2002年01月31日(木)  茂みの中。
再びワインを交わすときがきた。
 
「もうお待ちしてますよ」
 
待ち合わせのバーに遅れた僕の鼻は外の寒さで真っ赤になっていた。
「とりあえず、ワインを、白で」
 
乾杯をして最初の一杯を味わいもせずに飲み干す。
 
考えてみれば、2人で食事をするのは今夜が初めて。
いつものバーで初めての食事。
テーブルの前には、キミがいる。
向かいあって、トナカイのような鼻をした僕がいる。
 
どうなるのだろう。
2人きりで食事をする意味を考える。
 
ワインは進み、僕は徐々に饒舌になる。
 
僕は僕について、彼女は彼女について話す。
 
――人の行く先にはね、いろんな道があるんだよ。
大きな道がね、ほら、例えばね、このライターとワインのコルクとタバコ。
3人の人がいました。この人たちの行く先にはね、大きな道が見えるんです。
で、このライターはこの大きな道を進んで、このワインのコルクはこっちの大きな道を進んで、
このタバコはね、こっちの方の大きな道に進むんだよ――
 
2杯目のワインを飲み干す。
 
――でね、実はね、道はね、大きな道だけじゃないんだよ。
ほら、こういうとこにね、目に見えないような道があるんだよ。
で、僕はたまたまその道があることに気付いて、その道を選んだんだよ――
 
タバコに火をつける。自分で言ってみたものの、自分でもよく意味がわからなかった。
彼女も、肯いたり顔を傾けたりして聞いていた。
顔を傾けるときは、少し頬を膨らます。きっと彼女の癖なんだろう。
 
――その道ってさ、あなたがたまたま気付いたんじゃなくて、
んー。なんていうんだろ。こう、茂みの中をかきわけて見つけた自分の道なんじゃないかな。
んー。なんていうんだろ。自分で掘り続けてる道っていうか――
 
彼女はニッコリ微笑む。
僕は店を出る時間をもう1時間くらい伸ばそうと思った。
2002年01月30日(水)  大きな橋崩れ巨大な泉枯れる。
大橋巨泉が民主党を辞職した。
議員らしい仕事をしていたか否かわからないけれど、
とにかくもうやってらんねぇという気分になって辞めたらしい。
 
辞職した理由は有事法制に批判的な集会への出席を党執行部から注意されて
「これ以上議員を続けても(有権者)に約束したことを遂行できない」
と言ったそうだが、
 
僕は詳しいことはよくわからないけれど、なんだか大人げないなあ。と思った。
有事法制ってなんだかさっぱりわからないし、
党執行部がどのくらい偉い立場の人達かもしらないけれど、
僕のような、この程度の政治の知識しか持っていない人達から見れば
「注意されたくらいでいじけるなよ」となってしまう。
 
職員室に呼ばれました。
「君は毎日朝礼に出席してないので明日からしっかり出席するように」
「けっ。なんだよ。朝礼ぐらいで。けっ。こんな学校辞めてやるよ」
 
一緒です。ほとんど一緒です。朝礼と有事法制程度の差です。
議員と不良程度の差です。
 
反発すれば目立てると思ってるのでしょう。ほら、新聞にはこんなことも書いてます。
「党の方針に造反し『反対票』を投じ、厳重注意処分を受けた」
反発するなよ。って感じです。
 
だいたいね、海外に住んでるような成金がね、日本のね、将来をね、語る資格はね、
 
おっとっと。愚痴りそうになってしまいました。ふぅ。
違う意味で子供の心を忘れていない人を久し振りに見ました。
みんなに止められて尚更意固地になってたりしてね。
 
最近は7キロ痩せたそうです。そういう形に見えるものでアピールしたって
ダメです。同情なんてしません。現実はもっとシビアです。
現実のシビアさを理解している人に政治を考えて欲しいです。
 
現実はシビアです。給料日前に嘆く人を保障してくれるような法律、
月末貧困対策特別措置法とかだれか採決してくれないかしら。
 
給料日前日の夜に切に思うことでした。
2002年01月29日(火)  行ってみたいなあの国へ(お題提供:池女さん)
19の頃(20の頃だったような気もするけど)、
朝起きて、衝動的に荷物を小さなバッグに詰めて、学校と反対方向の駅へ向かったことがあった。
 
朝起きて、衝動的に「どこか遠くに行こう」と思った。
どうして寝起きでそういうことを考えたのか今でもよくわからないけれど、
それは夢の延長だったのかもしれないし、現実からの逃避行動だったのかもしれない。
 
熊本に行こうと思った。
福岡は少し遠すぎるし、宮崎は少し近すぎるような気がした。
学校を黙って休んだという後ろめたさも手伝って、
衝動的な行動のわりにはいつでも帰ってこれる無難な道を進もうと思った。
 
「敬慕(けいぼ)峠」という駅で降りた。目的があって降りたわけじゃないし、
これから先、目的が見つかるというわけでもない。
「敬慕峠」という名前に惹かれたわけでもなかった。
 
「敬慕峠」からバスに乗った。僕の地元のバスと整理券の取り方が少し違ったので
最初戸惑ったけれど、僕と一緒に乗った義眼のお爺さんが丁寧に教えてくれた。
 
バスの中でその丁寧な義眼のお爺さんと話をした。
幼い頃、斗米(とまい)岬で友達と昼寝をしていたら、ヒックル鳥に片目をつつかれた話。
満州で戦争中、弾が無くなって、最後に義眼を詰めて発砲した話。
この路線のバスは一日に2回しか運行しないという話。
 
どれが役に立って、どれが役に立たない話かわからなかったけれど、
僕はこのお爺さんの片目を食べてしまったヒックル鳥のことがとても気になった。
 
その夜は神切橋(かみきりはし)という、石造りの小さな橋のすぐ近くにある安宿に泊まった。
明日は学校の試験の日だったような気もするけど、ヒックル鳥に比べたら、
それは小さな問題だった。
 
翌朝、宿のお婆さんにヒックル鳥について聞いてみた。
お婆さんは一瞬、おもむろに嫌な顔をしたが、すぐに穏やかな表情に戻り
斗米岬に住んでいるヒックル鳥について話をしてくれた。
 
その話の最後に「私の娘も片目を食べられてしまってね」と言った。
 
僕はお婆さんの最後の言葉に、怖地気ついてしまって、斗米岬には行かなかったのだけど、
あれから数年経って、今でもヒックル鳥は誰かの片目を食べているのだろうか。と思うときがある。
 
今、斗米岬に行ったら、僕の片目も、ヒックル鳥は食べてくれるのだろうか。
と思うときがある。
2002年01月28日(月)  ドナドナド〜ナド〜ナァ 子牛を乗せて〜
○月 ※日 月曜日 
今日は学校で先生から注意がありました。
「学校の校章が入ったノート以外は使わないように」
僕は学校の校章が入ったノートを持っていません。
僕はこの前、とても悪いことをしたので、お小遣いが減りました。
校章入りのノートは学校の売店でしか売っていません。
学校の売店で売ってるものはとても高いです。
僕はお小遣いが少ないので、校章入りのノートは買えません。どうしよう。
 
○月 ※日 火曜日
今日は学校の先生が友達のお父さんお母さんたちから怒られていました。
校章入りのノートじゃなくてもいいじゃないか。と言っていました。
怒られた先生は困っていました。
いつも怒っている先生が今日は怒られていて、なんだか面白かったでした。
 
○月 ※日 水曜日
先生は昨日、いっぱい怒られていたのに、今日はまた偉そうにしていました。
やっぱり校章入りのノートじゃないとダメだ。と言われました。
お母さんもお父さんもノートは買ってあげないと言いました。
僕は昨日、アイスクリームとチョコレートを買ったので、もうお小遣いがありません。
学校の売店で売ってる校章入りのノートはとても高いです。どうしよう。
 
○月 ※日 木曜日
今日はとってもいいことを考えつきました。
僕の持っているノートに、自分で校章を書いてみました。
とてもよく書けたので先生にもバレないと思います。
僕はとても頭がいいと思いました。
これからずっと高い売店で校章入りノートを買わなくてもいいと思いました。
 
