2001年09月30日(日)  第2次2時災害。
深夜2時(また深夜2時)に携帯が不吉な着信音を響かせる。
最近は明るい話題に乏しいので、携帯も暗めの着信音に設定してある。
勿論、僕は布団にくるまって寝ている。
夜遅くまで友人とビデオを見ていて、僕の枕に友人の香水の香りが染みついていた。
その香りのせいからか、僕はその友人からの電話かと思った。
  
「もしもし!こんばんわ!雨降ってます!雨よ降れ降れっていうかいい加減やめよ!」  
後輩だ。しかも酔っている。しかもベロンベロンに。
  
「また飲んでるのか。明日も仕事だろ」
「関っっ係ないっス!!雨降ってます!雨!」
ちなみにこの後輩、「関係ないっス」が口癖である。
大抵の物事を「関係ないっス」で済ませてしまううらやましい性格の持ち主である。
  
「で、何?用がなかったら切るよ」
「先輩冷てぇ!この雨のように冷てぇ!むしろ雨より冷てぇ!」
  
ピッ
  
ためらいもせず、携帯を切る。僕は雨より冷たいのだ。
深夜の2時に後輩の相手をするほど寛大な心は持ち合わせていない。
  
間髪入れず携帯が鳴る。勿論後輩だ。
「何だよ、まったく」
ここで携帯を取るところが先輩らしい。
先程の言葉は訂正。僕は少しは寛大な心を持ち合わせているのだ。
「切らなくていいじゃないですか!雨やまないし!金ないし!」
「雨と金は関係ないじゃないか」
「関係ないっス!」
もうわけがわからない。
「じゃ、明日ちゃんと出勤するんだよ。おやすみ」
「あ!あぁっ!先輩切らないで!金なくてタクシーに乗れないんです!ちょっと迎えに・・・」
  
ピッ
  
深夜2時に人妻は迎えに行くが、後輩は迎えに行かない。
その差は性差でもあるし問題の深刻差でもあるし何よりも馬鹿らし差でもある。
2001年09月29日(土)  必要以上にまとわりつくシナモン。
目覚めると午後1時。最近の休日はいつも午後目が覚める。
  
友人達がアパートの駐車場に停まっている僕の車を発見したらしく、
「今日休みなの〜?今から来るね〜」との電話。
  
鏡に向かって髭を剃っていたら友人2名来訪。
挨拶もせずにあがりこんで、ソファーに座って雑談を始める。
  
「軽めの軽食食べに行きた〜い」などとわかりきった事を言う。
軽食は往々にして軽いのだ。
  
「空飛ぶ飛行機に乗りた〜い」
「辛めのキムチ食べた〜い」
「お湯の入った風呂に入りた〜い」
「頭痛が痛〜い」
  
と言い返したら頭を引っ叩かれたので黙って車の後部座席に乗る。 
ミスドに行く。高校のクラスメイトに会う。
僕は女性2人と来ているのに「彼女できた?」と質問してくる。
「できない。というかできても続かない」と言う。
「そりゃそうね」とクラスメイト。
彼女の頭で何を考えて「そりゃそうね」という結果に至ったかは不明。
  
友人との会話に戻る。
  
「ねぇ、あなた結婚しないの?」と愚問。
「そりゃするよ」と素っ気無い返答。
お風呂入らないの?そりゃ入るよ。
「いつするの?」と愚問。
「そのうちするよ」と素っ気無い返答。
いつ入るの?そのうち入るよ。
「まだ結婚しないでね」
「どうして?」
「私が結婚するまで」
まだ入らないでね。私が入るまで。
  
その後、雑貨屋に行く。高校頃の部活の後輩に会う。
今日はよく懐かしい人と会う。そういう日が年に2・3回存在する。
   
僕は女性2人と来ているのに「彼女できました?」とミスドで会ったクラスメイトと同じ質問してくる。
「できない。というかできても続かない」とミスドで言った同じことを言う。
「そんなもんですか」と部活の後輩。
後輩の頭で何を考えて「そんなもんですか」という結果に至ったかは不明。
2001年09月28日(金)  バナナをかじる生活。
ダラダラと今日の日記を書いていたが、とても暗くてつまらないので削除。
やり直しやり直し。
  
パソコンチェアーに体育座りしてバナナを食べる。
しばらくディスプレイを眺めていたが、ネタが思い浮かばない。
  
今日一日何があっただろうか。
そういえば今日は何だか気分が良かった。機嫌も良かった。
しかし、僕はそういう感情は好きではない。
機嫌が良い日とか機嫌が悪い日とか。安易に感情の起伏を晒したくない。
  
人に接する時はいつでも一定した感情で。
宝くじで3億当選しても、腹部にナイフが刺さっても同じ顔で接する。
機嫌が良いからといって飯はおごらないし、
機嫌が悪いからといって八つ当たりなんてしない。
これは僕が創る僕なりの人生のルール。
  
以前、日記で書いた
「余計な事は言わないけれど、大切な事も説明しない」
という卑怯な性格も、このルールの延長線上に存在する。
  
波風起こすのは程々に。
荒波なんて僕には乗り越えられません。
大喜びなんてしなくてもいいから挫折もいりません。
  
携帯の電波の届かない静かな湖畔の近くに小さな家を建てて、
暖かいうちに精一杯働いて、雪に閉ざされる季節には夏の蓄えを少しずつ食べていく生活を望んでいます。
  
誰にも気を遣わずに。気遣いは確実に寿命を削っていく。
大抵の出来事は対人関係で獲得されるものが多いが、それと同じくらい失っていくものも多い。
  
「先輩、今日なんだか機嫌が良いですね」
  
これを言われた時点で今日は僕の敗北が決定した。

そしてまた暗い日記を書いてしまった。
2001年09月27日(木)  続くもの途切れるもの。
今日は体が重い。
まるでこれまでの罪を全て覆い被さっているような逃れられない重み。
今日の天候がその倦怠感に拍車をかけている。
  
この倦怠感の直接的な理由を考える。
天候のせいだけではない。むしろ天候なんて付随した建前的な存在なのだ。
天気が悪いから、気分が悪い「感じ」がするだけだ。
窓のない部屋で一年中暮らしても、感情の起伏は存在するのだ。
  
昨日のソフトボールの練習が少々きつすぎたからだろうか。
慣れないキャッチャーをして、ファールチップが肩に当たり、
慣れたショートを守り、内野ゴロを手際良く捌き、その後、ファーストへ暴投した。
昨日の練習は、兎に角、調子が悪かった。
その疲れを今日まで引きずっているのだろうか。
  
そういえば、昨日はパソコンの調子も悪かった。
  
お気に入りの秋物の洋服を出したら虫に食われていた。
左の袖口に子供が書く太陽のような決定的であり不完全な穴が開いていた。
  
出勤途中の車の中でドリンクホルダーが何の予兆もなく音もなく外れ、
缶コーヒーがシートを濡らした。
赤信号で、慌ててシートを拭いて前を見ると、前方車ははるか数メートル先。
バックミラーから見える後進車の不機嫌な顔。
  
