独白「文字式」

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2002年05月31日(金) SE(ぽえむばざーる編16)

午前中に会場入りして数時間。
出会いあり、別れあり、ドラマありと
そうとう濃い時間を過ごさせていただいたぽえざるだったが、
今回はほのぼのショートエピソード集。
(掲載の許可を取ってないので、匿名にて記載)

売り場でぼーっと過ごしていると、
某氏が、いささかうつろな表情で歩き回っていた。
で、隣のブース(ちょうどお留守だった)の本を手に取ったので、
「小説みたいですよ」と声を掛けたところ、
本を売り場に戻して、「なんかおもしろい詩はないか」と
ふらふら立ち去って行かれたのであった。

なんか座談会らしきものもあった。
事前に、あまりしゃべらない、とおっしゃってた某氏も出ていたのだが、
ふと見てみると、良くしゃべっていた。
顔なじみが頑張るのは良いもんだ。

文字タロットをひいた。
やや地味なキャラクターが出てきた。
俺が派手なのは、動物占いだけだぜ、と思った。

ネット詩誌でお世話になった某氏とはじめてお会いした。
スカした人だったらいやだなあ、と思ったら、
実に真面目で、さわやかな雰囲気だった。
打ち上げの2次会でネット詩について語っていたのを見て、
ああ、ほんとに真面目だなあと思った。
なお、その時、一緒に語っていた某氏が
会社の先輩に似ているのが印象深かった。

ぽえざるの打ち上げに参加した。
事前に幹事の方にお金を払うのだが、
なんか財布をのぞいて動揺している方がおられる。
どうやら、会費を持っていなかったらしい。
旅は世につれ、なので、
その場で彼女の詩集を買って、会費の補填のお手伝いをした。
良いことをした。

打ち上げが終わり、3次会に移動したのだが、
てきぱきと移動していた某氏が
妙にたくましく見えた。
そんな彼から、平成女学院の話を聞いたのである。

ああ、なんかいろいろ楽しかったけど、
さすがに少し記憶が薄れてきたなあ。

というわけで、次回はいよいよフィナーレ。
まとめに入ります。


2002年05月30日(木) 論点整理の夕暮れ(ぽえむばざーる編15)

若者はぎらぎらしててもいいんじゃないのか。
などと、いい加減なことを言って、
つい数日経ってしまったが、
(実は先行きをあまり考えていなくて、苦労した)
要は、「俺がポエムで奇跡を起こす」くらいの
熱いオーラがもっと会場にうずまいてほしかった、
ということなのである。

なんでそんなことを主張するかというと、
前提として、詩の同人誌即売会という、
詩を通じて、心を動かしたい人が
集まっている状況なのである。

で、何かしらの衝動があって
足を運んでいる人に対して、
しらっとしてたら、
全体として、なんかつまんないなあ、って感じに
なってしまうのではないのだろうか。

ところで、一つの意見として、
若い時はいろいろなことを幅広く学ぶべきであり、
そのためには、謙虚でなくてはならない。ってのがある。
たしかにそうなのだが、
その人のおもしろさ、を見つけられる人が回りにいなくて、
なかなか人からの理解を得られない環境にいる場合、
唯一、支えてくれるのは自分なのであり、
そのエネルギーとなるのは、自分の力量を過信する熱なのだと思う。

もちろん、
冷静になって自分を見つめなおすことは重要であり、
状況によっては、自分を過信することが、
自分の道を狭め、人を傷つけることもあるであろう。

でも、だからこそ、
この、詩の即売会という特殊な環境の中では、
熱くなってしまってもいいのだ、と思うのである。

この際、作品の良し悪しはおいておこう。
仮に、自分の書いているものに対して堂々としている人に、
つまらんものを売りつけられても、
「これでかよ」って笑えるじゃないですか。
(毎日訪問されて、売りつけられたら腹も立つが。
時には、冷静で謙虚も必要なのである。)

まあいいや。
はっきりと言ってしまえば、
詩の即売会などという尋常じゃない環境なんだから、
普通にしててどうするの?ってことであり、
1歩足を踏み入れた以上、
まちがう、と決めたらまちがえていて欲しい。
ということなのだ

