ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




持病と向きあう
2002年04月25日(木)
旅行前のバタバタした合間を縫って、かかりつけのお医者さんへ。
前回の検査の結果が良好だったので、ついつい間が空いてしまったのだけど、GW明けに行くとちょうど3ヵ月あいてしまって「初診」になってしまう!!日にちを計算して、慌てて電車に乗って病院へ・・・。お医者さん(女医さん)から改めて呼ばれて「完全に治るには、まだ少なくとも3年はかかる・・・。長い目で治療を続けないと・・・」というようなお話だった。分かってるけど、改めて言われると、ちょっぴり凹んだりして。結婚してからは「お子さんのご予定は?」とか必ず聞かれるし。(お薬の事があるから。)・・・なんだか疲れる。。
私の20代は病気の巣窟みたいなものだけれど、逆に今きちんと治す事ができれば、30代からは健康になれるのかなあ・・・?
2年前、突然耳から血が出て来たみたいに、突然また新しい病気が来るのかな?と思うと怖いのだけど。。。
戸籍抄本
2002年04月24日(水)
勤めていた時の共済保険の解約(実はすっかり忘れていた・・・)のために戸籍抄本が必要になった。
あれこれ必要書類を揃えて記入押印してバッチリ〜♪さあ、あとは市役所に行くだけ・・・とおキラクな気持ちで市役所出張所に立ち寄った。
所定の記入用紙をカリカリ書いて、窓口に提出。住民票と戸籍抄本がプリントアウトされるのが見えて、「なんだ、簡単♪」と思ったらトンデモなかった。
どうも戸籍が旧地番になっていて、現住所と違うらしいのだ。結婚してから戸籍抄本を取り寄せるのが初めてだったので、知らなかった・・・。戸籍も現住所も同じだと思っていたの。。
それにしても!!応対したおぢさんの態度の悪い事!!記入用紙記載の内容と戸籍が違ったのは、私も調べて来なかったのが悪いので、ダメならダメで、調べて出直してって言われたなら、まだ納得できる。(個人情報だもん、そうそう簡単に間違った記入用紙でホイホイ出されちゃっても困る。)
後ろに人がいっぱい並んでるのに、あーだ、こうだ、とネチネチ出し惜しみする態度が、とにかく不可解。
こういう奴がのうのうと窓口でふんぞり返っているから「公務員はお役所仕事」とか「親方ヒノマル」とか言われるんだろうなあ〜。もちろん市役所には何度めも色んな手続きで足を運んだけれど、皆さん窓口の方はテキパキとやってくれました。いいものはいい、ダメなものはダメって。(婚姻届け、出し直ししたもん。<笑)だから、今日のおぢさんが特別なのは、分かる。分かるけど、ハラが立つ。
隊長も公務員なので「公務員ってさぁ(以下省略)」っていう会話なんかを聞くと、「公務員も結構制約がいっぱいあって、大変だし、仕事もキツいんだけどなあ」と悲しいキモチになるのだけど、公務を公務と思ってない公務員がいる、って事は今日ようく分かりました。。あーあ。
はじめの1歩
2002年04月23日(火)
にわかに猫にまつわる出来事が多かった今月、寝ても覚めてもねこえの事や、ネットで知った猫や犬の様々な問題・・・。ねこえは行方不明になってしまうし、もう頭の中がぱんぱんで、身動きが取れなくなっていた私。(・・・と書いている横で、縁側に優雅に寝そべっている、ねこえ・・・)
実は、今日思いきってあるボランティアをされている人に電話をかけてみました。
色々とお話を聞かせていただくと、野良猫の不妊手術についての良い方法や、リスクについて、・・・具体的な事を聞かせていただきました。
猫を上手におびきよせるネコとり器を貸し出しているボランティアがある事(これに入れて獣医さんのところに連れていけばいいのだそうです。)や、手術費用の事など、色々と丁寧に教えてもらって、とりあえず現実に1歩近付いた感じです。
「その、通って来るネコちゃんって三毛猫でしょう?」って言い当てられてびっくり。なんでも三毛猫というのは、すごく神経質で、人になかなか懐かないのだそう。
とにかく、周りでそういう猫についての問題について一緒に考えて、教授してくださる方(しかも全然何も分からない見ず知らずの私に!)とお話できて、本当にありがたく思いました。
最近、家猫願望が強くなっている私だけど、とにかく自分の1年以上付き合って来たねこえの事をちゃんと解決してあげないと何も始まらないと思ったのでした。改めて、それを思い知る事ができて、思いきってボランティアの方に電話をかけてみて良かった・・・。
不安もあるし、分からない事だらけだけれど、ねこえの幸せのために、ご近所との共存のために、一生懸命動いて、とにかく実行しなければ・・・。と思ったのでした。
猫の盗難
2002年04月22日(月)
お友達の掲示板にカキコしに行ったら、猫の盗難についてのショッキングな内容の記事がありました。
はじめは「猫の盗難」という事自体の意味が全然分からなくて戸惑ったのだけれど、本当に、文字通り猫が盗まれてしまったというのです。公衆の面前(電車内)で、キャリーバッグに入った飼い猫ちゃん2匹が、飼い主さんが少し眠っている間に盗まれたという・・・そんな信じられない事件でした。
(↓↓↓飼い主さんの「尋ね猫」のURLです。是非、みなさん見てみてください。)
こちら
必死に、盗まれた方は鉄道会社に問い合わせしたり、貼り紙をしたり、動物病院に猫の写真を送ったりされているようで、すごく心が痛みました。盗難ではなくて、もはや誘拐だな、と思いました。許せない、本当に許せない。
誰か、犯人がそのキャリーバッグを盗んでいる所を見ていたはずなのに・・・、気づかなかったはずはないのに、どうして誰も通報しなかったんだろう??とか、いくらでも誰かがちょっと手を差し伸べてあげられたら防げた事件なのに!と思うと、すごく悔しい。。
手を差し伸べるキモチの人もきっと沢山いるのに、そういう人以上に自分の保身ばかりの人や、自分以外の事に無関心すぎる人が多い世の中を恐ろしく思います。
