2001年12月31日(月)  ありがとう。
さて大晦日。僕なりに波乱を含んだ1年だったが、今年も無事に今日を迎えることができた。
 
まぁ、大晦日と言ったら大晦日なんだけど、僕はこうやって仕事をしている。
現在、昼休み(そう、この日記は途中まで昼休みに書いていた)。
いつもと変わらない弁当を食べて、いつもと変わらない缶コーヒーを飲みながら、
いつもと変わらないタバコを吸っている。
大晦日と言ったら大晦日なんだけど、
はしゃいでいるのはこの休憩室のブラウン管の中だけである。はは。楽しそうね。
 
そしてこの休憩室にはいつもと変わらないいつものメンバー。
 
自前の弁当を持ってきているのに、「寿司が食べたくなりましたぁ」といって
昼休みに巻き寿司を買いに行った後輩。そしてそれを食べない。
 
「昨日彼女と喧嘩したんです」と行って、真っ二つに折れた携帯を泣きそうな顔で見せる後輩。
 
特大唐揚げ弁当を注文したら、異常な量(それはそれはすごい量)の弁当が届いて驚愕する先輩。
 
怖い顔して怖い声して携帯の待ち受け画面のハム太郎(正月バージョン)を自慢している先輩。
 
今年の反省を延々と述べつづける後輩。もちろん誰も聞いちゃいない。
 
椅子を4つ並べて箱ティッシュを枕にして昼寝すると思いきや、
何か思い出すたびに半身起こして僕に同意を求めてくる後輩。
「あれはやっぱり間違えてますよね!」「いや、そうでもないと思う」「関係ないっっス!!」
そう、いつもの後輩。
 
いつものメンバーといつもの仕事内容。
病院が大晦日らしくなるのは夕食にそばが出てくる時だけ。
 
おそらく来年僕は、このメンバーとの別れを迎える。
理想的な環境から、再び大海原へと出発する。まだ誰も知らない秘密。
 
>少し早いですが外来主任さんに一言ご挨拶をと思いましてメールしました(^O^)/
今年一年本当にお世話になりました○○さんはどうしても年上とは思えなくて(^^ゞ
少し(かなりでしょうか?)頭にくるコトもあると思いますが憎たらしいガキが
言うことだと思って大目にみてください(^^)v来年も楽しく仕事がしたいです
よろしくお願いします!本音をみせない○○さんですから
あまりムリをなさらないようにしてください(^-^)
 
夜11時。後輩からのメール。
みんながいて、みんなの力で、みんなの看護で、みんなの個性で今年も頑張れました。
 
ありがとう。
2001年12月30日(日)  最後の休日の空。
今年最後の休日。僕は1人温泉街に来ていた。
冬休みや正月休みの家族連れが揃いの浴衣姿で、寒そうに、しかし楽しそうに、
湯気が立ち込める砂利道を歩いている。
 
「こんにちは」
「こんにちは」
「寒いですねぇ」
「そうですね」
 
擦れ違う時に挨拶を交わす。日頃よそよそしい表情で歩いている人たちも、
観光地に来ると、狭まっていた心が少しだけ開く。
これが市街地だったならば、この家族連れと僕は挨拶なんて交わさないだろう。
 
立ち止まって空を見上げる。澄み渡った空。肌を突き刺すような空気が
空をより一層、際立てている。
 
今年最後の休日、僕は早起きして、この温泉街へと車を走らせた。
道路脇には、しめ縄や鏡餅を売っている出店が建ち並び、
手をこすり合わせ、白い息を吐きながら威勢のいい声を挙げていた。
 
夫婦、家族連れ、カップル。人は皆、まるでセットになっているように、誰かと寄り添って歩いていた。
その複数形の人塵の中で、僕だけが1人、薄っぺらなジャケットを着て歩いていた。
  
旅館の初老の女性は、「お1人ですか」と2度繰り返した。
「はい、そうです」と僕も2度繰り返した。
女性は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐにもとの笑顔に戻り、
「ごゆっくりと」と言い、僕を部屋に案内した。
 
僕は部屋に入り、暖房を入れ、露天風呂に向かった。
ここから車で10分くらいの所に、天然のアイススケート場のことを旅館の初老の女性に聞いたが、
とても1人では行く気になれなかった。
 
露天風呂へ向かう。露天風呂といっても周囲は竹垣で囲まれているため、
屋根のない銭湯といった趣の露天風呂だった。
10分ほど、空を見上げながら湯に浸り、風呂の縁に腰掛けて周囲の空気を身体に感じた。
あっという間に肌は凍えあがり、体についた露を冷水に変えようとした。
そしてまた湯に浸り、何もない空を、ただ、ただ、見上げた。
 
風呂に浸りながら、今年を振り返ってみようかと思ったけれど、
何もない空を見上げていると、何も思い出せなかった。
 
なんてね。な〜んてね。
 
今日は、このような内容の日記を書くつもりだったけど
今年最後の休日に、僕は、午後4時に、繰り返しますよ、午後4時に起床しました。
で、何をしたかって?ふて寝です。繰り返しますよ、ふて寝です。
 
最後まで僕らしい休日でした。さよならばいばい2001。
2001年12月29日(土)  最後の休日前夜。
友人宅で鍋をする予定だったが、仕事が終わって携帯を確認すると、
「今日鍋中止になりました〜。だからみんなでどっかに飲みに行こ〜」
という留守電が入っていた。
 
鍋は中止。残念。僕は飛ぶように家に帰り、
バックの中に下着と小説を詰め込んで、
パソコンを開き、開いてそうなホテルの電話番号をいくつかチェックして、
温泉に行こうと思った。
 
明日は今年最後の休日。僕自身を僕自身が癒すために、温泉に行こうと思った。
霧島。車で3時間。今から出発すると午後9時には到着する。
露天風呂。夜空を見上げながら、今年の僕について総括するんだ。
 
ゆっくり風呂に浸かって、食事を食べて、酒を飲んで、寝る前にもう一度
露天風呂に入って、――部屋に戻るともう布団が敷いてあって――
のりの効いたシーツにくるまって読みかけの小説を読みながら
「今年一年、お疲れ様でした」と自分に言い聞かせながら眠るんだ。
よし、出発しよう。
 
「で、何よ、温泉って。飲みに行くって行ったじゃない」
 
友人から電話。僕は飲みに行かないことを告げると、怒りを露にした。
 
「いや、ね、ほら、鍋が中止になったでしょ、で、飲みに行くのもさ、今回が
最後ってわけじゃないでしょ。いや、そういう意味じゃなくて、ほら、実はね、
明日は僕の今年最後の休日なんだよ。だからさ、ねぇ、自分にお疲れ様って
言いたくてさ、温泉にでも・・・」
「ふぅん。だから私達と飲みに行きたくないってワケね」
「いや、だから、そういう意味じゃなくて・・・」
「わかった。よ〜くわかった。じゃあね。行ってきなさいよ。温泉に」
 
そういえば僕は一年中怒られてばかりだった。
数分後、もう1人の友人から電話。
 
「ちょっとあんた〜どういうことよ〜温泉って〜!!」
畜生。あいつ、チクりやがった。
 
結局、というか、やっぱり僕は友人3人と食事に行って、飲みに行った。
 
僕たちはもう25歳。みんなそれぞれのお洒落をして、
それなりの雰囲気のバーに行くと、やっぱり、もう、大人なんだな。と思ってしまう。
 
温泉に行くことなんてすっかり忘れて、友人達と尽きない会話をしながら、
僕の時計は、今年最後の休日の始まりの時間を告げた。
2001年12月28日(金)  堕落 ―その後―
「髪、伸びたね」
 
彼女は言った。金曜午後のレンタルビデオ店、まばらな人。
僕は今夜見るためのDVDを2本持っていた。まばらな人。
僕と彼女はすぐに目が合った。人がまばらだからすぐ目が合った。
一度しか会っていなくても、お互いの目は、あの日の記憶を追っていた。
 
「そりゃあ、伸びるよ」
 
だって、あの時は、まだ夏だった。夏の夜だった。
シャツが汗で濡れていた。僕の瞳は乾いていた。あの夏の夜だった。
フラッシュバックする。夏の夜のあのショットバー。
 
誰にも醜態を見せたくないから、僕はあの夜1人で飲んでいた。
誰にも醜態を見せたくないから、僕はあの頃1人で泣いていた。
 
たしか、25歳の誕生日を迎えた数日後の夜だった。
誰にも祝ってもらいたくなかった。
混乱し、混乱し、混乱していた。
 
僕の横には、いつの間にか、その女性が座っていた。
夏の夜のショットバー。大きな傷を負い、血が流れ続けていた。
その大きな傷は、誰も癒すことはできなかった。
僕はただ酒を飲み、その傷口を広げていた。
 
