2010年03月31日(水)  続・大事じゃないこと2度言って。
 
妻は雑談でさえ聞き返すと「もういい」と跳ね除けて、それはすごく不行儀であると私は珍しく立腹しましたという先日の日記でも書いたことを職場でも申しましたら「それわかります」と看護師さん達が同情したのでそうでしょそうでしょと共感の輪を作ろうとしたところ、「ヨシミさんが聞き返してくると答える気がなくなるんですよね」と、概ね妻の思いに共鳴していたのであって二重にショックを受ける。「ヨシミさんは基本的に人の話を全然聞いてないんですよね」「話を右から左に流すどころかそもそも右耳にすら入っていないんです」「部下の心からの叫びを音としてだけでも認識してくれたら幸いです」と、更なる衝撃を与えようとするのでもうやめて。もう僕を責めないで。
 
2010年03月30日(火)  私が変わればマナーも変わる。
 
毎日不行儀な日記を書いているが、実はマナーには結構うるさい。今年の新人研修で3日間に渡りマナー講習の講義を行うのだが、マナーなんてのは明るい表情でも声の大きさでも挨拶の角度でもない。
 
そんな参考書に書いてあるようなものは、事前に勉強してくれば済むことで、大事なことは相手が今、何を望んでいるかを素早く察する能力を伸ばすことで、マナーは問題ないけどナンダカナというようなタイプの人は、この能力が調練されていないからで、要するに自分に我侭になればいいのである。
 
僕は本当に自分に我侭な人間である。非常に利己的である。自分の利益だけを追求しようとするから、こういう時にこうやってもらえたら嬉しいな。こんな時にこんなこと言われたら元気出るよななんてことを終始考えている。しかしそんな時にそんな言葉を掛けてもらえることは本当に少ない。都会なのか何なのかわからぬが皆一様にクールだ。
 
よし、そっちがその気ならこっちにだって考えがある。攻撃は最大の防御だ。幸せになれないなら不幸にならない努力をするぜと、僕がしてもらって嬉しいであろう言葉や仕草をクールな人達に提供すればアラフシギ。そのうちあいつはマナーができているなんて副産物的評価を受けることになり、マナー講習の講師までするようになり、相手の気持ちになって考えろって考えは意味のわからぬ屁理屈で、自分の気持ちになって考えればマナーの問題は意外と簡単に片付くのです。
 
2010年03月29日(月)  助かる権利と死ぬる義務。
 
結局まだ食洗機を買いあぐねているんですがね、家電量販店とネットの安いとこの差が3万円ほどあって、じゃあネットで買えばいいじゃんと思うけれども、食洗機は本体価格の他に給水工事が必要で、給水工事に必要な部品代も必要で、そういう必要なものが段階的に発生するともう駄目。面倒臭い。僕は目先の快楽ばかりに惑溺するキリギリスタイプの人間で、うちにある「アリとキリギリス」の絵本は、冬支度をしなかったキリギリスが凍死寸前でアリの家を訪れ、「これからはちゃんと冬支度をしましょうね」と一寸説教をくらった後、ちゃんと食べ物を恵んでもらっているので、これはこれでよいのではないでしょうか。
 
2010年03月28日(日)  大事じゃないこと2度言って。
 
「大事なことは2度言わない」というのは、1度目でしっかりと集中して理解するようにという意味で使われるのだが、妻は雑談でも2度言わないので困っている。何か呟いて、え? と訊ねると、「もういい」と跳ね除けてしまうのだ。一方的なコミュニケーションの断絶。アナウンスの排辞。インフォメーションの一蹴である。パブリック・リレーションズの門前払いである。
 
いくら夫婦といえどもこれは不行儀なコミュニケーションのような気がするので、今夜は「もういい」と言われてから一切話す気がしなくなって夕食時も無言、入浴時も寡黙、お腹のマッサージの時も静寂、おやすみの挨拶すらせず粛然と部屋を出て現在に至る。明日は早いので歯磨きして僕も寝る。ちゃんと妻を抱き締めて寝る。
 
2010年03月27日(土)  うまずたゆまず。
 
先刻、妻から聞いたのだが、あと数ヶ月で家のローンが完済されるらしい。既に完済までの金額は口座に確保されているらしく実質上完済らしい。
 
お金のことは全て妻が算段しているのでローンの存在すら忘れていたが、これは大変喜ばしいことである。ということは、これまでローンを払っていた分だけ今後は家計にプラスになるということである。
 
というわけで浮いたお金でPSP欲しいな。なんて妻に打診しても決まって黙殺というメソッドで排斥されるのであって、こういう甘えた要望に「うーん。たまにはいいわよ」と、温かい笑顔で快諾する甘さがあるんだったらこんな短期間で家のローンなんて完遂できないのであって、金銭に関しては徹底的なまでにストイックなその妻の姿勢が、この家庭を支えているのである。
 
しかし家のローンといっても、その家は、僕が借家に独り暮らしをしていた母のため、数年前に鹿児島で買った中古一戸建で、僕の家であって僕の家ではない。しかし大きな親孝行をしたことに変わりはない。これからもいろんな不平不満に不服愚痴、異存苦情に言い掛かり、たわごとぼやきに恨み言に耐えながら頑張って闇雲に倦まず撓まず働いて銭コア貯めて東京でベコ飼いたい。
 
2010年03月26日(金)  チョコの中で。
 
世界で一番美味しい不二家の一口大の粒チョコでミルクチョコレートに風味付けされたデザート風クリームが入っているチョコレートで何が好きって訊ねられたら僕は迷わずこう答えるね。LOOKチョコレートだって。
 
