2001年10月31日(水)  好きな工具はニッパです。
この世に存在する数ある工具の中でもニッパほど僕を魅了するものはない。
そして数あるニッパの中でもスイス製ケイオージーユー社のニッパが特に優れている。
 
しかし一般社会のニッパへの愛着や認知度は思いのほか低い。
1980年以降に生まれた世代などはニッパという言葉さえ知らない。
今の若い世代は、あの熱狂的であり、ある種の宗教的な意味合いさえ持った
1976年のニッパブームを知らないのだ。
僕達は仕事が終わるとすぐ油まみれの手を洗う手間させ惜しんで
行きつけのディスコへ駆け込み、夜な夜な腰を降り、ニッパを降り回していた。
 
ちなみに1990年代に一世を風靡したジュリアナ東京の扇子を降りまわすダンスは
僕達の時代のニッパが扇子に持ち替えられたに過ぎない。
 
ニッパブーム当時、スイス製ケイオージーユー社のニッパは僕達の憧れの的だった。
ハンサムやブサイク関係なくそのスイス製のニッパを持つものは、
ある意味無条件で女性をホテルに連れこむことができた。
スイス製ケイオージーユー社のニッパはモテる男のステータスであった。
 
しかし、朝から晩まで働いてようやく3食食べれる程度の収入しかなかった僕達は
スイス製のそのニッパを手にする事など不可能だった。毎晩ディスコに通うことでさえままならなかった。
だから僕達は金メッキのレプリカを持ち歩いた。
勘のいい女の子はすぐにレプリカだと指摘して僕達を冷笑した。
頭からビールをかけられてホテルのドアを思いきり閉めて出て行かれたことだってあった。
 
当時の僕達は結婚よりも出世よりもスイス製のニッパを何よりも望んでいた。
 
時は経ち
 
2001年。当時のニッパブームを知るものも少なくなってきた。
あの頃のディスコ仲間も皆、家庭を持ち、部長になり、一軒家を持ち、中年特有の匂いを発するようになった。
僕も決して例外ではなく、愛する妻を持ち、何よりも大切な子供たちを授かり、
小さいけれど印刷屋を開業し、少ないけれど従業員を持つようになった。
 
だけど、僕はこの歳になってもスイス製ケイオージーユー社のニッパをベルトにはさんで持ち歩いている。
古い友達はこのニッパを見てフッと笑うけれど、
 
あの頃、喉から手が出るほど欲しかったこのニッパを、
青春の象徴を、
この歳になりようやく手に入れた。
2001年10月30日(火)  ベストカップルについての考察〜豚とキムチの好相性〜
というわけで今回はベストカップルの定義について考察しようと思う。
かの韓国の名料理人、金薬念(キム・ヤンニョム)氏はこう言った。
 
「韓国のスープには、昆布だし、煮干だし、そして牛肉のだしが使われるアル。
だけど私は幼少の経験を生かして、豚肉のだしに注目したでアル。
長年我が国でタブーとされてきた韓国伝統のキムチと豚肉のだしを融合したでアル!」
 
金薬念氏は幼少時代、中国で育ったらしい。だから少々クセのあるハングル語を話す。
語尾に「アル」をつけるあたりがそれを証明している。
しかし、中国人は誰一人語尾に「アル」をつける人なんていない。
近年、その辺りの金薬念氏に対する疑惑を韓国チゲ学会が指摘されているが、
そのことに関しては今回のテーマと関係がないので省略させてもらう。
しかし、例えその疑惑が真実であったとしても
金薬念氏がブタ肉とキムチを融合させた功績は賞賛に値する事実である。
 
そして私達は金薬念氏の国外追放をも恐れぬブタとキムチの融合という大胆な挑戦の結果から、
決して巡りあう事のないある2つの事象から生み出される絶大な効果について学び取ることができる。
 
それはマヨネーズご飯であり、メロンに生ハムであり、セーラー服にルーズソックスなのである。
それは1+1が人類の認知を超えて10にも20にも変化した結果である。
 
よってベストカップルを生み出す秘訣もここに隠されている。
少々刺激的なキムチ的女性と少々脂の乗った豚肉的男性が巡りあうと
それは個々が持っている独自の持ち味を最大限に発揮し、尚且つ2種類の素材が拮抗することなく、
仲良く肩を組み、時には抱き合い、時には抱擁し合い、独特のハーモニーを奏でるようになるのだ。
 
ベストカップルの秘訣は豚キムチ。
この着眼点に注目した現役大学生のぱむ氏に金薬念氏同等の敬意を表したいと思う。
2001年10月29日(月)  てんてこ舞。
仕事が終わって疲労と弁当箱と一緒に家へ仕事を持ち帰った。
 
書類作成。職場のパソコンで作成していたのだが、パソコンの調子が悪く、
泣く泣く家へ持ち帰った。
 
そして、こういう日に限って家のパソコンの調子もおかしい。
 
カレンダーを見る。10月29日。
あ、忘れてた。今日はパソコン不調デーだ。
天下のビル・ゲイツも今日ばかりはてんてこまいらしい。
 
てんてこまい。
 
最近、好んで「てんてこまい」という言葉を使うようになった。
「てんてこまい」という発音。なんて忙しそうな言葉なのでしょう。
語源は何なんだろう。
 
「よっ!久し振り。最近調子はどう?」
「てんてこまいです」
 
なんて使ったりする。
 
「ねぇ。今夜飲みに行かない?」
「てんてこまいです」
 
なんてあっさり断ることさえできる。
 
というわけで今夜の僕はてんてこまい。
パソコンの不調と重なって簡単な書類作成に2時間30分もの時間を要する。
 
僕がパソコンと書類と格闘している間に友人が来て結婚を迫られた。
僕はまだ結婚したくないので来月になったらすると言うと、
「じゃぁ来月婚姻届け持ってくるからね!」
と言われた。どうせ持ってきやしないんだから。
 
「私は門限11時。あんたは8時ね」僕の門限は8時らしい。
そもそも「あんた」と呼ばれてる時点で、かかあ天下は確定している。
 
パソコンの不調の原因がわからないし、書類作成も全く進行しないので、
「わかった。来月結婚ね。門限8時ね」
などとパソコン画面を見ながら適当に返事してたら愛想をつかして帰ってしまった。
 
友人が帰って不調なパソコンにも見切りをつけて
誰もいない肌寒いキッチンで僕はパジャマを脱ぎ捨て下着1枚になって
 
てんてこ舞を踊りました。
2001年10月28日(日)  鏡に映る鏡。
午前中に降っていた雨は、午後になって少し回復したが、
僕の部屋はまだ肌寒く、湿っていて、その湿気が重たい空気を作り出していた。

僕は、ある女性とぼんやりテレビを見ていた。いや、眺めていた。
テレビはただ無意味な情報を流しつづけ、僕達は無意味にその情報を受け入れていた。
その受けいれられた無意味な情報は、やがて何の吸収もないまま、何のフィルターも使用しないまま、
空気中に流れ出し、部屋の湿気と混ざり合い、空気をますます重くさせていた。

「あなたにプレゼントしたいものがあるの」

その女性はそう言って、部屋を出て駐車場の自分の車の元へ行った。
彼女は、この台詞を言おうか言わまいか悩んでいた。
その証拠に、彼女は何度か大きく息を吸って、何度かそのまま息を止めていた。
それが何度か繰り返され、やがて大きく吸った息が言葉として先程の台詞になり口から出された。

僕がテーブルのタバコを取り、火を着けて一息する間に彼女は戻ってきた。
オレンジの大きな袋を抱えていた。

「あなたにプレゼントしたいものがあるの」

その女性は、また同じ台詞を口にした。その台詞から並々ならぬ決意のようなものが感じられた。

「ありがとう。だけどクリスマスは再来月だし、誕生日だってもう過ぎちゃったし、何かの記念日でもないし、
なにより今日は僕が嫌いな月曜日だ。プレゼントを貰う理由なんてないよ」
「いいの」