信号は僕の意思とは関係なく、赤になったり、青になったりする。
  
今は目を閉じても悪い方向へ悪い方向へ進んでいる。
一日中部屋に閉じこもっていても、洗濯物はたまるし、車のローンは勝手に引き落とされるのだ。
  
ここ最近、自分のペースを保てない混乱が形を変えて、
これまでの罪を全て覆い被さっているような逃れられない体の重みを感じているのだと思う。
  
不吉なサイはすでに投げられているし、現に今こうやって転がり続けているのだ。
2001年09月26日(水)  2時災害(後編)
下着1枚の楽な姿からTシャツとチノパンツを履いてアパートを出る。
深夜2時のアパートの外は思った以上に冷える。もう1枚シャツを着ようと思ったが、
悲しむ友人と、馬鹿らしさのため部屋に戻るのをよして、そのまま駐車場へ走った。
  
国道沿いを5分程走ったところで、
まるで世界の終わりを歩いているようなうつむいて歩く友人を見つける。
見つけるのが少し遅かったので、彼女の数メートル後方で車を停めたが、
彼女は立ちすくんだまま、歩き寄ってくる気配がなかったので、
仕方なく車をバックして彼女が立ちすくむ道路脇まで車を寄せた。
  
彼女は車に乗るときに「ありがとう。ごめん」と言ったきりで、
その後は助手席でずっと携帯を眺めていた。
僕は眠たさをアピールするためにあくびを数回しただけで、特に話し掛けなかった。
  
アパートに着いて、簡単な着替えとタオルを渡し、
「シャワー浴びたければ浴びていいし、服はこれを着ればいいし、
寝る時は、僕がさっきまで半分夢を見ていた布団に寝ればいい。僕は寝る。おやすみ」
そう言って僕は硬いソファーに横になって毛布をかぶり電気を消した。
  
彼女はそのまま電気を灯したままキッチンのテーブルに残っていた。
シャワーを浴びる準備も、着替えをする気配もない。
ただ沈黙の中に携帯のプッシュ音だけがいつまでも響き渡っていた。
僕はすっかりと眠気が覚めてしまったので、硬いソファーの上で暗い天井を眺めていた。
  
何分、何十分、時が進んだかわからないけれど、突然プッシュ音が聞こえなくなった。
時々、彼女が鼻をすする音が聞こえるだけだ。
「ごめん。やっぱり帰る」彼女が部屋のドアを開けて言う。
「そう言うと思った」そう言うと思った。
「家まで送って」
「は!?」そう言うとは思わなかった。
  
再び車に向かう。深夜3時の空気は深夜2時の空気より冷える。
「どうするつもり?」
「塀を登ってベランダから入ろうと思う」
無理するなよ。と止めようと思ったが、多分ここで止めてもやめないだろし、
やめたとしても、また彼女とアパートに戻ることになる。
そして、おそらく、同じ事を繰り返すだろう。僕はソファーに横になり彼女は携帯を鳴らし続ける。
  
「だって、もう昔とは違うもん」彼女は言葉を搾り出すように言う。
「主婦だもんね」僕はあくびをしながら言う。
  
「人妻だもん」彼女は僕の意見を微妙に批判する。
2001年09月25日(火)  2時災害(前編)
深夜1時、長い歯磨きを終え、トイレに行き、昼間に干した布団の中に入る。
深夜2時、なかなか寝つけない。昼間、退屈に耐えられず午睡したのが悪かった。
深夜の冴えた空気を伝って救急車のサイレンがやけに大きく聞こえる。
その深夜の悲劇は実際、このアパートの近くで起こっているのかもしれない。
  
突然、部屋の電話が6畳1間の沈黙を打ち破る。
ベルはオークが乱暴に斧を振りまわすように1回、2回、3回、4回鳴り続け突然終わった。
寝呆けているのかもしれない。寝返りをうち、枕に顔を埋ずめる。
  
間髪入れず、枕元の携帯が深夜2時には少々不似合いな陽気な着信音を響かせる。
いつもなら、着信など見ずにそのまま寝てしまうのだが、
救急車のサイレンと、滅多に鳴らない部屋の電話と、不眠の苦痛が、
全てまとまって1つの大きな不安となり、
その不安は上半身を目覚めさせ、僕はゆっくりと携帯を取ることになった。
  
「もしもし!よかった!助けてーっ!」
今年6月に結婚した友人の声、大声で叫んでいるのと寝呆けているので、
最初何を言っているのか聞き取れなかった。
  
「友達と今まで遊んでたら、あの人(ご主人)怒っちゃったみたいで、部屋の鍵開けてくれないの!
今日あなたの家に泊まらせて!お願い!」
「よかった」
「何がよかったのよ!」
僕は救急車のサイレンが僕にこれから振りかかろうとする災難と関係がなくてよかったと言ったのだ。
それにしても僕の周囲の人達は、僕に何の警戒も持たずにいとも簡単に僕の部屋に泊まろうとする。
警戒心を抱かないというのも、よく考えてみれば悲しい話だ。
  
「いいよ。鍵開けとくから勝手に入って勝手に寝ればいい。僕はソファーで寝るから」
「ありがとう。やっぱり持つべきものは友達だわ!その持つべき友達にもう1つお願いがあるの。
ここまで私を迎えに来て!あの人から締め出しくらって泣き出したいのと、歩き疲れたので
もう今すぐにでもここに座り込みたい気分なの。国道沿いにあなたの家まで歩いているから
私を迎えに来て。お願い」
「やれやれ」
やれやれである。深夜2時になぜ僕が国道を歩く人妻を迎えに行かなくてはならないのだ。
2001年09月24日(月)  傷癒えぬ間に。
前々から会いましょうと言っていた女性と、今日ようやく食事に行った。
  
女性にフラれた翌日に他の女性と食事に行くというのは、
どう表現すればいいのかわからないほど複雑だが、それは終わったことだし、
これからの僕は何かが始まることだけを考えていればいいのだ。
墓を掘り起こして線香を焚くような真似はしない。
  
彼女は控えめな話し方をするが、しっかりとした芯が通っている感じがした。
僕は芯が通った話し方をするが、控えめな心を持っている。
控えめな心と表現してしまったが、要は器が小さいだけである。
  
器の小さい僕は器の大きいポークカツを注文してしまい、
四苦八苦しながら胃の中に放り込んだ。
アルコールでもあればまだ食は進むだろうが、
今日は車ということと秋の交通安全週間ということで、
常識と善意と不安の元、ビールを1杯も飲まなかった。
  
