2004年03月31日(水)  【恋愛歪言】書籍化決定。
 
『ネオブックオーディション2004』という出版オーディションに、当サイトコンテンツ【恋愛歪言】を加筆修正し、締め切り最終日の二時間前に応募したところ、見事、優秀賞三作品に選出され出版が決定した。
 
僕はどちらかというと遅筆であって、今までのフリーライターとしての仕事も締め切り日より前に出したことはなく、出版社には最終確認をしているなど嘯いて、8月31日の小学生の如く、過ぎ去りし無意味な日々を後悔しながら涙を浮かべて机に向かっているわけだが、今回も例外ではなく、例外というか、言い訳というか、締め切り一週間前から風邪をこじらせていて、彼女にお粥を作ってもらい、看病してもらいながらもしっかりとセックスはするという矛盾だらけの日々を送り、一向に体調は回復せず、もう駄目だ。今回は諦めよう。お粥にボンカレーかけたらどんな味がするかしら。と考えていた。
 
しかしベッドに横になり、低反発ウレタン枕を胸に抱き、天井を見上げていると、絶対受賞するという根拠のない自信ばかり僕のお尻付近を流れはじめ、もし応募しなければ新宿辺りで爆弾テロに遭遇して死ぬなど、訳のわからない妄想にまで支配され、爆弾テロはいやだと思い、一念発起、毛布を剥ぎ、ノド飴を含み、加湿器のスイッチを入れ、彼女にキスをし、風邪がうつると断られ、パソコンに向かって締め切り2時間前に完成された原稿をメールに添付し、「もんじゃらげ もんじゃらげ」と呟きながらマウスで送信ボタンをクリックした瞬間に後ろに飛び跳ねるという、原稿を送るときのいつもの一連の儀式を終え、あとは野となれ山となれ。僕はベストを尽くしました。よって爆弾テロの被害も免れました。受賞したら出版記念パーティを松屋で開催します。
 
などと早速取らぬ狸の皮算用を始め、出版されたら最初に母に贈りたいけれど、作品の内容が内容なので、更年期障害の母の血圧が更に上昇してしまうのではないか。それでは彼女に贈ろう。んがしかし。彼女はこの【恋愛歪言】をどうやらあまりお気に召していないらしく、というのもこの恋愛歪言。内容が今までの恋愛経験によってもたらされた言葉であって、私との恋愛体験なんてこの作品に含まれてないじゃない。他の女のことばかりじゃない。あ、ティッシュペーパー切れといたから買っといたよ。ピンク色のやつ。と、少し不機嫌。男の部屋にピンク色のティッシュペーパーを購入するという軽い嫌がらせ。それでも彼女に贈ろう。これからキミとの言葉を綴っていこうとかなんとか言いながら。
 
そういえば【恋愛歪言】の作家名が「歪」ではなく、「吉見マサノヴ」という妙な名前の人物になっているが、これは僕の本名であり、昔からマサノブの「ブ」がブタのブのやうで。ブザマのブのやうで。ブッチョウメンのブのやうで嫌いだったので、「ヴ」という洒落た言葉を使用し、遂にネットの世界に自分の本名が流出してしまった。どうしよう。やられちまう。昔の彼女とかに。昔の彼女の今の彼氏とかに。と杞憂したものの、自分の本名なんてBBなプロバイダやジャパネットな通販会社によって自分の意思とは関係なく既に流出してしまってるので憂うことはない。こんばんは吉見マサノヴです。どうぞよろしく。
 
というわけで約4年に渡って綴ってきた【恋愛歪言】が、とうとうワールドワイドウェブの波を越え、紙の媒体となり、本名を晒し、世に広まっていくわけだが、今後、執筆業に専念するのかといえば、そうでもなく、これからも看護師の傍ら、執筆を続けていきたいと思う。だって、モノを書いて飯が食えるほどの作品なんて書けないもの。とにかく、今回の受賞を期に、受賞を期に、期に、何をすればいいのだろう。今まで通りでいいのかな。肩の力が抜けている時の方がいい文章が書けるものです。ご清聴ありがとうございました。
 
2004年03月30日(火)  ティースミラー。
 
歯磨き粉はクリアクリーンと相場は決まってまして、だってそうじゃない。隙間の歯垢も顆粒でスッキリしてくれるじゃない。歯垢を落として、歯をツルツルに。さっぱり感が長続きするじゃない。そうでしょ。皆クリアクリーンでしょ。翌朝、口中のネバつき感がないでしょ。
 
でもね、もうクリアクリーンなんて古いの。いくらクリアクリーンが歯垢・着色汚れに強くたって、僕たちは人間なんだから自然な歯の白さを求めなきゃいけないわけ。で、今回お勧めするのがアクアフレッシュ ホワイトニング。フッ素配合は当たり前。磨くことによってキレート効果が生まれるのです。
 
キレート効果って何? って思った人は自分で買えばいいよ。198円でさ。買えばいいよ。自分で使ってみなくちゃキレート効果の素晴らしさはわかんないよ。ピロリン酸でサッカリンナトリウム且つラウリル硫酸ナトリウムのブラジル顔負けの3トップに勝てるかっつの。クリアクリーン風情が。デビルレイズが阪神に勝てるかっつの。
 
なんて今回のちっちゃな浮気心。理由は自然な歯の白さでもキレート効果でもなく、ティースミラーがおまけに付いてたのね。ティースミラー知ってますか。ほら、歯医者さんがさ、虫歯見つけるときに使うやつ。先っぽに丸い鏡がついたやつね。ムホ! もしかして家にいながら歯医者気分? みたいな感じで意気揚々と我が家へ帰り、踊り狂う胸を押さえティースミラーを口元に入れる。
 
そして見えない。
 
一人じゃ見えない。どこに虫歯あるのかわかんない。自然な歯の白さなんていらない。これからも隙間の歯垢も顆粒でスッキリを目指します。
 
2004年03月29日(月)  愛!
 
僕がどのくらい大塚愛が好きかっていうと、歌を聴いてみたいけどレンタルで済ませちゃおうっていうくらい劇的に好きなのです。勿論、大塚愛オフィシャルサイトはお気に入りに入ってますし、顔写真だって大塚愛フォルダに何十枚も入っているのです。
 
で、大塚愛のプロフィールをのぞいたところ、趣味の欄に『笑うこと、「笑」のある生活』って書いてある。意味わかんねー。そんなの趣味じゃないです。趣味というのは趣向・嗜好・道楽・暇潰し・好み・ホビーと書いてあるの「新辞林 三省堂」に。
 
趣味 (a)〈refined〉taste; an interest; a hobby (道楽). 〜が良い(悪い) have good (bad) taste. 〜がなくなる lose one's interest 《in》. 〜のある tasteful; interesting. 〜のない tasteless; dry. 〜に合う meet one's taste. 〜の人(問題) a man (matter) of taste. 〜をもつ take (an) interest 《in》; have a taste 《for》.
 
ってデイリーコンサイス和英辞典には書いてあります。ただ行数稼ぐためにコピーしただけなんだけどね。で、彼女。僕の彼女は9歳年下で昭和57年9月9日生まれの大塚愛より年下なんだけど、勿の論のof courseで大塚愛よりも彼女の方を愛しておりまして、だけど男は欲張りで。彼女も欲しいが大塚愛も欲しい。
 
というわけで彼女の今までの着メロ。僕の携帯はauで着メロは全て着うたなんだけど、彼女から電話がかかってきたらジャズ演奏の「星に願いを」が流れていたのですが、本日から大塚愛の「さくらんぼ」にしましたダウンロード100円かけて。
 
で、今日聴かせたんです。彼女に。キミの着メロ変えたから聴いて欲しいってね。受話器の向こうで彼女は静かに耳を澄まします。そして大音量で流れる「愛し合うぅ〜ふぅたぁり〜 し〜あわせの〜ソラ〜!」
 
ブチッ。
 
電波のせいでも充電が切れたせいでもない。彼女は彼女の意思で。その意思っていうやつがおそらく「怒り」という部類に入る意思を用いて、自分の指で電話を切った。彼女は大塚愛を目の敵にしているようです。隣どおし あなたとあたし さくらんぼ〜。
 
2004年03月28日(日)  遠泳の愛。
 
「君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる」とソクラテスは言いました。幸福か哲学か。思想とか哲学というものは、極端な場面で生まれるもので、極端に幸福か、極端に不幸か。しかし人間は極端な幸福にはなかなか恵まれず、極端な不幸には陥りやすいというなんとも悲しい生き物ですが、例えば失恋。失恋の時に考えるコト。書くモノ。普段の生活で巧妙に覆われているオブラートが取れた時に、真実は現れます。
 
しかしこの真実というものが曲者で、往々にして真実というものは恨みを買い、お世辞は往々にして愛を獲得するのです。ということは、お世辞で獲得した愛も、失恋によって真実を見出せるということだから、恋愛って面白いってなっちゃいますが、実は全然面白くない。だって、永遠。永遠という概念を考えたことありますか。永遠だよ。気が遠くなっちゃうよね。永遠の愛!
 
