2002年10月31日(木)  私は煙突掃除屋さん。
給料日だったので昨日美容院に行って髪を染めてパーマをかけた。
 
今朝、僕がカルテを記入していると看護婦さんが2人ニヤニヤしながら僕の前に立った。
僕はしばらく不思議そうにその看護婦さんを見上げていたけど
午前中はとにかく忙しいのですぐカルテに目を落として何も言わずに仕事の続きを始めた。
 
「チムチムニー チムチムニー チムチームチェリー♪」
 
突然歌声が聞こえた。再び見上げると2人の看護婦さんが体を左右に揺らして歌っていた。
 
「何やってるんですか」
「あなたの髪型よ」
看護婦さんはニヤニヤしたまま体も左右に揺らしたまま言う。
「髪型とその歌とどんな関係があるんですか」
「うーん、よくわかんないけど、その髪型ってチムチムニーって感じがするのよね」
「ワタシーはーえんとーつー掃除屋さん♪ってね」
もう1人の看護婦さんが言う。
「よく意味がわからないんですけど」
「要するに天然パーマの外国人の小年のような髪型なのよ」
少し意味がわかったような気がして残念な気持ちになった。
 
午後から僕の髪型が変わったことを聞きつけた別の病棟の看護婦さんがやはりニヤニヤしながら駆け付けてきた。
 
「よっ!ミキハウス!」
看護婦さんはニヤニヤというかものすごく嬉しそうな表情で言った。
「ミキハウス!?意味わかんないですよ」
「ミィキィハァゥス」
看護婦さんはミキハウスのCMの発音を真似して言った。
余計意味がわからなくなって残念な気持ちになった。
 
事務のお姉さんは「カワイイね」と言ってくれた。
「カワイイ髪型ね……。うん、カワイイ。……カワイイカワイイ」
と僕の髪を触りながら言った。
確実に「カワイイ」という言葉以外に相手を傷付けない適切な言葉を考えながら言っている口調だったのでまた少し残念な気持ちになった。
 
今夜は友人の女性と食事の約束。
彼女は僕を見て「あ、パーマかけたのね」と言っただけでそれ以上の言及を避けた。
そして髪型の話題は鍵が掛かった蔵のようなものに閉じ込められて食事の時間は進んだ。
 
食後、僕は残りのワインを飲んで彼女は窓から映る夜景を見ながらカルアミルクを飲んでいた。
そして独り言を呟くように小さな声で鼻唄を歌い始めた。
 
「チムチムニー チムチムニー……」
 
なぜキミまでその歌を!
2002年10月30日(水)  着信歴機能未搭載の美。
今使っている阿呆のように明るいオレンジ色の着せ替えなんて一度もしたことない着せ替え携帯に飽きてしまって
巷で噂の「着信歴機能未搭載携帯」京セラA1099zを購入した。
 
色はお洒落なアクアマリンブルーで全体的に曲線的な近未来的デザイン。
僕の携帯はauだけど、ezplusなどのezwebmultiの機能には残念ながら対応していない。
だけど11万画素のCMOSカメラを搭載していて辛うじて流行には乗っている感じがする。
 
しかし僕にとってカメラ付き携帯なんてどうでもいい話。
どうでもいいというかカメラ付き携帯なんて迷惑な物だと思っている。
僕は古典的アリバイ工作をいとも簡単に否定したカメラ付き携帯を嫌っている。
「だったらやましいことなんてしなければいいのよ」
と友人は言うけれど、やましいことなんてしない男がいるわけがない。
男はいつの時代も不信感の塊なのだ。疑われてこそ本望なのだ。いや、そんなことないけど。
 
僕がこの携帯にいちばん惹かれた理由は「着信歴機能未搭載」機能なのだ。
読んで字の如く、この携帯には着信機能が搭載されていない。よって着信履歴も残らない。
着信履歴があったから掛け直さなければいけないという半ば潜在的脅迫的な行為にも屈しなくていい。
 
誰から電話があったとか、何回かかってきたとかそういうものは全くわからないから
「何で電話掛け直さないのよ!」
と怒られても
「だって僕の携帯、着信歴機能が未搭載なんだもーん!」
と言い訳ができるんだもーん!
 
この新機種のキャッチコピーがこれまたいい味を出している。
 
『文明は 発展すればいいってもんじゃない』
 
このキャッチコピーが書いた広告を見たとき、体の芯から震えた。
時代逆行の真髄、失った何かが込められている言葉、飽食時代への問題提起。
 
この言葉は、僕の中にいくつか欠けている穴の1つを確実に埋めた。
目を閉じて10代前半にプレイバック。
ダイヤル式の黒電話。単純な桁数の電話番号。メモ帳に小さく書いた好きな子の電話番号。
震える手、流れる汗、行き場所のない焦燥感。心拍数の上昇を促がす呼び出し音―――。
 
あの頃は、携帯電話はどこでもドアと同じくらいの夢の話だった。
 
そして2002年。
「着信歴機能未搭載携帯」京セラA1099zなんてウソです。そんなものありません。
2002年10月29日(火)  非好意的なメッセージ。
今朝目覚めて顔を洗おうと思って鏡を見たら
右頬から鼻筋、左頬にかけて横一直線に鋭利な刃物で切られたような傷があった。
 
昨夜寝る前にまじまじと自分の顔を見た覚えはないけど、この傷はなかったはずだ。
そもそもこのくらいの傷だったら昨夜洗面所で歯を磨くときに鏡を見て気付くはずだ。
 
傷の深さは浅く表面的なもので出血も少量で止まっているようだけど
傷の深さ浅さでも出血の多量少量も問題ではなく、重要なのはこの傷はいかにして発生したかということだ。
 
あらゆる可能性を考えてみる。
 
僕は潜在的な自傷癖があって夜中に夢遊病者のごとくカッターを手に取り、ゆっくりと自分の顔に横一直線の切り傷を作ったのかもしれない。
 
尾の部分に鋭利な針を持っているアリとかムカデとかそういう小さな虫が僕が寝ているときに顔の上を這ったのかもしれない。
 
馬鹿馬鹿しい。どれも宜保愛子の霊能力のように信憑性がない。
僕は自傷癖なんてないし、尾の部分に鋭利な針を持っているアリなんているわけがない。
 
多分、誰か僕に対して小さな恨みを買っている人が
(僕は恨みを買うようなことなんて――自覚的に――したことはないけど、人は誰だって――無自覚的に――小さな恨みを買っているものだ)
僕の枕元にそっとしゃがんで月明かりに照らされた僕の寝顔をしばらく覗き込んで
あまりの熟睡している様子に小さな舌打ちなんて鳴らしてポケットに忍ばせた手術用の使い捨てメスを取り出して
痛みを感じない程度に、ゆっくりと時間をかけて、横一直線に切っていったのだと思う。
 
僕の顔の上に、何かの想いを、切り刻んでいったのだと思う。
その「想い」は好意的なものとは感じられないけど
とにかく今、僕の顔の上には横一直線の傷が何かを訴えている。
 
僕は鏡の前に立ち、その傷を見て、その傷が伝える何かのメッセージを汲み取ろうとする。
 
多分、この傷は一生消えることはないだろう。
2002年10月28日(月)  今日はプリングルスの日。
運悪く、今日がたまたま「プリングルスが食べたい日」の周期に当たってしまって困っている。
 
僕はもう風呂に入ってしまったし、髪の毛だってまだ乾いてないし、相変わらず風邪気味だし、
外は寒いし、部屋の中も少し寒いし、長袖Tシャツと下着一枚だし、先ほど電話で友人と話していたら
「その前にズボン履きなさいよ」と言われて、あっ、そうか、僕に欠けていたのはこれなんだと思い、急いでズボンを履いて少し下半身がヌクヌクになったけど
やっぱり今日は確実に「プリングルスが食べたい日」みたいなので今からコンビニに行こうと思っている。
 
僕はあまり間食はしないので、今日みたいな「プリングルスが食べたい日」は
生理不順の女性の生理の間隔プラス8日間くらいの周期でしかやってこないけど
確実に僕の中で「プリングルスが食べたい日」はある一定の周期で訪れる。
正確にいうとどのくらいの周期なのかわからない。わからないものは適当な言葉で誤魔化すようにしている。
 
なぜポテトチップスじゃだめなの?なぜかっぱえびせんじゃだめなの?
そんなこと知らないよ。
じゃあキミが生理中になると明治チョコベビーを冬眠前の熊みたいに口一杯に頬張る理由を言ってみなよ。
プリングルス然り、明治チョコベビー然り、北朝鮮然り、この世には不可解なことが多すぎるんだ。
 
僕はプリングルスの中でも「サワークリーム アンド オニオン」味が好きで、
ていうか結局何味なんだよ!と突っ込みどころ満載の味がするけどとにかく好きで
「サワークリーム アンド オニオン」味がコンビニになかったら「ワイルドコンソメ」味を買うことにしている。
こだわりがあるような書き方をしたけど、結局どっちでもいい。
 
プリングルスにはサイズが190gと50gの2種類あって、どちらも1人で食べるには微妙な量。
前者は多すぎて後者は少なすぎる。
間を取って120gのサイズがあったら僕はとても幸せになれるような気がする。
 
気がするだけで現に120gが発売されたとしても運命の人と結婚できるとかそういう種類の幸せじゃなくて
ただ単に幸せになれるような気がするってこと。
言葉のあやというか、希望的憶測というか、まぁそういう種類の何のあてもない何でもない思考の気紛れってこと。
 
さぁ!ジャケットを羽織りいざコンビニへ!
開けたら最後 You Can't Stop!
2002年10月27日(日)  ラチチュードについて。
物事に寛容になれるのは、その物事に対してどうでもいいと思っているから。
 
ある事象が発生したと同時にある選択を迫られる。
僕にとってはどうでもいいこと。しかし感情表現の選択肢は「怒る」か「受容する」か。
僕は迷わず後者を選ぶ。何故か?
 