それはほんの数時間の出来事だったが、
だいたい僕の性格を表現できる内容の話をしたし、
おおよそ彼女の性格を把握できる内容の話を聞いた。
  
次、出会うときがあるかわからないけれども、
次は、お酒を飲みながら僕達を取り巻く窮屈な仕事以外のことを
ゆっくり話したいと思った。
  
何かが始まることだけを考えていたいから。
2001年09月23日(日)  新しい世界。
9月21日の日記の最後の行の少々危なかしい決意を
その二日後に実行した。
  
9月20日の夜、予想外の人数で行われた懐古的食事会。
数年振りに出会うその女性。僕達は昔を懐かしみ、酒を交わす。
その女性は友人と僕の部屋に泊まり、「バカオトコ!」と叫び、
テーブルの上に短いメッセージを残して去っていった。
  
今回の告白するという行為は、
関係の発展も将来の展望も期待されていなかった。
それは僕なりの「儀式」だった。
  
新しい場所へ行くために解決しなければならない大きな問題だった。
  
世の中には、そういう背景の告白だって存在する。
ミルコ・クロコップの悲壮感漂う試合のように、勝てぬ戦も時には必要なのだ。
  
悲壮感漂うその告白は実際に僕の口から発せられたが、それは僕の体を媒介として、
他人が言っているような、学芸会の脇役が数える程しかないセリフを棒読みで言うような、
そんな口調だった。
  
二人の時間が止まり、その瞬間過去がフラッシュバックして蘇える。
あの雨の日。あの放課後。あの夜。あのクリスマス。あの夜勤明けの朝。
あの雨の日。あの雨の日・・・。
  
言葉にするには遅すぎた歳月。
1つの「現実」が、1つの「過去」となって定義される瞬間。
   
ようやく1つの物語が終了する。
バッドエンドでも、もちろんハッピーエンドでもない。
しかし、それは確かに静かに幕を閉じた。
   
それは
  
新しい場所へ行くために解決しなければならない大きな問題だった。
2001年09月22日(土)  ニュースを見る度に(未完)
ニュースを見る度に世界平和を願う。
「ニュースを見る度に」世界平和を願う。「ニュースを見る度に」
  
わかりますか?
僕はニュースを見る度に世界平和を願う。
  
ニュースを見る時間。
職場の休憩時間に見るNHKニュース。13:00〜13:05。
職場の食事介助の時間に見るローカルニュース。18:00〜18:20。
シャワー浴びてビールを飲みながら見る「今日の出来事」23:00〜23:30。
  
僕はニュースを見る度に世界平和を願う。
米大統領の議会演説を見て、タリバン政権の去就が気になり、日米首脳会談の内容を予想する。
「ニュースを見る度に」
  
ニュースを見る時間、1日合計55分。
世界平和を願う時間、1日合計55分。
世界平和を願う1日の割合、約4%
  
残り96%は
休日に干した布団の中で枕に顔を埋めて現実と夢の境界線がはっきりしないような夢を見たり、
朝、出勤する寸前に歯磨きするのを忘れて急いで磨いたり、
職場で注射がなかなか血管に入らなくて泣きべそかいたり、
夕食のメニューを考えた末、結局コンビニへ車を走らせたり、
   
ふぅ。
  
終わり終わり。今日は終わり。
なんだか、オチを書くのも恥ずかしい文章を書いてしまいました。
  
僕の周りは少なからず平和だということ!
2001年09月21日(金)  アルコールとシャワーと香水。
午前7時。設定を消し忘れていた目覚まし時計が鳴り響く。
それは隣の部屋から「消してよー!!」という声と共に聞こえてくる。
頭が痛い。重い体を起こして隣の部屋に行き、目覚ましを消す。
  
「なんで7時に目覚ましが鳴るのよー」
「ごめん」
  
僕の部屋の僕の布団には4人の友人が難民のように肩を寄せ合って寝ていた。
昨日一緒に飲んで、そのまま泊まったのだ。
僕は一緒に寝るわけにもいかないので、隣の部屋のソファーに寝ていた。
小さなソファー言に無理して丸くなって寝ていたので体の節々が痛い。
  
「おはよう」
「おはようってまだ7時でしょ」
  
もう1人の友人が枕に顔を埋めたまま言う。
7時だから「おはよう」なのだ。と言いたかったが、
怒られると頭に響くので何もわずに隣の部屋に戻り、再びソファーに横になった。
  
・・・・・
    
「ねぇ、ご飯食べに行こうよ」
  
肩を揺すられて目覚める。時計がないのでわからないが、
隣の部屋から「笑っていいとも」が聞こえてくるので、もう正午は過ぎているのだろう。
  
「行かない」頭が痛いのだ。
「行こうよ」
「行かない」体の節々が痛いのだ。
「そういえばさっき携帯鳴ってたよ」
「鳴らない」なんでも否定。
「私達だけで行くよ」
「そうして」
「バカオトコ!!」
  
バカオトコ!二日酔いで小さなソファーに横になっている僕の耳元で大声で叫ばれる。
それから彼女達は各々シャワーを浴びて、何処かへ行ってしまった。
  
・・・・・
  
目が覚める。午後3時。またあれから眠ってしまったのだ。
隣の部屋に行くと、昨夜のアルコールの臭いと彼女達の香水の匂いと、
シャワー上がりの髪の毛の香りが混ざり合った匂いがした。
  
「昨日はありがとう」
  
テーブルの上のメッセージ。
  
僕はやっぱり告白しようと思った。
2001年09月20日(木)  青い山脈。
毎朝、同じ時間に同じ道のりを通って出勤すると、
同じ車や同じ顔触れの人と擦れ違う。
毎朝通うコンビニの店員も同じ人だし、コンビニで擦れ違う人も同じだ。
  
平日の朝は皆、行動を詳細までプログラムされている。
それに忠実に従って行動する機械のように。
その瞼が腫れた疲れた顔だってプログラムされている。
これから起こるであろう変わり栄えのない日常を自ら作りだそうとしている。
  
この非日常的ともいえる日常的な朝に、
ある1人の自転車通学の女子高生と擦れ違う。
黒縁の眼鏡をかけて、三つ編みをして、黒い鞄を自転車籠に入れてペダルをこいでいる。
  
どう見ても現代的な女子高生ではない。
今から高校に行くというより、女学校に行くというような風采というか趣を感じる。
彼女には「純粋無垢」という表現がぴたりと合う。
僕にとって純粋無垢とは、眼鏡で三つ編みで黒い鞄で自転車通学なのだ。
バックミュージックを流すならば、「青い山脈」辺りが似合うだろう。
イメージとしては戦後日本。道路は川沿いの砂利道が好ましいのだが、
残念なことに今は21世紀。何処へ行ってもアスファルト。まぁ、この辺は妥協するとして。
  
きっと純粋無垢な彼女は朝6時にはネジまき式の目覚まし時計で覚醒して、
居間へ行くと、台所からお母さんが大根を切る音が聞こえて、
小さな声で「おはようございます」と言って、食事の支度を手伝って、
ご飯と味噌汁と今の時期は秋刀魚の塩焼きを大根下ろしと一緒に食べて、
小さな声で「ごちそうさまでした」と言って、自分の部屋に戻って、
AMラジヲを聴きながら今日の時間割りを確認して、鏡に向かって三つ編みをするのだと思う。
  
