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2003年01月31日(金) 選抜出場校が決定―そして毎年つきまとうその曖昧さ不透明さ(2)

お次は21世紀枠。

誰が支持しているのか知らないけれど、3年目に入ったこの制度。模範校と困難克服校(私個人は前者を高野連好みの公立進学校枠、後者を辻褄合わせの僻地校枠と呼ぶことにしている)としてひとつづつ選ばれます。今年は柏崎と隠岐の2校が選出されました。まあ離島故に県大会に出場したりちょっと練習試合をするにも膨大な移動時間と多額の遠征費用がかかるというハンデを背負いながらも島根大会を勝ち抜き優勝した隠岐が甲子園に出場するのは、救済枠として捉えれば2年連続島根県の学校という事にひっかかりはあるけれどそんなに抵抗はないし、全国大会でもそれなりに通用するでしょう(高野連的には21世紀枠を存続させていく為にも宜野座や鵡川のように勝ち上がってもらわにゃいけないだろうし)。問題はもう片方。

はっきり言って昨秋に21世紀枠の候補校が発表された時点で私は柏崎が選ばれる事を確信していました。高校野球好きな人なら殆どの人がそう思っていたんではないでしょうか。だってそれがまかり通るのが21世紀枠でありセンバツなんだもん。客寄せパンダ以外の何の目的で選ばれたというんでしょ。一応、例によって「文武両道をモットーに、豪雪や限られた練習時間といった制約を・・・」と後付けの選考理由が示されていますが、なんなんでしょ、コレ。進学率の高い学校だから文武両道?なら全国の野球部員を対象に模試でも実施して平均点順に出場校を決めればいい。豪雪という制約を克服しようとする姿勢?柏崎という街に暮らした事がないのでその大変さは判らないけど、雪国の学校はみんな似たような大変な状況で頑張ってるんでしょ?困難を克服という面からみれば、学校の敷地面積が狭くて屋上で練習したり、打球音が近所迷惑になるので普段は竹製のバットの使用を余儀なくされている様な都心部の学校だって本当に良くやっている。そもそも、野球専門学校みたいな学校を除けばみんな文武両道で(まあ進学校とされる公立高校でも体育コースが設置されていて内実は文武別道というトコが多々あるけど)、何らかの制約を受けつつも日々練習に励んでいる筈。それがクラブ活動というものでしょう。そもそも、頑張っていないチーム・選手なんてないに決まっている。だからこそ、上記の様な選考理由を偉そうに語られたところで21世紀枠から出てきたチームを積極的に応援する気には私はなりません。こんな制度設けなくたって、昨夏に大活躍した川之江の様に普通の公立高校が実際に甲子園を勝ち抜いている訳だし、何よりも強豪私学を撃破して地区の頂点に立たなければ甲子園の土を踏めない夏と違い、春は地区の二番手三番手でも出場可能。現に昨年は激戦区の兵庫で上位に入り、近畿大会で大阪代表校を下した三木が実力で甲子園の舞台に立っています。そういう意味でもこういうタナボタ出場枠は廃止すべきでしょう。こういうよく判らない出場枠を設置して、実力で掴み取る通常の出場枠を減らしている主催者の意図がまるで判りません。昨年なんてその被害をもろに受けたのが太田市商と郡山という公立の高校だったという皮肉な結末にすらなりました。毎日しんどい練習に耐えた甲斐あって晴れて地区大会の上位に入ったチームが全国大会に出られず、一方で地区大会成績の劣るチームが文武両道だの困難克服だので全国切符が与えられるなんてスポーツを冒涜しているとしか私は感じません。そもそも、百歩譲って参加校の多い神奈川や大阪で上位に食い込んでのエコヒイキ出場なら兎も角、田舎の方で1,2勝すれば21世紀枠候補校になれて下手すりゃ甲子園切符、という無茶苦茶な仕組みが存在する全国大会なんて選抜高校野球以外のアマチュアスポーツでは絶対にあり得ないし許されないでしょう。

話は再び柏崎。このチームは秋の新潟大会で3位に入った事で「県大会ベスト8以上」という21世紀枠の「実力の条件」を満たしました。なるほど、さほど興味のない人からすれば、頑張った様やし別に出場させてやってもいいんじゃないの?と思えるかもしれません。しかーしっ!!県3位というのは失礼ながら全国的にみてさほどレベルの高くない新潟県、選抜大会未だ未勝利の新潟県での第3位。しかーもっ!!このチーム、続く北信越大会で優勝した遊学館に10点差で退けられた福井商に準決勝で9点差で下された氷見に準々決で10点差で負かされた小松市立に1回戦で3−4で敗れ北信越大会の逆優勝に輝いたチーム。新チームの通算成績も5割と、秋の段階ではとても全国大会レベルのチームと互角にやり合えるだけの実力は有していないと酷評されても仕方がない状況です。はっきり言って、こんなチーム力なのに大人の事情で甲子園で戦わねばならない選手達が気の毒です。この冬は毎日地獄の練習をしない限り、くじ運悪く全く空気の読まないチームと当たれば東海大山形の記録を更新する事でしょう(もしも宜野座なんかが対戦したら、あの純朴そうな野球少年達は終始笑顔を絶やさずにバカスカ打ちまくり続けそうな気がする)。まあ外野の私がそこまで心配する必要ないし、甲子園出場を柏崎ナインが素直に喜べるのなら別にいいんだけど、可哀想なのは対戦相手よねぇ。メディアの注目を集める試合だし、きっと観衆は弱いもんの応援に回るやろし(そのへんの大阪のおっさんが「引っ込め北朝鮮の手先〜」とか野次りそう)、やりにくい上に下手に大勝でもしようもんなら訳もなく悪者にされそう。これでスタンドに蓮池ブラザーズでもやって来たら...。


