日々のあわ
あかり 



 joe strummer

ストラマー先生が死んじゃった。
犬の散歩の後に死んじゃった。

なんでもイギリスはこの日、ものすごく素晴らしい天気だったそうだ。
そんな日に、逝ってしまった。

はー。

朝起きたらクラッシュの写真集が広げて飾ってあった。
JGの仕業だ。

今日もやっぱりクラッシュ聴こう。

2002年12月24日(火)



 自由


友人が貸してくれた漫画を読んだ。

最後にエッセーみたいな感じのページがあって、
作者の何気ない日常のことが書いてあったのだが、
この人、2児の母で、仕事も忙しくてアプアプしているのに、
ある日ふと、3人目が欲しいと思って夫にそういったらしい。
そうしたら、夫が「これ以上大変になってどうすんの?」
みたいなことを言って、彼女はそれでもやっぱり欲しいと思った。らしい。
で、その文章の最後に、

『私はいったい、自由になりたいんだか、不自由になりたいんだか。』

と書いてあった。

この言葉、この気持ち、とてもよくわかる。
そうそう。家庭を持って、母になって、仕事もして、一応やりたいこともやっている。自分が選んで自分で忙しくなって自分でアプアプしている。
不自由である幸せ。
これは、母になって知った。
でもやっぱり自由にはなりたいんだ。切実に。
両方望む。っていうか、ちゃんと「幸せ」を持っているから、
また望む。
うーん。強欲・・・・。

過去に、まったくの自由だと思ったとき。
でも守りたい人がいて失いたくないものがある。自分が誰かの子供だってだけで、それはもう不自由だと思った。
でも心のなかで、自由、自由と叫んでいた。

そういえば、初めて「Sell my soul」 を聴いたとき、

『自由に縛られている』

っていう歌詞にが妙に心に残ったなぁ。
なんだかたまらない気持ちになったのを思い出した。

今でも私は自由に縛られているのか。
時間的に言えば、ほんっとに不自由な生活を送っているんだけどね。



2002年12月20日(金)



 溶けた。

今日は会社の全体忘年会でした。
10年前、フラメンコを続けるために仕方なくお金を稼いでいたっていう、
かなり乱暴な働き方をしていた私に、
せっかくだから正社員になってちゃんと稼いだら?いつでもやめられるんだから。と勧めてくれた、
当時の部長さんもOBで参加されていた。
あぁ。「10年経ってもまだ居るんです(汗)」って感じでなんだか
懐かしいような、恥ずかしいような。

で、そんな忘年会はさくっと流して、友人2人を誘って夜の町へ(笑)。
同じ職場になるずっと以前からの友達同士だった私達だけど、
日々職場で接するのと、プライベートで接するのはまた全然違う。
なんだか今夜は一気に昔の空気が蘇った。
「久々に3人で飲みに行こうよ」と誘ったときから、わくわくして、そして、いろんな固まりがじわじわと溶けるように、楽しい時間をすごした。
皆がとっても楽しかった。溶ける音が聞こえるようだったよ。
愛しい人たちだなぁ。と思った。

最近、心にも美味しいお酒を飲む機会にめぐまれて、嬉しい限りです。

・・・帰りはぼけっとしてたら乗るはずの電車に乗り過ごし、
そうとうな時間を、とっても寒くすごしましたけど。んー。




2002年12月17日(火)



 ニュートラル

『年をとって最近感じることは、「決め付けること」ってかっこわるいな。と。
曖昧さやどうにでも解釈できるっていうのがいい。』

と、いつか誰かさん(笑)がインタビューで言っていたけど、本当にそう思う今日この頃。
いや、今日この頃思ったわけでなく、自然にそうなってきていたんだろうな。

若い頃は、白か黒か。とか、許せない。とか、ばかじゃないの?アホじゃないの?とか、
はっきりした判断をしないと気持ち悪かったしその分自分の周りの垣根も高く(苦笑)。

まあ、あれはあれでよかったと思う。そういう風にしかできなかった。

で、あるとき、やっぱり踊りを通してだったと思うが、
「ニュートラルな人になりたいな」
漠然とだけど、強く思ったんだ。そうだった。
そうでないと広がらない。もっと楽ちんになろうと決めたんだ。
まあ、そのときはやっぱりすぐにできることではないし、意図的にできることでもない。
ただそう強く思っただけ。

思ったのにできないから苦しかった。

そして、今。あれから6、7年。
自然にいつのまにかすこーしだけそんな感じに近づいたような。
周りの人から言われて気づいたけれど。実際はまだまだちっともですけれど。
不思議だ。ひとつ思うのは、意識していなくても私の根底にずっと流れていたんだろうな。ということ。
いろんなことが「許せなかった」頃は遠い昔。
それどころか今はそれが「面白い」