おそらくこの女学生も、
僕達の毎日訪れる朝の非日常的さを助長しているのかもしれない。
2001年09月19日(水)  白衣の代償。
白衣を身にまとっている間は、ある程度自分を保つことができる。
僕の勤労の象徴である白衣は、
治療という目標だけを残して僕を取り巻く苦悩や悪意や戦慄を削り取ってくれる。
  
しかし、あらゆる負の感情を抑制したその代償は
2階建ての小さなアパートに帰ってから僕の体に襲いかかってくる。
   
救急車を待つ、あの緊張感も、
ICUへ搬入する、あの焦躁感も、
血管確保して点滴を打つ、あの集中力も、
  
全て違う世界で違う人物が感じている感情ではないか、と思い始める。
ソファーで頭を抱えて深くうずくまり、
白衣からの開放感と、挫折に近い未熟感を味わうことになる。
  
誰かと話がしたくて、携帯を取り、友人を部屋に呼び、
部屋に呼んだことを後悔しはじめる。
  
独りでいても、誰かといても、
白衣を着ても、白衣を脱いでも、
主任と呼ばれても、若造と言われても、
  
お。もうこんな時間だ。
アィデンティティーを確立する時間は、とうに過ぎているというのに。
夕食?今日もいらないよ。
2001年09月18日(火)  パスタからパターナリズムを学ぼう。
「あなたと居るとなんだか落ち着かない」
  
まーたー言ーわーれーたー。
  
また言われた。最近の恋愛はパターン化している。
予感も憶測も予兆もない。
僕はいつも寝耳に水を入れられる。
  
青じそと唐辛子のパスタを食べて、食後にコーヒーを飲みながらタバコを吸っていただけなのだ。
窓から見える午後の雑騒を眺めながら、次どこに行こうかしら。と考えていた矢先だった。
  
「あなたと居るとなんだか落ち着かない」
  
もう、こんな言葉では驚かないし動揺もしない。
なぜ落ち着かないのかという理由も考えないし問い掛けない。
僕が悪いのであって、君も悪いのだ。
  
僕が食べた青じそと唐辛子のパスタと君が食べたカルボラーナの組み合わせが悪かったかもしれないし、
僕のナイキのシューズと君のアルゴンキンのミュールの相性が悪かったかもしれない。
  
「あなたといればなんだか落ち着く」と言って
「あなたといればなんだか落ち着かない」と言う。
  
どこで、どうやって、僕は、君に、何を、与えて、何を、失わせてしまったのか。
  
兎に角、こうやって会うのも今日が最後です。
まだ、キスもしていない関係だったけど、恋愛感情を抱く以前の間柄だったけど、
楽しい、楽しくないの判断もできない回数だったけど、
  
もう、いいです。さようなら。
食事代は僕が払うし、帰りも家まで送るけれど、これで最後です。
  
やっぱり僕の重大な欠陥は、僕だけ見えないようです。
  
こんなに苦しんでいるのに。こんなに笑っているのに。
2001年09月17日(月)  ヤンバルクイナって何なんだ。
昨日、職場の後輩の看護士が某「朝娘。」のコンサートにわざわざ県外まで行ったらしい。
いや、僕は別に県外まで行くことないじゃないか。と批判するつもりはない。
僕だって県外までフィギアを買いに行ったり、プロレスを見に行ったりするのだ。
   
この後輩、今日の朝から仕事中に小声で「ミッニモニテレフォンだリンリンリン♪」
と傷のついたCDのように同じフレーズばかり繰り返すので、
白衣についたスパゲティのソースのように僕の脳の前頭葉にまで染みついてしまった。
  
「先輩、これ買ったんですぅぅ」後輩は本当にこのような話し方をするぅぅ。
大事そうに包んだその男らしい両手には
  
「ミニモニばんそうこう」
  
ゲ。ゲゲ。なぜばんそうこうなど買うのだ?
「ミニモニのお面も買ったんですぅぅ」
いや、そんなことまで聞いていない。
  
ばんそうこうにミニモニの顔が入っている意味はあるのか?
「傷の治りが早くなるんですぅぅ」
君は看護士だろ。
  
「はい。これ、あげます。お土産ですぅぅ」
いや、いらないよ。興味ないし、いや、なくもないけど、
こう、なんて言えばいいんだろ、おおっぴらに僕ミニモニ大好きなんです!
って言える歳でもないし。いや、大好きなわけじゃないよ。
大好きじゃないけど、まぁ好きなんだ。だいたい好き。アバウトラヴってこと。
君、あんまり好き好きって言ってるとロリコンとか言われるのがオチだよ。
今後そういうのは控えたほうがいいよ。
そういう楽しみは自分の部屋だけで天井にナッチのポスター貼って寝る前に
ナッチおやすみ。とか馬鹿げたこと言って満足しとけばいいんだ。
社会に公表するもんじゃない。何?ミニモニにナッチはいない?
そういう問題じゃないよ。ナッチという言葉はアイドルの象徴として使っただけだよ。
なんだよ、笑うなよ。アイドルって死語じゃないだろ。笑うなよ。
で、お土産ってばんそうこう2枚かよ。なんだよケチンボ。これも死語?知るか。
っておい!このばんそうこう、2枚ともミカちゃんじゃないか。アメリカンじゃないか。カントリーじゃないか。
自分がいらないからって人に譲渡するなよ。お土産という名の譲渡。汚いねえ。
おい、待てよ。どうせならあと3枚くれよ。加護ちゃんと辻ちゃんとゴマキと。
何?ゴマキはミニモニじゃない?知るか。
2001年09月16日(日)  生まれも育ちも一緒だけれど。
久々に兄妹3人集まった。
僕には妹が2人いる。看護婦と美容師。
この2人に共通していることは、彼氏と同棲、若しくは半同棲しているということ。
2人とも、かれこれ数年、同棲生活を送っている。
   
僕はというと、過去数ヶ月の半同棲生活を除いては、
以後、まったく鳴かず飛ばずの恋愛をしていて、
妹に紹介しても、次に会う時は、違う人を紹介したりして、
それが何回も続くと、情けないやら馬鹿らしくなったりして
ついには新しい彼女ができても妹には「友達だよ」と言うようになって、
妹もそれ以上言及しなくなって、余計に情けなくなったりするのである。
  
要するに僕と妹の関係は
日常生活レベルに凝縮された寅さんとさくらの関係のようになってしまっている。
のらりくらりと生活する兄を影ながら心配する妹。
僕の場合、全てマドンナから去っていくという例外を除いては。
寅さんみたいに自分の意思で去ったりしない。
  
嗚呼、妹よ、これ以上僕を憐れに思わないでくれたまえ。
僕だって結果が伴わないだけで、まともな恋愛をしているのだ。
そりゃぁ、過去に彼女に嘘をついて他の子と会ったり、
酔っ払って知らない子にキスしているところを目撃されたりしたこともあったけれど、
恋愛というひどく不完全で大きな捉え方をした場合、
そういう場面はちっぽけな、ほんのちっぽけな物事を構成する一部に過ぎないのだ。
 