○月 ※日 金曜日
僕のつくった校章入りノートはとてもよくできていたので、
友達のユウジくんにもリョウイチくんにも分けてあげました。
 
○月 ※日 月曜日
今日は先生に怒られました。自分で校章を書いたことがバレてしまいました。
僕のノートもユウジくんとリョウイチくんにあげたノートも取り上げられてしまいました。
お父さんにこのことを言うと「お前が悪い」と言われました。
お父さんはあんなに先生に怒ってたのに、おかしいと思いました。
 
○月 ※日 火曜日
僕はお小遣いもないし、ノートも持っていないので、これからずっと勉強ができなくなりました。
 
○ ● 登場人物 ● ○
 
・学校の先生 ―― 行政(政治家)
・お父さんお母さん ―― 一般市民
・校章入りノート ―― 牛肉
・僕 ―― 雪印
2002年01月27日(日)  衝動的鍋。
休日。午後起床。電話。
  
「ねぇ〜なにしてんのぉ〜」
 
ジャイアンだ。間違えた。友人だ。どうやら友人も休日の時間を持て余しているらしい。
 
「今からビデオ返して、コンビニで昼ご飯買いにいこうとしてる」
「じゃあヒマなの?」
「忙しくはない」
「おっ、あいつもヒマだってさ!(ヤッター!!)」
 
受話器の向こうからもう1人の声が聞こえる。スネオだ。間違えた。もう1人の友人だ。
 
暇だから遊ぶ。というわけではない。
遊ぶから暇じゃなくなる。と考えるのだよ僕。
 
暇だから遊ぶ。という考えは、自己中心的な考え方。
遊ぶから暇じゃなくなるという考えは、思考の出発点に、先ず環境が存在するのです。
 
思考の出発点に、自分の都合から考え出すか、周囲の状況から考え出すかによって、
その後の行動も随分違ってくる。
 
昼は外食したので、夜は僕の家で何か買って食べようという話になったので、
弁当を買いに行く。弁当屋まであと数メートル。
 
「ナベ!!!」
 
突然友人が思い出したように叫ぶ。
「は!?」
「ナベ!!!」
「はぁ?」
「鍋しようよ!」
 
女心と冬の空。
もう1人の友人も安易に同意する。
「ナーベ!ナーベ!ナーベ!ナーベ!」
車の中で連呼する25歳独身女性2名。
 
近所のスーパーで買物をする。
衝動的な気分変動と、突発的な決断力を持っている友人達だが、
いざキッチンの前に立つと要領のいいこといいこと。
あっという間に鍋の完成。
 
ご飯はまだ炊けてないけど、待ちきれずに「いっただっきま〜す!」の挨拶。
5分後「ねぇ〜ご飯まだぁ〜?」
「ちょっと待っててね」暖房の効いていないキッチンへ行く僕。
「あと15分だって」
 
「おいしいね」
「おいしいね」
 
5分後「ねぇ〜ご飯まだぁ〜?」
「ちょっと待っててね」床がとても冷たいキッチンへ行く僕。
「あと10分だって」
 
「おいしいね」
「おいしいね」
 
5分後「ねぇ〜ご飯まだぁ〜?」
「ちょっと待っててね。っていうか自分で見に行けよ!」
「えぇ〜だって寒いしぃ〜」
「ちくしょう」暗い中、炊飯器の湯気を頼りにキッチンへ行く僕。
「あと5分だってさ。っていうか肉ばっか食うなよ!」
 
「おいしいね」
「おいしいね。キャベツ鍋」
 
僕の豚肉は、ご飯が炊き上がる頃には、鍋の中から消えていた。
2002年01月26日(土)  耳を傾ける。 真似をする。
昨夜は友人4人と食事に行った。
 
たいていこの4人が集まると、僕は1人怒られ続けることになる。
4対1の様相の中で、僕が全うな――僕的に全とうな――意見を述べても
それは全て却下される。
 
それは、間違えてるわよ。
 
何度僕はこの言葉を聞いたことか。
僕の考えは、彼女達にとって、ほとんどが間違えているらしい。
何度も間違いを指摘されていると、
なんだか本当に僕の考えは間違えてるんじゃないか。と思えてくる。
 
だから彼女達の意見に真剣に耳を傾ける。     真似をする。
 
どこかで譲れない部分がある僕の内的世界。
それはそれはいびつで歪んだものなんだろうと自分でも思う。
 
だけど、この勝手知れたる友人達と話をするのはとても楽しい。
話すよりは話されるほうが楽しいし、怒るよりは怒られるほうが楽しい。
 
2件目の店で、今日の反省と友人達への敬意を込めて
「僕がおごってやるよ」
歓喜する友人達。お金で相手の気持ちを操作するなんて、卑怯者です。
 
しかし、レジの前で女性4人に囲まれて
――彼女達数名はヒールをはいているので僕より背丈が高い――
1人財布を開く男という光景は、なんだかひどく惨めな感じがした。
 
「綺麗どころと食事できるんだから、ねぇ」「ね〜ぇ」
友人達が僕の後ろで声を揃えて言う。
そんなこと言わなくて怒らなくて友人じゃなかったらみんな綺麗なんだけど、
 
僕達はみんな、もう10年以上の付き合いなのだ。
これだけ長く付き合えるのも不思議な感じがするけど、
怒られ続けるのも不思議な話です。
 
「借りは、いつか、返せ」
 
と帰りの車の中で聞こえるか聞こえないか程度の声で呟いたら、一斉に叩かれた。
彼女達の前では、一生「男」にはなれないと思った。
2002年01月25日(金)  音の無い日常。
休日。
数週間前、キッチンの床を張り替えてもらって、その時に業者の人が
「キッチンもお風呂も古くなっているので今度取替えますね」
と言っていて、今日が工事の日だった。
 
午前9時。業者の人が来る。30分もしないうちにキッチンと風呂が新しくなった。
なんだかひどく簡単に工事が終わってしまったので拍子抜けした。
 
コーヒーでも煎れようとしたが、あっさりと断られて、そのまま帰ってしまった。
 
午後。洗濯物も干してしまって小説も読み終わってしまったので、
顔を洗って外へ出る。
ビデオとCDを借りて、小説を3冊買う。
 
部屋に戻り、早速ビデオを見る。
そのあと借りてきた3枚のCDをCD−Rに焼く。
CD−Rに焼いている間に、今日買った小説を読む。
 
パソコンチェアに座り、両足はキッチンのテーブルの上に乗せた格好で
2時間ほど小説を読み続ける。
不自然な格好のおかげでお尻を痛める。
 
痔を患っているような人のようにお尻をかばいながらトイレへ行く。
トイレから出て、部屋に戻り、今度は正座をして小説の続きを読む。
 
そうしている間に、友人との待ち合わせの時間になる。
 
今日は、典型的な日記を書いてみました。
2002年01月24日(木)  欠如Sy。
夜勤明け。午後1時帰宅。
 
2時に昔の彼女が来て、3時に帰った。「また来年ね」と言って帰った。
昔の彼女は遠い所に住んでいるので、滅多に帰って来れない。
「また来年ね」という言葉は、おそらく真実だろう。
 
午後3時。1人寂しくプレステで遊ぶ。26歳プレステで遊ぶ夜勤明け。
空腹だけど、外に出るのは億劫なので我慢する。
 
プレステに飽きた午後4時。ソファーに横になる。そのまま就寝。
コンポもテレビもストーブもつけたまま就寝。ドアの鍵も開けたまま就寝。
 
友人が来る。何時に来たかわからない。
「靴箱を2つ、持っていかれた」
と、僕はしきりに繰り返していたらしい。
 
友人は呆れて(というか怖くなって)帰ってしまったらしい。
夜に電話がきて、このことを教えてくれた。
僕の家に靴箱は1つしかないのに、どうして2つ持っていかれたと言ったのか僕にもわからない。
 
「あなたの深層心理に靴箱への執着があるのよ、きっと」
と友人は言うけれども、ぜんぜん意味がわからない。
そりゃあ、深層心理という便利な言葉で片付けてしまえばどうにでもなるのだけど。
 
午後10時起床。つけっぱなしのテレビからゾマホンがしきりに沖縄がどうだこうだと訴えていた。
空腹だけど、外に出るのは億劫なので我慢する。
 
電話。
「あなた明日のこと憶えてるでしょうね」
「もちろん憶えてるよ」
忘れてた。
 
友人4人と食事に行く約束。今度の旅行の計画を立てる。
「で、明日の店予約したの?」
「まだしてない」
「じゃあ、僕が予約しとくよ」
時には僕も男らしさを見せなければいけない。
店を予約して男らしさをアピールしようとする考え自体男らしくないけど。
 