2003年01月30日(木) 選抜出場校が決定―そして毎年つきまとうその曖昧さ不透明さ(3)

そして今年から導入された希望枠。

これは、各地区の補欠校の中から失点やら残塁数やら被安打数やらでいちばん数値のいい学校=早い話が投手力のいいチームを自動的に甲子園に出場させてあげよう、というもの。21世紀枠やらこの希望枠やらで本来の出場校数を減らしておいといて、補欠にまわった学校にも希望の枠を与えよう、というその発想自体が私にはよく判らないんですが、兎に角こういう制度が始まりまして、旭川実が甲子園切符を手中にする事と相成りました。よく高校野球って極めて軽微な事柄でも対外試合禁止処分になったり、選手に関係のないところで起きた事件の連帯責任で大会出場停止になったりしますけど、この旭川実って全国屈指の強豪であるバレー部の方で確か最近(以下自粛)。

極めて地元贔屓な私個人としては、興行的に注目選手のいる南部が近畿6校目になって、大阪ゼロ(と当たり前のように思っていた)の穴埋めに地元兵庫の育英が投手力もいいし希望枠とやらで選ばれるんとちゃうかなー、とか極めて主観的な予想をしていたんですが、見事に外しました。まあ機械的に数字で選出する枠らしいし恐らくは育英・山梨学院大付・福井(こちらはその実力が評価されて通常枠で選出、代わりに北信越大会準優勝の福井商が落選)あたりの争いになるんやろなー、と数字の計算もせずにぼやっと思っていたんですが、全然違いました。北海道で補欠となった旭川実が数値上でいちばん優れていたのでありました。

うーん、わたしゃてっきりこの希望枠ってえのは、地区大会で甲子園当確まであと一歩というところで敗れてしまい、選考会議で長時間の激論の末、補欠に回された可哀想な学校を救済する制度だとばかり思っていたんですが、それは認識不足だったようです。吉報は通常の枠では全くセンバツ出場に絡んでいなかった学校に届きました。早い話が「直近5試合の〜」という希望枠選出過程の盲点を突いて、いちばん数字の良い旭川実を補欠1位にして露骨に出場権を取りに行った北海道高野連の作戦勝ち、という事になりましょうか。

なんだかなぁ...。南部&育英や山梨学院に佐賀東といった次点扱いの学校があっさり漏れて、全道大会プラス旭川地区大会の成績によって旭川実が最優秀補欠校として選ばれるというのはちょっと酷いなぁ。結局、この希望枠というのは当該チームの実力というよりも対戦相手が弱ければ弱いほど有利となる、つまり準優勝よりベスト4、ベスト4よりベスト8と早めに負けた方が弱小校相手の試合を取り込めて(希望枠での)甲子園出場が現実に近づくという欠陥のある仕組みという事が見事に証明された訳であります。まあ、各地区大会のレベルの差を無視して一律に数字上の内容で優劣を決めようという最初の時点で問題大ありではありますが。もし来年以降もこの制度がずっと続いたとしたら、恐らく単独大会で出場校・補欠校が決まる北海道か東京の学校がずっとその枠に滑り込み続ける事になると思います。

それにしても、幾ら過去に甲子園で活躍しているとはいえ、「投手力・守備力に秀でている」として選出された今年の旭川実が打たれまくりエラーしまくりで大敗したらこの枠はどうなるんかなぁ、昨夏鳴り物入りの超絶破壊打線をひっさげて甲子園にやって来たものの、17点取られて無惨に散った秋田商みたいに...。


2003年01月29日(水) 選抜出場校が決定―そして毎年つきまとうその曖昧さ不透明さ(4)

そういや、昨年の今頃は太田の市長さんが公開質問状まで用意してその不透明な出場校選出の有り様を広く世に問うていたっけ。そうそう、一昨年は茨城から3校が選出されて、昨年は地域性が云々という理由で群馬からは1校だけが選ばれてました。で、今年は関東地区からは神奈川と埼玉から2校ずつの出場っと。大阪と福岡の出場なしも当たり前の様に回避。いやー、流石は天下のセンバツ高校野球、目の付け所が違います。これだけ毎年の様に噴飯ものの選出をやっても「春はセンバツから」と涼しい顔をしている主催者さんはある意味尊敬出来ます。

当たり前の様にテレビで全国放送されて(まあ近畿ローカルで細切れ中継やってたMBSは高校ラグビーに続いて高校野球の方も準決勝・決勝を除いて地上波から撤退する訳ですが)、元々朝日・毎日両新聞社の部数拡大&阪神・阪急両電鉄の乗客増加を目的として始められたイベント故に興行的な色彩が強いけども、甲子園野球とて高校生の部活動の全国大会に違いはないのであって、「話題性があるから」とか「観客動員が見込めるから」とか「マンモス校で卒業生も多く新聞が売れるから」といった要素を加味して出場校を選ぶ、選んでいる様にみえる、というのはやっぱりどう考えても変だと思いますな。選抜大会の主導権が毎日新聞にあるのか高野連にあるのか知らないけれど、いい加減に是正しないと両者の評判と同大会の価値を今以上に加速度的にどんどん落としていくと思いますよん。ただでさえ、高野連の会長が20歳も若返って70歳の新会長体制になりましたっ!て発表でみんなを呆然とさせているのに...。

