ドラマ、真珠夫人がいよいよ終わるらしい。
とはいっても、全然見ていないんだが、噂によると、あの「愛の嵐」
以来の、グランドロマンというか、メロドラマというか、
結構話題にのぼる作品だったらしい。

さて、真珠夫人、と聞くとピンと来る小説がある。
北村薫「六の宮の姫君」(創元推理文庫)である。
とりあえず、気になった場所を引用すると、

「君なんかはどう、菊池さんのものは?」
「はい、文学全集で読んだことがあります。短編にいいものが多いので
驚かされました。もっと評価されてしかるべき作家だと思います。」
 いささか公式的な答えになったが、本音である。
「短編に、というと長編も読んだ?」
「『真珠夫人』は読みました」
 天城さんが、微笑んでいった。
「今時、千人に聞いても読んでないわよ。あなたって面白い子ね。」
(略)
「どうだったね?」
「テレビの原作にぴったりの本だと思いました。波瀾万丈ドラマが流行って
ますけれど、新しく作らなくても『真珠夫人』をやればいい筈です(略)」

と、気になるところを抜き書きするだけのつもりが、結局最後まで
読んでしまった。やっぱり面白い。
引用した「六の宮の姫君」は、個人的には日本のミステリー小説としては
宮部みゆきをおさえて堂々のNo.1作品なのだ。

文豪、芥川龍之介が遺した言葉の謎を、彼の作品、当時の交友録から、
紐解いていくという、ミステリー。

何故、この作品が個人的No.1かというと、普通、ミステリーの舞台は
作品の中にしかなく、その足跡を現実の私たちがたどるのは不可能
なんだけど、この作品の場合、もしもたどろうと思えば、現存している
本でたどれるかもしれない、っていう点が、面白い。

もしかしたら自分も名探偵になれるかもしれないと思えるってのは、
個人的にはポイントが高いのだ。

蛇足ながら付け加えると、「六の宮の姫君」は。「空飛ぶ馬」から続く
「円紫さんと私」シリーズの作品なので、まだ読んだことのない人は
「空飛ぶ馬」から是非どうぞ。
女子大生である「私」の身の回りに起こる不思議を解決していく、
このシリーズは、梅雨のこの時期に読むとちょっと爽やかな気分に
なれるかも。

菊池寛については、実は小さい頃、他の本でも出会っている。
長谷川町子著「サザエさんうちあけばなし」(姉妹社)。漫画「サザエさん」
の作者である、長谷川町子の自叙伝でもあり、TV小説「マア姉ちゃん」の
原作本でもあるこの本にも、菊池寛は登場する。

マア姉ちゃんであるところの、長谷川町子の姉を挿し絵書きとして雇うのが
菊池寛。漫画の描写では、和服に腕時計を3つくらいはめて、いつも汗を
かいて、忙しそうにしている姿が印象的だったので、覚えている。

あ、一応『真珠夫人』についてもう少し付け加えると、作者は雑誌
「文藝春秋」を創刊し、芥川賞、直木賞を創設した菊池寛。
お話的には、将来結婚を誓いあった二人が、彼女の結婚で引き裂かれる
んだけど、彼女は2年間、自分の貞操を守ることを彼に約束し、
その事が原因で様々なドラマが引き起こされる、という話。
ってはしょりすぎだが。

今は亡き、ナンシー関さんの雑誌の連載は好きでよく読んでいたんだけど、
『真珠夫人』も、亡くなる直前の週刊文春で取り上げられていた。
週刊「文春」で、菊池寛原作の『真珠夫人』を取り上げるのもすごいなあ
と感心した記憶がある。って考えすぎかも。

などと思っていたら、『真珠夫人』の後番組は『新・愛の嵐』であるらしい。
ここは一つ、ナンシー関さんに、それでいいのか、東海テレビ、などと
ぜひ、つっこんでほしかったポイントである。
つくづく惜しい人を亡くしたものだ。



2002年06月26日(水) 韓国のこと

韓国は、W杯準決勝でドイツに敗れた。
さすがに、中2日でしかも延長戦の試合が続いたためか、韓国
チームの動きは重かったような気がする。

ドイツはきっちりと韓国の攻撃を封じ、ゴールの枠内に飛んだ球も
GKのカーンが危なげなく、処理していた。
そしてドイツが得点したのは、今までと同様、数少ないチャンスを
きっちりと決めるストライカー、バラックがいたからだった。

個人的に、やっぱりドイツの戦い方は面白くないが、ドイツが
勝つためにはどうすればいいのか、きっちりと理解した試合運びを
しているような感じだった。

しかし、今回のW杯の主役は、やっぱり韓国だったのだろう。
審判問題で紛糾したにせよ、話題の中心に韓国がいたのは間違いない。

審判問題に関しては、実際のところどうなのかはわからない。
スペインのあのセンタリングは、今見れば明らかにインプレイで
あったと思うし、イタリア戦のトッティのシュミレーションに関しても
負けてしまった国が不満を持つのは当たり前だと思う。

もしかすれば勝てたかもしれない試合をみすみす落として、しかも
それがワールドカップであったなら。

ただ、日本国内で出ている、審判問題に関しては、それだけではなくて
羨望というか、嫉妬の気持ちもあるんじゃないかな、って気もするのだ。
同じく開催国である日本代表の試合で、同様に何故か日本代表に対して、
有利な笛ばかり吹かれていたとしたら。

果たしてこの国のサポーター達は審判がおかしいと、
声高に主張するんだろうか?
まあまあ、って感じで苦笑いですましてしまいそうな気もするのだが。
実際のところどうなのかを語るには、サッカー事情に疎いんだけれど。

もちろん、出来れば公正な審判という前提で試合が見られる方がうれしい。
この前の冬季五輪といい今回といい、フィールドの外側でなにか決着が
つくような雰囲気は、正直に言ってその競技に対する愛情と興味を
冷めさせてしまうだろう。

だけれども、審判の問題がどうであったにせよ、最後の瞬間まで
韓国の選手達は前を向いて走り続け、再三ゴールをおびやかしたのは
事実だろう。どんなに有利な状況だったとしても、それと彼らの活躍は
全く別の問題である。

それほど、彼らは今大会、疲れを知らないかのように豊富な運動量と
精神力を見せてくれたと思う。
韓国に破れたポルトガル、イタリア、スペインにしても、彼らがここまで
活躍するとは思わなかったはずだ。
むしろ、事前には彼らの実力をあなどっていたとしても不思議はなかったと思う。

その事に関しては、惜しみない拍手をあげていいんじゃないかな、って気がする。

そしてもうひとつ、このW杯がきっかけになって、もしかすると韓国も
変わってくるような気もするのだ。
おそらくは日本以上に、韓国がここまで世界に注目されるのは、
はじめての事かもしれない。
今までは、自分たちだけの論理でよかったものが、これからはもしかすると
世界から注目されると同時に、非難されるリスクも持つ。