2010年03月25日(木)  今年で10周年。
 
2000年6月からウェブサイトで日記を書き始めて今年で10年経つ。ということは歪み冷奴も10周年ということになる。
 
10年も日記を書き続けている! こんな飽きっぽい僕がなぜ10年も日記を書き続けることができるのだろう。といってもうち3年(2007年3月から約3年間)はほとんど書いてはおらず、毎日書いているのは実質7年になるのだが、あの失われた3年はほんともうしょうがない。人生でもうこれ以上の忙しさはないってくらい忙しい思いをして、並行して育児も頑張って、もうゲームとか小説とか、そういう娯楽は就寝前の数十分で無理矢理楽しんでいたような3年間。
 
今年の1月から、3年前までの毎日書くスタイルを再開させたのは、幾分か心の余裕ができてきたからで、実はその3年が、僕自身が成長したすごく大切な期間だったのに日記に残せなかったことがちょっと悔しい。
 
この10年で5回引っ越して2回職場を変わり、5〜6人の彼女が登場したのち結婚して子供が出来た。別に激動ではないけれど、時々昔の日記を読み返してみると、つい先日のように様々な風景が甦ってくる。
 
あと10年も経ったら、御ハナもこの日記を読むことができるだろう。若き日のパパをどのように評価するんだろう。日記を読み続けている妻の評価は、「あなたは昔っからこんなことばっかりやって女の子を操作してきたのね」と悶々としながら怒りに震えているのでちょっと怖い。きっと御ハナも同じ反応をするんだろうね。僕たちの子供なんだから。
 
2010年03月24日(水)  川。

 
これが一般的なスタイル。うち二本が重なって
 

 
になって、ゴソゴソ音がすると
 

 
に戻って、規則的な呼吸を確認し再び
 

 
になったりすると危ないので
 

 
に戻って愛を囁いて、再び
 

 
に戻ったつもりが全員寝相が悪くて
 

 
になってたりして、そんな
 

 
から始まる夜に、二本が重なり
 

 
になる夜を繰り返し、四本の線になることになってから再び
 

 
のまま朝を迎え、十月十日経ったのち、妻は二児の
 
ハハ
 
になる。僕らはきっと
 
ハハ
 
で寝る。三人目欲しけりゃ二本が重なり、夜中にそっと
 

 
となる。
 
2010年03月23日(火)  世紀の大発見!!(本当に)
 
職場のトイレはセンサー内蔵で、人の気配が消えたら自動洗浄されるのだが、僕が小便に立つと、小便の最中だというのに自動洗浄が作動し、ちょっ、まだ出てるってと焦ってしまい、結局小便が終わりもう一度流すことになるという非常に反エコな行為を強いられていて毎日辛い。
 
他のスタッフに、小便の最中に自動洗浄されて困るよねと同意を求めたところ、皆問題なく小便を完遂し洗浄しているとのことでどうして俺だけ小便の最中に自動洗浄されるんだと終日勘案したところ、女性はわからないが、男性は小便の最中や後にブルブルッと身体が震える生理現象があって、現代の生理学でもこの身震いの理由ははっきりと究明されていないといわれている。
 
ということは科学で証明できない現象のはずで、まあ僕はこれできっとノーベル生理学賞を獲るんだろうけど、小便で身震いしている刹那、魂が身体から抜けてしまうのではないだろうか! 魂が抜けた身体はもはやただの肉塊! 自動洗浄は対人センサーであるため、対肉塊は感知されず、便器の前に人がいなくなったものだと思い込み、結果誤作動を起こすのだ! 世紀の大発見である! それじゃあおやすみなさい。
 
2010年03月22日(月)  ストロベリーハンティング。
 
埼玉へいちご狩り。いちご狩りというのは野菜や果物を結構神経質に洗う傾向にある私が家族イベントという概念に踊り、ハウスで熟したイチゴを制限された時間の中で一心不乱に摘み続け直接食らい続けるというもので、なぜ「いちご狩り」といった暴力的な言葉を使うのかわからぬが、「いちご摘み」となったら時間制限食い放題のストイックさアグレッシブさが感じられなくなるのでいちご狩りでいいのかもしれぬ。
 
御ハナは最近、デジカメのシャッターを押すことができるようになり、「パパとママ撮ってあげるー」と嬉々としてカメラを持つようになった。僕たちのアルバムは、御ハナか、御ハナとママか、御ハナのパパが写る写真しかなかったが、これからは恋人同士の時すら少なかった僕と妻の二人の写真も少しずつ増えていくようで、ちょっと嬉しくなります。
 
懸念していた連休の渋滞にもさほど巻き込まれずスムーズにいちご狩り農園に行くことができ、帰りに大きな公園に寄り、つわりのための易疲労感により、車内で午睡を嗜む妻を置いて御ハナと大きな滑り台で遊んだ後、売店でソフトクリームを食べ、半分残したので食べないのと問うと「ママにあげるの」と、この優しさはきっとパパ譲りだねと頭を撫でると「ゴム取れるからさわんないで!」と、この神経質さもパパ譲りかもしれぬ。
 
2010年03月21日(日)  BBNにNUEモード。
 
先日の三年来の部下の感動の送別会は、お酒が入っているものなので終始感動しているわけではなく、感動していない時は美少女新米看護師を眺めながら、あの子は皆藤愛子と皆藤愛子を足して二乗したような顔をしておるなあとNUEモード(Nose Under is Extended.いわゆる鼻の下を伸ばす。今考えた)に入っていたら、「あんまり見ないでお金の計算しなさい!」と、彼女のプリセプター(新人につく担当指導者)の看護師に怒られたので、BBN(Beautiful beginner nurse.いわゆる美少女新米看護師。今考えた)の顔を眺めていて怒られたのかと思っていたけれど、そういえば私は今回この送別会の幹事であった。
 
