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2004年08月15日(日) 若手社員でも会社は変えられる(その1)

僕は、25歳、入社3年めのとき、バブル期の本社宣伝部という天国から、中小企業担当の営業という地獄へと人事異動の辞令が下った。
現場を知れ、という事だろう。

僕のミッションはパソコン、PCサーバー、UNIXサーバーを年間7000台売る事。
チーム目標ではない。
個人目標である。

営業は初めてだったので、まずは当時の営業のやりかたに素直に従った。
キャンバスコールと呼ばれる、いわゆるドブ板営業である。
雑居ビルを見つけたら、一番上の階へエレベータで昇り、上の階のオフィスから順番に絨毯爆撃的に訪問する。
1日の訪問件数は20から30件。
ほとんどの会社は、ただの支社だったり、システム担当者が存在しなかったり、玄関で追い払われたりして、全く売上にはつながらなかった。
新人営業の僕にとっては、運良くシステム担当者と会えたとしても、それぞれ事情が異なる企業相手に何を話せば良いのかが、全くわからなかった。
ドブ板営業は、精神的にもつらい。
これでは、7000台の目標など、絶対に達成できない。
当時はバブル崩壊直後で、バブル期に採用された大量の新人営業がいたので、数打ちゃ当たる方式の営業と既存顧客からの売上で事業部としては、何とかなっていたのだ。
だが、僕の所属していた事業部の営業成績は全国でビリだった。

僕は、仕事のやりかたに疑問を感じた。
いくらなんでもアホ過ぎる。
それに、僕はキャンバスコールが大嫌いだった。
精神的にも肉体的にも辛い。
効率が悪すぎる。

営業経験のない新人営業の僕は「当たり前」とされてきた従来の営業手法に強い疑問を感じた。
仕事をサボって、横浜の元町プールのベンチでビールの500ミリ缶を片手に水着のおねいちゃん鑑賞をしていた僕は、決意した。
「キャンバスコールなんて、止め止めっ!」
もっと涼しいところで楽に営業できる方法を考えよう。
僕は、キャンバスコールを止めて、戦略を練ることにした。

まず、システムの知識が全くなかったので、猛勉強した。
そして、当時(90年代初期)は「クライアントサーバーシステム」がブームになりかけていたこと、単体売りではなく「ソリューションビジネス」に移行しようとしていたこと、「経営者がいつでも簡単に経営情報を取れるシステム」が求められている事、がわかった。
そして、このアホなキャンバスコール、営業のやり方の課題を洗い出した。
自分で売ることよりも、他の営業や販売代理店の「他人の力を使って勝手に売れるしくみを構築すること」が必要だと思った。
自分ひとりで、中小企業相手に7000台ものシステムが売れるワケがない。
また、当時、大量増殖した新人営業が、キャンバスコールを行なっても、そもそも「話すネタがない」ということに気づいた。

その2に続く)




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