独白「文字式」

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2003年12月31日(水) 総括2003

もう、すっかりと大晦日である。30日は、電車で20分くらいのところへ、年賀状に押すスタンプを買いに行った。(遅っ、ってつっこみは甘んじて受けるが、諸事情により、年賀状を書く気がしなかった。)ふらふら歩いていて、実に良いバーを見つけたのが収穫だった。今年最後の酒は、一人酒になりそうである。

さて、年末なので、どうやら運気の良いらしい来年に向けて、今年一年の振り返りと、来年の目標を日記にまとめたい。(てなわけで、いか鍋オフ会編は年明けになります。すいません。)

まずは、今年一年の振り返りなのだが、正直、なんだかわからないまま、あっという間にすぎていった、という感じがしている。目に見えてなにかが変わった、自分は成長したって実感がないのだ。結婚!とか転職!といったような具体的なイベントが無い、ってのも理由の一つなのかもしれないが、個人的には社会人としての自分に成長を感じていないのが大きいと思われる。相変わらずの失敗とかするしね。来年はキャリア形成に気合入れていかないとなあ。

とはいえ、何もしていないわけではないので、改めて日記を読み直してみると、具体的には次のようなことをしていた。

2月
関西旅行、チャットで知り合った友達と会う。
バレンタイン前日に飲みすぎる。(靴を拾っているな。)
3月
人の恋愛話に関与する。(良いエンディングでなかった。)
4月
産業カウンセラー講座に通い始める。
食品詩倶楽部立ち上げ。(ちなみに第1回「醤油」は4月、第2回「プリン」は7月、第3回「天ぷら」は10月アップデート。)
5月
詩を朗読する千葉県民の会参加。
初めての文字式(食品詩倶楽部)主催オフ会。(於上野、「あんみつ」オフ会。)
7月
ポエケット参加。(なお、上原深鈴名義の名刺をはじめて配ったのだが、残りは全て、後日飲み屋でなくしてしまった・・・・。)
8月
人の車と運転で海へドライブ。
文字式オフ会。(於浅草、「天ぷら」オフ会。)
9月
詩を朗読する千葉県民の会参加。(この時マンドリン持参。)
11月
産業カウンセラー講座卒業、その後試験。(9月、10月は仲間とやたら飲んでいたのでした。)
12月
文字式オフ会。(於千住、「いか鍋」オフ会。)

こうして羅列してみると、いろんなことを思い出すなあ。カウンセラー講座の初日が友人の結婚式で、しかも大風邪ひいて、しばらく寝込んだりとか。基本的には、よく飲み歩いていた年だったのだ、と改めて気づかされる。また、ホームページに公開している日記をもとに振り返っているせいもあるのだが、ネットや詩を通じたイベントが多いことを特筆すべきだろうか。

ともあれ、いろんなことに関して、お付き合いいただき、遊んでいただいた皆様に感謝申しあげたい。

で、来年である。プライベートに関しては、上記の通り、今年は(も?)のびのびと遊んでいたので、もう少し節制と向上に努めたい。今のところ考えているのは、英語の勉強と週2から3回のスポーツクラブ通いかなあ。ホームページに関しては、食品詩倶楽部を続けていくことに加えて、マンドリンがらみで何か出来れば、と考えている。(例えば、マンドリン音楽愛好者の詩人募集とか。まだ全然具体的でないが。)さらに、詩に関しては、本年どおりにホームページにアップするのに加えて、なにかしらの形で紙にしていきたい。

来年も、当ホームページ・日記をよろしくお願いいたします。(なお、来年の最初の更新は、自己紹介コーナーの作成と(出来れば)食品詩倶楽部の更新になる予定。)


2003年12月16日(火) 来し方行く末(産業カウンセラー挑戦を振り返る編その5)

(前回までのあらすじ)
実技で学んだことについて復習する。人の話を聴くのは面白いなあ。結構しんどいけど。

何回かにわたって「産業カウンセラー」挑戦について書いてきたのだが、最後に、なぜ目指したのか、そして、今後自分がどうして行きたいか、どう変わったかについて記載する。

といいながら、いきなり言い訳めいたことを書くが、学習が終わり、試験が終わり、よしんば受かったからといって、急に自分が生まれ変わったかの様に変わることはないので、(つまり、急に夜更かしをしなくなったり、おやつを食べ過ぎたりしなくなったりする、なんてことはないので、)「えらそうなことを書いているが、ぜんぜん変わっとらんやんけ」等の厳しいつっこみはしないでいただけると幸い。