とにかく、ヒトの事をとやかく言う前に実践です。私も身を引き締めて、優しく生きていかなくちゃ・・・と思うのでした。
片思い
2002年04月21日(日)
よく「片思いで、がんばってる時が一番楽しい」というのを聞くけれど、本当だろうか??私の経験だと「片思い」はつらい。恋は二人でするものなのに、一人で恋をしてしまうなんて淋しい。
昔大好きだった、今でも仲の良い友達がいるのだけど、彼とはオトモダチ止まりだった。毎日電話をしたり、バレンタインにはケーキを焼いたりして頑張った。でも、そんな事をしてもしなくても彼は私の事をトモダチとして好きでいてくれたけれど、恋の対象としては見てもらえなかったみたい。だから「私の事、ちゃんと考えて!!」なんて迫られた日には、彼は本当に困ったと思う。すごく良いコだったから、ちゃんと考えて、私のキモチには応えられないって言ってくれた。いっぱい泣いたし、辛かったけど、彼はその後も上京する時には連絡をくれて、変わらず会ったり遊んだりしてくれた。
私がつらそうだったりすると、ワシワシと頭を撫でてくれて、それが、すごく安心感を与えてくれた。「優しくしないで」なんて安い台詞が出てきそうだったりして、情けなかった。全力で好きだったから、ブレーキをかけるのも全力だ。かけ損なうと暴走してしまう。
一番最近みんなで会った時、私はもう結婚していたけれど、彼はやっぱり変わらなかった。ちょっとお酒の力も手伝って「勿体ないよ〜。こんなイイコを振ったんだから〜。」なんて言ってみたら「あん時、お前不安定だったろ??俺、近くにいてやれないから心配だったよ。だから、今の安定して幸せそうなお前見てると、安心するわ。」と言われてしまった。ヤラレタ。マイッタ。カナワナイ。彼は、こういう事を調子よく言える奴じゃない事は痛いほど分かるから、分かるだけに嬉しかった。
彼はずうっと同じキモチだったのだ。私のキモチだけがのぼせあ上がって、辛くなって、泣いて、そして沈んでいき、やがて凪いだ・・・。それは、やはり孤独な作業だと思う。そっと自分で自分のキモチを葬るのは、何かが自分の中で死ぬ事だと思う。片思いは、もうたくさん、私はそう思っている。
ぐるっと1年
2002年04月20日(土)
昔、キレイにはらはら舞う桜の花を見て、「ああ、これを好きな人と一緒に見られたら・・・」と心から願った事があった。その時の恋人が、あまりにも物理的にも精神的にも遠くにいて、とてもとても悲しかった。ちゃんと、近くにいて、いつも一緒にいられる人が欲しいと切実に思ったものです。。そして、その恋人と別れるために、私は飛行機に乗りました。きっと人生でいちばん悲しい旅だったと思い出します。
あれから数年、私はその後隊長と出会い、結婚して、その願いを叶えました。普通にスーパーにお買い物に行く夫婦ふたりの頭の上からは桜のシャワーが降り注いでいて、ふたりで同じ風景を共有して生きています。いつも一緒にいたくて、少ない時間をふたりで分かち合いたくて、一緒に住んで、じっくり相手を知って、結婚した私たち。付き合って半年で同棲をはじめて、それから1年後に結婚。そして更にまた1年が経ちました。「さあ、帰ろうか」って向かう方向もおんなじです。朝いちばん最初に見て、夜最後に見るヒトも、毎日おんなじ。ダイジョウブ、まだ全然飽きません、
急ぎ過ぎた感じもないし、大きな諍いもなく、お互いに少しずつまぁるくなった1年・・・。
ずうっと、二人でいるのか、もしかして家族が増えたりするのか、全然まだ未知数だけれど、桜も雪も星も、いっぱい同じ景色の記憶を増やしていきたいな。。
記念日ギライ(単なるひねくれ者)の私たち・・・。特別なディナーもプレゼントもないけれど、今までありがとう、これからもよろしくね、ってお互いにココロの中で思ってる気がします。
得意分野・不得意分野
2002年04月19日(金)
さてさて、旅行1週間前になって俄にウチが慌ただしくなりました。
まず、冷蔵庫を空っぽにする計画を立てて、野菜室と氷温室と製氷機をきれいに洗ってしまいます。あと1週間は、冷蔵室と冷凍室だけを使って生活。
そして、24時間風呂も浄化槽から何から全部外してきれいに大掃除。。(これが凄まじく大変そう・・・。)これらを1日がかりでゼーンブ隊長が遂行します。独身時代もちゃんと自分が旅に出る時はそうやっていたらしいので、「自分の仕事」として自然にやってくれるし、「手伝うよー」と言っても「いや、いいよ。」ってやっちゃう。きっとお風呂に1日何回も入って浄化槽を汚してるのは私・・・って気がして申し訳ないんだけど、黙々と作業をしてくれる。なんか、悪くて掃除機かけたり、アイロンかけたり、自分の得意分野のちまちました家事をしてみるんだけど、あっという間に終わっちゃう。以外と日々の家事よりも、こういう大物の家事に取りかかるのが一番大変かも。そして、そういうのが得意分野なだんな様で良かった。。私だったら、ひとりじゃ出来ない・・・。換気扇とかクーラーの掃除とか、ほんと大嫌いだし・・・。(これはいつも実家のママに来てもらって、やってます。)
そんな訳でひまになった私は、1.旅行前までの冷蔵庫の中身を消費する献立(特にキャベツをいかに残さずに使い切るか!)と2.旅行中の洋服の着まわしのメニューを紙に書いてあれこれ思索してたのでした。
こういう分野は大得意!!2つともほとんど同じ作業工程。今ある1.食料と、2.洋服をダーッと書き出して、主要な日のメインメニューをぽんぽん、と考える。献立の方は月曜が「ホイコーロー」で、火曜が「肉じゃがと野菜いため」・・・という具合に。洋服の方は、倉敷と札幌はお洒落して、ティアードスカートにお気に入りのカットソー・・・ってな具合。後は力を抜いて良い日のメニューや、副菜なんかを適当にコーディネイトしちゃうだけ♪「牛肉は他では使わないから、肉じゃがも豚でいいや。」とか、「スパッツは1枚じゃはけないから、重ね着でも1枚でもオッケーな黒いパンツにしよー。」とか多用途に使いまわせるものを使って、不要なメニューを省いていく。で、それを忘れないように、紙に書き出して、あとは実行するのみ!!
