ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




かさかさorべとべと?
2002年02月28日(木)
どうも雨のせいか、いきなり耳の調子が悪くなった。私は慢性中耳炎なので、いったん悪化すると、またなかなか元に戻らない。ふだんはカサカサした乾燥した耳の中が一転、膿でべとべとになってしまうのだから何だか気になって気になって・・・。ついつい触って悪化させてしまう。ステロイドの軟膏を塗って、こまめに消毒するのを怠ると、あっという間にまた耳が痛み始める事になってしまう。
ちなみにネコミミ・アメミミなどという「湿性耳あか」と、かさかさしている「乾性耳あか」と分かれているそうで、日本人の約75パーセントは「かさかさ」タイプなんだそうだ。
とすると、耳の病気でなくても、常に耳がべとべとしてる人が日本人の25パーセントもいる訳で・・・。欧米人にいたってはべとべとタイプが大半だという事は、このかゆかゆ、うずうずが年中つきまとうという事・・・。この差ってなんなのかしらん???でも耳掃除の好きな私としてはべとべとの時の方がいっぱい耳あかが取れる達成感が味わえて嬉しい。かさかさの時はぺりぺりと剥がしながら、耳あかを取るので、ついつい皮?まで剥いてしまって外耳炎になったりするし・・・。
こんな風に耳ばかりいじってる人に、耳の病気は多いそうです。耳掃除もほどほどにしましょうね・・・。
グルメ猫
2002年02月27日(水)
毎年この時期になると、実家に愛媛の親戚から伊予灘の「いりこ」が段ボールにひと箱届く。実家でも出汁をとったり、ごまめにしたりしているが、なかなか段ボールひと箱というのは大変な量なのだ。
そこで、いくつかをねこえに与えてみたところ、かなりの好感触。一生懸命食べている。満足したと見えて、さっさとどこかへ遊びに行ったしまったねこえを見送り、エサ皿を下げようとしてびっくり!頭と黒いものをきれいに残して食べているのだ。(この時点で私は黒いもの=はらわたと知らなかった。。。)
こんなに器用にどうやって頭とはらわたを選り分けているのか知りたくて、次は観察してみる事にした。
「にゃー(いりこくれー)」とおなかを空かせてすり寄って来るねこえにポイ、と数匹(?)いりこを与えてみると、
1.左前足でいりこの胴体を押さえ
2.頭部分を食いちぎってお皿に捨てる
3.胴体を舐めてやわらかくして食べる
4.はらわたを吐き出す
という手順をふんで1匹ずつ食べている。すごく面倒だろうに、やはり「おいしくないものは食べないわよ」というプライドなのだろうか???かにかまも赤く着色してあるところは絶対に食べないし・・・。
目覚まし時計
2002年02月26日(火)
朝の目覚め方は、十人十色。実家の両親はデジタル目覚まし時計派(ピピピピ、ピピピピ・・・)で、弟はベルの目覚まし時計派(ジリジリジリジリ・・・)。私は目覚まし時計は嫌いで、携帯のバイブ音をセットする派。隊長は目覚ましなしで目覚める派。(すごい!)
携帯もなく、一人暮らしだった時期もあった私がどうやって起きていたか、ふと我ながら疑問に思って記憶を辿ってみた。
いつの間にか消えてしまったけれど、私は確か小学校3年生くらいの時に買ってもらった、スヌ−ピーの目覚まし時計を持っていた。大きなベル式のものだ。一人暮らしの頃にはあれで目覚めていたのだろうか・・・。(覚えてない)大体、あの時計はいつどこの時点から消えてしまったのか、謎だ。こういう時、ものを捨てまくるクセのある自分が、ものと一緒に記憶まで捨て去ってしまっていう事実と、その記憶は戻らない事を実感してしまう。
思い出の品、とか秘蔵のお宝、とかを持っている人に憧れない事もないが、「大丈夫、ものを捨てても記憶は残るのよ。」と嘯きながら私はこれから先も生きていくのだろう。それでも悲しいかな、年とともにどんどん記憶までも忘却の彼方へ消えてゆくのだ。。。
現在の毎朝のぶるぶる・・・(携帯バイブ)もいつか、もっとハイテクな目覚め方に進化して、忘れ去られるのかもしれない。
亜寒帯気候・・・
2002年02月25日(月)
札幌から来たお友達と夜まったり〜ネット見ながら中国茶。お茶・お菓子関連の本を読みつつ、「レピシエって札幌のどこにあるんだろう?」という話に。
早速レピシエのHPを開いて、ショップガイドを見てみると「・・・。」「見たいエリアを選んでください」のエリア枠が北海道にはない・・・!色なしのグレーの北海道がぽつん・・・。(お店があるエリアにはカラフルに色がついているの。。。)
二人の脳裏によぎったもの、それは地理の時間に習った「気候区分」・・・。北海道って「温帯」じゃなくって「亜寒帯」。青森と北海道の間には、そんな気候の境が存在する事がコドモ心にはショッキングだったのだ。それを教科書で習った時は自分はとんでもない所に来てしまったのではないか?と思ったりしたものだ。「寒帯」とか「冷帯」ってツンドラとかなんだよ〜???「亜寒帯」ってそれに限り無く近い響きがあるんだが。。。
やはり気候区分の色分布も温帯はあったかオレンジなのに対し、いきなり北海道は寒々しい青だったりした。
気候区分は変えられないけれど、レピシエは北海道上陸して欲しいわー!!だって、北海道って通販とかでも送料割高だったりするし、寒い気候だからこそ、お茶で暖まりたいってもんよ〜。頼むよ!レピシエさん!!ついでに「るーぴー」もね!!
