2001年11月30日(金)  時にはあの頃の目線を持って。
九州精神保健学会に出席した。
 
午後からはシンポジウム。
「児童・思春期の子供の心を理解するために」
引きこもりや虐待やトラウマやPTSDや不適応についての様々な立場の人達の公演。
 
そこで公演したスクールカウンセラーの人が
「現代の中高生などの若者は無気力、無感動、無目的、(どうせオレなんか)などの自己否定感、
(今がよければそれでいい)などの投げやり的な表現をすることが特徴です」
と言っていた。
いわば現代の若者は自分を微小化しているのだ、と。
 
その言葉を聞いて帰りの車の中で少し考えてみた。
若者を無気力へと追いやる社会の病巣はどこに隠れているのだろう。
挑戦する前になぜ挫折するのだろう。
学業による価値付けが悪いのだろうか。欠点指摘型の教育が悪いのだろうか。
過干渉的養育態度が悪いのだろうか。親の要求水準の高さが悪いのだろうか。
 
なぜ、君たちの世界はそんなに狭く見えるのだろう。
  
きっと現代の若者たちは人生を微小表現しているのではなく、
逆に過大表現しているのではないだろうか。
現代社会を生きるための選択肢は昔と違い、いくらでも存在する。
 
いくらでも存在するのだ。その気になれば何でもできる。
しかし、選択肢が多すぎるのだ。
あいつは生真面目な性格だから公務員が向いてるかもね。そんな時代は20世紀で終わっているのだ。
その生真面目さを生かして作家にも画家にもデザイナーにもカメラマンにもなれる時代になったのだ。
自分の秘めたる可能性を充分に発揮するお膳は整っているのだ。
 
しかし、いかんせん選択肢が多すぎる。
歳の頃18・19の若者に自分の秘めたる可能性なんて見分けられるわけがない。
だからスチューデント・アパシーやモラトリアム症候群やピーターパン症候群が出現するのだ。
 
飽食社会が生んだ利点であり欠点でもある未知の可能性。
僕たちは目の前に広がる無数の選択肢の前に立ち尽くす。どこを進めばいいの?
この道も通ってみたいけど、あの道も行ってみたい。
後ろを振り返ると親や教師が追ってくる。僕たちは彼らが追いつく前にどれかの道に飛び込まなければならない。
この道も通ってみたいけど、あの道も行ってみたい。
そう迷っているうちに目の前には親や教師が立っていた。
 
目の前に立ちはだかる大人を前に、僕たちは抵抗する術(すべ)なんて持っていなかった。
2001年11月29日(木)  つまらない日記と否定的な努力について。
今日はつまらない話題。論文について。
論文についての日記なんて、少なくとも僕は読まない。
 
さて、論文について。
僕は通信大学で心理学やら福祉やら国際関係やら
大きな目でみると、どうでもいいことばかり学んでいるのだけど、
1〜2ヵ月に1回のペースで片道4時間の列車に乗って科目終了試験を受けなければならない。
試験は全て論文形式。
 
僕は努力や情熱などはどちらかというと否定的に考えているので、
どうにかして要領良く、セキュリティーホールを突くような術はないかとばかり考えているのだが、
試験を数科目こなすにつれ、論文にもコツがあることに気付いた。
 
結局、論文なんてものは「知ったかぶり」なのだ。真面目に考察しちゃぁ、いけない。
最初の1行から最後の1行まで、起承転結すべて「知ったかぶり」をすればいいのだ。
嘘の上塗りでレポート用紙を埋め尽くせばいい。
 
例えば、数日前の試験の課題の1つ、「アメリカとスウェーデンの福祉について」
日本の福祉でさえ何が何だか理解できないのに、アメリカとスウェーデンの福祉なんて理解できるはずがない。
「ヨシオ君ちのお父さんとお母さんについて」
僕の両親が仲が良いのか悪いのかさえわからないのに、ヨシオ君の両親の関係だなんてわかるはずがない。
 
まぁ、それなりに事前に勉強することは確かなんだけど、
勉強にあまり時間を費やしたくないので(アメリカやスウェーデンの福祉が今後の僕の人生に役に立つとは思えない)
ポイントだけを抑える。例えば専門用語、SSIやらFSやら。 
それだけ。この程度の勉強は試験開始10分前からでもできる。
 
あとは「知ったかぶり」。詐欺師が饒舌に言葉を支配するように。
「私は〜のようだと思う」こういう表現は駄目。「〜なのだ」と決定した文章に終止する。
 
「以上のような観点からスウェーデンの公的扶助の一部はアメリカのFSと共通する部分がある」
共通する部分があるもなにも、僕はスウェーデンの公的扶助もアメリカのFSも詳しいことなんて知らない。
ただそれを評価する人が
「う〜んスウェーデンの公的扶助とアメリカのFSは別物だけど似てなくもないよなぁ」
と思ったらこっちのものである。
 
相手に考えさせる文章を。相手が自分で結論を導かせる文章を。
これが論文成功へのコツである。
2001年11月28日(水)  依存するということ。
大好きなサイトの日記に『「好き」と自覚する瞬間』について書いてあった。
僕もこの問題について物心ついた時からずっと考えていた。
 
テーブルで向かい合って食事をしながら、手をつないで歩きながら、
手料理を食べながら、風呂上りの髪の毛をブローする後姿を眺めながら、腕枕をしながら、
 
僕はいつこの人を好きになったのだろう。
 
と考えていた。
無意識にせよ「好き」と自覚する瞬間は本当に存在するのだろうか。
 
僕は恋愛とは「共依存」だと考えている。
共依存とは、人間関係において、きわめて他人に依存的で、
他者をコントロールしようとする状態のことであり、
近年、アダルトチルドレンやアルコール依存症でよく聞かれる精神医学的な言葉だが、
恋愛だって一種の共依存ではないだろうか。
 
他人(恋愛の場合は恋人)に依存することによって自己証明をしようとする。
恋人を媒介として、自分が自分であることを、自分はここに存在することを、証明する。
共に依存しあい、欠点を欠点で補い、美点を美点で埋める。
これが恋愛。
 
「好き」と自覚する瞬間の答えを握る鍵はここに隠されている。
 
相手に対して、この人なら私を委ねられる。と思ったとき、
心の扉を開いたとき、
この人に倒れこんだら支えてくれそう。と思ったとき、
 
それが「好き」と自覚する瞬間。
もっともそのような感情は常に無意識下で行われるだろうけど。
 
 
             ――中略(省略)――
 
 
このような日記を書いてたらなんだか僕は悲しい人間のように思えてきた。
相手に依存することを避けているのではないかしら。
 
「あなたは私のものにはならなかった」
「本当のあなたはどこにいるの?」
「恋愛ごっこしてるんじゃない」
「あなたは恋に恋してる。私に恋なんてしてない」
 
今まで僕の横を通り過ぎていった人たちの言葉が蘇える。
それぞれ言葉は違うけど、みんな僕の重大な欠点を知っていた。
僕だけが知らなかった。
 
人に依存することは汚点としか考えてなかった。
共に考え、共に悩み、共に行動する。
こんな基本的な事ができていなかった。僕は僕。君は君。
  
このままでは駄目だ。時には自ら寄り添ってみよう。
背伸びをせずに、足元を気にせずに、周囲を気にせずに、
 
あなたを心から大好きです。と。
神にだって誓ってみせるよ。と。
2001年11月27日(火)  忘却の彼方の無邪気さよ。
僕は子供が好きだ。無類の子供好きだ。
あまり人前で子供が好きだと言うと、ロリコンなどと言われるのであまり口に出さないようにしている。
いわば隠れ子供好きだ。隠れ子供好きとか言うと一層ロリコンなどと言われそうな気がするけど。

友人宅に遊びに行って小さなベッドで寝ている赤ちゃんを見るととても羨ましく感じる。
子供は羨ましいけど結婚はまだしたくないので僕の望みが叶うにはまだ遠い話。
歌手にもなれないで紅白に出てみたいという願いと一緒だ。
物事はしっかりした過程を経なければならない。子供の前に結婚。結婚の前に恋愛。嗚呼。

「結構大変だよ」
つい最近パパになった友人が言う。まぁ、子育てって、大変なんだな。と思う。
きっと僕の子供好きは、ネコが好きとか犬が好きとかはたまた爬虫類が好きだとか
そんなものと変わらないと思う。