そういう環境の中で彼らが、そして私たちがどう変化していくのか。
W杯が終わったあと、しばらくした後の国際評価が楽しみである。



2002年06月25日(火) 世界と対話すること

W杯で日本が敗戦してからというもの、やっぱりどこか魂が抜けて
しまったような錯覚を感じる今日この頃。
街もいつもと変わらない風景であるとはいえ、なんかさびしい
雰囲気が漂っているような気になるのは気のせいだろうか。

W杯もすすんで、多くの国々が敗退して、街で当たり前のように
見かけた外国人の姿も、あまり見かけなくなった。

陽気に騒いでいたイングランド人サポーターも、アイルランド人
サポーターも今はもういない。
彼らを見ていて思ったのは、彼らは本当にサッカーが好きであり、
私たちが思う以上に、大人の態度で接してくれた、ということだ。

日本戦を応援しているとき、自国と同様に日本代表を
応援してくれた外国人たち。同様に、外国勢同士の試合でも、
応援をした日本人たち。

今回のW杯は、果たして日本にとっては成功と言えたんだろうか?
個人的には間違いなく、成功だったんじゃないかな、と思う。

未だかつて、日本各地でこれだけ大規模に、世界の人々と直接
触れ合う機会はなかっただろうと思うから。
あの、フーリガン騒動も、昔黒船が来たときの赤鬼騒動と変わら
なかったと思えば、それもまた、ほほえましいような気もする。

今回日本に来てくれた外国人が、また日本を訪れてくれるか
どうかはわからないが、彼らの記憶のなかに、少しでも
楽しかった記憶としてとどまってくれると、
やっぱり日本に住む者としてうれしいと思う。


決勝トーナメントを見ていて思うのは、本当に1点の重み
というのはすごいものなんだな、とあらためて思う。
たかが1点であるにせよ、先制したチームはその瞬間、
圧倒的に有利になる。そのたかが1点を返すためには、
先制されたチームは、今までの数倍、相手を圧倒しなければ、
取り返すことはできない。
これは、本当に相手を切り倒さねば勝ち残れない、
真剣同士の勝負、といえるかもしれない。

そして日本は、W杯の決勝トーナメントに進出してはじめて、
1点を失うことの怖さを骨身に感じたのかもしれない。

日本は、経験が足りなかった、とよく言われる。
確かに、日本に相手を切り倒すまでの覚悟があったか、と言えば、
そこら辺に甘さが残ったような気もする。
だが、真剣のやりとりを知らないものに、そのすさまじさを
いくら口で説いたとしても、理解はされなかっただろう。

たたかいを経験してはじめて知ることは決して恥ではない。
もしも、今回決勝トーナメント進出できなかったら、その体感
する機会は、未来永劫、訪れなかったかもしれないのだ。

日本代表について、あれから様々な人々が様々な意見を述べるのを
聞いてきた。
一番、わかりやすく、かつつまらなかったのは、釜本世代の
代表選手の言葉だった。
「日本代表には、ハングリー精神が欠けていた」

これは、正論なのかもしれない。メキシコ五輪で3位という
輝かしい成績をおさめた当時に比べて、今の日本代表には、
ハングリー精神が足りなかったのかもしれないが、
それを指摘することは何の解決にもつながらない。
せいぜい発言した人間の溜飲が下がるだけだろう。

では、どうすれば、彼らのモチベーションを高めていけるのか?

個人的な、無責任な意見を言えば、今後も世界と関わり続ける事
だと思う。この4年間ほど、選手たちにとっては世界を意識し
続けた期間はなかっただろう。
世界を知り、そして断続的に闘い続ける事によってのみ、
彼らにとって必要な経験とモチベーションを保っていけるんじゃ
ないだろうか?
これは、A代表に限らず、ヤング世代にも言えることだとは思うが。

そして、それは、私たちも同様なのかもしれない。
今、日本というくくりでいる限り、閉塞感を感じるのは仕方がない
事なのかも。
青年よ、世界を目指せ、なんてことは言わないが、日本人の目が、
もう少し世界へと向けられ、彼らと対話が出来るようになれば。

その可能性を今回は感じられたような気がする。

「サッカーは、その国の実情を反映する」
前日本代表岡田監督の言葉である。



2002年06月23日(日) ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

さて、
・ゲイが主人公
・ハードロックバンドの話
・しかもミュージカル
の映画があったとして、あなたは見に行くだろうか?

面白そうだから見に行くと答えたあなたは、どうぞそのまま、
映画館に行って楽しんでください。面白かったですよ。

でも実は、個人的に見てほしいと思うのは、最初に嫌悪感を
抱いたあなたの方である。
おそらくは、あなたの予想を裏切る面白さがあるはずだ。

映画の題名は、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」
もともとは、オフブロードウェイのミュージカルだったのを
映画化したもの。

主演・脚本・監督は、おそらく舞台版と同じ。
キャストの大半も、おそらくは同じようだ。

とりあえず、ここでストーリーを細かく語るのはやめておこう。
東ベルリンで生まれた主人公が、いかにして性転換手術を受け、
アングリーインチというバンドを組むことになったかは、劇中の
ミュージカルを見た方が、おそらくは楽しめると思うから。

この映画は、ある意味でとても幸福な映画なんじゃないかな、
と思う。
一つは、舞台のオリジナルキャストでそのまま映画化されたこと。

おそらくは、舞台そのままを映画化することに成功し、尚かつ
舞台の魅力を、映画の世界で拡大することに成功した映画のような
気がするのだ。

劇中、主人公達はアメリカの各地をまわる。その風景は、まるで
ツアーのメイキング映像であるかのようなリアルさをもって
私たちの心に届く。
また、劇中時々流れる独特のアニメーションの挿入もこの映画に
マッチした表現になっている。

二つ目は、いい曲にめぐりあえたこと。
劇中で流れる曲は、この劇オリジナルの楽曲らしいのだが、
手放しでカッコイイ。

ジャンル的にはちょっと懐かしいハードロックなのだが、
バラードがなんと言ってもいい曲である。
おそらくハードロックに嫌悪感をいだく人でも、この曲は
名曲だと思うんじゃないかな。

楽曲がよければよいほど、その画を引き受けることができる。
ちょっとお茶目な歌詞であっても、曲がよければメッセージは
感動を与えることができるのだ。

三つ目は、主人公が自分に正直に生き続けていること。
前回触れた、「トーチソングトリロジー」でもそうなんだけど
ゲイの人を描いた映画が、何故、ノン気の自分たちの心にHit
するのか。
それは、自分に正直に生きている主人公の姿に感動を覚えるから
なんじゃないだろうか?