その時に、いつの間にか、僕の横に座っていた女性。
あれから5ヶ月。2度目の出逢いは、金曜午後のレンタルビデオ店。
 
「あの時は、どうも、ありがとう」
僕は礼を言う。僕の醜態を見た唯一の女性に。
 
「どう?もう元気になった?」
彼女は笑いながら言う。彼女の笑顔は夏の記憶には残っていない。
あれから数日後、僕はポケットの携帯電話を握りしめて東京に行った。
 
一瞬の夏の出来事の残骸は、もう、携帯電話の中でしか確認することができなかった。
空港の待ち合い所で1人、何度もメールチェックをした。
 
あれから5ヶ月。彼女は彼女のことを知らない。
 
「また、どこかで」
 
「うん。どこかで」
 
僕たちは別れた。金曜午後のレンタルビデオ店。
名前も知らないその女性は、再びまばらな人たちと同化して消えてしまった。
名前を知ってるあの女性も、まばらな人たちと同化して消えてしまった。
 
一夏の切ない出来事。
 
今でもどこかで愛しているあの女性のことを日記で書くのは今日でおしまい。
それは2001年の出来事。あと3日もすれば、新しい太陽が昇る。
 
新しい太陽が昇る。
2001年12月27日(木)  反省。展望。
今年も残すところあと僅かという事で、
今日の日記は今年一年を振り返ってみたいと思います。
 
今年は、仕事で主任に昇格したり、大学の試験で福岡に行ったり、
スクーリングで東京に行ったり、血尿が出たりでなかなか刺激的な毎日を送ることができましたが、
なんといっても刺激的な出来事といえば、
 
1年で4名もの女性にふられたということであります。
 
1年で4人にふられるということは、単純計算して3ヶ月に1回は、
深夜に1人枕を濡らしているということになります。
21世紀の1年目からこの調子では残り99年が非常に思いやられますが、
まぁ、この件に関してはいろいろ考えさせられた1年でもありました。
これぞ好色一代男という感じです。
 
最近は、枕を濡らしたまぶたの腫れがいつまでたっても取れないため、
すっかり恋愛に臆病になってしまって、内へ内へと殻に閉じこもってしまった感ががりますが、
来年こそは好色一代男の面目躍如と称しまして、
積極的に外へ目を向けようと思う次第であります。
 
とりあえず来年の目標は、
大学の単位を取れるだけ取って、
退職して、
精神保健福祉士という資格所得の為、実習に行き、受験し、
復職して、
地域精神保健福祉の向上の為に身を粉にして働きたいです。
 
なんてね。
 
身を粉にする前にこの現状をなんとかしなければ。
と、自らを駆り立ててみたのはいいものの、一体この現状の何処に問題があるのか
僕にはさっぱりわからない。
 
何かを間違えているのだけれど、何処を修正すればいいのかわからない。
彼女がいることが日常の一種のステータスだなんて考えは、
さすがに25歳にもなると考えなくなったけれど、
もっとそれ以前というかそれより深い問題、そう、海底に真珠が眠っているように、
物事にも深いところに真実が隠されているのです。
 
ねんてね。
 
基本的なことです。僕に欠けているのは。これを来年の目標にしましょう。
「人を愛すること」
純粋に人を愛しましょう。今まで不純に人を愛していたってわけじゃないけど、
もっと、こう、何ていえばいいのかな、素直に、そう、素直に人を愛しましょう。
右の頬を打たれたら左の頬を向けるのです。なんてね。
というわけで、キリストの教えのもと、僕は隣人から愛することを始めます。
 
愛してるよ。隣に引っ越してきたおじちゃん。
2001年12月26日(水)  名称変更に思うこと。
「看護婦」という名称が「看護師」という名称に変わるらしい。
いつからかよくわからないけれど、おそらく来年から変わるんだと思う。もう年末だし。
 
どうして今頃「看護婦」という名称が変化するのか、僕にはわからない。
自分の日常に関わりのあることだから、
職場で少し調べてみるとすぐわかりそうなことだけど、
調べてまで知ろうとは思わない。
 
僕はもともと「看護士」なんだし、今頃「看護師」に変わったところで不都合なんて生じない。
僕のすごく近いところで起こっている意外と関係ない出来事なのだ。
 
「今日からマイルドセブンライトがマイルドセブンレフトに名称変更しました!」
 
僕はタバコを吸うので関係のある出来事なんだけど、
名前が変わったって僕はタバコを吸い続けるだろう。そういうこと。
 
しかし看護婦さんはどうだろう。今まで「看護婦さん」と親しまれて呼ばれていた人達が、
来年のいつからか「看護師さん」と呼ばれてしまうのだ。
 
「売春婦が売春師に名称変更しました!」
「ヤクルトレディーに新しい仲間が誕生しました。その名もヤクルトダンディーです!」
 
なんだかちょっと悲しい。
 
ねぇ、看護婦さん、どう思いますか?
「そんなことより早く患者さんの血圧測ってきなさいよ!」
これである。
「そんなことより」で片付けられてしまう問題なのである。
 
まぁ、これが現場の声なのかもしれない。
看護師になったって看護者になったって看護官になったって
明日の仕事は8時半ピッタリに始まるのである。
 
現場をろくに知らない偉い人達が机上の空論を繰り広げて、
「現代は男女雇用機会均等の時代だから云々!」と、
肩パットの入ったピンクのジャケットを来た女性国会議員が言ったのかもしれない。
で、腹だけ大きくて気は小さい男性国会議員達は、
「まぁ、そう言われると、そうかもしれない。そう言うのであれば、そうすればいいと思う」
と、案外あっけなく決まったのかもしれない。
 
まぁ、現場としては「そんなことより」なんだけどね。
2001年12月25日(火)  たまには白ワインを飲みながら。
そしてクリスマス。今夜は友人2人とフランス料理。
年に一度のクリスマス。クリスマスくらいは友人たちにもプレゼントしようと思った。

1人の友人には少し変わった形の壁掛け。額の中に立体的なオブジェが・・・
いまいち説明できないけど、一言でいうと可愛らしい壁掛け。
  
そしてもう1人の友人には、
 
ティファニーのネックレス。
 
夕方4時。仕事中の友人からの電話。
「仕事が遅くなりそうだから今から1人でネックレス買いに行って」
涙が出そうになった。
 
今夜はフランス料理なのに、コインランドリーの洗濯物がなかなか乾かなくて、
少し遅れて到着。友人達はふてくされた表情。
僕の両手にはプレゼント。
 
「はい、たまには僕からもプレゼント」
 
ロウソクと小さな黄色い灯りのみのささやかな光の中で
友人の猜疑の目だけが際立って光っていた。
「どうせ忘年会の景品でしょ〜」
 
この友人が、本当にクリスマスプレゼントだと理解するまで、
――これは、純粋な気持ちで、貴女に贈る、クリスマスプレゼントです――
約5分間、僕は説明し続けた。
 
一方、ティファニーのネックレスを貰った友人は、
待ってましたとばかりに目を輝かせる。
生涯3度目のティファニーを、まさか、友人に、しかもクリスマスに贈るとは思わなかったけれど、
なんだか、本当に喜んでいたので、
 
贈ってよかったな。
 
と、思ってしまった。年に一度のクリスマスなんだし。
 
メインデッシュの牛肉の赤ワイン煮とデザートのチーズケーキと焼きプリンを食べる頃には、
満腹の至福感に満たされ、
ワインもすすみ、
ほろ酔い気分で饒舌になり、
店員の料理の説明も適当に聞き流し、
グラッツェなど、意味のわからない言葉を繰り返し、
 
僕のクリスマスは終わった。
 
友人からは“Spiral Heart”という刻印の入ったZippoを貰った。
意味がいまいちよくわからなかったので、部屋に帰ってから調べてみた。
 
「人間の様々な渦巻く感情のこと」
 
あぁ、なるほどね。メリークリスマス。
2001年12月24日(月)  聖夜の3人。
彼女もいないので(作ろうともしないので)今年は1人淋しくイブを過ごすのか。
と思っていたが、MIUさんとアッコマンが救いの手を差し延べてくれた。
 
僕の部屋に2人のサンタがやってきた。
今夜はクリスマスイブキムチ鍋パーティ。
 
先に我が家に来たアッコマンと近所のスーパーへ買い物へ行く。
一言でキムチ鍋といっても、いざ買い物をするとなると、何を入れていいのかわからない。
よって「キムチ鍋のもと」のパッケージの写真を見ながら材料を揃えていく不慣れな2人。
「・・・これでいいんだよね」
「・・・いいんじゃないかしら」
というやりとりを連発する2人。
 
