2003年02月28日(金)  羊の皮を被った交渉人。
内服薬の拒否。看護の過程でこれほど大変なことはない。患者が薬を飲まない。それは治療への拒否、医療への不満、そして僕たち看護師への不信感。精神疾患は病識に乏しいので、どうして私が薬なんて飲まなきゃいけないの! どこも悪いとこなんてないのに! というケースによく遭遇する。そこで看護婦さんは外来勤務の僕に内線をする。「どうしても薬飲まないの。どうにかして!」どうしてもをどうにかする宿命に立たされている男。僕は職場で嘲笑混じりにこう言われている。「羊の皮を被った交渉人」
 
病棟のナースステーションへ行き「おっ! 最終兵器が来た」なんて言われてヘラヘラ笑って、それじゃあ病室に行って来ます。誰も来なくていいですから。といつものように言って拒薬する患者(以下Aさん)が待つ病室へ向かう。
 
誰も来なくていいというのはしっかりと訳があって、2人以上の看護師が患者の前に立つと、それだけで恐縮してしまうか、拒絶してしまう恐れがあるからである。だから説得するときはいつも1人で病室へ行くようにしている。
 
コンコン。病室のドアをノックする。こんにちわぁ。今日も天気いいねぇ。なんて調子のいい挨拶をして、Aさんのベッドへは向かわず、まず、他のベッドの患者の所へ行き、その患者と世間話をする。最近良く眠れてる? そう。そりゃあよかった。食欲は? ハハ。そうだね。最近顔色いいもんね。なんて世間話を約5分。
 
この的外れとも思える世間話。これにも訳がある。もし、僕がドアのノックして、直接Aさんのベッドに行った場合、例えAさんと世間話をしたとしても、薬を服用させるという目的は明確であり、Aさんだってすぐに心を閉ざしてしまう。だから他の患者と会話するという行為は、Aさんの拒薬という認識やら拘りやらを分散させる効果を持っている。
 
笑い。この効果を軽んじてはいけない。効果があるのはアクシデントに基づく笑い。いくら面白いことや気の効いたことを言っても、言葉なんて何の効果も持たない場合がある。この状況のような、患者が心を閉ざしている場合。言葉による笑いは意味を持たない。だからアクシデントに基づく笑いを演出する。わざと水をこぼして狼狽し、モップを取りに行こうとして足を滑らせる。床にボールペンをわざと落として、拾う時にベッド柵で頭を打ちつける。これらのアクシデントは、不意に起こるものなので、いくら心を閉ざしていても、不意に笑ってしまう。僕は患者のその笑いに速やかに滑り込む。
 
ドジでおっちょこちょいな人物は愛嬌がある。それは、ある程度一般的に共通した認識だ。その道化をここぞとばかりに演じ続ける。いやぁ、参ったよ。僕がいけないんじゃないんだ。床の水がいけないし、ベッド柵だってあんなところにあるからいけないんだ。イテテ。あとで先生に、診察してもらおっと。そして笑い。もうこの頃にはAさんの拒薬へのわだかまりもある程度は解消されている。
 
そしてようやくここから「交渉」が始まる。
 
まず、食事の話。たいてい食事の後に薬を服用するから、薬のことを語るならば、まず食事の話から始めなければならない。それもできるだけどうでもいい話。今日のメニューについて。好きな食べ物について。嫌いな食べ物について。そして、今日の食事摂取量について。残したのであれば、残した理由について。
 
そして、一番重要な薬の話。
「で、薬飲んだ?」
「飲んでない」
「あら。どうして?」
僕はAさんが拒薬していることをここで初めて知ったという演技をする。僕は何も知らずにたまたま薬の話をしてしまったということを相手に伝える。このことによって僕は「医療側」の人間から「患者側」の人間へスムーズに移行できるようになる。「患者側」の立場になって味方になって話をすることができる。
 
この過程が円滑に進んでいれば、患者は自然に拒薬する理由を話し始める。この場合「いや、それは違うよ」なんて否定したらいけない。肯定はしないまでも、全て相手の言葉に頷く程度はするべきだ。そして核心に入る。
 
「それじゃあ、薬飲んでみる?」
「いや、飲まない」
「あら、そう」
 
まずこれが最初の交渉。何気ない言葉で薬を勧めて、それを拒否すればあっさりと諦める。他の看護婦さんはこの交渉で皆失敗する。「薬飲んでみる?」「飲まない」「どうして飲まないの? 飲まないと病気治んないのよ」と結果を急いでしまう。そんなことしてたら駄目だ。患者の態度は余計 硬化してしまう。まずあっさりと諦める。あっさりと諦めることによって、患者に「なんだ、そんなもんなのか」と思わせることが重要なのである。心の中の大半を占めていた「薬に対する思い」のランクを、治療者が軽視することによって、下げてしまうようにするのだ。「薬は別に1回くらい飲まなくたって死にやしないけど、飲むにこしたことはないんだよ」という認識を暗に伝えることなのだ。
 
そして再び世間話。病気とか薬とか、医療の臭いがする発言を意識的に避け、本当の世間話に終始する。そして世間話が一段落した時点で「さ、そろそろ仕事に戻ろっかな」とその場を去ろうとする。このことは「この看護師は本当に世間話をしにきたんだな」と思わせる効果がある。そして去り際の一言。「それじゃあまた来ますね。ちゃんとご飯食べて、薬飲んで、元気になってね」これは結構大切な一言で、「薬飲んで」という部分をできるだけ強調せずに、別れの挨拶の延長のような感じで何気ない口調で言わなければならない。薬に固執せずに自然に出てきた言葉だということを伝えなければならない。
 
そして病室のドアへ向かう。最初で最後の勝負。ふと思い出したように僕は振り返り患者に話し掛ける。
 
「あっ、そういえば今日お昼の薬飲んでないって言ってたね。僕がついでに持ってこようか?」
 
患者は自然に頷く。最後の布石。それは「ついでに持ってこようか?」薬なんて「ついでに」持ってくるようなものだという、医療の常識を覆す軽視した発言。薬なんかにどうして固執してたんだろう? と患者自身に自然に思わせるように導く。自然に頷いた患者に僕はニコリと笑って駄目押しをする。
 
「うん。じゃああとで持ってくるよ。今からちょっと忙しくなるから、もしかしたら薬持ってくること忘れちゃうかもしれないけどね」
「じゃあ今すぐ持ってきて!」
 
 
 
どうしてもをどうにかする宿命に立たされている男。僕は職場で嘲笑混じりにこう言われている。「羊の皮を被った交渉人」
2003年02月27日(木)  歓喜の悲哀。
最近やけに落ち込んでいて、周囲の人にはできるだけ悟られまいとしているけど、日頃との空気の違いに気付くのはやはり女性。直感というか嗅覚のようなものが男性より優れている。元気に呑気に振舞っていても、ある種の女性は天井や床下から物事を考えるので、すぐに僕は欠陥住宅だということがバレてしまう。道化の皮を剥がされて無防備になったときの気持ちは恥ずかしい反面、少し清々しい。
 
今朝アパートを出る時に、ドアの前に紙製の手提げ袋が置いてあった。誰だろう。中身は何だろう。僕は部屋に引き返し、袋の中身を空ける。数本の缶ビールと、小さな手紙。
 
「これ飲んで元気出して下さいな。お給料日までこの8本でしのんで下さい。さ、がんばって毎日のりきって下さいね」
 
こういうプレゼントを貰って泣くなということが無理な話で、いつの間にか涙が出ていて、苦しいのは僕じゃなくて、彼女の方なのに、彼女はいつも笑顔で、見えないところで1人で泣いて、泣き止んだらまた笑顔を取り戻す。僕は自分のことだけで精一杯で、彼女に何一つしてやれず、話を聞くことしかできず、助言も、配意もできず、本当に何一つしてやれないのに。
 
手紙を何度も読み返して、読み返して。出勤時間はとうに過ぎているけど、それでも読み返して。仕事なんて、どうにかなるよ。どうにかなる為に有給があるんだし。もしもし婦長さんですか? 今日は、休みます。いや、午前中だけですよ。車がね、動かないんです。それがちっとも。びくともしないんです。
 
嘘をついて午前中休む。有給は嘘の対処の為にあるんです。もうとにかく悲しくて嬉しくて「ノックする勇気がなかったから」手紙の内容を何度も読み返して、僕はあまり辛くないのに、彼女の方が辛いはずなのに。僕はいつでも何処へでも逃げ出せる準備はできているのに。
 
人に優しくできる人は、きっと自分をも労わることができるよ。僕はそう思う。僕は人に優しくできないから、自分も傷つけてばかりで。
2003年02月26日(水)  長谷川式。
「長谷川式簡易知能評価スケール」痴呆の診断、もしくは進行状況を診断するときにこのテストを使用する。9種類の質問に分かれていてそれぞれ点数をつけていき、満点は30点、21点以上は 「非痴呆」 20点以下が 「痴呆の疑いあり」 と診断される。しかしただ対象者に質問をしていけばいいということではなく、このテストを行うには、ある程度の心理学的な知識が求められる。職場では医者か、僕がこのテストを行うことになっている。
 
1 お歳はいくつですか?(2年までの誤差は正解)

2 今日は何年の何月何日ですか?何曜日ですか?(年,月,日,曜日が正解でそれぞれ1点ずつ)

3 私たちが今いるところはどこですか?
(自発的に出きれば2点、5秒おいて家ですか?病院ですか?施設ですか?のなかから正しい選択をすれば1点)

4 これから言う3つの言葉を言ってみてください。後でまた聞きますのでよく覚えておいてください。
(以下の系列のいずれか1つで、採用した系列に○印をつけておく)
   1: a)桜 b)猫 c)電車
   2: a)梅 b)犬 c)自動車
 
5 100から7を順番に引いてください。
(100−7は?、またそれから7を引くと?と質問する。最初の答えが不正解の場合、打ち切る)

6 私がこれから言う数字を逆から言ってください。
(6−8−2、3−5−2−9を逆に言ってもらう、3桁逆唱に失敗したら、打ち切る)
 
7 先ほど覚えてもらった言葉を、もう1度言ってみてください。
(自発的に答えがあれば各2点。もし答えがない場合以下のヒントを与え正解であれば各1点)(ヒント)a)植物 b)動物 c)乗り物
 
8 これから5つの品物を見せます。それを隠しますので何があったかを言ってください。
正解数1品につき、1点。

9 知っている野菜の名前をできるだけ多く言ってください。(答えた野菜の名前を下欄に記入する。
途中で詰まり、約10秒待っても答えない場合にはそこで打ち切る)
0〜5=0点、6=1点、7=2点、8=3点、9=4点、10=5点
 
以上9問の質問に答えていく。しかしただ質問を投げつければいいというものではない。この質問を滞りなく行えるということが心理職としての真骨頂なのである。
 
まず自尊心の問題。いかに高齢者のプライドを傷付けずにこの簡単な問題を問い掛けることができるか。ただむやみに「はい、質問しますね。お年はおいくつですか?」なんて問い掛けては行けない。対象者によっては、「馬鹿にしやがって」と途中で投げ出して帰り出す人だっている。よって、まずは世間話から。僕は何にしろまずは世間話から入るようにしている。「なんだこいつ下らない話ばっかりペラペラ喋りやがって」と相手に思われる方が後々楽に物事は進むのである。「僕はいい加減な人間ですよ。だからアナタも肩の力を抜いて大丈夫なんですよ」とヘラヘラ笑いながら暗に伝えるのである。
 
