日々のあわ
あかり 



 夏の夜の生活。

正しくは、

「夏の夜の夫婦生活。」

いや、ちがうか。

「夫婦間における、夏の夜の不快指数の違い。」

ん?・・・・。

ややこしーっ!

ただ、
私は冷房が嫌いで、窓を開けて寝るのもだめで、
汗をかかないと気持ちがわるい自然児で、
熱帯夜でもゴーゴー眠れてしまうありがたい体質で、
夏は暑くないとだめでしょう。と普通に思っている人で。
夫は暑いと全然眠れなくて、
願わくば冷房を少しでもつけて寝たくて、
それがだめならせめて窓くらいあけたくて、
熱帯夜の翌朝は非常にぐったりしている人で。
っていうことなんですが。

10年間、毎年夏になると、「夏は別々に寝ようね」と言いながらもなんとなく他に布団を敷くのも面倒くさくて
いつも同じことを言い合っているきがする。

先日、台風前だったでしょうか、ひどく蒸し暑い夜がありました。
JGが横で、「う〜ん・・・あついよぅ・・・」ともぞもぞしているので、
横に座って団扇でしばらく扇いであげました。
別になんの苦もないんですよ?私は。
なのに、
「う〜、椿ちゃん、いいから、寝て。申し訳ないから気になって余計寝れない」などと言う。

ちぇ。

【縁側で浴衣着て、寝ころぶ旦那様の横に座って団扇で扇ぐ奥様の図】
を勝手に想像していい気になってたのになぁ・・・・(おばかさん)

そういえば、昔、風呂なしアパートにひとり暮らしをしていたときに、あまりの暑さで熱中症になったことがあったなぁ。
風呂がないのにクーラーなぞ買えるわけもなく(笑)
なつかしー。

それからうんと年月が経って、いい大人になって、家族も増えて、お金も稼いで、我が家にはクーラーが一台だけ増えた。
(一台でじゅうぶんだ!)でもまだ私は使わない(笑)
おととい、JGが布団を持ってクーラーのあるリビングで寝たんだけれど、なぜか朝方にはいつものベットに寝てて
「う〜ん、う〜ん」といいながら大汗をかいていた。そしてうわ言のように、「扇風機買ってぇ〜」と言っていた。

そうか。扇風機があればいいのか。
と、早速翌日扇風機を買って自転車に積んで汗をたらしながら帰宅する妻、椿さん。
さぁ、これで全てオッケーね?

ところがどっこい、寝るときは扇風機もだめでした、私。
そして、朝方、「ごめん、少しだけ、扇風機つけていい?ごめんねー。」と寝ぼけながらも遠慮する夫、JG。

なんだかものすんごい不毛な気がしますよね?ね?

でもね、なぜか
すべてすっきり合理的にできないでいる。

そんな夏の夜の夫婦の時間もまた私達らしいなぁと思ったり思わなかったり。


え?子供達?
えぇ、彼らはそんなのお構いなしに自由気ままな格好で、そこら辺にコロコロと転がってすやすや眠っております。
健やかだなぁ。。。





2004年06月30日(水)



 貴方が心を今叩いている。

代々木ファイナル〜!

またもや耳栓のお世話になり、昇天。(笑)
だいぶ耳栓の使い勝手も心得てきまして、快適です。
えへへ。

いい席でしたね。視界がさえぎられず適度に近いアリーナ。
「楽しかった!!」これに尽きます。
今回のスマイルツアー、結局2回観にいきましたが、ほんっとに

楽しかった!
楽しかった!
楽しかったよぅ!


遊び心満載だからこちらも楽しめる。
歌詞忘れ、ハプニング、大歓迎。これぞライブの醍醐味だ。
メンバーが楽しそうだからこっちも楽しい。
なんてハッピーなんでしょう。

もうね、逃げも隠れもいたしません!(してたのか。)
私はラルクが大好きですっ!(もう、うるさいから。)

世界は溶合う色・・・夢の先に導いて
あなたが心を今叩いている・・・幻でいい
その胸へと抱かれて行く【接吻】


もう一曲目からぞぞぞーっと鳥肌ですもの。ファイナルなのになんて伸びのよい声。
最後のオマケの一曲は嬉しさのあまり、ちょっぴり飛びました(笑)