「あら、いつもの人と違うのね」
と何の気遣いもデリカシーもないことを言うレジのおばちゃん。
 
僕は仕事の終わったMIUさんを迎えに行き、
アッコマンは部屋に残り、キムチ鍋を作る。
 
「メリィークリスマス!」
そしてキムチ鍋パーティの幕が開けた。
アッコマンの不安は見事に覆され、立派なキムチ鍋が湯気を上げていた。
 
日頃は寂しい僕の部屋も、今夜は様々な色や形で彩られた。
クリスマスプレゼント。
MIUさんからはLEGOブロック。アッコマンからはCDとカレンダー。
クリスマスプレゼントって素直に喜びを表現できる。
なんだか、子供の頃に戻ったような感覚に浸った。
 
そして実際、僕は子供の頃に戻ってしまった。
 
キムチ鍋を1人中断して、LEGOブロック作成にとりかかる僕。
難解な面に差し掛かったらワインを飲んで、組み立ててワインを飲んで、
という大人なのか子供なのかわからない行動を繰り返す。
僕は玩具を目にすると、自制が効かなくなるのだ。
 
僕からは、大好きな匂いの香水をプレゼントする。
212とグリーンティ。嫌味のない香り。ささやかな空気を作る香り。
女性に香水をプレゼントするなんて初めてです。
 
アッコマンに貰ったCDを聴きながらクリスマスケーキを食べる。
これぞクリスマス。ワインとビールでほろ酔い気分のまま、音楽に耳を傾け、
生クリームとカスタードクリームを口につけながら取り留めのない会話をする。
 
気が付けば午前3時。
今年は、いつもと違った忘れられないクリスマスイブを過ごした。
2001年12月23日(日)  安息の場は何処へ。
午後2時。僕はまだ布団の中。
  
携帯が鳴る。後輩から。
「先輩!病棟で先輩と栄養士さんがデキてるって噂でもちきりですよ!」
 
君たちは、昨日の僕の哀れな姿をどう判断してそういう結果に持っていったのか。
「ホントなんですか!」
嘘に決まってるだろ。そんな用件でわざわざ電話しないでくれ。
 
続けて友人から電話。
「ねぇ〜暇なんでしょ〜今から来るね!」
 
「ただいま〜」
数十分後、いつものセリフで部屋のドアを開ける。
しばらく部屋で話をして、買い物に付き合ってもらう。
 
「ねぇ、私達ってクリスマス前のカップルに見えるかな」
僕はクリスマス前のカップルがどういうものかわからない。
「ねぇ、ティファニーのネックレス買ってよ〜」
僕たちはその辺の純粋なカップルじゃないからネックレスは買わない。
 
長々と買い物に付き合わしてしまったので、
「ご飯でもおごろうか」と珍しく僕から持ち掛ける。
「やった〜!ピッポッパッ。もしもしお母さ〜ん。今日ご飯いらないから〜」
 
さて何処に行こうかしら。と考えていたら携帯が鳴る。
「もしもし!先輩!何やってんスか!鍋!鍋!」
いつもの後輩がいつもの大声で話す。僕はこの後輩から電話がくる度に、
耳から受話器を遠ざけなければならない。
 
「鍋?何、鍋って?」
「くわぁぁぁぁぁ!!先輩っ!鍋!忘れてたんスか!今日先輩たちと鍋する日ですよ!」
「あ」
 
すっかり忘れていた。
「もうみんな集まってますよ」
時計を見る。19時30分。鍋が始まる時間。
 
ちらりと友人を見る。明らかに不満そうな顔をしている。
「ごめん、忘れてたんだ」
「もう、お母さんにご飯いらないって言ったもん」
「ごめん、本当にごめん」
「わかった。じゃ、ティファニーのネックレス買って!」
 
ムムム。
 
「わかったよ」
「何!?何!?聞こえない!?」
「わかんないよ」
「はぁ!?聞こえない!何言ってんのよ!」
「わかったよ!」
「何が!?」友人は満面の笑みを浮かべている。
「ティファニーのネックレス」
「を?」友人は満面の笑みを浮かべている。
「買います」僕はとうとう敗北宣言をした。
 
「やったー!!忘れないでね!約束だよ!はいっ!指きりげんまん!」
友人が小指を出す。
僕は人指し指を出す。
 
これが僕の最後の抵抗だった。
2001年12月22日(土)  忘・年・会。
職場の忘年会。数週間前は職場の病棟の忘年会だったので気楽だったが、
今回は病院全体の忘年会。
 
そして忘年会の企画・司会。
 
何が忙しいってもう何もかもが忙しい。
目に見えるもの全て考え付くもの全てが慌ただしい。
常日頃温厚な僕もちょっぴり感情を表出させたりして反省のここ数日。
 
僕はねぇ、聖徳太子じゃないんだから。
 
と思いつつも全てを成功させようとする。
僕の悪いところは困っていても人には絶対相談しないこと。
彼女にだって悩みを相談したことなんてない。
すべて自分で背負いこんで、極秘裏に解決しようとする。
 
白鳥が水面下で両足を激しくばたつかせるように。
 
そして今回も大成功。
こんな日は勝利の余韻に浸ったまま家に帰って1人でビールでも飲んで、
ゆっくりお風呂に入って、「お疲れ様」と心の中で呟いて暖かい布団に潜り込みたい気分なのだが、
 
「お疲れ様、じゃ、また明日」
「って先輩!2次会っスよ!疲れた?関係ないっっっス!」
 
2次会に参加しなければいけない。僕は、本当に、疲れているのに。
水のようなブランデーにイライラする。
飲み放題はブランデーのみ?そんな馬鹿な。
何杯飲んでも一向に酔えないので、
前から口説こうと思っていた新入りの栄養士さんともなかなか話ができない。
 
と思っていたが、栄養士さん、1人だけ飲み放題じゃないビールを飲んでいて、
1人だけ陽気に酔っ払って僕に絡んで来る絡んで来る。
 
「だからねぇ、んもう!わかんない人ねぇ!私はねぇ!英語科出てるけど
料理作らせたら一級品なのよ!わかる?栄養士を馬鹿にしちゃダメ!」
 
酔うと多弁になるのか元から多弁なのかよくわからないけど、
大声で僕に絡んで来る絡んで来る。
まるで僕は怒られてるみたいに小さくなって「そうですね。そうですね」と呟いている。
 
2次会の間、ずっと怒られっぱなし。
なだめると思春期の女性みたいに余計に反発してくるので、
僕は一貫して受容の態度を受けざるを得なくなっていた。
 
僕はねぇ、聖徳太子じゃないんだから。
2001年12月21日(金)  歩調。
周囲と歩調を合わせて進むことは波風立たなくていいけど、
時には寄り道をしていこうかと思うときだってある。
 
勿論、僕には寄り道しようという勇気さえ存在しない。
だから周囲と並んで進むけど、少しステップを変える。
 
ある人に、恋をした。
 
ステップを変える。チックタックチックタック。
僕に寄り添って、僕も寄り添って囁きかける。     互いに前を向いたまま。
時々目が合う。いつも僕から目を逸らす。ステップを変える。ピッチピッチチャップチャップ。
 
セミロングの髪が、僕の頬に触れる。     ステップを
 
互いにぎこちなくステップを合わせる。
ステップが合う前に、歩調が揃う前に、もう一度、あの人に逢いたい。
 
逢いたくない。逢えない。       だけどステップが
 
新しいものに出会うと、条件反射のように過去を振り返る。
それは悪い癖。そういう癖は一切合財捨てましょう。   いつまでもステップに
 
さようなら。
 
過去に別れを告げる。時間を超えた別れ。時間の概念。
あの時言った「さようなら」が、時を越え、ようやく魂を宿す。
それは言霊となり、僕の胸に刻印される。
 
ある人に、恋をした。
 
いつも諭すような口調で話す人。
僕は貴女の声に耳を傾け、体を預ける。
僕は子供のように素直になり、「うん」としか頷けない。
 
ステップが狂う。その人のステップに合うように僕はぎこちなく足を絡める。
 
ステップが狂う。
僕は自分のリズムを失う。
 
最後はいつもこうだ。僕は自分のステップを踏んでいない。
最初からいつもこうだ。相手のステップに合わせてしまう。
 
そしてそれを自分のステップと思い込んでしまう。
 
間違ってるけど、このまま進もう。
2001年12月20日(木)  深夜。キッチン。涙。
昨夜遅く、友人が泣いた。
 
ドアを乱暴に叩く音で僕は目覚めた。午前2時。
ドアが壊れそうなほど、乱暴に、その拳は、僕の部屋のドアを叩きつづけた。
僕はてっきり男かと思い、身構えた。
男に恨みを買うことは――なきにしもあらずだけど
深夜2時に乱暴にドアを叩かれるほど悪いことはしていない。
 