パートナーがいればそうではないかもしれないが、彼らはある意味
孤独だといえるかもしれない。
自分が好きになった人が、必ずしも自分を受け入れてくれるとは
限らない。
それでも、たくましく生きている姿は、ゲイであるとか、
そういうことを抜きにして、自分の心に響いてくるものがある。
これは、ゲイの人に限ったことではなく、自分たち自身にも
いえる事なのかもしれないけれど。

そして、最後。
ストーリー的に結末が幸せな結末なんじゃないかな、って
思えること。
あらかじめことわっておくと、いわゆるハリウッド映画的な、
ハッピーエンドのラスト、という訳ではない。
その解釈はいろいろあると思う。

だが個人的には、これは幸せな結末だったんじゃないか、
って気がするのだ。
そこには表現する、ってことと許すってことの大切さが
語られていると思うのだ。

相手を許すということは、勇気のいることである。
許す、ということを受け入れた途端、自分が拠り所としていた
ものは、消えてなくなってしまうかもしれない、というリスクを
もつ。

でも許す、という行為は、自分がとらわれていたものから、
自分を解放してくれる可能性をもつ。
そして、その事はあらたな表現の地平をひらいてくれるような
気がするのだ。

英語で、許す、はforgiveと書くが、許す、という行為は
相手にだけ何かを与えているわけではなく、同時に自分も
何かを得ることが出来る。

これは恋愛関係にもあてはまりそうな気がする。
よく言われることだけど、恋はいつか終わってしまう。
そして恋が終わってしまうと、熱かったふたりの距離も段々と
冷めて遠ざかっていく。

でも、恋が終わった後、見えてきた素の相手を受け入れることが
出来るなら、つまり相手の存在を許すことができるなら、
その恋は愛へと化学変化を起こすような気がするのだ。

それは例えば、ノーメークの相手の顔も好きだと思ってしまう
ようなものかもしれないけれど。ってちょっと違うかも。

例え、大金が手に入らなかったとしても、自分の表現する場が
与えられ、それを支持する観客がいて、一緒に闘える仲間が
いること。
そしてその事に気がつくこと。

人は何をもって、成功と思うかはそれぞれだと思うが、これも
一つの幸せな結末といえるんじゃないだろうか?

「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」は6月28日まで
渋谷シネマライズにて公開中。7:15からの回は1000円で
見られます。
また、6月29日以降は、新宿にて公開予定。

できれば、この映画は、何らかの表現をしたいと思っている人には
見てほしい映画である。



2002年06月20日(木) あきらめない愛情

あきらめの悪さつながりって事ではないが、昨日、たまたま
「松本紳助」を見ていたら、島田紳助がこんなことを言っていた。

「不良の子供もっている親はな、決してあきらめたらいかんねん。
 あきらめた途端、子供は、ああ、こいつはこれだけの愛やったんか、
 と、覚めてしまうねん」

東京出身なので、下手な関西弁翻訳は勘弁してほしいが、大体の要旨は
こんな感じである。

島田紳助は、こういうことを語りだしたら、右に出るものはいない。
自分の思っていることを、他人に伝える能力はとても高い芸人である。
もちろん突っ込みも人を笑わせることもうまくて、実は大好きな
芸人さんなのだ。

大学時代、好きな芸能人欄に、ずっと島田紳助と書き続けて、周りから
?とか思われてたが、まあそれはおいておくとして。

最近の風潮でいえば、親っていうのはものわかりがよくないといけない
という、風潮である気がする。
子供のやることに対して、何でも理解を示してくれる、いい両親。

でも、そういう親っていうのは、下手をすると子供に対して無関心な
親と紙一重な存在になってしまうかもしれない。
また、常に子供にかまっている親って言うのは、その中にはもしかすると
自分自身が子供にかまってほしい寂しさの裏返しなんじゃないかって
気がする。

そしておそらくは、子供って言うのはそういう大人の思惑をするどく
理解しているような気もするのだ。

あくまで個人的な考えであるが、親って言うのは子供にとって、理不尽な
存在であっていいような気がする。
子供にとって、最初の社会の理不尽さを一番いい形で教えてあげられる
のは、やっぱり親という存在であると思うのだ。

大体、子供なんて、自分の思い通りには育たないもんだろうし。

ただし、そこにはやっぱり愛情と言う支えがなければ、意味がないと思う。
親は、親である以上、決して子供に関してあきらめてはいけないのだと私は
思う。親子はすでに赤の他人である、という考え方もできるかもしれないが、
たとえ罪を犯したからとしても、その子供のことを許してやれるのは親しか
いない気がするからだ。

昔、見た映画で、「トーチソングトリロジー」という映画があった。
10年以上前の映画で、大きなレンタルビデオ店だったらもしかすると
まだあるかもしれない。

ストーリーは、決して美しくはないゲイの男性が、様々な愛に出会っていく
という物語。元々はオフブロードウェイのミュージカル?演劇?だったのを
映画化した話。

主人公の母親にとって自分の息子がゲイであるというのは、絶対に
許せることではないので、会えばいつも喧嘩のしっぱなし。
なんとか、ゲイであることをやめ、普通の?生活をしてほしいと願っている。

そんな時、主人公の彼氏<超美系、がゲイ差別主義者たちに殺されて
しまい主人公は途方にくれたところに母親が来て、主人公を
ののしってしまう。ここのところは、出来れば映画でみてほしい、
泣ける場面になる。

そこで、主人公が母親に言ったセリフは、鴻上尚史著「恋愛王」(角川文庫)
にも収録されている。うろ覚えで申し訳ないんだが、主人公の次のような
セリフで、二人は和解をする。

「だから私は尊敬と愛以外は他人には求めない」

親子の愛って、頻繁に確認しあうものでもなく、時にどこかでのぞかせる
くらいで丁度いいような感じがする。

かといって、自分が結婚するとか、すでに子供がいるとか、
そういう話ではないので、念のため。



2002年06月18日(火) 勝敗のあや

成長し続けたチームが勝ち上がることができる、
昨日の日記の通りのしぶとい闘いを繰り広げたのは日本ではなく
韓国だった。
昨日の韓国は本当にすごい闘いを繰り広げていた。
天の運、地の利、人の智の全てが、韓国に味方をしたような試合
だった。

一番すごいと思ったのは、延長戦、韓国がフリーキックを蹴るとき、
ゴールネットからのカメラが揺れていたことだ。
もちろん、誰かが揺らすはずもなく、おそらくは韓国サポーターの
声援と、応援が、ゴールさえも揺らしてしまったのであろう。
おそらくはピッチ上も揺れていたはずだ。

会場を見渡せば、全てが赤。
韓国は本当のHOMEという地の利が味方していた。
会場だけでなく、韓国全土の声援が、韓国チームに不利に
働くわけはなく、試合が終わりに近づくにつれ、追いつめられて
いったのは、イタリアチームの方だった。

そして人の智。
監督のヒディングは、本当に効果的な選手交代の妙を見せてくれた。
後半になって、DFをなんと2名減らし、その分FWを厚くした。
その結果、イタリアと韓国はノーガードの闘いとなり、攻められる
機会も増えたが、その分攻め込んだときには何重もの攻撃陣となった。
これだけは、トルシエがどんなにいい監督であったとしても、
残念ながら、かなわない部分であったかもしれない。

彼らは決してあきらめなかった。どんな形であれ、たとえ孤立した
形でも、ゴールに持ち込もうとした。
そんな韓国のチームに天、という、東洋独特の神様が微笑んでも、
不思議はなかったのかもしれない。
韓国は、同じくベスト8に進出したアメリカと引き分け、
本気のポルトガルとイタリアを下した。

韓国で闘い続ける限り、次のスペイン戦もあるいはもしや、と
思わせるほどのチームになっていた。


そして、日本。
日本は残念ながら、決勝トーナメントから姿を消した。
残念ながら、日本は1チャンスをものにすることはできなかった。
日本代表は、試合の中盤を抑えることはできたが、最終ラインを
決定的に食い破ることはできなかった。

