michiyonのしあわせ探し
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2002年08月27日(火) 決められない〜。



何かものを買う時 私はすご〜く迷って結局決められないことが多い。

とくに種類が多くて 機能もいろいろで デザインもまちまちで 値段もいろいろ…

なんてものにいたっては 絶対に決められない。

…で ほしいのになかなか手にはいらずってこともしばしば。


たとえばパソコン。

どれにしようか決めるまでにずいぶんかかった。


結局 最初に買ったNECのパソコンは

ほとんど 私の意思というよりは ダンナの意志で決めたようなもの。


でも これは正解だった。

というのも ちょうどその頃 液晶モニターが出たばかりの頃で

たしかに コンパクトで場所もとらないし 心ひかれてはいたものの

どうにも 値段がひっかかっていた私。


だって機能的には そんなに変わらなかったし CRTモニターだと

ずっと安く買えたので どちらにしようか ものすご〜く迷っていた。


でも 新しいもの好きで 自分のお財布のことじゃないと お金のことなんか

ほとんど気にしない性格のダンナが こっち って簡単に決めてしまって

予算オーバーながらも液晶画面のPCを購入。


それからあっという間に 液晶モニターは普及し 今やCRT機なんて

すっかり時代物と化してしまったことを考えると やっぱり少しくらい高くっても

このPC買っといてよかったな、と思う。


金額が高いものであればあるほど 失敗したくない気持ちが強いので

すごく すごく 悩んでしまうのよね。


でも 悩みすぎて 結局 失敗… っていうものも結構あるから 

誰かが 背中を押してくれないと 決心がつかないってことが すごく多い。


実は ず〜っと前から自転車がほしかった私。

でも 例によって どこで どれを 買ったらいいのか 決心がつかない。

なければないで 何とかなるものなので 何年も何年もほしいと思いながら

なかなか 買う決心がつかなかった。


何をそんなに迷っていたのかというと…

まず どこで買ったらいいか…。


自転車屋さんで買ったほうが あとあと壊れた時とかにすごく便利だと思うんだけど

ちょっと見たところ 値段が結構高い。


それに比べてスーパーで売っている自転車は 値段も手頃で デザインもいろいろ。

でも やっぱり パンクしたり 調子悪くなったりした時に

自転車屋さんに持っていきにくいしな〜。


あ〜 どうしよう〜???


どうせ買うなら 気に入った色とデザインのものがほしいし…。


と あれこれ あれこれ 悩んでは 結局決心がつかず 数年が経過。


歩いていける距離は 無理やり歩くことで カバーしてきた私だったが…


ある日思いがけず 折りたたみ自転車を無料で手に入れることができた!!!


わ〜い!! 念願の自転車だ!!!! と盛り上がることひとしきり。


しばらくは その小さな車輪の自転車で かなり満足していたのだが

困ったことに 私の住んでいる地域は坂道が多い…。

ちょっとでも勾配のある道だと とたんにペダルが重く めちゃめちゃつらい。


やっぱり 普通の大きさの自転車がほしいよ〜〜〜〜。

できれば ギアーつきがいいな〜〜〜。


…と贅沢なことを思いながらも またまた決心がつかず…。

お金もないし ま、しばらくこのちっちゃな自転車で間に合わせよう と思っていた矢先


頼みの自転車がパンクしてしまった!


またまた 自転車のない生活…。


しかも この無料で手に入れた自転車のパンクをどこで直せばいいのか途方にくれる私。


こんな くだらないことでもしばらく悩んだ末、

ようやく前から気になっていた自転車屋さんに持っていく決心がついて

行ってみたら…


そこの店主さんがすご〜くいい人で いろいろ話をするうちに ようやく決意!


そこの自転車屋さんには ”わがままバイク”という名の商品があって


好きな色のフレーム、ハンドル、グリップ、サドル、かごなどを自分で選んで 

自分だけのお気に入り自転車を作ってくれる。


こんなに選ぶものがたくさんあったのでは さぞや またずいぶん悩んだこととお思いでしょう?


もちろん悩みましたとも!


でもね。ここの自転車屋さんはHPも持っていて

実はすでにそこでチェック済み。

だいたいは どれとどれを組み合わせようかと決めていたので

決心の早いこと。早いこと!!


