2010年04月30日(金)  OPEN SALE!!!
 
ABCマートでスニーカーを購入。靴を購入した時は決まって箱はいりません。鬱陶しいです。この大きな箱は今後の買物の妨げになります。いりません箱。箱までとっておくようなマニアでもありません。箱いりませんからと、常日頃から店員に箱を処分するよう依頼しており、本日も箱不要の旨をと店員に告げたところ、「こちらをご覧下さい」と、レジ横にある貼り紙を読むと、『OPEN SALEのため、箱の処分はお断りしております』と書いてある。「大変申し訳ありませんが、このような理由で箱の処分はお断りしております」と、貼り紙と同じ台詞を述べ、だったら仕方ないと箱のまま購入し、家への帰り道にふと気が付いた。
 
箱の処分ができないOPEN SALEって何?
 
『OPEN SALEのため、箱の処分はお断りしております』箱の処分ができない理由をOPEN SALEだからと表現している。この文章を分析すると、OPEN SALEという概念は当然箱が処分ができないという意味も含められているのであって、それは常識であり大義であるわけだから皆文句を言わないようにっていうか常識であり大義であるわけだから文句言う方が馬鹿。OPEN SALEで箱いりませんて言う奴恥ずかしいと表現しているのであって、OPEN SALEをあたかも公衆道徳かのように一方的な常識を強要するABCマートでスニーカーを購入。デザインがとても気に入りました。
 
2010年04月29日(木)  知らぬが即身仏。
 
本日車を購入。えらく妻が気に入ったカラーとデザインの車が見つかり、ほぼ即決。「これくださーい」と、まるで肉か野菜を買うかの如く店員を呼び値引き交渉。自動車に興味がないだけに、あまりにも勉強不足でいくつか言いくるめられた感があったが、まあ満足のいく値段で購入し、所定の手続きの説明を聞いて帰宅。納車は約1ヶ月後。
 
今回、車を買おうと夫婦で宣言し、車を見に行ったのは今日を含め2回、計6店舗しか行っておらず、なまじ自動車に関する知識があると、あれは何年製だが走行が云々。何ccでエンジンが云々など、考えることが多すぎて僕と妻の性格だと一向に結論が出ないパターンに陥ることが明白だが、二人とも自動車に関して素人同然なので憂慮するパターンがあまりにも少なく結果として即決購入となったけれども、僕は鹿児島で7・8年自動車に乗っていたのだが、自動車に関しては「知っとくに越したことはないけれども、知ったら知ったでいろいろ面倒臭い」ということがあまりにも多くて、ただでさえ興味がないのに、これ以上知れば知るほど車のことが好きじゃなくなるような気がして現在に至り、ほぼカラーとデザインだけで自動車の良し悪しを考えられるまでに昇華した現代の生きる知らぬが即身仏。
 
2010年04月28日(水)  明日死にません。
 
「明日死ぬ可能性だってあるのだから今を精一杯生きよう」というありがちな精神論を人生に用いるのは結構ですが、仕事に持ち込むと途端に胡散臭くなりますので、私はこういう言葉は使いません。私の人生経験上での話になりますが、私自身「明日死ぬ確率」は今のところ0%です。統計学でいうと私は明日もきっと生きます。
 
私たちの仕事は非常に「死」と緊密な仕事でありますので、精神論であっても「死」という言葉を軽々しく使ってはいけません。「明日死ぬかもしれないから」なんて「死」を背景に仕事にあたるなどもっての他です。
 
「明日もしかして死ぬかもしれない」と塞ぎ込む人達に、「明日もきっと生きているよ」と掛け値なく自然に伝えていくことが私たちの仕事です。白衣を着たら自信ありげに振舞ってください。新入職のあなた達が自信がないことなんて演じなくても誰でも知ってます。
 
自信がなければ思考も悲観的になっていきます。自信がなくとも自信ありげに振舞えば、多少は楽観的に物事も考えられるでしょうし、何より患者さんに対して視覚的に安心感を与えることができます。
 
あなた達は明日もきっと生きてるし来週も来月もきっとこの職場で働いています。まずは根拠のない自信を持ってください。大丈夫。恰好から始めたら後から自信がいつの間にかついてきますから。
 
 
―――これが新入職者研修最終日に論じた私の話。頑張らずに生きてきた私の話。
 
2010年04月27日(火)  3万円の世界。
 
お金に興味がない。興味がないというよりも執着がない。独身の頃、どうやってお金を管理していたか記憶がない。記憶がないというよりも管理すらせずに感覚で使っていたのだと思う。
 
そういう訳で僕に月3万の小遣いを渡し、妻が一切の資産運用を行っている。妻の資産運用の手腕たるや精彩なまでに秀逸で、我が家は妻がいてくれれば永久に安泰。妻がいなければ数刻で崩壊である。
 
僕は妻の給料はおろか自らの給料額すら把握していない。僕は毎日仕事に出掛けて患者さんや部下達の為に精一杯働いて月に1回妻から3万円もらって、その金額の中で一喜一憂すればよいのであって、誰も知らないだろうけれど、こういう生活が、妻はそれなりに大変だろうけれど、一番幸せなことなんだと思います。
 
2010年04月26日(月)  御菓子温度差。
 
皆に聞きたい。どうやって夜に食べるお菓子を購入しているのかということを。
 
我が家にはお菓子がない。御ハナがお出掛けの時に食べるアンパンマンクッキーは多少ストックがあるが、それ以外のお菓子がない。妻はほとんど間食をしない人なので買物ついでにお菓子を買ってくることはほぼ無く、となると僕しかお菓子を買う人がいなくなる。
 