トルコは、日本に得意の攻撃をさせないように細心の注意を払って
いたのだと思う。
トルコは切れやすいといわれていたが、日本は残念ながら彼らを
切れさせるところまで追いつめることが出来ず、
逆に日本の長所を消されてしまった。

後半は再三、サイドからボールを持ち込もうとしたが、小野は完全に
抑えられ、途中から投入した市川も今回はパスの供給源には
ならなかった。

もしも、森島が後半早々から投入されていれば、もう少しDF陣を
かき回すことが出来たのかもしれない。
トルシエも、初めての決勝トーナメント進出で、もしかすると
一番あがっていたのは、彼だったのかもしれない。

どんな形でも、敗戦は敗戦である。
今回の日本代表の4年間の闘いは終わってしまった。
でも、彼らの戦いは今後も私たちの語り草となるだろう。
今回、一番口惜しかったのは、誰でもない彼らたちで、でも
その口惜しさを知るがゆえに彼らは今後も伸び続けてくれるかも
しれない。

ありがとう、そしておつかれさまでした。



2002年06月17日(月) 成長し続けるチームが勝ち上がることができる。

そんなわけで、決勝トーナメントが始まった。
それぞれの試合がやっぱり面白い。
ドイツ対パラグアイでは、1チャンスをドイツがモノにしたし、
イングランド対デンマークでは、なぜかデンマークはいいところが
なく、大した印象も残さないまま、敗れてしまった。
やはり、初の日本で、イングランドのホームぶりに調子が
狂ってしまったんだろうか。

セネガル対スウェーデンは、延長になってもお互いの運動量が
ほとんど変わらなかった事におどろいた。
そして、昨日までの試合で、やっぱり一番面白かったのは、
アイルランド対スペイン戦だった。

アイルランドは残念ながら敗れてしまったが、最後まで、
アイルランドらしい試合を繰り広げてくれた。
自分の感じるアイルランドらしさ。それは、一言でいってしまえば
あきらめの悪さ、である。

アイルランドは、中心的プレイヤーのロイ・キーンがW杯直前の
キャンプで、監督と衝突して帰ってしまう。
普通、それまでのキャプテンがそんな形で離脱してしまえば、
精神的にも落ち込むはずであるが、アイルランドは違った。

カメルーン戦でも、ドイツ戦でも先制されても、彼らは最後の
最後まであきらめるということをせずにボールにくらいついて
いった。
ドイツの点をほとんど与えないゴールキーパー、カーン相手に
点を取ったのは、試合終了のわずか前だった。

そして、それは昨日のスペイン戦でもそうだった。
彼らが同点に追いついたのは、試合終了前、ロスタイムに
さしかかる時間だった。

後半、PKという絶好の得点のチャンスを外しても、
試合終了の笛が近づいてきてもなお、あきらめずに詰めてくる
アイルランドに対し、だんだんとスペインが焦ってくるのが、
自分にもわかるくらい、彼らはあきらめが悪く、結果として
PKを勝ち取り、最後の最後に同点に追いついた。

サッカーは最後の最後まで何が起こるかわからない。
よく言われることだが、格上の相手に対して、あそこまで
あきらめないで喰らいついていく姿は、それだけで格好いい。

明日は、いよいよ日本の決勝トーナメント第1戦である。
TV上では様々なサッカー解説者が、日本は必ず勝つと太鼓判を
押しているが、個人的な勘で言えば、結構厳しいような気がする。

もしかするとベルギー戦同様、先制されそうな気もするのだ。
でも、どんなに不利な状況でも、日本代表は頑張ってくれそうな
気もする。
日本にも、アイルランド同様、決して綺麗なプレイは出来ないが
あきらめの悪い選手がいるからだ。
そう、中山やベルギー戦の鈴木のような選手が、もしかすると
流れをガラリと変えてくれるかもしれない。

前回の日記で、予選で敗退したものと、勝ち残ったものの差に
ついて考えたが、それはもしかすると、あきらめの悪さ、なのかも
しれない。

Nakata.netの中のひでメールの中で、中田自身が、ベルギー戦で
同点に追いつかれた時に、怒っていたシーンについて、点を
取られたことに対して怒っているのではなく、選手たちが
ガクっと頭を下げていることに対して怒っていたのだ、と
書いていた。

点をとられたことで全てが終わるわけじゃない。
むしろ、点をとられて集中する気持ちが切れてしまう事の方が
問題になる。

もちろん、どんな選手でも、勝つためにプレイをしているわけであるが
点をとられた後の、早い気持ちの切り替え。
あきらめずに、最後の最後まで自分たちがどうすれば勝てるのかを
イメージすること。
これが本当に出来る選手は、たとえテクニックがなかったとしても
つよいプレイヤーであるといえるかもしれない。

そして今の日本代表には、その強さが備わってきたような気もするのだ。
このチームは進化し続けている。
彼らがあきらめ悪く、最後の最後まで詰めていけば、
ベスト8入りは近づいてくるかもしれない。

「成長し続けるチームが勝ち上がることができる。」
これは、今日発売のアエラの中にあった言葉である。
果たして日本代表は、同じく成長しているトルコ相手に
成長し続けることができるのだろうか。



2002年06月15日(土) 祭りの半ばで

そんなわけで、ワールドカップも前半の予選ラウンドを終えた。
日本や韓国がベスト16位に入れるかどうか、五分五分かな、と
思っていた、開幕前から考えれば、この結果は素直にうれしい。

日本も、そして韓国も、単なるラッキーで決勝ラウンドに行けた
わけでは決してなく、勝てるだけの内容といいテンションで
戦った結果だといえる。
もちろん、ベスト8入りしてほしいが、内容がよければ、行けた
だけでもいいかなあ、って気がする。

昨日のチュニジア戦後、中田英寿が「結果を出した後なんで
決勝ラウンドは楽しみたい」と言っていたが、真剣に楽しんで
ほしいなあ、って思う。

一つだけ、難点をあげれば、次のトルコ戦も昼間の開始なので
果たして仕事が手につくか、って事だけだろうか。
出来れば勝って、次のブラジル戦?は思いっきり応援させて
ほしいのだ。

その一方で一番残念だったのは、ポルトガルが予選ラウンドで
敗退してしまった事である。第1戦は、アメリカ相手に惜しくも
負けてしまったが、第2戦では爆発的なサッカーを見せてくれた
だけに残念である。

韓国相手にあと1点が取れさえすれば、決勝に進出できたと思うと
本当に残念だった。それほど第2戦、ルイコスタが入った後の
ポルトガルは格好よかった。

今回のワールドカップは、すでに語り尽くされた事ではあるけれど
本当に予想外の出来事が多かった気がする。
フランス、アルゼンチン、ポルトガルが敗退したと言うよりは、
そのチームに属しているいわゆるスター選手が見られないのが
つくづくともったいない。
まあ、自分がミーハーである証拠かもしれないが。