だいたい幹事なんてものは上司がするものではなく、部下がすることが一般的なのだが、先週、私の男性部下に幹事をお願いしたところ、「俺、ダメなんです。そんな悲しい会の幹事、ダメなんです」と、一人センチメンタルモードに入っているため使えねぇ。てめぇのセンチメンタルなんざどうでもいいんだよ。そのセンチメンタルと上司が幹事することの苦労、どっちを労わるべきなんだと問い詰めたところ、「……俺、やっぱできねぇっす」と、なかなか引かないため、よーし諦めた。キミのことは諦めた。今度からは楽しい飲み会の幹事もやらせてあげないからねと拗ねると、「そうしてもらえるとありがてぇっす」と、軍配は我が部下に。
 
2010年03月20日(土)  妻と子である。
 
御ハナがソファーに座りながら絵を描いていて、「パパ見てー」と完成した絵を見せにきて上手だねーと褒める前に、ちょっこれ何に書いてんの!? と驚いたのは妻が仕事で使っている黒革の手帳に書いていたからであって、表紙を見ると2010と書いてある。
 
よかった。去年のやつか。今2011年だもんね。と、本気で現在が2011年だと自らを信じ込ませようとするセルフ洗脳に費やす時間は約10秒。妻の入浴中に妻の手帳に御ハナが落書きをしたことで怒られるのが怖いのではなく、妻の手帳に落書きをしていることに気付かなかった僕が怒られるのが怖いのであり、この10秒の間は、いろんなことで都合が悪くなったとしても2011年であって欲しいと本気で思っている時間であって、時は金なりなんて言葉があるけれど、大切なのは時でも金でもなく妻と子である。
  
2010年03月19日(金)  いつもありがとう。
 
「今日も患者さんの病状を良くしていただき、ありがとうございます」
今職場に出てきたばっかだっつうの。
 
「今日も夕食を率先して作っていただき、ありがとうございます」
え? 今日も俺作るの? 率先してって別に俺作るって宣言してないけど。まあ作るけど。
 
「今日も部下の残業をお手伝いいただき、ありがとうございます」
今日残業なの? 自分で蒔いた種なんだから自分で処理しろっての。手伝うけど、ちょっとしか手伝わないからね。
 
「今日も煙草を1日10本と制限してくださり、ありがとうございます」
頼まれて制限してるわけじゃないし、10本って心掛けているわけでもないし、10本程度に抑えようかなって軽く思ってるだけなんですけど。まあ制限しますけど。
 
「今日も会議の議事録をまとめてくださり、ありがとうございます」
今日の会議も俺がまとめるの? 誰でもいいじゃんあんなの。誰でもいいから結局僕がすることになるんだけどね。
 
「いつも当店のトイレをきれいにお使いいただきありがとうございます」
 
コンビニのトイレに貼ってある注意書きは、要するにこういう事を言っているので読むたびにムカつく。
 
2010年03月18日(木)  これでいい。これがいい。
 
彼女は入社して3年目。僕と同期である。決して自己を主張せず、いつも周囲の話を聞いて静かに笑っている。カラオケに誘うと「人前で歌うくらいなら死んだほうがましです」と言い頬を染める。
 
彼女は入社して3年目。僕の同期であり部下である。僕が忘れた仕事を何も言わずにフォローし、散乱したデスクの上を綺麗にしてくれる。圧倒的に僕より仕事ができる。僕は圧倒的に口が達者なので、いかようにも仕事ができる振りができるが、彼女は何も言わずに淡々と確実に業務をこなしていく。
 
彼女は入社して3年目。綺麗な人である。自らの容色に鈍感なのかそれとも仕事上での必要性を感じていないのか、それを決して武器にせず、自らの力だけで仕事をこなす。
 
怒ることなく、落ち込むことなく、いつも静かに笑っている。
 
この決して容易ではないペースをいつも維持している。本気で怒ることも、落ち込むこともあると思う。しかし彼女は今いったい、どのような精神状態なのか。その判断は、人の心を読み取り続けることを生業にしている私でも極めて困難である。
 
この3年間、上司として何もしてやれなかったことを、僕にしては素直な気持ちで謝罪した。これまでの人生で一番忙しかったであろう時期を、忙しいままにさせてしまった。僕は、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。しかし、この狂奔の時期は、もうすぐで山場を過ぎようとしている。これからは少しずつ楽になる。ゆっくりと、ゆったりと、これからもずっと、皆で仕事をしていこう。
 
彼女は、いつもの静かな優しい笑みで首を振った。自らに掲げた目的の達成の為に彼女は再び棘の道を歩き出す。
 
今日は彼女の送別会。いつもの飲み会のように、彼女は僕たちの話を静かに笑って聞いていた。「最後なんだからもうちょっと話しなよ!」酔ったスタッフが彼女の背中を押す。
 
「私は、これでいいんです。これがいいんです」
 
その言葉が彼女の全てである。
 
今まで本当にありがとう。本当にありがとう。
 
2010年03月17日(水)  剣山。
 
自己表現の土台には針のむしろの剣山が据えられているなんてね、誰しもただ闇雲に笑ってるわけじゃない。華道には花を活ける人の人柄が表れると申します。針の量が多いほど、鋭利なほど、そしてその傷が多いほど、揺るぎない美しき花を演出することができるのです。最近の剣山は底部にゴムを使用された物が多く、滑ることもなく花器を傷付けたりもしないというゆとり教育! 傷付くことにすら保険を掛けおる鬼畜の所業! まさに下衆の極み!
 