だいたい、それがウリだから、と言われればそれまでだけど、どうしてこういう選考過程で大会を実施してるんでしょーか?他の高校スポーツにも選抜大会は存在するけど、どの種目もみんな出場するのは地区大会の上位校と決まっています。センバツ甲子園も普通に秋季地区大会で3・5・7位決定戦までやってその上でこの地区からは上位何校、と決めてやってけば、どこからも不平不満は出ないのに、何故にやらないんでしょう。簡単な話じゃあないですか。このままだと、近大付なんかは選手・監督・在校生・卒業生はじめ学校関係者には大変気の毒ながら(出場する側にも戸惑いがあるだろうし素直に喜べないだろうけど)、この春の甲子園では昨年の福岡工大城東なみにヒール扱いされる事でしょう。南部・育英を押しのけて出場する(させられる)んだから、当然それに見合う様に上位進出する事が絶対条件とされるし、もし1回戦でボロ負けしようもんなら徹底的に叩かれるでしょう。下手したら週刊誌なんかで「金で掴んだ甲子園の疑い」ってな中傷記事まで書かれるかもしれない。そういう事まで考えて選考をやらないと、意味もなく被害者が出るだけだと私は考えます。例えば、昨年の選抜高校ラグビーでは近畿の出場枠3に対して秋季地区大会の上位3つを大工大高・啓光学園・東海大仰星の大阪勢が独占し、伏見工や天理や報徳学園は全国大会に進めませんでした。いつも国士舘と世田谷学園の決勝戦となる高校柔道では前年優勝枠・準優勝枠として東京の出場校枠が増枠されています。これらに誰かがいちゃもんつけているのを私は聞いた事がありません。早い話が実力・実績を示せば文句なんてでる訳がない。夏との差別化?んなもん別に入りません。

極論を言えば、私はもう現在の形態の高校野球なんて要らないとすら思います。現実に「甲子園」に憧れる少年が星の数ほどいる以上、夏の選手権大会は過密日程の問題を何とかしつつ現行のままやるとして、後は全部ぶち壊すべきでしょう。一定の役割を果たしているとはいえあまりにも前時代的な高野連は自主的に解体して頂いて、高体連の野球専門部が主体となって大会を運営していく、っと。インターハイ=夏の選手権として扱えば全く問題ないっしょ(冬の花園ラグビーだってインターハイなんだし)。選抜大会は今のまま甲子園でやるもどっかで分散開催やるも各県持ち回りでやるもよし。クラブチームとの交流試合や大学・社会人と対戦してレベルを底上げし、ゆくゆくは世界で・・・って国際的にベースボールなんて普及してないか、五輪からも除外されそうになる始末やし...。プロ野球大好きおやじは贔屓チームが6球団のリーグ戦で優勝すればそれで満足やし、プロ野球界での世界=MLBやし...。


2003年01月21日(火) オオサカキャッスルは世界のお宝!!

関西経済同友会が、大阪城とその周辺地域をユネスコの世界遺産への登録を求める提言を行った。難波宮跡や船場・道頓堀の活性化等と併せて観光客を呼び込み、大阪経済の再生を図るらしい。関経連のお偉いさんなりの精一杯のギャグなのか真剣に世界遺産登録を狙っているのかどっちなんだろ?

世界遺産に申請するのは勿論「大坂城址」ですよねっ?確かにこの城郭は日本史から切っても切り離せない代物だし、城址内には重要文化財が幾つもゴロゴロしているし、巨石が並ぶあの立派な石垣は確かにそれだけでも世界遺産の名にふさわしい。でも、現在の「大阪城」そのものはどう考えても世界遺産に値するもんじゃなかろーに。

大阪城。私の記憶が間違っていなければ、あそこの天守閣にはエレベータで行けたような。で、エレベータを降りるとそこには売店があったような。いや、その前にあのお城は鉄筋コンクリートで出来ていたような。と、すると我が街に鎮座している伏見桃山城もひょっとしたら世界遺産に登録出来るかもしんない・・・訳ねーよっ!!

歴史をひもとけば、日本の城郭というのはその殆どが再建されている。この大坂城〜大阪城も、ご存じのように夏の陣で落城した後に幕府が規模を縮小して再建、暫くして落雷で天守閣が焼失し、明治維新でも被害を受け、その後大阪市民の手で再建されるも戦争で物凄い爆撃を食らい……とまあ踏んだり蹴ったりな目に遭わされて来た。そんな時代の証人として世界遺産価値があると言えるのかもしれないけれど、やっぱり現在のコンクリ製天守閣が世界遺産、というのは個人的には抵抗がある。既に世界遺産登録されている姫路城や現在申請中の彦根城(そういやどっちも国宝ですな)と現在の大阪城が同列というのはちょっとなぁ。本当に世界遺産として価値あるものにするならば、やはり天守閣を撤去して、もう一度堀も作り直して広大な大坂城址を復元する(もしほんまに実行したらあの近隣でどれ位が立ち退いて貰わないかんのかな...)のが筋な様な気がする。

別にいいやん、世界遺産になんかならんでも。私はちっちゃいときから親しんできた今の緑色の屋根したお城が未来永劫あそこにあればそんで満足よん。それに無理矢理に大阪城をプッシュせんでも大阪には古いものでは多くの前方後円墳であるとか、新しめのもんでも中之島の公会堂とか、文化的価値の高いものはそれこそ幾らでもあるんやし。

それにしても、今回これを発案した人々は現在の大阪城公園周辺をちゃんと見た事があるんだろうか。ここに限らず、大阪の街というのは非常に汚い。関西在住の私でさえいつもそう思っているのだからよその地域の人からすれば尚更だろう。現に花博の時は外国人観光客にストレートに「OSAKAハ緑ガ少ナクテ、アチコチガ汚レテイマ〜ス」とか言われてたやん。マジで観光増収による経済再生を考えてはるんなら、大阪城の権威付けより先に地道な環境美化に取り組んでいくべきだと経済に疎い私は思いますよー。