きっと自転車屋さんの店主さんにしてみたら

なんて 決断力のある人なんだろうと思ったに違いないくらい。


色は… スカイブルーで あれはこれで これはこれ…

あっという間に 決めていく私。


いままで何年も悩んで悩んで結局決められなかった人間とは思えないほど

いろんなこと ささささっ と決めてしまった私。


そうなんですよ。

さんざん悩んでいたかと思うと 決める時は すっごく早いのが 私。


自分でもびっくりするくらい こういう時の私は決心が早い。


で、待望の自転車がついに私のもとにやってきました!!


ギアー付きにしたので、坂道もらっくらく〜。

ようやく手にいれた マイ自転車♪(写真は失敗しちゃったので後日…)


これから このマイ自転車でいろんなところ走るぞ〜〜〜♪♪














2002年08月20日(火) あれあれ???


世の中にはいろんな人がいるものですね。


近くにある大きなビルの一角に小さな小さな神社があるのですが、

多分 ビルを建てるために 動かせなくってここにお奉りしたって感じの
本当にせま〜い神社なんです。


普通は ちょっとお参りする以外 中に入らないようなところなんですが…

そこで ランチを食べているサラリーマン風の男の人を見ました。


一瞬「え? 何?」ってびっくり。


だって 他にも ビルの中庭とか ちょっと座ってランチをするところはいっぱいあるのに

なんで?  わざわざそんな狭いところで?


彼には 彼なりの理由があって そこで食べていたのかもしれませんが

私には すごく不思議でした。


…かと思うと

オフィス勤めをしていた時にこんなことがありました。


トイレでね。 変な音がするんですよ。

微妙にカチカチっていうような…  ん〜 なんだろう????


…で、思い当たったのが 携帯でメールを打つ音!

私は 携帯メールをしないので 確かではないのですが 多分まちがいないと思います。

もちろん就業時間内での出来事です。


トイレで 明らかに おせんべの匂いがしていたこともあります。

トイレでおやつ?

たしかに パティション(しきり)のない日本企業のオフィスでは

自分の席で 自分だけお菓子を食べることはしにくいですが

だからといって トイレで!?

結構びっくりしました。


まだあります。(^_^;)

これは 目撃された方もたくさんいるかもしれませんが 

残業などして 帰りが遅くなると 駅構内で目にする光景。


昼間は見あたらなかったホームレスの人たちが きちんとお布団をしいて

(もちろん 枕も掛け布団も きちんと揃っています。)

ごく普通に? そこでお休みになっているのです。


中には ダンボールで きちんと囲いをして お家を建てて? いる人までいます。


一瞬そこを通った私たちの方が 

ここはどこ?  って思いに駆られてしまうほど

普通に 駅の構内にふとんをしいて寝ています。


この前なんか 寝る前の運動なのでしょうか? 

いきなり開脚をしているホームレスのおじさんがいて、


一瞬 ギョッ!!! となりました。


「おじさん、体柔らかいのね。」 …ってそういうことじゃないですよね。(^_^;)


ま、外に出てみるといろんな人が目にとまります。


最近は ごく普通の電車の中で 何かを食べたり飲んだりしていたり

駅のベンチでお化粧していたり

電車の床に直接座りこんでいたり


ごく普通の人が 妙な行動をしているのを よく見かけます。


何もかも世間体にとらわれる必要はないと思いますが

ん〜  これでいいのでしょうか?


どうなる日本? と ちょっと心配になったりして…。






2002年08月19日(月) 気分の浮き沈み


これって誰にでもあることなのかな?


私はここのところ 好きなことだけやらせてもらっているので 
ストレスってものは感じないのですが

定期的に気分がブルーになる時があります。

その周期は一定しているような いないような…


ま、とにかくブルーな時は 朝起きた時から 気持ちが晴れないわけで

当然何をやっても マイナス思考

考えなくてもいいことまで 考えて どんどん深みにはまります。


ちょっと前の日記はそんなブルーな時に書いていたので

今読み返してみると ちょっと重かったかな と思えるところもありますが

そんな時でもないと 人間 物事を掘り下げて考えたりしないものなので

ま、それはそれでよかったかな とも思っています。


話はそれますが 最近“かたづけられない主婦”が増えているそうです。

私もかたづけ上手な方ではありませんが でも ここまでは!!! 
と絶句するほどの部屋の荒れ様。とても住まいとは思えないほどです。

最近よく報道番組でとりあげられているので 見たことがある方も多いと思いますが

床が見えないほど散らかされた部屋。洗い物でいっぱいになっている流し。

そこらへんにゴミは散らばり ゴキブリやねずみまでもが発生!!