世間話をしつつ、まず最初のポイント。「あ、そうだ」このセリフ。
「あ、そうだ。これだった」と思い出したかのように「長谷川式スケール」を手に取る。初めからこのテストを手に取って構えていてはいけない。テスト自体を世間話の延長で、「じゃあこんなものがありますから、ちょっとやってみますか」くらいの軽い気持ちで受けさせた方が高齢者も変に気構えしなくていいのである。
 
「それでは、これから簡単な質問をさせていただきますね。宜しくお願いします」
間違えてもこんなこと言ってはいけない。「簡単な質問」ってとこが駄目。高齢者にとっては、いや、痴呆の症状を呈している高齢者にとっては今日の日付を答えるだけという「一般的に簡単」な問題も難解に思えるのである。「簡単な問題」と言ったはずなのに私は答えられない。と、相手の自尊心を傷つける恐れがあるのである。だから「簡単な質問」という言葉はタブー。

次のポイントは「わからない振りをする」
これは、例えば質問2の今日の日付を問い掛ける場合、対象者がこれに答えられなかったとする。対象者がわからなかったら僕もわからない振りをする。それによって「質問する人がわかんないんだからワシもわかんなくて当然だよなぁ」という思いを抱かせるようにするのである。答えられないことは恥ずかしいことではない。僕だって答えられない難しい問題なんだから。ということをその演技によって伝える。
 
とまぁ、「長谷川式簡易知能評価スケール」を行うにあたっていくつかのポイントを挙げてみたが、この他にも細かいポイントがいくつも存在する。それは何気な一言なんだけど、この一言をいかに自然に言えるかによって、テストの進み具合に俄然違いが出てくる。このポイントを懇切丁寧に新人さんに教えるんだけど(何よくだらないことばっかり言ってバカバカしい)と思われてそうなので、僕はとても悲しい。こういうものは結果じゃなくて過程が一番大切なんだということを伝えたいのだけど新人さんはちっともわかってくれないので今日は珍しく業務内容のことを日記に書いて1人でも賛同してくれる人がいたらいいなという思いを込めました。
2003年02月25日(火)  バーンアウト。
最近やけに早く眠ってしまうのは、給料日前で経済的に切迫してあの繁華街に行ないということと、なんだかいろんなことを自粛しなければいけないなという、漠然とした危機感やら不安感やら憂慮感。それと、なんだか自暴自棄になってしまって部屋の掃除すらする気力がないという、もう、あれですよ。無気力症候群ってやつ。駄目だ僕は。
 
駄目だ駄目だ僕は駄目な男です。なんて太宰治のようなことばかり言ってるけど、太宰治というよりむしろ町田康に近いような気がする。とことん堕落してみたい。僕はガムシャラに仕事を頑張って、無我夢中で専門的なことばかり勉強している反面、それと同じくらいの割合でヒモ願望が強くて、6畳1間のアパートの一室で彼女が仕事から帰ってくるのを待っているという、そういう生活をしてみたいのです。
 
これは、あれだ、あれだよ。バーンアウト? 燃え尽き症候群ってやつ? あぁきっとそうだ。僕は燃え尽きてしまったんだ。花火のように光り輝いていた時期はとうの昔に過ぎていて、あとは灰になって風に流されるばかり。いや待てよ。バーンアウトに陥りやすい人はやる気のある人、理想の高い人、責任感の強い人ではなかったかしら。
 
うん。僕は産まれたときから「やる気」という気力は授かっていないような気がするし、責任感に関しては人の所為にしてみて見ぬ振りのことなかれ。嗚呼、何も当てはまっていないじゃないか。理想は、高いような気がするけど、むやみに高いだけで、その高さとか広さとか大きさとか全然わからなくて、理想の塔があったとすると、頂上は雲で隠れて見えないし、その塔の登り方さえわからない始末。
 
しかしね、現実はね、看護師の47.7%が、仕事に没頭するうちに心身ともに燃え尽きてしまう「バーンアウト」状態にあることがわかっているんだよ。何も僕だけじゃない。周囲の人たちの2人に1人くらいは多少燃え尽きているんだ。何も僕だけじゃない。僕だけじゃない。僕だけじゃないって思ってる奴がどんどん燃え尽きていくんだ。その辺のメカニズムなんて単純だよ。僕だけじゃないって感じ方そのものがいけないんだ。僕だけじゃないって思ってる奴は案外キミだけなんだよ。ってね。僕の言ってることわかる? 僕は自分で書いてて全然わからないよ。
 
とにかく最近はやけに早く眠ってしまう。最近までビールを飲まなければ眠れなかったけど、今はとりあえず目を10秒ほど閉じていればあっという間に眠りの世界へ行くことができる。ビールさえ買えないという台所事情は置いといたとしても、やっぱり給料日前は辛い。眠るしかない。

とにかく今は何もしたくない。動きたくない。話したくない。風呂に入って布団して天井見つめて明日もどうか頑張れますようにって壊死して灰になった自分の体に鞭打って夢の世界だけで生き生きと草原で蝶でも追いかけて、捕まえて、煮て、焼いて、灰になる。夢の世界の草原の蝶でさえ灰になる。
2003年02月24日(月)  クライシスコール。
「ほら、また切っちゃった」
 
診察を終えた彼女は処置室へ通される。処置の準備をしている僕に多数の傷跡が残る左腕を自慢気に見せる。何回も何十回もの行き場を失い本人さえも理解できない感情は、何本も何十本も細い左腕にカミソリで切り刻まれる。彼女はいつも笑っている。悲壮感なんて無縁の存在で 「だって、やめられないんだもん」 と非常に楽観的に捉えている。と思わせる。実際問題、リストカットが楽観の範疇で済まされる問題ではないということを僕も彼女も理解している。 「しょうがないなぁ」 僕は呆れた笑顔を浮かべて、彼女は困ったような笑顔を浮かべる。僕たちは、その笑顔の裏側で会話をしている。笑顔は、外界を偽るための、有効な手段であるということを僕たちは知っている。
 
「こんな綺麗な手をしてるのに、もったいないよ」
僕は傷口を丁寧に消毒しながら、彼女の左腕に話し掛ける。 「手首の人格化」 リストカット・シンドロームを学ぶとき、一度は耳にする言葉。切り刻まれた手首は自分自身を表していることもある。見捨てられて敗北者となった自分自身を罰するという自己処罰の行為。自らの血を外に出し、精神的な解放を得ようとする。
 
「早く治るといいなぁ」
僕はずっと左腕に話し掛けている。人格を持った左腕は、彼女の一部であり、彼女自身である。呆れるほど丁寧に傷口を消毒して、ガーゼを当て包帯を巻く。包帯で彼女自身が投影された人格を守る。二重にも三重にも巻いて、彼女を守る。清潔な包帯は、純粋な精神で、彼女を守る神聖な壁となる。さっきまで笑っていた彼女は今はもう黙って静かに目を閉じている。
 
「はい、終わり。次の診察の日までこの包帯は取らないこと」
「えー。無理だよー。だって次の診察って1週間後じゃん」
「じゃあ1週間風呂に入らなければいいんだよ」
「もっと無理だよー」
「大丈夫、体は汚くなっても傷は綺麗になるから」
「嘘ばっかー」
 
処置室は手首自傷症候群の女性がいるとは思えないほど笑顔と明るさに満ちている。リストカットを肯定する彼女と非難しない僕。僕はその悲痛な笑顔の裏側を覗いてクライシス・コール(危機に陥っている状況で本人が自覚しているかは別として助けを求めていること)に耳を澄ませる。彼女はきっとこれからもカーテンを閉めきった薄暗い一室で左腕を傷付け続けるだろう。それはわかりきった真実として、見えない力の、気持ちの、心の作用として、彼女を支配し続けるだろう。
 
そして彼女はこれからも診察を終えた後、僕の待つ処置室へ通される。
「ほら、また切っちゃった」
「しょうがないなぁ。風呂にも入ったんだね」
「当たり前じゃん」
「今日は簡単に取れないように包帯を巻きます」
「やめてよー」
 
楽観的で表面的な会話の裏で、表皮の下の動脈の内側で、僕たちは会話をする。傷痕を誇示することが、精神的な空虚さに対抗するための唯一の手段だということはわかっているけれど、それに立ち向かう力を与えるように、今日も呑気で丁寧な消毒を繰り返す。清潔な包帯で彼女を守る。
 
「ほら、これ、手首のところ、固いスジがあるでしょ。これが邪魔でね、この部分いつも切れないんだ」
「じゃあ左手全部スジだらけになっちゃえばいいよ」
「そうだねー」
 
彼女が、何事にも動じない、この左腕のスジのような大人になってくれたらいいと思う。
2003年02月23日(日)  無駄の合理化。
まぁ世の中は半分以上の無駄なもので成立しているって言っちゃあおしまいだけどちょっと聞いてよウサギさん。よくある話をしましょう。夜の酒場で偶然出会ったあなたに私の事を少しだけ教えてあげる。よくある話ね。退屈な話。
 
日常の合理化を常に心掛けている僕にとっては無駄な言葉がいちいち癪に障るのです。例えば「よろしく言っといてね」もうこれは古典的と思える程に無駄な言葉です。Aさんが「よろしく言っといてね」とBさんに伝えるが為に僕を意志伝達の媒介に使うなと。利用するなと。電話しろよと。メールでも、手紙でも、どうしても「よろしく」言いたいならば、それなりに努力しろよと。僕はBさんに「あ、Aさんがよろしくって言ってたよ」なんて言ったことのない不義理な人間です。
 
「あ、先に食べてていいよ」これ! これすごい無駄! なんかもうあれ! あ、そうですか。なんて食べれないから! ね。デート。若しくはあまり会ったことのない相手と食事に行った場合。僕はパスタを相手はピッツァを注文しました。パスタが先にきました。ピッツァはピッツァだからトッピングしたり釜に入れて焼いたりで結構時間が掛かります。パスタはパスタだから茹でたらおしまい。
 
テーブルの上にはお水と、タバコと、パスタ。相手の目線もパスタ。僕はそもそも最初からパスタなんて存在しなかったかのように窓から見える景色を見たり、隣のカップルの会話に耳を澄ましたりしているというのに! 食いしん坊じゃないのに! 「あ、先に食べてていいよ」いや、いいよ。待ってるよ。なんてしどろもどろに応えてしまって「早く食べないとパスタ冷えちゃうよ」なんて言われた日には「いや、いいんだ」と応えることしかできず、パスタが冷えて何もいいことはないんだけど「いや、いいんだ」と。自分でも首を傾げながら「いいんだ」と。何も解決しないのに「いいんだ」と。
 
そんなのね、先に言われなくても先に食べるときは食べますよ。例えばね、僕が荒波もまれて船から投げ出されて気付いたら無人島。僕1人。木の実と魚と鳥などを食って10年経ちました。そして発見されました。何が食べたい? とリポーターから質問されました。「パスタが食べたいです」僕はカメラに向かって呟きました。故郷に帰ったら「生還おめでとう!」なんて戦争から帰還したかの如くの横断幕。ただの恥さらしのような恥ずかしくてたまらないパレードを乗り越えて夜が来た。
 
レストランに入る。目の前には10年振りに再会した彼女。彼女は結婚せずに僕を待っててくれた。僕はそれが嬉しいのと申し訳ないのとで涙をこらえてつつ、10年振りのパスタがテーブルに運ばれてくる。彼女はピッツァを注文した。ピッツァはピッツァだからトッピングしたり釜に入れて焼いたりで結構時間が掛かる。パスタはパスタだから茹でたらおしまい。テーブルの上にはお水と、タバコと、パスタ。相手の目線もパスタ。彼女は気を遣って「あ、先に食べてていいよ」
 
モグモグ。もう食ってるから! 待ってらんないから! そんな気遣いと孤独の10年を比較しないでくれ! ほっとけよ! パスタうめぇ!
 