しかし僕もまたお菓子を買わない。そしてこうやって夜になり、お菓子食いてぇと悶々としながらコンビニに行こうか迷い、コンビニが徒歩5分圏内にあれば行くのだが、東京23区内で生活しているにも関わらず、最寄のコンビニが自転車で10分という劣悪な環境に住を構えて3年。お菓子食いたい衝動に駆られて実際に行動を起こしたことはほんの数回。なきゃないで生きていけるのであろうが、あったらあったでいっぱい食べたい。そんなわがまま30代。男性版のグータンヌーボがあったならば僕はこの話題を持ち出すに違いない。
 
昼間や仕事帰りにコンビニに寄った時は、全然お菓子食べたいモードにならないのだ。夜になると絶対お菓子食いたくなるぜと頭の中の悪魔が囁いても、大丈夫、今日は本当にお菓子食べたくありませんわと頭の中の天使が囁いて、まぁ今日はなんとなくお菓子食べないで寝そうな気がするなんて同じ過ちを1年で350回くらい繰り返している。
 
お菓子食いたい。明日は絶対に昼間のうちにお菓子買っとこうと思う。明日コンビニ行ったらケータイでこの日記を是非読んで欲しい俺。昼間と夜のお菓子温度差を埋めるのは、この思いを伝えるのは、この日記しかないのだから。
 
2010年04月25日(日)  そんな私の6カ条。
 
PS2とwiiのモンハンは容易に挫折したにも関わらず、PSPのモンハンを購入したのは、PSPを買ったはいいものの別段プレイしたいゲームが見つからず、今なら廉価版が安く出ているのでどうせ暇だし買ってみようと軽い気持ちで購入したが最後、どうせ暇だしの暇の部分が全てモンハンに持っていかれる事態になりヤバい状況。
 
テーテレッテーとモンハンのテーマソングを口ずさんだだけで人生のテンションが若干上がるくらい面白いのだが、俺はゲーマーの前に美しき妻の夫であり愛しき娘の父であり数十人の部下を抱える上司であり依頼された原稿を執筆するライターであるため、人生の全てをモンスターハンターに注ぐわけにはいかず、職場で様々な講義、指導を終え、家に帰り娘とカルタ遊びをし、妻と家族旅行の計画を立てて、皆が寝静まってから溜まった原稿を記載し、それからPSPの電源を入れて深夜までゲームに没頭する。おそらくこういう人生を送っている者を総称してハイパーメディアクリエイターというのであろう。妻に見放されないよう注意しなきゃね。
 
2010年04月24日(土)  01101010。
 
「あの銀行の口座から百万円、あっちのネットバンクの1年の定期に入れといて」と言われて、ハイワカリマシタとロボットのように返答し、自宅のパソコンで双方の銀行のネットバンキングにログインし、キーボードとマウスの操作のみでとある銀行の百万円が、とある銀行へ一瞬で移ってしまっているというこの現実感のなさは一体何なんだ。
 
だいたいインターネット銀行ってあれは何なんだ。実在するのかしないのかよくわからない場所にお金を預けて、その預けるお金だって本当に実在するのか怪しいもので、札束持って銀行に預けに行くのならまだしも、キーボード操作で大金が動き、それが大金なのかということすら怪しく、大金か否か決めているのは国でもない銀行でもないただの僕であって、いくら振り込みますかなんてメッセージが出て、キーボードの数字のキーを、1、0、0、0、0、0、0と、1を1回、0を5回押したら、それは百万円を意味するのであって、0を6回押したら一千万となる。キーボード叩くだけでお金が減ったり増えたりする。至極当然の事が全く意味がわからない。
 
お金なんかじゃない。これはただのデータだ。現代の人生の1/3くらいはただの電子データの変動で一喜一憂しているんだと思う。そんな僕らだって実はただのデータなのかもしれない。結局生きるか死ぬかの二進数だ。8ビットプロセサの中のちっちゃいレジスタに似た者同士が肩寄せあって暮らすのが地球でありマイクロソフトでありカプコンでありモンスターハンターである。モンスターハンターの世界で生きたい。でもあの世界はちっとも金が貯まらない。風呂もないし。
 
2010年04月23日(金)  今日のハズレジ。
 
夜勤明けに朝マックしようとマックに並んでいた。今日のハズレジは犬が大好きな人に悪い人はいないという常識強要お嬢さんの巻。
 
私の前には犬の散歩帰りに朝マックしようとでも思った20代前半のお嬢様。たかが犬の散歩のくせにピンクハウス系の洋服に、畜獣のそぞろ歩きに掛ける熱き思いが伝わってくる。
 
マックの入口に飼い犬を固定し、列に並んでいる間も度々入口の方を振り向いてはペットに対して手を振っている。お嬢さんの真後ろに立っている私は、お嬢さんが手を振る度に私の体がお嬢さんのペットへ向ける熱き思いの妨げにならぬよう少し体をスライドさせなければならず、うっとおしいことこの上ない。
 
そしてそのお嬢さんはペットへの熱き思いを抑えることができず、何を血迷ったか列を外れ、ペットの元へ走り寄り、うひゃあ、うひゃひゃあと、ムツゴロウのようにペットとじゃれ合い始めた。もうマック食わんのだろうか。とまあ、列から一人外れたため、その分早くなると得しましたわと、あと一人で私の会計の番となったところで、先程のお嬢さんが物凄い勢いで走ってきて、私の前に息を切らしながら列に割り込み、しばらく息を整えてから意を決した勢いで後ろを振り向き大きな声で言った。
 
