2002年07月31日(水)  夕暮れ時の寂しさに。
午後6時10分。窓から差し込む夕陽に照らされてこの日記を書いています。
今夜は久し振りにユカちゃんと食事に行くので、多分帰りは遅くなると思います。
だから待ち合わせは7時だけど、日記だけは書いていこうと思い、
窓から差し込む希望の光に照らされてこの日記を書いています。
 
ユカちゃんはカラオケが大好きなので、2人きりで食事をした後も「カラオケ行こうよ!」
と言って僕を困らせます。
僕は歯磨きの後に飲むコーヒーと同じくらい2人きりでカラオケに行くことが嫌いなのです。
 
カラオケ自体は好きなんだけど、交替で歌わなければならないという半ば強制的な空気が嫌いなのです。
あの狭い部屋の中で、1人が歌っている間にもう1人は血眼になって次の歌を探さなければならない。
時間に追われながらミスチルを歌ったり、相手はしょうがないから昔のaikoを歌ったりするのです。
 
僕は、実を言うと、カラオケよりも、静かなバーにでも行って静かにお酒を飲みたいのです。
だけど、そんなこと言うと、ユカちゃんに嫌われてしまいそうだから黙っているのです。
相手に嫌われてまで自分の意志を通そうなんて、今日び流行んないよ。
 
さあ、車で行こうかタクシーで行こうか。6時30分。僕は今まさにこの2択をクリアしなければならない。
食事行ってカラオケ行くんだったらたいした酒なんて飲めないだろうから車で行ってもいいんだけど、
ユカちゃんは時々エビアンか軽井沢の名水でも飲むようにゴクゴク酒を飲んで
ひどく酔っ払って、公衆の面前では言えないようなことを平気で行ったりするので
やっぱり、ああいう状況に耐えるには僕も少しお酒を飲まないといけないと思うので
タクシーで行った方がいいのかなとも思っている。
 
まぁどっちにしたって、ホントのところ、どうでもいいんだけど。
 
 
 
 
一番重大な事は
 
ユカちゃんには彼氏がいるということなんです。
2002年07月30日(火)  神童26歳普遍的。
母はいつも突然アパートにやってくる。
そして夕食を作って、一緒に食べながら「彼女とはうまく言ってるの?」と
2年前に別れた彼女のことをいつまで経っても尋ねてくる。
もう何百回も別れたと言っているのに尋ねてくる。母は彼女のことがとても気に入っていたんだ。
 
母はいつも僕のことを「この子はきっと大物になる」と思っていたらしい。
”思っていた”と過去形なのは今となってはもう諦めているからに他ならない。
 
「あなたはね、1歳3ヶ月ですでに五十音全て読めるようになったのよ。
まだ周りの子供達はママとかワンワンとかマンマとか言っているときに五十音を読めたのよ。
あれは今考えてみても本当に奇跡だったわ。近所ではちょっとした有名人だったのよ。
1歳6ヶ月にはね、本を読み始めたのよ。意味なんてわからないだろうけど、
オムツしてるくせに寝小便だって毎日するくせに声を出して絵本を読んでいたのよ。
私はいつもお父さんとこの子はきっと大物になるって話ばかりしてたわ」
 
母は焼酎を3杯飲んだあたりになると決まってこの話を始める。
もう何百回って聞いているのに、息子に初めて聞かせる真実のように慎重に話し出す。
 
しかし母の願いも虚しく、僕は市立の小中学校を出て、公立の高校に進学して、
なぜか看護学校へ進んで、白衣を着て精神科で働くようになった。
この普遍的な過程の中で、大器の片鱗を見せつけた時なんて一度だってなかった。
そしてこれからもきっとない。神童でも大器晩成でもない普通の男のまま死んでいくんだ。
 
でも母は今でも焼酎を3杯飲んで、我が息子の隠された片鱗を見つけ出そうと必至に話をする。
僕は今でも自分をありのまま受け止めて、それ以上を望まない欲のない人間として生きている。
 
親っていうものは往々にして子供に対して過剰な期待を寄せるものだけど、
親の顔色をうかがって神童のような真似をするんじゃなかった。
 
オムツをしながら声を出して絵本なんて読むんじゃなかった。
2002年07月29日(月)  兄26歳。妹23歳。
妹と食事に行った。
妹と2人で食事に行くなんてそう滅多にあることではないので
滅多に頼むことはないコース料理をオーダーした。
 
「そもそも今日行くなんて約束したか?」
僕は白ワインを飲みながらハンチングをかぶり直してそう言う。
「お兄ちゃん声大きいわよ。言ったじゃない29日に行こうって」
妹は今日買ったばかりだというミュールの紐をしきりに気にしながらそう言う。
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
「言った」
兄妹喧嘩なんて場所を変えたからって内容はそう変わり映えするものではない。
 
「あ、お誕生日、おめでとう」
妹はバッグから綺麗にラッピングされたプレゼントをテーブルに出した。
「お。ありがとう。開けていい?」
「そういうのって開けるために買ってるのよ」
ちっ。しばらく話しないうちに一丁前な言い回し使いやがって。
 
それでも僕は嬉しくて、だけど顔は気乗りしない表情をしてラッピングを剥がす。
 
「・・・おい。なんだよこれ」
「ハッピーバースデーだよそれ」
ちっ。しばらく見ないうちに妙な文法の言葉を使いやがる。
 
マイルドセブンライト 1カートン。
 
「誕生日プレゼントに煙草贈るやつなんてあるか。そもそも1カートンって煙草いくつ入ってるんだよ。
10個?え?10個ってことは2500円?おい。2500円もするんだったら
もうちょっとましな物買ってくれよ。肺がんで、死んじまうじゃないか」
「美味しいねこれ」
「おい人の話をよく聞けよ僕より先に食うなよしかもそれ鶏肉じゃねぇよサーモンだよ」
「お前の舌はふし穴か」
「お願いだからワケわかんないこと言うなよ言葉の使い方間違えてるよしかもそれ唐辛子じゃねぇよ赤ピーマンだよ」
 
久し振りの兄妹の食事は、実家の食卓とさほど変わらない会話をしながら
あっという間に2時間が過ぎた。
デザートのアイスを食べ(妹は僕の分まで食べた)お勘定をして(僕は妹の分まで払った)
家へ戻った。
 
帰り道「はい、お兄ちゃん。誕生日おめでとう」
慣れないワインを飲んで少し上機嫌になった妹はバッグから小さなプレゼントを取り出した。
 
こういう妙な演出をするところは、僕にそっくりだ。
2002年07月28日(日)  午後の酔っ払い。
休日。昨日友人に「午後から予定入れないでね!」と強く言われたので
予定が何もない僕は意地でも予定を入れてやろうと思ったけど、26歳になったんだから
そういう意味のない意地を張るのはよそうと思い、素直に正座をして午後の訪れを待っていた。
 
午後1時。友人2名来訪。
ドアを開けるなり「誕生日おめでとー!」と言われて、少し照れ臭くて、
玄関で誕生日プレゼントも貰ったけど、開ける暇もなく「暑い暑い。早くグラス準備してよ!」と言われて
素直にグラスを準備して午後1時からワインで乾杯!
 
昼間からのお酒は格別で、僕なんてグデングデンに酔っ払って
友人たちが持って来たピザとその他の料理をお腹一杯食べてしまって
食後にケーキがあったのをすっかり忘れてしまい、友人たちは女性なので「ケーキは別腹」なんて言えるけど
僕は男性なので胃腸は1つしか持っていないことが悔しいところ。
 
結局ケーキは一口しか食べられず、もう眠くて眠くて友人たちは今からビデオを借りに行くから
あんたはテーブルの上を綺麗にして、尚且つ私たちが寝転びやすいように準備してなさい。
と言ったけど、もう眠くて眠くて「わかってるよ」と言いながら友人たちが出て行くと即寝てしまって
帰ってきた友人たちにビデオを投げつけられて目が覚めた。
 
結局ビデオの内容はちっとも覚えてなくて、友人たちがどうして泣いているのかもわからず
「ねぇ、泣いてるの?泣いてるの?」なんてデリカシーのない質問を繰り返して
枕を投げつけられて僕の休日は終わった。僕は物が飛んできた途端に素直になるんだ。
 
酔いを覚ます為に近所のカフェに寄って、そこの女の子と話をしたけど
僕はまだ20代前半なのかと思ったら、実は同じ歳だということで
26歳になるということをしきりに話し合ったけど、僕はこの通り少し酔っ払っていたので
話の内容なんて全然覚えていない。
 
覚えているのはカフェのエスプレッソと一緒に頭痛の鎮痛剤を飲んでそれがちっとも効かずに
今も続いているということだけだ。
2002年07月27日(土)  なんでもない時間。
雨はしとしと降り続いていて、外に出掛ける気にもなれず、早めにシャワーを浴びて
キッチンの椅子に座って、両足をテーブルに乗せて本を読んでいた深夜0時に電話が鳴った。
 
