日々のあわ
あかり 



 ラブラブなんて早すぎる

長男Rの個人面談に行ってまいりました。
担任の先生は来年で定年になるベテランの先生。優しくて厳しいおばあちゃん先生って感じです。
特に心配事もなかったのですが、先生からは「作業が時間内に終わらないことが多いですね。」といわれ、
自分のことをふと思い出したりして苦笑してしまいました。
でも、「人が嫌がることはしないし、優しくて元気だし、自分の世界も適度に持っていていいと思いますよ。」と言われたのは嬉しかったです。

しかし、その後「でもこの前悲しい出来事がありましてね・・・」とおっしゃるのでかなりドキドキして聞きました。

なんでも長男Rと仲良しのA子ちゃんを「ラブラブ〜」とひやかした子がいたそうな。
で、A子ちゃんは泣きながらとても嫌だったと先生に訴えたそうです。

正直私は、「え?それだけ?」と思ってしまったのですが、
先生は『「ラブラブ〜」と言え!と同級生をそそのかした子も悪いけど、
そそのかされた子は先日自分もその子に言われて泣いた経験があったにもかかわらずR君とA子ちゃんにそんな冷やかしをした』ことが悲しいとおっしゃった。

「でもR君は非常に落ち着いていて立派でした。けど、彼はあまり嫌なことをいうタイプではないと思うのでさりげなく聞いてあげてください。」とのことでした。

このときに先生が

「私、子供達に言ったんです。ラブラブなんてあなたたちにはまだ早すぎるわ!ライクライクにしておきなさい。って。愛が何たるか、これから知ることですものね。」

とおっしゃったので声をあげて笑ってしまいました。
そうよね。ラブラブは本来褒め言葉(?)言われて嬉しいものじゃないか。

帰宅後、長男Rにさりげなーく聞いてみました。
「ね、ラブラブ〜ってからかわれたんだって?嫌だったんでしょ?」と。
すると、

「あ、そうみたい。でも僕一生懸命遊んでたから聞こえなかったんだよね〜。だから平気だった」
と・・・・・・・(脱力)

先生、彼は落ち着いていたのではなく、聞いていなかったそうです。かくん。

でも今度言われたらちゃんと嫌だからやめて。と言うそうですので、もう心配していません。

さて。
これでちょっと思い出しました。
私、小学校3年生くらいの頃から卒業するまで、ずっと近所の男の子達にからかわれてきました。
当時よく一緒に遊んでいたS君とのことです。道を歩けば「あー、Sの女だ〜ヒューヒュー」ってな具合です。
今思うと、小学校3年生で「○○の女」って言い方すごいよなぁ。
私はだからといってS君と遊ぶのをやめたりはしなかったけど、すごーく嫌だった。

そして、なによりも嫌だったのが、それをみて近所のオバサン連中がくすくすっと笑って「いやぁねぇ〜」などと言っているのを聞いたこと。
とても傷ついた。
なんでさ、その小僧達を嗜めたりしてくれなかったのだろう。

あぁ。思い出したらこっちのほうが悲しくなってきた。あの夕暮れの路地の光景が未だ鮮明に記憶に残ってるんだもの。
やれやれ。

もし今そんな光景に出会ったら私は腰に手をあてて人差し指立てながら叱り付けてしまいそうだ。
心の中で「そういってるあんた達、この子のこと好きなんじゃないのぅ?」と思いながら。

やっぱり私はおせっかいなオバサンになりたいです。

2004年11月29日(月)



 元気の素




扁桃腺が弱いので、長男Rはよく熱を出す。今日も1日寝てた。

弱った時の野菜スープ。
5種類の野菜をポタージュに。
「スープ飲んだらちょっと元気でた」と笑う長男。
うん、うん、と頷くだけの私。
早くよくなれ。


2004年11月20日(土)



