ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




ふつか酔い
2001年11月30日(金)
もう、このタイトルしか思い付けないほど、現在、私の脳&身体はふつか酔いに蝕まれている。(・・・といっても、お昼ごはんに手抜きドリアを作って食べられてるので、世の人のふつか酔いよりは軽症なのかもしれないケド。)
原因は、もちろん隊長との深酒である。
あまり、次の日にお酒が残るほうではないのだけど、何せ3時まで飲んでたもんで、6時に起きようとしたら頭が痛くって、まずお弁当作りを放棄。なんか、もう自分は人間じゃないんじゃないのか!?と思うほどの気持ちの悪さ。そして、またメークを落とさずに寝てしまい、肌がガビガビ・・・。これを女子と呼んで良いものなのか、いや、人間と呼んで良いものか・・・。きっと、良くない。
それでも隊長は仕事に出るので、なんとか人間のフリをして「頭いてーーーー。」とか言いながら、家を送り出す。
冷蔵庫のミネラルウォーターをがぶがぶ飲んで、そのまま布団に再びもぐりこむ。
そのまま意識がなくなり、次目覚めたら11時。頭痛はおさまったけど、なんだか喉が痛くて、身体がだるい。
起き出してみたら、家のデンワに着信が3回残っており、宅急便の不在通知がポストにあり、回覧板が玄関先に置いてあった。
デンワの音も、チャイムの音も全く聞こえず爆睡してたらしい・・・。
知らない人
2001年11月29日(木)
夢に出てくる人って、ふつう知り合いとか芸能人とか、っていうのがノーマルらしい。何故か、私はいつも知らない人と夢で共演してしまうのだ。
知らない人と兄弟、とか知らない人と恋人だったりする。しかも、全然好みとはかけ離れた人だ。なんだか気味が悪い。
普段、見かけた人をどこか私の脳がインプットしていて、その中でキャスティングしたものを夢として見ているのだろうか。。。服装とかも今っぽいし、とにかくリアルだったらありゃしないのだ。
今日見た夢なんて、虫酸が走るような男の人が夫だった。なんだかパパイヤ鈴木みたいな感じの人。でも、夢では夫婦なので、仲良しなのだ。ああ、思い出しただけで嫌!!!!!きゃーーーーー!!!!!
なんで、こんな人間をインプットするのだ!?私の脳よ!!!と怒りたくなる。
目が覚めて、ホンモノの夫が隣にいてホッとしたのは言うまでもない。
枯れる植物
2001年11月28日(水)
何を隠そう、グリーンを育てるのが苦手だ。元々あまり鉢植えのものは好きではないが、ハーブとかラディッシュとかの寄せ植えの鉢を雑誌で見て、一時期がんばろうとした事もあった。
種を蒔いて、水をやって、芽が出て・・・。ここまでは順調だったのだが、芽がなかなか伸びてくれないので、飽きてほったらかしていたら、いつの間にか土に還っていた。庭に植えたのがいけない、とプランターを買って来てそこに種を蒔いて再挑戦。また、芽が出て、少し成長して来た、ある日。何と、ねこえがプランターの中ですやすや眠っている!!
ねこえを叩き起こすと、無惨にも芽はぺちゃんこになっていた。この頃は分からなかったが、ねこえは箱フェチで自分が丸まるのにちょうどいい四角い箱があると、そこをベッドにしてしまうのだった・・・。
以来、もう植物に関しては、運も素質もない事がようく分かったので、手を出していない。それにしても、ご近所の家のガーデニングがとても見事なので、ウチが余計に見劣りする。かなり殺風景だが、しょぼーんと諦めている。
老婦人の杖
2001年11月27日(火)
某デパートのエスカレーターにて。
ふと視界の端っこに、傘の先のような美しいものが入って来て、振り返ると、それは傘ではなく、上品な老婦人の杖だった。
べっ甲のような材質の杖で、薔薇のアンティークふうレプリカが中に透けて見える。
あまりにきれいなので、見とれてしまった。その老婦人は地味過ぎず、派手過ぎず、美しい杖も上質そうな洋服も、まったく浮いていない。しっくりと彼女に合っている、という感じだ。
こういう、はっとさせられるようなセンスの持ち主に出会うと、つくづく自分の身を振り返って、嫌になってしまう。
26歳を超えたあたりから、勢いやカワイさでは洋服を着こなせなくなって来たのを、しみじみ感じている。特に結婚してからは、「きちんとしたい」という願望が強くなっていて、「無難(つまらない)」と「きちんと」のボーダーをふらふらしている状態だ。
今、自分らしい服、という方向性を見失ってしまっていて、なんだかちぐはぐ。
「着たい洋服が見つからない!」なんていうシーズンは、今回が生まれて初めてなのではないだろうか。。。
上質でシンプルなものを纏いたい。でも、それだけでは退屈だ。なにか「好き好き!」と思えるディテールが欲しい。
どうやら、思ったより暗くて深いトンネルに迷いこんでしまったようだ。
ココアorチョコレート?
2001年11月26日(月)
隊長と私の、冬の風物詩。ココア。
普段は森永のミルクココアをホットミルクに溶かして飲んでいるが、石屋製菓のチョコレートドリンクとかロイズの液体チョコレートを取り寄せる事もある。
このココアとチョコレートの違いって何なのかしら?と思いつき、検索エンジンにかけてみたら「日本チョコレート・ココア協会」(!)という団体機構のサイトを見つけてしまった。日本の有名所の製菓メーカーから小さいところまで加入しているらしいこの団体の役割は、「チョコレート・ココアの普及・消費促進のための広報活動」「チョコレート・ココア国際栄養シンポジウムの開催」「チョコレート・ココアに関する国際問題への取組み」などなど。。。世界のどこかでそんなシンポジウムが開かれていたり、深刻?な国際問題に取り組む人達がいるのだ、というのがちょっと可笑しくもあるが、きっと現場はシリアスなものなのだろうなあ。
それで、チョコレートとココアとの違いは、「ホット・ココア(英:hot cocoa)はココアバターを減じた粉末状のものであり、ホット・チョコレート(飲むチョコレート)は、ココアバターをより多く含んだクーベルチュール(ココア含有量が高い製菓用チョコレート)からつくられたものをいう」という事らしい。
まあ、厳密に区別するとそうなるが、本当はどちらでも良いのだ、というのが当協会の見解らしい。チョコレート・カカオの権威がそのように言っているのだから、どっちでもいいか〜。
ロイズの限定チョコを注文したので、ついでにホット・チョコレートも注文!週末に届くので、とても楽しみ!!