「はぁい。こんばんは」
その声が綺麗な女性の綺麗な声はキッチンにはびこるあらゆる湿気を取り除いてくれる。
コンポの音量を小さくし、扇風機を「弱」に合わせる。キミの声だけで十分涼しくなれる。
 
「こんばんは。今日はどこにいるの?」
読んでいた小説を閉じて、冷蔵庫から2本目のビールを取り出す。
2本目のビールは風呂上がりに冷蔵庫に入れたばかりで、まだ十分冷えていない。
左手に携帯を持って右手でビールのプルタブを開ける。
僕は親指の爪が短いので毎回開けるのに苦労する。
 
「家にいるわよ。だって雨降ってるでしょ」
その女性はゆったりとした口調でそう話す。彼女の口調は人に感化する能力に優れていて
僕もついゆったりとした口調で話してしまう。こういうのってなかなかいいものだ。
何もすることがない雨の夜に、優しい口調の女性と話をする。
携帯で小学生の交換日記のようなメールをするよりずっといい。
 
「あのね。私今日すごく酔っ払ってるの」
「そりゃそうだ。雨の日は家にいて本を読むか酒を飲むかに決まってる」
僕はなんでもまずは肯定してしまう。肯定してしまってからその後のことを考える。
「家にいるときはね、焼酎をロックで飲むの。もう何杯飲んだんだろ」
そういえばいつもより声が少しだけ上ばっているような気がする。
 
僕はその声に耳を澄ませて、冷えていない2本目のビールを飲む。
それは、なんでもないことなんだけど、なんでもないからこその特別な時間。
 
僕たちはお互いの(少なくとも僕にとっては)変わり栄えのない毎日のことを話し出す。
というのは、僕は、断片的でしか知らないけど、その女性の人生が好きなのだ。
「声はその人の人生を表す」って昔の偉い誰かが言っていなかったら僕が今ここで言ってやるんだ。
 
「あ、ゴメン。ホント飲み過ぎちゃったみたい。ゴメン。また電話するね」
 
その電話は予告も前兆もなく、突然終わった。
受話器を置くと、雨が地面を撫でる音や風が窓を叩く音が聞こえ出す。
再び僕はコンポの音量を上げて、扇風機を「強」に戻して、小説の続きを読み始める。
 
それは、なんでもないことなんだけど、なんでもないからこその特別な時間。
2002年07月26日(金)  愛のヘクトパスカル。
台風9号上陸。
容赦なく雨と風が雨戸も設置されていない安アパートの窓を叩く。
 
小さな頃は台風が来ると翌日学校が休みになるならないで天気図を見ながらヤキモキしていたものだが
社会人になるとそれは厄介なもの以外なにものでもなくなる。
そりゃ膠着したキミと僕がやりとりするメールも台風のことしか話題に出ないはずだよ。
 
>台風来てるね
>すごく雨が強いね
>風もものすごく強いよ
>怖いよー(T^T)
>怖いね
 
僕はこんな小学生の夏休みの絵日記に書かれる会話のようなメールがしたくて
部屋に寝転がって読んでいる本の傍らに携帯を置いているわけじゃないんだ。
もっと、こう、台風のことなんて、吹き飛ばすような会話を、
中心気圧とか最大風速なんて結局僕たちにとってどうでもいいことなんだ。
 
僕たちが危惧しなければいけないのは
これからの2人の風向きと
2人の間に考えられる降水確率と
キミの心の中の波浪警報と、僕の胸の中の強風注意報と
来るべき夏に予想される僕たちの最高気温と
来るべき夏の前にどうにかしなければいけない僕たちの最低気温。
 
そう、まさしく愛のヘクトパスカル!
 
「大型で強い台風9号は、鹿児島付近を時速30キロで西に・・・」
うるさいよ!ニュースうるさいよ!知ってるよそのくらい!
窓開けなくたってわかるよそんなこと!そんなのほっときゃどっか行くんだよ!
そんな5分置きに言わなくたってわかるよ!
構うから相手が図に乗っちゃうんだよ!勢力が拡大しちゃうんだよ!
 
ほら!メールだって来なくなっちゃったじゃないか!
2連続で相手にメールすることがどれだけ虚しいことか気象庁はわかっているのか!
メールはね、相互に送ってこそメールなんだよ!
2連続でメール送るとしつこい男ってレッテル貼られちゃうじゃないか!
 
・・・寂しいよー。
 
以上、恋の嵐 愛のヘクトパスカル天気予報でした。ちっ!
2002年07月25日(木)  夏の汚点。
夏のボーナスも出たところだし、ここは奮発してテレビでも買い替えようと思って
電器屋の広告をあれこれ比較している最中なんだけど、
僕はテレビなんて1日1時間も見ないし、たまの休日にしかビデオもレンタルしないし
プレステだって最近じゃ埃をかぶっている有様で、これじゃあ今までの14型で十分だよなぁ。と思っている。
 
テレビを見ない替わりに1日中音楽をかけているので、やっぱりコンポを買い替えようかしらとも思っている。
だけど買い替えるにしたって、今のコンポで別に不自由してないしなぁとも思っている。
 
初めて1人暮らしをする時に買った冷蔵庫、もうかれこれ7年くらい使っている。
そろそろ冷蔵庫も買い替え時かなぁ。だけどあんまり自炊しないから意味ないよなぁ。
とりあえず風呂上がりに冷たいビールさえ飲めれば十分だよなぁ。と思っている。
 
そして結局ボーナスで何も買わないままいつの間にか通帳から消えていくのである。
 
それにしてもこの時期になると決まって流れる「本日、公務員の夏のボーナスが支給されました」というニュース。
あれはちょっとイヤらしい。だからどうしたんだよ。と言いたくなります。
「今年のボーナスは例年に比べて何%減額しています」なんて言うと、ざまぁみろ。と思います。
 
仕事中にも関わらず、封筒から札束を取り出してニヤけた顔して枚数数えてるでしょ。
しかもカメラに映っているにも関わらず。
そういうことはウンチにいくフリでもしてトイレの中でゆっくり数えなさいよ。と言いたくなります。
そもそもわざわざ数えなくてもいいじゃないか。
会社のボーナス係?そんな係があるのかわからないけど、
まぁ、ボーナスに関連した係の人がしっかり確認してるはずなんだから。
 
うへぇ。1枚でも少なかったら大変だ。うへぇ。
なんて顔して札束の枚数を数えるのはやめて下さい。
お金に対する猜疑心というものは見ていてとても見苦しいものがあります。
 
僕の職場にも給料日になると給料明細を何時間も眺めている先輩がいます。
1時間眺めるごとに1000円づつ給料が増えていくのだったら僕も眺めてもいいかなと思うけど
いくら眺めたって増える希望もないし、かといって減る心配もないわけだから
 
あるがままを受け止めて、毎日月末に思い馳せて生きていればいいんじゃないかなぁと思います。
2002年07月24日(水)  26歳の昼休み。
婦長さんが小さなケーキを買ってきて、昼休みに小さなバースデーパーティを開いてくれた。
「これからも人一倍働いてもらわないといけないから」と何気にプレッシャーをかけられたりするけど
年に一回、こうして職場の昼休みに小さなケーキがまわるのだったら人一倍働いてもいいなあと思ったりする。
 
まぁ、だけど人一倍用件を頼まれたりすると(僕は物事を断る方法を知らないのだ)
「僕ばっかりに頼むなよ」と心の中で文句を行ったりするんだけどね。
 
小さなケーキは、看護婦さんの数だけあって「好きなもの取ってもいいわよ」という婦長さんの一声で
皆一斉に手を伸ばして、手を伸ばし損ねた僕は残り物のケーキを取る有様で
これは、誰の誕生日なんだ?と自問自答せずにはおられない状況になったけど
 
こういう時、目の前の甘い欲望に負けずに、僕がケーキを取るまでじっと待っている看護婦さんがいると
なんだか切なくて意地らしくて嬉しくて「あ、あぁ、先に取っていいですよ」と言ってしまう。
僕は結局残り物でも十分なんだ。
 
こうして小さなテーブルに皆一つずつ小さなケーキがまわって、さぁ、頂きましょうかという時に
ある看護婦さんに「今日はあなたの誕生パーティでしょ。誕生日の歌唄いなさいよ」などと
とんでもなく不条理なことを言われて、自分の誕生日に自分で歌を唄うってことは誰が考えても
不条理なので、不条理を許さない婦長さんに哀しい眼差しで救いを差し伸べたけど婦長さんも
 
「歌って歌って」
 
という有様で!僕の意思と反するように始まった手拍子と共に
――僕だって空気を読めないわけではないので――
「・・・ハッピバースデートゥーミー・・・」と涙が出そうになったけど、呟くように歌い始めた。
すると1人、また1人と看護婦さん達が歌い始めて
 
