思うところあって...銀の

 

 

スパイ日記 - 2004年04月28日(水)

ワタクシバンドヲクンデオリマシテ、

もう3度目の春〜(未来予想図2より)

で、これまでの活動としては、
ライブが2回、CD(2曲入り)が1枚と、
スローペースではあるものの、私が東京に
転勤していた10ヶ月間も解散することなく、
遠距離練習を育んでいたことを考えると、
なかなかに感慨深いのでした。


なぜ続くのかって?
それは楽しいからです!


バンドってな〜んであんなに
気持ちいいんだろうね。
って思います。

バンド編成は、
ギターボーカルのミヤジン、
ドラムのカナドラくん、
ベースの私。
3人揃って、
大人か子供か微妙戦隊『銀の』!
です。
ジャンルは『ため息ロック』!
です。
オリジナルでそうとうマブい曲!
作ってます。

いろいろと恥ずかしいことを書いて
しまったと反省してると思うでしょ?
いえいえ、まっっっったく恥ずかしい
ことはありません。

なぜなら3人の中の1人だからです。
まぎれると強い日本人です。
しかも、バンドは楽しすぎてテンション
上がるので、そんな細かいことは
気にならないのです。

私はこのバンドもバンドメンバーも
大好きです。
ライブもじゃんじゃんやっていきたい
と思ってます。


ところで、
つい最近の話ですが、あるバンドの
助っ人ベースとして誘われました。
他のメンバーは大学の後輩です。
誘われることはもちろん嬉しいこと
ですし、曲作りに参加する訳でもない
ので、ほんとに人助け的な気持ちで、
あわよくば「ベースうまくなるかな〜」
くらいのかる〜いノリで参加することに
したのですが、彼らからの電話を受けて
ちょぴっと複雑な気持ちになっている
のです。

以下、電話の内容です。
「ゴールデンウィークいつ空いてますか?
 え?5/2と5がダメ?じゃあそれ以外の日
 は全部練習くらいの勢いで考えておいて
 ください。いや、マジで。
 あと、作った曲のCD送るんでその中から
 『耳に残る曲』と、『好きな曲』と
 『よくできてると思う曲』を選んで
 ください。
 あ、10曲入りです。
 それを元にどっかソニーとかに送るんで。
 いや、マジで。
 え?もちろん耳コピっすよ。
 じゃあそういうことでよろしくお願い
 します。」

なんかもの凄いゴツい話や〜ん。びびった。
「銀の」2年半で8曲だよ〜。
でも、もう明日からゴールデンウィークは
始まるのに、まだCDは届いてないよ。
私の実力では、10曲も耳コピは確実に
間に合わないとみた。

それはさておき、何が言いたいかというと、
そのバンド(あ、バンド名知らないや)
の一員になってみて初めて、
自分のことを「『銀の』の○○です」という
ふうに思ってるんだなぁっと知りました。
ってこと。

電話しながら、
「ヤバイ!『銀の』よりも先に進もうと
 してるぞこのバンド。負けられね〜。」
と、そっちが気になってたしね。


スパイって常に頭の中こんな感じなのかなー

なんて思ったりしたのでした。


...

ウオウサオウ 2004 - 2004年04月25日(日)

昨日、劇団に入りませんか?と誘っている
友達と飲んでおりました。

彼女は幼稚園の時の友達で、早い話が
幼馴染みなのですが、昨日みたいに2人で
時間作って話すのって何年ぶり?って感じ
でなんだか緊張しました。

もう一人誘っているのは相棒のミヤジンで、
彼女とミヤジンに共通しているのは、
「今、楽しく過ごそう」
「今、自分を気持ちよくしよう」
と考えているところ。

二人とも、話を聞いていると、
先々にある何かの為に、計画を立てて
耐えて耐えて努力して辛いけど我慢して
勝ち取って・・・
みたいなタイプではなく(たぶん)、
「今の自分を目一杯楽しませる」
「自分が面白いと思うことには、後のことは
 ともかく、いってみまっせ」
というようなとても柔軟な感じがすごくいい
と思うんです。