キッチンの電灯を燈すと同時に、ドアの音は止んだ。
「・・・誰」
僕は声の震えを悟られないよう、慎重に、そして声を若干低くして話す。
「・・・」
ドアの向こうからは何も聞こえない。深夜2時。本当ならば、何も聞こえない時間。
「誰?」
僕は少し苛立ちを込めた口調で話す。
ドアを乱暴に叩いて、そのあと無言だなんて失礼な話だ。
「・・・」
それでもドアの向こうは深夜の沈黙が支配している。
 
突然、僕の背後で携帯が鳴る。
僕は不意をつかれて必要以上に驚く。胸の鼓動を抑えながら携帯を取る。
友人からの電話。少なくとも深夜2時には電話をかけない友人からの電話。
「もしもし・・・」この時はもう、僕の声は震えていた。
「・・・」携帯の向こう側とドアの向こう側を支配している沈黙は、同じ沈黙だった。
外の冷たい空気にさらされた沈黙。声を押し殺している沈黙。何かの序章を思わせる沈黙。
 
僕は溜息をついて、ドアを開けた。
友人は黙って僕を見つめて、何も言わずに僕の部屋に入り、静かにキッチンの椅子に腰をおろした。
友人はいつまでも黙っているので、僕はキッチンにストーブを運んで、インスタントコーヒーを煎れた。
その間もちらちらと友人の方を見たけど、
友人はキッチンのテーブルに置かれているライターをずっと凝視していた。
 
詮索しないことにした。
 
僕も黙って椅子に腰をおろし、あくびを噛み殺しながらコーヒーを飲んだ。
友人の、最初の感情表現は、涙だった。そしてこの涙はこの日唯一の感情表現でもあった。
涙腺が壊れたんじゃないかと思うほど、その涙は自然に瞳から流れ続けた。
 
コーヒーを飲み終わって、2本目のタバコを吸い終わった頃、
友人は静かに立ち上がり、
「ごめんね」
と、だけ言い残し、深夜3時の闇(1時間沈黙していた)へ帰っていった。
 
僕は大きなあくびをして、3本目のタバコを吸って、
再び寝床へ戻った。
2001年12月19日(水)  訂正修正あなたのせい。僕の明日は南南西。
読者に伝染してしまいそうな暗い日記を書いてしまったので、
今日の日記は書き直し。
 
「死」について触れてみたけど、描写が生々しい。
日記の趣旨に反する内容だったので書き直し。
 
というわけで、まっさらな状態から、再び文章を書かなければならないのだけど、
はて、どうしよう。
 
明日のことを書きます。
明日は休日なんだけど、職場に行って仕事をします。
 
はい次は処置、そして注射、今度は点滴、はいカルテ記入。
という感じで時間に縛られて仕事をしてるけど、
明日は休日なのでフリーな立場で仕事ができます。誰も文句は言えません。
 
「僕は今日、休日なので」
 
この一言を明日は多用するでしょう。
僕は性格的に、いろんな仕事を二つ返事で請負ってしまうので、
一日にできる仕事の許容範囲を容易に超えてしまうのです。
 
だから、周囲の人達の期待に応えられるように、
休日出勤して、溜まった仕事を捌いていくのです。
 
笑顔で。
 
笑顔で。ポイントです。僕、仕事は全然きつくありません。という顔をして仕事を捌くのです。
相手が抱く気遣いを避け、負担は全て自分の元へ。
 
相手が期待する以上のものを。身を粉にして。
 
こういう行動はある意味自虐的でもあります。
自らに負担をかけ、それを苦労しながら楽しむ。
僕はマゾではないかしら。と思うこともあるけど、
 
夜の生活は、きわめて一般的です。
 
一般的というか合理的というか機械的です。悦びはあまり感じません。
どさくさに紛れて僕はなんてことを言っているのでしょう。
淡白なんです。
 
今日の日記は「死」について触れてみたけど、描写が生々しいので書き直しました。
表面的なものにこそ真実が隠されていたりしてね。
2001年12月18日(火)  曖昧と完璧の間。
物事の核心に迫るという作業は、随分つまらないことであって、
僕は往々にしてあらゆる出来事を曖昧に終わらせてしまう。
 
それが良いのか悪いのかという問題になると、
多分、寛大な眼を持って考察すると、それは良いことなんじゃないかと思う。
いや、ね、そもそも良いとか悪いとか、善とか悪とか、賞とか罰とか、陽とか陰とか、
そういう考え自体、あまり良くないことじゃないかな。
 
物事を曖昧に終わらすこと。僕にとっては、これが楽なんです。
そりゃあ、人によっては物事は白黒はっきりつけないと気が済まないって人もいると思う。
だけど、そういう人も基本的には(というか根底に流れてるものは)僕と変わらないのです。
 
自分自身が望む結果を得られればそれで万事解決ということ。
万事解決とかいっても、解決の形、結果の形は千差万別なんだけどね。
要するに
僕は物事を曖昧にして僕自身を納得させることができるし、
先述の人は物事に白黒つけて納得させることができる。
 
過程こそ差異あれど、自分を「納得」させること、言葉を変えれば「安定」させるということは、
共通しているのです。
 
ホームラン打って1点取るか、タイムリーヒットで1点取るか。
1点取ったことには変わりないんです。
 
こういう見解からも、人は人のことをとやかく言う筋合いなんてないのです。
批判なんて、しちゃあ、いけない。
君にとっての正義とは、僕にとっての陰なんです。
僕にとっての賞とは、君にとっての悪なんです。
 
だから、まぁ、ねぇ、そんなカッカしないでよ。
2001年12月17日(月)  人ノ間ヲ信ジラレ不
「あなたは人間不信じゃないかしら」
 
と、君は言ったけれど、それはどうかな、と思う。
― 人ノ間ヲ信ジラレ不 ―
多分、それは間違いではないと思うけど、正解でもない。
 
人は何かしら人間不信の部分を持っているのです。
君だって職場の同僚に対する愚痴を延々と話すでしょう。
 
「あなたは他人のことも自分のことも全然話さない」
 
他人のことは関心がないわけでもないけど、
その人の知らない場所でその人の話をするということの意味は?
― 人ノ間ヲ信ジラレ不 ―
自分のことを話さないということは、
自分のことを話しても、別に面白くないでしょう。
 
「ただウンウン肯いてるだけ」
 
ウンウン。僕は頷いてるだけ。君の話は面白いから。
 
「話はいつも一方通行」
 
別にいいじゃないか。君の言葉は全て僕の胸に留まっている。
いいよ。もう、いい。店を出よう。
 
僕は君に何を話せばいいんだ。
今日は朝起きて仕事行って家帰ってご飯食べて風呂入って寝ました。
おそらく明日もこの通りです。今日も滞りなくマニュアル通りに一日が終わりました。
これで、いいですか。
 
毎日毎日毎日毎日、君に何を報告すればいいんだ。
変化を求めてるの?刺激を求めてるの?
ん。僕には無理です。
君が永遠を求めているのならば、変化も刺激も求めないで。
 
相反するものを同時に求めないで。
 
― 人ノ間ヲ信ジラレ不 ―
 
人間不信だなんて、言わないでくれ。
2001年12月16日(日)  悪寒。焦燥感。
午前0時。明日の試験勉強を1分もしていない僕は、
今から小さなカプセルの中で教科書を開く。
 
という文章で昨日の日記は終わりましたね。
嗚呼、なんて頑張り屋さんなんでしょう。と思われた方もいるのではないでしょうか。
ごめんなさい。僕は、嘘を、つきました。
いや、教科書は開きましたよ。なんてったって明日は試験なんだから。
だけど、教科書に書いてある内容がさっぱりわからなかったのです。
 
「内容が難しい(認知)と感じて、冷や汗がでてきたら(生理的変化)、
はじめの会話に視線を戻して(行動)、情動や欲求が三つの側面と
いかに関連しているかを理解してほしい」
 