ガチャピンとナスカの地上絵
2001年11月25日(日)
そういえば、昨日早起きしてテレビをつけたら、信じられない光景が目の前に広がった。
それは「ガチャピンがナスカの地上絵を眺めている」というもの。
ポンキッキ、まだ継続してたんだ!!でも、ムックはいなかったの。スペシャルだからなのかな??
司会進行は、はしのえみとV6のいのっち。
外国のお母さんにお料理を教えてもらったり、昔のポンキッキとはずいぶん違うけれど、21世紀ポンキッキは健在。
確か番組タイトルも「ポンキッキーズ21」だったような・・・。
そんなこんなで、コドモ時代の記憶が蘇るのであったが、昨日の夜は隊長べやがゴミステーションみたいな状態になっていたので、隊長がお布団持って私の部屋にお泊まり、という緊急事態!これまたコドモ時代のわくわく感が蘇る。
お友達のおうちにお泊まりデビューって中学1年だったかなー。外国では2歳とか3歳で、自分の意志でお泊まりデビューするらしいけど。(おまるを持って・・・。)
やっぱり日本人って家族との分離する年齢が遅いのかもしれないなあ、なんて考えながら、隊長が寝てる私のへや、というのも結構いいものだと思った。
野菜好き×2
2001年11月24日(土)
きのうはキムチチゲ、今日は豆腐鍋、と2日続けて「鍋」をしたら、ふたりで白菜2分の1玉と長ねぎ3本、もやし2袋をいっぺんに消費してしまった。この鍋の他にもレタスやトマトの野菜サラダ・オニオンスライス・ブロッコリー・アスパラ・ほうれん草と大根の入ったお味噌汁なんかもサイドディッシュとして並んでいる。
もしや、これって私たちって相当量の野菜を日々摂取している事になるのでは?とふと思ってしまった。
常に野菜室にはぎっしり様々な野菜が詰まっているし、必ず使い切っている。お肉はちょっと古くなったら、湯通ししてねこえに食べてもらうので、必ずしも人間ふたりの消費量ではない。でも、さすがの食いしん坊・ねこえも野菜は食べないので、どう考えても、私たちでかなりの膨大な量の野菜をぱくぱく食べている事になる。
私はちいさい頃から何故か「お肉を食べたら、野菜を3倍食べなさい。」と言われて育った。はじめはヤケクソというか嫌々というか、仕方なくそうしていたのが、いつの間にか習慣化していた。それが現在に至っている。そして、どういう訳か「3倍」以上になっているのであった。
好き嫌いが多く、アレルギーもある私だが、そういえば野菜に関しては何も食べられないものがない。
隊長と私は食べ物の好みが全く違うのだけれど、「野菜好き」という点だけは一致している。
どうぶつの勘
2001年11月23日(金)
数日前の日記で「ねこえが最近、家にいてくれなくて寂しい」というような事を書いたのだが、それを書いた次の日からねこえが妙にじっと家に居着くようになった。
今も段ボールのベッドの中で、眠りを貪っている。
まさか、ねこえがどこかで密かにこの腹黒い日記を読んでいるとは思えないので、どうも私のココロの機微を読んでいるような気がしてならない。
動物って、そういう不思議な勘があると思わせる。
ドイツにホームステイしていた時の犬もそうだった。彼女は真っ黒なスコッチテリアで、女王e vitaの名を持っている。とても賢く、躾の行き届いた犬である。私は2週間のステイだったのだが、明日帰る、というその日に突然、vitaの姿が見えなくなった。家族と一緒に探して、庭にも家の中にもいないので、何事かと思ったら、私の泊まっていたゲストルームのスーツケースの傍でしゅん、として座っていた。
この躾の厳しい家の中で、ただの一度もvitaはこの部屋に入った事はなかったというのに。その、あまりのしゅん、としてスーツケースの周りを何度も回る様子を見て、流石に誰も彼女を叱る事はできなかった。「彼女、あなたがここを出てしまうって分かっているのね。」としみじみMamaが言っただけだった。
ホームステイで留学生を受け入れたのは初めてという家だったから、vitaにとって、ステイ客との別れというのも初めてだったのだろう。私という家族(と思っていた節がある)が、こんなにも早く自分と離れなければならない、なんて夢にも思わなかったのかもしれない。
その後、ずっとモップのように脱力し、生気を失ったように落ち込むvitaの沈痛な様子は、今でも忘れられない。
Home Sweet Home
2001年11月22日(木)
久々?にぬくぬくとした槙原敬之の唄が戻って来た気がして嬉しい。
まったく個人的な好みで言うと、UNDERWEARより後のまっきーの唄はなんだか彷徨っていたり、悟っていたり、迷っていたり、厳しかったり。精神的ギリギリ感がありありと見て(聴いて)とれて辛かった。他人への不信感とか、自分への追求とかが息つまるように赤裸々に歌詞に出ていたもんね。
何か、ヤバそうだなあと思っていたら事件が起こった。
今回のアルバムはLOVEがあって、大切なひとがいる、とわかる暖かい幸福感に溢れている。「Home Sweet Home」の歌詞の
「人であふれる場所に 人は生まれてくる
誰もが誰かのための 居心地の良い場所になれる」
という所なんて、すごく好き。
Mステで「Are You OK?」を見た(聴いた)時は、その唄のハイテンションぶりに「おいおい、大丈夫か?」と思ったんだけど、アルバムを通して聴いてみると、これは恋するひとのハイテンション?なんだと思えてニコニコしちゃう。
「天国と地獄へのエレベーター」っていう曲も例の事件の事に対する客観的なオマージュだと思うのだけど、こんな風に作品にできる力ってやっぱりスゴイ。プロだと思うし、これでこそ芸術家なんだなあ、と感動してしまったのであった。。。