わかるかい妹よ。
要するに、弘法も筆を誤るし、猿も木から落ちるし、河童も川に流されるのだ。
 
お前の彼氏はどうなのか?
そうか。朝が早いのか。毎日弁当を作ってる?そりゃ結構な話だ。
弁当は味じゃない。心なんだ。
心がこもっていれば日の丸弁当もジョイフルのサイコロステーキ定食より美味しく感じるんだ。
その程度かって?ああ、その程度だ。
  
お前の彼氏はどうなんだ。
喧嘩ばかりしてる?そりゃ結構な話だ。
喧嘩するほど仲がいいって言うからな。
だけど本当に仲がいいカップルっていうのは喧嘩などしないものなのだ。
  
僕の彼女はどうなんだって?
そのうち見つけるよ。要は、よーい・・・ドン!のタイミングなんだ。
ドン!の前にスタートしたらフライングになるし、
ドン!の音を確かめてからスタートしたら遅れてしまう。
  
言ってる意味がよくわからないって?
哀しみを隠して言葉を濁しているだけさ。
2001年09月15日(土)  細分化された役割について。
おそらく人は、それぞれの日常生活を送るために
ある程度の自分なりの方向性を持っていると思う。
将来の夢などの方向性ではなく、社会に適した傾向の方向性というような。
  
職場の先輩に訊ねる。先輩の方向性は何ですか?
「とにかく妥協しない」
さすが先輩である。他人に優しく自分に厳しい代表格。
    
後輩に訊ねる。君の方向性は?
「人には常に敬意を持って接するようにしています」
なかなか立派な事を考えているんだな。
常にリスペクトの念を忘れないということは対人関係にとって重要なのだ。
  
友人に訊ねる。あなたの方向性は?
「ビデオを延滞しない」
知らんがな。
  
僕の方向性は?
  
「余計な事は言わないが大切なことも説明しない」
  
これが僕なりの社会に適した傾向の方向性である。
卑怯者と思う人もいるかもしれないが、「日常」という世界を成り立たせるには、
こういう役割を担う人も必要なのである。
  
社会は自分1人では成立しない。
自分に妥協しない人も必要だし、人に敬意を持って接する人も必要だし、
余計な事ばかり言う人も必要だし、的を射たことばかり述べる人も必要だし、
余計なことも大切なことも言わない人も必要なのである。
  
社会の役割分担は細分化され、その役割を自覚し、その役に徹し、
僕達は生きていかなければならないのである。
  
人生にこれ以上変化を求めたくなければ、
天より与えられたその役を文句など言わずに演じきればいい。
  
自分を変えたければ、その逆のことをすればいい。
 
   
自分の役割を放棄して、ビデオを延滞すればいいのだ。
2001年09月14日(金)  間違えて買ったセブンスター的休日。
休日に午前7時に目が覚めるなんて馬鹿げている。
エアコンを入れたまま寝てしまったので、部屋が冷える。
エアコンは消さずに頭まで毛布をかぶり、再び就寝。
  
正午起床。
25歳の9月14日金曜日の午前は、
結婚してしまった数年前の彼女の子供を養うという、後味の悪い夢の中で消化された。
  
近所の喫茶店で新聞を読みながらランチを食べる。
一面記事のブッシュ大統領の顔にハンバーグのソースがついてしまった。
食後にホットコーヒーを飲みながら、あぁアイスにすればよかった、と
どうでもいい後悔を一通りしてから、午後は何をして過ごそうか考える。
  
手帳を見る。今月の残りの休日は全て予定が入っている。
来月は結婚式が2つ入っている。
今日のようにのんびりできる休日はしばらく訪れることはない。
  
一体僕は誰の為に何の為に生きているのか考えようと思ったけど、
面倒臭いのでやめた。
その替わりに自動販売機で間違えて買ってしまったセブンスターを吸いながら
レンタルしたビデオを見た。
  
ビデオを見てから、もう一度、何の為に生きているのか考えようと思ったけど、
やっぱり面倒臭いのでシャワーを浴びて昼寝をした。
  
長い昼寝から目覚めて小説を読んでいたが、
さっぱり文章が頭の中に入ってこないので、
もう一度、何の為に生きているのか考えようと思ったけど、
ミュージックステーションが始まったので、やめた。
  
たぶん、何の為に生きているか考えるために生きているんだ。
と、ミニモニテレフォンを見ながらそう思った。
2001年09月13日(木)  自由時間。
今夜は、この6畳1間に4名もの余暇時間を持て余している人たちが集まっている。
いつもの友人2人とその妹。
  
僕のお気に入りのモスグリーンのソファーを占拠して、1人は寝転んで雑誌を読み、
1人はそのソファーに座り、ETの人形を膝に乗せて話し掛けてして、
もう1人、その友人の妹は壁に寄りかかり、本棚にあった「完全自殺マニュアル」を読んでいる。
  
みんな、時々思い出したかのように、突然歌を唄い出す。
なぜかはわからないけれど、その決して熱心ではないサビの部分がしばらく続いて、
徐々にトーンダウンしていき、何事もなかったかのように雑誌を読み始め、ETに話し掛ける。
  
僕はというと、
ソファーも壁際も占拠されているので、窓際にテーブルを持ってきて、
体育座りをして、シグマリオン(小型のパソコン)でこの日記を書いている。
  
この友人達、立派な彼氏がいる。
僕は相手の彼氏のことについてあまり訊ねないから、立派かどうかわからないけれど、
おそらく立派な彼氏がいる。
昔、といってもつい数年前までは彼氏や彼女なんてつくらないで、
このまま3人で一緒に暮らそうとか、歳をとっても一緒でいようね。などと言いあって、
僕はいつもフッと鼻で笑っていたが、
  
数年後、鼻で笑っていた私だけが彼女がいないという局面に陥ってしまった。
  
別にそんなことどうでもいい。
昔のように一緒に買い物に行ったり旅行に行ったりできなくなるという事が、少々悲しいというだけで。
  
「unoしようよ」
  
誰かが提案する。
それぞれ雑誌を閉じ、ETの人形を置き、「完全自殺マニュアル」にしおりをはさみ、
部屋の中心に集まる。
  
修学旅行の夜のように、円になり、カードゲームをする。
  
たぶん、将来、― 僕達がみんな家庭を持つようになってから ― 思い出すことは、
こんな修学旅行の夜のような雰囲気のことばかりなんだと思う。
2001年09月12日(水)  仮面の裏。
2人きりになると、同性・異性に関わらず、なかなか円滑に話が進まなくなる人がいる。
  
大勢の中で明るく振舞う人は往々にして、1人または2人きりになると、
人格が変わってしまったかのように、口数が少なくなる。
  
おそらく、それは本当に人格が変化しているのかもしれない。
  
性格が明るい人、もしくは外交的な人は、正確には2分されていると思う。
先天的に明るい人か、内向的な面を隠すために明るく振舞う人だ。
内向的な面を隠そうとする力が強くなるほど、その人は過剰に環境に適応しようとし、
過剰に周囲に冗談を言い、和ませる役に徹する。
  