・・・と詳細まで決定した、私の小さな字がぎっしり詰まった「献立表」(洋服も献立表!?)を見て、隊長は「げっ。こまけーなー!!」と驚きおののく。日常は大体こんな感じの私たち。
でも旅先では、私は行き当たりばったりイイカゲン、隊長がこまかく時間もルートも決定する。そんなデコボコなかじ取りで私たち、なんとか1年フウフやっていけてます〜。不思議じゃのう・・・。
てんやもの
2002年04月18日(木)
あまり「てんやもの」に縁がない。よくサザエさんちでは、ウナギとか寿司とかを電話で注文しているけれど、普通の家庭ってどうなのでしょう?
そもそも魚とかウナギとか蕎麦が食べられないとなると、ダメなのよね〜。
唯一、頼めるとすると「宅配ピザ」くらいかなあ・・・。にしても、それも自分では頼んだ事がない。(ドミノピザがおすすめ!と弟が言ってました。ホント?)
隊長が昨晩、役所(会社)内での飲み会があって、宅配ピザとか、お寿司とかそういう「てんやもの」がいっぱいの子供会みたいな飲み会だった・・・というのを聞いて、なんだか羨ましくなっちゃったのです。(あ、もちろん六本木のどこそこで飲んだ・・・という話も羨ましいんですけど)
古新聞をひっくり返して、宅配ピザのちらしを探すと・・・「ピザハット」のが1枚あった!!隊長の帰宅メールから帰る時間を割り出して、電話で注文!ベジタリアン、っていうのとトマトなんとか、っていうのを半分ずつ。
隊長が、純・和食なごはんを食べてるのと向かい合わせの私は、缶チューハイと、あつあつピザでゴキゲン。(チープな奴だ)
・・・でも普通「てんやもの」って主婦がごはん作るのをお休みするために取るのよね???なんだか、しっかりお浸しとか焼き魚とか煮物を作ってては「てんやもの」の効能はないのかも〜。。
神様のバチ
2002年04月17日(水)
ここ2日ばかり、姿を見せないねこえ・・・。クロもぱったり来なくなってしまったし、昼間散歩のフリをして近所をうろうろしてみても、どこにいるか皆目見当がつかない。
こねこえ達はどうしているんだろうか、ねこえは無事なのか・・・気になって気になって、何をしていても、欲しかったものを買っても、気が晴れなかった。家にいると5分おきに和室をのぞいてしまうし、それが辛くて出かけていると、もしかすると今和室の外で、ちょこんと座って帰りを待っているかもしれない・・・そう思うと、家に帰りたくなってしまった。。
もちろん家に帰っても、和室の外につづく庭は、しん、としていて淋しい。
私はねこえが大好きだけど、ねこえは別に私の事が好きなわけじゃない。ねこえは、賢いねこだから、きっと来ないのは訳があるはず。。淋しくて辛いけれど、それは自分勝手な感情に過ぎないだ・・・。きっと、「ねこえは私のねこ」なんて思い上がったりして神様のバチが当たったに違いない。だから、私はガマンしよう。ねこえはきっと無事でいる。どこかで、こねこえを育てている・・・。
あきらめもついて、ある程度自分の中で感情が落ち着いたのが20時前。・・・あ、今日お弁当の材料を買いに行ってないなあ〜。。って慌てて家を飛び出した。20時にスーパーが閉ってしまうから、真っ暗な路地の近道を走った・・・その時。
100メートル以上はゆうに離れた人家の駐車場の塀の上に白いものが見えた。何故だかわからないけど「ねこえだ」と分かった。
「ねこえ!」呼びかけると、こっちを向いたように見える。回り道をして、そのお宅の裏の路地をのぞいてみた。塀から逃げて、車の下に入り込んで様子を伺うねこえ。真っ暗でよく見えない上に、人の家の敷地内。。でも、ちゃんと言わなくちゃと思って、思いきってコンクリートに這いつくばって車の下に頭を突っ込んだ。
「ねこえは、ねこえの好きにしていいから、また、うちにごはんを食べに来て。たまに元気なカオをみせて」
大きな声で言った。ねこえは、かすれた声で「にゃ」と返事をした。
元気でいてくれただけで充分だと思った。私はちょっと、ねこえが急にお母さんになったりして、焦り過ぎていたのかもしれない。考えていた手術の事、こねこえの事、少し様子を見てからにしよう・・・そう思えた。
買い物に行って、家に戻ると、ねこえはちょこん、と和室の外でこっちを見ていた。申し訳程度にかにかまぼことチャーシューを食べると、ひとしきり私にマーキング(すりすり)してからどこかへ姿を消した。
ぶつぶつ&はらぐろ
2002年04月16日(火)
Q「ぶつぶつ日誌」と「はらぐろ日誌」はどう違うの?なんで日記を2つ書くの?