言った言わない
2002年02月24日(日)
先週に引き続き、義母のお習字ネタ。先週は「素人」とあってビックリさせられたが、今週もすごかった。半紙いっぱいに
「言った言わない」
その隣の別のご老人の作品は「昼寝」。どうやら、テーマ(お題目)は好きな言葉らしい。。。
「忍耐」とか「努力」なんていう、昭和ヒト桁やそれ以前の生まれの方らしいお題目が並ぶ中、異彩を放つ2作品・・・。ちなみに義母も昭和ヒト桁生まれだけど、なかなかイケてるでしょう???
きっと今週の国会討論をテレビで見てたんだと思うんだよなあ。なかなかトレンドを意識した、ふか〜いものを感じます。。。
金縛り
2002年02月23日(土)
一昨日の夜中。人生2度目の金縛りにあった。1度目は中学生の時で遥か昔の事で、その時も別にお化けとかそういうのは何もなくて、体が動かなくて、声がかすれて、「あうあう」となっていただけだった。その時は金縛りよりも、小学校1年生のガキンチョだった弟が寝ぼけて、私の隣でぐうぐう寝ている事の方が「!」だった。(弟は小学校6年生くらいまで夢遊病のケがあったので。。。)
ちょっと前、朝のテレビでホラー映画の宣伝で黒木瞳さんがトーク番組に出演していた。黒木さんは、よく金縛りにあうそうで、サンスクリット語か何かの呪文を唱えてその金縛りを解くのだと大マジメな様子。他の出演者も、笑って本気にしていなかったのと同様、視聴者の私も「ふふん」とハナで笑っていたのだった。。。まさか、自分がその呪文を覚えておけば良かったぁ!と悔やむ事になろうとは!
どんな状況だったかというと、夜中、寝返りを打った瞬間、いきなり体がピキーン!ってこわばってしまったのだ。隊長を起こそうと思って声を出そうとすると、声が出ずに、息がうるさく漏れるだけ。またも「あうあう」状態。もし万が一お化けっぽいものとかが見えちゃうと嫌なので、ひたすら瞼を閉じて、固まっていたら、寝てしまっていた。朝起きると、体の節々に力が入っていたせいか、筋肉痛・・・。
しょっちゅう金縛りにあう、という体質の人もいるそうなので、もしあってしまった時の対処法ならびに呪文を知っている人がいたら教えてほしいデス。
猫の日と窓拭き女
2002年02月22日(金)
相変わらず体調がすぐれないのですが、(昨晩は10年ぶりに金縛りにあったし・・・。)今日は実家からママが、おばあちゃんから送られて来たデコポンやりんごを持ってきてくれたので、家でゆっくり過ごしました。(でも夜は飲み会・・・。)
「今日って『ニャン・ニャン・ニャン(222)』で猫の日なんだって〜。ねこえちゃんは?」と娘よりもねこえに興味がある様子。ねこえは人見知りしつつも「ねこえちゅわ〜ん」というママの猫撫で声に「にゃーん」なんて迷惑そうに答えている。大体猫の日だろうが、なんだろうが、猫は知ったこっちゃないよねえ?
ふとママのお土産袋を見ると、何やらビニールに入った帚の柄のようなものが突き出ている。なんだろう、と思って引っこ抜いてみると「窓ふきブラシ」!正式名称は知らないけど、よくガラス張りの建物でクレーンで吊るされた清掃の人がキュキュキュ・・・とスポンジとゴムべらが両刃?になったブラシで磨いてるやつ。あれで、窓がツルピカになるのに憧れて「家にあったら貸して〜」と大分前に私が頼んだのを急に思い出したらしい。
喜々として、バケツに水を汲んで、ガラス用洗剤も出して、土埃で汚れた窓ガラスを外から内から拭くと、びっくりするくらいピカピカに!あの、ゴムの部分の使い方がコツ!!
