2010年11月30日(火)  お酒がない世界。
 
御ココが生まれてから酒を一滴も飲んでいない。御ココが家にいるときも病院にいるときも万が一、急変があった時のために全く飲んでいない。そもそも家にいるときは数時間おきにデリケートな処置をしなくてはいけないため、酔っ払ってはいられない。
 
これだけの期間断酒をしたのは初めてではないだろうか。夜は遅くまで原稿を書いているのだが、行き詰った時にビールを飲みたい衝動に駆られる。少し酔えば新しい発想が出てくるかもしれない。執筆するスピードが上がるかもしれない。
 
家族以外の誰とも会う機会がないので、飲みにいく用もない。一日のほとんどを御ココの病院か家で過ごす。お酒のない小さな世界。コーヒーにラム酒入れて飲むのはOKかな。ダメだよなあ。じゃあ甘酒は? そもそもあれってお酒なのかなぁ。そんなこと考えながら原稿を書いているのである一定の時間から全くはかどらなくなる毎日。
 
2010年11月29日(月)  ココちゃん人形。
 
本日、御ココは手術目的の入院をした。手術は3日後。手術までにお腹を空っぽにするため明日からミルクも飲めないいわゆる絶食となる。
 
12歳まで病棟に入ることができないため、御ハナは御ココの入院中会うことができない。「いってらっしゃい。頑張ってね」知ってるのか知らないのか、御ハナは保育園に行く前に御ココにずっと話し掛けていた。
 
御ハナが2歳くらいの時に今の御ココより一回りくらい小さい人形をプレゼントしたことがある。着せ替えもできてお風呂にも入れられてオムツ交換もできる人形。
 
「ハナさん、その人形お名前なんて言うの?」
「うーん。ココちゃん」
 
奇しくも妹の名前もココちゃんになった。御ハナはこのココちゃん人形を玩具のベビーカーに乗せて今もよくままごと遊びをしている。
 
御ココが入院して部屋にいなくなった夜。御ハナは寝室にココちゃん人形を連れて行った。そして、入院した御ココが使っていたおくるみをココちゃん人形に巻いて「ココちゃんいないから、今日はこのココちゃんと寝るの」と、人形のお腹をさすっている。
 
涙が出そうになった。御ハナは妹と一緒にいたくてしょうがないのだろう。もうちょっとで、もうちょうっとで元気になってココちゃん帰ってくるからね。ココちゃん帰ってきたらみんなでお祝いしようね。御ハナさん何食べたい?
 
「うーん。ガスト」
 
それはとてもとても小さな一般家庭だけれど、私達はこれからもっともっと幸せになれるような気がするのです。
 
2010年11月28日(日)  パパママココハナ。
 
御ハナは玩具で遊ぶよりも塗り絵や落書きが好きである。何を書いているかというと、ほとんど家族の顔を書いている。私の顔には決まって口の下から何十本もの線が引いてあり、これは何か訊ねると「パパのヒゲー」と言う。
 
書く順番はいつも決まっている。「これパパでー、これママ。これココちゃんでー、これハナ」
 
御ハナは自分の顔を最後に書く。パパはいつも端っこだが、ママと御ハナの間に御ココを書くようになった。御ハナが書く御ココは黒目がちで髪の毛がちょっとしか生えてなくてヒゲボーボーのパパよりそっくりである。
 
「ココちゃんね、オナカイタイヨーって泣いてるの」
 
そういって絵に描いた御ココのお腹を撫でている。手術の内容や今後の経過のことを知らない御ハナは、パパやママよりも世の中で一番御ココのことを心配しているのかもしれない。
 
2010年11月27日(土)  人生の決断5分で完結。
 
現在、分譲マンションを賃貸契約で住んでいる。都内の割りには日当たりが良く、治安もそう悪くはなく静かで住みやすいマンションだ。
 
先日、隣の部屋の住人が引越しをして売りに出し、本日売り手の不動産会社がオープンルームとして部屋を開放していた。
 
隣の部屋の間取りってどうなってんだろうね。ちょっと見に行こっか。と、軽い気持ちで御ココを抱いて、妻と御ハナと隣の部屋へ。間取りはうちと少し異なり、3LDKで何よりも角部屋であらゆる部屋の日当たりが良い。
 
「へえー」と、私と妻は全ての部屋を仔細に点検し、「ありがとうございました」と隣の自分の部屋へ戻る。お茶を淹れて、妻としばらく見つめ合う。
 
「……買おっか」
「うん」
 
家を買うという人生の大きな決断であるはずなのに、たった数十分の下見で購入を決めてしまった。新しい土地に引っ越すわけでもなく、このマンションにもう4年近く住んでいるということもあり気に入っているということと、何よりも御ココの通院が大きな決め手となった。
 