私の中の女優像ってのも、そういう、

今、まさに、100%

みたいな人がいいなぁと思って誘わせて
もらいました。


彼女に今出来ている4作品を渡し、
どう感じたかコメントをいただく
ことになっています。
ドキドキです。

ミヤジンとは笑いのツボが似ているという
ことを知っているので、
「ここは笑ってくれるだろう」という
あらかたの予想はつくのですが、
彼女と遊んでいたのは中学生までだった
ので、ひょっとしたら違うかもなぁって
思います。

ダメならダメで全然いいのです。
もちろん、口に出して、
「これはやっぱり全く面白いと思えないや・・」
と言われたら、とりあえず漫画みたいに

ガーン

となること間違いなしですが、やっぱり、
「いい」と思わずに一緒にやっていかなくちゃ
ならないってのはたぶんお互いにとって、
その「ガーン」よりも辛いことだと思うので、
とりあえずスパーンと率直に来いやーっ!
と、待ち構えている次第であります。


とにかくドキドキしています。


こんなふうに心が右往左往してるのって
気持ちいいなーと思う私なのでした。


...

畏れ多いお話。 - 2004年04月23日(金)

今日は久し振りに、敬愛する松尾スズキさん
のお話。

誰かのエッセイや小説なんかを読んでいて、
たま〜に、
「あ、この人と考えてること似てる」
と、感じることってありませんか?

私は、松尾さんの文章を読むと、時として、
「そう!それ!」
みたいな感覚を通り越して、
「やられたー!」
って思うことがあるんです。

おこがましいですね。
でも、ほんとなんです。

つまり、私がこれまで感じてきたことが
松尾さんの文章にそのまま書いてあること
があるんです。

この『思うところあって』のために
なんかかんか書いて、「これでよし」と
全世界に向かって曝した後で、
松尾さんが数年前に書いたエッセイを
読んだら同じ言葉を既に使われていた
なんてことも2,3度ありました。
たぶん誰も気付かないような細かいところ
なのですが、
「違うねん、パクったんじゃないねん」
と一人で全世界に向かって釈明したい気持ち
にもなったものでした。

もちろん、たまたま誰にでも共通するような
ことだったのかもしれないですし、私には
あれほどうまく伝える能力はありません。
だいいち、私の考え方なんて彼の人に比べたら、
あまあまのプープーなのでお話になっていない
のですが、ほんとにシンクロした時には
涙が出てきます。

中でも、私が決定的に松尾さんの虜になって
しまったのは、以前書かれた戯曲の題名を
見た時です。


『ファンキー!
 〜宇宙は見えるところまでしかない〜』


「ああ、これだ。」って思いました。
私が誰かに言って欲しかった言葉。

多感だった中学生の頃、宇宙の果てはどうなって
いるのか?という答えの出ない恐怖感と妄想に
毎日毎日悩まされていた時期があり、
それはいつも私の中で『死』のイメージと結び付き、
怖くて怖くて、お母さんに抱きついて心臓の音を
聞くまで震えが収まらないということがありました。
あれはなんだったのでしょう。

今は経験として、「考えるとマズイな」というのを
知っているので、考え出しそうになると、考えを
他に持っていくという技を身に付けたので平気です。

でも、やっぱりその
「考えないようにしなければならないこと」
というのは私に潜在的な恐怖を与えていたようなの
ですが、このサブタイトルを見て救われました。

『宇宙は見えるところまでしかない』

そうなんです。
考えても仕方ないことなんです。
私が見えている宇宙がリアルな宇宙で、
その外側は想像のつかない、なんならもうすんごい
ことになっているかもしれないけれど、
自分にとって『見えるところまでしかない』。
それは、もう、間違いない。

言い切ってしまっている松尾さんは、
私の恩人です。

全く違う意味で書かれたタイトルという可能性も
めちゃくちゃ大きいですが、その場合は、
勝手に救われてすみません、てな話ですが・・・。

でも、今読んでいる『宗教が往く』っていう
小説で、確信に近いものを感じるんです。

『子供の頃、人間の全ての行動は神様に監視され
 プログラムの中に組み込まれたものであるという
 妄想に取り憑かれて困ったことがあって、ややこ
 しいのは、その取り憑かれて困る、ということ
 までもがプログラムにあり、また、そう思うこと
 もプログラムに・・・といった際限のない妄想の
 綴れ折り状態に陥っていたのだが・・・』



ああ、やられたー。





...