「アタシここに並んでたんです! 申し訳ありません!」
 
お嬢さんは僕以下、後ろに並んでいる人達に向けて全力で謝罪した。しかしお嬢さんが全力で謝っているだけで、果たしてその全力の謝罪が社会の秩序に沿っているかというと全くそうではなく、お嬢さんにしてみればペットがあまりにも悲しそうな目をしていたので走り寄らずにはいられなかったというところだが、私は夜勤明けで腹が減って犬以上に悲しい目をしているはずであり、私以下に並ぶ客も満腹の状態でマックに来ているわけがなく、皆一様に腹が減っているのであって、犬の気持ちなぞ知る由もなく、ただ一方的に茶番のセンチメンタルを強要されただけであってちっとも納得していないのだけれど、可愛いお嬢さんが泣きそうな顔して全力で頭を下げると、なんだか許したくなっちゃう世界を構築した神様を私は許さない。
 
2010年04月22日(木)  ずんべらぼうおじさん。
 
完全にふて腐れている。どうしてふて腐れているのかはわからない。わからないがあの表情、あの動き、完全にふて腐れている。
 
スーパーのレジの中年のおじさん。表情は死に、肩の力は抜け、声に力はなく、ただひたすらずんべらぼうである。
 
何らかのトラブルにより流れが停滞するレジのことを、僕は「外れ」と「レジ」を足して「ハズレジ」と呼んでおり、僕の人生はこのハズレジに遭遇する可能性が非常に高く、やれ小銭が取り出せない、やれバーコード読み取れない、やれ会員カードが見つからない、やれ表示価格と清算価格が違う、やれ領収書書いて下さい、やれタバコとって下さいソレじゃなくてその横のヤツいや違うボックスじゃなくてソフトだの、僕が並んだレジは円滑に流れることが本当に少なくて、今日のハズレジはずんべらぼうおじさん不貞腐れるの巻。
 
人間は意味のわからないことに対して不安・恐怖を抱くため、何かしらの理由を考える、または合理的解釈をして自らの精神状態を安静に保とうとする。時計を見ると午後5時10分。きっとずんべらぼうおじさんは5時までのシフトだったが、客の流れが止まらないため惰性でそのままレジに立ち続け、数秒単位でモチベーションが低下し、10分経過したらほぼモチベーションはゼロ。やる気と反比例して怒りが湧き起こり、その怒りを客の前で表出するわけにはいかず、結果として表情、行動、全てをニュートラルな状態に持っていくべきところを、持っていくところを間違えたため全体的な雰囲気がずんべらぼうになってしまったというところであろう。ああ安心した。ヨシミはずんべらぼうになった理由、いわゆるズンベラモチーフを手に入れた! こころのつよさが1あがった! こころのまもりが1あがった! あわれむこころが2あがった! あたらしいスキル「なみかぜたてない」をおぼえた! かごのなかのアイスがとけてしまった!
 
2010年04月21日(水)  反復性自尊心。
 
「おたふくは両方?」いえ、片方だけです「じゃあ繰り返すわね」

という、やりとりを職場で10回ほど聞いた。おたふく風邪は片方だけ腫れるといつかもう片方も腫れる。都市伝説臭い。そういえば僕の母もあんたは小さい頃片方だけしか腫れなかったから大きくなってからまた罹らなければいいんだけどねって。
 
御ハナも左側だけ腫れている。昨日にもましておたふくソース顔と化している。wiiの似顔絵チャンネルで作成した御ハナの顔にそっくりである。「ついでに右側も腫れてくれたらいいだけどね」妻も嘆いている。全員都市伝説臭い。
 
おたふく風邪はムンプスウィルスというウィルス感染で、一度罹患すると抗体ができるって確か看護学校の頃習ったような気がする。片方だけでも罹患は罹患である。よって抗体もできるはずである。なのでちょっと調べてみる。と、医療職だからといって医学書を開くわけではなくグーグルで調べてみたところ、耳下腺の腫れを繰り返すのは反復性耳下腺炎といって、おたふく風邪と呼ばれる流行性耳下腺炎とは症状が似ているだけで全く違うらしい。
 
よって再び耳下腺が腫れる可能性はあるが、それはウィルス感染ではないみたいですよとおたふく繰り返す説を流布した看護師数名に言ったところ、「ふーん」と納得する人と、「でも結局繰り返す可能性はあるってことでしょ」と自尊心を守る人、「あー、そうだったかもしれない。そう、そうだったわそうだったわ」と自尊心を守る人、「でも小児科の先生はおたふくは繰り返すって言ってわ」と自尊心を守る人。おおむね自尊心を守る人ばかりで、どうやら自尊心が強い親の子供のおたふくは繰り返す恐れがあるということがわかりました。
 
2010年04月20日(火)  おたふくさん。
 
「こっち痛いの」と、保育園に行く途中に御ハナが左耳の下のあたりを押さえており、まさかねと思いながらもそのまま預けて仕事に行った数時間後、妻から電話が入り、御ハナがおたふく風邪に罹患し早退したことを告げられた。
 
仕事が終わり帰宅すると、「パパーおかえりー」といつものように御ハナが玄関先まで走ってくるが、顔がおたふくソースのラベルそっくりのおたふく顔になっていた。
 
「おたふくさんただいま」と言うと、「おたふくさんじゃないもん! ハナだもん!」と、おそらく妻からも散々おたふくさんと言われていたのであろう、地団駄踏みながら立腹しており、その膨れ面が更におたふく度を加速させている。
 