そういう理由で、僕は後者のタイプの人と2人きりになると、食事が進まなくなる。
  
しかし、僕が2人で食事に行く事を好むのは、
その食事の場は、その人の、本当の姿、本質を見極めるのに絶好な機会であるからだ。
  
この際、食事はそれほど重要な意味を持たない。
食事は、その場を保つ、象徴の1つなのだ。
目の前のテーブルに松坂牛のステーキが出ようが、ヘビの丸焼きが出ようが、
そんなものはどうだっていい。
  
テーブルをはさんで、料理の味を吟味したかったら、そう仲が良くない人といけばいい。
仲が良くない人と食事に行くと、食事の評価くらいしか話題がないからだ。
  
食事を共にする相手に彼氏がいようと、旦那がいようと、それもあまり重要な要素ではない。
そもそも恋愛感情など、食事の時に抱くものではない。
僕はただ、純粋に、その人と、食事をするという場を、楽しみたいのだ。
   
しかし、内向的な面を隠す人と食事をすると、時々、奇妙な感覚に襲われる。
相手の仮面の中身をのぞこうとする度に、本当の自分を見失いそうになるのだ。
相手の仮面と僕の仮面(のようなもの)が、衝突し合い、青い火花を発する。
  
それは共鳴しているのか、反発しているのかわからないけれども、
その青い火花の正体を見極めるために、
  
「食事」という象徴は、そこに存在していると思うのです。 
2001年09月11日(火)  他人の人生のイニシアチブを握ることができるか。
数年前、母校の商業高校で公演をしたことがあった。
卒業生はどのような職業に就き活躍しているか。というような内容。
  
その公演には僕の他、同級生が2名呼ばれていた。
  
卒業後、専門学校に進学し、プログラマーになった男性。
卒業後、大学に進学し、商業高校の教師になった女性。
卒業後、看護学校に進学し、看護士になった男性。
  
この中で高校で学んだ知識が全く生かされていないのは僕だけ。

情報処理科を卒業し、プログラマーや教師になるのは珍しいことではない。
しかし、看護士になるのは珍しい。というか初めてだろう。
  
まるで全くの畑違いの職に就いた珍獣を披露するために僕を公演に呼んだのではないかしら。
  
最初に、立派なプログラマーとなったかつての同級生が発表し、
次に、見違えるような姿の教師になったかつての同じクラスの子が演説し、
最後に、商業高校の学生相手に「看護とは」を熱弁する私がいて、
  
これはやっぱり、退屈な学生の為に、私を3段オチに使っているのではないかしら。
と思えてきて、最後の方ではなんだか馬鹿らしくなって、
  
「自分のためよりも、相手のために何かしてやろう、と思う人は、
是非、看護学校に進んで、自分の内面を磨くべきです」
  
などと無責任な事を言って無理矢理、演説を終了させたわけだが、
それから数年後の今日、
ちょっとした資料を探しに看護学校へ行ったら、
僕の元へ走り寄って来る女性が2人。
  
そのうちの1人が、
「先輩のあの時の公演で、この学校に進むことを決めました」
などと言う。
  
その場では、「おぉ!そうですか!実習など大変だけど頑張って!云々」などと励ましたけれど、
  
やっぱり、人の人生までを左右する無責任な発言は、どうかしら。
と感じたわけで。
あの公演の時に、もう少し、心を込めて演説すればよかったと
少しばかり後悔するのでありました。
2001年09月10日(月)  テリーさんの命について。
今日のテーマは少々大きすぎるような気もするが、「命」について。
  
あなたの命の価値は誰が決めていますか。
自分自身。家族。恋人。勿論です。
  
例えば、テキサス州在住のテリーさんの命の価値は誰が決めていますか。
テリーさん自身。テリーさんの家族。テリーさんの恋人。勿論です。
  
しかし、僕が、あなたが、テキサス州在住のテリーさんの命の価値を考えたことありますか。
 
他人の命の価値を考えられるあなたの範囲はどのくらいですか。
友人の友人まで?親の親まで?職場の同僚まで?恋人の兄弟まで?
私の、僕の命の価値は、誰がどの程度考えてくれてますか?
  
というように、命の価値とは非常に主観的な物事なのです。
僕達はテキサス在住のテリーさんの命の価値まで考える必要はないし、
考えることさえできないのです。
  
限られた範囲の中で、限られた空間の人たちの、命の価値を、
僕達は一生懸命考えるだけで精一杯なのです。
  
  
  
  
「本日未明、普通自動車と軽トラックが出会い頭に衝突し、1名が重症、2名が死亡しました。
さて、次は上野動物園で生まれた珍しい動物の赤ちゃんの話題です」
2001年09月09日(日)  闇。仮説と概念。
たぶん、夜だから考えるんだと思う。
窓から見える秋の訪れを感じさせる銀杏の木さえも見えなくなる夜。
タイヤが奏でる鈍い音も少なくなって、
向かいのアパートの灯りも周囲の闇と同調させるように姿を消していく。
    
たぶん、夜だから考えるんだと思う。
  
例えば、・・・今は午後1時だけど、この時間に、昨日の夜考えたことを、
もう一度思い出して考えてみてごらん。
深刻の程度を、同じ要因を、昼と夜に分けて天秤に乗せてごらん。
  
悩み事は、洗濯物が風に揺られているときに考えるのが一番なのです。
夜はできるだけ、好きな音楽を聞いて、好きな本を読んで、
明日の仕事を軽く憂鬱に思う程度で留めるのがいいのです。
     
人は、暗闇と恐怖を直結する生き物なんです。
ヒト科の哺乳類は、みんなそうなんです。
目の前にかざした手のひらさえも見えなくなる闇に置かれたとき、
体の存在は「仮説」となり、体が存在するような気がするという「概念」だけが残るのです。
  
その「概念」を、君の「概念」を、僕は守りたいと思う。
  
そのためだけに、僕は、暗闇の中にだけ姿を現すのです。
もう光になんて当たらなくてもいいから、
  
君の闇の中だけに
君の概念の片隅に
  
君が僕を救ったように
2001年09月08日(土)  6番レフト。
昨夜はソフトボールの試合。
6番レフト。打順も守備位置も中途半端だが、僕らしいといえばらしい。
僕の人生は、だいたい6番レフトなのだ。
  
1打席目、内野安打。イチロー並みの俊足と自画自賛。幸先がいい。
守備ではジャストミートしたボールをジャンピングキャッチ。
1点入る場面を守りきる。
  
しかし、次の回。なんでもないレフトへのゴロをトンネル。2点取られる。
前の回の内野安打もファインプレーもこれでプラスマイナスゼロ。
さすが6番レフト。守備も打撃も中途半端。こんなもんです。
  