著者の望み空しく、残念ながら僕にはさっぱり理解できませんでした。
著者は物事を難しく考えすぎです。
そんな事ばかり考えているとロクな大人になりませんよ。
 
ロクでもない大人にならないために、僕は光速級の速さで教科書とまぶたを閉じ、
カプセルホテルに1階にある居酒屋へお酒を飲みに行った。
そっちの方がロクでもないじゃないか。と思われている皆さん。その通りです。
僕はご都合主義で快楽主義で楽観主義なのです。
民主主義の時代は、もう終わってます。
 
居酒屋のお姉さんと意気投合したりしてカプセル(カプセル!)に戻ったのが午前2時。
僕は何をしに福岡まで来たのだ。
居酒屋のお姉さん(といっても年下だったけど)の瞳がとても綺麗でした。
「君の瞳を見つけるために僕は福岡に来たのかもしれない」
とだけ言い残して、試験を棄権して鹿児島に帰ろう。
 
と、思っただけで、翌朝にはしっかりとあまりの不勉強に対し、焦燥する僕。
目が覚めて宇宙船の脱出装置の中にいるような自分に驚愕する。
ここはカプセルと理解するまで少し時間を要した。
 
試験は予想を反する問題で(実は予想もへったくれもなかったけど)、僕を困らせたが、
試験の内容以上に、寒さが僕を困らせた。福岡の12月ってこんなにも寒いのか。
煙草の煙なのか白い息なのか区別できないほど寒い。
 
早く鹿児島に帰りたいでごわす。
2001年12月15日(土)  猿のような1日。
早朝5時半起床。今日は登山の日。そして福岡出発の日。
休日に5時半に起床するなんて、(もう12月だけど)今年になって初めてのことだ。
休日に早起きすると、なんだかすごく損をしたような気がする。3文の得もあったものじゃない。
 
婦長さん、主任さん、そして後輩2人。
今日登る山は、去年の今頃、昔の彼女と一度登った。
頂上を見渡す彼女の横顔と、ビールの美味さは今でも忘れない。
 
午前9時、登山開始。午後12時30分、登頂。午後3時30分、下山。
過程を省いてしまったけど、とても楽しかった。
婦長さんと主任さんをフォローしつつ登頂を目指した。
僕は下山の時も、全く疲れることなく、歳柄も考えずに木登りなどしたりして
木の上から猿山のボス猿の如く、後輩に威厳を示していた。
 
「僕は昔から木登りが得意なんです」
と、だからどうした的な自慢をしていたその時、
 
木の枝から足を滑らす。
 
2メートル弱の木から落下。ボス猿は木から落ちた。
身体を気遣う婦長さん主任さん。大爆笑の後輩2人。
右肘と右大腿部を負傷する。滑らせた時は、本当に死ぬかと思った。
 
下山した後も、体力の有り余る後輩2人と僕は、
長い階段を見つけて、誰が一番先に登りきるかという
やってどうする的競争などをしていて婦長さんや主任さんを困らせていた。
 
下山後、近くの温泉に入り身体を休める。
温泉自体、極楽だったけど、浴室の壁に貼ってある温泉の紹介文の文法が目茶苦茶だった。
 
午後7時30分。僕は駅のプラットホームに立っていた。
午後11時。僕は福岡の地に立っていた。
午後0時。僕は、窮屈すぎるカプセルホテルのカプセルに入りながらこの日記を書いている。
 
近未来といえばそんな感じもするが、悪い意味では素っ気なさ過ぎる。
人間味がこれっぽっちも感じられない。
 
午前0時。明日の試験勉強を1分もしていない僕は、
今から小さなカプセルの中で教科書を開く。
2001年12月14日(金)  ヤングマン。
夜勤明け。14時、部屋に帰りソファーに横になり、そのまま深い闇の中へ。
 
目が覚める。23時、午睡に9時間も費やす。これは午睡とはいえない。
立派な睡眠だ。
目が覚めて、そばに誰かいてくれたり、食事が準備してあれば嬉しくて淋しくないのだけど、
当然誰もいないし、テーブルの上には何も乗っていない。
ストーブさえついていないし、部屋の電気も灯っていない。
 
シャワーを浴び、コンビニへ弁当を買いに行く。
寝過ぎたため、頭が重い。
 
明日の準備をする。明日と明後日は忙しい。
 
早朝5時30分起床。現在深夜1時。4時間30分後には起床していなければならない。
看護婦さんと後輩と登山に行く。
看護婦さんといってもただの看護婦さんではない。婦長さんと主任さん。
そして職場では若手のペーペーと一くくりにされて呼ばれている後輩2人と僕。
僕はこれでも主任なんだけど、いつまでも若手のペーペーの範疇から抜け出せないでいる。
 
午前9時に登山して、午後3時に下山予定。
そして温泉に入り、反省会。
 
午後6時には僕は駅のプラットホームに立っていなければならない。
大学の科目認定試験のため、福岡に行く。
 
早起きして登山して下山して温泉入って列車に乗って試験を受ける。
 
これが2日間の予定。
傍らには大きな鞄が3つ。実質的には2連休だけど、休む暇なんてこれっぽっちもない。
 
若さ所以に。
2001年12月13日(木)  金の盲者。
このサイトで日記を書き始めて、もう1年以上経つけれど、
お金について書いたことがあったかしら。と、ふと思ったので今日はお金について。
 
毎日毎日1000字近い日記を書いていると、
今日は何を書こうと考える時間を持つことが日課となっていて、
トイレに座ってるときや患者さんに血圧測定する時などに「あぁ、今日は何書こうかしら」
と日々悩んでいるのである。
 
お金について。時には逆の発想をしてみようかと。
興味のあることばかり書くのではなく、あえて関心ないものを書いてみよう。
 
というわけで、僕はあまりお金について興味というか執着がない。
西暦何年までに何百万貯めるとか、いずれ来たる結婚式のために幾ら必要だとか、
もしもの時(例えば入院や事故をしたとき)の費用はどうすればよいか、
とかそんなものは全く考えていない。
 
かといって決して浪費癖があるわけではなく、微笑ましい程度の貯蓄もしているし、
毎日の昼食は500円を超えない弁当を食べている。時々自分で弁当だって作る。
CDは月に1枚買う程度だし、ギャンブルもしない。
 
お金に対する野望がないというか、やっぱり執着がないのだと思う。
そりゃあお金があるに越したことないけれど、
好きな音楽と好きな小説と故障しない程度の車があったら充分ではないかしら。
 
月末には毎回困る。
嗚呼、貯金を卸そうかしら、それとも今夜はマーブルチョコレートで我慢しようかしら。
そもそもどうしてこうお金が足りないのかしら。
何を買ったらこんなにお金が減るのだろうか。
電気代だって月2000円だし、携帯代だって月3000円だし。
 
まぁ、あと1週間も我慢すれば給料日だし。
 
こんな調子である。反省をせずに同じ事を繰り返し、同じ事について悩み、
同じ事について楽観する。
 
給料を貰い、自分の給料で生活するようになってもう数年経つ。
最初の給料で何を買ったかなんてもう覚えていないし、
僕は給料明細を見ないでポケットのレシートと一緒にいつの間にか捨ててしまっているので、
基本給が幾らとか手取りが幾らとかはっきり知らない。
 
お金になんて執着したって何の得にもならい。
小さな悩みが――ただでさえ数えられないのに――1つ増えるだけである。
 
今日の日記終わり。
毎日こんなささやかな出来事を書くだけで僕は仕合せです。
2001年12月12日(水)  迷いの森の昆虫たち。
 ボクはアマガエル。迷いの森の迷いの川に住んでいます。
川から突き出た冷たい石の上で、毎日大きな目玉をギョロギョロさせて周囲を見渡しています。
一日中、石の上に佇んでいるので、川の流れや水位の変化に敏感です。
 今日の川はゆっくりと流れています。
嵐の日もボクはこの冷たい石の上に佇んでいます。
 ボクの為ではなく、川の為に。
 
 ワタシはテントウムシ。迷いの森のコスモス畑に住んでいます。
ここは暗くて怖いけど、どこよりも静かで大好きです。
近くの川のアマガエルさんはちょっと大人しいけど、遊びに行くと笑顔で迎えてくれます。
 コスモスさん達からアゲハチョウさんの話を聞いたことがあります。
コスモスさんも見たことがないらしいけど、綺麗な歌声と羽を持っているようです。
ワタシも一度会ってみたいな。
 時々ミツバチさんが遊びに来ます。ミツバチさんの話はとっても面白いです。
この時ばかりは静かで暗いコスモス畑も笑い声が絶えません。
ワタシはアマガエルさんもミツバチさんも大好きです。
 