ところで、もし仮に大阪城が世界遺産になったりしたら、やっぱり隣国の人は「侵略者プシンスギル秀吉の居城を世界遺産に押し込むという蛮行は我が民族に対する……」とヒステリックに怒り狂って謝罪と賠償を求めてくるんやろうか?やっぱ意味なく新たな国際問題を生み出すだけやし、今回の件はやめとくべきでしょうな。


2003年01月18日(土) この番組(くに)の行方

最近その偏向ぶりズレッぷりがあまりにも酷すぎて叩かれまくっている放送局がありますな。今日はそのチャンネルの看板ニュース番組のおはなし。

1.17。鎮魂の一日。8年前のあの日、阪神間そして神明間はまさに地獄絵図でした。被災地の外にいる大多数の人間は、為す術なくただひたすらその映像を見つめる事しか出来ませんでした。そんな時、東京から現状を見にやって来た高名なキャスターがヘリの上でこんな事を言いました。「まるで温泉場のようです。」あれから8年が経ちました。

以後、このキャスターはその時の汚名を返上するべく節目の日には必ず現地入りして被災地の現状を全国へ発信するようになりました。その事でキャスターは改めて評価されました。そして、2003年1月17日。

今年も神戸からキャスターが震災のニュースを伝えています。そして震災関連の特集へと続いていきます。テレビから流れてくるその特集を見ていて私はあっけにとられました。震災の特集がいつの間にかさりげなくも巧妙に在日差別問題の特集にすり替わっている。震災直後から神戸長田で外国人向け生活関連情報を発信して活躍したFMわいわいの紹介をしているなーと見ていたら、唐突に顔にモザイクのかかった在日の人々が「関東大震災の時のように〜」と声を荒げている。そして、以降はお決まりのように差別が…、偏見が…、韓国・朝鮮人としてのアイデンティティが…、のオンパレード。で、VTR明けにアナウンサーが「差別する側の心の貧しさ」「神戸は人の心の有り様が問われる日本のいまを映し出している」と一方的に締めくくる(その後、入手した近畿エリアで未放送の第二部を見てみると、台湾の被災地の方が神戸よりも人に温かかった等とさえのたまっておった)。わたしゃ別に冷酷なレイシストではないので送り手側の言わんとせんことは判らんでもないけれど、「非在日」である一般長田区民があそこまで一方的に悪者扱いされるのは如何なもんなんでしょうか...。

震災当時、外国人集団による略奪が横行している、といった流言は確かに存在していました。その種の流言に在日外国人の人々が怯えていたのも事実です。しかし、その様な状況下で人種・民族の壁を越えた助け合いがあったのもまた事実。例えば外国人学校は避難してきた日本人を暖かく迎え入れ、被災地の外からは援助物資や学校の再建資金が届けられたし、在日外国人の全国組織がそのネットワークをフルに生かして被災地救援に大活躍していました。すべてがすべていい話ではないけれど、在日外国人―地域住民間の距離が縮まったところは相当数あったのではないでしょうか。

そういう意味でも、裏付けや検証もなしに唐突に「8年前の差別や偏見は・・・」等とやるのは、当時助け合ったり救援に活躍するといった相互交流によって「在日」という負のイメージを打ち消してきた人々を冒涜しているだけにしか思えません。そもそも、この特集には膨大な数の震災犠牲者を悼む姿勢が殆ど感じられない。加えて、“他文化他民族の共生”といいつつも、この特集に出てくる「在日外国人」というのは在日韓国・朝鮮人のみ。そして日本人被災者の扱いの軽さ。一体どこの国のニュース番組なのか、といつもながら突っ込みたくなります。常にこういうスタンスでやっているから、半島嫌いの人間を増殖させ、在日韓国・朝鮮人を被差別・偏見の側にいつまでも留めていく結果になると個人的には感じるんですが。

黒田清さん、もっと長生きしてこの番組の震災報道をいつまでも骨のあるものにしておいて欲しかった...。


2003年01月17日(金) 震災8年、誓いの一日

今年もまたこの日がやって来た。

はや8年なのか、まだ8年なのか――98年にこのウェブサイトを開いて以来、この日の雑記では毎年この表現を使っているが、8年が経過した今でもやはり“はや8年”であり“まだ8年”でもある。この8年間で阪神間の街並みは物凄い勢いで復旧を果たした。でも、ちょっと表通りを逸れてみれば空き地は目立つし、街の雰囲気もどんよりと暗い。ぱっと見では震災の爪痕というものはなくなりつつあるけれど、その地に暮らす人の数だけ震災の災禍は複雑多様化している。勿論、自らの手で復興を果たした人は多く、中には罹災による“焼け太り”をした人すらいる。けれども一方では自助努力も虚しく未だ復興を果たせない人も少なからずいる。せめて、何らかの公的援助法ぐらい出来ひんもんなのか、とつくづく思う。

これまで毎年1月17日には新聞各紙を買い込み、震災関連のテレビニュースを3局同時に録画していたが今年はそれをすっぱりやめることにした。扱いが少なくなった事もあるが、毎年同じような構成ばかりだから、というのが主な理由(除く地元メディア)。そりゃ8年もすれば「目で見える震災」なんて見つけづらいし、メディア映えする様なネタも少ないだろう。でも、震災そのものは続いている。地味でもいいから「目で見えない震災」を深く追って欲しいものである。