ああ、このペースだと
6月に日記が突入してしまう。


2002年05月26日(日) 微妙なお年頃の主張(ぽえむばざーる編14)

微妙なお年頃の主張(ぽえむばざーる編14)

ぽえざるがはじまって1時間強。
商売も軌道に乗り、少し余裕が出た私は、
他にどんなブースがあるのかと散策をはじめた。

老若男女いろんな方がいらっしゃったのだが、
結構学生サークルが見うけられた。
4、5人くらいで参加していて、
ブース内はなごやかそうである。

そんな様子を横目で眺めつつ、
ぶらぶら歩き回っていたのだが、
どうも、だれからも声をかけてもらえない。
しょうがないから、自分から近寄って行って、
「見させてもらってもいいですか」と
声をかけて立ち読みをする。

立ち読みをしていても、
売り子さんは私に話しかけたり、注目したりせず、
そぞろに横を向いたり、
友達とお話をしたりしている。

おかしい。

何で、ばざーるなのに、
私に本を売ってこようとしてくれないのか。
(声をかけなきゃ通りすぎちゃう事もあるだろうに)

何で、お客様なのに、
私から頼んで本を見なくてはいけないのか。
(どうぞ、見てってください、って言うのが筋だと思うのに)

何で、せっかくの縁でやってきたのに、
なんだか無視されなければいけないのか。
(お客を前にしてよそ見しないで欲しいのに)

ううむ、やっぱりおかしいぞ、と、
すでにこのときに目覚めていた商人の血が、
不満と不思議でざわざわとしていたのである。
(たった1時間くらい前は、
岡村さんに俳句のアピールをされて、
「買わなくちゃいけないプレッシャー」で
ブルーになってたのに、不思議なものだが。)

で、上記傾向は、サークル内でも結構多くいた、
学生(=若者)サークルに見うけられる傾向が
強かったような気がするのである。

不満と不思議でざわざわしながら、
もっと、若者はぎらぎらしていてもいいんじゃないのか。
と、主張したくなったのであった。

明日はこの主張を展開する予定。


2002年05月23日(木) ビジネス・メソッド(ぽえむばざーる編13)

お客様にたくさん来ていただくよう努力しよう、
と、決意した私であったが、何をしたか。

商人の血が目覚めていない時は、
声をはりあげることは出来ない。だから、あきらめる。
と、実に短絡的な思考であった。

しかし、血がたぎっている時の思考は、
ポジティブ・シンキングである。

“声をはりあげることができなくても、
僕にはいくらでもやることはあるんだ!”

で、結局やったこと。
自分の向いのブースに立っている人や、
通りがかろうとする人を見かけたら、
身をぐっ、と乗り出し、
ひじから先を存分に活用して、
力の限りぶんぶん縦に振ったのだ。

そう、つまり、おいでおいでである。

ちょっと遠くにいた人が、
ただならぬ雰囲気を感じて振りかえると、
笑みを浮かべた見知らぬ若者が、
手を振り回して自分のことを身振りで呼んでいる。

日常生活だったら、
まあ、まずは近寄らないシチュエーションであろうが、
詩を売るのだろう、という前提もあってか、
結構近づいてくださるのである。

というわけで、
結構お客の絶えないブースになったのではないかと思う。
ページ数が少なくて読みやすい、ってのも奏効した。
(石川=岡村さんが羨ましそうにしていた気がするが、
傲慢な発言、お許しいただきたい。)

あと、実施したことは、
立ち読みされた方がお帰りの際、
「ありがとうございました」と声を掛け、
お買い上げの方がお帰りの際には、
立ちあがって、「ありがとうございました」と声を掛けたことである。

これは、実際本当に有難いのだから、
それを十分に表現したい、という気持ちと、
他ブースとのサービスの差異化を図ろう、
という考えでやってみたのだ。

(そこまでやる必要はないじゃん、て声も聞こえてきそうだが、
いいのよ、楽しかったんだから。)

その努力の成果、
売上は、20冊であった。
どんなもんなんだろう。


2002年05月22日(水) 奇跡の瞬間の後(ぽえむばざーる編12)