以上の例えで文頭の「世の中は半分以上の無駄なもので成立している」って事象を立証しているなんてとても思えないけど、まぁ、そういうこと。
2003年02月22日(土)  サービスについて。
今日はサービスについて語ります。こういう風にキーボードを打ちながら書くことを考えていきます。サービス。ふむ。えっと、サービスといえば、対象者があってこそ存在するわけで、1人でできるものじゃありません。そうですよね。相手チームが存在するからこそ巨人は優勝できるし阪神は最下位になるんです。まぁ、無理矢理に野球に例えなくてもサービスの概念なんてみんな知ってると思います。相手のために気を配って尽くすこと。それは慈善であったり貢献であったり献身であったり孝行であったりします。
 
サーヴィス。一番大切なことは、その気配りの仕方なんですね。相手のニーズに適度に応えなければいけない。適度にね。
 
「ハンバーガーと一緒にポテトはいかがですか?」
昨日からこればっかり言ってるけど、この場合、サービスじゃないんですね。これは余計なお世話の部類に入ります。他人の家に土足で入って部屋の掃除をするようなものです。
 
「よかったら泊まってけば?」
これもサービスでも気配りでもありません。下心です。サービスという衣を被った打算的な言い回しです。気を付けなくちゃ!
 
「部屋の掃除しといたからね」
母ちゃん! そりゃないよ! エロ本とか本棚に綺麗に並べなくてもいいから! という思春期の男性であれば誰もが通る道。母ちゃん家宅捜索。これもサービスじゃありません。親心でもありません。これはお節介と言います。こういう経験が重なれば重なるほどグレる確立は高くなります。僕は1度しかそういう経験をしたことがなかったのであんまりグレませんでした。
 
サービスの概念、ご理解頂けましたでしょうか。サービス、即ち、毒にも薬にもならないもの。それ自体は意識しないけど、あったらあったでまぁ、いいかな。と思う非常に漠然としたもの。ダチョウ倶楽部の寺門ジモンのようなものであります。いや、個人的には寺門ジモンは毒だと思うけど、まぁ、一般的にね。レッド吉田とかは、もうサービスじゃないし。
 
とにかく少しでも対象者が不快感を感じたらそれはサービスではありません。悪です。罪です。「ご試着してもよろしいですよ」しないから! 買わないから! あっち行けよ!
 
「今日の口紅、なんか、いつもと感じが違うね」
これはサービス。この線までがサービス。この言葉を一歩踏み込むと悪になります。
「今日の口紅、なんか、いつもと感じが違うね、とてもいい色をしている」
これは悪なのです。男なんて口紅の色なんてこれっぽっちも興味ないのです。少なくとも僕は興味ありません。興味ないけど、前回会ったときの口紅の色は記憶するようにしています。そして前回と違う種類の口紅をつけていたときに「いつもと違うね」と言うのです。それでいいのです。とてもいい色だなんて言ってはダメです。無責任な発言は往々にして不幸を生み出すのです。考えてもみなさいよ。僕がいい色だって言ったばっかりに、彼女はそうかしら、そうなのかしら、春色かしらなんて勘違いして、次のデートからうんざりするほど日本海色の口紅をつけ続けるのです。そして男はその唇の色を見て、貧血かしら。なんて思うのです。前回褒めたことなんてすっかり忘れているのです。
 
サービスはその場しのぎのようなものであって、結構重大な責任を抱えているのです。
 
「キミの今日のローライズパンツとってもお洒落だよ。へぇ、今時の若い人は腰じゃなくてお尻で履くんだね」
 
これは嫌味です。へへ。
2003年02月21日(金)  出不精メカニズム。
「どっか遊びに行こうよ」「ご飯食べに行こうよ」この言葉が僕の口から発せられることは、まずない。僕は人を誘うことが苦手なのだ。苦手というか、何というか、誘うということに図々しいという概念を持っているのだ。僕が、他人を誘うなんて、図々しいよ。って。どこかで自分を過小表現しているというか、他人に気を遣い過ぎているというか、そういうところがある。
 
人を誘うことが苦手だという、そのメカニズムは結構単純で、要は僕がいけないのだ。僕は人から誘われるとかなりの高確率でそれに応じてしまう。あ、僕の口から発せられることはまずない言葉をもう一つ、「今日はダメ」そう、僕はエニシングオッケーなのだ。エビバデプッチーなのだ。例え「あぁ、厭だなぁ」「面倒臭いなぁ」なんて思っても、僕の口からは意に反して「僕も遊びに行きたかったんだ!」「お腹空いてたんだ!」などと「ご飯食べてからカラオケにも行きたいな!」なんて口から出任せにも程があることを言ってしまう。ハンバーガーとご一緒にポテトはいかがですか的な相手の要求に過剰に応じようとする無駄なサービス精神が旺盛なのだ。
 
だからそれを逆説的に考えると理解できる。僕が、誰かを誘おうとした場合、その誰かは、「あぁ鬱陶しいなぁ」「だるいなぁ」なんて思っても、その誰かの口からは意に反して「私もどっかに連れてってほしかったんだ!」「もうお腹ペコペコなの!」などと「ご飯食べてからホテルにだって行っちゃうわよ!」なんて口から出鱈目にも程があることを言ってしまっているのではないかと思ってしまうのだ。僕が常日頃から言っている「思考の一人相撲」はこんなところにも存在するのだ。
 
要するに僕は人の反応に対して必要以上に敏感になりすぎている。もっとこう、おおらかに、穏やかに、世の中とは進むべきはずなのに、あぁ、コソコソ話してる。僕の悪口を言っているのではないかしら。とか、あぁ、目を逸らされた。僕のことが嫌いなんじゃないかしら。などと、頭の中では、ホントもう、一文の得にもならない無駄なことばかり考えている。だから僕は例え遊びに行きたくてしょうがなくても、部屋の隅に体育座りをしてただ我慢している。
 
いらぬ荒波を立てぬように、その、そもそも波が立っているのかさえわからないけれど、とにかく僕が動かなければ、僕の周囲には波が立たないから、じっと座って時計を眺めて時間が過ぎるのを待っている。
 
じっとカレンダーを眺めて月日が過ぎるのを待っている。
静かに雲を眺めて世の中の移り変わりを傍観している。
「思考の一人相撲」を繰り返す僕の人生はそうやって周囲の予想を覆すことなく、ひっそりと、幕を閉じていく。
2003年02月20日(木)  仔猫と電話とトカゲの尻尾。
居酒屋の帰りトボトボと夜の繁華街を歩いていたら友人が突然叫んだ。「携帯がない!」この友人はもうこれが宿命かと思われるほど携帯を忘れたり、ホテルに財布置いたままチェックアウトしたり、大事な書類を家に忘れたりと「うっかり不幸」がとにかく多い周囲に1人はいるタイプの人間なのだが、今夜は携帯がないと嘆いている。あぁ面倒臭ぇ。1人で取りに行ってよ。僕は、えっと、ほら、そこのショーウィンドウに腰掛けてタバコでも吸ってるから。「一緒に行こうよ」だから面倒臭いって。酔ってるし。気だるい。「あぁっ! ねぇ! 一緒に取りに行こうよ! 私だって少し酔ってるんだから! 吐き気だって装ってきた!」吐き気を装うってなんだよ。吐き気を催すっていうんだ。しょうがないなぁ。僕は、えっと、ほら、そこの有料駐車場の自販機の前でお茶でも飲んでるから1人で取りに行ってよ。「わかったわよ! 1人で行くわよ!」ってウソだよ。ちゃんと一緒に行くよ。そう、ツッカツッカ早足で歩かないでくれよ。全然酔ってないじゃないか。待ってよ。おーい。
 
「きえぇっ!」
友人は横断歩道の前で素っ頓狂な叫び声を上げて立ち止まる。呆然と立ち尽くす友人の足元には敢然と自動車に潰された友人の携帯電話。「あぁ、潰されてるよ」僕は当たり前のことを言う。こういう悲惨な状況に遭遇すると当たり前のことしか言えなくなる。「あああっ!」友人は瀕死の仔猫を抱くように無惨な姿になった携帯を取り上げる。僕は酔っているけど、素で可哀相だと思った。「さっき横断歩道走って渡ったでしょ。その時に落ちたのよ」友人は僕を見上げて言う。なんだよ。僕が悪いみたいじゃないか。僕があぁ横断歩道が赤に変わるよ。点滅してるよ。あの点滅の意味がわかるかい。走れ! ってことなんだよ。って言ったみたいじゃないか。僕はそんなこと言ってないよ。別に急いでいるわけでもなかったし、あの時も立ち止まって待っててもよかったんだよ。とにかく僕が走ろうって言ったわけじゃない。
 
涙目で横断歩道の真ん中で立ち尽くす2人。これじゃまるでトレンディードラマの別れの場面みたいじゃないか。恥ずかしい。みんな見てるよ。頭の中でキスしろとかビンタしろとかささやいてるよ。キスもビンタもしないよ。とにかく歩道へ戻ろう。そして次の店に行ってから、この件について嘆くなり怒るなりすればいいよ。恥ずかしいし、何よりも寒い。繁華街の横断歩道はどうしてこんなに寒いんだ。さ、行こう。
 
それにしても友人の携帯電話の無惨な姿。「いぇーい! カメラ付き買ったんだー! アンタなんて写したくないけど写してあげるー!」なんて恥ずかしいほどハイテンションで騒いでいたあの頃が懐かしい。写したくないとか言われてもポーズをとってニヒルに笑っていたあの頃の僕が懐かしい。見てみろよこの無惨な姿。折り畳み式の携帯はまさに首の皮一枚という感じで、上の部分と下の部分が色とりどりのコードで辛うじてダラリと繋がっている。首の骨が折れた仔猫のようじゃないか。
 
「クロネコヤマトの宅急便♪ クロネコヤマトの宅急便♪」
突然既に生き絶えたと思われた携帯電話から陽気な音楽が流れ出す。「ああっ! 携帯が鳴ってる!」友人は一縷の望みを振り絞った声を上げる。死んだと思っていた携帯が鳴っている。不幸中の幸い。というか確実に不幸なんだけど、携帯が鳴っている。着メロを「クロネコヤマトの宅急便」にしている友人のセンスは疑うあまりだが、とにかくまだ少し、生きている。
 
「もしもしっ! もしもしっ!」
友人はボタンを押して必死に着信に応えようと躍起になっている。しかしボタンは反応しない。何度押しても反応しない。ていうか、ボタン自体が著しく破損していて、どのボタンを押せばいいのかわからない。「もしもしっ! もしもしったら!」友人はやみくもにボタンを押し続ける。しかし携帯電話は反応しない。僕は命あるものの最後の抵抗、そう、ちょん切られたトカゲの尻尾の最後の抵抗とこの携帯電話がオーバーラップし、夜の繁華街に無情に響く「クロネコヤマトの宅急便」を呆然と立ちすくんで聴いていた。
2003年02月19日(水)  強迫神経症と女子中学生。
寒い。何か書くぞ。何か書いてとっとと風呂入るぞ。強迫神経症の延長線上に位置するこの日記。僕は毎日何かを書かなければ次に進めない。食事だっておぼつかない。ねぇ、ねぇってば。それタバコ。馬鹿じゃないの? 食事中、気が付けば僕は2本の煙草を箸のように持って、箸を煙草のように咥えていた。あ、あぁ、うっかり。うっかりさんでした。いやいや、日記を、まだ書き終えてないから、実は食事どころじゃないんだよ。なんて。
 