永遠の愛! 遠泳の愛ってのはどうだろう。愛の深海を全身の機能を駆使して泳ぐのです。結婚とは、遠泳の愛。イイネ! 最後にフランスのことわざを一つ紹介します。
 
「神様はこの世に男と女をお作りになった。悪魔がそれを夫婦にする」
 
2004年03月27日(土)  コメンテーター。
 
コメンテーターってのは、ありゃ一体何なんだ。何様なんだ。好い加減なことばっかぬかしやがって。畜生が。
 
丸ビル。例の回転扉事件。一斉に六本木ヒルズ及び三和シャッター非難。そりゃあ悲惨な事件だがね、あのコメンテータってのは、ありゃ一体何だ。何様なんだ。偽善者って言葉じゃ片付かないあの野郎達は何なんだ。
 
「だいたいね、あんな扉作んなくても、普通の扉で充分なんですよ」
 
って事故起こる前に言えよ。お前だって六本木ヒルズの扉くぐったことあろうもん! あ、あまりに興奮して博多弁が出てしまった。博多になんて住んだことないのに。揚げ足を取るというのです。そんなコメント僕だって言えます。何か、そういう人いるんですよね。今更どうしようもないこと言う人。
 
子供一人死んだことより、六本木ヒルズの設備の揚げ足取りが先走りしちゃって、六本木ヒルズ杜撰な管理に付随して子供が一人死んだという事実があるみたいで、何ともいえない。
 
六本木ヒルズ完成当初はあれだけ騒いでたマスコミも、事故が起これば一転。まさに現金な世界だと思うわけで、あ、そうか。六本木ヒルズの批判はテレビ朝日の批判にも通じるわけで、あぁ嫌な世界だなぁ。
 
2004年03月26日(金)  車椅子三連編隊。
 
看護というものは一種のサービス業であるから、患者さんはお客様という観点で仕事をしてみたら、意外と自分に足りないものが見えてくるのです。
 
今日は七十歳くらいの患者さん二人と車椅子で遊んでおりましたところ、婦長さんに叱られてしまいまして、というのも一人の車椅子の患者さんを押しながら、もう一人の患者さんは僕の白衣の後ろの部分を掴んで編隊を組んで廊下を走っていたのです。
 
「戦争の頃はゼロ戦でこうやって編隊を組んでたものだよ」
 
と嘘か誠か時を経て、今こうやって車椅子で編隊を組んでいるのは少し悲しいことだけど、看護とはサービス業でありまして、患者さんが嬉しければ僕も嬉しい。患者さんは神様です。なんて言うと、あの世やら天国やらの概念が噴出し、御幣を生じるけれど、患者さん第一主義の僕は、あらゆる看護業務を放棄して、こうやって患者さんと車椅子三連編隊を組んで廊下を滑走していたのであります。
 
然し、世知辛い世の中になってしまいました。新聞を開くと医療事故、筋弛緩剤、院内感染などの物騒な文字が目に入り、ありとあらゆる病院が其れに敏感に反応し、全くつまんない状況が生まれているのであります。病院内に安全性を求めると、必然的に患者さんの行動を縛ることになるのです。
 
と、婦長さん。廊下の端から大声で僕を呼ぶではありませんか。何度も呼ぶのでしょうがなく車椅子三連編隊を組んだまま婦長さんの元へ行くと、婦長さん一喝。僕は怒られてしまいました。
 
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。私が一緒に遊ぼうって言ったわけだから、怒るなら私を怒ってくださいよ」
 
さすが患者さん。ナイスフォロー。いくらなんでも患者さんには怒れないもんね。心なしか車椅子の患者さん寄りに隠れる僕。
 
「あなたにも怒ってます」
 
婦長さんの一言でいとも簡単に車椅子三連編隊は撃墜されました。
 
2004年03月25日(木)  朝夕を謀らず。
 
先日、新居を探しに不動産屋をまわったのだが、あの不動産屋の営業。営業マンにうんざりというかフィッシュマックディッパー? あれにもうんざりなんだけど、それよりもうんざり。頭の先から足の先までタルタルソースに漬かったような粘着質な営業マン。あれには参りました。いくら仕事とはいえね、曲がりなりにも人一人住むんだから、売上第一主義みたいな営業トークで、お前、住むとこによって人生が決まるんだぞ。僕とか、住むとこによって恋愛の形さえ違ってくるんだ。そんな好い加減な物言いで、家賃さえ払ってくれればそれでオッケー。万事オッケーみたいな。
 
で、池袋でいいやと思い、というのも何か用があるとしたら池袋であって、その次に新宿。しかし新宿に住んだら職場が遠くなる。だったら高田馬場辺りに住めばいいじゃないですか。なんてほら、何こいつ。何人の人生操作しようとしてんの? 手前には聞いてませんよ。池袋でいいです。職場まで電車で10分くらいだしね。できれば敷金礼金1・1で。家賃は6万前後で。ほら、さっさと探す。
 
と、出るわ出るわワケあり物件。池袋のド真中で家賃4万円なんてありえないよなぁ。隣に怖い人が住んでるとか、同じ部屋に怖い人が座っているとかね。幽霊だったらへっちゃらなんだけどね。怖い人は怖いなぁ。怖い人って決まって道路に痰を吐くんだよなぁ。東京って空気が汚いからかよく道路に痰が吐かれてるよね。辟易。
 
引越しはいつ頃なさいますか? と至極当然な問い掛けに、そのうちしますなんて好い加減な応答をして、僕はほんと自分には関係ない他人に対してそっけないというか冷たいというか、容易にうちとけませんよなんて空気を醸し出している。東京に来てから大分冷たい人間になったなぁ。温もりを忘れちまったなぁ。彼女も遠くに行っちゃったし。朝夕を謀らず。朝に紅顔あって夕に白骨となす。どうなるんだろこれからの人生。
 
2004年03月24日(水)  冷静な怒り。凶暴な言葉。

「ごめんなさい。怒らないで。ごめんなさい」
 
彼女と、ちょっとした食い違いがあって、こんなメールをもらって僕はとても残念な気持ちになった。この「ごめんなさい」という言葉。今回の件は、別に彼女が謝るべきではない。彼女ではない誰かが謝らなければならないのに、彼女が僕に必死に頭を下げている。虚しくなる。全然フェアじゃない。
 
恋愛とは常にフェアであるべきだと思う。どちらも優位に立ってはいけない。主従の関係なんて恋愛じゃない。「ごめんなさい」僕たちはフェアな恋愛をしているつもりだった。例え年齢の差があるとはいえ。しかし彼女は今日僕に頭を下げた。もう怒らないで。ごめんなさいごめんなさい。
 
フェアな関係だと思っていたのは僕だけだったのかもしれない。彼女は常に僕に怯えていたのかもしれない。そう思うと胸が痛くなった。頭を下げて涙を流す彼女を見て、どうすればいいのかわからなくなった。僕は時々、何の見境もなく怒りを露にすることがある。理性を失い、言葉という武器で彼女をめった刺しにすることがある。今回、僕の悪い癖が出てしまった。彼女は、ボロボロになってしまった。
 
彼女が頭を下げれば下げるほど、ごめんなさいと呟けば呟くほど、僕の中の空虚感は増し、無力感が支配し、自己嫌悪に陥る。今回の彼女にだけは見せたくなかった僕の素性を、とうとうさらけ出してしまった。どうしてフェアになれない? どうして男は怒り女は怯える? どうして僕は今こうやって頭に血が昇ってるの? 彼女は不必要な涙を流さなければいけないの?
 