飼い主が見なれない行動をしているのを、ねこえは不安そうに眺めていたけれど、調子に乗って鼻歌が出て来た頃には、水がばしゃばしゃ跳ねはじめて、ねこえは渋々お出かけ。。。
猫の日なのに、追い出してすまぬ。。。でも、飼い主は洗い物、アイロンに次いで、好きな家事が増えたのよ〜。
かぶとむしの匂い
2002年02月21日(木)
大阪の友達でおもしろいコがいる。当時、みんなお揃いで買ったポケベルで、あれこれ今のメールのようにやりとりしていた頃・・・。さっき会ったばかりの彼女からベルにメッセージが入った。
「カブトムシノ ニオイ スンデ」
時期は真冬。なんのこっちゃ?と翌日問いただすと、「ほんまに道ばたでカブトムシの匂いがしてんもん!こう、ほわーっと、土のくっさいのんが!!」とリアクションたっぷりに説明してくれた。付近に浮浪者がいた説や、カブトムシの呪い説など様々な憶測が流れたのも束の間、そんな話題はあっという間に消えていった。そして、私の記憶の奥の奥のがらくた類に分類される引き出しにしまわれていた。
しかし、今日。ベランダに干したカーテンを取り込もうとしている時!ぷん、と鼻をつく香りは、まさに「カブトムシ」・・・。くぬぎの木はないけれど、(くぬぎはクワガタ?)何かの樹液の匂いのようだった。香りによって様々な記憶がフラッシュバックする事は割とあるけれど、この香りはその、ちょっと変わった友達の事しか思い出さなかった、特殊な例かも。すごくマニアックな事柄を検索サイトにかけたら「1件」ヒット!みたいな感じ?
危うし!レーザー再び!?
2002年02月20日(水)
そういえば、口内炎は豚肉と大根のおかげか?ほぼ直ってしまいました。が、しかし、何にも考えず行った歯医者さんの定期検診にてセンセイってば「また左上のところ、歯肉炎だね〜。ちょっと1ヵ月様子を見て、まだ治らなければ『レーザー治療』を・・・」なんてのたまうではないですか!!!
あれは10月だったかな?恐怖のレーザー治療体験パート2の模様をライブでお伝えしたのは記憶に新しいところ。。。かなりブルー入っておりますぅ(T¬T)あれは、ホント麻酔がききにくい体質の人間にとっては、生き地獄なの。じりじりと自分の歯茎が焼かれていくのを体感しちゃう訳で、血がダーダ−溢れて来るの。。。そして、1週間くらい食べ物が何を食べても美味しくない・・・なぁんて、ぶつぶつ言いながら過ごさなければならないの〜!
あああ、1ヵ月、死んだつもりで歯茎をみがかなければ〜!
ニシヘヒガシヘ
2002年02月19日(火)
私は父の転勤で国内をあちこち転々とする環境で育った。松山、大阪、豊橋、京都、大阪、札幌、千葉・・・と。ざっと実家の変遷はこんな感じ。札幌では大阪弁が珍しがられたし、(先生、というイントネーションがどうしても標準語に直らなくて弱った)、札幌から京都の学校へ進学すると「なんかあなたの関西弁はヘン」と言われたりした。そんな訳で、どこへ行っても根なし草のような気分でふわふわしていれば良かった。コドモのよそ者は気楽で、うまくやれば皆と広く浅く仲良くできる。世渡りがコドモだてらに上手くなってしまうのだ。
でもオトナになると、「お国はどちら?」と当たり前のように尋ねられる機会が多い事!
外国育ちが長い方だと「ああ、帰国子女ね」と納得されるのに、国内転勤族でへらへらしてるような私みたいなのには世間は厳しい。
そこで感じたのは東京で働いている関東以北の人たちは、概して「大阪の女」というものに対して、無根拠な悪感情を持っているという事だ。うるさい、とかオバサンぽい、とか偏見に満ち満ちたイメージがあるらしい。(ま、そういう人もいるけどね。でも、東京にだって札幌にだってそういう人は必ずいるハズなのだ。)ところが、同じ人間でも「札幌の女」となると急に手のひらを返したように、皆が皆、優しーくなるのが不思議。いきなり「北の国から」の「蛍」扱いである。(「北の国から」観た事ないけど、テキトーに話を合わせるのにも慣れた。)
西に厳しく、北に優しく、これって男性諸氏の幻想の構図なんでしょうかね?
口内炎リンク
2002年02月18日(月)
プチ不幸・・・午後4時頃、突如として右頬、内側にぽちっと口内炎ができちゃったのである。いててて。口の中の炎症ってなかなか治りにくい。こんなぽちっとな〜、なブツのせいで、暫く憂鬱な日々を送らねばならないとは!!
アタマに来て、何か撃退方法並びに1発逆転で治っちゃう裏ワザなんてないかしら?と検索エンジンにかけたところ。「口内炎リンク」なるものを発見!
口内炎に悩む人々の怒り、恨み、対処法などをコンテンツに含んだサイトのリンク集・・・。今の世の中、何でもあるなあ、と読み進めていくと、余計ブルーになってきた。。。結局、寝不足やビタミン不足など様々な原因が考えられるものの、殆どは抵抗力の低下などに起因しており、いったん口内炎に冒されると繰り返す運命にある事がつれづれと書かれているだけなのだ。。。花粉症のこの時期、抵抗力はどーしても落ちる。どうしようもない。青汁がいいとあったが・・・。なんだかなあ。う〜。
とりあえず、豚肉、ごぼう、大根といったビタミンB含有の食物を食べるのも効果があるらしいので夜ごはんには豚しゃぶに、大根のお味噌汁を作りました。
なんか、少し「ぽちっ」が萎んで小さくなったような気がするけど、気のせい??