兎にも角にもまず日記。これね。強迫神経症の儀式的行為に位置するこの日記。僕は日記を書くという儀式を終えないとろくに風呂にも入れない。ねぇ、ねぇってば、それ石鹸。馬鹿じゃないの? 浴槽の中で、気が付けば僕は石鹸を手ぬぐいのように頭に乗せていた。あ、あぁ、ぼんやり。ぼんやりさんでした。いやいや、日記を、まだ書き終えてないから、実は風呂どころじゃないんだよ。なんて。
 
我知らず! いつの間に! 僕はおしっこしたいだけなのに、ズボンを全部下げて洋式トイレに座っていた。強迫神経症の不完全恐怖に位置するこの日記。僕は日記を書かなければいけないという、不完全なものを完全にするという作業を終えないとろくに排泄もできやしない。
 
よし。何か書こう。日記を書こう。昨夜のことを書こう。昨日の夜は、友人2人が来て、そのうちの1人は、なんかすごいヤバいことをしている奴で、そのヤバいことって犯罪スレスレというか、犯罪のボーダーラインを遥かに超えていて、僕は見ての通り、気の小さい大人なので、見てみぬフリを決め込んで、それにしても女子中学生の裸なんて初めて見た。すごかった。お互い同意の上だって。そういうのって大丈夫なの? 「いや、わかんない。同意とかしてないし」じゃ、犯罪じゃん。帰れ帰れ。
 
というわけで部屋に残ったのは僕と女子中学生。お母さんに電話して迎えに来てもらいました。
2003年02月18日(火)  僕の回線に原因不明の障害が発生したことについて。
「だってアナタは浮気するもの」
 
その女性は決まってこの言葉を言う。布団を頭までかぶり「しないから!」と叫ぶ。僕は浮気なんてしない。浮気なんて知らない。その意味も概念もわからない。だから付き合おう。愛してるよ。人は恋を隠すこともできなければ、ない恋を装うこともできないんだ。よって、キミを愛している。だから付き合おう。変な理屈をこねくり回して付き合おう。とどのつまり愛してるよ。それでいいじゃないか。浮気なんてしないから。
 
「ダメよ。アナタはそうやってすぐ熱くなるから」
 
熱くなるから。ふふっ。熱くなるからだって? 熱くさせてるのはどっちだよ。僕はもともと水のように冷たいんだ。キミの動作が薪となり、言葉が火をつけて、沸騰したんだ。僕の所為じゃない。キミが、
 
「美しすぎるからとか言うんでしょ」
 
う、うん。そういうこと。美しすぎるとか、さすがにそこまで言おうとは思わなかったけど、まぁ、そういうこと。いや、お世辞じゃなくて、そんな、口説こうと思って言ってるんじゃないんだ。ただ、僕は客観性に関して恐ろしく正直になってしまうんだ。
 
ほら、そんなことばっかり言ってるから、うちのサイト、開かなくなったじゃないか。えとね、僕はね「歪み冷奴」ってサイトで日記書いたり、あとは、えっと、詩を書いたりしてるんだ。笑わないでくれよ。それがね、開かなくなっちゃったんだ。キミと電話してるどころじゃなくなったんだ。サポートセンターに問い合わせなくちゃいけないんだ。
 
>この度はご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございません。
>現在回線において原因不明の障害が発生しているようです。
>原因を調査しておりますので、特定でき次第対策を行います。
>回線の普及まで今しばらくお待ちくださいませ。
 
だってさ。回線に原因不明の障害だってさ。多分ね、僕がいけないんだ。あの、詩とかがいけなかったんだ。日記の表現とか、日頃感じてることとか、仕事を辞めるって決まってからなんだかやっつけ仕事になってることとか、そういう僕の総合的なものがいけないんだ。原因不明の障害って僕の人間性の障害ってことなんだよねきっと。原因なんて調査しなくてもいいよ。僕が更生すれば済む話なんだから。
 
更生の第一歩! まずはキミと付き合いたい。愛してるよ。おもむろに愛してるよ。
 
「だからおもむろ過ぎるのよ」
 
おもむろ過ぎたらいけないのかい? やりかたやハウツーなんてない。ただ愛することによってしか、愛し方なんてわからないんだ。おもむろじゃないといけないんだ。眠くなってきた。明日になったら復旧してたらいいのにな。
 
あと、お礼を言わなくちゃいけない。
>毎晩寝る前に歪サンの日記を覗かさせていただくのが私の日課となっているのですが
と心配してくれたアナタにお礼を言わなくちゃいけない。心配してくれて本当にありがとう。なんだかすごく嬉しかったです。日課にまでしてくれてる、えっと、想像を飛躍させると、僕の日記が誰かの日常にまで侵食していることに、嬉しく思います。ありがとう。復旧を急ぎますのでこれからもどうぞ宜しくお願いします。いや、復旧作業するの僕じゃないんだけどね。僕ができることといえば人間性の更生だけなんだから、まずは、それを全力で頑張りたいと思います。ね、だから付き合おうよ。
 
「だからおもむろ過ぎるのよ」
 
あっそ。
2003年02月17日(月)  新人指導。
「おはようござぁぁ」「あ、おはようごぁぁ」「お、おはよぁぁ」なんていつもの如くテンション低めの挨拶を看護婦さんと交わしていると「おはようございますっ!」と目の前に現れたのは卸したばかりの新品の白衣を身にまとった新人さん。あ、今日から新人さん来る日だったっけ。あー。もー辞めちゃうしなー。新人さんとか来ちゃっても血湧き肉踊らないよー。おはようごぁぁ。
 
婦長さんが新人さんに僕を紹介する。
「紹介しますね。うちの病院の秘蔵っ子、ヨシミさんです。」
秘蔵っ子て。あんまり意味わかんないし。
「ヨシミです。よろしくおねがいしまぁぁ」
あー。辞めちゃうし。今さらカッコつけたってしょうがないし。髭だって適当に剃ったし、髪だってちゃんとセットしてないし白衣の上から3番目のボタン取れたまんまだし。あー。ねむー。
「ちなみにヨシミさんはあなたの指導係です」
えぇー。聞いてないよー。うん。聞いたような気がする。聞いたような気がするけどやる気が出ないような気がする。辞めちゃうし。あー。辞めるって逃げ道、すげぇ楽だなぁ。
 
というわけで新人さん。新人さんといっても僕と同じ年で、なかなか綺麗なお姉さま。よし! まずはメアド交換から!
「あんまりふざけると辞める前にクビにしますよ」
冗談ですよ婦長さん。やだなぁ。冗談。頑張りますよ。僕はこう見えても看護指導に関しては結構厳しいんだから!
 
会議室でミーティング。まずはこの病院の概要を説明します。えっと、手元の資料、読んでてね。僕は、ちょっと、トイレ。すっぱー。
「こら! ミーティング中じゃないの!」
喫煙所でタバコを吸ってるところを婦長さんに目撃される。体育館裏の高校生並みにビビる。そそくさと会議室へ。
 
コホン。失礼。待たせたね。おしっこが、いっぱい出ました。資料、読んでくれましたか。僕は読んでません。なんて。ハハハ。えとね、うちは内科と、精神科なのね。内科もあって精神科もあるってことは心療内科的要素も含んでるわけね。心身症。僕は4月で仕事を辞めてその先のことを考えると胃がチクチク痛んでときどき下痢したりするんです。ね。こういうのが心身症。だからこの場合、下痢止め飲んでも治んないわけ。病の元は下痢じゃないわけ。「4月で仕事を辞める26歳独身男性の将来への不安に付随するストレス」これですね。これをどうにかしなくちゃいけない。うちの病院ははこういうのをどうにかするところなんです。
 
「すっごくわかりやすいです!」
えぇー。うそー。わかりやすいですか? そうですか。僕はどうも人に指導するってのが苦手でね。冗談ばっかり言ってしまうんです。ゴメンなさいね。それなりに、必死なんだけど、ちゃんとするときはちゃんとするから、こうやって2人きりで会議室でミーティングなんて不毛だと思わない? ね。会議室を1歩出ると怖い看護婦さんなんていっぱいいるわけだから、こんなときぐらい世間話でもしてゆっくりしましょう。
 
という新人さんの逃げ道を作るという指導法。
2003年02月16日(日)  やすらかに死ぬことについて。
本日は尊厳死について。まぁいろんなところで議論されてるから今さらって感じがするんだけどね、尊厳死。尊厳死というか、「死」のことね。さしすせその「死」。これは、なかなか答えが出ないです。要は誰の為の死で同時に生であるかということなんです。「死」の焦点はそこに集約されているのです。
 
IVH。ね。中心静脈栄養法。あと、ご飯食べれないから鼻腔カテーテル。おしっこ自分で出せないからバルンカテーテル。点滴と、あと輸血。失禁するからオムツ着用。自分で体動かせないから褥瘡だってできちゃう。呼吸だってままならないから酸素マスク着用。で、96歳。
 
ね。わかるでしょ。いったい誰の為に生きているんだって。おじいちゃんの意思は、どこにあるんだって。もちろんそれは黄泉の国ですよ。魂はね、もう死んじゃってるんです。声を掛けても痛覚刺激にも反応しない。いったい誰の為に生きているんだって。ね。家族の為? 然り。そうかもしれないね。おじいちゃんいつまでも長生きしてね。なんて。「長生き」と「延命」の根本的な違いを、キミたちは、わかっているのか。って話ですよ。
 
そりゃあね、「生」と「死」の間にはすごい差がありますよ。だけどね、その「生」の意味を履き違えちゃいけないんですよ。ね。見てみなさいよ。このおじいちゃんにいったい管が何本刺さってると思ってるんだい。人工的な栄養素を注入されて他人の血を入れられて、それを無理矢理出そうとする。それが「長生き」なのか「生」なのか?
 
いや、別に延命措置を否定して尊厳死を肯定してるわけじゃないんだよ。要はひとりひとり考えてみろってことなんですよ。実際、悲惨ですよ。壮絶ですよ。もうね、何の為に僕たちは仕事しているのかって問題まで浮上してくるわけですよ。生きてて良かったとか、死んで残念とか、そういう次元の問題じゃないんですよ。
 
お国の為に命を掛けて銃を持ち、高度経済成長に貢献し、世の中潤ってきたころに、朝飯食べたか食べてないかも忘れてしまって、トイレが間に合わなくなって家族に文句を言われて施設に入れられて、介護保険? それは美味しいかね。なんて言ってまぁ、おじいちゃん呑気なのねぇ。なんて職員に言われて、それを可愛いおじいちゃんとか穏やかなおじいちゃんなんて間違えた認識をされて、施設から見える窓から舞い落ちる雪が見えるころにゴホンゴホン。あぁ風邪でもひいたかなぁ。いや、じいちゃん。それ風邪じゃないよ。インフルエンザだよ。ほら、肺炎併発しちゃった。点滴点滴、いっぱい栄養とらなきゃね。はーい鼻に管入れますのでちょっと我慢して下さいねー。あら、息、ちょっと看護婦さん看護婦さん。おじいちゃん、顎で息してるよ。それはね、専門用語で下顎呼吸というのですよ。そういうときは酸素マスクをつけるんですよ。酸素マスクつける頃にはもう、おじいちゃんの命は、おじいちゃんのモノじゃなくて、我々医療に全て委ねられるのですよ。
 
ね! 僕が言いたいこと伝わってるのかしら! 自分の体は固いベッドの上。魂は黄泉の国。それを「生」だというのなら! 僕たちは人間であって、それ以前に霊長類でホモサピエンスなんですね。それを「長生き」に例えると「僕たちは人間」という箇所で、「生」に例えると「それ以前に霊長類でホモサピエンス」なんですね。
 
大きな意味で、それは確かに「生」かもしれないけど、ほら、ね。答え、見えないでしょ。生とか死とか、正義とか悪とか、そういうものを通り越したところに「尊厳死」という問題が存在するのです。もはや神の領域。こんなの、医療の領域じゃないよ。生まれ変わったら神様になりたいです。
2003年02月15日(土)  悲哀の山手線ゲーム。
飲み会がある度に送別会送別会と言われてうんざりしている。僕は4月までここで働くんだい! 追い出すような真似はよしてくれ!
 