僕たちの邪魔をする者に、僕は面と向かって中指を立てる。消えかかった災いの炎を自ら焚き起こすことだってできる。理解という偽善じみた言葉を用い、寛大な振りをして悦に入ってる奴がいる。中指を立てる。僕はそいつに中指を立てる。冷静な怒りと、凶暴な言葉をもって。
 
2004年03月23日(火)  嫉妬という愛情、言葉という武器。
 
彼女は僕の過去を聞きたがるくせに、正直に話すと途端に不機嫌になる。時々、悪戯をして、僕が過去の彼女をどんな気持ちで愛していたのか仔細に話すと、彼女の不機嫌は頂点に達し、お気に入りの赤いクッションに顔を埋めて口を閉ざしてしまう。
 
僕たちはこれから遠距離で恋愛をしなければならず、彼女の心配の種は、僕の浮気であって、僕だって彼女の浮気が心配だけど、彼女は「私は大丈夫よ」とひどく漠然的なことを言って、「僕だって大丈夫だよ」と返すと「アナタは信じられないの」と言う。「道でアナタと目が合った女性を一人ずつスリッパでひっぱたいていきたいわ」なんて極端なことまで言う。
 
嫉妬するということは、前提に愛情があるわけで、ということは嫉妬されるうちが花であって、僕はこれからもっと彼女を困らせてやろうと思う。いろんな話をちらつかせながら、彼女の関心を惹き続けようと思う。
 
頬を膨らます彼女の顔は、しばらく見れないけど、声で、言葉で、彼女を惹き続けようと思う。浮気なんてする度胸はない僕は、言葉を唯一の武器として、彼女の愛情を確かめ続けたいと思う。メールもこまめに。ちゃんと件名もつけて。顔文字は極力使わずに、全てを言葉で表現しよう(^^)
  
2004年03月22日(月)  僕の生き甲斐。
 
彼女のいない休日は牛めしのない松屋のようなもので、牛めしの変わりに豚めしをメニューに入れるというような代用品は、こと恋愛に至っては禁忌なので遠距離でも我慢。毎日メールと電話。
 
しかし悲しんでばかりもいられない。意味のない休日なんていらない。だから仕事に励みます。僕の生活から恋愛を省いたら仕事と洗濯物しかないからね。今日も白衣をまとって頑張ります。
 
僕は仕事以外の日常生活では、人付き合いも積極ではなく、冷酷、無愛想を決め込んでツッパッテいるんだけど。こと仕事に関しては、ツッパッテはいられないのでツッパラナイ。常に笑顔。看護の本質は自然に沸き出る笑顔に隠されているんですね。
 
看護者の笑顔が疾患に与える影響ってのは、よくわからないけど少なくとも効果があると実感してるわけで、無愛想にしてるよりいつもニコニコしてる方が患者さんからの受けもよくて、受けがよいということは、患者さんも心を開いてくれやすいわけで、その看護技術を日常に応用すればいいものの、僕の日常ときたら煙草のポイ捨てをしたサラリーマンを睨み続ける。電車内での携帯通話に対し、相手の耳に届かんばかりの舌打ちで対処するなど冷酷、陰湿を極めたものばかりで自分自身に辟易。
 
僕が人間らしく生活できる場所は意外と病院の中にしかなかったりしてと思ったりして。
 
2004年03月21日(日)  百六十。
 
この1ヶ月、どのくらい写真をとっていたかというと、彼女にもカメラを渡していたので、それも合わせて数えて驚愕160枚。いつも手元にロモを持って、東京の街並みを、彼女の表情を、彼女と僕の日常をカメラに収めていたのは理由があって。
 
というのも僕の彼女。9歳下の僕の恋人は、本日、実家に帰ってしまうからであって、暫くは会えない。会えないと悲しい。本屋に行くと小便したくなるように悲しくなると涙が出てくる。離別の苦悩が与えるストレスは多大なものであると心理学者がいっていた通り、このストレスを耐えられるだろうか。いや耐えられないだろうと自問自答。ではどうすればいいか。僕どうすればいいか。と考えた末、写真を撮ろう。と。会えない間はアルバム見て我慢しよう。
 
そしてこの1ヶ月。どこへ行くにもカメラを連れて。彼女と一緒に見たもの感じたものをカメラに収めて別れの時が今迫る。池袋パルコ内のフランフランでアルバムを購入。部屋へ戻り愕然。全然足りない。写真が入りきらない。と翌日仕事帰り、東急ハンズで一回り大きなアルバムを2冊、スペアのページを10枚購入。意気揚揚と自宅へ帰り、現在午前3時。
 
一枚一枚に重大な意味と物語がこもったこの写真に、一つ一つ、コメントやセリフをつけていく。1つのアルバムが物語になるように。絵本になるように。その写真を撮ったときに話してたこと考えてたことを思い出して。彼女と一緒に行った遊園地のチケットなども挟んで。世界に一つのアルバムは、僕の努力と涙と共に完成されて。
 
最後の夜。東京駅。丸ビルのレストランで手書きの手紙と共にアルバムを渡す。1ページ開いただけで涙を流す彼女。「こんなの見れないよ」と、すぐにページを閉じ、僕の手を握る。「一人になってから見るね」彼女の薬指と僕の薬指にお揃いのリング。別れの時が今迫る。「駅を出るこの夜行バスは、僕の恋人をどこに連れていくんだろう」呟く僕の手をぎゅっと握る彼女。
 
そしてアルバムを胸に抱き、バスに乗った彼女を、再び一人になった僕は、そのバスが見えなくなるまで彼女を見送った。また一人になった。次はいつ会えるのだろう。160枚の写真を眺めて、過去にすがる日々がまた始まろうとしていた。
 
2004年03月20日(土)  モコモコおばはん。
 
大分暖かくなってきたので、徒歩1分のクリーニング屋へコートやジャケット、計6着持っていったら4800円です。これ高くないだろうか。騙されてるんじゃないかしら。と思い、レジのおばさんの瞳を真実の視線で凝視してみたところ、別段、偽っている態でもないので、あぁこんなものか。自分で洗濯すればよかった。と、しっかり染み抜きも頼みながら意気消沈して部屋へ戻ると洗濯カゴに洗濯物が溜まっている。
 
僕は洗濯物のことしか書くことがないのかと思うくらい洗濯物のことばかり書いている。というのもこの洗濯物。これは仏教に通じるものがあるよなぁと思うほど、洗えば増え洗えば増えの輪廻転生を繰り返し、盛者必衰。お気に入りの白いシャツだって何度か着るうちに襟の部分に黄ばみが出てきて、柔軟剤、もしくは漂白剤入りの洗剤などを使ってみるのだが、自力での黄ばみ落としが不可能になり、こうやって高い金を払ってクリーニング屋の暖簾をくぐるわけで。
 
これは運命とでもいうべきか、スーパーのレジで並ぶと、かなりの高確立で、僕の前の人に小さなトラブルが発生する。支払い時に小銭を落とす。値札がついていないので、ちょっと確認してきますとレジの女が席を立つなど。なんというか、物事がすんなりと事を運ばない。
 
今日もそうだった。クリーニング屋。推定50代のおばはん。なんかモコモコがついた黒いやつ。そうよモコモコ。ここに預けたはずなんですけど。モコモコしたやつ。うち探してもないのよねモコモコが。で、預けたような気がしたんで探して欲しいんだけど。
 
とおばはん。モコモコ言いながらレジのおばはんに詰め寄っている。困ったなぁ。大変長いことになりそうだなぁ。早くモコモコ探したっておばはん。とレジのおばはんに激励の視線を投げ掛けると、その視線に気付いてか気付かぬか、意気込んだおばはん。「いつ頃お預けになりましたか?」とモコモコおばはんに訊ねたわけだがモコモコおばはん。
 
「んー。2年前?」
 
と驚愕の台詞。んなあるわけねぇよと顔をしかめるレジのおばはんと僕。
 
2004年03月19日(金)  ボクの臭いキミの匂い。
 
今年の春から新生活を始める人も多いと思いますが、新生活といえば独り暮らしでございます。憧れの独居生活の幕が開かれるのでございます。憧れの。いろんな想像を駆り立てて。いろんな雑誌を参考にしつつ。あぁこのソファー欲しい、このベッドいいね、間接照明お洒落だね。ここに小さなテーブル置いてあの棚にはアジアンな雑貨並べてキッチンにはお洒落なお酒並べちゃったりして。彼女呼んでベッドでムフフ。目覚めのコーヒー飲んでアハハ。想像するだけで笑いが止まりません。独り暮らしって素晴らしい。
 
