散歩主義

2003年01月10日(金) 「よき読者」

昨日の京都新聞で、少し気になるコラムを読みました。不定期連載の「俳句のいま」というコラムです。今回は櫂未知子さん。角川書店からでている「俳句」1月号の座談会に彼女も参加していて次のようなことを述べておられます。

「『俳壇は作者と読者がイコールだ』とよくいわれますが、そんなことはない。今はみんな作者オンリーです。」

そして、誰もがスポットライトを浴びたがる。そこには目の肥えた観客がいない、
とコラムで指摘されているのです。

即座に連想したのはインターネットにおける「よき読者」の存在についてです。
正確なクリティックを装って、その実自分のことだけを書くぐらいならば「よき読者」としてありたいな、と。
作品に対して批判も提案もあるだろうけれど、それらが「作品」を前進させる、あるいはきちんとした論点から述べられるのならともかく、たいていが慇懃な皮をかぶった侮辱である事が多いように思えます。

櫂さんはこう続けます。
<だれもが自分の作品を読んでもらいたいと願う事は、あたりまえのことです。
しかし、何がホンモノなのか。それは他者の作品や文章を読まねばわかりません。>

ぼくのなかには「よき読者はよき書き手でもある」という不文律が何故だかあります。読まないで書く人ももちろん認めますが、少なくとも本なんて大嫌いだ、という人がいい本を書けるとは思えません。

簡単に一つの見かたではくくれない問題です。そんなことはない、と思える局面もあるし。
他人はどうあれぼくは「よき読者」でありたいです。と、結局は言ってしまうのですが、「よき」の中味について、いつも自問していますね。

それと、これは印象論、直観なのですが、インターネットにおける言葉は、紙の上よりも鋭角に刺してくるように思えます。根拠はありません。
だからなおの事、言葉に敏感でありたいし、他者の作品をていねいに読みたいと思うのです。

速ければあさってぐらいに、藤井貞和さんの本が届きます。今、いちばん読みたい人。読みたい本です。

書くことも大事だけれど、読むこともとても大事。結局、それを自分の中で確認したコラムであったようですね。
簡単な事に悩む、にしはらくんなのでした。♪


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