霜やけ
2001年11月21日(水)
まだ冬にはなっていないと思うんだけど、朝・晩の冷え込みがこたえて・・・。
特に足の爪先の冷えがひどくって、とうとう小指とくすり指が霜やけになってしまった。とにかく指が真っ赤、というか赤黒くなってしまって、痛痒いし、見苦しい。これでは、せっかくのペディキュアも台無し。はじめは何かにかぶれたのかなあ、と思って痒みどめのお薬を塗ってみたりしてたんだけど、実家のママと電話で話していたら、「それは霜やけでしょ?そんなに寒いの?」と驚かれた。
私がちっちゃい時は一軒家に住んでいたので、家の中の気温が低くて、よく霜やけになっていたらしい。しかし、現代人に霜やけに苦しむ人なんているのか??フリースのくつしたも愛用してるし、寝てる時はちゃんとぽかぽかしてるんだけどなー。
今日はとりあえず、炬燵にパソコン置いてあれこれやってます。
だんだん指先の感覚が戻ってきて、妙な感じだわあ。
魂が鈍ったら
2001年11月20日(火)
きのう会った友達が「今年は気がついたら紅葉がいきなり赤くなっていてショックだったよー!」と言っていた。いつもの秋なら紅葉の葉が緑から黄色、黄色から赤へ、という色のグラデーションを愉しめるのに、そんな余裕もないなんて何て事!と言ってる彼女が、あまりにも彼女らしくて笑ってしまったのだが。
私も仕事が一番忙しい頃は、桜の花を見ずに初夏が来た事もあった。
働き、忙しくしている者にとっては、季節を忘れるほど一生懸命だったとも言えるが、やはり自分の感性が乾いたスポンジのようにパサパサになっている事への危機感も強くなる。
件の友達は、自分のその危機感が強くなればなるほど、忙しくなればなるほど、本を読んだり、友達と会ってインスピレーションを得る事を求めてしまうそうだ。まるで自家発電。そして自転車操業。
私の場合はどうだろう?自分の感性や魂がパサパサになってしまったら、何を欲するだろう?
きっと一人で、あるいは家族を巻き込んで、掃除をはじめるような気がする。
これは、きっと寺の小僧の床拭き修行の効用と同じだ。窓ガラスを一枚一枚ぴかぴかに磨き、家中の埃を拭き取り、大洗濯&漂白大会を催す。そうやって無心に家をきれいにする事で自分の肉体を酷使し、精神が研ぎ澄まされる。魂が鈍ると、どうも私は部屋を散らかし、家の掃除をおろそかにする傾向がある。私の感性・魂のバロメーターは家の状態にアリ、と見た。
tea break?
2001年11月19日(月)
最近、ちょっと恐いくらいお茶にハマっている。もともと紅茶とかジャスミンティーとか日常的に飲んでいる方だが、中国茶に出会ってからというもの、そのイキオイはとどまる所を知らない。破竹のイキオイっていうの?・・・ちょっと違うか・・・。
私はティーグッズの中で「ミルクピッチャー」とか「クリーマー」が大好き♪なんだか、ぽてっとしてて愛らしいんだもの。。。昔はミルクティーとか、あんまり好きじゃなくて、もっぱらストレートティーだったんだけど、このミルクピッチャー好きのため、ミルクティーへの扉も開けた。すばらしい。
でも、カフェとか喫茶店で飲む時は、なかなか頼めないのが実情。スチームミルクを入れてくれるお店はいいけど、生クリーム(フレッシュと関西では呼んでましたが。藤井隆とは何の関係もナイです。)がなみなみ出てくると、ダメ。シフォンケーキなどについてくる生クリームも未だに食べる事ができないほどのトラウマ。
これは子供の頃、父の友人宅での出来事が強烈だったせいなのだが・・・。
そのお宅で、皆でお茶を飲んでいる時、超デブい猫がドスドスとやって来て、飼い主の使いさしの「スジャータ」をすごい勢いでペロペロ嘗め始めたのだ。その瞬間から私の中で「生クリーム」=「デブ」という公式が出来上がってしまった。いや、偏見なのは分かってるし、他にも色々高カロリーなものを好んで食べたりもするんで、そんなに健康志向っつう感じもないんだけど。どうしてもダメなのです。
ともかく、お茶に対する私の凝りようは、とうとうミルクピッチャー好きという域を出てしまったようで、お茶の専門店などに入ったら最後、端から端までお店の茶葉の説明を読んでしまい、茶器を眺めていると、時間が経つのを忘れて恍惚としている、といった具合。先日も5種類のミルクティー用の茶葉がセットになったセットを買って、毎朝ミルクティーで目を覚ましている。夜は眠る前のフレーバーティー。中国茶のブレンドものや、マスカット、ストロベリー&バニラ・・・。こんな調子でお茶三昧の日々はいつまで続く事やら。
とりあえず、週末に買って来た「チャイ」(これはバターを入れるらしい!)を今晩試してみなくっちゃ!
猫ばなれ
2001年11月18日(日)
小春日和だそうで、向こう1週間ばかり快晴が続くらしい。
喜ぶべきこのニュースを聞いて、私はちょっぴり寂しかった。
ここ数日、暖かいので、ねこえが家でゆっくりと遊んでいってくれないのだ。雨の日や寒い日は日がな一日、箱の中にまるくなっていたり、台所に立つ私にじゃれついたりしてきて、かまってあげたりかまわれたり、を繰り返すのだが・・・。
ミルクを飲みにちょっと来た、と思ったらすぐ出て行ってしまうのでは、本当に甲斐がない。ひとりで家にいる時、お茶をいれに階下に降りると猫がいる、というのが本当に私にとって、癒しだったのだ。
まあるい白い塊が足元ですやすやと眠っていたりするのを見ていたら、とても満たされた気分になってしまう。
・・・とここまで書いてみると、まるで私ってば、子離れできない愚かな母親のようではないですか!びっくり!