いつもは冷たい廊下に、病院という概念とは少し不似合いな
26歳のお人好しの誕生日を祝う歌が響き渡った昼休み。
2002年07月23日(火)  祝辞。
26年前の今日、僕は約9ヶ月の羊水生活に別れを告げ、
僕がする背伸びやストレッチは母親にとって陣痛として感じられ、
僕が体を動かす度に、母自身や父や周りにいた人たちは驚愕し、狼狽し、
産婦人科に連れて行かれてラマーズ法にあっさりと騙されて
羊水と一緒にあっさりと出てきてしまって、これが初めて見る太陽の光か!
と思っていたらそれは分娩室の手術灯だったわけで、それが生まれて初めての失望だったわけです。
 
失望で始まった僕の人生ですが、失望ばかりでもなく、とはいえ希望ばかりでもなく、
切望が混じったり、羨望が入り組んだりして、26年という月日を退屈することなく送ることができたわけです。
 
その失望や希望や切望や羨望の中で知り合った人たち数知れず。
今日は僕の誕生日を祝ってくれる人たちから届いたメールの一部を勝手に抜粋。
昨日教会に行ってきたことだし罰は当たらないだろう。
《 》の中は僕の注釈。
 
>変態主任さんへ《職場の後輩からのメール》
おたんじょーびおめでとうございますたしか26歳ですね!(^-^)
僕ヨシミさんが羨ましいです(☆。☆)
『学生さん』を卒業して結婚もあきらめてるから《あきらめてない》かなり独身生活を謳歌して…
僕はまだまだ実習で忙しいしぃヨシミさんみたいに開き直って《開き直ってない》
結婚とかあきらめられないし《あきらめてない》…。
というわけで実習中で忙しいからこの辺でm(__)mへへっばいばーい(^-^)
 
>もらって《友人(ゲイ)からのメール》
25歳《間違えてるし》の誕生日おめでとう!あげるモノが何もないから僕の愛をあ・げ・る!
《その気持ちだけで十分ですので》
 
>おめでとー!《女友達であり親友からのメール》
まだ12時はなってないけど26歳の誕生日おめでとうっ!《きっと一番乗りとか好きなんだね》
プレゼントは少し待っててねっ!ちゃ〜んと考えてるからさっ(^-^)
ステキな26歳になればい−ねぇぇ《になればい−ねぇぇ》。
 
>ハッピーバースデー《みゆきさん(?)からのメール》 
こんばんはー(^O^)みゆきだよぉ☆《みゆき?》
今日誕生日だよね?おめでと〜(^-^)gまーくん《まーくん!》に全然会わないねー(>_<)
みーの事もー忘れてたりして!(^.^)《忘れたんじゃないよ。思い出せないだけなんだ》
 
というわけで感謝だけしていても十分生きられるくらいの僕のこれからの人生に乾杯!
2002年07月22日(月)  前夜祭。
とある大型デパート入口ロビー。
待ち合わせ場所に2人はまだ来ていないらしく、僕はしばらく煙草を吸って待つことにした。
 
それにしても暑い。
あまりの暑さに煙草なんて口にくわえた途端自然に火がついちゃう。なんてね。
それにしても暑いなぁ。あ、いた。
 
待ち合わせの2人の女性は、とある大型デパート入口ロビー内で僕を待っていた。
僕は入口ロビー外で煙草を吸っていた。
待ち合わせ場所に来たら、次にしなければならない行動は「探す」ということをすっかり忘れていた。
 
「久し振り」MIUさんとアコマン。
MIU嬢は『INTEREST』管理人であり、アコマンは『ふらわぁちょっぷぅ』の管理人であり
2人ともよき相談相手でもあり、親友であり、それにしても2人とも綺麗!
 
まぁ、理屈抜きに暑い日だったので、白熊(かき氷)を食べに行った。
3人は、サイト管理人であり、写真が趣味であるという共通点があるので
白熊3つ並ぶテーブルの上に同じ型のカメラ(LOMO LC-A)が3つ。壮観。
 
共通点の多い3人は、日本人であるという動かしがたい共通点もあり、
おそらくは3人とも仏教であろうという仮説も立てられるわけであるが
向かう先は教会。洗練された近代的で厳格な雰囲気がある協会が、そこに建っているのだ。
 
3人とも、妙な罪悪感を背中に背負いながら、僕などはまるでコソ泥のように
「ご自由にお入りください」と書いてある教会の重い扉を開く。
教会の中は真っ暗で、ステンドグラスから漏れる赤と青の光がうっすらとそこを照らしていた。
 
「どうぞお入りください」
と突然背後で教会の人に声をかけられて、仏教徒3人は禁断の踏絵をまたいだ。
この教会では、あらゆる祈りや懺悔が天に向かって、あの十字架に向かっていると思うと
僕も背筋を伸ばさないわけにはいかなかった。懺悔しないといけないことなんて数え切れないほどある。
 
長い時間教会を見学して、司祭さんにお礼を言って出る頃はもう外は暗かった。
25歳最後の日に少なからず洗練された感の僕は、天に向かって感謝することになる。
 
「はい、誕生日おめでとう」
 
2人から貰ったのは、最近壊れたばかりのサイバーサンプラーという名のカメラ。
僕は嬉しくて嬉しくて、MIUさんとアコマンと、僕をとりまくあらゆる状況と
あの十字架に、感謝した。
2002年07月21日(日)  バナナフィッシュにうってつけの夜。
昨夜は後輩に嫌々誘われて、酒を飲みに行った。
後輩は日本のお姉さんや、東南アジアのお姉さんが隣に座ってくれる店が大好きで
僕も別に嫌いなわけじゃないけど、60分3000円とか90分4500円とか時間を気にしながら
酒を飲むことが嫌いなので、あまり自分からはそういう店には行かない。
 
今日の相手は今時珍しい漆黒の髪の女の子。
目立たないピアスをして、指輪もブレスレットもはめていない。
化粧もすごくナチュラルで、嫌味ったらしくない。
 
それでも僕は明日仕事だから0時には帰りたいなぁ。と考えていた。
適当な相槌を打って、90分座り続けて4500円払ってサヨナラしたかった。
しかし、彼女の一言で、僕の気持ちは一変した。
 
彼女は昼間、国語と英語の家庭教師をしていると言った。
「へぇ、国語の先生ねぇ。それじゃ、本とか読むの?」と僕が言うと彼女の表情も一変した。
「うん、読む読む!私読書大好きなの」
「あ、そうなんだ。今何呼んでるの?」
「えっとね、サリンジャー」
 
J.D.サリンジャー!!僕は心の中で叫んだ。僕も今サリンジャーを読んでいるのだった。
「ライムギ畑でつかまえて」で一躍有名になった作家。僕はこの作家の子供の描写が大好きなのだ。
 
「僕ね、『バナナフィッシュにうってつけの日』がすごく好きなんだ」
「私もーー!」
なぜか握手をする2人。もう周囲は見えない2人だけの世界に突入。
まさか飲み屋で『バナナフィッシュにうってつけの日』の話をする相手がいるなんて。
これは道頓堀で巨人ファンに喧嘩を売られる確率より低いんじゃないかなあ。
 
そして場に似つかない話を延々と話し続ける2人。
『スプートニクの恋人』は先週読んだばかり(偶然に僕も先週読み返したばかり!)
太宰治の『斜陽』が好き。吉本ばななってどうなのかな。アゴタ・クリストフも面白いよ。『フラニーとゾーイ』今度貸してよ。
 
往々にして辛いことの多い人生の中での貴重な至福の時間というものは
こういう時を言うんじゃないかなぁと考えながら、絶えることのない読書の話。
 
「私ね、将来臨床心理士になりたくて勉強してるの」
「あ、僕は精神保健福祉士になりたくて勉強してる最中なんだ」
 
なんと共通点の多いこと!
往々にして辛いことの多い人生の中で、
神様。どうかこの出逢いが運命と呼べるものに位置付けられますように。
2002年07月20日(土)  梅雨明けと頭痛。
休日。
正午前に起きてそのまま蒸し暑いキッチンへ行って椅子に座ってうなだれながらタバコを吸う。
頭が痛いのは梅雨明けの異常なまでの暑さのせいでも眠り過ぎのせいでもない。
単に二日酔いで頭が痛いだけだ。
頭の右半分にセミが住み着いたみたいに、ずっと鳴き声に似た痛みを発している。
 
とりあえず洗濯をしてベランダに干した。
ベランダに干している最中に洗濯物が乾いてしまうような暑さ。頭痛がひどくなる。
再び蒸し暑いキッチンに戻り椅子に座ってうなだれながらタバコを吸う。
頭が痛いと本も読めないし音楽も聞けない。聴こえてくるのはセミの声だけ。
 
しばらくうなだれていたら幾分頭痛も治まってきたので休日であろう友人に食事に行こうと電話をした。
 
「・・・もしもし・・・ゴフッ・・・なによ・・・ゴフッ・・・昨日電話したのにさ・・・ゴフッ」
 
友人はせっかくの休日に夏風邪に罹って寝込んでいるらしい。とても苦しそうだ。
昨日の夜も電話がきたけど、昨日の夜はユカちゃん(最近このコに夢中です)とお酒を飲みに行っていて電話に出れなかった。
 