2010年03月16日(火)  いてほしいときいてくれない。
 
「それじゃあ今日は早あがりなんで帰ります。あとはよろしく」と、颯爽と仕事を上がろうとしたところ、新米美少女看護師が「ヨシミさんはいつもいて欲しい時にいてくれないんですね」と本当に涙目で呟いたのは、新米美少女看護師は、今回とある壁にぶつかっており、失敗したら僕が問題解決に出て行く。しかもそれは確実に解決できるといった失敗前提の土台を作っただけで、要するに臆せずに失敗してみなさいとたまには厳しい親心でもって指導していたのだが、壁にぶち当たろうとする直前で僕が仕事を上がると言ったので失敗したらどうしようという思いが強くなり、涙目になっていつもいて欲しい時にいてくれないと胸がキュンとなる、ジョジョの擬音で表現するとズキュゥゥゥンとなることを言うのでつい手を差し延べてしまいたくなるけれどもいけないいけない。だいたいいつもいてほしいときにいてくれないなんていうけれどいてほしいときにいてくれたらいてほしいときにいるわけでいてほしいときにいてくれないなんていわないわけだからね。
 
2010年03月15日(月)  ノードリンク生ハムフェステバル。
 
とある女子大の卒業パーティに来賓として出席。
 
立食パーティ腰にくる。
 
と、あるある探検隊のようなフレーズを脳内でリフレインしながら笑顔で腰痛と戦う。今すぐにでも座りたいが、座っているのは教授とかなんとか長とかつきそうな偉い人達ばかりだ。だいたい来賓の中では僕が最年少なのではないだろうか。
 
ご歓談の時間になると、卒業生からヨシミさん一緒に写真撮ってくださいと記念撮影ラッシュ。学生は一様にドレスアップしているため、誰が誰だか判別がつかぬ。たがを外すと一気にハーレム状態になりうる状況だが、来賓という偉そうな立場のために、教育者らしい笑顔を浮かべるだけでカメラに向かってピースサインすらできない。何よりも俺は腰が痛い。
 
しかもあの立食パーティというのは、随意に好きな食べ物をチョイスする楽しみもあるのだが、来賓という立場の人間には、卒業生が適当に皿に盛って持ってくるため生ハムが口腔内でただのハムになるくらい生ハムを食う羽目に。
 
しかもトイレに行っている間、ビールのグラスを下げられたため、来賓という立場上、コップを取りに行くという行為も何だか許されない雰囲気で、コップを取ってきてくれませんかと卒業生に依頼するのもメイド扱いしてると思われそうで、ノードリンク生ハムフェステバル。
 
「私、ヨシミさんみたいになりたいです」と、約3名ほどに言われて一気にテンションアップしたところでパーティ終了。腰痛も臨界点を超え、帰りの駅にたどり着けずスタバで休憩。そんな満身創痍のヨシミさん。家に帰って洗濯物を取り込んで。
 
2010年03月14日(日)  これはこれが。
 
日曜日。妻はつわりで青白い顔をしながらダウンしているため、御ハナを自転車に乗せてデート。すごく天気が良くて暖かいのに妻は薄暗い部屋で「モスバーガー……食べられそうな気がする」と、なかなか贅沢な要求をするのが精一杯で不憫である。できる限りのことは支えていきたい。僕は本当に妻のことを愛しているのだから。
 
そして同じくらい愛している娘は元気良く自転車の後ろに乗り、「しゅっぱーつ、チンコッコー!」と、僕が教えた下品な掛け声を発する。そして自転車をこいでいる最中に「何の意味もない! 何の意味もない!」と、やはり僕が教えた小島よしおのギャグを連呼している。
 
ホワイトデーにクッキーだなんてつわりの妻には何の意味もない。ゆっくり身体を休めてほしいので入浴剤のセットと、妊娠初期に赤ちゃんの成長に関わる重要な栄養素である葉散のサプリメントをラッピング。御ハナにはキティちゃんの玩具を購入しモスバーガーへ。
 
「お持ち帰りしますか!」と、突然店員に逆要求をする御ハナに大器の片鱗を感じながらモスバーガーとオニオンリングを購入。家に持って変えると、青白い顔の妻が小動物のようにハンバーガーをボソボソとかじっている。食後にホワイトデーのプレゼントを渡すと、「ありがとね」とプレゼントを腕に抱えたまま再び眠ってしまった。
 
妻は静かにつわりと戦い、御ハナな静かにそれを見つめ、僕は静かに支え続ける。我が家はそんな厳かな静寂が存在する。これは、これがきっと家族だ。
 
2010年03月13日(土)  脳味噌赤風船。
 
携帯を買い換えたいのだけれど、料金体系が全くわからずに購入に踏み込めない。わざと複雑にして俺を嘲笑っているのだろう。白とオレンジのボディコンみたいな服着やがって俺よりきっと頭が良い人達なのだろう。御ハナと一緒に歩いていると高い確率で風船をくれるので立ち止まらざるを得ない。
 
しかしあの風船ってやつは貰ってしばらくは嬉しいものだが、ただ袋の形をしたゴムに空気を入れただけのものなので御ハナは次第に飽きてしまい、「パパ持って」などと言って次の楽しみを探し始める。そうなるとパパは買い物の最中、帰宅の路、玄関のドアを開けるその時まで風船を持ち続けなければならず、ポッケに入れることもバッグに収納することもできず、自転車に乗ると風の影響をモロに受けて顔にボンボンボンボン当たって辛い。
 