という質問をよく内輪でいただきます。私もよく分からないのですが、考えてみました。
A.もともと私は小学生の時から欠かさず日記をつけているのですが、その日記は「日々の出来事を書き留めておく」ものと「思い付いたことを書く」ものがあったのです。それは私は「日記帳」と「ぶつぶつノート」と名付けていたのですが、それが「ぶつぶつ」&「はらぐろ」の原型だと思われます。すごくキレイに言うならば、「ぶつぶつ日誌」はDIARY、「はらぐろ日誌」はESSEYとでもいいましょうか・・・。
本を読んだり、人と話していたり、考え事をしていると、思わぬ方向へ考えが及んだりする事が、誰しもあると思います。それを書き留めて、後から眺めるとかなり面白いもので、大半を忘れているのです。
手書きのぶつぶつノートを見ると、ノートの罫線を無視したレイアウトで、時にはフォント40くらいで、時にはフォント6くらいでハチャメチャな事が書かれています。殆どが斜め書きの走り書き。
本来なら、ライブでそれを「はらぐろ」でもお見せしたいくらいなのですが、やはりパソコンに向かうと多少のカッコつけが入ってしまうのですね。。
だから、ぶつぶつとはらぐろの境界がイマイチはっきりしないのかな、とも思います。個人的には「ぶつぶつ」は現象の日記。「はらぐろ」は心象の日記だと思っています。
それが答えだ
2002年04月15日(月)
・・・ってウルフルズ?!今日、友人と話していてそのフレーズがエンヤコラとめぐってしまいました。
たまたま私の周りは未婚のお友達がほとんどで、結婚してからというもの「結婚生活はラブラブ?」「だんな様と出会った時、"鐘"は鳴った?」(鳴りません!きっぱり!)というようなアゴがビローンと外れるような質問が多々浴びせられて閉口したものです。
私が照れ屋なのと邪悪キャラなため、素直になれないせいもあるけれど、「幸せだよ〜ん。」とは口が裂けても言えず、かと言って否定する材料もなく、もごもごと不機嫌に口籠るしかなかったのです。彼女たちがどういう答えを期待しているのか、していないのかさえも分からないけど、結婚する事によって劇的な変化があるかどうかという好奇心がきっとあるのだと思う。結婚前から同棲していたせいか、正直なところ「名字が変わって慣れないわー。」くらいしか感想がなかった私。引っ越しも、新生活グッズも何もなくはじまった結婚ライフには、そんな小ネタもあるはずもなく、聞かれるたびに友人達の抱く「新婚ライフ」像に対して「なんか違う...」と不機嫌になってしまうのは何故か?!私なりに、彼女たちに自然に答え得るその答えが、やっと出たのです!
結婚とは「井戸掘り」のよーなものと以前書いたのですが、"鐘"も"ベル"も"閃き"も"ビビビ"も何もなく、どうして「井戸掘りを引き受ける」=「結婚する事になる」という状況になったのか???
結論からいうと、きっと隊長じゃなくても幸福で愛に溢れた結婚というものを手に入れる事は可能だったと思うのです。ある程度、私も人生観や恋愛観というものが成熟していたし、隊長もそうだったでしょう。そういう二人が恋愛をすると、無理なく「生活」というベースを共にしたくなります。一緒に生活してみて、居心地が良ければ「結婚」かな・・・とぼーっと見えて来る訳で。それはゆっくりとした歩みでだんだんと家族を巻き込みながら、あれこれ周りの事を整理しながら、決まりました。
だから「決定的瞬間」に欠けたのかもしれません。
それまでに2回「結婚かな」と家族も含めて思う人とのお付き合いもあったけれど、今思えば、そういう風に「決定的瞬間」がなかったのは同じ事で、今の私で、今の別れた彼ならば、きっと納得してお互いに共存していく事はできたと思うのです。そして当然その先には結婚という道が続いていたはず。
その準備が私にできていても、相手にできていなければ、それは縁として結ばれないし、その逆もまた然り。
だから、たまたま隊長と恋愛した時、私も隊長もその準備ができていた、という偶然の一致でしかないのです。きっと、隊長じゃなくて他の準備の整った人と出会っていれば、きっとその人と結婚していたはず。そんなもんなんじゃないかと。
きっとそんな偶然に「運命」とか「縁」とかっていう呼び名がついて回るなら、大歓迎。ひねくれ者の私にも受け入れる事ができそうです。ただ、この人しか私にはいなかった・・・そうは思わない。死ぬ時に自分だけが分かる事、それを急いで、今分からなくてもいいんじゃないかな、なんて思うのです。
クロの愛情
2002年04月14日(日)
ねこえに、いつもくっついてる彼氏ねこ「クロ」。全身真っ黒で、スマートな猫ちゃんだ。怖そうな見かけの割には、気が弱くて、ねこえがごはんを食べてる時にちょっかいを出して、後ろ足で容赦なく蹴られたりしている。発情期が終わっても、ねこえの妊娠中もしょっちゅう、うちにねこえを迎えに来ては、いないと淋しそうにしていたものだ。
ねこえのお産の時も、前日からねこえの周りで落ち着かない様子でうろうろしていた。猫の本では「出産に関して、オスが参加するのは交尾のみ。オスはメスの出産の時の匂いで発情してしまい、子猫を殺してしまう事がよくある。」と書いてあったので、クロの姿が見えると、その都度追っ払っていた。
だけど、やっぱり心配で心配で、ねこえの事を見に来ていたのかもしれない・・・ここ数日でそう思うようになった。
昨日の朝、夕方、今朝と3連続で庭を見るとクロが庭にこそっと隠れている。いつものねこえのごはんの時間だ。「ごはんを狙ってるのかな?」と思ったけれど、私がえさを用意しているのを見ると、どこかへ走ってゆく。そしてその直後にねこえがやって来るのだ。でも・・・まさか猫がそんな事、するはずないよねえ?って笑っていたのだけど。
今朝、いつもの時間より寝坊した私が雨戸を開けると、やっぱりクロがじいっとこっちを見ていた。鶏のささみを猫皿に盛りながら「クロ、ねこえ呼んで来て〜。」と声をかけると、しゅっとどこかへ走っていった。そして1分ほどで、ねこえが姿を現した。・・・ここまで来たら、偶然じゃないような気がして。。
ねこえがごはんを食べている間は、こねこえの周りを見張っていたりして・・・。そんな事まで想像してしまう。
今日の夕方からは、クロの分もごはんを用意してあげようと思う私でした。
M先生
2002年04月13日(土)
きのうの日記を書いてから、恩師であるM先生の消息が気になって、ネットで代ゼミのHPなどを調べてみた。すると、元々、本職とされている教育学の某大学教授として、まだ元気に在籍されている様子・・・。本当に良かった!!すごく細くて、いつも睡眠薬がないと眠れない・・・とおっしゃっていた先生の面影。ほとんど変わっていませんでした。とっても懐かしくって、今日は1日、先生の事ばかりを思い出したり、また何百回と読み返した先生のお手紙をまた出したりして、思い出に耽ってしまったのでした。