お習字の題目
2002年02月17日(日)
義母の入院している所では、デイケアのシルバーの方達も含めてレクリエーションが行われる。その一つとして「お習字」があるのだが、やはり長年生きて来られた方々ばかりだからこその題目が多い。2文字、3文字のものではなく、中には漢文の引用と思われる大作もあり「ううむ」と唸る事が多い。
お義母さまの今年に入ってからのお題は「初春」(なるほど)→「長命」(なるほど)と来て、今日新しく入口のところに貼リ出してあるのを見ると「素人」となっていた。
「素人って・・・」と本人に尋ねてみると「お手本があったから」との事だ。まあ、確かにこの熟語の書体のバランスとか難しいので、テキストの選ばれたのかもしれないが、「素人」とは一体?
女の子トーク
2002年02月16日(土)
私と隊長は結婚式はごく近い親族のみでしただけなので、互いの共通の友人は少ない。2人とも人見知りなのもあるし、自分の世界を守りたいタイプの人間だから、というのもある。
きのう、初めて私の友達とごはんを食べている所に「そこに行く〜!」と隊長から言って来たのは、正直かなりビックリした。本人曰くお酒を飲んでいて、気が大きくなったと言っていたけどね〜。
3人でお店を変えて、お酒を飲んだのだけど、隊長は私たち2人の会話を聞いているだけで、会話にはほとんど参加して来ない。でも、結構ちゃんと観察していたようで、後から「女の子の会話って不思議!」と感想を漏らしていた。
お互い好きな事をぽんぽん話しているのにちゃんと会話が成立しているというのが、隊長にとっては新鮮だったらしい。2人とも「これはやだ。」とか「私はそうじゃない。」とか平気で言ってるし。(笑)
きっと私たちは、良くも悪くもワガママレベルが似ているのだろう。ワガママレベルが低い友達とは、いくら私でもやや遠慮したり言葉を選んだりして話す。ズケズケした物言い?でも、愚痴でも、他の人に言ったらブルーになりそうな事も、彼女になら平気で言える。
なんというか、必要以上に心配されない安心感というかがあるのよね。ドライなんだか、優しいんだかよく分からないところが、お互い気楽なのかも。
しっぽは語る
2002年02月15日(金)
おととい買った「ねこの心理」という本が面白くって、隊長とふたりで貪り読んでいる。
ねこのキモチは尻尾で読め、と本に図解つきで書かれているので、うちのねこえで観察してみると、実に尻尾の表情の豊かな事!ぴん、と尻尾を立てている時は怒っているのかと思って退散していたが、そうではなく「親愛の甘えの合図」らしい。恐る恐るねこじゃらしを近付けると喜々として飛びついてきて御機嫌な様子。。。この本、すごい!と思ってあれこれ読みすすめると、「あの時ねこえが拗ねていたのは、実は反省してたんだね。」とか「ケンカかと思ったら交尾だったんだ!」とか色んな事が分かる。
特に、ねこ同士の性行動、妊娠・出産の項目は、本当にねこ独特なので、興味シンシン。(ねこの想像妊娠というのもあるらしい。)交尾をしていたねこえは、もしかすると、2ヵ月後あたりこねこえを産むかも・・・。最近、食欲も旺盛だし、とっても楽しみ。ねこえの手を離れたら、今度こそは家猫になってくれるよう、躾けたいな〜。でもノラの方がシアワセなのかな〜。
まだ産まれてもいないのに、こねこえの育て方を心配している飼い主バカな私であった・・・。
習い事
2002年02月14日(木)
くわしくは「ぶつぶつ日誌」の方に書くのですが、紅茶教室に行ってしまいました、ワタクシ。いや〜、ハマってるよ、やっぱりか・・・という声が方々から聞こえてきそうですが、何だかかなりコーフン!!
習い事ってあまりにも久しぶり過ぎて・・・。結構ネクラ?に通信教育とか好きなんだけど、紅茶となると、動くお手本がどーーーーーーしても必要!!って気がしたの。その点、見事に素敵なせんせいのお陰で夢が叶ったのでした♪
社会人になると、なかなか習い事って続かなくなってしまったのは私だけかしらん?特に終業時間が読めない職場にいたので、それを理由に躊躇したり、はじめても、行けるのに遊びに行っちゃったりして続かないのが私のパターン。
英会話、ドイツ語中級、など私が手を出した語学系は特にそう。仕事でしゃべって?疲れてるのに、これ以上しゃべるんかい!・・・となってしまうのね。自分切り売りして会話するのが、苦痛だったりして。
会社で月曜の終業後に強制的に習わされた「カラーコーディネーター」講座も、K先生(その世界の権威)の鬼のような宿題の量と眠くて死にそうだった事しか記憶にないしな〜。あっ!あと、ゴルフ習ってた!!でも疲れて行かなくなっちゃったんだった・・・。忘れかけていました。
やはり習い事するにも、ココロの余裕が必要という事。今は余裕ありまくりで弛んでるくらいなので、習い事で気を引き締めて・・・という所です。
たてゆれよこゆれ
2002年02月13日(水)
きのう関東・東北地方で地震がありました。最近、地震多くない??気のせい??