猫には猫の人生?(猫生)があり、人間には人間の人生があって、どこかでそっと繋がっている、本来はそれで満足できなければいけないのかもしれない。
そうでなければ、猫を飼う意味がない。そんなに可愛がって、こちらにも尽くして欲しければ犬を飼うしかないのだ。
ふぐレポート
2001年11月17日(土)
とらふぐ、食べたです。無事、生還。
津田沼のお寿司やさんにて。
感想は「ふぐって、以外とこってり」でした。美味しかったよぉぉぉぉ。
前菜で、いきなり海老のお刺身と海老の卵(見た目は青くてとてもキレイ。)が出てきて「食べられない!」というハプニングがあったものの。本番?は順調。お刺身、ふぐ鍋、雑炊、のフルコース。
こりこりした食感が不思議なお刺身は、初体験。魚介のアレルギーを持つ私はひたすらお刺身類は避けて通ってきたのだけど、27歳になった事だし!とちょっと冒険しちゃったのだ。(結果オーライだったから良かったけど。)
お酒は、まずワインのフルボトルを1本、あっ!という間に空けてしまい、さっさと日本酒に突入。これも四合瓶で「〆張鶴」。最後に、ふぐ雑炊をいただきながら「ふぐのひれ酒」を飲んで、ぽかぽかと暖まったのでした。。。
そして、ふぐをいただきつつ隊長と私の間の目下の話題は「冬はまっきーだよね!」というもの。隊長は「冬がはじまるよ」と「SPY」がお気に入りらしいが、初耳。夫婦でも知らない事はいっぱいあるもんだ、と実感したのであった。
その後、何故かゲーセンに寄り道。ハイパーホッケーの勝負を持ちかけられる。ふたりとも相当酔っていたものの、かなりマジで勝負。超盛り上がり、私が初!勝利をおさめた。
最後、船橋に着いてから、前から入ってみたかった和風のバーに挑戦。いつも激混みのお店なのだが、たまたま2席空いていたので、すんなり入れてラッキー。お誕生日の記念に、隊長がウイスキー「ROYAL」をボトル・キープしてくれて、ロックで乾杯する。サラダとかお豆腐のコロッケなどのおつまみも美味しくて、ウイスキーもとろりと舌にとろける幸せ。
たとえ今日ちょっと二日酔いでも、全然ヘ−キ!なほど、楽しい夜でありました。。。隊長に、心から感謝!
ラクリマ
2001年11月16日(金)
昨日の続きになるが、昔の話をもう少し。
そんな訳で、20歳の誕生日は殆ど外へ出ず、彼の事を好きでいる事を止めなければならないという事実に、目を泣き腫らして過ごしてしまった。
12月に入ってすぐ、私は一緒にドイツ語を学んでいた友達数人と、京都の彼の住まいにお邪魔する事を決めた。彼はドイツ語教師だったので、みんな気ごころの知れた仲間達だった。(年齢は面白いくらいバラバラだったが・・・。)彼が電話で言っていた「会ってほしい人」は、やはり、というか当然というか「彼の恋人」だった。
思っていた、どんなタイプとも違う人で、正直びっくりした。彼は修行中の板前さんで、さわやかな風が吹くような青年だった。切れ長の目、骨張った細い腕、ハードロック好きらしい、鋲の打ってある革のコート。すべて私にないものを彼は全て持っていて、溜息が漏れた。
その「恋人」は初対面から「ヒロ」と呼ばせてくれた。
前に住んでいた人の仏壇や古い和だんすなどが並んでいる旧家のリビングで、鍋をしたり、MTVのニルヴァーナのカート・コパーンのインタビューを見たりして、皆で寛いだ。おじやを作ろうと、一人で台所に立った私を追ってヒロが手伝ってくれた。
「あ、まだ米の研ぎかたが素人やな。」なんて笑いながら、一緒に残り物の野菜を刻んだり、おじやの玄人のコツを伝授してくれたりした。まるで私を妹みたいに、まるで自分がお兄ちゃんみたいに、接してくれている気がした。そして、ゆっくり「彼」との出会いについて静かに語ってくれた。私なら、同じ人を好きになってしまった相手にこんなに優しくできるだろうか。私なんか敵ではないにしても、こんなにすべてを分かった顔で、許した声で、一緒に料理したり、ふたりの出会いを打ち明けたりできるだろうか。そう思ったら、ココロの底からヒロには叶わないと思った。ヒロの事を大好きになってしまった。
その頃、私がつけていたのは「la\\'cryma(ラクリマ)」という香水。甘くて、優しい香り。好きだった人も「wunderbar!」(素晴らしい!)と誉めてくれた香り。仕事上、香水をつけられないヒロも「いい匂い」って羨ましそうに、私の事をくんくんした香り。
その香りの残った壜はいまだに捨てられず、引き出しにしまってあり、幽かに残り香がする。とても切ない、彼と彼の恋人の思い出の香りだ。
10代最後の日
2001年11月15日(木)
7年前の今日、私はまだ19歳だった。
その頃、モーレツに好きで好きでたまらない人がいて、それはもうクレイジーとしかいいようがないほどだった。
私が好きだった人の特徴。ドイツ人で、顔の左側に傷がある。声はとても低い。嫌いな食べ物はタマネギ。クールでハードロックをこよなく愛していて、夜更かしが好き。香水をコレクションしていて、常にほんの少し良い香りがする。母子家庭で育ったので、お母さんをとてもとても大切にしている。アメリカで心理学の修士号を取るのが夢。・・・などなど。
私は彼の事が何でも知りたくて、ドイツ語の習得にも夢中になり、その上達ぶりも恐ろしいほどだった。そうしてこうして、私はその人と仲良くなる事に成功し、何度も一緒にごはんを食べたり、お酒を飲みに行ったりして、楽しい日々を送っていた。
でも、その時の私は、もちろんそれだけでは満足できなくて、欲望、としか喩えようのないものをありありとココロの中に、身体の中に感じてしまっていた。
自分の事を女として認めて欲しくて、私だけが特別だ、という事を示して欲しくて、私は1994年、11月15日の夜に彼の京都の自宅に電話をかける。
生まれて初めての「告白」だったのに、以外と落ち着いていたように思う。その日で10代も終わる、というのも背中を後押ししていたのだろうか。
電話の向こうには聞き慣れた低い声、そのBGMには淫靡なインドの舞踏音楽がかかっていた。京都の古い一軒家に住む彼は、吐く息の白さを感じさせるような、寒そうな声で、私の名前を呼ぶ。
ドイツ語だったか日本語だったか、全く記憶にないが、私は今、貴方に恋をしている、という事、今のままでは、私は満たされない事、貴方の友だちに「彼はやめた方がいい」と言われたが、どうしても諦める事ができなくて、きちんと貴方の言葉で言ってもらえないと諦められそうにない事、を一生懸命に伝えた。