「昨日電話して・・・ゴフッ・・・ワタシこんなんだから外に出れなくて
ヨーグルトとか、プリンとか・・・ゴフッ・・・買って来て欲しかったのに」
 
それは可哀相なことをした。
可哀相なことをしたけど昨夜はユカちゃんと飲んでいたから仕様がない。
 
「ゴメン。あ、今から何か買っていこうか?」
「もう・・・ゴフッ・・・いらないわよ」
 
なんて言われたので、心を込めて「お大事に」と言って電話を切って他の休日であろう友人に電話をしたら
「ねぇ!ツタヤが今レンタル100円なんだって!」
という威勢のいい声で電話に出た。
 
ツタヤに一緒に行くという条件で会うことになったんだけど、
結局ツタヤには行かないで僕の「テレビが欲しい」という一言で電気屋に行って
今流行りのプラズマテレビを見たら値段が100万もするというのでこれは無理だと声を揃えて言って
最近話題の近所のお洒落なカフェに行って座り心地の良いソファーに座って
 
双方、たいした話もせず、
 
アイスコーヒーをすすりながらずっと2人で雑誌を読んでいた。
ツタヤのレンタル100円のことを言いたかったけど、それを思い出してツタヤに行くなんて言い出したらたまらないので
セミの声を聞きながら無言で雑誌を読み続けた。
2002年07月19日(金)  健全な成長、裸の触れ合い。
仕事が早く終わって早く帰宅したので何もすることがなく、オーザックを食べながらローカルニュースを見ていた。
僕は暇になるといつだってオーザックを食べる。
 
それはさて置きこのローカルニュース。ローカルニュースはどれだけ背伸びしたってローカルニュースなので
ニューヨークの株式市場や有事関連3法案とか、そんな難しくて、難しいわりには全然僕達に関係ない話は放送しないで
何処の誰の庭にヒマワリ咲いたよとか、爺さん婆さんはりきってパソコン講習とかそんな平和な話ばっかりだ。
仮に空き巣が入ったって、そんな犯人は地元の奴に決まってるさ。
 
という具合のローカルニュースだけど突然、オーザックがカーペットに散乱するほどの衝撃の映像が流れて僕を驚愕させた。
 
映像はここから車で3時間ほどの県内の幼稚園。
過疎地域なので全園児はたったの7名。だけどそのくらいじゃオーザックは散らばらない。
保母さん2人がたどたどしい標準語で幼稚園を紹介している。
 
保母さんといっても僕たちが往々にして想像するような
ほんのり茶髪を三つ編みにして3本ラインが入ったジャージを履いていてキティちゃんのエプロンをつけているという
そういうイメージの保母さんじゃなくて
ちょっとの擦り傷くらいじゃカットバンはおろか赤チンさえも塗ってくれない
なんだか物凄く年季の入ったベテランの保健室の先生のような保母さん。
 
その保母さんが言った一言。
「私たちの幼稚園は健全な成長を促進する一貫として『裸の教育』を実施しています」
 
裸の教育!?
 
画面が変わり、園児たちが園内を走り回る光景。
1人洩らさず全員上半身裸。坊ちゃんも嬢ちゃんもみんな裸。
画面が変わり、「いただきまーす」の掛け声と共に給食の光景。
1人洩らさず全員上半身裸。ケン坊もミヨちゃんもみんな裸。
 
僕は高校卒業間近の頃、同じバイトの先輩の女性に誘われて、
ご休憩3500円と書いてあるホテルで初めて『裸の教育』というものを知ったのだけど
この幼稚園児たちは、『裸の教育』を実践するにはいささか早過ぎるよ。
 
「健全な成長を促進する」なんて保母さんは知った顔してそんなこと言ってるけど
一日中真っ裸で過ごすことが果たして健全な成長なのかいささか疑問が残るし
もっともこんな幼稚園があるって聞いたら健全じゃないおじちゃんたちが大喜びしちゃうよ。
2002年07月18日(木)  無責任極まる。
昨日は仕事帰りに看護婦さんと食事に行って、その後看護婦さんの部屋でビールを飲んでいた。
 
日頃の不平や不満や鬱憤など、聞いていてあまり楽しくないような内容の話を
延々とまぁよくもこんなに不快な毎日を送っているもんだと関心するくらい聞かされて
僕はうん。まぁ、そうですね。極端な話、そうだと思いますよ。まったくです。なんて
何の刺も毒もないような返事ばかりして、早く家に帰ってシャワー浴びたいということばかり考えていた。
 
しかし、そういう仄かな願いはなかなか叶わないということが世の中の常であって
仕事が5時に終わって家に帰ったのは11時だったから
僕は6時間も適当な返事をしながらシャワーのことばかり考えていたということになる。
 
こうやって相変わらずいい加減な人付き合いばかりしているけど
自分でいうのも何だけど、この程度のいい加減ぐらいがちょうど良い加減なんだと思う。
 
例えば
「私の彼氏がどうやら浮気してるらしいの。私、浮気相手の女も知ってるの」
と言われた場合、まさに我が事のように血相を変えて
「それは許せない!浮気相手の女の部屋に乗り込んで、とっちめちゃえ!」
なんて本気なのか無責任なのかよくわからないことを言う人がいるけど
そういうのは結局本人の問題なんだから
「あら。まぁ。そうなんだ。へぇ。ふむ。大変だねぇ。まったくひどい話だね」
という程度の返事で留めとけばいいと思うのです。
 
僕は友人に、浮気相手の家に乗り込んじゃえ!と言える程の人格者じゃないし、経験もないし、
もっとも逆の立場だったらきっと乗り込まないだろうしね。
 
だからこういうときも何の利も毒もないような返事をすることが――双方にとって――無難なのです。
 
僕のこういう姿勢こそが無責任だ!なんて思う人がいるかもしれないけど、
見たこともない友人の浮気相手の家に乗り込んじゃえ!と言うことと
へぇ。ふむ。大変だねぇ。とんだ災難だねぇ。と言うこと
 
どっちが無責任なんでしょうと問い掛けて今日の日記はおしまい。
2002年07月17日(水)  チョパい事。
僕は別に長電話が嫌いというわけではない。
僕にとってゴキブリが嫌いということと、長電話が嫌いということには本質的な意味の違いがある。
 
彼女に「キミのおっぱいが大好きだ」なんて言って
彼女は「まぁ、イヤらしい。嫌いよ」と言う「嫌い」と
彼女に「キミの足って少々太めだよね」なんて言って
彼女は「ムッ、最低。嫌いよ」と言う「嫌い」の意味には天と地の差があるということ。
 
どっちかというと前者の方に近い意味で僕は長電話が嫌いなんです。
 
まぁ、長電話が「嫌い」という言葉自体が不適切なのかもしれない。
「嫌い」ではなくて、もっと、こう、ソフトな感じの意味を持った言葉が存在したら
世にはばかる4分の1くらいの誤解は案外簡単に解決されるんじゃないかなぁと思う。
 
例えば、この前者の「嫌い」の意味をソフトに変換して
「照れ臭いけど面と向かって照れ臭いとは言えないし」
という意味を込めた「チョパい」という言葉を作ることにしよう。
 
「キミのおっぱいが大好きだ」
「まぁ、イヤらしい。チョパいよ」
 
ほらソフト。あっという間に誤解は解消。
 
そういうわけで僕は長電話がむしろチョパいなんです。少し、照れ臭いのです。
だからね、つい先日の夜「ねぇ、今何してた?」なんて電話がきて
「いや、別に何もしてないよ」と僕が言うと
「じゃあ、私とお話しましょう」なんてその優しい声で語り掛けられたりしたら、もう嬉しくてしょうがないのです。
 
「じゃあ、私とお話しましょう」だよ。照れ臭いじゃあ、ありませんか。
 
というわけで僕は長電話が嫌いと言ってる割にはむしろ饒舌に話をするのです。
世にはばかる4分の1の誤解が解消されたうえに、こんな幸せな時間に身を浸れるなんて
僕にこれ以上、何に対して希望を持てばいいのだろう!
 
