2002年02月28日(木)  木曜日。曇り。取り壊し工事。
休日。生憎の天気だったけど、朝起きて、洗濯をして、ベランダに干した。
向かいの建物の取り壊し工事が始まっているので、ひどくうるさい。
 
キッチンの時計が壊れていて、ここ最近、いつも3時55分を指している。
僕は学習能力が欠如しているのかこの時計を見るたびに
「もう3時55分?」
「まだ3時55分?」
などといちいち反応してしまう。
 
部屋のデジタル時計を見る。AM10:15。
今日は、何も予定がない。
 
シンクに溜まった皿を洗って、キッチンの掃除をする。
テーブルの真ん中に一輪挿しの花瓶を置く。
花の名前はわからない。数日前、母親が買ってきた小さな花。
小さくて、我を出さず、控えめに、うなだれて咲くピンクの花。
 
コーヒーを煎れて、その小さな花をぼんやり眺めていた。
 
指輪をなくした。
 
僕の右手にいつも、我を出さず、控えめに佇んでいた小さな指輪。
過去を償う指輪。
祝福されず、感歎されず、ただ呪われ、悔やむだけの指輪。
 
一時も離さずに、僕の指に埋まっていた指輪。
何年も外さなかったから、僕の体に一体化していた。
その指輪が、いつのまにかなくなっていた。
 
裸になった右手の薬指を眺める。
 
「・・・終わったのかなあ」
 
静かなキッチンで呟く。
あの指輪は、なくなったんじゃなくて、本当に僕の体と一体化したのかもしれない。
 
静かな休日の木曜日。
キッチンには僕と小さな花。
小さくて、我を出さず、控えめに、うなだれて咲く花。
小さくて、我を出さず、控えめに、うなだれて呟く僕。
 
いつだって、不可抗力だ。
何かのきっかけで、すぐ蘇える。前へ進むとすぐ何かが足にまとわりつく。
 
だけど、指輪が消えたことは事実。
1つのきっかけを失ったことは真実。
 
午後から彼女を食事に誘おう。
2002年02月27日(水)  力を込めて。
「ねぇ、ギューッとして」
彼女は僕の胸の中でそう言った。
呟くように。確かめるように。小さく力を込めて。
 
周囲の人はどうなのかわからないけれど、
僕が今まで付き合ってきた女性は、その期間の差はあれど、
ある時期になると、必ずこのセリフを口にする。
 
それはある種のシグナル。ある種の警告。
 
僕は彼女の背中に腕を回し、力を込める。
「・・・ん」
胸の中で彼女は安堵の溜息を漏らす。
 
「ねぇ、ギューッとして」
僕はこの言葉の意味がわかっている。
それは、僕の存在を確かめようとしているのだ。
 
僕の心が離れていきそうなとき(僕は離れているとは思わないけれど)
僕の存在を確かめるために、直接的な刺激を求めようとする。
僕が、力を込めて、僕の胸に(心に)近づけようとする。
 
だけど僕は、そうやって彼女を力強く抱いているとき、
誰か、僕じゃない誰かが、彼女を抱いている気がする。
僕の腕が僕のものじゃないような気がする。
僕の彼女が僕のものじゃないような気がする。
 
僕の腕から、体から、心から、魂が抜けていくような感覚に陥る。
 
僕の背中に絡まった彼女の細い腕だけが
僕を、ここに、繋ぎ止めようとする。
 
抱きしめている彼女の肩越しに僕は空虚を見つめている。
目を凝らしてみると、
夜の窓に彼女の後ろ姿と僕の顔が映っている。
 
夜の窓に映った僕の顔を見つめる。
夜の窓に映った僕の顔は空虚を見つめていた。
2002年02月26日(火)  ホワイトアスパラデー。
「好きな食べ物ってなに?」
と、たまたま同じ時期に彼女と看護婦さんと栄養士さんに聞かれて、
「ホワイトアスパラが好き」
と一様に答えていたら、全く同じ日に、
看護婦さんからホワイトアスパラの缶詰を2本もらい、
栄養士さんは昼休みにホワイトアスパラのサラダを作って持ってきてくれて、
彼女が作った夕食には生ハムに包んだホワイトアスパラのサラダがついていた。
 
例えば僕が
「フレッシュトリュフと新ジャガイモのパセリ風味が好き」
と答えていたら
おそらく看護婦さんは缶詰を買おうなんて思わないだろうし
栄養士さんは朝早く起きてサラダなんて作らないだろうし
彼女は僕のことを今のようには愛してくれないだろう。
  
例えば僕が
「ハンバーグが好き」
と答えていたら
おそらく彼女は、夕食にハンバーグを作ってくれたとしても
看護婦さんと栄養士さんは作ってくれないだろう。
  
今回は、僕が
「ホワイトアスパラが好き」
と答えたから、看護婦さんも栄養士さんも彼女も一様に反応したのだろう。
ホワイトアスパラ自体に、なんだか不思議な力があるのかもしれない。
それとも2月26日は「ホワイトアスパラデー」なのかもしれない。
 
きっとそうだ。今日は「ホワイトアスパラデー」なのだ。
常日頃、気が小さくて色が白くて軟弱な男性に、
それと一緒の性質を持ったホワイトアスパラを贈るのだ。
なんたる皮肉。なんたる侮辱。なんたる訓戒。
 
だけど僕は、そんな皮肉も侮辱も訓戒も気にしない。
僕自身さえも覚えていない何気ない言葉を覚えていてくれたことが嬉しいのだ。
 
ありがとう看護婦さん。ありがとう栄養士さん。ありがとう優しいキミ。
僕は気が小さくて色が白くて軟弱な男かもしれないけど、
これからもいっぱい陽の光を浴びて、栄養を取って
 
いつかきっと芯まで硬い緑色のアスパラガスになってみせるよ。
2002年02月25日(月)  母親。
久し振りに部屋に母が来た。
カレーを作ってくれてキッチンのテーブルで一緒に食べた。
久し振りに手作りのカレーを食べた。当たり前だけど母の味がした。
 
もう僕は年頃の少年ではないので、母と買い物に行っても
恥かしいなんて全然思わないので、母が来る度にスーパーへ買い物へ行く。
僕はもう社会人なので母に服やCDを買ってなんてねだれないけど、
米や野菜はねだることができる。一般食料品は罪悪感を感じないのだ。
 
というわけで米と野菜と冷凍食品と味噌を買ってもらう。
25歳主任看護士、母親から食料品を買ってもらう。
 
買い物中は母親の傍らから一時も離れられない。
少しでも離れると
「マー君!ちょっと来て!これ安いよー!」
なんて叫ばれてひどく恥かしい思いをするのだ。
 
母親の中では、僕はいつまでも「マー君」なんだなあ。と切に感じる。
まあ、職場でも彼女からも「マー君」呼ばわりされてるけど。
 
スーパーの帰りにブテックに寄って、母が洋服を買う。
 
家に帰り、聞いたこともない鼻歌を鳴らしながら、さっそく試着する母。
「どう?」
母が僕の前に立つ。
 
「いいよ。似合ってる。お歳暮みたい」
と言うと、頭をこづかれて大笑いしていつの間にか眠ってしまった。
母は寝るのが早い。8時には布団を敷いて、小説を読み始める。
これは昔から変わっていない。
 