明日食事をする友人4人は、みんな女性なんだけど、
僕はいつも端っこで大人しく座っているので、こういう時くらいしか男らしさを発揮できない。
決定権は全て友人が握っている。僕は物事を決定する能力が少し欠けている。
 
「明日7時に予約したいのですが」
「申し訳ありません。明日の予約は埋まっております」
 
少し欠けている。
2002年01月23日(水)  卸し立ての白衣を着ながら書く日記。
「今年でいくつ?」
と尋ねられて、平然と
「26」
と応えたけれど、あれっ?と思って、もう一度考え直してみたけれど、
やっぱり僕は今年で26だった。
 
不思議でした。
 
終わり。
 
なんてね。よーく考えてみたら、おかしいぞ。
本当に僕は今年で26歳なんだろうか。
 
髭も濃くなったし、夜遊びもあまりしなくなったし、危ない賭けもしなくなったので、
外見的には26歳なんだろうけど、なんか違う。
 
思い出してみよ。高校3年生。夢と希望と性欲に満ちていた高校3年生。
酒を覚え煙草を覚え女を覚え勉学を忘れた高校3年生。
あの頃、僕が抱いていたイメージを。26歳のイメージを。
 
絶対違う。今の僕は高校3年生の頃の僕が抱いていた26歳のイメージとは絶対違う。
 
朝寝坊もするし、フィギアが趣味だし、結婚もしてないし、彼女もいないし、
プレステ朝までやってるし、外は寒いし、車は代車だし、今夜は夜勤だし!
 
さて、今夜はナースステーションの小さなノートパソコンでこの日記を書いています。
文章が支離滅裂なのは、1行書いてはカルテを書いて1行書いては巡視に行ってという具合だからです。
 
今日の日記は、今の自分の年齢は必ずしも昔抱いていたイメージと重なるものではない。
ということです。
26にもなって、こうやって「なにやってるの」と看護婦さんに聞かれて
「勉強してるんです」と言いつつ、日記を書いているとは思いもしなかったし、
 
終わり。
 
今日は、仕事が忙しいのです。みなさんおやすみなさい。
僕の夜はまだ始まったばかりです。朝日が登るまで僕の夜は続くのです。
 
嗚呼、1月の空気の肌寒さよ!
2002年01月22日(火)  今年のテーマ決定。
昨夜は友人達が来て、同棲の話や結婚の話や来月の旅行の話などをしていたけれど、
真面目に話したのは旅行の話だけで、同棲と結婚の話は否定もせず肯定もせず
あやふやに話を流した。
 
といっても旅行の話の最中にどうしてもホテルの名前が思い出せなくて、
そのままシャワーを浴びに行ったので、結局、旅行の話も中途半端で終わってしまったのだけど。
 
時計が10時をまわり、いつものように、なんだかよくわからない罵声を浴びせられて
友人達は帰ったのだけど、僕が寝ようとした午前0時30分。
ソファーの横に友人の車の鍵を見つけた。ソファーの上に友人のマフラーを見つけた。
 
友人2人は同じ車で来たので、1人の友人は車の鍵を忘れたことを気付かなかったのだ。
マフラーは気付いていいと思った。普通、ソファーの上に置いたマフラーは忘れない。
 
この日記は、この忘れんぼうの友人も見ているはずなので、今後気を付けてほしいです。
 
というわけで寝る前に友人に電話する。
「明日、仕事に行く途中に持って行くから」
 
       ・・・チュンチュン・・・オォーケコッコォー・・・
 
朝7時。いつもより30分早く起床。
かなり遠回りをして友人宅へ向かう。
 
「今着いたよ」
「あぁありがとう。玄関にまわって」
 
玄関が開く。髪がボサボサですっぴんの友人が立っている。
「ありがとう。ごめんね。今から仕事?」
「当たり前だろ」
「ケケケケケケケ」
寝起きだからかもしれないけど、友人は変な声で笑うので、僕は早々に友人宅を後にした。
 
職場へ向かう。なんだか車が臭い。なんだかというか確実に臭い。
ほのかな排泄物の匂いがする。足元を見る。
 
犬の糞を踏んでいた。犬の糞を踏んでいた。
 
この寒空の朝に初めて太陽の光を浴びたできたてほやほやの犬の排泄物を踏んだ。
僕の車(といってもまだ代車なんだけど)のアクセルとクラッチに
鮮やかな茶色の物体が付着して、それが強烈な臭いを発していた。
 
善行をして、見かえりを求めちゃいけないことぐらいわかっているけど、
早起きして善行をした挙句、犬の糞を踏んでこれから仕事という事実には耐えられなかった。
 
今年のテーマは「不条理」です。
2002年01月21日(月)  意志。
絶え間なく過ぎていく日常の中で、僕の「意志」とは何か、と考える。
 
自分の意志で、何をしているだろうか。
 
例えば、朝起きて、仕事に向かう。この毎日繰り返される行動の中に、
僕の意志は存在するのだろうか。
 
答えはNO。
 
目覚ましを止めることも、歯を磨くことも、髭を剃ることも、ゴミを出すことも、
全て僕の意志じゃない。
 
それは「純粋」な意志ではない。
「必要に迫られた」意志なのだ。「強迫された」意志なのだ。
 
目覚ましを止めなければいけない。歯を磨かなければいけない。
髭を剃らなければいけない。ゴミを出さなければいけない。
 
仕事に行かなければいけない。
 
その昔、純粋であったろうそれぞれの意志は、日々の繰り返しによって
鈍磨され、合理化され、習慣化される。
 
毎日毎日が形式化され、僕らはそれに身を委ねて安定を得ようとする。
 
僕の「純粋」な意志は何処へ行った?
 
美味しいものを美味しく感じなくなってからどれくらい経つ?
必要に迫られて食事をするようになったのはいつからだろう?
空腹という生理的反応を埋めるために食事をするようになったのはいつからだろう?
 
「純粋」な意志にだけ、喜びが隠されているというのに。
「純粋」な意志に基づいた結果を得られるからこそ人生は楽しいというのに。
 
綺麗な花を見て綺麗と感じたい。
美味しい物を美味しく感じたまま食べてみたい。
素敵な人を見て素敵だと感じたい。
 
僕の行動の全てが――食欲やら性欲やら睡眠やら自尊心やら愛やら――
僕を取り巻くあらゆるものの全てが、
 
必要に迫られた意志に基づいていたら!
 
僕の生きている価値とは何なんだろう。
 
君を素直に愛せるかしら。
2002年01月20日(日)  呪い。
キスをしていたら突然強く噛まれて、下唇を数ミリ切ってしまった。
 
「呪いをかけたの」
 
彼女は勝ち誇ったような顔で言う。
日曜日の午後の小さなソファーの上。
お金のない僕たちはキス以外に何もすることがなかった。
 
出血した下唇が小さく腫れあがる。
 
「口紅してるみたい」
 
彼女は無邪気に笑う。
僕は下唇と、強く吸い付けられた首筋を気にしながら交互に鏡を見る。
 
日曜日の午後はそのまま日曜日の夜になった。
 
彼女の顔が近くにあった。
 
僕は彼女のまつ毛にそっと触れる。
僕が触れると同時に彼女のまつ毛は数回、瞬きをする。
 
僕は女性のまつ毛に触れることが好きで、いつもこうやって退屈なときは、
まつ毛を触って、その反応を楽しむ。
 
まつ毛に触れると、必ず、瞬きをする。
この単純な反応が好きだ。この行動には誰も抗することができない。
誰もが、必ず、瞬きをする。
 
彼女の、今まで絶対的な「瞬き」が、僕の指によって、相対的になり、形而的になる。
僕が彼女の「瞬き」を支配する。絶対的な概念を僕の指で覆す。
 
「もう、なにやってんのよ」
 
彼女が顔を背けて言う。
 
「呪いをかけたの」
 
僕は勝ち誇ったような顔で言う。
日曜日の夜の小さなソファーの上。
2002年01月19日(土)  不条理に襲いかかる不幸について。
首の痛みは我慢できるけど、赤いシートでクマのプリントはどうしても我慢できないので、
とうとう車の修理工場へ電話をした。
 
