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△once upon a time
2004年01月30日(金)
■■奇跡はここにもありました。





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この方はご近所さんで
30年前、卵巣癌を患っていらっしゃった。


あたしは妹ちゃんが卵巣癌と診断され
このままだと余命3ヶ月だと言われた時


家族の前では泣く事が許されない立場だったのだけど、



このおばさまの前では




ほろほろ  泣いた。


2004年01月20日(火)
■■いいことばかりではないさ。


それでも、明日はくるのだから。









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infor-mation更新しました。



2004年01月16日(金)
■■ホルモン補充療法中止。



始まったばかりのホルモン補充療法。

ちょっとほてりがひどくて
この療法をすれば、なんとかなるのかと

期待していたみたいだったのだけれど。




中止。になりました。



副作用がひどいので。





2004年01月10日(土)
■■あたしの道程を支えてくれたもの。





看護学校での勉強も半分以上過ぎました。
しかし学校を出ただけでは看護師にはなれません。


看護学校を卒業するってゆーことは
ただ単に、看護師国家試験受験資格を得られただけ

落ちたらあなたもあたしもただの人
あー。そんなの当たり前だから。←棒読み。
だってそういう職種なのだもの。


なりたいんですっ!っていうココロイキだけではなることはできない。
でも逆に
これだけ勉強して知っているから!だけでもなれない。



3年間かけて
じっくりその二つをブラッシュアップする。
そして振るいにかけられたりする。

最後の振るいが看護師国家試験です。






実は
妹ちゃんが生と死のハザマで生きる人になったとき
あたしは学校での勉強が苦しくて苦しくて仕方がなかった。


特に
精神保健の講義。
例えば【末期がん患者の家族が綴った闘病日誌を読んで】みたいな
テーマでレポートを書かなければならなかったとき。

講義の最中に

闘病日誌を読んで
鼻だ垂れるほど、ひとり号泣してみたり。



例えば
いくら看護学科でも
系統別医学も単位をとらなければならないし。

そこには必ず悪性新生物に対する講義も含まれる。
悪性新生物が日本での病気別死亡原因一位なわけだから。


“予後”とか“成り行き”とか、勘弁してくれ・・みたいな心境で。




その上、心理学も同時に別講義を受けていた時期で。



あたしといえば丁度妹ちゃんが抗癌剤治療をしていた頃だったので

講師が『看護師は、患者さんがその人らしく毎日を生きられるように援助していく必要があります。』みたいなことを云ったとき



想わず抗議めいた質問をぶつけたり。

『先生。その人らしく生きられる援助って例えばどんなことをいうのですか?臨床での経験で、そういうことがあったら教えてください。』←嫌な生徒。









『辞めてしまいたい。学校。』そんなことを毎日想って暮らした時期です。






それでもあたしは今看護師を目指しています。



それを支えているものは妹ちゃんなのです。




看護師は治してあげられないんだよね。
家族もいくら変わってあげたいと想っていても
代わってあげられないんだよね。

理解してあげたいけれど
あなたには到底なれないのだよね。
本当のところ、理解してあげられることはできない。


何かしてあげられるなんて想っていたら
それは大きな勘違いです。

理解してあげられるなんて想っていたとしたら
それはとても傲慢だと想います。(あたしは、です。)



あたしは癌患者の家族になってみて
初めてそのことに気がつきました。



どうしたって、第三者には
分かり得ないことがある。


どうしたって分かりえないことがあるから
だから、ベットサイドへいくのです。

何もしてあげることができないから
だから、そばにいることが大事なのだと。






教科書にそんなことは載っているのです。
でも、その意味を本当に理解することはとても難しい。



その意味を教えてくれたのは妹ちゃんでした。





そして、命を懸けて生きる人と真正面から向き合うことの怖さを
教えてくれたのも

妹ちゃんです。




真正面から向き合おうとするとき
人は“素”になるのです。


うまく云えないのですが
相手と“素”のまま向き合うということは
自分と向き合うということに似ています。


それはとても怖いことです。

相手に言葉で話さなくても伝わります。
自分の感じていることが“素”のまま。

だから、相手がダイレクトに反応するのです。



相手の反応を見たとき感じたとき

自分自身が何を感じてそこにいたのか
それを振り返ると

恥じることだって
自己嫌悪に陥ることだってある。

誰だって自分の人間性の悪さを反応として見せつけられたくない。
でも、人と真正面から向き合うとき
否応なしに見せつけられる。




心底凹みます。




そんなことを体験しながらも
今この路に立っているのは

怖いけれど
それは相手から教えてもらっていることだと想うことができたから。



そんな風に想えたからこそ



あたしは今、ここに立っています。








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追伸。

えっと。メイルいただいたのですが、返信メイルが返ってきてしまうので
ここでお礼させていただきます。


T様へ。
メイルありがとうございました。とてもうれしかったです。
細々と日記を書いていきます。
これからもよろしくお願いします◎



2004年01月01日(木)
■■新しい年。




母と妹ちゃんとあたし。

顔を揃えて新年をお祝いしました。






みんなで新しい年を迎えられることの倖せ。




今年もひとつ歳をとる。
一時期、年取るなんて嫌だなぁって想っていたことがあったけれど

そーゆーのもいいな みたいに今は想います。


生きていると色んなことあるけど

色んなことがあっても

こうして新年を迎えられるって、やっぱ倖せだよ。




今年も どうぞ よろしく。







▲in the future
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