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2002年09月05日(木) 東山高校硬式野球で暴力事件、秋季大会参加を辞退(1)

(8月27日分の雑記です)

毎日新聞のサイトを眺めていたらこんな見出しが目に飛び込んできた。「■高校野球 東山高野球部で部員が暴力事件 秋季大会辞退(18:43)」うそー、と我が目を疑いつつリンク先をクリック。なになに、甲子園期間中に山科グラウンドでレギュラー陣と別練習をしていた2年生部員が準備の遅かった1年生部員の頭や胸をバットのグリップエンドで数回叩き、室内練習場で過度の腕立てやウエートトレーニングを強要、翌日にも別の1年生部員2人が顔をテーピングでグルグル巻きにされた、と(一部スポニチ・京都新聞の記事からも抜粋・要約)。

テーピング云々はただの悪ふざけな様な気がせんでもないが、腕立てや筋トレで両肩上腕部筋挫傷や腰を打撲捻挫って一体どれ位の時間を延々とやらせたんやろか。監督・コーチや先輩連中は甲子園で自分達は普段通りに学校のグラウンドで練習、せめて思い切り先輩風を吹かせたかったのかも知れないが、あまりに調子に乗りすぎである。この2年生部員が新チームでのレギュラー候補だったのかどうかは判らんけど、こんなしょーもない事でみすみす自分達のセンバツ出場のチャンスを潰すなんてあまりにも情けない。自らの撒いた種だから自業自得ではあるが、その火の粉は当然ながら秋季大会に挑む他の部員達にも降りかかるし、久し振りの甲子園出場に沸き返っている学校関係者やOBにも多大な失望感をもたらす。はっきり言って周囲に水を差すどころか裏切り行為に等しい。PLをはじめ全国各地でこういった問題が続発している状況下で、こういう事をすればこういう事になるんだ、という事をこの部員が想起出来なかったという事が何よりも残念である。まさか、部内全体にイジメがはびこってたんではなかろうな...。


2002年09月04日(水) 東山高校硬式野球で暴力事件、秋季大会参加を辞退(2)

まあ全部が全部とは言わないが、野球部の連中ってのは往々にしてガラが悪い。ご多分に漏れず私の出身校の野球部もあまり良くはなかった。ガシ高の試合を観に行っても頭をマッキンキンに染め首からジャラジャラぶら下げながらユニフォームを羽織って応援している野球部OBらしき奴もよく見かける(アレ毎年テレビでよく目立つし学校イメージも悪くなるから自粛させた方がいいと思うんだが...)。上下関係が厳しく色々とそれらしい話も聞くし、決して構造的な問題がなかったとはいえないだろうから起こるべくして起きた事件なのかもしれない。メディアで流れる「怪我」の程度なんて大層なもんだし(赤チン塗る程度の裂傷でもかさぶたが消えるまで“全治1週間”だったりするしねぇ〜)、グリップエンドで叩いたり罰として猛練習を課すなんて事はどこでもやってそうな気がするが、表沙汰になった時点で立派な「暴力事件」である事には変わりなく、秋季大会を辞退するのも当然の結末である。いやしくも「目標人間形成、結果として甲子園」を標榜する学校がこんな事しでかしては面目丸潰れである。

この夏の東山の大躍進には間違いなくその「人間形成」がきちんと為されていた、と私は信じたい。スタンドの控え部員達は劣勢の時にも仲間の逆転を信じてより一層大声を出し例年以上に熱い応援を繰り広げていたし、背番号を付けて実際に戦っている選手達はエラーが出ても点差が開いても下を向かずに笑顔を絶やさず自分達のプレーに徹していた。そして何よりもみんな礼儀正しかった。ベンチの外も中も底抜けに明るく、いつ敗れても悔いはないだろうな〜、負けてもこのコらは完全燃焼出来たと一生のいい想い出に出来るんだろうな〜、と4回戦の時点で傍目で観ている私にすら思わせた。お世辞にも実力はよそより優れているとはいえないけどチーム全体のまとまりは京都で一番、その結束力で頂点まで駆け上がった今夏の様なチームこそ、山崎野球の完成形なんだなー、と思えた。長谷部前監督時代の強豪校もイメージはすっかり減色したけれど、また違ったカラーのチームを率いて京都に東山あり、を感じさせてくれた山崎監督の采配をまた来年も見たい。自らの目の届かない所で練習させたという落ち度は免れないけど、こんな事で指導者として教育者としてまだまだこれからの山崎監督が責任を取ってチームを去る事だけは絶対に回避して欲しいな(数年前に大谷で上級生が後輩部員を平手打ちして鼓膜を破った事件があったけど椹木監督さんはその後も指導されていた筈だから、対外試合禁止&部長・監督の謹慎処分くらいで済まないかなぁ...)。

この件について高野連の正式処分は9月18日の定例審議委で審議される。


2002年09月03日(火) とことんツイテナイとある長い長い一日の記録(1)

8月29日木曜日。午前5時に目が覚める。うぅっ、2時間半しか眠れんかったではないか。暫く一日の行動計画を考え込む。如何に効率的に動くか、どの様な時間配分を行えばいいか―あっという間に1時間が経過する。慌てて前日怠った食器洗いを済ませ、猫どもにご飯をあげ、彼らのトイレを掃除し、ダッシュで家中の戸締まりをしてまわり、車に飛び乗った。