子供の哲学も思想もポリシーもない、その無邪気さが好きだ。

3日前の出来事。僕は池女さんと市電に乗っていた。
生憎、電車は満員で僕達は吊り皮に掴まっていた。
目の前のシートにはお父さんとお母さんに挟まれて5歳位の女の子が座っていた。
女の子はビニール袋に入ったモチを食べながらチラチラ僕達を見ていた。
僕は腹が減った仕草をしたり、口を大きく開けたり、おどけた表情をしたりして女の子の反応を楽しんでいた。
女の子は、そのモチを服の中に隠したり、僕達を上目使いで見ながら美味しそうに頬張ったり、
僕がア〜ンと口を開けると、「ハ〜イ」とモチを持った手を上げたりした。

目的地に着いたとき、僕達はその女の子に手を振った。バイバイ。
女の子も恥ずかしそうな顔をして手を振った。バイバイ。

「デートでしょ〜」

僕達が料金口へ向かおうとしたときに背後で女の子の声がした。
「デートするんでしょ」
振り向くと女の子が笑ってそう言っている。
「こらっ!どこでそんな言葉覚えたの!」母親が慌てて小さな声で子供を叱咤する。
「だってショージ先生が言ってたも〜ん」女の子は当然のようにそう言った。

ショージ先生という人が4・5歳の女の子にデートとは何たるかをどのように説明したかわからないが、
純粋で無邪気でモチを頬張る女の子には
男性と女性が一緒に市電に乗っていたらそれはデート以外の何物でもなかったのだろう。

最後に女の子がまた手を振った。僕達も笑って、また手を振った。
2001年11月26日(月)  歪の週末(空港編)
職場に無理が通って道理が引っ込んで今日も休日をもらった。
昨日は列車の中で5時15分に起床して、今日は11時に起床。
同じ休日でも天と地の差。布団の温もりが心地良い。枕を意味もなく抱きしめる。
 
今日は池女さんが東京へ帰る日。MIUさんと連絡をとり、池女さんを迎えに行く。
迎えに行くが大渋滞。どうやら事故があったようだ。連休は終わったというのに車の長い長い列。
 
待ち合わせ場所に遅れて到着。MIUさんと池女さんを乗せて空港へ出発。
東京から来て、東京に帰る。当然のことだけど、なんだか不思議だ。
今、こうして空港の喫茶店でコーヒーを飲んでいるけれど、数十分後には機上の人になってしまう。
 
数十分後、池女さんは機上の人となってしまった。
展望デッキで飛行機を見送る。
僕達が予想していなかった方向に消えていく飛行機に少し驚愕する2人。
東京は、あっちの空なのか。
 
空港からの帰り道、MIUさんと食事に行く。
「楽しかったねぇ」と僕が言う。
「県外からも来てくれたしね」とMIUさんが言う。
 
「今度は東京で新女会しましょうね」と池女さんの声が聞こえた。
 
僕なりの僕らしい3連休はこれで終わってしまった。
いろんな出来事がこの3日間には凝縮されていた。
 
連休最後の夜。一昨日、池女さんからもらった「お江戸日本橋」を飲みながら
今日、MIUさんからもらったスモークチーズを食べている。
 
明日から予想のできる日常が始まってしまうけど、
これからも大抵のことは乗り越えていけるような気がした。
皆への感謝の気持ちを胸に抱きつつ就寝。
 
の前に、掲示板とメールの返信。
返事が送れて多大なる迷惑をおかけしましたことを謝罪しつつ就寝。
の前に、掲示板とメールの返信。
2001年11月25日(日)  歪の週末(列車の旅編)
僕は列車の座席に座るなり眠ってしまったようだ。

ふと目が覚める。午前5時05分。そろそろ目的地の久留米に着く時間だ。
「次は鳥栖〜。鳥栖〜」
車内にアナウンスが流れる。次は鳥栖。えっと久留米より駅2つ先に進んだところか・・・
って通り過ぎてるし!!

5時15分。慌てて荷物をまとめ、鳥栖で下車する。
久留米行きの時間を見る。5時55分。あと45分も待たなければならない。
煙草の煙より濃い白い息を吐きながら誰もいないホームで一人缶コーヒーを飲んだ。
昨夜の御深会の賑やかさが、早くも懐かしく思えた。

午前6時過ぎ、JR久留米駅に到着。バスの始発までまだ時間がある。
仕方なくタクシーを拾い、近くのサウナへ行く。
ゆっくりと風呂に浸かり、サウナで汗を・・・と思ったが、僕はサウナに入れない。
サウナって我慢大会しているようで嫌いだ。

風呂上り、リラクゼーションルームで一眠りする。
目が覚める。午前8時50分。
試験まであと30分かぁ・・・・ってこうしちゃいられねぇ!!

慌てて服を着替えて試験場へ向かう。
携帯を忘れるとタイマーもセットできない。時間に支配されすぎている。

テスト開始5分前に到着。
テストは論文3つ。
「多民族、多宗教、多文化の元の平等について」
「アメリカとスウェーデンの福祉について」
「医療器具を使用している時の介護の注意点」
頭を悩まさずに書く。論文はちょっとしたコツがあるのだ。
コツは後日の日記で書こうと思う。

試験終了後、どこにも寄らずに駅へと向かう。早く家に帰りたかった。
15時00分。列車に乗り込む。なんと満席。
今日は3連休の最終日。博多辺りで買い物やレジャーを楽しんだ人達が
膝の上にお菓子やお土産を乗せて座っている。座っている。
僕は、立っている。試験帰りの僕は、立っている。レジャー帰りの人たちは、座っている。

不公平だ。僕に席を譲ってください。
早朝に駅を乗り越してサウナで寝坊して試験3つ受けた帰りなんです。おまけに携帯も持ってません。
席を譲ってください。譲ってください。譲れよ畜生。

席は全く空く気配を見せず、僕は、福岡から鹿児島までの間、
時間にして約4時間、
距離にして約1000キロ、
福岡、熊本、鹿児島の3つの県境を越えて、
 
僕はずっと立っていた。
足が棒のようになって北風が吹いただけで折れそうになった。
2001年11月24日(土)  歪の週末(池女さん初対面編)(メルヘン編)(新女会編)
(池女さん初対面編)
僕は急いでいた。JAL393便10:20鹿児島着。
僕の白い車は高速道路を飛ばす。ハンドルを握る手が多量の汗で濡れる。
この汗は、決して急いでいるからではない。
 
職場に携帯電話を忘れたのだ。
 
よりによってこんな日に。僕は何度もハンドルを叩く。
携帯を忘れたことに気付いたのは出発してから30分程経ってからだった。
運転しながら何度も後部座席のバックを取り出し、中身を確認した。
5回ほど同じ行為を繰り返してから、本当に携帯を忘れていることを悟った。
 
いつもだったら携帯を忘れることぐらい、どうってことない。
出掛ける時は携帯を持って行かないことが多いくらいだ。
しかし、今日はいつもと違う。よりによっていつもと違う日なのだ。
 
東京から池袋のオンナさんが来る。
池袋のオンナ――僕が池袋にいた頃、このサイトを訪れたばかりに、
はじめは安直な気持ちで書いたらしい名前。
本名は上品な名前なのだが、幸か不幸かそのまま名前を変えずに
このサイトに度々訪れるようになり、皆から池女さんとして親しまれている女性。
 
今回が初対面。声だって聞いたことがない。
唯一のヒントが前日のメールの「薄いグリーンの上着を着ています」
 
10:30空港到着。到着口へ走る。
グリーンの上着グリーンの上着・・・頭の中で熱病にうなされたように繰り返す。
わからない。飛行機を降りたばかりの人たちは次々に僕の横を通り過ぎていく。
池女さんにも僕の服装を伝えてある。茶色のジャケット。ワインレッドのパンツ。
 
僕はあまりの人の多さに、諦めかけてしまったその時、
「こんにちは。はじめまして」
僕の背後で声を掛けられた。大きな荷物を抱えて笑顔で立っている女性。
 
池女さんだ!
 