セント マイ グランパ - 2004年04月22日(木)

兄がハワイで結婚式を行うことになり、
母方の祖父にあたる「田舎のおじいちゃん」
も、一緒に旅をした。

おじいちゃんは私が世界で一番尊敬している人。

昔は、優しい微笑みをたたえながら、多くを
語らない人だった。
意志が強く、でも、他人に何かを強制する訳では
なく、"私利私欲"ってものがないの?って
不思議になるくらい、それはもう『聖(セント)』
という言葉を頭に付けたくなるような人なのです。

聖おじいちゃん。

そのおじいちゃんももう80歳。
今でも背筋はピンとまっすぐなのだけど、
やはりボケは始まってしまっています。

あんなに寡黙だったおじいちゃんが、
今では昔話が止まりません。
加えて耳も随分遠くなったので、その話に
合わせて話しかけても答えてはくれません。
それは、私にとってとても切ないことでした。
時間は切ない。

旅の最初の方は、それでも
「うん」「そうなん」「なんで?」「へぇ〜」
などと、聞いてもらえなくても相槌を打っていた
のですが、おじいちゃんの独壇場は延々と続き、
私はやつれた顔でコクコクと頭を縦に振るのが
やっとだったのでした。

エンドレスに続く昔話を聞く私。

その姿は、
さながら『ヘッドバッキング耐久レース』
のようでした。

ごめんね、おじいちゃん。

我が家には強者が他にもいて、家族全員を
100%で受け止めていたら壊れてしまい
そうだったのです。
私の意識は完全に、今はもう住んでいない
「等々力のレオパレス」へと逃避していた
のでした。

私は旅の途中、単独行動とヘドバンと妄想
にしか救われる道はなかったのでした。


ただ、今回の旅行で後悔しているのは、
亡くなったおばあちゃんと何故結婚しようと
思ったのかを聞けなかったこと。
(っていうか、聞くタイミングを与えてもらえ
 なかった・・・)

おばあちゃんは、おじいちゃんとは違い、
自由奔放で言いたい放題の人だった。
しかし、悪い人では決してなく、
人間がとても好きで、人情に厚く、好奇心旺盛で、
面白くて、大好きでした。


長男が家を継ぐのが当たり前だった時代に、
12人兄弟の一番年長だったのにもかかわらず
あっさり婿養子に入ったおじいちゃん。

脳硬塞で倒れ、寝たきりになり、ボケてしまった
おばあちゃんを、亡くなるまでの15年近くの間
世話したおじいちゃん。

おばあちゃんが亡くなった時、私が棺桶を覗き
込むと、いつもの微笑みのまま、「まだ肌に
赤みが残っていて、眠っとるみたいやろ?」と
言ったおじいちゃん。

一人になって淋しいだろうと、京都に遊びに来て
と誘っても、「おばあちゃんの法事が終わるまで
は」と、半年以上も頑として家を出なかった
おじいちゃん。

法事が終わるとボケが始まったおじいちゃん。

「おばあちゃんは死んでしまったけど、毎日
思い出すからずっと一緒におるような気がするわ」
と言ったおじいちゃん。

最近になって、誰にも見せていなかった、戦時中に
内緒でおばあちゃんとデートした時の写真を見せて
くれたおじいちゃん。

「不思議なもので、あばあちゃんはもういないのに、
夜中に目を覚ましてテレビを消し忘れて寝てしまった
ことに気付くと『いけない、豊子が起きてしまう』
とハッとしてしまう」と言ったおじいちゃん。

私とお兄ちゃんが小さい頃、寝る前に、昔話をして
とせがむと、「てきすりやーてきすりやー」の話を
してくれたおじいちゃん。

胃ガンになって胃を3分の2切り取ったおじいちゃん。

私の結婚式までは生きていたいと言うおじいちゃん。

いつでも私の幸せを願い続けてくれるおじいちゃん。


ごめんね、おじいちゃん。
私は小さくてわがままな人間です。


愛は元気ですか?