しかし朝が早い。5時には起きて部屋の掃除を始める。
朝の5時に掃除機をかけても罪悪感を感じないらしい。
実家では、何時に掃除をかけようが構わないけど、
ここは壁の薄い安アパートなので、すこしは考えて欲しい。
 
「あら、構わないわよ。悪いことしてるわけじゃないし」
 
現在、午前3時。母親はあと2時間後に起床して部屋の掃除を始める。
2002年02月24日(日)  過酷な日々。
昨夜は少し遊び過ぎて、殆ど寝ていない。
夜が空ける頃にソファーに横になってうつらうつらしていたら
ビデオのデジタル時計はあっという間に7:30になっていて、
重い体を無理矢理起こして、シャワーを浴びて出勤した。
 
出勤途中、コンビニに寄って栄養ドリンクを3本買った。
職場に着いて1本。昼休み明けに1本。残業前に1本。
 
「ありがとー!」
 
夜勤明けの看護婦さん2人に、あっという間に取り上げられる。
「返して下さいよ」
「あなたの物は誰の物?」
「僕の物。断固として僕の物」
「だから何よ」
 
夜勤明けの看護婦さんには情けも道理も通用しない。
夜勤明けじゃなくても通用しない。
 
残りの1本を飲む前にトイレに行く。
ナースステーションに戻る。僕の残り1本の栄養ドリンクが減っている。
「先輩すいません!ちょっと飲んでしまいました!」
後輩がわざとらしく頭を抱えている。
「おい。ちょっと来い。僕は疲れてるんだ。今日1日乗り越えられそうにないんだ」
「すいません!僕も疲れてるんです!」
後輩には情けも道理も言葉も通用しない。
 
「ホントすいませんでした!プリンあげます!」
栄養ドリンク半分とプリン1個を天秤にかけても、栄養ドリンク半分の方が重いような気がするけど、
僕はプリンが大好きなので、あっという間に機嫌が戻ってしまった。が。
「おい。これ今朝の患者さんの朝食のプリンじゃないか」
「関係ないっっス!!」
関係ないらしい。
 
結局、栄養ドリンク半分の元気しか補給できなかった僕の1日は
それはそれは過酷なものだった。
職場の立場柄、ものすごく仕事量が多いので、あっという間に1日は終わってしまったけれど、
残業が終わる頃には気を失いそうになっていた。
 
「先輩!飯食いに行きましょう!飯!」
「行かない」
「じゃあマックでいいっっス!!」
 
普通の人と話がしたい。
2002年02月23日(土)  優しさ。
人と会うとき、僕の携帯はいつもマナーモードに設定している。
実際に会って話をしているときに、
携帯が鳴って、その時の話題が中断されてしまうことが嫌いなのだ。
 
その人が携帯で話していると、相手は手持ち無沙汰になり、結構空しい。
意味もなくタバコを吸ったり、灰皿を弄んだりしている。
僕なんて、なんだか仲間外れになったような気分になる。
電話で話している相手が楽しそうに話せば話すほどその気持ちは強くなる。
チラチラと横目で僕の顔を見られた日には
そんな顔で僕を見ないで。と泣きたい気分になる。
 
だから相手にそういう思いを抱かせないために、僕の携帯はマナーモードに設定している。
 
しかし、この人思いの行為が時に誤解を招くことになる。
 
僕は彼女といるときもマナーモードにしている。
別にやましいことなんてない。ただ僕は相手に嫌な思いをさせることが嫌いなのだ。
しかしマナーモードでもバイブレーターの音は鳴る。
 
夜も更け、コンポから流れる音楽も部屋の灯りも消して、
ベッドの中で愛を語ろうとしているとき、
 
ブーン。ブーン。ブーン。
 
「・・・」
「ねぇ、携帯鳴ってるわよ」
「・・・」
「ねぇってば」
「愛してる」
「そんなことどうでもいいわよ」
「どうでもいい?」
「いや、そういう意味じゃなくって、携帯が鳴ってるのに」
 
ブーン。ブーン。ブーン。
 
「いいよ。そんなの。後からで」
「よくないわよ。誰なのよ。怪しいわよ」
「怪しくないよ。そもそも怪しいことなんてしてないよ」
「じゃあ着信歴見せてよ」
「いいよ」
「誰よ!この○○子って!」
「友達だよ」
「じゃあなんで携帯取らないのよ」
「だって、ねぇ、ほら、雰囲気壊れちゃうじゃない」
「もう壊れちゃってるわよ」
「愛してる」
「遅いわよ!」
 
人の優しさは、思いがけず裏目に出ることがある。
2002年02月22日(金)  黒い翼。
昔は束縛されててね、僕の翼は彼女がもぎ取ってしまったんだよ。
もう6・7年も前の話なんだけど。
 
専門学校でクラスが一緒でね、
その当時、僕はミニ・クーパーっていう車に乗っていたんだけど、
彼女はその車がものすごく好きでね、
車が好きなのか僕が好きなのかよくわからないまま付き合い始めたんだけど、
とにかく束縛がすごかった。
僕のハンドルは確実に彼女が握っていたんだ。
 
なんだかんだ言って、若いということはやっぱり未熟なんだよ。
みんな多かれ少なかれ恋愛中に束縛が生じるんだ。
その人をできるだけ自分のものにしたいっていう欲求が強いんだ。
理由は簡単。ただ若いから。意味もなく若いから。
 
僕たちは意味もなく理由もなく若かった。
 
だけどほら、見てみなよ、気付いたら今年でもう26だよ。
うん、まだ若いとは思うよ。うん、若い。
だけど、やっぱり若いだけじゃないんだ。
ほら、見てみなよ。僕の親友たちはみんな結婚しちゃった。
部活帰りに一緒にスーパーで万引きした友人は今年の春に子供が産まれるんだってさ。
 
ん?今?うん、今は比較的自由です。抜本的に自由です。
信じられないかもしれないけど翼ってね、再生するんだよ。
7年前にもぎ取られてしまった翼が生えて来るんだよ。ホントだって。
しかも以前の翼より大きいんだ。ていうかまだ成長してるような気がする。
翼が大きくなりすぎて背中が重いんだ。最近肩こりがひどくってね。
 
自由の代償?
 