彼女は僕の冗談の相手をせずに、強く否定した。
彼女のまだ形がはっきりしない何らかの決意がここでも感じられた。

「ありがとう」
僕はそのオレンジの袋を受け取る。袋の中身はジャケットだった。

「着てみて」
僕は彼女の言われるがまま、そのコーディロイ生地のオリーブ色のジャケットを着てみた。
僕は部屋着のスウェットのズボンを履いていて、少し不釣り合いだったが、
サイズも丁度良く、僕の体にすぐ馴染んだ。生地も色もデザインも僕の好みだった。

「ありがとう」
僕は体の位置を変えながら鏡の前に立ち、彼女にお礼を言った。

「それ、昔の主人が着てたものなの。家に置いててもしょうがないし、
捨てるのは勿体ないから。あなたと同じような体格だったし」
彼女はそういって悲しそうに微笑んだ。
「それにしてもぴったり」

彼女が細めたその瞳は僕というフィルターを通して昔の亭主の姿を見つめていた。
2001年10月27日(土)  5つの道。
今月2つめの結婚式。
僕は何かといろんな人の結婚式に呼ばれてしまうのだが、
今回はこれまでの背景と少し異なる。
 
親友が結婚するのだ。
 
僕達5人のグループは、高校の頃からの付き合いで、
卒業してそれぞれの道へ歩きだしても、その道はどこかでこの友人達の道に繋がっていた。
決して途切れることのない道。
僕達は時々、それぞれの道へ寄り道しながら5人で肩を組んで歩いてきた。
 
去年、そのうちの1人が結婚し、そして今日、また1人、人生の大舞台へ臨むことになった。
 
キャンドル・サービスで僕達のテーブルにまわってくる。
みんな優しい目で彼を迎える。彼の目が潤んでいる。
 
「いつまでも・・・」
 
と彼はそう言って、言葉を詰まらせてしまった。
僕達に、それ以降の言葉なんていらなかった。そんなこと言うまでもないことだった。
 
彼は、グループの中心的な存在ではなかったが、
好んで脇に立ち、僕達の行動を冷静な目で見守り、時には感情を露にし外へ立ち向かって行った。
僕達は彼に絶大な信頼を寄せていた。
 
僕達は式場が用意した2次会には参加せず、僕達が集まった時に必ず行くバーに行った。
カウンターに4人並んで座り、それぞれがそれぞれの酒を飲んだ。
それぞれのテーブルにブランデーやワインのボトル、バドワイザーや焼酎の瓶が積み上げられて、
いつもそうするように誰からともなく立ち上がり、バーを後にした。
 
「次は誰が結婚するんだろ?」小雨降る繁華街を歩きながら友人が呟く。
「次は、僕がする」
 
みんな声を揃えて笑った。
2001年10月26日(金)  思い出のこの一曲。
「歌は時代を映す鏡」だなんてNHKの今夜の歌謡ショーの司会者が言いそうな台詞だけど、
やっぱりその当時に聴いていた歌は、確かにその時代を映していると思う。
 
時代を映すといっても、例えば「世界の国からこんにちは」が「大阪万国博覧会」を彷彿させるるように、
その時代の大きな出来事を映すという意味と、
私達が懐かしい歌を聴くと、「あぁ、あの頃はあんな事があったなぁ」と感じる
私達自身の日常に基づく出来事を映す意味がある。
 
何が言いたいかというと、NHKの司会者は全て真実を語っているということ!
 
 
 
 
 
僕は付き合ってまだ1ヶ月足らずの彼女と真っ赤なミニ・クーパーに乗っていた。
梅雨時で、その時も細かい雨が降っていた。
僕のクルマのワイパーはとても不愉快な音を出していたのでよく憶えている。
その時も不愉快な音を出して雨粒を右へ左へ不器用にさばいていた。
 
まだ付き合って1ヶ月だから、運転中にキスなどしても平気な頃だった。
いや、付き合って1ヶ月だからといって運転中にキスして平気というわけではない。
正確に言うならば、運転中にキスしても平気な年頃だったのだ。
僕は19歳で彼女も19歳だった。
 
カーラジオからスピッツの「ロビンソン」が流れていた。
 
「あ!これ知ってる!いい歌だよね〜。ロビンソン。知ってる?」彼女が言った。
「うん。知ってるよ」僕が言った。
「ロビンソンって4人グループなんだって。ボーカルの人カッコいいのよ」
 
19歳の僕達は「ロビンソン」というグループが「スピッツ」という名の歌を唄っているのかと思っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
まさしく、誰も触れない二人だけの国で生きていた。
2001年10月25日(木)  今日のおやつは木漏れ日の中。
もはや午後に起床することなんて珍しいことではない。
僕は「午後に起床して自己嫌悪する自分」という自我を見事に受容した。

午後1時。「パンチ・ザ・モンキー」のBGMで目が覚める。
窓を開ける。ベランダから見える通りの人たちは皆、午後の疲れた表情をしている。
僕はまだ瞼を半分も開けていない。こんな生活は社会にフェアじゃない。

今日は午後から昔の彼女と会う約束だったが、約束の時間はもう過ぎてしまっている。
昔の彼女と会うという事実に耐え兼ねて僕は午前の起床を無意識に避けてしまったのだろう。

部屋の掃除をする。
数ヶ月袖を通すことのなかった ――そしてこれからもないであろう
いくつかの衣類を思い切って処分する。
その衣類に染み付いた様々な思い出は、襟口の黄ばみとなって色あせていた。

夏物の衣類をバックに詰め込んでクリーニングに持って行く。
ついでにカーペットも持って行く。
僕はカーペットもクリーニングに出せるという事実を一昨日知ったばかりだ。

「そんなことも知らなかったの?バカ」
と友人に思わず罵倒された。
君だってジャイアントカプリコのCMに出てる女の子が松田聖子の娘だってことさえ知らなかったじゃないか。
その人の常識は相手の常識ってわけじゃないんだ。

「あ、いつもありがとうございます。ヨシムラさんですね」
クリーニングの店員が思い切り僕の名前を間違える。
顔は覚えていて名は間違える。僕はこのクリーニング屋の微妙な立場の常連なのだ。

部屋に戻り、時計を見る。午後4時。そういえば僕はまだ起きてから何も食べていない。
僕の空腹感は、食欲について考えて、はじめて喚起される。
食欲について考える事がなかったら僕は3日3晩何も食べないだろう。

今からまた外に出るのも面倒臭いので、
友人が僕の部屋に買い溜めしているナビスコ オレオのクリームサンドクッキーを食べた。
コーヒーでも飲もうと思ったが、冷蔵庫にはビールしかなかった。

目覚めの太陽の光より黄色がかった光が隣のビルの間をすり抜けて
午後4時のキッチンを染めていた。
僕はキッチンのテーブルでクッキーをかじりながらビールを飲んだ。

木漏れ日のような淡い光が僕の着ている白いシャツを黄色く染めていた。
それは、衣類に染み付いた様々な思い出に優しく感応していた。
 
今日処分したあの色あせた洋服のように。
2001年10月24日(水)  泣きっ面に泣きっ面。
雨が降っていた。
 
4年前の10月。専門学校の旅行で北海道に行き、4泊5日の思い出を土産袋に詰め込んで帰ってきた。
学校の駐車場で佇む。雨の中こんな重いもの担いでアパートに戻るのは一苦労だ。

「送ろうか」
と声を掛けられた。沙織だ。僕はこの女性に好意を抱いていた。
当時は沙織と外が暗くなるまで学校に残り、とりとめのない話ばかりをしていた。
僕は沙織のことが好きだし、沙織も僕のことが好きなんだろうと思っていた。