 優しく枯れたい。

「身体の声に忠実で、そういう声と仲良しな人。」
と、友人Tに言われちょっと喜んだ椿です。こんにちわ。

ついでに子育ても動物っぽい・・・とつぶやかれて、それはどうなの?とちょっと思ったけどまあいいとしよう。
前回書いた【レスポンスする身体】に続いて、

『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』
三砂ちづる著


を読みました。
電車の中で読んでいるとちょっと隠したくなるタイトルですが(笑)
じっくり感想をまとめる間もなく、紹介しますがとても面白かったです。
ちょっとそれは乱暴な・・・と思ってしまうような箇所もありましたし、
性を動物的に捉えるのが好きではないので全体的にご意見に賛成はしませんけど、
それを差し引いても驚いたり感心したり、面白かったですね。
ポイントでヒットする感じでしょうか。部分的に共感するところがありました。

多くの困難を乗り越え女性性を充分に生かし生きてきたおばあちゃんは「穏やかに枯れている」という話、なるほどと唸りました。

軽くショッキングだったのが、

月経血コントロールの話。
3世代くらい上の女性(100歳くらいの方々)には、生理の血を尿のようにためてトイレでまとめて出すことが出来たと。
びっくりでしょう?
とある筋肉が発達していて、これでコントロールしていたのですって。

オマケに、月経時には綿花を丸めて膣の入り口にちょこっとつめていただけなので、当時の女性は着物で下着もつけていなかったため、
たまに道端に落っこちていたらしいですよ?!その頃子供だった人に聞くと

「そういえば道に梅干のようなものが落ちていたのを覚えている」って・・・。
あぁ、びっくり。びっくり。

たった3世代くらいで退化してしまう体。

そういえば、皆さん足の小指だけをシャキシャキと動かせるでしょうか。
毎日靴にぎゅうぎゅうと押さえこまれて足の指自体が鈍感になっている現代人ですが、
それが小指だけと限定されると益々動かせる人率は減るのではないでしょうか。使わないと退化してしまう。

余談ですが、
息子がまだ首もすわらぬ赤ん坊だった頃、抱っこして玄関のドアを開けようと鍵を出したらうっかり落としてしまった。
両腕に買い物袋を提げ両手は赤ん坊を抱えている。しゃがむの大変。
思わず靴を脱いで足の指で鍵を掴んでサルのようにバレリーナのように足を上げ自分の手に鍵を渡す私。
我ながら鮮やか!と満足した体験があります。(くだらん)

話はそれましたが、この三砂ちづるさん

「着物とからだ」のコラムを読みました。

私は残念ながらまだきものを着る習慣はないのだけれど、
前にこれを書いたこともあって、
また考えてしまった。
だって本来はブラジャーって必要ないと思っていたのだもの。レオタードを着るときもブラジャーをしていると邪魔だし、
乳をあげるときも邪魔だった。肋骨が出ているので痛いこともあったしね。
だからフリーにしていたら・・・・肉が流れたのだよ(笑)
そしてやっと素敵ブラを見つけたというのに。
どうすりゃいいのだ。

いやしかし!私、また鍛えますから(決意)
身体の芯をつくるんだ。オー!(ひっそりと燃えている)

とにかく身体について考え始めると切りがないですね。
理にかなってることが多くて改めて偉大なる神秘を感じるのでありました。






2004年11月18日(木)



 身体について思うこと。

久々にモーリス・ベジャールの自伝をパラパラとめくってみた。もう何度読んだことか。
蛍光ペンで引いた線が変色していてずいぶん時間が経ったんだなぁと思う。

身体の中心を意識しろ。
みぞおちを中心に両腕両足首目口を動かして表現しろ。
バランスだ。バランスが大切だ。


お臍のちょっと下の丹田に意識を集中して行う呼吸法(臍下丹田呼吸法)とか、ここを鍛えてバランスを保つ舞踏とか、
その辺り(みぞおちはちょっと上だけどね)が大事なのは知っていたけど、本当に意識すると身体が揺らがないのだ。
電車に乗ってるときにやってみるとわかる。だらーんと立っていると電車の揺れにすぐにふらつく。
でも中心を意識して立つと吊り革をつかまらなくても大丈夫。
コレを知るとピリエット(回転)がぐんと早く切れがよくなった。