イタリアやアイルランドや、そして日本や韓国がからくも?
決勝ラウンドに出場できて、フランスやアルゼンチンやポルトガルが
進出できなかったという、この差は一体どこから来るんだろう?
それを探ってみると、もしかするとワールドカップの魔力の秘密も
わかるのかもしれない。

でも、それほどはっきりとした理由はないのかもしれない。
ほんのわずかなボタンの掛け違いが、1点の差が、決定的な
差になってしまう。
それこそがワールドカップの魅力であり、切なさなのかもしれない。

でも、彼らがもう見られないと思うと、この2週間は本当に
早かったんだなあとつくづくと思うのだ。
もしも可能であるならば、あと2週間くらい予選ラウンドでの
彼らの戦いを見ていたかった。

普通、予選ラウンドはつまらないと言われるが、今回初めて
ちゃんとみる予選ラウンドは、とても良質の感情の高揚を
与えてくれた。

まだ、祭りは半ばであるのに、祭りの終わりが近づいている
気配を感じてしまう、その瞬間がやるせない。



2002年06月10日(月) 日本戦@新宿PUB

今回は実況中継風。
日曜日の日本VSロシア戦は、すし詰め状態の興奮の中にいました。
新宿のアイリッシュパブで見てたんですね。

よくわからない人のために説明すると、
ビール片手に立ち飲みでもいいから、モニターで見える
サッカーをつまみにして盛り上がる場所のことです。

パブといえば、イギリスでは本来は昼の11時からしか
開いてはいけないという法律があるのに、今回は時差との
関係で試合が午前中になってしまうために、特別に朝から
開くところも出てきたという話。

なんでそんな所で見たかったかというと、せっかくのお祭りは
みんなで騒げるところで観たいじゃないですか。
実は、イングランドVSアルゼンチンのときも見たかったんだけど
その時はあまりの混雑振りに途中から入るのをためらっちゃった
もので。

と、いうわけで今回は用心の意味も含めて試合開始1時間前に
行ってみると、すでに中は結構混んでる状態。
しかもすでにヒートしてる様子。

一回外に出ることも考えたんだけど、出た場合にスペースが
なくなってしまうことを考えて、そのまま待つことに。
って事は3時間近く立ち続けることになるのか、俺。

とりあえず、なんかあった時のために入り口付近の壁際で、
普段はキャッシャー、今回はラガー売り場のそばに場所を
確保。
ここからだと、自分の背が高いせいもあるけど、
モニターもよく見える。
本来だったら、店の中まで飲み物を買いに行きたい所だけど、
そこまでの身動きはすでに取れそうもない感じ。

ラガーは一杯800円。ワールドカップ価格のような気もするが
とりあえず一杯飲んでおちつく。
パブの中は、やはり日本人が圧倒的に多いんだけど、結構
外国人も多い。関係ないが外国人って言い方はそんなに好きでは
ないんだが。
そして自分が立っている入り口付近は外国人が多い。
やっぱり今回は日本人が主役だって事で遠慮してるんだろうか?
早速2、3人のアイルランド人とあいさつ。仲がよくなる。
本来はいけないことだがプリングルスのおすそ分けをもらう♪

そして試合開始。
外国人、日本人関係無しに盛り上げる。
やっぱり若い人たちが中心に盛り上げてる感じ。
試合前に「♪北方領土がほし〜い。ほし〜い♪」とか歌ってるし。

んでパブ内は益々人が増えてくる。
もうすでに超満員の通勤電車状態。
でも、他人に体重を預けたりはしない、最低限のスペースは
確保している状態。
背の小さい女の子とかはもしかすると画面は見えてなかったかも。

本来、朝の満員状態の通勤電車は大嫌いなんだが、今回そんなに
気にならなかったのはどうしてだろう?
みんなの意識がモニターに集中してたからなのか、それとも
日本人はこの状態に慣らされているのか?
よく皆暴れださなかったなあ、と振り返ってそう思う。
まあ、それだけサッカーにフラストレーションを溜めないだけの
魅力があったって事なのかも。

試合が進むにつれて、会場は一体になる。
もう、全員で歌を歌うわ、ブーイングするわ、シュート外すと
頭抱えるわ。

その脇で外人相手にはラガーがよく売れる売れる。
カウンター脇にいることもあって、お客さんの頭上をラガーと
キャッシュを運ぶのをアシスト。

モニターの大きさと距離の関係、そして実況がほとんど聞こえない
せいもあって、誰が誰なのか、混乱した状況ではよくわからない。
リプレイになって、誰だったかわかる程度。

そんな中、楢崎は好セーブ連発。隣の外人も、あれはなんて
選手だい?とか聞いてくる。

全体的な印象で言えば、ロシアはちょっとスピードが足りない
ような気がした。
後で振り返ってみてみると、それだけ日本のDFがしっかり機能
していたって事なんだろうけど。

そして後半早々、稲本が得点!
会場にいた全員が手を挙げハイタッチ。そして大合唱。
稲本は本当に何でそこにいたの?って言うくらいの大活躍。
そして柳沢も落ち着いて、尚かつスピードのあるアシストを
よくぞしたって感じ。

後半は、ロシアが押せ押せペース。
その脇でやっぱり外人相手にはラガーが飛ぶように売れる。
受け渡しのアシストをしていたら、カウンターのお兄さんから
ラガー5/8杯くらいのプレゼント。手伝ったご褒美らしい。

終盤になってくると、外人が歌を歌いだす。
興奮してきたのか、じれてきたのか、わからないけど、
皆もう勝手に大合唱大会。

そして記念的日本初勝利!
その瞬間から会場の雰囲気は歓喜の熱狂レッドゾーン。
会場で一緒に見ていた友達と、早めに会場を出る。
後ろにいた外人たちとハイタッチのあいさつ。
多分、ほほえましいとか思われてたんだろうなあ。

会場を出ると、試合が終わったばっかりなのに、意外に
ブルーに包まれたサポーターの数が多い。
って事はどこかで見てたんだろうか?

とりあえず、一息つこうと二人ともなじみの居酒屋に
行ってみると、なんとそこにもモニターが。
って事はわざわざ立ちっ放しで見なくてもよかったって事か?
と、少し力が抜ける。
でも、やっぱり7時にはもう満席状態だったらしい。

居酒屋を後にして、新宿の街に出てみると、サポーターの
数が増えている。国立競技場あたりからのサポーターも合流
してる様子。
ちなみに、国立競技場では試合後10tのゴミが出たらしい…

遠くで応援の声が地鳴りのように響いている。
なんか、街全体がサポーターの街と化しているような感じ。
警官隊も路上の警備をしているけれど、正直そんなに不穏な
雰囲気は感じられなかった。
後で、TVでみてると、なんかすごい暴れ方をしていたように
見えるが、それはおそらくごく一部だろう。

