2004年01月31日(土)  酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである。
 
酒が飲めない女性が好きです。合コンの席で申し訳なさそうにウーロン茶を飲む。そんな女性に心惹かれてしまいます。そんな女性は他人のカラオケを聞きながら心優しく手拍子を打ってくれます。
酒を飲む女性。これは問題です。合コンの席で「焼酎、ロックで」などと平然と言い放ち、他人のカラオケのサビの部分を大声で歌い放ちます。
酒に弱い女性が好きです。ウーロンハイ一杯で頬を紅く染め、とろんとした瞳はまさにレッドアイ。キミはビールの苦味を中和させるトマトジュースのようだとキザなセリフに首を傾げるその姿に心揺れてしまいます。
酒に強い女性。これは問題です。ビールのピッチャーでは事足りず、お立ち台というマウンドに立つその姿はまさに豪腕ピッチャー。自慢のストレートで男のバットは音を立てて虚しく空を切るばかり。
 
酒に強い女性は格好いいとよく言われます。とあるバーのカウンター。後から入ってきた一人の女性が煙草に火を灯しながら呟く。「ギネスありますか?」そしてギネスを気持ちよく飲み干してスコッチのロックへ。3杯ほど飲んで「ごちそうさま」と言い残し消えていく。格好いいじゃないですか。これは先日実際にあった話なんだけど、その時はさすがに唖然として、マスターに「か、格好いいですね」と言ってしまいました。
 
だけど僕も酒が弱いわけじゃないからあの女性の真似をすることは可能であります。とある居酒屋。無精髭を生やした僕は煙草に火を灯しながら呟く。「エビスありますか?」「700円です」「高ぇなぁ。じゃ、伊佐美をロックで」「800円です」「やめた。青リンゴサワー下さい」そして金がないと格好よさを演出できないことに気付くのです。
 
酒と恋は「酔える」という共通した不思議な魔力を持っています。そして抵抗しがたい魅力を持っています。「僕はスコッチに酔ってるんじゃない。キミの瞳に酔っているんだ」なんて口説くこともできるし「キミに酔ってるんじゃない。このマルガリータのテキーラの量が多すぎるんだ」なんて切り返すこともできます。そんなことはまず言いませんが。
 
しかしこの酒と恋とのもう一つの共通点も見逃してはいけません。酔いから醒めると、ひどい事態が待ち受けています。二日酔いと失恋です。どちらもひどいじゃありませんか。酒の量が、恋の期間が、多ければ多いほど、それはひどさを増すのです。仕事行きたくない。頭痛い。胸に穴が開いている。世界が歪んで見える。目が腫れる。悲惨な状況です。だけど僕たちはそれを紛らわすために、今日も懲りもせず更に酒を飲み、恋をするのです。
 
どうしてかって? 作家のフランクリン・アダムスが言っています。
「制御しがたい物を順に挙げれば、酒と女と歌である」ってね。
2004年01月30日(金)  歴史が捻出した1分間。
 
僕は昔からTバックは大好きだけど、ティーバッグというものが嫌いで、紅茶を煎れる度に辟易するのは、どのくらいの時間お湯に浸けて、どのくらい経ったら取り出していいのかさっぱりわからないからで、例えば1分間お湯に浸けて下さいなどと然るべき時間が記載してあれば僕はすごく助かるんだけど、もしかしたらリプトンの箱とかに注意書きがしてあるかもしれない。今度読んでみようと思うんだけど思うだけで真剣に記載を探そうとした試しがない。
 
そんなの好みで決めたらいいんですよ。
 
なんていう人もいるかもしれないが、その好みというものが曖昧で、じゃあキミの紅茶の好みはなんなんだと問いた場合、「んー、ちょっと濃いめかな」などと答える。さっぱり意味がわからない。「ちょっと」「濃いめ」「かな」と3つの文体で構成されたこの台詞は、すべて断定の意味が込められていない。だから困ってしまうのである。
 
しかし断定されたとしても、例えば「絶対濃くなければイヤ」なんて言われた場合も同様に困ってしまう。確かに「絶対」「濃くなければ」「イヤ」とそれぞれ断定の意味が込められているが、ティーバッグに対する濃い濃度というのはいったいどのくらいなのか、どんな色なのか僕にはわからない。だから時間で提示してほしい。
 
「1分間お湯にお浸け下さい」僕はこのセリフでどんなに救われることだろう! リプトンが1分間浸けろと言ってるんだからそれに従わざるを得ないじゃないか! 1分間浸けた紅茶がどんなに薄くても濃すぎに感じようとも1分以上浸けたらリプトンの意向に反するわけだから、リプトンは紅茶の老舗だから紅茶に関しては僕以上に詳しいに決まっている。ティーバッグの研究に長年の年月を費やしているに違いない。歴史が捻出した1分間。その歴史を前にして僕は1分以上お湯に浸けることができるだろうか!
 
2004年01月29日(木)  「わい」と読みます。
 
『歪み冷奴』の管理人である歪という人物の読みは「わい」と読みます。というのは、僕は本名がヨシミなので、イニシャルが「y」、読みを漢字に変換して「歪」というわけです。
 
この名前の読みについての質問メールが非常に多いので、日記のスペースを借りて、というのも書くことがなくて必然的にスペースが空いているので、書いた次第であります。
 
しかし皆さん、僕のことを「ゆがみ」だと思っている人が結構多く、「歪さんはゆがみさんでいいんですか」と問われた場合、「はい、ゆがみさんで結構ですよ」と答えてます。同時に「歪さんはひずみさんでいいんですか」と問われた場合も「はい、ひずみさんで結構ですよ」と答えてます。同時に「歪さんの身長を教えて下さい」と問われた場合は「175センチです」と嘘をつきます。同時に「歪さんが好きです」と告白された場合は「僕もあなたが好きです」と軽薄な回答により度々トラブルを巻き起こします。
 
さて、というわけで「飲みに行きましょうよ」と以前からお誘いを受けていた方とようやく酒を飲む具体的な日程を決めまして、「学生です」というのでてっきり大学生かと思っていたら「高3です」などと言う。驚きました。しかも男性からのお誘いということで、このような女々しいサイトを運営していると男性からのバッシングが激しく、仮に僕も第3者的観点でこのサイトを見たら嫌悪感を示すだろうなと思うけれど、それでも数少ない男性の支持者もいてくれるわけで、今回は高校生の実に将来有望な男性から食事を共にするという場をいただきまして、これは伝授しなければいけない。いっぱい歪ませてやろうと楽しみにしている次第でございますが、よく考えると歳が十も違う。言葉が通じるだろうか、名探偵コナンとかワンピースとか見てないけど大丈夫だろうか。ポケモンとか集めたことないけど友達になってくれるかしらと小さな不安もあるわけで、そういう一抹の不安を交えながらもその日を楽しみにしているのであります。
 
2004年01月28日(水)  礼節と良心。
  
また電車の中吊り広告の話題になってしまうが、「マイホームを購入した方へアンケート回答者全員に2000円!」と書いてあって、この金額は果たして自分の中のどのような位置に置けばいいのか迷ってしまい、そりゃあ僕もアンケートに答えて2000円もらいたいけど、この場合、アンケートの前に数千万円のマイホームを購入しなければいけない。
 
例えば4千万円のマイホームを30年だか50年だかのローンで購入し、これで死ぬまでローン生活だと少し憂鬱になっているときに2000円もらえることがどのくらいの慰めになるのだろうか。マイホームが欲しいなんて思ったことないけど、もし将来購入した場合、2000円もらって僕は喜ぶだろうか。
 
まぁどうでもいいや。さて、「この車両は冷房を弱めにしてあります」という注意書きがまだ貼ってあるマヌケな電車に乗って職場に向かう最中、ヘッドホンの音漏れ甚だしい若者が横に立ってまして、僕は公共での礼節というものを尊重する方であって、電車内での携帯電話でのお喋りやヘッドホンの音漏れなどの不作法は頑とした態度で臨むわけであります。
 
といっても故意に肩をぶつける、足を踏む。おもむろに厭な顔をするなど対処法は稚拙でありますが、意外とこの方法は効果を発揮するのであります。というのも携帯電話を車内で使用している並びに大音量で音楽を聴いている本人は、少なからず公共のマナーを遵守していないという罪悪感を持っているもので、まぁいいや誰も注意しないし、職場ではマジメな方なんだけどどうせ周りに知り合いなんていないしという甚だ利己的な理由で周囲に多大なる迷惑を被るわけでありますが、そこで僕が肩をぶつける足を踏むなどの手段で、相手の良心を刺激するわけであります。
 
そこで相手はようやく「あぁ、やっぱりこれはしてはいけないことだったんだ」なんて思い始めてペコリと頭を下げたり、その場で土下座をしたり次の駅で降りてホームに飛び込んだりするのです。人間は皆弱い生き物なのに、無意味に強がろうとするから無理が生じるのです。
 
といいつつ電車内で彼女からのメールをニヤニヤしながら眺める筆者。
 
2004年01月27日(火)  ずっと一緒にいよう。
 
いずれ確実に訪れるであろうその痛みに耐えられるだろうか。まだ始まったばかりだけど、同時に明確な終焉さえもが見えている恋。無慈悲に過ぎていく時間。キミの笑顔。その裏に隠された葛藤。言えない言葉。焦る僕。涙を流すキミ。
 
この恋は、キミの涙から始まった。道化の中に巧妙に真実を織り交ぜる僕のやり方に、キミは戸惑い、警戒した。言いたい言葉も言えず、ただ力無く笑い、ベッドの中で涙していた。僕はキミが涙していることさえ気付かず、毎晩、無自覚な罪を犯し続けていた。
 
言葉を大切にするキミは、沈黙の繋ぎでしか存在しない僕の口から発せられる様々な言葉を否定した。「好き」だということに照れてしまい、いつまで経っても言えないのなら、僕は冗談を交えて「好き」だということを連呼するだろう。「愛している」と言うことに躊躇するのなら、僕は様々な比喩を使って迂遠な告白を繰り返すだろう。
 
キミはその数々の無責任な言葉を、我が身に針を刺すように受け止め続け、キミの身体から血が流れているのさえ気付かず、遂にキミは僕の視界から消えてしまった。その小さな顔を塞いだ両腕の隙間からキミの嗚咽が漏れる。僕はどうしたらいいのかわからず、いつもの道化さえ何の役にも立たず、「顔をあげてよ」と子供のように同じ言葉を繰り返す。
 