しかし沙織には彼氏がいたし、僕も半同棲中の彼女がいた。
僕達はこれ以上の関係に発展できるわけがなかったし望んでもいなかった。

「アパートまで送ってあげる」
これが、沙織の車に乗った最初の出来事だった。

「寄っていく?」
アパートの駐車場で沙織にそう言った。沙織は驚いて口篭もって「だって…」と呟いた。
「あ、彼女なら今日は仕事でいないんだ」当時の僕は最低の男だった。
 
沙織は友達と何度か僕の部屋に遊びに来た事があった。
しかし、今日はあの何かと口うるさい友達はいない。
冷め切って伸びきってしまった彼女だっていない。
 
ソファーに並んで座る。会話が途切れる。雨の音が沈黙を埋める。僕達は見つめ合う。
 
「ただいまー」
 
突然、ドアが開く。僕は銃弾を避けるような体勢でソファーから離れる。
彼女が帰ってきた。彼女は立ったまま僕と沙織を交互に見つめ、小さな手を震わせていた。
 
「おかえり・・・。今日、早かったんだね」僕は明らかに狼狽していた。
「あなたが・・・帰ってくる日だったから・・・休みもらったの」
 
会話が途切れる。先程より強くなっていた雨の音だけが沈黙を埋めていた。
雨粒より大きな涙が彼女の頬を伝った。悪い兆候だ。これから嵐になる。
 
「じゃあ、また・・・ね」
沙織は張り詰めた空気に耐えられなくなって飛び出すように玄関まで行った。
 
沈黙は続く。大粒の涙は止めどなくながれる。
嗚咽が漏れない涙。彼女のプライドが垣間見えた瞬間。
 
「・・・ごめん」沙織が再び部屋に戻ってきた。
「・・・誰か、外で待ってるよ」遠慮深そうに言う。誰かが待ってる?
 
手を震わしたまま立ちつくす彼女を横切り、玄関へ行く。
「・・・おかえり。今日、旅行から帰ってきたんでしょ」
 
ここで3人目の女性が登場する。
 
これが今までの人生で最大の危機が訪れた瞬間。
2001年10月23日(火)  羊頭狗肉。
色とりどりのネオンに照らされて、
僕は、大人2人が両手を広げてもまだ足りないような幅のある大きなドアの前に立っていた。
通りの人たちは、それぞれの建物のそれぞれの形のしたドアの前にしばらく立ちつくし、
1人は躊躇なく、1人は頭を傾げ、1人は品定めでもするように顎を手でさすりながら
ドアを開けて入っていく。
 
そして僕はこの大きなドアの前に立ち、
ネオンで光る意味の分からないアルファベットを見上げていた。
 
ドアを開けると、その大きなドアに相ふさわしい大きなロビーが広がっていた。
10メートル程先にフロントが見えた。フロントまでの道には赤い絨毯が敷いてあり、
等間隔に観葉植物が置いてあった。
観葉植物の種類はわからないけど、とてもいい香りがした。
天井には数えきれない程のシャンデリアが金色の光を放っていた。
 
フロントには小柄な女性が受話器で誰かと話をしていた。
 
「いらっしゃいました」
 
彼女は僕の方をちらりと見上げ、そう言った。
はじめは僕に言ったのかと思ったが、どうやら受話器の向こうの誰かに言ったらしい。
僕が来たことを誰かに伝えているのだ。
 
「いらっしゃいませ。それではどうぞごくつろぎ下さい」
 
彼女はそう言って、一点を凝視したまま全く動かなくなった。
彼女の背中にスイッチがあるのならば、それは確実に「OFF」になっているはずだ。
僕が何を話ししても何も反応しなくなった。瞬きさえしなかった。
 
僕は諦めて、周囲を見渡してみた。
ここは、ただ意味もなく広かった。観葉植物もシャンデリアも多すぎた。
滑走路のような赤い絨毯と、像が耳を広げたような入口のドア。
そして蝋人形のようなフロントの小柄な女性と、僕。あとは誰もいない。
 
あてもなく、壁際を歩いていると、壁と同じ色の小さな扉を見つけた。
僕は銀色のドアノブをひねってみたが鍵が掛かっていた。
 
「そこは、開きませんよ」
突然、フロントの女性が数十メートル先からそう言った。
この広いロビーには僕と彼女しかいないので、すぐ後ろでそう言われたような気がした。
 
彼女と話をしようと思い、再びフロントに戻ったが、
彼女は再び蝋人形のように一点を凝視していた。
 
その目は何も語っていなかった。
2001年10月22日(月)  ウサギはウサギ ―― 何見て跳ねる。
今日は、体調が、芳しくない。
 
右の胸の乳首から指二本分ほど上の方の血管に、
凝縮された「辛い思い出」が詰まってしまった。
 
血小板でも悪玉コレステロールでもない。
様々な「辛い思い出」が凝縮されて石のような硬さを持って、僕の血管に詰まってしまった。
 
最初は胸やけかと思って
――昨夜は夕食も摂らず、小説を読みながら延々とワインを飲んでいた。
職場で薬を貰って服用したのだが、一向に効く気配を見せない。
むしろ、時間が経つにつれ痛みは増していく。
 
風邪かな。と考える。
聴音器を使い自分の耳で自分の胸の音を聞く。
喘鳴もラ音も聞こえない。正常な一般成人の胸音だ。
しかし、正常な呼吸音の中に何かしら違和感を感じる。
 
目を閉じて神経を集中し、聴音器を先程より強く胸に押し当てて耳を澄ませる。
 
それが、「辛い思い出」だと理解するまでたいした苦労は要しなかった。
 
様々な「辛い思い出」が、胸の内部でぶつかり合って様々な音を発していた。
どうやら「辛い思い出」が甲高い音を発する時に拍動性を伴う胸の痛みを感じるらしい。
 
胸やけ止めの薬などで効くはずがなかったんだ。
 
僕の職場には「辛い思い出」に効く薬もあるのだが、薬なんかで「辛い思い出」を消したくない。
 
山ウサギは毛皮が黒くたってウサギなのだ。
2001年10月21日(日)  大人ノ階段ノボル。
僕は小さなこだわりとして、開閉式の携帯電話は持たないようにしている。
これまで4回ほど携帯を変更したけど、全て、あのスタンダードな形の携帯だ。
 
スタンダードな形の携帯電話は、「キー操作無効」のボタンを押さなければ、
歩いてる時にポケットの中で勝手にボタンを押されてしまうという欠点がある。
 
ポケットから取り出して携帯を見ると発信履歴に
「77777777677799900」などと表示がしてある時がある。
ポケットと太腿の共同作業で僕の意思と関係なく押された数字だ。
 
昔は、この番号は神様が僕に与えてくれた暗号のようなものじゃないだろうか。
と神経症的なことばかり考えていたのだが、
いい加減僕も大人になったので、このような馬鹿げた考えはしなくなった。
神様の意思で僕の太腿は動いているわけではないのだ。
 
しかし、時に神は偉大な力を発揮する。
 
今日、今から水泳にでも行こうかしらと思っていた矢先、携帯が鳴る。
「着信 ○田○美」
懐かしい名前。数年前マックでバイトしていた時に知り合った子だ。
 
「久し振り〜!!」当時と変わらない声。
「久し振り。元気してた?彼女できた?」みんな僕の声を聞くと彼女の事を聞く。
「元気だよ。そっちは?云々」
久し振りに話す人物とするマニュアル通りの会話がしばらく続く。
 
「で?どうして電話したの?」マックの子が本題に入る。
「え?電話した?誰が?」
「あなたが」
「え?電話してきたのは君でしょ?」
「その前にあなたが電話したんでしょ」
 
発信履歴を見る。今日の午前中に確かに彼女に電話している。
しかし今日の午前中といえば、患者さんの傷の処置をしていた頃だ。
出血が止まらないので、手が血だらけになっていた頃だ。
両手血だらけで昔のバイト友達に電話する理由なんてどこにもない。
 