御ココは今後数年間、経過を見るために現在の大学病院へ通院しなければならない。慢性的な渋滞には巻き込まれるものの、距離にして10キロ。妻と私もお互い現在の職場と近く、御ハナが通うであろう小学校も近いため環境としても問題がない。
 
実は御ココが生まれ、御ハナが小学校に入る前には鹿児島に帰って家を買おうという選択肢もないわけではなかった。東京に残る理由も、鹿児島に帰る理由も特にない私達は、今後の長期的な住処をどこに構えるかが悩みの種でもあった。
 
再び隣の部屋に行き、担当者に声を掛ける。
 
「あ、先程はどうもありがとうございました」
「ここ買います」
「え?」
「ここ買います」
「ええ!?」
 
担当者すら驚く即決力。大丈夫大丈夫。これからも死に物狂いで働くんだから。
 
2010年11月26日(金)  ハイ、チーズ。

入院する前に行かなきゃねと、昨夜に突然予定を立てて、朝の浣腸を終えてから近所の大きなお寺に家族4人でお宮参りに行った。
 
この1ヶ月、本当にいろんなことがあったけど、手術も決まったし、まあ概ね順調に育っていると思います。無事にこの日が迎えられて感謝しますと、珍しく真剣に神様に報告して自宅へ戻りお腹のガス抜き。ガス抜き後、再び車に乗り写真館へ記念写真撮影へ。
 
1日1つの行動を2〜3時間内に済ませねばならないため、お宮参り、写真館とイベントが続くときは、「休憩」という意味ではなく本物の「ガス抜き」をしなければならない。そんな生活はもう特別なものではなくなっている。御ココ中心の生活。私たちはそれを窮屈に感じず、その中での小さな喜びを誰よりも噛み締めることができる。
 
御ハナは着物を着て、御ココは祝い着を上から羽織り記念撮影。
 
ハイ、チーズ!
 
お父さん、ちょっとあご引いてねー。もう一回いくよー。ハイ、チーズ!
 
お父さん、顔かたいですねー。ちょっと肩の力抜いてくださーい。いきますよー。ハイ、チーズ!
 
お父さん、もうちょっと左向きましょうか。違う違う反対反対。お父さんからみて左のほう、そうそう。ハイ、チーズ!
 
お父さん、カメラのここ見てくださいね、はいいきますよー。と、なぜか集中的に私ばかりが注意され妻と御ハナと御ココは大変ご立腹であった。
 
2010年11月25日(木)  ゴ、ゴメ、ゴメン。

「ハナさーん、もう寝るよー」寝室からリビングでぐずぐずしながらゴムボールで遊んでいる御ハナを呼ぶ。眠たいけど遊びたい。遊びたいけど眠りたい。午後9時。眠くなった御ハナは注意力が散漫となる。
 
御ココはすでにベビー布団で眠っている。つい先ほど眠りに就いたばかりだ。といってもまた2時間後に処置をするため起こさなければならない。
 
「ハナさん寝るよー。いつまでも遊んでいると鬼が来るよー」
 
そう言うや否や、御ハナは反射的に寝室の自分の布団へ向かって走り始めた。しかし御ハナの布団の横には御ココがベビー布団で眠っている。
 
あっ! と、私が叫んだタイミングと御ハナが御ココの顔を踏んだタイミングが重なった。御ハナは眠たくて注意力が散漫になっており、御ココが寝ていることをすっかり忘れていたのだ。
 
「ハナ!」反射的に怒ってしまった。御ハナは泣きながら「ゴ、ゴメ、ゴメ、ゴ、ゴ、ゴメン、ゴ、ゴメ」と、ゴメンナサイと言おうとしているが、泣き声でうまく謝ることができない。
 
御ココは左耳から左頬のあたりを足の先端で踏まれたらしく、大声で泣いてはいるが幸いにも外傷はない。
 
私が御ココの外傷を確認している間も、「ね、パ、パパ、ゴ、ゴメ、ゴメ、パ、パパ、ゴメン、ゴ、ゴ」と、私の洋服を掴んで何度も謝ろうとしている。
 
「しょうがないわよ。眠かったんだもんね」
 
妻がやってきて御ハナを抱き締める。御ハナはいつも御ココを踏まないよう細心の注意を払っていたのだという。「ココちゃん寝てるもんね」と、誰よりも声を潜め、「パパいびきうるさいからあっちで寝て」と、誰よりも御ココを気遣ってきた。
 
そんな御ハナがたった一度の小さなミスで御ココに怪我をさせてしまった。怪我の程度は問題ないが、問題あるのかないのかわからない御ハナが受けたショックは計り知れない。
 
御ハナは妻の腕の中でいつまでも謝りながら眠ってしまった。「ゴメン、ゴメンね」その夜、私は御ハナに謝りながら眠りに就いた。
 
2010年11月24日(水)  たった、たかが、3センチ。

小児科受診。5日後の11月29日に入院し、入院4日後の12月2日に手術を行うことが決まった。
 
主治医より手術内容の説明。自宅での腸洗浄がうまくいっているため、腹部の張りは大分軽減しているため、円滑に手術ができそうとのこと。先天的に神経節細胞が欠如している部分は、肛門から約3センチ。この3〜5センチの部分を切除して、健全な腸を引き下ろして肛門部分と繋げるというもの。
 