私は身体能力っていうか、身体感覚はには敏感な方だと思う。
肩甲骨をズボンの後ろのポケットに入れるようにとか、
お尻の穴を引き締めて臍を引き上げるとか、
腕は肩からではなくて背中から生えているとか、
言われたらすぐにピンとくる。だから出来るかどうかは別としてそうする努力はできた。

でも、どうもバランス感覚とか腰の据え方が致命的で踊りを踊っているときには苦労したのだ。一線をなかなか越えられなかった原因はここにあると今も思っている。頭でわかっても身体ができないんじゃ意味がない。

本のご紹介。
『自然体のつくり方―レスポンスする身体へ』
斎藤 孝


ベストセラー『声に出して読みたい日本語』の著者の本です。

【自然体=身体の重心においても、心や精神の方向性においても、寄りかからないゆとりをもった構え】

自然体は意識してつくろう。というもの。その技を身につければ身体はもっと生きてくる。
そのためにできるちょっとした方法も載っていて面白い。臍下丹田呼吸法も。

妹をおぶって授業を受ける女の子の写真が載っている。
おぶり上手におぶられ上手。
腰でちゃんとおぶっている。紐一本で。背負われた妹を横にいる少年があやす。女の子と先生、妹と少年。写真のなかに二つのコミュニケーションが写っている。
身体がコミュニケーションしている!

そういえば姑の郁さんが、今どきのおぶい紐が上手く使えないと嘆いていた。孫をおぶるときに「昔のおぶい紐が一番だわ。」と言っていた。

確かに今は人間工学に基づいた優秀な育児用品がたくさんあって、抱っこ紐も赤ちゃんの股関節のことを考えて作られている。
でも非常に複雑。説明書みないとどれがどこのバンドかわからないくらい。

郁さんは紐一本でささっと孫をおぶる。紐を胸でバッテン交差してオッパイボーンとなってもかまわずキュッと腰で紐を結べばほら赤ちゃん大喜び!
そんな光景も何度も見た。
改良されていくのはもちろんすばらしいことだけれど、頭で考えるよりも身体が教えてくれるという見事なお手本だった。

私も次男Kが赤ちゃんだった頃はKをおんぶして前に長男Rを乗せて自転車に乗っていたな。
あれも一種のバランス物じゃないか?それに傘をさしたりしたら曲芸だもの(危ないからしないけど)

ということで、方耳のために更に失ったバランス感覚を非常にとりもどしたい今日この頃。

以前のようなレッスンは考えていないけれど、
家で子供たちと一緒にするストレッチなんてとても楽しいので続けていきたい(でも最後にはいつも「飛行機やって〜」で終わるのは何故?:笑)し、
時間がなかったのと嵌まりそうで怖かった(笑)ヨーガもやりたい。
この変化はなんだろうかと何日か考えていたけど、そうか、ちょっとだけ力が抜けたんだ。


肚をすえる。身体の芯を強くする。身体でコミュニケーションをとる。

目標は高くしておこう。えへへ。

だって、もう、「こうやって生きて行きたい」と思うくらいのテーマであり目標なのだ。




2004年11月11日(木)



 ラブ・アクチュアリー

空港が好きでよく用もないのに出かけていった。羽田で一日中飛行機が飛び立つのをみていたりした。
時間があったのだな。きっと途方もなく時間があったんだ。

実際に利用したことがある空港を思い出してみた(海外編)
バラハス、ヒースロー、オルリー、シャルル・ド・ゴール、香港、フランクフルト、エルプラット、デンパサル、モスクワ。
思い出したら全部ちゃんと覚えている。空港の様子も色も空気もそれぞれ覚えているのだ。びっくり。
トランジットしただけの通路もタイルや公衆電話に貼ってあった広告の図柄まで覚えていたりする。
海外の飛行場は世界中のいろんな人間が居て興味深い。泣いたり笑ったり無表情だったり不安そうだったり。ドラマみたい。
そこに自分のそのときの心情も加わるからよく覚えているのだろう。
スペインから帰ってきたときに成田で恋人(現夫)と抱き合った私もはたから見たらありがちなドラマっぽかったかもしれない。