「よかった!」
僕ははじめましての挨拶よりも先にそう叫んでしまった。
両手を広げて「携帯忘れたんです」と言う。
 
兎に角よかった。僕は久々に混乱し、狼狽した。
携帯電話は、やっぱり、生活必需品だと思った。

(メルヘン編)
とにかく僕と池女さんは無事に対面することができた。
僕は緊張することなく――もう慣れてしまっているのかもしれない
車に乗り、普段通りに会話を始めた。
 
「桜島が見たい」
桜島へ行く。乗り慣れているフェリーに乗ったが、フェリーの展望台には初めて登った。
良い天気で、桜島は頂上まで綺麗に見渡すことができた。
 
桜島の展望台に行く。桜島はよく通る道だが、展望台に行くのはおそらく10数年振りだ。
小さい頃に一度行った事がある。
 
溶岩の間の小道を歩く。桜島を背景に記念撮影。なんだか変な気持ち。
僕達の日常風景の桜島が、今日は主人公だ。
いつも漠然としか見ていない桜島が、今日はとても大きく壮厳に見えた。
 
昼食を摂り、鹿児島メルヘン館に行く。勿論、初めてだ。
 
〜メルヘン館は、童話の主人公たちや世界各国の人形などが、
夢あふれるファンタジックな世界をつくりだしています。
あなたも、メルヘンの世界へ第一歩をふみ出してみませんか。〜パンフレットより抜粋
 
なかなかメルヘンの世界へ第一歩を踏み出せない2人。
「ん〜。これは子ども騙しだよねぇ」
「コラッ。そんなこと言っちゃダメ。メルヘンなんだから」
池女さんは僕より先にメルヘンの世界へ踏み出してしまった。
 
アミューズメントとも博物館ともいい難い入場料300円の不思議な世界。
最後に行ったファンタシースタジオでピーターパンを見る頃には
嘘腐童話など書いている僕も、メルヘンの世界の住人になってしまっていた。
童心に戻ったかのような池女さんの笑顔が印象的だった。
 
「はい、これお土産」
車の中で池女さんがそう言って袋を渡す。
「お酒と・・・私の分身」
私の分身・・・?それはリトル・ミィの人形だった。
「この人形、ツボ押しにもなるのよ」
よく見てみたら、リトルミィの両足や結んだ髪の部分がツボ押しのような形をしている。
「ありがとう。大切にします」
 
僕は人形と、リトルミィのはにかんだ表情に弱いのだ。

(新女会編)
もうこれで4回目を数える御深会。
僕はこの「御深会」という文字が好きだ。何か不思議な趣を感じる。
 
今回は14名参加。初対面の方6名。
池女さん、そしてぷりさん、ぷりかれさん(某隠れ家日誌抜粋)は県外から参加。
県外からの参加だなんて、新女会発足当時は予想もしなかった出来事だ。
あと3年もすればフランスとかローマから参加とかするのだろうな。
 
やっぱり僕は人見知りするという性格は却下しようと思う。
最近、あまり人見知りをしなくなった。
新女会の御深会で初対面の方と話す機会が多くなったため、見事に適応してしまったのだと思う。
 
新女の功とでもいうべきか。
 
しかし今夜の僕は23時45分発のシンデレラ。
特急つばめというシンデレラエクスプレスに乗って福岡に発たなければならない。
ヒビ君をテーブルの隣に引き寄せ、
ぷりかれさんを呼び、omiさんと共にマニアックな会話に花を咲かせていたら
もう23時10分。
 
「歪さん!行かなくていいの?」
 
みんなが心配してくれる。行かなければならないのだけど僕にもう少し時間を。
馬車がカボチャに戻ってしまう前に!
 
テーブルを回って皆と会話したかったけれど、時間が経つのが早すぎた。
あっという間に23時20分。
ムムム。テーブルを見渡す。楽しそうに会話をする皆を眺める。
 
大学の単位と御深会を天秤にかける。
「行きたくない」声に出して葛藤と対峙する。
しかし、シンデレラエクスプレスのチケットはもう購入してしまった。
 
あと25分で冷たい馬車に乗って福岡に発つ。
なんだか嘘みたいだった。嘘であってほしかった。嘘ではなかった。
 
「それでは、行ってきます」
意を決してテーブルを立つ。皆が手を振る。「頑張ってね〜!」
戦場に向かうような悲壮感を漂わせようかと思ったが、
酒が入っているので歩いてみたら少しふらついた。
 
滞りなく繰り返される日常の一種の清涼剤。潤滑油。栄養剤。液キャベ。
新女会をいろんな言葉に置き換えながら、
僕は23時45分発 ドリームつばめ 喫煙席に乗り込んだ。
 
一次会の場所にライターを置き忘れたまま。
2001年11月23日(金)  悪癖。
僕の悪い癖。食事を摂りながら本を読む。
家で食事をする時と、職場での昼食の時は必ず小説を読みながら食事を摂る。
今までいろんな人に、この悪い癖を非難されてきた。
 
どんな不味い食事でも面白い小説を読むととても美味しく感じる。
僕にとって小説とはおかずの1つなのだ。
 
その分、僕は食事の時間にかなりの時間を要する。
職場の同僚が椅子を並べて昼寝をする頃に僕はまだ2個目の唐揚げをつついているという具合だ。
彼女や友人と食事をするときは我慢する。
我慢をすると食事が不味くなる。不味くならないために話をする。
話をしないと手持ち無沙汰になる。手持ち無沙汰になると煙草を吸う。
煙草を吸うと肺が汚れる。肺が汚れると僕の余命はせいぜいあと20年といったところだ。
 
我慢をすると寿命が縮まる。納得!
 
さて、何を言っているんだ。僕は。とにかく僕は小説を読みながら食事を摂る。
非難したければすればいいと思うけれど、
友人達はとても厳しい口調で非難するので、僕はいつも縮みあがって
口を尖らせて小説にしおりをはさむことになる。
 
しおり。そういえば専門学校の頃、
僕の誕生日にクラスの子から、しおりのセットをプレゼントしてもらったことがあった。
しおりのセット。不思議なプレゼント。
日常では1枚あれば充分な小説のしおりを8枚程のセットで貰った。
薄い竹に上品な和風の絵が描いてあるしおり。淡いお香の匂いがする。
 
「あなたはいつも本ばかり読んでるから」
学校の休み時間に僕の元へ来て彼女はそう言った。
「大切にしてね」
そのしおりは今でも大切に使っている。
 
彼女は僕の読書好きを唯一肯定している存在だったような気がする。
後に僕は彼女にとても悪いことをした。今でも反省すべき出来事。
気が向いたらいつか書こうと思う。
 
ごちそうさま。昼休み終わり。
2001年11月22日(木)  小人、洗濯物、視野狭窄、酒、友。
休日。朝から細々とした用事が重なって、食事を摂る時間もなく、
ふと、時計を見たら午後1時。
洗濯機には朝入れたままの洗濯物が溜まり、
シンクには昨夜入れたままの食器が溜まっている。
 
深い溜息をつく。僕はいつまで1人で家事をこなさなければならないのだろう。
かといってまだ結婚はしたくないし。
 
洗濯物も食器も放り出してソファーで横になっていたら、突然、偏頭痛が始まる。
偏頭痛持ちの人にはわかるこの痛み。
例えるならば、僕の側頭部に意地悪な小人が入りこんで常に金槌で思いきり叩いているような痛み。
僕は偏頭痛が始まる前に、目の前に閃光が現れ、視野狭窄が始まる。
これが始まったら、もう、おしまい。その日1日は頭痛との闘いになる。
 
もう、何もする気がしなくなって、そのままソファーで夜まで眠る。
携帯の呼び出し音で目覚める。夜8時。電話をとらずに留守電を聞く。
「今から出るから準備しててね」
友人だ。今日は飲みに行く約束をしていたのだ。
 
重い体を起こして、顔を洗って歯を磨く。小人はまだ僕の側頭部を叩きつづけている。
 
友人5人で酒を飲む。
「なんだか盛り上がらないねぇ」久々に会う友人が言う。
「こんなもんだよ」僕達はもう25歳なのだ。
 
僕は11時には家に帰って、大学の試験勉強をしたかったのだが、時計を見るともう0時をまわっていた。
「やれやれ」とトイレで呟いてテーブルに戻り、4本目のコロナを注文する。
 
小人はずっと金槌を振りかざしている。
今日は憎らしい小人のお陰でゆっくり飲めなかったので、
今度は小人と時間を気にせずに酒を交わしたい。
 
僕は、何よりも、この友人達が、必要なのだ。
2001年11月21日(水)  MOTER!
家に帰ると、部屋の鍵が開いていた。
キッチンの明かりが灯っていて、テーブルを見ると夕食が並んでいた。
洗濯物は几帳面にたたんであって、散乱していたCDや雑誌は1つにまとめてあった。
 
真っ暗な部屋の向こうのベランダに人影が見えた。
「・・・誰?」
夕食が準備してある時点で悪人ではない。かといって夕食を作ってくれるような善人の知り合いなんていない。

「あ、おかえり」
母だった。
「びっくりしたよ。そんな暗いところで何してんの?」
「空見てたの。獅子座流星群っていうの?」
「もう、それ終わってるよ」
母は微妙に世間に疎いところがある。

「来るんだったら電話してくれたらよかったのに」
「面倒臭かったの」
僕が母に似ているところはこういうところでわかる。

母は活字中毒だ。暇さえあれば本を読んでいる。とにかく小説だったら何だっていいのだ。
キッチンのテーブルに向かいあって僕は夕食を食べ、母は小説を読む。
時々思い出したかのように何か話し掛けてくる。その問い掛けに僕は応えて、
母は「そう」と納得しているのか納得していないような返事をしてまた本を読み始める。