この感じ、何に近いかって言うと、修学旅行の夜みたいな
雰囲気なのかも。皆興奮が収まらなくて、時々出過ぎた
奴が先生に見つかって怒られているような感じ。

新宿や渋谷に住んでいる人にははた迷惑な話でしか
ないと思うが、ただ単に集団で盛り上がる事自体が
サポーターの感動を再生産しているような気がした。

信号が青になると、青のサポーターたちが走りよって合流して
ハイタッチ。
まるで生き物のように、合流と分裂を繰り返している。

駅に向かうと、普段は終電近くになると、切符売り場の前は
すごい混雑になるはずなのに、意外なほど空いている。
でも、駅の中もサポーターの姿しか目に入らない。

確かにこれは日本にとって、歴史的な日なのかもしれない。

翌日、普段どおりに戻った街を歩いていると、
公式ジャージ売り場が目に入った。
会社帰りって事もあってか、今まで以上にお客さんが
青のジャージを眺めている気がする。

そして結構年配の人も多い気が。
もしかすると、子供に頼まれた買い物なのかもしれないけれど
あるいはもしや…
そんな事を考えた祭りの後だった。



2002年06月09日(日) 芝生の快楽

嵐の前の静けさ、ではないけれど
日本VSロシア戦のはじまる今日の午後、家の近くの芝生で
まったりくつろぐ。

明治神宮といえば、元旦の風景としても有名な社殿とそこに続く
林の参道が有名だけど、実は参道の裏側、宝物殿の前には、
芝生の広場が広がっている。

芝生の公園としては、代々木公園の方が圧倒的に有名だと
思うが、自分の好みとしては断然こっちである。
なんといっても閑かだし、人がそんなに多くないのも
うれしかったりする。

芝生の上で寝そべって、ふと前を見上げると、参道をおおう林が
広がっており、わずかな風で、木々が表情を変えてくれる。
そんな空間にいると、ここが都会の真ん中であることをふと忘れてしまう。

そして、うれしいのは、その芝生の上で思う存分寝っ転がれる事。
芝生の上を歩けるというのは、とても気持ちのいい事なのだ。
実は子供の頃、車で20分位の所に、砧緑地という芝生の
広場があって、そこで遊ぶのが大のお気に入りだった。

ワールドカップを観ていても、あの芝生の上で走り回れたら
気持ちいいだろうだろうなあ、と思わず思ってしまう。
自分は決して運動神経のいい方ではなかったが、もしも自分の
学生時代に芝生のグラウンドがあって、そこでプレイできると
言われたら、サッカー部かラグビー部にでも入っていたかも
しれない。

現実的には、土のグラウンドしかなくて、土の上で転ぶのは
痛いなあ、と想像力の方が勝ってしまい、球技はすこぶる
下手だったりするんだけれど。

現在、子供たちが外で遊ばなくなったと嘆く声がある。
子供たちの運動不足を国のえらい人が嘆くんだったら、
もっと、観賞用ではなくて子供たちが遊びまわれる芝生の
広場を増やせばいいのに、と本気で思う。

子供たちが自由に遊べる芝生の広場が近くにあったら、
子供たちは日が暮れるまで遊び続けているだろう。
コンクリートや、土のグラウンドに比べて、芝生の上で
転んでも、そんなに危険性は少ないし。

国のお偉いさんがつくる公園はたとえ芝生があったとしても
管理が大変だからという理由だけで、中に入れないのは
解せない。

川淵チェアマンが、93年に発表したJリーグ100年構想
の中にも、実はすべての学校に芝生のグラウンドを、
っていう文句がある。
Jリーグが本当の意味でこの国に根付いたとき、果たして
この国の校庭は緑色に染まっているのであろうか。

でも、出来ればこの理想は、今後も守り続けてほしいと思う。
それが、小さい頃、思う存分芝生の広場で転げ回って成長
した大人としての願望なんだけど。



2002年06月05日(水) 映画「うつつ」を観る

もしも、あなたが結婚7年目を迎えるサラリーマンだったとして、
奥さんが同窓会に出席していて留守のとき、見知らぬ女性が
あなたを訪ねてきたら、あなたはどうしますか?

奥さんの友人だと思って部屋にあげたその女性から、
今、この瞬間あなたの奥さんと私の夫は浮気をしていますと
告げられたとしたら?

そんなことはないと否定するあなたに対して、あなたが出張で
留守にしていたとき、この部屋で奥さんと私の夫は愛し合って
いたんです、と告げられたとしたら?

そして、その女性から、私たちも同じことをして仕返しを
してやりませんか?と誘われたとしたら?

その女性が和服のよく似合う、妖艶な宮沢りえで、奥さんは
大塚寧々だったとしたら?
あなたはその話を信じ、そしてその女性の提案を受け入れますか?

外は大雨の降る夜に、あなたがその話を受け入れたとき
異界への入り口は、すぐそこにあるかもしれません。


毎月第一水曜日は映画サービスデー、という事で、映画を見に
行ってきました。

今回見に行ったのは日本映画の「うつつ」。主演佐藤浩市。
池袋東武の8Fにある映画館、シネリーブルでやっています。
ネットの映画サイトで見に行く映画を探しているときに、ちょっと
気になったもんで、見に行ってみました。

映画料金半額のときは、まあ、損したとしても半額だって感覚が
あるので、そんな冒険を時々したりします。

で、実際に見た感想は、当たり、でした。
そんなに期待していなかった<失礼>せいもありましたが、実際
観てみると、結構面白い。

主要な女優陣が、宮沢りえ、大塚寧々、小島聖と、豪華で綺麗な
女性ばっかりなのも、気に入ったポイントですが、
個人的に一番気に入ったのは、脚本でした。

具体的な事はネタばれになるんで書きませんが、この映画は、とても
演劇的なつくりになっているような気がします。
映像の切り取り方も、例えばカメラが寄っていくときとかも、自分が
演劇を見ているときに近いというか。

これは余談ですが、演劇を見る人だったらわかるかもしれませんが、
舞台を見ていても、自然と自分の頭の中の映像では、自然と役者さんに
目線が寄ったり、時には引いて全体を眺めたりしませんか?
ってオレだけかなあ?

冒頭の話にもどると、鴻上尚史の戯曲「トランス」に
こんなくだりがあります。
噂話は、人を傷つける。
それは私自身の想像力が、噂話を完璧にするから、私が傷つくんだと。

そう、人から自分のしらなかったかもしれない事を聞かされたとき、
その話を真実にしてしまうのは、自分自身の想像力なのかもしれません。
本当の所はどうなのかはわからない。

でも、一度その噂を信じてしまうと、たとえ事実が違っていたとしても
自分の心の中では、そっちの方が真実に思えてしまう。
この映画は、そんな人の心の弱さを描いた作品であるといえるかも。

この映画を観終わって、外に出るとそこは雨でした。
遠雷の聞こえる中、もしも自分に赤い傘をさしてくれる女性があらわれたら。
自分も異界へと足を踏み入れていたのかもしれません。

http://www.ututu.com/



2002年06月04日(火) シンクロする日本

今回はなんと言ってもワールドカップ日本戦の話題だろう。
残念ながら、ベルギー相手に2対2のドローとなってしまった。
いやあ、充分に勝てる試合だったとか、あの審判の判断は
納得がいかない、というのは、もうすでに語り尽くされてそうな
話題なので、あえてここでは書かない。

ただ、試合を見ていて漠然と思ったのは、日本はホームでの開催
という地の利を充分には活かせていないような気もする。
件のジャッジングについても、もしもこれがサッカーが国技に
なっているような国での開催で、ホームチームの選手が
ペナルティエリア付近で倒されたとして、ノーホイッスル
だったら、一体どんなことになっていただろう?