昨日の日記は、要は、
「困っていたときに本を買ってくれて有難かった」
という話だったのだが、
なにがそんなに嬉しかったのか。

それは、
本(詩)をじっくり読んでくれた上で、
買っていただいた、ということである。

いままでHP上で詩を発表しており、
毎日数人の来訪者にお越しいただいているのだが、
(少なっ、てつっこみは甘んじて受ける)
詩を読んでいただいている、という実感があまり無かった。

今回本を買ってくださった方は、
一緒に「ぽえざる」に参加しているから、とか、
売りこみがしつこかったから、といった前提条件もなく、

ただ、詩を読んでいただき、
その結果、買ってくださったのだ。

(今、振り返ってみると、買っていただいた理由として、
「俺が美しすぎるからだぜ」、とか「百円玉が重かったから」等の
不毛な理由づけ(=妄想)も可能であるが)

で、その時、
お、イケルんじゃないか、という自信に加えて、
お客様に「買っていただく」の精神で臨むのではなく、
お客様に「読んでいただく」のが重要なのだ、という
気持ちになったのであり、

そして
お客様に読んでいただく。
そのためには、自分のブースに立ち寄っていただくよう努力する。
この結論を、呼び覚まされた商人の血が導き出したのである。

さて、お見送りモードでいた時に、
耳に入った、「この本、いくらですか」
不意をつかれ、あきらかに動揺した私は、
座ってた椅子から、がさっ、と立ちあがり
「ひゃ、百円です」ともごもごと価格を告げ、
はにかみつつもいそいそと本を手渡し、頭をぺこりと下げて
去って行く彼女を見送るしか出来なかった。

「何かおもろい詩がありましたか」とコミュニケートする事も無く
顔すらまともに見れず(そのためどんな方かはっきりしない)・・・。

馬鹿だな、自分。


2002年05月21日(火) 商業詩人の夜明け(ぽえむばざーる編11)

エポックメーキング
それは、急にやってくるのである。

「ぽえざる」会場入り以来、
その雰囲気にややのまれた状態のまま、
主催者の一言を皮きりに
本格的に「ばざーる」がはじまった、のだが、
いまいち、何をしていいのかがわからない。

本を売りにきたのは良いとして、
派手に声を出して呼びこみをするわけにはいかない。
よくよく考えれば(考えなくとも)
詩の読み書き、は肉体的には静かな活動であり、
よって、詩売りの方々も物静かな方が多い。

静かで、しかも、食堂という閉じた空間の中で、
自分の声だけが響いているのも嫌である。

とはいえ、ぼんやり座ってるだけでは、
はなから勝負にならない。
机に並んでいる売り物は一つだけ、
しかも白地に墨文字の、ワードで作成した地味な本である。
売り子(わしだ)を含めて実に華が無い。

で、しょうがないから、一人、小さな低い声で
「安いよ〜、安い詩集あるよ〜」と
ダフ屋(ないしはポン引き)の真似をして
遊んでいたりしていたのである。

「これはまいったぞ、千葉から大阪まで来て、
ダフ屋のまねをして終わってしまうのか」
と、途方に暮れていたとき、
ふらりと、私の店の前に、
一人の女性が現れたのであった。

その方は、
私の本を静かに、そしてじっくりと
1ページから読みだした。

最後まで読み終えた後、
そっと机の上に本を置いたので、
固唾をのんで見守っていた私も
お見送りの体制にはいった。

ところが、耳に入ってきた言葉は、
「この本、いくらですか?」

おおっ。

まさに、この瞬間、
今まで眠っていた商人の血が目覚めたのであった。

(そして、この話は、また明日以降も続いていく。)


2002年05月20日(月) 事の真相(ぽえむばざーる編10)

初参加の「ぽえざる」(=詩の同人即売会)
会場入りしてまもなく、その独特の雰囲気に
のまれそうになっていたのだが(昨日の日記参照)
実は、もう一つ、私の緊張を高めることがあった。

それは、
「若い女性が異様に多い」ということである。

別にトラピスト修道院とかで働いている訳ではないので、
見なれていない女性に緊張する、なんてことは無いのだが、
それにしても多い。
バスの中も若い女性がいっぱいいたのだが、
時間がたつにしたがって、
どんどこどんどこ増えていく。