...

家族旅行 - 2004年04月21日(水)

先日、兄がハワイで挙式を行うということで、
私たち家族一行もハワイへと向かった。
家族揃って旅行するのはもう10年振り以上
だったのだが、いろいろと大変だった。
ほんと、あらゆる方面でガタピシいっていた。

短気で文句言いの父親。
天然の母親。
ボケが始まってしまっている祖父。

一触即発の状態であった。

私ももう責任逃れできる年齢ではないので、
何とかいろんな事が勃発しないように、
それはもう細心の注意を払って
できることは全部して、
あっちに気を遣い、こっちに話を伝え、
と、完全に陰の仲介役状態で、
精神的にくたくただった。

なんなら行きの空港のうどん屋で
既に帰りたかった。
ハワイで挙式なんて選択した兄夫婦を
ちょっと恨めしくも思ったりして、
カワイクない妹なのであった。

確かに、我が家の家族旅行が楽しくないのは、
今始まったことではなく、
子供の頃から、私にとって『家族旅行』は、
『憂鬱で、退屈で、我慢して過ごす時間』
だったように思う。

贅沢な話かもしれないが、本当にそう感じて
いたのだから仕方ない。


ただし、海外に行った時に
「強烈に覚えている記憶」というものもあり、
それは今の私にとって財産となっているのも
確かだ。

しかし、たいてい覚えているのは、ツアーの
中に入っている、「○○博物館に行ったこと」や
「××寺院に行ったこと」なんかではない。

例えば今でも鮮明に覚えているのが、
中学1年生の夏、シンガポールに行った時、
ツアー観光ですず工場に行った時のこと。

私は歩き疲れで、工場内に入って見て回ることが
できず、1人外のベンチに座って待っていた。
その当時は携帯電話なんてものも持っておらず、
親に付いて行っているだけの旅行のため、
ホテル名なんかも覚えていなかったので、
「ここでもしはぐれてしまったら二度と家に
 帰れないかもしれない」
という恐怖感があった。

そんな不安な気持ちと、暑さとダルさがあいまって
頭がボヤーっとしていたように思う。

その時私が座って家族を待っていたベンチからは
シンガポールの学校(中学校?)らしき建物が見え、
柵の向こうの芝生では制服を来た学生達が
思い思いの休憩時間を過ごしていた。

シンガポールという国のせいか、
黒人、白人、黄色人種、と、
ほんとにいろんな人種の学生達がいて、
それを見た時「いいなー」と
思ったのを覚えている。

しかも、びっくりするほどカワイく、スタイルの
いい女の子たちが多く、みんな制服を個性的に
着こなし、

「うっす!『自分』でっす!自分として生きてまっす!」

というような個々のアピールの強さを見て憧れを
感じた。

しかし、他のことは忘れているのに、それだけは
今になっても覚えているということを考えると、
ボンヤリした頭で、憧れだけではなく、かなりの
カルチャーショックも受けていたんだろうなとも
最近になって思う。

閉鎖的で「出る杭は打たれること」に関して
異常に敏感な"京都"という土地柄で育った
私にとって、同世代の子達があれほど自由で
個性的に暮らしているというのを生で見たのは
初めてだった。

「自分の知っている世界」以外に、全く違う
考え方や文化を持った世界ってほんとにあるんだ
ってことを、ボンヤリした頭で気付いたんだろう
と思う。


やっぱり、そんなこんなを考えていると、
旅行、普段の生活に関係なく、
自分の「想像の向こう」に出会うことが
昔から私にとってはなにより楽しいこと
だったんだなと、改めて思った。


ま、いろいろしんどい思いもするけど、
プラス材料もあるわけだから
家族旅行も捨てたものじゃないかぁ。


やっぱ、もうイヤかなぁ・・・。



...