怒ったってしょうがないし、それ以前に僕にとってどうでもいいことだから。
 
要は、相手に対する影響よりも、僕自身に降り掛かる損得の問題。
怒りを表現して相手に不快な影響を与えるよりも、
少し自分が不快な感じがするだけで表面的な受容を表現する方が得だと思う。
今後いろいろと。長い目で見て、寛容であることは得だと思う。
どうでもいいことは結構重要なことだと思う。
無責任は美徳だと思う。
 
だから僕は、この世にはびこるありとあらゆる不平や不満を、
僕が生きている世界にだって、社会にだって、職場にだってはびこっているありとあらゆる不平や不満を
ただヘラヘラ笑ってなんでもない振りを装うようにしている。
 
その装いは客観的に見て「寛容」だと理解される。
あいつは「寛容」だと。何に対しても挫けないし、愚痴を言わない。
 
得だと思う。こういうことって得だと思う。
 
僕は1人でやらなければならない仕事が多い。
人に相談するなんて協力してもらうなんて「寛容」という錦の御旗の元に許される行為ではない。
だから何でも1人で片付ける。
職場の立場としては僕はある意味――経済的な――社会の歯車。
僕に何でも仕事と苦労と責任を押し付ける。
僕はヘラヘラ笑ってそれを片付ける。苦労の色なんて見せないから、それは便乗されて、悪循環となる。
 
だから僕は1人でやらなければならない仕事が多い。多すぎる。
 
そんなに文句を言うのならてめぇ1人でやってみろよ。と言いたくなる。
だけど言わない。僕は寛容だから。客観的に寛容だから。
 
客観的に寛容だけど、主観的な八方美人。
 
すごく惨めだ。
2002年10月26日(土)  窮屈な世界。
僕は小さい頃、神経症的傾向があって
 
例えば左に1回転周ったら右に1回転周り直さなければならないとか
通りすがりの人の体の一部が当たったら、その人を追いかけてでも体の一部を触れ直さなければならないとか
寝る前に家の鍵が閉まっているか何度も確かめたりとか
漫画の3巻から読み始めるなんて言語道断とか
 
とにかく僕の周りには僕が作り上げた意味のないルールが多すぎて
僕はそのルールに逸れることなく忠実に対処することで僕自身を守ってきた。
僕自身が創りあげた窮屈な世界の中で幼いながらも必死に生きてきた。
 
臨床心理学的にいうと、僕は強迫神経症であり、主な症状は確認強迫だったといえる。
今だからいえる。
大学で心理学を学び、精神病院の看護師となり、神経症のメカニズムが理解できた今だからこそいえる。
 
幼い頃の僕は、そんなこと知らなかった。
右に1回転周れば、右に1回転周る前の僕ではなくなってしまう。だから左に1回転周り直す。
どうしてそんなことするのかわからない。わからないけど僕は僕ではなくなってしまう。
 
大人の目を見て話すことができない。僕の思考が伝わっちゃうから。
だから僕は大人と話すときは眉毛を見ながら話すように練習する。
大人の眉毛には害はない。どうしてだかわからない。わからないけどとにかく眉毛は大丈夫だ。
 
僕は家の鍵を掛けたかすぐ忘れてしまう。掛けたような気がするけど、掛けてないような気もする。
多分……掛けてない。夜中に起きる。家の鍵を確かめる。お母さんが起きる。
「何やってるのよ」と言う。「なんでもない」と言う。なんでもないんだ。
 
今日は赤色を見ないようにしよう。赤色を見ると、多分、頭から血とか出ちゃうんだ。
どうしてだろう?わかんないけど、―――ただそんな気がするんだ。
だから今日は赤色を見ない。信号機の前では俯いて地面を見るようにする。
 
本を読んでいる。一行飛ばしたような気がする。読み直す。また一行飛ばしたような気がする。
繰り返し同じところを読み直す。先に進めない。どうしてだろう。
 
僕は時々幼少の頃の自分を思い出して、その窮屈な世界を思い出す。
僕はその世界の中で、歪んだ秩序に身を委ね、自分が傷付けようとする外界を隔てる壁を作ってきた。
 
あの頃が、あの世界が、僕の1番辛かった時代だったということを思い出す。
2002年10月25日(金)  秋の夜空とラリアット。
昨夜はとある女性とプロレス観戦に行った。
とある女性というのは友達以上恋人未満の微妙な関係の女性。
一緒に食事には行くけど手は繋がないし、部屋に遊びに来るけどセックスはしない。
とまぁ、そんな女性とプロレス観戦に行った。
 
鹿児島はこの季節になると毎年新日本プロレスが興行に来る。
熱烈なプロレスファンの僕は、この季節になると決まってプロレスのことを全然知らない女性を誘う。
そんな女性と行くプロレス観戦は、アントニオ猪木がまだ現役のプロレスラーだと思っているような女性に
懇切丁寧にプロレスの歴史やレスラーの必殺技を説明することが醍醐味なのだ。
 
「あのマスクかぶってる連中はね、魔界倶楽部って言って、まぁいわゆる悪役レスラーなんだ」
「ふ〜ん。なんだかあんまり怖そうじゃないね。あっ!橋本だ!」
「違うよあれは蝶野だよ。僕らのカリスマだよ。T2000のボスから新日本のボスになった偉大な人だよ」
「ふ〜ん。コスチュームが魚屋さんみたいだね。あっ!いけっ!ラリアット!」
「うん。あれはね、バックドロップっていうんだ」
 
僕はプロレスの技が全部「ラリアット」だと思っているこの女性に好意を抱く。
僕の説明なんてほとんど聞かずに筋肉と筋肉のぶつかり合いに目を輝かせる。
そしてプロレスという排他的でもある世界にこの秋新作のレザーブーツで足を踏み入れたことを歓喜する。
 
「はぁ〜面白かったぁ。また一緒に来ようね」
 
興奮冷めやらぬ彼女は顔を少し紅潮させて、僕のお尻にキックをする。
IWGP王者、永田裕志のシャープな左ハイキックに痺れてしまったらしい。
 
「うん。また一緒に来よう」
僕はそう言って透き通った秋の夜空を見上げる。
 
僕が毎年この季節になると決まってプロレスのことを全然知らない女性を誘うのは、
いくらプロレスのことが好きになっても、翌年に僕のことが好きじゃなくなるから。
2002年10月24日(木)  ピヨピヨピヨピヨ。
今日はプロレス観戦に行ったので、そのことを日記に書こうと思ったけど
パソコンからなんだかピヨピヨピヨピヨと音が聞こえるので気になって仕方がないのでプロレス観戦のことは明日書こうと思う。
明日もパソコンからピヨピヨピヨピヨと聞こえたらもうプロレスのことは書かない。
 
というわけで今夜はもう寝る事にする。現在午前2時。
プロレスを一緒に観戦した女性とファミレスでプロレス談議無制限一本勝負をしていたらもうこんな時間になってしまった。
 
こんな時間にパソコンからはピヨピヨピヨピヨと音が聞こえるのでたまらない。
僕が巨人の星の星一徹だったらパソコンごとひっくり返しているところだ。
だけど僕は星一徹じゃないし、星一徹のように男らしくもないし、
むしろ本名はヨシミというなんとも女々しい苗字なので、この不快な音に対して為す術もなく、ただ眠いのである。
 
そういえば今日、ファミレスで昔の彼女に会った。
たいして話はしなかったけど、このことも明日書こう。
プロレスと一緒に観戦した女性と昔の彼女のことを書こう。
あと車の中でホットコーヒーをこぼしたことも書きたいけど、ただ車の中でホットコーヒーをこぼして特筆すべきことはないので書かない。
ズボンが汚れたけど嘆かない。助手席に乗っていた女性の所為にもしない。
 