さて。今私が踊りだしたらどんな踊りがおどれるだろうか。

それにしても、Hさんのインタビューなんかでよく感じるのは
「あー、この人、やっぱり同年代だわ。」ってこと(笑)。
この前のオフ会でも感じたなー。おこがましいが。


2002年12月16日(月)



 クリスマス会。そして夜は飲み会。

今日は保育園のクリスマス会。
次男Kはまだ参加できず、保育室でお留守番。
長男Rは今回ちょっとした台詞があった。もみの木の役(笑)。
はらはらした。横でJGも落ち着かない様子(笑)。
長男Rは照れ屋さんなので、相当緊張したんだろうな。
最後の方は声が消え入って泣きそうになっていた。
うん。でも立派にやってたよ。
なんか、劇中、子供達がクリスマス用に森からもみの木を持っていくのね。
友人曰く、
「あの、抱えてもってかれちゃう感じがRっぽいよねー」だそうだ。
ふふ。そうかもしれない。

家に帰ったら、長男Rは、「自分に手紙を書く!」といって、
なにやらニョロニョロ文字を沢山書いていた。
「なんて書いたの?」って聞くと、

「クリスマス会、がんばったね。・・・って。」と笑った。

自分に労いの言葉である。相当がんばったんだろうな。


+++++++++++++++

そして、夜はJGに子供達をまかせて府中の友達と飲みに行った。
いわゆるお母さん友達。
30過ぎて出会って、こんな心地よい友人ができるとはおもわなかった。
しゃべらなくてもオッケー。沈黙もオッケー。とってもらくちん。

私、あんなに某H氏について語ったこともはじめてでしたね(照)。
彼女は他の人のファンなのに。
ま、彼女の方もさんざん語っていましたけどね。某さんのことを(笑)。
(そうそ。今日の主旨はこういうことだった。ははは)

3時ごろ帰宅。JGは起きていてギターウルフのへんな映画見てた(笑)。
いつもどおり、「たのしかったぁ〜?」って笑って聞いた。


2002年12月14日(土)



 残っているのは。

オフ会に行って、あれこれ思うこともあったけど、

今確実に心に残っているのは、
やっぱりあの歌声。

初めて聞いた生のソロの声は想像以上にすばらしかった。
すごく伸びて艶っぽく、湿った感じで浪々としていた。
圧巻。

オフ会そのものに関しては、
あまり極端な感想はなかった。っていうのが正直なところで。
企画としては・・・・やっぱりビンゴはちょっとねぇ。(苦笑)
なんかやる気なしで最後のほうは真剣にやってなかったな。私。
それよりも、瞬きも惜しいほどじっくり観察してましたね。
「うへぇ、手、白〜い」とか(笑)。

会場を出るときにもたくさんの声が聞こえました。
「もう死んでもいいっ!(は〜と)」ってのから、
「意外と寒い企画じゃなかったね。」とかまで。
私はその時点で外界シャットアウト(笑)
だって・・・・。
すっごく自然に、生歌、生声に感服するって感じだったので、
少しでも心にとどめておきたかった。

私としては「きゃーっ!こんなに身近ぁ!」ってことも
「こんな企画を普通にやっちゃって悲しいっ」とも思わなかった。
披露宴のような司会がいて事をすすめるのでなく、なんかめんど
くさそうにも自分で仕切っていた感じはよかったな。と。
あとは、本人を最短1M!で見て興奮したくらい(笑)
いつもどおりの「つっけんどーーん」な感じもよかった。
ま、とにかく私は動いているH氏をみて、声が聞けたってことで大満足です。はい。

あとは、なんだろ。ところどころ覚えているのは・・・
・傑作だと思っている曲は「I'm so happy」だといっていたこと。
 (だよねぇー。と、ひとり大きくうなずいてしまった)
・共演したい人は?って質問に「俺、あんまり人に興味ないんで・・・」
 と、ぬけぬけと言っていたこと(笑)。
・質問の手をあげる人を指すとき
「あーん、ちょっと色がよくわかんないんだけど・・・」
と思わず言ってたこと。
(彼は色に弱いってみんなしってると思うよ。そういう一言におんなこどもはキュゥってなるんだよ。・・・きっと:笑)