そもそも、この講座の受講動機自体は、事務系の資格で簡単に取れそうなものを取ろう、といったいい加減な動機であった。とはいえ、最初の職場が人事系であり、いかに皆が楽しく、やる気をもって働けるか、といったことを考えていたため、職場風土の改善に貢献できるスキルを身につけたいという意識はあったかもしれない。

いい加減な動機からはじまったため、最初は宿題をサボったりとやる気の無さを見せつけてたりしたのだが、実技の面白さ、学ぶことの面白さ、飲むことの面白さにだんだんはまっていき、そのことが自分の成長につながったようにも思える。

例えば、その時その時に移り変わる感情に意識して人の話を聴くトレーニングを通じて、ある一面に固執して良し悪しを決めつけないで、余裕を持って人間関係を形勢できるようになってきた、と思う。例えば、ある人が原因のトラブルがあったとしても、トラブルそのものとその人そのものを切り離して見られるようになったため、禍根を残さずにその後の人間関係を形成できるようになったとのではないだろうか。(この余裕に関しては、人間は成長する存在である、という人間観の学習も寄与している。)また、「自分の今の気持ち」を意識する習慣がついてきたのも、自分にとっては良い影響があった、と言えるであろう。

結局は、「みんなおもろい所があるんだろなあ」と思えるようになったことが成長なんだ、ということであろう。

さて、せっかく勉強したこの「カウンセリング」、資格を取れた暁には、職場で何かしらに活かして生きたい。例えば、会社の中で健康相談室のような組織を作って、メンタルヘルスの啓蒙のようなことが出来たら良いと思う。また、大掛かりな組織を作ることができなくても、職場の管理者に対する傾聴訓練やメンタルヘルス教育を通じて、一人一人の個性を大切にする職場風土形成につなげていきたい。また、少なくとも個人としては、人の気持ちに留意して話をじっくり聴くということを、後輩育成や部下育成(どっちもまだ持ったことがないが)で実践できればと思う。

さらに、半年の勉強はあまりに面白かったので、もう少しカウンセリングの勉強を続けていこうと思う。人事系のキャリア形成に興味があるので、「キャリアコンサルタント」資格取得にチャレンジしたい。また、「メンタルヘルス」や「カウンセリング」の講座があったら積極的に参加したい。

最後に、たまたまこのタイミングでカウンセリングの勉強をはじめたわけなのだが、勉強内容しかり、人しかり、実に良い出会いがあったように思える。この偶然そのものに対しても、ありがたいことなんだなあ、と思う。

たまには勉強も面白いもんだねえ。
(おわり)


2003年12月12日(金) 熱と鉄と(産業カウンセラー挑戦を振り返る編その4)

(前回までのあらすじ)
座学で学んだことについて復習する。来談者中心療法は面白いなあ。

実技では「傾聴」の練習をしていたが、具体的に何をしていたのかというと、三人一組になって、一人が話し、一人が聴き、一人がその聴き方を観察してアドバイスを行ったり、話し手(クライエント)と聴き手(カウンセラー)を選び、皆でその聴き方についてアドバイスを行ったりしていた。つまり、人の気持ちに集中しながら、ひたすら人の話を聴き、そして自分自身も、自分の気持ちに集中しながら、ひたすら自分の話をしていたのである。

こんだけ気持ちに集中して人の話を聴き、そして自分の話をする、という経験、ほかにしたことがあったであろうか。そのなかから、次のようなことを感じたり、教えられたりした。(教えていただいた先生はじめクラスメイトに感謝だよなあ。)

まず、話し手としてであるが、話をきっちりと聴いてもらっていると、自分でこれまでに気づかなかったことに気づくようなことがあるんだなあ、ということを感じた。「傾聴」の技法に感情的な表現を聴きとって、それを話し手に伝え返すというのがあるが、(例えば話し手が「しんどいんだよう」と言ったら、そこを聞き漏らさずに、聴き手が「**さんはしんどいんですね」と伝え返す)こういうプロセスが積み重ねると、無意識のうちに言葉からこぼれだした感情が明確になるので、「実は今私はこうなんだ」って気づくのである。一人で悶々としていても、わからないことがあるんだなあ、と思う。また、自分の心に集中して話をしていたので、なにか自分の想いとは遠いところで質問等されたりすると、結構簡単に心が閉じていくな、ってことを体験したのも面白かった。

自分が話し手として感じたことは、おそらく別の人も感じることだろうから、人の話を聴くときは気をつけないといけないが。(こう考えると、サシで飲んだりする、という行為は実にスリリングである。心閉ざされたら、門前払いだよ。)