もしかすると観客席から物は投げこまれるわ、爆竹はなるは、
観客はフィールド内に乱入するわ、大変な事になっていた可能性は
ある。最悪怪我人くらいは、出ていたかもしれない。

誤解のないように書いておくと、決して観客の人たちに
暴れてほしい訳ではない。
もちろん、日本は日本なりの応援の雰囲気があって
当然だと思うし。
ただ、例えば下手なジャッジングしようものなら、ただでは
済まないような不穏な雰囲気があったら、あのジャッジも少しは
違っていたかもしれない。
そうやって、相手チームや審判に無言のプレッシャーを与える
開催国は、ホームという地の利を充分以上に活かしていると
いえるような気がする。

それは、例えば、ブーイングについてもそう感じる。
日本のサポーターの発したブーイングには、方向性が
感じられず、結果として散漫に拡がってしまっている印象を
受けた。

前回の話とかぶるが、例えば韓国のサポーターのブーイングは
ブーイングとしてちゃんと機能していたように感じる。
すなわち、伝えたいメッセージをどこに送ればいいか、
明確な印象を受けた。

だから、実はブーイングにもテクニックはあるのかもしれない。
再び誤解のないように言えば、だから日本人がダメであると
言っているわけでは、ない。
そこら辺、日本人のサッカーの見方が変わってくれば、自然に
身に付いてくる物なのかもしれないが。

とまあ、様々な事を考えたが、昨日の日本戦は、理屈抜きで
楽しめたと思う。
おそらく今日の職場や学校は、この話題でもちきりだったはずだ。
そして、やっぱり昨日の試合は、ライブで見られたからこその
興奮がそこにあったような気がする。

残念ながら録画で見た人も、興奮したかもしれないが、結果を
知ってしまっていたら、やっぱりその興奮の度合いは薄れたかも
しれない。

ライブで見ることの興奮。それは例えば、日本全国で同じ
瞬間を共有しているという、一体感だったかもしれない。
同じ時間に日本全国で同じ瞬間を見つめることで、あの瞬間
、日本の何千万という人々はシンクロした瞬間を味わって
いたのかもしれない。

外国でサッカーが国技として、絶大なる人気を博しているのは
そこら辺にも理由があるのかも。
あの、前半の緊迫した状況を抜けて、同点になった後の
後半の日本代表の攻撃の波には、そのくらいのカタルシスが
潜んでいたように思う。

試合が終わった後、新宿の街を歩いていたら、多くのサポーターの
人たちが目に付いた。国立競技場からの帰り道だったらしい。
新宿のアルタ前の広場では、自然発生的にブルーに染まった
サポーター達が集まり、エールをおくっていた。

いつもだったら、ただのやかましい集団のように感じていたかも
しれないが、その時は何となく彼らの興奮のお裾分けをもらった
感じがして、悪い気にはならなかった。

この感覚、何に似ているかって言えば、小学校の頃、
先週のドリフが何をやっていたか、話している感覚に近いかも。
または、友達と一緒にドラクエを解いていた時とか。

何か、誰かとどこかでつながっているという感覚は、人を
興奮させる。
それは、特に現代の私たちには、実はすごく贅沢な事なのかも
しれない。

かつては、国民が国民として熱狂していた時代があった。
一方でそれは、戦争という悲劇を生んだといえるかもしれない。
だから、国民が今こそ一体となってナショナリズムを盛り
上げるんだ、といったチープなナショナリズムは好きになれない。

だが、例えばサッカーの試合を通じて自然とああ、自分って
日本人だったんだなあ、というか、他にも同じように応援している
人たちがいたんだなあ、って思うことは、
健全か不健全で分けることに大した意味はないが、健全な
ナショナリズムを育ててくれるような気もする。
そして、ささやかなつながりを感じることは、気持ちがいい。

今日の昼間、街を歩いていたら、向こうから緑色に包まれた
集団が歩いていた。今日、ドイツとの試合を控えたアイルランドの
サポーターの人たちだった。
すれ違うとき、自然と「勝てるといいね」という言葉が出てきた。
彼らは、ニヤっと自分にほほえみ、「絶対勝つに決まってる」
と返してきて、そして別れた。
こういうのも、悪くはない気がする。



2002年06月03日(月) 極私的これであなたもサッカー通?

そんなわけで、案の定?ワールドカップにハマっている。
最初は、ダイジェストで試合の大まかな流れだけ見ておけば
いいや、と思ったのだが、TV上でとはいえ、実際に中継の
試合を見てみるとやはり面白い。

サッカーは、やはりだらだらと(失礼)見るに限るのかも
しれない。
そんなこんなで、開幕のフランス戦をのぞき、地上波で行なわれた
試合は、録画を含めて見てしまった。
う〜ん、こんなんでいいのだろうか?

とは言っても、自分はサッカーなんて中学以来やったことのない
ずぶの素人。玄人のような細かい見方ができる訳ではない。
でも、もしかしたらこれだけ抑えておけば、サッカー通の人とも
話を合わせられるかもしれない、極私的サッカー観戦のポイント
を、試合の感想と共に書いてみたい。
これをよめば、あなたもサッカー通?になれるかも。

ポイント1 試合の流れを見る。
今回、見ていて思ったのは、例え1対1の単調に見える試合にも
試合の中には様々な波があるって事だった。
例えば、6月2日のイングランド対スウェーデン戦。
イングランドが1点リードして前半が終わったんだけど、前半の
スウェーデンは、まともにボールがキープできないくらい、
固い感じだった。

だが後半に入り、ボランチというポジションの選手を替えて、
攻撃的な布陣にした途端、スウェーデンはよみがえり、
程なくして、点を取り、結果引き分けた。
スウェーデンは前半と後半で、まるで違うチームのような
感じだった。

同じような例はカメルーン対アイルランドでもあって、こちらは
アイルランドが1点を取った瞬間から、チームの雰囲気が変化した。
アイルランドは中心になる選手がいなかったにも関わらず、
波に乗ると怖いという印象をあたえてくれた。

もちろん、そこには適切な選手交代をした、監督の演出のうまさが
あるのかもしれない。
最初はリードしていたチームが、そのまま波に乗り続けるのは
難しいのかもしれない。
どんなに相手が強いチームだったとしても、格下のチームにも
波が来れば、気が付いたら生き生きとして、強豪チームを
押し込んでいたりする。

スペイン対スロベニアでは、いつの間にか、スロベニアが韓国の
サポーターの心をつかんで、ホームチームのように振る舞っていた。
ライブで見ていて面白いのは、その波が来た瞬間を目撃することだ。
そして、一度波に乗ったチームがそのままゴールを決めるとなんか
うれしかったりする。

ポイント2 TVの画面に入っている人数を数える
TVの画面に入っている選手を数えて、多い方が有利だったりする、
かもしれない。
なんか、場当たり的に思えるかもしれないけれど、これって結構
当たっているんじゃ?