ハハッ。いいこと言うねぇ。肩こりは自由の代償!
だから僕はキミに対して束縛はしない。翼をもぎ取ったりはしない。
キミもキミの持っている翼は大切にしたほうがいいよ。
キミの背中に生えているその翼は、とても綺麗だから。
僕はね、キミの翼から抜け落ちた羽をそっと拾ってね、
小説のしおりにしてるんだ。キミの羽一枚とってみても、白くて眩しくてとても綺麗だ。
 
だからその翼は大切にしたほうがいい。
 
だって見てみなよ僕の翼を。
以前より大きくなってることはいいんだけど、ほら、
 
こんなに黒いんだ。
 
汚れてしまってるってことだね。
愛してるよ。
2002年02月21日(木)  フランス産 仔ウサギのリエット 香草風味。
僕は経済的に余裕がある方ではないのに、
レストランやバーで、よくコースを頼む。
 
前菜からデザートに至るまでの一連のゆったりとした流れが好きで
財布とろくに相談せずに「じゃあ、このコースを」と気取った口調で頼んでしまう。
 
「バイヨンヌ産ハムとメロンの黒ゴショウ風味です」
 
とウェイターが小さな皿を持ってきても、僕にはさっぱりわからない。
メロンに生ハムという組み合わせが美味しいのか美味しくないのかさえわからない。
だけど、なんだか高そうだな。高そうだから美味しいのだろうな。
という漠然とした思いで食べるのである。
 
僕がよく行く近所の定食屋は、お世辞にも美味しいとは言えず、
唐揚げは岩のように固く、キャベツは日干しされたかのようにパサパサしてるのだけど、
料理を持ってくるときに
 
「酢豚のパイナップル添えです」
 
なんて言ってくれれば、生ハムとメロンの組み合わせのように、
少しは美味しく食べれるんじゃないかなあ。と思う。
 
話をレストランに戻す。
コース料理の醍醐味は、料理の数だけ話題が尽きないということだ。
皿の大きさと料理の内容の比が7:3くらいの割合なので、
話題が1つ尽きるくらいの早さで1つの料理も皿から消えるのだ。
そして話題が尽きた頃に、
 
「キノコのクリームスープ エリタージュ風です」
 
なんて呪文のようなことを言ってウェイターが次の料理を持ってくる。
僕達はその料理をぼんやりと眺める。
そして、「あ、そういえばさ」と次の話題が始まる。
 
だいたい1つのコースに要する時間は2時間くらいで、
残すはデザートのみという頃には2人ともだいぶアルコールが入っていて
その後の出来事に多少の大胆さを見せることができる。
 
「洋ナシのキャラメリゼ ショウガ風味のチョコレートケーキです」
 
デザートが運ばれてくる。相変わらず僕は料理の名前を聞き取れない。
聞き取れたとしても、その言葉をどこで区切っていいのかわからない。
「ねぇ、メリゼミョウガ風味って何?」
なんて小声で連れの女性に聞いたりする。
 
彼女は「フフフッ。違うわよ」と言う。
違うなんてことは僕だってわかっている。酔ったフリをしてるだけなんだよ。
 
さ、店を出よう。
「最後にキミという名のフルコースに舌鼓を打とう」
なんて言うと嫌われるに決まってるから決して口には出さないけど。
2002年02月20日(水)  遠い地のキミへ。
君は今まで充分に真面目に生きてきた。
多少、真面目過ぎたのかもしれない。
 
これまで歩いてきた道のあらゆるところに転がっている禁断の実を
キミは一度も手に取らなかったんだ。
手に取るはおろか、振り向きもしなかったんだ。
 
傍らの人と、手を繋いで。離れずに。離さずに。
 
キミはその手を繋いでいる間も、成長してきた。
傍らの人も、気付かないくらいの深いところで成長してきた。
キミは、この数年で柔軟な発想と、好奇心と、対象への愛を手に入れた。
 
その、一直線の道の地中深くに、それはいつのまにか生まれていた。
 
キミでさえも気付かなかったんだ。
 
ある日、キミは禁断の実を口にすることになる。
その時に、潜在し、成長し、洗練された様々な感情が開花する。
 
キミはキミを取り巻く世界が広がることを、体で、心で認識する。
視界が広がる事を肌で感じる。
右手で傍らの人と強く手を握り、左手は大空へ何かを求めるように差し伸べる。
 
携帯を取る。
僕の言葉がキミの行為を助長する。
間違っちゃいない。それが真実なんだ。そういうものなんだ。
 
キミも照れながら肯定する。「そう?」
 
それぞれの行為の答えは、それぞれの人が導き出せばいいんだ。
決して1つではない。一般論が正義では、ない。
 
キミはたたんでいたその翼を大きく広げている。
キミの声の抑揚でわかる。
 
独り暮らしを始めてから実家の大切さを知る。
そういうものだよ。
全く相反する行為をすることで、対象への愛が深まるんだ。
そうやって翼を広げるんだ。そうやって視界を広げるんだ。
 
何度も言うけど、キミは間違っちゃいない。
そのまま素直になればいい。何も恐れずに。無垢の瞳で。
 
翼が汚れたら、もとの泉に戻って洗い流せばいいんだ。
そういうものなんだ。
綺麗事なんてのは、義務教育の期間だけ学べばいいんだ。
 
キミの行為は綺麗事の応用なんだよ。
行き着くところは、やはり美しい。辿り着くところは、やはり澄んでいる。
 
どっちにしろ幸せになれるってことだね。
今までキミが歩いてきた真っ直ぐの道が証明してるよ。
 
それと、これは基本的な問題なんだけど、
キミはとても可愛いから大丈夫。
 
容姿も声も思想も愛も。
キミはこれからもずっと守られていくと思うよ。
2002年02月19日(火)  心奪われるもの。
これは医療従事者の宿命と呼んでも過言ではないかもしれない。

1人の女性とテーブルを挟んで、または、カウンターで肩を並べて食事をする場合、
僕は、その女性の腕に、心を奪われる。
 
その白い肌に微かに浮かび上がる、遠慮深く隆起している、その血管。血管!
その白の生地に青白く漂う一筋の血管。
 
「・・・ぇ、ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「ん?あ、あぁ、うん、聞いてるよ」
 
こういうときはたいてい僕は血管に心を奪われている。
 
仕事柄、1日に何十人もの何十本もの血管に注射をうつ。
採血、点滴、抵生物質、栄養剤、鎮痛剤。
ありとあらゆるものを1本の注射器に神経を集中し、注ぎ込む。
 
テーブルをはさみ、フォークを持つその腕に心を奪われる。
「あぁ、注射しやすそうな血管だなぁ」
その浮き出た血管に鋭利な注射針を刺したい衝動に駆られる。
 
このまま、そう、この調子でおどけた会話を続けて、
突然神妙な顔付きになって、相手に聞こえるように深く息を吸いこんで、
溜息混じりに、しかし意を決したように言うんだ。
 
「ねぇ、うちに来ない?」
 
2人で、アパートの階段を昇るときに、僕は胸を躍らせる。
彼女の腕は、もう僕の物。
駆血帯(注射するときに血管が出やすいように縛るゴム制の帯)で彼女の腕を優しく縛り、
部屋の灯りを消して、月明かりに照らされた白く怪しく光るその腕に、
そっと、しかし確実に、注射針を刺す。
 
顔を背ける彼女。その顔も月明かりに照らされて、神秘的な悲しみを称えている。
注射針が表皮に触れた瞬間、彼女は拳を握り締める。
そう、腕に力を込めたほうが、血管が出やすくなるんだよ。
 
注射器に血液が逆流する。「あ・・・」彼女が艶やかな声を出す。
 
・・・ぇ。・・・ぇ。・・・・って。・・・ねぇって。
 
「・・・ぇ、ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「ん?あ、あぁ、うん、聞いてるよ」
 
こういうときはたいてい僕は血管とそれに基づく妄想に心を奪われている。
2002年02月18日(月)  詮索。
その人の全てを知りたいだなんて、そんなの無理だよ。
 
恋愛はね、その人の全てを知ろうとするから無理が生じるんだよ。
僕は、昔からそういうのは諦めているんだ。
性急に相手を理解しようとしない。
 
相手を、自分なりの考えで、言葉で、定義付けようとするからいけないんだ。
自分の型に相手をはめこもうとしてるでしょ。
三角の穴に四角の積み木をはめこもうとしてるでしょ。
 