・・・って、けっこう隅から隅まで言葉の一つ一つまで思いっきり観察してたんだなぁ。私(笑)
でも。歌うたってくれるだけでよかったかも。あはは。

「心はなれて」、もう一度聞きたい。
ほんとうによかった。

帰りも一人で黙々と帰ってきたけれど、よかったな。
余計なものを取り入れたくなかった。

すごく大事に心にしまっている。

あぁ。どうか、あの歌声がずっと消えませんように。

2002年12月12日(木)



 点と線

約10年前くらいだろうか。
なんだか気に入られて、一緒にお酒をのんだりご飯食べたりした人がいた。
多分その頃すでにその人、40代後半だったんじゃないだろうか。
なんだか有名な人だったけど、
よくこんな小娘を相手にするなぁ。と当時は人事のように思っていたくらいで。

最後の方はなんとなく怖くなってきた(?)ので会わなくなったけど、
その人から、なんと、今日電話があったのだ。び、びっくり。

実家に電話して今の連絡先を聞いたらしい。
(そのあと、父親から、連絡先を教えてまずかったんじゃないか?と焦って電話がきた:笑)
とにかく、驚いたよ。10年のブランクを怒涛のようにしゃべっていた。
ふんふん。と相槌をうつ私。
なんだかんだ言っても懐かしかった。
一度だけ、インターネットで検索してその活躍ぶりは目にしていたんだけども。
ここでまた、他人事のように、
「よくもまあ、思い出してくれたもんだ。」って思った。
思い出すだけではなく、連絡先を聞いて電話してくれたんだ。
やっぱり嬉しくなって、
正直に「よく、電話くれたね。」って言ってみた。
そうしたら、

「女は点で生きているけど、男は線で生きているんだ。そういうもんだ。」

って、またわけのわからん素敵な人生論を語ってた(笑)。
そして、近いうちに会いましょう。という話で電話を切った。

う〜ん。と、しばし電話の前で立っていたんだけど、
トイレから次男Kの「ママぁ。うんちでたよーっ」って声でするするといつもの日常にもどった。

点と線ね。そうそう。女はそうでないとやってられないんだよーん。と,
なんとなく思った。


2002年12月11日(水)



 オフ会の朝。

いよいよ、オフ会の朝。
なんのオフ会かというと、そうです。愛して止まないあのおっちゃんをひじょーに間近で拝めるっていう、ファンクラブ企画の、ちょっとイタイ会です(笑)


昨夜は意味もなく部屋をウロウロしてしまいました。
かなり怪しかったです。わたし。

携帯がなって友達からメールが届いた。
「雪は降っていない。テロもない。地震もない。
子供達は元気?よし。大丈夫。
では、全身全霊で感じてきてください。いってらっしゃーい♪」
って書いてあった。

うぅ。笑えるけど嬉しい。なんか背中を押された気分になる。



あ、彼女はきっと
その後の私の壊れ具合を楽しみにしているんだろうな(笑)。

さ。いってきまーす。


2002年12月08日(日)



 ウィンスロップ・コレクション

今日は午後から仕事を早退して、友人と上野に「ウィンスロップ・コレクション」を観にいった。
今週いっぱいで終わっちゃうので、かなり強行突破で行ってきた。
あとで後悔することは無いだろう。と勝手に決め付けて(苦笑)

まずは、待ち合わせて上野でランチ。
とにかく忙しい者同士なので、ただこれだけのことが嬉しくて。
何を食べようか。ってだけでワクワクした(笑)。
で、インドカレーで満腹になって、いざ美術館へ。

モローの絵は別格。ってくらい良かったです。
つくずく、聖書もギリシャ神話も深く勉強をしてこなかったので、
西洋美術を理解する域にはちっとも達していないなぁと口惜しくなりましたね。
でも、まぁ、いいものは、いい。
心が元気になりました。

ビアズリーのサロメも何度も見ているけれど、やっぱり惹きつけられた。
昔、西洋美術の先生が、
「岩波文庫のサロメを買いなさい。タバコ買うくらいの値段で、ビアズリーの作品集が買えるんです。」と、
熱く語っていたのを思い出す。

日々の生活にこういうご馳走が与えられると本当に活性化される。
映画や音楽、そして様々なアート。
ずっとそれらに引っ張られて生きてきた。
これからも短いながらもアンテナは常にはっておきたいなぁ。と思った。

余談だけど、美術館のショップで『エロスと美術の物語』という本を購入。
家に帰ったら、長男Rが、この本をいたく気に入って、
「これ、僕にちょうだい!僕の本棚に入れていいでしょ?」と言った(笑)
うーむ。「アンパンマン」や「ぐりとぐら」に混じって、
「エロスの美術の物語」って・・・・(悩)。
まぁ、面白いからいいか。



2002年12月05日(木)
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