「代車を変えてもらいたいのですが・・・」
「はぁ、少々お待ち下さい。他に車あったかなぁ・・・」
 
5分ほど待つ。この5分間が僕の平穏な心に怒りを呼んだ。
 
大雨の中、仕事開始10分前に突然車をぶつけられて、気の小さい保険屋に言いくるめられて
小さい車を渡されて、それで我慢して下さいと言われて、
あぁ、我慢しようかな。と考えて、慣れないミッション車でヒヤヒヤしながら坂道発進して、
友人が見ると笑われて、職場に行くと、やっぱり笑われる。
おまけに首がいつまでも痛い。
 
なんだか僕は、不条理な不幸に襲われているということを、
この5分間の待ち時間でようやく気付いた。
 
「申し訳ありません。ちょっと、代車の空きがないようで・・・」
「どういうことですか!」
 
もう、修理工場の事情まで考える余地はなかった。
僕の頭の中の余地という余地が、空白という空白が、全て怒りで埋め尽くされた。
 
「わかりました。じゃあ、急ぎの用事がありますので、あと3日で修理を仕上げて下さい」
僕は不条理な条件を突きつける。
不条理な不幸には不条理な行動で対処するのだ。
合理的に考えることが、馬鹿らしいことだって、ある。
 
「あと3日はちょっと無理です。わかりました。どうにかして代車を探してみます」
 
5分後、電話が鳴る。「代車が見つかりました」
修理工場は「どうにかして」5分で代車を見つけたのだ。快挙である。
「それでは準備しときますので、あとで取りに来て下さい」
不条理はいつまでも続く。僕の怒りは増すばかり。
「持ってきて下さい」
僕は電話を切る。
 
1時間後、修理工場の人が代車を持ってくる。
AMラジオもろくに聞けない小さなクマ車ともようやく別れを迎える時がきた。
今度の代車は、僕は車について詳しくないのでよくわからないけれど、
パンチパーマで初詣に行くと、容易に世間の注目を浴びれそうな車。
 
少し、というかかなり僕のイメージとはかけ離れているけど、
真っ赤なシートでクマのプリントよりは、我慢できる範疇は少し広がる。
 
不必要に広い運転席に座る。
不必要に多いスイッチにたちまち混乱する。
窓を開けると後ろの座席の窓が開くし、暖房もろくにつけることができない。
 
僕の不条理な不幸はいつまでも続く。
2002年01月18日(金)  厭厭厭。
「ねぇ、私、なんか変わったでしょ」
 
久々に会う友人が言う。なんだかここ数日、外食ばかりしている。
毎日違う人と、毎日同じ物を食べている。
 
僕は一体、何をしているんだろう。何がしたいのだろう。
 
7歳も年上の艶やかな女性。
衝撃的な告白をした女性。
過去を償い続ける昔の彼女。
そして数ヶ月振りに会う友人。
 
場所はいつも一緒。店の中央に大きな水槽が佇む、このバー。
最近は、ワインをウェイトレスに選んでもらう。
今日は、赤がいいと思います。
今日は、白と料理が会うと思います。
 
僕にしてみれば、どっちだって一緒だ。
僕は一体、何をしているんだろう。何処へ向かおうとしているのだろう。
 
首が、痛い。
周りの人に言うと、心配するので、黙っている。
 
僕の車に衝突した女性は、高校生の子供が2人いるらしい。
それを聞いたとき、首のことは、黙っておこうと思った。
親は不甲斐ないところを、見せたらいけない。
高校生の子供に見下ろされるようになっては、いけない。
 
首の痛みと引き換えに、親という威厳を保たせようと思った。
僕は、僕の人生だから。
相手の女性は、そのひと本人だけの人生じゃないから。亭主がいて子供がいる。
僕にはまだ、何にもない。多分、このまま何も生まれないと思う。
 
「ねぇってば!聞いてるの?私、何か変わったでしょ!気付かないの?」
 
友人はパスタを口に運んでは、そのことばかり言う。
何が変わったかなんて全くわからない。久し振りに会うから、わからないのかもしれない。
だけど、少し、鼻が高くなったような気がする。
 
「そう!よく気付いてくれたわね!私整形したの!
鼻の筋がキレイに通ってるでしょ!ってバッカじゃない?そんなわけないでしょ!」
 
そんなわけないよなぁ。わからない。本当にわからない。
だけど、少し、目が大きくなったような気がする。
 
「そう!よく気付いてくれたわね!二重まぶたをね!ってもういいわよ!もういい!バカ!」
 
友人は本気で怒ってしまった。僕は本気で困ってしまった。
 
友人を家まで送るとき、ようやく口を開いた。
「今日、あなたと久し振りに会うから髪切ってパーマかけたのよ」
 
ほとほと自分が厭になった。
2002年01月17日(木)  10分遅れの指輪。
3日前、数年振りに再会した僕たちは、どちらからともなく、食事の約束をした。
 
午後8時。あの頃と同じ待ち合わせ場所。
彼女は待ち合わせの時間より、毎回10分は遅れて来た。
そして今日も、ちょうど10分遅れて罪悪感のない笑顔でやってきた。
 
「化粧で遅れちゃったの」
 
理由もあの頃とまったく同じだった。
 
数年振りの食事。あの頃、すっかり冷めきっていた僕達は、会話という概念を失っていた。
相手の行動を見て、それに怒り、憎んだ。
空を見ると毎日曇っていた。海を見ると毎日荒れていた。地面を見ると毎日濡れていた。
 
「あの頃、言えなかったことを、隠していたことを、話をしよう」
 
僕はワインを傾けて、彼女もワインを傾けて(あの頃は2人ともワインなんて飲めなかった)
そう言った。
それは、何処へも辿り着くことのできない提案だった。
 
テーブルをはさんで、目の前にいる彼女の(僕の知らない)僕たちの物語。
小さな料理をはさんで、目の前にいる僕の(彼女の知らない)僕たちの物語。
 
2人とも正直にあの頃の秘密にしていた出来事を打ち明けた。
それは、双方少なからずショックを受けることになった。
悲しい提案。もう何処へも辿り着くことはできないのに。
 
あの頃、彼女は1度、浮気をして、僕は2人の女性と関係を持った。
僕は彼女が浮気をしていたことが意外で、彼女は僕がショックと感じたことよりも、
数倍傷ついたようだった。
 
彼女は涙をこらえていた。今、涙が流れたところで、僕たちは何処へも行けない。
全ては終わったこと。もう何処へも行けない。
 
「その、指輪、どうして外さないの?」
僕は、問い掛ける。あの時、一緒に買った指輪。
「あなたこそ、どうして外さないの?」
彼女は、問い掛ける。あの時、一緒に買った指輪。
 
「私が指輪を外さないわけは・・・アナタへの償い」
「僕が指輪を外さないわけは・・・キミへの償い」
 
2人とも、もう何年も、お互いを償いつづけていた。
 
「ねぇ、今でも、愛してる?」
 
彼女が言う。
 
僕たちの償いは、これからもずっと、達成されないことをわかっていながら。
2002年01月16日(水)  雨、煙、真っ赤なシート。
それは突然の出来事だった。
 
突然雨が降り出した。ワイパーを全開にしないと視界が保たれなかった。
雨の日は車の中でブラックミュージックを流す。
車内でしんなりと今から始まる仕事に向けて心の準備をする。
 
雨は降り続けていた。そして職場まであの10メートルだった。
 
職場に右折しようとする車が先頭にいて、4・5台の車の列ができていた。
車内ではアリーヤの「Rock The Boat」が流れていた。
右手のタバコが、薄い霧を作っていた。
 
視界を失った。世界が揺れた。
スローモーションで動く車内の中で、アリーヤのCDジャケットが宙を舞うのが見えた。
一瞬の出来事だった。
 
後ろを振り返った。僕の車から白い煙が上がっているのが見えた。
タバコの煙じゃなかった。
白い煙の向こう側から見える白い車のフロントガラスのを隔てて女性の顔が見えた。
 