人の性格って、イメージって、1つの言葉で定義付けるのは無理なんだ。
そういうのはね、実体は存在しないんだ。
仮に存在していたとしても、それは深い霧に埋もれてるんだ。
深い霧は、決して晴れない。手を伸ばしても実体には届かない。
 
要するに、諦めるんだね。そういうことは、諦めるんだ。
別に無理に相手を知ろうとしなくたっていいじゃないか。
僕はね、僕は多分、極端だろうけど、今の彼女の苗字を1週間も知らなかったんだ。
昔の彼女は1ヶ月、名前だけで呼んでいたこともあった。
本名も知らない、住んでるところも知らない女性と何ヶ月も付き合ったこともあった。
 
別に名前も住んでいるところも必要性を感じなかったんだ。
相手を詮索しないこと。
これは良いことか悪いことかよくわからないけれど、
僕は詮索しないことにしている。詮索しなくたって話すことはいっぱいあるから。
 
急がなくていいよ。霧はね、完全には晴れないけれど、
時間が経つと、霧の中の実体は少しずつ見えてくるから。
 
走らなくていいよ。僕達にはまだ時間がいっぱいある。
道端の小さな花を眺めながら歩いていこう。
 
慌てなくていいよ。
だからそんなに急いで手を伸ばさないで。
2002年02月17日(日)  運命。
朝起きると、外は雨で、アパートから見える駐車場の水たまりに映る
無表情な雨雲を眺めて、僕は起きたばかりの姿でジャンパーを羽織り、
駐車場まで行って、小さなカメラでその小さな水たまりを収める。
 
その一瞬の景色が、僕の中に、何の予兆もなく
――予兆はあったかもしれないけど――
収まった場合、僕はそれをどう説明すればいいのだろう。
 
カメラを現像に出して、日が暮れる頃に、
出来上がった朝の1つの景色を見て考える。
この景色は2度と戻ってこない。
もし僕がカメラで撮っていなかったら、それは時間という概念に逆らうことなく、
確実に過ぎ去って行く景色。
 
人は、例外なく、時間という概念に逆らうことができずに、
常に、その絶対的な概念を覆そうと、努力をしてきた。
カメラに景色を捕えることも、その時の思いを文章にしたためることも、
それは時間の概念への小さな抵抗。
後悔しないために――そう、後悔しないために!――
僕はシャッターを押して、キーボードを叩く。
 
後悔しないために――そう、後悔しないために!――
今の景色を、これからもずっと心の中に残すために、
 
心のカメラでキミを捕える。
 
ほんの些細な瞬間と、ほんの一瞬のタイミングと 、ほんの一握りの勇気を
絞り出せば、絞り出しさえすれば、
それは自分でもビックリするような軽さで、心のシャッターを押すことができる。
 
その一瞬が、何でもなかったその一瞬が、
これからの自分の生活に多大なる影響を与えるとするならば、
 
それは奇跡と呼べなくて何と呼べるだろう。
それを運命と呼べなくて何と呼べるだろう。
2002年02月16日(土)  エゴの嵐。
イライラしている時は、イライラしていないフリをすることが一番である。
 
僕は嫌なことがあっても、時間の経過と共に忘れていくタイプなので、
イライラした後の何時間かさえ我慢すれば、
何事もなかったかのように1日を終えることができる。
「今日も平和な1日だったなあ」って。
 
そりゃあ僕だってイライラする時はある。
毎日楽しいことばかりじゃない。嫌なことだって多い。多分、嫌なことの方が多い。
だけど絶えずイライラしているというわけではなく、
やはり穏便に、常に穏健に、事を進ませているのである。
 
僕は、イライラのようなマイナスの感情が顔に出て、
それが周囲の人に少なからず影響を及ぼすということが嫌いなのだ。
嫌な思いは、自分1人で勝手にすればいい。
 
だから僕はイライラしても、イライラしていないフリをする。
 
イライラというエゴの塊のような感情の嵐が過ぎ去って行くのを
襟を立て、フードをかぶり、ただひたすら待つ。
それは他人に委ねない自分との闘い。
自分のエゴとイドが壮絶に、しかし静かにぶつかり合う。
 
時には拳を握りしめることがある。歯をくいしばることだってある。
片頭痛が目覚め、胃に穴が空くことだってある。
 
この嵐はいつか過ぎ去る。
仕事が終わり、風呂に入り、温かい布団に入る頃にはもう明日のことを考えている。
この数時間を我慢すれば、
誰にも知られることなく、顔を歪まされることなく、静かな黒い炎はいずれ消え去る。
 
費やす労力はさして大変なものではない。
イライラしないフリさえしてればいいことなのだ。
 
静かに歯をくいしばって。
2002年02月15日(金)  さよならジョージア。
悪い癖は?
 
僕達はまだお互いを詮索しあう仲。土台作りの真っ最中。
 
「缶コーヒーを1日5本くらい飲む」
「それってヤバいでしょ?」
「もちろん」
「例えば?」
「いずれ糖尿病になっちゃう」
 
朝起きて1本。仕事が始まる前に1本。仕事中に2本。家に戻って1本。
1日600円。考えてみると、まあまあの出費。1ヶ月で18000円。かなりの出費。
 
「それってヤバいでしょ?」
「かなりヤバいかもね」
「例えば?」
「1年で大型テレビが2台買える」
「21万8千円かぁ」
「21万6千円だよ」
 
僕達はそれぞれ21万6千円の重みについて考える。
 
「塵も積もれば山となる・・・か」
「塵も積もれば山になるだよ」
「嘘!?絶対違うよ。『山となる』だよ」
「『山になる』だよ」
「い〜や、絶対違う!『山となる』だよ。電話して聞いてみよっか?」
「誰に?」
「お父さん」
「わかったよ。もういいよ。『山になる』でいいよ」
「わっ!しつこいっ!『山となる』って言ってるでしょ!」
 
缶コーヒを飲み干してテーブルに置く。
 
「で?それは何本目?」
「これが5本目」
「きょーぎゅーびょー」
「とーにょーびょーだよ」
 
彼女は急に神妙な顔付きになる。
 
「ねぇ、缶コーヒーやめてよ」
「え?」
「ちょっと多すぎるよ。やめてよ」
「え?」
「本当に糖尿病になっちゃうよ」
「え?」
「死んじゃうのよ。缶コーヒー中毒とかなっちゃって死んじゃうのよ」
「え?」
「バカ!もう知らない!死んじまえ!」
 
そして僕はこの日から缶コーヒーを一切絶った。さよならジョージア。
2002年02月14日(木)  一瞬の距離。
「君のことが好きです」
僕は「好き」ということがどういうことなのかよくわからないけれど、
とりあえず言う。多分、好きなんだろう。
「好き」という感情は、考えれば考えるほど、その本質から遠ざかって行くような気がする。
 