友人が突然ドアを開けて部屋に入ってきた。
僕の友人達はノックをしないことが当然なので今日も突然あいさつもせずに部屋に入ってきた。
「あら、こんばんは」
母は全く驚いている素振りを見せない。母はそういう人なのだ。
驚いたのは友人だ。混乱している様子がありありとわかる。

「あっ、こ、こんばんは、あっ、ご、ごめんなさ・・・」
「お母さんだよ」僕が友人に説明する。
「あっ、お、お母さん、はじめまし・・・」
「友達だよ」僕が母に説明する。
「そ、そうです、友達です。彼女じゃありません。えっと・・・ほら、結婚だってしてるし」
友人は頼まれてもいないのに左手の結婚指輪を見せる。僕はそれを見て吹き出してしまった。
「ふふふ。そう。ゆっくりしていってね」
母も友人の慌てた素振りに微笑んでいる。

「じゃぁ、また来るね。特別用はなかったし・・・」友人が言う。
「今度はちゃんとノックしてね」
そう僕が言うと、母が見えない所で友人は顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
「これからも息子をよろしくお願いしますね」

友人は尚一層、顔を紅潮させて帰っていった。
友人が帰ると、母はまるで何もなかったかのように再び本の続きを読んでいた。
2001年11月20日(火)  古本に想いを寄せて。
僕は古本屋が好きだ。
適当な期間と適当な時間と適当な決意が重なれば古本屋に行く。
昨日も同じような事を書いたような気がする。要するに気まぐれなのだ。
毎日同じ太陽が昇っても、僕は歯石除去に行く日もあるし古本屋に行く日もある。
 
古本の月日を重ねたインクの匂いが好きだ。
新刊で太宰治を読むより、古本で太宰治を読んだ方が風情を感じる。
時々、髪の毛や縮れ毛がページにはさんでいるのには興覚めするが、
コーヒーやお茶の染みが付いていると、以前のこの本の持ち主の私生活を垣間見るような気がして、
なんだか不思議な気分になる。
 
しかし最近のファッショナブルな古本屋はどうも苦手だ。
流行りの曲が流れ、本はビニールに包まれ、レジには茶髪の綺麗なお姉さんがいる。
まるで、普通の書店に来ているような雰囲気。
あの独特の辛気臭さや胡散臭さは古本と一緒にビニールに包まれてしまった。
 
近代化とファッショナブルを平行して考えるならば、
決して近代化してはいけないものだった存在するはずだ。
呉服屋と質屋と古本屋はファッショナブルになってはいけない。むしろ時代と逆行すべきなのだ。
 
まぁ、それはどうでもいいとして、
近所のファッショナブルな古本屋はとても安くて僕は大好きだ。
2001年11月19日(月)  日刊男心。
歯石除去のため近所の歯医者に行った。
  
僕はいつも適当な期間と適当な時間と適当な決意が重なれば歯石除去に行く。
その理由は、歯石除去は結果が明確なのだ。
 
行く前に鏡の前で大きく口を開けて、どの部分にどの程度、歯石や煙草のヤニがついているか確かめる。
そして歯石除去が終わってから、もう一度鏡の前に座り、どの程度落ちたか確かめる。
 
綺麗になっているととても嬉しい。
 
それだけ。それだけの理由。歯肉炎や歯周炎の予防などは副次的なものであって、
ただ、キレイかキレイじゃないかの違いが明確にわかる快感を求めているのだ。
だから歯科衛生士が指導するブラッシング指導や正しいハブラシの選び方などは
適当に受け流している。
いくら熱心に指導しても、言われなくても毎朝歯を磨くし、酔っ払って帰ってきたら歯なんて磨けない。
正しいハブラシの選び方なんて、近所のスーパーの売り出し期間を逃さないことが正しいのだ。
 
なんだか不純な動機で歯石除去に行っているみたいだが、
不純な動機でも筋の通った動機でも結果に違いは見られない。
悪人でも善人でも歯科衛生士さんはキレイに歯石を除去してくれる。
 
今日の歯科衛生士さんは笑わない人。
以前、この歯医者に虫歯で通っていた時からこの歯科衛生士さんの笑った顔を見たことがない。
顔の作りは端正でとても綺麗なのだが、笑顔を見せない。
以前、何か冗談を言ってみた事があったが、その時も笑ってくれなかった。
綺麗なんだけど笑わない。綺麗だから笑うってわけじゃないけど。
 
ここの歯医者は、治療の時に手袋もマスクもつけない。
綺麗な歯科衛生士さんが、細い指で僕の唇をなぞり、僕の額の辺りに歯科衛生士さんの優しい鼻息がかかり、
僕の頭頂部には歯科衛生士さんの乳房が当たる。
 
僕がまだ高校生だったら確実に変な妄想に浸っていただろうけど、
僕はもう25歳なので変な妄想には浸らない。
というか浸らない為に必死に頭の中で別の事を考える。
 
今日の夕食について。スウェーデンの社会福祉について。現代の民族問題について。
法の下の平等について。マルチメディアについて。これからの日本について。
 
僕がいくら難解な問題について考察しても、歯科衛生士さんの乳房は容赦なく僕の頭を刺激する。
 
今度食事に誘ってみようかしら。
 
「もう貴女にメロメロです」って。
2001年11月18日(日)  14型。
携帯電話に着信が入っていても、僕は電話をかけなおすことは少ない。

昨夜。
「どうして電話かけ直さないのよ!」
と、怒られる。
「バックに入れたままで着信音が聞こえなかったんだ」
といかにも真実らしい言い訳をする。言い訳も何も真実に違いないのだけど。

「今から来ていい?」
「うーん」
「じゃあ、あと1時間くらいで来るからね。何か買いに行く?」
「もう風呂に入ったから行かない」
「何か飲み物買ってこようか」
「何もいらない」

1時間後友人が2人来る。ビデオを見るらしい。
僕はその時プレステの野球ゲームをしていた。
友人達が「早くやめてよ」と急かすため調子を崩した我がチームは逆転負け。

「ファック!」
コントローラーを放り投げる僕。ブラウン感の向こうでガッツポーズするジャイアンツ清原の姿。
「終わった?ねぇ、もう終わったの?」嬉しそうな友人達。
君達が急かすから負けたんだ!と心の中で叫んだ。口に出して叫んだらデッドボールが飛んでくる。

「ゲーム如きでそんなに熱くなれるなんて、あなたって幸せそうだよね」
我がチームが負けて幸せも糞もあるものか。

灯りを消してビデオを見る。
「相変わらず画面小さいねぇ」友人が呟く。
部屋のテレビは14型。大きい画面のテレビは欲しいけど、あまりテレビはみないので、
買うのは、来月で、いいや。など毎月思ってしまう。
1月が2月になって2月が3月になって、とうとう14型テレビのまま2001年は終わってしまいそうである。

真っ暗な部屋には石油ストーブだけが赤い光を放っている。
友人の1人は、僕のお気に入りの枕とタオルケットを取って部屋の真ん中に横になっている。
もう1人の友人は、僕のお気に入りのフリースベストを羽織ってソファーを陣取っている。
どうやら友人達は僕の部屋では「女性らしさ」を放棄しているらしい。
 
居場所のない僕は部屋の片隅で、カーペットさえ届かない部屋の片隅で、
ストーブから一番遠い場所に位置する部屋の片隅で、
胎児のような格好で両手を膝に挟んでビデオを見る。

「ティッシュ取って」「はいはい」
「灰皿取って」「はいはい」
「ちょっと邪魔」「はいはい」
「お菓子持ってきて」「うるせぇよ」
「何だって!?」「ごめんなさい」

この友人達、明日は休日。
僕は、仕事。仕事内容は、今やってることと変わりないけれど。
2001年11月17日(土)  アンビリーバボー。
少々季節外れのような気もするけど、今日は心霊写真の話。
心霊の話ではない。心霊「写真」の話。
 
「恐怖の写真特集」などありきたりの番組には必ずありきたりな心霊写真専門家が登場する。
一体どうやって、どのような経験をして、どのような手順を踏んで心霊写真専門家になるのかわからないけれど、
とにかく世の中には心霊写真専門家という人が存在する。
 
僕はその心霊写真専門家という人々をどうも信用できない。
胡散臭い。私しか知ることができないのよ的傲慢さを感じる。
 
神妙な顔して地味な服着て偏屈で小太り(なぜか小太り)で、
「これは林間学校に行きたかった死んだクラスメイトの霊です」
「このトンネルで不慮の事故で亡くなった人が無念の思いで生き霊となって彷徨っているのです」
「これはヨロイ武者の霊です。このヒゲらしきものを見て御覧なさい。ほら、武士の顔をしてるでしょう」
など平然と言う。
 
あなたは写真に映っている霊の顔(もしくは手)を見ただけで、
どうしてそこまでわかるのですか?
 