次に、聴き手としてであるが、人の話を聴いている時に妙な手癖があったり、あいづちに妙な口癖がある、という指摘をいただいたのが参考になった。前々から手癖は悪くて、マクドナルドで友達と話していても、やたらストローの袋を引き裂いてみたり、コップについているプラスチックの蓋に穴を開けたりと、落ち着きがなかったのだが、結構意識したつもりでも手癖の悪さが出ていたので、相当自覚しないとまずいなあ、とわかってよかった。(ちなみに、やたらとお酌をするのは、ひとえに手癖が悪いからであって、けしてタチの悪い飲ませたがりでない、ということを書いておく。)

ところで、何度も人の話を聴く機会に恵まれていると、どうしても、今日は話を聴けない、ということを実感する時もあったのだが、そういったときは自分の心が揺らいでいる時なんだな、ということ体験したのも貴重であった。当たり前のことを書いているのかもしれないが、知っておくと頭の中でブレーキが出来るような気がするのだ。例えば、自分が振られた時に、友人が振られた話なんか聞いちゃったら、一緒に心がぶれすぎて「女なんてなんだー」なんて泥のように飲んでしまい、飲み代ばっかりかかってしまうだろう。(友達同士、たまにはそういうのもおもろいのも事実。)でも、どこかで「今日のオレは振られ話に弱いぞ」と思っておくことで、相手の話に対して、少しは冷静なつっこみも出来るかもしれない。また、場の空気に負けずに、辛抱強く人の話を聴く体験もさせていただいた。

人の話をきっちりと聴くときには、相手の気持ちを汲み取る心の熱さと、それを冷静に受け止めて伝え返し、辛抱強くつきあっていく冷静さが必要なんだろなあ、と思う。

以上、座学や実習で学んだことを整理したが、まだまだ書き尽くせないなあ、という思いを抱きつつも、日記の中で整理するのはここまでとしたい。次回の日記にて、今後、どうして行きたいかをまとめて、振り返る編を終了としたい。
(つづく)


2003年12月10日(水) 青空も泥沼も(産業カウンセラー挑戦を振り返る編その3)

(前回までのあらすじ)
クラスメイトとの出会い、を整理すると同時に、どさくさまぎれに好みのタイプまで吐露してみる。(まあ、タイプはあくまで一つの見方であり、それに拘泥する気はさらさらないが。)

今日の日記は、カウンセラー講座にて習ってきたことで、特に印象深い点について整理する。というのも、この辺で振り返っておかないと、すっかり忘れてしまいそうだからである。

講座での学習は、座学と実技から成り立っているが、まずは座学で印象に残ったことを記載する。座学で、カウンセリングの理論を学習したのだが、それぞれのカウンセリングの理論が、心理学の発展とともに独自の人間観・病理論を形成し、その見方にもとづいて、さまざまな治療方法を編み出していく様子が学べて、実に興味深かった。

そのなかでも、特に面白いなあ、と感じたのは、来談者中心療法の人間観と病理論である。この理論は「人間は建設的な自己実現の方向へ進んでいく存在である」という人間観を前提にしている。私は、物の見方の前提となる考え方には、前向きさが必要だと思うので、(そうでないと、ある出来事に対して、問題意識を持ちにくくなってしまう)こうした理念をずばりと言い切ってしまうこの理論に魅力を感じるのである。

さらに、魅力的だと思ったのは、この理論の病理論(なんで心の病気になっちゃうのか、の説明)である。これは、自己不一致といった専門用語で説明されるのだが、私自身の言葉を使って書くと、次のような書き方であらわされると思う。

「私はこういう人だ」とか「私はこうであるべきだ」というイメージを誰もがもっているのだが、人間がいろんなことをやっていると、どうしても、自分のイメージとは異なった行為をすることだってある。そんなときに「私ってこういうところもあるのね」とすっと受けとめられればいいのだが、「いや、私はこうであるべきだ」って考えが強すぎると、その行為や、それをしちゃった自分に対して、嫌悪感や恐怖感を覚え、否定的な気持ちになって、心の病気につながっていく。

長所は長所だ、短所は短所だ。それをどっちも併せ持っている中で、それでも、よりよくなろうとするから人間なんだ。ってことなんだろう。

私は個人的に、あまりに強い「べき論」はロクなことをひきおこさねえなあ、と思っていたので、こういう考え方に素直に魅力を感じたのである。

さて、上記の考え方から導き出されるカウンセリングの技法が「傾聴」なのだが(なんでそうなるかを書いていると長くなりすぎるので省略)、実は、実技の学習にて、この「傾聴」(話をしている相手を尊重し、受け止め、その人の気持ちに寄り添うように話を聴く)の練習を積み重ねていたのである。

一番面白いと思ったことを実践できるとは、なかなかの強運だと思う。
(つづく)


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