一緒に観戦した女性は帰り際
「今日はおうちに帰らないといけないから」
と言って夜の無制限3本勝負を断られた。いや、誘ってないけど。
むしろ自発的に「帰らないといけない」と言わせたことで僕の敗北は決定していたのだけど。
いや、「今日は」じゃなくて「今日も」じゃねぇか。と突っ込みたかったけど突っ込まない。
 
突っ込めない人には突っ込まない。当然じゃないか。ふん。
 
眠いので寝る。
朝が来たら起きる事にする。ピヨピヨピヨピヨ。
2002年10月23日(水)  地下水脈と月明かり。
部屋の掃除をした。洋服を山のように処分した。
ハイネックのセーターと色あせしたチノパンツが1枚あればいいと思った。
Tシャツも下着も一組あればいい。
洗濯している間は真っ裸で毛布にくるまればいいんだ。
テレビもいらない。無意味な情報に行動を左右されるなんてまっぴらだ。
 
もう少しシンプルに生きたいと思った。家族も友達も彼女もいらない。
月明かりの下で冷たい土に孤独の穴を掘ってそこで暮らすんだ。
肌の温もりを忘れて土の温度だけを感じるんだ。
 
上昇するという観念など捨ててしまって、下へ、下へ掘り続けるんだ。
雨の日も風の日も小さな穴の天井に映る小さな空を見上げながら掘り続けるんだ。
時々穴の入口から人が呼ぶ声がするけど、僕はもうそんな声なんて気にしない。
思い出の歌を口ずさみながらスコップを握り締めるんだ。
 
誰の声も聞こえなくなって、誰と話すこともなくなって、どんな風景も見ることがなくなる。
 
やがて僕の口は声を出すことなど忘れてしまって、目も耳も、その機能を忘れてしまう。
それでも僕は掘り続ける。ハイネックのセーターとチノパンツで。
全ての情報から断絶された冷たい土の中で。
 
スコップはやがて地下水脈に辿り着き、僕はその濁流に飲み込まれる。
この地のあらゆるところに繋がっている迷路のような地下水脈の中を
糸が切れてしまった凧のようにあてもなく流され続ける。
 
シンデレラのお姉さんのように必要以上に冷たい地下水脈は
僕の肌を激しく刺し、骨の髄まで凍えさせる。僕は強く目を閉じて息を止める。
この流れはいつまで続くのか。そして僕はどこまで流されるのだろうか。
 
しばらくすると水の温度が上がってくる。
目を開けると透明だった水は羊水のように白く濁り、水の中でも硫黄の臭いが鼻につく。
僕は目の機能も鼻の働きも失ったはずなのに、その変化は確かに感じることができた。
 
光が見える。僕が穴を掘り出した日と同じ月明かりだ。
僕はその光を目指す。
 
ぷはーっ!
 
これまでのストレスを一気に吐き出すように大きく息を吐く。
あぁ温泉行きたい。

2002年10月22日(火)  汗垂れ流し放題。
今日は仕事を早めに終わらせて職場の卓球室で(なぜか僕の職場には卓球室がある)P−1グランプリの予選が行われた。
P−1とは「ピンポン1番」の略で、要するに看護士で誰が1番卓球が強いかを競い合う井の中の蛙大海を知らず的な馴れ合い選手権。
 
僕はトーナメント1回戦で優勝候補の後輩と当たって下馬評を覆すことなく3−0のストレート負け。
この後輩は何でも力任せなので、彼の試合スタイルを皆「筋肉卓球」と呼んでいる。
ボーリングに行くと「筋肉ボーリング」と呼ばれる。ビリヤードをすると「筋肉棒」と呼ばれる。
「筋肉棒」という意味はわからなくもないけど、えっとまぁ、そういうことだ。
 
そしてそのままソフトボールの試合へ直行。今日から区域対抗リーグが始まる。
対戦相手は自衛隊チーム。筋肉隆々。物干し竿のような肩幅。桜島大根のような太腿。
この人たちは掛け値なしに筋肉ソフトボールだ。きっと筋肉棒だって隆々なんだ。
 
今日は7番ライト。ライトは嫌い。照明が眩しくてボールがよく見えない。
しかし相手チームは全員右バッター。滅多にライトには飛んで来ない。
グローブをつけたままお尻を掻きながらあくびをする始末。ライト大好き。
6回裏で交代する。今日の打率3打数2安打。うち2安打は相手のエラー。
棚からぼた餅が降ってきたような試合。12点差をつけた頃球場を後にする。
 
そしてユニホーム姿のままバレーボールの練習へ直行。毎週火曜日はバレーボールの練習日。
職場のチームなので先ほどのP−1グランプリの顔触れとほとんど一緒。
やはり優勝は「筋肉卓球」だったらしい。
ユニホーム姿のままアタックの練習。まわしをつけた相撲取りが水泳をするような不自然な格好。
 
なんだか異種格闘技戦みたいだ。
男独自の発想。
 
練習が終わり、午後10時から後輩2人先輩1人と後輩の同級生の女の子4人とカラオケで合コン。
先輩も後輩もみんなバレーの練習着。僕はソフトボールのユニホーム。
女の子4人は全力投球のお洒落服。
 
なんだか異種格闘技戦みたいだ。
 
女の子たちは聞いた事もないメロン記念日の歌ばかり振りつきで歌うことと
なんだか僕はすごく汗臭いような気がしたので適当な理由をつけてさっさと帰る。
 
そしてユニホーム姿のままこの日記を書いている。
シャワーを浴びた後、彼女と異種格闘技戦をするのです。
2002年10月21日(月)  アンビバレンツ。
僕たちは何かというと会う約束をして互いを求め合ったり
何かというと喧嘩をして憎しみ合って離れてしまう。
愛と憎しみが1つに混在した僕たちの関係は山アラシ・ジレンマに悩まされている。
 
ある2匹の山アラシが寒い夜を過ごしている。
寄り添って暖め合いたいけど、近付きすぎるとお互いのトゲで傷付いてしまう。
しかし離れれば寒さに震えてしまう。
だからこの2匹はお互い快適になれる距離を求めてついたり離れたりを繰り返す。
 
これは心理学で両面感情を表現するために使われる有名な寓話だけど
僕たちはまさにこの両面感情をお互いの胸の中に抱えている。
 
僕はキミを求めているけど、近付きすぎると鬱陶しくなってしまう。
しかし離れすぎると寂しくなってしまう。
滅多に書かない携帯メールを送ってしまう。
 
キミは僕を求めているけど、近付きすぎると僕の欠点ばかりを探し出す。
しかし離れすぎると手持ち無沙汰になる。
不自然な口実の元に食事に誘い出す。
 
お互いのトゲが鋭過ぎて、お互いの皮膚が柔過ぎるから
僕たちは無意識に傷つけ、安易に傷付く。
 
そして今夜もお互い快適になれる距離を求めてついたり離れたりを繰り返す。
2002年10月20日(日)  水仙。
「ねぇ、自己愛の対義語って何でしょう?」
「対象愛、でしょ?」
 
僕は少し考えてから答える。
2人で居酒屋に来るのは久し振りだ。
 
「あなたは少し自己愛が強いと思うの」
僕はビールを噴き出して驚いた表情で彼女を見る。
「馬鹿言うんじゃない。僕は自他共に認める博愛者だ。右の頬を打たれたら自然に左の頬も向けるし、たまにはここも打ったらどうですか?っておでこまで出す始末だよ」
「そして少し自虐的なの」
 
僕は2杯目のビールを飲み干す。アルコールが血液と混ざり体中を駆け巡る。
彼女とこういう話題になるといつも1つの選択肢に迫られる。
徹底抗戦か妥協か。
 
「えとね、恋愛ってね、相手を愛しているように見えても究極の関心はやっぱり自分にあるんだよ」
「ほらね」
「これは事実なんだ。対象愛と自己愛なんてほんの紙一重の問題なんだ」
「例えば?」
彼女は好奇の眼差しで僕を見つめる。これからどう論理立てていくか見定めているいつもの目だ。
 
「例えば、キミは今日もオシャレをしている。僕の給料の2ヶ月分くらいのバッグだって持ってるし6ヶ月分の食費くらいの指輪だってつけている。それは誰の為?」
「それは私の為であって同時にあなたの為でもあるのよ」
「ほら、紙一重でしょ?」
「う〜ん」
 
このくらいで簡単に陥落するような相手ではない。
 
「キミは僕と、僕じゃなくてもいいけど、そのうち誰かと結婚して子供ができるだろう。キミは子供の将来に何を望む?」
「子供の将来のために、いっぱい勉強をさせなくちゃ」
「具体的に?」
「本を読ませたり塾に行かせたり」
「今の会話に対象愛は含まれてると思う?」
「う〜ん」
 