手術はお腹の中にカメラを入れて行う腹腔鏡下手術となる。よって傷痕は残る物の小さい。退院後も数年間外来通院で経過を見なければならないとのことだが、基本的に排便・排ガス困難の症状は”根治”される。
 
診察室のベッドでウーッ、ウーンッと御ココが顔を赤らめて力を入れている。健全な部分の腸がガスを出そうとしているのだ。しかし神経節細胞が欠如している肛門付近の腸が動かないためガスを出すことができない。肛門付近のたった3センチが動かないだけでガスを出すことすらできないのだ。御ココが感じているストレスは多大なものであろう。
 
手術日が決定した。これで御ココはきっと良くなる。これで毎日ずっといられるようになる。
 
2010年11月23日(火)  悔しさの果てに。
 
深夜にリビングの灯りをつけ、御ココのガス抜きを行う。妻はミルクを温め、私が処置道具を揃えている間に見るわけでもないがテレビをつける。
 
処置が始まると御ココが泣き始める。そうすると寝室から御ハナが目をこすりながら出てきて半べそで「テレビうるさいから消して!」と言って、メソメソ泣きながらトイレに行って一人で用を足し、妻と会話している私たちに「パパとママうるさいよ!」と文句を言って再び寝室へ戻り、しばらくエンエン泣きながら再び眠りに就く。
 
寝ている御ハナが起きないよう、テレビの音量は小さくしてある。テレビはうるさくない。私達の会話だってトーンは下げている。御ハナは御ココの大きな泣き声で目が覚めているのだ。
 
でも御ハナは御ココの泣き声がうるさいと絶対に言わない。泣き声で目が覚めてイライラしていても御ココを責めない。テレビがうるさくて目が覚めたのだと私と妻にいちゃもんをつけているのだ。
 
処置の間、一人寝室で布団に顔を埋め泣き続ける御ハナは、怒りと憐れみと悔しさと眠たさが全部一緒くたになり、それは大きな優しさとなって布団の上で一人で闘っている。
 
なんと優しい子に育っているのだろう。この日記は私のためでも妻のためでもない。大きくなった御ハナと御ココに読んでほしくて書いている。大好きだよ御ハナ。パパとママは、ずっとキミを見守っているよ。
 
2010年11月22日(月)  生活作家。
 
職場から育休をもらっている。御ココの処置をするために一日のほとんどを自宅で過ごすため、逆にいうと時間も精神的にも余裕がある。
 
この間、無収入である。何か生産的なことをして少しでも家計の足しになればと、以前より温めていた書籍の企画を書き直して、先日とある電子書籍会社に提出したところ、是非とも出版したいとの返答をいただき、本日、その会社に打ち合わせに行った。
 
御ココが生まれてから始めての私用での外出である。処置があるため外出時間は3時間を越えてはいけないという制限時間のもと、新宿の本社に行き編集者さんと打ち合わせを行い、どこにも寄り道せずに帰宅し、出版が決まった旨を妻に伝えて御ココのガス抜きを行う。
 
うまくいけば育休の間、無収入の分を印税でまかなうことができる。家族のために白衣を脱ぎ、生活のためにモノを書く。こう書くと大分切羽詰った状況のようだが、今はいくらでも時間はある。
 
日中は、処置の合間に原稿を書き、原稿に行き詰ったら日々の日記を書いている。こんな生活も悪くはないと思う。
 
2010年11月21日(日)  怪獣クラリス。
 
御ハナが風邪をひいたので近所のかかりつけの小児科受診。
 
「ハナね、お姉ちゃんになったんだよ」と、鼻高々に鼻声でかかりつけ医に報告。
 
「じゃあ錠剤飲めるかなー。白い玉の薬、ゴックンするの。飲める?」
「うん! 飲めるよ!」
 
「クラリスという薬なんですけど、これ粉薬にするとかなり苦くて飲みにくいんですね。だから錠剤にチャレンジしてみて下さい。錠剤も苦いのですが粉薬よりはいいと思います」と、医師より指示を受け、自宅へ帰りゼリーと一緒に錠剤をスプーンに乗せ、はい、ゴックン! ゴックンするんだよ。あ、ああ、吐き出しちゃダメだよ。ゴックンってするの。はい、もう一回あーん。はいゴックン! あ、あ、ダメだって出しちゃ。うーん。
 