「じゃあ、あなたは何が嫌い?」彼女が言う。
僕は首を傾げて頬を膨らませて(僕は物事を考えるとき頬を膨らませる癖がある)応える。
 
「おでんの玉子が嫌い」
「他には?」
「健康スリッパが嫌い」
「他には?」
「テレビのリモコンが嫌い」
「他には?」
「奈良の大仏とか東京タワーとか」
「他には?」
「残り数枚のティッシュペーパー」
 
「他には?」
「長袖Tシャツ」
「他には?」
「和式トイレ」
「他には?」
「テレビの上に乗せる室内アンテナ」
「他には?」
「緑色のパイプ椅子」
 
「他には?」
「夏休みのラジオ体操の前に流れる歌」
「あ〜た〜らし〜い〜朝がきた」
「そうそう」
「き〜ぼ〜うの〜朝〜だ」
「それそれ」
「よ〜ろこ〜びに胸をひ〜らけ」
「うんうん」
「お〜おぞ〜ら仰げ〜」
「もういいよ。わかったから」
「ラ〜ジオのこ〜えに〜」
「いいよ、もう、しつこいよ、わかったよ」
 
「そう」
「そうだよ」
「こんな私でも好き?」
一瞬の間。
「・・・好きだよ。愛してる」
 
「そう」
「そうだよ」
「今一瞬、間が空いたでしょ」
「空いたね」
 
「これが今の私とあなたとの距離なのよ」
2002年02月13日(水)  聖域。
「あなたには聖域があるのよね」
 
って、誰からか言われたことがある。
誰だった哉?ここで重要なのは誰が言ったかではなく、
どうして聖域が存在するのかということだ。
 
僕には僕しか立ち入れない場所がある。君だってそうでしょ?
「私は、いつでも門戸開放してるわよ」
って言ったよね、確か。誰だった哉?
 
昔、このサイトの嘘腐童話で「3匹のコブタ外伝」という童話を書いた。
僕の聖域がいとも簡単に侵されてしまった。という物語。
あの物語を書かせるに至った、彼女の力は、多分、絶大なものだったと思う。
今でもそう思う。
 
「あなたはあなたの中の何を守ろうとしているの?」
って言ったよね、確か。誰だった哉?
「よくわかんないよ。僕の中に聖域があるなんて思ったことないし」
って言ったはず、確か。
僕は図星をつかれたので、思いがけず狼狽してしまったんだ。
 
確かに僕には聖域が存在する。汚れのない場所。汚れを否定する場所。
その広い聖域の真ん中には、頭蓋骨が置いてある。
誰の頭蓋骨?それは僕の頭蓋骨。死んでしまった僕の頭蓋骨。
 
今もこうやって生きている僕は、時々その聖域に踏み込んで
死んでしまった僕の頭蓋骨をそっと手で包む。目を閉じて。
 
君が望むのなら、連れて行ってあげる。
手を繋いで、指と指をしっかり繋いで、繋がれた手からは汗がにじんでいる。
どっちの手から出た汗かわからないけれど、
その汗で僕たちは、穏やかに気持ちを通じ合えることができる。
 
君が望むのなら、連れて行ってあげる。
僕の聖域へ。
見せてあげる。僕の頭蓋骨を。死んでしまった僕の頭蓋骨を。
2002年02月12日(火)  8丁目公園。
今日気付いたのだけど、確実に過去は過去のものとなっていた。
セピア色に色褪せて、胸の中のアルバムにそっと(几帳面に)整理されていた。
 
フラッシュバックすることもないし、夜空を見上げて嘆くこともない。
春の出来事は、歴史の教科書の如く事実しか表現できなくなっているし、
夏の出来事も、2月の空気にさらされて冷たくなってしまった。
秋の出来事は、来るべき冬の、序章の序章に過ぎなかったのかもしれない。
 
人は、生きていく過程の中で、宿命的に傷付いていかなければいけないのだけど、
傷の数に比例して、その傷を受容するキャパシティも同時に広げていかなければならない。
 
小さな小さなキャパシティの中で、フレキシビリティーがやや欠如したキャパシティの中で、
過去の僕は、精一杯生きていた。古い傷を新しい傷で埋めた。それが正しい生き方だと思っていた。
 
素直になることを拒んだ。歪みを修正せずに、偏りを助長した。
 
ある時、砂漠の真ん中で1人で立たされた。砂、砂、砂。
見渡す限り、無感動な砂ばかり。
僕はその無表情な砂を手にとり、指間からこぼれ落ちる無目的な砂を漠然と眺めた。
 
井戸の中には蛙がいた。大きな海の存在を知らない蛙がいた。
 
僕は目を細めて、遠くを見つめた。
照りつける太陽が地平線を揺らしていた。
揺れる景色の中で僕は――ブランコを見つけた。他の場所を凝視する。
僕はジャングルジムを見つけた。すべり台を見つけた。花壇を見つけた。
 
そこは砂漠の真ん中ではなかった。8丁目の公園の砂場だったのだ!
同時に井戸の中だったのだ!
 
驚愕→唖然→焦燥→混乱→悲観→安堵。
 
以上の過程を得て、僕は公園の砂場を受容した。
 
全ては過去のものとなった今、僕は大海へと身を投げる。
2002年02月11日(月)  多大なる嘲笑。
こんな夜は、ベランダに出て、身体を冷やす。
何もかもから逃げ出したい夜は、外には出ずに、ベランダへ非難する。
 
2月の夜のアパートのベランダ。
左手にビール、右手にタバコ、左足には健康スリッパ、右足には魚の目。
震えながら空を眺める。震える手でビールを飲む。
僕の部屋からは、さっきから何度も、等間隔で携帯が鳴っている。
 
僕は黙って着メロに耳を澄ます。
島谷ひとみ「市場へ行こう」
この曲は唯一登録してある邦楽の着メロ。
 
「ねぇ 一緒に暮らそうよ」
 
僕は着メロに合わせて口ずさむ。2月の夜のアパートのベランダ。
携帯はまだ鳴り続ける。泣き続ける。
星の少ない夜空を見上げながら、あの日のことを思い出す。
 
あれから何年経つのだろう。
 
――ねぇ、一緒に暮らそうよ。
僕は、彼女を試すために言ってみた。彼女は片手で足の裏を描きながら、
片手で眉毛を描きながら鏡を見ていた。一瞬、彼女の眉を描く手が止まる。
鏡越しに彼女と目が合う。
 
何秒かそのままの姿勢で見つめ合った。
そして彼女は、何事もなかったようにまた眉を描き始めた。
 
「ねぇ、聞いてんの?」僕は再度問う。
「イヤ」
「え?」
「一緒には住めない」彼女は、その答えならとっくの昔に出ていたかのように
すんなりと、言葉を選ばすにそう言った。
 
僕は部屋から見える空を見上げて、テレビを眺めて、もう一度空を眺めて言った。
「どうして?」
 
「私が言わなくても自分が一番わかってるでしょ」
僕は笑った。自分が一番よくわかっていた。
彼女はちっとも笑わずに、月のナイフのような眉を描き続けていた――
  
携帯は鳴り続ける。2月の夜のアパートのベランダ。
僕はビールを飲み干して部屋に戻り、電話を取る。
 
「久し振り」僕はなんでもないような口調で静かに話す。
「久し振り」彼女もなんでもないような口調で静かに(多少の苛立ちを込めて)話す。 
「今何してんの?」
彼女はなんでもないような口調で静かに(やはり多少の苛立ちを込めて)話す。
「まだ1人で暮らしてるよ」
僕もなんでもないような口調で静かに(多大なる嘲笑を込めて)応える。
2002年02月10日(日)  感嘆。
彼女と小旅行。
泊りがけもいいな。と思ったけど、この連休、僕は今日しか休日がないので、
仕方なく早起きして、夜遅く帰ってくる予定を組むことになった。
 