北海道に長く住んでいたので、結構地震は平気なつもりだったが、学生時代に「阪神大震災」に遭遇してから、すっかり地震が恐くなってしまった。
忘れもしない1995年1月17日未明。当日英書購読の試験を控えていた私は、明け方まで勉強。少し眠ろう・・・と宵の口に入りかけた頃、ふと馬に乗った大男の夢を見て目が覚めた。外が赤ーくやけに明るいので「もう朝なんだ・・・」と起き上がろうとした、その瞬間、ぐらぐらと揺れ始め・・・。その後はクラッシュ!!!とばかりにぐわっしゃぐわっしゃとマンションごとシェイクされてるような感じで揺れたのだった。あれが震度5。
テレビは落ち、カップボードの食器はぐしゃぐしゃになって、ガスも電気も止まってしまった。
当時パパとふたりで新大阪の近くに住んでいたのだが、試験中という事でママが泊まりに来ていた。まず最初に気にかけたのは千葉の実家にひとり置いてきた弟の安否。(関西は地震が少ないので、関東が震源で、もっとひどい事になっているのでは?と心配したのだ。)電話がようやくつながり、何ともなかった事を確認してからテレビを見てもらった。その時点では、まだ神戸があのような惨状になっている事はマスコミにも伝わっていなかった。
親しい友達2人から電話が入り、無事を確認すると、それ以降電話はビジー状態になってしまった。
その後の事は、テレビなどで放送された通り。。。あの、恐ろしい映像を見たのは地震から5時間後。
今でもハッキリ思い出せるのは、地震の後は、まだ真っ暗だったのにもかかわらず、地震直前には「朝」かと思うほど外が明るくなっていた事だ。この現象は各地で見られた発光現象らしく、その後あちこちで耳にした。大地の神秘。
人知の及ばぬ、恐ろしい自然の力の前にあまりにも人は無力だった。
プチ家出雑感
2002年02月12日(火)
最近、塵のようなストレスが毛穴を塞ぎつつある。さて、プチ家出でもするか・・・と行き先を物色したところ、情けない事に札幌・京都方面しか思いつかなかった。隊長とふたり、というなら花巻とか仙台とか長崎とか未知の行ってみたいワールドへ行こう!と思えるものの、ひとりで・・・となると私の旅ゴコロはいとも簡単に萎んでしまうのであった。
ひとりでぶらりと旅に出る、というのが大人になったらできるもの・・・そう考えていたのはいつ頃だったろうか?27年生きて来たが、ついぞそーいう意味での一人旅をしをした事がない。
往復の交通手段がひとりというのはアリだが、必ずその旅先の友達みんなに連絡を取り、ひとりにならないようスケジュールが埋まらないとGOが出せないのだ。観光という行為よりも人に会うor人と遊ぶ旅が好きなのだと思う。
でも、ひとり優雅に高級ホテルでエステ三昧、とか旅先の自然を愛で、ぼ〜っと過ごす、という事ができる女性に憧れなくはない。しかし、こういう女の人って優雅でなくてもサバイバル旅行も楽しめちゃうアンビバレンツな素敵なひとなのだろうなあ。。。
ああ、ますます遠い・・・。
アフリカゴキブリ
2002年02月11日(月)
「アフリカ」という枕詞がつくとなんでも巨大な感じがする、とマダム小林が言っておられましたが、(アフリカ象・アフリカゴキブリなどなど)それに匹敵する枕詞が存在する事を、私は主張したい。
それは「田辺」。(あ、今は「京田辺」というべきかも??)
それはともかく、この枕詞を冠する動物としては「田辺虫」を筆頭として、「田辺たぬき」「田辺シカ」などうようよいる。そして、「やたら大きい」のが特色。これは某大学の「田辺キャンパス」の奥地に生息する恐るべき未知の?野生動物で、アフリカなんとかのように堂々と動き回るのではなく、ひっそりと生息しており、たまに気が向くとのそっと現れるのが、また無気味だったりする。
特に田辺虫にいたっては、キャンパスの爽やかな芝生や、運動部のグラウンド、あらゆるゾーンにおいても出現率が高く、芝生に小さな穴が空いていたら、それは間違いなく田辺虫の呼吸穴なのだ。(ひー)
運動部の部員がジョグをはじめたりすると、驚いた田辺虫たちは一斉に目を覚まし、地上を飛び回る。羽の生えた巨大ダンゴムシのようなものが飛び回るその光景はかなり異様だ。
私は陸上部に所属していたが、先輩がビニールいっぱいに捕まえた田辺虫を別の部員のバッグに袋ごと放り込んでいるのを見た事もある。ああ、おぞましい。。。
このような地獄絵図をさんざん見て来た私には、ここを京都と呼ぶ事はおろか、日本と呼んでいいものかどうか、かなりギリギリのラインだという気がしてならない。
恐るべし、田辺虫。
継続は力にならず?