ライブの後の飲んで食べて笑って。というのも楽しみのひとつなのですが・・・・
昨夜は顔が痛いくらい笑いました。嬉しくてハイテンションがゆえにわけわからなくなってましたが、
晴れ晴れとした気持ちで帰宅しました。


これからも自分のペースで楽しんでいこう。
よかったよ、私。




*********

私信:S様。ファイナル、行って来ました。
やっぱり楽しかったです。
きっとお互いずっとゆるーくファンだろうと思いますので、
いつかお会いできるでしょう。その時を楽しみにしてます。








2004年06月27日(日)



 空耳あわー

次男: 「ママぁー。『アカハナノソウジ』早く観にいかなく
     ちゃ〜」(嬉)

 私: 「『赤鼻の掃除』って何?」
    (わ、わかんないけどすごいツボなんですけど)

次男: 「ハリーポッターだってば!知ってるでしょッ」(怒)

 私: 「ハリーは知ってるけど、なによ、赤鼻の掃除って。」

次男: 「だーかぁーらぁー」(怒り気味:笑)


−長男R登場−

長男: 「・・・きっとさ、『アズカバンの囚人』のことだよ。。」


い?


【アズカバンノシュウジン】
【ア  カハナノ ソウジ 】


ひぃ。

字余りだけど、次男Kにはそう聴こえたんだね。
たしかにね、
彼の辞書には「アズカバン」も「囚人」もまだ載っていないのであ〜る。
私の耳のせいじゃないわよ〜
♪空耳あ〜わぁ〜♪


おまけ。
「早く見たいね〜ハリーポッター!ゲイリー・オールドマンも出るしね〜」
というと、息子達、「ブッ!うははははははぁー」とそろってしばらく笑っていました。
ゲイリーオールドマンって名前のいったい何処がそんなに可笑しいのだ。
息子達よ。



2004年06月24日(木)



 再会した品々。

実家の改築に伴って、私の思い出の品を次々と送ってもらっているのだけれど、
先日届いたのは、なんと、私が赤ちゃんの時に買ったという
ベビーダンス
ベビーダンスといってもこげ茶の枠に白い小さな引き出しが8段あるものすごーくシンプルなもの。
とてもしっかりした作りなので何処も痛んでいません。

実家でも嫁に行くまでずっと使っていた、30ウン年前の箪笥です。
シールを貼ったり、私がマジックで自分の名前と弟の名前を引出しに振り分けて書いた跡などは母が綺麗に磨いてくれていて、真っ白になっていました。
「久しぶり。またよろしくね。」
そんな気持ちです。

そして、あと2つ、思わず目からちょろっと涙がでてしまったくらい懐かしいブツが送られてきました!

小学校の入学祝いに、大好きだった祖母から贈られた、
手巻きの目覚まし時計(おしゃれキャットの絵)と電動エンピツ削り器(ロボコンのシール付き)です。

「うわーん。おばあちゃーん。。。」
祖母はもう亡くなっているけれど、今すぐにでも伝えたい気持ちがいっぱいでした。
これをもらったときどんなに嬉しかったか。
しかも両方ともまだ使える・・・。これも30年近くも前のものです。

あぁ、いいものはちゃんと残るんだね。いままで大事にとっておいてくれてありがとう。と母に感謝。
・・・・したのに、母ったら、
「あなたって意外なものに感動するから面白いわー。うっかり捨てられないじゃないの。またいちいち電話して聞くからね?じゃないと、私、捨てちゃうわー。」
って・・・・。
感動の涙がしゅるっ消えてなくなりました。あはは。

我が家には祖母の嫁入り道具だった鏡台があります。昭和初期・シンプル・モダン・ちょっと猫足でしゃれていて本当に素敵なもの。
JGがニスを塗って引き出しを直してくれたりしたので生まれ変わりました。
だけど引き出しをあけると粉白粉の匂いがまだかすかにして、胸がきゅんとなるのです。
大事なものをしまったり、写真を飾ったりして使っているのですが、子供達は「ママの机」と呼んでいます。

いいなぁ。古いもの。しかも、「誰か」が使っていたのではなく、家族や自分が愛用していたものを何十年も使い続けるっていいなぁ。
あらためてものを大事にする心を見直しました。

いや、見直さなくてもちゃんといいものやお気に入りのものは肌や感覚で自然に使い続けていくものかもしれませんね。



2004年06月22日(火)