彼は真摯に「君の事は、本当に好きだ、特別な友達だ。だから、話さなければいけない事がある。」と前置きした上で、「君は女だ。俺は今以上の事を君に対して与えてあげる事ができないんだ。・・・俺の、このベッドは”彼”の為にある。」と言った。(これはドイツ語だった。)
私は、どこかで予感していたのかもしれない。その言葉の重みを、真摯さを、しっかりと受け止めていた。落胆、嫉妬や諦め、それらよりもただ感謝、という気持ちになった。他意なく「話してくれてありがとう。」と口に出していた。
彼は、いつものクールな口調でなく、優しい口調で「君さえ良ければ、今度京都のこの家に遊びに来てほしい。会ってほしい人がいるから。」と言った。
振られているのに、まだ「彼に誘われた」事に喜んでしまう自分に、ココロの中で苦笑しながら「考えさせて。」と私は答えた。
少しとりとめない話もしてから、電話を切った。なんだか不思議と感謝の気持ちしかその時点ではなかった。こんなものか、と思うのと同時に「女に生まれて来なければ良かった」なんて本気で思ったりもした。
まだ携帯電話もなかった頃。マンションの非常階段に子機を持ち出して、長電話をした後、寒さに凍えそうになっている自分の姿が滑稽だった。
あと、1時間もしないうちに日付けが変わる。そこから見上げた都会のまばらな星空が、とてもきれいだった。
マナー以前?
2001年11月14日(水)
映画館内でいつも気になって仕方ないのが様々な「ニオイ」である。
コーヒー・紅茶、女性の仄かな香水は、私にとっては問題ない。(恵比寿ガーデンプレイスシネマは飲み物も持ち込み禁止だけどね。)
どうしようもなく、いつも私を苦しめるのはニオイの強いスナック類、ファーストフードのポテトやハンバーガーの類いのニオイだ。
大阪の大きな劇場で映画を観た時、隣に座った母(30代?)と娘(小学生?)が、映画の上映が始まってから、がさがさとハンバーガーやポテト(振るタイプのもの)を出してきて、もぐもぐと食べ始めた。
上映前には時間もあったし、わざわざ意図的に上映中に食べているとしか思えない。
あまりのニオイに、ちょっと鼻をつまんだりしてアピールを試みたが、二人とも堂々として、何ら遠慮する様子もない。
そのコドモはきっと、映画館でモノを食べながら映画を観る事に何の抵抗もないオトナに育ってしまうのかもしれない。その時には頭にきたが、「これは特殊な人たちだから。」と思って、あまり深く考えずにいたのだが、その後、割といいオトナが映画の最中にスナック菓子やハンバーガーを食べていたりするのに遭遇する事が多いのに、正直驚いている。
映画館は、ある種、現実世界と遮断された空間であり、その空間に入りこむために出向く場である。決して食事をするのに相応しい場所ではないし、「食べながら」でないと映画を観る事ができないような人は、迷惑だ。
そういうのはマナー以前の問題だと思う。
とりかへばや
2001年11月13日(火)
「とりかへばや日記」は平安時代、後期の無名草紙。女性である姉が男装をして宮仕えをし、男性である弟が女装をして女官に仕える物語だ。河合隼雄氏の「とりかへばや男と女」を読んだのをきっかけとして、今原典にすごく興味を持っている。
もともとの身体的性別はともかくとして、何故か、どこの世界に行っても「男らしさ」「女らしさ」という社会的な性差が存在する。日本でも、「男前」「女の腐ったの」などと日常でもよく使われる言葉にその性差の意識が現れている。(その言葉を誰かに適用する場合、概して相手の本来の性別とはクロスしている。)
男と女の社会的性差を、このところ「ジェンダー」と呼んで、論じられる事が多くなったが、そのジェンダーの有りようが変わって来た現代ゆえの証しであろう。平安時代は男と女の入れ替わりなど、とんでもない事件だったが、現代ならば「そういうのもありかな。」と受容される。
元々、男・女にかかわらず、どちらに生まれついても「男らしさ」「女らしさ」は両方備わっている筈なのだ。それを後天的な体験によって、自分のオリジナルの配分を作り、それが「個性」と呼ばれる核となる。
人間は本来、男も女も併せもった存在。そのジェンダーを融合させ、ジェンダーを超越しようとする存在が現代人とするなら、自分の性や性愛の方法を選びとる時期がくるのも、そう遠くはないかもしれない。(肉体的な性別を転換できるといった意味ではなく。)
現代はそのジェンダーが融合したキャラクターが受けている。
源氏物語をもとにした、近日公開の映画「千年の恋」。主役の色男「光源氏」を元・宝塚男役の天海祐希が演じているのもそんな理由からかもしれない。
泣けない大人
2001年11月12日(月)
江國香織の『泣く大人』を読み返した。
男友達・男の友達の違い、というテーマについて書かれている「男友達の部屋」という項目が興味深い。
個人的には「男友達とは疲弊を分け合ってはいけない。快楽だけを分け合いたい。」というのが何よりココロに響いた。
本当にそう!!でも現実にはその境界を引くのがすごく難しい。
疲弊を分け合い過ぎると、2人の関係も本当に行き詰まってしまう。
そういう意味では別れた恋人の存在、はやはり真の意味では男友達でなく、元恋人と表すしかないのかもしれない。
快楽・楽しいだけの事を分け合う関係なら、ずっとずっと恒久的にうまくいくのだろう。しかし、どちらかが弱くなっている時、寂しい時、ココロ揺れずにはいられない時もある。そうしてココロが揺らぐと疲弊が生じる。
江國氏の書くような本当の意味での「男友達」は「相手」が精神的に成熟した男性である場合に限る、のではないだろうか。
そして女性側も成熟している事が前提条件。
今の20代の私達にとっては、その境界は曖昧模糊としていて当然なのだろう、と思う。
そう思う内はまだ『泣けない大人』でしかないのだ。
陽の当たるバスルーム
2001年11月11日(日)
今、住んでいるのは隊長の祖父母の代からの古い一軒家だ。
自分の部屋は独立した弟さんのお部屋をいただいて、家具などを自分で選んで入れたので、そこそこ気に入っているが、他の部屋は「どうにかならんかね?」という感じである。
リビングに仏壇と先祖代々の遺影、とか隊長の部屋の床から天井まで積み上げられた本の山とか、色々「いやだにゃあ。」と思う所があるが、そこらへんは新参者の弱味で口出しできないのだ。。。
だが、お風呂だけは合格点。
お洒落ではないけれど、天井が高く、大きな窓があり、洗い場も広い。浴槽がステンレスなのも◎。そして何より良い所は24時間循環風呂なので、いつでも好きな時にきれいなお湯に浸かる事ができる、という事だ。お湯がたまるまで待つ煩わしさとか、すぐ、ぬるーくなってしまうお湯で風邪ひいちゃう、なんて事もナッシング!(何者?)