いや、それ以上にそろそろ震災の闇の部分を大々的に報道してもいい時期なんじゃないかな。外国メディアが驚愕した様に被災地で人々が落ち着いて行動していたのも、日本人と在日外国人が助け合っていたのも、みんな事実だけれども、全てが全て感動的な事ではなく、誰しもがお行儀良くやっていた訳ではない。震災から8年、そろそろ美談の影に隠れている話(敢えてここでは詳しくは触れないが)も表に引っ張り出してくるべきなのではないだろうか。例えばダイエーの様に自らも被害を受けながらも店を開いて通常価格以下で物資を販売したところがあるかと思えばカップ麺やおにぎりを数千円で売りつけていた輩もいたということ等々。そして、当時の人災的側面の検証もそろそろ本格的にやるべきなんじゃないだろうか。救助に当たった自衛隊のヘリ使用に制限を加えたり救助犬や空母に代表される外国の救援申し入れをつっぱねた当時の政権の姿勢など、今一度表舞台に引っ張り出すべきだろう。これらの記憶も風化させてはならない。

もし、あの地震が野島断層の方からではなく花折断層の方から発生したなら、自分はどうなっていたんだろう、とふと考えることがある。京都市内は大概がそうだが私の住む伏見醍醐近辺も狭い路地を挟んで家屋は密集しているし、すぐ南には黄檗断層が走っているし、それでなくても旧巨椋池干拓地を筆頭に地盤の緩い場所が多いし、もし運良く命が助かっても家屋倒壊や地域一帯が火の海となる可能性は非常に高い。東海・東南海・南海地震がいつかは発生し、近畿の活断層が活動期に入ったといわれる昨今、阪神・淡路大震災の忌まわしい出来事は決して人ごとではない。喉元過ぎれば、ではいけない。震災の教訓を忘れてはいけない、と改めて肝に銘じる事がこの日被災地の外にいる我々の義務といえるのではないだろうか。勿論、この震災だけでなく各地の災害・紛争でそれこそおびただしい数の犠牲者が出ていること、我が国だけで毎年一万近くの人が交通事故で命を失っていることも忘れてはならないのは当然の事だが。

改めて8年前の1月17日に亡くなられた6,433人の御霊のご冥福をお祈りします。


2003年01月16日(木) 1・17の記憶

あの日のあの瞬間、高校2年生だった私はゴォォーという地鳴りのような音と激しい揺れに飛び起きた。起き上がったものの大きな縦揺れで一歩も動けない。これで死ぬんやな、と思いつつ必死で壁にしがみついていたら揺れが収まった。急いでテレビを付け、この時間で唯一の近畿ローカルだった「おはよう天気です」にチャンネルを合わせる。しかし画面は真っ暗で、「先程大きな地震がありました」という声だけが聞こえてくる。(あの時この番組がいつも通り大阪タワーのスカイスタジオから放送していたらどうなっていたんだろう、と今でも思う)。ついに東海地震が来たんや、この辺でこんなに揺れてるんやったら名古屋とか静岡辺りはどんなひどいことになってんねんやろ、と思っていたら我が街京都が震度5で震源地が淡路島付近という第一報に驚く。それから暫くパチパチとチャンネルを変えて地震情報にかじりつく。地下鉄梅田駅付近の漏水、セットの壊れたMBSのスタジオ、ガラスが全部割れたABC横のショールーム等が何度も繰り返し流されていた。

6時50分頃に家を出発。当時、学校をよく休んでいた自分がどうしてこの日はちゃんと登校していたのか今もって不可解だが、恐らく混乱状態の中で潜在意識が普段通り学校に行くという行動をする事で均衡を保とうとさせたんだろう。バスで三条通を通っている最中に大きな余震が来た。併走していた京津線の路面電車が真っ暗になり急停止した(地震を察知した運転士さんが急ブレーキをかけた、というよりは通電が止まってそのままモーターが停止したように見えた)。やっぱり家におったら良かった、家族は大丈夫やろか、と物凄く心配になる。

学校に付くと、殆どの人間が来ていなかった。京阪・阪急・近鉄・JRとみんな運転を暫く取りやめていたんだから当然といえば当然である。取り敢えず、ちらほら教室に来ていた連中と今朝の体験談の後、「○○のおっさん(年がら年中、もうすぐ関西に大きな地震が来るから、みんな親に地震保険に加入するように勧めろー、と力説していた地学教諭)にはよ解説してもらわなー」とか「何でも阪神高速の橋桁が落ちたらしいで」「へぇー、落ちたらどんな感じなんやろー」といった会話をしているうちに本日は臨時休校という事となった。今日はもう帰っていいのか部活の顧問に尋ねる為に校内を歩いていると、木造校舎ではガラスが割れ、図書館では天井が落ちていた。改めて地震の凄さを実感する。

そんなこんなで帰宅してテレビを見るとそこには脱線した電車や横倒しになった高速道路の映像があった。地獄絵図は何時間も何日も映し出された。時間を追うごとに死者の数がどんどん膨れ上がっていった。西宮から通っていた同級生は家が半壊し、交通が遮断されて暫く通学することさえままならなかった。

幸いにして、被災地に住む私の友人・親戚は誰も命を落とさなかった。だが、あの一連の出来事は絶対に忘れてはならない。


2003年01月15日(水) あの惨状を語り継ぐ

震災8年、今年の1月17日の雑記を締めくくるに当たって今一度自分自身に言い聞かせておきたいのは「震災の風化」という一語に尽きる。別に身内や友人に犠牲者が出た訳でもないし、96年頃に少しだけ仮設住宅に関わった程度でそれ以降は全く被災地・被災者との縁もない訳だけども、やっぱり自分の住む場所から数十キロしか離れていない場所でのあの惨状を、テレビで間接的にとはいえ目に焼き付けた者としては、あの数日間の出来事は忘れる訳にはいかない。くどいけれどもこの地震列島に住んでいる以上、日本人は皆他人事ではない。無論、この阪神・淡路以外にも大地震の被害はいちいち例を挙げるまでもなく過去に何度も記録されているし、大火・津波・雪崩・崩落・・・と自然災害による犠牲者、そして各種の大事故・大事件による犠牲者数も膨大であり、いちいち気にしてたら毎日がなにがしかのメモリアルデーになってしまう。でも、特別扱いする訳ではないけれど、天災の記憶として、そして人災の記憶として、都市型災害の象徴として、為す術なく被害が拡大していった教訓として、この1月17日の記憶だけは後世に語り継ぐべきだと私は強く思っている。