そして夜遅く帰ってきた。
帰り道、お土産を持って(彼女はちくわ、僕は地ビール)2人で友人夫婦の家に寄った。
友人宅には初めて行ったけど、部屋に入ったとき、夫婦仲良くテレビを見ていた。
 
それは、何気ない、ごくありふれた、新婚夫婦の日常なんだろうけど、
僕にはそれがとても新鮮に、斬新に、見えた。
 
夫婦が、同じ部屋で、同じコタツに入って、同じテレビを見ていると言う事に、
少なからず感嘆を憶えた。
 
どうしてなのかわからない。
多分、僕の中での夫婦観というものが歪んでいるせいかもしれない。
 
果たして、僕に結婚するときがあるとすれば ――あるとすればの話――
僕は夜の時間まで、奥さんと共有することができるだろうか。
僕だけの時間を、削ることができるだろうか。
 
僕はまだ我侭だから、自信を持って、大きな声で、
君を愛している。
と言うことができないけど、
 
時の流れが、きっと、僕の中のいろんな歪みを修正してくれると思う。
時の流れと、君の強さが。
2002年02月09日(土)  風景を認識するとき。
道を歩くと、いろんな人にすれ違うけど、
果たして、この人たちは、僕とすれ違う人たちは、僕が見えているのだろうか。
僕はすれ違う人を見ているのだろうか。
 
例えば、今日スーパーのレジで僕の前に並んでいたおばさん。
このおばさんの人生に僕は存在しない。
例えば、仕事帰りのプールで隣のコースで泳いでいる女性。
この女性の人生に僕は登場しない。
 
僕はレジの後ろに並び、隣のコースで泳ぐ。
 
結局、人が人を認識できる範囲は限られているのだ。
僕達は僕達に少なからず関係がある人以外は認識できない。
 
スーパーのおばちゃんとスーパーの惣菜。
プールの女性とプールのシャワー。
僕の人生には、それは、たいして変わりないのだ。
認識しない限り、それは風景の一部としての存在になるのだ。
 
今まで認識さえしていなかった風景が、突如として、晴天の霹靂の如く、
僕の視界を支配する人物が登場したとすれば、
 
それは、理解を超え、常識を超え、奇跡を超え、必然を超え、
それは、天を裂き、陸を隔て、海を割り、谷を埋め、
 
スーパーのおばちゃんが微笑み、隣のコースの女性が囁きかける時、
 
僕は生きているという実感を、存在しているという意味を、透明さを否定する意思を、
そのほかのなんやかやを。
 
例えば、セロトニンが脳内への再取り込みを拒否したときに、
 
僕の視界が広がり、世界が広がる。生の意味を知り、死の不条理に嘆く。
 
 
(タバコの灰を落とす。――トントン) 
 
――そういうわけで、キミの存在は僕にとってかけがえのないものなんです。
2002年02月08日(金)  肴の目 其の弐。
魚の目の多大なる成長をまの当たりにして、昨日は病院へ行ったわけだが、
いかんせん、この成長した魚の目は痛すぎる。
少し圧迫しただけで脳天まで痛みが響く。
 
「治す方法は3つあります」医者が意味深な笑みを浮かべていう。
 
「1つは皮膚を柔らかくする薬を貼って、しばらくしてから削る方法」
「1つは塗り薬を塗って、飲み薬を半年程服用しつづける方法」
「1つは液体窒素を使って取る方法」
 
間髪入れずに僕は答える。
「半年薬飲み続けるやつでいきます」
痛いのはイヤなので。
 
以上のことを今日職場の看護婦さん達に話した。話してしまった。まずかった。
 
「弱虫!男でしょ!陰茎ついてるんでしょ!」
妙なところで専門用語を使われて、僕は陰茎ともども縮み上がってしまった。
 
「ちょっとこのベットに腹這いになりなさい!私が削ってあげるから!」
「いや、いいです。薬で治しますので。いいです・・・うわっ」
 
無理矢理ベッドに押し倒され、靴下を脱がされる。
「わっ!大き〜い!」と看護婦さん。妙に興奮する僕。
 
「ちょっと!来て来て!処置道具持ってきて!」看護婦さんが他の看護婦さんを呼ぶ。
「なになに〜わっ!魚の目〜!すご〜い!」目を輝かせる看護婦さん達。
なぜ他人の魚の目を見てそんなに目を輝かすのか。
 
「私に削らせて!」「ダメ!私が取るんだから!」「私もする〜!」
喧嘩をする始末。喧嘩の前に僕の意志はどこにいったのか。
 
というわけで僕を除いた話し合いの結果、一番最初に話した看護婦さんが魚の目を削り、
他の2人の看護婦さんが僕を押さえつける役になった。
僕はその話し合いの一部始終をただただ涙目で聞いているだけだった。
 
「よ〜し!ちょっとだけ痛いからね!」
鋭利なカミソリが僕の魚の目に近づい・・・てるはずだ。
僕は腹這いになり看護婦さんに抑えつけられて自分の足を見ることができない。
  
・・・・
 
・・・・
 
「イタタタタッ!!イタタタ!イターーーーー!」
 
激痛が全身を駆け巡る。
「ちょっと!動いたら削れないでしょ!あなた!上に乗って」
看護婦さんがもう1人の看護婦さんに指示を出す。
 
その看護婦さんが僕の背中に座り足を抑えつける。
背中にはフェロモン系看護婦さんの尻の感触。右足には激痛。
 
僕は
 
僕は
 
尻の感触だけで充分満足だから!
2002年02月07日(木)  肴の目。
たしか、僕の右足の魚の目は高校1年のときにできたと思う。
部活の時、右足に違和感を感じたことを今でも覚えている。
右足の裏の中央に何かの宿命のように突如現れた小さな魚の目。
 
最初は珍しさも手伝って、風呂上りにポリポリ削ったりしていたが、
この世に存在する全ての物と同じく、魚の目も例外ではなく、なんだか飽きてしまって、
 
まぁ、いつかは治るだろう。
 
と思うようになった。
 
時は流れた。僕は高校を卒業し、看護学校に進学し、友人は結婚し、僕は彼女に逃げられ、
就職し、友人は子供を産み、僕は彼女に逃げられ、友人は2人目の子供を産んだ。
 
この期間10年。僕が高校1年だった頃は、もう10年も前なのだ。
そしてこの10年の間に少なくとも2人の新しい命が誕生しているのだ。
友人は子供を2人産んで、最近はめっきり老け込んでしまった。
 
右足の裏をのぞく。10年経った今も魚の目は、元気に靴の底を眺め続けていた。
そして成長していた。
とても成長していた。
ものすごく大きくなっていた。
 
まぁ、いつかは治るだろう。と思いながら10年の月日が流れ、
僕の身長の伸びはとうの昔に終焉を告げ、脳細胞は減少しつづけ、
運動をしないとお腹が出てくるようになった。
 
