寺本写真館職員日報
寺本写真館



 総括ですよ。2006。

みなさまただいまーー!!!!
(世間ずれした顔で)



ん…?






……??









    _, ._
 Σ( ゚ Д゚)    えっ。
  ( つ旦O
  と_)_)







    _, ._
  ( ゚ Д゚)  
  ( つ O   今日は何日って?
  と_)_)  __
       (__()、;.o:。
          ゚*・:.。







         
    _, ._
 (((;゚ Д゚)))  ガクガクブルブル
 ((( つ O))
 ((と_)_)))















あっ。





(つД⊂) 

(現実逃避)




そんな大晦日。
気づけば一ヶ月ぶりの日報でした。


どうも、みなさまご機嫌麗しゅう。(久々)



そんなあまりの温かさにまだ年末感が薄いですよね。

紅白も勢いが無いし、レコ大は30日だし。
PRIDEは「続きはWEBで!」って感じだし。

来年はもっと日本として盛り上がって欲しいですよね。


そうだ!勢いだ!
勢いが重要なんだ!!!


わっしょい!


さぁ、今年もいってみよう!
寺本の、行く年来る年2006!

(もはや勢いのみ)



まずは1月。

寺本両人、厄年だったのですね。
ほんだくんは、厄払いに行こうとするも、
通行止めでいけず
という幕開け。


泣ける!


そんな中。
日報で寺田は予言します。
「牛丼復活」

しましたねー。

これはナイスですね。

復活してからというもの。
早くもがっついている寺田君の目撃談が数件。

しかし、秋に卒業するという予言が当たることは無かったのです。

変わりに、ほんだの予言。
「寺本共に卒業」

これがあたると言うのだから、人生って楽しいですね。
(ニヤリ)


2月。

ほんだの厄年加速。

○携帯急に壊れた。
○去年作った、卒研ポスターが無くなった。
○研究室PCの調子が急に悪くなった。
○出せたはずの学会資料が出せてなかった。
○原付が撤去された。


世の中は、イナバウアーでした。



3月。

寺田の厄年も発進。

ぎっくり腰、大爆発。

まぁしかし相変わらずののろけ日報に、
ほんだも骨抜きになるのでした。


そんなほんだは。
就職活動さえ満足にできない(しない)日々。
一年後の姿が想像もできませんでした。



4月。

ほんだ君の就活。
奇跡の2社エントリー。

そして2社ともご縁がありませんでした。

ほんだくんの未来は 博士 白紙に。
あぶないあぶない。


寺田君は、余裕の沖縄旅行with嫁さん。



ほんだくんは必死に引きこもりを図りました。
「この頃のほんだ日報は目を背けたくなるほど、ひどい。」
(有力情報筋の証言)



5月。

寺田君、24歳へ。


ほんだ君の厄年、さらに加速。

○就活、全滅。
○研究室においてあるマグカップが無くなった。
○またiPodのイヤホンが右だけ壊れた。
(3回目。4つ目に買い替え。)
○7月の国際学会の事前登録、締切の翌日に気づく。
○消えたマグカップが誰かの使用済み状態で出てきた。
(誰!?せめて洗ってから返して!)

そして。

○助教授から「6月は研究頑張りましょうね」の一言。
(不敵な笑みで。。。就活は!?俺の就活は!!??)

まぁ学会会場であんなことをするんですから、
仕方がないのかもしれませんね。



6月。

寺田が凸版印刷受かりかけます。
(その後、ちゃっかり内定Get。)

そういえば。
このページがどこかのページに似てるなんてのも。


W杯が世間を湧き起こす頃、
寺本はダメ学生のA代表として駆け回っていました。


7月。


24歳になったほんだ君はあちこちに飛びました。

まずは最高学府東京大学に侵入。
現地更新をしてみるという暴挙にでます。

そしてその足で、異文化コミュニケーション@北京。
寺本写真館もついに世界進出です。

ちなみに、いまでも北京の学生さんと、
たまに連絡を取っております。
(電話がかかってきたときは、素でびびった。)