こんな事を偉そうに書いてはいるが、私自身もこの震災を強く意識するのは阪神間の車窓を眺めて空き地を見つめる時程度で、1月に入ってこの日が近づくまではまったく潜在意識の隅に追いやってしまっている。これまでは、1月17日の5時46分が近づくと自然と目が覚めて、テレビの前で西の方を向いて一緒に黙祷をしていたが、ここ2年間はグーグー眠っていた。やっぱり心の中ではもう何となくどうでもいい事になってるんだろうな、この偽善者め、とつくづく思う。

実際に被災されて近しい人を亡くされた方々にすれば、あの忌まわしい出来事を思い起こさせるだけだし、震災をクローズアップして引きずるのは酷なだけかもしれない。でも、それでもやっぱり阪神・淡路大震災というものが残した様々な問題や感情を被災地の外へと大々的に発信していく事は必要であると私は信じる。天災は本当に忘れた頃にやってくる。だけど、今なお苦しんでいる被災者にスポットを当てたドキュメンタリーを真剣にみる人間なんてはっきり言ってそんなにいないだろう。かと言って簡単に「目に見える震災」なんてもう存在しない。そういう意味で、せめてこの1月17日という一日だけは毎年あの震災の記憶をそして課題や教訓を呼び起こす日としてメディアには大きく扱って頂きたいもんである。東遊園地の1・17の炎を移しながら「犠牲者の数だけ用意された竹筒に・・・」「今なお多くの人が生活を復興できずに・・・」とナレーションを入れるだけでも、当時の生々しい記憶を再生し、未だに進行形の震災を伝える大きな効果がある。10年の節目となる再来年は兎も角、来年は今年以上にメディア上では小さな扱いとなるだろうけど、この1・17の記憶はいつまでも大事にしなければいかんな。

震災の記憶を後世に残し、改めて我々の記憶を呼び覚ます、という意味では「しあわせ運べるように」ほど最適なものはないだろう。プロの女性歌手が歌ってる方のはそうでもないけれど、小学生が「ひびきわたれぼくたち〜のうた〜」とこの歌を合唱しているのを聴くと私はパブロフの犬状態で涙がボロボロ出てきてしまう。すっかりお馴染みとなったこの歌は、神戸の市立小学校の音楽教諭である臼井真先生が避難先で涙ながらに鉛筆で走り書きして作られたそうで、その歌詞とメロディからはその当時の感情の重みがひしひしと伝わってくる。神戸のみならず全国の小学校で何十年何百年と歌い継がれて欲しいと思う。下にその歌詞を掲載して(この曲ジャ○ラックとは無関係よね?)、脈絡なく同じような事ばかり書き殴ってきた今年の1・17の雑記を終えたい。

♪しあわせ運べるように     作詞・作曲:臼井 真

 地震にも負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 支え合う心と明日への 希望を胸に
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

 地震にも負けない 強い絆をつくり
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 やさしい春の光のような 未来を夢み
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように


2003年01月14日(火) 付加価値、地域ブランドの視点から見る“文化財”

なんか皇后さんの実家の取り壊しでえらい揉めてますな。私は豊郷で解体反対を叫んでいる人達は全面的に支持したいと思うけど、この五反田で騒いでいる人達には一切賛同できない。むしろ、はよ壊してまえよヴォケが、とさえ思ってしまう。この差は一体何なんだろう。

取り敢えず両者の違いを考えてみれば、ひとつは文化財的価値があるか否か、という事になるのかな。片やヴォーリズの設計した伝統ある洋風建築で、実際に大津地裁から工事差し止めの仮処分が出されている。片や古いながらも特筆すべき程の価値まではない住宅(しかもリフォームされている)、持ち主だった正田家も現在の所有者である財務省も保存を望んでいる訳でもない。だから、どうしても建物を保存しなければならないという理由は希薄であり、部外者からすれば肩入れしようという気にはならない。

いや、それよりもねぇ・・・。早い話が五反田で反対運動にしている人達には、共感を覚えるどころか嫌悪感しか抱かない、それだけの話である。反対住民の言ってる事が全く論理的でない。「生きてる木を切らないで、あなたは生きてないの?!」林業を真っ正面から否定してるのかこのオバハン。きっとこの人は鉄筋コンクリの家に住んで割り箸なんか使った事ないんでしょう。「陛下が入院している時になんて事をっ!!」それが工事に来た人らとどう関係あるねん。文句言うなら建物を物納した正田家に言えって。「いま改心すれば間に合う!!」もはや意味不明。法治国家で正当な手続きを経て何が悪行になるというのか。恐らくあの人達が口を開く度に世論は遠ざかっていく事だろう。

この反対運動でいちばん解せないのが、どうして解体工事の段になって反対反対とやっているのか、という事。豊郷みたいに行政が一方的に取り壊そうとしたケースとは訳が違う。現在の相続制度によって正田さんがやむなく物納せざるを得なくなったんだから、本当に建物を残したいんならばカンパを集めて正田さんに渡すなり、住民らで建物を買い取るなり出来た筈やんか。家の図面も現存してるみたいやから別な場所に移築する事も可能やし。