これ捨てよっかなんて我が子の顔色を伺いながら訊ねても「ダメ! これハナのだから」なんて言われて、だったら御ハナ持ってよと返しても、「あとでアンパンマンのクッキー食べるの!」と、反論不能な理屈で言いくるめられてしまうため外出している間は半永久的に風船を持ち続けなければならない辛さを携帯ショップの店員は理解しないまま俺に複雑怪奇な料金体系を説明するため脳が沸騰する。
 
2010年03月12日(金)  開けたら最後にしなくては気が済まないので。
 
買い忘れた分のホワイトデーのお返しを購入しに深夜のドンキホーテ。ひどく客のスウェット率が高い。老若男女みなスウェットだ。スウェットにダウンジャケットだ。しかもそれぞれドンキに何を買いにきているか非常に不明確。
 
僕はホワイトデーのお返しを買いにきたという明確な目的がある。しかし目的不明確な人達は楽しそうにバラエティに富んだ商品を手にしているというのに、ドンキホーテにホワイトデーのコーナーなどなく、なまじ目的を持っているものだから道程で迷い立ち尽くす。まるで人生のようだ。
 
毒々しい味がするであろうプリングルスとビールのみ購入し、打ちひしがれた面持ちで深夜の帰宅。ドンキホーテはどうしてあんなに毒々しい味がするであろうプリングルスが充実しているのであろうか。
 
僕はプリングルスの食べる分十数枚をプリングルスの蓋を皿代わりにして食べるスタイル。ポテトチップスでもカールでも種類を問わず途中で食べたくなくなっても開けたら最後you can't stopな性格なので生きてるのが辛い。
 
2010年03月11日(木)  食戦記2。
 
だいたい食器洗い乾燥機なんてものは贅沢品で手荒れがひどければゴム手袋つけて食器洗えばいいじゃないかと、頭の中の天使なのか悪魔なのか、アドバイスなのかクレームなのか分別つかぬものことを囁くためうるせぇ。てめぇは繰り返し使用したゴム手袋の中の腐れた水のような臭いが手に付着することを知らねぇのか。あの臭いは何度も嗅いでしまう種類のくさい臭いで、わかるかなぁ。わかんねぇだろうなぁ。
 
人間にはくさい臭いをくさいとわかっていて「あーくさい。……あーくさい。……あーやっぱくさい」と何度も嗅いでしまう種類の者がいて、僕もどっちかというとそっち側の人間で、暗い暗いと嘆くより進んで灯りをつけましょうよろしく、臭い臭いと嘆くより進んで鼻腔を広げましょうといった変態気質が備わっており、あのゴム手袋の中の臭いはそんな変態気質を絶妙に刺激させる強烈かつマイルドかつ繊細かつワイルドな臭いで、さっきから気になってたんだけど、においもくさいも「臭い」って書くじゃん? くさいにおいなんて書くと臭い臭いになってしまうわけ。歌を歌うみたいにね。だから僕は歌を唄うと書いたりします。よって臭い匂いと書くことにしますね。
 
「デーンデンデンキは、ヤーマダーだな!!」と、女の子がヤケクソ気味に唄う歌が永久ループして終日流れ続ける某家電量販店に行ったが、この歌のせいで頭痛が引き起こされるため30分以上滞在不可能。一目散に食器洗い乾燥機売り場に向かったが値段見て撃沈。
 
2010年03月10日(水)  食戦記。
 
つわりによって身体が動かない日もあり、日常的な家事に大幅な影響が出ているため、僕ができることは全部したほうがいいのだけどできないもの一つ。食器洗いはやりたくない。
 
洗濯物を干すのは好きだけどたたむのは嫌い。食事作るの得意だけど片付けが苦手など、だいたい家事なんてのは相性みたいなものがあるのだが、食事に関しては作るのも片付けるのも不得意なのだ。
 
僕が休みの日や帰りが早い日などは夕食は作ることは作るのだが、僕はこの季節になると手荒れがひどくて、ひび割出血発赤発疹かぶれにびらんと悲惨な状況にあって常に潤いを保っていなければならない。しかし食器洗い用洗剤は僕の掌に残る微々たる潤いをシトラスミントの香りと共に一気に奪い去ってしまうのだ。
 
よって食事を作るのも片付けをするのも、純粋に嫌いなのではなくて、手荒れさえしなければその障壁はぐんと下がるのだ。だからさ、食器洗い器買わない?
 
「うーん。検討しとく」
 
検討しとかない顔で検討しとくと妻に言われたため不安が残るがお金を管理しているのは全て妻だからしょうがない。僕にできるのは商品のリサーチだけなのだ。妻が購入のゴーサインを出した瞬間、円滑に購入できる手筈を整えることが僕のお仕事。荒れた手を手袋で守り、自転車に乗って近所の家電量販店に行ったつづく。
 
2010年03月09日(火)  此瀬戸際に、思案どころか。
 
「ねぇ、ママのお腹の赤ちゃんって男の子? 女の子?」
「えとね、男の子だよ」
「だってさ」
「御ハナが言うんだったら間違いないわ。きっと男の子よ」
 
と、夕食時に3人で赤ちゃんの話をしていた。御ハナは何度訊ねても「男の子だよ」と断言し、言い方がやけに真実味を帯びているので次は男の子のような気がしてやまない。
 
「御ハナのお腹のカンガルーの赤ちゃんは男の子? 女の子?」
「カンガルーの赤ちゃんはねー、ぴょんぴょんってするの」
 
と、椅子に座ったままホッピングを始めたため、ママに「ごはんのときはやめなさい」と制止される。そして御ハナは僕に訊ねる。「パパのお腹には何の赤ちゃんがいるの?」
 
「ニンニクよニンニク。ニンニク」
 
妻が突然ぶっきらぼうに呟き時が止まる。そして僕はゆっくりと食卓に並んでいた桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」の蓋を閉める。
 