「多分、あなたには解決できない」
 
あの夜、彼女はそう言って僕との間に壁を作った。彼女が抱える大きな悩み。その内容を聞かされるまでもなく、解決できないと突き放された僕。視線を外すキミ。その視線を追う僕。僕はキミへの詮索を諦め、キミの見えない場所から、僕との間に隔てられた壁を壊すことを試みる。その壁を崩せば崩す程、なぜか僕自身が痛みを感じる。
 
「あなたには解決できない理由は、あなたのことで悩んでいるから」
 
そして僕たちの恋は始まった。手を繋ぐ時間も唇を合わせる回数も限られている恋。
 
ずっと一緒にいようなんて言葉は、僕たちの口から発せられることはないけれど、ずっと一緒にいよう。これからずっと一緒にいよう。
 
2004年01月26日(月)  オサレコート。
 
コートを買いに行きまして。鹿児島に住んでいたときはコートを着る機会があまりなくて、というのもほとんど移動は車なので、コートを着ると非常にかさばって、乗車する度に脱いで、降りる度に羽織るという一連の行動が甚だ億劫で、そんな無駄な行動をするくらいなら、親孝行の一つでもした方がいいと思い、ユニクロなどに行った折、母にカーディガンの一つでも買ってたのだが都会は寒い。ほとんどの行動を歩行か電車でしなければならないしね。
 
というわけでコートを買いに行きました。まだどこもセール期間中なので安い安い。しかし安いコートは冬なのに通気性が良い材質を使っているので、少々高くても保温機能が優れており同時にお洒落だと思わせるいわゆるトランスコンチネンツや、アバハウスなどのちょっと気取った店員達がたむろする店に行かなくてはならず、気が滅入ってしまうが、いくら気が滅入ってもいいからこの寒さをなんとかしたいと思い、これ試着してもいいですか。
 
まずは黒いロングコート。サイズはMなのに、なんかでかい。裾が長い。鏡の前に立つと僕の指が見えない。明らかにでかい。
 
「皆さん、このくらいの裾の長さのコートを購入なさいますよ」
 
そりゃあ皆さんは馬鹿だからこんなでかいコートをお洒落だからという理由で購入するかもしれないが、僕はもう少し身体にフィットするコートが欲しいわけで、皆さんの価値観を押しつけてそれにはめこもうとする浅はかな店員に呆れ果てながらも次これ着ていいですか?
 
先ほどのコートより1万円弱高いコート。うんいい感じ。なんだか裾もぴったり。しかしお洒落なことはお洒落なんだけど故意に色落ちさせたような色彩がコーディネイトを少しでも間違えると、ただのみすぼらしい青年になってしまう恐れがある。僕はお洒落達人ではないので、いつ着てもみすぼらしい青年になってしまう恐れが高い。
 
「さっきのコートは少しお客様には大きいかなって感じでしたが、このコートはぴったりですよ」
 
てめぇさっきこんなコート誰でも買ってるみたいなこと言ってたじゃねぇか! 裾が長くてもお洒落なんだから大丈夫みたいなニュアンスを含めて! しかしなんだよこの変貌ぶりは。さっきのコートより1万円弱高いから、さっきのコートは諦めてこっちの高い方にしなよっておい! ヒゲ剃れよ! ちょろちょろした顎ヒゲ生やしやがって。接客業のくせに! お洒落だったらなんでも許されるのか! じゃあ僕ピアス開けます。お洒落な看護師目指しますってほら、なんか許されないでしょ。そういうことじゃないでしょ! ねぇ。聞いてんの? これください。
 
2004年01月25日(日)  広告コピーの怪。
  
最近、広告のコピーに興味があって、というのも電車に乗ると否が応でも様々な広告が目に入るので、いったい僕はどういう基準で広告を見ているのだろう。目の前に貼ってあるから? それともいくつもある広告を目で追って何かを選択してるから? と考えた場合、広告のコピーに惹かれて見ているんだということに気付いた。
 
「しなるから、折れない。自分の価値観を信じている。ありのままの私」
 
これはとある煙草の広告のコピーである。一見煙草と何ら関係のないような気がする。しかしよく考えてみるとやはり関係がない。関係ないけど、なんとなく、あぁいいかもね。と思わせる。
 
しかし「自分の価値観を信じている。ありのままの私」の下に小さな文字で「喫煙マナーを守りましょう」と注意書きがしてある。自分の価値観を信じて、ありのままに行動するのは構わないけど、喫煙マナーぐらいは守ってほしいわねということだろうか。自分の価値観を過信することを戒めているように思わせる。なんだか深い。
 
「私たちは、もう次の日本に住み始めている」
 
とある不動産の広告コピー。僕もあなたも知らないうちに私たちは次の日本に住み始めているらしい。大変なことである。「次の日本」という定義を一刻も早く理解したい気分でいっぱいになる。家とか買ってる場合ではない。「前の日本」は一体どこで終わってしまったんだ。
 
しかもこのコピーは「住み始めている」で終わっていて、だからこういう風にしなければいけないなどの具体的な対策が銘記されていない。投げっぱなしである。無責任な行動は相手に不安を与える。僕は新しい日本でどのように暮らしていけばいいのか。狭いアパートの一室で一抹の不安を抱えながら生きていかなければいけないのか。この広告の不動産に問い合わせたら笑みを浮かべながら一言で答えるかもね。「うちが紹介する家を買いなさい」って。
 
「英会話というからにはイギリス英語じゃないのかな」
 
疑問系である。せっかく広告を見てやってるのに疑問系である。困った。どうしよう。僕もわかんない。だけど中華料理というからには中国料理だもんな。だから英会話もイギリス英語なのかもしれないね。イギリス英語だよきっと。ね、キミの言う通りだよ。間違いないよ。って広告を慰めている僕がいる。
 
2004年01月24日(土)  抑制のジレンマ。
 
抑制。看護をする上で必要不可欠なこの行為。
 
痴呆の患者が徘徊しないように、車椅子やベッドに胴や四肢を縛る。転倒、転落しないようにベッドに胴や四肢を縛る。点滴・中心静脈栄養・経管栄養等のチューブを抜かないように上(下)肢を縛る 。
 
医療現場ではこのような非人道的な行為が「やむをえない」といる理由で未だあらゆる病院で日常茶飯事に行われている。
 
僕が働いている病院でも、勿論行われている。
 
僕は精神的に重症、且つ高齢者の病室を受け持つことが多いので、毎日その問題と格闘しなければいけない。
 
例えば、徘徊をする高齢者。もし転倒すれば大腿骨頚部骨折などの重症を負う場合がある。だからといって患者を抑制したら問題は解決されるのか。患者は怪我を負わない代わりに胴や四肢を抑制帯で縛られる。患者の自由を尊重すれば怪我の恐れ、医療事故の防止に努めるならば抑制。そのジレンマとの葛藤が毎日続く。
 
僕は抑制をしない。夜勤の人から、佐藤さんは胴抑制のまま経過していますと朝の申し送りで受けた場合、僕は申し送りが終わってからすぐ佐藤さんの元へ行き、抑制を外す。勤務帯が代わり、部屋の受け持ち看護師が僕へと移行した瞬間から、その患者さんの責任は僕が請け負うことになる。
 
転倒しようと、大怪我をしようと全て僕が責任を負うことになる。
 
それでも僕は抑制を外す。患者さんの自由を尊重する。リスクはとても大きいけど、患者さんの行動を密に観察すれば事故は未然に防止できる。僕は今までずっと看護に必要な観察力を自分なりに学んできたつもりだ。
 
もし、転倒やベットから転落した場合、インシデントレポートという医療事故報告書を書かなければいけない。僕は職場でこのレポートを書く回数が一番多い。少なくするにはどうすればいいか。抑制すればいい。だから、このレポートを恐れるがあまり、皆看護に消極的になる。患者の自由と自らの自尊心、どちらを優先するか。
 
僕は自分の看護の質を哲学を責められてもいい。いくらレポートの枚数を重ねてもいい。僕は患者さんの自由を優先する。抑制帯を外したときの笑顔を見るために。
 
僕は職場でいつも気が張り詰めている。一秒だって気が抜けない。気を抜くと事故を招く。気を抜いた瞬間にベッド柵が倒れ、廊下で鈍い音がする。僕は顔を真っ青にして患者さんの元へ駆け寄る。事故の理由を分析し、自分を責める。
 
毎日、仕事が終わるたびに事故がなかったことに大きく胸を撫で下ろす。僕は毎朝、受け持ちの病室に行って患者さんと指切りをする。勝手に歩き回らない。勝手にベッド柵を取らない。約束ね。指きりげんまん。
 
道具で抑制しない代わりに、言葉で行動を抑制する。結果的には同じことなのかもしれないが、言葉はそれ以上の重要な意味を持っている。その約束によって、その会話を繰り返すことによって、患者さんと僕との深い場所で繋がることができるようになる。
 
僕はその信頼関係を大切にしている。患者さんの全てを理解すれば、医療事故は防げるはずだ。道具で抑制するなんて、子供にだってできるよ。人を看護するということは、知識でも技術でもない特別な何かが必要なんだってことを、これからも、毎朝タイムカードを押すたびに考えていきたいと思う。
 
2004年01月23日(金)  真・続々・洗濯物についての考察・後編(終)
 
あのコがお風呂に入ってる間に。あの子というのはメガネのあのコのことなんですが。髪の毛が長くて綺麗で色が白くて「私は好きの安売りなんてしないの」と僕の人生を否定するようなことを平然と言ってのける女の子。そのコがシャワーを浴びている間に書く日記。
 
もう洗濯物については今日でお仕舞い。もう書かない。ちゃんと洗います。いくら日記に書いても誰も洗ってくれないことに気付きました。今シャワーを浴びてるあのコは洗ってくれると言ったけど、だってほら、シャワー浴びてるでしょ。その前は何をしていたかというと、コンタクトを外していて、その前は何していたかと言うと、飯を食っていたと言って、それでは何を食べたのか問うと今日はフグを食べましたテヘヘ。と笑いながら申すでないか。
 
フグなんて僕はもう何十年も口にしていない。それなのにそのコときたら、今日が特別な日というわけでもなく、誰かの誕生日とか給料日とかそういう日でもなく、カレンダーを見ると1月23日金曜日。平日じゃないか。僕は金曜日と聞けばゴミの日としか思い出せない刺激の少ない日々を送っているというのに彼女はフグを食べたと。
 