彼女は考え込む。僕は含み笑いをする。
 
「僕はキミの為だったら何でもできる。自己を犠牲にしてまでキミを守る。そんなこと言われて嬉しい?」
「そりゃあ嬉しいわよ」
「だけどそんなことを言う男は駄目だ。これこそ対象愛に見せかけた自己愛なんだ。だから僕は例えキミのためなら何でもできるってわけじゃない。キミにしてやれることなんて限られてるんだ」
「それは私のことが嫌いだから?」
「いや、キミのことが好きだから。真実の対象愛とは自分のコントロール欲求を最小限にすることでしか実現できないんだ」
 
「よくわかんないわ。帰りましょ」
「うん帰ろう。あ、今日は僕がお金出すよ」

2002年10月19日(土)  返信サービス活用法。
のっけから失礼な話だけど、毎日届くメールが悠長に返信できる数ではないので
受信メールの約3分の1の返信を「メール返信サービス」に任せている。
 
1通辺りの文字数で値段が決まってしまうので
長文の受信メールはできるだけ自分で返信したいけど、
飲みに行ったり夜勤だったりする日はどどうしても長い文章や気の効いた洒落なんて書けないので
返信サービスに依頼してしまう。
 
「メール返信サービス」は会員になるには、当然のことだが、まず結構細かいプライバシーを記入しなければならない。
自分の事を何も知らない人が自分の事を知っている人に無責任な返信をするなんて迷惑な話だ。
 
だから住所、氏名、年齢、職業、趣味、あと簡単な自己紹介を友達にメールを書くような文章で記入しなければならない。
この紹介文によってその人の文章の癖や文体を把握したり、私生活の様子などを判定して
「Exclusive use Mailer」通称「サブメーラー」が決定する。
「e−影武者」とも言ったりするけど、ちょっとそれは格好悪いというか趣味が悪いような気がする。
 
僕のサブメーラーは女性らしいけど、本当に僕が書いたようなメールを書いてくれる。
時々僕が思いつきもしないような気の効いたことを書いて少し悔しい思いをする以外は
細かいところまで僕の思考や文体の傾向を掌握している。
 
返信サービスに依頼してサブメーラーが書いたメールの返信は一旦僕のところに送られてきて
そこで依頼者(僕のこと)が少し訂正をして辻褄を合わせるんだけど
今まで訂正したことと言えば待ち合わせの時間や場所くらいで、いつもほぼ完璧なメールが返って来る。
 
というわけで僕はこの「メール返信サービス」とそのサブメーラーがとても気に入っている。
とある週刊誌で「自我の崩壊」とか「無責任世代」とか「影の時代」などと思い切り叩かれているようだけど
便利なものは便利だと思うし、使えないと思うものには目もくれない。
世間ってそんなものだと思うし、最低でも僕はこれも1つの「選択」だと思っている。
 
今日は失礼な話ですいませんでした全部嘘です。
2002年10月18日(金)  魂の光合成。
漢方薬と抗生物質と解熱剤と鎮痛消炎剤とビタミンとカルシウムのサプリメントと
ウィダーインゼリーとカロリーメイトで風邪を治した。
ここ数日食事らしい食事を摂っていない。
 
毎食カロリーメイトかウィダーインゼリーだし、頭はなんだかフラフラするし
まるで月面に住んでいるような感覚が続いていた。
 
翌日が遠足かと思えるほど昨夜は早く寝て、
今日が遠足かと思えるほど今朝は早く起きた。
 
あれだけ僕を悩ました喉の痛みが消えている。
あれだけ僕を煩わせた鼻の閉塞感が消えている!
 
完治!
 
僕は健康な身体が戻ってきた喜びのあまり、ベランダへ出て朝の陽光を身体中に浴びる。
早起きは三文の得!まばゆいばかりの希望の光!魂の光合成!
新しい朝が来た希望の朝だ喜びに胸を開け大空仰げー!
 
ブワックショォォォン!
 
油断は禁物だと思った。
調子に乗りすぎるとろくなことがないと思った。
 
急いで部屋に戻り長袖Tシャツとジーパンを履く。
たった一度のくしゃみできのこの山の山ウサギのように臆病になってしまった。
コーヒーを煎れて薬を飲む。うがいをする。おーなーらー。
 
週末の朝陽が優しく6畳1間を照らす。
まだ冷たいキッチンが一日の始まりをこっそりと待ち構えている。
タイマーを午前7時に設定していた洗濯機が慌ただしく動き出す。
コンポからはモーツァルトのピアノ・ソナタ第16番が流れていて
僕の鼻腔からは春の小川のようにさらさらした鼻水が流れていた。
2002年10月17日(木)  感冒ロイヤルストレートフラッシュ。
休日。毛布を口元までかぶり天井を眺めていた。
頭痛、鼻水、咽頭痛、咳にくしゃみに倦怠感。熱を測ると37.5度。
感冒ロイヤルストレートフラッシュ。
僕の風邪の症状に欠けてるものは何もない。誰か助けて。
 
携帯が鳴る。
 
「ねぇ、トリートメント来てよ」美容師の友人だ。
「……」
「ねぇ、トリートメント来てよ」
「ゴホッゴホッ」
「今なら1500円よ」
「ゴホッゴホッオエッ」
「風邪ひいてるの?」
「……うん。ゴホッゴホッゴベッウェーッ」
「ねぇ、トリートメント来てよ」
 
歯を磨いて顔を洗って髭を剃って美容院に行った。
寝ていたって熱は下がらないし薬を飲んだって鼻水は止まらない。
そもそも家にいたって誰も心配してくれない。
 
「ホントに来てくれるとは思わなかったぁ」
友人は少し驚いた口調で言う。
あれだけしつこくトリートメント来てよと言っといてホントに来てくれるはないだろうと思った。
「ついでにカットもして」
熱があるのにカットも頼むという僕も馬鹿だと思った。
 
「さぁて、どこから切ろうかしら」友人が腕まくりをする。
「僕はノドから」
「あなたの風邪の症状を聞いてるんじゃないわよ」友人は笑いながらハサミを握る。
「私はハナから」
「あんたにも聞いちゃいないわよ」友人はもう1人の美容師にもするどく突っ込みを入れる。
「ゴホッゴホッゴホッ」
「ちょっと頭動かさないでくれない?」
僕は無理を押してまで来てるというのに友人は病人にとても厳しい。
 
この友人は5年ほど大阪の美容院に勤めていて、今年の初め鹿児島に帰ってきた。
帰ってきてすぐ年下の彼氏をつくってすぐ別れてすぐ別の男をつくった。
失恋の傷も癒えぬうちに新しい彼氏をつくることと病人に無理矢理トリートメントを勧めるということは
どこかの部分で共通しているような気がした。
 
なんだかよくわからないうちに髪の毛がツルツルになって
家に帰ると熱が38度に上昇していた。
2002年10月16日(水)  いと高く鳴らしけり。
布団の中で身体の芯から熱くなっているように感じるのは
隣に寝ているオーストラリアの小動物のような彼女の寝顔の所為じゃなくて
なんのことはない。ただ風邪をひいただけだった。
 
喉が痛むのでキッチンへ行ってイソジンガーグルうがいをする。
僕は昔から「おーなーらー」と震えた声を出しながらうがいをする。
なぜ「おなら」なのかわからないけど、とにかく小さい頃からうがいをする時は「おなら」と決まっているのだ。
 
だから今日は僕の部屋に彼女がいることをすっかり忘れて
うがいをしながら「おーなーらーおーなーらー」と言っているので
彼女は僕以上に青ざめた表情をして「ねぇ……何言ってるの?」と恐る恐る聞いてはいけない秘密を聞こうとするような口調で訊ねてくるので
僕も恥かしくなって「なんでもないよ」とその場をごまかした。
うがいをする時に「おなら」と言うなんてとても道理にかなっていない。
 
ちなみに「おなら」は「鳴らす」の鳴らに「お」をつけた女房言葉が語源らしい。
「お鳴ら」なんて漢字で書くとなんだか風情と古来の女性の心情を感じざるを得ない。
十二ひとえで小さな顔を隠して少し紅潮させながら
「いと高く鳴らしけり〜」
なんて言ってたのかもしれない。
 
ということが僕がうがいするときに「おなら」という理由に繋がるわけじゃないけど、
ただ僕の後ろに心配そうに立っている彼女の顔を見てそういうことを思い出しただけで 彼女もこれ以上深追いしなくていいのに
「ねぇ、今何って言ったの?何って言ってたの?」
なんてしつこく聞いてくるものだから
 
「キミは寝てる時によくおならをするから」
 
と言うと顔を紅潮させて何も言わなくなった。
ここで平安時代の女性みたいに「いと高く鳴らしけり〜」と言ったら
僕は彼女のことをもっと好きになったと思う。
 
リゾットと言い張ってたけど、どう見てもキムチ雑炊のようなものを作ってもらって2人で食べた。
2002年10月15日(火)  右手。
今月は経済的に苦しいというか窒息寸前なので必然的に自炊するようにしている。
仕事帰りに買い物をして部屋に帰って米を研いで、炊ける間にシャワーを浴びて
メールの返信をして、簡単なおかずとサラダを作る。
 