と、うまくいかない。物を噛まずに飲み込むなんてしたことがないので口の中でついモグモグしてしまうのもしょうがない。歯磨き粉デビュー然り、錠剤デビューも少し早かったかなと、錠剤を潰しカップのゼリーに混ぜて再度ゼリーを口に入れ、一口飲みこみ数秒後、オ、オエ、ウォエ、ゲ、オエと、体内からエイリアンでも出てくるんじゃないかという吐逆を始め、ゴゲェ! ゴゲェ! と、その場で嘔吐。
 
あら、あららららと、御ハナの口と嘔吐物を拭いて、そ、そんな苦いかね。お姉ちゃんだから頑張らなきゃと言いながら試しに自分で薬入りゼリーを口に入れた途端、ゴブエェェと父親もよだれのようにゼリーを吐き出す。
 
マクロライド系抗生物質クラリス。こう書くとどこかの星からやってきた怪獣みたいである。御ハナがお姉ちゃんになるために立ちはだかる壁はあまりにも高くて苦かった。
 
2010年11月20日(土)  小さなお祝い。
 
昨日、退院前に腸洗浄を教わるため処置室に行き、御ココをベッドに降ろす。今まで妻の腕で泣き続けていた御ココは、処置室のベッドに横になった途端、目を丸くして天井を見つめ、両わきを締めて手にぐっと力を入れ、大人しくなった。
 
怯えているのである。今まで寝ていた場所と異なる場所に寝かされたら何かされる。この数日間の検査入院で何度もこのような経験をしたのだろう。御ココの表情を見て胸が痛くなったが、この処置を習得しなければ自宅で御ココをみることができない。
 
肛門に入れたカテーテルからお湯を注入し、しばらくして注射器を引くとガスや便がまざったお湯が排出される。この排出されるガスや便がなくなるまで処置を繰り返す。
 
お湯を入れて出してを6〜8回ほど繰り返し、カテーテルから排出されるお湯が注入したときのお湯と変わらないものが出たら処置終了。その効果は絶大で、処置前は少し張っていたお腹もふわふわになる。多分、このふわふわが本来の乳児のお腹なのだろう。
 
「この処置、できますか?」医師が確認するように訊ね「できます」即答する。この処置ができなかったら手術するまで入院となってしまう。
 
かつて御ハナを抱いていたおくるみに御ココを包み、昨日検査入院から退院した。羽目を外す状況じゃないけど、家族で小さなお寿司を買って、静かにお祝いをした。
 
2010年11月19日(金)  退院。新たな処置。
 
5日間の検査を経て御ココは本日退院。検査の結果をもってヒルシュスプルング病との確定診断が出た。といっても今さら動揺することもない。粛々と主治医の話に耳を傾ける。
 
来週外来受診した時に、手術目的の入院日が決まること。自宅ではこれまでと変わらず2〜3時間置きのガス抜き。浣腸は1日2回だったが、これからは1日1回となった。
 
症状が良くなったわけではない。浣腸が2回から1回に減った代わりに、浣腸よりも排便・排ガス効果が高い「腸洗浄」をするようにとの指示が出た。
 
腸洗浄とは、これまでガス抜きで使用していたカテーテルより少し太めのカテーテルを肛門から10〜15センチほど入れ、体温程度のお湯を20ccの注射器(シリンジ)で注入し、シリンジを引いて腸内に入ったお湯を引くということを繰り返す処置である。
 
腸洗浄を行うことによって、浣腸のみでは排出できなかった古い便やガスを排出でき、腹部の膨満がより軽減されるという。
 
そんな難しい処置に何も抵抗を感じないのは、私が看護師だからかそれとも父親だからなのか。
 
2010年11月18日(木)  強いお姉ちゃん。
 
御ハナは名実共にお姉さんである。御ココの入院中にそれを決定付けるために、御ハナは今夜、歯磨き粉デビューをした。
 
私達大人は何の苦もなく歯磨き粉を使い歯を磨いているが、4歳児にとっては、喋らない飲み込まない吐き出さないと、かなり高度なテクニックを要求される。
 
「ハナお姉ちゃんだからできるもん」自信満々に始めたが、口の中で泡がブクブクするという始めての感覚に、歯ブラシを口に入れたまま意表を付かれた表情を浮かべ、泡を口の中に留まらせておくことができず、かといって飲み込まないよう言われているため飲み込むことができず、ヨダレを垂らすようにダラダラと唾液と液体になった歯磨き粉が出てくる。
 
「わかった? そんな簡単にお姉ちゃんになれるものじゃないんだよ。歯磨き粉はちょっと早かったね。まずはお片付けをちゃんとできるようになってからだね。片付けができるようになったらきっと歯磨きだって自分でできるよ。ちょっとずつちょっとずつお姉ちゃんになっていけばいいんだ」
 