しかも、詩、とはまったく縁がなさそうな
女性も結構見受けられる。
(詩の同人即売会なのに…)

この不可思議な現象。
種明かししてみると実にシンプルな理由で、
ぽえざる主催者の平居さんという方が
この平安女学院で先生をなさっており、授業の一環として、
今回のぽえざる参加をカリキュラムに入れていたのである。

(まったくの余談だが、2次会で
平居さんに先述「平成」ネタを話したことが、
私の数少ないぽえざる後悔事項の一つである。)

それはともかく、
詩を売りに来たのに、
あんまり詩を読んでくれなさそうな人が来たら、
誰でも緊張するよねえ。

でも、しかしですね、

この平安女学院の生徒さんが、
私の詩売り人生のエポックメーキングとなったのである。

この辺の詳述はまた明日。

追記
女性に緊張しないと上述しましたが、少し嘘をつきました。
食堂玄関外でいなり寿司をほおばっていた時に、
女学生の行列が通りかかった時は、結構恥ずかしかった。


2002年05月19日(日) 茫漠たるブルー(ぽえむばざーる編9)

ぽえざる会場に入る段階で、
すでに気後れしていた私だったのであったが、
これで帰っては完全内作ホチキス詩集が可哀想である。
受付を済まし、食堂の中に入りこんだ。

中に入ってみると、
詩を売るブース(机)が準備されていて、
どこで売るかが既に指定されていた。

自分のところを探し出して、
さあ商売の準備である。
とはいっても、売り物は一つしかないので
それを適当に机上に並べた。

まわりを見渡してみると、
結構多人数で来ていて楽しそうである。
なんだか漠然と不安がっていたら、
通路を挟んで向こうの席にいた
「たま」の石川さんが話しかけてきた。

と思ったらそっくりな人であった。

彼はどうやら俳句の同人で、
俳句の話や、自分の本の話をしてくれた。

なかなかリラックス出来て有難かったのだが、
でも、会話後、
「なんか勢いに負けて、要らん本まで買いそうだなあ」
ということが頭をよぎり、ちょっとブルーになった。

ぽえざる内での各ブースとの交流は、
本を買うという前提なしにはなりたたないのでは、
というような感覚を持ったのである。
そんな交流ならめんどくさいな・・・・。

と、いうわけで、
さあ、これから商売頑張ろう、って前に
精神状態は低め安定にコントロールされていたのであった。


(いちおう補注ですが、
上記日記は、私がどう感じたかを中心に書いており、
「石川さん」(岡村さんとおっしゃる)の行為について
良し悪しを言っているものではありません。
(ばざーるだから、アピールするのは当然)
もちろん岡村さんに押し売りとかはされておりません。
念のため。)


2002年05月18日(土) 晴れた日の渦(ぽえむばざーる編8)

ぽえざる会場の平安女学院は、
小高い丘の閑静な住宅街のバス停から歩いて数分の所にある。

平安女学院への道中、
「“平成女学園”と間違えたらえらいことだ」と
どなたかがポソッと呟いていた。

こういう言葉の類似と現存イメージのギャップを利用したギャグは、
ややもすると、どっちにたいしても失礼に当たるのではないか、と
いまとなっては考えたりもするのだが、
うららかな日差しの閑静な住宅街で
不意をつかれたように耳に飛び込んでくる“平成女学園”。
笑いでうずくまってしまいそうになった。

それはともかく、
この日は実に良い天気であった。
少し歩いただけでも汗ばむくらいである。

で、頭の中では、ぽえざるについて、
広大な緑の芝生に机を並べて、詩人が集い、本を売りあう。
青空市場のようなものをイメージしていた。
「ああ、よかった。昨日みたいな雨じゃなくって。
本が濡れちゃうよな」なんて考えつつ。

ところが、
平安女学院の正門から入り、人々が向かっているその先は、
(あくまで自然光と比べて)薄暗い学生食堂なのであった。
学生食堂だからうっすらと油の匂いがして、
ガラス窓の向こうの建物の中では、机が乱雑に放置されている。
(たまたまその時はそんなふうに見えただけだったが。)