 ワタシはアゲハチョウ。みんなワタシの綺麗な模様が入った羽を褒めてくれる。
花畑に行くとワタシは人気者。ワタシが羽を一振りさせるだけで
花達は歓声を挙げ、無数の花粉のシャワーを浴びらせてくれる。
 花粉に覆われたワタシの羽をもう一振りすると、羽の振りに合わせて花粉たちも踊る。
ワタシはお花畑の人気者。
 だけど迷いの森のコスモス畑は遠くて暗くて面倒臭いから行きたくないの。
ミツバチは喜んで行ってるみたいだけど、どうせ仕事のためなんでしょ。
コスモス畑でもワタシはきっと一番の人気者になれるわ。
 
 ボクはミツバチ。女王バチの為に毎日花の蜜を集めることがボクの仕事。
蜜を集めるのは嫌いだけど仕事だからしょうがない。
あまり真面目じゃないのでボクはいつもいろんな花畑に寄っては
そこの花達とお喋りをする。花の蜜なんて結局どの花でも一緒なのさ。
適当に仕事をこなすのが一番さ。花達に人気がある理由はそこなんだ。
 ボクは必要以上に蜜を持って帰らない。決められた量だけ持って帰る。
あとは花達と話をする。迷いの森のコスモス畑には面倒臭いからあまり行きたくないんだけど、
コスモス達はボクが来ると喜んでくれるから仕方なく行く。
  
これが、いい人とやさしい人と都合のいい人とおひとよしな人の違いです。
2001年12月11日(火)  味噌汁
彼女と同棲して1年の月日が流れた。
僕は彼女のことを愛していたけれど、同棲には反対だった。
恋愛は恋愛、私生活は私生活。僕はしっかりとした壁を作っていたかった。
しかし、彼女の熱意と強引さに負けて、同棲の話をした次の日は
彼女は大きな荷物を抱えて僕の部屋を控え目に3回ノックした。
 
最初は反対していたが、同棲生活は楽しかった。
朝起きると朝食が準備してあった。僕はパンとコーヒーで充分だったけど、
彼女は朝は和食という実家から引き継ぐこだわりを捨てなかった。
アパートの狭い廊下に響き渡る声で「いってらっしゃい」と声を掛けられ、
顔を真っ赤にしながら階段を降りた。
僕より遅く帰ってくる彼女の為にお風呂を準備したり、時々夕食だって作った。
 
同棲して10ヶ月目の秋、深夜、僕はそっと彼女の腕枕を外し、
ベランダでタバコを吸うようになった。1人でビールを飲んだりもした。
とにかく眠れなかった。
 
好きな人ができた。
 
彼女のことは愛していたけれど、その愛情は「家庭的」な愛情へと変化していた。
僕はまだ刺激が欲しかった。束縛されるのを嫌がったり、彼女が夜遅く帰ると嫉妬したりしたかった。
「非家庭的」な恋愛がしたかった。ないものねだりということは充分わかっていたけど。
 
そして同棲1年目の今日、僕は彼女に別れを告げた。
好きな人ができた。このままでは君と一緒に暮らしていくことはできない。
僕はできるだけ感情を殺して呟いた。別れよう。

彼女は泣いた。壁の薄いアパートで叫んだ。
「どうしてなの。わからない。どうして私じゃいけないの。どうして。どうして」
彼女が連呼する「どうして」に僕は答えることができなかった。

彼女はしばらく泣き叫び続け、突然静かになり窓を見つめていた。
窓にはカーテンがかかっていた。カーテンの外には僕の自由、彼女の混乱が待っていた。

「わかったわ」

彼女は声を振り絞るようにそう言った。
 
不幸な夜を過ごしてもいつも通りに太陽は昇る。
目が覚めると僕の横に彼女の姿はなかった。
テーブルの上には朝食が短い手紙と一緒に並べてあった。

「さようなら。とても楽しかった。ずっと忘れない。あなたを愛したことを」

僕は彼女が作った最後の朝食を――彼女の朝はいつも和食だった――
冷めてしまった味噌汁をすすった。
涙と混ざって、いつもより少し辛かった。
2001年12月10日(月)  賢者の椰子。
MIUさんと「ハリーポッター」を観に行った。
 
お昼前に待ち合わせ。僕はまたもや待ち合わせ時間に遅れる。
もしかして僕は時間にルーズなのかもしれない。
池女さんを空港に送る時は、事故の渋滞に巻き込まれ、
今日は、松の木伐採の工事に巻き込まれた。
 
道の真中で堂々とトラックを止め、松の木を伐採している。
「クリスマスツリーに使うのよきっと」
とMIUさんは言った。本当にそうなのかもしれない。
12月に松の木を伐採する理由はそれしか考えられなかった。
 
映画の前に食事に行った。パスタを食べる。
「僕がご馳走する」と言って、伝票を手に取り、レジの前に立った。
「1700円です」僕は財布を取り出した。2000円しか入っていなかった。
顔に出ない程度に狼狽する。2000円しか入っていなかった。
銀行に寄ることを忘れたのだ。
 
いや、銀行には寄ったけれど、ATMに並ぶ人数を見て諦めたのだ。
僕がお金を下ろす順番が回ってくるには、
コインランドリーの乾燥機で毛布が余裕で乾くくらいの時間が必要だった。
他の銀行に行こう。
 
そして他の銀行に行くことなどすっかり忘れてパスタをご馳走する所持金2000円の馬鹿男誕生。
 
食後、近くの銀行に寄って財布に潤いを与える。
そして映画へ。
 
「ハリーポッター」
僕は映画を観に行くときはだいたい原作を読んでから行くのだけど、
今回はあえて原作を読まなかった。
原作を読んでから映画を観る楽しさは、想像力と映画とのギャップを楽しむことだが、
映画を先に見てから原作を読んだ時、新たな想像力が追記されるのではないかと思ったからだ。
今回の映画はメルヘンな内容なので、尚一層、想像力を養わなければならなかった。
 
僕のメルヘンに対する想像力は、ものすごく貧弱なのだ。
魔法使いは鷲鼻のお婆さんと直結している。ごく一般的な想像力。
これでは原作読んでも楽しめない。だから映画で貧弱な想像力に映像を焼き付ける。
 
映画の内容。僕は傍目をそらすこともなく、スクリーンに喰い入った。
ガンバレポッターマケルナポッター。
朝起きて1杯、車内で1杯、食後に1杯、コーヒーを飲んだけど、
尿意を催す時間さえ与えずに最後まで心躍らされた。
 
映画を観た後、歩きながら感想を話し合う時は映画の隠れた楽しみの一つといえる。
僕は一人の子役に注目した。ポッターの親友、ロン。君の顔は子役顔ではなかった。
2001年12月09日(日)  午睡と決断。
「部屋にいるのはわかってるのよ!」
午後2時。友人からの電話。留守電を聞きながらどうしようか迷う。
今から昼寝をしようと思ってたのに。
留守電の20秒全て使おうとする友人はまだ話し続けている。
 
「もしもし」僕は電話を取った。
「あら、やっぱりいたのね。美容院に行ってきたの。10分後に来るね」
 
友人は5分後に来た。
2人でぼんやりテレビを見た。何もすることがなかった。僕は昼寝がしたかった。
「ねぇ、本屋に行こうよ」
「うん」
昼寝以外、何かしたいこともなかったので本屋に行った。
 
僕は立ち読みをして、友人は漫画を買った。
友人は僕の部屋に財布を忘れて化粧ポーチだけ持っていたので、僕が替わりに清算した。
なぜ本屋に行くだけで化粧ポーチを持っていくのだろうか。
 
部屋に帰ってから友人は買ったばかりの漫画を読み、僕は小説を読んだ。
小さなボリュームで流れる音楽と石油ストーブのヤカンの音。
僕はソファーに寄り掛かりながら寝てしまった。
友人もタオルケットで全身をくるみ寝てしまった。
 
どれくらい眠っただろうか。
目が覚めたらもう一人友人が増えていた。
とっくに目覚めていたらしい友人と大きな声で話をしていた。
エビせんべいの取り合いもしていた。
 
わざと大きな欠伸をして関心を寄せようとしたけど、
彼女達はチラリとこちらを見ただけで話の続きを始めてしまった。
なんだかこのまま起きるのも馬鹿らしいので、もう一眠りすることにした。
 
ファミレスで夕食を摂ってから、再び部屋に帰り、結婚のことで揉めた。
2001年12月08日(土)  乾いた杯。
久々に――久々といっても、10月の結婚式以来だけど
親友達が集まった。高校からの親友。
 