このラー油中毒になっている件は過去の日記で書いたのだが、このラー油、フライドガーリックをふんだんに使用しているため、大量に摂取するとものすごく口臭がニンニク臭くなるのだ。
 
そして妻は臭いに敏感なつわりの真っ最中。ニンニクは調味料ではなく、ただの敵と成り果てている。その敵を体内に吸収しエキスを撒き散らす僕はもはやただの敵ではなく、不倶戴天の敵と見なされているのだ。
 
不倶戴天とは読んで字の如く、倶(とも)に天を戴(いただ)か不(ず)という意味で、すなわち供にこの世に生きてはいない。生きてはいけないということである。よって今の妻はニンニクとの共生は不可能。
 
それはすなわちニンニクを摂取し続ける僕との共生も考えていかなければいけないということですなわちピンチ。すなわち危急存亡の秋を迎えてしまうということで、「危急存亡の秋(とき)」とは存続するか滅亡するの分岐点を意味する言葉で詳しい由来は知らない。知らないけれどニンニクを絶たなければヤバイことに変わりはない。此瀬戸際に思案どころか。
 
2010年03月08日(月)  幸福の果実。
 
仕事が終わり家に電話を掛け、御ハナに何か買ってくるものある? と訊ねると「リンゴとミカン!」と叫んでいたので、リンゴとミカンを買って帰ろうと近所の八百屋へ。
 
近所の八百屋。多分創業50周年くらいの老舗の八百屋。看板はなく店内はもうボロボロで置いている野菜や果物も十種類程度で商売する気が微塵も感じられないが、野菜や果物の質がものすごく良くて値段も安い。しかし大きな欠点がある。
 
「すいませーん」と、約10回唱えないと店のお婆さんが出てこないのである。約10回唱えたところで店の奥の扉がゆっくりと開き、腰がほぼ直角に曲がったお婆さんがお釣りに渡す小銭が入ったザルを持って「ごめんなさいねー」と登場するのである。
 
レジなどはない。ダンボールの上にそろばんが置いてあるので、そろばんの近くに御ハナから頼まれたリンゴとミカンをなんとなく置いて「これください」と僕が言う。そしてお婆さんが訊ねる。「いくらかね?」
 
僕は再びリンゴとミカンが陳列してある場所に行って値段を確かめる。リンゴ2個150円。ミカン1袋230円。合わせて「380円です」と言って千円札を渡すと再び訊ねられる。「いくらかね?」
 
1000円から380円を引いて「620円です」と僕が言うと、小銭が入ったザルから620円をかき集めてお婆さんは僕に渡す。
 
この店で果物を買っていつも心から良かったと安心するのは、無事に果物が買えたわけでも質が良いというわけでもなく、僕が極悪人ではなかったということで、客に商品の合計額ならびにお釣りの額を訊ね、それをそっくりそのまま鵜呑みにしてしまう店主なんて心配でしょうがない。僕はいつも商品の額を100円も200円も安い額を提示することができるし、1万円渡してお釣りが「9980円です」なんて言うことも可能なわけである。
 
しかし看板もなく陳列棚もダンボールでレジすらなく、いくつかの豆電球で灯されたボロボロの店内に小銭入りのザルを持ち、直角に腰が曲がったお婆さん一人がやっている店に悪人なんて寄りつかないのだと思う。あの八百屋には、そういったものを寄せ付けない不思議な空気が漂っている気がするのだ。
 
家に帰って夕食後にリンゴの皮を剥く。「パパ、リンゴどこで買ったのー?」御ハナが訊ねる。「魔法使いのお婆さんがくれたリンゴだよー」と低い声で言うとキャッキャキャッキャ笑いながら美味しそうに食べている。あの八百屋は、もう何十年も、こうやって幸福の果実を売っているのかもしれない。
 
2010年03月07日(日)  世界はとっても広いから。
 
先月収録に行った「おかあさんといっしょ」の放映日。よく画面に映るポイントは、歌のコーナーではセンターに座る。体操のコーナーでは真ん中で動く。フィナーレの歌では中心で踊ると、中央を確保してナンボなのだが、3歳児にそんな要求しても理解できるわけがなく、歌のコーナーでは歌を歌わずに振り付けだけ行う体操のお兄さんの横、SPEEDでいう新垣仁絵的ポジションを確保した為、そんなにカメラが寄らずに終了。
 
体操のコーナーでは自宅での度重なるリハーサルが功を奏し、忠実に動けているにも関わらず、一番後ろで正確に踊っているためイマイチ目立たず。しかしチャンスはまだある。体操の終盤で「さあみんな、走るよー」という歌のお兄さんの合図とともに、時計回りに幼児が走り出す場面があり、これによって幼児達のポジションが強制的に変えられるので運が良ければセンターで止まるかもしれぬ。センターで止まればそのままフィナーレ「あしたてんきになぁれ」が始まるのでいわば最後のチャンス。
 
御ハナ、センターで止まれーという願いも虚しく、そもそも収録現場を見ているためセンターで止まらないのはわかっていたが、御ハナが止まったのは画面の一番右端。しかし数秒間だけアップ。おおなんと正確かつ華麗な動き。トリプルアクセル……ダブルループ! よし! 完璧なコンビネーション! と、金メダル級の演技を魅せ、ショートプログラム「ぱわわぷ体操」が終了し、フィナーレ曲「あしたてんきになぁれ」が流れる頃には涙でブラウン管が見えぬ。我が家は薄型テレビのためブラウン管ではなく、液晶画面なので、御ハナが「ハナがうつってるー!」とお菓子を食った手で画面を指差すと、いつまでも御ハナの指紋が残っていてそれもまた物より思い出。
 