しかし憧れの新生活。憧れてばっかりもいられません。月々の電話代に水道光熱費。新聞とか宗教の勧誘うざい。ポストには淫猥なチラシばかり投げ込まれ精神衛生上よくない。お洒落なソファーの上に積もった洗濯物。滅多に洗わないシーツにくるまれたベッド。溜まる空き缶、空き瓶。捨てたいけれどゴミを出す日がわからない。コーヒーメーカー買ったはいいけど、なんだか面倒臭いし、朝から悠長にコーヒー煎れてる暇なんてないからインスタントで済ませちゃう。ユニットバス不便。トイレと風呂を仕切るビニールカーテンにカビが生えてシャワーを浴びるたびに気が滅入る。流行りの柄のカーペットにはいやらしい体毛ばかり絡まる。今度の給料でスタンドライト買いたいけれど車のローンの支払いあるし。
 
そしてようやく気付くのです。あ、なんか違う。って。独り暮らしの理想と現実。往々にして現実はシビアです。でも大丈夫。人間にとって、夢や希望は生きる原動力となるのですから。初めて手に入れた自分だけの空間。誰からも邪魔されず、介入されず。介入されないから掃除をする人だっていないんだけど、洗濯物だってゴミだって溜まるんだけど僕だけの世界。6畳1間のワンルームだって、洗濯機置き場がなくたって、設置してあるエアコンが骨董品のような代物だったって、部屋干しした洗濯物がちょっと臭ったって、ここは僕だけの世界。僕の価値観がセンスがそのまま反映される大きなキャンバス。アジアンな雑貨の横にヨーロピアンな花瓶があってその後ろにジャパネスクな掛け軸があっても大丈夫。人生は金だけが全てじゃないんだから家賃の振り込みだって少々遅れても大丈夫。いや、これはよくない。僕は2週間家賃の振り込みが遅れただけで大家が実家にまで電話しました。現実はシビアです。
 
しかし殺風景になりがちなワンルームの部屋にも、時に大きな花が咲きます。そう。彼女が遊びに来るのです。部屋中に染みついたニコチンやアルコール臭を、彼女の香水がシャンプーの香りが中和してくれるのです。まさに人生の芳香剤。僕が塩酸のような臭いを発してもキミが水酸化ナトリウムの役割をするのです。
 
綺麗好きな彼女は部屋に入った瞬間、愛の言葉よりも先にホウキを取り出し掃除を始めます。僕のような横着な性格の彼女はテーブルに置いてあるカップラーメンの空容器の中に、更にスナック菓子の袋を投げ込みます。几帳面な彼女と横着な彼女。独り暮らしはどちらのタイプの彼女を持つかによって大きく違いが出てきます。
 
室内の掃除では飽きたらない彼女は食器類をキッチンハイターに浸けるし洗面所を歯ブラシで磨くでしょう。ポテトチップスを食べて手についたコンソメや塩を服の裾で拭くような彼女はテレビのリモコンを足の指ではさんで取るでしょう。でもそんな彼女がいるから、来てくれるから、笑顔を見たいからインテリアも凝りたいし、自分の部屋を彩ろうと努力するのです。そう、全ては愛から始まるのです! 愛がない独り暮らしなんて納豆の臭いのするアロマキャンドルのようなものです。よく意味がわからないけど僕の部屋はなぜか納豆の臭いがします。これは愛に飢えた体臭なのかベランダに積まれたゴミ袋から漂う臭いなのか!
 
2004年03月18日(木)  じっと手を見る。
 
働けど働けど我が暮らし楽にならざり。じっと手を見る。という具合に石川啄木よろしくぼんやりと指先を見つめていたら、爪が伸びている。おぉ、爪が伸びているよ。と感動し、パソコンのディスプレイの下の奥の方にあった爪きりを定規で持って手繰り寄せ、爪を切ったのであるが、爪。僕は爪切りというものは滅多に使用しない。じゃあキミの爪は伸びないのかと訊ねられれば僕はフッと笑ってお腹が空いたら雲を食べるように、爪が伸びたら噛むのです。と答える。
 
爪を噛むという悪癖。この癖は衛生上も芳しくなく、看護師という職業の性質上、清潔という概念に拘わる必要があり、爪を綺麗に揃え、パンツも毎日履き替え、ストッキングは白という金字塔。僕はこの金字塔という表現を上手く使用することができない。だけどそういう言葉をどうしても使用したいときがあって、こうやって無理矢理使ったりするのだが、文章は荒唐無稽を極め、精神は荒廃し、洗濯物の取り入れを忘れた日に雨が降り、僕が座った電車の座席の下に空き缶が置いてある。
 
さて、金字塔。いったいこりゃどういう意味だ。使いこなせたら格好いいんだろうなぁ。んで、爪。僕は過度の緊張に見舞われると爪をカリカリ噛んで、噛む爪がなくなると靴下を脱ぎ足の爪の添削作業に取り掛かるというのは嘘で、手の爪ばかり噛んでいるんだけど、最近爪が伸びているということは、過度の緊張状態に襲われる回数が減っているということで、これはまことに良いことである。と、彼女に感謝。彼女が僕の心の平静を保ってくれてるんだきっと。
 
「もう! また散らかってる!」
 
と、僕の部屋に来る度に、9歳年下の女性は呟くのだけど、「僕はキミを愛しているので、部屋が汚くてもなんとも思わない。むしろ掃除する気すら起こらない。よって、キミが掃除してくれれば助かる」と申すと、彼女は一通りの文句を言って、可愛い唇を尖らせながら部屋の清掃作業に取り掛かるのであって、そんな彼女の後ろ姿を見ていると、爪を噛むなんてことすら忘れて、鼻の下を伸ばして、彼女がしゃがんだ折、ジーパンの腰の部分から露呈するパンティーの色に欲情し、ベッドの中に潜り込み、彼女の掃除が終わるのを待っている。
 
2004年03月17日(水)  9年振りのエドウィン。
 
数年振りにジーパンを購入しまして、数年前というのはエドウィンの505が流行ってる頃に買った以来だから、5年振り? いや違う。確か僕は高校生だった。ということは3年振り? いやこれでは年齢偽称だ。9年振り? 9年振りですか。9年前といえば、キミ何歳?
 
「10歳よ」
 
と尋常な口調で申すので、いやそれは嘘だ。ということは僕が思春期真っ只中の高校三年生だった頃、キミは小学5年生ってわけ?
 
「まだ生理も始まってない頃よ」
 
と、現在生理中の為、性交静粛中の彼女は再び尋常な口調で申すので吃驚。ジェネレーションギャップどころの話ではない。最近リバイバルされた中森明菜の「ミ・アモーレ」を口ずさんでも「それ誰の曲?」と首を傾げる彼女は可愛いというか信じられない。「木綿のハンカチーフ」などを口ずさむと「あ、それ知ってる。椎名林檎」という、まぁ、どうしよう。
 
というわけで9歳年下の彼女は、僕の私生活全てが新鮮に映るのか、「ねぇ、太宰治ってアナタの友達?」「ねぇねぇ、アナタの足が短い所以は19世紀の産物?」「ねぇねぇねぇ、産業革命の頃何してた?」「この写真に一緒に写ってる人って小野小町?」といった時代錯誤甚だしいものばかりで辟易。彼女をがっと抱き締めて少し静かにしろと呟く。
 
彼女は僕の部屋に来る度に本棚から2・3冊、小説を借りていき、次来たときにその小説を本棚に戻し、再び新しい小説を2・3冊借りていくという驚くべき速読の持ち主なのだが、その本の影響か、最近やけに考え方が僕に似てきて、これは嬉しいかぎり。価値観は本によって構築されるといっても過言ではなく、彼女の価値観が僕の価値観に近づく度に、年齢の差も自然と近付いていっているようで、僕が小学4年性の頃に生まれた彼女も、今では定期的に生理が訪れ、不機嫌になったり、突然部屋の掃除を始めたりといった精神的変調も一人前にこなすあたり、彼女もいっぱしの大人の仲間入りをしたと感じるわけで。
 
大人の階段昇るシンデレラがミニスカートを買った日、僕は年の差を縮める為に、9年振りのジーパンを買った。試着の折、裾を直すときに「これちょっと長すぎじゃない?」と僕のズボン裾の修正を咎める彼女に、「いいんだよ。長ければ長いほど足は長く見えるんだ。長い部分はプライド丈として僕のコンプレックスと自尊心を守ってくれるんだ」と彼女に諭し、裾直しを終え、部屋に帰り、試着してみたところ、やはりズボン裾は長すぎて、大笑いする彼女をがっと抱き締めて少し静かにしろと呟く。
  