実際に軽井沢町が移築保存を申し出てくれていたらしい。でも、そんときゃ反対住民の皆様は「ここにあっての正田邸、軽井沢なんかに移したら歴史的意味はない」と猛反対したそうな。つまりは最優先されるべきは「建物保存」そのものではなく、「皇后陛下の生家がある街というブランド」という事なんだろう。自分達は特別な地域に住む人間だ!というエゴにしか見えない。正田邸という付加価値の消滅によって地価が下落するという懸念もあるんだろう。結局は本気で建物を保存する気なんてなかったのだろう。なのに今頃になって工事の人をこづいたり「塩爺を出せ」とかやってるのは筋違いも甚だしい。

ところでこの反対住民の皆さん、shodatei.jpというドメインを取得してウェブ上でも反対運動を展開している。中身はまあ書き出しても疲れるだけなので個々人で実際に見て判断して頂きたいが、私がこのウェブサイトでいちばん目についたのは建物保存の主張でも何でもなく「あやかり商品第一号 思い出の昭和・正田邸メモリアル」というお酒だった。限定醸造の品で4本並べるとラベルが正田邸になるらしい。ただの便乗商売やん...。きっと今後も正田邸まんじゅうとか正田邸せんべい、若者向けには正田邸ストラップなんかが続々と発売される事でしょう。この反対運動、あの西村眞吾代議士も絡んでおり「解体業者は日本人かどうかも判らない」という風な発言をしてまた物議を醸している。半島絡みで大活躍して男を上げ、折角あのイメージを払拭したのによく判らない議員さんだなー。西村さん、悪い事言わんからこの反対住民からは離れなはれ。「あやかり商品」に利用されまっせ〜。


2003年01月07日(火) 歴史的構造物を「生きた形で」保存するという意味

豊郷の小学校建て替え問題。

これ、何か書こうと思っても次から次へと新たな展開が続いていくんだよなー。最初は単なる近畿のローカルニュースだったのに、あっという間に全国区の話題になっちまった。

解体工事を請け負った業者が政党の県連幹部の建設会社で・・・とかまあネット上でも色々とこの問題の構図を補足する情報なんかが結構流れていますな。その種の情報とか噂が間違ってたら単なる名誉毀損になるので詳細には触れないけど、つまりは騒動の背後にはアレとかアレなんかが密接に絡んでいるんでしょうな、恐らくは。だから町長さんは裁判所や全国民を敵に回そうが、何が何でも、予定を前倒ししてでも解体工事を実行させなければならない、と。邪推すればお金ががっぽり入る為なのか自らが変死体になるのを防ぐ為なのか、兎に角あのお方は工事を強行しなければならない立場にいるんでしょう。それぐらいうがった見方をしないとこの騒動は解せない。だって、この法治国家にあって自治体の首長がたかが小学校の建設如きで工事差し止めの仮処分を無視して工事を強行する、てな司法への挑戦みたいな事するか、普通。

ま、そんな邪推はさておき、あの校舎はどう考えても残すべきでしょう。ああいう建築物はいま造ろうとしてもなかなか造れない代物だし。現在の技術なら、建て替えなくても岡崎にある京都府立図書館の様に外観はそのままで中は綺麗に更新する事だって可能なんだし(どれぐらいの費用を要するのか判らないけれども)。そもそも再度耐震診断をやってみて(無論、柱の数値等は通常値で)、問題なしならば新校舎建設も現校舎改築も必要なく従来通りの維持費用で保存というか通常使用が可能な訳であるし。

「一文の支出をも惜しみ始末に徹しながら、一方では公共のために千金をなげうっても悔いはない」という近江商人の信条に基づき当時の丸紅の専務だった古川鉄次郎さんが全額を寄付し、近江八幡で没し、メンタム・メンソレにも縁があるヴォーリズさんが設計して昭和12年に建てられた豊郷小学校。実物はテレビでしか見た事ないけれど、モダンな洋風建築、階段手すりのウサギやカメ等、なかなか魅力のある建物に感じる。ま、ノーマライゼーションという意味ではちょっと障害が多いかも知れないし、実際にここに通っている児童からすればただのボロっちい校舎かも知れないけど、小学校では郷土の歴史なんかを学習する訳だし、そういう意味でも由緒ある現校舎は生きた教材として大いに価値がある。

こういうその土地の歴史が詰まった校舎は日本広しといえどもそうはないんじゃないかな。こういう歴史も一度破壊してしまえば後には無機質な新校舎が出来るだけで他は何も残らない。だからこそ残すべき。反対しているのはアカだのプロ市民だのそういう次元の話ではない。恐らく、反対している卒業生の爺さん婆さんに混じってその種の活動家も色々とやっているだろうけど、この反対運動に限ってはそういう人達にも精一杯頑張って欲しいもんだ。


2003年01月04日(土) 便所の落書きVS珊瑚の落書き

昨年の暮れに、お馴染みのインターネット掲示板ユーザーが、入試によく出題される、とやたらとCMで自慢している新聞の投書欄に“赤井邦道”というペンネームで送ったネタ投稿が実際に東京版の紙面に掲載されるという珍事がありました。

全く知らない人の為に「サッカー中継 韓国リーグも」と題されたその投稿を要約すると、世界各地で日本人サッカー選手が活躍している。しかし、韓国Kリーグに移った前園選手は全く注目されていない。韓国はW杯ではイタリアやスペインよりも実力が上だったのに日本人はKリーグよりセリエAに興味を持つ。日本はアジアにもっと目を向けるべき、だからKリーグ中継を・・・、てな内容でありました(検索すれば全文の載った当時の紙面をキャプチャーした画像などが出てくると思います)。