なんてね。冷静になりなよ。自分で言っといて少しチョパいよ。
2002年07月16日(火)  about me.
僕はわりといい加減な性格で、あらゆる事象に無責任というか無関心というか
とにかく物事を底辺まで考えない性格でそのお陰で案外楽しい生活を送っているのだけど
時々自分でもあぁ、いい加減だなあと認識するときがある。
 
今日の夜だってかなりいい加減だ。
今日は休日で1日中買ったばかりのCDを繰り返し聞きながら本を読んでいて
その本がまた面白くて朝食も昼食も摂るのを忘れて気付いたら時計は9時をまわっていて
当然お腹が空きだしたんだけど、今日は一度も外に出ていないので髭は剃っていないし、下着一枚だし
髭を剃るのも服を着るのも面倒臭いので夜の街をうろついているような友人たちに片っ端から電話をして
ついでがあったら僕の部屋に晩御飯を持ってきて下さいと頼んだんだけど
 
平日の友人たちは自分の部屋でテレビを見ているか、風呂に入っているか、居留守を使っているのか、
まだ仕事中なのか、食事中なのか、トイレ中なのかよくわからないけど
とにかくみんなに断られて、1人の友人などは怒り出す始末で
まぁ、怒るのも無理ないよなぁ。僕も逆の立場だったら起こるだろうなぁ。
 
というわけでそれでも頑なに外に出たくない僕は宅配ピザに電話をした。
僕はこの宅配ピザを割り合い多く使うんだけど、注文しようと思ったらいつも手元にメニューがないのに気付く。
ピザが来るたびにメニューも一緒に置いていくけど、きっと毎回、何かの拍子で捨ててしまっているのだろう。
 
というわけで今回も「なにかオススメを1つお願いします。できれば1000円以内で」
なんてとんでもなくいい加減な注文をしてしまったのだけど
このピザ屋も僕に負けずいい加減なところがあって以前上に書いたことと同じような注文をしたら
なんとパスタセットが届いたという、キミはピザ屋のプライドというものを持ち合わせていないのか
というような店の方針というか思考というか嗜好に呆れながらパスタセットを食べたことがある。
 
今日は、このピザ屋に「なにかオススメ」を頼んで、「なにかオススメ」が届く間に日記を書いている。
いい加減な本を読んでいい加減な音楽を聴いていい加減なピザを食べて
 
それが全部一緒くたになって
 
案外楽しい1日が終わるのである。
2002年07月15日(月)  無欲。
ゲイの友人と酒を飲みに行った。
 
僕はどう転んだって、どこのナニを磨いたってゲイにはなれそうな気がしないけど、
僕はたまたま付き合っている相手のことを「彼女」と呼んで
友人はたまたま付き合っている相手のことを「彼氏」と呼んで
僕はたまたま飲んでる最中に電話がくる相手が「ヒロミ」とか「ユカ(最近、このコに夢中です)」であって
友人はたまたま飲んでる最中に電話がくる相手が「ケンジ」とか「タカシ」であって
 
要するに、たまたま好きになった相手が男か女のうちのどちらかだったというわけで
結局、単純な2択の問題なんだと思う。世の中にはアダムとイブしかいないわけだしね。
 
友人は「ケンジ」から「今夜お前の部屋に行くよ」なんて電話で言われたみたいで
急にドキドキして落ち着かなくなってトイレに行くときビールを肘に当ててこぼしてしまって
僕は「ユカちゃん(最近、このコに夢中です)」から「今髪乾かしたから遊びに行っていい?」なんて電話で言われて
急にドキドキして落ち着かなくなって店員に注文するとき「生ビールひとつ!」
って言いながら指はピースサインをしているという
なんとまぁ2人とも御茶目。恋をするって素晴らしい!
 
まあ、ゲイの友人も色狂いの僕もこうやって居酒屋で飲んでいたものだから
ありがたいお誘いもあっさり断ってしまったのだけど
ゲイでも色狂いでも結局、同じモノを求めているんだな。と感じました。
 
そういえばこの友人はなかなかの色男で、時々女の子から告白されたりして
本人にすればそれは迷惑な話以外何物でもないのだろうけど
やっぱり僕からすればそれは勿体無い話であって、その友人から常日頃学んでいることは「無欲」の大切さなんです。
 
「無欲」になれば女の子にモテるんですよきっと。そうあってほしいです。
そうあってほしいので僕も無欲になると決めました。
 
家に帰ってからユカちゃん(最近、このコに夢中です)から電話。
「ねぇ、帰ってきたんだったら今から行ってもいいでしょ?」
「いいよ!だけど僕はなんにもしないよ!」
 
それは無欲じゃなくてフライングというんですね。
2002年07月14日(日)  夏に更新頻度が減る理由。
この「歪み冷奴」というサイトの前身は「歪乃瓢駒」という、まぁどっちにしろ変なネーミングのサイトなんだけど
今年の6月でめでたく2周年を迎えました。
 
このサイトは夏になると決まって更新頻度が著しく減退します。
夏に更新頻度が減少する理由は
 
僕が休日のたびに海に出掛けてその薄い水着の奥に潜む小さな貝殻に思いを寄せているとか
陽が沈むたびに夜の街に出掛けてその厚い唇の奥に潜む滑らかな果実に思いを寄せているとか
花火が上がるたびに祭りに出掛けてその淡い紫色の浴衣の奥に潜む艶っぽい左右対称の東京ドームに思いを寄せてるとか
そういうのじゃないんです。
 
小さな貝殻とか滑らかな果実とか艶っぽい東京ドームとかそういうのじゃないんです。
それにしても艶っぽい東京ドームって表現はどうなんでしょうね。
 
この日記にも何回も書いてきたと思うんですけど、
僕のパソコンは独身男性には少し手持ち無沙汰な10畳程の意味なく広いキッチンに置いてあるのです。
往々の独身男性が住むアパートのキッチンがそうであるように、このキッチンにも冷房設備がありません。
あまりの暑さで意味はないけど微かな期待を寄せて換気扇なんて回してみるけどそんな行為は本当に意味がないのです。
 
だから夏になると、パソコンに触れる頻度が激減します。
この事実は、「歪み冷奴」の更新の激減という問題にも直結します。
いや、冬は暖かいんですよここは。
キッチンでね、彼女が作ってくれた肉じゃがなんて暖めてたら心も一緒にすごく暖かくなるんです。
 
だけど今はこうやって意味もなく膝の裏を掻き続けながら
「あ」と「つ」と「い」しか学習されなかった憐れな子供のように
「あついあついあつい」と1人で繰り返し呟いてキーボードを打っている有様です。
 
だから夏になると更新頻度が減退するのはさっき言ったような卑猥な理由の結果じゃないんです。
もっと切実で物理的な要因が僕を襲っているのです。
ちっとも合理的じゃないキッチンと、うだるような暑さと、パソコンがデスクトップだということと
彼女がいないということ。
 
あぁ、だけどまだ彼女はいらないなぁ。これ以上暑くなったらたまらないもの。
恋は身も心も凍てつく冬にしてこそナンボだと思います。
少なくともエアコンがついていないキッチンがあるアパートに住んでいる独身男性はそうあるべきだと思います。
2002年07月13日(土)  虚飾・誠実・雲の切れ間。
キミと何通か交わしたメールを読んでいる。
そのメールには、まだ温もりが残っている。
キミの頭で考えた言葉をキミの指がキーボードを叩いて
それは、しっかりと、温もりのこもった言葉で僕の元へ届く。
 
あの日から、毎日キミのことを考えている。
いつの日かキミのメールには「虚飾にまみれた生活」と書いてあった。
人より少し自己内省が激しいキミの心は
虚飾という方法で身を守り、同時に自分を責め続けていたのだろう。
 
人は誰だって、例外なく、ほら、キミの周囲の人たちだって!
虚飾にまみれているんだ。
自らを着飾って、世間に上目遣いをして――それは同一化といったって過言ではないだろう!――乞いているんだ。
 
キミは、世間ではなく、自分の中を上目遣いにして、
自分を責め続けた。痛々しいほどに。愛惜しいほどに。鞭を打ち続けた。
時に自虐といえるその姿を、ただ人間とは如何に無力であるかということを。
毎日、キミは、そこに、いたはずなのに。
 
そしてキミは、空と地面の接点の中に消えていった。
ねぇ、キミは雲の切れ間から何を見つけたの?
僕はこれから毎日、雲の切れ間を探すだろう。
雲の切れ間に見える、その、何かを探すだろう。
 
キミを探すだろう。
 
 
 
 
キミへ送る温もりをこめたメッセージとして、
この場所を使って、雲の上まで、届くように。
 
御冥福を 祈ります。
2002年07月12日(金)  愛とライフライン。
午前7時50分。出勤前の僕はキッチンと自分の部屋を何度も往復していた。
積み重ねられたTシャツを持ち上げたり、キッチンのテーブルに乗っている雑誌を手に取ってみたり
ソファーの下を覗いてみたり、冷蔵庫を開けてみたりした。
 
腕時計が午前8時を表示した。
僕はいよいよ慌てて、洗濯機を開いたり、ベランダの窓を開けたりしていた。
財布がない。財布を失くした。いや、絶対部屋の中にあるはずだ。
だがもう出勤時間。おまけにタバコは残り2本。缶コーヒーも買えない。カロリーメイトも買えない。
財布がない。もう出勤時間。
 
朝から心に重い鉛のようなものを詰め込んだまま重いハンドルを握って職場へ向かった。
 
午前中は脳味噌の3分の1が注射や点滴や傷の処置の為に使われて
残りの3分の2は部屋で消えた財布の所在について使われた。
とどのつまり仕事どころではなかった。たいした金額は入ってないけど財布が愛惜しかった。
 
今日は仕事が終わってから、
妹が働いている美容院に行って頼まれていたパソコンのメンテナンスをして
それから看護婦さんの家に行ってパソコンのエクセルの操作方法を教えて
その後友人8名が集まる居酒屋に行かなければならない。
 