お熱くなってます。 - 2004年04月15日(木)

私は本は好きだけど、
ビジネス本は読めないことが分かりました。

理由は、単純に面白かったり
ドキドキしたりしないから。
それに、書いてある内容も似ているのが
多いよね。
「それは前にも聞いたよ」的な。

一応これまでに何冊かは目を通しました。
前の会社の先輩から借りたものや、
上司から薦められたものを。

でも、「ビジネス本を借りている期間」
は何故かいつもより小説を読みたい欲が
異常に強くなって、ビジネス本を1册読み
終える間に、小説を5册ほど読んでしまって
いるのでした。
※誇張しているのではなく本当です。

しかし、読まないで借りっぱなしだと、
借りパクしたと思われる恐れがあるため、
そこは細心の注意を払って、それとなく、
1章ずつゆ〜っくり読んでいるフリをしたり
していました(バレていましたが・・・)。
しかも、根がマジメゆえ、本当に読み終わる
まで返せなかったりと、とても苦痛だった
ように思います。

『返さないのではなく、読めないので
 返せないのです』


この機会に私が聞きたいのは、ビジネス本には
よく"自分を成長のために"って書いてあるの
ですが、はてさて『成長ってなんですか?』
ってことです。

それは、私が会社勤めをしていた時に
ず〜っと考えていたことで、答えの出なかった
こと。

しかし、少なくとも私が読んだビジネス本には
答えめいたことが書いてありましたね。
結局、そういったビジネス本で言う"成長"とは、
『仕事で喜ばれる人材になること』や
『仕事でいろんな辛いことがあっても
 考え方変えて乗り切れる人になること』。

それは仕事以外でも活きてくることかも
しれないし、"ビジネス本"なのでそれで
いいのだけど、
やはり"私個人"が自分は成長したと感じる
ところは"そこ"ではなかったりするので、
読んでいて本気になれないんだろうと
思います。


一番最近買ったビジネス本は、前の会社の
上司に薦められたもので(なんやかんや言って
買っているところが私)、話題になっていた
『バ○の壁』です。
上司から「"分かる"っていうのは難しいんだ」
なんていう話を聞いて、面白そうかもと思って
読んでみることにしたのですが、
結果、だいぶ最初の方で読むのを止めました。

『現代社会において、本当に存分に「個性」を
 発揮している人が出てきたら、そんな人は
 精神病院に入れられてしまうこと必至。』

という文章を読んだ瞬間パタンと本を閉じて、
「はい、終わり」と思いました。

確かに精神病は辛い病気でしょう。
しかし、
『精神病院に入ること=ダメなこと』
という図式は成り立たないと思います。
だからこの説明も全く説得力を感じません。

むしろ、
「ああ、この作者は自分のことをもの凄く
 正しいと思っている傲慢で、頭が旧式な
 人なんだな」
という感想を持っただけでした。


うん、今日の私はなんかまともっぽいことを
書いているぞ。

とにかく、まだ超素敵なビジネス本に出会って
ないだけのことかもしれないので、
ビジネス本は読めない・・・というより、
う〜ん、苦手ですが、
毛嫌いはしないでおこうとは思います。
(間口は広くないとね!)


で、今言えることは、

その本がためになるかならないかなんて
読んでみた本人にしか分からないけれど、
読むか読まないかを選択できる自由がある
っていうのが何より嬉しいよね

ってことでした(無理矢理)。


おわり


...

プラグイン - 2004年04月14日(水)

劇団を立ち上げました。

とはいうものの、まだ何も活動しておらず、
劇団に入りませんか?
と、声をかけた人の顔合わせすら済んでいない
ので、全てがこれからです。

劇団名もまだ決まっていません。
候補はあるんですが。

去年の8月に書いた『8月のうろこ雲』
っていう日記で初めて、
「演劇をやりたい」っていう気持ちが
止まらなくなったことを綴ってみましたが、
ようやく会社も辞めて、実際に動き出す
ことができるようになりました。

とりあえず今は作品を書き溜めています。

もちろん、これまで"脚本"なんてものを
書いたことはなかったので、
こういうことは必ず書かないといけない、
なんていうルール的なことは全く知りませんが、
まず自分が面白いと思うものを書いてみる
のみと思っています。

そして、それを劇団に誘った人が読んでみて、
「面白い」と思ってくれるのか?
改めて一緒にやっていこうと思って
くれるのか?
ってところが今のところ全てかなって
感じがします。
(面白くないってことで断られたら
 とりあえず一人になってしまうので)

目下3分〜5分程度の短いモノを何本も
書いて感覚を掴もうってところです。

現在、2本書き上げたのですが、
これが最高に楽しい作業なんです!