そんな中で平然と暮している彼女たち…。

あまりの惨状に 「これ やらせじゃないの?」と疑りたくなるほど。

でも、実際にこういう人たちが結構いるらしく
今ではこれも一種の脳の病気と位置付けられているらしいです。

で、そんな”かたづけれない病気”を克服する手段のひとつとして紹介されていたのが

右脳に働きかけるというもの。


どんなことをするかというと…


朝起きた時に 手をぎゅっとにぎりしめて こう思うんだそうです。

「あ〜 よく寝た。とっても気持ちよかった。今日もがんばろう。」って。

そして ごはんを食べた後にも

「あ〜 おいしかった。 しあわせ!」って意識して思うようにするんだそうです。


そうすると 自然と気持ちがプラス思考になるんでしょうね。


いやだ、できない。って思っていたかたづけも 自然とやってみようって気になって

しかも 自分がかたづけたことで 部屋がきれいになるので

そのことが励みとなって かたづけることが だんだん楽しめるようになるんだそうです。


へえ〜〜〜〜って目からウロコでした。


気持ちの持ち方っていうけれど それって右脳の作用だったんだ!!!

でも これって単純なことのようだけれど 気分が落ちこんでいる時には
できそうで、できないことですよね。


気持ちが落ちこんでいる時だと逆に

朝起きたら、「あ〜 なんだかすっきりしない。 また今日も一日ゆううつだな〜。」
となっているし

食事をしても 「あ〜めんどくさい。 あんまりおいしくないし。」とか思ってしまったり


結局自分で悪循環を作りだしていたってことなのね。と改めて感心。


本当に気分の浮き沈みって 心の持ち様なんだと思います。


それでも どうしようもなく 落ちこむ時はありますよね。


人によって悩みは様々でしょうが 願っても願っても叶わない 叶えられなかったことを
回りの人がいとも簡単に手に入れているのを見たりすると

相手の幸せを喜びたいのに すごくすごく落ちこむ時があります。


心は正直ですからね。 


落ちこみの原因は 相手への嫉妬? それも少しはあるかもしれません。

でも きっとそんなことで落ちこむ自分がイヤなんだと 思います。


きっとみんな同じなのでしょう。

手に入れられなかったものが違うだけで。


右脳の話を聞いて思いました。


落ちこんだ自分を立ち直らせることができるのは やっぱり自分しかいないんだなって。


自分を救えるのは 幸せにできるのは 結局 自分自身なんですね。














2002年08月14日(水) 楽しくなくっちゃ。


よく使われる言葉に 「がんばる」って言葉がありますよね。


だいたいが 自分や相手を応援する言葉として使われていると思うのですが

「がんばる」っていう言葉にも二通りの解釈があるような気がします。


何がなんでもがんばる。

これという目標を決めたら どんなにつらくても途中で放り出さずに
苦しみながらでもがんばる。


がんばれるところまで がんばる。

目標をめざして努力はするけれども 決して無理はしない。

限界を感じたら一度立ち止まってみる。そして そこからまた始める。


たとえば…

泳ぎを覚えたばかりの頃 25mのプールを端から端まで泳ぐのは 結構大変ですよね。

何がなんでもがんばろうとすると

途中で苦しくなっても絶対にあきらめないから

死にそうなくらい息が苦しくなりながらも端までたどりつこうとする。

一回泳ぎ終わるとゼイゼイしてしまって、しかも楽しくない。苦しいだけ。


でも がんばれるだけ がんばる場合には

とにかく行けるところまで行ってみる。 

苦しいと感じたら一旦休み、また泳ぎ始めるので すごく楽な気持ちで泳げる。


どちらの方が上達が早いかは わかりませんが

後者の方が 明らかに 楽しみながら がんばっている感じがしますよね。


もしかしたら 上達はカメのごとく遅く 時間がかかるかもしれませんが

がんばっている過程を楽しんでいるので ちっとも苦にはなっていません。


でも 何がなんでもと思ってがんばっていると がんばる過程そのものがつらく

性格にもよるのでしょうが、長続きしなかったりします。


勉強もそうですが、一見つらそうに見えることでも

気持ちの持ち方や 身につけ方で いくらでも楽しくできるものなのですね。


これはヨーロッパに英語の勉強に行って感じたことなのですが

どうも日本の教育って 「勉強 = むずかしいこと、楽しくないこと」 って

構図を自ら作ってるようなとこありませんか?


たとえば 歴史を学ぼうとした時 教科書だけで勉強するのではなく

歴史を背景にした漫画とかを読んで 学んだっていいわけじゃないですか?