「なんでこの風景にこの顔が写っているか解からないけれど、とにかくこれは霊に違いありません」
こういうセリフの方がまだ信憑性を感じる。
 
林間学校やら不慮の事故やらヨロイ武者やらそういうサブストーリーは胡散臭いだけですよ。
 
それじゃぁ、それじゃぁですよ。うーん。例えばね、
僕がディズニーランドで彼女とミッキーマウスと並んで笑顔で写ってる写真見せるとしますよ。
心霊写真専門家のあなたは僕を見て僕のサブストーリーを分析できますか?
 
「うーん。とても幸せそうに写ってますね」
ブッブー。ダメー。不正解〜。没収〜。
正解は「彼女とミッキーマウスと並んで笑顔で尿意を我慢している図」でした〜。
 
心霊写真専門家のあなたは、僕の尿意を写真で判断することができない。
それなのに、心霊写真の顔の一部とか腕の一部とか見ただけで
林間学校やら不慮の事故やらどうしてわかるのですか。
 
笑顔で写っているのが真実で、
腕の一部が真実なのです。
 
人の尿意も分析できないくせに腕の一部分が写ってるだけで
無念の思いとか生き霊とかおぞましい言葉を使わないで下さい。
 
僕はとっても怖がりなんだから。
2001年11月16日(金)  キスと地球とパトラッシュ。
NO!駄目。
 
昔の彼女が僕に言ったんだ。
「あなたは私のものにはならなかった」って。
「八方美人かお調子者かわかないけど、あなたはみんなのモノだった」って。
要するに僕は恋愛につきものの独占欲を提供できない男なんだ。
 
浮気なんてしたことないけど・・・そりゃキスくらいはするよ。キスは浮気じゃない。
身体と身体の繋がりなんて浮気のうちに入らないんだ。
心と心が繋がって、それは初めて浮気になるんだ。
僕は心と心を繋げることができない。相手の心とどうも繋がらない。
相手の鍵は僕の鍵穴に入るけれども、そこから回らないんだ。
僕の扉は開かない。
 
相手はカチャカチャして扉を開けようとする。
あっという間に諦めて扉の前から去る人もいるけど、
いつまで経っても扉を開けようとする人もいる。
結果は一緒だ。
 
僕は最初から諦めている。
 
多分、鍵穴自体は問題ないのだけど、蝶番あたりが悪いんだろうな。
兎に角、僕の扉は開かない。僕でさえ開けることはできない。
 
だから、NO。駄目。昔の彼女が言ったんだ。
「あなたはみんなのモノだった」って。
みんなのモノと言うことは同時にみんなのモノじゃないんだ。
誰のモノでもない。みんなのモノで所有権は誰も持っていない。
 
僕は地球。みんなの地球。だけど誰も手に入れられない。
太古に恐竜が住んでいて、氷河期が来て、サルが人間になって、
今は君の話を聞きながら小便を我慢している。
 
救いようのない人間って多分、僕のような人間のことを言うんだと思う。
お調子者で八方美人で笑ってばかりいて弱音を吐かず社交的で
今は君の話を聞きながら小便を我慢している。
 
誰かに身を委ねることがどんなに楽なことか。
 
自分の意志なんて持ちたくないよ。
 
なんだか眠いよパトラッシュ。
 
このまま眠って夢の世界で生きようかしら。
 
夢の世界でも八方美人なのかしら。
 
寝ちゃう前にトイレに行かなきゃ。
2001年11月15日(木)  僕の午後、君の午後、きっと午後。
夜勤明けの午後は眠たくてたまらない。
 
夜勤明けといっても、僕の職場の夜勤は正午まで仕事なので、
コンビニで弁当を買って、部屋に帰って洗濯をして、その間に弁当を食べて、
メールチェックをして、ソファーに横になり、午後の退屈なメロドラマを見る頃には
もう、うつらうつらして、洗濯機はまだゴトンゴトンと脱水の音がするけれど、
あぁ、もう洗濯物は起きてから干せばいいや。
と自分にとてもスィートな僕は快眠の誘いに容易に身を委ねるのである。
 
今日は一緒に夜勤をした先輩と仕事が終わってから食事に行った。
僕はいまいち乗り気ではなかったけど、話の流れ上、同席することになってしまった。
 
話の流れ上、とか言っても実際は至極単純。
「今日はどっかでご飯食べて帰ろうかしら」
「あ、それじゃ僕も行きます」
それだけ。僕はこういう場面でどうしても断ることができない。
断るも何も誘われてさえいないのだけど、
「今日はどっかでご飯食べて帰ろううかしら」
という先輩の何気ない言葉に敏感に反応してしまって、
(もしかして、これは誘われているのではないかしら)と考えてしまうのである。思考の1人相撲である。
 
先輩もわざわざ夜勤明け後の予定を僕に報告することないのだ。
と考えたりもするけれど、それはちょっとわがままっぽい。
 
日替わりランチのハンバーグ定食にうんざりしながら
――昼寝前にハンバーグ定食なんて好んで食べようとは思わない。
「先輩、今からどこ行くんですか?」と訊ねる。
「パチンコ」オムライスを口一杯に頬張りながら答える。
「あなたは?」熱いはずのコーンスープを平気な顔ですすりながら問われる。
「僕は、帰ってすぐ寝ます」ハンバーグを小さく刻みながら答える。
「ふっ。つまんないの。なんだか勿体無いわよ。昼寝なんて」
 
つまんないも勿体無いも、僕の時間だからどう使ったって構わないじゃないか。
と思ったが、相手は先輩なので、先輩の水のおかわりを注ぎに行った。
2001年11月14日(水)  厭世感、尿意、死生感。
朝は、嫌いだ。
 
不精髭が生え、髪の毛は東奔西走し、まぶたは妊婦の様に腫れている。
毛布はいつの間にか足元でくしゃくしゃになっているし、
電池の切れかかった目覚まし時計からは、僕を目覚めさせようとする気力は感じられず、
閉め忘れたカーテンからは憎たらしい朝の光が測ったかのように僕の顔の部分にだけ差し込み、
インスタントコーヒーは相変わらず不味く、歯磨き粉は相変わらず咽頭を刺激して嘔気を誘い、
トイレの水は僕の小便より勢いが弱く、時計は30秒で1分進んでいると疑うほど早く針を刻み、
天気が良いので、空気を入れ替えようと思い、窓を思いきり開けると、思いのほか寒くて、
下着姿の僕は空気を入れ替える間もないまま急いで窓を閉める。
 
そんなことを毎日毎日繰り返していると、なんだか生きていくことが嫌になってしまう。
 
例え嫌になっても、出勤時間は待ってはくれない。
いつものように8時半には仕事を始めなければならない。
しかし、仕事が始まって30分もすると、あまりの慌ただしさに目覚めの時の厭世感など
どこかに飛んでしまっていて、目の前の仕事を片付けることで精一杯になってしまう。
 
たぶん、なんだか、そんなもんだな。と思ってしまう。
 
僕達は生きたいから生きているのでもないし、死にたいから死のうとしているのでもない。
朝起きることが辛いから死にたいのであって、仕事中は忙しいから死のうと考えないのだ。
みんな死生感について難しく考えすぎだけど
――死生感を説いている辞書のような厚さの本も世の中には存在するけれど
それは意外と、極めて単純な次元の話なのかもしれない。
 
(嗚呼、私もう死んでしまおうかしら)と思っている人も、尿意を催したら、
(あ、トイレに行かなくちゃだわ)と思うのであって、
ということは、(あ、トイレに行かなくちゃだわ)と思っている間は、例えそれが一瞬だとしても、
(嗚呼、私もう死んでしまおうかしら)という思いは消えてしまうのである。
 
死<尿意
 
尿意は死に勝る。死は尿意に劣る。
尿意でさえ死に勝るのだから、この世の中は死に勝るものだらけである。
尿意に劣る生命の尊さとは何ぞや!
  
今テレビで国会中継をやっているけれども!
いくら補正予算案について論議したところで!
世論は愚か、尿意にも勝てないのだ!
 