現代はスペースのサッカーと言われているらしい。
サッカーの攻撃って、パスを繋いだり、ドリブルをしたりしてゴールに
運ぶわけだが、現代では、相手チームに易々とパスをつながせるのは
禁句だったりする。

相手のパスがつながらなければ、得点につながる危険性は減るわけで
そのためには相手のパスコースに、なるだけ多くの味方を配備して
パスが出来る方向を減らさなければならない。
これをゾーンプレス(ディフェンス)という。<で、いいのか?

そのためには、TV画面の中、すなわちボールを持っている選手の
周りに、どれだけの味方選手を配置できるかが勝負になる。
単純にフォワードが2人に対して、ディフェンスが3人だったら
守備側の方が有利になる。だから攻撃側は、本来は後方の選手を
オーバーラップさせて、前線に送り込まなければならない。

ドイツ対サウジアラビア戦では、サウジアラビアは素人でも突っ込みが
出来るくらい、このゾーンプレスが出来ておらず、結果ドイツに
いいようにパスを回されて、結果的には8対0で負けてしまった。
まるで、大人と子供の試合のようだった。

だから、TV画面上により多くの選手がうつっているチームの方が
その局面では有利、なのかもしれない。

ポイント3 華麗な個人技を堪能する
これこそが、ワールドカップの何よりの醍醐味、なのかもしれない。
この2、3日で言えば、なんと言っても、スペインの選手達の
個人技だろう。
最初の1点は、FWのラウルというエースストライカーが決めた
んだけど、その得点をお膳立てしたのは、ルイスエンリケだった。

ゴール近くまでドリブルしながらボールを運び、相手DFが
スライディングしてきても少しも体勢を崩さず、きっちりと
ラウルにボールを渡していた。それをきっちりと、しかもDFの
股間を抜いてゴールしたラウルもすごいが、ルイスエンリケの
バランスのとれた強靱な下半身もスゴイ。

また、2得点目は、芸術的なクロスからのシュートでスペインが
もぎ取ったのだが、そのクロスをあげる前、誰だかははっきりとは
わからなかったけど、スペインの選手がオーバーヘッドで、前線へと
ボールをパスし、得点へとつなげていた。

TV番組では、その芸術的なクロスのパスばかりを持ち上げていたが
そのオーバーヘッドパスだって、充分すごかった。もし日本代表の
選手がやったいたら、もっと大々的に取り上げていたんじゃないかな
って思う。

そして、6月4日のイタリア戦では、イタリアの王子さま、
トッティがやはり余裕のある芸術的なクロスボールをあげたし、
ビエリも、格好いいシュートシーンを2回も見せてくれた。
残念ながら地上波のライブでは見られなかったけれど、
ブラジル戦では、ブラジルのエースストライカー、ロナウドが
執念のライダーキックのような、ゴールを見せてくれた。

こうしたサッカーのスーパースターの華麗な個人技をライブで
見逃さずに見られたりすると、やっぱり手放しでうれしくなったり
する。

ポイント4 会場の雰囲気の違いを楽しむ。
これは、日韓共同開催で、TVで見られるからこその楽しみ方かも
しれない。

日本や韓国に関係のない試合の場合、もちろんその対戦国の
サポーター達が応援しているわけだが、会場を埋める大半は、日本人や
韓国人なんだと思う。

面白かったのは、日本と韓国では、会場の雰囲気が全然違うのだ。
日本の会場の方が、なんか断然やかましい。
日本人は、対戦するサポーター達と一緒になって、まるで日本を
応援するかのように、騒いでいたりするのだが、韓国では、あまり
サポーターが騒いでいる雰囲気を感じられなかったりする。

そのかわり、試合の流れをちゃんと見ていて、さっきのスペイン対
スロベニアのように、波のあるチームの方を応援し、つまらない
プレーに対してはブーイングをおくったりしている。
これは、やっぱり、日本人の方が断然ミーハーであるって証拠なんだ
ろうか?

まあ、自分が会場にいたらやはり騒いでいたかもしれず、これは
チケットが結局当たらなかった者のひがみだったりするのかも。



2002年06月01日(土) 素人参加番組

さて、今回は5月26日の日記の続き。
ダイジェストでお送りすると、クイズ番組の
素人参加オーディションに参加して、考えたこと。

現在のクイズ番組って、ただ単に博識なだけでは、
何かが足りないのかもしれない。
タイムショック21などを別にして、実は大学のクイズ研究会?
に入っている人が必ずしも、受かっているわけではない。

かつてはそんな、自分の博覧強記ぶりを自慢する番組が多かったが
その後、キャラクターがもてはやされる時代があり、
ここ数年は、その人の持つストーリーが重要視される時代になって
きた。

例えば、クイズ番組ではないけれど、愛の貧乏脱出作戦とか、
最近ではビューティコロシアムだったりとか。
番組に取り上げられるためには、そこにバックグラウンドが
なければ、なかなか取り上げられない時代。
ちょっとニュアンスが異なるが、ガチンコはそれを最も
巧みに行なっているといえるかもしれない。

クイズ番組としてはクイズミリオネアや、タイムショック21の
ように、番組の中で日常生活のカットインが入るタイプが
これにあたるかもしれない。
その意味では、前回の日記で出てきた、借金の夫を持つ主婦の
人とかは、強力な武器を持っているといえるかもしれない。

でも、実は最近では、ストーリーを持っているだけでは
ダメだったりするかもしれない。
ストーリー+本人のキャラクターが重要視される時代に
なったような気がするのだ。

番組の例でいえば、サバイバーや、自分が予選を受けた
ウィーケストリンクなど。
これらはいずれも海外の番組のOEMなのだが。
クイズや、サバイバル技術のすごさを売るより、集団の中での
人間関係を売りにしていく番組。
あるいはマネーの虎もこの範疇に入るかもしれない。

これらの番組の視聴率にもよるかもしれないけれど、今後は
こういうスタイルの素人参加番組が多くなるような気がする。

そして、そんな時代に素人参加番組に出るためにはどうしたら
いいのか?

そのためには自分のキャラクターを、ディレクターなど、
スタッフにわかりやすいように編集した形でプレゼンテーション
する必要があるんじゃないだろうか?

素の自分によほどの自信があれば、受かるかもしれないが、
そのままではちょっときついかもしれない。
ディレクターは、出来れば自分の中で画を浮かべやすい人の
ほうを採用したいと思う気がする。

実はこれって何かに似ている気がする?
そう、これって合コンの自己紹介に似ているのかもしれない。
短時間で自分のキャラクターをアピールしなければいけない時間。
素の自分そのままではなく、自分のキャラをディフォルメできた
人のほうが、実は可能性が高くなる気がする。

でも素の自分とは別に、他人に対してプレゼンするための自分って
どうなんだろう、って普段から意識してみるのも、それはそれで
楽しいことかもしれないけれど。

そういう意味では、自分としては自己アピールはもしかすると
少し足りなかったような気もする。
果たして自分は、スタッフの心をどれだけつかめたんだろうか。

まあ果たして結果がどうなるのか、わかったらその時はまた、
報告するかもしれません。


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