美容院の店長も看護婦さんも8人の友人も財布を持っているから安心して
不調なパソコンの事を考えることもできるしエクセルの操作に迷うこともできるし
ビールを飲みながらネギ間や砂ずりを頬張ることもできる。
僕は財布がないので、財布のことしか考えられない。
人生のことも家族のことも恋愛のことも考えられない。財布のことしか考えられない。
 
よりによってこんなに予定が重なった日に財布が失くなるなんて。
いっそのこと今日の予定全部断ろうかしら。そもそもお金がないから居酒屋にも行けないじゃないか。
 
そんなことを考えながら午前中の仕事は終わった。
残り2本のタバコのうちの1本は午前中にトイレに座って財布のことを考えながら吸ってしまったので
味なんて覚えていない。残り1本。
 
ライフラインを失った僕は、頭から貨幣という概念を捨てて、この身を愛の為だけに捧げることにした。
なんてねバカどこだよ財布。
2002年07月11日(木)  洞窟。
久し振りに数年前住んでいたアパートの前を通った。
 
1階はいつまでも店舗が入らない無気味な程に広いスペースがあって
2階は学習塾があって時々無邪気な英語の歌が聞こえてきて
3階は暗くて狭い廊下と6畳1間の僕の部屋があった。
 
水道代込みで家賃が21000円と驚く程安いのは、風通しが悪いということと
ベランダの横に浴室があったということと、隣の住人がアル中ということと、
当時の彼女の浪費癖が激しかったという理由があった。
 
3階であの風通しの悪さは特筆すべきものがあった。
ベランダに洗濯物を干しても1日で乾くということは稀だった。
手すりは錆び付いていて、寄り掛かると手すりごと落ちてしまいそうだった。
 
隣の住人は昼間からいつも同じような境遇の人を呼んで酒を飲んでいた。
夜になると、僕の部屋まで匂ってきそうな香水をつけた中年の女性が隣の部屋に着て、
猫の断末魔のような中年独特の――僕はそんなもの知らないけど――喘ぎ声を出していた。
僕はいつもその深夜の断末魔を聞きながら本を読んでいた。
 
僕の向かい側の部屋には、若い妊婦がひっそりと住んでいた。
何かから逃げているということは確実にわかった。
あのアパートは――何かから逃避する――穴場ということに関してはこれ以上ない条件が揃っていたのだ。
 
洞窟のような暗い廊下、その低い天井、その湿気、放棄された子供用の自転車、
首のないマネキン、誰も触れたことのないダンボール。
僕たち(アル中のオヤジと、若い妊婦と、両親から逃げ出した僕)は
その洞窟の中でひっそりと、何かに背を向けて暮らしていた。
 
ある日、隣のアル中のオヤジは忽然と姿を消した。
外からアパートを見上げるとアル中の部屋の窓は開けっ放しだったけど人の気配がしないのは確かだった。
僕は酒を飲みすぎて死んでしまったのかと思い、アパートの大家に電話をしたけど
大家は「死んじゃいないよ」と言っただけでそれ以上のことは教えてくれなかった。
 
それから1月程して、向かいの妊婦の部屋の前に、その妊婦の両親らしい人が現れ
大声でドアの前でその妊婦の名前を呼んでいたが、その妊婦は出てこなくて
その両親は僕の部屋を尋ねて妊婦の所在を知らないかということを尋ねたが
僕は「死んじゃいませんよ」と言って、ドアを閉めた。

2002年07月10日(水)  砂の上の足跡。
昨日、先輩の入籍の話をしたばっかりだが、来月、またもや友人が結婚する。
常日頃からの「広く浅い」付き合いの結果がこういう場面で露呈されるのだ。
 
おかげで僕は来月の始めから1週間程東京に行くつもりだったが、それもキャンセルせざるを得なくなった。
飛行機もホテルの予定も短い夏の休息も「広く浅い」友人の為にキャンセルしたのだ。
 
それにしても僕の周囲の友人達は本当に結婚が早い。
朝起きて仕事に行って仕事が終わって風呂に入ってビールを飲んで流行りのゲームに飽きたらもう、結婚。
いくら奥さんが綺麗だからって、そりゃあ、ないよ。
 
結婚した友人達は「結婚して良かった。子供のためならなんでもできるよ」と言い、
独身の友人達は「まだ早いよねー。そもそも結婚のメリットって何なのよ」と言う。
 
多分、どっちも正論なんだと思う。
エスキモーは灼熱の太陽を知らないし、マウイ島では純白の雪など降らないのだ。
 
僕は今、灼熱の太陽も上がらなくて純白の雪も降らない
ただ広くて、何もなくて、ひどく殺風景な砂丘を歩いている。
時々、下ったり登ったりするけれど、そこは砂丘であることは変わらない。
後ろを振り返ると、僕が歩いてきた足跡が砂の上に残っている。
この足跡はどこから始まって、どこで終わるのかわからないけど、とにかく僕は足跡を残して歩いてきた。
 
こんな殺風景な場所でも時々人と出会うことがある。
その女性は涙を浮かべて、踵の部分が折れてしまったヒールを左手に持って、裸足で歩いていた。
彼女の後ろには彼女の裸足の形をそっくり残した足跡がある。
 
その女性は唇の箸だけをわずかに曲げるような困った笑みを浮かべて僕を見る。
彼女は歩き疲れたのか、ヒールの踵が折れた時に足を傷めたのかわからないけど、少し足を引きずって歩いている。
 
そこはひどく殺風景で、どこまで続いているのかわからない冷たい砂の上で。
 
僕はその女性と手を繋いだ。
歩き疲れてたって足を傷めてたって僕はおんぶなんてしない。
僕の後ろには僕の足跡があって、その女性の後ろにはその女性の足跡がある。
おんぶして、1つの足跡になんてしない。
僕の足跡には少々うんざりしてるけど、キミの足跡は尊重すべきなんだ。
 
僕がおんぶしようと思ったときに、キミが僕の肩に手を掛けたら、
その時には、結婚しよう。
2002年07月09日(火)  作為的な運命について考えてみた。
職場の1つ上の先輩が七夕の日に入籍したという話を聞いて、
いよいよ僕は狼狽して焦燥して、仕事中にも関わらず思い立ったように席を立ち、
白衣を脱いで、鬼気迫る表情でレンタルビデオ店に向かった。
 
七夕に入籍するなんてなんてロマンチック!
まぁ、だけどね、七夕の意味を考えるとね、1年に1回しか心が通いあわないんだよ。
なんてチクリと皮肉ってみたかったが、相手は先輩で、いつもクールに怒るのでそれは控えることにした。
 
だけど僕もそんなロマンチックな事を経験してみたい。恋愛をしてみたい。そしてそれを成就させてみたい。
ロマンチックな出来事を喚起するにはどうしたらいいのだろうか?
答えは簡単。ドラマチックな出逢いをすることだ。だから僕は今こうしてレンタルビデオ店に向かっている。
 
レンタルビデオ店の自動ドアが開くと同時に僕は気持ちを引き締めた。
そしてざっと周囲を見渡す。ドラマチックな出逢いには憂いに満ちた瞳をした女性がよく似合う。
だいたいの見当をつけ、ビデオを探す振りをして憂いに満ちたような女性の横に立つ。
この女性がお目当てのビデオに手を伸ばしたと同時に僕もそのビデオに手を伸ばし
運命的な2人の手はそっと触れ合うことになる。2人の手の先には『タイタニック』が・・・。
 
なんてね。大失敗。憂いに満ちた瞳をした女性は平日昼間のツタヤには興味ないらしい。
僕は颯爽とツタヤを出て、その足で海へと向かう。
 
7月の海。ヒマワリのように目を輝かした女性は今年流行のフリル付きのビキニを着て
大きな浮き袋に乗って、ユラユラと海を漂っている。
ドラマチックな夏の出逢いは今年流行のフリル付きのビキニを着た女性がよく似合う。
とそのとき、突然彼女は手足を激しく動かし出す。何が起きたんだ!
岸に立っていた僕はTシャツを脱いで沖で溺れる女性の救出へ向かう。
足がつった女性を僕が釣るんだ。なんてドラマチック!
 