嗚呼!この世に生を授かった素晴らしさ!
2001年11月13日(火)  心の余裕と相手への気配り。
大学のレポート提出が迫っているので朝からレポート作成。
太陽の光を浴びないせいか、正午近くに突然息苦しくなる。やはり人間も光合成は大切なのだ。
それでも光合成を無視してレポート作成を進める。
 
夕方に買い物帰りの主婦の友人が遊びに来る。
僕はインスタントコーヒーを出して、当り障りのない話をして、
すぐレポート作成の続きにとりかかった。
僕があまりにも話をしないので、手持ち無沙汰の友人は溜まった食器と、
汚れた浴室を洗ってくれた。
 
「それじゃ、帰るね」
「あ、そう。ごめんね今日あんまり話できなくて」
「いいよ。しょうがないもん。じゃ、勉強頑張ってね」
「あ、髪切ったの?」
 
友人は頬を膨らます。
 
「髪、見てもらいたくて来たのに」
 
この友人と知り合って、もう何年も経つが、ずっとロングヘアーだった。
友人は少女のように、バッサリと髪を切っていた。
今日の僕は、そんなことさえ気が付かなかった。
 
僕は、昔から女性の変化について疎いところがある。
化粧を変えても、パーマをかけても、髪をショートにしても、
その変化に全く気付かない。
女性と食事して別れた後、どんな服装をしていたかさえ思い出せない。
 
しかし、ちょっとした仕草や、表情や、言葉はいつまでも覚えている。
どっちが良いかといえば、やはり前者の方が女性には喜ばれる。
僕はあまり女性には喜ばれない。
嫌われもしないし、喜ばれもしない。
 
もう少し、自分自身に余裕があったら、僕も少しは変わるかもしれない。
 
自分自身にもレポート締め切りの時間的にも余裕のない僕は、
近所のOLの友人を仕事帰りに呼んで、レポート作成を手伝ってもらった。
 
余裕がないけど、試しに言ってみる。

「・・・髪切った?」
「切ってないわよ」
 
やっぱりね。
2001年11月12日(月)  ガラス越しのペイン
ペインは大学の頃、南米のどこからか留学してきた学生だった。
往々の留学生が勉強熱心なのに対し、ペインは学業に関してはさっぱりだった。
往々の日本の大学生と同じく、徹夜で麻雀をしたり、風呂に何日も入らなかったり、
コンビニでバイトしたり、下宿にいろんな女の子を連れ込んだりしていた。
 
だけど僕達と1つだけ異なる点があった。
ペインはマラソンが異常に速かった。
僕達が講義に遅刻しそうなときの全力疾走よりはるかに速く、
それを42.195キロ、ペースを崩さずに走ることができた。
ペインはうちの大学の名誉の為に呼ばれて日本に来た留学生だったのだ。
 
まぁ、そんなことはどうでもいいとして
――大学の名誉のことなんていちいち考える学生なんていない。
僕とペインはとても仲が良かった。
日本語は上手くなかったけど、気持ちで通じ合うことができた。
まるで兄弟のように、同じ物を欲しがり、同じ女性を取り合った。僕達はいつも一緒だった。
 
ある夜、まったく同じ日に僕とペインは大きな転機を迎えることになる。
 
僕は深夜の大学に進入して単位が危ない科目の答案用紙を盗もうとして警備員に捕まり、
ペインは当時付き合っていた女性を絞殺した。
 
僕は大学を退学させられ、小さな引越し会社で小さなトラックを運転し、
ペインは、鉄格子の中で無駄な3年を過ごし、・・・走ることを辞めた。
 
僕は大学を辞めてから何もかもが上手くいかなかった。
小さな引越し会社は倒産し、左足を骨折し、高校の頃から付き合っていた彼女は
ある朝突然僕のベッドから姿を消した。
  
ペインは鉄格子から開放された3日後、再び無意味な女性を絞殺した。
 
僕とペインは、人生を走ることさえ、もう、諦めていた。
 
人生を完全に諦めようとした――自らの命を絶とうとした
その日、僕は無期懲役を言い渡され再び鉄格子の中に入ったペインに会いに行った。
 
刑務所の無機質な面会室の分厚く隔てられたガラスの向こうのペインの顔は、
僕自身の顔をしていた。
 
僕は一言も語らずにいつまでも、僕の顔が移る鏡を見つめていた。
2001年11月11日(日)  思い出へ至るまでの過程。
久し振りに思い出して、考えてみた。
 
君は早朝の草原に立っていて、深い霧と帽子で顔が見えない。
僕は深夜の砂浜に立っていて、月の光と潮風で侵食されている。
 
君は暗い部屋で僕を支え、
僕は狭いホテルで君に委ねる。
 
あの、狭いホテルは、僕自身の中身だったのではないかと思う。
薄暗くて、ドアが1つしかなくて、水道の調子が悪くて、
テレビは有料で、冷蔵庫は冷えなくて、シーツの糊は効きすぎていて、水は不味くて飲めない。
 
右も左も北も南もわからなかったけれど、君だけが灯りを燈してくれて、道標になってくれた。
いずれ消えてしまう灯火とわかっていながら。
 
久し振りに思い出して、考えてみた。
 
いつか1つになった道も、また分かれてしまって、僕は僕の考える最善の道を歩き出し、
君は何処に行ったのか、見えなくなってしまった。
僕が1歩1歩前へ進む度に、今まで歩いてきた道は崩れ去って漆黒の闇へ続く崖となり、
僕は焦って、歩みを少し早める。もう後には戻れない。
 
毎日考えることが多すぎて、日常が生む砂塵に少しずつ埋もれていってしまう。
深夜の砂浜で月の光と潮風で侵食され砂塵に埋もれる僕の身体。
 
君は今、何をしているの?
砂浜から見渡すことのできるどこまでも続く波の中で、
 
君の姿は、もう見えない。
2001年11月10日(土)  Sサイズのピザで始まる休日。
いつもの休日のように午後起床。
外に出るのは面倒臭いので宅配ピザを頼む。
しかし、メニューが見当たらない。
 
「Sサイズのピザを1つ」
「メニューをどうぞ」
「何でもいいです」
 
30分後、何でもいいSサイズのピザが届く。
ピザのケースに「タコパラ」とマジックで書いてある。
タコはわかるがパラは何かわからない。
何でもいいピザだからどうでもいいのだけど。
 
何でもいいピザを3切れ食べたところで友人が来る。
友人に残りの3切れを勧めたが、食べないと言われた。
どうやらパラが気に入らなかったらしい。
 
友人は今から姉の子供の面倒を見ないといけない。と言う。
そしてあなたも来なさい。と言う。
何処へ?
実家へ。
 
残りのピザを冷蔵庫に入れて、歯を磨いて友人の実家に到着。
キッチンのテーブルへ招かれお父さんお母さんコンニチハハジメマシテ。
「将来の旦那さんです」と友人が言う。
「いいえ、違います」と僕が言う。熱いコーヒーをすすり、肩を縮める。
 
初対面の子供2人とテレビゲームをする。
今時の子供はゲームが上手い。話の内容もマニアックでさっぱりわからない。
一昔前のゲームオタクも今じゃこのザマだ。
僕が熱心にゲームに熱中するため、子供も熱心にゲームの操作方法を教える。
僕は、童心に、帰り過ぎだ。
 
「おじゃましました」と僕。
「また来てね」と友人の母。
「結婚式の話し合いの時にまた連れてくるから」と友人。
「いや、結納の時に来ます」と結構乗り気な僕。
「こいつと一緒になると苦労するよ」と友人の父。
 
友人の父(笑)
友人の母(笑)
友人(笑)
僕(汗)
2001年11月09日(金)  パインと常識 メロンとプライド
今まで誰にも触れられずに築いてきた僕なりの常識が突然覆されることがある。
 
落花生は小さな木の枝にぶら下るように実っているのかと思っていた。
カボチャは土の中でおとなしく春を待っているのかと思っていた。
メロンはメロンの木の枝に実り周囲に甘い空気を漂わせているのかと思っていた。
パイナップルはヤシの木に実っていて南国のトロピカルの代名詞的存在として
観光地のあらゆる所でその多大なる存在感を示しているのかと思っていた。
大豆の幼い姿が小豆かと思っていた。
そら豆とえんどう豆の明確な区別さえ説明できなかった。
 
高校で情報処理を学び、専門学校で看護を学び、通信大学で心理学を学んでいても、
落花生とカボチャとメロンとパイナップルがどのようにして実るかさえ、僕はわからなかった。
豆腐は大豆でできていて、大豆は豆腐でできていると思っていた。
 
僕は世間に対して、自分のプライドを晒し出さない方なので、
今日も思いきり看護婦さんに罵倒された。
 
「そんなことも知らないの!?」
「そんなことも知りませんでした」
「今すぐパイナップルとメロンに謝ってきなさい!」
「そんな無茶な」
 
僕のプライドは2重ロックで相性番号を入力しなければ開かないタイプなので、
この程度の罵倒はへっちゃらだ。
ただそんな常識を知らなかった事への自分自身への苛立ちを感じた。
 