 4歳おめでとう。

次男K、今日で4歳になりました。

生まれてから1年目でこんなことを思ったものです。

その気持ちは変わりません。
4年経って益々思うよ。
「あなたはこんな風に産まれてきたんだよ。」とちゃんと話して聞かせようと。


プレゼントは念願の自転車。
うれしくてうれしくてうれしくて、川沿いを颯爽と走っていきました。










 ←マイヘルメット着用で
  ひたすらペダルをこぐK氏


2004年06月19日(土)



 シャーマンに会う。

突然ですが、
ネイティブアメリカン(インディアン)のシャーマンに会ってきました。

友人に誘われて講演会に行ったのだけれど、6名くらいが円になって座って
ネイティブアメリカンの考え方を聞くというものでした。

シャーマン・・・・・。
霊能者??沖縄のユタとかそんな感じの方だったよなぁ・・・
そういや、昔「アメリカインディアンの教え」って本が爆発的に売れたよなぁ・・(当時本屋でアルバイト)

というくらいの知識で参加。

期待も疑心も別になく、かなり「無」の状態で話を聞いていました。

大地に、自然に、宇宙に、感謝し思いを馳せるっていう歌ではじまったのだけれど、
なんとも心地よい歌声で、うっとりするリズムでした。
シャーマンは癒す人ということらしいです。歌を歌って不思議な力で癒しをする人。
人のオーラを見て悪いオーラを排除する力もあるという。

話の中に「調和」と「感謝」という言葉がたくさん出てきました。
一つ一つ、そうそうそうね。と頷いてしまうような、シンプルな考え方だと思いました。

全てのものにスピリットがある。
ギブ・アウェイ(見返りをもとめず与える。)
「輪」には特別意味があって、はじまりも終わりもない、
ワンネスという「あらゆるものは繋がっている」っていう考え方。
大地に足をつけ、日の出に感謝し一日の終わりも感謝で終わる。


実にシンプルでナチュラル。

しかし、

「まずは大地に足をつけ、お祈りしましょう。」

・・・・(えっと、マンション住まいなんですが。どうしましょう。)

「時計など見てはいけません。月の満ち欠けを感じ取り、自然のリズムで生活しましょう。
朝起きてまず時計を見ていませんか?そうではなく、太陽を見ましょう。」

・・・・(えっと、それは無理ですぅ。太陽見たら真昼間だったら困っちゃうぅ。)

などと不埒な疑問が心をよぎる私・・・。
その教えはとても素晴らしいものだと思うけど、どうも生活環境が違いすぎるのでお話だけを伺って、エッセンスだけをいただいて帰ってきました。

最後に癒しをしていただきました。

私、足の後ろのあたりのオーラが濁っていたらしく、それを排除していただきました・・・・・。
・・・・・・・・・。うーん・・・。

あ、ただですね、耳を触ってもらったのです。とっても気持ちがよかったです。
ほんわかあたたかく、あぁ気持ちいい。と思いました。

そんな感じです。(笑)

余談:
今回誘ってくれた友人、話が感じあうところが多いので面白いのですが、
いっつも唐突なんですよね。
「ね、椿ちゃんはさ、破壊についてどう考える?」
とか、
「あなたってネイティブアメリカンに興味ある人?」
とか、非常に短くて唐突なメールがポーンと入るのです。
そしていつも私に考えるきっかけをくれます。
こんなへんな素敵なお母さん友達がいて私は嬉しいです(笑)










2004年06月18日(金)



 真剣じゃないわけじゃない。

私と同じように、突然耳が聞こえなくなった人達が集うHPがあるのですが、
皆さん苦しんだり弱音をはいたり愚痴ったり、励ましあったり、情報を交換したり、と、
とても支えになるHPだと思っています。

そこにある女性がカキコミをしました。
「音楽が好きで好きで、どうしてもやめられない。半分仕事にもなっているし、
だましだましやっていきたい。耳に悪いとわかっていても、音楽がなければ生きていけない」

というような内容でした。

それに対して、同情の返信や励ましの返信に混じり、「自分の身体をなんだと思っているのだ」
というカキコミもあったのです。
「だましだましとはなんだ。真剣に治そうと努力している人が集まっている掲示板にそんなこと書くなんて。
少しぐらい我慢して身体を治すことを優先したらどうですか。」