僕だって今日はリッチな食卓でした。フグは食べなかったけどマグロの刺身を食べました。近所の東武ストアで398円の刺身が半額だったの。で、ああいう刺身ってほら、ワサビが入ってるでしょ。でもあのワサビの量じゃ足りないわけね。だから冷蔵庫に入ってるワサビも使うわけ。辛いの好きだからね。
 
で、うちに帰ったら冷蔵庫の中にわさびが入ってない。げ。盗まれた。空き巣にやられてしまったよ。通帳も印鑑も盗られてないけどワサビだけ盗られてしまった。陰湿だなぁ。と、警察に電話しようかと思ったけど、警察はワサビを盗られた程度では動いてくれないだろうから泣き寝入り。今度からワサビにもマジックで名前を書こうと思った。
 
辛いものと言えば、先日、隣の部屋のコからキムチもらったのね。しばらくうちに預かってたやつ(2004年01月09日(金)アジアの香り参照)。あのキムチのお陰で今も僕の部屋の壁や床や心にアジアの香りが染み付いてしまって仕事から帰ってドアを開けるたびに顔をしかめる毎日が続いているわけですが、先日そのコがやっとキムチ取りにきまして、預かってたお礼にというわけでその一部を頂戴したわけであります。複雑な心境でありました。しかし本当に臭いけど本当に美味しいのであります。
 
で、そのキムチ、食べてみようとしたところ、非常に大雑把に捌いてあって、食べやすくない。白菜の葉一枚とか余裕で入ってる。だからこれは手頃な大きさにきらなければならないなと、しばらく箸を用いて葛藤していたが、一向に切れる気配がないので、まな板を取り出し、その白菜の束を取り出す。んがしかし。なんか熱い。手に熱がこもってきた。キムチを持った左手がぷっくり膨らんだような気がする。あ、熱い。ほんとに熱い。なんだこの熱キムチは!
 
というわけであのキムチは人の皮膚に熱を持たせる謎の成分が入っているらしく、恐ろしくなってきたので食事を中断。隣の部屋をノックノック。「あれ、何が入ってるの? すげぇ熱いんだけど」「あぁ、あれね中国でしか売ってない材料いっぱい使ってますので」「あぁ、中国か」と、なぜか中国と聞いただけで納得してしまい、再び食卓へ。中国4千年の歴史と電子レンジでチンした白米が絶妙なハーモニーを生み出し、左手に熱を帯びながら彼女が風呂から出てきてしまった。
 
なんとセクシーなことでしょう。黒いキャミソールではありませんか。肩口からブラジャーの線が出ていたら余計セクシーでしょうが、もう彼女は寝るだけなので、往々にして女性は寝るときにはブラジャーはつけないというなんとも世の男性に喜ばしいサービスを神が与えたのでありますが、お腹が出てきたなんて言いながらも出るどころかセクシーなくびれまで神は与えたらしく、しかし彼女は美の謙遜を繰り返す。あぁ、綺麗だなぁ。あぁ、美しいなぁ。好きだよ。
 
「私は好きの安売りはしませんので」
 
僕は彼女の言葉に打ちのめされてベッドの上で洗濯物をたたみました。
 
2004年01月22日(木)  真・続々・洗濯物についての考察・後編。
今日で終わるぞ! もう洗濯物なんて洗っちゃえばいいんだ! 案ずるより産むが易しって言うじゃないか! 心を無にして洗濯機の中に洗濯物とアリエール漂白剤プラスをぶちこんでワインレッドのズボンを洗ったらちょっと色落ちしてショック。
 
最近、毎日日記を更新するのさえ億劫になってしまい、3・4日分まとめて更新するという状況が続いているのだけど、やっぱり毎日楽しみに見てくれる人に申し訳ないので、できるだけ毎日書くように努力します。見えない努力をします。見えない努力をしているということを見せつけるように努力します。
 
僕はたいしてお金もないのに、銀行の口座をたくさんもってまして、その理由はキャッシュカードのデザインが格好良かったり(ジャパンネットバンク)、なんだかお洒落っぽい発音だったり(UFJ銀行)、故郷の銀行だったり(鹿児島銀行)、困ったときに意外に役に立ったり(郵便貯金)、いつ口座を開いたのかさえ覚えてなかったり(宮崎太陽銀行)、原稿のギャラの振込み専用だったり(イーバンク銀行)、今住んでるとこの近くだったり(埼玉りそな銀行)で、ざっと7箇所の金融機関の口座を持っているということになる。
 
クレジットカードは、僕は基本的に駄目人間なので、あんな便利なカードがあったら彼女に車でもプレゼントしてしまいかねないので、持たないようにしている。僕は本当に自分に甘いのです。世の中はそんな僕をもっと甘くしてくれる。だから自分でどこかで自制しなくてはいけない。だから基本的にクレジットカードは持たない。
 
さて、銀行が洗濯物に何の関連性を持っているかと問われれば、何もないよ。あるわけないじゃん。僕は高校の頃まで、銀行員というものは公務員だと勘違いしておりましたっけ。
 
しかしインターネットってやつは実に便利ですね。銀行の残高とかわかるうえに、振込みまでできるじゃありませんか。僕がキーボードを叩いただけでお金が動く。すごい世の中になったものだよ。というわけでキーボードを叩いただけで、僕は鹿児島の妹に石油ストーブを買ってあげました。今日、「お兄ちゃんありがとう。とても暖かいよ」というメールが届いたけど、僕は感謝されるような苦労はしていない。ただキーボードを叩いていただけだもの。
 
石油ストーブを購入したお金だって原稿のギャラだから、原稿もキーボードを叩くだけで生まれるものだから、要するにこのパソコン、キーボード、ハードディスク、あんまり詳しくないのでよくわかんないけどUSBとか? プリンターとか? スキャナっての? あとCD−R? マイドキュメント? これら一式は全て金を産み出す力を兼ね備えているということになる。実に素晴らしい機械だなァ。
 
金を産み出すほどの能力を兼ね揃えた素晴らしい機械なんだから、洗濯とかもしてほしいよね。
 
2004年01月21日(水)  真・続々・洗濯物についての考察。
 
まぁそういうわけでこの愚鈍な考察も今回で最後にしたいわけですが。ここで3日間も続いてしまった問題の整理をしてみたいと思います。うちは洗濯物が溜まるスピードが早い。整理するもなにもそれだけです。それ以上もそれ以下もありません。この問題は、僕の日常生活への多大なる倦怠感という潜在的理由がありますが、それを語り始めると長くなっちゃうし僕もそんな自分を責めることばかり書きたくはないので、洗濯物が溜まるという事実を外的な要因にして、例えば暴力団の圧力とか宇宙からの電波とか、そういう理由にして、洗濯しないのは僕が悪いわけじゃない。僕の行動を阻止しようとする黒い影が悪いんだということを立証したいんだけどどうもうまくいかない。
 
「ほら、そこの洗濯物、ちゃんとたたんで下さい」とその女性は僕のベッド上に散乱した洗濯物を指さして敬語で優しく注意するのだが、敬語はなんか堅苦しいので、普通に喋って御覧なさいとその女性に言うのだけど、「私はこの方が楽ですので」とまた敬語で返されて、僕も「あぁ、そうですか」とそれ以上の言及を避けるわけですが、敬語になるのもしょうがない。彼女はまだ体育の時間にブルマーを履いて校庭を走り回っている年代なのだというのは嘘。彼女もそれなりの大人であります。大人っぽいのであります。乳も尻もそれなりに突出しているのであります。
 
おっと危ない。また話が横道に逸れるとこだった。僕の悪い癖であります。今日は洗濯物のことしか書かない! やっと誓うことができました。物事を祈るときと誓うときしか僕の中には神様はいません。未だ神様のイメージがビックリマンチョコの『スーパーゼウス』なんですから! 笑わないで下さい。笑うのよして下さい。だったらアナタ、アナタが描く「地獄」というものをイメージしてみなさいよ。ほら、甚だ稚拙的でしょう。なんか暗くて沸騰した赤い池があって鬼が歩いてるでしょう。人のことをそう簡単に笑ってはいけない。まずは自らを内省してから笑いましょう。
 
最初に言っておきますが、今日は洗濯はしませんよ。だって天気悪いじゃん。雨降ってないけどさ、降りそうじゃん。こんな重くて暗い冬空の下、洗濯なんてやってられますかと言うだろう泉ピン子ならば。泉ピン子が言うならば、僕もそれに従わざるを得ないだろう。今日はこのまま降り出しそうで結局降らないという天気が続きそうなんだけど、泉ピン子が言うんだからなぁ。と、僕の中で、泉ピン子はどのくらいの存在感を示しているといえば、そんなに占めていない。テレビのチャンネルを変えてる時に泉ピン子がブラウン管に現れても、たいして感動しない。というか無関心に近い。
 
最近僕が関心を寄せているのは「インリン・オブ・ジョイトイ」であります。あれは危険だなぁ。写真集欲しいなぁ。しかし独り暮らしの男の部屋に写真集ってのはちょっと痛いしなぁ。欲しいなぁ。加護亜衣の写真集も欲しいんだけどなぁ、アマゾンで買おうかなぁ。だけどアマゾンで購入しようとすると、「この写真集を買った方は、こういうものも買っております」と、他人の価値観を押しつけてオタクひとくくりにするようなコメントが出てくるので、あれはどうもいけない。僕は加護亜衣の写真集は欲しくてもプッチベストは買おうとは思わない。原色ギャルにも興味がない。
 
というわけで僕はインリンにも加護亜衣にも興味があるけれど、一番興味があるのはいつまでも僕に敬語を使い続けるキミだったりします。
 
2004年01月20日(火)  続々・洗濯物についての考察。
 
2日前から洗濯物についての考察を続けているが、実際、内容が逸れるばかりでちとも考察していない。考察して僕が納得できる結論が出てから新たな気持ちで洗濯をしようと思うのだが、迂遠な思考のお陰でほら見てみなさい。洗濯物が溜まっている。洗濯かごから溢れ出さんばかりではないか。このままでは洗濯機に入れても回らなくなるのではないか。心配だ。もうそろそろ洗濯しなければいけない。だけどなぁ。なんだか乗り気じゃないんだよなぁ。
 