2004年03月16日(火)  死の衝動。
 
自分のことをことあるごとに女々しいと思うのは、女性の前ですぐ涙を見せるということではなく、バッグの中身。荒廃を極めているバッグの中身を見る度に、あぁ、僕って女々しい人ね。と思ってしまう。
 
愛用のワインレッドのバッグの中身は、ノド飴、ノドぬーるスプレーといった咽頭の傷みを過度に心配したものをはじめ、目薬、あぶら取り紙、鼻詰まり・鼻水にナザールスプレーといった医薬部外品。何のためにあるのかわからない割り箸、ストロー、ペットボトルのキャップ。名刺入れ、保険証、コンドームといった生活必需品。電気代ならびに電話代のコンビニ支払い書。タバコ、ライター3個。手鏡。メモ帳2冊。文庫本2冊。またコンドーム。ボールペン3本。うち1本インク切れ。給料明細、貯金通帳。コンドーム大好き。買いもしない中古マンション情報。行きもしない旅行パンフレット。使いもしないコンドームといったものが雑然と放りこまれ、現在、僕のバッグは目が当てられない状況であって、その整理するのも面倒くさいバッグを、本日、
 
電車の中でぶちまけてしまって、
 
なんか、死にたくなった。意外と死の衝動なんてものは、こんな些細なことで生まれるんじゃないかなと思った。
 
2004年03月15日(月)  デートの王道。
 
休日。6時半起床。天気晴れ。気温16℃。後楽園8時半待ち合せ。なんという健康的なデートなんでしょう。どちらとも時間にルーズな方の二人が待ち合せ時間丁度に待ち合せるなんて珍しい話で、朝御飯一緒に食べようって言ったのに二人共自宅て朝食を摂ってきたというのも珍しい話。今日はデート。見上げると東京ドームと観覧車。手を繋いで、腕を組んで。
 
東京ドームシティ。都会の真ん中に位置するこのアミューズメントパークは、観覧車にジェットコースターに、お化け屋敷お化け屋敷お化け屋敷。お化け屋敷が3つくらいあって、彼女はここに来る前からお化け屋敷イヤお化け屋敷怖いお化け屋敷入ったら別れるなんてことを言っていて可愛いなぁ女の子だなぁと軽く思っていたところ、実際いやがる彼女を無理矢理引っ張って強引にお化け屋敷の中に入ったら泣き出しちゃって。これも女の子の可愛さと儚さを見せる女性特有の演技の一環なのかなぁと思っていたところ、マジ泣き。
 
小学校の頃、冗談でスカートめくりなどをしていた頃、僕はその女の子のパンツが見たいのではなく、軽い悪戯のつもりでやっただけなのに、マジ泣き。その時の立場と一緒。ただただ狼狽えるばかりで、周囲の人も、妙な制服を着た店員も好奇の目で笑っている。人一人泣いているのに。泣かせたのは僕なんだけど。
 
その後、遊園地内のレストランで食事をして、ここでなんとか機嫌を取り直そうと思ったけど、ウルウルしながらパスタを頬張る彼女を見ていると、なんだかこっちも悲しくなってきて、心の底から反省して、ゴメンなさい。僕のやつもあげるよ。次はほら、メリーゴーランド乗りなよ。僕は乗らないけど。写真撮ってあげる。手振ってさ。ね。僕のやつもあげる。これ食べな。美味しいよ。僕は美味しいって思わなかったけど。とボディランゲージを駆使しつつなんとか彼女の笑顔を取り戻し、ここはひとつ「次はお化け屋敷行こうか」なんてギャグを言いたかったけど、これはギャンブルと同じで笑うか怒るか。散々悩んだ末、このギャグは先送り。なんかクルクルまわる妙な乗り物に乗って、二人して気分が悪くなって、身を寄添って、足がブラブラするジェットコースターに乗って、しばらく休もう。
 
ということでゲームセンターに行って、休めばいいのにゲームに励み、彼女は僕よりゲームが上手いので、口を半開きにして眺めていると、そういえば彼女最近綺麗になったような気がする。なんか出会った当初とは若干違うような気がする。綺麗だなぁ。付き合いたいなぁ。そっか付き合ってるんだった。と変な優越感に浸り、その後、いくつかの妙な乗り物に乗って、買物に行ってホワイトデーのプレゼント。
 
今日はデートの王道を歩みました。
 
2004年03月14日(日)  偏見しょうがないよ。
 
僕は精神科に勤めていて、何をしているかというと、精神障害者の看護をしているわけで、精神科看護とは? と問われた場合、僕は「患者さんと話をすること」と答えている。会話をする仕事。
 
精神科なんて一生で一度も用がない人もいるかもしれない。そういう人が大多数なのかもしれない。しかし実際に週に何十人も新しく入院する人がいて、同じ数だけ社会に復帰している。
 
偏見。精神障害者に対する偏見。皆さんは精神障害者と聞いてまず何を考えますか。だいたいがネガティブな意見、もっとも障害に対してポジティブな意見なんて言う人は少ないと思うけど、ネガティブな意見の中には、明らかに偏見を込めた意見を持った人がいて、僕はそんな偏見を持った人たちに対して、あえて説明せず、放っておくことにしている。
 
だって世の中には偏見で溢れているから。人間には排他性という性質があって、もう、それは、人間なんだからしょうがない。排他性を排除すると社会が成立しなくなるから。
 
偏見。例えば私英語苦手なのよ。中東って危ないらしいね。宗教って怖いよね。これ全て偏見。ただそれについて思考することを拒否した結果。しかし自分の生活に関係ないものに対して考えを巡らすなんて哲学者のような生活をしているわけではないのだから、それはしょうがない。それは、しょうがないのだ。
 
世の中が偏見で溢れているのは、人間がいるから。人が、その人なりの、それなりの生活をしているから。「社会」という言葉があっても、それ以前に「個」が存在するのだから。
 
英語ってこんなに素晴しいんだよ! パソコンってこんなに便利なんだよ! って興味ない人にいくら説明しても意味がないということ。しょうがないよなぁ人間なんだから。
 
2004年03月13日(土)  何百人と看護婦が存在する巨大な病院の話。
 
「ヨシミさん、風邪治りました?」
 
と看護婦さん。「治りました」と僕。「あぁよかった。お大事にね」と看護婦さん。「えぇ、ありがとうございます。気を付けます」と僕。
 
看護婦さんは、勤務する病棟へ戻っていく。そして僕も勤務する病棟へ戻っていく。共に働く病棟は違う。それなのに、あの看護婦さんは僕の名前を知っている。僕はあの看護婦さんの名前を知らない。あの看護婦さんは僕が風邪をひいていたことも知っている。僕はあの看護婦さんがどの病棟で働いているということさえ知らない。
 
勤務間もない頃、僕は食堂か何処かで自己紹介でもしたのかもしれない。「はじめましてヨシミです。欠点は春先に風邪をひきやすいということです」ということを。それ以外に何が考えられよう。年の頃20代前半。明らかに僕より若い。白い白衣にピンクの予防着。茶色くて長い髪。すれ違うたびに一言二言会話を交わす。
 
ちょっとした会話が増えていく度に、名前を訊ねるタイミングを逃してしまい、今更訊ねるわけにもいかず、僕はあの看護婦さんの名前を知らないまま、挨拶をして、また自分の病棟へ戻る。
 
何百人と看護婦が存在する巨大な病院の話。
 
2004年03月12日(金)  残り4個ないし3個。
 
彼女に指摘されて初めて気付いたんだけど、僕の部屋にはかなりの数のコンドームが隠されている。だいたいコンドームは近所のコンビニ、ドラッグストアで5個入り500円くらいのやつを購入するのだが、例えばある女性とセックスしてコンドーム1個使って、翌日に違う女性とセックスした場合。あくまでも場合であって想定であってイマジネーシであって、そんなことは滅多にないんだけど、27年間も生きていたらそういう日もあるときがあるときがある。
 
で、翌日の女性には昨日の女性とセックスしたときに使ったコンドーム、残り4個のコンドームを取り出して、入れていい? うん入れて。どこに? やーんいじわるー。なんて阿呆のような会話をして、ちょっと待っててね。とせっせと陰部にゴムを装着する一連の作業。あれはただでさえ白けてしまう作業なのに、開封済みのコンドームの箱を取り出したらその女性は、え、なんでもうあの箱空いてるの。え、誰に使ったの? 私に? そして僕が彼女に挿入しようとするや否や(as soon as)「結局私って中古品なのね」と。
 