19歳の頃、ある日突然声が出なくなりました。精神的なものだったようですが、周りには「喉の病気だ」という事にして部活などを休部したり、授業にも出ないで、(もう夏休みに入るところだったのですが)一度実家に引き上げて静養していた事がありました。私は勉強も恋愛も部活も何もかもに頑張り過ぎていて、自分で自分をどんどん追い込んでいたのです。そんな状態のところに、突然声を失ってパニックになりました。毎日毎日、嘔吐を繰り返す生活。苦しくて苦しくて、やっぱり生きていても良い事なんかないんだ・・・と、当時の精神状態ではそうとしか思えずに本気で死の淵を覗き込んでいました。1人暮らしの部屋で、遺書を書いていたのも覚えています。。書き終えてから、友人でも両親でもなく、何故かM先生に会いたい・・・切実にそう思いました。M先生の顔をもう1度見ないと、自分は死んではならない・・・ぐるぐるそれだけが自分の中でハッキリした思念としてありました。
新幹線に飛び乗って、真直ぐに東京の代ゼミに向かった私はM先生の授業の日程を調べ、すぐに申し込んだのです。当時、千葉に実家があった私は、そのM先生の講義が始まるまで、抜け殻のような状態で過ごしました。両親には声が出ないのは「夏カゼ」だと嘘をついて。渡された先生の教科書を毎日毎日眺めて暮らしました。
とうとう、講義当日。こっそりたくさんの予備校生達に紛れて、後ろの方の席に座りました、心臓のドキドキが止まりません。先生の姿を見たとたん、そのドキドキは更に倍くらいに早くなってしまって、苦しいくらい・・・。顔を上げている事さえできなくて、俯いたまま教科書を見るふりをしていました。先生はいつもの調子でお話をはじめられました。5分ほど、経った時、奇跡が起きたのです。
「2年前、札幌校である生徒に僕は出会いました。」
先生は、信じられない事に、私の高校生の時の話をその講義で取り上げたのです・・・。俯いたまま、涙が止まりません。どうしよう、どうしよう・・・90分の授業中、私のエピソードが終わっても、ずっとずっと泣いていました。
声を失っていた私は、手紙(先生へのお礼の手紙、大学で楽しくやっている、というちょっと嘘をついた手紙を用意していました・・・。)を渡すために、2年前の自分と同じように講師室へ向かいました。
先生は、私の顔を見て、心底驚愕されました。札幌の高校から京都の大学に進学したハズの私が東京にいるのだから、驚かれて当然・・・。先生は、江戸っ子口調で「バカやろう。来てるんだったら、来てるって言えよう!!あー!!恥ずかしい!!授業であんな事話しちゃったじゃないかよう!」と照れて照れて照れまくりながら、おっしゃいました。・・・あんなに愛のある「バカやろう」は先生しか言えないだろうなあ、今でも思うほどです。
「先生!」・・・不思議です。もう2週間くらい声が出なかった私の声が蘇りました。
私の嘘の手紙の事、何もかも、先生にはお見通し。でも、1週間、先生の授業を受けていたら、いつしか私は死ぬ事なんか忘れていました。もっともっと生きて、先生の話を聞いていたい。そう思いました。
だから、今の私があります。先生にも、もうずいぶんお会いしていません・・・。でも、きっと先生は「便りがないのは、元気な証拠」と分かっていらっしゃる事でしょう・・・。
結婚した事、ビックリされるかしら???また先生に「バカやろう。」って言われたい、そんな風に思います。
恩師の手紙
2002年04月12日(金)
10代の頃。多くの若者がそうであるのと同じように人生に倦んでいた時期があった。心底生きているのが面倒で仕方なかったし、1日1日はとても信じられないくらいに長く感じられた。ちょうど、そういうニヒリズムっぽい事に憧れる時期だったのかもしれない。そういう行き詰まっていた時期に、ある人に出会った。それはM先生という札幌に年2回だけ講師として、代ゼミで現代文の授業をしてくださる先生だった。現役生の私が、どうして得意科目だったその授業を受けていたのか今となっては思い出せない。でも、私にとっては、先生のヒューマニズムに触れ、生きるという事や死という事、そういう人間としての在り方を投げかけてくれたオトナだった。受験の事も、勉強の事も、本当にちっちゃい事だと思わせた。
「蕩児の帰郷」という聖書のエピソードを題材にした授業を受けた時、その放蕩息子が自分に重なり、ものすごい衝撃を受けた。そして、その時の気持ちの揺れとか自分の抱えている問題を、先生に打ち明ける手紙を書いたのだった。
それを宿泊先のホテルで読んでくださった先生は、あなたの手紙に息を呑み、気がついたらペンを握りしめ返事を書いていた・・・と笑いながら分厚いお手紙を渡してくださった。その手紙の内容は、私の問題を受容し、一緒に苦しみ、でも確実に良い方向へと導き、示唆してくださるものだった。理系を志していた私だったが、この気づきの芽生えを、私はきちんと深めて、向き合わないとダメになる気がした。「哲学」という学問がある事も、先生に教えていただいた。
先日実家に帰った時に、その恩師の手紙を持ち帰った。久しぶりに読み返して、今の自分がある事を、今まで通ってきた道すべて彼の影響であった事をつくづく思い、また先生に会いたいと切実に思った。
先生は、実は私を2度救ってくださった命の恩人でもある。まだお元気だろうか。出会ってから10年・・・。今なら、笑って胸を張って先生にお目にかかれる人間になれたと思う。
喪服を脱ぐ
2002年04月11日(木)
ふと、何も考えずにテレビをつけたらNHKで、YOSHIKIが出てた。フジのワイドショーかな?とはじめ思って消そうとしたら、思わず話に引き込まれてしまった。
その番組は、何か挫折なり苦境を経験した芸能人や文化人のインタビューが主な内容なのだけど、そんな事はどうでもよくて、YOSHIKIの話が痛々しくて「もう、いいよ。もう充分だよ。」っていうキモチになってしまって・・・。私はXのファンでもないし、YOSHIKIのファンでもないけれど、ついそんなキモチになった。
よく青山に出かけると、亡くなったHIDEと同じ恰好をして、歩いている女の子を見るけれど(表参道にHIDEのショップがあります)、いつもそれを見る度に喪服を連想してしまう。YOSHIKIも「母親のような存在であり、弟のような存在」というHIDEの死というものが、乗り越えるのに、時間が助けにならなかったと切々と語っていたのが印象的で、悲しい話だった。
最後まで番組を見ていたら、今YOSHIKIは喪服を脱ごうとしているのだな、という事だけが分かって、いたたまれない気持ちが多少救われた感じ。Xの解散、親友の死、そういう失うものから産まれるマイナスのエネルギーはすごい。飲み込まれたら抜けだせない。そのエネルギーが産み出した音楽は、まだ未発表だという。いつか、それを聴いてみたい。
もしかして??