今日から1週間の通園禁止。おたふくさんは固形物を食べると耳下腺が痛むらしく、フルーツゼリーをチョーおちょぼ口でちょぼちょぼ食べており愛らしいことこの上ない。
 
2010年04月19日(月)  不織の平和。
 
コンビニの会計で立っている時、何気にレジ横に陳列してあるマスクコーナーを眺めていた際、度々目にする「不織布マスク」も置いてあり、まてよ。「不織布マスク」ってよく目にするけど、そもそも「不織布」って正式に何て読むんだろう。今まで自分の中では「ふおりぬの」と読んでいたけどそれはきっと間違っている。しかし読み方はわからなくとも不織布マスクを購入し風邪を予防することができる。読めないことに対する被害を受けることはない。要するにそういうことが平和ということだ。世の中は実に平和だ。不織布マスクが何たるものかを知らず、厚顔無恥に装着して街中を闊歩できるこの世は平和だ。本当に平和だ。そんなラブアンドピースな気持ちで、ついでにこれ下さいと同じくレジ横枠レギュラーを確保し続けるみたらし団子を購入し、家に帰り御ハナと団子を頬張りながら平和を満喫。
 
2010年04月18日(日)  お気になさらず。
 
近所の中古ゲームショップでPSPのソフトを購入した際、店員に「現在店内入口の防犯装置が故障しておりまして、お店を出る時に購入した商品も感知して防犯ベルが鳴りますが、お気になさらずにお帰り下さい」と説明を受けた。お気になさるっつの。それお客様に対するかなり間違った心遣いではないか。
 
店員を防犯装置の傍らに一人配置すべきである。そんで退転する際に防犯ベルが鳴ったとしても、静かに黙礼してお客様を送り出す方策を取るべきである。そうすれば他の客が防犯ベルに注目しても、黙礼して客を送り出す店員を見て、店員が退店する客を捕まえないってことは機械の何らかのトラブルなんだと安堵するはずである。
 
それをば「お気になさらずお帰り下さい」なんて上辺だけの優しさを演出してあとは客任せ俺任せ。ドキドキするぜ。店員あんなこと言ってたけど、まあホントに鳴ることはないだろうなと、気持ちを平静に保つために希望的観測を持って、防犯装置の横を通った途端、ビビーッ! ビビーッ! と、大音量で防犯ベルが作動して畜生。本当に鳴りやがった。しかし俺は何も悪いことはしちゃいねぇ。確かに家庭を顧みずにゲームに興ずることはたまにあるが、こんな中古ゲームショップに責められる筋合いはない。
 
しかし何てことだ。こんな時に限って自動ドアの真正面に自転車を置いてしまった。防犯ベルは未だ鳴り続けている。どの面下げて自転車に乗ればいいのだろうか。と、事情を知らぬ数名の客の視線を浴びながら今年一番のクールな表情で自転車に乗り、決して急ぐ素振りを見せず、悠々ゆらゆらと自転車をこいで店の駐車場を出て、そのあと涙が出てきたので全力で自転車をこいで家路へ急ぐ。
 
2010年04月17日(土)  ヴィッシリト。
 
現地時間14日夜に、アメリカ中西部上空に火の玉のような流星が突然姿を現し、おそらく落下したであろうというニュースを見て、きっとその影響なのかもしれないが、本日、自転車で横断歩道を渡ろうとしたら、向かい側の信号の下にお巡りさんが立っていて、ずっと横断歩道の信号を見上げており、信号を見るとどちらも点灯していないため、きっと故障しているからお巡りさんが呼び出されたんだねご苦労様と思いながらお巡りさんの指示のもと横断歩道を渡る途中、お巡りさんが何度も何度も点灯しない信号を見上げているので、そんな何度も見上げたからって故障が直るわけでもあるまいしと、隕石の落下は様々な超常現象を起こすといった話を聞いたことがあり、きっとその影響なのかもしれないが、横断歩道の信号が点滅する部分に、蛾とアブラムシのあいのこのような黄土色した昆虫が、
 
ヴィッシリト シンゴウキニ フチャクシ ウゴメイテイタ
 
「はいトラウマ確定」と、自転車に乗りながら自信満々に宣言。
 
2010年04月16日(金)  青雲、それは。
 
職場のイケ原君の妻が私の日記を読んでいるらしく、イケ原君に「ちょっとあのヨシミって男に言っといて。あなたには青雲の志がないって」と言われたのでヨシミさんに一応伝えときますとイケ原君に言われて、青雲の志って何? お線香的な感覚? と返答したら、それは君が見た光、僕が見た希望の方なので違うと思います。つうか俺も意味わかんないっスとイケ原君。ちなみにイケ原とはイケメン原付の略である。
 
まあとにかく俺はふれあいの心、幸せの青い雲が少し足りないのかもしれないね。ちったぁ反省してその青雲の志というものを持とうではないかと思うけど、意味がわからないのでネット辞書。
 
せいうんの-こころざし【青雲之志】徳を磨いて、立派な人物になろうとする心。また、功名を立て立身出世をしようとする心。▽「青雲」は雲の上の青い空を意味し、高位・高官、立身出世のことをいう。 出典:三省堂提供「新明解四字熟語辞典」より
 
要するにアグレッシブさが足りないということか。あ、アングロサクソンって何だっけ? ストイックさに欠けているということか。あ、ストイコビッチってまだ現役だっけ?
 
