日々のあわ
あかり 



 納められない。

慌しく日々が流れ、もう大晦日なんですね。
28日に仕事を納めて、掃除・・・といっても夜には元どおりに散らかっているという不毛な気分をただ味わうだけの作業を何気なくしたりして、家に居るよりも通勤している方が沢山本が読めるのよねぇとブツブツ思ったりしていました。

納められそうもないので、ここ1週間くらいのことを思い出してみると。。。

読んだ本。
『いのちの食べ方』森達也
『デットエンドの思い出』よしもとばなな
『海からの贈物』アン・モロウ・リンドバーグ
『パティ・スミス−完全版−』パティ・スミス


後ろの2冊はもう何度も何度も読んでいる本。

近所の友人にいただきもののりんごを届け、代わりにキャベツをひと玉もらった。
友人が出ている「渋さ知らズ」のライブに、私はいかれずJGだけが参戦。
12月が誕生日だった長男、学童のお誕生日カードの質問コーナーに「宝物は?」と質問され、「かぞく」と答えていてちょっと笑ってしまった。
聞こえるほうの耳が痛くてすごく怖い夜を過ごした。
反抗期の次男を叱り付けている顔を鏡でみて愕然とした。
地球のあちこちに散らばっている友人達からクリスマス&ニューイヤーのメッセージが届き温まる。
兄弟揃って新しい自転車用ヘルメットを購入。照れて嫌がる長男を「かっこいい!最高〜」とおだてまくる。結果、嬉々として被ってる。単純最高!
テレビでYUKIさんが歌手で主婦で母なので「スーパー主婦」といっていたけど、私だってかなりのスーパーだとひそかに思ったりした。
別口のファンブログの更新ばっかりしてた。

日々のあれこれを思い出したらきりがないです。
果てしなくどってことない日々。
今年の自分のことは、胸に留めておかなければならないような、忘れてしまいたいような、でも身体は絶対それを忘れない。それが解っているからどこかすーんと冷めている気持ち。

やっぱり納められないです。ちっとも締めくくれないし、来年の抱負もとくにない。
たぶんこんな一年もあってもよろしいわ。きっと。

今年一年、拙い私の日記を読んでいただいた方々、本当にありがとうございました。
明日からもどうぞよろしく。

それぞれの場所で、それぞれのやり方で、それぞれの思いで、新たらしい年を無事にお迎えくださいね。

ではまた。







2004年12月31日(金)



 痛ひ。。。

クリスマス。
公園で。
石に躓き転倒。
別の石に額をぶつけて流血。
そう。
子供ではなくて、私が。

い、痛・・・ひ。

目から☆飛びました。
近所のご主人に目撃され、たいそう心配されるも、
恥ずかしくて顔があげられませんでした。

で、思い切って顔をあげると、流血。たらー。

怖がらせてごめんなさい。
いやいや、頭ってちっとの傷で結構血がでるんですよね。

あぁ。なんてクリスマス。アーメン。


2004年12月26日(日)



 詩を読む。




長男作、どんぐり入りのマラカス。
これを鳴らしながら詩を読む授業。
なんともユニーク!

もじもじしていた長男R。

うん。お母さんも、もし小学生だったらとても恥ずかしかったと思います(笑)

2004年12月24日(金)



 無頓着

これって自分の短所でもあり長所でもあると思っている。

さて。そんな私の呆れちゃうお話。
JGの実家は我が家からさほど離れていない場所にある。
父が検査入院しているので、母が一人になってしまうからうちに泊まればいいよ、って
話になり、母が今晩我が家で寝ている。
お布団を敷いていてふと気づいた。

「あれ?なんか毛布が一枚ない・・・」

しばし考える。
うちはダブルベットでいつも羽毛布団の下に毛布をかけて寝ている。いや、寝ていた。
そういえばここ最近、毛布がないよね?(全く気づいていなかった)
え?ど、どこにいったの?あんな大きいものがなんでなくなるの?


そういえばここ最近、掛け布団が一枚ないよね?(全く気づいていなかった)
え?ど、どこにいったの?あんな大きいものがなんでなくなるの?
っていうか、なんで気づかなかったの?(夫同様・笑)

「そういえば無いねぇ」

ってそんなレベルである。不思議だ。干していて飛んでった?
(いや、そんなはずはない)
どっかにしまった?
(いや、そんなはずはない)

母がどんな布団だったの?って聞くので、こんな色でこんな模様でと説明する。

と、母が
「あら。私いま家でそれ掛けて寝てるわ・・・こんなのあったかしら?って思ったのよね」

えーーー?なんで?なんでお母さんの家にうちの毛布が????

二人でしばし考える・・・・・・

「そういえば、だいぶ前にKちゃんが汚しちゃったから洗濯しようってときに、
私がうちの洗濯機のほうが大きいから洗ってきてあげるわよ〜って言ったんだわ」
と母。
「あ!そうそうそう!そうだったねーやだわ〜」
いったいいつの話だよと自分でつっこむ私。
(二人で大爆笑)

一家そろって「無頓着」である。
おまけに姑と私はもちろん血のつながりはない。なのに、そろっておとぼけさんである。
こんなことでゲラゲラしばらく笑い続けていられるのも幸せだなぁと思ったり呆れたり。
そんなこんなで夜は更ける。






2004年12月19日(日)



 刹那

朝起きたら涙が出ていた。

大好きだった祖父母の家が夢に出てきた。
私は吉祥寺にあったこの家で3歳の頃しばらく母方の祖父母と暮らした。

この家は「昔の家」なのだけれど、モダンだった。シャンデリア付きの応接間があって
ドアノブは真鍮だった。祖父はここでいつもいつもクラシックレコードを聴いて過ごしていた。

洗面台はタイル張りで大きく角ばっており、祖父が「ご不浄」と呼んだトイレはきちんと男女べつに分かれていた。

その家の、私が好きだった場所をただひたすら写真に撮る私。
今はもう取り壊されて別の家が建ち見知らぬ人が住んでいて、当時は写真など撮って残しておく知恵もなかったのだけど、
夢では「もうすぐなくなっちゃうから写真に撮っておこう」とタイルやらドアノブやら柱やらを一人で撮っている夢。

普通の「おばあちゃん」という存在よりもずっと母親に近い存在だった、敬愛する祖母も夢に出てくることなく、たった一人で私は写真を撮っている。

起きたら涙が出ていた。

夢診断するのも怖い感じの夢。どうしたんだろうか。

職場で友人Tに会ったら彼女が
「椿ちゃん、お母さんに似てきたね〜。でもっておばあちゃんにもそっくりね。」
と言った。
夢をまた思い出した。

もう二度と会えない人、もう二度と行かれない場所、もう二度と・・・。
私の心の奥底に、しーんといつも居座っている気持ち。
淡い思い出というよりも刹那的な時間が強烈に残っている。そんな感じだ。


2004年12月08日(水)
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