テレビも音楽もつけずに静かなキッチンで静かにただ胃腸を満たすためだけに作られた
何の思いも物語もこもっていないむしろ殺風景な感じさえする夕食を食べる。
微々たる量の発泡酒を味わいながら飲む。
 
食器を洗う。職場の消毒液で荒れてしまった右手が染みる。痛みをこらえる。
ケチャップスパゲティの染みがなかなか取れない。食器をキッチンハイターに浸ける。
キッチンハイターも右手に染みる。腹が立ってくる。右手なんてもういらないと思う。
 
彼女が遊びに来る。テレビを見ながら手を繋ぐ。
右手があってよかったと思う。
2002年10月14日(月)  冷凍食品に関する小言。
「また冷凍食品かい。早く嫁さんもらいなよ!」
 
スーパーのレジ。いつものおばさん。
痩せた顔に度の厚い眼鏡をかけて、白髪混じりの長い髪の毛は後ろで束ねている。
僕がそのおばさんのレジに並ぶと「またアンタか」と言って
レジを打ちながら小言を並べる。
 
「こんなもんばっか食べてるとな、嫁さんもらう前に死んじまうよ!」
おばさんは雇われの身という立場を忘れて店内の商品にケチをつけまくる。
今日は冷凍食品半額の日だから、僕以外にも冷凍食品を買っている人はいっぱいいるというのに
大きな声で僕のカゴから豪快に「はい冷凍!はいこれも冷凍!」などと言いながらレジを打つ。
僕は苦笑いをしながらレジが終わるときを待っている。
僕の列の後ろでは子供連れの主婦がクスクス笑っている。
 
「アンタな、いい年して仮面ライダーだかウルトラマンだかわからんけど
こんなチンケなオマケ付きのお菓子を買ってるから嫁さんができんのよ」
 
おばさんは放っておくと冷凍食品以外の商品にもケチをつけ始める。
そして僕は仮面ライダーのオマケ付きのお菓子を買ったことに大きな罪悪感を感じ出す。
 
「アンタ、バナナだけは毎日買うんやな。おりこうさん」
 
おばさんは僕が買う品物の傾向をしっかり把握している。
バナナを買うといつも褒めてくれる。
褒めてもらいたいがためにバナナを買ったりする。
 
「レタスは明日特売だから明日買いな。あとで返しとくから」
 
おばさんは勝手に僕が買おうとしたレタスを取り上げる。
これを親切心と思うかお節介と思うかは主観的な問題。
おばさんは口うるさいけどとても親切で優しい。
 
「ま!また冷凍食品が出てきたわ!これで何品目なん?」
 
おばちゃんは余程冷凍食品が嫌いらしい。
田んぼに落ちた運動靴を拾うような手つきで冷凍食品を取り上げてレジを打つ。
僕の後ろの主婦はまだクスクス笑っている。
 
おばちゃんはこの主婦の存在も確実に目に入れている。
この主婦にこの会話が聞こえるようにわざと大きな声で言って笑わせているのだ。
 
「はい1430円ね。早く家に帰って冷凍食品を暖めるんだね」
 
最後に強烈な皮肉を言われて僕はスーパーを出る。
このおばちゃんが嫌いだったら他のレジに並べば済む問題なんだけど
 
今日も僕はこの母親のような小言が言われたくてこのおばちゃんのレジに立つ。
2002年10月13日(日)  手料理万歳。
友人T子が引越ししたらしいので、友人N美と遊びに行った。
 
今日は休日で僕は朝からプッチンプリンを1個しか食べてなかったので
淡い期待を寄せて「ハラヘッタ!」と連呼してみた。
 
「じゃあ何か作ってあげる」
 
今日はやけに素直だ。
単純な単語を連呼することは複雑な会話をするよりも相手の心に直接響くらしい。
 
「毎日僕のYシャツの襟の黄ばみとパンツの染みを洗い落としてくれないか」
と言うより
「結婚しよう」
というプロポーズの方が効果がありそうってこと。
 
近所のスーパーに3人で買い物へ。
「何食べたい?」
「なんでもいいよ」
 
女性はこの「なんでもいいよ」というセリフをひどく嫌う。
せっかく腕まくりして手料理作ろうって矢先に「なんでもいいよ」とは何事か。
なんでもいいのならば1人でほか弁でも食べればいいじゃない。と思うらしい。
スーパーの野菜売り場の前でそのようなことを一通り怒られて意気消沈しながら買い物を終え
引越ししたばかりのマンションへ。
 
築2・3年の2DKのマンションは僕の2DKのアパートの部屋と比較するとまさに雲泥の差。
冷暖房完備。システムキッチン。眩しいくらいの白い壁紙。
そして浴室には木製の大きな棺桶のようなものが立っている。
「ねぇ、これ何?」「サウナよ」
サ、サウナ!
 
部屋を一通りまわってテレビを観る。
友人2人はキッチンに立って夕食を作っている。
その後ろ姿を見ながら1人で密かに結婚生活を想像する。こういうのっていいなぁ。
 
しばらくして夕食が出来上がる。
ちんげん菜の炒め物とスープとサラダ。
 
僕は朝からプッチンプリンを1個しか食べてなかったという理由じゃなくて
素直に美味しいと思ったからいつもより多めに食べてしまった。
2002年10月12日(土)  精神的退行現象。
後輩2人が我が家に来る。
僕は夕食を終えてさぁネットでもしようかという矢先だった。
 
「センパーイ!あーそーぼー!」
 
ドアの前で叫ぶ後輩。今時小学生だってドアの前でこんな叫び方はしない。
後輩2人は25歳と22歳。共通するのは1児のパパ。
どちらも綺麗な奥さんと可愛い赤ちゃんがいて毎日家に帰ると温かい夕食が待っている。
僕には奥さんもいないし赤ちゃんの作り方さえわからないので毎日コンビニの弁当を食べている。
 
「先輩、ノド乾いたー」
「先輩、ゲームしよー」
「先輩、何かお菓子ないっすかー」
 
先輩を先輩と思わぬこの要求の裏に隠されているのは1児のパパの精神的退行現象。
それぞれの我が家で「1児のパパ像」に多少なりとも疲れているこの後輩達は
時々僕の家に来て夜な夜なゲームをしながらワガママを言う。
僕には奥さんもいないし赤ちゃんの作り方さえわからないので結構精神的に余裕があるからこんなワガママに対しても最善を尽くす。
 
後輩のゲームの相手をするなんて1児のパパの苦労に比べると、全然大したことじゃないと思う。
 
深夜0時をまわる頃、決まってそれぞれの奥さんからそれぞれの怒りがこもったメールが届き
一瞬にしてそれぞれの後輩の表情から笑顔が消え、それぞれ恐怖の表情が浮かび上がる。
 
「先輩、また来ます」
 
アパートの廊下まで出て後輩を見送る。
10月の深夜の空気は思いのほか冷たくて
10月の後輩の背中は思いのほか小さかった。
2002年10月11日(金)  下登り。
我が職場には「山岳部」というものが存在する。
部員は婦長さんと病棟主任さんと栄養士さんと後輩2人と僕の計6名。
発足して2年足らずだが、今までいくつかの山を制覇してきた。
 
不条理な多数決で山岳部部長になった僕には(僕はいつだって不条理な多数決に屈してしまう)
重大な任務が課せられている。
 
その名も「下登り」
 
言葉が矛盾している。おかしいよ婦長さん。
「下登り」とは今回登る山に前もって2人くらいで登って、
本番の日に登山道を迷わないようにするためのいわゆるプレ登山。
よって「下登り」をする人は同じ山を短期間で2回も登らなければならない。
しかも樹海で迷子になるという不安までつきまとう。
 
僕は山岳部部長ということで必ず「下登り」に行かなければならない。そういう決まりになってる!
婦長さんと病棟主任さんと栄養士さんはいうまでもなく僕たちより偉いというか強い人達なので
必然的にあと1人の「下登山者」はどちらかの後輩ということになる。
後輩は交替で「下登り」をすればいいけれど、僕は毎回登らなければならない。そういう決まりになっている!
 
「感動も2倍味わえるってことでしょ」
 
多分、婦長さんは「下登り」をしたことがないからそういう無責任なことが言えるんだと思う。
後輩2人で初めての登山道を黙々と登る無感動を味わってみればいいんだ!
僕は口にこそ出して言わないけど。口に出してなんて言えないけど!
 