なんてね。大失敗。7月の海は台風6号上陸前。
今年流行のフリル付きビキニを着ている女性は台風上陸前の海では泳がないらしい。
むしろあまりの波の高さに僕の命まで危険にさらされる始末。
 
作為的なドラマチックって結構難しいんだね。
2002年07月08日(月)  平和の象徴!
そのハトは大きくて立派な翼を持ち、滑らかな流線を描いたくちばしを持ち、
隣の山まで響くような美しい声で鳴き、誰よりも高く、時には雲の上まで飛ぶことができます。
 
そのハトは翼こそ大きくありませんが、くちばしは誰よりも長く鋭敏で、瞳は美しき漆黒で、
隣の山まで誰よりも速く辿り着くことができます。
 
そのハトは孔雀のような七色の尾を持っていて、誰もが魅了されます。
優雅に羽ばたき、華麗に回ります。そして美味しい湧き水の在り処を知っています。
 
そのハトは誰よりも屈強な身体を持っています。
森中の木という木が倒れたあの凄まじい嵐の日も、まるで水浴びをするかのように力強く空を飛んでいました。
 
そのハトは普通です。どこを取っても、誰から見ても、それはハトです。
普遍的で形而的なハトです。ポロッポポロッポ鳴いて神社の境内に意味もなく集まるあの、ハトです。
 
そのハトは、ハトらしからぬ風貌で、パタパタ羽ばたくという形容が似合いません。
むしろノソノソと飛びます。クチバシも頬と見分けがつかないくらい短くて、水浴びだってしたことありません。
みんなにすぐ置いていかれるので――誰も口に出して言わないけれど――嫌われています。
 
そのハトは翼がありません。生まれつきなのか昼寝の最中に野良犬に食べられたのかわからないけれど、翼がありません。
だから飛ぶことができません。ジャンプすることさえままならないのでニワトリにだって馬鹿にされます。
そして毎日月灯りの下で――もちろん月が厚い雲に隠れた夜にだって――声を出さずに涙を流します。
そのハトは翼もないけど、ポロッポポロッポというハトにとっては当然の、その声さえ出せないのです。
 
今夜も月明かりに照らされて優雅に翼を広げるハトを見上げながら声も出さずに泣くのです。
このハトに許されているのは鳴くことではなく、泣くことだけなのです。
 
だけどみんなハトです。一様にハトです。ハトはハトです。
人はそれを平等と呼びます。平等な世の中と呼びます。
同じ権利があって、同じチャンスが巡ってきて、同じ翼を持っていると思い込んでいます。
 
平等である世の中で、憐れなハト達は、ブラウン管越しの暴力や殺戮や報復を眺めているのです。
――ブラウン管越しに映っているあれはカラスだ、と。
 
僕は平等な世の中に生まれて本当に良かったと思っています。
 
大いなる皮肉を込めて。
2002年07月07日(日)  七月七日。
僕はピラミッドでも造っているのだろうか。
と感じるほど体が疲れ果てていて、最後の力を振り絞ってアパートの階段を昇り
202と書いてある僕の部屋のドアを開け、靴を脱いで、脇目も触れず、緑色のソファーへ向かい、
そのまま、歩いているときの延長線上のような姿勢で倒れこむ仕事帰りの午後7時。
 
それは自然な動作で、僕のまぶたは静かに閉じる。
身体が切実に休息を求めている。枯渇した精神が安らぎを求めている。
僕は眠る。ソファーで眠る。2時間眠った。10時に目覚めた。
 
午後10時。異様な蒸し暑さと奇妙な空腹感で目が覚める。
顔を洗って、夕食を買いに行こうと財布と車のキーが乗ったテーブルに伸ばした手がふいに止まった。
テーブルの上に指輪が乗っている。紫色の小さなアメジストが埋め込まれた指輪・・・!!
 
僕はベランダへ向かって走り出した。
 
 
 
 
 
――3年前の2月18日
彼女の誕生日に僕は紫色の小さなアメジストが埋め込まれた指輪と、黄色の小さなクロッカスの花をプレゼントした。
アメジストは彼女の誕生石で、クロッカスは誕生花。まだ、一片の照れも見せずにキザなことができた年頃だった。

彼女はとても喜んで、その場で指輪を薬指にはめて、黄色の花を掲げた。
「ねぇ、クロッカスの花言葉って何ていうか知ってる?」
「いや、知らない」
「『わたしを信じて』」
彼女は僕の目を逸らすことなく喜びに満ちた顔でそう言った。

そして「あなたの7月の誕生日にはルビーの指輪とヒマワリを贈ってあげるね」
といったまま、その年の11月、彼女が乗っていたバスが大雨の中横転した。
10人の乗客の中、7人が助かって、残り3人の中に彼女が含まれていた。
そして僕は僕の誕生日を1人で過ごすことになった――
 
 
 
 
 
僕は身体の疲れも忘れ、勢いよくベランダの窓に手を掛けた。
そして窓を開けたと同時に、何かが――思慮の塊のようなものが――僕の額から後頭部にかけて突き抜けた。
 
『わたしを信じて』
 
『わたしを信じて』
 
裸足のまま、ベランダに降りた。
 
僕はいつも心の中で(いつか彼女に再び出会えますように)と願い続けていた。
 
空を見上げると、天の川がアメジストの粒のように、輝いていた。
2002年07月06日(土)  今年も今年がやってきた。
去年の7月は、今までの人生で5本の指に入るくらいの波乱に満ちた1ヶ月で
 
静かな夜が続いて、初めて会って、海が見える場所で朝日を眺めて、
穏やかな午後を過ごして、やがて夕暮れが訪れて、突如として闇に飲み込まれ、
暗中模索しながら携帯電話を握りしめて、東京に旅立ったという
 
僕意外の人が読んでも何のことだかわからないかもしれないけど、
とにかくいろんな感情が凝縮された1ヶ月だった。
 
あれから1年。
もう、あの午前7時に突如として空から降り注いだスコールのような雨が降ってから1年経つ。
 
3ヶ月経った頃は悪夢だと嘆き
半年過ぎた頃は悲劇だと哀しみ
1年が経過した今はドラマティックだったと遠い目をする。
 
しかし可愛かったなぁ。
今思い出そうとしても、映像に結びつくまでに時間がかかってしまって
しかもその映像の信憑性を考えると多少の疑問が出てくる有様で
あのコの顔は、もはやぼんやりとしたイメージでしか思い出せないけど、
とにかく可愛かったなぁ。
 
初夏の匂いが漂うあの海が見える待合所でガラスを隔てた黒い海を眺めてたキミ。
振り返ると同時にはにかんだような微笑を浮かべたキミ。
小さな顔と、魅力的な瞳と、流れるような鼻と、薄い桜色の唇。耳の形は覚えていない。
 
あれから1年。
片思いをしたり、彼女ができたり、別れたり、不倫をしたり、別れたり
結構刺激的な毎日を送っていたら、もう1年も経ってしまった。
 
あの夏と比べると、今の僕は確実に汚れきってしまったけど、
キミだけは、変わらずに、毎日を過ごしていることを願っています。
最近ね、自分が壊れていくのがわかるんです。
 
今年の夏は、どんな出来事が待っているのかなぁ。
2002年07月05日(金)  敗北の日。
寝る前に洗濯機のタイマーを設定して、目覚める頃には洗濯は終了しているはずだったが
今朝、洗濯機の蓋を開けると、ただ洗剤をまぶしただけの汗臭い洗濯物が昨夜と同じ姿で洗濯槽の中に佇んでいた。
 
思いがけず機械に裏切られたことに落胆し、機械も時々は寝坊するものだなどと
自分なりに解釈しようとしたがどうも納得いかなくて洗濯機の横っ面を蹴った。
 
蹴った振動で目覚めたのか、この全自動洗濯機は、突然、物凄い形相で、顔を真っ赤にして、コンセントをピンと張り巡らせ
まるで僕の下着やTシャツをオレンジかリンゴと思うような勢いで、
そう、ミックスジュースになるんじゃないかという勢いでジューサーの如く回り出して僕を狼狽させた。
 
下着やTシャツなんて替えはいくらでもあるのだが
つい最近買ったアバハウスのポロシャツが入っていたので、それは12800円もする品物で
ポロシャツだけは、助けなくては。
などという使命感に駆り立てられて、もはやジューサーと化した自動洗濯機に僕は果敢にも右手を入れて
憐れなポロシャツを救出しようと試みたが、僕の右腕はあっけなく僕の身体から離れてしまって
洗濯機の渦の中に吸い込まれてしまった。
 
左腕だけになってしまった僕は、ポロシャツを助けることはおろか、右腕を取り返すことはおろか、
ああ、これじゃあ、プレステが、できないや。
なんていうことを考える有様で、昨日「メタルギアソリッド2」というゲームソフトを買ったばかりで
ご多分に漏れず、そのゲームソフトもコントローラーを両手で持って操作するというもので
右手を失った今、僕は6800円はたいて買ったあのゲームソフトを手放してしまわなければいけない。と
かつて右腕が存在した付け根の部分(右肩の少し下の方)から止めどなく流れる
赤い血液をぼんやり眺めながら考えていた。
 
「メタルギアソリッド2!高かったんだぞ!」
もはやアバハウスのポロシャツのことなど忘却の彼方に消えてしまっていて
僕は残った左腕に渾身の力を込めて洗濯槽の中へ突っ込んでみたが、
その左腕もあっけなくもぎ取られる有様で
 
もう、なにも、できなくなっちゃった。
 
という変な悟りを開いたのを最期に、僕は身体ごと洗濯槽に身を投げて
アバハウスのポロシャツやメタルギアソリッド2や汗臭いTシャツや彼女のパンティーと共に
ミックスジュースになる道を選んだ。
2002年07月04日(木)  小さな嘘、大きなバスト。
小さな嘘をついた。
それはシャワーを浴びて一晩寝たら忘れてしまいそうな小さな嘘だったし、
実際僕はたった一晩で――3週間も干していない布団で眠ったとしても――その嘘のことを忘れていた。
 