というのも何について考察しているのかさえわからなくなっているのではないか僕。今回考察すべきことは、我が家はどうしてこんなにも洗濯物が溜まるスピードが早いのかということだ。どこかの家庭と比べて早いと言っているのではない。なんだか早いような気がするという甚だ曖昧な疑問から始まっているわけであって、そうだ。比較してみよう。独り暮らしのあのコに聞いてみよう僕。
 
「ねぇ、いつもどんな下着洗ってるの?」
「馬鹿じゃないの」
 
はい馬鹿でした。質問の趣旨がずれておりました。キミとの溝も深まりました。僕は女性の下着になんて興味ないのであります。いや、全く興味がないわけじゃないけど、例えば、空腹で倒れそうな時、目の前にホクホクの牛丼と、美女の脱ぎたてのパンティーがあったら、パンティーには目もくれずホクホクの牛丼を貪ることでしょう。んがしかし。空腹で倒れそうな時、目の前に牛丼と美女の脱ぎたてホクホクのパンティーがあったら、牛丼には目もくれずホクホクのパンティーを頭からかぶって昇天するでしょう。
 
ということは、この論議でポイントになるのは「ホクホク」という言葉になります。「脱ぎたてのパンティー」はいまいち無機質な感じを抜け出せないでいるけど「脱ぎたてホクホクのパンティー」となった場合、その言葉に生気が宿り、イマジネーションが感化され、生殖機能が鋭敏化され、手で触れると温もりを感じ、その温もりを通してキミの姿まで想像できるという具合にもうやばい状態。
 
ホクホクのアイスティー。あ、いや、言ってみただけ。えっと、なんだっけ。そうそう洗濯物。ほらまたこんな時間! また洗濯できない! やだなぁ。雨降ればいいのにね。雨振ったらさ、「あぁ、今日こそ屈強な意志をもって絶対洗濯するって決めてたのに! 雨降ってたら洗濯できないじゃん! むしろ僕は洗濯したくてたまらない気分なのに! いかなる屈強な意志も自然の摂理には適わないなァ!」なんて自分に優しい言い訳ができるのであります。
 
明日こそは、よく考えて、お金は大事だということはわかっているけど、溜まった洗濯物を洗濯することはもっと切実で大事なことなんだという結論を見出せるように、この洗濯物問題に終止符を打ちたいと思います。
 
2004年01月19日(月)  続・洗濯物についての考察。
 
というわけで昨日の続きです。2日続いてまで書くような問題じゃないと人は言うだろうけど、僕にとっては切実で、口でいくら言っても誰も相手にしてくれないので、こうやって書き留めてそれを目にした人が有意義なアドバイスをしてくれたら僕はその人に恋をして、一緒にご飯でも食べて、終電前にはしっかり帰します。
 
浴室の前に黄色いプラスチック製の洗濯かごが置いてあり、その中に大きなビニール袋があって、その中にこれから洗う洗濯物が入っている。洗濯物が入っている大きなビニール袋はファッションセンターしまむらで赤い毛布を買ったときに入れたビニール袋で、洗濯かごは前の職場の運動会のときに景品でもらった洗濯かご。洗濯物の内容は、Tシャツ、下着、部屋着、外出着、昨日の夜を物語るもの。
 
洗濯かごの横には、出し忘れたごみ袋が二つ、道傍で息絶えた仔猫のように転がっている。僕はそのゴミ袋を見て小さな溜息をついて、その横に鎮座する洗濯かごを見て、大きな溜息をついた。
 
と、文学的なタッチで書いてはみたものの、何の解決にもならない。僕はweb以外でも仕事としていろんな作品を書くんだけど、書くコツは、ある一場面の状況をいかに深く描写するかに、その作品の善し悪しが決定されるのではないかと思う。悪くいえば同じ一場面をいかにダラダラと書けるか。
 
例えば、三万字の短編を書いて下さいと依頼がきたとする。僕の場合、まずラストを設定して、そのラストに向けて筋道を立てていく。あれって何かすごいですよ。何か違う力が働くよ僕の中で。「〜について書いて下さい」と言われたらその瞬間に全ての物語ができあがる。で、はい書きます。と即答して、あの一瞬に思い出したことを拾い上げて文章にしていく。そうやってあらすじができあがるんだけど、それはいわば作品の骨格であって、それから肉付けをしてボリュームを持たせなければいけない。
 
いくら感動する作品があっても、その物語の事実だけを記したあらすじだけを読んでも誰も泣かない。読む人に感動を与えるには、その肉付けの過程にかかっているのだ。ちょっとした一節であったり、ちょっとした台詞であったりね。その「ちょっとしたこと」が読者の心にいつまでも残り続けるんです。鈴木保奈美の「カンチ、セックスしよ」だったり松田優作の「なんじゃこりゃぁぁ!」だったり武田鉄矢の「僕は死にません!」だったりダチョウ倶楽部の「わきあいあい」だったり。わきあいあい?
 
そういうわけで、文章の肉付け。〆切まで1ヶ月間期間があった場合、最初の3日であらすじを立てて、そのあとの1週間で情報収集をして、残りは全て肉付けに用いる。
 
今日は文章の書き方のコツについて書いてみましたところ、タイトルが「続・洗濯物についての考察」だったことを思い出して、2日続けてまで洗濯物について考察しなければいけない理由は、昨日はちっとも考察してないので、今日こそはすぐ溜まってしまう洗濯物について考察・分析し、今後の傾向と対策に役に立てようと思ったけど今日も書けなかったので明日こそ書く。
 
2004年01月18日(日)  洗濯物についての考察。
 
洗濯物がすぐ溜まる。これはいったいどういうことだ。つい2・3日前に洗濯したような気がするんだけど。まだベッドの上に畳んでないタオルやパンツが散乱してるんだけど。
 
そういえばパンツの発音について、先日ある女性に注意された。下着のパンツとズボンのパンツ。どうやら発音が違うらしい。
 
「それはパンツのパンツでしょ」
 
と文章で書いても意味がわからないが、僕は今までパンツのことをパンツの方のパンツの発音を使っていたらしい。まずます意味がわからなくなったが、微妙なニュアンスであっという間に淫猥な言葉に変化してしまうパンツという発音に今後は留意しなければいけないなぁと思いながら洗濯物が溜まる。
 
考えてみた。だって考えないと面倒臭いんだもの。僕が住んでいる建物はは「マンション」という表記があるにもかかわらず、部屋には洗濯機置き場というものがなく、洗濯物が溜まったら、もちろんエレベーターというものもないので、3階から1階のコインランドリーまで洗濯かごを抱えて行かなくてはいけないのだ。
 
生来の横着者である僕は、その一連の行動が甚だ億劫で、明日洗おう、今日は精神的に疲れちゃった。だってプレステで怖いゲームやったんだもの。明日洗うから今はお部屋で眠らせて。と自分に甘く対応して、そうするうちにみるみる洗濯物が溜まって、やがて自分の力でコインランドリーに行くことさえ面倒臭くなって、電話の向こうの女性に「ちょっと洗濯物が溜まってるから洗って欲しい」と頼むと「自分で洗って下さい。いくら私があなたにとってnice --20であったとしても、XWindowでできることとできないことがあるのですよわたしはこれからべんきょうしますので」と、プログラム関連の勉強をしている女性は専門用語を駆使しながら僕を責める。
 
だから洗濯物がすぐ溜まる理由を自分の力で考えなくてはいけなくなった僕は、それもなんだか億劫になってきたので、明日考えることにした。
 
2004年01月17日(土)  同化。
 
「髪を洗って」
「誰の?」
「誰ってあなたライオンのたてがみでも洗うつもり?」
 
女はそう言って僕の手を引いた。僕はこれから用があるということさえ口に出せなかった。彼女は僕の手を引いて人混みを掻き分けるように歩き、やがて人混みを掻き分けなくても歩けるような静かな道に入った。すれ違う人々は皆二人で歩いていて、コートの襟を立てたり、ストッキングの伝染を気にしながら歩いている。
 
車一台通れそうもない細い道のホテル街。都会の隅にひっそりと佇む欲望の道。彼女はもう手を引くことはなく、どちらかというと僕のあとを歩くような格好になっている。依然、その右手は僕の左手を握ってはいるけど。
 
「髪を、洗うんだよね」
 
僕は馬鹿らしいと思いながらももう一度女に訊ねてみた。「髪を洗う」という事自体、意味がよくわからなかったけど、何を訊ねてみても女に馬鹿にされそうなので、僕は要点だけを彼女に訊ねた。誰の髪を洗うのか。僕が僕の髪を洗えばいいのか、それとも僕が女の髪を洗うのか。僕はそれさえもわからなかった。女は僕の手を振り払った。
 
「どうしてあなたはいつも同じことばかり訊ねるの」
 
女は軽蔑の宿った視線で僕を睨み、僕の前を歩き始めた。擦れ違うカップルは興味深そうに僕たちの行動を横目で覗いている。僕は決して女を追い掛けているのではないということを周囲のカップルに見せしめる為に、ゆっくりと平然とした足取りで歩かなければいけなかった。
 
ホテルの部屋は、ただ欲望を処理するためにだけあるような簡素な作りだった。スプリングが軋むベッドと、ガラス張りの浴室。彼女は小さな鏡の前に座り、束ねていた髪の毛を解いた。僕は煙草が吸いたかったけど、女は煙を忌み嫌っているので小さな冷蔵庫を開けてコーラを一口飲んだ。残りをプラスチックのコップに入れて女に渡した。
 
女はテーブルの僕が注いだコーラに一瞥しただけで、最初からそこに何もなかったように僕に話し掛けてきた。
 
「あなた、人の髪の毛洗ったことある?」
 
僕は、仕事上であれば、洗ったことがあると答えた。僕は看護師をしていて老人の入浴介助をしたり、入浴できない患者をベッド上で洗髪したことがあった。
 
「そんなこと聞いてないわよ。あなたは『女』の髪の毛を洗ったことがあるの?」
 
女は漆黒の髪の毛を小さな櫛で梳きながら訊ねた。女が言っていることはおぼろげながら理解できた。女性の患者の髪の毛ではなく「女」の髪の毛だということを。僕はないと答えた。今までいろんな女性と付き合ってきたけれど、考えてみれば、じゃれ合いながら彼女の身体を洗ったことはあったかもしれないけど、髪の毛を洗ったことなんて1度もなかった。彼女は僕の言葉を待たずに言った。
 