2010年03月06日(土)  増えろ皮下脂肪。引き裂け皮下組織。そしてカンガルー。
 
さあ妊娠線予防対策の時期がやって参りました。妊娠線というのはお腹がおっきくなって皮膚がひっぱられてそんで産んだ後に線が残るという、ひどく不親切な説明になってしまったが、まあ多分そんな感じでできる一生残ってしまう線であって、予防できるものなら全力で予防したい。だからアナタ手伝ってと、とどのつまり全力で予防しているのは僕であって、御ハナを妊娠した時も毎晩風呂上がりにマッサージを欠かさなかったので、今も妻のお腹は20代のような艶と張りを意地している。
 
マッサージは妊娠3〜4ヶ月頃から始めるらしいが、妻はまだ妊娠1ヶ月過ぎたばかりで赤ん坊っつったってエコーで胎のう(赤ん坊が入っている袋)が確認できる程度でお腹だってまだ出ていない。よって先週から始めているマッサージは、皮膚に柔軟さを与えることが重要な妊娠線予防対策ではなく、僕にマッサージの習慣をつけさせるための対策なのである。妻はそういうところがかなり賢い。
 
さあお腹のマッサージの時間ですよーと、風呂上りに寝室で妊娠線予防クリーム片手に妻を待っていると、御ハナが駆け寄ってきて恥ずかしそうに呟いた。
 
「ハナね……おなかにね……カンガルーの赤ちゃんいるの……」
 
妊娠を告げることがちょっぴり恥ずかしいことっていうのは本能にインプットされているのであろうか。カンガルーの赤ん坊を身篭っているということをこれほどまで恥ずかしそうに呟くとは。要するに御ハナは妻同様、お腹に特別なクリームを塗ってマッサージしてもらいたいのであって、妻の化粧に憧れて口紅塗って喜ぶパターンと一緒なのである。
 
しかし「ハナもぬってー」とだけ言っても、「ママはお腹に赤ちゃんいるから塗ってるんだよ」と諭されてしまうため、御ハナはだったら私もお腹に赤ちゃんがいたら塗ってもらえるんだという、生命の神秘のカラクリも知らぬまま、風呂上りにパパからお腹をマッサージしてもらいたいがために、カンガルーの赤ちゃんを身篭ってしまった。
 
こうして毎晩二人のお腹をマッサージする日が始まったのであった。
 
2010年03月05日(金)  そして狂気は、もう一つの世界へ。
 
これまでプレイしてきたゲームで一番の名作はPS2のドラッグオンドラグーンであって、2作目まで出たけれどその後続編がなく寂しい思いをしていたが、このたび正当続編ではないが、スクエニと開発がキャビアという、久々のタッグで発売されるPS3のニーアレプリカントに期待せざるを得ない。
 
あの狂気に満ちた世界観が醸し出す重厚さとどす黒さ、そして救いようのないストーリー。決して1級品になれない、なることすら望んでいないとも思わせるユーザーに媚びないその姿勢は、世の中に媚び続ける僕の人生と相反しており、それが僕が魅了された要因の一つなのかもしれない。
 
ニーアレプリカントの公式サイトを開くと、Xbox360はニーアゲシュタルト、PS3はニーアレプリカントとタイトルが違う。両方のサイトを見てみるとどうやら主人公が違う。しかしサイトに流れているタイトル曲を聞くと、ドラッグオンドラグーンシリーズの「救いようのなさ」がしっかりと受け継がれているようで興奮してしまう。特にニーアレプリカントの方の曲はiPodに入れて何十回も繰り返し聞きたいほどの名曲である。
 
しかし僕はPS3はおろかiPodすら持っていない。それでも公式サイトを繰り返し見て興奮し続ける。買ってもらえないファミコンソフトの攻略本を穴が開くほど読み続ける幼少の頃と、その行動様式は全く変わっていない。僕はいったいいつまでゲームをし続けるのだろう。
 
2010年03月04日(木)  悠久の風ふたたび。
 
看護師・検査技師・介護士・僕。そんな4人パーティで仕事帰りにカラオケ。「何? その4人そんな仲いいの?」と、他のスタッフが一様に驚くようにこの4人、仕事中は別段繋がりはない。
 
数日前に看護師からカラオケ行きませんかと誘われて、誰行くのと訊ねたら、検査技師と介護士の名前を出して、「何? その3人そんな仲いいの?」と驚いて、共通点がなさすぎる集いも面白そうだと快諾して、こうなったら仕事上別段共通点がない人を誘おうと、意気揚々といろんな人をカラオケに誘ったのだけれど、あまりの共通点がない4人が集まるということに警戒してなかなか人が集まらぬ。まあよい。4人で楽しもうぞと、20代半ばの女性3人に囲まれて、30過ぎの男がカラオケボックスに入って僕除く3人が歌い終わってようやく気付いたのはおおむねアニソンばかり歌いよるということで、看護師などは本格的なアニメ声で、それ系の人であれば安易に死ぬるほど萌え要素満載で、検査技師などもタイトルだけ読んでもさっぱりわからぬ歌ばかり歌いよるのでこれ何の歌? と訊ねると「あ、グレンラガンです」などと言ってることも良くわからぬ。
 