2002年04月10日(水)
ういー。明るいうちから、私、お酒飲んじゃってます。。。(泣)
実は、そんな大袈裟に騒ぐほどのコトじゃないのかもしれないんですけど、ねこえが行方不明で・・・。ま、いや、今日は1日姿を見てないっていうだけなんだけど・・・。うわーん。
実は、ナイショにしてたんですけど、ねこえ、臨月なのです。猫は交尾から2ヵ月で子供を産むんですけど、私が彼氏猫との交尾を目撃(屋根の上)してから考えると、もう産まれてもおかしくない時期なのです。。もう、すごーくお腹も大きくって横になる時もお腹を上に向けて眠っていたりして・・・。
去年、ねこえに一目惚れして、餌付け作戦を開始した頃は、ほんの子猫だったのに、最近は本当に色っぽくなって、ああお母さんになるからかなあ・・・なんて思っていたの。人気のない静かなところで子供を産むらしいので、どこかそこに籠ってねこえは頑張っているのかなあ・・・。ごはん、ちゃんと食べてるかなあ・・・。そんな事をぐるぐる考えていたら不安で不安で。。
ねこえは、のら道(?)を貫き通す主義の猫で、決して夜は家にいようとしないし、撫でさせてくれるまでにも1年かかりました。だから、余計に愛おしいのかもしれない。「ペットというより、一緒に生きてる」っていうキャットフードのCFがあったけれど、本当にそれを実感してしまうのです。
もしかして、もしかして、ねこえは「こねこえ」を産むために頑張っているかもしれません。無事、ねこえ(もしかすると、こねこえも??)の姿を確認したら、また必ず、日記に書きます。
アルミが悪者に?!
2002年04月09日(火)
実家の母に聞いた話なので、かなりマユツバな話だけれども、「酸性雨に含まれているアルミニウムが脳の細胞に何らかの悪影響を与えて、物忘れがひどくなったりする」という。鉄分が不足すると、脳が間違えて鉄ではないアルミを脳に?取り入れてしまうという仕組み・・・との事。(ほんとか?また聞きなので怪しい。)どうも「あるある大辞典」の「しじみ特集」からの情報らしいんだけど、ママりんは見事に家中のアルミ鍋を全て不燃ゴミの袋に詰めて捨てる準備バンタン!かわいそうなアルミ鍋たち・・・。
「最近、もの忘れがひどいと思ってたのよねえ。」なんてたわけた事を今さら言うので「きっと、関係ないよー。鍋で溶けるくらいの分量なら大丈夫だよー。」とかちょこっと反論してみたけど、ママの決意は固い。
・・・きっと、こうやって悪者にされて長年の功も報われず捨てられるアルミ達が日本中に溢れるのではないかしらん???
テレビの影響ってすごいなあ。。。でもアルミかわいそう〜。うちは捨てないよー。
ごま納豆
2002年04月08日(月)
現代となっては迷信に近いものがあると思うのですが、「関西人は納豆を食べない」というのがありますね。。。うちの父母の世代くらいまでは、確かに「子供の頃は高価だったり、売ってなかったりした」という事なので、「食わず嫌い」も多かったみたいですが、もともと「納豆は嫌い」という人口自体が「ピーマンは嫌い」「にんじんが嫌い」というのと同じくらいの比率で多いような気がします。
・・・と前置きが長くなりましたが、関西歴、約15年のワタクシ、かなりな納豆好きです。それでも1週間に2、3回食べるくらいかな〜?なんて言ってたのが、4月に入ってからというもの、朝・晩1日2回という頻度の高さ!!だ、誰か止めて〜!
これは、ひとえに近所のお店で「月間セール」と称して「ごま納豆」というのをフューチャーしてるからなんですね。「んん?ごま??」と興味をそそられて買ってみたら、ごまだれとごま辛子が入っていて、すんごく美味しい!!長葱だけじゃなくて、玉葱のスライスを入れてみたり、しゃぶしゃぶのごまだれを入れてみたり、あれこれアレンジ?を楽しみつつ、日々納豆を食しております・・・。
納豆といえば、その味付け方法がよく論議を醸されますよね〜。私は特にこだわりなく、何でもオッケーなんですが。うちの実家ではうずらの卵が、必ず納豆にはセット。薬味はこねぎのみ。隊長家は、薬味は長葱or玉葱で、チーズのみじん切りとかつおぶしを入れて、納豆用醤油にて味付け、とかなり風変わりです。
チーズは「げげっ?」と私は思ったのですが、食べてみると意外とフツウ。お醤油少なめで、チーズの塩分で納豆をいただく感じです。。。(ごま納豆とかキムチ納豆などのフレーバー納豆にあわせると、クドくなるので注意ですが。)
ああ、日記を書きながら、またごま納豆が食べたくなって来たぁ〜。
哀愁のアイーン
2002年04月07日(日)
たまたまお昼の番組「うち来る?」の最後の方だけ見たのですが、「鉄道員(ぽっぽ屋)」の志村けんの出てるシーンが流れていて、再びじん、としました。映画館でもテレビでも見たけれど、すごく良かった・・・。最近、岸谷五郎バージョンの「鉄道員」も見たけれど、やはりこの志村さんの役は映画オリジナルなので、何か物足りない気がしちゃったのでした。
志村さんの俳優としての映像は、このシーンしか知らないけれど、子供の時から何故かドリフが好きで、志村けんが好きだったその吸引力が、そのシーンにはつまっている気がしたのでした。
最後に高倉健が志村さんの事を「哀愁漂う人」と評していたけれど、本当はそういう人なんだと思う。いつもドタバタしてるようなコメディアンが多い中で、少しニヒルな感じが漂う芸人さん。だから、好きなのかも。
ヒゲダンスとか、バカ殿とか、変なおじさんとか、アイーンとかすぐに真似できちゃう。(実際、真似してたし)そういうムーブメントを起こす笑いって、すごい事なんですよね。
また、映画に出てほしいなあ〜。