昨夜は事務のお姉さんたちと月に1度の定例飲み会。最近オープンしたお洒落なフードバー。残業だったため少し遅れて登場した僕は、偶然違うテーブルに友人たちを発見してそのまま友人たちのテーブルへ。「ゴメン、遅れちゃって」「呼んでねぇよ」「あっち行けよ」と言われたので「てめぇたちと飲みたくなんかねぇよ!」と捨てセリフを吐いて事務のお姉さんたちのところへ。「ゴメン、遅れちゃって」「呼んでないわよ」「あっち行ってよ」と言われたので素直にカウンターに1人座ってビールを注文。横目でチラチラ事務のお姉さんたちを見つめる。すると1人が立ち上がって僕のところへ来る。「ゴメン、ウソウソ。ウソだってば。子供みたいにそんな機嫌損ねないで。ね。だからあっち行ってよ」一瞬目の前が真っ暗になって、カウンターの奥にあったアイスピックを手に取って自分の首を突いて死んでしまおうと思った。
 
というわけで月に1度の定例飲み会。カウンターから頑なに事務のお姉さんのテーブルへ戻ろうとしない僕は、なんだか事務のお姉さんと意地の張り合いみたいになってしまって、店員の憐れみを込めた困った笑みをよそに僕は1人でビールをがんがん飲む。どうせ僕は1人だ。僕の背中を見て見て。ね。小さいでしょ。寂しげでしょ。だから声を掛けて頂戴。僕を1人にしないで頂戴。
 
……。
 
誰も声を掛けてくれないので、結局ふてくされた表情で事務のお姉さんたちのテーブルへ戻る。「あら、来てたの?」「1人で飲んでたの?」「何しに来たの?」一瞬目の前が真っ暗になってテーブルの上にあったフォークを手に取って自分の首を突いて死んでしまおうと思った。
 
「それにしてもこんなことするのももう少しなんだよねー」
そして決まって送別会話が始まる。僕はいつものように、いつもの日常の延長線にあるように、普遍的な仕事帰りの飲み会であるように、そんなこと考えないでみんなと飲みたいのに。
 
「ね、仕事辞めたら何するの?」
「結婚」
「誰と?」
「わかんない」
「私と?」
「違う」
「薬剤師さんと?」
「願いが叶うならね」
「薬剤師さんが泣いて仕事辞めないで! って止めたらどうする」
「辞めない」
「単純ーっ!」
「私が泣いて仕事辞めないで! って止めたらどうする」
「辞める」
「そう……」
 
そして事務のお姉さんは本当に泣いてしまった。本当に悪いことをした。だから辞めるとか、いなくなるとか、そういう雰囲気は嫌いなんだ。冗談が冗談じゃなくなって、真実はより洗練された真実となる。僕も他の事務員さんたちも本当に泣きそうになったので、フードバーの雰囲気に合わない少々無理矢理な山手線ゲームをしたら余計悲しくなった。
2003年02月14日(金)  とても素敵なバレンタイン。
院長には小学5年と4年生の娘がいる。愛に齢の差なんて関係ないので、僕は彼女たちが職場に遊びに来るたびに「いいかい、よく聞くんだ。キミは将来女医になって、僕は将来キミと結婚するんだ。結婚してくれたらいろんなとこ連れてってあげる。ディズニーランドとか、そうだ、ロケットに乗って月にも行こう。ね。結婚しよう。そして僕を養ってくれ」僕はしゃがみ込んで彼女たちと目線を合わせて口説く、口説く。看護婦さんたちはそれを見て苦笑。罵倒。「気を付けなさい」「幸せになれないよ」なんて大人の解釈をしている。でも子供達は何を気を付けてどうして幸せになれないかなんてわからないので「うん! やしなう!」なんて養うことの意味もわからずに楽しそうに叫ぶ。僕はほくそ笑む。これがホントの大人の解釈。
 
今日はバレンタインデー。院長の2人の娘は学校の帰り道、職場に寄って「ヨーシーミーくーん!」大声で僕の名前を呼んだ。娘の大声は当然、院長の耳にも届いているはずで、なぜ私の娘達はヨシミ君の名前を呼んでいるのか。あ、そうだ。今日はバレンタインか。しかしなぜヨシミ君なんだ。あいつはうちの娘達に何を吹き込んだのか。って絶対そう考えると思って僕は焦燥し、慌てて彼女のところへ走る。
 
「はーい! チョコレートー!」
「シーーーーッ!」
 
僕は顔を真っ赤にしてチョコレートを受け取る。まさかこの歳になって8歳の女の子からバレンタインチョコを貰うなんて思ってもみなかった。日頃の無責任な発言は、時々こうやって意外な時に実を結ぶ。看護婦さんたちは相変わらずナースステーション越しに好奇の目を向け「ダメよー。お兄ちゃんは悪い人なんだからー」「新しい女の子を追いかけてもうすぐいなくなっちゃうんだからー」なんて、どうコメントしていいのかわからないことばかり言う。外来患者さんたちは彼女たちに向けて笑顔で拍手を送る。僕はただ「ありがとう」と柄にもなく照れるばかりで、日頃の威勢のいい口説き文句を言うこともなく、そそくさと小さな2つの紙袋を持ってロッカーへと走った。
 
アパートに帰って、小さな紙袋の紐を解く。チロルチョコの詰め合わせと、クマのぷーさんの顔の形をした小さなチョコレート。そして手紙。
 
「大きくなったらお兄ちゃんをやしないます」
「とおいところに行っても、早くかえってきてね」
 
これまでの人生で一番素敵なバレンタインデーでした。
2003年02月13日(木)  彼女がお風呂の間に書く日記。
深夜の電話は決まってあの子。
 
「火傷したっ!」
「えっ、ウソ?」
「ホントッ!」
「何で?」
「そうめん茹でてたのっ!」
「そうめん?」
「そうめん!」
「痛いの?」
「痛いのっ!」
「それじゃあ電話なんてしないで冷やさないといけないよ」
「冷やしたのっ!」
「氷じゃなくて流水で冷やした方がいいみたいだよ」
「知ってるっ!」
「それじゃお大事にね」
「冷たいっ!」
「流水が?」
「お前がっ!」
 
そして彼女は電話を切った。どうやら彼女は火傷をしたらしい。左手を火傷して範囲は小さいと言うけれど、しきりに痛い痛いと言っている。このように僕が彼女への接し方を間違えるとすぐに電話を切られる。こういうときはどういう対処をしていいのかわからない。対処に右往左往するのではなくて、最初から諦めているからついいい加減な対応をしてしまう。それについていつも謝りたいけど、恥かしくてなかなか言い出せない。言い出せないもなにも何をどうやって謝っていいのかわからない。まぁ、小説の続きでも読んで気長に待とう。そのうち絶対かかってくるから。ほらね。
 
「ねぇ、体重計買ってくれた?」
「え? 火傷もう大丈夫なの?」
「痛いのっ!」
 
彼女は最近アパートを引越して、新しい体重計が欲しいと言って、それじゃあ僕が引越し祝いに買ってあげると言って、今日電器屋や雑貨屋に行って体重計を探したけれど、どれもデザインがイマイチ。まぁ、僕が使うんじゃないからそういうものは妥協してさっさとレジに持って行けば済む話なんだけど、僕はそういうことができない。そもそも体重計なんてどこで買っていいのかわからない。体重計専門店とか開業したらきっと儲かるだろうな。体重が気になるアナタに朗報! 体重が−10キロで表示されるAI内蔵デジタル体重計新発売! なんてね。要は気持ちの問題なんだから、−10キロでも構いやしないよ。
 
「今日いろんなとこまわって探したんだよ。だけどどれもイマイチで悩んでいるんだ」
「ふぅん」
「彼氏がいる女性へのプレゼントを探すのに僕はこんなに頭を悩ましているんだ」
「彼氏がいる女性へプレゼントするその行為が好きなくせに」
 
彼女はいちいち的を射た発言をするので癪に触るというかドキドキする。
 
「まぁ、これから悩んで、これだ! っていう体重計を自信を持って贈るよ」
「ありがと」
「……」
「……」
「で、火傷」
「痛いのっ!」
「生理は?」
「やっときたのっ!」
「そりゃあ良かったね」
「ホントに良かった」
「安心」
「安心」
「で、火傷」
「痛いのっ!」
「お大事にね」
「冷たいっ!」
「流水が?」
「お前がっ!」
2003年02月12日(水)  孤独は孤独であって孤独にあらず。
昨夜、とある女性と食事に行った。最近オープンしたフードバーは定休日で、結局お洒落したにも関わらず居酒屋へ。いや、居酒屋でお洒落しちゃいけないってことじゃなくて、ただなんとなく居酒屋に行くには居酒屋に行くっぽい格好をしたいなぁ。って。居酒屋でスーツと蝶ネクタイって浮くでしょ。いや、僕がスーツと蝶ネクタイってワケじゃないけど。
 
彼女は物事をよく考えて深く悩む。僕は物事をあまり考えないくせに深く悩む。共通点が多いような僕たち2人も、ここが決定的に違う。僕は考えているようで、実を言うと底が浅い。深く見せようとしているだけ。近所の海水浴場のように結構浅い。しかも狭い。しかも汚い。空き缶とか下心とか。
 
しかし彼女は本当に物事をよく考えている。やや悲観気味だと思うけど、その意は否定できないものばかりで、僕たちは往々にして孤独なんだ。ね?
「うん。その通り」彼女はニッコリと微笑んでウーロン茶が入ったグラスを傾ける。僕は的を得た表現に満足して黒ビールを咽喉に流し込む。
 
僕は孤独に対して、どちらかというと楽しんでいる方で、孤独は孤独であって孤独にあらずという実に底が浅い哲学を持って毎日生活しているんだけど、彼女は、どこか、孤独に対して恐怖を抱いている感がある。孤独は桃源郷だと思うんだけどな。僕が僕の為に創った自分だけの世界なんだから。ね?
「うーん。どうかしら」
 
だけど僕たちは確固たる孤独の世界の傍ら、世の中の何処かと常に交わっていなければいけない。だから僕たちには友人がいて職場の同僚がいて仕事が終わったら皆で酒を飲んで職場の愚痴やらこの世の愚痴やらゲロと一緒に吐き出して、互いの繋がりをより強固なものにしようとする。しかし傍らは孤独の世界。大いなる矛盾の元に僕たちは生活している。
 
――
 
「キミは人生の柔道家だ」
 
職場の先輩にこんなことを言われた。人生の柔道家、なんだか格好いいじゃないか。意味がわからないじゃないか。なんですか人生の柔道家って? 寝技は一級品とか? へへ。
 
「馬鹿。違うよ。受け身だけは一級品ってことだよ」
 
ぐへ。
 
――
 
黒ビールを飲み干して、タコわさびをつまみながらそう言われたことを思い出していた。人生の柔道家。襲い掛かってくるあらゆる苦難やストレスを受け止めて、衝撃を吸収して、いつも涼しい顔をしている。これが僕。吸収された衝撃は外見に何の変化ももたらさず、心の隙間に潜り込み、やがて胃潰瘍という心身症という病に変化して時を経て体外へ姿を現す。なんてね。
 