というわけで今回も「下登り」の日程が決まった。10月25日。
僕のパートナーは……
 
「オッシャ!僕に任せてくださいッッス!ア・ア・アルプスッ!」
 
この日記に度々登場する(登場せざるを得ない)後輩。
しかも気合いの入れ方が「アルプスッ!」ってところがなんとも。
とりあえず語尾に登山を連想する単語を使って気合いをいれたかったらしい。
それが「アルプスッ!」とは。
その発想というかボキャブラリーの限界がいとも簡単に垣間見えるというところがなんとも。
 
この後輩は前々回の「下登り」であまりの登山のハードさに心身共に疲れ果てて
極寒の山の頂上でセミの幼虫のような格好をして2時間も昼寝をしたというつわもの。
僕は後輩が寝ている間、まるで小さな焚き火にでも当たるようにタバコを何本も吸い続けたことを覚えている。
 
まぁ一言で言うと、こんなの絶対ヤダってこと。
2002年10月10日(木)  恋のストライクゾーン。
「あなたはストライクゾーンが広すぎるのよ」
 
また女性特有の偏った見解から生まれる意味不明の持論を言われた。
 
「どんなボールもヒットを打っちゃう」
 
僕はその言葉の意味を考えながら味噌ラーメンをすすった。
場末のラーメン屋は僕と彼女の2人だけで、テーブルもビニール製の椅子もなんだかベトベトしていた。
テレビからは時間の埋め合わせのようなスペシャル番組が放映され
無理矢理なトークと、とりあえず立っているというような水着を来た女性が
とりあえず笑っているというような笑顔を浮かべていた。
 
「だけどあなたは決してホームランは打てないの」
 
彼女はもうラーメンを食べてはいなかった。ラーメンを3口程度すすって
形程度にスープを飲んで、お口直しをするように水をコップ半分飲んで割り箸を置いた。
 
どうやらこの店のラーメンが気に入らなかったらしい。店の中では味について黙っているけれど
たぶん店を出たなり大声でこの店とこの店に連れてきた僕を罵倒するのだろう。
それを思うとなんだか憂うつになって、僕もラーメンの味なんてわからなくなってきて
店内にいるうちに彼女の機嫌を取り戻そうということばかり考えていた。
 
「小さなヒットばっかり打って満足してるの。わかる?」
「さしずめ1番バッターってことだね」
「野球の話をしてるんじゃないの」
 
してるじゃん。
 
「どんなボールも右へ左へ流し打ち。あなたはさしずめ恋のイチローってことよ」
「意味わかんないよ」
「意味わかんないふりするのよしなさいよ」
 
僕は法廷の被告人席に立つ気弱な犯罪者のように一瞬にして黙りこんでしまった。
 
「とにかくあなたはもういい歳なんだし、これ以上馬鹿な真似するのはやめた方がいいよ」
「それは誰の為に言ってるの?」
「不謹慎な1番バッターに言ってるの」
 
彼女のような女性と結婚したらきっと永遠に頭が上がらないまま生きていくんだ。
 
「たぶん僕はこの先ずっとこのスタンスは変わらないような気がする」
「どういうこと?」
彼女は眉間にしわを寄せてタバコに火をつける。
「これからも重心を低く構えてバットを短く持って小さなヒットを狙い続けるんだ」
「……ふむ」
反撃の機会を窺っているときの彼女の目はいつだって怖い。
「内野安打とか……」
「何が言いたいの?」
 
「恋のセーフティバント……みたいな……」
2002年10月09日(水)  課題。
「というわけで僕も眠いことだしキミもシャワーを浴びなきゃいけないので電話切るよ」
「いやぁん。だめー」
 
深夜に毎日こういうやり取りをしている。昨日、日記に書いた女性。
彼女はお姫様なので好きなものは好きと言うし、嫌いなものは嫌いと言うし、ダメなものはダメという。
理由は簡単。なんてったってお姫様だからだ。
 
長電話をして、しばらくすると当然の如く話のネタが切れてしまう。
話すことがなくなったことと電話代が気になることが理由で電話を切ろうと思う。
そういう意味をお姫様に持ちかける。
 
というわけでそろそろ寝るね。おやすみなさい。
「寝るの?」
うん。寝ようと思う。明日も早いし。
「寝ちゃうの?」
うん。寝ちゃうの。今から寝ちゃって明日の朝起きちゃうの。
「だめぇ」
ダメですか。じゃあどうすればいいですか?
「何か面白い話してよ」
 
最近思うようになったんだけど、僕は多分、こういう女性が好きなんじゃないかと思う。
寂しがりやでワガママで宵っ張りのお姫様。
今までどちらかというとお互いの行動や思いを推測したり警戒したり
感情を押し殺したりするような恋愛ばかりしてきたので
こういうシンプルな会話やそれに自然に付随される想いは、僕の胸の中に直接響く。
 
この響きとその余韻は、今まで眠っていた何かを揺さぶり起こす。
本気で電話を切りたい気持ちと、まだ話し続けていたい気持ち。
相反する気持ちは未経験の葛藤と高揚の対処法という課題を僕に与える。
 
「それじゃ本当に眠いから電話切るね」
……。
「おやすみ」
……。
「切るよ」
……いいよ切って。わかったわよ切ればいいじゃない!
「ちょ、ちょっと待ってよ。怒んないでよ」
切りたかったら切ればいいじゃない!
「そういう駆け引きをするのはやめろよ」
ふふふ。
 
それと、そういう駆け引きに負けない為の対処法という課題。
2002年10月08日(火)  虚空の愛情。虚偽の契約。
「ねぇ、好きって言っていいよ」
 
受話器の向こうで彼女が呟く。
僕は脳天から雷が貫通したような感覚に陥り、少しして身体が震える。
そして受話器に向かって囁く。好きだよ。愛してる。
一通りの愛の言葉を交わし電話を切る。そのまま眠る。
 
翌日も僕たちは受話器を握っている。
僕は昨日と同じように受話器に向かって囁く。好きだよ。愛してる。
「イヤ。今日はそんな気分じゃないの」
僕はエサを取り上げられた子犬のように怖じ気づく。
そして愛の言葉を省いた――ごく一般的な――会話をして電話を切る。そのまま眠る。
 
「ねぇ、好きって言っていいよ」
 
僕は彼女の許可を得なければ好きと言えない。
これは、一種のゲーム。
「愛してる」という言葉を水素のように軽く扱う不純なゲーム。
意味の重みを、愛の重力を一切無視した月の砂漠で交わされる言葉。
そう、これはゲーム。僕はキミを精一杯愛しているし、ちっとも愛していない。
キミは僕のことがとても好きで、カメムシのように嫌う。
 
言葉と距離と気持ちの壁。それはとても高くてとても厚い。
しかし全てを捨てたら―――乗り越えられなくもない壁。
だけど僕たちは壁を乗り越えてみようなんて考えはほんの少しも持っていない。
 
だからこそ僕たちは無責任になれる。言葉の重力を無視できる。
好き? 好きだよ。
私嫌いよ。 だったら僕も嫌いだよ。
バカ。 じゃ電話切るよ。
意味を省いた愛の言葉。表面的に交わる心。潜在的に求める気持ち。
 
僕たちは心地良い罪悪感に身を浸らせて今夜も受話器を握りしめる。
そう、これは不謹慎な遊戯。
世の中で、あらゆるところで繰り返されている様々な種類の恋愛を鼻で笑いながら
今夜も交わす愛の言葉。虚空の愛情。虚偽の契約。
2002年10月07日(月)  気紛れな運命の天秤。
正確な日時はわからないけど、僕は以前、親友を1人失った。
 
当時、僕には好きな女性がいた。
明朗活発で無邪気で笑顔が可愛い女性だった。
少し下品な笑い声を挙げることがあったけど、その欠点も愛嬌という言葉であっさりと包み込まれていた。
 
当時、僕には親友がいた。
どこに行くにも一緒で、時々男2人で旅行に行った。
僕たちは野球が大好きで全国のドーム球場を回ろうという健康的な野望があった。
東京ドームと福岡ドームに行った。
次は名古屋ドームに行こうと約束して、それは果たされることがないまま
2人で福岡ドームに行って1年後に僕は1人で名古屋の地に立つことになった。
 
当時、親友にも好きな女性がいた。
才色兼備でオシャレで瞳の大きな女性だった。
カラオケがあまり上手くなかったけど、その欠点も愛嬌という言葉であっさりと包み込まれていた。
 
そして僕たちはあまりにも気が合い過ぎて、同じ女性まで好きになるという
典型的な三角関係を構築することになる。
 
その典型的三角形のそれぞれの点に位置することになった3人は
「友情と恋愛」というありきたりなテーマの元に、90年代のドラマのようなありきたりな展開を経て、
それぞれの思惑が秤にかけられ、時に疑念が増幅し、嫌悪にさいなまれ、決心が導き出され、
それぞれの運命の日を迎えた。
 