きっと、出勤途中に僕の太腿が彼女に電話してしまったのだろう。
 
「朝、ポケットに・・・」と言いかけて言葉を切った。
なんだかこういうのって言い訳がましい。新手のナンパみたいだ。
太腿が君と話がしたいって言ってたんだ。
 
「声が聞きたくなったんだ」
 
真実を伝えても信じてもらえないだろうし、面倒臭くなって
好意を持ったことのない女性にまで平然と嘘をつけるようになっている僕は
確実に大人への階段を昇り続けていると感じた。
2001年10月20日(土)  見えない努力が美女になる日。
見えない努力について。それは報われるものなのか。
最近は、たいした見えない努力をしているわけではないけれど、
見えない努力についてよく考えるようになった。
 
そして、気付いた。
あらゆる事は考察さえすれば、例え不完全であっても何かしらの結論は得られるものなのだ。
 
見えない努力なんて、そもそも報われるものではないのだ。
「努力」と「報い」を連結して考えるから迷うのだ。
「リンゴ」と「サラダ」は必ず連結しているとは限らない。
「リンゴ」という記号から様々な道が出て、その道は枝分かれして、その道の一本が「サラダ」に辿り着く。
ある1つの道は「アップルパイ」に辿り着くし、ある1つの道は「バーモンドカレー」に辿り着く。
 
「努力」に関しても然り。
運が良ければ「報い」に辿り着くけど、悪ければ「誤解」や「偽善」に辿り着く。
そして「見えない努力」となると、その枝分かれした道は更に複雑になる。
そしてその「努力」自体は、行き先の決定権を持っていない。
ある「リンゴ」は「アップルパイ」になりたくても、ハウスの工場に運ばれて「バーモンドカレー」になるのだ。
その過程は有無を言わさぬものがあるし、それ以前に「リンゴ」は有無なんて言えない。
 
というわけで、今回の僕の「見えない努力」は、どうやら「バーモンドカレー」になったようだ。
誰も気付いてくれないし、例え気付いたとしても、
「おっ。アップルパイだ」
その程度だろう。
 
道が複雑だから、なかなか「報い」に辿り着かないのだ。
だけど、その「見えない努力」から出たものは、今も見えない道を歩いていて、
3年後の朝食後、煙草を一服してるときに、
「こんにちは。3年前の『見えない努力』です。形を変え時を超え、やって参りました」
と、突然絶世の美女が下着姿で僕の前に現れるかもしれない。
 
というか現れて欲しい。
 
僕に報いを!
2001年10月19日(金)  朝/フレキシビリティー。
目が覚めても覚めなくても僕の横には君がいた。
 
何の意味もない。何の進展もない。どこにも未来は見当たらない。
今、僕が理解できることは、
現状が理解できないということと、もう帰らなくちゃいけないということ。
 
「送ろうか」
「1人で帰る」
 
1人で帰る。いいよ1人で帰る。バスだって通ってるし。
天気いいね。今日どこ行くの?ふうん。僕は家に帰って寝る。
あんまり眠れなかったから。
休日なのにって、僕の休日の過ごし方は君が一番知ってるはずだよ。
一種の行動の傾向はあまり変化しないんだ。
 
――無理して忘れる必要はない。
――無理して抑える必要はない。
 
そりゃ25年も生きていれば、いろんな形のいろんな経験をするんだよ。
 
リンゴは全て丸いわけじゃない。
 
それじゃ、元気で。
ちょっとずつ風も冷たくなってるし、身体には、気を付けて。
 
もう逢えないような気もするけど、
また逢えるような気もする。
 
今、こんなこと考えたってしょうがないけど。
じゃ、元気で。
 
説明できないことが多すぎるんじゃなくて、
多分、僕達は説明できることさえ考えないようにしてるんだと思う。
答えがわかったって、結局はどうでもいいことだし、
答えがわかんなくたって、結局はどうでもいいことなんだ。
 
僕は明日も顔を洗うし、君は明日もそうやって髪を梳くだろう。
2001年10月18日(木)  罪/モラトリアム。
罪悪感は主観的な感情だから、
 
これは罪だ
 
と本人が感じなければ、罪は罪ではなくなる。
しかし、罪を意識すると、それは本来の罪以上の罪を意識することになる。
 
罪というスイッチを押すか押さないか。ただそれだけのことだ。
 
罪悪感なんて幻想に惑わされてはいけない。
それは罪であって罪でないのだ。
 
僕が誰と寝ようが相手が誰と寝ようが
 
2人とも罪の意識を感じていなかったら、
それはただの男女のありきたりの行動なのだ。
罪を超越する人間本来の行為なのだ。
 
惑わされちゃぁ、いけない。
 
罪なんてものはお茶漬けを食べた後に考えればいいんだ。
 
だから今夜は君の元へ行こう。
道はもう交わることはないけれど、――それは小さな出来事でしかないけれど
今夜の意味の答えは、おそらく3年後、5年後に出るかもしれない。
 
今、確実に言えることは、
 
「僕達は今、罪のことを考えちゃいけない」
 
ということだけだ。
いずれ、僕は罪の意識に全身を蝕われることだろう。
今は一種のモラトリアムなんだ。自分の中の様々な思いを猶予する期間なんだ。
 
だから僕は大丈夫。心配しないで。
君も大丈夫。心配しないで。
 
月が鶏の鳴き声に侵食されるまで、一緒にいよう。
2001年10月17日(水)  「あ」
昨日は夜勤明けで家に帰り、すぐ昼寝をして
夜7時前に不機嫌に目覚めて、不機嫌なままマックに行って
不機嫌な形をしたマックリブレと10分ほど水に浸したような根気のないポテトと、
外国人の基準で決めたMサイズのアイスティーを飲んで、
職場に忘れた不自由の象徴である携帯電話を取りに行って、
部屋に帰ってビールを飲みながら暴力的なビデオを見た。
 
0時過ぎにビデオが終わり、暴力的な余韻に浸りながら、
あぁ、ピストル欲しいなぁ。などと馬鹿な事を考えながら歯を磨いて布団に潜り、
小さな音量でカウント・ベイシーを聞きながら部屋の電気を消した。
 
深夜1時。様々などうでもいい葛藤の末、布団から起き上がり尿意もないのにトイレに行き、
冷蔵庫からビールを取り出して、キッチンのテーブルに座り、小説を読みながらビールを飲んだ。
 
2本の缶ビールを1時間かけて飲み干す。
深夜2時。
小説は終盤にさしかかる。
主人公の親友と彼女が死んだ。多分、この主人公も最後には死んでしまうのだろう。
 
「あ」
 
声を出してみる。深夜2時のキッチンは隅から隅まで、――食器棚から部屋に通じるドアまで
静寂が支配していて、もしかして僕の声も知らない間に深夜2時の静寂に支配されているのかも知れない。
 
「あ」
 
少しいつもと違うような声だが、確かに僕の声だ。
少し違うような気がするのは、深夜2時の静寂の影響を少なからず受けているからだろう。
 
天井を見上げる。睡魔は襲って欲しい時にはいつも背中を向けている。
睡魔が僕を見つめる時は、職場の昼休み明けの処置の時間だったり研修会の時間だったりするのだ。
それは往々に僕の意思に反して、その圧倒的な力を発揮する。
 
深夜3時。もう一度布団へ潜りこむ。
多分このまま朝まで眠れないのだろう。
寝返りをうつたびに僕の背中には睡魔が潜んでいて、不気味な笑顔を浮かべているのだろう。
 
早朝4時。ベランダをのぞくと、青みがかった空を見上げながら睡魔がタバコをふかしていた。
2001年10月16日(火)  本来の姿。古代の翼。
職場の更衣室に携帯を忘れてきたので、
今夜は忌わしき現代社会の束縛から解き放たれて
収めていた羽根を大きく開いて埃を払って
星さえ見えない大空に飛び立ちたいと思う。
 