「そうそう。そういった思考の落ち着きのなさが駄目なのよ。余計なことばかり考えているから功名も立てられなくて、いつまでも立身出世できないのよ」と、我が妻。きっとそういった感覚をイケ原君の妻も感じているに違いない。毎日読んでいただいてありがとうございます。
 
2010年04月15日(木)  妻、訴訟、勝訴。
 
都内に住んでいると別段、車の必要性は感じず、むしろどこに出掛けても渋滞にはまるという運転手であるパパが受けた被害は極めて重大で、東名高速上りで乗用車2台の玉突き事故が発生し、なんたらICを先頭に20キロの渋滞といった、長期間にわたり被った経済的、肉体的、精神的苦痛は筆舌に尽くし難いため、東京都に対して私の1ヶ月分の小遣いに値する3万円の損害賠償を請求したいくらいだが、子供が2人いると、電車でお出掛けするほうが辛くなるため泣く泣く中古車販売店に車を探しに行って、そもそも車にさほど興味があるわけでもなく、同じ中古といえど中古ゲーム屋での目の輝きとは比較にならず、曇った視点で、これでいいんじゃない。これもう買おうよ。そうしようよ。と、早々に車買わなければいけない悩みから解放されたいのだが、意外に妻のこだわりが強く、私が選んだ車を「走るウンコ」と称し、私および日産自動車株式会社の名誉を著しく傷つけたため、妻を相手取り1万円の小遣い増額の訴えを起こそうとした矢先、自動車ローンで小遣いの減額はやむを得ないとの判決で敗訴。夫は判決を不服として控訴したが、妻はあなたとは本当にセンスが合わないというか、あなたにはセンスが全くないと厳重に抗議し、夫に控訴の撤回と反省と謝罪を求めるとともに、法的措置をも辞さない構え。
 
2010年04月14日(水)  完敗宣言。
 
風邪をこじらせてからこれで3日妻と御ハナと寝ていない。しかし熱も下がり、喉の痛みも緩和したため、もう家族で一緒に寝てもいいよねなんてナースステーションで看護師と話していたら、「ヨシミさん、今のヨシミさんの身体の状態の患者さんが今夜家族と寝ていいですかって質問されたら何て答える?」「え、うーん。もう一晩様子見て下さいって言うかも」「ほらね。だからダメよ。今夜も一人で寝なきゃ」「ムムムー……」と、看護師には言い負かされてしまったが、これは俺の家庭の話だ。俺の家庭のことは俺が決める。今夜は俺と一緒に寝てくれや。見てくれも才能も全部ひっくるめてと、妻に同じ布団での就寝を打診したら、「あなた患者さんには何て言うの?」「え、うーん。もう一晩様子見て下さいって言うかも」「ほらね。ばいばい」と、寝室を追い出されてしもうた。完敗した! 今日は気持ちいいくらいに全員に完敗した!
 
2010年04月13日(火)  その時一人の亭主が翔んだ。
 
本日は熱発のまま出勤。しかしまともに思考することができずスタッフの優しい帰れコールを背に午後より早退。薬を飲み泥のように眠る。
 
20時に覚醒し、なんだか身体が軽くなったと復調の予兆を感じ取った私は気分が良くなり「かもめぇ〜がとんだぁ〜」と、渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』を熱唱していたら妻が「その歌つわりにさわるからやめて」と僕の熱唱をシャットアウト。
 
つわりにさわるなんて言葉聞いたことがない。グーグルで検索しても1件もヒットしない完全に唯一無二の妻オリジナルの感覚だ。よって言い掛かりだ。気分良く歌っていたのにひどいと思いますので心行くまで熱唱しようと思います。と、妻に宣言すると全くの無反応だったため、なまじ口答えするより無反応の方が恐ろしいので枕に顔をうずめて残りの歌詞を熱唱した。
 
ちなみに妻の「つわりにさわる」曲は、仲間由紀恵withダウンローズ『恋のダウンロード』以来4年振り2度目。
 
2010年04月12日(月)  ひゃあ。
 
本日は新人研修でカウンセリング講座の講師をしていたのだが、今日はちょっとゴメンさないね。どうも喉が痛くて。お茶飲みながら講義しますけど勘弁して下さいね。と、約2時間の講義にペットボトル3本のお茶を飲み、お前どんだけ喉痛いんだという新人の視線を浴びながら、講義中に得体の知れない腰痛を感じており、そのうち悪寒戦慄が始まり、これはちょっとヤバイなと講義後にナースステーションに戻り体温を計ってみたら38度まで上昇しており、ちょっとこれ見て。熱が38度あるんですけどと、看護師達に体温計を見せると「ひゃあ」と、私の元から蜘蛛の子を散らすように去っていく。医療感染予防の観点から、感染源からまず遠ざかり、対策を講じることはとてもいいことである。もう帰る。と、早退したかったが、22時までの勤務だったため早退できず解熱鎮痛剤で自らの身体を騙しながら職務を全う。夜勤の看護師に、今こんだけ熱があるんですけどと、38.4度まで上昇した体温計を見せると「ひゃあ」とやはり逃げていく。生きるというのは孤独との戦いでもあるってカウンセリング講座で教えること忘れてた。
 
2010年04月11日(日)  うるさいうるさーい。
 
「ヨシミさんのタイプってどんな人?」と訊ねられたら迷わず「妻」と答えるほど妻は綺麗な人であるが、そんな妻。最近また清艶さが増しており、食事中やテレビを見ている妻の顔をそっと見て、「この人は綺麗な人だなァ」と、結婚4年目になるというのになんともキモい亭主だが、妊娠中は女性ホルモンのせいで更に綺麗になるということを聞いたことがあるようなないような。兎に角なんだか最近すごく綺麗なのであり、これはもしや数ヶ月前に購入した数万円の超音波美顔器のせいかしらと思い訊ねてみたら「うるさいうるさーい」とひどく焦りながら怒り出したのでこれは一体どういうことだろうと思索しておりましたら、超音波美顔器は、本体自体は格安で購入できるのだが1ヶ月に1度、強制的に数千円のジェルが郵送されてくるのであって、毎日定期的に美顔器を使用していたら毎月いい感じにジェルがなくなるのであるが、定期的に使用していないものだからジェルはいくつも溜まっていく。そうか、洗面所の棚に積み重ねてあるあの小さなダンボールは美顔器のジェルが入っているのですかと妻に訊ねると「うるさいうるさーい」と、話を変えようとそういえば今日職場でね「うるさいうるさーい」と、以後全く話をしてくれなくなりました。
 