御ハナは力強く「うんっ」と頷いて、とぼとぼと布団が敷いてある和室に行き、「うわああん!」と布団に顔を埋めて泣き始めた。よっぽど悔しかったのだろう。これからも頑張れ強いお姉ちゃん。
 
2010年11月17日(水)  いつも妻がいる。
 
自宅から御ココが入院している大学病院まで距離にして10キロだが、都心にあるため車で行くと1時間掛かる。時速10キロで進んでいる計算である。自転車と変わりない。
 
しかし、助手席にはいつも妻がいる。
 
御ココの病気で、家庭が必然的に暗くなったり、努めて明るく振舞ったりということはない。数時間おきの処置に追われて日々が過ぎていったということもあるが、私達は、毎日いつもの私達である。
 
しっかりと話し合い、気持ちを共有する。私達は、この年で自慢できるものではないかもしれないけれど、本当の夫婦である。
 
1日2回の浣腸。2時間おきのガス抜き。大学病院まで1時間。
 
御ココが生まれて、夫婦の会話が増えた。会話が増えると笑顔も増えた。御ハナも笑って、みんな笑っている。私達はいつも御ココが帰ってくるのを待っている。
 
2010年11月16日(火)  頬の紙テープ。
 
入院2日目。御ココの病室に行くとベッドからベビーラックに移されて眠っていた。
 
おしゃぶりが取れないように頬の部分で紙テープで止められ、ベビーラックの電動スウィングの人工的な揺れで、強制的に寝かされていた。
 
何十人もの重い疾患を持つ患児がいる病棟で、看護師がゆっくりと親のように抱きかかえ、なだめるというのは無理な話である。私がもしこの病棟の看護師であれば、ためらいもせずこの電動ベビーラックを使用し、おしゃぶりを紙テープで止めるであろう。
 
でも、私は、今は御ココのパパである。
 
その光景は、この病棟では日常なのかもしれない。しかし私は御ココを抱き上げて泣き叫びそうなほどショックを受けた。起きたい時に起きていられて、おっぱいが飲みたい時に飲めて、眠りたい時に眠る。そんな当たり前の日常は、とても貴重で、本当に大切なものなんだと思った。
 
紙テープでおしゃぶりを固定されていた頬は、すでに少しかぶれはじめている。抱きかかえられて目が覚めた御ココは、私と妻の顔を見て、おしゃぶりをしないまま眠った。
 
2010年11月15日(月)  とても大きなベッド。
 
生後21日目。本日より御ココは検査入院。小児科の4人部屋とはどういうものだろうかと思っていたが、思いのほかベッドが大きい。親が付き添いで泊まったりするため、大人のシングルベッド程度の大きさがある。
 
妻はまだ産後1ヶ月経っていないので付き添いの許可が出なかった。昨日まで小さなベビー布団に御ココ、隣の布団に妻、御ハナ、私の順で4人身を寄せ合って寝ていたというのに今日から突然一人で眠らなければならない。つい二十日程度前に生まれてきたばかりの家族だというのに、その子が一人抜けるだけで不完全な家族のような気がする。家族というものは本当に不思議なものだと思う。
 
「検査するだけの入院だからね、すぐ退院できるんだよ。パパとママ毎日来るからおりこうにして待っててね。検査だけだから、すぐ退院なんだから」
 
不安気に見える視線を送る御ココの顔に近付けて私は言う。検査だけだから、すぐ退院なんだから。乳児だから言葉はわかるはずはないのに、検査入院の後、手術を行う入院が待っているということは言い出せなかった。
 
2010年11月14日(日)  御ハナの狼狽。
 
御ココは産婦人科を退院してから今日に至るまで、当たり前のようにカテーテルを入れてガスを抜いたり浣腸して便を出したりしているので、御ハナは赤ん坊のうちはそうするものだと思い込んでいるらしく、御ココの処置中、「ハナも赤ちゃんのころやってたよねー」と訊ねてくるが、御ハナは何もしないでウンチしてたよと言うと、何もしないでウンチ出す方が異常に思ったらしく、「ハナもココちゃんみたいにやってたもん!」と狼狽している。
 
やってないよ。「やってたもん!」
やってないよ。「やってたもん!」
やってたよ。「やっととないもん!」
 
狼狽している。
 
2010年11月13日(土)  細心の2時間。
 
2時間から3時間おきに御ココのガス抜きをしなければならないので、夜中も2・3回起きて処置を行う。
 
私はだいたい午前2時頃就寝するため、2時に妻を起こしガス抜きを行って、次のガス抜きは御ココが泣き始める時間にもよるが午前4時か5時頃。処置の始めは眠たくてしょうがないが、いざ処置に入ると神経を集中させてカテーテルを入れなければならないため、一気に目が覚める。
 
