今回の芥川賞の候補作ともなった「鏡の森」の作者、和田ゆりえさんは、京都の長岡京市に住んでおられます。その縁もあってのことか、京都新聞にエッセイが掲載されていました。
三月に京都で開かれる「世界水フォーラム」に寄せての「水」に関するエッセイです。文の大半はへレン・ケラーのまさに目の覚めるような、啓示のごとき「水」の認識について割かれています。それはそれでとても面白かった。 そして、稿の最後に専門のフランス語からの話題を小さく書いておられたのだけれど、それにとても興味をひかれました。
フランス語では「水」を<eau(オー)>と発音します。英語の<water>の最初の母音と同じ発音で、思いきり発音するのだそうです。 和田さんはそれを、そのカタチが水に住まう魚の口の形であり、ポンプや水道の蛇口、また噴水などの水を吐き出すものに共通のカタチだと締めくくっておられました。
ここで示されたのは表音文字に隠された<かたち>のことです。 かつて、駐日仏大使が表意文字たる漢字の成立にいたく感激し、フランス語の単語のアルファベットの連なりを半ば強引に視覚的に捕らえようとしたことがあります。(本まで出されたとか) つまり、漢字成立の文脈であちらの単語を捉えようとしたのです。 だけど和田さんの捕らえ方のほうが、はるかに新鮮で無理がないと思うのです。
表音とは、その音を出すものの口の形を真似ているというふうには考えられないでしょうか。 <なにかを示すもの>の全体のカタチを紙に書きそれを洗練させていった漢字。 紙ではなく口の形に記憶させていった表音文字による単語。
和田さんのやわらかな連想。水−魚−蛇口。 その裏打ちに究極の直観である、ヘレン・ケラーの体験への洞察があるんだな、と感じました。 やわらかな詩のような。
詩といえば、ここ何日かさまざまなテキストを読みながらも、常に手元においていた詩集があります。以前にも書いた「小枝を持って」。高橋睦郎さんの詩集。 鋭さと美しさのある、無駄のない素晴らしい詩。 「空の渚」という美しい言葉も見つけました。 やはり詩はいいです。
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