それはほんの小さな嘘だった。
小さな嘘は、ある時はその場面を乗りきるために使うし、ある時は物事を装飾するために使う。
だけど今回はそんな自分の為ではなく、君の為に嘘をついた。
自意識が先行せずに、敬愛と慈愛と高愛の精神をもって、嘘をついた。
 
それはそれは小さな嘘で、往々の小さな嘘がそうであるように、
この嘘も、太陽が沈み、夜の闇が浸食する頃には消えてしまうはずだった。
しかし、その火種は、生き続けた。
僕の記憶と引き離された場所で――2週間も干していない布団とは別の場所で――
消えない火種は忘却の水面化でマグマと化して、噴煙を上げる日を待っていた。
 
僕の元を離れた小さな嘘は、風に乗って、やがて君の耳に届くことになった。
ファミレスで君はコーヒーカップを心持ち強く置いて、
コップのコーヒーの波のようにひどく不機嫌な口調で言った。
 
「82センチよ」
「ん?」
僕は泥のような色と初めての家庭科実習で作った味噌汁のような味のコーヒーを飲みながら
82センチの意味を考えた。
「90センチなわけないじゃない。バカ」
 
彼女の豊満な(豊満に見えなくもない)バストを友人に誇張して言った小さな嘘が
バレた。
2002年07月03日(水)  馬鹿か僕は。馬鹿か私は。
何が興奮するってね、ふとした拍子にお尻とお尻が触れ合うことが興奮するんですよ。
綺麗なお姉さんにね、「あら、ごめんなさい」なんて言われちゃうと、もう、たまらんのですよ。
お姉さんのお尻の感触を味わった挙句「あら、ごめんなさい」ですよ。
僕にとってそれは突如として舞い降りた幸福なんですよ。寝耳に水的幸福なんですよ。
謝らなくてもいいですよ。こちらが御礼を言いたいくらいですよ。もう一回お願いしますってね。
馬鹿か僕は。
 
上に書いたように、僕は何事も最後は自己批判で終わってしまうのです。馬鹿か僕はってね。
この自己批判で浮き足立った自分を冷静な位置に戻そうとするのです。
自己批判とは精神の微妙なバランスを保つ一種のツールなんです。
 
例えば今日のキミの落ち込み様。
フードバーのテーブルを挟んで気の効いたことを言っても笑ってもくれないし口さえ開いてくれない。
僕はね、どうしたの?何かあったの?なんて野暮な質問はしたくないのです。
相手の引き出しを無理矢理開けるような真似はしたくないのです。
 
だから灰皿の場所を知ってるくせに「灰皿ってどこにあるんだっけ?」とか
曲の名前知ってるくせに「あぁ!この曲知ってる!ほら、この前一緒に聞いたでしょ。なんていう名前だったかなぁ」
なんて子供騙しみたいな話でどうにかしてキミの口を開かせるように努力しているのです。
この涙ぐましい努力!キミは僕の今日の一連の言動が子供騙しとわかっているのなら
僕の微笑ましい努力を理解してほしいよ。
 
キミが頑固なのは誰よりもってわけじゃないけど、まぁ、知ってる方だから
こんな事で心を開かないのはわかっているよ。
キミの心の引出しはね、鍵が掛かってるんじゃなくて、引出しの中で何かが引っ掛かって引き出せない状態なんだよ。
わかるでしょ。そういう経験あるでしょ。
  
自分の引き出しに自分で何かを入れたのに、引き出しを開かせないでいるその何かがわからない。
キミさえわからないから僕にだって当然わからない。
 
僕が思うに、キミは自己批判が激しすぎる面がある。
自分で自分の中の袋小路の追い詰められて、もがき苦しんでるんだ。
僕が思うに、物事はそこまで深刻に考えるべきじゃないんだ。
適度な自己批判と適度な内省と過剰な自信で物事を考えるべきなんだ。
 
馬鹿か私は。程度で留めとけばいいんだ。
2002年07月02日(火)  ――その、いろんなことが――。
この日記であまり性に関する話をしないのは、
僕が性に関して少なからず嫌悪感を抱いているという理由の他に何が挙げられよう。
 
僕は自慰行為というものが大嫌いで、自慰行為の裏に自己嫌悪が潜んでいるのが丸見えで
そんなことするならば夜の街に出て血眼になって
自慰に至らずとも慰めてくれる相手を探せばいいと思っているし、実際今までそうしてきた。
 
幸か不幸か、そういう欲望は数週間に1回かひどい時は数ヶ月に1回というサイクルで巡ってくるので
数週間に1回か数ヶ月に1回、血眼になって徘徊すればいいわけで、
そんな苦労は3ブロック先のコンビニまで歩いていくような事とたいして変わりない。
 
なぜ性に関して嫌悪感を抱いているのかなんて考えてもわからないし
考えたところで猿のように発情するわけではない。
ただ僕は――その、いろんなことが――面倒臭くて逃避しているだけなのかもしれない。
 
最近、彼女ができても数ヶ月もしくは数週間しか関係が続かなくなっているのは
性の不一致という原因も上位に挙げられよう。
彼女のことは好きなんだけど、ただ――その、いろんなことが――面倒臭くて面倒臭くて
すぐ背中を向けて寝てしまうのである。
 
恋人達のセックスレスという問題は、ものすごく深刻な問題で、時にそれは決定的で残酷な結果を導き出す。
セックスレスという事実が発覚したと同時に、もう、ある一種の2人の出口は見えているのだ。
 
この際だから本音も書いてしまうが、僕はセックスで2人の間を埋めることなんて無理だと思っている。
それは幻想だと、それは合理的解釈だと。
この僕の考えが性への逃避だということもわかっている。
それは幻想だと、それは合理的解釈だと。
 
 
 
「接近」と「逃避」の狭間で揺れ動きながら今夜も僕は彼女と身体を重ね合う。
汚れてしまった指で、その純潔なる背中を撫でながら何かを探り出そうとしている。
 
 
 
時計をすぐに買い換える人は飽きっぽい性格だなんてよく言ったもので、
僕もその法則にご多分に漏れずそっくりそのまま当てはまるのだが、
性というかセックスに関して僕が飽きっぽい性格であったならば
 
僕はかなり最低な人間ではないだろうか。
2002年07月01日(月)  ラブストーリーは客観的に。
夜8時からソフトボールの試合で、3打数ノーヒットという不調で6回表に代打で交代させられて
相手チームと戦うことはおろか、ベンチで蚊の大群と戦う有様で
僕と交替した代打がホームランを打って、僕のプライドはずたずたに引き裂かれた。
 
9時半に試合が終わって、10時からの新番組を見るために急いで帰宅する途中友人からの電話。
「今あなたの家の近くで飲んでるからちょっと寄ってよー」
というわけで近所の洋風居酒屋にユニホーム姿のまま来訪。
「なんか汗臭いからシャワー浴びてきてよー」
なんて言われて再び僕のプライドはずたずたに引き裂かれて素直にアパートに戻ってシャワーを浴びる。
 
女友達2名。最近沖縄旅行に行ったらしく、2人とも仄かに日焼けしている。
肩に残る日焼けのラインが僕の中の何かを駆り立てたが
それが何だかわからず思春期の高校生みたいに右往左往する始末。
 
「ねぇねぇ!沖縄ソバって食べたことあるー!?」
「ねぇねぇ!沖縄のステーキ屋でナンパされたんだよー!」
「ねぇねぇ!沖縄ってケンタッキー食べ放題があるんだよ!」
 
マシンガンのように口から発せられる話題は全て食に関するもの。
「僕が汗水流してる間にゴーヤチャンプルを頬張ってたのか」
「ゴーヤチャンプルは食べてないわよ!」
いや、そういう意味で言ったのではなく。
 
で、お土産があるのかと思って、汗臭いと言われてシャワーまで浴びて再び足を運んだというのに
「お土産?ちんすこうなんてもらっても嬉しくないでしょ」
いや、そういう問題じゃないでしょ。
 
散々、沖縄の食に関する話をした挙句、いつの間にか話題は僕の恋愛に関する話へ移行していた。
「私の友達であなたに思いを寄せてる人がいるんだけどイマイチ紹介までに踏み切れないのよねー」
「だって捨てるでしょ」
「うんうん、絶対捨てる」
「捨てないわけないでしょ」
「うんうん、捨てないわけない」
 
狼狽。いや、ちょっと待ってよ。
どうしてこれから始まるであろうラブストーリーをそんな客観的な判断で塞き止めたりするんだよ。
僕はね、恋愛に関してはものすごく真面目なんだよ。
 
「こっちは真面目、こっちは不真面目ってそういう2面性を使い分けてるのがイマイチ信用できないのよ」
 
納得!今日の食事はご馳走するよ!

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