その狭い入り口に向かって行列を作る詩人たち。

伸びやかな空間の中の「ばざーる」、を
イメージしていた私にとって
なんだか薄暗い一室に連れこまれ、
ぽえむの渦に呑みこまれるような気分がしたのであった。


2002年05月17日(金) 欲望バス(ぽえむばざーる編7)

(前回の日記を受けて)
予定より3日遅れて、当日編スタートである。

ぽえざる当日。
5月5日は実に良い天気だった。
東京から来たご一行は、眠くてまぶしい目をこすりつつ、
会場の平安女学院に向かった。

体調を崩されていたmymulaさん、
仕事を抱えていたnyoroさんの横で
つい一人ハイキング気分が押さえきれない。
大阪駅から高槻駅まで向かう車中も、なんだか日差しがのどかで
思わずおりそびれそうであった。

で、駅を降り、軽く道に迷いそうになりながらも、
「平安女学院行き」バス停へ。
(この時、正しい道を教えてくれたのに、自分の無知を棚に上げて、
つい、「バス、ないじゃん」と心の中で罵ってしまった
おばあさんのことについて反省する)

バスの発車時間までかなりあったので、のんびり待つ。
祝日の学校行きバス。
普段の祝日だったらまずはガラ空きであろうバス停に
人が一人、また一人と集まってくる。

おそらく、いや確実に
詩人であろうと思われる方がいらっしゃる。
その一方で、
若々しい女子大生もいて、
このコントラストはなんだろうと不思議であった。
(この謎は後で解けるが詳述は後日)

普段の生活ならば、
私対女子大生の対決は、違和感度で私の完勝なのだが、
バス内の全てが「ぽえざる」に集約されるとなると、
また話はかわってくるであろう。

と、まあ、それはともかく
微妙なバランスを乗せて、バスは
緑ふかい方向へと進んで行くのであった。

それにしても
5月の若葉は瑞々しいものである。
えいや、っと旅出ちを決めて良かった。


2002年05月11日(土) 空に浮く(ぽえむばざーる編6)

5月4日、夜、小雨
大阪のデパートの屋上にある観覧車に乗りこんだのだが、
ビルの上部分が凹型になっていて、
窪んでいる部分にその観覧車は設置されていた。

というわけで、動き出して90度ぐらいまでは
ビルの壁しか見えないのだが、そこを越えると、
大阪の街の景色が、ぶわっと視界に飛びこんでくる。

高速道路の街灯が一列に連なっていて、
光の線を描いているのが見えたり、
ごちゃごちゃした集落の灯りが見えたりと、
非常に綺麗だった。けど、それ以上に、
背筋がぞくぞくとした感覚を味わったのが新鮮であった。

観覧車のゴンドラ部分は、四方ガラスばりであるから、
360度ぐるりと見渡せる。
観覧車の骨組は見えるものの、
その他に自分を支えているものは何もない。
まるで、カプセルに詰めこまれて、
空に放り出されたような気がしたのである。

170度くらい回転した所で、
ちょっと怖くなったので上を見てみたのだが、
赤いカプセルが赤い骨組みに支えられて、
さらにさらに上がっていく様子が目に飛び込んで、

まだ自分たちも上へ浮きつづけるんだ、と思うと
かえって、ぞくぞくっとした。

きれいで、ぞくっとして。
観覧車はお薦めである。

で、観覧車に乗り終わった後は、
お好み焼き屋でご飯を食べたり、お茶したり、
一杯呑んだり、そこでnyoroさん、mymulaさんと合流したりと
夜はまだまだ続いたのであった。

なお、その長い夜に関しては、
お好み焼き屋で、偶然横はいりに成功したり、
ソースを早く塗りすぎて怒られたり、
ぐるぐるお茶する場所を探したのに、結局は大丸の上に行ったり、
その道中でお初天神にお参りしたり、
アイス食べたのにまた飲んだり、
合流してからも盛りあがったりと、いろいろあったのだが、
もうそろそろ当日編に入りたいたいので、
詳細をご希望の方はご連絡いただきたい。