カテーテルは5〜10センチ入れて、カテーテルの先端に数箇所開いている穴からガスが出るのだが、腸の中には便もあるのでカテーテルを入れっぱなしにするのではなくて、便がつまらないように少しカテーテルを出し入れしなくてはならない。腸を傷つけることのないよう、細心の注意を払って処置を行う午前4時。そして6時。そして8時。そして10時。
 
2010年11月12日(金)  穏やかな変貌。

御ハナは日中は保育園に行っているのだが、家にいる間はずっと御ここの横にいる。時々話し掛けたり乳児用の玩具で音を鳴らしたりしている。泣いていると「お腹空いたの? ママにおっぱいって言ってくるからね」「おしっこ出たの? パパと一緒に替えよっか」など、御ココの意志伝達の役割も担っている。
 
まだ話し掛けても笑うわけでもないし何かしらの反応があるわけでもない。それでも御ハナは妹の横で遊び続ける。
 
「ああいうのが姉妹っていうのかな。なんだか羨ましいね」
 
一人っ子だった妻は御ハナと御ココの光景を眺めながらいつも呟く。いくら泣いていても「うるさい」なんて絶対言わずに、泣き声なんて聞こえてないような涼しい顔をして時々頭を撫でたりしている。
 
いつもパパやママから守られていた御ハナは、いつの間にか守る立場へと穏やかに変貌しようとしている。
 
2010年11月11日(木)  御ハナのおしごと。
 
リビングのテーブルで御ココの処置を行っている。元々リビングのテーブルは日常生活上、特に使用していなかったのでタオルを敷いて処置セットを置き、常に病院の処置台のようになっている。
 
私と妻が御ココの処置の準備を始めると必ず御ハナもついてきて、御ココのオムツを手に取る。御ココの処置を手伝いたくてしょうがないのだ。
 
御ハナは椅子を準備して御ココの両足を持ち上げる業務にトライしたこともあったが、バタバタ足を動かす御ココの脚力を抑えることができずに失敗。次にガスを出すためのマッサージ業務にトライしたが、マッサージというより撫でているような握力のなさで失敗。
 
結局、全て処置が終了してからオムツを取り替える際、新しいオムツを敷くという業務をゲットしたのだ。
 
両足を持ち上げる業務も腹部のマッサージ業務も大人に取り上げられてしまったため、このオムツ業務だけは死守しなければいけないと思っているのだろう。リビングのテーブルから顔を半分出してオムツを握り締めながら御ハナは処置の進行を見守る。
 
カテーテル越しからガスや便の量が多すぎて私の手が汚れることも多いのだが、「御ハナ、お尻拭き取って」と言うとオペ室のナースの如く「はいっ」と機敏にお尻拭きを取る。今や立派な我が家の労働力である。
 
処置が終わると妻はミルクを温め、私は処置道具の消毒を行うのだが、その間、残された御ココに「今日も頑張ったねー。いっぱい出たねー」と顔を近付けてアフターフォローを行っているのも御ハナの重要な役割である。
 
2010年11月10日(水)  大学病院受診。
 
大学病院受診日。この病気は小児外科という診療科目になるらしい。待ち時間の不安、診察時の緊張、医師に聞きたいことを忘れてしまう感覚。十数年看護師をしていても、患者側に立った時に感じる感覚が全く違うことに驚いた。
 
小児外科の教授である医師の一言一言を聞き逃さないように真剣に耳を傾ける。来週の月曜日から一週間程度の検査入院。直腸の造影検査と内圧検査、生検を行い、確定診断をつけ一度退院。
 
もしヒルシュスプルング病であれば手術を行うため、今月中にもう一度入院し、手術を行います。それまでは大変でしょうが、自宅でのガス抜きと浣腸、頑張って下さい。
 
「よろしくお願いします」診察室を出る時に夫婦で頭を下げた。これほどまでに心を込めた「よろしくお願いします」は生まれて初めて言ったような気がする。
 
2010年11月09日(火)  育児分業。
 
浣腸とガス抜きは一人では行えない。私が肛門にカテーテルを入れ、固定したり位置を調整し、妻が片手で両足を持ち上げ、片手で腹部をマッサージする。
 
御ココの肛門にカテーテルといういわば異物が入るため、さぞや苦痛に感じることだろうと思うが、カテーテル越しにガスが抜け、排便があると天井を静かに見つめ大人しくなることが多い。ガスが溜まっていることの方が苦痛なのだろう。
 
ガス抜きが終わると妻は授乳を始め、私はカテーテルとガス抜き用のコップを食器用洗剤で洗い、消毒液に浸し、日々つけている育児記録に排尿の有無、ガス・排便の量を記載する。
 