そのような悲劇を避ける為にも、男は常に新品のコンドームを常備しなければいけない。というわけで12個入り1000円のコンドームは5個入り500円より確かにお得で魅力的なんだけど、同じ女性と12回もセックスするようなことは滅多にないので、5個入りコンドームをコンビニで、若い女性店員に差し出すという一連のセクハラ行為を終えてベッドで性交に励むのです。
 
というわけで僕の部屋には残り4個ないし3個のコンドームが散乱してるのであります。
 
2004年03月11日(木)  パンチラ。
 
ミニスカートが流行っているのかいないのか。春だとはいえ、生脚で寒くないのか、ミニスカートは短さとデザイン重視で脚の太さなど選ばないのかと様々な疑問が泉のように沸いてくる駅の階段の下。
 
「わぁ。あのコ、パンツ見えてるよ」
「ホントだ。黒いねぇ」
「黒いわねぇ」
 
先日、駅の階段で彼女と話していた。思いっきりパンツ見えてる。若いなぁ。羞恥心の欠片もないなぁ。やったパンチラゲッツだよ。意気揚々嬉々隆々となるような思春期の心情はもはや失ってしまった僕にとってパンツ見えてもただの下着。汚ねぇなぁ隠せばいいのにと思ってしまう。
 
で、駅の階段。やっぱり駅の階段はパンツがよく見えるのでありまして、なんで駅の階段はこんなにパンツが見えるんだろうと思っていて、よく考えてみたら駅の階段くらいしか日常階段を登るということがないので、ということは階段だったら全てパンツが見えるということになる。
 
あれは近年のミニスカートの流行や女子高生の短すぎる制服がいけない。毎朝利用する駅は、近くに女子高でもあるのかやたら女子高生が多い。で、僕が出勤する時間は皆急いでいる。階段とか二段飛びで上がる。上を見るとパンツが見えるので、下を向いて階段を登ることになるんだけど、どうして馬鹿な女子高生に気を遣って朝から俯きながら歩かなければならないんだと思うと腹が立って、かといって上を見ながら、というか普通に歩きながら階段を登ると、僕の後ろを歩く人が、あ、あの男、パンツ見ようとしてる。ミニにタコができる。などと思われているかもしれず、先述の通り、パンチラきちゃないと思っている僕は心外なのであって、結局俯いて歩く。
 
2004年03月10日(水)  お粥と接吻。
 
未だ感冒治らず。疲労・倦怠感に支配された躯を引きずるようにして我が家へ戻ると、電気がつけっぱなし。あぁ、無駄な資源を使ってしまった。明日関東電力に謝りに行かなければと思っていたら、誰か立っている。「おかえりなさい」彼女が立っている。笑顔で立っている。「ご飯、できてるわよ」彼女はそう言って特製のお粥を差し出す。一口頬張り涙が出てくる。
 
「美味しいよ。美味しいから、結婚しようか」
「いやよ」
 
と、またもやあっさり拒絶。部屋を見渡すと、取り入れてベッドの上に投げてあった洗濯物がソファーの上に綺麗に畳まれている。パソコンの下のゴチャゴチャしたコードの辺りに絡まったゴミが消えている。書類、味塩、七味唐辛子、灰皿、喉飴などが散乱していたテーブルの上が片付いている。彼女の頬がうっすらと紅くなっている。
 
「ありがとう」
 
感謝の言葉が終わるや否やキスをする。風邪がうつるといけないので額にキスをする。今日はとある原稿の〆切日。ここ数日体調を壊しっぱなしだった僕は、今夜までにあと20枚の原稿を片付けなければいけない。しかし、このお粥のお陰で、綺麗になった部屋のお陰で、彼女のお陰で、20枚なんてすぐ片付くような気がしてきた。
 
「さて、と、原稿終わったらさ、結婚しよっか」
「いやよ」
 
と、これでもかといわんばかりに彼女はプロポーズを安易に拒絶するのだけど、この幸せは多分、一生続くのです。
 
2004年03月09日(火)  ティッシュを配りました。
 
病院に勤務するというのは便利なもので、仕事をしながら診察を受けることができる。うちで休むより職場に来てそれなりの処置をしてもらった方が早く元気になるという場合もある。職場で風邪薬を処方してもらって、総合感冒薬、消炎剤、抗生物質、あと胃薬。この総合感冒薬、服用すると一気に眠くなる。
 
出勤の前に一包服用して電車に乗るや否や耐え難い眠気に襲われ、目が覚めると池袋。僕の職場は池袋ではない。池袋よりちょっと前にある駅で降りなければいけないのに池袋。引き返すのも面倒なのでこのまま池袋で職を見つけようかと思い、駅の通路に置いてあるフリーペーパーの求人雑誌を手に取り、これだ。ティッシュ配ろう。時給750円。引き返すの面倒臭いから、ティッシュ配ろう。
 
「お願いしまーす。本日オープンセールやっておりまーす。お願いしまーす」
 
と池袋東口近辺でティッシュ配り。午前10時。本当ならば職場で患者さんの傷の処置をしている時間だ。職場のある駅へ戻ることが億劫なあまり、現在こうやってティッシュを配っている。10時から17時まで働く予定だから5250円。頭がクラクラする。あの風邪薬、眠くなるばかりで何の効果もないじゃないか。お願いしまーす。本日オープンセールやっておりまーす。盛者必衰。隠忍自重。
 
僕と通りを隔てて配っている女性。女性はいいなぁ。大衆はシビアだなぁ。皆女性が渡すティッシュばかり取りやがる。気が滅入る。男のティッシュなんで誰ももらってくれない。それどころか通行の邪魔だよと言わんばかりの目線を投げ掛ける。惨めだなぁ。さっきからずっとウンコしたいけど、駅に戻らないとトイレないし、しかも池袋駅のトイレの悪臭ときたら。あんなトイレに入るんだったら失禁した方がましだよ。人目を避けて道端で排泄しようかしら。ティッシュなら腐るほどあるし。
 
僕は池袋駅東口から出てビックカメラの裏の方、風俗店が密集する方向へ入っていき、カゴにびっしり入ったティッシュを半分くらいビルの間に投げ捨て、そのビルの谷間で排泄を済まし、残りのティッシュで懇切丁寧に尻を拭いたというところで目が覚めて、電車を降りて仕事に行った。
 
2004年03月08日(月)  またやってしまいました。
 
徒歩3分のドラッグストアは僕が店内に入るたびに店長らしき人物が監視しているので気が滅入る。食料品コーナーでカップラーメンなどを選んでいると、必ずその列の端の方で仕事をする振りをしている。なんか確実にマークされている。マークされてるも何も万引きなんてするはずないし、カップラーメンごときで人生を無駄にはしたくない。しかしあのハゲ店長、僕に何の恨みがあるのか、いちいち僕の視界に入ってきて、コソコソと僕の方を見ている。非常に煩わしい。
 
なぜマークされてるのか。部屋に帰って悲しみに打ちひしがれながら考えた結果、僕はサラリーマンではなく看護師であって、非常に不規則な生活を送っていて、平日の昼間にうちにいることなんてザラにあって、27歳ということは働き盛りの年齢であって、世の中の27歳はたいてい昼間は汗水流して働いている。僕も汗水流して働いているんだけど、働いている時間が真夜中だったり早朝だったりする。しかしハゲ店長は僕が看護師だということを知らない。昼間からカップラーメンなどを漁っている住所不定無職だと思っている。店長という立場上マークせずにはいられない。
 
しかしこのマークの仕方が、下手糞というかあからさまというか、監視してます現行犯で押さえる準備してますといわんばかりに、僕が移動する度にハゲも移動する。何? 何なの? 取ればいいの? ポケットに隠せばいいの? それで満足? みたいに自暴自棄に陥る。徒歩3分の距離なのに、ハゲ店長がいるので自然に足が遠のく。
 
毎日悲しみに打ちひしがれる。ボディソープ切れて買いに行きたいけど、あのハゲがいるから道路を隔てたスーパーに買いに行こうかしら。理不尽だなぁ。不条理だなぁ。今日も今日とてハゲ店長。ロナウドをマークするディフェンダーの如く、僕を徹底的に監視している。これは僕の欠点なのだが、時々後先考えずに衝動的に行動することがある。案外直情型なのかもしれない。
 