プラネタリウムと村松さん
2002年04月06日(土)
2001年3月11日、「五島プラネタリウム」は40年の歴史に幕を閉じました。子供の時、大阪の図書館で土曜日にプラネタリウムを毎週見ていた私は、実は星好き。隊長と付き合い始めてまず「プラネタリウムに行きたい」と頼みました。そして知った渋谷の「五島プラネタリウム」。入場して席についた途端、「あっ。ここは江國香織さんの『なつのひかり』に出て来たプラネタリウムだ!」と感動したものです。きっと江國さんもお父様に連れて来てもらっていたのかもしれません。
そして閉館までのたった1年ですが、通いつめました。解説員の村松修さんの星のお話が特に好きで、村松さんの回を調べて行ったりもしたものです。五島が閉館してから、いかに村松さんが博識で、お話上手だったか、他のプラネタリウムに行く度に思い知ります。棒読みの機械的な解説や、ただテープを流すだけのところ・・・最近は悲しくなって「ここにプラネタリウムがあるよ。行こう!」と隊長に誘われても、あまり気乗りしない現状です。
村松さんは、現在も、星の講演会などを開かれているようです。いつか、また絶対に村松さんの星のストーリーを聞いてみたい。この夢が、どうか実現しますように・・・。
結婚指輪
2002年04月05日(金)
たまたま今日、友達と話していて、「結婚指輪とは、付けっぱなしにするか否か?」という議題に・・・。
あんまり考えた事がなかったのですが、私個人の場合は、出かける時に付けて、帰って来たら布で磨いて専用の指輪入れに仕舞います。お友達はそれを聞いてビックリしたみたいで「えー!結婚指輪って、ずっと寝る時も付けてるもんだよー!」と言ってました。
確かに、うちのママが付けっぱなし派で、弟を出産する時に外さなければいけないのに(帝王切開の手術があったからかな?)抜けなくって、石鹸水で看護婦さんが一生懸命抜こうとしていたのを思い出します。
私の場合はピアスとか時計とか、他のアクセサリー類も、家にいる時はつけない習慣で、自然と結婚指輪も外すようになった気がします。あと、指輪を入れたり抜いたりしていると、指が細くなるので、結構こまめに指輪を付けては抜いて指ダイエット。(ちなみに結婚前は右の薬指の方が細かったのですが、今は逆になっています。6号で買った結婚指輪、今は結構ゆるゆる・・・。逆に右手薬指は今や7号でも関節で力を入れないと入らない・・・。)
あと、きっと指輪によっても付けっぱなしにできる指輪とそうでない指輪があるのかも。華奢なものだと、きっとそんなに邪魔にならないだろうし。私は結構、結婚前からごつい指輪(アトラスリングとかラブリングとか・・・)をしてたせいか、結婚指輪も、多少ごつめです。重ねづけする時、新しく買う指輪が細くて(安くて)済むし・・・という打算もアリ。まあ、銀座の「天賞堂」で結婚指輪を買う!というのが隊長の夢だったので(普通はヨメにそうゆう夢があるもんだけど・・・、私はそーいうのなかった。)、それを叶えてあげようとすると、天賞堂オリジナルの指輪の種類が限られていた・・・という現実もあるのですが。
ちなみに、隊長の結婚指輪には"pure"と後からこっそり天賞堂さんにお願いして入れてもらいました。隊長の、小器用になれない生一本でバカな性格が好きなので、変わって欲しくない。そう願って入れてもらった言葉です。お互いの名前以外には結婚した年月日とかは何も入っていません。結婚した日付けよりも、何かふたりで過ごしていて気づく「何か」がある日付けをいっぱい作っていこう・・・そんな願いから。
あと2週間ほどで結婚して1年。結婚する前より、今の方が隊長の事が好き。相手もそう思ってくれていると良いのですが・・・。
魚グリルデビュー
2002年04月04日(木)
恥ずかしながら、コンロについてる魚グリルを生まれてこのかた使った事がなかった私・・・。
お魚のアレルギーなので、できるだけ食べるのを避けてきたため、こういう事態になった訳です。が!今週から、そうも言ってられない事に・・・。実は確定申告時期のストレスか、隊長が胃腸のもたれを訴えていて「揚げ物禁止令」ならびに「夕食お肉禁止令」が発令(懇願)されてしまったのです・・・。
まずは切り身から・・・とスズキの白醤油漬けというのを買ってきて、魚グリルにてじゅうじゅう・・・。「なんで火は上にあるのに、下に置いた魚が焼けるんだろう・・・?」不思議でたまらず、じっと観察する事15分・・・。イイ具合に焼きめがついてきて、ひっくり返すと、「!」。網に身がくっついて、少し剥がれてしまったのでした!「あうう・・・」ちょっとカタチは崩れたけど(切り身なのに)、普通に食べる事が(隊長がね。。)できたので、まあ合格ラインすれすれ。。。そしてグリルを洗う時に気づいた事・・・。「ここに水をはってご使用ください」と鉄板に書いてありました。し、知らなかった〜!
あくる日、少しバージョンアップして、対面式の魚屋さんで「さんまの開き」を購入。「これは、このままグリルで焼いていいんですか?」と、何も手を加えなくていい事を確認したのでした・・・。(魚屋さんは、ちょっとびっくりした顔をしていた・・・)
鉄板に水を張って、切り身以外に生まれて初めて魚を触る感触・・・。なんかムチムチしてる・・・目が血走ってる・・・。あ〜、あんまり見ちゃイカン!!と1人で身悶えつつ、グリルの中へ。丸焼き(?)デビュー(開きだっつーの)を祝して、隊長&ねこえに1尾ずつ。またもグリルの前に貼り付いて観察。今回はくっつく事もなく無事に焼けました。
さあ、次の魚は何を焼こうか・・・。
ねこえと密会?