10月に結婚した消防士。
去年結婚した公務員。
コンビニの若き店長。
料亭の若き支配人。
 
近況は語り合うまでもなく、僕たちはそれぞれの近況はだいたい把握している。
だから僕たちに残された話題は、他愛の無い話。
僕たちはこれまで争うことなく、マイペースで付き合ってきた。
 
僕は遅れて店に入る。彼等は皆、ビールをジョッキ一杯ずつ飲んでいた。
「ずいぶん早かったね」
公務員の友人が遅れて来た僕を皮肉って言う。
「生ビール下さい」
彼の話には取り合わずビールを注文した。
「無視かよ!」
彼は高校の頃からさま〜ずの三村風のツッコミをする。
テレビでさま〜ずを見ると僕はいつも彼を思い出す。
 
「今日はめでたい日だっていうのに」
彼はもったいぶってそう言う。
「愛子様ご誕生で充分だよ」
僕はジャケットも脱がずに運ばれてきた生ビールを飲む。 
「で、何?」コンビニの店長の枝豆をつまみながら尋ねる。
「彼女ができたんだ」消防士が応える。
「え?誰が?」
「俺たち」コンビニの店長と料亭の支配人がニヤニヤ笑っている。
 
「マジで!?」僕は驚く。仕事で私生活を犠牲にしている彼等に久し振り彼女ができた。
「おぉ!これはめでたい!皇室番組見てる場合じゃなかった!」
僕達は乾杯する。親友達の幸福に。
 
「で、お前はどうなんだ」
料亭の支配人が僕に尋ねる。話の流れ上、勿論そういう話題になる。
「あぁ、どうなんだろうね」僕はまるで他人事のようにそう応える。
「この前言ってたコとはどうなったんだよ」親友は僕の古傷を探り出す。
「あぁ、どうなんだろうね」僕はまるで他人事のようにそう応える。
 
恋愛は、僕にとって、まるで他人事だ。その言葉に感情は含まれない。
例えるならば「コンビニ行こうよ」「うん。行こう」そういう感じ。
まるで他人事。感情は含まれない。
 
生きた感情が渦巻かない限り、僕は結婚なんてできない。
虚構の恋愛はいくつでもできるんだけどね。乾杯。
2001年12月07日(金)  恋する遺伝子。
――もう少し早く言ってくれたらよかったのに
 
――来ないで
 
――いいよ、もう、無理しなくて
 
――さようなら。もう忘れて。元気でね。
  
――あなたとは、もう会えない
 
――そんなこと、知らなかった
 
目を閉じて、思い出してみる。
僕の心に刻み込まれた最期の言葉。
それぞれの物語のそれぞれの終焉。
ハッピーエンドは結婚だなんていうけど、それは、嘘だ。
 
「もう少し早く言ってくれたらよかったのに」
僕は自分の思いを伝えることに欠けていた。
ほんの一瞬のタイミングを見逃して、ほんの些細なすれ違いで、僕達は別れた。
 
「来ないで」
不確かな未来を信じ、僕は彼女を捨てた。
幸せだったけど、このままじゃ終われないと思った。
棘の道へ歩みだした時。その道の入り口で彼女は呟いた。来ないで。
 
「いいよ、もう、無理しなくて」
僕はいつの間にか、親愛なる相手にまで心を閉ざしてしまった。
手をつないでもキスをしても抱き合っても、心は僕さえ知らないところからいつも見下ろしていた。
彼女は敏感だった。そういう僕の存在をとっくに気付いていた。
 
「さようなら。もう忘れて。元気でね」
一度閉ざされてしまった心はなかなか開かず、愛情を抱くことに少しの難解さと
多大なる苛立ちを感じ始めていた。僕は言った。もう駄目だ。と。
 
「あなたとは、もう会えない」
今までで一番短くて一番愛した女性。
心の隙間に細い指を入れて、優しい言葉で開いてくれた女性。
突然の終焉を迎えたけれど、彼女は確かに僕を救った。
 
「そんなこと、知らなかった」
僕は君の全てにはなれない。僕の全てを早く知ろうとしすぎたんだ。
そんなこと、知らなかった。僕は君のことは何一つ知ろうとはしなかった。
 
全ての言葉が、それぞれの季節が、それぞれの場所が、それぞれの音楽が、
それぞれの感情が、それぞれの愛情が、それぞれの涙が、
 
少しずつ、少しずつ、
僕の遺伝子に刻み込まれていく。
様々な過去の思いを言葉に変えて文字に変えて僕は記し続ける。
 
荒れた手を太陽にかざす。今日も明日も僕の手のひらには赤い血が流れ続ける。
 
無駄なものなんて何一つないんだ。
膨張する遺伝子は、きっとハッピーエンドへ導いてくれるはずだ。
 
僕の心が完全に開くときへ。
2001年12月06日(木)  嘘も方便。
3日前の日記で、タクシーの中の出来事を書くことを忘れていた。
 
3日前、職場の病棟の忘年会。
早く家に帰りたかったので、僕は止める後輩を振りほどいてタクシーを拾った。
そのタクシーの中での出来事。
 
「今日は忘年会ですか?」前を向いたままタクシーの運転手が言う。
「そうです。忘年会でした」
僕は運転手にわからないように顔をしかめる。
 
話好きなタクシーの運転手は苦手なのだ。
どうにか楽しい話題にしようとして気を遣ってしまう。
タクシーの運転手が話し続けてその話題が終わってしまって車内に沈黙がやってくると、
次は僕が話し掛けなくてはいけないのかしら。と思ってしまう。
そういう訳で僕は話好きなタクシー運転手は嫌いだ。
 
「美容院の?」運転手がちらりと僕を見てそう言う。
「えっ?」僕は聞き返す。
「美容院の?」運転手は同じ事を言う。美容院。聞き間違えではない。
「えっ?」しかし意味がわからないのでもう一度聞き返す。
「美容院の忘年会でしょ」運転手はゆっくりと話す。
 
美容院?なぜ運転手は職業も聞いていないのに美容院の忘年会と決め付けているのだろうか。
「ハハッ。美容院の忘年会じゃありませんよ」僕は優しく否定する。
「で、どこであったの?忘年会は」
「さっきタクシー乗ったところの手前の料亭です」
「ああ、そう。あそこは美味しいよねぇ」
「そうですね」僕は好んでこの言葉を多用する。そうですね。
「しかし大変でしょ。美容師さんも」
やっぱりこの運転手は人の話を聞いていない。
 
「いや、ね、うちの娘も美容師やってるんですよ」
結局この運転手は娘の話をしたいだけかもしれない。
「へぇ」
と僕が驚いたところで美容師の娘との共通点なんて一つもないけど。
「毎晩帰りが遅いんですよ。朝は早いし夜は遅い。大変ですよホントに」
「へぇ」
「で、おたくはどこの美容院にお勤めですか?」
だから僕は美容師じゃないと言ってるのに。
 
しかし今更「私、美容師じゃありません」とは言えないし。
ていうかさっき美容師じゃないと言ったのに。
面倒臭いので僕は話を合わせることにした。どうせ今回限りの話なんだから。
「えっと、国道沿いの○○○に勤めてます」
「えっ!?うちの娘と同じじゃないですか!」
 
早く家に辿り着いてほしかった。
2001年12月05日(水)  我ら東京地検特捜部。
アフガニスタン情勢を差し置いて、皇孫ご誕生は過去の話の如く、
どこのチャンネルをまわしても野村沙知代一色。
こういう類のニュースは午後2時からの低俗情報番組で垂れ流せば充分である。
 
約6億円の所得隠し。それがどうしたというんだ。
皆それを好奇の眼差しでブラウン管に喰い入って何が楽しいのだ。
僕も今日、去年のコートを出して、ポケットから2300円の所得隠しが発覚したが、
僕にとってはそっちの方が大ニュースである。
 
目糞鼻糞の情報を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し。
「繰り返しお伝えします。本日、東京地検特捜部は野村沙知代容疑者を・・・」
呆れてしまって、そんなに繰り返さなくてもよろしいよ。
とニュースキャスターに優しく話し掛けたくなる。
 
皇孫ご誕生の時もそうだったが、日本のマスメディアは同じ内容を繰り返して時間をかせごうとする。
 
「次は、雅子様の幼少の頃からのお友達の父親からの御祝いのメッセージです」
なんだよそれ。誰だよそれ。
 
「次は、雅子様が通っていたお花の教室で一緒に学ばれていた御友人からの御祝いのメッセージです」
「雅子様、この度は本当におめでとうございます。
雅子様とはあまり会話を交わしたことはなかったのですが、この度は、云々」
ホントに友達かよ!
 