それでやっと本題。ラブアクチュアリーを観た。
お友達のJ子さんが貸してくれたので。

いやぁ、よかった。よかった。食わず嫌い観ず嫌いですませなくてよかったわ。(ラブコメだと思ってたし)
有名無名様々な俳優人が出演して、夫婦・恋人・親子・兄弟・男同士、様々な愛がオムニバス形式で綴られている映画。
どのエピソード、どの俳優にも見せ場があって、それは小さな短い何気ないシーンだったりするのだけれど、それがエッセンスになっていて映画を濃くしている。

全てがハッピーエンドでないところもよろしい。

友達の奥さんを好きになった男性とか、病気の弟のために恋がだめだった姉とか、切ない。
だけど潔くてすがすがしい。
少年のひたむきな恋(だけどかなり熱い)が可愛らしくて心温まり、「なんじゃこりゃ?」と思わず言っちゃうようなハッピーエンドに笑い、ちっとも飽きない。

音楽がまたよくて、上手いなぁと思う。
最愛の妻の葬儀で「彼女の遺言なので・・・」とベイシティローラーズの「バイ・バイ・ベイビー」がながれるの。可笑しいけど悲しいの。
この可笑しいけど悲しい気持ちは【ブリジットジョーンズの日記】の時感じた気持ちだ。この監督が脚本だったのね。そしてヒュー・グラント繋がり。
彼は相変わらず甘かった。頭悪そうな首相役だったけど、一人部屋で踊るダンスがあほらしくて最高だった。

さっと思い出しても9つくらいの愛が描かれていて微妙に繋がっていたりするのも見所。
それからちょいと出てくるびっくりゲストとかね。
ミスター・ビーンは相変わらずねちっこくて独特の笑いをもってきてくれる。久々にみたクラウディア・シェファーはすごく野暮ったくてびっくりした。
アンジェリーナ・ジョリーの元旦那も腹黒アメリカ大統領役がはまっていて最高。
この人、【チョコレート】の人なのにイメージは「悪」。


それでなんで空港の話を最初に書いたかというと、
映画の冒頭と終わりにロンドンのヒースロー空港の場面が出てくるのだ。様々な年代やカラーや関係の人たちが抱き合う空港のシーンが。
そして、
「9・11の犠牲者が最後に残した言葉は憎しみや復讐の言葉ではなく愛を伝える言葉でした。」というナレーションが入る。
それだけで泣けてしまった。単純だけど。
だって、やっぱり、

愛だろ。愛。


世界中、愛はどこで叫んでもいいと思うが、
人を幸せにするのはやっぱり人なんだろうな。
と強く思った映画だった。


2004年11月09日(火)



 息子たち

全くタイプが違ったり、やっぱり似ていたり、兄弟って不思議だ。
自分と弟のことを考えると同じように「違っていてちょっぴり似ている」のだが、
これが自分の産んだ息子たちのことになると「同じDNAを受け継いでいるのになぁ」と不思議になるのだ。

先日保育園にコマおじさんが来た。
巧みにコマを操り、子供達の心を鷲づかみにするコマおじさん。
「この子はとってもいい子です。もっといい子にな〜れ」と呪文のような言葉と共に子供達は手の上でコマを回してもらい、大興奮だった。

次男Kのところにもコマおじさんがやってきて、「この子は大物だな」と一言吐き、なぜか彼だけ頭の上でコマを回してもらった。(大笑)

そうだ。次男Kは大物かどうかは知らないが、なにかっていうと思わず笑ってしまうことが多い、そんな風味を出す子である。

この前も、砂利道を自転車で走っているときに
「ママぁ〜、ちんちんがぶらぶらするよぅ〜」とうったえてきた。
「へぇ〜、そっかー。ほんとー?」としか答えようがない(笑)