私は朝風呂派なので、朝の陽の光の中でボーッとした頭にだんだんと血がめぐってゆく感じが好き。氷のように冷えた手足がジャグジーのマッサージで感覚が戻ってくる感触も。そのほか、昼下がりの読書や、考え事も大抵湯舟の中で行われる。
たっぷりの熱いお湯に身体を包まれて、自然光の下で本を読んだり、冥想する事は、今の私にとってかけがえのないリラクゼーションの時間なのだ。
いずれ、このバスルームを改装する時が来たら、周囲の壁と洗い場の床をすべて真っ白なタイルにしたい。(今は全てピンクのタイル)窓辺にグリーンなんかも飾って、シャンプーのCFに出て来るようなイメージ。「陽のあたるバスルーム」というのを最大限に演出した場所にできれば、と夢見ている。
爪研ぎ
2001年11月10日(土)
手・足の爪を研いだ。
なんとなく「爪」って人間の身体の中でも「野性」が残ったパーツだと思う。表面に出ているパーツ、たとえば皮膚とか毛髪とか柔らかいのに爪だけは攻撃性を残したように硬い。
私は、手足ともに常に爪を長く伸ばしてマニキュア/ペディギュアを塗るのが好きなので、隔週のペースでヤスリでしゅっしゅっと爪を研いでいる。プロのネイリストさんに言わせると「爪を爪きりで切るなんてもっての他!」だそうなので、根気良くヤスリで長さを調整する。
秋冬は濃いめの色を塗りたい気分なので、少しいつもより短かめに整えた。
今日1日は爪には何も塗らないで過ごす。いわば「お休み」の日。そして、いろいろ雑誌をめくりながら「どんなアートにしようかな」と参考になりそうな記事を探すのだ。O.P.Iの新色のパープルがまだ未使用なので、これをベースにして、クロスをスト−ンで描こうかな、とか。
「夜、爪を切るのは親不孝」というようなことわざ?があるので、夜こういう作業をしていると隊長は嫌がる。これって、どういう根拠なんだろう?吝嗇なたとえを「爪に火をともす様に」などというが、これもよく分からない。人間の爪に関する故事成語はミステリアスである。
国境
2001年11月09日(金)
ふだん、私たちは日本という国に住んでいる日本人という人種であるとはあまり意識しない。大多数が同じ民族で、同じような文化・教養を有した人達で成り立っている国家だからだろうか。
20歳の頃、ドイツのハノーファーという北部の都市にホームステイした事がある。18歳の女の子がいて、平日はほぼ毎日ギムナジウム(高等学校)に一緒に通った。バスに乗って、秋の並木路をくぐって、姉妹のように(私が年上にもかかわらず、妹役だったのだが。)お喋りに花を咲かせる、とても楽しい日々。
ドイツ語で代数幾何のレッスンや、歴史のレッスンを受けるのは、すごく不思議な感覚だった。
ある日、隣の席に座った身体の大きい男の子が、授業中「どうやったら、キミのようにドイツ語が上手く話せるようになるかな?」と聞いてきた事があった。お世辞だと受け取って、私は「からかわないで。」と笑ったのだが、彼はぽつりぽつりと自分がハンガリー人である事や、ドイツには親が出稼ぎで来ている事などを打ち明けてくれた。民族が同じなのに、ドイツ語が流暢でない事で、友達ができなかったり、愚鈍だと思われたりするのがつらい、とも言っていた。
その時、国境というのは地図の上というよりも人のココロの中に存在してしまうのだなあ、と気づいた。彼には言えなかったが、きっと彼がドイツ語をうまく話せないのは、ドイツという国や人に愛着を持てないせいだったと思う。私だって、親の勝手な都合でポリネシアに連れて行かれて、ポリネシア人にいじめられたりしたら、きっとその土地の言葉を覚えて、みんなに馴染んで生きていこうとは思えない気がする。
私は、日本で愛すべきドイツ人の友人に出会い、その人達の育った故郷を見てみたくて、ココロから渡独を切望していた。ドイツという国は、私にとってはボーダーレスだったのだ。
ロフトの法則
2001年11月08日(木)
本屋さんや図書館に行くと「もよおす」という現象をよく耳にするが、私の場合これに加えて、必ず「もよおして」しまう場所が「ロフト」である。私が住んでいる船橋の西武別館のロフト。
今週、3回もロフトに足を運んだのだが、今日「まさかねー」と思いつつ、キッチン雑貨のコーナーで既に決めていたビネガーポットを手にした途端、それは起こった。
一般的に書籍のインクの匂いに誘発されて、ヒトは「もよおす」のだそうだが、「ロフト」で、とは何故だろう??しかも、文具売り場でなくて、いつだって2階のインテリア、家具、雑貨の売り場で、その現象は突如起こる。幸い、ロフトの唯一のトイレは2階にあるのだが、すごく個室が少ない!並んでいたらどうしよーーー、っていつもドキドキしながら扉を押している。
同じようなキッチンの雑貨のお店を巡っても、特にそういう現象は起こらない、という事は、やはりロフトの2階には、何か大量の印刷物が潜んでいるに違いない。
ちなみに今日なんて、西武のLIBLOという本屋さんで「もよおした」(勿論、ちゃんと済ませた。)ほんの5分後くらいの出来事である。絶対、へん!!!