介護士は歌の合間合間に彼氏が欲しいといった話ばかりして、どうやら少し理想が高すぎるきらいがあるので、もう少し目線を落として考えたらどうだいとアドバイスしてやったら、ゆっくり視線を落とし、「あ、ヨシミさんがいた」と馬鹿にしよるので、3人がソフトドリンクを飲む中、一人でビールをガバガバ飲んで知ってる限りのアニソン熱唱4時間。
 
2010年03月03日(水)  持ってないからなの。
 
東京23区内に住んでいるというのに、最寄駅が自転車で15分、コンビニが自転車で10分という劣悪な環境に引っ越して3年経とうとしている。
 
都心に行く時は電車に乗って、郊外に行く時はレンタカーに乗って、意外と自転車で自宅周辺を探索したことがなく、先日御ハナを自転車に乗せて近くの大きな公園まで行った帰りに、この公園の向こう側は何があるんだろうと僕らしからぬ土地への探究心が沸き、遠回りして帰ったところ巨大なゲームショップを発見した。
 
僕は家で家族サービス以外は何をしているかというとテレビゲームをしているのであって、一人で出掛けるとしたら近所の小さなゲームショップ2件。本腰入れて電車で秋葉原といった、僕の人生は家族・仕事・ゲームでしか成されておらず、ゲームショップというのは人生上、かなり大きなポイントを占めており、この地へ引越して3年。このゲームショップの存在を今日まで知らなかったのは大きな痛手。でもゲームの10分の1の値段で壮大なストーリーが体感できる文庫本ってのはスゴイよねと、小遣い制の僕は、店の規模の大小に関わらず今月の残額によってゲームの購入の意志が決定されてしまうため、併設されている古本コーナーで小説2冊買って帰宅。
 
僕の人生は家族・仕事・ゲームで成されているにも関わらずやたら本を読むのはゲームを買うお金をそんな持ってないからなの。
 
2010年03月02日(火)  ビックリ予防対策。
 
『人がいなくても水が流れることがあります(臭いや排水管のつまりを予防するための設備保護洗浄です)』
 
大型ショッピングモールのトイレで小便をしていたところ、小便器の上に上記の注意書きが書かれたシールが貼ってあった。小便が終わり、妻の元へ駆け寄る。
 
「ねぇ、トイレの便器にさ、人がいなくても水が流れることがありますってシール貼ってあったんだけどあれ何対策?」
「は? 何対策って、誰もいないとこで急に水が流れたらビックリする人がいるからでしょ」
「だったらビックリ予防対策? ということはさ、急に水が出ることの何にビックリするわけ?」
「何って、そりゃあ人によってはオバケとか霊の仕業かもしれないって思うんじゃない?」
「ということはさ、オバケなんてないさ対策ってことでしょ。要するにあれは、オバケじゃなくて機械が自動的に水流してるのでビックリしないで下さいっていう注意書きなんでしょ」
「まあ、そういうことになるんじゃない」
 
「変なの。オバケなんてないさ対策なんて、どれだけ過保護な対策なんだ。でもさ、万が一オバケだったらどうすんのって話だよ。気の小さい人はあのシールを見て隣で水が流れても”オバケじゃないオバケじゃない”って念じるわけでしょ。でもオバケなの。見えないからわかんないの。オバケはさ、なったことないからよくわかんないんだけど、日々見つからないように努力してるわけでしょ。だったらさ、あのシールはオバケにとって大助かりだと思うわけ。全部”設備保護洗浄”って言葉で片付けられちゃうからね。となるとさ、ああいう場所ほどオバケスポットになりうるってことになるんじゃない?」
 
妻は私の質問に答えず、靴屋に入って春用のパンプスを購入した。
 
2010年03月01日(月)  意地とラーメンとプライドとスプーンと。
 
仕事帰りにコンビニに寄って、カップラーメン、おにぎり、スナック菓子、ビール、ミネラルウォーターをカゴに入れ、高校生か大学生くらいの若い女性がレジで清算を始めた。黒髪で質素な感じのその女性は、コンビニのレジには似つかわしくないお嬢様っぽさを醸し出していた。
 
「お、お箸とスプーンはおつけしま、致しますか?」
 
コンビニで尋ねられる定型句も何となくたどたどしい。おそらくまだバイト慣れしていないのであろう。お箸とスプーンね。つけてもらおうかな。ん?
 
「ん? え? えっと、何かスプーン使うものありましたっけ」
 
カップラーメン、おにぎり、スナック菓子、ビール、ミネラルウォーター。スプーンを使うものは何もない。
 
「え? あ、はい」
 
一瞬にして顔が真っ赤になる女性。間違いは誰にだってある。仕事に慣れていなければ尚更だ。ミスを咀嚼し吸収してこそ人は成長する。しかし彼女は違った。
 
「……ラーメンです」
「え?」
「ラーメンです」
 
顔を真っ赤にしながら、自らの失言を撤回せず、ラーメンにスプーンを使うという新常識を、さもラーメンにスプーンをつけることがコンビニ業界の総意であるといわんばかりにギリギリの冷静な口調で主張し始めたのだ。しかしまだ僕が間違えている可能性だってある。彼女が言っているスプーンとは、カップラーメンで使用するレンゲという可能性だってあるのだ。
 
しかし、彼女が隠すようにレジ袋の奥に入れたスプーンは、アイスクリームを食べるときに使用するスプーンであった。
 
この種類の意地とプライドは、現代社会でもはや絶滅しかけている。抵抗を試みる意気は、既に中間管理職というキャラクタに染まりきってしまった僕には残されていない。是非彼女にはこの調子のままで大人になっていってもらいたい。
 

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