なぜ僕は今までパイナップルはどのようにして実るのか、など真剣に考えなかったのだろう。
トイレに座っている程度の時間があれば充分だったはずだ。
勝手な先入観が、考察というプロセスを無視して常識に変化している。
 
僕は、今回の件の他の事に関しても、
先入観がそのまま常識に変化している例が存在しているのかもしれない。
これは、結構、危険なことだと思う。
 
今度、トイレに座ったときに、よく考えてみよう。
2001年11月08日(木)  桃色電話。
もともと僕は長電話などしない質なので、
受話器の向こうで取り止めのない話などされると、しきりにアクビを噛み殺したり、
雑誌をめくりながら適当に相槌を打ったり、足の爪を切ったり、
綿棒で開いている方の耳掃除をしたりしている。
 
昨夜の友人からの電話も例外ではなく、
彼氏がどうたら、仕事がどうたら、お風呂がどうたら、車がどうたら、目覚まし時計がどうたら、
どうたらこうたらこりゃまたどうたら、あっ!そうだった!NHKの集金人がどうたらこうたら。
 
部屋の時計のアラームが12時を告げる。
この子は日付をまたいでまで僕に伝えたいことがあるとは思えない。
 
アクビを噛み殺しながら話するのもどうかと思うが、長電話の相手をする僕にも非がある。
「そうだよねぇ。うんうん。なるほど」
と、相手の不平だろうが不満だろうが緩慢だろうが傲慢だろうが談慢だろうが肉まんだろうが
なんだって肯定する。
長電話の秘訣は決して相手の意見を否定しないこと。カウセリングと変わらない。
 
「あっ、ちょっと待っててね」
 
しばらく沈黙。トイレかしら。
 
「ごめん。ワンダフル見てた」
 
電話切りなさいよ。
2001年11月07日(水)  カエルさんの日課。
カエルさんは、毎朝起きたらすぐに隣の町の井戸まで水を汲みに行きます。
隣の町といっても小さな丘を2つ、大きな山を1つ超えなければなりません。
村のみんながお昼ご飯を食べる頃に、カエルさんは大きな桶を頭に乗せてノコノコと帰ってきます。
 
カタツムリの女の子がたずねました。
「どうしてカエルさんは毎朝大変な思いをして隣町まで水を汲みに行くの?
ここの村の井戸の水を飲めばいいじゃない」
カエルさんは、いつものように人の良さそうな微笑みを浮かべるだけでした。
 
今年の夏は数えるほどしか雨が降りませんでした。
草木が枯れ、地面がひび割れ、隣町の井戸の水は少なくなっていきました。
だけど村の真ん中には川が通っているので、カエルさんの村の人たちは水には苦労しませんでした。
 
それでもカエルさんは、村の井戸にも、川にも目もくれず、
隣町の枯れかかった井戸の水を汲みに毎朝丘を越え山を登りました。
 
ある朝、カエルさんがいつものように隣町まで行くと、井戸はとうとう枯れてしまっていました。
トカゲの男の子が言いました。
「もう、井戸から水は一滴も湧かないよ」
カエルさんは、いつものように人の良さそうな微笑みを浮かべるだけでした。
 
カエルさんは、井戸の端に座りこんで、再び水が湧くのを待ち続けました。
3回太陽が昇って3回太陽が沈んでも、カエルさんは井戸の端から動きませんでした。
町の人は心配して食べ物や水を与えようとしましたが、
カエルさんは、いつものように人の良さそうな微笑みを浮かべるだけで受け取ろうとはしませんでした。
 
4日目の朝、井戸の端にカエルさんの姿はありませんでした。
村の人も町の人も一緒になって一生懸命探しましたが、とうとう見つかりませんでした。
 
だけど、町の井戸はカエルさんがいなくなってから、
永遠に枯れることなく湧き続けました。
 
 
[嘘腐童話 : 強迫神経症について 〜面倒臭いなかの義務〜 より]
2001年11月06日(火)  過去から届いた手紙。
差出人が書いていない便箋が届いた。
差出人不明の手紙といえば、炭素菌か昔の女性に決まっている。
便箋からは白い粉が漏れている気配はなく、
簡単な消去法で炭素菌が検出されていないことは明らかだった。
 
ポストから便箋を取り出して、部屋の鍵と煙草とライターと一緒に
テーブルの上に置いて、シャワーを浴びて洗いたての洋服に着替えた。
こうして僕なりの儀式を終え、テーブルの前に静かに座り、ハサミを取り出し、
丁寧に便箋の封を開けた。
 
「お久し振りです。元気ですか」
 
敬語で始まるその言葉が、僕達の空白の時間の長さを感じさせる。
過去、あれほど近くで囁き合ったとしても、現在は敬語で話し掛けられる。
 
「そちらももう、冷え込んでるでしょうか」
 
物理的な距離。もう、毎年この季節に荒れていた手さえ握り合えない。
懐かしい筆跡。僕は、何度もこの筆跡で「好き」と言われて「嫌い」と言われた。
「ずっと一緒」と言われて「ウソつき」と言われた。
そして今は「あなたは何をしているの?」
 
僕は―――何もしていないよ。あの頃から何も変わっちゃいない。
一日は相変わらず24時間で僕は深夜に寝て朝なかなか起きれない。
変わったことといえば、僕は朝起きれなくても、1人で起きないといけなくなった。
朝食は摂らなくなったし、毎晩アルコールを飲むようになった。
 
君と一緒であまり笑わなくなった。
 
「あの時のクリスマス、覚えてますか?」
 
何が幸せだったかというのは、ある程度の時間が経過しないとわからない。
だから、あの時のクリスマスは、―――幸せだったと思う。
 
この手紙で、なかなか現在に帰れない。
僕は首を振る。今日は、2001年、11月、・・・6日。
彼女は、もう、20世紀の女性。
 
右手の指輪が指を締める。僕を、責める。
 
君に謝りたいけど、何を謝っていいのかわからない。
君は「非通知」の名の元で電話をかけ、住所の書いていない手紙を送る。
僕は君をもう触れない。
 
いつか、僕の背中をそっと叩かれるような気がする。
その時は、君の好きなワインとチーズを持って迎えよう。
君がいつも言っていたあの大きな丸いチーズを。
小さな銀のナイフでそのチーズを丁寧に切り分けるんだ。
 
   そしてその小さな銀のナイフで、このリングが輝く右手の手首を切ろう。
2001年11月05日(月)  キラキラ光るお空の星ョ。
「ねぇ〜見て見て〜!」
ナースステーションでカルテ記入をしていたら看護婦さんに声を掛けられた。
「ねぇ、今日の私ちょっと違うでしょ」
と、ニコニコしながら体を揺らしている。違いなんてわかりゃしない。
そもそも昨日の看護婦さんの様子さえ思い出せない。
看護婦の容貌を観察するために仕事に来ているわけではないのだ。
しかも今日は病棟のリーダー業務。違いを考える前に仕事が山ほどある。

「わかりません。ごめんなさい」
「こっち見ないでわかりませんって!ちゃんとこっちを見なさい!」
看護婦さんが顔を近づける。近づけたってわからない。
「わかりません。ごめんなさい」
ひたすら謝って正解を導かせるいつもの手法を使う。
世の中、謝り方さえ上手ければなんとかなる。

「もう!ほら!目が違うでしょ!目が!」
ほら。すぐ正解を言う。
看護婦さんの目を見る。目線を逸らさずジッと見つめあう2人。
「もう!あんまり見ないでよ!」
どっちやねん。

「今日はいつものマスカラとはちょっと違うのよ。ほら。ラメが入ってるでしょ」
そういわれれば、まつ毛がキラキラ光っている。
「ほんとだ。とても綺麗ですよ。まるでまつ毛に虫の卵が湧いているみたいだ」
蝶にでも蛾にでもなればいい。
「まぁ!なんてことを!」
看護婦さんは逆上した。後輩の看護婦を呼び、僕を羽交い締めにし、
化粧ポーチからマスカラを取り出した。

「君にも卵を植え付けてあげるわ」
男がベットの中で言いそうな台詞を公然と口にして僕に近付いてきた。
身動きできないため、まばたきを連発することが唯一の抵抗だったが、
「大人しくしなさい!」
の一言であっさりと大人しくなってしまった。僕は物わかりが良いのだ。
 
「ハハ!綺麗よオカマちゃん!」
看護婦さんは勝ち誇ったようにそう言った。
しかし復讐はそれだけでは収まらず、化粧ポーチから(まつ毛をカールさせる道具)を取り出した。
 