回ってます。





「天真爛漫なお子さんですね。じつに子供らしい。」と長男Rの個人面談で担任の先生が開口一番おっしゃった。
おまけにかなりのマイペースぶりだ。ポカンとしているくせに5歳にして切ない気持ちをしった男である。

絵を描くのが大好きで黙々と描く。もくもくもくもく・・・うっかり涎が垂れちゃうくらいの集中ぶりだ。

先日、我が家のおんぼろテレビの映りがいよいよ悪くなってきて、見たかった番組が見られなかったとき、めずらしく彼がテレビに向かって悪態をついた。「おんぼろバカテレビぃぃ〜」と。それを聞いてすかさず叱る母。

その夜だれも居ない部屋でこっそりテレビに謝っていた彼。
JG曰く「俺、あいつみてると胸がきゅーっとなることがある」

いったい誰に似たのか。
あぁ、逞しく育ってね。









ぽかーん。



2004年11月07日(日)



 隠し切れないあなたが憎い。

友人達と、どんなおばあさんになりたいか。なんてよく話すんですけど最近それが曖昧になってきています。

どんな大人になりたいか。っていちいち考えてなくて、
いままでの経験がにじみ出ちゃう感じって色っぽいと思うのです。
それが魅力になっていたらとてもいい。
完璧もつまらない。しらっとした佇まいでいても隠しきれないものがある。
押さえてもあふれ出ちゃうものがある。
そういうの、いいなぁ。


最近とくに思います。
ビジョンって持ったほうがいいのかも知れないけれど、思うよりも先に経験が重なっているというのがいいなって。
どんな服を着ていてもその人らしさがにじみ出るっていうのと似て、無意識に現れるものがいいと。

で、それに関連してまだ書きたいけど、かなりの「溺れ日記」になりそうなのでこちらではこれでお終い。(笑)


2004年11月02日(火)



 贈り物

私の日記にも何度となく登場している友人Tの三十数回目の誕生日でした。
出会ってもう二十一回くらい彼女に「お誕生日おめでとう」と言っているんだ
(私も言われてるんだけど)と思うと感慨深い。

雑誌Oliveを頭寄せ合って眺めながらこれが可愛い、これ欲しいなどと夢見ていた高校生のころはどんな風に「おめでとう」を言ってただろう。
もう忘れちゃった。いろんなこと。
あんなに好きなものを共有してきても、どんどん趣味や嗜好はそれぞれ違ってきて、
タイプも好みもまた違っていった。
だけどその頃からほうぼうに零れ落ちた欠片は確実に私の身に残っていように思うの
です。

心からこれをあげたい!と思うものがないならあげなくていいやと思ってしまうため、なかなかちゃんと贈り物ができない私です。
しかし今回、久々にちゃんとプレゼントをしました。というのも、あんまりにも素敵で友人Tにぴったりの簪をみつけたから。
「もうぜったいコレやる。あいつに。」くらいの勢いで購入しました(笑)

たいそう喜んでくれました。(私も満足)
で、さっきメールもくれたんですけどね、早速お友達にも褒められたそうです。
可愛いって。

そして日記にも書くほど私が嬉しかったのはですね、
「色も深みもすごく椿ちゃんらしいチョイスで・・・」というくだり。
友人Tにぴったりと思って選んだものを私らしいって、ちょっと可笑しくて嬉しいです。

彼女は自分の大切なものや、ゆずれないものをずっと変わらず持ち続けている人。
私は「核」を残しながらどんどん変化していくタイプの人。
違うからこそ魅力を感じ、羨ましく思いつつ、自分のことを再認識できる存在。

今日は高山なおみさんのお料理教室で習った料理を伝授しにきてくれます。
たのしみだー。
でもきっとまた子供達にトランプやらなんやら付き合わされるはめになるでしょう。
ごくろうさま。
いつもなにかとお世話になっていますね。

友人Tのくちぐせ。「私は椿ちゃんに沢山親切貯金してるからねっ」
・・・親切貯金って・・・(笑)





2004年11月01日(月)
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