職場まで10メートル。車に追突された午前8時20分。
「ケガはありませんか」
女性が僕に駆け寄る。ケガよりも遅刻が決定されたことが痛かった。
 
警察を呼んで事務的な(非情緒的な)やりとりをする。
平謝りする女性。気の小さそうな保険屋。面倒臭そうな警察。
 
「いいんです」雨は降り続ける。僕たちは濡れ続ける。
「ちょっと待ってて下さい」僕は走り出す。10メートル先の職場へ走る。
 
「すいません、ちょっとそこで車ぶつけられたから、午前中休み下さい」と看護婦さんに言う。
「はいはい」看護婦さんはなんでもなさそうに言う。ちっとも信じちゃいない。
「じゃ、お願いしますね、あぁ首が痛いよぅ」
と真実味を増すために言ってはみたものの、忙しそうな看護婦さんはまた
「はいはい」と言ってどこかへ言ってしまった。
 
「台車を手配しましたから、少々お待ち下さい」気の小さそうな保険屋が言う。
 
雨の中、30分程待つ。もう警察は帰っていた。警察の仕事は終わったのだ。
「あとは保険屋さんとお願いしますね」と何回も言っていた。
雨が降っていて、雨宿りするところもなかったので、多分、面倒臭かったのだろう。
 
30分後、赤面してしまいそうな可愛らしいクマがプリントされた真っ赤なシートの軽自動車が届く。
 
「これで我慢して下さいね」保険屋が申し訳なさそうに言う。
 
これで我慢できたらこれからの人生で起こる様々な辛い出来事も乗り越えていけそうな気がした。
2002年01月15日(火)  告白/宣言。
昨日は昔の彼女が突然現れて僕のど肝を抜いたが、
夜はある女性とシックなバーでコースを食べながらディナーをした。
 
時は絶え間なく流れているのだ。
振り返っても、解決されることと解決されないことがある。
僕達はお互い、昔の残影を探し合ったけど、
結局最後に見つけたのは「虚しさ」と「空しさ」いわゆる「虚空」であった。
 
あれから、もう何年も経っているのだ。
君はまた遠い所へ帰ってしまうし、僕は夜に君と違う女性と食事をする。
 
2人きりで食事をするのは初めて。
僕は何かを思い悩んでいた口調で食事に誘われた。
 
そして、その予感は当たった。
それは、衝撃の告白だった。天と地がひっくり返るような、
実は地球は四角の形をしていたような、ニワトリが大空へ羽ばたくような、
醤油の容器の中からトンコツソースが出てきたような、
 
それはそれは衝撃的な悩みの告白だった。告白というか宣言であった。
 
僕は本当にその時飲んでいたワインを吹き出しそうになったほどだ。
僕は平然を装おうとする為に、そのワインを一気に飲み干して、
「あっ、そうなんだ」
と言った。声が裏返っていた。
 
今までいろんな悩みを人から聞いてきたけど、
今日の悩みが一番強烈だった。助言も方向性を与えることも難しかった。
僕は結局、話を聞きながらワインを一本空けることしかできなかった。
 
そのバーのカウンターで何時間も語り合った。ワイン1本じゃ足りなかった。
全然酔えなかったし、悩みを告白して、なんだかすっきりしているような女性を見て、
まだ帰ろうとは思わなかった。
 
時計が0時をまわった。
「店を変えようか」
 
後輩から電話がきた。
「今、飲んでます!先輩も来て下さい!女性と一緒!?関係ないっっス!!」
 
僕はこの後輩と今日の昼に食事をしたばかりだったけど、
話の雰囲気を変えるために、今夜は二つ返事でOKした。
 
10分後、待ち合わせのバーに到着。
 
後輩は、新成人でもないのに、
 
妙な色のネクタイをして、赤いシャツのスーツを着ていた。
 
世の中がとても明るく見えた。
2002年01月14日(月)  成人――式。
夜勤明け。部屋に帰り、溜まった洗濯物にうんざりして、
ソファーに横になって、そのまま眠ってしまった。
 
・・・ノックの音。
つけっぱなしのテレビからアンパンマンが笑っている。2時間くらい寝ただろうか。
ノックの音は、静かな心臓の拍動のように、定期的に、そして申し訳なさそうにドアを叩きつづけている。
 
「誰?」
僕は自分の声じゃないような沈んだ寝ぼけた声で言う。
 
ドアの向こうからの返事はない。ドアの曇りガラス越しに見える女性らしき姿。
 
――仕事帰り、町を歩く晴れ着姿を見ながら、あぁ、今日は成人の日なんだ。
と考えていた。もう、6年も前の話。僕は成人の日の同窓会に出席できなかった。
当時の彼女の束縛が激しくて、毎日、一挙手一投足を監視されていた。
 
「あなたは私のモノ。同級生のモノじゃないの」
 
そういえば、そんな時もあったなぁ。と昔を思い出しながら
晴れ着姿を横目に疲れた身体で部屋に戻った。そして、ソファーに横になった――
 
そして、ノックが鳴った。
 
僕はドアを開けた。信じられなかった。昔の彼女が立っていた。
6年前の今日、僕の存在を1人で所持していた女性が立っていた。
もう、此処にいるはずのない女性。遠い遠い所へ行ってしまった女性。
非通知設定で電話をかける女性。住所のない手紙を送る女性。
 
左手には、僕と同じ形の、あの時の、指輪。
 
「ちょっと実家に帰ってきて、近くに来たから、寄ってみたの」
 
僕は彼女を部屋に招いた。そして
2002年01月13日(日)  たんす貯金と歪チンゲール(お題提供:aiyaさん)
学生の頃は、やれ看護の基本だ、やれ奉仕の精神だと、
無理矢理、高尚な考えを詰め込まれていたような気がするけど、
現場に出て何年か経って、
 
学生の頃、朝8時30分から夕方4時まで黒板に向かったり、
実習室でダッチワイフのような人形に話し掛けたりしていたことは、
果たしてどの程度役に立っていたのかなあ、と思うことがある。
 
実際、僕は学校嫌いだったので、朝8時30分に学校に行くことはまずなかったし、
ダッチワイフのような人形には艶っぽい格好をさせて、
ナイチンゲ―ルの化身のような先生にいつまでも粘着的に怒られたりしていたのだけど。
 
そういうことを抜きにしてでも――そういうことが重要だったのかもしれないけど――
学校で学んだ看護は、今の僕のどういう部分に糧となって生きているのだろうかと思うときがある。
 
いくら同じクラスの優等生が「理想的な看護とはこういうべきである云々!」
と壇上で叫んでいたとしても、僕はいつも「そうですかそれは結構」と
いつまでも窓の外のツバメやらスズメやらトンボやらを眺めていた。
 
なんだか、こういうのは、少し違う。と思っていた。
 
優等生と劣等性の違いこそあるにすれ――それって決定的な違いなんだけど――
それはどう転んでも同じ年という事実には逆らえないわけで、
所詮、ハタチ前後の人間の人間性の成熟度の差異なんて
アマガエルとヒキガエルの差くらいしかないのだ。
 
看護とは知識や技術ではなく、人間性の成熟度である。
 
「これはね、私はね、学校ではね、云々だと学びました」
なんていつまでも一般社会へ学校のあるかないかの権威を振りかざしている人がいるけど、
どう転んでもハタチ前後の人間の考えなんて、知識に頼らざるを得ないわけで、
 
ベテラン看護婦には、勝てないと思う。柿は熟してこそ美味しいのだ。
 
「ちょっと待ってね、えっと・・・これはたしか学校で習ったのよね。そうそうテストにも出たのよ」
「それはね、こういうことよ」
 
知識を遠いところへしまうより、身近なところから素早く引き出す。
ベテラン看護婦と僕達のような青い看護婦とは、ここが違うのだ。
 
銀行に預けた通帳からしか確認できない知識と、
日常に密接したタンスから素早く引き出す知識。
 
しかし僕達はまだ、たんす貯金の素晴らしさ、大切さを気付くことはできない。
2002年01月12日(土)  道化の道。
高校の同級生と数ヶ月振りに合コンに行った。
3対3という小規模な合コン。しかも友人2人遅刻。
1人は1時間、もう1人は1時間30分遅刻した。
 
初対面の女性3人と、1人で話をしなければいけない状況。
 
僕はどちらかというと、話を持ち掛けるタイプではないので、
コンパなどでもあまり積極的に話をしないのだけど、
男1人と女3人という状況で、
無口な男1人と気遣う女3人という図式ができあがってしまったら後々まずくなってしまうので、
ここは意を決して、自分のテンションを上げることにした。
こういうキャラは、嫌いなんだけど。
 
一度キャラを固めた僕は、もう、ポジティブポジティブ。
つまらない雑学を大袈裟に表現したり、つまらない話を大袈裟に表現したり、
美味しい料理を大袈裟に表現したりで、
 
あ、大袈裟にしてると、ポジティブって簡単じゃん。
 
などと妙な悟りを開いたりして、ただひたすら遅刻している友人を待っていた。
1時間後、まず1人目の友人が到着。
 
「遅れちゃって、ごめん」
 
It's Cool!!
 