「私があなたの初めての人になるの」
 
僕はこの女と一緒に寝たことがなかった。女はセックスを嫌っていたようだし、僕もそれに似たような思いを持っていた。だから同じベッドに入っても別段欲情するわけでもなかったし、何よりも女はいつも僕に背を向けて寝るので僕は女の寝顔すら見たことがなかった。女はセックスの変わりに後ろから抱き締めて寝ることを強要した。だから僕は右腕は彼女の首の下にまわし、左腕は女の腋の下を通り、ちょうど女の胸の辺りで自分の両手を繋ぎ合わせるような格好で眠らなければならなかった。だから僕は女の乳房を見たことはなかったが、その感触は誰よりも知っているつもりだ。
 
女は狭い浴室へ進み、流れるように服を脱いだ。細い背中は女の長い髪で隠された。女は何も言わずに暗い浴室の中へ消えていった。僕は躊躇した。プラスチックのコップに入ったコーラを飲み干し、次の行動を考えた。女の髪を洗う。行動の選択肢はそれしか残っていなかった。僕はいつの間にか女の一部になっていた。
 
暗い浴室で裸の女は僕に背を向けて座っていた。なだらかな腰の線をたどると、形の良い臀部が見えた。僕が服を脱いでいる間、女はずっと黙っていた。僕は服を脱ぐことが適切な行動なのかさえ理解できなくなっていた。服を脱いでいいか女に訊ねようと思ったけど、また怒鳴られてしまいそうで、僕は服を脱ぐときの布と布が擦れる音が女に聞き取られないよう、そっと服を脱いだ。
 
そっと女の髪の毛に触れた。指を通すと、それは繊細な糸のように、僕の手の中を滑った。今にも消えてしまいそうな柔らかな糸。女の裸にも興味がなかったわけではないが、僕はその髪の毛に心奪われてしまった。
 
「さぁ、洗ってみて」
 
女は顔を動かすことなく、石像のようにじっとしている。いつも一緒に寝るときと同じように僕は女の背中を強く抱きしめた。僕の顔が女の髪の毛に埋もれた。僕はいつの間にか女の一部になっていた。
 
2004年01月16日(金)  キスか掃除か。
 
最近とある女性と賭けをしようということになりまして。DDRとポップンミュージック。DDRというのは「どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために」の略ではなくて「ダンスダンスレボリューション」の略であって、前者を訳してもDDBになるため、何ら関係がない。
 
僕が看護学校にいたころだから、DDRが登場したのは約5年前でしょうか。当時は学校帰りにゲーセンに寄って踊り狂いました。というのは嘘で、大の男が機械の上で矢印を追いかけドタバタするのは恥ずかしいので、家庭用のDDRのマットを購入して、一人ひっそりと6畳1間の畳部屋でドタバタやっておりました。が、まだゲーセンにはDDRがあるらしい。
 
「私、プロ級よ」
 
と胸を張るその女性。どのくらいプロ級なのかというと、ミニスカート且つロングブーツで踊っても大丈夫だという、そのような格好で踊れるからプロ級だと断言してもそれは疑わしいところであるが、とにかく上手いらしい。僕も昔は上手かった。5年前はプロ級だった。畳の上で階下の迷惑も省みずドタバタして高得点を叩き出していたということがプロ級だと断言してもそれは疑わしいところであるが、双方のプライドとプライドがぶつかり合い、火花を散らし、それじゃあ対決しようじゃないかと相成ったというわけであります。
 
罰ゲームは僕が負けたら彼女にご飯をおごる。とっておきのやつをおごる。彼女は玉子とジャガイモとサーモンが好きだといつも言っているので、玉子とジャガイモとサーモン専門店に連れていく。そんなとこあるわけないけどね。で、彼女が負けたらDDRの壇上でキス!
 
「いいわよ。いくらでもしてあげるわよ」
 
なんて自信満々な顔で言いのけたのであります。ここで彼女が故意に負けてくれたら、それはそれで、なんか嬉しいのだけど、多分彼女は自らの高尚な自尊心を掛けて僕に挑んでくるでしょう。僕は負けてもご飯おごるだけだから、肩の力を抜いてリラックスして勝負に望むことでしょう。彼女は今でも時々ゲーセンに行っているというから、今回の対決はいわばOB対現役ということになります。亀の甲より年の甲より彼女の唇です。
 
第二戦目はポップンミュージック。知ってる方は知ってるでしょうが知らない方は全くわからないであろうこのゲーム。いわゆる音ゲーの一つでありますが、音感に関しては誰の追随も許さないほど僕は秀でていると自負しておりまして、彼女は彼女で、いわゆるその、そういう音楽関係のプロでありまして、初めて会いました絶対音感の持ち主と。
 
罰ゲームは僕が負けたら部屋の掃除。彼女は僕の部屋が散らかっているのがどうも気に入らないらしく、こんなこと書くと僕の部屋は豚小屋並みに汚い及び臭いと勘違いされそうだが、決してそんなことはなく、ちゃんと掃除もするし、本だって棚に綺麗に並べてるし、トイレにウンコもこびりついてない。だけど彼女はなんだか気にいらないご様子なので、僕が負けたら彼女の監視下で部屋の掃除をしなくてはいけない。もし彼女が負けたらその場でキス! もう僕は猿みたいにキスしろキスしろとせがむのです。キスより先の行為は面倒臭くてやりたがらないくせにね。
 
2004年01月15日(木)  好色一代男の近況。
 
最近、原稿の〆切に追われていて、つい日記を書くのを忘れて、いや、忘れてはいない。いつも心の片隅に引っかかっている。日記書かなきゃ日記書かなきゃと思いつつ、優先すべきは原稿であって、なぜ原稿を優先すべきかといえば、原稿を書くことによって、それなりの報酬を得ているわけであって、日記の方はというといくら書いても1円玉1枚発生しない。それどころか最近は「浮気者」だの「最低」だの非常に簡潔且つ怨霊がこもったメールが送られてくるので怖い怖い。
 
僕は僕の人生があるので僕の人生に対して「最低」などと言われる筋合いはないと思うけど、こうやって日々のプライバシーを切り売りしている立場にある以上、その文章から伝わる僕の堕落ぶりに対して「最低」と感じる人もいるかもしれない。
 
というわけで最近の日記はまとめて書いてます。今日一日で日記4日分書いてます。ということは1月12日の日記から今日の分までまとめて書いているというわけです。日記は毎日書くようにと小学1年の担任だった迫田先生が言っていたので、迫田先生の観点からすると僕は最低ということになります。僕に「最低」という簡潔メールを送ったのは迫田先生かもしれません。しかも1月15日の日記を書いている現在の時刻は1月16日午後9時です。この日記を迫田先生が見ていないことを祈ります。
 
さて、時にはそのような被害中傷的なメールも届きますが、大半は毎日読んでます。頑張って下さい。寝る前の楽しみです。先にご飯にしますかお風呂にしますか。それとも私にしますか。という内容のメールには「あなたにします」と返信します。
 
そしてどんなに酷いメールよりも辛いメールは「早く日記更新して下さい」という内容です。「早く書け早く書け」などとこの日記を好きなのか嫌いなのかわかりかねるメールさえ届きます。しかしメールがどういう内容であれ、反応があるということは嬉しいことであります。
 
2004年01月14日(水)  彼女の変化球。
 
恋愛には駆け引きというものが存在して、押しては引いて時に流して流されて。直球を投げると受け止めきれないし、変化球を投げると球の動きが目で追えなくなる。松坂大輔のような150キロ級のストレートや、野茂英雄のバッターの手前で落ちる変化球など、こと恋愛に関しては必要ない。誰でもキャッチできる緩やかな球を投げなくてはいけない。恋愛とは言葉のキャッチボールで成り立つのだから。ぶつけたりしてはいけない。
 
しかしそのキャッチボールの中で、駆け引きが存在する。投げると見せかけて投げない。取ると見せかけて取らない。全然別の場所にボールを放り投げる。
 
さて、彼女の場合はどうだろう。ここ数日毎日続いている言葉のキャッチボールの行く末は。恋愛のようで恋愛ではない。彼女は僕の顔を見て、僕は彼女の顔を見る。お互いの視線の先に何があるのだろう。
 
仮に。仮に彼女がこのキャッチボールの過程で、駆け引きを仕掛けているとしたら、実に巧妙な駆け引きを駆使していると思う。もしかしたら彼女は先天的にそういうことに長けているのかもしれない。その行為は彼女の無意識下で行われているように感じるが、もし、それを意識的に行っているとしたら僕は諸手を上げて降参するしかない。僕が勝てる相手ではない。
 
僕は確実にこの状況を楽しんでいる。彼女の口元だけを動かす笑みも、その状況を楽しんでいるようで。僕が投げてもボールはしばらく帰ってこない。忘れた頃に僕の頭にポカンと当たる。そんな僕を見て彼女はクスクス笑っている。投げ返そうか躊躇していると、彼女は「早く投げてよ」と催促する。彼女がそう言っているので投げてみる。彼女はボールを追うこともなく知らんぷり。もういいよと匙を投げかけると、
 
「パスタが大好きなの」
 
と意味のわからない言葉を僕に投げかける。僕は首を傾げる。僕は腕組みをして興味のない振りをする。彼女はクスクス笑っている。
 
「私の中でパスタがどのくらいの場所に位置するかわからないけど、パスタよりあなたの方が好きです」
 
彼女はそう言ってとっておきのボールを僕に投げ返す。取らないと怒られそうだから、頬を赤めてキャッチしてみる。やはり彼女はクスクス笑っている。
 
2004年01月13日(火)  いっぱい聞けていっぱい喋れる。
 
僕は今電車の広告を眺めている。目の前にとある英会話教室の広告が貼ってある。「なぜ、日本人は英語が使えないの?」と大見出しがあり、四人の外人がそれぞれ何か言っている。
 
なぜ、日本人は英語が使えないの? というアメリカ至上主義的なムカつく見出しもさることながら、四人の外人がかなり上から見た視線で英語が使えない日本人を馬鹿にしている。
 
「たくさん話すこと、たくさん聞くこと、外国語はまず慣れること」
 
そんなこと言わなくてもわかってる。そんな優越感に浸った笑顔でそんなこと言っても説得力がない。僕だってそんな作った笑顔なんていくらでもできるし、当たり前のことだっていくらでも言える。
 