2日ばかり家を開けるので、
火曜より当日編に入る予定。


2002年05月10日(金) 赤い衝撃(ぽえむばざーる編5)

大阪、梅田で目指したもの。
それは、観覧車であった。

なんでも、昔、ヒグチさんが大阪に行った際に、
発見されたものの、乗りはぐってしまったそうだ。

幸い、私は高所も閉所も普通に平気であるので、
それならば今回は乗ってみましょう、と
大きなデパートの屋上にある、ということをヒントに
夜の大阪を歩き出したのである。
(不覚にも、途中、お好み焼き屋で挫折しそうになった)

ところで、私にとって、デパート上の観覧車といえば、
川越のあるデパートの屋上の観覧車であった。
その観覧車は、百円を入れれば動く動物の車に囲まれながら
こじんまりとした佇まいで、ちょっとペンキが剥げかかっていて、
昼間3時の日差しが良く似合うようなイメージのものであった。

ところが、
大阪の街なかから、不意に視界に飛びこんできたその観覧車は、
にぎやかなファッションビルにどんとそびえたち、
赤くて、大きくて、ピカピカにライトアップされた
それはそれはおしゃれな観覧車だったのである。

観覧車乗り場はビルの7階であった。、
入場券はいくらだろうか、1000円以上に違いない、などと
大人の会話を交わしながら、切符売り場に向かう。
700円とリーズナブルな切符を買って、
いまかいまか、と乗れるのをワクワクして待っていた。

で、まもなく順番が来そうだ、って時に、
意外な言葉が聞こえてきたのである。

「記念写真撮ります。
出口で出来あがりをご覧いただいて、
気に入ったらお買い求めください。
気に入らなければ結構です。」

へええっ、強制で写真撮るのかあ。
勝手に写真を撮って、買わなければ、ぽいと捨てられる。
そんなふうに扱われるのいやだねえ。
なんて話をしつつも、結局は流れに乗せられるまま、
観覧車誘導係、かつ流れ作業カメラマンに、
もっとよりそって、と立ち位置まで指導されて
写真撮影をしたのであった。

なお、自分のピースマークが恥ずかしくて、
写真は買いませんでした…。
もったいなかったか。

肝心の観覧車に乗る前ですが、
また後日…。


2002年05月09日(木) トーキョー迷子(ぽえむばざーる編4)

大阪への旅立ちは、5月4日であった。
もし一人旅だとしたら、寂しくてしょうがない所であったが、
幸いにも、「ぺんてか」のヒグチさんも4日出発、とのことなので、
ご一緒させていただくことにした。

新幹線南口という、実にあいまいな場所で待ち合わせをして
新幹線の改札を通る。
お弁当を買って、すでにホームで待機していた
ひかり号に乗りこむ。

旅だよなあ。
旅はいいよなあ。
と、思いながら、
いろいろとお話しさせていただいたのであった。
(つうか、話を聞いていただいた、ってのが正しいな。)

そんなこんなで大阪駅にたどりついたのである。
で、まずはホテルにチェックインして荷物を置こう、
という話になった。
ヒグチさんの予約したホテルは、
偶然にも過去に私も利用したことのあるホテルだった。
(ついでに、私の予約したホテルも、近くにあった)

これならすんなりと道案内が出来るだろうと、
意気揚揚と駅改札を出てみたのだが、
方向感覚の無い私である。
案の定、過去の記憶が甦らない。

駅のサービスカウンターで道を聞いてみても、
どうにも説明がわからず・・・。
過去に大阪旅行をしたときも、
とんでもない道案内をされて迷子になった経験もある。

で、結局
えいや、と地下街の中を歩き出し、
夕方の繁華する地下街の人の波に完全に方向感覚を失い、
そうとうな遠回りをしてしまったのであった。

ホテルは新地のど真ん中にあり
カラフルな景色に彩られた道を、
詩人がどんどこ突き進む。
荷物を置いて、
大阪観光のスタートである。

この様子はまた今度。


2002年05月08日(水) 見所(ぽえむばざーる編3)