かなり落ち着いた口調で話す友人。むむ。今日はそっちのキャラでいくのか。
僕はこのまま道化師になれというのか。
おい、もうちょっとテンション上げろよ。上げろよ。・・・上げてよ。お願いだから。
 
1時間半後、もう1人の友人が到着。
 
「ごめん。仕事のせいに、したくないんだけど」
 
It's Cool too!!
 
こいつも今日はこの線で行くのか。むむむ。遅刻は、作戦だったのか?
そりゃあ、最後に登場するのは格好いいよ。
 
クールな2人と道化師1人。こいつらとは今度反省会決定。
 
相手の女性はそれなりに楽しそう。
 
「yさんってお喋りなんですね」
 
いや、お喋りじゃないから。
2002年01月11日(金)  妥協と洗練。
「ねぇ、色気のある人と、可愛らしい人、どっちが好き?」
 
いつものバーのカウンター。彼女はセミロングの髪がカウンターに届くくらいに
うつむいて、僕と視線を合わさずにそういった。
年上の女性。僕より7歳も歳が違う。友人達よりも7年分違う色気がある。
 
グラスをなでる仕草や、なだめるように話す口調が、僕のペースを狂わせ、
彼女の世界へ飲み込まれていく。
 
「う・・・ん・・・そりゃあ、色気のある人じゃないかな」
 
僕は、精一杯悩む振りをして言う。初めから答えは決まっていたのだけど。
7歳年上の女性に可愛らしい人の方が好みですなんて言えない。
実は、どっちかというと可愛らしい女性の方が好みなんだけど、
ここで自分の考えを素直に表したところで得られるものなんて何もない。
 
突然、この女性に食事を誘われた。
理由はよくわからないけれど――よくわからない振りをしてるだけなんだけど――
本当に青天の霹靂の如く、食事に誘われたのだ。
 
「色気のある人が好みなんて考えは今のうちよ」
 
彼女は予想を覆すようなことを言った。
僕は狼狽する。見透かされたような気さえする。
 
「まぁ、この二択はちょっときつかったかもね」
 
彼女は、1人納得したような口調でそう言う。
そう、この二択はちょっときつかったのだ。
 
人は二択で分けられないんじゃないかな。色気のある人、可愛らしい人。
気の長い人、短い人。綺麗好きな人、そうでない人。料理が上手い人、掃除が上手い人。
お喋りな人、寡黙な人。髪の長い人、短い人。
 
この世に存在する様々な二択。二択だけじゃ真実なんて語ることはできない。
要するに、色気のある人でも髪が短かったら好みじゃないとか。
綺麗好きだけどお喋りな人は好みじゃないとか。
 
人は様々な二択の組み合わせで、人を、自分の好みというカテゴリーに当てはめる。
色気があって、気が長くて、綺麗好きで、料理が上手くて、寡黙な人で、髪が短い人。
という具合に。
 
その中で、妥協できることは妥協して、許せないものはより洗練される。
 
僕は、妥協することが多いと思う。
人と合わせるってことは、要するに、自分を妥協することなんだと思う。
 
いや、貴女には妥協なんてしてないよ。より洗練されてます。
2002年01月10日(木)  刺さってなんぼ。
昨日、僕は「つくね」の言葉と存在が納得いかない。と書いたら、
「どうして歪さんはつくねが嫌いなのですか?」という内容のメールが何通か届いたので、
前にも書いたような気がするけど、書いてないような気もするので、そして書くこともないので、
今日は僕が「つくね」を嫌う理由について。
 
・・・いや、ね、実はメールは2通しか届いてないけど。
 
というわけで僕は「つくね」が嫌いだ。
口に入れると鼻をつまんで食べないと飲み込めないというわけではない。
存在が嫌いなのだ。なんだか許せない。
 
君は肉だんごの分際でなぜ串に刺さっているの?ねぇ?答えてみなさいよ!
 
つくねはこの青年は何を言っているんだ?と言わんばかりの表情で僕に話し掛ける。
「僕はスーパーに売ってる3パック400円のお弁当用ミートボールとはわけが違うんだよ。
手作りだし、何よりも串に刺さっている」
僕はネギ間を頬張りながら(ネギ間は串に刺さっていないと成り立たない)つくねに話し掛ける。
「だから、どうして君が串に刺さっているんだよ」
つくねは呆れた表情をして問いただすような口調で僕に話し掛ける。
「ふふふ。串はね、特別なんだよ。ステータスなんだよ」
 
ほらみろ。これだ。ほらみろ。
つくねは「串」を一種のステータスだと思っている。いや、違う。これは僕達にも言えることかもしれない。
僕達は「串」を特別なものだと思っている。
どうしてかはわからないけれど、串に刺さっているものは美味しそうに感じてしまう。
 
時々、祭りの売店でお好み焼きを串に刺して売ってたりするけど、
あれだって立派な「特別」に感じる食べ物だ。
祭りという特別な場所に串に刺さっているお好み焼きを見たら、子供達は買わないわけにはいかない。
だってお好み焼きがだよ!串に刺さっているんだよ!
 
串には人を魅了する不思議な魔力が込められている。
僕はその魔力に便乗して能々と串に刺さって我が物顔をしているつくねが気に入らないのだ。
 
僕はニヤリと含み笑いを浮かべて、つくねに刺さっているステータスを抜いてやった。
「なにするんだよ!」
3つのつくね達は口を揃えてそう叫んだが、
串を失ったつくねはただの3つの肉だんごとなり、冷たい皿の上で、誰からも注目されず、
冷たくなっていった。
 
ところで、
 
あなたはどんな串を持っていますか。
2002年01月09日(水)  家庭を持つことについて。
世の中には、僕とどうも相性の悪い「言葉」というものがある。
その「言葉」自体には罪も悪意もないのだけど、
僕はどうも気に入らない。仲良くなれない。
 
「ツンツルテン」
この言葉は方言かもしれないけど、僕はこの言葉が嫌いだ。
ズボンの裾が短すぎるとき、もしくは裾上げに失敗したときに「ツンツルテンになった」
と言うのだけど、その短すぎるズボンを眺めて、どう「ツンツルテン」なのかわからない。
 
絶えず笑顔を振りまいている人を見て「あの人、ニコニコしてるね」と言う。
だってニコニコしてるもの。
絶えず眉間に皺を寄せて貧乏揺すりしている人を見て「あの人、イライラしてるね」と言う。
だってイライラしてるもの。
絶えずズボンの裾が短すぎる人を見て「あの人、ツンツルテンだね」と言う。
しかしツンツルテンしてない。
 
「ツンツルテン」という言葉を聞くと、なんだかふさわしくない形容詞を与えられたみたいで、
ひどく惨めな気持ちになる。
ツンツルテンの人に同情するのではなく、ツンツルテンという言葉に嘆くのだ。
 
他にも相性が悪い(というか納得いかない)言葉がいくつかある。
 
「つくね」
僕は「つくね」という存在自体も納得いかなくて(串に刺さっている意味がわからない)、
あまり食べないのだけど、「つくね」という言葉も納得いかない。
「たこ焼き」という言葉を聞けば、たこ焼きを食べたことない人でも、なんとなくイメージが湧く。
しかし「つくね」はイメージのつけようがない。「つくね?なんですかそれ?どこの地名ですか?」
じゃあ「お好み焼き」はどうなんだ?と言われると、これはしょうがない。
僕は「つくね」という言葉だけが嫌いなのだ。要するに偏見。言葉の偏見。
 
「フレンチクルーラー」
これはミスタードーナツでも売っているドーナツだけど、僕はこれも許せない。
「フレンチ」は百歩譲ってOKだとして、「クルーラー」はわからない。なんだ「クルーラー」って。
なんだか掃除道具みたいです。クイックルワイパーの弟分みたいです。
細かく言うと、語尾を「ラー」と伸ばすのが気に入らない。
「フレンチクルーラ」だったら日頃の僕のちっぽけな寛大さでも受け止められるだろう。
しかし語尾を「ラー」と伸ばしたことによって、あっという間に僕は不機嫌です。
 