「たくさん食べること、たくさん寝ること、熱いお風呂はまず慣れること」
 
言ってることがよくわからなくなってきたけど、いわゆるこういうことでしょ。違いますか。はい次の外人。
 
「そう、外国語は学習するものではなく身につけるもの」
 
「そう」という謎の同意から始まるこのセリフ。「学習」と「身につける」ということを相反したものとして考えてるけど、学習して身につくのではないのかなぁ。
 
「そう、コンドームは学習するものではなく身につけるもの」
 
コンドームとは何たるかわからない状態でそんな物渡されても身につけることなんかできない。これはゴム製でー避妊道具でー精巣から出たオタマジャクシがー彼女の愛欲の沼に侵入するのをー防ぐ為にあるのですー。そういうことを理解してコンドームはようやく隆起した陰部にフィットすることができるのです。
 
「N○V○がこだわるのはネイティヴの手順」
 
コンドームの話ではなく、英会話の話をしてたんだね。さて、三人目の外人。この英会話教室のこだわりはネイティヴの手順だそうです。ネイティヴの意味がわからない僕は早速壁にぶつかってしまいました。ネイティヴの意味はわからないけど、とにかく手順が大切ってことで、「話す→聞く→書く→読む」というまるで小学校の国語で学ぶようなことが書かれてますが、そんなこと誰だって知ってるよ。それがネイティヴって意味なのか。実に紛らわしいなぁ。
 
「あなたも日本語を勉強して覚えたわけではないでしょう」
 
こいつ。こいつがいちばんムカつく。お前は俺の何を知っているんだと言いたくなる。人を馬鹿にしたようなこの口調。僕の自尊心は著しく傷付けられました電車の中で。勉強して覚えたわけじゃないから英語も勉強して覚えるわけではなく、英会話溢れる会話の自然に身についていくのです。月謝一万の英会話教室で。ネィティブに。すごくネィティブに。いっぱい聞けていっぱい喋れるようになるのです。
 
2004年01月12日(月)  僕歴正月。
 
先日、二万字にも及ぶ原稿を書き終えたばかりで、ようやく僕に新年が訪れた。思い返してみれば大晦日も元旦も夜勤の夜も原稿を書いていた。仕事中に他の仕事をするなど言語道断だが、今回はそれほど追い込まれていた。
 
文章が書けないサイクルというものがある。何を書いてもその言葉に気持ちがこもらない生命が宿らない。小学生の「夏休みの思い出」と題した作文のように、ただ思い付いたことだけを淡々と書き綴る。翌朝読み返してみる。絶望に打ちひしがれる。企死念慮に支配される。飯が食えなくなる。部屋が汚くなる。誰とも話したくなくなる。テレビを見ると浜崎あゆみがうざくなる。ゴスペラーズの真ん中の人が口を開けすぎている。関根勤みたくなっている。
 
〆切は目前に迫っている。それは事実として存在する。書けない僕も事実として存在する。夜が明ける。何も書けずに夜が暮れる。眠れないのでそのままパソコンの前に座って夜が明ける。洗濯物が溜まる。風呂に入るたび明日洗濯しなきゃと思う。シンクに食器が溜まる。ゴミが溜まる。ゴミを出さなきゃと思った夜に、その日がゴミの日だったと知る。何もかもうまくいかない。
 
魂の紆余曲折。精神の葛藤。愛への煩悶。様々な苦難を経てとうとう原稿を書き終えた。キミは知っているか。書き終えた二万字の原稿を出版社宛のメールに添付して「送受信」のボタンを押す瞬間を。僕はこのボタンを押す為に正月を犠牲にした恋人を犠牲にした我が身を犠牲にした。
 
しかしもうエニシングオッケー。恐れるものは何もない。見えないものに必要以上に畏怖する必要もない。明けましておめでとう。1月12日の朝日が僕の初日の出。さぁ出掛けよう。街はまだSALE中のはずだ。欲しかったジャケットもシャツもパンツもブリーフも欲望のままに買ってやる。明けましておめでとう僕。今年も無理して頑張りましょう。
 
2004年01月11日(日)  年が下の彼の女。
 
その女性は僕よりも年下で、どのくらい年下かっていうと、彼女はおそらく「こんにちは。クラさんだよ」と指をクラさんポーズにして挨拶をしても何のことだかサッパリわからないだろうというくらい年下である。
 
そんな彼女は、早起きしなければいけない日は必ず電話で起こしてくれて、「わかった。起きるから。それじゃあ起きたら何してくれる?」と訊ねると「脱いであげる」とか「チュゥしてあげる」などと調子の良いことばかり言って僕を寝起き早々惑わせるけど、彼女は電話の向こう側なので脱ぎもしないしキスもしない。
 
彼女と僕は年が離れ過ぎているので、時々会話が噛み合わなくなる。ということはまずない。僕たちは昔からの知り合いだったように、クラスの同級生のように、今日あったことを夜遅くまで話をする。時々頬を膨らませたり、唇を尖らせたり、泣き真似をしたりして僕を惑わせようとするけど、僕はもうアテネオリンピックの次のオリンピックが来る頃には三十代になっているくらい年を取っているので、彼女はというと、次のオリンピックが来ても今の僕の年齢にも満たない。なんだそれ。どういうことになっているんだ。とにかく僕は彼女の惑わしを経験でかわそうとする。かわすこともできるんだけど、故意に受け止めようとする。そっちの方が、楽しいじゃないか。
 
さて、今までの恋愛遍歴から申しますと、僕は8歳下の女性と付き合ったことがあります。僕が小学校に入学したころはまだ彼女は精子でも卵子でもなかったのです。中学校に入学した頃、まだ小学校にも入学していないのです。なんだそれ。どういうことになっているんだ。そんな彼女とホテルに行ってセックスをするのです。相手は若いからソファーの上とかで。風呂の中とかで。
 
喘ぎ声も一丁前で、ベッドに入ると年の差なんて関係なくなるのかもしれません。コンドームの付け方も知っているし、ホテルの部屋の片隅にあるイヤらしい自動販売機の商品の購入方法まで知っている。僕より8つも年下なのに、マセていやがる。
 
その点、受話器の向こうの彼女は電話口では「脱ぐ」だの「チュゥ」だの言うけれど、まぁ、健全な方かもしれません。酒は飲むんだけどな。未成年なのにスコッチとか飲むんだけどな。煙草は吸いません。だから彼女の前では煙草は控えます。下ネタも控えるようにしているけど、下ネタはやけに反応が大きかったりします。
 
そんなこんなで日が暮れます。さぁ彼女とお話する時間です。
 
2004年01月10日(土)  うまいマジ?
 
僕は何かある度に、例えば仕事で婦長さんに褒められたり、原稿が仕上がったり、何かを成し遂げた時に自分へのご褒美として回転寿司。なぜか回転寿司に行くのだが、そんな時は今まで彼女を連れて行ったのだが、今は一人なので、で、一人の時に原稿が〆切前に仕上がったので、一人で回転寿司に行きました。
 
と、隣のカップル。年の頃二十代半ば。いわゆるいい大人である。未成年ではないのである。人生とは何たるかおぼろげながら理解しようとする年代だし、青春の正体を見極めようとする時代でもある。しかし、なんなんだこの会話は。男は店内にて飲食しているというのにジャンバーさえ脱がず、食いたいものがあったら自分で注文すればいいものの、「来ねぇなぁ。中トロ来ねぇなぁ」などと嘆き、女も女で「来ないわねぇ。イクラ来ないわねぇ」などと彼氏と調子を合わせる始末。
 
僕が「カンパチください」と回転機械の中心の部分で寿司を握っている店員に声を掛けると、隣のカップルもその手があったかと思ったらしく、「中トロください。あと、えっとお前なんだったけ? あ、そうそう、イクラください」などと言っている。大人なのに。もういい大人なのに。
 
そして、イクラが隣の女に届く。女頬張る。
 
女「うまい」
男「マジ?」
女「うん、うまい」
男「マジ?」
女「マジでうまい」
男「マジ?」
 
だからうまいと言っておろうが! なぜ頻回に渡り「マジ?」と訊ねる! 女も女でなぜ何度も「うまい」と呟く! 僕たちは小市民生活の象徴である回転寿司に来ております。回転寿司で回ってる寿司なんて、そりゃある程度は美味いかもしれぬが、そう何度も口に出すようなものでもないだろう。
 
その後、そのカップルは延々と「うまい」「マジ?」という甚だ貧しいボキャブラリーを繰り返し、延々と寿司を食っていた。
 
2004年01月09日(金)  アジアの香り。
 
「今夜うちに友達が来るの」
 
それは結構なことです。僕はビールを飲みながらいつものように突然来訪した隣の留学生の女の子の話を聞いていた。バイトから帰ってきたばかりで、頬や鼻の頭がうっすらと紅くなっている。僕は今日一回も外に出てないので、どのくらい寒いのかわからないけど、彼女が僕の部屋に入るなりハロゲンヒーターに食いつくように当たっているのは、外はかなり冷えているのだろう。
 
「でね、ちょっと預かって欲しいものがあって」
 
友達が来るから預かってほしいもの? 友達に見られるとまずいものかしら。少しドキドキ。いらぬ期待。
 
「預かっててくれる?」
 
はい。預かりましょう。秘密を共有するということはお互いの信頼関係を築く上で非常に大切な要素なんです。預かりましょう。持ってきなさい。
 
「ありがとう。ちょっと待っててね」
 
ソファーに座り直し、煙草に火をつけ彼女を待ち続ける。5分後に現れた彼女は左手に小さなタッパー。右手に大きなビニール袋を持っていた。タッパーにもビニール袋にも真っ赤な物質が入っている。動物! 死んだ動物が血みどろになって入っている! 猫? 猫なのこれ? 子猫? 子猫ちゃん?
 
「キムチです」
 
あぁ、キムチか。びっくりした。しかしなぜビニール袋いっぱいにキムチが入ってるんだ。
 
「国から送られてきたのです」
 
ほぅ。中国のキムチですか。美味そうだなぁ。しかしこれをどうして僕の部屋に預けるのですか。
 
「今日、中国の友達がうちにいっぱい来るんです。私キムチ大好物だから食べられちゃったらいやだなぁって思って」
 
なるほどね。好きな物を独占したいという気持ちは誰だって持っている。キミを責める人なんて誰もいないよ。わかった。うちに置いてっていいよ。だけどそのタッパーのキムチ、ちょっと食べていい?
 