作品自体が面白いかどうかは、やはり
読んだ人の評価なんかがあると思うので、
なんとも言えませんが、
とにかく書き終わった瞬間の充実感が
ものすごいんです。

本当にこの作業を始めてから、
人生で初めて"私の総合力を出している"
っていう気がします。

今まで生きてきて感じてきたことの
結晶(言い過ぎ)って感じすらします。

やはり、私が書くってことは、
「私から見た世界」になるわけで、
それを他人が見てどう思うのか?
もし、面白いと感じてくれたならば、
これほどスゴイことはないかもしれない。
って思うんです。


私だけの感覚。

どんな人をカッコワルイと思うか
どんな人をキモイと思うか
どんな人をキモイけど面白いと思うか
どんな人を愛しくも切ないと思うか

※以下、そんなんばっかり・・・


性格の歪みゆえ、いつもそんな視点で
世界を見てきたように思うので(自分のことも含め)、
その私から見た、
"カッコワルく、キモチワルく、愛しい世界"
を、私以外の人がどう感じるのか、
早く知りたい。



...

ダメな日 - 2004年04月09日(金)

今日は自分の一番イヤな部分が
出てきてしまって自己嫌悪。

とか、不安とか。


はぁ。


全然ダメ。


明日は親友の結婚式だから
ちっとは浮上するかなぁ・・・。


...

春だもんね。いいよね。 - 2004年04月02日(金)

昨日はエイプリルフールでした。

しめしめとばかりに、彼氏さんに、

「自転車でこけて、足をねんざしました。
 腫れがひどくて折れてるかもしれないので、
 とりあえず冷やします(泣き顔マーク)」

と、メールを入れておいたら、
心配して電話してきてくれたので、

「ん?私はぴんぴんしてるけど何か?」

と、エセ伯爵のような口調で答えたら、

「キライ」
 
と言われた。


冗談が過ぎたか・・・。



その後、彼氏さんは、
 
「俺はラーメンを喰ったら鼻血が出た」

と言っていたが、これは実話だった。


アーメン。



...

天狗に会いました - 2004年04月01日(木)

今日は朝から用事があったので、
出町柳から叡電に乗って修学院へと向かった。
空は晴れ渡り、少しまだ肌寒いけど、
ぽっこりとたわわになった桜が満開で
冬が終わったなーって実感した。


ココハドコダ?


用事を済ませて帰り路、ふと思い立って
そのまま叡電で「くらま」を訪れた。
久しぶりの鞍馬山。
しかめっ面した大きな顔だけの天狗の像が
迎えてくれた。

山では新緑の柔らかそうな葉っぱや、
大好きな椿の真っ赤な花がとても鮮やか。


ナゼココニイルンダ?


気分よく山道を歩いているのに、
自分で思い立ってここへ来たのに、
土の匂いの中で深呼吸している自分が
不思議で仕方ない気持ちになった。


昨日、自転車で寺町丸太町を走っていた
時にも感じたことだけど、
10ヶ月以上も喧騒の中で暮らしていたなんて
嘘みたいだなって思う。

私にとって大切な経験をたくさんしたはずの
10ヶ月がスッポリ抜け落ちてしまって、
本当はずっと京都で暮らしてたんじゃ
なかったっけ?
なんていう錯覚に襲われる。
なんとも言えない妙な感覚。

「エアポケットに落ちたような」って
こんな感じのことを言うのかな?
とか思ったり。


うぐいすも鳴いている。
鞍馬の桜はまだ固いつぼみだけど、
もう少し暖かくなるのを待って
爆発しようとしている。


Q.ナゼココニ?
A.それは暖かい春だからです。



あと少しここに居る自分に慣れたら
出発進行する予定。
ただひたすら前だけを見て走り続けた
10ヶ月も、
横向いて、後ろ向いて散歩している
今も、
どちらも必要だということだけは
分かる。

だから、
自分のタイミングで行かせてね。


こんな時期もあってもいいでしょ?



...




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