ほんだ厄年は更に加速度を増します。

○参加予定の天文学会@9月北九州、
提出物提出期限日(6月末)に
「やっぱりいいんじゃない?」
という助教授の一言で、参加自体がチャラに。
(いままでの準備もチャラ)

○はやぶさシンポジウム@東大には、締め切り当日に
「出て見たら?」
という助教授の一言で、急遽参加決定。
提出物は全部英語、突貫工事、ぶっつけ作業。

○就職活動、また振り出しに。

○秋にある学会で、急遽学会特別賞にノミネート。
助教授の「出して見たら?」
の一言で決定。



8月

世間は青いハンカチが大ブーム。

このあたりから寺本は人生の夏バテになります。

世間も真っ青。
(親族はもっと真っ青)




9月。

牛丼、復活。



これしか言うことはありません。

(ほかに何もやってないだけ)


このあたりから、寺田君は自分の年齢を
「18歳と○ヶ月」
というように。

ピーターパンシンドロームは大加速。



10月。

寺田君は、引きこもり。

本田君はこんなことをして遊んでました。
(遊んでない!)

ほんと、学会関係者には見せれない代物ばかりです。
見ないフリをして!!
(>研究室の各位)



11月。

何をしていたのか、もはや覚えていません。

寺田君は妄想力に磨きをかけていました。
あと、これでもかとTSUTAYAに入り浸り。

本田君は修士論文という魔物にうなされていました。
(うなされるだけで、前には進まず)


あと、この月頭には日野自動車さんのご子息誕生を
寺本で全力バックアップを宣言するのでありました。

ほんと、幸せをありがとう。
>日野整骨院様。




そして12月。

寺田君は11月と変わらず、TSUTAYAに入り浸り。
本田君は修論という魔物にK.O.寸前。

厄年の神様は忘れていませんでした。

○iPodのイヤホン(4つ目)やはり右だけ壊れる。
○修士論文中間発表にて、助教授の一言。
「4回生の発表より、
本田君が何を言うのかの方がドキドキしたわ。」


…おれ、そんなに問題児?

○研究室忘年会でPM5時半から朝まで飲み続け。
→お腹が壊れる。

もはや、ネタとして使うことしか出来ません。
来年厄年の皆さん。

厄落としは早い目に。



そうそう。
本年のイヴイヴには、みんな嫁さん連れて大集合という祭でした。

日野、寺田、豊田。

あれ。
本田さんは?



そう思ったソコのあなた。

正月から、日報読んでるお暇なあなた。

ここまで長く読んでいただいたあなたへ送る。



ほんだくん、彼女できたんです。
(何気にサラリと言い放つ、ヘビーな一言)


7年ぶりの快挙。
寺田は、目がうつろ、口はあんぐり。
5秒くらい現実が受け止められないような状態でした。

俺、なんか悪いことしたかなぁ?



まぁ厄年でしたが、このくらいは許してくださいな。
そんな2006年でしたとさ。


(どんなまとめだ)



そんなこんなで2006年も暮れ行きます。
皆様にとって2006年はどんな年だったのでしょうか。


そして2007年はどんな年になるのでしょうか。


寺本は18年続いた学生生活に別れを告げ(予定)
寺田:凸版印刷
本田:枚方市役所
と、社会の荒波にもまれるのです!(予定)

予定は未定!(名言)


我らが寺本写真館ですが。
来年で何年目ですかね。(ド忘れ)

5年目ですね。(カンニングしました。)

何しか、余裕が出てきたら、
どんどん更新していこうと思っております!


2007年。
みなさまには、幸多き一年になるように。
輝かしい瞬きより、穏やかな幸せを願う今日このごろです。


寺本には幸と同等、またネタ多き一年であるように。
寺田夫妻にはご多幸と実りを。

ついでに本田には、更なるネタとささやかな幸せを。



一昨年、去年も申しましたが、

みなさんあっての寺本写真館、
いや、
Unit寺本だとおもっております。



来年も、どうぞよろしくーー!!!!


寺本
(年忘れ代表ほんだ)

2006年12月31日(日)
初日 最新 目次 MAIL HOME