「いいですよ。そのためにタッパーに入れてきたんですから」
 
優しいなぁ。往々にして女性は優しいなぁ。最近、女性の優しさに触れる機会が多くなりました。ありがとう。いただきます。
 
彼女はビニール袋いっぱいに入ったキムチを冷蔵庫に押し込み、部屋を出ていった。彼女の残り香はかすかに冬の匂いがした。なんてことはなくアジアの臭いがした。アジア! キムチ! キムチ臭い! この部屋一瞬でキムチ臭くなっちゃった! 強烈だなぁしかし。味はどうなんだろうなぁ。
 
ご飯を炊くのが面倒臭いので、親からダンボール一杯送られてきた電子レンジでチンして食べるご飯を暖めて、早速試食。くっさ! からっ! くっさ! からっ! くさからっ! 口腔内を強烈な刺激が襲う。僕は何も悪いことはしていない。ただ、白菜を、3センチくらいの真っ赤になった白菜をご飯の上に乗せて、そうだ、トイレットペーパーが切れてたっけ。買いにいかなきゃ。そうそう。クリーニングにあのジャケット取りにいかなきや。だけど今は、こうご飯の上にキムチを乗せて、それを頬張っただけなのに。なのだけに。
 
アジアの香りに包まれた部屋で一人仰け反る日本人。
 
2004年01月08日(木)  骨伝導凶器。
 
どこの携帯会社だっけ? よくわからないけど骨伝導スピーカー内蔵の携帯が出ましたとCMで流れてますね。相手の声が骨を伝わって聞こえるらしい。
 
CMを見て、これは何か意味があるのか? 骨を伝えて聞く意義があるのか? と考えたわけであります。CMではうるさい場所でも声が聞こえると言っている。なるほどね。電車の中で電話かかってきたら周囲に迷惑を掛けずに相手の話を聞くことができるかもね。
 
しかし、まずある事象に疑問を持ったら、逆の発想を試みてみるわけであります。電車や街中などのうるさい場所でこの携帯は大いなる性能を発揮するだろう。しかし静かな場所ではどうなんだ。どういう使い方があるんだ。あった。見つけた。
 
試験中。ホッカイロと見せかけて中身は骨伝導スピーカー内蔵の携帯が入っている。試験中。そっと耳に近付ける。事前に飯をおごるなどして買収済みの友人に電話。本人そっと独り言「この2次方程式の公式ってなんだったけなぁ」すると牛丼1杯で買収された友人は事前に目の前に広げてある参考書を開くだろう。
 
そして答えが骨を伝わり脳へ届く。ダイナマイトが平和利用されなければ凶器になるように、新しい機能を備えた物は同じく凶器となる。僕が学生だったら絶対この手を使っていた。真面目に勉強するより、こういう手を思いつく発想が、学校を出てから結構役に立つものである。
 
2004年01月07日(水)  歯ブラシとの別れ。
 
いつも買い忘れていた歯ブラシのことを東武ストアで運良く思い出し、今度のやつは奥歯まで綺麗に磨ける山切りカットだよ。色もポップなオレンジだよ。これでようやく充実した歯磨きライフを送ることができるよ。と思ったのも束の間、新しい歯ブラシを買った日に限って泊まりに来る人がいて
 
「これ、使っていいよ」
「わぁ。ヨシミくんって準備いいのね。いつも誰かにこういうことやってんのね」
 
と、僕の身を削る優しさを履き違えて受け止めて、そんなこと言うなら返してくれお前歯ぁ磨くな不快感と虫歯均に襲われながら寝ろ。と言いたいのだけど、そういうこと言うとベットであんなことやこんなことができなくなる可能性があるので仕方なく「優しいけど常に自宅にスペアの歯ブラシがあるヤサ男」というキャラを演じ続けることになった。
 
さて、女なんてどうでもいい。飯を食う時と一緒に寝る時と買い物する時と愛を語る時と手を繋いで笑い合う時以外は必要ない。今日は僕の歯磨きライフについて話したいのだ。
 
正確に測ったことはないけど、1本の歯ブラシの耐用年数はいったいどのくらいだろうか。1ヶ月? いや2ヶ月は使ってる気がする。どうだろう。2週間のような気もするしね。だけど少なくとも2週間は同じ屋根の下で1本の歯ブラシと一緒に暮らすわけですよ。そりゃ愛着も沸いてきますよ。
 
でも、この世に永遠なんてものは存在しない。僕も歳を取るし歯ブラシのブラシの部分も広がってくる。広がってくると歯垢が取れにくくなり、寝てる間に虫歯菌が増殖し、歯の象牙質を浸食し、やがてエナメル質まで到達する。すると歯が痛くなり飯を食っても美味しくない。飯を食っても美味しくないから食事の約束もドタキャンしてしまう。ドタキャンすると約束した相手との関係が険悪になる。険悪になると人間がすさんできて自暴自棄になる。自暴自棄になると学校を休んでNHKの教育テレビばっかり見てみんな今頃授業受けてるんだよな。と救いようのない優越感に浸ることになる。
 
そんなわけで歯ブラシが1本駄目になるだけでこんなにも人間は駄目になってしまうのだ。もともと弱い生き物だからね。で、歯ブラシ。短い人生の更に短い期間を一緒に過ごした1本の歯ブラシとの別れの時が今迫る。
 
残念だけどお前はもう使い物にならなくなってしまったんだ。買い手がいい人もしくは倹約家もしくは変わり者だったら退職したお前を靴磨きに使ったりキッチンのシンクを磨いたり網戸の細かい部分を磨くなどする余生を与えてくれるだろう。だけど僕は駄目だ。そういうの億劫だし、多分そんなことやってたら女にモテないだろうし。僕は男としてこの世に生を受けたから必然的に女にモテたいからね。だから、キミとはサヨナラだ。もう終わりだね。キミが小さく見える。
 
と、一人ユニットバスに立ちすくみ、古歯ブラシと無言の会話をする。最後にお疲れ様と呟いて、古歯ブラシをゴミ袋に捨てる。しかしテレビなどを見てるときゴミ袋の上の方に古歯ブラシが見えるとなんとも痛ましい気持ちになるので、ゴミ箱の奥の方に詰め込んでその上からコンビニの弁当箱や菓子パンの袋をかぶせて見えなくさせる。
 
そして僕は東武ストアのビニール袋から新しい歯ブラシを取り出す。合理的な手段としては、まず新しい歯ブラシを手に取り、それをユニットバスに持っていって古歯ブラシと交換して、古歯ブラシをゴミ箱に捨てるということになるんだけど、この方法を使ったら古歯ブラシと新歯ブラシがしばしの間対面してしまうことになる。これはまずい。いかんともしがたい。古い彼女に別れを告げて出ていく彼女がマンションのドアを開けた瞬間、新しい彼女がドアを開けようとしていたという状況と同じじゃないか。男はずるい生き物なのでこういう状況はどうしても避けたい。
 
古い彼女は私に向かって叫ぶだろう。「私は使い捨てだったのね!」
 
僕は鼻をほじりながら平然と言うだろう。「だってキミよりいいやつが東武ストアで138円で売ってたんだもの」
 
まぁこのセリフは開き直ってこそ言えるんだろうけど、僕は生来小心者なので「私は使い捨てだったのね!」などと面と向かって叫ばれたら狼狽して「いや、えっと、あ、そうだ! 靴磨きに使ってあげるよ」と笑顔で返すだろう歯ブラシに。一人ユニットバスに立ちすくみながら歯ブラシに。
 
2004年01月06日(火)  そういえば学生でした。
 
通信大学! 最近日々の忙しさにすっかり忘れていたけど、僕は通信大学に通っていたのです。4年生です。いや、1回留年してるから5年生です。先日、同じ通信大学の女性から電話がきて「最近どう?」「どうもこうもまずは明けましておめでとう」「私は正月どころじゃないわよ」「どうして?」「あなた8月に卒業するって言ったから私も頑張ってるんじゃない」「あ、そうだった」
 
あ、そうだったと思い出した8月卒業という言葉。うちの大学は基本的に3月卒業だが、単位を全て修得すれば8月に卒業できる制度があって、僕はあともう少しで単位修得が完了するので8月に卒業して、来年1月に行われる精神保健福祉士の国家試験に向けてゆっくりと勉強しようかなと思っていた3ヶ月くらい前まで。
 
「で、あなた勉強してるの?」
「してるというかしてないというか」
「どっちよ」
「初詣行こうよ」
「やよ」
「じゃあ一人で行くよ。朝起きれないから夜に一人で行くよ。星屑ロンリネスだよ」
「なに? タッチ?」
「しかし忌々しいことを思い出させてくれてありがとう。勉強頑張るよ。一緒に卒業しようね」
「感謝されてるのかされてないのか」
 
そういえばこの女性、出会ったのは今年の6月で、たまたま隣の席だったその女性は講義中にガムをくれたり飴食べる? と話し掛けてきたりまるで僕を子供扱いするので大好きになってしまった。8月の講義では同じクラスになることはなかったけど、休み時間の度に他の教室からやってきて寝ている僕を起こしてガムいる? 飴食べる? 今日はクッキーもあるのよ。と、この世の嫌なことは全て糖分で解決できるというようなニコニコした表情で話し掛けてくるので更に大好きになってしまった。
 
来月帰郷する予定があると言うと、私も連れてってと言うので、それは無理ですと伝えると、あなたと居たいんじゃなくて私は温泉に浸かりたいだけなのと言うので、じゃあ自分で予定を立てて一人で行けばいいよと助言すると、それもそうねと言って電話を切った。女心の難しさは、こういうところに潜んでいる。
 
2004年01月05日(月)  福袋と妹。
 
福袋が欲しいんだけど、あのいかにも福袋ですというマヌケなデザインの紙袋を持って電車に乗るのはどうもはばかれるので、もとい僕は先週、とある大型家電店で不良品のハロゲンヒーターを大きな紙袋に入れられて電車に乗るという屈辱を味わったのでもう嫌だ。大きな荷物を抱えて電車に乗るのはまっぴら御免だ。
 
