散歩主義

2003年01月11日(土) 「傾く」もの

今年は歌舞伎発生400年。南座での公演も力がこもるようですね。市川新之助も三月には来ます。

ところで、歌舞伎の発生は京都・四条河原となっていますが、どうもそうではないようです。『上方芸能』編集長・森西真弓さんが指摘されています。
そもそも出雲の阿国がはじめたその時は太閤秀吉は亡く、家康の孫娘、千姫が秀頼に嫁いだ時でした。資料をあたると、当時、興行は北野神社(天神さんですね)、五条河原(方広寺門前)だったといいます。
では、何故四条河原になったかというと、家康の「秀吉嫌い」からきた、と森西
さんはおっしゃいます。

たしかに、京都では秀吉ゆかりのものは徹底的に破壊・排除が進んだようです。方v広寺はつぶされ、秀吉の墓も荒れるに任せたといいます。(現在は綺麗ですが)
また、近世年間、たびたび「太閤記」も出版禁止になったそうな。

四条河原を劇場街として幕府が公認したのは、「夏の陣」のあと。その後も女歌舞伎が駄目、それならとはじめた若衆歌舞伎も駄目。しかたがないので成人男子の野郎歌舞伎になり、それが発展・継承され現在まで続いているわけです。

幕府は弾圧を続けたわけですね。「石垣直角」みたいな連中ばかりだったんでしょう。
そもそも「歌舞伎」とは「傾く(かぶく)」から来ています。「かぶきもの」といえば去年の大河ドラマ「利家とまつ」でしっかり語られ、通底していたもう一つのテーマでもありました。信長、秀吉、利家、みんな「かぶきもの」です。
「かぶきもん」とはたわけ者、枠に縛られない自由な人間、そんなニュアンスです。
家康は「かぶきもの」ではありません。

「秀吉ぎらい」は「かぶきもの嫌い」とおんなじ意味に思えます。たしかに前田を除いて「かぶきもん」たちは疾風のように日本史を駆け抜け、消えていったけれど、こちらの「歌舞伎もの」たちはしたたかに、逞しく、歌舞伎を最高の演劇に発展させていきました。
森西さんは「幕府に擦り寄るために、阿国歌舞伎の発祥の地をあえて四条河原にしたのでは」と推論されています。そのしたたかさから、さもありなんと思わせますね。

今年は新しい力がさらに、かぶこうとする未来が見えています。
東京にはなんだか「かぶきもの」の典型のような中村獅童もいて、なんだかおもしろいですね。


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