日本代表クラスのトッププレーヤーと全盛期を過ぎた現在の前園選手を海外移籍組として同列に扱っていたり、セリエAとKリーグのレベル差を無視していたり(野球で言えばMLBべったりじゃなくて台湾球界にも注目しろーっ、てなもんかな?)、とずぶのサッカー素人の私ですらツッコミどころ満載(更に主張の中心であるKリーグの中継も、スカパーで放映していたものの、あまり人気が集まらなくって今シーズンは見送られたそうな)のこの投書、結局はもっと韓国に注目しよう!といういかにもこの新聞社好みの内容を送ってみたらあっさり掲載されちゃった、てなとこが最大の笑いどころなんですな。どうみたってネタなのに、この内容はこの新聞社的にはやっぱりオッケーなんだー、って具合で。しかも投稿者の名前は読み方を変えると「赤い報道」だし。いや〜、以前高校野球で大阪の某出場校(アンケートで選手の尊敬する人の欄がみなあの方のお名前だったらしい)に対する縦読みメッセージが、実際に応援メールとしてテレビ中継で読まれていた以来の大きな悪戯でした。

んで、その後。

東京版の紙面には「あれはインターネット掲示板の常連ペンネームのものと同一であり、掲載目的の単なる愉快犯だ、との指摘から読者からあり、本人確認にはこれまで以上に〜」てな内容の文章が載ったそうな。

さて、この投稿、確かに紙面掲載前にその所謂ネット掲示板のネタ投稿を作ってみよう的なスレッドに赤井邦道というハンドル名で書き込まれていたようですが、それが何か?というのがワタクシメの個人的な感想。で、所謂ネット掲示板群の細分化された色んなカテゴリーの雑談の中で話題には上がっているけれども、ハンドル名赤井邦道さん本人が「あれ僕がネタでやりました」と発言してはいない筈(もしやってたら「神降臨!」とかの騒ぎが起こっている事だろう)。なのにネタで送ったからとか、掲載前はちゃんと連絡が取れていたのに今は連絡がとれないといった理由で愉快犯扱いかいっ。もしも、この赤井さんが真剣にKリーグを国内で見たいと思っていて同内容のものをネット上等でも多重投稿していた、或いはその投書を送る前にそれを読まされた友人等の第三者が面白半分でその中身をネットで流し、更に新聞社が連絡したときに赤井さんはたまたま大好きな韓国にでも旅行に出ていて国内に居なかった、てな状況だったら(んな事ある訳ないけど...)どうするんですかっ!!立派な名誉毀損じゃないですか。

別に後からあーだこーだ言わんでも(ひょっとしたら週刊誌にからかわれる前に紙面で先手を打ったのかな?)、掲載するに相応しいと判断して載せたんならそれでいいやん。他の一般投稿者の中にも掲載されやすいように新聞社の論調に沿って書いている、なんて人も少なからずいるやろうし。そういう意味では赤井さんはこの新聞社が欲しがっているネタをよーく熟知していたという訳やし。この一連の流れを知っている人間に「あ、やっぱり悔しかったんや〜」と更に面白がられるだけなのになぁ...。

それよりも、問題なのはこんなネタ投稿でおちょくられる程にステレオタイプな投稿しか載っていないこの新聞の投書欄そのものでしょう。まあ、「世の中は広いなぁ、こういう視点でものを語る人もいるんかぁ〜」と楽しませてくれる分にはいいんですが(別な意味であまりにも楽しい内容が多いので、あっしはいつも一面・ラテ欄の次に目を通す様になっちまったい)、一時期の拉致事件に対する読者投稿群をはじめとして胸くそ悪くなるような内容のものの含有率が恐ろしく高く、そのバランスの欠如したページ構成っぷりには定評がありますわな、この新聞は以前から。その手の市民団体に属する投稿者からの投書もよく載ってるし。そりゃ私でも愉快犯的に、「有事法制」「憲法第9条」「アジアの国々に」「いつか来た道」「我々弱者が」「政府は」「いま何故必要なのか」「〜と感じるのは私だけでしょうか」とかのキーワードを適当に散りばめて一席ぶっこんでやろっかなー、とか思っちゃうぞ。

しかし、この一件までわたしゃこの投書欄って、あの狂気じみた偏向っぷりからいって一般読者からの投稿は一切載らないもんだと半ば思っていたので、あの欄が本物の一般投稿も含まれているんだ、という事を証明してくれた意味でも、今回の楽しい騒動を巻き起こしてくれた赤井邦道さんに感謝したいと思います。

それにしても、前園選手だけは本当に本当に気の毒だなぁ...。


2003年01月01日(水) 謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本厄イヤーだった昨年はホントに嫌なことばっかりで(いきなりお神籤で凶引いたところからスタートした...)、心身共にずっとグロッキー状態でしたが、今年はそんな昨年の分も明るく、楽しく、元気よく、はじけまくっていきたいと思っております。毎年鐘を突かせてもらっている黄檗山蔓福寺さんで心身をすきっとリフレッシュ、この一年を頑張っていきたいと決意新たにしたところでございます。ま、今年も最後まで無事に生きる事が出来ますように。私の周りでこれ以上不幸が起きませんように。旧年中みたいに病気寸前まで抑鬱状態に陥りませんように...。

そんなこんなで、親しい皆さんも、顔も名前も知らないあなたも、たまたま通りがかかってこの雑記を眺めてみた貴方も、み〜んなまとめて本年もどうぞ宜しくお願い致しまっさ。


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