ということなんですが・・・・。きっとこの返事をした人はものすごーく我慢して、治る日を信じてじっと耐えているのでしょう。ちっとも悪くない。

でも、胸が痛かったです。
(ついでに耳も痛かったです。変わらず趣味を楽しもうとしている私には・・・)

そうできないからまた苦しいんだよ。わかってよ。

病気になって思ったんですけど、同じ病気の人と分かち合う気持ちっていうのも支えになるけれど、
だからこそ弱音は吐けないっていう面もありますね。

「この気持ちをいったい何処に持っていけばいいのッ!」

となった場合、やっぱり私は自己処理するだろうな。と思います。
言えないんですね。
「真剣じゃない」なんて言われたら穴から出てこれなくなります。きっと。



2004年06月16日(水)



 ”LOUVRE” UN FILM DE NICOLAS PHILIBERT






いやいや、いい映画を観ました。久々の感動です。
パリのルーヴル美術館で働く人々とルーヴルという建物(地下の回廊、階段、裏通路、隠し部屋などなど)
に視点を合わせて繰り広げられる魅力的な作品です。

裏舞台を覗くっていうこと自体ちょっと興味をそそられるじゃないですか。

たとえカメラワークは地味で淡々としたドキュメンタリーちっくな映像でも、
それだからこそ淡々と、滑稽さや人間臭さがクリアに映し出されていて面白いんです。

普段は主役の美術品たちが、完全に脇役なんですよね。
ルーブルで働く1,200名余りの人々が主役なのです。

前回も書いたけれど、「サモトラケのニケ」が、あまりにもさりげなく画面の端っこにちらりと映る。
たったそれだけ。主役は人間。美術館内で倒れた人を救護する人たち。
もうね、それだけで可笑しい。
えぇ〜?紀元前190年の、古代ギリシャの、ミロのヴィーナスよりも前の、あの美術品がッ!
「そ、それだけかよ・・・」って思わずつっこみました。心の中で。

彫刻の麗人の鼻の穴を黙々と刷毛で掃除する人。
「このプレート、どっちのだっけ?」とか言って作品のタイトルプレートを持ってごそごそ相談する人達。
へんなゴムバンドみたいなのでぐるぐる巻きにされクレーンで飄々と運ばれていく彫刻のおじさん。(あれ、誰ですか:笑)
普通に家の前を掃除するようにモナリザの前を掃除してるお姉さん。
もう、可笑しくて、可笑しくて。

うやうやしく掲げられている世界の美術品のこんな姿を見ちゃったわ。という儲けた気持ち。
決して実際には通ることのできない裏通路を通り抜けてる疑似体験。
従業員達の美術への愛が感じられる働きっぷりへの羨望の気持ち。
ほんとうにいいものを見せて貰いました。ありがとう。

これ、10数年前の映画なんですね。知りませんでした。
今ではまた様子も違うのだろうけれど、この映画の中の従業員ユニフォームのデザインはイブ・サンローランだそうですよ!
きっとまだまだ見落としている場面が沢山ありそうで、なんだか損をしている気持ちもありつつ(笑)
ぜひ、いつかまた、もう一度観たいと思っています。






2004年06月12日(土)



 サモトラケのニケ

高校生の頃、朝の通学時に、バス停2つの距離を歩かずにバスに乗った私に対して、
「信じられないな、もったいない」とか、「いったい何考えてるの?そのくらい歩けよ」とか、
いきなり怒って言ってきた男の子が居た。同じ吹奏楽部でオーボエを吹いていた男の子だった。

で、その子は次の日の朝から私の家に自転車で寄るようになった。
「後ろに乗れ」と。
何で私がバスに乗るとあなたが怒るのだ。と理不尽な気持ちもあり、
何でこの人が自転車通学に変わらなくちゃならないのか。という解せない気持ちもあり、
後ろに乗せてもらいながらも私はすごく不機嫌な顔をしていたと思う。

その男の子が、ある日突然私に一枚の写真をくれたのだ。
写真というか、B4サイズの大き目のものだったのだけど、そこの写っていたのは
サモトラケのニケだった。



「素晴らしいだろ?すごいよなぁ〜」「なんて美しいんだろう。はぁ、ため息でちゃうよな〜」と
ひとりで大絶賛しながら「はい。これ、やるよ。」と、私にくれたのだ。

先日母が送ってきた私の“過去の荷物” の中にこの「サモトラケのニケ」が入っていた。


ルーヴル美術館にあると言っていた。
これをもらった10年後にパリに行ったけれど、とても短期間では見切れないと思い、敢えてルーブルには足を運ばなかった。(いつかこのためだけに訪れようと思ったのだ)
以来、すっかり私の頭の中の引出しにしまいこまれたまま、今の今まで取り出されることはなかった。