2010年04月10日(土)  漂流家族。
 
天気が良いので家族でお花見。大きな湖がある公園で夫婦でノンアルコールビールを飲みながら御ハナが走り回る姿を眺め愛でる。「あのボートに乗ろう」とパパ。ろくにボートを漕いだこともないくせに意気揚々と妻と御ハナを引率し350円を支払いボートに乗り込み、「こうやってね、ギッコン、バッタンって漕ぐんだよ」と、御ハナにボートの漕ぎ方を実演する父親らしさに春の強風が勝り軽く漂流。
 
湖の端の暗い密林に引き込まれ、更に湖の底から生えるツル植物にオールがからみ、思うように漕ぐことができず、しかし妻と御ハナを心配させないように困った笑顔を浮かべながら軽くトラウマ体験。こんな公園の湖で別に知りたくもない自然の驚異を思い知らされるとは。今思い出してもぞっとする。
 
妻はぎこちなくオールを漕ぐ僕に「ねぇ、大丈夫なの?」と、僕以上に困った笑顔で明るく振舞おうとし、御ハナは両親の困った笑顔の奥に潜む得体の知れない危機感を感じ取り、さっきまで上機嫌に吹いていたシャボン玉の容器を握り締めている。こんなことならあの足で漕ぐスワンボートにすりゃあよかったなァなんて後悔しても密林に引きずり込まれるばかりで事態は快方に向かわぬ。
 
全力で数センチ単位ずつボートの方向転換を試み、30分のボート使用時間の半分を掛けて密林より脱出。今度は上手い具合に春の強風に乗り、湖の真ん中の噴水近くまで漕ぐことができたが、今度は湖の真ん中の噴水がドバイの巨大噴水なみに水が噴き上げられ、家族3人大被害を被る。昼間のパパも休みのパパもちっとも違わぬ間抜け振り。
 
2010年04月09日(金)  嬉々悶々。
 
携帯買い替える金がねぇと嘆いているくせに本日PSPを購入。購入に関してかなり逡巡したが、買うか買わまいか、どうしてよいかわからぬ時はアルコールを摂取すれば一気に解決するのであって、要するにビールを2・3杯飲むと、神経系の活動が抑制されて、脳の高次機能としての抑制機能が失われて、状況に対する反応としての衝動や感情を抑えることが不能となる「脱抑制」という状況に陥って、容易に迷いを断つことができ、妻と御ハナと焼肉屋でビールを飲みながらいい感じになってきたところで、「俺は、PSPを買うよ。おお。買ってやるよ」と奮然と宣言し、帰り道に一人家電量販店に寄り、「PSPのブラックください」と宣言し、ブラックは在庫切れですと言われたので、俺はどうしてもブラックが欲しかったのだけど、脱抑制の状態で家電量販店に来る機会はそうそうないので、この好機を逃すと再び気の優しい家族思いのパパに戻ってしまう。畜生。俺は数年前まで結婚とは無縁のゲームオタクだったはずだ。金も仕事も顧みずにゲームばかりやっておったはずだ。だが時は経ち今じゃ雑誌のカヴァー。PSPの箱を持ってアンパンマンの玩具コーナーを通る時にふと立ち止まり、PSPの値段でアンパンマンの結構程度の良いおっきい玩具を5つくらい買えると、御ハナの笑顔を思い浮かべ愕然とし自己嫌悪に陥っている。ダメだ。娘の笑顔で脳の高次機能としての抑制機能がフル回転しとる。あとビール1杯飲んどけばもっと脱抑制できたのに! 俺はどうしたらいいんだ! と、頭から湯気を発しながら滝のような涙を流してPSPのシルバーを購入。自宅に帰り「パパおかえりー!」と、玄関に走ってきた御ハナを抱き締め虚脱昏睡。
 
2010年04月08日(木)  花電話。
 
もしもーし。
「はーい。ハナですよー。ハナねー、いまねー、アンパンマン見てるのー」
 
アンパンマン見てんのかー。パパ今から帰るからねー。
「はーい。ハナ待ってるからねー」
 
今日ごはんなに?
「ごはん? ママー! 今日ゴハンなにー!? ……。シチューだって」
 
シチューか。じゃあいっぱい食べようねー。
「ハナねー。おっっきい口して食べるからねー。パパごはんのときハナの横に座っていいよ」
 
ありがと。帰りに何か買ってくるものある?
「ママー! 帰り買ってくるものあるー!? ……。アンパンマンのクッキーだって」
 
絶対ママ言ってないでしょ。じゃあ今から帰るからね。バイバーイ。
「バイバーイ!」
 
と、最近御ハナとの会話だけで電話が成立するようになった。これは結構すごいことだよね。と、夕食時に妻と話していたら、「ごはんの時はお話しちゃダメなんだよ!」と、御ハナに怒られて「ハイハイ」と、まるで妻が二人いるようだ。
 