今回のぽえざる参加に備え、初めて
詩誌、というものを作ったのであるが、
作っているときの気分としては、
ベストアルバム、を作っているような感覚であった。
タイトルからして「定本 文字式」
自分のHPの名前を大いに借用しているわけであるから、
代表作を盛りこもう、と印刷する詩選びにも力が入る。

でも、「代表作」をって考え方で自分の詩を
選ぶのは、なかなか難しい作業であった。
HPに載せている詩は、思いいれの強い詩であり、
どれもなかなか捨てがたい。
あんまり昔に書いたものを採用するのは、
今の私を見て!って観点からはフェアじゃないかなあ、なんて
ことも考えちゃったりすると、なかなか決定しない。

そこで、編集コンセプトを取り入れることにしたのである。
で、ちょうどそんなことを考えているときに、
「練り物だいすきりっとさん」という紹介をされたり、
チャット中も「食べ物の詩が多い」という指摘があったため、
食物をキーにしようと決めたのである。

しかも食物の中でも、
苺、とか、檸檬、のようなピュアでナチュラルでない加工食品を軸に、
夜中の2時まで詩の選択作業は続き…。

で、とうとう
「定本文字式 加工食品の夜」は完成したのである。

ここで、加工食品の夜のアピールポイントを記載する。
・友人との詩のやり取りをしていた時の、一番のお気に入り「蓄肉」掲載。
・ HPで実施中の企画「架空の街 K市」からも、初出「日曜日の情景」
を含む5作品掲載。
・「りっと式ぽえむ宣言」とも言える「8Fポエム売り場」掲載。
・もちろん「笑いハム」「壱円婦人像」もあるよ!

こうして、印刷 at キンコース、
完全内作手作り詩集を携え、
大阪に向かうことにしたのである


2002年05月07日(火) 杞憂(ぽえむばざーる編2)

「ぽえざる」で詩誌を売ることを決めたのだが、
印刷所を探して、製本するといった
費用や時間(気力も…)はなかったので、
とりあえず、HPに掲載している詩を
印刷してコピーしたものを、
ホチキス止めして売ることにした。

実にシンプルな詩誌であり、
すんなりと作れそうなものなのだが、
これが持ち前の性格とあいまって
表紙、中身、あとがき、目次、裏表紙と
一つ一つ細かいことが気になって
結構時間がかかってしまった。

その中で、一番頭を悩ませたのが、
実は裏表紙なのである。
友人の作った詩誌や、リーディングのパンフレット等を
みても、裏表紙に「連絡先」が書いてある。

この連絡先、いったいどこまで書けば良いのだろう。

頭の中では、次のようなことが逡巡していた。
「本名は当然書かないとして、住所をどうしようか。
住所を明記することで、本名がばれたらいやだし
メールアドレスとURLだけでも、十分連絡出来るよな…。
いや、まてよ。メルアドだけだと、
せっかく詩誌を買っていただいて、感想を書きたくなった人が
パソコンを持っていなかったら、失礼だよなあ…。」

われながら小心者でずうずうしい思考である。
初めての手売りなのに、感想がもらえる、と思うあたりが
ほほえましい。

と、まあ、
くよくよしながらも結構楽しい時間を過ごしたのである。

各駅停車で旅行に行こうとして、
時刻表を見ながら、どこまで行けるかでつい盛りあがってしまうのに
感覚は似ているよな。

(ちなみに、ぱっと決まったのはタイトル「定本文字式」でして、
ちょっと盗用です。
また、連絡先は、結局携帯の番号を記載することにしました。
悩んだ割には「大胆」と言われる始末。)

明日は、詩誌の中身について書く予定。


2002年05月03日(金) 旅の前日(ぽえむばざーる編1)

唐突なのだが、
今週5月5日、大阪にて、手作り詩集を売りに行く。
ぽえむばざーる(通称ぽえざる)に参加することにしたのだ。

いきさつとしては、こんなところである。
日々お世話になってる「ぺんてか」のヒグチさんが、
「ぺんてか掲示板」に「ぽえむばざーる」の紹介と
「GW暇している人はいっしょにいきませんか」
とお誘いの一言を書きこみをなさっていた。

で、素直で暇な私としては、
参加への興味をヒグチさんに表明し、
行くことを決定したのである。
(今後、素直な(=真に受ける)この性格が
自分の人生に影を落とさないことを切に祈念したい)