2002年02月10日(日)
このHPをやっていて一番言われる事は「日記、毎日書くなんて大変だね〜。」という事だ。3日坊主の例にも「日記を書き始めたのにすぐ飽きてしまって、あとは白紙〜」っていうのが必ずあげられるし、カツオくんだって8月31日に慌てて夏休みの日記をまとめて書いたりしている。
実は、私は日記を書きはじめて15年のキャリアがある。(自慢にならないけど)小学生の時、書き始めたのがきっかけで、それ以来色々と方法は変わりながらも、ずっと続いているのだ。
最初のきっかけは、ある発見だった。たとえば学校で嫌な事があっても日記帳に「ママがシュークリームを作ってくれた。おいしかった。」と書けば、その嫌な事よりもシュークリームの記憶が勝るのだ。その記憶の取捨選択(編集?)ができる快感を覚えた子供は、日記を書く事に没頭した。日記には美味しかった事、当時夢中だったアルセーヌ・ルパンの事、パタリロの事、そんな「お気に入り」を書き連ねた。
その後、思春期になり、オトナになり、その書き方は変わっていき、時には私小説であったり、赤裸々な告白であったりしたが、ずっとずっと書き続けている。
何にもなかった日も、色々あってつらい日も、とにかく1日ずつ立ち止まる。それは、私の生き方そのものになっている。
しかし、この日記を書いている事で、何かメリットがあったかというと、何もない。継続しても力にならない事もある。
団地の迷子
2002年02月09日(土)
安野モヨコさんが「団地って死角がなくて恐い」と何かに書いていたけれど、すごく同感だ。同じ作りの四角い建造物がずらりと20、30と整然と並んでいて、なんとなくプライベートとか秘密とかそういうものを保持できなさそうな感じ。誰に見られているか分からない、そんな恐さ。
私は団地には住んだ事はないけれど、よく団地に住んでいるお友達の家には遊びに行った。団地のコ同士でお泊まりしたり、いつでも自然に集まって公園で遊べたり、そういうのが羨ましく思えたけれど、オトナの立場から見ると、なんとなく逃げ場がない気がしてしまう。
ドイツのマインツ大学のサマープログラムに参加した時の事。ひとりでフラリと校外に出て歩いていたら、真剣に迷子になってしまった事がある。夕方前の時間で、歩いても歩いても見覚えのある校舎とかお店がなくって途方に暮れてしまった。歩き疲れて立ち止まると、そこは日本の団地と何ら変わらない団地の風景の中に私はいた。誰かに道を聞こう、と思って人影を探すのだけれど、人っこ一人おらず、がらんとしている。こんなに密集して人が居住する筈の場所にこんなにも人がいない、という事が妙に心をざわざわさせた。
泣きそうになりながら、ふらふら歩いていると、4、5歳の子供が2人、三輪車に乗って空き地で遊んでいた。見なれない東洋人の私を見て、人なつっこく寄って来て「どこから来たの?」と聞いてきた。
「大学から歩いて来たの。『大学』知ってる?」と聞くと、2人とも顔に「!」マークいっぱいの顔をして目を輝かせた。そして、バスのアナウンスの「大学〜。大学〜。」という変な節を真似してはしゃぎあっている。そして、なんと20歳の私を大学の見える所まで、この紳士的なおちびちゃん達は三輪車で案内してくれた。ファーストネームを交換し合った後、ルフトハンザに乗ってドイツに来た話や、海の向こうの向こうのずうっと向こうの「ヤーパン(日本)」の事、そんな事を話した。彼らが思い付く限りの「遠く」と「ヤーパン」どちらが遠いか、真剣に比べあったのがおかしかった。いつか彼らがこの団地を巣立つ時に、迷子の日本人留学生の事を思い出したりするだろうか?あの団地の恐さに竦んでいた私を救ってくれた2人の天使の事を一生忘れない。
団地の恐さを思う時、あの子達の事を思い出すのが私のおまじないだ。
シンプルな言葉
2002年02月08日(金)
おみくじとか占いって、自分が受け身になって一喜一憂しているのが常だったけれど、自分が今日、おみくじの設定をしていて、ほんのちょっぴりだけれど大切な事が分かったような気がする。
昔、すごく自分がつらかった時に、友達が「ちゃんとご飯食べて、ちゃんとお風呂入って、ちゃんと眠って。」って言ってくれた事があって。彼女の色んな事を分かってくれた上での、そのシンプルな言葉が今でも忘れられない。そんなの当たり前じゃん!って思えるような言葉も、彼女の口や態度を通すと、そうやって普通に生活していく事の愛おしさとか大切さ、そんな事をそっと教えてくれたように思えた。
きっと誰かに言ってもらいたい言葉って、シンプルで愛情があれば、それに尽きるのかも。
ひとつひとつ、自分が「大吉」をひいたら・・・とか「小吉」をひいたら・・・って想像して、愛をこめてシンプルに考えてみるのは楽しいもの。だから、あんまり結果は気にせずに、そこにある私のささやかな言葉をくすっと笑いながら見てもらえたらいいな。そんな風に思うのでした。
どうして私は一人じゃないのか、どうしてこうやって皆に日記を読んでもらったりしているのか、すごくすごくその答えに近づけたような気がしています。
花粉警報発令
2002年02月07日(木)
とうとう、とうとう奴が来たぁぁぁぁ。。。。。。
もちろん、花粉の奴めです。花粉症人口も増えに増え、それにも増して年々花粉は増殖し、日本全土(北海道のぞく)を闊歩してますね。