試合結果は12ー3の完敗。
試合は結果じゃない。プロセスが大切なのです。
中途半端なプロセスも僕には必要なのだ。
  
昨日の試合の反省回をしようと、後輩と今日、焼き肉へ行こうと話をする。
話をしているところに僕の携帯が不吉な着信音を響かせる。
  
「あんた、今日何の日か忘れてないでしょうね!」
『肝っ玉母さん』という名詞を定義するならば、このような女性のことを言うのだろう。
「わかんない。忘れた。ごめんなさい」とりあえず謝る。
「今日迎えに来てくれるって言ったでしょ!」
「言ったような気もするけど、今日は後輩と食事に行かなきゃいけない」本当に忘れていた。
「あんた、どっちが大事かわかってるでしょうね!」わかってるから後輩と食事に行くのです。
と心の中で呟きながら、
  
「ごめんなさい」
  
大抵の出来事は謝ったら丸く収まるのだ。
   
なんてったって僕は6番レフトである。
2001年09月07日(金)  軌→跡・奇←跡
先日、とある女性の痴呆の患者さんが退院した。
正確には病状安定の為、療養型病床群へ転院した。
  
入院期間約2年。2年か・・・。
サマリー(看護連絡表)を記入しながら呟く。
  
入院当初から言葉を発しない為、意思の疎通が計れず、
声を掛けても、手を握っても、首を降ったり、払いのけたり、
点滴を入れたら針を抜いたり、鼻腔カテーテルを入れたら自分で抜いたり。
  
食事も自分では食べることができなくなった。
  
スプーンを投げ、容器をひっくり返す。
看護婦さん達までもが匙を投げていくなか、僕は根気よく、その患者さんに接し続けた。
  
例え反応が返ってこなくとも、白衣に牛乳を吐き出されても、腕をつままれても、
食事介助に1時間要しても、2時間要しても。  
   
根気よく。この状況では看護の知識や技術なんて求められない。
ただ、根気よく。怒りを忘れ憐れみを呼び辛さを捨て癒しを与える。
  
数ヵ月後、自らスプーンを持ち出して、食事を摂りだした。
やはり時間を要するとしても、大きな大きな一歩。
  
アルツハイマー型という全回復が望めない疾患。
僕達の仕事は、如何に進行を遅らせるか。
脳が萎縮しないために、声を掛け、歌を唄い、手を屈曲させる。
  
「ごちそうさまでした」
自ら声を出し、両手を合わせ、頭を下げる。
努力が報われたなんて思わない。この仕事は常に能動的なのだ。
現状で満足したら、そこで、はいおしまい。
そんなことわかっていても、涙は出る。職場でも家に帰ってからでも。
  
あれから数ヵ月後。進行は止められず、一日中、狭い病室の天井を見上げる生活に戻ってしまった。
もう、自分でスプーンも持てない。「ごちそうさま」も「おはよう」も発することができない。
  
「お別れです。あっちの病院でも元気でね」
反応が返ってこなくとも、耳元で囁く。そして奇跡が生まれる。
患者さんが・・・手を・・・握る。
強く、強く、離すことなく強く、僕の(いろんな意味で傷ついてしまった)手を握り締める。
  
「もう・・・あっちの病院の人が迎えに来てるよ」
反応が返ってこなくとも、耳元でささやく。
この仕事は常に能動的なのだ。現状で満足したら、はいおしまい。
そんなことわかっている。
  
涙は止まることなく出るけれども。
2001年09月06日(木)  ヒントでピント。
この世の人達は皆不親切だ。
皆、ヒントばかり与えて去っていく。
答えは自分で出さなければならない。当然だが。
  
誰かが何もかも指示してくれる人生もたまにはいいような気もする。
今日から2日続けて仕事に行って3日後に休みなさい。
夕食はチキンのチーズピカタを食べて朝食はハムエッグにしなさい。
シャワー浴びるときは左腕から体を洗いなさい。
あの女性とデートして3回目の別れ際に告白しなさい。
  
全部、僕の行動を規定してくれたらどんなに楽だろう。
多分、僕はその指示に対してブツブツ文句を言うだろうけど、
その指示に逆らうことなく忠実に動きつづけることだろう。
  
自分の意志なんて、もういらないから、
  
誰か、僕を、導いて下さい。
  
自分の意志で、自分を装う事に恐怖を感じてきたので、
  
誰かの力で、僕を、繕って下さい。
  
自分の意志で行動して、その責任を自分で背負って、
誰にも迷惑かけずに暮らせたらいいのだけど。
  
だけど、今の状況も満更嫌いではなく。
この不安定な状況を。
ロープの切れかけた吊り橋の上を。
ビルの屋上の柵の外を。
  
もう少し、歩いてみたい。
  
絶叫マシンを好むのは、僕の潜在意識の現れなのかしら。
2001年09月05日(水)  By and by the sun began to shine.
今日のような小雨が降る日は、音楽を消して、
雨音が奏でる一定のリズムに耳を澄ませる。
  
ソファーに横になり、天井を見上げて(僕は往々にして天井を見上げている)
雨音が語りかけてくる何かを聞き取ろうとする。
  
悲しいときは悲しい声で聞こえてくるし、
楽しいときは悲しい声で聞こえてくるし、
嬉しいときは悲しい声で聞こえてくる。
  
雨は、兎に角、悲しいのです。
  
こういう日は、今まで陽の光に隠れていたかのような、
数々の出来事が、潮が干いて岩肌が徐々に現れるように
その姿が、出てきては隠れ、消えては現れる。
  
解決した様々な出来事が、
形を変えてしまいこんだ物が、
もう、火傷なんてしないと思った事が、
アナクロリズムへと変貌した感情が、
  
しかし、やっぱり雨の所為にしているだけではないかしら。
「きっかけ」という便利で曖昧で使いやすい言葉はどうやって生まれたのだろう。
  
「雨」を「きっかけ」として、それは誘因となり、新たなる「きっかけ」を呼び寄せて
その「きっかけ」が一種の特別な鍵となり、僕の眠っていた記憶を呼び起こす。
  
全ての道はローマに通じるように、
僕の記憶は全て「雨」に通じている。
2001年09月04日(火)  健全なる精神は健全なる身体に宿る。
あの憎むべき8月20日。
僕達の懐古的な食事会は風速35mの強風で
僕の手帳から姿を消した。
  
僕達はお互いの愛の形も想定できないまま、
もう二度とニ人で食事に行くことはないと思っていた。
僕も、それほど強く望んでいたわけではないし、
彼女も、それほど強く求めていたわけではない。
  
と、思っていた。
  
が。
  
ある一通のメールが、僕の心の中の、もう閉じてしまっているいくつかの扉の1つを、
油の切れた蝶番から大きな鈍い音をたてて、ゆっくりと開けた。
  
>あのね〜20日に飲みに行かない?飲みに行く場所は決めてね(^Q^)/^ヨロシク。
でさ〜その日○○クン(僕の事)家に泊めさせて〜(^^)v泊まるところないんだもん。
でも、酔いすぎたらどうしよう(>-<)面倒見てね(*^^*)アハハッ。じゃ〜またねっ☆
  
待てば海路の日和あり。臨むところだ。
しょうがないなぁと言いながらもパソコンの前で一人ガッツポーズ。
パソコンチェアーに座りメリーゴーランドのようにくるくる回る。
深呼吸をして、コーヒーを煎れて、タバコを吸って、踊り続ける心を沈める。
  
一息ついて返信を書く。
場所はどこにしようかしら。家に泊まるのは構わない。だけど責任はとれない。それは冗談。云々。
     
返信を待つ。その頃には前立腺炎は治っているかしらとフライング的考察。
数十分後。「新着メール1件」の文字。
はやる気持ちを抑えたつもりがダブルクリックならぬトリプルクリック。指先は震えている。
『出会いサイト決定版!!今すぐアクセス』
はいありがとう。うちは間に合ってます。○ァック!
  