これは私の中では「法則」として、本日より認定された。
船橋界隈にお住まいの方、同じような経験をされていましたらご一報ください。ロフトの内状に詳しい方も、情報お待ちしております。。。
夏へのオマージュ
2001年11月07日(水)
××さんの夢を見た。季節は夏。
実際に私たちが恋をしていたのは冬の只中だったというのに。
最後に会ったのはいつだっただろう。
最後に交わした言葉は?最後のキスは?
すべては記憶のまにまに呑み込まれてしまう。
なぜか同じ夢に絵描きくずれの青年が出てくる。これは架空の人物だ。
何の脈絡もなしに古い大きな屋敷で交差する登場人物たち。私、元恋人、絵描きくずれ、若い芸術家達。
私自身は、夏の恋を経験したことがない。
身を焦がす太陽、アスファルトの火照り、乾いた土の匂い。
または
降りしきる雨、ブルーの色合い、透き通る気持ち、きれいな若者。
そんな風景が心のガラス箱にあるひとを、私はうらやむ。
マダムの本音
2001年11月06日(火)
風邪がかなり流行っているらしい。
実家の家族、パパ・ママ・弟、すでに全滅してしまった。うちは猫も含めていたって健康だけれど・・・。お陰で今日はママとお出かけの予定がキャンセル。
突然ひまになってしまったので、1カ月前にYahoo!から届いてたADSLのモデムを取り付ける事にする。私のサイトのトップページでもYahooのブロードバンドの広告が入っているが、これがなかなか巷で不評をかっている。
6月に申し込んだのにまだ来ない、とかメールでしか問い合わせできないくせに対応が遅いし、最悪、とか。やっとモデムが届いたけど、回線の都合で接続できん!!とかね。「なんだ、そりゃ?!」な数々の悪評をよそに、何故かうちにはモデムがえらく早く届いたのだ。まったくもって訳わからん。地域によるのかな?うち船橋だし、都会とは思えないんだけど。。。
それはともかく、届いたのに何故接続してなかったかというと、ただ単に面倒だと思い込んでいたのと、箱を開けた途端に「ドみどり」のぶっといLANケーブル(ヘビかと思った。)と真っ黒なモデムのビジュアルがいただけなかったから・・・。
もともと無料プロバイダに加入してるし、そんなに電話代も高くないし、とどーでも良かったっていうのもあったけど、あまりのヒマさに、いざ繋いでみると、びっくり仰天するくらい簡単。5分もかからなかったと思う。だって線を繋いでコントロールパネルの項目を変更するだけで終了なんだもん!
インターネット接続してみると、今までのダイアルアップの「びーひょろひょろひょろ、がーーーーっ!!」っていうイヤな音もなく、リモートアクセスの表示もなく、いきなり繋がってる。メールの送受信もこわいくらいスムーズ。写真のアップも全然速くて、オドロキ。
「え?これで繋がってるの?」ってまだ慣れないんだけど、これはかなり快適です。
ところで、余談。
この日記の最上部のところにある「作者にメールを書く」というところから私にメールを書くと、ホストのすくすく経由でとんでもない表題で届く事が判明。今日、たまたまeriyaさんという奇特な方よりメールを頂戴したのだけど、(本当にありがとうございます。)その表題は「ファンメール for you!」。いや、ファンっていうのは言い過ぎじゃないかと思っただけなんですが。。。書いたご本人もたまげたんじゃないかと。「そんなつもりじゃ・・・。」って。(笑)
ブロードバンド到来!
2001年11月05日(月)
風邪がかなり流行っているらしい。
実家の家族、パパ・ママ・弟、すでに全滅してしまった。うちは猫も含めていたって健康だけれど・・・。お陰で今日はママとお出かけの予定がキャンセル。
突然ひまになってしまったので、1カ月前にYahoo!から届いてたADSLのモデムを取り付ける事にする。私のサイトのトップページでもYahooのブロードバンドの広告が入っているが、これがなかなか巷で不評をかっている。
6月に申し込んだのにまだ来ない、とかメールでしか問い合わせできないくせに対応が遅いし、最悪、とか。やっとモデムが届いたけど、回線の都合で接続できん!!とかね。「なんだ、そりゃ?!」な数々の悪評をよそに、何故かうちにはモデムがえらく早く届いたのだ。まったくもって訳わからん。地域によるのかな?うち船橋だし、都会とは思えないんだけど。。。
それはともかく、届いたのに何故接続してなかったかというと、ただ単に面倒だと思い込んでいたのと、箱を開けた途端に「ドみどり」のぶっといLANケーブル(ヘビかと思った。)と真っ黒なモデムのビジュアルがいただけなかったから・・・。
もともと無料プロバイダに加入してるし、そんなに電話代も高くないし、とどーでも良かったっていうのもあったけど、あまりのヒマさに、いざ繋いでみると、びっくり仰天するくらい簡単。5分もかからなかったと思う。だって線を繋いでコントロールパネルの項目を変更するだけで終了なんだもん!