私の場合は、極度のアレルギー体質のためこれからほぼノンストップで秋いっぱいくらいまで、様々な花粉との戦いが始まります。スギ・ヒノキより強烈なのが、(私にはね。)ぶたくさ。また、この緊張感のないぶた、なんていう草にこんなに苦しめられているかと思うと、悔しくてならないのだが、どうしようもないの・・・。ぶたくさアレルギーは、眼球が黄色く濁って、膿が出てくるくらい酷い症状に見舞われます。7月にディズニーランド行った次の日は会社に行けないような化け物と化した自分の眼にビビったものよ・・・。(医者もビビっていた。)
この時期、知っている限りの知識を尽くして自分を守り、ばんばんステロイド注射を打っても(女の子はいけませんよ!)、「良くなった」っていう自覚症状のある人をあまり聞きません。だって花粉注意報、とかって天気予報の時に本州一体、まっかっかになった地図を見せられるだけでも、なんだむず痒くなってきちゃうんだもん。テレビで花粉が飛んでるのを見ても、くしゃみが出ちゃう、って友達もいたし。
「雨が降ったから今日は花粉飛んでないもん。」とか「今年は注射うったから、いつもよりまし。」って思えるのも、実は気の持ちようなんじゃないかと思う今日この頃・・・。今年、耳鼻科の先生の所行ってないよー。また怒られるぅ(TT)
医者嫌いのキモチ
2002年02月06日(水)
私の周りには、徹底した医者嫌いが多い。夫、父母、弟、書き連ねてみると皆そうだ。てこでも病院に行こうとしない。
医者に常々通っている私が「行けったら、行け!!」と尻を叩く役割になるのだが、そのお陰で?うちのママは数年前、乳癌を超早期で発見できた。
そんな目に遭いながらも、未だにママは病院にはなかなか行かない。腰が痛くて、まっすぐ寝てる事もできないくせに、電話で「うんうん」唸りながらも、「病院はいや」などと言う。整形外科を電話帳で調べて、予約を強引に入れて、強制連行を試みたが失敗したし・・・。
そうやって、ぶつぶつ文句を垂れている私だが、ちょっと最近気になる変調が起こっている。数週間前に救急車で運ばれて以来、左の肩がまともに上がらない。(いくつだよ。)寝てても寝返りの度に「いてて」と目が覚める。
もう一つは、後頭部の頭皮の一部に湿疹ができてずうっと治らなくて気になって仕方がない。ヘアサロンでも見てもらって、「これは皮膚科で相談した方がいいですよ。見えないストレスかも・・・。」なんて脅されてしまった。
整形外科と皮膚科・・・。今までお世話になった事のジャンルのないその響きに思わず身が竦む。耳鼻科と内科と歯科と婦人科なら恐くないんだけどなあ。
ゲイシャ・フジヤマ
2002年02月05日(火)
昨今のアジアンブームに乗って、アジアンムービーや中国茶など続々と異国情緒溢れる文化が日本で花開いている中で、ふと立ち止まって考えてみると、あまり浮かれてばかりはいられない現実がある。
中国に詳しい方とメールやBBSでお話する機会があって知ったのだけど、実際には中国では文化大革命というものが巻き起こってからは、チャイナドレスや、工夫茶器などの贅沢品は一切禁止され、とても質素な暮らしを国民は強いられたそうだ。
現代でも、映画の中や、私たち日本人がカフェでくつろぐようにお茶を愛でて・・・という贅沢な事をしている人がどれだけいるか、と考えると、なかなか現実は厳しそうである。
中国でも、プーアール茶を手に入れるために高級外車ほどのお金を散財するお金持ちがいるにはいるらしいが、そういうのはかなり稀な話なのだと知った時。
欧米人が、日本では今もサムライが街を歩いており、ニンジャが活躍している、と思い込んでいる構図に似てしまっている事にはっ!と気づく。
あまりミーハーに浮かれていてはいけないな、と反省する今日この頃。
武士は喰わねど
2002年02月04日(月)
昨日の女性300名が参加した某イベントにおける惨状は「ぶつぶつ日誌」にも記した通りなのだが、やはり今日になっても昨日のあの女性達の意地汚さとか、なりふり構わなさ加減がどうしても許せなくって、しつこく、ここでも言及したい。
そもそも、あの人種のヒトたちは、ずっと下品なずうずうしい人間という訳ではなさそうだ、というのが余計に気味の悪いところである。きっと彼女たちは、普段はきちんと女性らしく振る舞っていたり、奥様然!(OL然?)としているのだと思う。電車の中で女子高生の言葉使いに眉をひそめたりしていそうな、そういう上品ぶりっこっなヒト達が(受付で並んでいる時なんかは非常に優雅な雰囲気だったのだ。)、何故あそこまで豹変して「元を取ろう!」みたいな貧しい発想によって行動してしまうのか。。。悲しい。
食べ物に群がる自分、っていうみっともなさをを客観的に見る目があれば、あんな事態にはならなかったかもしれない。本当にGHQのアメリカ兵に食べ物をねだる餓鬼のような光景だったんだから・・・。
日本には古来、「武士は喰わねど高楊枝(たかようじ)という諺がある。「武士たる者、ひもじさに負けてはならない。満腹顔で楊枝を使おうではないか」とヤセがまんをするのって今どき滑稽かもしれないけど、ある種、大切な事だ。日本人の海外でのマナーの悪さっていうのも同じような事が起因していると思うし。
ま、武士じゃないんだけどさ〜。それにしたって、5000円札の新渡戸稲造も泣くよ!!恥を知りなさい!恥を!