僕は告白することになる。気紛れな運命の天秤はその時「恋愛」に傾いていた。
雨の日のファミレス。
食後に10月の雨のように薄くて無感情なコーヒーを飲みながら僕は後戻りのできない別れ道に立った。
彼女はただ黙っているだけで「あとでメールするね」と言って明言を避けた。
メールを見るまでもなく僕の敗北は決定した。
 
1年後。2002年10月6日。
僕はツタヤの駐車場に車を停めた。そして僕の車の横に白い大きなステップワゴンが停まった。
ステップワゴンのドライバーと僕の目が合う。
この時もあの日のファミレスのときのような雨が降っていた。
 
ステップワゴンのドライバーは、過去に夢を共有したことのある人だった。
「一緒に全国のドーム球場を回ろう」
僕たちの夢は果たされなかった。運命の天秤は2度と逆に傾くことはなかった。
 
僕たちは形通りの会釈を交わした。
過去に僕と夢を共有したことのある親友の助手席には
過去に僕の愛を提供しようとした女性が座っていた。
2002年10月06日(日)  正義と悪と悲しき歴史。
たまには専門的なことも書こうと思う。
今日は精神医学の話とそれに伴う善と悪について。わかりやすく噛み砕いて。
 
善と悪について。
今僕たちが常識または当然と感じている「善」は、決して永久普遍ではない。逆もまた然り。
現在の悪は過去の悪ではない。
そして厄介なのは無自覚な悪の連続。常識という衣を被った善の連鎖。
 
精神病者は、その時代の善に、悪に、ただ振り回されるばかりだった。
決定を与えられず、意思を抜き取られ、権利を剥奪された。
 
例えが前時代的になってしまうけど、精神病者は
熱湯に長く浸かると完治すると言われ茹でタコのようになり、
前頭葉を切除すれば症状緩和すると言われ抽象的な考察が一生できなくなり、
薬物を服用すれば寛解すると言われジスキネジアやアカシジアという新たな副作用を生むなど
まさに時代の実験台として扱われてきた。
 
日本で行われた精神病者の私宅監置だって例外ではない。
あの時代で、あの状況で、あの理解力で“そうせざるを得なかったのだ”
 
そうせざるを得ない。
その苦肉の策が、善悪を乗り越え、その価値観は「時代背景」という逃げ道に安易に入り込み
その対象療法的な対策は、法という名のもとに“一般化”した。
 
1950年にフランスで誕生した薬物療法に対する大衆の楽観的幻想や
日本で起きた精神病者をより闇に追いこんでしまったライシャワー事件。
情動で走る世論が、市民が、大多数の「善」となり、精神病者を精神病院に閉じ込めた。
排他性という団体心理。排他するものは善で、排他されるものは悪。
大衆は善で、病者は悪。
僕はそれを批判するつもりはない。終わったものに対しては誰だって批判できるからだ。
 
ただ僕たちがこれから決して忘れてはならないことは、
現在の時点で最良と思われるあらゆる制度や政策にも
(これは精神保健福祉法以外にもいえることかもしれないけど)
いかなるものにも微量の――今は肉眼で発見できないかもしれないけど――
悪のエッセンスが配合されているということだ。
 
だから僕たちは常識という名の皮を被っている「善」に全て身を委ねることなく、
常に大いなる希望と、ひと欠片の猜疑心を持って考察していかなければならないと思う。
2002年10月05日(土)  名古屋タイムズ一面記事。
昨日、名古屋城で開催されていた菊人形展の話。
僕は今まで菊人形なんて知らなかった。
精一杯想像してぷりさんに「それって夜中に髪の毛とか伸びるやつでしょ」と訊ねると
「それはお菊人形よ」と一蹴された。日本語難しい。
 
菊人形とは要するに本物の菊の花で彩られた人形。
菊栽培師など数多くのスタッフの力が結集して、はじめて完成となる生きた花が造りだす総合芸術。
 
10月5日から開催!
……明日じゃん。肩をうなだれる3人。
そこへ颯爽と自転車に乗った作業着のおじちゃんが登場。
 
「すいません。ちょっといいですか?」
突然現れた作業着のおじちゃんにちょっといいですかと言われても困る。あんまりちょっとよくない。
 
「明日から菊人形展が開催されるんですけど、今日新聞社の方が撮影に来られてまして少し協力して欲しいんですけど」
おじちゃんはすごく申し訳なさそうに話す。
僕は最初にぷり彼さんを見る。次にぷりさんを見る。そして僕自身と向き合う。
 
「やろっか」満場一致。
 
開催1日前の菊人形展に堂々と入る3人。
説明も聞かず勝手に奥に入り新聞社のカメラマンよりも先に写真撮影をする九州男児。
 
「それじゃ始めますねー。よろしくお願いしまーす」
カメラマンが準備を終え、僕たちは指定されたそれぞれの配置につく。
馬にまたがった加藤清正か誰かの菊人形を僕たちは囲むように立つ。
 
撮影開始。
 
「すいません。そこの男性の方、菊人形を指差してもらえますか?」
ぷり彼さんだ。ぷり彼さんは照れながらも菊人形を指差す。
これで菊人形が写ってなかったら自衛隊入隊募集にも使えそうなくらい爽やかな指差しだ。
その横でぷりさんはおしとやかに立っている。
そして少し離れて僕はニヤニヤしながら立っている。
 
「すいません。そこの男性の方、ちょっと腰を降ろして上を見上げてくれませんか?」
カメラマンが僕に向かって言う。ん?意味がわかんないよ。
疑問に満ちた表情をぷり彼さんとぷりさんへ送る。どうすればいいって?
 
「中腰になって見上げるのよ」
ぷりさんが言う。あぁ、そういうことか。
 
そして僕は野球の内野守備のような格好をしながらずっと菊人形がまたがっている
馬のお尻あたりを見上げ続けていた。
 
どういう格好であれ僕は確かに名古屋に来たという足跡が残せて良かったと思った。
2002年10月04日(金)  名古屋発、安土桃山エレベーター。
名古屋最後の朝はひどい二日酔いで始まる。
昨夜は九州男児を気取り過ぎて焼酎を飲み過ぎたことがいけなかった。
僕は日頃、焼酎なんて飲まない。
左指の指輪を眺めて、これはいったい何なんだと考える。そして昨夜のことを思い出す。
 
顔を洗って歯磨きをして突然襲ってきた吐気をなんとかやり過ごして
新しい服に着替えた頃はだいぶ二日酔いの症状は治まっていた。
気を取り直す。昨日は昨日で終わってしまったし、明日は明日にならないと始まらない。
少なくとも昨日の次に訪れる展開は、再びこの地に来るまでは始まることはない。
 
いつも同じことを繰り返す。そしてその繰り返しは決して繰り返されることはない。
一見、繰り返しているように見えても運命の歯車は既に形を変えて回っているのだ。
指輪を一度外して、しばらく考えてから再びつけ直す。
綺麗な流線型を描くこのシルバーリングのように、繰り返す。繰り返さない。
 
正午前、ぷりさんとぷり彼さんが迎えに来てくれて食事に行く。
昼間に街を歩くということは一度もなかったので全てが新鮮に見える。
遠くにテレビ塔が見えて、上を見上げると大きな道路が走っている。
上も地下も遠くも近くも。名古屋はすごく複雑だ。
 
食事を終え、ネットカフェへ行き、帰りの飛行機を1便遅らせるよう手配し
そのファッションビル3Fにあるフィギアショップへ。
そして僕とぷり彼さんは童心へ帰った。ここは名古屋でもファッションビルでもない
僕たちにとっては純粋無垢な心を呼び覚ます桃源郷だった。
 
関根勤のフィギアを買った。
 
そして名古屋城へ。
初めて間近で見る金のしゃちほこ。遥かなる江戸幕府の匂い。
精巧を極めた襖絵や天井板絵。安土桃山独特の穏和な中に雅趣のある雰囲気。
 
そして、ピラミッドよりタージマハールより抜きん出た誇るべき我が国日本の古代の技術!
天守閣までエレベーターで上がれます。
江戸時代の人ってすげぇな。
 
名古屋城を満喫し、菊人形展をも満喫し、そこで新たな展開が生まれ、
その新たな展開は後日の日記で書くとして
渋滞を乗り越え、時間ギリギリに搭乗手続きを終え、
僕の6日間の名古屋生活は終わった。
 
日記の文字数の関係で、まだ書きたいことがいっぱいあったけど
文字数が尽きる前に、ぷりさんとぷり彼さんに心からのお礼を。
2002年10月03日(木)  地域的先天的な名古屋的夜。(前・後編)
(前編)

「僕は名古屋嫌いなんです」
「どうして?」
「ウィークリーマンションにドライヤーがないから」
「まぁ!それってすごい偏見よ!」
 
スクーリング最後の夜、大学の同じグループの人たち3人が
「名古屋イメージアップ大作戦」と称して僕を食事に誘ってくれた。
控えめで優しい青年と、世話好きで距離を感じさせない女性と、
今回のスクーリングでいちばん話が合ったような気がする年上の綺麗な女性。
 