でも 『漫画 = 遊び、勉強じゃない』って構図があって

漫画なんか読んでいたら 勉強しているとはみなされない みたいなところがあって…。


でもね。 背景もわからずに 事実だけつきつけられても 興味なんかわかないですよね。

頭にも入らない。


私は フランスの歴史なんてちんぷんかんぷんでしたが、「ベルサイユの薔薇」を読んで

すごくいろんなことがクリアーになったんです。

しかも もっと勉強して いろいろ知りたいって気持ちにもなりました。


ヨーロッパの語学学校では 英語を学ぶ手段として 授業の中でビートルズの歌を聞いたり

その他にもゲームのような 日本だったらきっと”遊び”としか考えられていないようなことを

いろいろやらされました。  とってもとっても楽しかったですよ。


何でもそうですが めんどくさ〜い やりたくな〜い と思っていることでも

きっと 楽しんでやる方法ってあると思うんです。


最近の私のモットーは 「何をするにも 楽しく」です。

結果が同じなら 楽しんでやったほうが いいに決まってますからね。


それに 「いやだな〜」とか 「つらいな〜」とか 思ってやるのも精神衛生上よくないらしいですよ。


仕事も勉強も 楽しんでやれるようになりたいですね。


まずは やってもやっても終らない家事を 楽しくする方法を考えなくっちゃね。












2002年08月06日(火) 誰かのせいにしたがる人たち



何か自分に不都合なことが起こった時 すぐに誰かのせいにする人がいますよね。

悪いことをしても それは自分の意志じゃなくて 誰かのせい。

うまく行かないことがあると やっぱり誰かのせい。

自分には 全く悪いところはなかったんだと言わんばかりに 
すぐに人やもののせいにする人たち。


それは すごく後向きな考え方なのにそれに気づかない。


私は枕草子を書いた清少納言をとても尊敬しているのですが

それは 彼女が 何があっても それを人のせいにしない人だったからです。

たとえ自分に非のないことであっても 決して誰かのせいにすることなく 弁解もしない。

そこに 古きよき時代の 日本人の潔さ を見る気がするのです。


それは なかなかできることではないだけに とてもかっこよく 見ていて気持ちのいいものです。


人のせいにするのは すごくかっこ悪いこと。

もう起こってしまったことを もとに戻すことはできないのだから

それが誰のせいであろうと その後どうするかの方が大事なのにね。


どうしても 自分のせいではないと 思いたがる人たち。

自分の非を認めるのは やっぱり勇気のいることですからね。


何となく 昔の日本には そんな潔さとか かっこよさを持った人たちが

たくさんいたような気がします。


最近は ビジュアルの時代だとか。


目先の かっこよさばかりに 気をとられて 

そんな小さなことで表現できる かっこよさ を忘れている人が多いように思います。


…と こんなことを言いながら私も 気がつくとすぐ何かのせいにしていることがあります。

やっぱり かっこいいと思える人になるのは 大変です。


まだまだ修行… かな?















2002年08月03日(土) 自分へのメッセージ

日記という名のもとエッセーを書き始めて3ヶ月ほどたちますが

今まであまり言葉にすることもなかったような自分の心の声を いろいろ語ってきました。


考えて見ればこうやって自分の思いを言葉にして 

しかも誰の目にも簡単にふれることができる場所におくということは

公園で大勢の人を前にパブリックスピーチしているのと変わらないことなんですよね。


そう考えると すごく大それたことをしているような気がしてきます。


私の書いたものを読んで、共感してくれる人もいれば

自分はそうは思わないっていう人もいるでしょう。


感じ方も価値観も人それぞれ。それは当然のことだと思います。


インターネットがパブリックスピーチと大きく違うところは

そういった反応が 相手の発信なしには気づけないところです。


目の前にいる人なら たとえ言葉にしなくても その態度や雰囲気で

なんとなく その人の思っていることが わかるものです。


でも インターネットでは それを感じることはできません。


日記といいながら 私が書いているもののほとんどは 書いては読み 読んでは直し

何度も何度も読み返しながら 時に迷いながら 公開しているものばかりです。


心に思っていることを言葉にするのは とてもむずかしいことです。


それをどんな言葉で どんなふうに伝えれば 一番誤解がないのか… 

言いたいことが素直に伝わるのか…


でも 私が日記に書いていることは、ほとんどが自分自身への 応援メッセージなのです。


誰かに向って言っているというよりは すぐにくじけそうになる自分に向って

もうひとりの自分が 一生懸命勇気づけているのです。


誰の心にも 天使の自分と 悪魔の自分が 存在しますよね。

そして その双方がいつも闘って闘って 

みんななんとか折り合いをつけて生きているのではないでしょうか?