現在夜7時。今から寝るまでの時間は、全て、僕の手に委ねられた。
純粋な自分の為の時間を手に入れた。
 
部屋の電話も時々鳴るが、特に気にしない。
部屋の電話の受話器なんて滅多に取らない。
 
「九州電力ですけど、マイラインは登録されましたか?」
「今回の市議選に立候補した大橋巨泉の後援会の者ですが、1ヶ月ほど新聞を購読していただけませんか?」
「NTTですけど、只今近所で羽毛布団の特売会を開催しております」
「こんにちは県庁です。ダスキンの交換に伺いたいのですが」
 
こんな類の電話ばかりだ。
部屋の電話からお得な情報や小さな幸せが舞い降りることは、まずない。
 
携帯がない夜は、
「愛してる」と何十回も言わなくてもいいし、
果たせやしない約束も結ばなくていいし、
行きたくもないバーでグラスを傾けなくてもいいし、
突然の来訪に怯えなくてもいいし、
休日の打ち合わせも、あの日の言い訳もしなくていい。
 
今夜だけこの場所は情報化社会の陸の孤島と化した。
僕は陸の孤島で眠っていた自由という大きな翼を再び手に入れた。
ベランダの縁に立ち翼を広げる。
月明かりに照らされたそのシルエットこそ自由の象徴。失われた愛の形。
 
さあ、翼を羽ばたかせる時が来た!
この情報と虚像と哀憎と道化の世界から飛び立つのだ!
いざ、職場の更衣室へ!
 
携帯を取りに行きましょう。
2001年10月15日(月)  螺旋のリング。
僕は右手薬指にいつも指輪をつけている。
 
どうしてあなたはいつも指輪をつけてるの?と問われても、
別に理由はない。と応えることにしている。
 
人に説明して理解できる物語と理解できない物語があるのだ。
それは、とても複雑で、
鹿児島から宮崎へ旅行するのに羽田経由で福岡空港で降りてレンタカーを借りて
高速に乗って、熊本インターで降りて、バスに乗り換えて、宮崎空港まで行くような物語なのだ。
しかし、それにはしっかりとした理由だって存在する。
 
とにかく紆余曲折を経て僕の右手の薬指にはいつも指輪が悲しく佇んでいる。
 
(償い)
 
好きな人の前でもこの指輪を外すことはない。
好きな人から「この人、彼女がいるんじゃないかしら」と思われることもある。
しかし、この指輪から見当違いのメッセージが発せられているとしても気にしない。
 
時々、罪について考える。償いについて考える。
過去の過ちを。人を傷つけたことを。果たすことのできない約束を。
永遠が崩れ去る過程を。戻らない日々を。
レコードプレイヤーから流れていたあのジャズを。
 
この世にはどうしようもできないことだって数多く存在するのだ。
 
せめて
 
この指輪だけでも、永遠を立証するたった1つの手段であってほしい。
形無き永遠の1つの形であってほしい。
 
「彼女いないのに薬指に指輪なんてつけてるから新しい彼女ができないのよ」
数日前も友人にそう言われた。
 
「そうだよねぇ」
甘ったるい缶コーヒーを飲み干しながらそう応える。
 
(償い)
 
全てが終わっても、そこには何かが残骸としていつまでも存在する。
失ったものは、やがて形を変えて再び現れる。
葡萄を食べても種は残るし、その種は新たなる葡萄を生む可能性を含んでいる。
 
これだけ過去に対してさっぱり忘れる質なんだから、
右手薬指の一本くらい過去を引きずったっていいじゃない。
 
と思うわけであります。
 
償いを込めた自分自身に対する言い訳。
2001年10月14日(日)  ティッシュと札束。
先輩の結婚式。
 
何度も言うけど、僕は人前に出るのは好きではない。
人前で芸をしたり歌を唄ったりというのはもっての他。
手や足や心臓や肝臓や脳や顎やくるぶしなどがガクガク震える。
兎に角、人前に出るのは好きではない。
 
余興で後輩数人と「葉っぱ隊」を踊ることになっていたが、
僕が猛反対してお流れになった。
僕は何も心配せずに、「おめでとうございます。お幸せに」と繰り返し言えばいいはずだった。
 
だった。
 
「さて、只今より余興に参りたいと思います。歌でも踊りでも漫才でも!
我こそはと思う方はこちらまでお越し下さいませ!」
 
余興。僕は余興とかそういう類のものは好きではない。
例えば「のど自慢」
どういうメカニズムかわからないけれど、ああいうのを見ると全身に鳥肌が立つのだ。
 
あぁ。早くこの時間が過ぎてくれないかしら。
 
・・・
 
・・・
 
気が付けば、僕はステージに立っていた。
「それでは歌っていただきましょう!」
はめられたのだ。先輩と後輩に。僕は引きずられるようにステージまで連行された。
 
辺りが静まり返る。
 
手拍子が聞こえる。
 
やがてその手拍子は式場全体に響きわたる。
 
大喝采。
 
テーブルに戻り、知らない人達から褒められる。
「ありがとうございます。いえいえ、そんな。ありがとうございます。いえいえ、そんな」
あぁ早く式が終わってくれないかしら。
 
1時間経過。
 
「さぁ!これで最後の余興となりました。なんと新郎新婦と会場の皆さんからのアンコールでございます!
○○さんっ!ステージへどうぞ!」
 
僕だ。
 
今絶対僕の名前を言った。
 
先ほど歌った曲のイントロが流れ出す。嫌だ嫌だと嘆いたって、
みんな私を見つめている。もはやここには味方はいない。数の暴力に圧倒される。
僕は今食後に出されたアイスクリームを食べてるんだ!と叫んでみたって誰も同情はしてくれないだろう。
心の中で不条理だ!と嘆いてみるが右手にはしっかりとマイクを渡される。
 
歌い終わり、足早に自分の席へ戻る。
しらないオバサン達がティッシュにお金を包んで僕に渡す。
 
ティッシュにお金を包んで僕に渡す。
 
ティッシュにお金を包んで僕に渡す。
 
・・・
 
僕は人前に出るのは嫌いだ。
 
例えポケットの中が千円札や五千円札とティッシュでいっぱいになっても。
2001年10月13日(土)  21世紀のギャンブラー。
明日は職場の先輩の結婚式である。
というわけで職場で看護婦さん数人と危険な賭けをした。
 
【僕は来年の今日、すでに結婚しているか?】
  
 結婚してるはずがないに1万円。
 
 結婚できるはずがないに2万円。
  
 性病にて長期入院中に1万円。
  
 すでに性病に5万円。
  
 すでにバツイチに2万円。
 
 バツイチ子沢山に3万円。
 
 Bの織田信長。ファイナルアンサー。
 
 式場で元彼に連れ去られるに1万円。
 
 それを追いかけないに2万円。
 
 会費制に1万円。
 
 チャペルの日は雨に4万円。
 
 披露宴で親は泣かないに5万円。
 
 はらたいらさんに全部。
 
 友人代表に過去の話を暴露され結婚取り消しに10万円。
 
 職場結婚。私と。に30万円。
 
 
 
それは、危険すぎる賭けだった。
 
 
 
 
 
ちなみに、この賭けの内容は後輩がしっかりとメモしていたので、
それを取り上げてこの日記を書きました。
 
うちの後輩はこういう事に関しては熱心になるのです。
2001年10月12日(金)  今日の出来事。
今日は急遽休日をもらい、部屋にこもりきり、大学のレポート作成。
「アジア文化論」「高齢者支援展開論」「比較社会史」合計24枚。
ちっとも面白くありませんでした。
  
夜はソフトボールの試合。結果17対5。お世辞にも接戦とは言えず。所謂惨敗。
ちっとも面白くありませんでした。右足太腿を負傷しました。
今日は2番レフトでした。ボールはあまり飛ばないけど、足が速いのです。
内野に転がっても内野安打確実なのです。いわばイチローです。新庄じゃありません。
記憶より記録に残るのです。今日の打率5割。
 