朝の1分というのは本当に貴重である。それがどれくらい重要かという事は、高校時代は6時50分、大学時代は6時15分に家を出ていたこの身が重々承知している訳なのだが、この日は明らかに出遅れた。出遅れた分だけ渋滞という名のタイムロスがのしかかる。ウィークデーの7時台、しかも中途半端に降り続く雨。枚方市内に入ると車の列は全く動かない。ハンドルを握り鉛色の空を仰ぎながら5時過ぎの自分自身を恨む。どのみちこの日のうちに西下しなけりゃいけなかったのに何をグズグズしていたんだぁっ、と。いい加減、即断即決を下せる人間になりたいもんである。それにしても、渋滞という奴はどうしても運転が単調になって思考力が鈍くなるんでいけない。容赦なく襲いかかってくる睡魔。結局、進行方向選択を都合2回ミスった。どうしておーさかの道はフツーに真っ直ぐ走っていても急に右折レーンになったりするんだろう。悔しいので2回とも本線とお別れして迂回ルートで先を急ぐ。

紆余曲折を経て(あまりにもしょーもない事が色々ありまくったが、いちいち書き出すと一向に話がすすまんので全部割愛)2時間20分後に都島着。何故「もうひとつの甲子園」に行くのに都島が絡むのかってえと、千葉にいる親からここに置いてあるバッハの無伴奏チェロ組曲のCDを送ってくれと頼まれた、っちゅうしょーもない理由の為。さっさと梱包して、一休みしてお風呂を沸かす。が、天神祭以来ここに足を運んでいなかった甲斐あって電気湯沸かし器に風呂桶一杯分のお湯など蓄積されいる筈もなく、しぶしぶ冷たいシャワーを浴びて10時過ぎに再出発。


2002年09月02日(月) とことんツイテナイとある長い長い一日の記録(2)

冷水とはいえ、高湿度の車中(あまりにも体調が優れんのでクーラーは一切回さず、かといって排ガスが放出されまくっているR1上で窓を開ける訳にもいかず、ひたすら劣悪環境に耐えていた)で汗まみれになった身体を行きすがらにリフレッシュ出来るのは非常に有り難いもんである。服も全部着替えて非常にいい気分。鼻歌混じりにバス停へと歩を進める。急にしとしと雨が降ってきた。ま、大した降りじゃないしヘーキヘーキ。30秒後、その雨はスコールの様なものに豹変した。29階の弊害、それはお天気がもひとつ判らないという事。窓を眺めると障害物が少ないので観天望気には適しているがリアルタイムのお天気は掴みにくい。辺りを通行している人たちが傘を差しているかどうかも確認しにくい。結果、着替えたてのほやほやだったおべべはびしょ濡れという大変奥ゆかしい事態と相成った訳である。

11時前に阪神梅田駅。姫路行きの直通特急に乗り込む。ホームにやって来たのは銀色の山電の車両。いわゆる通勤型ではなく座席が枕木と平行に配されたクロスシートの電車である。普段乗ってる京阪特急やみやこ路快速と別段変わらないけれども、滅多に利用する事のない路線でこういう車種に当たるとなんか小旅行に出掛けている様で結構嬉しい。窓枠に肩肘載せて頬杖ついていつもは向かいに座っているお客さんの肩越しにしか見ることの出来ない阪神沿線の車窓を存分に楽しむ。しかし、こうやってじっくり眺めてみると真新しいお家が多く、更地や補修跡の痛々しい建物がやたら目に付く。そして、その傾向はやはり進行方向左側(R43方向)よりも右側(R2方向)の方が強い。震災から7年半、街並みは劇的に変化したが依然として激震の爪痕は残存している。そうこうしているうちに大型タンカーや海峡大橋、白砂青松の海岸が目の前いっぱいに拡がってきた。いよいよ明石だ。


2002年09月01日(日) とことんツイテナイとある長い長い一日の記録(3)

山陽明石。私がちっちゃい頃は電鉄明石という名前だったような気がするが今は山陽と冠されているその駅に降り立つ。明石に来たのは2年半ぶりだが、相変わらず向かいの駅のホーム上にはこれ見よがしに「速さはJRのあかしです」というボードが吊られていて笑えた。階段から駅構内に至るあちこちに“大阪・明石1dayチケット”と書かれたポスターが掲出されている。阪神と神戸高速と山陽(明石まで)と大阪市営交通とOTSが乗り放題で1,980円、とある。ふーん、何だか割高そうな切符だなぁ、とスルッとKANSAIを精算機に突っ込む。不足560円。へっ?!と思わず声を出す。確かカードの残額は330円。って事は何か、梅田〜明石間は私鉄でも片道890円もするのか!!知らなかった、てっきり500円前後で行けるもんやと思っていたのに...。往復したら1,780円、行きしなに乗った市バスが200円、ほんでこれから堺に行くから・・・うーっ、完璧にその1day切符買った方が得しまくりやんけー、おまけにあっちやったら三宮や元町で寄り道も出来るし...。ところで阪神&山電でこんな値段なんやったらJRは一体幾ら取られるんやろう、とお隣のJR駅に行って運賃表を確認。890円。うそーん、JRの方が高いと思ったからわざわざ20分も遅い阪神・山陽ルートにしたのにぃ...(ちなみにさっき駅すぱあとで調べてみたら三宮まで阪神か阪急に乗ってその先をJRを使えば690円じゃった)。その傷心に塩をなすりつけるように降る雨。駅前のスーパーで千円傘を購入していざ明石公園へと向かう。


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