2010年04月07日(水)  ピン子もビックリ。
 
twitterを初めて1ヶ月経って自信を持って言えることは、イマイチ楽しさのツボに入らないという感覚。しかしこれだけユーザーがいるんだから俺だけ楽しくないというのは何だかおかしい。みんな何か隠している。俺だけ知らない何かがあるという被害妄想的感覚。携帯から呟いている人が多いので、外出先で感じたことを呟くと、うお、ちょー楽しー! と、ハマるかもしれんが糞ったれだと思うんですよねフルサポートコースってやつ。
 
数十ヶ月単位で定期的に襲われる携帯買い替えたくてしょうがない症候群を発症しまして先日携帯ショップに機種変更に行きましたら、auだとフルサポートコースだのシンプルコースだの結局どっち選んだって数万円掛かってしまうとんでもない時代になってしまいましたけど、ショップの店員の質は千古不易。ちっとも変わらず馴れ馴れしい。
 
「これ僕の友達も使ってるんス」と、テメェ先週死ぬる思いで終わらせたマナー講習の講師に向かって言える台詞かと咆哮搏撃したい気持ちを抑え、昼でも夜でも関係ないガンガン話ししてもタダらしいが俺の小遣いじゃ一生機種変できないと確信しましたとtwitterで呟きました。
 
2010年04月06日(火)  我こそはウェットティッシュマン。
 
僕はやたらウェットティッシュを買ってくる。食事中、御ハナの口の周りが汚れたらウェットティッシュで拭き取る。ちょっと手が汚れたらウェットティッシュで拭き取る。洋服にソースなどがついたらウェットティッシュでパンパン叩く。
 
「あなた何? ウェットティッシュマン?」と、妻は何のひねりもないことを言うが、そう。我こそはウェットティッシュマン。小さな家庭の富の象徴。
 
僕の中で、ウェットティッシュという存在は富の象徴なのである。幼少の頃、ウェットティッシュが常備されてある家庭で育たなかった僕は、ウェットティッシュが置いてある友達の家に行くたびに、すげえなウェットティッシュ。最初っから濡れてるんだぜ。だいたいウェットティッシュを使用しなければならない対象は普通のティッシュで代用できるはずなのに、わざわざウェットティッシュを買うなんてどんだけ余裕がある家庭なんだと思い続けていた。

そして大人になって家庭を持ち、俺は小遣い制であまり余裕がないけれど、家庭全体として考えるとまぁまぁ余裕があるいわゆる中流家庭として維持できている。中流家庭として持たなければならないのはある種の余裕だ。よってウェットティッシュだ。ウェットティッシュだ。2度言っちまったが何度でも言ってやる。ウェットティッシュだ。俺は大人になってウェットティッシュを部屋に常備させる家庭を築くことに成功した。
 
タイムマシンに乗って幼少の俺に伝えてやりたい。大人のお前の家にはウェットティッシュが置いてあるぜ。水分だけじゃなくて微量のアルコールも入っている程度のいいやつだ。しかも聞いて驚くんじゃねぇ。ス ト ッ ク ま で 置 い て あ る !
 
幼少の俺は大人の俺を見上げて呟くだろう。「あなた何? ウェットティッシュマン?」そう。我こそはウェットティッシュマン。小さな家庭の富の象徴。
 
2010年04月05日(月)  モークタクター。
 
僕は毎日午前10時前に家を出るというゆとり出勤なのだが、ここ数日、仕事上の都合で午前7時半に家を出る日が続いていて、朝から妻に負担を掛けるわけにはいかないので、自分の準備と御ハナの保育園の準備に大忙し。
 
起床してすぐ御ハナをテーブルに座らせて、僕が着替えを始める間に妻が御ハナの朝食を準備して、僕の着替えが終わった頃に妻が化粧を始め、御ハナ、スープも飲みなさい。バナナはあーとーで。リュックサックにおしぼりタオルと手拭きタオル2枚ずつ、着替え一式に汚れた衣類を入れるビニール袋を入れて、テレビばっかり見てるから消すね。ダーメェー! だったらパンも食べなさい。と言っている間に妻の化粧が終わり、僕は髭剃りと洗顔。妻は更衣を始め、今日も遅いの? 早く終わるように頑張ります。いっつもそう言ってんじゃんと、朝から小言を言われつつ、歯磨きをくわえてトイレに行って用を足し、ハァハァ……7時……20分……やべぇ。御ハナ、バナナ食べて行くよー。オシッコー! はいはい。トイレ行くよー。パパ抱っこシテー。抱っこしなくてもトイレ座れるでしょ。でも御ハナのこと大好きだから抱っこします。……。オシッコデター! よーし靴下履いて出発だー! ママ行ってきまーす! ママもお仕事頑張ってねー!
 
と、7時半に家を出て、目と鼻の先の保育園に7時40分頃到着して甘え続ける御ハナを全力で預けて自転車全力疾走して8時ギリギリに職場に到着して、仕事が始まったばかりなのに既に虫の息。
 
「っていう生活を世の中のママ達は毎日続けるのよー」と、妻は風呂上りにお腹のマッサージをされながら得意気に話す。確かにこの生活をほぼ毎日繰り返している世の中のママ達はある意味アスリートである。僕なんてこの生活が3日続いただけでクタクタである。日記の文章もほら、なんだか張りがないでしょ。
 
2010年04月04日(日)  テッテレー!
 