明日は初めて大学病院を受診する日。病気のことを知りたいけれど聞きたくない日。
 
2010年11月08日(月)  御ココセット。
 
御ココの退院前日に購入したプラスチックのケースには、ガス抜き用のカテーテル3本。肛門にカテーテルを挿入する際に潤滑油として使用するベビーオイル。ベビーオイルを染み込ませたカット綿。浣腸液。浣腸液を入れる際にカテーテルに接続する注射器。肛門を刺激してガスを出す為に用いる綿棒。タブレット製の消毒剤ミルトン。小さなガラスのコップ。
 
このガラスのコップに水をためて、カテーテルの先端をコップに入れた状態で、もう片方を肛門に挿入する。そうするとコップの中のカテーテルからボコボコと空気が出るので、排ガスの量を確認できるのだ。
 
ココちゃんセット。私と妻がそう呼ぶプラスチックのケースは、大袈裟ではなく御ココの命を繋いでいる大事なケース。
 
職場からは育休扱いで無期限の休日をもらった。白衣を脱いで終日スウェット姿の看護師は、妻と御ココの束の間の午睡の間に、ココちゃんセットの物品の点検と補充を行っている。
 
2010年11月07日(日)  安堵の溜息吸い込んで。
 
空港に到着し、すぐにガス抜きを行う。終わるとすぐに職場のスタッフに電話する。
 
空港を出ると白いセンチュリーが私たちを待っていた。職場の計らいである。通常であれば羽田から私の家まで電車とバスを乗り継いで1時間半ほどかかる。
 
生後間もない娘を抱いて、実家から空港まで2時間、鹿児島空港から羽田まで1時間半。羽田から家まで1時間半。合計5時間の旅はあまりにも長い。
 
そして最後の関門が、羽田から家までの交通手段だったのだ。不特定多数の人間の中で感染のリスクもあるため、タクシーで帰宅する手段も考えてはいた。
 
しかし、東京に戻ってくると職場に報告した際、職場から迎えに行かせると言っていただき、まさかセンチュリーで迎えに来るとは思ってもいなかったが、揺れを全く感じない広い車内で、首都高から見えるビル群を眺めながら安堵の溜息を吐いて、気を入れ直すように空気を吸い込んだ。
 
2010年11月06日(土)  いろんなことひとつづつ。
 
生後12日目。身支度を終え、実家を出る直前に浣腸を行い、空港へ出発。空港まで2時間。妻への最後の気遣いなのだろう。空港に到着するまで母は交代することもなく御ココを抱き続けていた。
 
東京へ出発30分前。授乳室でガス抜きを行う。
 
医者は言った。「気圧の関係で、上空ではよりお腹が膨らむだろうから、着陸する少し前に機内でガス抜きして下さい」
 
くれぐれも看護師でよかったと思う。機内の狭いトイレで様々な道具を駆使して乳児のガス抜きなど難易度が高すぎる。
 
人一人入るのがやっとの薄暗い機内のトイレで、オムツ交換用の台座を倒すともうほとんど身動きをとることができない。
 
気持ち良さそうに眠っていた御ココにガス抜きを行う。カテーテルからは柔らかい便も出るが、使用できる物品もスペースも限られているため、汚染は最小限に抑えなければいけない。
 
手術1件終わったような顔をして御ココを抱いて座席へ戻る。飛行機が着陸態勢に入るとのアナウンスが流れる。
 
そろそろ東京に到着する。いろんなことをひとつずつ乗り越えていく。いろんなことひとつずつがこれからもずっと続くし、いろんなことひとつずつが、今までよりも大切なものになるのだろう。
 
2010年11月05日(金)  青は愛より。
 
明日東京に戻るため、念のため小児科を受診。
 
いつも私と妻が僅かながらも期待している言葉が、「これはヒルシュスプルング病じゃなくて、ただの頑固な便秘ですね」と言われることだ。
 
小児科の医師も精密検査をしなければヒルシュか便秘か確実に判断できないという。でもそれは確定診断のための精密検査であって、既に便秘ではないことは明らかである。生後11日で自力で便はおろかガスすら出さない便秘なんてあるわけがない。それでも心のどこかで、その馬鹿馬鹿しい一言を本気で期待していた。
 
鹿児島は雲一つない天気。御ハナは朝から保育園に行っている。せっかく慣れてきた鹿児島の保育園も今日が最終日。今日は近くの畑で芋掘りをするという。こんな伸び伸びしたところで子育てができたらいいなと思う。
 
「ココちゃん、明日東京に帰ろうね。元気になったらまたこっちに帰ってこようね」
 
おくるみに包まれた御ココはちらと目を開けて故郷の空の青さを目に焼き付けていた。
 
2010年11月04日(木)  ただいつまでも。
 
ふと深夜に目が覚めると妻が泣いていた。
 
私の横で声を殺して泣いていた。
 
いつも冷静で気丈な妻が静かに泣いていた。
 
ただ、静かに、いつまでも泣いていた。
 
2010年11月03日(水)  全て不安。全て楽観。
 
「東京に帰ろうと思う」
 
母はさほど驚きもせずに、「そう・・・・・・その方がいいかもね」と言った。どこか寂しそうなのは、予定よりも早く家族4人がいなくなるからだ。
 
当初の予定では、私は4日間だけ滞在し、先に東京に戻り、妻と御ハナと御ココは12月中旬まで鹿児島で過ごす予定だった。母は御ハナと行く毎朝の散歩を何よりも楽しみにし、妻は山や海などの自然に溶け込み適応する御ハナの姿に驚いていた。
 