「どこに行きたい?」
「名古屋的なところだったらどこでも」
「そう、それじゃ手羽先でも食べにいきましょ」
 
名古屋的で手羽先という意味がよくわからなかったけど
名古屋には手羽先が美味しい店があるらしい。
 
「あなた名古屋に来て毎晩何食べてたの?」
「松屋とか吉野屋の牛丼食べてました」
「毎晩?」
「毎晩」
 
手羽先を食べながら僕は彼女達の言う「悲惨で壮絶的な名古屋の夜を過ごす九州男児」について話をした。
僕は毎晩1人で毎晩同じ牛丼を食べても特に悲惨でも壮絶的でもなかったので
その無自覚な同情を受けたときにこの人達のとても心地よい優しさを感じたような気がした。
 
僕たちのグループはとても仲が良くて、往々の仲の良いグループがそうであるように
大学の講義中も先生の話に熱心に耳を傾けるより僕たちお互いの話をした。
周囲の空気にそぐわない笑い声や医療や福祉とはかけ離れた恋の話。
時間を重ねるほどに初対面の緊張感は現象し親密感は増していった。
僕たちのグループが先生に指名されると僕が席を立ち適当な医療的福祉的な言葉を羅列して
いい加減な意見を発表した。僕がいい加減な考察を述べるたび先生はそのいい加減な言葉について
真剣に考察し、僕を誉めた。僕は昔からそういうことが得意なのだ。
 
しかし今回、名古屋に来ていちばん感じたことは、周囲の人達がとても優しかったということだ。
僕が九州から1人来たことに敬意を表しているのか多分、――地域的先天的に――優しいのかもしれない。
とにかくみんな優しくてこの居酒屋の手羽先は驚く程美味しかった。
 
僕はいつもより多めにビールを飲んで、名古屋の最後の名古屋的な夜を満喫した。
 
つづく。


(後編)

居酒屋を出た僕たちは名古屋駅に向かった。
そして控えめで優しい青年と、世話好きで距離を感じさせない女性はそれぞれのホームへ向かった。
僕は心からのお礼と来たるべく再会を誓った。
 
「どこに行く?」
「まだ一緒に飲めたらどこでも」
 
そして年上の女性と僕だけが残った。
まだ目に馴染まない名古屋の夜の街を歩きながら僕は彼女と初めて会った日の会話を思い出した。
 
―――
 
10月1日。
「私、今日誕生日なのよ」
「へぇ、そうなんですか。おめでとうございます。誕生日の人の隣に座るなんて嬉しいなぁ」
「じゃ何か買ってよ」
「ははっ。そのうちにね」
何よりも僕たちは初対面だったし、まだ相手の名前さえ知らなかった。
3日後に2人並んで名古屋の夜の街を歩いているなんて思いもしなかった。
 
―――
 
「誕生日」僕は立ち止まって呟いた。
「ん?」彼女も僕より数歩前で遅れて立ち止まって振り返った。
「誕生日のお祝い」僕は立ち止まったまま言った。
「ん?」彼女は少し唇を緩ませて僕が指差す先のものを見た。
そこには歩道脇にたたずむアクセサリーの露店があった。
 
「誕生日、おめでとう」
僕と彼女は少し酔っていたので、こういう変にキザな言葉も素直に受け止めることができた。
「それじゃあなたがデザインを選んで」
そう彼女に言われて僕はシンプルなシルバーの指輪を2つ選んだ。
「2つで3千円です。大切にして下さいね」
髪と髭がボサボサの露店のお兄さんが言った。値段もシンプルだった。
 
「ありがとう」彼女は名古屋の夜空に向かって新しい指輪をまとった細い指を掲げた。
僕は右手にはもう指輪をはめていたので左手の薬指にはめた新しい指輪を
彼女と同じように夜空に向かって掲げてみた。
 
そして僕たちは「倫敦塔(ロンドン塔)」という地下のバーに入って
名古屋最後の夜の最後の話をしながらいつまでもいつまでもグラスを交わした。
1時に店が閉まるまで僕たちは話し続けた。
 
僕は鹿児島に住んでいてそれは日常的ではないけど、終電がもうないということは
酔った頭でもお互い、理解していた。
2002年10月02日(水)  ウィークリーの現実。
ウィークリーマンションで生活するのは今回で2度目。1度目は東京で2度目はここ名古屋。
生活環境は、最悪。
 
まずフロント。高級ホテルを思わせる雰囲気。豪華なシャンデリアとあらゆる種類の観用植物。
目的の階でエレベーターの扉が開くとき、あの豪華なフロントが羊頭狗肉だったことを思い知ることになる。
 
廊下。何かの手違いでフライパンに落ちてしまってそのまま焼いてしまった奈良漬けのような臭いがする。
臭いの元を探りたくて、今日この階をウロウロしてみたけどよくわからなかった。
きっとどこかの部屋のユニットバスでどこかの誰かが死んでいるんだ。
 
ドライヤー。この部屋にはドライヤーがない。フロントで貸してくれるのかと思い1階まで降りて
「ドライヤーありませんか?」と訊ねたらフロントの初老の男性は「何するんですか?小さいのならありますけど」
というのでよくわからず「それでいいです」と言ったら、男性が出したのはなんとドライバー。
そんな馬鹿な。古典的じゃないか。このマンションは会話までもが古典的だ。
 
ティッシュペーパー。この部屋にはティッシュペーパーさえ設置していない。自分で買いにいかなければならない。
排泄というものは人間の生理的現象なのだからそれを補う配慮くらいはして欲しい。
「基本的人権の尊重」若しくは「生存権」に反している。けしからんと思う。
 
電動ポット。正式な名称はわからないけどコンセントをつなぐと自動的にお湯が沸くポット。
水を注ぐと「お礼と言っちゃ何なんですが」と言わんばかりに湯アカが浮かび上がる。
何度入れ替えても電動ポットのお礼は続く。諦めてインスタントラーメンを作ったけど不味くてすぐに捨てる。
ラーメンが不味いのか水が不味いのかよくわからないけど、多分、どっちも不味いんだろうと思う。
 
暴走族。マンションの下の大通りは0時30分になると決まって暴走族が爆音をこだましながらゆっくり走る。
最後尾には決まってパトカーが3台暴走族の爆音に負けないくらいの甲高い音を響かせてゆっくり走る。
名古屋の暴走族はとても時間に律儀だと思う。
 
紀元前に開発されたような室内エアコンとか14型テレビをもう一回り小さくしたテレビとか
サイコロのような冷蔵庫とか大きなのっぽの古時計とかまだまだ言いたいことがいっぱいあるけど
僕は男なので今日はこれくらいにしてやる。
2002年10月01日(火)  台風とイモ焼酎。
よりによって僕が名古屋に来た時に台風が直撃するなんて。
10月なのに。東海地方なのに。スクーリングなのに。
なぜ今頃台風が上陸するんだ!
 
「あなた、鹿児島から連れてきたんでしょ」
なんて隣に座っている女性にいわれのない差別を受ける始末。
 
それにしても今回の講義はいろんな意味でおかしい。
最初に配られたシラバス(講義の目標や概要が書いてあるプリント)に
 
・席順は、必ず男女、男女で、着席して下さい。いつも、明るい緊張感を持って、
限られた時間を、有効に、使っていきましょう。
 
男女男女で明るい緊張感なんて生まれるものか!ていうか合コンかよ!
と1人で突っ込まざるを得ない内容。しかも句読点の使い方が少しおかしい。
何よりも「明るい緊張感」という表現がおかしい。
「嬉しい挫折感」とか「楽しい劣等感」という使い方とたいして変わらない。
矛盾してるも何も意味がわからない。
 
というわけで席順は男女男女の4人グループの合コン授業。
隣の女性は少しシャツの襟が開きすぎだけど大人っぽくておとなしいが
前の女性はおとなしくなーい。喋り過ぎー。明るい緊張感なんて生まれなーい。
 
講義中だというのに
「ねぇねぇタバコに行かない?」
僕は真面目な振りをしたいので講義中にはタバコになんて行けない。
「ねぇ知ってた?今日って日本酒の日なんだってさ」
えとね、日本酒の日かもしれないけど今は講義中なんです。ほら、先生来たよ。
「ねぇ、鹿児島っていえば芋焼酎でしょ」
うん。鹿児島が芋焼酎ってわけじゃないけどね。
「あなたもイモ焼酎飲むの?」
うん。あまり好きじゃないけど時々飲みますよ。
「このイモ坊や」
イモ坊や!?意味わかんないよ!
 
そして強引に「イモ坊や」という不本意なあだ名をつけられて何も知らない名古屋の地の
スクーリング会場の小さなトイレで蒸留酒のような涙を浮かべるイモ坊や。

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