試合の帰り道、コンビニに寄って、弁当を温めている間、
レジの綺麗なお姉さんを鼻の下伸ばして眺めていたら、突然後ろからどつかれました。
友人登場です。小学校の頃から水泳をしていたので女性なのに怪力です。
「何ぼんやり眺めてんのよ!」
店内に響き渡る大声で叫ぶので、恥かしくて恥かしくて、
「うるせぇよ。バカ」
なんて今時の小学生でも言わないような捨て台詞を吐いてコンビニを後にしました。
  
友人と一緒にいた女性がとても綺麗な子でした。
たいてい友人と一緒にいる子は綺麗だと相場は決まっているそうです。
  
家に帰るといつもの友人達が来ました。
また結婚の話が出てきたので、いよいよ心理的に僕は追い詰められてきました。
結婚はまだしたくありませんので。
だけど、26歳くらいまでには結婚したいです。
  
よく考えたら、よく考えなくても、それは来年でした。
2001年10月11日(木)  【さ】 30分テープ
彼女が何度も「ねぇ、愛してるって言って」と言うので、
最初はそう言われる度に心を込めた振りをして「愛してる」と言っていたけど、
1日に何回も訊ねられるので、―――電話の会話中の大半がその言葉で占められるようになったので、
なんだか馬鹿らしくなって、
「ねぇ、愛してるって言って」
「なるほど」
なんて時には答えたりして、ちょっとした混乱を招くのだが、
  
あらゆる問題にはあらゆる対策が必要なように、
僕もこの件に関して1つの解決策を考えた。
  
30分テープを買ってきて「愛してる」と録音してピンクのリボンを巻いて彼女にプレゼントした。
  
彼女は「これで多い日も安心だわ!」ととても喜んで、
ガラスの靴を持つようにそっと胸に抱えて持って帰った。
  
昨日は期待の星になりそこねて、少々疲れてしまったので今日は早めに寝ようと思った午後11時、
部屋の電話がなった。
あまりにもけたたましく鳴り響くので、ベルが鳴る度に受話器が宙に上がって揺れていた。
  
「いったいなんなのよ!」彼女からだ。ひどく怒っている。
「いったいどうしたっていうんだ」僕は冷静に応える。
「テープ!あのテープ!愛してるって74回しか言ってないじゃないのよ!」
「うん。たしかに74回愛してるって言ったはずだよ」
「どうして74回なのよ!バカ!バカチン!」 バ…バカチン!?
「そりゃそうだよ。なんてったって僕は70回分しか君を愛してると思っていない」
「まぁ呆れた!70回分しか愛してないだなんて!じゃぁあとの4回はなんなのよ!」
「おまけ」
「・・・何?聞こえないっ!」
「なるほど」
「何納得してんのよ!聞こえないって言ってるでしょ!」
彼女の受話器の向こうから僕の声で「愛してる・愛してる・愛してる・・・」とお経のように聞こえていた。
  
  
  
永遠の恋なんて存在しない。それは常に期限付きなのだ。
始まりがあって終わりがある。幕が開いて幕が閉じる。入り口があって出口がある。
機関車はもうもうと煙を吐きながら、時には赤く燃え上がる石炭を放り投げて速度を早めながら
プロセスという線路を通って、終着駅へと向かう。
  
期限付きなんだ。永遠なんて存在しない。早かれ遅かれ終着駅はたしかに存在するのだ。
  
僕の場合、だいたいそれが30分テープで70回なのだ。
あとの4回はおまけ。
2001年10月10日(水)  期待の星。
「期待の星」になってみようと思ったので、
「期待の星」3年目の友人にどうすれば「期待の星」になれるか相談したら、
役所に行けばなれると聞いたので、早めに起きて、髪の毛にはポマードなどつけたりして、首筋に香水を振って、
歯磨きを2回して、髭も2回剃ったら出血した。
 
平日だというのに役所は人でごった返していた。
休日の役所はもっと人は少ない。入口さえ開いていない。
  
「すいません。期待の星になりたいのですが」
案内係のお姉さんに訊ねる。
案内係りのお姉さんは噛んでいたチューインガムを丁寧な仕草で銀紙に包んで、
コホンと湖面から鳥が羽ばたくような上品な咳をして、
「8番窓口へどうぞ」と言った。
  
8番窓口は入り口から7番目にあった。
8番窓口には7色眼鏡をかけた6人の職員がいた。
「私には5歳の子供がいるんです」そのうちの1人の職員が言った。
「そうですか。あの、私、期待の星になりたいのですが」
「私の子供も将来、期待の星になって欲しいのです。この札を持って4階へ言って下さい」
  
そうやって案内所から7番目の8番窓口の7色眼鏡の6人のうちの5歳の子供がいる職員から
「3点」と書かれた札をもらってエレベータへ乗って4階へ昇った。
 
「4階です」非常に役所的なエレベーターガールが真冬の海水浴より冷たい声でそう言った。
エレベーターには4階と表示されてるけど、エレベーターの窓から見える外を歩いている人たちは
アリの肝臓のように小さく見えた。
しかしエレベーターガールが4階と言っているのだからしょうがない。
 
4階には机と椅子が1つずつしかなかった。
椅子にはスヌーピーに似たミッキーマウスが座っていた。
「すいません。期待の星になりたいのですが」
「あぁ、最近流行ってるからね。期待の星。札は?」
僕は「3点」と書かれた札を渡した。
 
「よし!3点坊や!これを持って9階に行きたまえ。そこで君は期待の星になれるぞ!」
犬的ネズミは「3点」と書かれた札の裏に「免」と書かれたハンコを押した。
 
僕は、なんだかよくわからないお礼を行って9階へ昇った。
 
「今日が本当は体育の日だから、今日も本当は休みのはずなんだ 長谷川」
 
となぐり書きしてある張り紙が入り口に貼ってあって、ドアには鍵が閉まっていた。
これだから役所は嫌いだと思った。
2001年10月09日(火)  熱湯を注ぐ人生について。
そういえば僕はインスタントラーメンも駄目だったんだ。
  
何が駄目って、そりゃあ決まってるよ。
僕が駄目なのは卓球と女の涙とインスタントラーメンなんだ。
君は納豆と立体駐車場と松葉杖が駄目なんだろう?それと一緒だよ。
僕は立体駐車場は大丈夫だけど、インスタントラーメンが駄目なんだ。
   
人間関係はそういうものを補い合って成り立っているのです。
  
あ、あぁ。そんなものはどうだっていいんだ。僕はインスタントラーメンが駄目なんだ。
  
何が駄目って、そりゃあ決まってるよ。
僕が駄目なのは電動歯ブラシと風呂掃除とインスタントラーメンなんだ。
君はウェットテッシュと・・・は?もういいって?
  