こんな僕もいつかは家庭を持つのかなぁ。
2002年01月08日(火)  変化を楽しもう!(新しいチーズの味を楽しもう!)
突然、「爪切り」が壊れた。
 
爪切りなんて2つも3つもストックがある物じゃないので、
今夜の爪切りは右足の3本の伸びたままの爪を残したまま、やむを得ず中断。
 
少し前に話題になった「チーズはどこへ消えた?」という本に、
「つねにチーズの匂いをかいでみること そうすれば古くなったのに気がつく」
という言葉がある。
要するに「変化」を常に予期しなければならないということ。
あの本は、気軽に読めるし、なるほどと頷くところも沢山あったけど、
さすがに(もしかしたら爪切りが壊れちゃうかもしれない)とまでは考えていなかった。
 
いちいち細かい事象まで変化するかもしれない。すぐに適応できるようにしなければいけない。
とまでは考えない。
日常生活で爪切りのことを考える時間なんて1週間で数分あればいいほうだ。
 
こうやって3本だけ爪の伸びたままの右足を見ると、
地震や火災が起こったあとの屋内の様子を見ているみたいだ。
 
爪の伸びた中指が貯金通帳。薬指が大事な書類。小指が財布。
もし、変化に備えていたら、変化を予期していたら、
僕の爪はきれいさっぱり切れていた。
予期していなかったから、通帳と書類と財布は燃えてしまった。
 
備えあれば憂いなし。
 
今夜、壊れた爪切りから学んだことでした。
 
そういえば、僕はずっとこの言葉を「備えあればうれしいな」だと思っていた。
まぁ、どうでもいいことだけど。
2002年01月07日(月)  宿命的関係。
昨夜は職場の先輩や後輩と飲みに行った。
看護婦さん曰く「葉っぱ隊新年会」
忘年会で葉っぱ隊を踊ってから、僕達は総称されて「葉っぱ隊」と呼ばれるようになった。
 
何か失敗すると「どうせ葉っぱ隊だから」
何か成功すると「葉っぱ隊やるねぇ」
夜勤の日は「今日は葉っぱ隊と夜勤かぁ」
 
僕達は、「葉っぱ隊」ひとくくりにされ、個性というものを末梢されてしまった。
 
さて、話は変わるが、仮に「ボケ」タイプの人と「ツッコミ」タイプの人がいるならば、
僕は確実に「ボケ」タイプの人間である。
まぁ、そんなことどっちでもいいんだけど、昨夜の葉っぱ隊新年会の席である後輩から
「もうみんなで先輩(僕のこと)にツッコミを入れないようにしよう」
という話が出た。
「俺、先輩にツッコミ入れるのに疲れたんです。みんなも疲れるでしょ?」
と後輩が3杯目のビールを持ちながらそう言う。
 
なにも僕は後輩達にツッコミを入れてくれと頼んではいないし、望んでもいない。
後輩が勝手にツッコミを入れているだけだ。
「そうですか。じゃあ、そうすればいいんじゃない」
僕はなんでもなさそうに2杯目のビールを飲みながら言った。ボケとツッコミの宿命的な関係を知りながら。
 
「そうします!絶対ツッコミません!関係ないっっス!」
後輩が意気込む。
僕は余裕の表情で居酒屋のメニューを眺める。
「ねぇ、このゲリってなんだろうね」
「ゲソだから!」
すかさず後輩ツッコミを入れる。舌の根も乾かぬうちに。
そういうのはね、宿命的なんだよ。
  
話は変わるが、店を出るとき、もう1人の後輩が、
「先輩、そういえばさっきまで国生さゆりが来てましたよ。綺麗でした」
と言った。僕は驚いて店員にも聞いてみた。確かにカウンターで食事をしていたらしい。
 
僕達がボケとツッコミがどうのこうのと下らない話をしていたその後ろのカウンターで
国生さゆりが食事をしていたのだ。
 
おい、後輩、そういうのは先に言えよ。
2002年01月06日(日)  シロアリはどこへ消える?(失敗作)
今まで気づかなかったことを今気付いた!
 
いや、既に気付いていたかもしれなかったけど、
それについて考えないようにしていたのかもしれない。
 
この日記でも度々書いている「人を愛することについて」
年末にもこのことについて書いたけれど、
あれは基本的なことから間違えている。
 
土台を手抜きすると、欠陥住宅が完成するのだ。
僕は今までそれはそれは立派な欠陥住宅に住んでいた。
台風も地震も難なく乗り越えた。運が良かったんだね。うん。運が良かった。
だけど、ふとした日に床下を覗いてみた。
今の僕のアパートのキッチンみたいに大きな穴を開けて懐中電気片手に覗いてみた。
 
すると・・・!!
 
という具合である。土台がボロボロだったのだ。雨水やシロアリに侵された僕の家の土台は、
目を当てられない状況になっていた。
 
今年は「人を愛すること」について基礎から学び直しましょう。
 
僕は今まで自ら勧んで人を愛したことなんてなかった。
綺麗な人を見ると、あぁ、綺麗だなぁ。と思うけれど、それだけ。
それから先を考えようとしない。付き合いたいとか、彼氏いるんだろうかとか。
告白されると、好きでもないのにOKする。そして大抵付き合っているうちに大好きになる。
 
これが当たり前だと思っていた。こういう心理過程は僕にとって当然だと思っていた。
 
去年、初めて告白をしてみたけれど、あっさりと、断られてしまったので、
あぁ、こういうものなんだ。と僕もあっさり納得してしまったりして、
そういう間にもシロアリは絶えず僕の家の土台を蝕い続けていた。
 
じゃあ、積極的に行動すればいいんだろうか?
ん〜これもちょっと違うような気がする。
 
この件について、昨日寝る前に考えて、それなりの結論が出たんだけど、
一晩明けたら忘れちゃった。
 
ん〜〜〜〜。ま、いいや。今日の日記は失敗。
2002年01月05日(土)  穴があったら埋めてやりたい。
新年最初の休日。朝8時、ドアを強くノックする音で目覚める。
「おはようございます。○○建設です」
元気な声のお兄さんが2人。僕は頭ボサボサでしかめ面。
昨日の水漏れの原因を調べに来たらしい。
 
「ちょっとキッチンの床を調べさせて下さい」
「どうぞどうぞ」
 
と言って、僕は部屋に戻り、再び布団の中に入った。休日の朝8時に目覚めるなんて馬鹿らしい。
 
バキッ!バキバキッ!ゴゴッ!ガガガガガッ!ボコッ!カキーン!バキッ!
尋常じゃない音で目覚める。慌ててキッチンへ行く。
元気な声のお兄さん2人が、それぞれ大くて鋭利な刃物と大きくて物騒なのこぎりを持って、
キッチンの床に人1人入るくらいの大きな穴を開けていた。
 
「・・・・・」
僕は呆気に取られる。ちょっと調べさせて下さい。と言ったのに、なんだか大掛かりな仕事になっている。
ちょっとキッチンに大きな穴を開けさせて下さい。と言っていたら僕も納得できたのに。
 
「あ、すいません、ちょっと浴室も調べさせて下さい」
「どうぞどうぞ」
 
バキッ!バキバキッ!ゴゴッ!ガガガガガッ!ボコッ!カキーン!バキッ!
予想した通りである。
 
いつの間にか工事の人が6人くらいに増えていて、
「○※×□がちょっと詰まってて△×±◇※を取り替えなくちゃいけない」
など、僕にはさっぱりわからない会話を交わしている。
その頃には、僕はもう眠れなくなっていたので、仕方なくキッチンに座り、工事の行く末を見守っていた。
 
「この穴・・・どうするんですか?」
さすがに僕も心配になってきたので、一番気の良さそうなお兄さんに話し掛ける。
「あ、来週、キッチンの床と浴室のタイル張り替えますので」
あ、来週ですか。ってことはこの床の穴はこのまんまですか?
「そういうことになりますね」
そういうことになりますね。って。
 
というわけで
 
新年最初の休日に僕の部屋のキッチンと浴室には大きな穴が開きました。
2002年01月04日(金)  水を得た魚のように。
昼休みに入る前、僕あてに電話が来た。
「また女の子だよ〜。今度は何をやらかしたのかなぁ〜」
看護婦さんがニヤニヤしながら受話器を渡す。
 
何もやらかしてないから堂々と胸を張って受話器を取ればいいんだけど、
僕は先天的に気が小さいので、
僕の知らないところで、僕の知ってる人が、僕に関係のあることで、トラブルを起こしたんだ。
などと考えてビクビクするのである。
 
「明けましておめでとうございます。○○不動産です」
不動産屋のおばちゃんだった。まぁ、そりゃあ、女性だけど。
しかし、職場に電話がくるって珍しい。家賃も滞納したことないし。
どうしたのですか?
 