「おい、おいちょっとすいません」
「はぁ。なんですか」
「何でいつも僕が店に入ると出てくるんですか」
「はい? 私はいつも店に出てき」
「そういう意味じゃないですよ。言ってる意味、わかってるでしょ」
「は、はぁ」
「うざいんだけど」
「・・・・・・」
「僕が何かしましたか。何だったら取りましょうか」
「あ、も、も、もうしわけ、は、はぁ」
「じゃあ一体今まで何してたんですか」
「いや、最近、万引きが多発しておりまして、決してお客様だけではなく、他のお客様に対しても注意してい」
「だからそういうのがうざいって言ってんだよ。意味わかる? 客がうざいって言ってんの」
「は、はぁ」
「はぁじゃねぇよ。なんで万引きするような連中と僕が一緒くたにされなきゃいけないんだよ。殴りますよ」
「申し訳ありません」
「じゃあ見んなハゲ。ハゲがうつるよ」
 
という問答をしてしまったが為に、僕は万引きなんてしてないのに、あの店には行けなくなりました。悲しみにうちひしがれるよりましなんだけどね。
 
2004年03月07日(日)  アヤパンについて。
 
僕の日常を構築するあらゆる行動や物事を始める手がかりや機会、糸口、発端、動機、すなわちきっかけはフジテレビであって、フジテレビがなければ僕は存在しないのであって、うちのテレビはどのチャンネルを押しても8チャンネルしか映らない。要するに朝は必然的に目覚ましテレビであって大塚さんなのである。
 
どのくらいフジテレビかというと、高校生の頃、新聞配達をしていて、八木アナウンサーの笑顔が見たいが為に雨の日も風の日も頑張っていたというくらいの目覚ましライフだったのだが、八木アナやめちまって、なっちゃんは別にタイプじゃないので、大塚さんの欲求不満トークに便乗する軽部アナに釘付けだったのだが、現在、大塚さんの隣にいる、なんつう奴だ。えっと、パン? パンなんとか。あぁそうそうアヤパン。アヤパンこと高島彩。僕はあのコが気に入らない。
 
気に入らない理由は、一時期、そう、2・3ヶ月前だろうか、芸能情報の時に「君の好きなヒト」という駄曲を延々と流したことに端を発するのだが、そればかりではない。僕は基本的にアヤパンが嫌いなのだ。なんつーかものすごい好い加減さを感じるのだ。
 
なんかとりあえず仕事やってます。とりあえずコメントしてます。というようなあの表情。お人形さんみたい。そう、お人形さんの笑顔。作り物の笑顔。必死さが伝わってこない。必死さが伝わってこないっつーか世渡り上手っぷりが浮き彫りにされてるっつーか。なんか露骨なんですよね。
 
カメラ目線とかね。カメラ目線すな! とか言いたくなるけど、アナウンサーだからしょうがない。いったいいくつなんだろ。彼女にするんだったらあんなタイプがいいな。
 
2004年03月06日(土)  夢と現実。
 
何か1週間おきに風邪をひいてるような気がするけど、実際僕は今、こうやって風邪をひいているわけで、ベッドの中で夢うつつ。富士山の頂上で小便をする夢を見たり、山手線がいつの間にか滑走路を走っていてそのまま飛び立つ夢をみたりしている。熱もある。38℃ある。今はわかんない。もう測るの怖い。測んなくてもやばいことになってるのはわかる。
 
夢か現実か。起きたら彼女がキッチンに立っていた。キッチンといっても僕の部屋はワンルームなので、部屋の中にキッチンがある。部屋に立っていたと書いてもいいのだが、彼女はキッチンに向かい何か作っていた。
 
「はいどうぞ召し上がれ」
 
ベッド上に呆然と座る僕に彼女がお粥を渡す。夢か現実か。与えられた意識にかじりついて、現実見当識について。彼女が、部屋の中にいる。僕は風邪で眠っている。眠っているというか、もう生死の境を一人で彷徨っていた。いや、冗談ではなくて。びっくりするくらい何もできなくなった。仕事にもコンビニにも行けない。身体が動かない。このまま腐る。僕の腐敗臭でようやく近隣住民が気付く。孤独な死。死因は風邪でした。クスリ飲んだら治る程度の風邪でした。目の前に彼女がいる。
 
「早く食べないと、冷めちゃうよ」
 
そう言って彼女は僕の頬にキスをした。そして唇を求めたが、僕は拒んだ。共倒れなんて御免だ。僕が治ったら彼女に精一杯のお返しをする。具体的に言うと、健康な身体で彼女の唇にキスをする。
 
夢か現実か。目の前に彼女がいる。僕は風邪をひいている。外ではカラスが鳴いている。
 
2004年03月05日(金)  白い視線。
 
というわけで池袋駅東口で加藤という人物に話し掛けられて、加藤は人間違いとわかった瞬間逃げるようにパルコの方向へ走り去って行ったので再び一人残された僕は腹が減るまでとりあえず喫茶店でコーヒーでも飲もうと、東口から5分ほど歩いた場所にあるカフェへ入った。
 
「いらっしゃいませ」という挨拶が聞こえたと同時に店内を見渡す。店内の値踏みってやつね。雰囲気はどうか。客層はどうか。ちゃんとテーブルは拭いてあるかってね。で、ふと気付いたのだが、店内に女性客しかいない。店員まで女性で、会計に並んでいる客まで皆女性だ。なんだこら。もしかして女性専用喫茶店。今風で申すとレディースカフェ? そんな言葉あるの? だけどバスや電車で女性専用車両が誕生するご時世だし、パチンコだって女性専用の場所があるし、サンシャイン通りのゲーセンの4階か5階は女性専用ルームだしね。レディースカフェってのもありえるなぁ。
 
しかしここが本当にレディースカフェだったら恥ずかしいなぁ。のうのうと店内に入ってきた僕を店員ならびに客は白い目で見てるんだろうなぁ。と携帯。携帯プルル! 携帯プルルと鳴った振り! おっとっとっとと取った振り! 受話器の向こうの人物と話す振りして一旦店外へ! 阿呆のような演技をしつつ、看板もしくは自動ドアなどを何気に観察する。女性専用ならどこかに大きく、誰でもわかるように「女性専用」もしくは「レディースカフェ」などと書いているはずだ。僕は何も考えないでここに入ったのできっとその注意書きに気付かなかったんだ。きっとそうだ。
 
と要観察。携帯片手の演技も忘れずに。「あっ、そうですか。いや、いまちょっと喫茶店入ろうかなぁって。あ、いやいや、申訳ないです。あ、それは大丈夫です」なんて誰も聞いちゃいない孤独の演技。しかしこの店、どこにも「女性専用」という類の文句は謳っていない。じゃあ何だ。なんだこら。入っていいのか。僕も入っていい資格があるってことか。と、再び店内へ。
 
あぁやっぱり女ばっかだ。甲高い声しか聞えない。一人で読書に耽る女性。爪楊枝のような煙草をふかす女性。数人で互いの悩みを言合いっこ。励まし合いっこ。無責任の極致の会話。顔を寄せ、ひそひそ会話する女二人。もしかして、もしかしてここはレズビアンのハッテン場なのかもしれない。なんか暗黙のルールみたいなやつがあって、それを僕だけが知らないのかもしれない。あぁ、あの男、レズカフェに入っていったよ。馬鹿だなぁ。と店外でも白い目で見られていたのかもしれない。店内でも店外でも白い目。孤独。本当の孤独。
 
「ホ、ホットコーヒーを一つ」
「ご注文は以上で宜しいでしょうか」
「あ、あと、チ、チーズケーキ」
 
心は女性なんだと意味のわからぬ抵抗。
 
2004年03月04日(木)  偶然加藤と会った。
 
彼女を東京駅まで送って、帰りに飯でも食って帰ろうかなと池袋に寄って、よく考えたら腹減ってないし時計を見ると午後5時。飯を食うにはまだ早い時間だなぁ。と、池袋駅東口。キャッチのお兄ちゃんのようにタバコをふかしてぼんやり立っていると一人の青年が話し掛けてくる。キャッチにキャッチとは何事だ。紳士協定を犯しやがってこの野郎。名を名乗れ。
 
「加藤です」
 
あ、加藤か。それにしても普遍的な名前だなぁ。とりあえず思いついたような名字だなぁ。いかがわしいなぁ。で、何? 何の用? 僕は彼女を駅まで送って、空腹感つーか空虚感? そんなやつに支配されてた獅子座のA型、ヨシミという者だけどあんた誰? 加藤? で、加藤は僕に何の用? 手相とか見るの? いかがわしいお店に連れていくの? あっち行けよ。なんか香水臭いよ。他あたれよ。
 
「加藤ですよ。忘れたんすか!」
 
あぁ、思い出した。加藤か加藤。確かキミ加藤なんとかって言ったよね、名前。加藤なんとかだったよね。見るからに男性だよね。血液型は見た目じゃわかんないし、それにあれだよ。加藤の名字がいけない。シンプルだからこそ惑わせる。で、何? 何の用? 僕は彼女を駅まで送って、飢餓感つーか危機感? そんなやつに支配されてた九州出身の7月生まれ、ヨシミという者だけど、加藤は何? 僕に何の用? スカウトとか? 飯でも食いに行く? 豚めし食える?
 