あ、あぁ。そんなものはどうだっていいんだ。僕はインスタントラーメンが駄目なんだ。
  
下痢を、するのです。インスタントラーメンでも下痢をするのです。
ヨーグルトと一緒なのです。
ヨーグルトは、アロエヨーグルトやストロベリーヨーグルトを食べると下痢が中和されるような気がするけど、
  
(気がするだけなんだけど)
  
インスタントラーメンはうまかっちゃんでもチャルメラでも出前一丁でも一様に駄目なんだ。
とんこつスープもゴマ風味も北海道バターも僕の下痢を中和してくれないんだ。
  
ふぅ。僕はこんな切実な悩みを君に打ち明けているのにちっとも同情してくれないよね。
まぁ、いいけど。
  
きっとあれなんだな。お母さんのメッセージなんだよ。
「世の中3分で出来上がるほど簡単じゃないわよ」ってさ。
いつも大きなお腹をさすって僕に話し掛けてたんだよ。
「インスタント的人生を歩むような子供に育っちゃ駄目よ」って。
だから僕の体は3分で出来上がる物を拒むんだよ。
  
甘くないんだよな。
  
人生って。
  
3分じゃ何もできないよ。
君にキスしようかもう3時間も悩んでるしね。
2001年10月08日(月)  【ぜ】 絶対
僕と友人は「フォレスト・ガンプ」も見終えてしまったので時間を持て余していた。
友人は寝転んで両足でぬいぐるみを挟んで上げたり下げたりしていた。
僕は部屋の隅に体育座りをして、その憐れなぬいぐるみをぼんやりと眺めていた。
  
「ねぇ、あなたの頭スレスレに打ってもいい?」
友人は、そばにあった輪ゴムを指に器用に巻いて、鉄砲の形を作った。
「駄目だよ。危ないよ」当然の如く僕はその要望を拒否した。
「絶対当たらないから」友人は自身満々に言った。
「駄目だよ。あぶな   」
  
パチッ。
   
「痛たっ。何すんだよ」輪ゴムは僕の首筋を捉えた。
「ごめんなさい。痛かった?」
「野暮な質問を、するな」
  
「絶対当たらないって思ったんだけどなぁ」
「そもそも世の中に『絶対』なんて存在しない。」
「絶対に?」
「うん」
「じゃぁ存在するんじゃん。絶対に『絶対』が存在しないんだったら、絶対は存在するってことでしょ」
「あ、ホントだ」
「そうよ」
  
しばらく沈黙が続いた。僕は頭を掻き続け、友人は僕のタバコを吸った。
  
「君は、頭がいい」
「あなたが悪いだけよ」
  
輪ゴムを首筋にはじかれた挙句、頭が悪いとまで言われてしまった。
  
「あのさ・・・」
何か言い返そうと思ったけど、頭の悪い僕は何も思いつかなかった。
2001年10月07日(日)  永遠の輝き。
ダイヤモンドの価値なんて誰が決めるのよ。
  
それが炭素の究極の目標であったとしても
  
あったとしても!
  
それがどうしたっていうのよ。
  
私は付加価値なんて必要ないわ。
  
銀座ジュエリーマキで100万で買ったとしても
ロマン輝くエステールで200万で買ったとしても
  
買ったとしても!
  
私はダイエーで買った100g10円のフィリピン産バナナの方に歓びを感じるわ。
  
ダイヤがどうしたっていうのよ。
  
このダイヤは100万円です。どう?綺麗でしょ。100万円もしたんだから。
  
馬鹿じゃないの?何が綺麗なの?100万円が綺麗なの?
銀座ジュエリーマキが綺麗なの?ロマン輝くエステールが綺麗なの?
  
私がダイヤが綺麗じゃないと言ったら、それはただの石ころなのよ。
100万しようが200万しようがグラム10円しようが
私が付加価値を見定める眼を持っていなければ、
  
そんなもの持ちたくないけど
  
持っていなければ、フィリピン産のバナナの皮にも及ばないのよ。
   
バカ。
  
バカオトコ。
   
そのダイヤを今すぐ私のプラダのバックに入れて自分の手首を切ってちょうだい。
切りたくなかったら今すぐ私を抱いてちょうだい。
   
  
  
   
そんなプロポーズ返しをされてみたいと思った風呂上がり。
2001年10月06日(土)  【せ】 洗濯バサミ
目を覚ますと耳たぶに洗濯バサミが噛みついていた。
決して鋭いとはいえないその牙を口を震わせながら噛みついていた。
  
「お前はいつも俺をハンガーか何かのように粗末に扱う」
「ハンバーガー?」
「グルグルグルギギギギギ」洗濯バサミは噛む力を強める。
噛みつきながら話すので上手く聞き取れないのだ。
  
「よしてくれよ。今日は仕事なんだ。洗濯バサミと戯れている暇なんてないんだ」
「お前は俺を何に使った?」
「は?」
「何に使ったのかって聞いてるんだ!」
「何につかったって・・・あ」
  
僕は枕元を見た。
寝る前に読んでいた文庫本(『出産はわすれたころにやってくる』百田まどか著)
が寝る前と違う形で置いてある。
  
洗濯バサミがはさまっていない。
  
「お前は、俺を洗いたての靴下を干すことに使わずに、古本のしおり替わりに使いやがった」
「なんてことするんだ」
  
僕は軽々と耳たぶから洗濯バサミを取り上げ、
真っ二つに引き裂いた。
  
僕はハンガーは真っ二つに引き裂いたりしない。
2001年10月05日(金)  永久欠番。
今日は一日中図書館でアジアの福祉について嫌々勉強していたので
特に日記に書くようなことがない。アジアの福祉について書こうと思ったが、
そんなものここを見る人は興味がないだろうし、何よりも僕が興味ない。
アジアの福祉についてなんて、アジアの福祉に興味がある人が勉強すればいいのだ。
英語についてなんて、アメリカ人が勉強すればいいのだ。これは言い過ぎました。極論でした。
  
昨日の話をする。
昨夜はソフトボールの試合があった。
プレイボールは夜7時。私の勤務終了時間は夜7時。
仕事が終わってすぐグランドに向かわなければならない。
  
午後7時。更衣室へ走る。白衣を脱ぎ、ユニホームに着替える。
僕の背番号は3番。長嶋監督は引退したけれど、僕の野球人生はまだ終わらない。
始まってはいる。だって、もう7時5分なんだもの。
  
7時5分なんだもの。
グランドまで10分かかるんだもの。
グランド到着予定が7時15分なんだもの。
  
・・・
   
・・・
   
ユニホームのズボンを忘れた。
   
これから家に取りに帰るわけにはいかない。なんてったってもう試合は始まっているのだ。
解決策を考える。誰かにジャージを借りよう。
ジャージで通勤する同僚は結構多い。
同僚に僕のズボンを貸して、同僚のジャージを僕が借りればいい。
   
まぁ、予想していたとは思うが、そういうときに限って全員ジーパンなのだ。
  
どうしよう。パンツ一丁で出ようかしら。
下着姿でホームラン。なんだか浴衣姿で初エッチみたいで格好いい。
  
「私のジャージ貸そうか」
ありがとう!看護婦さん!・・・看護婦さん!?
そんな。看護婦さんからジャージを借りるなんて。
そもそも身長が10センチも違うし、サイズも違う。着れるわけがない。
ってピッタリ!
  
そうなんです。僕の足は身長の割に短いのです。
こういう場面で短足に救われるなんて思ってもみなかった。
   
看護婦さんと短足に救われてライト前に痛烈なヒット。
試合は13対3の完勝。
  
つくづくアジアの福祉について学ぼうと思った。
2001年10月04日(木)  アロエ飛び魚。
「ほれみたことか」
トイレに座り溜息をつく。今日トイレに座るのはこれで3度目だ。
トイレに貼ってある動物のカレンダーをぼんやり眺める。
10月はペンギンの家族が描いてある。どうして10月にペンギンなど載せたのだろうか。
  
ヨーグルトを食べた。その結果、腹を下した。
僕は乳製品を食べるといつも下痢をする。牛乳なんてまったく飲めない。
小さなグラスに牛乳を注いだだけで下痢をする。
  
だけどヨーグルトは大好きなのだ。大好きだが体が受け付けない。
心理的には好むけど、生物学的には受け付けない。
僕とヨーグルトの関係は、僕と女性との関係に似ている。
求めるものと与えられるものが合致しない。
  
ヨーグルトといっても純粋なヨーグルトではない。僕が食べたのはアロエヨーグルトなのだ。
純粋なヨーグルトを食べると純粋な下痢をする。
よって、非純粋なヨーグルトを食べると非純粋な下痢をするのではないか。
アロエヨーグルトのアロエの部分が、僕の虚弱な胃腸の中で、
下痢へと至る作用を何かしらの方法で中和してくれるのではないかしら。
  
そんな何の根拠もない僕のルールというか願いの元に
僕はアロエヨーグルトを食べたり、ストロベリーヨーグルトを食べる。純粋なヨーグルトは絶対に食べない。
ウェイトレスが上品な銀のテーブルに純粋なヨーグルトを乗せて運んでくるだけで下痢をする。
  