先日、御ハナと二人で行ったフリーマッケットで100円で購入した1冊の絵本「新ウォーリーハリウッドへいく」いわゆる昔懐かしウォーリーを探せである。
 
これがなかなか難易度が高く、1990年の大ブームから20年経った今も、その楽しさは色あせることなく就寝前の布団の上に舞い降りる。
 
御ハナを真ん中に川の字になって横になり、「御ハナ、ウォーリーどこかな?」「オーリー?」「違う、ウォーリー」「ゴーリー!」と、御ハナはウォーリーを探す前に正確な発音方法を探すのに必死で、そういう間に妻はいつの間にか必死に探し始めており、僕が探し当てたりすると、「そんなところで顔しか出してないなんて反則だわ。顔しか出してないなんて反則。普通顔だけじゃなくて全身出すでしょ」
 
と、プライド剥き出しで反論するので次のページでは必死に探す振りして探し当ててもわかんない振りしようと、夫の優しさを画策して次のページに臨むと、「テッテレー!(ドッキリ大成功の効果音。僕がウォーリーを探し当てて指差しながらこの効果音を多用する)」と、御ハナが天才的な嗅覚でウォーリーを一瞬で探し当てたりするのでママはとっても悔しそう。
 
2010年04月03日(土)  憎らしいほど花婚式。
 
今日は結婚記念日。正確には4年前に婚約届を出した日。結婚式は7月なので7月を結婚記念日とするか、今日を結婚記念日とするか非常に迷うところだが、妻にしてみれば「どっちでもいいんじゃない?」とドライ&ビューティー。
 
結婚4周年は「花が咲き、実がなるように」という意味を込めて花婚式というらしく、さしずめ我が家も「娘のハナが咲き、お腹の中に実がなっている」というタイミング的にもマッチしているため、これは盛大なお祝いをしなければならぬと僕だけ張り切っても、妻はつわりによって体調が左右され、しかもその瞬間で食べたい物、食べれる物が変化するので、夕食の時間ギリギリになって「今何食べたい?」と顔色を伺うと、「ハンバーグ食べたい」と仰るので、近所のステーキ屋に行ってハンバーグとステーキを注文。
 
妻と御ハナと3人でおいしいねおいしいねと確かめ合いながら慎ましく花婚式の夜を過ごしたのでした。
 
でもね、結婚記念日の花婚式とか金婚式とかいうのは結婚式からの経過年数によって名称が決められているんだって。だから本当の結婚記念日は7月にもっかいすることになるんだよ。
 
「どっちでもいいわよ。私は今こうやって幸せなんだから」
 
憎らしいほどドライ&ビューティー。
 
2010年04月02日(金)  みんな嫌いでみんな好き。
 
私は人を評価することができない。なぜならばその人の長所しか見つけ出すことができないから。
 
評価とは、事物や人物の善悪・美醜などの価値を判断して決めることだが、私はあらゆる人の善と美しか見ることができない。これは看護師という職業上、症状や障害よりも残された機能をどう生かせるか考えることにおいて非常に重要な観点で、実際に臨床現場でもこの視点は有益に作用しているのだが、長所しか見えないという根本理由は全くの別問題で、要するに私は人が嫌いなのである。
 
私は人が嫌いだ。これは紛れもない事実である。理由はわからない。しかし私の中では人が嫌いという決定的な事実が存在する。これからもこの事実はきっと揺らぐことはないだろう。
 
この「人嫌い」という救いようのない確固たる事実を基に人生を送らなければならぬ時、会う者全てを嫌っていては生活に支障をきたすことは明白で、生きていくためにはこの欠点を克服し、社会に適応していかねばならない。
 
私は会う者全て、皆一様に嫌悪している。そうすると常に潜在しているこの巨大な揺るぎなき嫌悪によって、微小な憎悪が全く見えなくなるのだ。
 
真っ黒に塗りつぶされた巨大なキャンバスに、茶色やグレーは目立つことはなく、白色や金色だけが、やけに映えて見えるのである。
 
根本的に人が嫌いだから、皆一様に大好きなのである。常に漆黒の闇に包まれている私の視点からは、白色や金色しか認めることができない。その結果として人の長所しか見つけることができず、全ての人を本当に好きになることができるのである。
 
皆、人が好きだから、自らのキャンバスが穢れることを畏れる。
 
私はキャンバスが穢れているから、綺麗な色を意識することができる。
 
みんな嫌いでみんな好き。他人から嫌われない理由はここにある。
 
2010年04月01日(木)  ザック背負って。
 
これまでは妻手作りの大きな保育園バッグに着替えや手拭きタオル、おしぼりや連絡帳などを入れて僕が持って通園していたのだが、御ハナが本日を持って保育園を進級し、成長に伴い荷物が少なくなるため、保育園バッグからリュックサックに変わり、自分で抱えて通園することになり愛くるしいたらありゃしない。
 
御ハナはリュックサックを何度教えてもリュックバッグと言うので、この子は本当に頭が良い子だ。なぜならばリュックサックとはドイツ語の「Rucksack」から由来する言葉で、発音としては「リュックザック」である。しかし日本人は「リュック」に続く「ザ」が発音しにくいから「リュックサック」と呼ばれるようになったのである。
 
御ハナももちろん日本人だが、ただ言いにくいという理由だけで「ザ」を「サ」に変えて安閑と暮らす我々大多数の日本人とは異なり、「リュック」の後に来る濁音の壁を乗り越えて「バ」と発音することに成功。今や流暢に「リュックバック、リュックバック」とはしゃいでいるといった言い掛かりともいえる溺愛振りのパパ。「エレベーター」を何度教えても「エベレーター」と仰るので、御ハナの発音を矯正するより、世の中にはびこる「エレベーター」という無粋かつ無骨な名称を「エベレーター」というノーブルかつエレガントな発音に変えた方がいいのではないでしょうか。
 

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