「いや、まだ仕事中なんで」
 
じゃあ仕事中に話し掛けてくんなよ加藤。加藤は昔からそうだった。変わっちゃいない。名字と一緒で何も変わっちゃいない。加藤は永遠に加藤だ。婿養子にでもならない限り加藤だ。で、何? ちょっとうざいんだけど。ほら、こっからマツキヨ見えるでしょ。あそこ行かない? で、ボディソープの詰替え用買ってよ。買えよ。くれよ。詰替え用ってさ、よし! 今日は詰替えよう! って覚悟と決意がいるよね。明日でいいやって思っちゃうよね。絞り出して使っちゃうよね加藤。おい加藤! なんだその顔は。漢字二文字で表すと怪訝と書きます。怪訝な表情。怪訝な表情をしていた加藤は。と倒置法。
 
「すんません。人間違いでした」
 
阿呆が。
 
2004年03月03日(水)  芋インフルエンザ 「隠す意図なかった」
 
鹿児島県花山町の桜島農園の薩摩芋が芋インフルエンザに感染した問題で、農場を経営する斉藤次男氏(56)とその一人息子、斉藤英治(22)氏が3日午後、鹿児島県花山町の実家(木造平屋)で記者会見した。
 
次男氏は同農場で栽培された薩摩芋の摂取後に肛門から発するガスの臭いの異変に気付きながらも、同県西豪町で石焼き芋屋を営む後藤助六氏(63)に約15キロの芋を引き取るように要請したとされる点について「どうせ焼くんだし大丈夫だと思った。焼くとこれがまた美味いんだ。大学イモなんてのは邪道だよ」と釈明した。
 
全日本芋連盟、石田会長は「ご迷惑をおかけして、全国の皆さんや消費者に深くおわび申上げます。あ、僕ウーロン茶」と都内のカラオケボックスでドリンクをオーダーしつつ謝罪。「予想もしてなかったことで経験がなく、前後の対処を間違った。そもそも屁の臭いがいつもと違うなんて気付く奴がおかしいんだ。あ、あとポテトとタコ焼きね」と述べた。
 
鹿児島県への報告が遅れた点については「隠す意図はなかった。じゃあ何か。すんませーん。最近ボクの屁の臭いがちょっとおかしいんですけどーって報告すればよかったのか。だったらお前してみろよ」と強調した。
 
次男氏によると、腸内のガスがすでに大量に生産されていた2月20日、後藤助六氏に「芋の価値が上がっている。もうブームってもんじゃない。遂に薩摩芋は社会現象を超越し、日本を芋国家に変えてしまった」と支離滅裂なことを伝え、紫イモ以外の芋を全て引き取ってほしいと求めた。この時点では、屁の異臭に関しては、同市の「ラーメン八ちゃん」のニンニクラーメンによるものと思っていたため、芋インフルエンザの可能性は考えなかったという。
 
22、23の両日に爆音を伴う屁を約20回放出したが、腹部膨満感は更に拡大していたため、助六氏に「ほんと臭い。ありえないくらい臭い」と伝えたが、「そんなものオレに言われても困る。今日は女房の誕生日でね」と言われた。このため、次男氏は代わりに親戚の畑から出荷することを検討していたという。
 
この点について助六氏は、入荷した芋を摂取した後の屁が異様に臭いことについて、次男氏に問い合せた際、「『ラーメン八ちゃんのニンニクラーメンって美味いよね』『そんなこと言われても困るんだよ。うちはNHKは見てないって言ってるじゃないか』『つーかお前なんていつも臭いよ』などと、罵倒を交え説明された」としている。
 
2004年03月02日(火)  さくらんぼ。
 
来月になったらそろそろ引っ越しの準備を始めようと思うんだけど、どうせ引っ越すのならインテリアも一新したいよなぁ。皆さん今月号のCROWD読みましたか。特集「新しい生活、新しいインテリア」だったっけ? その特集の中で「僕の臭い キミの匂い」というタイトルでコラム書いてます。その中でインテリアに凝ることと独居生活の素晴らしさを説いているわけですが、有言実行。あんなこと書いたから実生活でもインテリアを充実させなければいけない。
 
で、先日丸ビルに買い物に行ったんだけど、とあるソファーに惹かれてしまって、どうしてもあれ欲しい。何がなんでも欲しい。欲しいったら欲しい。女房を質に入れても彼女の膣に入れても欲しい。欲しい欲しい。しかし高い。13万円。1ヶ月豚めしのみの生活だったら買えない値段ではない。頑張って買ってみようかしら。あ、思い出した。あ、でもなぁ。13万円かぁ。そういえば通信大学の学費を納める季節だよなぁ。それ払わないといかんなぁ。それに13万円あったらまずパソコン買わなきゃなぁ。もう5年くらい使ってるもんなぁ。
 
というわけで今回はお見送り。よく考えてみるとたいして魅力のあるソファーじゃないしね。魅力といえば最近「さくらんぼ」って歌うたってる大塚愛ってコ、可愛いなぁ。とろけちまうなぁ。うっそー。嘘です。彼女に謝罪。キミが一番です。大塚愛は二番です。で、三番が豚めし。
 
結局、順序としては、一、学費。二、引越し。三、パソコン。四、ソファー。五、大塚愛。六、豚めし。新しいパソコン欲しいなぁ。ソファーも欲しいなぁ。大塚愛も欲しいなぁ。うっそー。嘘です。
 
2004年03月01日(月)  観覧車。
 
デートらしいデートといえば観覧車でございまして、ジェットコースターの類は平気なんだけど、観覧車怖い。昔書いたと思うんだけど、僕は意味もなくでかいものにただならぬ恐怖を感じるたちでありまして、意味もなくでかいものの代表格といえば奈良の大仏。あれ怖い。なんでこんなにデケぇんだよーありえねーよーちょーこえーと足が竦みます。飛行機もダメです。でかい。あと、風力発電のでっかい扇風機みたいなやつ。あれも怖い。浅草の雷門のでかい提灯も怖い。でも彼女と一緒なので怖いものも怖くないように振る舞わなければいけない。
 
「でかいね」
「ほら、ここに日本最大級って書いてあるよ」
「なんでもでかけりゃいいってものじゃないのにね。だから人間は愚かな生き物なんだ」
「乗りましょ」
「ちょっと待って。あの売店でポップコーン買ってこようよ。僕は別に食べたくないんだけどキミが食べたそうな顔してるからね。買ってきてあげる」
「またそんなこと言ってる。いらないわよ。早く乗りましょうよ」
「でかいねしかし」
「でかいでかい言って何が解決されるの。早く早く」
「ちゃんと手振ってね。写真撮ってあげる。手ぇ振らないとどこにいるかわかんないから」
「何言ってんの! あなたも一緒に乗るのよ!」
「なんだ、そういうことか。それならそうとちゃんと言ってくれれば」
「って観覧車乗るために今日ここに来たんでしょ!」
 
と言って手を引っ張る彼女。それにしてもでかい。日本最大級という言葉が僕の背中にのしかかる。怖い。小便行きたい。観覧車なんて何年振りだろう。帰りたいなぁ。でも今更乗らないって言うと彼女怒っちゃうだろうしなぁ。彼女、日頃は温厚なんだけど怒ると怖いんだよなぁ。目が変わる。目が変わるんだよなぁ。
 
「わーいわーい」
「おっ、おっ、おい! 揺らすなって! ちぎれるって!」
「わーいわーい」
「たっ、立つな! こっちくんな! バランスが崩れるじゃないか! 観覧車が片寄るじゃないか!」
 
子供のようにはしゃぐ彼女。このコは頭がいい子なので、きっと僕が恐怖におののいていることを見抜いているはずだ。下を見ると、いつの間にか歩く人が豆粒のようになっている。子供のように揺らし続ける彼女。子供のように喚き続ける僕。観覧車が頂上までまわった時、僕たちはキスをした。
 

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