「アロエのこんちくしょう」
僕はトイレのペンギンの家族に向かってそう呟いた。
またアロエは何の効力も発揮せず、ヨーグルトの魔力に屈してしまった。
   
ペンギンも純粋な飛び魚を食べて下痢をするのだろうか。
アロエ飛び魚を食べて淡い希望に身を寄せるのだろうか。
  
僕はあと何回トイレに座ればいいのだろうか。
2001年10月03日(水)  利用者と被利用者。
休日。10時に目覚めて特に何もすることがなかったので、
布団にくるまったまま昨夜寝る前に読んでいた小説の続きを読んだ。
昨日電話で約束した女性が1時間以上早く私の部屋に来た。
  
「まだ寝てたの?」
「起きてたからドアを開けたんじゃないか」
「今日、出かけるって言ったじゃない」
「約束の時間までまだ1時間以上ある。僕は化粧をしないから10分前に起きても平気なんだ」
「私も10分で化粧できるもん」
「化粧の話をしてるわけじゃない」
  
彼女は布団に潜り込んできたが、僕達はそういう関係じゃないので、
これから行く場所のことや今読んでる小説の内容や食事はどうするかなど10分ほど話をして、
僕の思っていたとおり、彼女は寝てしまった。
  
約束の時間まであと1時間あったので、僕は布団を抜け出し、
歯を磨いて、顔を洗って、髭を剃った。
音楽を流そうと思ったが、彼女の安眠を妨げるのでやめた。
平日の慌ただしい車の音が窓の隙間から僕の部屋へ入ってきている。
その車と一緒に彼女のイビキの音も聞こえた。
イビキというか歯と歯の間からこぼれる出来損ないの口笛のような音だった。
  
約束の時間まであと30分あったので、小説の続きを読んだ。
  
「ねぇ、クーラー入れてよ」彼女が小さな声で言った。
「いやだ」先月の電気代が初めて1万円を越えたのだ。 
「暑いよ」彼女は布団をかぶったままそう言った。
「暑くても10月なんだ」ニュースキャスターもみんなもう秋ですねと言っている。
「ケチ」
「ケチで結構。今日の食事もワリカンにしよう」
「ケチ」
「コーヒー飲む?」
「あ、飲む飲む!」
「階段降りて買ってこいよ」
「死ね」
「もう時間だよ」
「行きましょ」
  
僕達は食事に行って、僕は不味いパスタを、彼女は美味しそうなピラフを食べて、
ちょっとした買い物に行って、公園に行って日なたぼっこをした。
  
平日の午後の誰もいない公園は、僕達の関係のように、ひどく不自然だった。
2001年10月02日(火)  ネジ山。
深夜1時、携帯がまたもや不吉な着信音を響かせる。
もしかすると僕の携帯は深夜にしか機能しないのかもしれない。
そうでないとすれば、僕の周囲の人々は深夜にしか僕の必要性を考えないのかもしれない。
どちらにしても迷惑なことには変わりないが。
  
「もしもし!よかった!助けてーっ!」
僕はこれと全く同じセリフを9月25日の深夜に聞いたことがあった。
違うところといえば9月25日は深夜2時で、今は深夜1時ということだ。
深夜ということには変わりないけれども。
  
助けを求める具体的な内容は省略する。助けてーっ!と叫ぶほど深刻な問題ではないのだ。
  
深夜1時半。彼女は僕の部屋に来た。
シャワーを浴びたばかりで、まだ髪が少し濡れていた。化粧気もなかった。
  
「旦那さんには何て言ったの?」僕は人妻に対する基本的な質問をした。
「あなたの家に行って来るって言ってきた」彼女は何でもなさそうにそう言った。
僕は彼女の御主人のことをよく知らない。買い物で夫婦で歩いているところを一度見かけただけだ。
だから彼女の御主人の考えもよく知らない。
人妻を独身男性の部屋に深夜1時に行かせることをどう思っていることなんて知る由がない。
 
「寝るところだったの?」キッチンに立っている彼女は僕の部屋をのぞいてそう言った。
「いや、眠れないから本を読んでいた」と僕は言った。本を読んでいたから眠くなったのだけど。
そしてしばらく話をした。具体的な内容は省略。助けてーっ!と叫ぶほど深刻な問題ではないのだ。
 
「ちょっと待ってて」彼女は突然話を止め、ドアを開けてどこかへ行ってしまった。
御主人に電話でもしているのだろうと思ったが、彼女の携帯はテーブルの上に置いたままだった。
「ただいま」10分程してから彼女はコンビニの袋を下げて戻ってきた。
アイスクリームとコーヒーとシュークリームとリポビタンDが入っていた。
 
「こんな遅くにホントごめんね」彼女はそう言って僕にリポビタンDを渡した。
ごめんねと言われてリポビタンDをもらったのは生まれて初めてだった。
「こんな遅くにホントごめんね。リポビタンDでも飲んでもうちょっと私の話に付き合ってね」
ということだと思う。
 
彼女が動くたびにシャンプーの匂いがした。
その甘い香りは時計のネジ山が噛み合わなくなるように深夜の僕の思考を少しずつ狂わせていった。
2001年10月01日(月)  白い嘲笑。
あれはまだ山口に住んでいた頃だった。
私は父親の仕事の関係で3歳から4歳までを山口県で過ごした。
  
いくら「三つ子の魂百まで」と事実を脚色しすぎたことわざが存在しても、
実際その当時のことで憶えている事は、
幼稚園の昼食が食パンとミルクだったということと、
家の前の大きな歩道橋と、
アフロのような髪型をした友達と、
初恋のマキヌちゃんの顔と、
  
あの夢のことぐらいだ。
  
あの夢はあれから20数年経った現在でも鮮明に瞼の裏に描く事ができる。
鮮明に思い描くことができるが、それを文章にするというと、
どう表現すればよいのか迷ってしまう。
  
4歳の僕は果てしない暗闇の中を歩いていた。
暗闇を恐れているわけでもないし、親を捜し求めて泣いているわけでもない。
たんぽぽ組の僕は、暗闇の中を歩くこと自体が当然かの如く淡々と歩いていた。
  
どのくらい歩いたかわからない。
進んでいたのかさえわからない。その場で足踏みしていたのかもしれない。
周囲は暗闇。僕の目で僕の両手さえ見ることができない完全なる闇。
  
突然、カメラのフラッシュのように一瞬、白い光が見える。
僕は目を凝らす。暗闇のあらゆるところに一瞬だけ白い光が発する。
4歳の僕は目を凝らす。そして僕はその白い光の形を捉える。
  
その白い光は、人の顔だった。しかしその顔はどこかしら不自然だった。
目は異常に横に長いし、髪の毛は生えていないし、以上に丸いし、
何よりも、その白い顔は全て笑ったいた。嘲笑うような笑みを浮かべていた。
  
僕はその時はじめて恐怖を感じた。
その白い光の白い顔は次第に暗闇を浸食していく。
完全なる暗闇が完全なる白い光に染まっていく。完全なる白い顔に制服されていく。
完全なる嘲笑に支配されていく。
  
僕は逃げた。現実の世界へ走って逃げた。昼食が食パンとミルクの世界へ逃げた。
  
目を開く。目を開けてもそこは暗闇だった。
右を見ると母親が寝ていた。左を見ると父親が寝ていた。
現実の暗闇に戻ってきた。安堵感が白い光のように、僕の身体を満たしていく。
  
そして僕は泣いた。深夜に大声で泣いた。
  
僕の4歳の記憶はまるでビデオを見ていたら突然停止ボタンを押されたようにここで突然止まる。
  
  
  
今でも時々、あの白い顔を思い出す夜がある。
あの白い嘲笑に怯える夜がある。

-->
翌日 / 目次 / 先日