というわけで、僕は毎年あるブランドの一万円の福袋を購入するんだけど、去年までは鹿児島のショップで購入していて、東京ではどこに売ってるかしらとパソコンのコンピューターのインターネットという便利な制度を利用して探したらどうやら新宿で売っているらしい。新宿。やだなぁ。乗り換えないといけないんだよなぁ。福袋を抱えて山手線に乗るのは、どうもはばかれるよなぁ。だけど欲しいんです。楽しみのない正月にたった一つの光を僕に享受して下さい。と葛藤、煩悶。
 
鹿児島の妹に電話して、鹿児島のショップで購入せしめるよう依頼。しかし、ただで購入するのはいくら兄といえども面倒臭いしムカつくし私は今から大晦日にできなかった部屋の大掃除をしなければいけないと申すので、それでは、お前もこのお金で何か買うとよいと、僕の福袋代と妹へのお年玉を埼玉りそな銀行から振り込んで、猜疑心旺盛な妹は振り込みが確認できてから購入しますと兄の信頼性のなさに新年早々愕然。振り込みが確認できた頃はもう福袋は売り切れていたという始末。
 
2004年01月04日(日)  普遍性の中の個性。 
 
ロングブーツが欲しいのですが、メンズのロングブーツって意外と売ってなくて、売っていたとしてもデザインがイマイチだったりで、どうも僕が頭に描いているロングブーツが手に入らない。
 
先日ABCマートに探しに行った時も、セール目当ての客でごった返しており、あまりの人混みに購買意欲を著しく失われ、ブーツ売場まで歩くのさえ一苦労で、何も買わずに前に立って道を塞いでいるカップルの男のクツの踵を故意に踏んだり、ディスプレイしてあるスニーカーを逆向きに揃えたりして店内をあとにしたが、どうしてもブーツが欲しい。
 
というわけで、ABCマートは諦めた。牛丼なら吉野屋、リフォームするなら新日本ハウス、靴ならABCマートなどという柔軟性に欠けた一般人の真似をしていたら駄目だと思う。普遍性からは何も生まれない。そもそもブーツが欲しいという動機も、どっかのショップで見かけた男性店員のファッションが格好いいから真似したろと思っただけであって、結局僕も普遍性の中の個性みたいなものに浸食されているのではないか。
 
なぜか僕はコンスタントに靴を買う癖があって、うちの玄関は様々な靴でごった返しているので、ロングブーツを置く場所なんてないのだ。そういえば先月も1足買ったし。買って履いてみたらデザインがイマイチで、おまけに靴紐が短いから蝶々結びができない。蝶々というより、夏の夜に蛍光灯に群がる小さな蛾結びみたいになっている。
 
というわけでこれ下さい。と、靴屋を諦めて服屋に入って、服を見ればいいのに靴ばかりみて、ブーツのことなんて頭の中から雲散霧消に消えていて、牛革です。履けば履くほど馴染みます。お客様の今の服装に丁度合っていますよ。珍しい形です。イタリアのデザイナーの作品です。あれ、フランスだったかもしれません。などと怒濤のようなセールストークに屈してしまい、一万五千円の靴を買って家に帰ると靴を置く場所がなかった。
 
2004年01月03日(土)  チャンスか窮地か。
 
新年早々新たな気持ちで女の子とデートをする日です。正月は、実に誘いやすいよなぁ。買い物行こうとかディズニーランド行こうと誘ったらそれはあからさまなデートになってしまうけど、正月は「初詣に行こう」と誘ったら、それはデートの意味合いよりも初詣の意味合いの方が若干強いので若干誘いやすい。
 
しかし、昨夜僕は電話したのですよ。そしたらその女性、ズルズルに風邪をひいてるではありませんか。参りました。可哀想であります。初詣は無理かもしれない。
 
先月半ば、僕は風邪をこじらせて、12月15日の日記で「風邪が治らない。お粥とか作って欲しい。だけど誰かに作ってもらったら、そのお粥の湯気に愛とか真実とかが発生するので、それもまた困る」と書いた通り、見舞いに来てくれたその女性が作ったお粥の湯気に、愛とか真実が発生してしまって、今度はその女性が風邪をこじらせてしまった。
 
因果だよなぁ如何ともし難いなぁと受話器を握る僕の手は彼女のか細い声を聞いて自然に力がこもる。どうしたらいいかなぁ。お見舞いに行くべきかなぁ。しかし彼女は確か実家だったはずだよなぁと思考を巡らしていたら、
 
「ねぇ、おせちまだ食べてないでしょ。うちに来ない? ママがね、あなたに会いたいって言ってるの」
 
と尋常な口調で申すので焦燥、狼狽、葛藤、煩悶。こういう場合はどうすればいいのだ。彼女でもない女性の実家に訪れる僕はその家庭でどのような位置に置かれるのだ。おせちは食いたいけれどノドを通りそうもない。
 
新年早々、チャンスというか窮地に立たされた僕は、部屋の窓を開けて空気を入れ替えてからノド飴を舐めた。
 
2004年01月02日(金)  2人で新年会。
 
仕事帰り、看護婦さんと歩きながら駅の方へ向かっていると「今日は違う道を通りましょう」と言うので違う道を通ろうとしたらそれは道ではなく階段で、そこを上ったら居酒屋があって「新年会をしましょう」と言われたので二人で新年会をした。
 
「あ、海鮮鍋4人前で」
 
と看護婦さんはテーブルに座った早々注文したので4人前ということはあと2人来るのかなと思ったけど、結局誰も来なくて3人前を看護婦さんが食べてしまった。
 
新年早々よく食うよなぁと関心していると「明太うどんください3人前で」と言うので今度は2人分食べるのかなと思ったら1人分しか食べず「残りはあなたが食べなさい。今日は私がおごるんだから」と履き違えた優しさを提示したので、それをありがたく受け取って涙を溜めながら2人分の明太うどんを食べた。
 
「あなた、初詣は行かないの?」
 
と、看護婦さんは3杯目のビールを飲みながら訊ねるので、あ、これは、と思い、明日2人とも休みだからもしかしたら明日誘われるかもしれないと思い、とても嬉しかったんだけど、明日は明日で他の人と初詣に行く予定があったので正直に「明日行きます」と言ったら「私は行かないの」とひどく寂しいことを言うので気が滅入ってしまった。
 
結局6時に店に入って9時に店を出て、早くうちに帰って原稿の続きを書きたかったけれど、僕も酔ってしまって文章なんて書ける状態ではなくなったので、次の店に誘われたら行こうと決心し、終電までには必ず帰ろうと、しなくてもよい決心までして、居酒屋の外で一人待っていたら、結局誘われずに「それじゃあ今年も頑張りましょうね」と甚だ普遍的なことを言われて電車に乗って帰った。
 
2004年01月01日(木)  年の始めの数ちとせ。
 
カレーもいいけどおせちもね。ってこら! おい! カレーしか食ってねぇよ! しかもインスタント! あんまり肉とか入ってないやつ。ビーフカレー風味のやつ! おせち食いてぇよ! ちょっとはらしい正月にしたいよ! パソコンでボンバーマンしてたらいつの間にか年越してたし。寂しいなぁ切ないなぁ侘びしいなぁ。
 
で、何時だっけ、年が明けた午前2時くらい? お笑いオンエアバトルやってたのね。初笑いしたろと思って初笑いしてたんです。テツandトモとか見てね。もう深夜だから何見ても面白いんですよ。ハハハ。馬鹿だなこいつら。って。
 
で、なんかチャンピオン大会だったのね。よし。気合いを入れて見ようじゃないか。他チャンネルのCATVも見たいけどさ、こっちはチャンピオン大会なんだ。歌が聞きたかったらCD借りればいいことだし。正月早々チャンピオンが決まるんだぜ。いわばお笑いの天皇杯ってとこ? 見逃すやつは損だよ。しかしチャンピオン大会だなんて大事な催しを深夜2時にやってるんだろう。と疑問に思い出した深夜3時前! もう架橋ですよ。あとは結果を残すのみっていうところですよ。下の方にちっこいテロップが出ました。
 
「平成11年11月に収録されたものです」
 
バッカじゃねーの! なんだよ11年って! 何年前だよ! だからドンドコドンのグッサンの髪型がおかしかったんだ! なんだよバッカじゃねーの! 僕はCATVを蹴ってこっち見てたんだよ! なんだよこのチャンピオンって5年前に決まってるんじゃんよ! 正月早々騙されたよ! 国営放送にさ! 5年前の番組流しといてなに受信料払えだよ!
 
さて。朝風呂浴びよ。午前6時だし。風呂入って寝よ。今日は夕方からお仕事だしね。風呂入ってビール飲んで寝よ。ボンカレーもとうとう底を尽きたので、腹が減っても食うもんがねぇや。あることはある。カントリーマァムがある。安かったから2袋買ったんだがね、もう飽きてしまったのだよ。
 
ミルク味とココア味が入っててね、僕はココア味が好きなのでココア味ばっかり食ってたのだよ。そしたらもうミルク味しか残ってないの。いやだなぁ。バランス良く食べればよかったなぁ。参ったなぁ。ビールとカントリーマァムかぁ。他何かないかなぁ。おせち食いてぇなぁ。
 
とーしーのーはーじめーの かずーちーとせー。
 
今日は隠し芸大会もあるね。あの歌の歌詞ってイマイチ聞き取れないんだよなぁ。なんなんだろ「かずちとせ」って。もしくは「はずしとせ」とも聞こえる。まぁどっちにしても意味がわからない。
 
おーなーじー なーがやーのー ねぇさーまーのー。
 
続けて歌うといよいよ意味がわからない。「同じ長屋の姉様の」? よし。頑張って次も歌ってみる。
 
なーつかーぜーばーけーて かーのーおーどりー。
 
げぇ。うろ覚えも限界になってきた。「夏風邪化けて、かの踊り」もうここまで歌ったんだから恥を承知で最後まで歌ってやる。
 
おーなーじなーきよーの ねぇさーまーのー。
 
また姉様が出てきた! なんだい姉様って。正月に関係があるのだろうか。よく考えてみたらこの歌、全然正月っぽくない。長屋とか夏風邪とかわけわかんない。まぁいいや。これでいこう。隠し芸大会でも歌ってるんだしね。
 
年の始めの数ちとせ
同じ長屋の姉様の
夏風邪化けて かの踊り
同じなき夜の姉様の
 

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