この退化の過程の中で、魚の目だけが進化を続けていた。
 
魚の目がその大きな瞳で僕を見つめて話し掛ける。
 
「嫌いなものにいつまでも目をつぶっていちゃあ、駄目だよ」
 
そして僕は仕事を休んで、病院に行った。
2002年02月06日(水)  威厳とプライドと骨付きカルビ。
昨夜、職場一大食いの後輩と、職場一少食の僕がフードバトルで対決した。
 
敗者は勝者に1週間、タバコをおごり続けなければいけないという過酷なルール。
僕とこの後輩は何かと争いたがる。周囲の冷めた目なんて気にしない。
 
「たまには君の土俵で勝負してやるよ」僕がいつもの余裕に満ちた表情で言う。
「じゃあフードバトルで勝負ッス!!」後輩が体育会系のゴツイ胸を張って言う。
「!!!それは君の土俵すぎる」絶望を交えた声で僕が言う。
「関係ないっっス!!」最後はいつもこれだ。
 
というわけで仕事帰り、焼肉食べ放題の店へ行く。
もう1人の後輩がジャッジを務める。1900円払って席に着き、
僕はズボンの上にハンカチを敷き、後輩は腕まくりをする。
睨み合う2人。とことん馬鹿な2人。
 
もう1人の後輩がかしこまった口調で話す。
「どちらかが食べきれなくなるまで勝負を続けます。
料理は僕が持ってきますのでそれを食べてください。それでは始めます」
 
そしてタバコとくだらないプライドを賭けて壮絶な勝負が始まった。
 
●メニュー一覧(1人当たり)●
日本昔話級大盛りご飯2杯。
和牛ロース1皿。カルビ1皿。骨付きカルビ1皿。牛ハラミ1皿。
コロッケ2枚。エビフライ2尾。キムチ1杯。シューマイ5個。
ネギトロ10個。いなり寿司3個。トロ3個。
プリン2個。水饅頭2個。バナナ1本。ショートケーキ2個。コーヒーゼリー3個。
ソフトクリーム1個。グレープゼリー2個。ピリ辛ソーセージ2本。サラダ1皿。フライドポテト1皿。
コーラ1杯。烏龍茶2杯。オレンジシャーベット1杯。
 
時々奇声をあげる後輩。黙々と食べる僕。
黙って席を立つ後輩。トイレへ小走りする後輩。帰ってこない後輩。
心配になって様子を見に行くもう1人の後輩。
 
「泣きながら吐いてました」
 
すかさず報告しにくる後輩。涙目で帰ってくる後輩。
「参りました」敗者宣言する後輩。
後輩に、フードバトルで勝利した。
  
「肉もプリンも何もかも吐いてしまったッス!
この苦い思い出でプリンが嫌いになったら洒落になんないッス!
プリンを嫌いにならないために、最後にゆっくりと味わって食べるッス!」
 
と、妙な理屈で涙目で「ウッ、ウッ」と言いながらゆっくりとプリンを食べる後輩を見て、
なんだかすごく憐れに思ってしまった。
2002年02月05日(火)  真実の花粉症。
恋をするってどういうことだろう。
 
基本的なことです。
 
どうしてお腹が減るのかな。喧嘩をするから減るのかな。
それは間違い。
 
胃の中が空っぽになるから減るのです。
もう少し詳しくいうと、血糖値が下がって、空腹の信号を脳へ送るのです。
喧嘩をするからといってお腹は減りません。
 
では、どうして恋をするのかな。喧嘩をするから減るのかな。まさか。
胃の中が空っぽになるからするのかな。まさかまさか。
 
心の中が空っぽになるから恋をするんだよ。
もう少し詳しくいうと、血糖値が下がって、恋愛の信号を脳へ送るというのは嘘。
 
心の空腹を満たすために、男は女を食べるのです。イッヒッヒッヒ。
はぁ。違う。
元来、性欲と恋は別々の所に存在するので、そんなものでは心の空腹は満たされない。
 
では、どうすれば満腹になれる?
どうすれば、あぁ〜幸せ〜と言える?
 
深くて冷たい川を渡り、広くて寒い草原を駆け抜け、高くて険しい崖を登り、
朝陽が昇る小さな岩場に1本だけ立っている、朝露に濡れる大きな木に実っている、
真実の実をかじるのです。
 
大きく大きく目を見開いて、彼女を見つめるのです。
口に含んだ真実の実は、次第に口の中で熱を帯びてきます。
それは自然に――本当に自然な動作で――彼女のその小さな唇に熱を移します。
 
そのまま、誰が決めたかわからない自然の摂理のような、それは金字塔といっていいのか、
僕達は一夜を共に過ごすことになります。
 
朝陽が昇って、静かな寝息を立てている彼女の顔を眺めて、
ふと、彼女の頭を眺めます。
彼女の頭上に赤い花が咲いていたら、それは真実の花です。
 
僕の真実が間違いではなかった証拠です。
僕はその真実の花が蒔く花粉で、これから花粉症になるのです。
2002年02月04日(月)  6畳で起こる自己嫌悪。
あんなに近くで話したのに、2人の隙間が埋まるほどに、
何時間も、話をしたのに。
 
やっぱり、言わなければいけない、あの言葉が出ない。
 
受け身の人生ばかり送ってきたから、こういう時に、どうしていいかわからない。
この一言で、全てが変わる、はず。なのに。
貴女は何を恐れていますか。僕は何に怯えていますか。
 
その一言は、何を意味しますか。
 
僕はこれからどうなりますか。
 
「旅行に、行こう」
 
言ってみたのはいいものの、それは、フライングです。
言うべきことを言ってから、そういう行動へ移さなければいけない。
仮に、恋愛に「順序」という概念が存在してればの話。
 
僕の順序は滅茶苦茶で、キスをしてから振られたり、
何度も寝てから告白されたり、ある朝起きたらいなくなったりする。
 
告白っていうのは、儀式なんでしょうか。
 
「どこに行く?」
 
彼女も、僕のフライングに合わせてスタートする。
何かを忘れている。僕は何を忘れているか知っているし、彼女だって勿論知っている。
故意に忘れたんじゃなくて、
 
ただ、僕が、気が小さいだけなんだね。
 
駐車場まで見送る。
玄関で言おう。アパートの階段で言おう。駐車場まで歩くときに言おう。
車に乗るときに言おう。
 
「おやすみ」
 
・・・・・・
 
僕はこんなことを言いたいんじゃない。それは儀式じゃない。
僕は、自分の気持ちを、素直に表すことが、とても下手だから、
今夜も言えずにごめんなさい。
 
貴女は僕に合わせてゆっくりと待っていて下さい。
僕は僕なりに、フライングしても、そのまま全力で走る所存です。
2002年02月03日(日)  新女の笑みに魅せられて。
新女会の御深会が開催される日は、雨が多い。昨夜も、雨。

薄っぺらいジャケットと布のようなマフラー。
寒い。夜の更け込み方が尋常ではない。

一次会。料理がものすごく美味しい。
僕は、最近さっぱり料理をしなくなったので、
コンビニとかホカ弁とかジャンクフードとかカロリーメイトとかそんなものばかり食べているので、
こういう料理は人一倍感動が強いのではないかと思う。