インターネット接続してみると、今までのダイアルアップの「びーひょろひょろひょろ、がーーーーっ!!」っていうイヤな音もなく、リモートアクセスの表示もなく、いきなり繋がってる。メールの送受信もこわいくらいスムーズ。写真のアップも全然速くて、オドロキ。
「え?これで繋がってるの?」ってまだ慣れないんだけど、これはかなり快適です。
ところで、余談。
この日記の最上部のところにある「作者にメールを書く」というところから私にメールを書くと、ホストのすくすく経由でとんでもない表題で届く事が判明。今日、たまたまeriyaさんという奇特な方よりメールを頂戴したのだけど、(本当にありがとうございます。)その表題は「ファンメール for you!」。いや、ファンっていうのは言い過ぎじゃないかと思っただけなんですが。。。書いたご本人もたまげたんじゃないかと。「そんなつもりじゃ・・・。」って。(笑)
(註:これは旧レンタル日記のシステムでした・・・。)
ほんの少しの死
2001年11月04日(日)
私を含め、私の周りにいる人たちの感覚として「ほんの少し死んでいる」というのがある。
この「ほんの少しの死」は絶対的な死とは対極にあるものであり、生きながら死ぬ事により、人生が持続するような「死」を指している。(「死ぬ」という言葉を多用してはならない、と宗教的理由で受け付けないなら、「失う」と言ってもいい。)
ある人は、その感覚を諦観と呼び、またある人はそれを傲慢と呼ぶ。だが、呼び方は何だって構わない。
その「死」を体験する度に、悲しいかな、人は何か大切なものを少しずつ諦め、少しずつ傲慢になるものだ。
勿論、ふだんの私はそんな「死」の感覚を押し殺して生きている。そうやってバランスを取る事で、自分を生きやすくする術は割と最近身につけた。たまに、そのバランスを取れず生きにくそうにして低空飛行している人がいるが、そのバランスは自分と他者との介在の微妙な匙加減を、自ら築き上げていかなければならない。つらい作業だが、誰にもそれを救う事はできないのだ。
その「ほんの少しの死」をそっと自分の中にしまって、時にそれを慈しみつつ穏やかに生きていきたい。そう思う、今日この頃の私であった。
世界の終わり
2001年11月03日(土)
雨音を聞きながら、ふと槙原敬之の「THE END OF THE WORLD」が聞きたくなった。
世間には許されない恋人どうしの切ない歌で、彼等が待ち合わせる時はいつも雨。傘の中にふたり隠れるように入っていると、普通の恋人みたいに見えるのに・・・という下りがある。
世間に許されない恋とは、道ならぬ恋。
例えば、不倫や、同性どうしの恋、というのもアリだろう。
そんなつらくて苦しい恋をわざわざ選んでしまったふたりは、常に「世界の終わり」という最果てにいるが如くだ。
でも、本当にその恋の最中に世界が終わってくれたら、どんなにいいかと願ってしまう。そのアンビバレントな響きが「世界の終わり」という言葉にはある。
そんな「世界の終わり」。
思い出したのだが、村上春樹氏の「世界の終わりとワンダーランド」という物語にも、「世界の終わり」という「街」が出て来る。その街は主人公の「僕」の無意識の世界が創りあげた世界であった。そこには、あらゆるものがあり、あらゆるものが失われている。その点で、やはりアンビバレントだ。
世界の終わり、とは何か脅威的な武器か何かに・・・そう、ノストラダムスの「恐怖の大王」のように、突然降って来て、はい終わり、というものではない気がする。例え全人類が滅んだとしても、そこからは、また何か新しい世界が生まれるからだ。
もっと、私たちのすぐ近くに潜んでいて、得体の知れないもの。そこをつい覗き込んでしまったら最後、戻れなくなってしまう場所、それが世界の終わりなのではないか、と私は想像している。
ねこえvs??
2001年11月02日(金)
夜、ねこえの滞在してる部屋からすごいドタバタとした物音が聞こえてきて、隊長とふたり、何事かと飛んで行った。(親バカ?)
見ると、ねこえが御座を相手にひたすら一人(一匹?)で格闘している。御座の下をくぐったり、一人で転げ回ったりして暴れいる様子。以前、八宝菜の酒で下味をつけたイカをあげた時に酔っぱらって見事に酩酊した時の動きに似ていたので、「何かアルコールの入ったもの、食べさせた?」などと聞いていたら。。。
なんと、御座の陰から季節はずれのゴキブリが!!!ねこえはそのままゴキを追い立てて庭へと消えていったが、すっかり家猫に成り果てたと思ってたねこえの「野性」を垣間見た。
でも、いくらなんでも「えさ」として追いかけていた訳じゃないよね???ちょっと心配。
最近はねこえのためにミニサイズの段ボール箱にクッションを入れて 新品のバスタオルを敷いてふかふかの専用ベッドを用意している。そこにねこえが尻尾も頭も分からないくらい丸くなってふかふかの塊になって眠っているのを見ると、とてもココロが安らぐのだ。
お誕生日月間
2001年11月01日(木)
さてさて、11月です。
ハロウィーンのかぼちゃランプを押入れにしまって、今までお誕生日のプレゼントにいただいたワイン、絵本とかCDをディスプレイ。蠍座月間(一部射手座月間でもある)スタート!っていう事で27歳へのカウントダウン、あと15日!
そして今年のお誕生日は隊長と「函館」にて過ごす事になる予定。
「函館」といえば、去年2月、夜中ナゾの腹痛で救急車で運ばれたワタクシ。猛吹雪の中、JALホテルの方々に多大な御迷惑をかけて、函館中央病院へ搬送されたのだが、なんと!今回奇しくも、このJALホテルに泊まる事になるらしい。
うう、嫌な思い出がぁ・・・。
でも、函館の「いつもの」お店で美味しいお酒とお寿司で誕生日を祝う、というのもシブくていいかなあ。
さっき、去年隊長が買ってきてくれた「千疋屋」のホールの苺バースデーケーキの写真を写真立てに入れながら、突然目眩がしそうなほど「幸福」だと感じた。
カタチに残るモノの祝福と、カタチに残らないけれど密やかにココロに息づく思い出を懐かしみながら、静かにまた一つシアワセに年をとれそうな予感。









設計*しゑ(繊細恋愛詩)
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