あとは人それぞれが持っている器の中の水の容量はいつまで経っても変化しない。変化するのは器の形だけだ。って話をしたけど文章で説明するのは少し面倒臭いので省略。要するに僕の容器の底は驚く程に浅いってこと。
 
「はい、少し早いけど」
 
一足早いバレンタイン。車の中でプレゼントの包装を解く。バレンタインケーキと2冊の絵本と短い手紙。
 
「ありがとう」
 
こういうときだけ、僕は確実に素直になれる。僕をとりまく建前とか打算とかそういうものが全て崩れ去る瞬間。「本当にありがとう」
 
孤独は孤独であって孤独にあらず。ってね。
2003年02月11日(火)  愕然ベスト6。
引越しの日程も決まったので大掃除をしてみたはいいが、あまりのゴミの多さに愕然。いや、この場合、ゴミの多さに愕然としたのではない。僕の生活をとりまいていた約3分の2の物がゴミと化してしまったのだ。愕然。僕の生活の3分の2が無駄だったということに愕然。僕27歳。3分の1で9歳。ボク9歳。フィギア大好き。否! 27歳! 結構おじさん! 考えることとか女子高生を見る目とか! だからフィギアは一斉処分。看護士さんの子供が9歳なので、その子に与えた。あまり喜んでくれなかった。マジンガーZを「このロボットなぁに?」とぬかしやがった。それにも愕然。ジェネレーションギャップ。泣きたい。
 
大掃除の最中、意思の弱い奴ほど卒業アルバムや昔の文集を引っ張り出して一時中断。僕も然り。小学5年生の頃の日記が出てきて「今日のうんちはパパうんち」とか書いてあって死にたくなった。今は休日の予定とか女の子のことばかり考えているけど、小学5年生の頃はうんちのことばかり考えていたんだと思う。別にうんちのことだけ考えていても世の中は滞りなく進んでいた。毎日朝になるとママが起こしてくれてトイレに走ってパパうんちをしていた。平和だったんだなぁ。
 
小学6年の卒業文集の巻末に「将来なんでもベスト6」というコーナーを発見。ベスト3でもベスト5でもなく、なぜかベスト6。「将来結婚しそうな人は?」という質問で僕が1位に輝いていた。大きな間違い。しかし2位から6位の人を見ると見事に結婚している。すごいぞ小学6年生。1位だけ予想を外すという神技。すごく悲しい。
 
ちなみに「将来すごくエッチな人は?」という質問にも僕は1位に輝いていた。まぁ、何にしろ1位になるのは嬉しいけれど、質問の文章がメチャクチャ。すごいぞ小学6年生。将来すごくエッチて。実際すごくエッチだけれども。2位から6位を見ても今もすごくエッチなのかわからない。おそらくエッチなんだろうけど。
 
あと「クラスでいちばんうるさい人は?」なんていう将来とは何の関係のない質問にも僕は3位に選ばれていた。すごいぞ小学6年生。いちばんうるさい人の3位とはどういうことか。さんばんうるさい人じゃないか。ちなみに1位の「いちばんうるさい人」は結婚して離婚して市役所で市民課のメガネのおやじを殴って傷害事件で前科1犯。たしかにいちばんうるさい人生を送っている。殴ったとき、「まさかメガネが割れるとは思わなかった」とすごく反省をしていたそうだ。まぁメガネ以前の問題なんだけどね。僕的に情状酌量。
 
あぁ、大掃除の最中だった。
2003年02月10日(月)  思い出しました。
明後日までに仕上げなければいけない大きな仕事を風呂に入っているときに思い出して、体を洗う間も惜しんで即仕事に取り掛かろうと思ったけど排水口が詰まって仕事どころではなくなったのでもう仕事はしない。どうせ辞めるんだし。すごい投げ遣り。
 
という逃避行為。逃避するのは想像の世界だけ。僕は最後まで責任を持ってしっかりと仕事をまっとうするんです。それにしても排水口が突然詰まったのはビックリした。これからは細目に排水口に髪の毛が詰まっていないかチェックしなければいけない。しかしうちの排水口は浴槽の下に位置しているのでなかなかチェックできないのでチェックしない。どうせ引っ越すんだし。すごい投げ遣り。
 
という逃避行為。逃避するのは活字の世界だけ。僕は最後まで責任を持ってしっかりと排水口を掃除するのです。それにしても僕はまた携帯を職場のロッカーに忘れてきてしまった。チョー不便。世の中、というとやや誇張した表現になってしまうけど、僕の周囲の動きが全くわからない。もしかしたら今夜誰かと食事の約束をしていたかもしれないのに。もうロッカーの中に携帯を置くのはよそう。だけどどうせ辞めるんだし。もうロッカーの中の掃除も済んじゃったし。すごい投げ遣り。
 
という逃避行為。逃避するのはベッドの中だけ。僕は最後まで責任を持ってしっかりと携帯をロッカーに忘れないよう心掛けるのです。それにしてもツタヤの店員、ムカつくよなぁ。
 
新作CDを借りました。2泊3日経って返却に行きました。僕は店員にCDを渡します。「少々お待ち下さいませ」そして店員はCDに傷がついていないか歌詞カードは所定の位置に入っているか、汚れていないか、確認するのです。猜疑心丸出しの根性で。いや、それが仕事なんだけどね。だけどほら、僕みたいに気が小さい人はどうもあの行為が駄目なんです。CDに傷を付けていないはずなのに、歌詞カードもちゃんと所定の位置に入れたはずなのに、はずなのに! 「よろしいですよ。ありがとうございました」と言われるその時まで内心ドキドキしているんです。裁判に掛けられて判決を待っているような心境になるのです。「よろしいですよ。ありがとうございました」ってすぐに言って欲しい。やましいことは何もしていないからすぐ言って欲しい。お願いします。
 
仕事仕事!
2003年02月09日(日)  イノシシとクリスマスケーキ。
看護婦さんの家にご飯を食べに行った。最近はご飯が食べたくなったら看護婦さんのマンションへ行くようにしている。看護婦さんが「お腹が空いたら遊びに来なさい。もうちょっとで居なくなるんでしょ」なんて寂しいことを言うので、ついついご飯を食べに行ってしまう。
 
「冬の食事の定番といえば?」
「鍋! ていうかこの前すき焼き食べたじゃないですか」
「十二支の一番最後の動物といえば?」
「猪! それがどうかしましたか?」
「今日はイノシシ鍋よ」
 
すごく無理矢理で強制的で誘導的な会話だが、看護婦さんは本当に突然こんな質問をする。最初からイノシシ鍋っていえばいいのに、無意味に遠回りな質問をする。まぁ世の中の質問は全て無意味に遠回りなんだろうけど。
 
イノシシ鍋。もちろんイノシシの肉が入っている。イノシシの肉は小さい頃たまに食べていたけど味の記憶は残っていない。僕の父は料理人だったので、イノシシとか、ウサギとか、スズメとか、そういう珍しいものをよく料理して食べさせてくれた。僕の父は料理人だった。今はもういない。どこにいるんだろ。
 
というわけでイノシシと聞くとなぜか父の姿が思い浮かぶ。休日の度にケーキを作っていた父は、今もどこかで男のくせにもうすぐバレンタインだからと言ってチョコレートケーキを作っているのだろう。クリスマスが近付くと、我が家には近所の人たちからクリスマスケーキの予約が殺到した。父は仕事から帰って来てから夜遅くまでスポンジケーキを焼き、クリームを塗り続けていた。僕には、そういう幸せな時期も、あった。今みたいに1人じゃなかった。
 
「なにボーッとしてんのよ」
「あ、あぁ、昔をね、思い出していたんです」
「イノシシの肉を食べながら?」
「そう。イノシシの肉を食べながら昔食べたクリスマスケーキのことを思い出してたんです」
「サハラ砂漠で地中海を思い出すみたいに?」
「うん。ちょっと違いますけど」
 
しばらく無言で僕たちはイノシシ鍋を食べる。僕はその沈黙の中でイノシシとクリスマスケーキのことを考え、看護婦さんはイノシシとクリスマスケーキの接点について考える。看護婦さんは白黒はっきりさせないと気が済まない性格なので、もちろん僕にその答えを求める。
 
「ねぇ、どうしてイノシシでクリスマスケーキなのよ」
「あ、あぁ、僕んちは少し変わっていてクリスマスといったら七面鳥じゃなくてなぜかイノシシだったんですよ。すごい田舎ですからね、イノシシなんて道を歩けば突進されるものでしたよ」
 
僕はまた小さな、いかにも嘘らしい嘘をつく。
小さな、いかにも嘘らしい嘘。僕はそういう嘘ばかりついているから
いつまでも独りなんだと思う。
2003年02月08日(土)  純粋無垢な不浄の手。
去年の今頃の日記を読んだら、去年の今頃の彼女がいて、それなりに毎日ウキウキしていたんだけど、どうしたんだ。昨今のこの渇ききった状態は。恋人を愛したり、愛されたりって、たった1年で、こんなにも冷めてしまうものなのか。残念。昨日海に行った彼女は、前に書いた水商売の女性で、遠距離恋愛の彼氏がいて、僕は相変わらず遠距離恋愛と聞いて鼻で笑っているんだけど、彼女は実に真剣で、メールの数とか頻度とか、すごい。「何してんの?」とか「今から寝るね」なんてメールは野暮だ。そもそもそれは会話でも手紙でもない。ただの伝達じゃないか。他人の意思を、他人が受け取る。恋人ってそういうものなのか。今になって考え直したりして。やばい。
 
週末なので彼氏が帰ってくるんだって。5時間もの列車に乗って。そりゃあね、彼氏は嬉しいと思うよ。鹿児島駅に着くまでの5時間。ウキウキだろうよ。だけどね、日曜日の夜はまた鹿児島駅にいるんだよ。5時間かけて福岡まで帰るんだよ。帰りの5時間の空しさといったら察するに余り。それが愛の試練というのなら、僕は鼻で笑って放棄する。
 
あぁやばいやばい。泣きたい。この屈託した精神に対して涙を流したい。素直になりたい。綺麗な花を見て美しいと呟き、象を眺めて鼻長げぇなぁと言いたい。見るものとか、感じるものを全て素直に受け止めたい。サンデー毎日の記事に「最近の若者は本音で話すことができない」と書いてあったけど、僕もその範疇に入るのかもしれない。いや、「最近の若者」って呼べるほどの若者でもないような気がするので、僕は「本音で話すことのできない若者」の先駆者なのだ。パイオニア! えっへん。変な自信が出てきた。みんな僕に着いて来い。そして世界のはてを見て愕然とするがよろし。
 
パイオニアは始めは拒絶されるって言葉があるけど、誰も僕のことを拒絶なんてしてくれない。拒絶というか無視だ。ことなかれ主義の賜物だよ。誰か、僕を拒んでおくれ。汚い言葉で罵倒しておくれ。いや、やっぱりよしとくれ。僕をそっとしといておくれ。どうして僕はこと恋愛に関してこんなに苦悩が多いんだ。何だ? 素直になれば万事OKなのか? 純粋無垢な人間だけが、純愛の対象なのか。純粋無垢? 笑わせてくれるよ。見回してみろ、この世のどこに純粋無垢など存在するのだ。純愛が輝いているのか。とんだ茶番だよ。僕たちはね、言葉と体、このたった2つの素材を駆使して、複雑に組み合わせて、世の中を渡って行かなければならないんだ。大変だね。嘘だってつくよ。しょうがないよ。多少は汚れるよ。純粋無垢なんて無理だよ。絶対無理。
 