それが・・・だ。
また出会ってしまったのだ。ニケに。

巨大な迷宮、世界最大の美術館であるルーヴルに初めて撮影隊が入ってドキュメンタリーフィルムが撮影された、
ニコラ・フィリベール監督の映画【パリ*ルーヴル美術館の秘密】の中で再会してしまった。

ちらりと映っただけだったけど、「あっ!」と小さく声をあげてしまった。
救急隊員が階段を駆け上っているシーンの傍らに、サモトラケのニケが しらっと佇んでいた。

この映画の感想は明日にでも書こうと思う。あまりにも素晴らしい映画だったので、もう一回観にいこうと思っている。

さて。
高校生の私にニケを教えてくれた男の子は、今ドイツでオーボエ奏者として活躍中。
元気で居るのだろうか。
5年前に再会したきり、また音信不通なのだけど。




2004年06月10日(木)



 おはなしのこやし。

長男Rの学校へ給食の試食をしに行きました。

目の前に配膳された美味しそうな給食を前にした第一感想は
「う〜ん。スプーンの先が割れてない!」でした(笑)
美味しかったです。
自分達のころとはメニューもだいぶ違うのだろうけど、
あの独特な食事の雰囲気というか、嫌いなものも食べられちゃうような、
食べないといけないから頑張るぞ的な、食べ終わったあとの達成感(?)のようなものが懐かしかったです。

その後、教室を見学し、子供達の絵や粘土などの作品を見てまわりました。
そこで発見したのです。嬉しい一言を。

朝顔の種の成長絵日記です。
長男Rの
「おみずをあげたのでよろこんだとおもいます。」
の文字の下に、先生が、
「ではつぎはおはなしのこやしをあげましょう」
とコメントしてくれていたのです。

お話の肥やし

双葉に向かって「お。よく開いたね」とか、「いいぞいいぞ、その調子だ」とか、「はい、お水ですよ〜」とか話しかけるということなのだと思うのだけれど、これはすごくいいことだぞ。と、嬉しくなりました。

「いのち」を大事にする。

簡単に言うけれど、簡単じゃない。
きめ細やかに大人が子供に伝えていくことだと思います。
ある程度成長してから「心の教育」などという教育をするのではなく、生まれたときから(あるいは生まれる前から)
親の心持ちで伝えていくことだと思います。

大人(親)が、いかに「いのち」を大切にするか。(生き物を育むことも含め)
それが子供に伝わってゆく。そう思っているので、長男Rの担任の先生のコメントがとても胸に残ったのでした。

2004年06月08日(火)



 ふりむけば半年。

この日記と平行して、blog版も作っている途中です。

やっと今年の分だけの日記をチマチマとコピペしながら編集していました。
作業をしながらふと思ったのですが、

もう半年が過ぎているんですね・・・

年輪だの目標だのいろいろ考えていたのも半年前。
たった半年前だけど、そこには今とは別の私が居ました。
まさか体調崩して休職するなどとは思っていなかったし、
きっと踊っていると思っていたんだもの。

「転機にするぞ!」と前を向いてはいるものの、
こうして振り返ると何となくその元気なエネルギーが懐かしくて愛しい。

今回カテゴリーの一つにした『椿的思考回路』に書かれる日記も、これからはまた違った風味になっていくかもしれない。

そんなことも楽しみにしつつ・・・。


よろしければコメント等はこちらへお願いします。

あ。自分のプロフィールって考えるの面白いですね。
べつに取り立てて書くこともないし、つまらないものだけど、
自分の好きなものをあれこれ考えて文字で連ねる作業は面白かったです。
思いついたらどんどん増やしていこうと思います。

2004年06月07日(月)



 過去の私の続き。


「全ての道はXに向かう。だが・・・・」
「死への本能と子宮の暗闇への退行。」
「我が心また新しく泣かんとす。」
「すべて濁った水の罪・・・・・」


え、えっと・・・・・。
これなんだと思います?