あなたは誰?
2002年02月03日(日)
飯田橋からの帰りの列車での出来事。
試合帰りと思われる体育会系の女の子(中学生)集団が、発車のベルと共にわーっと乗り込んで来た。そこに「さっ!急いで!押すんじゃない!早く乗るんだっ!周りの人に迷惑かけるんじゃないぞ!」と彼女たちを叱咤激励する声。体格のいい、ジャージ姿の監督とおぼしきおじさんがテキパキと誘導している。
「よしっ。これで全員だなっ。」と満足げな監督。
車両の中の誰もが、さすが監督・・・と、感心した、その時。ホームの監督の目の前で、電車のドアが閉まった。
肝心の監督が乗り損なった〜?!そんなのあり??と思ったら、女子中学生たちが「あれ、誰?」「知らない・・・」「すごかったね、乗れたから良かったけど。」と口々に囁いている・・・。そして、あちこちで他の乗客からも「監督じゃなかったんだ・・・」「何者〜?」と笑いと驚きの声。
監督じゃない。では、かれは一体何者で、あの満足げな笑顔は何だったんだろう??そして、彼は電車に乗らなくて良かったのか・・・。謎は深まる。
さかなの唄
2002年02月02日(土)
夕方、自分の部屋でアイロンをかけていると、隣の隊長べやからラジオが聞こえてきた。リクエストか何かに答えて「さかなの唄をお送りします〜」って赤坂泰彦が曲紹介すると、山瀬まみが「あ、あれでしょう。さかな、さかな、さかな〜♪ってスーパーでかかってる・・・。」と受けこたえ。私もそのフレーズを知っていたので、隊長の所に飛び込んで行って、「私もその、さかなの唄知ってる!!」と嬉々として言ったのだ。でも、聞こえてくるのは、変なおっさんラップ調の「さかなへんに土ふたつで『鮭』!」「さかなへんに占うとかいて『鮎』!」とかそんなTIMみたいな歌詞ばかり。。。
「これ、違う・・・。」と私が落胆していると、「赤坂が『まみちゃんが言ってるその唄とは違う唄です』って言ってたのに。」と苦笑。悔しかったので、その山瀬まみと私が知ってるさかなの唄を披露した。以下、その歌詞。(多少、ちがうかも。)
「さかな、さかな、さかな〜♪さかなを食べーると〜♪
あたま、あたま、あたま〜♪あたまがよくーなる〜♪
さあー、みーんーなで〜♪さかなーをー食べーよう〜♪
さかなは、ぼくーらを〜♪待ーってーいるー♪」
なんか、勝手な歌詞でしょう?すっごく、脳天気な曲なの、しかも。
でも、さかなの唄、といえばコレだわぁー。
マダム小林の優雅な生活
2002年02月01日(金)
おととい「お風呂本」として買った「マダム小林の優雅な生活」。面白過ぎて、笑ってしまって声が響くので途中でお風呂から出てきて、部屋で読んだ。
マダム小林、とはあの女優の小林聡美さんの事だ。夫の「心のアウトドア派」三谷幸喜氏&猫との生活や、彼女自身のロケ先でのエピソードの事などがつれづれなるままに書かれているのだが、これがシモネタ好き?の私のココロをくすぐってくれる素敵なネタの宝庫なの!!!読みたい方、貸し出しするよー。笑うよー。
三谷&小林夫妻のエピソードは、いつも結構じん、とさせられる。こないだOggiに掲載されていた三谷氏のインタビューに次のようなコメントがあった。
「僕は本来結婚には向いていない人間だったんです。でも、せっかく結婚してもらったんだから、妻には嫌われたくないんですよね。」
「本当は、彼女こそ、僕の喜劇を体現してくれる、優秀なコメディエンヌなんですけどね。僕と結婚したばっかりに、僕の舞台に立てないなんて、それも申し訳ないと思っているんです。」
いわゆる家庭的ていっつも一緒にいる夫婦、という形態ではないにせよ、こんなふうに妻の事を尊敬していて、大好きだ!って思っていてくれる夫がいるなんて素敵な事だと思う。マダム小林は幸せな妻なんじゃないかしらん・・・?









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