あぁ、昨夜は、寝てました。去年の今頃の彼女の前の彼女から電話が入っていました。僕は酔って寝てました。酔って酔われて酔いしれて今夜も一人の夜が更ける。あぁ、昨夜は、寝てました。電話をとれませんでした。僕は、こう、なんていうんだろ。こと恋愛に関すると、内気になってしまうので、どうも駄目です。遊びの恋ならば、この世に遊びの恋というものがあるならば、僕は全ての抑制を失うことだってできるのに、憧れの人とか、昔の女性とか、全ての行為に抑制がかかってしまい、身動き1つできず。ただうろたえるばかり。
 
おそらくこれから、あらゆる関係をリセットしなければならない事態がやって来ると思う。
神様どうかお願いします。僕をこれ以上汚さないで下さい。不浄の手で、昔の女性へ手を差し伸べるなんてことは。
2003年02月07日(金)  職場現象。
「仕事を辞めます」と言った瞬間、看護婦さんたちは多分、光ファイバーで繋がってると思うので、それは、一瞬にして職場中に広がり、結構大変なことになっている。送別会ブーム到来と言っていいほどの送別会という名の飲み会ラッシュ。いや、僕はまだあと2ヶ月はここで働くんだから。
 
そもそもね、みんな送別会しよ送別会しよって言ってるけどね、心中複雑なんだよ。もしかして、祝っているのかい? なんて猜疑心まで芽生えてくるんだ。
 
もう一つ、職場で流行している言葉。「思い出作り」
みんな何かと辛い仕事を僕に頼んで「はい思い出作り思い出作り」と言う。まぁ僕も、あぁ、思い出作りかぁ。感慨深いなぁ。なんて。最初はね、最初は思ってたんだけどね、気付いたんです。これじゃ辛い思い出ばっかりになっちゃう! ってね。だからこの残り2ヶ月は思い出作りはしません。楽しい思い出ばかりを心のリュックに詰めて僕は旅立つんです。
 
もう一つ、これはあまりよくないニュース。後輩が、あの飲み会で泣いた日からし仕事を休んでいるんです。あ、昨日は出勤してたね。でも今日も休んだし明日も休むって言ってたし。理由は「先輩が辞めるって聞いて立ち直れない」なんて可愛いこと言ってくれるじゃないか。しかしね、社会とはそういうものじゃないんだよ。そういうのは気持ちだけで充分嬉しいんだ。出勤してくれ。僕が休めない。畜生。
 
今日ね、また婦長室に呼ばれたんです。
「あなたの後輩が仕事を休みがちになっているんですが……」
ってすごい罪悪感! 出勤してくれ。畜生。
 
いや、さっき電話きたんだけどね。
「実は風邪ひいてすげぇ熱出たんスよ。で、熱出て休むってのも弱っちぃかなぁと思って、先輩の名前使ってしまいました。ていうかホント辞めるんですか?」
 
絶対辞める。
2003年02月06日(木)  2月日和。
暖かいので海に行った。侮った。寒かった。春のような日差しに騙された。
テトラポットに座った瞬間「帰ろう」と言った。一緒に行った女性もすぐに同意した。
同意も何も彼女は車の中で待っていた。
 
――
 
「寒くないから海行こうよ」
「いやよ。だってまだ2月よ」
「2月の海に行ったことある?」
「ない。あなたは?」
「僕も、ない」
「じゃあよしましょう」
 
平日の午前10時。窓を開け、2人でベランダに足を投げ出して紅茶を飲んでいた。
日差しは柔らかく、優しく僕らを包んでいた。トイレに貼ってあるムーミンの2月のカレンダーに書いてあった通り、春はもう、そこまで来ているようだった。
 
「じゃあ一人で行ってくる」
「私は何すればいいのよ」
「シーツを洗って布団を干してくれないか」
「冗談じゃないわよ」
「じゃあカーペットを取り替えてほしい」
「帰る」
「送るよ」
 
そして彼女は僕の車に乗り、僕は海の方に向かって走り出した。彼女は窓を開け「キャー!拉致られるー!」と叫んでいた。彼女の長い髪が揺れた。彼女もなんだか楽しそうだった。
 
――
 
「ほら、私の言った通りでしょ」
暖房の効いた車の中で彼女は勝ち誇ったように言った。
「うん、来るんじゃなかった」
僕は車のドアをもう一度開け、靴に付いた砂をはらった。「帰ろう」
「ちょっと待って」
突然彼女はアクセルを踏もうとした僕を制止した。
「せっかくここまで着たんだから、私も。ね?」
彼女は車のドアを開けて、ロングブーツを履いたまま砂浜の方へ駆けて行った。
 
染めすぎちゃった。と照れながら言っていた彼女の栗色の髪が2月の浜風を楽しむように揺れていた。
僕は暖房の効いた車の中で彼女の髪が風に合わせて踊る様子を眺めていた。
トイレに貼ってあるムーミンの2月のカレンダーに書いてあった通り、春はもう、そこまで来ているようだった。
2003年02月05日(水)  静と動。
昨日の日記に書いた一昨日の夜に立体駐車場の3階から飛び降りた左膝出血打撲事件で職場の僕の辞職でしんみりムードが一転して、罵倒の嵐。しんみりムードの1日天下。悲しいのと痛いので泣きたい。ていうか左膝がすごいことになっている。野球ボールが誤って僕の膝に当たってそのまま皮下に埋まってしまったようになっている。洒落にならない。全然洒落にならない。怖い。骨折とか。入院とか。入院でもしてそのまま辞職の日を迎えるなんて辛い恥かしいもう生きていけない。だから頑張る。折れてても頑張る。頑張って悲愴感なんて漂わせちゃって。ね。傷を負った男は勇ましいのだ。たとえ酔って立体駐車場の3階から飛び降りたとしても。
 
でもどうして飛び降りたの? 勿論その質問が多いわけね。みんなバカだのアホだのサルだの罵倒するだけ罵倒して、一段落してから、同情してくれるのかと思いきや、どうして飛び降りたの? いや、理由を訊ねられる前に僕は痛いんです。どのくらい痛いの? とか大丈夫? 今夜夕食作ろっか? 今夜添い寝しなくていいの? とか訊ねて欲しいんです。訊ねてくれたら僕はあらんばかりの悲痛な表情を駆使してこの不幸を演出するというのに!
 
でもどうして飛び降りたの? いや、ね、酔ってたんです。ただ酔ってたんです。「酔っ払って立体駐車場の3階から飛び降りた人ってあなたが初めてよ」然り! その通り! 反論のしようがないね。参った。酔ってたのは建前です。ホントはね、2次会に行きたくなかったんです。でね、後輩が立体駐車場の1階に車を停めた瞬間、後部座席に座っていた僕は右手にホットの爽健美茶を握りしめたまま颯爽とドアを開け、逃げたいのならば道路の方へ、繁華街の人波の中に紛れ込めばいいものの、なぜか僕は、サルだから、ね、みんなが言うようにバカだからね、煙なんです。高い方へ高い方へ。
 
カンカンカンカンと甲高い音を立ててアルミ製の階段を昇り、2階へ上がり、見回して、なんかカップルがいかがわしいことをしていたので、お幸せに! って叫んで3階に上がって、やはり見回して、隠れられそうなところがなかったので、柵を乗り越えて、冷たいアルミの手すりを掴みながら息を殺してしゃがんでいたんです。階下では「先輩が逃げたっ!」って怒号が響いて、ね、夜の立体駐車場って必要以上に声が響くんです。「階段昇ってった!」エコーなんかしちゃって。怖くなってくるんです。本当に僕は悪者から逃げているみたいだ。って思えてくるんです。なんかすごい罪悪感と恐怖感。カンカンカンカンッ! ってね。やっぱり甲高い音を立てて後輩が追って来る音が聞こえてくるんです。もはや悪魔の足音ですよ。死神が大鎌を持って僕の首を刈ろうとしてるんです。ね。酔ってるから、そんなことばっかり考えてるんです。
 
で、後輩がどんどん近付いてくるんです。2階辺りで「お幸せに!」っていかがわしい行為に耽るカップルに向かって僕と同じこと言ってるんです。そして3階到着ですよ。後輩の息が切れる音。僕が息を殺す沈黙。動と静の闘いですね。僕の方からは後輩がよく見えるんです。しきりに辺りを見回してるけど、僕は冷たい手すりの外。見つかるわけもなく。このままやり過ごして早く帰りたい。なんかもう、今日は家に帰ってすごく泣きたい。冗談とか、下ネタとか言ってるのが悲しい。まだあと2ヶ月も職場にいるっていうのに、もう、後輩たちと何かの繋がりが切れてしまったような気がして、とても辛い。すまん後輩。僕は最低な先輩だった。あ、携帯鳴ってる。
 
「いたっ!!」
僕の負けですよ。後輩頭いいですよ。つーかその程度の知恵、思い付けよ僕。酔ってなければ携帯をマナーモードにして息を殺し続けていた。最後の最後にしくじった。ん? 僕には足がある。酔ってるから、多分、翼だってある。えっとここは、何回階段昇ったっけ? うん。確か3階。すごく高いような気がするけど確か3階。後輩! こっちだ! ブルルンブルルン! エンジン! エンジンとか! さっきまで翼があるとか言ってたくせに! どうしてエンジンの形態模写なんか!
 
「コケコッコ!」
 
そして僕は深夜の立体駐車場から飛び立った。
僕が心から望んでいることは、立つ鳥、跡を濁さず。ってこと。ね。バイバイ。
2003年02月04日(火)  コケコッコ!
立体駐車場3階。
 
「い・いたっ! 先輩っ!」
「コケコッコ!」
 
飛べない鳥はジョッキ3杯、焼酎1本呑んで前後左右東西南北上下重力の空間認識を失い、立体駐車場3階から飛び降りた。下はアスファルト。誰でも知ってる固くて冷たいアスファルト。「先輩っ!」階上から怒号が聞こえる。飛べない鳥は飛べないので、ていうか人間なので、つーか僕なので、そのままアスファルトに落下。左膝を強打。アバハウスのパンツの膝の部分が破ける。打撲。出血。
 
「先輩っ! 大丈夫っスか!」
駆け寄る後輩。僕はなんでもないように立ち上がり「さ、2次会2次会」と呟く。飛べない鳥はしこたま酔っていた。左膝から出血してても痛みを感じないくらい酔っていた。今日は、酔わなければ、いけなかった。
 
2次会のスナックで僕の隣に座ったホステスはフィリピンとスペインのハーフの女性。一緒に「愛が生まれた日」とか「居酒屋」とか中年色丸出しのデュエットを歌って腰に手を回してトイレで情熱的でスパニッシュなキスをして、女性がトイレを去った後、1次会の居酒屋で食べた枝豆やら焼き鳥やら揚げ出し豆腐を便器に吐いた。
 
――
 
「今日は、飲みに行く」
昨日、院長室を出てそのままナースステーションに行き、後輩を呼び出して言った。
「1次会は僕が奢るから、なるべく多く来るように。全ての予定は明日にまわすように。全ての都合はうやむやにするように」
そして僕たち以外誰もいない居酒屋に後輩5人が集まった。後輩は、ただ酒代を奢ってもらえるという、純粋な気持ちで、ただそれだけで、いつものように集まった。そしてそれは反則かと思われるほど、突然に、僕が結婚できない理由について語り合って爆笑しているときに、突然、僕は呟いた。「4月で仕事を辞めることになった」
 