昨日母から電話がきた。
「これはちょっと捨てられないと思ったから、あなたの大学時代のノートを宅急便で送ったからねー」
と。
はい。そうです。
↑の何やらワケノワカラン走り書きは、1990年に私が書いたノートの一部です。

本当に、わけがわかりません。今の私にはいったいなにがなにやら・・・(笑)

だけどやっぱり笑い飛ばすことはできませんでした。
かなり愛しかったです。
吐くほど思考して暗中模索していた時代に吸収して消化して身につけたものたち。

そうそう、一つだけ、「あははー。私って変わってないなぁー」と自分で思ったものがありました。
卒論の後書きかなにかの文章です。


『歓喜の声と騒音が渦を巻く 人ごみの中の
ぽっかりあいた落とし穴に 片足を半分入れながら
その日その日をやっとの思いで過ごしているとして。

特に考えているわけでもないのに
気がつくといつも
辛いような気持ちになっているとする。

それでも私は、
諦めてすとんと穴に落ちるほどの勇気も無く
そんな穴を見ることもなしに歩いていく器用さもない。

中途半端な私のようなものが
心地よく生きてゆくために、
欠かすことのできないもの。
それは本当に平凡な、
日常生活の中に
ころころと転がっている。

電車に乗れば 窓から見える多摩川は 
あいも変わらずのんびりと 穏やかに流れ、
川辺では老人が釣り糸を落としている。
鶴見川の堤防には
誰が描いたか知らないが、
上手なサザエさん一家の落書きがあり、
何度観ても笑いそうになる。
ちょっと前まで、毎朝電車に向かって旗を振っているおじさんがいた。
春になれば線路の脇に 菜の花が咲く。

道に転がる“痛”や“苦”を 必要以上に感じ
幾度も幾度も躓いて がんじがらめになっている者は
“快”も“喜”も これとまた紙一重であることを 知ればいい。

何気ない、心をなごませるものに
いちいち気をとめることのできる人。
そんな贅沢な時間を生きる人でいたい。』


とても稚拙な文章に、弱弱しい私の姿が思い出される。
「そうだよなッ!わかる、わかるよその気持ち」
そう言って14年前の私の肩をポンポンと叩いてやりたい。
こんなに身も心もたくましくなった私がにっこり笑って。


あ、「我が心また新しく泣かんとす」は朔太郎ですね。
3時間かかって思い出しました(笑)





2004年06月02日(水)



 過去の私。

私の実家は只今リフォーム中である。
弟夫婦が同居することになったため、2階部分をリフォームしている。
2階には私の部屋があった。当然私の部屋は無くなる。
嫁に行くときにあえて置いてきた過去の品々。
まったくもって「恥」としか言いようも無いものでも捨てずにいた品々。
それらをちゃんと整理しなくては!と、連休中に病み上がりにもかかわらず慌ててチェックを入れに帰った。

ほとんど捨ててきたけれど、やっぱり手放せないノートやら本やらスケッチブックやらレコードやら手紙やら・・・・。ダンボールにつめて家に送った。

な、の、に。
あとからドンドン出てきたらしく、一日に何回も母と弟から電話がきた。

「ねぇ、姉さんさ、×○△■××のレコード (ここでプッと笑いが入る)要るの〜?捨てていいの〜?」

「あ、椿ちゃん?あなたの漫画、捨てていい?えっと・・・『×○☆△』っていうのとか、『●×■■』とか。」

こんな電話が何度もかかってくるのだ。
あのさ。これ、はっきり言って羞恥ぷれいですからッ!

ピンクレディとキャンディーズと沢田研二のレコードは全部とっておいてください。といった。が、
この辺はいいんですよ。昔すぎて、しかも小学生でしたから。今となってはお宝です。
が、ね・・・。若気の至りってあるでしょ。(ほら、あなたにもあるはずよ。)
(高校生からの友、友人Tとは、お互いこのての話はタブーだと暗黙の了解になっている(笑))
いやいや、別にヤンキーだったとかお立ち台ギャルだったとか、そういうことじゃないが。
今でも胸張ってお見せできる過去の私が愛した品々には変わりないのだが・・・・

それでもやっぱり・・・青春とは恥ずかしいものなのだった。

頼むからもうそっとしておいてくれ〜。


2004年06月01日(火)
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