ま、最近 悪魔の方が力を持ってしまった人も増えてはいますが…。


心って不思議ですよね。

日々考えていることが変わっていったりする。


だからね。ここでえらそうなこと言っていても それが私のすべてじゃないんです。

それは ある日のとってもりっぱな自分だったりする。


別の日には全く違うこと考えてたり…


でもね それが人間じゃないかって思うんですよ。

神様じゃないんだから いつもいつも いい人ではいられない。


こうやっていろんなこと書いていても 時間がたって読み返すと

え? これ本当に私が書いたの? って思う時もあったりして…。


私 よく誤解されるんです。

いえ もしかしたら誤解じゃなくて それが本当の自分なのかもしれないけれど

自分では よくわからないんですよね。


私が言葉にしたことは たいていすごく真剣に受取られちゃうんです。

考えに考えぬいて しっかりとした考えをもって言った言葉なんだなって受取られちゃう。



でもね。O型の私は 実はそんなに深い意味があって言ってなかったりするんです。

これって いいことなのか 悪いことなのか…


ずいぶん前のことですが、いろいろな事の成り行きで、

会社をやめてイギリス留学しようかなと思った時

自分の中では まだ決心がついていたわけではなかったんですが…


そのことを両親に話したら

「お前がそこまで決心しているのなら行って来なさい。」と言われ…


会社の上司に相談したら

「君がそこまで決心しているのなら仕方がないね。」って 誰も止めてくれないんですよ。


結局それで 気がつくともう行かなくちゃいけないことになってて…。


今考えてみれば それがいい意味で私の人生の大きな転機になっているんですけどね。


人によっては 真剣に言っているつもりでも まじめに受けとってもらえないっていう人や

私みたいに 深い意味はないのに 深くとられてしまう人がいたり


心を伝えるのは 本当にむずかしいことです。



でも 自分の心の中のことさえ 完全にわかっているわけではないのですから

ましてや 人の心を理解するなんて きっと不可能に近いことなんでしょうね。


人の心は永遠の謎です。

だから 言葉にできる時に言葉にして 客観的に自分に語りかけることも

自分を知るいい方法なのかもしれません。


2002年08月01日(木) 幸せになりたい…


またまた「しあわせ」を語ってしまいます。(~_~;)
もしかしたら、シリーズもの(?)になるかも…。



「幸せになりたい。」って誰もが思いますよね。

でも「幸せ」ってなに?

ほしいものが何でも手にはいること?

何でも思い通りになること?

お金持ちになること?

人にうらやましがられるようなものを手に入れること?

好きな人に好きだって言ってもらうこと?


私も子供の頃は、いつも「幸せになりたい。」って思っていました。


「幸せ」ってどんなものなのか わかりもしないで、

それさえ手に入れば 何もかもうまく行って救われるって思っていたんです。


その頃の私は、自分を「幸せ」だとは思っていませんでした。


だから 自分より幸せそうな人を見るのが きらいでした。


人の幸せを目にすることで、自分がもっともっと不幸に思えたからです。


でも…

いくら待っても「幸せ」は私のところにはやってきませんでした。


「幸せになりたい。」と願えば願うほど、「幸せ」は遠のいていったように思います。


ずっとずっと探しつづけてきた「幸せ」の意味。


私は 最近やっとそれを見つけたような気がしています。


私の見つけた「幸せ」は とても意外なところにあったのです。


それは…


人の幸せを素直に喜べる心。


自分のことではなく、人が幸せであることに 幸せを感じられる心です。


それを持った人は いつも幸せでいることができるんです。


正直言って それは簡単なことではありませんよね。


人が幸せになるのを心から祝福できる人間なんて そんなにたくさんいないと思います。


でも、自分だけが「幸せ」なんてありえない、そう思いませんか?


ほしいものを何もかも手に入れたとしても きっとそこに「幸せ」なんて存在しない。


人によって「幸せ」の形は様々です。


でも、人の幸せを素直に喜べる心を持っていれば、きっといつも幸せでいられる…


そんな気がするのです。


そして 知らないうちに自分のところにも「幸せ」がやってくる。


そんなふうに思えるようになりました。


私がこんなふうに思えるようになったのも

きっと たくさん ステキな人たちに出会ったせいですね。


人を幸せにするのは “もの”ではなく やっぱり“人”なんですね。


みなさんにとっての「幸せ」って何ですか?


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