2002年04月03日(水)
うちの周りは住宅街なので、夜はしん、としている。今日みたいに夜も11時過ぎると皆さん寝静まっていらっしゃるので、結構道も暗い。ちょうど「この角を曲がるとうち」という細い道が街灯もなく、うっそうと木が茂ったお屋敷の前の通りで、怖さ倍増!いつも怖いので、ここを通る時はわざと鍵をチャリチャリいわせながら通る。
たった数十メートルの道をどきどきしながら歩くと、目の前で突然ガサガサッ!と動くものが・・・。不思議と、何も見えないのに「あ、ねこえだ・・・」と分かったから不思議。「ねこえ?」そうっと小さい声で呼びかけると向こうも安心したのか、しゃがれた声で「にゃあ」と返してくれた。
慌てて家に帰ってから、裏の雨戸を開けてやると、ちゃんと前足をそろえて「お帰りなさい」といわんばかりのお出迎え。猫は夜行性だというけれど、実際ねこえがどこに行っているかは謎だ。「家猫になってほしい」というのが本音だけれど、本人(本猫)は断固として家に閉じ込められるのを好まない。半のらが一番快適だといわんばかりに朝から夕方まで家にいるが、夜になると、すぅっと姿を消してしまう。
いつもは開けない夜中の雨戸。ねこえも目を金色にぴかぴか光らせながら興奮している様子。こっそりミルクをついであげて、ちょっといつもより上等な「かにかま」と「きりいか」をあげると、そうっと近付いてきて、ひとしきり私に甘えてから、ごはんに取りかかった。
まるで夜中に甘いものを食べるように、ちょっとした後ろめたさを感じながらも「隊長にはナイショだよ・・・」とこっそりねこえが満足そうに御馳走をたいらげるのを見ていたら、すごく幸せな気持ちになってしまう。
こんなふうにペットであれ、人であれ、何かに依存するのがずっと怖かった。でも、今は依存を楽しんでいる。私も少し、まるくなったのかもしれない。
言わなくていい事
2002年04月02日(火)
よく私、日常で「毒舌」だと言われます。本人は全然そんなつもりなくて、「しまった!言ってはいかん事だったのか!」と後悔する事もしばしば・・・。B型のせいかもしれないんだけど、思った事を直接ぼーん!って相手にぶつけてしまうタイプ。思った事をすぐ口に出したくなるんですね。
で、一応何とかかんとか人生27年やって来たわけですが、最近「やっぱり言わない方がいい事ってあるなあ。」とつくづく思うのです。それがまだ分からなかった頃、2度、親しい大切な人間関係(1人は女友達、1人は彼氏)を決裂させてしまった事があります。(今は修復してます)お互いに、言いたかった事をぶちまけて、互いに譲らなくて、それは目も当てられないような言葉の暴力の応酬。「それを言ったらおしまいでしょ。」という事で、もう一生縁は戻るまい・・・と半ば諦めてもいたんですが。しばらく時間が経つと、またうまく距離をとりつつ付き合えたりするものなのです。
それは何故か。ずっと自分でも考え続けていた事でした。
ある心理療法士が言っていたエピソード。
「たとえば、患者さんが『何か喉につまっている感じがする』と言うと、現代の心理療法では徹底的に『それは何か言いたくない事があるから、そういう圧迫があるのか』とか『物理的になにか病変はないか』とか徹底的に分析するんです。そこで挙句、患者さんが『実は父親を殺したいと思う』と思いきって言ってしまったとすると、それを口に出してしまった事で余計に患者さん自身が傷つく事もあるのです。」
きっと、私たちのかつての言葉の暴力の応酬は、触れてはいけない領域で互いを傷つけた事で、自分自身にもっと深手を追わせていたのだと思う。だから、自分の傷が癒されると、また相手の事が愛おしく思えたり、頼りに思ったりできる、またそれは言葉よりも、もっと深くて優しい部分が呼応しあうようになるのではないかと・・・。相手を論破しても、ケンカに勝っても、きっと勝ってしまった方が深手を追っている。そう思うと、相手がさらに愛おしく思えるから人間って不思議。
でも、もうあんな思いはしたくないから「言わなくていい事」は言わせちゃいけないし、言ってはいけない、墓まで持っていこう。最近、心から思うのです。
フレッシュ!
2002年04月01日(月)
今日、入学式or入社式を迎えられた方々おめでとうございます〜!(入園式も1日なのかしら?お子様のご入園おめでとうございます〜!)新しい門出に幸多かれ!!
入社式って、今どんな恰好が流行ってるんでしょうね?制服(女子)で行う会社もあると聞きましたが、確か私は、5年前のこの日のためにネイビーのパンツスーツを買ったような気がします。なんか、確かちょうどパンツスーツが流行るハシリの頃だったので。。大阪から出てきたばかりだったので、まだ化粧も濃く、かなり大阪のねーちゃん色が出てたあの頃。。。服装、メイクとも、私なりに社会人になるから!!という気合いだったんですね〜。
しかし今思えば爆笑ですが、当時のシャチョーさんがかなりプリティな方で、新入社員よりも見るからにアガっている様子。人事の進行役が「起立・礼・着席」と号令をかけたのに、シャチョー1人だけ立ってたりして。(笑)
ひとりひとりに辞令?を渡す儀式の時も、緊張して震えてるし、「竹村×男」(仮名)を「竹村×子」と言い間違えたりして、笑いをこらえるのが一苦労。なかなか思い出深い入社式でした・・・。今や、そのシャチョーさん、親会社の副社長さんになりました。人徳の賜物なのですよ。。ふふふ。。
未だに謎なのは、入社研修で、ごはんメニューがギャル研修(短大卒とかの若い女子たちの研修)とおっさん研修(大卒の男女の研修)のごはんのメニューが違った事と、「小さく前にならえ」を何回もやり直しさせられた事かな・・・。ちなみにギャル研修では「いくら丼」が出たりして、みんなごはんが美味しくて太ったらしい。。。いいなあ。。。









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