この名も知らぬ道具には辛い過去がある。
当時の彼女の目を盗んで、こっそりとこの道具を使ったことがあるのだ。
そして結果は失敗。まつ毛がカールするどころか、まぶたを挟んでしまい、
まぶたが真っ赤にカールしてしまった。

これはまばたきを連発するとかえって危険だ。

僕は一切を諦めて、どうにでもなればいいと思った。
その姿はとても男らしかった。

そしてその前に仕事中だった。
2001年11月04日(日)  カフェと酒と冬の始まり。
仕事が終わる数十分前に、小さな波1つない静かな湖面を維持していたダムが突然、決壊した。
病棟内を東奔西走し、薬を準備し、患者の左手に点滴の針を打ちながら後輩に指示を出す。
声の抑揚を制限し、決して慌てる素振りを見せず現状を的確に判断し、額に流れる汗を拭く。
 
患者が安定し、ホッと一息つき時計を見る。通常の勤務時間を20分過ぎている。
 
今日は大切な用事があるのだ。
 
先程まで冷静な判断をしていた自分の姿はなく、
待ち合わせの時間という明確な目的が達せられそうもなく、混乱し、狼狽し、
後輩に「あとはよろしく!帰る!」とだけ言い残し、更衣室へと走った。
 
7時の待ち合わせ。24分遅刻。仕事が忙しくて、と言い訳を言いたかったが、
それは男らしくないのでその言葉を飲み込もうと思ったが、
 
「ごめんなさい。仕事が忙しくて」
 
と、私の口から自然に発せられた。理屈では片付けられない真実。
やはり男はこうでなければいけない。
僕が前から行きたかったカフェに行く。グリーンで統一されたシンプルなカフェ。
グリーンライクな人間にとってはたまらない空間。
ジーマで乾杯。仕事が忙しかった分だけ酒も美味しい。
 
2件目は1件目と趣向がガラリと変わったカフェに行く。
僕はこういうカフェのインテリアにいつも関心が向く。壁を触り、天井を見上げ、
スピーカーの場所を探し、敷物をさすり、テーブルをなぞる。
常にキョロキョロしているので、相手に申し訳なくさえ感じる。
 
明日が休みだったら、もう少し酒を飲みたいのに。
と頭の中で何度か反芻してからカフェを後にする。
 
今日は、なんだかゆっくり話ができたと思っていたら、
2人で話をするのは今回が初めてだった。
 
それにしても11月の夜はこんなにも寒かっただろうか。
冬は目の前ではなく、もうまつ毛の辺りに近づいていた。
2001年11月03日(土)  尖端恐怖という個性。
非常に主観的な感情を第三者に有効的に伝える方法はあるのだろうか。

「僕は尖端恐怖症です」と私が壇上に立ち叫んだ場合、
然り!と感極まって拍手をする人はどのくらい存在するのだろうか。
おそらく大多数の人々は、あぁ、尖端恐怖症ね。と適当に相槌を打つか、
尖端恐怖症とは何ぞや。と首を傾げるだけであろう。

「近所の『味の1丁目』の味噌ラーメンは世界一美味しいです」と私が壇上に立ち叫んだ場合、
然り!と感極まって拍手をする人はどのくらい存在するのだろうか。
おそらく大多数の人々は、あぁ、『味の1丁目』の味噌ラーメンね。と適当に相槌を打つか、
『味の1丁目』の味噌ラーメンとは何ぞや。と首を傾げるだけであろう。

以上のことから、主観的な感情は、
第三者がそれと全く同じか、それと似た感情を味わった場合に初めて有効的に伝えられる。

僕が彼女に「尖端恐怖症だからこっちに箸を向けるな!」と叫んだところで
僕はせいぜい神経質だと思われるか、やもすれば既知外と思われるに違いない。

それはほんの些細な事なのだが、僕の目の前にあらゆる物の先端が向けられると、
僕の心は嵐の前の海面のように徐々に波が荒れてくる。
 
例えばテーブルの角。
何かの拍子でテーブルの近くで躓いてテーブルの角が目に刺さった場合。
僕はこの事を想像しただけで、ノックアウトされてしまう。
例えばビリヤードのキュー。
誰かが僕の背後でキューを手持ち無沙汰にしていて、僕が振り向いたときに、そのキューが僕の目に突き刺さる。
これで、またノックアウト。
例えば、テーブルに上に乗せられた逆さまの椅子。
食堂の清掃の時によく見られる光景。
大空を見上げる雛鳥のくちばしのように、椅子の4本の足が天井を見上げている。
10個の椅子があれば、40本の足が天井を見上げている。これでノックアウト。
 
ここで尖端恐怖症に関する精神医学的分析をしたところで何の解決にもならない。
世に数えきれぬほど存在する不安神経症の殆どがそうであるように、
症状を受け入れ、共存してこそ、初めて解決の糸口が見えてくる。

「あらゆる症状もあらゆる人の個性」

これが、僕を数十年悩ます尖端への恐怖と、数年間の臨床心理の現場で学んだ1つの答え。
尖端を恐れる自分を受け入れ、『味の1丁目』の味噌ラーメンを食べると
きっと僕はこれからも幸せに暮らすことができる。
2001年11月02日(金)  結婚前夜。
図書館でレポート作成するはずだった金曜日。
ふと目が覚めると午後1時。あくびをしてから溜息を吐く。
もはや図書館に行く気力さえなく、今日の休日はパジャマのまま本でも読もうと思った金曜日。
 
友人からの電話。アパートの駐車場を見て僕が休みだと知ったらしい。
「今日は外回りのお仕事なので貴方の家でお昼ご飯を食べます」
このキャリアウーマンの友人は、いつもキャリアウーマン的な装いをしている。
今日も例外ではなく、キャリアウーマン的装いで僕の部屋に登場した。
 
このキャリアウーマンは、最近何かにつけて結婚の話を持ち掛ける。
今日は結婚したことを前提に、僕達が作る家庭について話し合った。
新婚旅行は何処。部屋は幾つ。子供は何人。寝室は別々。
 
「マイホームとは別に自分だけの部屋を違う場所にもう一つ欲しい」
というと、友人は一瞬にして顔を歪め、一気に窓際まで駈け寄り、窓を開け、世間に向けて大声で
 
「キャァーーーッ!!」
 
と叫んだ。僕はビックリして、冷や汗だけが胸や背中をつたった。
この日記が創作ならば、もう少し物語の前後を考えるのだが、
事実はそうもいかない。何の前触れもなく、突然窓を開けて叫ばれるのだ。
たまったものじゃない。
 
そして友人は何食わぬ顔でテーブルに戻り、話の続きを始めた。
 
というわけで、この人は仕事に戻らなくてもいいのだろうか。と思うほど
長く理想の結婚生活の話を語り続け、とうとう職場から呼び出しの電話がかかってきて
ブツブツ言いながら帰って行った。
 
誰もいなくなった部屋で、ゆっくりと結婚生活について考えてみる。
やっぱり、どう考えても、僕には早すぎるし、友人には遅すぎると思った。
2001年11月01日(木)  Triangle on the Pavenent.
――そして僕は、僕なりの答えを出して、その悲劇的な物語に終止符を打った。
 
これがまるで台本に書いてあるように定期的に繰り返される三角形に対するいつもの答え。
この三角形はそれを形成する3つの点が、それぞれ異なる答えを出して消滅する。
 
Aの点は諦める。
Bの点は抑えこむ。
Cの点は移動する。
 
時にはAの点になりその舞台に登場し、時にはBの点になりそれを演じ、
時にはCの点になることを強制させられる。
 
それぞれの点を結ぶ線は決して舗装されていない。
田畑沿いの砂利道のように道の雑草が生え、所々に水たまりが待ち伏せ、
僕は歩行のバランスを崩し、時には靴を泥で濡らす。
 
洗練されていないトライアングル。
正三角形は愚か、ニ等辺三角形にも直角三角形にもなりえない無様な三角形。
 
それが
 
僕たちが往々にして繰り返す愚かな歴史の1つの形。三角関係。
決して学習されることなく、
野山に花を摘みに出掛けたら、知らぬ間に迷子になっていたかのように、
突然、それは僕たちの頭上に覆いふさがる。
 
3つの点がそれぞれ足を引っ張り合い、
1人が逃れようとすると1人の首が締まる。
1人が逃れようとすると2人の顔が歪む。
何をしないでいても、事は進行する。
 
それぞれが主張し、それぞれが言い逃れをする。
君が、好きだ。私は、嫌いよ。私は、好きです。
 
バミューダ諸島に迷いこんだ3人は、目的を達し得ないまま、
 
大きな空を見上げ、朽ち果てていく。
 
――そして僕は、僕なりの答えを出して、その悲劇的な物語に終止符を打った。

-->
翌日 / 目次 / 先日