こうして考えてみると、マスメディアは無駄が多すぎる。
ニュースなんてものは、画面の上に申し訳なさそうに現れる
たった一行のニュース速報で充分なのだ。
そのニュースについてどう考えるかは、それぞれが考えればいい。
 
だから今回の野村沙知代容疑者逮捕の事件にしたって、
わざわざ衆議院選挙立候補や歌手デビューやはたまた写真集の件まで持ち出すことないのだ。
あぁ、無駄無駄無駄。
 
僕たちは毎日井戸端で暮らしてるんじゃないんだから。
2001年12月04日(火)  午後4時の契り。
仕事帰り、近所のスーパーで買い物をしていると、
僕の隣でシャンプーを選んでいる女性と目が合った。
どこかで見たことがある。どこかで話をしたことがある。
シャンプーを選ぶ振りをして考える。隣のショートカットで目の大きい女性は、誰だ。
 
どんな会話をしたか考える。そこまで深い会話はしていないはずだ。
 
どんな服装をしていたか考える。彼女は、その時、何を着ていただろう。
 
話し掛けることを躊躇する。もしかしたら人まちがいかもしれない。
疑惑が確定を上回る。たぶん、人まちがいだ。
 
シャンプーとトリートメントを適当に選んで、そこから去ろうしたその時、
「ねぇ」
と、声を掛けられた。振り向くとその女性が口元を少し曲げた笑みを浮かべて立っている。
「あ」
と、僕は声を発する。「あ」 あまり意味のない言葉。
 
「今日、予約入ってたんだけど」女性が言う。
「あ」 僕が言う。僕は「あ」 としか言えないのか。しかしこの「あ」 は疑問符の付いた言葉。
予約?何の予約?僕はこの女性と何を約束していたのだろう。
僕はもう一度、女性の顔を見つめる。予約?予・・・約?予・・・・・約!?
 
「あ」 僕はまた同じ言葉を発する。しかしこの「あ」 は感嘆符の付いた言葉。
「4時」彼女は意地悪にそう言う。そう。僕は4時に約束していたのだった。
「4時」彼女は語句を強めてもう一度言う。4時。僕は苦笑いをする。
 
「ごめんなさい」
 
「気を付けてね」彼女は優しくそう言った。
そんな優しい言葉で僕を責めないで。
こういうときの怒りは露に表した方が楽なことを知ってるくせに。
 
午後4時の予約。あの時は忘れていなかった。忘れるはずがないと思っていた。
午後4時の契り。あのとき僕は少し頬を腫らしていた。
腫れた頬をさすりながら、彼女に次は4日の4時に来ると約束をした。
 
「その時間なら空いてます」
彼女もそれを快く受けいれてくれた。
 
僕はそんなことをすっかり忘れて、仕事に追われていた。
彼女は、午後4時の夕暮れの中、何を考えていたのだろう。
 
本当にごめんなさい。歯医者の受け付けのお姉さん。
決して治療が怖かったわけではないんだ。
2001年12月03日(月)  夏休み。忘年会。
休日。午前中は銀行に行ったり、家賃払いに行ったり、トイレ掃除したり、
電話取らなかったり、魚の目削ったり、ソファーの下から500円玉見つけたり。
 
午後。500円玉が眠っていたソファーで小説を読んだ。
昼食はピザを頼んだ。メキシカンチキンを頼んだけどタバスコがきれていて美味しさ半分だった。
 
お、なんだ。今日の日記。今夜は小学生の夏休みのような日記を書いてます。
酔って書くとどうもいけない。
 
夕方はプレステをしていました。電話がかかってきたのでとりました。
後輩からです。「関係ないッス」が口癖の後輩からです。
 
「今から来ていいッスか」
「ダメです。忙しい。明日職場で会いましょう」
「ゲーセンで峰不二子のフィギアとったんです」
「至急来い」
 
僕は峰不二子に弱いのです。峰不二子こそ理想の女性像。
裏切られても裏切られても僕はルパンのように諦めずに追いかけ続ける。
峰不二子万歳。峰不二子のフィギアはもっと万歳。
 
20分程して後輩が来る。峰不二子のフィギアを確認してから部屋に入れる。
「今日、一緒に行きませんか」
「どこに」
「どこにって忘年会ですよ」
「!!!」
今日は職場の病棟の忘年会だった。すっかり忘れていた。
 
病棟の忘年会。僕はつい先日病棟移動を言い渡されたので、今日で最後。
「今日はあなたの送別会も兼ねてるからね」
看護婦さんが悲しいことを言う。これからも同じ病院内で働くというのに。
 
頗る飲んで、頗る怒られて――僕は何かと看護婦さんに怒られる。多分怒られやすい性格なんだと思う。
先輩と後輩を引き連れてビリヤードに行く。
うちの職場は2次会の前にビリヤードに行く風習がある。
そこで最下位だった人は職場で1週間程「負け犬」と呼ばれてしまう。
だから先輩も後輩もみんな必死。僕も必死。後輩が最下位で泣きべそをかく。
 
泣きべそをかいたと思ったら今度は逆ギレしだして店内を大声でわめきながら
「先輩!2次会行きましょう!僕は、もう!いいです!関係ないッス!」
などとワケのわからないことを言い出す始末。
 
僕は「まだ今日の日記書いてないから帰る」と誰も納得しないような理由で早々にタクシーを拾って我が家へ帰る。
そして今、この日記を書いている。
 
酔っているので、文章がまとまらない。
まるで小学生の夏休みの日記みたいだ。
2001年12月02日(日)  ロンドン橋。
夜勤明け。
 
午前6時。病院のグランドにはロンドンの朝のように濃い霧が周囲を白く染めていた。
仕事を少し中断して、グランドを歩いてみる。
霧で濡れた冬の芝生。その霧は白衣と同化して僕はその時、霧の一部となった。
遠くから声が聞こえる。なんだか懐かしい響き。過去の残片か、記憶の残響か。
そっと目を閉じて耳を澄ます。
 
「・・・・さ〜い・・・・」
「・・・・・なさ〜い・・」
「・・・・・・きなさ〜い」
神経を集中させる。霧の向こうで誰かが呼んでいる。
「戻ってきなさ〜い!!」
 
看護婦さんだ。
僕は現実の世界へ引きずり戻され、慌ててナースステーションに駆けていった。
病院の朝は忙しい。
日中の5分の1の人数で患者さんを看なければならない。
 
明るい声と健やかな笑顔と睡眠不足。これが夜勤だ。
 
「おはようございます。調子はどうですか?」
 
僕は「調子はどうですか?」という言葉はあまり使わない。
YESかNOしか導き出さない言葉は使いたくない。
こんな質問は野暮であり無駄である。
 
しかし夜勤明けの朝はついこの言葉を使ってしまう。
多分、疲れているからだと思うけど。
2001年12月01日(土)  冬の始まり「カノン」の終わり。
寝る前に携帯が鳴った。「カノン」はあの人専用の着信音。
久々に聞く「カノン」はある種の切実さを訴えていた。
 
僕は携帯を取りにキッチンまで行ったが、少し躊躇して立ったまま
16和音の「カノン」の演奏が終わるのを待った。
午前1時。大きな欠伸をして、ポカリを飲んで、キッチンの椅子に座って
再び「カノン」の演奏を待った。必ずもう一度電話がくるはずだ。
 
電話がこなければかけ直すことはないし、
電話がきたら、それは、その時、また、考える。
 
午前1時30分。僕は確実に電話を待っていた。
雑誌や小説を読んで、電話を待っている自分を否定していた。
今更、何になるのだ。
スタッフスクロールが流れ終わり、「THE END」が降りてくる時を待つ時間。
 
多少皮肉的で悲劇的ではあったけれども、終末を迎えた小さな物語。
君には僕は荷が軽すぎて、
僕には君は荷が重すぎた。
やがて天秤はバランスを失い、それぞれの皿に乗ったそれぞれの思い出は
あの週末のレストランの中で粉々に散ってしまった。
 
黙って席を立つ君。黙って外を見る僕。
忘れ去られたマフラーと、料理の請求書。いつも食事は割り勘だった僕達は、
その日、初めて僕がまとめて払った。
 
あれから僕はいくつかの恋をして、全ての恋がうまくいかなくなった。
僕は忘れ去られたマフラーで首を締め続けられる。
 
また、冬が来てしまった。
 
午前1時40分。再び「カノン」が鳴り響く。
穏やかな曲調の向こう側で君は何を思い、受話器を持っているのだろう。
 
僕は躊躇して、目を閉じて、僕の指で「カノン」の悲しい響きを終わらせた。
ベランダから見える夜空から、ようやく「THE END」の文字が降りてきた。

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