このまま鹿児島に残り、片道2時間かけて大学病院に行くよりも、東京に戻り、近くの大学病院に通院したほうがメリットは高い。
 
この病気は根治手術によって経過は悪くはないらしいが、その経過をみるために数年単位で定期的な通院をしなければならないらしい。そうであれば確定診断から手術、その後の外来通院を1つの病院で統一したほうが合理的である。
 
生後8日から飛行機に乗れるという。2時間おきのガス抜きという、2時間縛りのなか東京へ戻る。もはや何が不安で何が不安じゃないかもわからない。
 
おそらく今後の全てが不安で、私と妻が一緒にいる限り不安なことなど1つもないように思える。
 
2010年11月02日(火)  右へ左へ。
 
病名はヒルシュスプルング病疑い。私が看護学校で学んだ時は結腸が風船のように膨らむことから「巨大結腸症」と呼ばれていた。
 
なぜ風船のように膨らむかというと、直腸に便とガスが停留するからで、なぜ停留するかというと肛門から数〜数十センチの腸壁の神経節細胞が欠落しているためで、要するに便やガスを出したいとサインを出しても、それを受け取る部分が先天的にないため、便もガスも出すことができなくて、結果、カエルのようにお腹が膨らむのである。
 
約5000人に1人発症し、女児より男児が3〜8倍ほど多いといわれているため、御ココは結局何万分の1の確率なんだと思ってしまうが、まあ何にしたって何万分の1に選ばれるなど生きていてそうそうないことである。こんな時こそ思考はポジティブにねと妻に言うと、あなたはどんな時でもポジティブでしょと笑っている。
 
神経節細胞が欠落している長さによって、人工肛門を作ったのち開腹手術を行ったりするものから、腹腔鏡という外科的浸襲を最小に抑える方法まで治療法は実に様々で、何センチ欠落しているかは大学病院で精密検査をしてみなくてはわからないとのこと。
 
「大学病院ねぇ・・・・・・」
 
御ココの肛門にカテーテルを入れながら呟く。退院して2日目。すでに浣腸やガス抜き処置は日常に溶け込もうとしていた。
 
ここから大学病院まで2時間。しかも鹿児島の半島から半島をまたぐため、フェリーに乗らなければいけない。御ココは入院となるが、家族は実家と病院を行き来しなければいけない。往復4時間の毎日。産後間もない妻のことを考えるとその負担は計り知れない。
 
「大学病院ねぇ・・・・・・」
 
今度は妻が呟く。自力では排ガスも排便もできないが、浣腸とガス抜きさえすれば他の乳児と何も変わらない。お腹が空けば大泣きするし、おっぱいだっていっぱい飲む。
 
どちらにも似ているその顔は、生後間もないのに実に表情豊かで、いつも私たちの会話を聞いているように視線を右に左に動かしている。
 
今後進むべき方向はニ択。右へ左へ。左へ右へ。御ココの視線のごとく、私たちは静かに迷っていた。
 
2010年11月01日(月)  2時間で縛るは処置と絆と。
 
退院の日。退院といっても近日中に大学病院に転院するよう指示が出ている。
 
自力で排便と排ガスができないため、在宅でも午前午後1日2回の浣腸と、2時間おきのガス抜きをするよう医師から言われた。
 
「パパが看護師さんでよかったね」と、助産師は笑っているがパパは外科や内科ではなく精神科の看護師である。浣腸なら何度もやったことがあるが、肛門からカテーテルを入れてガス抜きをするなどこの看護人生2・3しかしたことがない。ましてや乳児の浣腸やガス抜きなんて未知の世界だ。
 
でもやるしかない。私と妻がやらなければ誰もやらない。やるしかない。という決意より、御ココが退院できることが何よりも嬉しかった。転院までの短期間になろうとも、家に新しい家族がやってくることが嬉しかった。
 
御ハナは「ここにココちゃん寝るんだよ」と、何度もベビーベッドのシーツや枕の位置を直している。「これ着せようね」と洋服を選んでいる。
 
11月1日午前9時。生後7日で御ココは退院した。実家に戻り、退院して1時間後、妻が両足を持ち上げ、私が浣腸をした。これから2時間おきにガス抜きをする。
 
妻も私も御ハナも御ココも、これからしばらくずっと一緒。2時間も離れられない家族になった。
 

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