「あなたの部屋の下の会社(僕の住んでるアパートは1階が店舗になっている)
から、屋根から水漏れがするって電話がきたのよ。で、水道出しっぱなしじゃないかしらと思って」
え。ということは、僕の部屋が水浸しってことですか?
「そういうことかもね」
そういうことかもね。って。
 
昼休みの時間になり、僕は飛ぶようにアパートに帰る。
不動産屋のおばちゃんの「そういうことかもね」という言葉が頭の中でリブラートする。
しかし水道出しっぱなしにして部屋を出たなんて記憶がない。
 
だけど僕は先天的に気が小さいので、
僕の記憶に、残っていないだけで、今朝はちょっぴり、寝坊しちゃったから、
慌てて、歯磨きしたとき、水道の蛇口をひねったまま、部屋を出たのかもしれない。
などと考えてビクビクするのである。
今頃、僕の部屋は、水槽のようになっていて、冷凍庫の魚も、解凍されて、
元気よく、ソファーの上あたりを、泳いでいるんだ。
などと、もう、よくわからない被害妄想まで出てくる始末である。
 
15分後、部屋に到着。慌ててドアの鍵を開ける。
 
 
いつもと変わらない部屋。
 
 
蛇口もひねっていないし、水浸しでもない。もちろん魚も冷凍庫で凍ったまま。
 
これだけ焦って心配して昼休みに飛ぶように家に帰ってきたのだから、
ちょっとくらいは水漏れしててほしかったなぁ。
2002年01月03日(木)  静かな日々。望んだ日々。
「寒いねぇ」「寒いですねぇ」
 
夜勤明けの朝。僕と看護婦さんは今日もまた誰も来ない受付の玄関をホウキで掃いていた。
「あなた、正月一度も休まなかったわねぇ」
看護婦さんが白い息を吐きながらそう言う。
 
「いいんです。僕は」
と僕はうつむきながら言う。なにがどう「いいんです」なのかわからないけれど。
 
今年は、努めてそうしたせいか、とても静かな正月を送ることができた。
夜更かしするでもなし、飲みすぎるわけでもなし、知らない人と一夜を過ごすわけでもなし。
 
どういうことか、正月に飲みにでかけると、いろんな知らない人と仲良くなれる。
いつになくおめでたい日なのだからしょうがないけど、
正月は「袖触れ合うも多少の縁」が「多大な縁」と変化するらしく、
今年は、なんだか、この調子で、いいことが、ありそうだ!
と変な勘違いをしたりして、一緒に飲んでいた女の子といかがわしい建物で休憩をしたりするのである。
 
今年は仕事の関係上という名目で――それはただの言い訳なんだけど――
飲みに行くことはなかったが、もし、今年も新年に飲みに行ってたら、
過去を顧みずに、そんなことを繰り返してたかなぁ。と思ったりする。
 
「で、いつ休むの?」
看護婦さんが塵取りを構えてそう言う。
「5日に休みます」
僕はその塵取りにゴミを入れながら言う。
「どっか行くの?」
看護婦さんが塵取りの中に入ったゴミを眺めながらそう言う。
「はい。コンビニに弁当買いに行きます」
僕は塵取りに入りそこなった細かいゴミをホウキで再び散らしながらそう言う。
2002年01月02日(水)  宝くじで得られる夢。
「暇ですねぇ」「そうだねぇ」
 
1月2日。僕は今日も看護婦さんと外来受付に座っていた。
今日は窓から雪が見える。
休診の外来はとても静かで、雪が地面を撫でる音まで聞こえてきそうだった。
 
「宝くじ・・・買った?」
雪をぼんやり眺めていると、看護婦さんが話しかけてきた。
「いや・・・買って・・・ません」
2人とも言葉が途切れ途切れになるのは、時間がゆっくり流れているからだ。
1月2日の休診の外来では、切羽詰まった表情で早口で話す必要なんてない。
窓から見える雪のように、ゆっくりと右へ左へ揺れながら話をすればいいのだ。
 
「そう・・・つまんないわね」
宝くじを買う人が楽しいとは限らない。
僕は宝くじを買わなくたって大きな夢ぐらいは持っている。
「で・・・どうでした?」
窓からは雪が降っていて、テレビからは大学生がタンクトップ1枚で走っていた。
 
「ふん。全部ハズレ。300円がたったの3枚」
そう・・・つまんないわね。と言おうと思ったけど、さすがに雪の日に雷が落ちるとたまらないので、
腹の中でぷっと笑って「残念でしたね」とだけ言った。
 
「ほら、こんなに買ったのに」
看護婦さんはロッカーから9000円分の宝くじを持ってきた。
9000円支払って900円の還元。
「10%還元じゃないですか」
予想してたけど、やっぱり怒られた。
「300円1枚でも当たったら嬉しいものなのよ。宝くじって」
 
人は宝くじで「夢を買う」と言う。決して叶うことのない夢を。
そりゃ、何百万人に1人や2人は夢が叶うかもしれない。
だけど何百万人分の1の夢なんて叶わない夢と同じだ。
 
0.00001%の夢を求めて10%の300円にちょっぴり喜ぶ。
 
まぁ、人生ってそんなものかもしれないね。
2002年01月01日(火)  一年の刑は元旦にあり。
1月1日、外来勤務。本日休診。事務員正月休み。
僕は同じく外来勤務の看護婦さんと2人で外来受付で虚空を眺めていた。
 
「暇ですねぇ」「そうだねぇ」
「元旦ですもんねぇ」「元旦だもんねぇ」
 
話も続かない。仕事もない。ただただ虚空を眺め続ける。
先月まで病棟勤務をしていた僕にとって、この無意味な時間は辛い。
受付の音量を小さく絞ったテレビから「新春初笑い」が聞こえてくる。
 
まるで世の中の流れと逆らうかのように、受付の時間はゆっくり流れていく。
小さな鏡餅をのぞいて、この受付からは正月らしい風景は見えない。
 
「さて」
僕は何かを決意したかのように大きく息をすってそう言う。
そして何もしない。意味を失った「さて」という言葉は、僕の頭を旋廻しつづける。
 
さて、元旦。
 
本当に新しい一年が始まってしまったのだろうか。
「郵便で〜す」
郵便が届く。広辞林よりも厚い年賀状の束が届く。病院へ届く年賀状はこんなにも多いものなのか。
 
さて、年賀状。
 
機械で印刷された「本年もよろしくお願い致します」の文字をいくつも眺めながら、年賀状の仕分けをする。
「今年もどうぞよろしく」「旧年中はたいへん・・・」「今後ともどうぞ・・・」
「新しい年を迎え・・・」「新しい年が皆様に・・・」「心よりお祈り・・・」
 
・・・。
 
年が明けたからどうしたっていうんだ!
 
と叫びたい衝動にかられる。正月に立腹しているのではない。
この、なんというか、機械的な、無個性な、右に習え的な、とりあえず的な
新年の挨拶にげっそりとして立腹してしまいそうだった。
 
もっと、心と心が通じ合うような文章を書けばいいのにね。
手書きで「本年もよろしくお願いします」とかじゃ駄目です。返って駄目です。
せっかく50円払って年賀ハガキ買うんだから、もっと心を込めなきゃ。
50円に込める心。そういうものが美しいと思うんだけどね。
 
もっとも僕は、ここ数年、年賀ハガキは一通も書いたことないんだけど。
こうやって、自分のことは棚に上げて人の揚げ足ばっかりとってるような人が
一番たちが悪かったりするんだけどね。頑張れ僕。
 
というわけで、新年の目標。一年の計は元旦にあり。
「人を愛すること」は却下。なんだか面倒臭そうなので来年の目標にします。
 
「誠実に生きる」どうですか。駄目ですか。駄目だろうね。

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