歪:「うほっ。これ美味い。うほっ。これなんだろ。うほっ。もう1つ欲しいな」
ア:「もう入ってないって」
歪:「いや、茶碗を掘ると出てくるかもしれない。うほっ。このつゆも美味ぇ!」

要するに茶碗を掘ってもう1つ出てきてほしいほど美味しい料理だった。
茶碗を掘るという表現はどうかと思うが。

あの料理は何だったのだろう。餅やら大根やら山芋が一緒くたになった餅。
僕はみんなの茶碗を物欲しげに覗く。

ハ:「はい歪さん。これあげる」
 
優しいハムコさんが、その餅料理(かじり済み)を分けてくれました。
 
今回の参加者(五十音順)は、
 
++R++:衝撃の新事実を耳打ちされて吃驚。僕は、やっぱり鈍感なんだなあ。
アコマン☆:今回はロモでの撮影のコツを教えてもらいました。あと指輪を持っていかれました。あげます。
うちゃこ:久々でした。幸せそうでした。ゴスペラーズのチケットをとるコツを教えてもらったけど遅すぎました。
とめ:僕は、ああいう眼鏡が大好きなんです。眼鏡をかけている女性が大好きなんです。
ハムコ:ハムコさん専用の小さなマフラーを僕はいつまでも首に巻いていました。優しいです。
ひかる:「もてそう」って言われたけど、僕はもう何ヶ月も彼女がいないので、現実が立証してるのですよ。
MIUMIU:毎回、大役を務めてくれます。とても大きくて暖かいマフラーを持っています。
みろりん:腹筋が割れているという噂。噂を実証してみたかったけどそれはセクハラなので却下。
リン:初対面。変なイメージを持ってくれなかったら嬉しいです。今度はゆっくり話をしましょう。
るーやん:どっちが山崎まさよし好きかというどうでもいい争い。負けてちょっと悔しい。カラオケの本で叩かれました。
 
というわけで、このように日記を書いているだけでも楽しい気分です。
今回で新女会御深会も5回目。
生まれ変わったら女の子になって純粋に御深会に参加したいのです。
2002年02月02日(土)  不浄。
寒い日が続くとね、右手がね、ものすごく荒れるんだよ。
どうして右手だけなのかわからないけど、この季節になると決まって右手の指が
赤く腫れてあかぎれが出るんだ。
 
左手はどうしてなのかわからないけど、春も夏も秋も冬も全然変化しないんだ。
どうしてだろう。死んでるのかな。いろんな意味でね。ふふふ。
 
どこかの国では左手は「不浄の手」と呼ばれてるんだよね。不浄なんだね。ふふふ。
 
とにかく右手が痛いんだよ。顔洗ったり物を掴んだりハンドルを握ったりする時、
痛いんだよ。缶コーヒーを持つと、もの凄く熱いんだ。
だけど左手は平気なんだ。荒れてないから。傷ついていないから。
 
寝る前にはね、毎日ハンドクリームを塗って寝るんだ。
ハンドクリーム塗っちゃうと、手がベタベタしちゃうから、何も触われなくなっちゃうから、
もう寝るしかないんだ。
ハンドクリーム塗った後で本が読みたくなってもページが汚れちゃうから読めない。
だから本当に寝る寸前に塗るんだ。
 
下半身は布団の中、上半身だけ起きて、電気も消して、暖房も消して、
独り寂しくハンドクリームを塗るんだ。
左手の指にたっぷりクリームをつけて、傷ついた右手に塗るんだ。
毎晩毎晩。明日起きたら綺麗な指に戻ってたらいいな。って。
 
左手の指を、右手に擦りつける。
僕の右手のあかぎれは全然治らない。
 
だけど、
 
僕の左手の指はとても綺麗なんだ。
毎晩毎晩右手を治そうとその小さな左指にいっぱいのクリームをまとって
献身的に右手を慰め続けるんだ。
 
献身的になればなるほどその細い左指にはいっぱいのクリームをまとうことになる。
荒れた右手以上にクリームをまとうことになる。
 
だから必然的に左手はとても綺麗になる。
 
どこかの国では左手は「不浄の手」と呼ばれてるんだよね。
だけどそれは間違ってると思う。
 
不浄の手で正常に戻そうとするんだ。犠牲になって輝くんだ。
僕は、この荒れた右手も好きだけど、
 
荒れてない左手も大好きだ。
 
君がこの右手のように荒れてしまったら、
不浄な僕は、からだいっぱいにクリームをまとって、君を正常に戻すから。
2002年02月01日(金)  周囲に幸運舞い降りて。
知り合いから「西日本宝くじで3等当たった!」と電話があった。
 
僕は「西日本宝くじ」というものが存在していたなんてこと知らなかったので
それは余程マイナーな――商店街のくじ引き的な――宝くじかと思っていたが、
値段を聞いて吃驚仰天。
 
「聞いて驚け50万!」
 
50万円当選したらしい。そりゃ久し振りの友人にも電話したくなるはずだ。
で、ご飯でも奢ってもらえるのかと思ったら
「あぁ、また電話するよ」
と言って電話を切られた。多分、50万円を使い果たした頃に電話が来るだろう。
 
まぁ、だけど、この知り合いは日頃ギャンブルばっかりやってて
今日も負けたし明日も負ける的な近寄ったらこっちまで不幸になってしまいそうなオーラを毎日出していたので、
たまにはこういう棚ぼた的な幸運もいいものだな。と思った。
 
というのも束の間。
 
違う友人から電話。
「えっとね、えっとね、エヘヘヘヘ。えっとね、えっとね、エヘヘヘヘ」
僕は友人がとうとうダメになってしまったのかと思った。
「どうしたどうしたエヘヘヘヘ」
友人の真似をしてみたら怒られた。
 
「ねぇロト6って知ってる?」
声を躍らせながら友人が言う。
「あぁ、サッカーの…」
「バカ!違うわよ!それはtotoでしょ!」
僕は本当に関心の無いものはからきし知識を持っていないのだ。
「あぁ、トト6ね」
「バカ!ふざけないでよ!」
だってヒマなんだもの。
 
「えっとね、うちの主人がね、当てたのよ!ロト6!」
「それってジュビロ磐田の優勝予想したりするんでしょ」
「もう!あんたホントにしつこいわよ!しつこ〜いっ!この粘着質のオスブタ!」
 
僕は思いもかけずひどい事を言われてしまったので、少し落ち込んでしまった。
これから悪ノリするのは少し控えようと思った。オスブタだなんて。
 
「でね、でね、当てたのよ!100万円っ!」
 
吃驚仰天。また当選かよ。しかも同じ日に。
「僕は今日、150万円分、羨ましい気持ちで、いっぱいです」
僕は素直な気持ちを言った。
「何言ってんのよ。ワケわかんないわよ。100万円って言ってるでしょ」
友人には僕の素直な気持ちが理解できなかったようだ。
 
で、ご飯でも奢ってもらえるのかと思ったら
「あぁ、また電話するね」
と言って電話を切られた。多分、100万円を使い果たした頃に電話が来るだろう。

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