とまあ、私の人生はともかく
つい先ほどまで、手売り詩集の製本をしていたのである。

ここで、最新詩集情報を書く。
タイトル:定本 文字式
定価:100円
限界利益率:20%
その他:内緒

ということで、ぜひぽえむばざーるにお越しいただき、
詩的体験をしていただきたい次第である。

時間:12:30〜16;30
場所:平安女学院大学構内
よろしくね

旅を終えてから、いろいろ日記に
書く予定です。では。


2002年05月02日(木) メガネメガネ(リーディング話7)

長らく続けてきたリーディング話。
最後に、リーディングを通じて、自分の詩について
考えたことを整理しておく。

まあ、一言で言えば、
「自分の詩はリーディングには向いていないなあ」
ということである。

その向いてない理由としては、
読みにくい、とか、耳障りがよくない、という
音的な問題ではなく、
ひとえに、詩に自分の熱、を乗せにくい性質の詩、
だからなのであり、
それは、詩、に対するスタンスの問題なのである

リーディングに向く詩、というのは、
自分の心の叫び、うねり、を
表現しようと志した詩、なのだと思う。
そういった詩は音読をしていて
感情の高ぶりが素直に表現しやすいであろう。

一方、私の詩は、
「こういう見方をしたらどうだろう」といった
提案、提示を志して書いた詩が多い。
見る、に力点が置かれているから、
感情の高ぶりを声に乗せにくく、
リーディングとしての迫力に欠けるのである。

あえて例えれば、
私の詩はメガネ、みたいなもんなのであり、
メガネに熱はこめにくいのである。
(とはいえ、愉快な、そして、密かに熱い
メガネも取り揃えているので、ぜひHPにも
お立ち寄りいただきたい。)

以上、長きにわたって、リーディング話を続けてきた。
私にとって、リーディングは、
初めてWEBの外で行う活動であったのだが、
実は5月5日、大阪にて
またまたWEBの外へと飛び出そうと思う。

明日からの日記は、その話になります。


2002年05月01日(水) 不安定なおじぎ(リーディング話6)

初めて参加したポエトリーリーディング、
人のステージを見るだけでも、結構満足、満足なのだが
(その感想については、前日の日記をご参照いただきたい)
当然、私の番も回ってくるのである。

当日のステージでは、「架空の街 K市」と称して、以下の5つの詩を読んだ。
1. 市民だよりから、2.壱円婦人像、3.8Fポエム売り場
4.ハンペン工場の歌、5.日曜日の情景
で、詩と詩の間に、台詞をはさんだのである。

台詞、といっても、
「今日、僕らは買い物に出かけた。君は、地下の食料品売り場に行ったけど、
僕は一人、8Fのポエム売り場に行ったんだ。」(2と3の間の台詞)
てな感じで、次に読む詩の導入を、演劇風に行ったのだが
「ハンペン工場の歌」の詩の前では、
工場のおっちゃん口調で台詞をしゃべったりと、
妙に工夫(見せ場作り)もしてみたりしたのだ。

さて、名前を呼ばれてステージへ。
おもむろにふかぶかと頭を上げるが、
頭を上げたとき、マイクにこん、と頭をぶつける。
「なんてうっかりの星の元に生まれたんだろう」と思いながら
マイクを握り締め、どかっとステージの上の椅子に座りこむ。
朗読スタート。

気持ち良い。
これがなかなか気持ち良い。

その気持ち良さの大部分が、
私がマイク好き、ということに由来するのであるが、
お客さんに、自分の詩を(それは、自分のイイタイコト、でもある)を
手渡そうとする、そのアグレッシブさが、楽しいのである。

実に良い1日であった。
まあ、台詞の見せ場でカミカミだったり、
ハンペン工場の歌(詩の最後をラララララでしめている)
のラ部分をアドリブで本当に歌ってみたら、
音程が不安定過ぎた、という問題点もあったが
ご海容いただきたい。

明日は、自分の詩そのものを
リーディングの視点から振りかえって
長きにわたって書いたリーディング話を終わりにする。


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