更に数分後「新着メール1件」の文字。
宛先は・・・彼女だ。
    
>あのね〜○美と○○ちゃんと○恵もなんだー!多いから大変だね→
○○クン(僕の事)が寝るところないかもねー(T∇T)
台所で寝てちょーだい!(≧∇≦)アハハッ。じゃ、おやすみ〜☆
  
・・・
  
・・・4人かい。
2001年09月03日(月)  海底の幸。
水族館。いつか行くと思い、今まで行くことのなかった水族館に行った。
  
MIUMIU、アッコマン☆、とめ、そして僕。
昨日のメンバーとほぼ一緒。
  
水族館の前に食事に行く。洞窟のようなカフェでタイカレーを食べる。
刺激物を禁止されている僕でも大丈夫。あっという間に食べ終わる。
洞窟のようなカフェで、ゆったりする。
洞窟のようなカフェで、このままここに居たいと思う。
洞窟のようなカフェで、お冷やをもらい、
  
薬を飲む。
  
どこへ行っても前立腺炎が付きまとう。
まるで金魚の糞のように。
  
まさしく金魚の糞のように。僕のお尻から。
  
雑貨屋に寄り、MIUMIUの勧めでカメラを購入。
サイバーサンプラー。以前から欲しかったが、僕は誰かの後押しを待っていたのかもしれない。
「y氏もいかが?」
のMIUMIUの勧めにためらうことなく購入。最後の一歩を押してくれた。
僕の日常にまたささやかな楽しみが1つ増えた。
人はささやかな楽しみの積み重ねで幸せを感じるのだと思う。
  
そして水族館。入り口のエスカレーターを上った途端、童心に帰る。
水槽に両手をつけて蛙のようにへばりつく4人。
  
一つ一つの水槽をじっくり見て周る。
「海の自然を理解して人間を理解する云々」
という壮大なテーマがこの水族館にはあるらしいが、
そんな事お構いなしに、いやがおうでも海の自然に圧倒される。
アッコマン☆とこいつは美味しそうだ、こいつは喰えねぇ、などの会話にも花が咲いたが。
  
イルカは調教され尽くしていて少々人工的な臭いがしたが、
やはりイルカショーでは童心に帰り、隣にいたとめさん同様、歓声を上げる。
  
何時間、水族館にいたかわからないが、
結構長い時間、海の自然と神秘と食用の妥当性に触れられたと思う。
外へでるともう日は落ちかけている。
   
小さなささやかな幸せを数え切れない程供給してくれた皆に感謝。
2001年09月02日(日)  飲酒性交薬物禁止。
飲みにでも行きましょうそうしましょう的集い。
集まったのは「新女会」の面々。
  
MIUMIU、アッコマン☆、とめ、++R++、そして僕。
  
そして雨。やっぱり雨。オフコース雨。誰だ雨女は。
僕が雨男かも。
  
悲しい哉、アルコール摂取を医者より禁止されている僕。
「いつまで飲んだらいけないのですか」
「治るまでだね」
当たり前だ。医者の答えらしからぬというからしいというか。
  
というわけで飲酒禁止。
おまけに前立腺の疾患だけに、セックスも禁止。酷な話である。
アルコールとセックスとドラッグやめるんだったら死んだほうがいい。
  
そんなロックシンガーみたいなことは言わないが、似たような感じである。
あ、ドラッグは禁止ではなかった。
消炎剤と抗生物質と前立腺薬と胃薬を毎食後飲まなければならない。
  
それはさておき、今日の集い。
僕はビール1杯しか飲まなかった。
たかが一杯、されど一杯。そんなわけで一杯。
もう一杯飲みたいと思ったが、
子孫を残す事ができなくなると大変なので(僕は長男なのだ)、
「もう一杯」の言葉を飲み込んで耐えた。
  
しかし、アルコールを摂取しなくても会話だけで十分楽しかった。
会話だけでなく「表情」だけでも楽しかった。
僕はあの「表情」が映っている写真を持っている女性の言うことは、
おそらく、何だって従ってしまうだろう。
  
あの「表情」が再び、ネットの波に乗りませんように。
2001年09月01日(土)  ズボンを脱いで横になる(後編)
「前立腺の検査をします」
医者がこれから起こる悲劇を悟られないように落ち着き払った声で言う。
そんな安芝居は僕には通用しない。
僕だって病院で働く看護士なのだ。前立腺の検査の方法くらい理解している。
  
しかし、看護婦さんの目の前で下半身を露出して両足を上げて手で抱えるなんて、
いくら理解していても、そんなことできない。
第一、僕はまだ独身なのだ。彼女だっていない。結婚の夢だってある程度は抱いているのだ。
こんな恥ずかしい姿を晒したら婿になんて行けなくなってしまう。
  
「さっさと足を上げなさい」
「は〜い。・・・ちめてっ!」
  
何度も言うが、僕は物事の飲み込みが早いというか、人一倍諦めが早いのだ。
   
医者がゴム手袋を装着する。僕は目を閉じ、神に祈る。
僕は、今から、初対面の中年の医者に、肛門に指を、入れられようとしている。
見守る看護婦さん達。お願いだから見守らないでくれ。
  
・・・・
   
・・・・
  
・・・・
  
「痛てててててっ!!痛てててっ!!痛い!!ちょっと!!・・・くふぅ!!痛ててて!!」
表現し難い程の激痛が走る。肛門の中で医者の指が踊る。
「は〜い。痛いでしょ。これが前立腺です。結構腫れてますねぇ」
「痛いです!痛いです!」
「そうそう。痛いんだよねぇ。ほら。痛いでしょ」医者が指に力を入れる。
「あーっ!!痛ててっ!!だから痛いですって!!」
絶対、僕の反応を楽しんでいる。
「動かないで下さい」
看護婦さん達が暴れる僕を抑えつける。
一人は天井を向いた両足を抑え、一人は僕のお尻を支える。
  
「というわけであなたは前立腺が炎症を起こしているから血尿が出るんですね」
医者はいつだって冷静だ。
  
ベッドの上にはまるで強姦された後のように
下半身のみ露出して青色吐息になり横たわる私がいた。

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