「めざましテレビ」を時計代わりにして出勤の支度をしていたら、ゆずのスペイン滞在記というのが流れました。しかも三日連続らしい。今日はマドリッドへの到着から、最後にアンダルシーアに入るまで。七月の話だったということで、アンダルシーアではすでにひまわりは黒く枯れ果てて突っ立ってました。スペインではひまわりは食用油の原料になるし、種をそのままスナックみたいにして食べたりもします。今回ゆずのふたりが見たひまわりは、食用の種を取るためにそのままになっていたということです。さて明日はたぶんギター発祥の地をたずねたり(ということはフラメンコも出るだろうな)でしょうが、三日目はどっちに向かうんだろう。太陽に出会う旅ということですが、バルセローナのほうかな? 地中海の太陽はまた趣が違うと思うのです。
あんまり関係ないけど、このあいだ英詩の本を読んでて「あっ」と思ったこと、メモしたのに忘れ果ててたのが発掘されました。書いておこう。
シェイクスピアのソネット集。前半に多く現れるのは美青年への熱い想い、そして後半になると「黒の女」が現れる。当時の詩人たちにとって「美」は典型がかっちりと決まっており、それは金髪碧眼白い肌・・・・・・というもの。しかしシェイクスピアは
「おれの愛人の眼は太陽とは似ても似つかない 珊瑚の赤は彼女のくちびるよりもずっと濃い 雪が白いというならばなぜ彼女の胸は灰褐色なのだ 髪が針金なら頭には黒い針金が生えている」(130の冒頭四行)
My mistress' eyes are nothing like the sun; Coral is far more red than her lips' red: If snow be white, why then her breasts are dun; If hairs be wires, black wires grow on her head. と、強い否定を重ねながら、典型的美のカノン(規範)から大きく逸脱した、けれども自分にとってはそんなものどうでもよくなるような吸引力を持つ情人を描き出しています。
暗い情熱とか宿命の愛とか同性愛とか、もちろん昔から好物だったわたしですので大学生のときに『ソネット集』は買って読み、説明的なことは覚えていたんだけど、実際の語句はさっぱり忘れてて、先日の読書中にこの詩の冒頭が出てきたときに 「あっスティングの曲ってこれか」 と思ったのです。今更ですが。
スティングのアルバムにその名も"...Nothing Like the Sun”というのがあって、ソロ二枚目で、そのどれかの曲で"My mistress' eyes are nothing like the sun"と歌ってたー! うわああ、でもこの歌詞はどの曲だったか・・・・・・と旅に出てしまっただ(←アルバムを探した)。きっと英語圏のリスナーはここでにやりとするんだろうなあ。こうやって[つながる]瞬間が好きです。
・・・・・・なーんてかっこいいこと書いてからスティングのつけたライナーノート読んでみたら、ちゃんと冒頭に「シェイクスピアは役に立つ」なんて書いてあるじゃないですか。英語で。読まなかったんだな。月の明るい夜に街を歩いてたら泥酔した男に襟首ひっつかまれ、 「月は美しいか? 月は美しいか」 と聞かれて、 「おれの愛人の眼は太陽とは似ても似つかない」 と答えたというエピソードだったよ。
否定を重ねて、もっと重ねて、でも否定しきれないなにかがある(しかし触れることもできない)というのはなんか、いいな。陛下がそんなふうに奴に恋い焦がれるというのはちょっと考えづらいけど。
「愛してるよクラピカ。きみは」 (無言) 「ねえ」 「嫌いだ」 「どうして」 「(で、欠点とかあげつらっていって)」 「でもきみはオレの」 と、ちょっとだけ苦笑してキスして口封じ。積極的にこたえはしないけど逃げもしない陛下なのだった。
とか、漏れなく妄想してしまったではないですか! あっこれクロロのどりーむですから。
ところで、シェイクスピア時代には美しい金髪を「金の針金wire」と表現することがあったそうです。
今日は漫画ばっかり買いました。 萩尾望都『バルバラ異界』4巻(完結。最後のエピソードで少なくとも6ページ加わってた)、藤井みつる『官能小説』5巻(完結)。市川ジュン『鬼国幻想』1巻。雑誌はflowersとコーラス。
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