「ハッハッハ……ハッ……は? 何言ってんスか?」
皆、虚を突かれたような表情。そしてそれは冗談なんだと勝手に思い込み、再び僕が結婚できない理由について話出す。僕が結婚できない理由は、性格が悪いとか、金遣いが荒いとか、飽きっぽいとか、そういう理由も確かにあるのかもしれないけれど、本当は、まだやりたいことがいっぱいあるから。
 
――
 
トイレでキスをして、様々な残渣物を吐いた後、テーブルに戻る。僕の正面には、いつも僕を慕っていた後輩。立場的には後輩だけど、もはや僕たちは親友だった。彼は酔えば酔うほど暴れ出し、暴言を吐くのだけど、今夜はやけに静かだ。
「どうしたのー?」
ホステスが無遠慮に無考慮に彼に問い掛ける。
「うるせぇ」
 
後輩は、2次会の間、ずっと壁を向いて一人で静かに泣いていた。
 
2次会が終わり、僕は後輩と2人で、いつものように、すれ違う人に悪態をつきながら深夜の繁華街を歩いていた。僕は本当に酔っていて「もう一軒! もう一軒!」なんて叫んでいたのだけど後輩は「もう耐えらんねっス」と言ってそれを断った。
 
後輩は煙草の自動販売機の前で立ち止まりマイルドセブンライトを4箱買って「餞別っス」僕に渡した。「いやいや、まだ早いよ。僕はまだ少なくとも2ヶ月はここにいるんだ。それに餞別が煙草4つって悲しすぎるよ」
後輩がタクシーに乗り込んだ瞬間、僕は後部座席に3千円を投げ込んだ。
「このくらい気前が良くなきゃね」
 
後輩と3千円が乗ったタクシーを見送ってしばらく夜の街を1人で歩いて帰った。ニットキャップを深めにかぶって出てくる涙を隠した。涙が止まらないのは勿論、帰りのタクシー代がないということではなかった。
2003年02月03日(月)  勇気と決断の詳細。
「またいつか、必ず戻ってきなさい」
一礼して院長室を出ようとしたその時、院長が僕の背中を見て呟いた。
 
――
 
「4月までで、仕事を辞めます」
僕の決意は固かった。周囲の反応は実に様々で、まず事務長がそれに反対した。
「辞めるって…キミ、キミは今年着工する社会復帰施設の責任者じゃないか」
僕は社会復帰施設の着工を一任されて、去年から様々な施設に赴き、情報収集と学習を重ねてきた。僕が創り出す医療と福祉の環境。それは理想的で希望に満ち溢れていた。
「それを易々と手離すなんて……」
決して易々と手離したわけじゃない。そこには何ヶ月にもわたる苦悩と葛藤が存在したのだ。ただ僕はいつもヘラヘラ笑っているだけだから、誰からもその真意を汲み取られなかっただけなのだ。
 
「その歳で看護主任になって、今になってどうして……」
看護部長も最初は勿論反対した。看護主任という重圧に負けたのではない。むしろ今の仕事は充実と楽しさに満ち溢れていて、不満など、それは多少はあるけれど、それは一般的な不満であって、寛大な目で見れば、それは皆無に等しかった。
 
「事務長と看護部長から耳に入っていると思いますが……」
「聞いてません」
「あの、4月いっぱいで仕…」
「聞いてません」
婦長さんは今も「聞いてません」の一点張り。僕の辞職をなかなか認めてくれない。婦長さんが一番懸念しているのは、おそらく後輩たちの動揺。何年にもわたり指導係として、看護の質とか病院の未来とか、時には研修会で、時には酒の席で語り合ってきた後輩たちへの懸念。
 
それは僕も一番懸念しているところであり、後輩たちの反対は必至だと思う。僕はそれが怖くて悲しくて、まだ後輩誰1人にそのことを言っていない。知っているのは病院上層部の人たちのみ。仕事、私生活に関わらず、金魚の糞のように付きまとうあの後輩も知らない事実。
 
僕は院長室の前で5分間ほど深呼吸を繰り返し、ようやく震える手でノックをする。
院長の側近、若しくは右腕などと冷やかされた日もあったほど、院長は僕を一目置いてくれていて、看護学生で働き出した頃から、今日までの実に8年間、お世話になった人物。僕が尊敬する唯一の人物。頭脳明晰で冷静沈着で、全く付け入る隙を見せない姿はまさに精神科医。僕は8年間、常に院長に憧れ続けていた。
飼い犬が飼い主を噛む時が、遂に訪れた。
 
「4月までで、仕事を辞めさせていただきます」
院長は、何やら書類に書き物をしていたが、万年筆の動きを一瞬止めて、僕の目をみて、「そうか……」と呟いてそれからまた書類に目を向けた。
「すごく遠回りになると思いますが、外の精神科医療と、福祉の実状を理解して、ゆくゆくは、臨床心理士の道を目指したいと思います」
僕は、私生活は散々なものだけど、仕事に関しては確固たる信念を持って生きてきたつもりだ。
「そうか……」院長は何か噛み締めるように同じ言葉を呟くだけだった。
 
「失礼しました」
僕は奥歯を強く噛み締めながら、出そうになる涙を堪えて、院長の元を去った。
 
「またいつか、必ず戻ってきなさい」
一礼して院長室を出ようとしたその時、院長が僕の背中を見て呟いた。
2003年02月02日(日)  猜疑と真実。
昨日書いた通り、彼女は今日の午前3時にアパートを出て行った。外は多分、零下何度の世界。道路を行き交う車もなく、勿論人影だって深夜の闇に侵食されている。僕だったらいらぬこだわりなど捨てて布団と隣人の肌の温もりに身を委ねる。彼女は何かに憑かれたかのように部屋の灯りを消したまま、さまざまなところに散乱した服や下着を集めて着替える。僕はそれを薄目で見守り、いつの間にか再び眠りの世界へ入っていく。彼女は冷たいアパートのドアを開けて覚醒の世界へ戻って行く。午前3時。僕は眠りの世界から抜け出せない。様々な口説き文句も、説得も、訓戒も、何一つ言えないまま彼女は出て行く。僕は眠り続ける。
 
彼女には彼氏がいる。遠距離恋愛。僕は遠距離恋愛を経験したことが、ないでもないけど、そういうことは3ヶ月以上続いたことがないので、ないに等しいのだけど、彼女の場合、今年で2回目の冬を迎えることになる。僕は遠距離恋愛で同じ季節を2回迎えることが、どういうことなのかよくわからないけれど、というのは、2回目の冬に、彼氏じゃない男の夕食を作り、セックスをして午前3時に帰ることの、意味合いがよく掴めないのだけれど、彼女は彼女でとても幸せそうだし、本当に彼氏のことを、愛していると思う。僕にはわかる。こういうことは背徳を犯してこそわかる真実なんだと思う。
 
彼女は水商売をしている。だから午前3時の帰宅も全く不自然じゃない。昨日だって夕食中に彼氏に電話して「今から仕事なの。うん。うん。わかってる。あ、そういえば今度の連休ね……」なんて話をしていた。午後8時に今から仕事だっていっても不自然ではないのだ。むしろそれが自然で、彼女が今夜は休日なんて思ってもみないのだ。いや、少しばかりの猜疑心を抱くかもしれないが、遠距離恋愛で「少しばかりの猜疑心を抱くこと」は自然なことだと思う。しかし、猜疑心も何も、彼女が犯している行為は、現実であって、いわば、猜疑と現実。この狭間に僕が、存在する。
 
彼女はことあるごとに「いいの。あの人は自立しているから」と言うけれど、いや、それで彼女が犯している背徳を合理化しようとしていることはわかるけれど、それじゃあ僕がまるで自立してないみたいじゃないか。と言うと、「だって、その通りじゃない」と言う。実にその通り。僕は自立に程遠い場所に立っているんだ。上目遣いでいつも誰かに何かを求めている。ね、キミにだって夕食を作ってくれなんて頼んでないけれど、潜在的に、僕の無意識下で、そういうのことを求めていると思う。それは何気ない一言であったり、ちょっとした動作であったり。女性は往々にして敏感だから、そういうことをいちいち汲み取るんだ。僕はただ鈍感な振りをするだけ。いや、実際に僕は鈍感なのかもしれない。
 
僕は自覚しない鈍麻した神経を研ぎ澄まし、更に鈍感になり、遂には何も見えなくなり、感じなくなり、ただキミの言うことを人形のように無表情で無神経に、右に行ったり左に行ったり、時には手作りの夕食を食べたり、無感動なセックスをしたり。いや、僕はそれでも構わないんだけどね。やっつけだよ。もう、やっつけ人生是極めたり。だよ。
2003年02月01日(土)  自棄的、破壊的。
やぁ。日記書きます。今日はね、休日だったんです。職場のロッカーに携帯忘れてきたから目覚まし機能なんてのも絶対職場のロッカーの中で鳴ってたと思うし。で、ロッカーで目覚ましのアラームが鳴ってる頃、僕は当然の如く眠り続けているわけで、昨日の日記で書いたように僕は一世一代といっても過言ではない勇気と決断を駆使し、敢えて棘の道を選択し、ストレスフルな海原に身を投げ出さんとしているわけですが、毎日悠長な日々を過ごしていただけあってこういうことは結構心身共にダメージが大きく、折角の休日なのに昏々と眠り続けてしまい、目覚めると午後4時。昨日は午前1時に入眠したわけだから15時間も眠っていたということになる。
 
ここで問題にしなくてはならないのは心身の疲労困憊でも過剰な睡眠時間でもなく、15時間も小便に行かずよく眠り続けていられるということである。うん。たいして重大な問題でもないんだけどね、人間の身体って不思議だなぁ。と思っただけ。
 
さて、午後4時に覚醒してまず何をしたかというと、小便をして、洗濯をして、洗濯が終わる間に部屋の掃除をして、昨日買っておいた明治コーヒー牛乳と一緒に菓子パンを食べて、タバコを吸って大きなあくびをして、よし! 今日も1日頑張るぞ! と誓ったところで既に午後5時。赤く焼けた空を見上げ、大きな溜息をついて洗濯カゴに洗濯物を詰めてコインランドリーに行った。
 
なにしろ携帯電話がないので、折角土曜日の休日だというのに、誰も起こしてくれないし、誰も食事に誘ってくれない。僕は社会に取り残されたダンボールの中の子猫のように、にゃぁにゃぁと小さな小さな独り言。赤く焼けた空を見上げ、せわしく行き交う人々を眺める。
 
午後7時。彼女がビニール袋いっぱいの野菜を抱えて僕の部屋に来た。彼女だなんて安易な言葉を使っているけど、僕たちに恋愛感情なんてものはない。彼女には彼氏がいる。ただ時々こうやって買い物袋をぶら提げて僕の部屋にやってきて夕食を一緒に作って、時々セックスをして、それから決まって午前3時くらいに帰っていく。泊まっていけばいいのに「彼氏以外の男の部屋には泊まれない」だなんて実直なのか純情なのかわからないことを言う。男の部屋には泊まれないけど、手作りの夕食の延長線上にセックスが存在する。世の中にはいろんな女性がいる。
 
僕たちに恋愛感情なんてものはない。
僕に恋愛感情なんてものはない。ん?
 
周囲は僕を巻き込んで慌ただしく動き出そうとしている。自分で蒔いた種なのに、僕は精一杯の最後の抵抗をしている。それは自棄的で破壊的なセックスだったり、15時間の睡眠時間であったり。

-->
翌日 / 目次 / 先日